インドネシアにおける労務リスクマネジメント

インドネシアにおける労務リスクマネジメント
森・濱田松本法律事務所 弁護士 竹内 哲氏
竹内弁護士
インドネシアに対する外国投資は
支払いを行い迅速な解決を図った場合
堅調であり、近年はインドネシア子会
インドネシアでは、地方労働局・移民局の職員がある日突然会
社を有する日系企業の数がさらに増
社にやってきて、会社が労働関連法令
(外国人の就労許可に関
えてきている。他方で、労働問題は
する法令を含む)
の遵守を適切に行っているか抜き打ちの査察を
現地子会社運営に際して避けて通
行うことがある。
また、
このような査察は海外からの出張者が来て
ることはできない。
いる時を狙って行われることも多い。場合によっては、海外からの
本稿では、
インドネシアにおける労
出張者が適切なビザを保有していないことなどを指摘され、パス
務リスクマネジメントをテーマとして、
ポートを取り上げるか、
それともその場で罰金を払うかという選択を
具体的事例、
その要因、事前予防策
迫られることもある。
このような支払い要求について、根拠を検証
および事後対応策について以下簡単に解説する 。
*1
することなく支払いを行い迅速な解決を図るケースがしばしばみら
れる。
労働問題の具体的事例
このような支払いについては、公務員に恐喝罪等が成立する
インドネシアでは、労働者個人と会社との間の対個人の労使
場合は別として、不当な金銭支払いとして贈賄罪が成立するの
問題のみならず、企業組合・上位労働組合との間の対団体の労
が原則であるため、現地担当者の責任問題のみならず、現地法
使問題や労働局・移民局が不定期に行う査察への対応などの問
人、親会社の責任問題に発展する可能性がある。
さらに、当該公
題が頻繁に生じる。典型事例としては、解雇に関する問題、従業
務員から見た場合には、脅せば支払う会社と認識するため、
その
員からの賃上げ・正社員化要求問題、外国人の就労許可に関す
後もマークされることになり、
このような来訪が後を絶たないことに
る問題などの事例がある。
なる。
(2)
労働者、労働組合の要求に対して全面降伏により
労働問題が生じる要因
迅速な解決を図った場合
労働問題が発生する要因としては、現地文化・風習の理解不
労働組合との賃金交渉について、大幅な上昇を労働組合から
足等に基づく労使コミュニケーション不足に起因するものが多
提示されたような場合において、交渉が長期にわたることを回避
い。
日本とインドネシアでは、当然文化・風習が異なるので、
日本風
するために、労働組合からの提案に対して全面降伏をすることに
の従業員コミュニケーションがそのままインドネシアでも通用するも
より迅速な解決を図るケースがしばしばみられる。
のではない。
また、上位労働組合からの指示に基づき、従業員が
このような解決は、当然ながら、
その後の同社の労働組合との
労働争議に加担しているケースもある。この場合は、必ずしも従
交渉に悪影響を及ぼすものであり、労務管理上望ましくない。
ま
業員が自らの意思でストライキ等を起こしているわけではない。
さら
た、
インドネシアでは、賃金情報などは会社内のみならず、会社外
に、会社、労働者、企業労働組合以外にも、上位労働組合、地方
にも広がるため、
たとえば、
インドネシアにおいて他のグループ会
労働局、労働裁判所、警察、地方議会、地方住民等多くの登場
社が存在する場合には、他のグループ会社にも情報が伝わり、同
人物が労働問題に関与してくる点も指摘できる。
これらの周辺当
社における労使交渉を難しくする可能性も否定できない。一社の
事者が会社への協力者として働くか、敵対者として働くかはケース
安易な解決が、他のインドネシアのグループ会社等の対応にも影
バイケースである。
響を及ぼす可能性がある。
さらに、以前生じた類似の問題について安易な解決を図ったた
め、現在の困難な状況を招いているというケースもある。以下、典
事前予防策
型事例を説明する。
労働問題の事前予防策としては、労使コミュニケーションを充
(1)
労働局員から金銭を要求され、根拠を検証することなく
18 mizuho global news | 2016 JUL&AUG vol.86
実させることや組合との対話を真摯に行うことなどさまざまなもの
が考えられるが、本稿では、
あえて法令遵守に気を配るという点を
たとえば、労働局・移民局の査察については、外国企業が狙われ
強調したい。法令遵守に気を配るというのは、会社運営に際して
やすいという傾向はあるものの、実際には現従業員または退職従
は当然のことではあるが、
インドネシアでは法律の多さ、法律間の
業員などが、会社の待遇等について不満を持ち、報復として当局
不整合、法律改正の多さに加えて、実際に法律がどの程度執行
に通報している可能性もありうる
(先に述べた出張者訪問時に
されているか否かは、
その時々の当局の意向や政情にも左右さ
おける労働局・移民局による査察は、内部者からの通報に基づく
れるため、
これらの動向を踏まえて法令遵守に気を配るというのは
ケースも多い)
。そのような場合には、当該関係者に起因する要
実際にはそう容易ではない。
因を取り除かなければ、
また同種の問題が生じることもあり得る。
他方で、
形式上法令違反である場合には、
問題となった場合の
真の原因を把握することで当該原因に即した事後対応策を充実
反論が難しいのも事実である。
たとえば、有期雇用社員の契約期
させ、
その後の再発防止にもつなげることが重要である。
間を延長する場合には、
当初の契約期間が満了する7日前までに
(3)
現場の感覚のみには頼らない
書面による通知を行う必要があるものとされている
(労働法 59
インドネシアでの現場の感覚だけで事後対応策を考えるのは
条5項)
。形式的な手続きに関する規定のように見えるが、
かかる
望ましくない。
インドネシアではこうなっている、相場はこうであると
手続違反は当該有期雇用契約を期間の定めのない契約とする
いう、特に現地駐在経験がある者からの意見には説得力があるこ
法的効果を伴う
(同法59条7項)
。
そして、
労働局や労働組合はか
とが多い。
しかし、当該相場観・肌感覚に裏付け事実や法的根拠
かる手続違反を指摘することにより、有期雇用社員の正社員化を
が伴わない場合には、
かかる意見のみに依拠するのは危険であ
求めてくることも非常に多い。
このような状況下において、
7日前書
る。本社担当者としては、現地からの報告が現場の感覚だけに依
面通知を行っていない場合には、
当該労働組合・労働局からの主
拠したものである場合には、
裏付け事実および法的根拠について
張に対して正面から反論を行うことが非常に困難となる。
その都度確認を行うべきであるし、現地担当者としては、感覚だけ
そのため、
インドネシアにおいても、
労働関連法令について正確
ではなく、裏付け事実および法的根拠を補足しながら本社担当者
な法令理解とともに、当局の動向等の情報収集に努めることが
に対して説明を行うべきである。日本同様、必要な情報を収集し、
非常に重要である。
判断過程の合理性を担保するというプロセスは同じである。
事後対応策
最後に
*2
(1)
適切な初動対応
本稿は、
インドネシアにおける労務リスクマネジメントについて、
適切な事後対応策は、労働問題の内容に応じてケースバイ
筆者が日々の業務の中で接したさまざまな事例を通じて得たこと
ケースであるが、
まず、労働者、労働組合、労働局・移民局等から
を、最大公約数的にまとめた総論的な解説である。
の要求について、主張の正当性について落ち着いて吟味をし、
事案によって、背景事情は異なるので、個別事案の解決に本
適切な初動対応をとることが重要である。日本では想像もつかな
稿記載の事項がそのまま適用できるものとは限らないが、
インドネ
いような要求や出来事も起きるが、慌てずに冷静に判断すること
シアにおける労務問題に対するアプローチを検討するに際して少
が求められる。
しでも参考になれば幸いである。
労働局からの不定期査察を例に挙げると、労働局が常に正し
い指摘をしているとは限らない
(論点を増やして、混乱させて会社
側を消耗させたところで、不当な金銭の支払いを要求することを
企図しているように思われるケースも残念ながら皆無ではない)
。
まずは要求内容を正しく理解する必要がある。厄介な問題は早く
解決したいという理由のみで、不当な主張についても鵜呑みにす
*1 本稿に記載されている見解は、
いずれも筆者の個人的な見解であり、筆者が所属
する法律事務所・いかなる団体の見解を示すものではない。なお、紙面の関係上、
従業員の不正対応については説明を割愛する
*2 Law No. 13 of 2003 regarding Manpower
べきではない。金銭目当てで立ち入りに入っているように思われる
竹内 哲氏 プロフィール
事案では、書面で適切な返答をすれば、
その後、当局から嫌がら
森・濱田松本法律事務所弁護士。ジャカルタデスク代表。2014年3
月より、
ジャカルタデスクの所在するインドネシアのAKSET法律事務
所にて執務。日系企業によるインドネシアへの進出案件
(M&A・JV設
立)
を多く手がけるほか、進出後の労務、
コンプライアンス、
コーポレー
トガバナンス等に関する各種相談を多数取り扱っている。インドネシ
アに関する著書、講演実績多数。
せのように狙われることは少なくなる印象がある。
(2)
真の原因を把握する
表面上の原因以外にも真の原因があると疑われる場合には、
可能な限り原因究明を行い、当該原因を取り除くことが望ましい。
mizuho global news | 2016 JUL&AUG vol.86 1 9