「対テロ戦争」下の自由社会 / 古矢 旬

Furuya Jun
1 「戦時選挙」としての 2016 年大統領選挙
目下進行中の米大統領選挙は、あの 2001 年 9 月 11 日の米中枢同時多発テロ事件以後、4 度
目となる。この間、合衆国は、あの事件をきっかけとして戦端を開いた対外戦争から依然と
して足を抜くことができずにいる。たしかに、オバマ政権の 2 期を通して、合衆国はイラク
戦争からの撤退を果たし、アフガニスタン駐留米軍の段階的撤退も進めつつあり、一見する
と米国の中東での軍事的関与は著しく軽減されてきたかにみえる。しかし逆に、昨年来明ら
かになってきたアフガニスタン国軍の弱体、タリバンの再活性化と反攻強化、さらにはこの
(IS)のアフガン展開などの諸事情から、オバマ大統領
混乱につけ込んだ「イスラーム国」
は、その任期中のアフガンからの完全撤退を断念せざるをえなくなっている(1)。その意味で、
米国は 2017 年以降も限定的ではあるが、依然として外国との(あるいは外国での)戦争を継
続してゆかざるをえない。
今回の選挙戦のもうひとつのより直接的な背景としては、昨年来のパリやブリュッセルに
おける大規模なテロ事件やカリフォルニア州サンバーナディーノで起きた銃乱射事件を見過
ごすことはできない。いずれもISが関与したとされるこれらの無差別テロは、広範なアメリ
カ国民に、合衆国がなお「対テロ戦争」の戦時下にあることをあらためて思い起こさせる契
機となった。おそらく今、アメリカの「戦時」意識は、長引くアフガン戦争以上に、自らの
社会の内に潜む、あるいは外から内を窺う見えざる敵との恐怖に満ちた不断の対峙―すな
わち「対テロ戦争」―により密接に結びついているように思われる。
この「戦時」下の不安や恐怖の社会心理は、国民を過剰な秩序志向・安全志向へと駆り立
て、異見に対する不寛容を醸成し、自由で開放的なアメリカ社会の中核的価値である人権や
市民的自由を損なう危険性を秘めている。たとえば、共和党大統領候補の討論会において、
ドナルド・トランプやテッド・クルーズが、9・11以後しばしばその合憲性が疑われてきた、
諜報機関によるテロ容疑者の拷問を何の躊躇もなく追認していたことは記憶に新しい。それ
どころか、トランプは、ブッシュ政権の功利主義的主張―拷問は、たとえ非人道的であり、
容疑者の人権を侵すとしても、テロ防止という最優先目的に向けた情報獲得に役立つ―を
すら素通りし、単に「テロリストはそれに値するから」という理由を挙げて拷問を正当化し
たのであった(2)。このような粗雑な論議の内に、憲法上犯罪容疑者に与えられるべき市民的
自由や市民的権利に対する顧慮は何ら認めることができない。ほかならぬ大統領選挙におい
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てこうした典型的な大衆的デマゴギーが横行している事態は、9 ・ 11 事件以後のアメリカ政
治が、いかに安全保障という目的のために、憲法的な市民的自由を軽視し続けてきたかを裏
書きしているかに思われる。その意味で、トランプの論議は、合衆国の憲法体制のうちに、
突如として現われた逸脱現象では決してない。それは、9 ・ 11 事件以後の長い戦時をとおし
て累次積み上げられてきた対テロ対策の数々に起因する開放的な自由社会の危機を反映して
いると言わなければならない。
以下では、このように15年にわたる「戦時」をとおして進行してきた「自由の危機」の原
因と現状を理解することを目的とする。実は合衆国史上、戦時にあって、
「安全(security)」
や「秩序(order)」と「自由(freedom)」や「開放性(openness)」とが天秤にかけられ、その結
果後者が前者の犠牲に供される結果となった事例は少なくない(3)。その際、そこで抑圧され
自由を剥奪され権利を停止された人々は、何らかの異見・異端的信条の持ち主であることに
よって、あるいは出自や属性によって他から区別された少数の特定個人や特定集団であった
ことに留意すべきであろう。たとえば、
「革命家」
「過激派」
「アナキスト」
「ドイツ系アメリ
カ人」
「日系アメリカ人」
「共産主義者」
「スパイ」等々であり、戦時にあって、これらの少数
者たちは、しばしば「内なる敵」としてあぶり出され、不寛容な世論の指弾を浴び、自由を
奪われてきた。これらの少数派が否定された自由とは、決して単に抽象的な思想や価値では
なく、合衆国憲法(とりわけその権利章典)によって国民(場合によっては外国人を含む人間)
一般に保障されたはずの個別具体的な市民的諸自由(civil liberties)や市民的諸権利(civil
rights)であった。たとえば、連邦憲法第1条第9節第2項が議会によるその停止を禁止してい
る人身保護令状を求める自由であり、その修正第 1 条に保障されている思想信条の自由や言
論、出版など表現の自由であり、修正第 4 条に規定された令状のない捜索や逮捕を免れる自
由であり、第 5 条の法の適正な手続きによらぬ生命、自由、財産の剥奪からの自由などであ
る。
このようにアメリカ史における「戦時」下の自由の危機は、国内敵と目され、社会的な不
寛容にさらされた少数者が、憲法的な自由や権利を否定・剥奪されることから始まるのがふ
つうであった。そしてこのような少数者や少数異見の抑圧は、やがて社会全体の自由を窒息
させ、民主的かつ開放的な討議を沈滞させてゆく。
「対テロ戦争」下における現在の自由の危
機も、こうしたパターンを踏襲してきているように思われる。現在の「戦時」に、そのパタ
ーンから逸脱する新しさはあるのか、そして先の見えないこの「戦時」が続く限り、合衆国
は「安全保障」と「自由」とのディレンマを解消しえないのであろうか、そして「対テロ戦
争」は「自由社会アメリカ」を終結させることになるのだろうか、これらが以下で問うべき
疑問である。
2 「対テロ戦争」―新しい「戦争」の創出
「対テロ戦争(war on terror)」という一見奇妙な概念が、9 ・ 11事件を直接の契機として生
み出されたことに疑いはない。かつて「テロ」は、主権国家間の戦争に付随する一つの戦闘
手段として実行されることはあっても、
「テロ行為」それ自体が国際法上の戦争を意味するこ
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「対テロ戦争」下の自由社会
とはなかった。主権国家内で、非武装の市民を武装した者が襲う暴力として、テロは、第一
義的には刑事犯罪であった(4)。
1970年代以降今日まで、戦闘手段としての、また犯罪としてのテロは大きな変化を遂げて
きた。それは、国境を容易に越えて展開されるようになったという意味で国際化し、通信革
命を利用したテロリストのグローバルなネットワークを備えることによって脱国家化し、躊
躇なく一般市民を標的としたり人質にしたりするという意味で無差別化し、飛躍的に殺傷能
力を向上させた武器や兵器が使用されるようになった結果、大型化し、宗教的な原理主義に
基づく自爆テロが増加したことが象徴するように狂信化していった。
そして1980年代以降、海外に展開した米軍施設や大使館などの公館、さらには在外のアメ
リカ人の集まる宿泊施設や娯楽施設を標的とするテロが頻発するようになる。これに対し、
合衆国の側も圧倒的な軍事・諜報技術を駆使して鎮圧を試み、空爆や巡航ミサイルといった
手段を用いて懲罰や報復を繰り返してきた。その際、つねに問題とされたのは、合衆国のこ
うした一方的な軍事的行動によって実際に攻撃対象とされた国々は(1986年のリビアのように
、本来の敵たるテロリストたちと必ずしも重なるわけで
国家が対米テロを画策した例を除けば)
はなく、それらの国々には合衆国を相手に正面からの戦争にあえて踏み込む用意もなかった
ことである。その意味で、一方的な軍事行動を繰り返しながら、合衆国は、伝統的な主権国
家間戦争とは異質な非対称的軍事対立へと巻き込まれていった(5)。9 ・ 11 事件は、まさにこ
うした超大国対テロリスト・ネットワークという、およそ対等性・対称性を欠いた 2 つの政
治主体の間の長年にわたる半軍事的対立の継続・累積の果てに生じた最大規模のテロであっ
た。
第 2 次世界大戦以来、国外からの侵略をまったく経験したことのない合衆国民と政府にと
り、9・11事件は、文字どおりの青天の霹靂であった。しかし、ある研究者が述べるように、
合衆国本土への攻撃により 3000 人の死者を出したこの事件がいかに衝撃的であったとして
も、それが主権国家間の戦争とは切り離された単発的な「純粋」テロリズム(pure terrorism)
である限り、それ自体としては市民的自由の停止を正当化する原則としての「今そこにある
危機(clear and present danger)」という伝統的な規準には達しないであろうし、他国に対する
先制的・予防的な攻撃を正当化もしないであろう(6)。
しかし、このときのジョージ・W・ブッシュ政権は、潜在的な反米国家から切り離された
「
『純粋』テロリズム」に限局して治安対策を講ずるという方針はとらなかった。むろん、ブ
ッシュ政権は即座に、このテロを主導した組織としてアルカーイダの殲滅を第一目的として
掲げた。しかし、政権はほどなくして、捕捉の困難なテロのネットワーク組織の代わりに、
その拠点もしくはテロリストの避難所と目したアフガニスタンに侵攻し、さらにはイラクと
いう反米的な主権国家との戦争に踏み込んでいった。こうして宣言された「対テロ戦争」は、
非国家的・脱国家的で見えにくいテロリストに対する攻撃に加え、伝統的な装いを帯びた見
えやすい主権国家との戦争をも併行させた複合的な軍事行動として展開されてゆくことにな
る。ここではまず、この新しい戦争の開始と「戦時」体制の構築に至る過程を簡単に振り返
っておこう。
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「対テロ戦争」下の自由社会
9・11事件の衝撃のいまださめやらぬ 2001 年9月14日、ブッシュ大統領は、国家非常事態
宣言を発し、同じ日、連邦議会は、事件に関与した国家、組織、個人に対する武力行使を大
(7)
統領に容認する決議案(AUMF: Authorization for Use of Military Force Resolution)
を通過させる。そ
して20日、大統領は連邦議会において、はじめて「対テロ戦争」という言葉を用いて、事件
を主導したとされるアルカーイダとの「戦争」の開始を宣言する(8)、
「われわれは、グローバ
ルなテロのネットワークを破壊し打ち破るためには、利用できるすべての資源を、あらゆる
外交的手段を、あらゆる諜報手段を、あらゆる法執行の手立てを、あらゆる財政上の影響力
を、そして必要なあらゆる兵器を投入してゆくつもりである」
。さらにブッシュは続けて言
う、
「われわれの対テロ戦争は、アルカーイダを相手に開始される。しかしそこで終わるわけ
ではない。地球上に展開するすべてのテロリスト集団をみつけ出し、押しとどめ、打ち破る
までそれは続くのだ」と(9)。
この全面的、永久的な「対テロ戦争」を宣言したうえで、10 月 7 日、ブッシュ政権は、
AUMFを後ろ盾として、アルカーイダおよびその支援国家と目されるタリバン治下のアフガ
ニスタンに対し、
「永続する自由作戦」の名の下に米軍の攻撃を開始する。そして10月26日、
「対テロ戦争」の遂行を支えるための―市民社会への監視強化、諜報の充実、マネーロン
ダリング(資金洗浄)規制強化、入国管理強化、対テロ捜査権の拡大強化、新たなテロ行為
規定、テロに対する罰則強化などを中心目的とする―法整備として、いわゆる「米国愛国
(10)
者法(USA PATRIOT Act)」
が、議会で成立する。
このように宣言され開始された「対テロ戦争」は、さまざまな意味できわめて新奇な戦争
として展開されてゆく(11)。9 ・ 11 事件後の「対テロ戦争」を特に情報監視の法制の面に注目
して詳しく調べた岡本篤尚は、この戦争の新しさを次のように要約する。第 1 に、上に引い
たブッシュ演説が示唆しているように、それは「具体的、かつ明確な目的をもたずしたがっ
て明確な終点のない『終わりなき戦争』
」である。第2に、それは特定の領域を支配する主権
国家とは異なり分散された非国家主体である「国際テロ・ネットワーク」を主敵とする「
『境
界』なき戦いである」
。第3に、この戦争は対等な敵同士の対称的な通常戦争とは、決定的に
異質な戦争であり、敵と味方の区別が容易につきにくいという特色をもつ(12)。
テロが市民社会の内側でいつ発生するかは不明な厄災として潜在しているとすると、それ
に対応して「対テロ戦争」も「敵」に似て、市民社会の内側において展開されることになる。
こうした国内の「対テロ戦争」と併行して進められる国外での「対テロ戦争」もまた、従来
通常とされてきた主権国家間の戦争からは著しく逸脱していった。9・11事件を契機として、
合衆国が開始した 2 つの対外戦争のうち、アフガニスタン戦争のほうに「対テロ戦争」の性
格は濃い。というのは、開戦のためには、あらためてイラクによる大量破壊兵器の保有問題
やネオコン(新保守主義)の中東民主化というヴィジョンが必要であったイラク戦争の場合
とは異なり、アフガニスタン戦争は、9 ・ 11 事件直後の沸騰する挙国一致的な国民世論に押
されるようにして、ほとんど反射的に始められた戦争であった。そこでの主要敵は何よりも
事件を引き起こしたアルカーイダであった。しかし、タリバン政府が、アルカーイダの指導
的メンバーの引き渡しを拒み、アフガン国内のテロリスト養成キャンプの閉鎖をも拒絶した
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ことは、合衆国政府に対アフガン開戦の十分すぎる口実を与えることとなった。とはいえ、
従来の国際法や国際連合憲章に照らしたならば、この口実が1つの主権国家によるもう1つの
主権国家に対する軍事的攻撃を正当化するには不十分であることは明らかであった。この問
題に対するブッシュ政権の応答が、
「先制攻撃論」という新奇なドクトリンであった。
「われわれが待っている間に、危機が完全にかたちとなって現われるようなことが起こるとし
たら、われわれは待ちすぎたことになりましょう。……対テロ戦争では、防御的になっていて
は勝てないのです。われわれは敵に戦いを挑み、敵の計画を挫き、最悪の脅威が現出する前に、
(13)
それと対決しなければなりません。
」
2002 年 9 月、ブッシュはのちに「ブッシュ・ドクトリン」と呼ばれるようになる予防的先
制攻撃論を国家安全保障戦略の要の位置に据えることを宣言する(14)。合衆国に比してきわめ
て小さなテロリスト組織との「戦争」を梃子として、合衆国は国際法を超え、いかなる国際
組織や国家によっても抑制しえない力を世界に向かって誇示したのである。ここでも国内の
戦線と同様、テロ予防の鍵を握るのは情報である。
「対テロ戦争」の戦時下、合衆国政府内の
情報機関共同体が、著しい肥大化を遂げ、国内外での活動を活発化させていったもう一つの
理由は、まさにそこにあった。
3 肥大化する「戦時」行政権と市民的自由の危機
以上述べてきたように、9 ・ 11 事件直後から開始された「対テロ戦争」は、第 1 に国際社
会の文字どおりグローバルなあらゆる地点が、第2に国際社会と国内社会のあらゆる接点が、
そして第 3 に国内市民社会のあらゆる地点が、可能的な戦場となる新奇な戦争である。つま
り世界展開した米軍のあらゆる基地や在外公館をはじめとする合衆国政府の施設、公私の目
的を問わず在外アメリカ人が集まりそうなあらゆる場、アメリカ人の国際的移動手段に使用
される航空機や船舶などの中とそれらの発着場、そして、テロリスツの潜行が容易な大都市
圏をはじめとする国内のあらゆる地点に、潜在的な戦線があると想定されているところに、
この戦争の特徴がある。したがってそれに対応しようとする「軍事行動」も、おのずから公
開的な市民生活の表面下に潜行し、予防的かつ秘密的な性格を帯びざるをえない。
この戦争を遂行する合衆国行政府が掲げた目標は、すでに顕在化してしまったテロ事件の
犯人たちを、軍事的手段をも駆使して捕らえるか殺害・制圧するとともに、潜在的なテロの
発生自体を予防的措置によって完全に押さえ込むことであった。短期的、中期的にはおよそ
実現不能なこうした目標のために、まず必要とされたのは、グローバルな情報空間を極秘裏
に全面的に把捉・統制することであった。こうした「戦争目的」の設定は、平時の米国社会
が誇ってきた開放性や法の支配の原則と真っ向から矛盾するものであり、このとき、合衆国
行政府は、従来の戦時国際法にも、連邦憲法をはじめとする合衆国の国内法にも治まりきら
ない法的領域に踏み込んでゆかざるをえなくなったと言ってよい。そして、これら伝統的な
法域において従来手厚く保護されてきたはずの普遍的人権や市民的自由が、柔軟な戦争遂行
策を追求する行政権力の恣意や便宜によって撓められる結果となった。
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「対テロ戦争」下の自由社会
「対テロ戦争」の新しい性格は、既存の戦争関連の国際法制、国内法制の内にしばしば法
けんけつ
の欠缺を生じさせる結果となった。これを埋めたのは、一つには「戦時」大統領に大幅な裁
量権を授与する議会の「対テロ」緊急立法―とりわけAUMF ―であり、いま一つは、大
統領を米軍の最高司令官と規定した連邦憲法第2条第2項の可能な限りの拡張解釈に基づく行
政命令であった。ブッシュ政権は、AUMFと憲法第2条第2項という、2つともきわめて簡略
な授権条文に多くを読み込むことによって、大統領権限の著しい肥大化を招き寄せ、
「対テロ
戦争」を主導していった。
しかし、ブッシュ政権、なかでも年来の大統領権限強化論者チェイニー副大統領およびそ
の補佐官や法律顧問たちにとって、最大の目的は「対テロ戦争」という例外状況を利用して、
自己権力基盤の拡大強化をはかることにあったと言われている。9 ・ 11 事件直後、圧倒的な
世論の支持を得ていた頃、ブッシュのホワイトハウスは、
「大統領が……戦時の最高司令官と
いう役割を帯びた際には、連邦議会の統制にも、あるいは法にすら縛られることはない」と
豪語していたのである(15)。
この肥大化した行政権力は、
「対テロ戦争」の多くの戦線で、
「法の支配」原則からの逸脱
を繰り返したことは、現在ではよく知られている。そうした逸脱のうちで、最も激しい論議
を呼んだのは、後にいずれも虚偽であることが判明する、サダム・フセインによる大量破壊
兵器の保有とアルカーイダとの連携を根拠として、強引に開戦へと突き進んだイラク戦争で
あった。しかし、この不法な対外戦争と並び、この政権が「対テロ戦争」のさまざまな局面
で国内において犯した市民的自由と法の支配の原則に対する違背もまた、アメリカ民主政の
歴史に大きな禍根を残したと言えよう(16)。
ここでは、9 ・ 11 事件以後の「対テロ戦争」の展開過程で問われた市民的自由にかかわる
ケースをいちいち個別的に取り上げ、その意義を論じてゆくことはできない。以下では、ブ
ッシュ政権下の「対テロ戦争」に関し、最も激しい憲法的論議を巻き起こした 2 つの事例
―テロ容疑者の人権保障と市民監視制度―を概略的に取り上げることとする。
4 「敵性戦闘員(enemy combatants)」―拷問・長期拘留・適正手続き
「対テロ戦争」下で、異常な肥大化を遂げた大統領府による、最も深刻な市民的自由原則
からの逸脱は、この戦争で合衆国に捕らえられた「テロリスツ」もしくは「テロ容疑者」の
法的取り扱いにかかわっていた。
かつて主権国家間の戦争において、敵の手に落ちた戦闘員は捕虜(POWs)として、ジュネ
(17)
ーヴ条約(第三条約)
により人道的な待遇を保障されていた。しかし、ブッシュ政権は、
「対テロ戦争」の初期から、この戦争で捕らえた敵性戦闘員については、この国際法による保
護は適用されないとの立場をとってきた。アルカーイダとの戦争という史上例のない「新し
い戦争」に対しては、ジュネーヴ条約は適用されないというのが、ブッシュ政権の一貫した
見解であった。たとえば、ブッシュ政権の司法次官補ジョン・ユーは次のように主張してい
る。
「〔捕虜の取り扱いについての〕ジュネーヴ条約は…… 2 ヵ国以上の正式の締結国間の宣戦
布告された戦争もしくは武力紛争に限って適用されるものである。したがって条約の締結主
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体でもないアルカーイダのメンバーを合衆国が取り扱うに際して、ジュネーヴ条約のほとん
(18)
どの規定―とりわけ戦争捕虜に関する規定―によって制約をうけることはない」
。
しかし、ブッシュ政権は、こうして国際法の保護から除外した敵性戦闘員を、だからと言
って合衆国の国内法によって訴追する方針をとったわけでもない。そうではなく、彼らを、
国内法の適用範囲からも除外し、あらゆる法的権利を奪ったうえで、無法領域に閉じ込める
のが、この政権の方針となったのである。敵性戦闘員については、アフガニスタン戦争の開
始とともに、行政府単独で秘密裏に進められた戦時体制の構築過程で、以下のように一つの
道筋が決められていた。2001年11月13日、政権は、この「対テロ戦争」遂行方針にかかわる
「対テロ戦争における非合衆国民の拘留・
大統領軍事命令(military order)を公布している。
待遇・裁判」と題されたこの命令は、大統領を米国軍の最高司令官とする憲法条項と先の議
会による「武力行使容認決議(AUMF)」とを根拠として、アルカーイダやその同調者らのテ
ロ容疑者を捕らえた場合、大統領はこれらの敵性戦闘員を無期限に拘束でき、国防長官が指
定する米国内外の適当な収容施設に留置し、国防長官が設ける軍事審問委員会(Military Commission)によって裁判にかけられる、とするものであった。
この大統領命令を画策したのは、チェイニー副大統領とその法律顧問たちであった。ある
ジャーナリストによれば、チェイニーも国防長官ラムズフェルドも、この新しい戦争の成否
が、逮捕されたテロ容疑者からどこまでテロ組織の動向にかかわる情報を引き出せるかにか
かっていることを疑っていなかったという。しかしながら彼らが、そのための有効な手段と
信じていた拷問は、条約(19)と国内法で構成される合衆国の法域においては、まったく実行の
余地はなかった。したがってチェイニーが求めていたのは、
「厳しい尋問」が可能な(国際法
にも国内法にも縛られることのない)超法規的な場―「法的に言って宇宙の最果てに等しい
場所」―であったとされる(20)。
そのような場として選ばれたのが、アフガニスタンに設けられた米軍基地内の収容所であ
り、後にスキャンダラスな拷問事件で有名になったイラクのアブグレイブ刑務所であり、キ
ューバのグアンタナモ米軍基地内の収容所であり、そして世界中に設けられた米中央情報局
(21)
(CIA)の秘密施設、いわゆる「暗黒収容所(black sites)
」
であった。アフガニスタンで展開
された「永続する自由作戦」では、それによって捕らえられた敵性戦闘員のうち780 名がグ
アンタナモに収容され、少なくとも 119 人が「暗黒収容所」で尋問を受けたとされる(22)。や
がて調査ジャーナリズムの努力(23)もあって、これらの施設の運営実態は、しだいに外部に漏
れ聞こえてくるようになる。
いわば法の空白地帯に置かれたこれらの「敵性戦闘員」の拘留者たちに対する拷問―ブ
ッシュ政権内では「強化型尋問技術(EIT’s: enhanced interrogation techniques)」と呼ばれた―
の凄まじい実態は、リベラル派や人権重視の市民団体や法律家から非難を浴び、合衆国の同
盟国の首脳からすら顰蹙を買ったと言われる。しかし、その同盟国もこの敵性戦闘員の非人
道的取り扱いに加担していたことが、やはり調査報道によって後に明らかになっている。
CIA の「暗黒収容所」計画には、いくつかの同盟国の諜報部門との間に、拘留者を互いに拷
問可能な場所に送り合う「特別引き渡し制度(extraordinary rendition)」も存在していたのであ
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る(24)。国際的なテロのネットワークと戦う「文明国」同盟の側も、国際的な対抗テロの極秘
ネットワークを形成し、互いに拷問を「外部委託」していたことが暴露されたのである。
「対
テロ戦争」は、こうして安全保障を絶対的な名目として、国内法、国際法が保障しているは
ずの一切の人権も市民的自由も事実上剥奪され、底知れぬ無法の暗黒に落とし込まれた少な
からぬ「敵性戦闘員」を生み出したのである。
ブッシュの軍事命令は、少数の米国籍市民をも含む多くの「敵性戦闘員」を国外の特定施
設の内に無法状態に置き、彼らに対する拷問を野放しするという結果をもたらした。その実
態が漏洩され、世の知るところになってゆくにつれ、それは開放性を誇る自由社会に禍根を
残し、合衆国の対外的な威信と信頼性を大きく貶めていったと言えよう。
「
(安全を守らねばならないという)プレッシャーや恐怖や、さらなるテロ計画があるかも知
れないという予感などは、安全保障の名に基づく個人や組織の不適正な行為(=拷問)を正当
(25)
化したり、容赦したり、その弁解になったりはしないのだ。
」
これは、ブッシュ政権下2009年まで存続した「暗黒収容所」の実態調査に当たった連邦上
院議員ダイアン・ファインスタインの総括である。しかし、米国史を振り返るならば、戦時
におけるこうした自由の抑圧が、再び起こらない保証はない。
5 市民監視の強化
9 ・ 11 事件以後、ひそかに行政権力の肥大化が進行していったもう一つの領域が、公権力
による情報監視の分野であった。ブッシュやチェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官
がしばしば強調したように、
「対テロ戦争」は国内の市民社会を、一つの戦場として進行す
る。そこでの戦闘はつねに、攻撃のイニシアティヴを握る敵テロリストの選択した場とタイ
ミングで起こり、その瞬間に、その場が戦場となり、平時が戦時へと切り替わる。そして、
たまたまそこに居合わせた一般市民が標的とされ犠牲となる。このように国内がつねに潜在
的な「戦場」にほかならないとするならば、そこではテロリストが戦闘を開始する前に、潜
行する敵の存在を確認し、これを捕捉し、戦闘を未然に予防することが必要となろう。国内
の「対テロ戦争」において、CIAや国家安全保障局(NSA)を中心とする政府の情報機関が、
「諜報(intelligence)」や「情報監視(surveillance)」や「盗聴(wiretapping)」といった手段を駆使
して市民社会全体に監視網を広げてきた理由はそこにある。政府という「ビッグ・ブラザー」
が、自由を名目として、市民的自由を萎縮させる危険がそこには潜んでいたと言えよう。
既述の「米国愛国者法」は、9 ・ 11 事件以後のテロに備えた情報監視システムの整備強化
を目的とした立法であった。この法の最も重要な側面は、これまで政府の法執行機関の情報
収集に歯止めをかけていた「外国情報活動監視法(FISA: Foreign Intelligence Surveillance Act of
」の規制を著しく緩和したことにあった(26)。しかし、当時国家安全保障局長であったマ
1978)
イケル・ヘイデンの回顧するところでは、ブッシュ政権が求めていたものは、まったくの行
政府独断による秘密の監視体制の構築であったという。つまり、一般のプライヴァシー保護
のためFISAが合衆国の法執行機関に課している一切の制約を迂回し、市民社会全体にひそか
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「対テロ戦争」下の自由社会
に張り巡らされた情報収集のプログラムであった。こうしたホワイトハウスの要請に応えて
ヘイデンらが構築したのが、
「ステラーウィンド(Stellarwind)」と名付けられた違法な秘密計
画であった。それは、FISAによって禁じられている「令状なしの監視」や「目的を絞らない
一般的な情報収集」により、市民社会全体に監視網を張り巡らしてテロの防止を図るもので
あった(27)。このような違法な大計画が、一片の大統領承認によって、秘密裏に認可されて着
手されたこと自体、
「対テロ戦争」を梃子にした恐るべき大統領権力の肥大化を示す兆候であ
った。こうしてこの分野にも、ブッシュ政権は「無法地帯」を作り出し、憲法に擁護された
市民的自由をひそかに毀損していたのである。
この計画の当事者ヘイデンは、後に書いている。
「誰も、ステラーウィンドが、永久に秘
密のままゆくだろうなどとは思っていなかった。どんな秘密だっていずれは暴かれるものだ。
そしてわれわれは、この計画が公になったときに襲ってくる嵐は、ステラーウィンドやその
(28)
他の対テロ計画が大成功した分だけ、大きいだろうということもわかっていた」
。実際、
この場合も調査報道によって、やがて監視体制の全体像が徐々に姿を現わし、大統領批判が
噴出した(29)。
この監視計画の法的根拠をめぐる論争が吹き荒れた後、2008 年 7 月になって、連邦議会は
FISA改正法を成立させる。当時上院議員であったバラク・オバマも賛成票を投じたこの立法
によって、司法長官と国家情報長官との共同決定により、政府が外国情報活動監視裁判所
(FISC)の許可なしに電子的監視を行なうことが可能となったのである(30)。9 ・ 11 事件直後
「ステラーウィンド」に示された、大統領府の独断専行による「監視」システムが、ようやく
法の許すところとなったと言えるかもしれない。しかし、
「対テロ戦争」が今後も継続すると
するならば、そしてテロの側も対抗テロの側も新たな通信技術を次々と取り入れながら戦い
続けるとするならば、市民生活の安寧とプライヴァシーと自由とは、今後もつねに両側から
の侵害の危険にさらされ続けてゆくことになろう。
6 オバマの「対テロ戦争」
2009年初頭、バラク・オバマ大統領の登場が、イラク戦争と経済危機に倦み疲れたアメリ
カ国民の間に圧倒的な変革への期待を巻き起こしたことは、なお記憶に新しい。そのオバマ
の「変革」の射程は、
「対テロ戦争」がもたらした市民的自由の逼塞という状況にも及んでい
た。というよりも、
「対テロ戦争」の遂行過程で露呈した前政権の「無法性(lawlessness)」か
ら決別し、大統領のリーダーシップのうちに「法の支配」の原則を回復することは、オバマ
大統領が真っ先に取り組んだ変革課題であったと言うべきであろう。
就任から 3 日後、オバマ大統領は、ブッシュ前政権の「対テロ戦争」の象徴と目されてい
たグアンタナモ収容所およびCIA の「暗黒収容所」の閉鎖を決め、同時にそれらの秘密施設
内で行なわれていた「敵性戦闘員」に対する拷問を禁止する行政命令を発した(31)。この命令
は、チェイニーをはじめとするブッシュ政権を支えたコアの支持者によって、国内安全保障
を軽視し、新たなテロを誘発する軽挙として指弾される(32)。他方、市民的自由や人権の擁護
派をはじめとするリベラル派には、政権発足に当たって「安全」と「自由」とのバランスを
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「対テロ戦争」下の自由社会
大きく後者に傾け直そうとする新大統領の意思表明として迎えられたのであった。
しかし、当時多くの人が見落としていたのは、オバマはこのときすでに大統領として前政
権の多面的な「対テロ戦争」遂行策のどこを、どこまで、いかに引き継ぐのかについて検討
を開始していたのである。たとえば、2009 年 2 月 6 日、オバマは種々の国家情報機関活動の
一線に立つ情報官僚たちから、ブリーフィングを受けている。そこで彼は、ブッシュ政権の
下のNSAが展開してきた―潜在的な犯罪者やテロリストと目されるものの令状なき盗聴ど
ころではなく、まったくテロなどとは無縁の何千万もの国民の電話や E メール記録の収集と
いう―驚くべき規模の情報収集計画の存在を知らされている(33)。この時点で、この計画の
公開と停止は、
「変革」の大統領オバマにとっては一つの選択肢でありえたであろう。しか
し、実際のオバマは、
「戦時」大統領として国民の「安全」を守るべき責任を優先した。テロ
の可能性とプライヴァシーの危機との狭間で、オバマは、ブッシュから秘密を受け継ぎ、こ
の監視計画の継続を選択したのである。この後、2013 年 6 月、元 NSA 職員のエドワード・
J ・スノーデンの情報漏洩によってその存在が暴露されるまで、NSA はこの計画を秘密のま
まに展開してゆくのである。ブッシュ、オバマ両大統領の「対テロ戦争」政策を精査したチ
ャーリー・サヴェジは次のように言う。
「国家安全保障にかかわる法政策の他のどんな領域よりも、監視(surveillance)政策について
は、ブッシュ ― チェイニー政権とオバマ政権の間は、継ぎ目なく一貫していることは明らかで
(34)
ある。
」
監視に限らず、
「対テロ戦争」にかかわる安全保障政策については、これまでのところオ
バマの選択はきわめて現実主義的であった。その結果、政権の発足とともに打ち上げたグア
ンタナモの閉鎖は、任期の終わりにさしかかった今なお実現をみていない。
「敵性戦闘員」の
予防的な拘留もなお終わらず、オバマは、彼らを裁く唯一の手段として「軍事委員会」を復
活させている。さらに、オバマは、AUMFを根拠法としてアルカーイダを今なお、
「対テロ戦
争」の「敵」とみなし、国際法を逸脱してでもビン・ラディンを殺害し、今なおアルカーイ
ダのメンバーとみられる敵戦闘員に対し、無人機や巡航ミサイルを用いての「標的殺害」を
繰り返している。また彼は、スノーデンのような監視システムにかかわる国家機密の漏洩者
の訴追に熱意を燃やしている。ここには、市民的自由や普遍的人権を不可侵の原則とする理
想主義者の姿を認めることはできない。
おそらくサヴェジが言うように、憲法学者でもある大統領オバマにとって遵守すべき最も
重要な原則は「法の支配」なのかもしれない。オバマは、少なくともブッシュのように憲法
2条2項の最高司令官条項に依拠した執行権の野放図な拡大と恣意的行使に走ることはなかっ
た。それこそは、大統領自らが「無法性」に陥り、連邦政治の頂点から「法の支配」原則を
破棄することを意味する。しかし、同時に大統領として「対テロ戦争」の指揮を執ることは、
国家的危機の予防と管理に従事することにほかならない。国家的な危機管理こそは、高度の
現実感覚を要する可能性の技術にほかならない。オバマは政権出発時、宣言的な憲法重視論
を繰り返し、国民の改革志向を鼓舞した。しかし、彼の 2 期にわたる大統領職は、少なくと
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「対テロ戦争」下の自由社会
も「対テロ戦争」に関してはこの学究的でヒューマンな理想主義者がたどった、現実主義者
への長い道のりだったのかもしれない。
おわりに
現在進行中の大統領選挙において、トランプをはじめとする共和党右派の候補者たちは、
一致してイスラーム教徒の入国禁止や制限を訴えてきた。一部の白人保守派の喝采を呼んだ
これらの過激な主張は、しかしはたして長期的にテロ防止に有効であろうか。2015年初め以
来、パリ、ブリュッセルなどで立て続けに起こった ISによる無差別テロの実行者たちの多く
が、ヨーロッパのイスラーム系の移民社会に生まれ育った若者たちであったことは、広く知
られている。まさに、これらのいわば「ホーム・グロウン・テロリズム」は、ヨーロッパの
社会経済体制の出口のない底辺と周辺部に追いやられたイスラームやアラブの若者の底なし
の疎外感や無力感を温床としているとも報じられている。
このような現状は、あるジャーナリストによれば、欧米世界に対するイスラーム過激派の
挑戦が新しい局面にさしかかっていることを示しているという。今やISは、イスラーム世界
と西欧世界との分断線を西欧世界のなかに押しもどすことによって、西欧社会を内側から混
乱に導き、本拠地たる中東での主導権の確立に努めているというのである(35)。これが事実で
あるとすれば、トランプやヨーロッパの右翼がかき立てる無思慮な反イスラーム煽動は、欧
米内部のイスラーム差別を助長し、むしろ「ホーム・グロウン・テロリズム」の温床を育み
かねない危険な言動であると言わなければならない。
この新しい「戦時」下、アメリカ社会は、
「安全」と「自由」のディレンマを混乱なく解
きうるのであろうか。おそらくこの大統領選挙は、合衆国の将来に向けての大きな岐路なの
であろう。
( 1 ) “Statement by the President on Afghanistan,” Wall Street Journal, October 15, 2015.
( 2 ) “Transcript of the Republican Presidential Debate,” New York Times, February 6, 2016.
( 3 ) たとえば、Geoffrey R. Stone, Perilous Times: Free Speech in Wartime from the Sedition Act of 1798 to the War
on Terrorism, New York: Norton, 2004 を参照。
( 4 ) テロリズムの定義の歴史的変遷については、チャールズ・タウンゼンド(宮坂直史訳)
『テロリズ
ム』
、岩波書店、2003年、1―10ページ参照。
、岩波書店、2016 年、第 1 章; Stefan
( 5 ) 金惠京『無差別テロ―国際社会はどう対処すればよいか』
Halper and Jonathan Clarke, America Alone: The Neo-Conservatives and the World Order, New York: Cambridge
University Press, 2004, pp. 275–280.
( 6 ) タウンゼンド、前掲書(注 4)
、148ページ。
( 7 )〈https://www.911memorial.org/sites/all/files/Authorization%20for%20use%20of%20military%20force.pdf〉
( 8 ) “A Nation Challenged; President Bush’s Address on Terrorism before a Joint Meeting of Congress,” New York
Times, September 21, 2001.
( 9 ) リベラルの一部、市民的自由論者や国際法学者の多くは、主権国家対脱国家的なテロリスト集団
との軍事的紛争という概念自体を否定している。彼らによれば、アルカーイダはいかに危険であっ
ても、国際的な麻薬取引集団や海賊などと、法的には同等である。Charlie Savage, Power Wars:
Inside Obama’s Post-9/11 Presidency, New York: Little, Brown and Co., 2015, p. 60.
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「対テロ戦争」下の自由社会
(10) この法の正式名称は以下のとおり。“Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools
Required to Intercept and Obstruct Terrorism(USA PATRIOT ACT)Act of 2001”(115 STAT. 272 PUBLIC
LAW 107–56—OCT. 26, 2001)
〈http://www.gpo.gov/fdsys/pkg/PLAW-107publ56/pdf/PLAW-107publ56.
pdf〉
, accessed June 1, 2016. その全容については、Howard Ball, The USA PATRIOT Act of 2001: Balancing
Civil Liberties and National Security, Santa Barbara, Calif.: ABC-Clio, Inc., 2004, pp. 49–62を参照。
(11) Donald H. Rumsfeld, “A New Kind of War,” New York Times, September 27, 2001〈http://www.nytimes.
com/2001/09/27/opinion/27RUMS.html〉
.
(12) 岡本篤尚『
《9・11》の衝撃とアメリカの「対テロ戦争」法制』
、法律文化社、2009年、3―13ペー
ジ参照。
(13) “President Bush Delivers Graduation Speech at West Point,” at United States Military Academy, West Point,
New York, June 1, 2002〈http://georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/releases/2002/06/print/200206013.html〉
.
(14) “Full Text: Bush’s National Security Strategy,” September 20, 2002〈http://www.nytimes.com/2002/09/20/
politics/20STEXT_FULL.html?pagewanted=all〉
.
(15) Sean Wilentz, The Age of Reagan: A History, 1974–2008, New York: Harper Collins, 2008, p. 441.
(16) Austin Sarat and Nasser Hussain eds., When Governments Break the Law: The Rule of Law and the Prosecution
of the Bush Administration, New York: New York University Press, 2010.
(17)「捕虜の待遇に関する 1949 年 8 月 12 日のジュネーヴ条約(第三条約)(捕虜条約)」以下を参照
〈https://www.icrc.org/ihl.nsf/7c4d08d9b287a42141256739003e636b/6fef854a3517b75ac125641e004a9e68?Open
Document〉
.
(18) Jason Ralph, America’s War on Terror: The State of the 9/11 Exception from Bush to Obama, Oxford, UK: Oxford
University Press, 2013, p. 3.
(19) 合衆国も1988年に調印し、1994年に批准、加盟している国連拷問禁止条約についての簡潔な説明
は以下を参照。Convention against Torture and Other Cruel, Inhuman, or Degrading Treatment or Punishment
〈http://legal.un.org/avl/ha/catcidtp/catcidtp.html〉
.
(20) バートン・ゲルマン(加藤祐子訳)
『策謀家チェイニー―副大統領が創った「ブッシュのアメリ
カ」
』
、朝日新聞出版、2010年、228ページ
(21) 外国に置かれた CIA 施設内に、テロ容疑者を拘留し尋問する計画は、9 ・ 11 事件以後 2009 年初頭
まで続けられた。その実態は、2014年ダイアン・ファインスタイン民主党上院議員が議長を務めた
連邦上院情報特別委員会が提出した報告書により克明に暴露された。ファインスタインによる簡潔
な序文は以下を参照〈https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a2/US_Senate_Report_on_CIA_
Detention_Interrogation_Program.pdf〉
.
(22) New York Times, November 10, 2007; supra note 21, p. 3.
(23) とくに以下の先駆的な報道を参照。Dana Priest, “CIA Holds Terror Suspects in Secret Prisons,” Washington Post, November 2, 2005.
(24) Jane Mayer, “Outsourcing Torture: The Secret History of America’s ‘Extraordinary Rendition’ Program,” New
Yorker, February 14, 2005.
(25) See, supra note 21.
(26) 詳しい改正の内容については、岡本前掲書(注 12)
、107―132、198―212ページ参照。
(27) Michael V. Hayden, Playing to the Edge: American Intelligence in the Age of Terror, New York: Penguin, 2016,
Kindle ed., chap. 4.
(28) Ibid., 位置 No. 1254.
(29) James Risen and Eric Lichtblau, “Bush Lets U.S. Spy Callers Without Courts,” New York Times, December, 16,
2005.
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「対テロ戦争」下の自由社会
(30) Eric Lichtblau, “Senate Approves Bill to Broaden Wiretap Powers,” New York Times, July 10, 2008.
(31) Mark Mazzetti and William Glaberson, “Obama Issues Directive to Shut Down Guantánamo,” New York Times,
January 22, 2009〈http://www.nytimes.com/2009/01/22/us/politics/22gitmo.html?pagewanted=all&_r=0〉
.
(32) Charlie Savage, supla note 9, p. 163.
(33) Ibid., pp. 162–168.
(34) Ibid, p. 170.
(IS)の建国を宣言し、自
(35) 2014年6月、アブー・バクル・アブ = バクダーディが「イスラーム国」
らをカリフと称して以来、西欧に対するイスラーム過激派の攻撃は新しい段階に入ったとされる。
ISによる西欧内部のイスラーム社会への働きかけが活発化し、これに呼応した西欧生まれの若いイ
スラーム教徒による、いわゆる「自国内で醸成されたテロ(home grown terrorism)
」が、イスラー
ム過激派の世界戦略の重要な一環をなしつつある。Jason Burke, “Next Menace in the Making,” The
Guardian Weekly, April 1–7, 2016. トランプらが主張する欧米社会のイスラーム排外主義には、こうした
イスラーム過激派によるテロ戦略の変化に対する応答という側面もあろう。
ふるや・じゅん 北海商科大学教授
[email protected]
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