書 簡 集 ︵明治三十九年︶ 一月六日 ︵土︶午後四時︱六時 本郷区駒込千駄木町五 牛込区市谷砂土原町三丁目十八番地内田貢 こう む イワンの馬鹿御寄贈を 蒙 り深謝︑さっそく読 十七番地より へ 拝啓 そろ 了 い た し 候 ︒ 小生 浅 学 に てイ ワ ン の 原 書 を よ ま ざ り し た め︑かへって一段の興味を覚え候︒どうかしてイワンの や う な 大 馬 鹿に 逢 っ て み た い と 存 じ 候 ︒ できるならば一日でもなってみたいと存じ候︒近ごろ たの も 少々感ずることこれあり︑イワンがたいへん頼母しく相 5 成り候︒イワンの教訓は西洋的にあらずむしろ東洋的と とんしゆ 金 之 助 本郷区丸山福山町四番地伊藤はる方森田米 啓︑長い手紙を頂戴︒面白く拝見致しました︒お世辞 松へ 十七番地より 一 月 八 日 ︵ 月︶ 午 前︵ 以 下 不 明︶ 本 郷 区 駒 込 千 駄 木 町 五 魯 庵 兄 一月五日夜 存じ候︒右取りあへず御礼まで草々︒頓首 6 にも小生の書簡が君に多少の影響を与えたとあるのは嬉 ありがた し い ︒ そ れ ほ ど 小 生 の 愚 存 に 重 き を 置 か れ る の は 難有 い というわけです︒小生は人に手紙をかくことと人から手 紙をもらうことが大すきである︒そこでまた一本進呈し ます︒ ﹁野菊﹂をお読みのよし︒詳細の御評拝見御もっともの ことばかりです︒今度作者に逢ったら見せてやります︒ さだめし喜こぶでしょう︒あの男は職業は牛乳屋で子規 存生のみぎりいっしょに歌を研究して︑今でもアシビと いう雑誌を出している︒小生は二三度会したぎり交際も 7 な い 人 で す ︒ あ の 作 も 一 句 々 々 吟味 す る と 技 巧 の う え で せ ぎりよう たの も です︒むしろ月並 臭 を脱しない︒しかし仰せのごとく つき な み し ゆ う ところだと思うが︑どうです︒趣向は仰せのごとく陳腐 おお 似非芸術的なものにしてしまうと思う︒そこが頼母しい え あれだけの材料を普通の小説家がとり扱ったならもっと もって作者が事件を徹頭徹尾描き出している点である︒ 価値がある︒たゞ野菊に取るべきところは真率の態度を とか﹁ 竜 舌蘭﹂とかいう作のほうがはるかに技倆上の りゆう ぜつ らん はりまえのホトトギスに出た寺田寅彦という人の﹁団栗﹂ どんぐり はだいぶ足らぬところがあると思う︒君は読むまいがや 8 つきなみくさ 月並臭くないからいゝ︒それから君の非難をする個所は 一々もっともである︒僕も多少そう思う︒たゞし女が死 んでからの一段はあれでいゝ︑実際です︒もっとも君の いうようにすれば死というものに対して吾人の態度が違 ってあらわれてくるばかりである︒死に崇高の感を持た せようとするときは︑そのほうを用いるがよいと思うが︑ 死に可燐の情を持たせるのは︑あれでなくてはいかぬ︒ 野菊の行きがかりからいうてあれでなくてはものになら ない︒調和せんと思う︒死は一つである︒しかし吾人の 死に対する態度はいろいろある︒この態度いかんで読者 9 い く かぶ な態度が皆真 大手腕が入る︒前後の関係からいって︑写真 つら ち付きができるという点から見ればなんにもかかないよ を握っていたので一種の趣意が貫ぬいて︑女の病死に落 はな か く たないでそれ以上の感じを起させるがいゝ︒しかしそれ 稚 で す ︒ も っ と上 等 に ゆ け ば そ ん な 目 に 見 え る も の を 持 すると思う︒女が死んで写真を持っているのはむしろ幼 妙ですよ︒つまり君のいうごとく︑あんなところで活動 女が猿股をいやがるところや︑笠を被らないところは さる また ということがいえると思う︒ の感じが違ってくる︒しかもそのいろ 10 り善い︒ わく らば 病葉について一言蛇足を添えるが︑主人公がなんだか むずかしい本を読んでいる︒あれは必要があるのですか︒ ぶ き ざ 突 然 あれ を 読 む と ︑ 故意 に あ んな本 を読 ませ て い る よう う な︑初心な気障な感じがする︒もっと長いもので主人公 が一種の人物であんなものを読むべき傾向を有している か︒またはあの本があの短編中に一種の関係を有してい るなら故意とは思われなかったろう︒もっとも後段にち ょっと関係が出るがあれだけでは︑あんな本をよます必 要はないと思う︒ 11 こ 容赦なくいえば君は文に凝りすぎて失敗しそうな懸念 ぬけ め あまりに神経的︑心配的︑人の心を予想しすぎるような 輩 で あ る ︒決 し て 僕 に 対 し て気を 置い てはな ら ぬ ︒ 君 は の先生かもしれないが個人として文章などをかく時は同 の代り悪口をいっても怒ってはいけません︒大学では君 すかぎり︑心づくかぎりは愚評を加えるつもりです︒そ 僕は君の文が出るたびに読みます︒そうして時間の許 てい根気がつゞかないと思う︒ 窮屈な苦しい感じがするでしょう︒第一長いものはとう が 僕 に あ る ︒ あ ま り 凝 る と 抜 目 が な い 代 り に な ん とな く 12 傾向がありはせんかと思う︒他人に対してはとにかく僕 に対してはそうせんほうがいゝ︒君も気楽でいゝでしょ 金 之 助 う︒野村伝四などは気楽なものである︒あまり長くなる 十七番地より 本郷 区丸山福山町四番地伊藤はる方森田米 一月十日 ︵水︶午後二時︱三時 本郷区駒込千駄木町五 森 田 兄 一月七日 からこれでやめます︒不一 13 松へ く また手紙をあげます︒もう少し立っといろ 多忙に こころも 頼母しい心持ち もら たまえ︒僕は読むのを楽しみにしている︒その代り必ず 間があったらいつでも僕のところへいって寄こしてくれ で読みました︒なにか不平でも気炎でも洩したい時に時 んな労力を費やさしたと思うとなか く けかくのはだいぶ時間をとるに相違ない︒僕のためにそ 君はだいぶ長い手紙をかいてよこしましたね︒あれだ 少々ひまのあるのをさいわいにこれをかきます︒ な っ て と う て い 返 事 ら し い も の は か け な い か ら ︑ ただ 今 14 それに匹敵する長い返事は出されないかもしれません︒ 野菊の墓の評をかいてくださるよし︑さだめし本人︵す なわち牛乳屋の主人︶はよろこぶだろう︒どうかかいて やってください︒左千夫なんて聞いたこともない人だか ら誰も相手にしてはくれん︒せっかく出色の文字でも誰 も相手にせんでははなはだ気の毒である︒君が評をして やれば僕もなんだか愉快な気がする︒しかも君の評は十 中八九まで僕と同様であると思うからなおさら愉快であ る︒しかしわるいと感じたところは遠慮なくいうてやっ てください︒本 人の参考になります︒ 15 牛乳屋が気に入ったというのは見上げたものです︒牛 であったろう︒夏休みに金がなくって大学の寄宿に籠城 かった︒これが今日の君のようであったらやはり大煩悶 は別になんという考もなかったから︑さほど驚きもしな か ら 私 立 学 校 を 教 え て 卒 業 ま で や り 通 し た が ︑ そ の 時分 いるようだが︑御もっともです︒僕も貧乏で十八九の時 君は衣食のために十分学問ができんのを苦痛に感じて でもない︒ う︒顔もすこぶる雅な顔ですよ︒あんなものがかけそう 乳屋の主人のほうが大学の講師よりも気韻があると思 16 したことがある︒そして同室のものの置き去りにして行 のみ あ す おき つ っ た 蚤 を 一 身 に 引 き 受 け た の に は閉 口 し た ︒ そ の 時今 の かわ かばん 大塚 君が新しい革 鞄 を買って帰って来て明日から興津 へ行くんだと吹聴に及ばれたのは羨やましかった︒やが て先生は旅行先きで美人に惚れられたという話を聞いた らなおうらやましかった︒ 僕 も そ の 時 分 か ら 真 の 勉強 ︵ 君 の い わ ゆ る ウ ィ ス ド ム を得る工夫︶でも熱心にしたら今はもう少し人間らしく なっているだろうと思う︒その時分は本の名前を覚えて 人に吹聴するのが学者だと思っていた︒趣味なども低い 17 ものであった︒物の道理も今の若い人ほどはとうていわ ようでは駄目だね︒失楽園の訳者土井晩翠ともあるべき にならんかというから﹁人間も教授や博士を名誉と思う っています︒先だって晩翠が年始状をよこしてまだ教授 ばん す い がしたい︒したがってどうか大学をやめたいとばかり思 僕もそれだから大いに聡明な人になりたい︒学問読書 った︒ 下げる見識で自分が証得したポジチーブの見識ではなか なお愚物であった︒もっとも見識はあったが︑たゞ人を からなかった︒要するに今でも愚物であるが当時はなお 18 ものがそんなことを真面目にいうのはよくない︒漱石は 乞食になっても漱石だ⁝⁝﹂というようなことをかいて やりました︒あとでなるほど小供らしい気炎だと気がつ いた︒ 君が人の作を読む態度ははなはだよろしいと思う︒そ れでなければクリチシズムはできない︒たゞ人の長所を 傷 け な い だ け の 公 平 眼 は ぜ ひ と も お 互 に 養成 し な け れ ば ならん︒僕は人の作に対してたゞ面白く読みたい︒よん でやりたいという気が先へ起る︒しかし読んでしまって これは敬服したというようなものはあまり少ない︒やは 19 り西洋人のほうがそんな感じを引き起させることが多 き はやはり天性の趣味の相違でありましょう︒ ら ん ︒ む し ろ 好 意 を も っ て 迎 え よ む の で あ る ︒ こ んな の こう感ずるが僕は鏡花に対して憎悪心もなにも有してお んある︒あれをなぜもっとうまく繋げないのかと思う︒ っていて嫌だという感じがあった︒警句はむろんたくさ 起 ら な か っ た ︒ そ れ か ら 彼 の文 章 の か き方 が い やに 気 取 んで驚ろいた︒どうも馬鹿々々しいという感よりほかに のではない︒二三日まえ鏡花の海異記とかいうものをよ かい い い ︒ し か し 西 洋 人 だ か ら と い っ て決 し て 一 目 置 い て 読 む 20 つら 君の手紙をよむと君の人間を貫ぬいて見るような心持 わか い ちがします︒君と二三月交際しても︑あれほどには分る せ まい︒人に自己を打ち明けるということは放胆の所為で ある︒打ち明けられた人はその放胆をほめるのではない︒ 他に打ち明けぬものを自分にのみ打ち明けてくれたとい う特許を喜ぶのである︒ 自分の弱点に対しては二様に取り扱う方法がある︒一 はこれを隠して自己の虚栄心を失望させまいとする︒こ れは誰でもやっています︒僕もやっています︒しかし決 して満足が得られるものではない︒一はコンフェッショ 21 ンである︒しかし無用の人もしくはこのコンフェッショ とすれば僕も愉快である︒ おいて君は愉快である︒僕が君の自白を聞き得たる相手 嘗中に自己の弱点を構わず吐露したとすれば︑その点に を覚えるのみならず︑相手も快よく思う︒君がもし君の その時ははなはだ愉快を覚えるものだ︒単に本人が愉快 を垂れて訓戒してやろうと思う人に自白するのである︒ た 合には己れの信ずる人︑もしくは敬する人︑あるいは 教 おしえ を加えようとする人には自白したくない︒だからこの場 ソをきいてこれを軽蔑する人もしくはこれを利用して害 22 これからはいそがしくなるといつこんな長い手紙をあ かくひつ 金 之 助 げられるか分らない︒ひとまずこれで擱筆とします︒ 一月九日夜 森 田 兄 拝啓 十七番地より 芝区琴平町二番地朝陽館野間真綱へ 二月三日 ︵土︶午後三時︱四時 本郷区駒込千駄木町五 以上 23 先日皆川君のうちへ行く約束はしなかった︒都合によ ではない︒放蕩をつゞけると放蕩のほうの憂鬱病が出て い て い の 憂 鬱 病 は き っ と 全 快 す る ︒ 放 蕩 は長 く 続 く も の 金を百円ばかり借りて大いに青楼に遊んでみたまえ︒た その病気のところが感心だ︒君の憂鬱病はどうなった︒ は い わ れ な い ︒ 人 は あ れ を 精 神 病 と い う が ︑ 精 神 病な ら 人は感心なものだ︒あのくらいな決心がなくては豪傑と 段 で 毎 日 を 送 っ て い る ︒ こ れ を 思 う と 河 上 肇な ど と い う 毒である︒小生例のごとく毎日を消光︒人間は皆姑息手 こ そく ったら行くと申してやった︒しかし待っていたのは気の 24 くる︒そうしたらまた勉強をする︒また憂鬱病になる︒ またなにか道楽をやる︒これでたくさんだ︒これを姑息 手段という︒普通の人間はたいがいやる︒君はこの姑息 手段さえやらんから病気になるのである︒ ありがた 近 ご ろ は 訪 問 者 が 少 々 減 じ て 難有 い ︒ 忙 し い こ と は 依 大 しているのもまた 然として忙がしい︒生涯この有様であろう︒そして生涯 く 落ちつくことはない︒僕のキュー く 姑息手段にすぎぬ︒要するに大俗物になってます 俗物たらんとアセルのだね︒これではどこがえらいか分 らない︒人間は他がなんといっても自分だけ安心してエ 25 とん しゆ ライというところを把持してゆかなければ安心も宗教も で 金 広島市猿楽町鈴木三重吉へ お目出たい︒男爵の娘だなんてそんなものが山の中で役 め 昨夜君の手紙がつきました︒加計君が結婚をしたのは 木町五十七番地より 二月十一日 ︵日︶午前十一時︱十二時 本郷区駒込千駄 真 綱 様 二月三日 哲学も文学もあったものではない︒頓首 26 に立つでしょうか︒しかしそれはよけいなことだ︒とに な 雑 誌 屋 やな に かくお目出たい︒君小説をかいたら送りたまえ︒はやく く 拝見つかまつりたい︒近ごろはいろ か来ていやになってしまう︒文章も作るひまがない︒芝 居はこれからやるのですね︒東京でも坪内さんの門下生 おし いれ がやりますよ︒押入のなかで三味線をひくのは近世奇人 伝にでもありそうだ︒そんなことができれば病気はまず ねこ ち ゆ う な 人 が あ る も のだ ︒ 大 町 とい う 男が 猫 を よ 大丈夫ですね︒猫の原書をかいにくるのは猫 中 の材料 く だ︒いろ んで作者は気の小さい陰気な少し洒落気のある男だと二 27 度 も 三度 も 繰 り 返 し て い る ︒ 人 民 新 聞 と い う の に は 僕 が 正誤しないと心持ち 僕の悪口を いうものが出て来ます︒しまいには漱石は昨日死んだそ れから文章でもかいてながくいるとます く がわるかった︒今ではかえって面白い心持ちがする︒こ こんなことが気にかゝっていち く 僕もこれくらい有名になれば申分はないと思う︒昔は て迷惑しているそうだとある男に話したそうだ︒ け る ︒ 内 田 魯 庵 と い う 男 は 夏 目 君 は 金 田 夫 人に 談 判 され す る と 高 等 学 校 で そ の き り 抜 き を 大 事 に 校 長 に お 目に か 猫を作って以来細君と仲が悪るくなったとあるそうだ︒ 28 ふう てん いん うだ︒いや瘋癲院へはいった︒華族のお嬢さんから惚れ られたなんて妙なのが出て来るでしょう︒ 今日は紀元節でいゝ天気です︒一昨日は雪でね︒たい へん積った︒今日も道がわるい︒昨夜は中川やなにか四 人ばかり来 て夕飯をくって快談をして暮らしました︒ 広島という所はどんな所か行ってみたい︒広島のもの には僕の朋友が少々ある︒昔はだいぶつき合ったものだ︒ 猫のうちにある甘木先生も広島の人だ︒毎日役々として くらすのが人間の目的だとあきらめてしまったが︑本も よめず︑楽に坐ってることもできないとなるとちょっと 29 弱りますね︒ もっとなにかかこうと思うがいやになったからやめ︒ 金 加計によろしくいってくれたまえ︒妻君は美人ですか︒ 二月十一日紀元節朝 三重吉様 五十七番地より 本郷区丸山福山町四番地伊藤はる方森田 二月十三日 ︵火︶午前八時︱九時 本郷区駒込千駄木町 以上 30 米松へ 尊書拝見 君の心の状態がはたして君のいうところのごとくなれ ば君は少々病気に相違ない︒病気がわるいともいわぬ︒ よいとも申さぬがつまり自分が苦しむだけ不幸といわね ばなるまい︒前の手紙にもいうたごとく君はあまり感じ ふけ が強すぎるので︑その鋭敏な感じに耽りすぎた結果今日 に至ったのであろう︒そんな時には人が意見をしたって なお 慰めたって容易に癒るものではない︒自然に任せておい て同時に気を晴らすよりほかに方法はない︒そんな時に 31 神 経 質な 文 学 書 な ど を 読 む とな お い け な い ︒ な る べ く 方 はげしくなる︒さればといって冷淡な返事を ことをいったらなんの効能もないこととなる︒これには すればやはりわるくなる︒あるいは月並な説教がましい はます く 言を並べると君は多少頼りになるかもしれないが︑病気 ごと こしたのかもしれないが︑さて僕が君に同情を表して泣 なき 洩らすがいゝと思う︒君は最後の手段に訴えて手紙をよ て放蕩をしてみたり︑あるいは人に手紙を出して鬱気を うつ き んだり︑もしくは人と喧嘩をしたり︑あるいは借金をし 面の違った人間と話したりまるで趣味の違った書物を読 32 僕も少々弱るな︒ 僕も昔は非常に馬鹿で薄志で剛慢でしかも世人がたい へん恐ろしかったが︑今はだいぶ変化してしまった︒性 格はこの三四年以来いらじるしく変化した︒たゞ気分だ けはやはり若くて学生なんか友達のような気がする︒ く それで近来は僕が文章をかくものだから人がいろ なことをいう︒大町なんかは僕の悪口を二度も繰り返し ている︒人民新聞 では僕が猫をかいて細君と仲がわるく な っ た と か い た そ う だ ︒ あ る 人 は 僕 が 金 田夫 人 に 強 迫 さ れて迷惑していると話したそうだ︒これが十余年前なら 33 真面目に弁解するところだが︑今日ではそんな気は少し いか︒ で通してゆけばそれで一人前なのだからかまわんではな いと崇拝する人間は一人もない︒だから君も君で一人前 格 は な い ︒ し か し 世 の 中 に こ んな え ら い 人 に な っ て み た 相違ない︒人間として僕は決して君の師表たるような資 しかし昔より太平である︒人間は太平のほうが難有いに ありがた になったか分らない︒またこれがいゝとも断言しない︒ てなにをかこうとかまわないときめている︒なぜこんな もない︒桂月なんて馬鹿だと頭から思ってる︒新聞なん 34 うん ぬん 人が笑うから云々というのはもっともだが今の文壇で 人の笑うに価せざるものばかりを作る人はほとんどな い︒ちょうど朋友その他の知人中において馬鹿の分子を 含んでおらんものは一人もないと同じことであろう︒ まず最前の大町桂月のようなのは馬鹿の第一位に位す ちく ふう るものだ︒竹風先生だってあんなものだ︒樗牛なんて崇 拝 者 は た く さ ん あ る が あ んな キ ザ な 文 士 は な い ︒ し か し おし みんな押を強くして平気でいる︒なにも君一人が閉口す る必要はない︒つまらないと感じて文壇を退くなら分っ てるが︑なにもそんなに自分だけを妙に考える必要はあ 35 るまい︒僕なんかは蔭ではやはり僕が桂月その他を目す いなりに死ぬまでやるのである︒やりたくなくったって 君弱いことをいってはいけない︒僕も弱い男だが︑弱 っこう差支はあるまいと思う︒ の理由がない人には僕はこの心で対している︒それでい また決して己以下にはるかに劣ったものではない︒特別 他人は決して 己 以上はるかに卓絶したものではない︒ おのれ やになるまでかいて死ぬつもりである︒ ん︒蔭でいうことなんかはどうでもよろしい︒文章もい るごとく批評されてるのである︒しかしちっともかまわ 36 やらなければならん︒君もそのとおりである︒死ぬのも よい︒しかし死ぬより美しい女の同情でも得て死ぬ気が なくなるほうがよかろう︒ 先だって憂鬱病だといった男にこう答えてやった︒﹁借 金を百円ばかりして放蕩をやれば憂鬱はなおる︒もし放 蕩を永くつゞけると放蕩のほうで憂鬱病が出る︒そうし たらまた放蕩をやめて勉強をする︒これが普通の人問の とるもっとも自然の方法である︒これは姑息手段である が誰にでもできる︒しかしそんな面倒なことをやったり やめ たりせんで一度に天下太平になるのは︑死ぬだけの 37 覚悟でもって大いに考え込んで近ごろはやる自覚でもし 森 田 様 十三日 金 之 助 れは拝見のうえにてまたなんとか申し上げよう︒以上 僕の文章の評をしてくれたそうでまことに難有い︒そ ⁝⁝﹂ 自 覚 に な る と 僕 は 知 ら な い こ と だ か ら 一 言 も い えな い な く て はな る ま い ︒ 38 げい えん 本郷区丸山福山町四番地伊藤はる方森田 二月十三日 ︵火︶午後五時︱六時 本郷区駒込千駄木町 五十七番地より 米松へ きよう 今日帰宅のうえ芸苑を拝見した︒僕の文の批評は結構 め であります︒あれはすこぶる比例という点からいっては まる だ 丸駄目の作である︒趣味の遺伝という趣味は男女相愛す るという趣味の意味です︒猫は世の中があきたなどとい うことはない︒二三の気短かな連中がそんなことをいい たがるのだ︒猫の読者はそんなに急にあきやしない︒僕 のつむじは真直なものさ︒猫をかくのは立派な考だと思 39 すか︒頓首 二月十四日 森 田 君 く 湧いて出ては来ない︒ただむや 金 のがよいか︒森田君︑君この問題を考えたことがありま ず︒しかも己れほど頼みにならぬものはない︒どうする 天下に己れ以外のものを信頼するより果敢なきはあら おの みにかいてるとあんなものができるのです︒ ってる︒決してブク 40 二月十五日 ︵木︶本郷区駒込千駄木町五十七番地より 今日は学校で立談の際お互の意志の通ぜぬとこ 小石川区指ケ谷町七十八番地姉崎正治へ 拝啓 ろもあるから改めて手紙で愚存を申し上げる︒実は○○ けい し さんが逢いたいとかまたは折り返して罫紙入りの半官文 的のものをよこすとまた面倒だから君まで申しておく︒ 英語学試験嘱托辞任のことはあれで済んだことと思っ あいすま ていたところ︑はからずも君等に御心配をかけて相済ん︒ これは大いに僕の謝するところである︒謝するところで あるから︑腹蔵のないところを話して判断をしてもらお 41 う︒ 辞任の理由は多忙ということに帰着する︒僕は一週間 とり あ つ か のほうではそうは思わんかもしれんが︑ 僕のほうではそ 教授以上叮 重 に取 扱 われてもよいと考えている︒大学 てい ち よ う 、客 、分 、と認定する︒大学から普通の らないが︑僕はまあお 次に僕は講師である︒講師というのはどんなものか知 のは 佯 りのないところでもっともな理由である︒ いつわ 事がある︒読書もしなければならぬ︒だから多忙という れば米塩の資に窮するのである︒そしてそれ以外にも用 に 三 十 時 間 近く の 課 業 を も っ てい る ︒ こ れ だ け 持 たな け 42 う解釈している︒したがって担任させた仕事以外にはな るべく面倒をかけぬのが礼である︒ その代り講師には教授などのような権力がない︒自分 の教えること以外のことに口は出せない︒それ等は皆教 授会でかってにきめている︒語学試験の規則だっても講 師たる僕はいっこうあずかり知らん︒いつのまにかあん あが なものができ上っているのである︒ だからあんなものから生ずる面倒はこれをきめた先生 がたと当局の講師が処理してゆくのが至当である︒自分 たちが面倒なことをかってに製造しておいて︑その労力 43 だけは関係のないお客分の講師にやれという理屈はな の際だから御免 蒙 るのはあたり前である︒ こうむ 進 り候ふなりというような命令なら僕だってこの多忙 たてま つ れがなくて単に⁝⁝嘱托に相成り 候 ふあひだ右申し さふら か︑敬礼か︑依頼か︑なんらかの報酬が必要である︒そ 僕のようなものに手数︵担任以外の︶をかけるには金銭 うだ︒その解釈は至当である︒僕自身もそう考えている︒ もって報酬がないからやらんのだと教授会で報告したそ もっとも相談ずくならそれでもよい︒○○○○は僕を い︒ 44 もし僕の辞任に対して学長はじめその他の教授が不穏 当 と 認め る な ら ば そ れ 等 の 人 々 は 講 師 とい う も の の解 釈 かんが え に お い て 全 然僕 と 考 を異にしているのだ︒僕の考では 講師を使うには教授を使うよりも遠慮しなくてはなら ん︒見たまえ︒講師は教授会のことについてなんらの権 利ももっておらんではないか︒俸給の点からいっても無 給のさえあるではないか︒講師は教授に比すればかくの ごとく特権が与えられておらんのであるからして︑講師 のほうでは担任以外のことを命令的に押しつけられてヘ イヘイいうだけの義理がないじゃないか︒ 45 僕は僕の担任する六時間の講義さえしておれば講師と 心配してくれるし︑井上さんもそ でとにかく今回は御免蒙るよ︒ うだというから一応僕の考を述べて英断を仰ぐわけだ︒ 君は親切にいろ く ことしか言いえないのである︒ い の で あ る ︒ 文 科 大 学 御 中 と し て は あ れ だ け の表 面 上 の たのだから個人に対するような愛嬌のある文句はかけな わるいというならこれにも理由がある︒文科大学から来 だからして文科大学あてで断り状を出した︒もし文句が しての義務はそれ以外にはないものと信じている︒それ 46 つかえ この手紙は○○さんに見せても井上さんに見せても︑ さ ないしは教授会で朗読してくれても差し 支 ない︒君も 金 之 助 迷惑だろうが︑妙に引きかゝったもんだからよろしく取 五十七番地より 本郷区丸山福山町四番地伊藤はる方森田 二月十五日 ︵木︶午後二時︱三時 本郷区駒込千駄木町 姉 崎 兄 二月十五日 計ってください︒以上 47 米松へ また手紙をあげます︒ 自分の作物に対して後悔するのは芸術的良心の鋭敏な りよう けん のは必ず一足飛びに大作はできるとはかぎっておらん︒ 物かが分らなかったのである︒小説とかなんとかいうも 派な作を出した例はたくさんある︒それまでは自分の何 らちっとも文芸に志さなかったものが急に筆を執って立 自分で自分の価値は容易に分るものではない︒古来か 文 学者 に な る 資 格 はな い と 思 う ︒ のでこれほど結構なことはない︒この 量 見がなければ 48 突然うまいものをかくのは天分の十分に発揮されべき機 が熟した時にかぎるので他の人は書きつつも熟しつゝも 進 んでゆく の である︒ 僕のようなものがとうてい文学者の例にはならない が ︑ 僕 は 君 く ら い の 年輩 の と き に は 今 君 が か く 三分 一 の ものもかけなかった︒その思想はすこぶる浅薄なもので きよう あい きわ かつ 狭 隘極まるものであった︒僕が二十三四にかきか けた小説が十五六枚残っていた︒よんでみると馬鹿気て ご まずいものだ︒あまり恥かしいから先だって妻に命じて ほ 反古にしてしまった︒ 49 もちろん今でも御覧のとおりのものしかできぬが︑し 思想も浮 んでくる︒まず前回くら 君なども死ぬまで進歩するつもりでやればいゝではな のである︒ のなかにはどれくらいのものがあるか自分にも分らない いなものはできる︒すべてやり遂げてみないと自分の頭 いざとなるとだん く と︶この次にはもうかくことがあるまいと思う︒しかし それから今日のことを申すと︵たとえば猫を一節かく から僕は死ぬまで進歩するつもりでぃる︒ かし当時からくらべるとよほど進歩したものだ︒それだ 50 いか︒作に対したら一生懸命に自分のあらんかぎりの力 をつくしてやればいゝではないか︒後悔は結構だが︑こ れは自己の芸術的良心に対しての話で世間の批評家やな にかに対して後悔する必要はあるまい︒ 君は自我の縮小を嘆じていると同時に君の手紙中には と嘆息するのは必 大いに自我を立てている︒君の手紙のごとく我が立って く いながらそれでもみずから小さい こも 竟いくぶんかのウソが籠っている︒ コンフェッションの文学は結構である︒コンフェッシ ョンの文学ほど人に教えるものはない︒それでたくさん 51 い う ある︒それだけでも君は一種の宝石 いいまわ く 君の批評を見ると普通の雑誌記者などよりもはるかに 死にたいなどは振ったものだ︒ ふる な言語もある︒ドブ鼠のように音もたてずに凍りついて まくかきこなしたものだ︒君の手紙のうちには形容の妙 まいところがある︒仙 人が後悔せぬところを恨む辺はう を有している︒君の手紙を見ると言回し方のなか な警句がところ ぐ 君の文章には君くらいの年輩の人にしてはと思うよう い︒君はまだその方面において雄飛してみないのである︒ だから立派なものを書けばよい︒容れられないことはな 52 見識が見える︒よくよんでいる︒だから自分の作物上に でもその見識は応用されうるに相違ない︒ 僕は君において以上の長所を認めている︒なにゆえに 萎縮するのである︒今日大なる作物ができんのは生涯で きんという意味にはならない︒たとい立派なものができ たって世間が受けるか受けないかそんなことはだれだっ て受け合われやしない︒たゞやるだけやる分のことであ る︒ 衣食はむろん窮することくらい覚悟しなければならな ぜい たく い︒そんなに贅沢をしてみたり名文をかいてみたりして 53 みよう り なお し い︒ほんとに笑ってるのである︒ て 勉強 し た ま え ︒ 以上 二月十五日 金 之 助 この手紙に対してべつだん返事はいらない︒たゞ奮っ ふる のである︒猫は苦しいのをしいて笑ってるばかりじゃな 僕の旋毛は直きこと砥のごとし︒世の中が曲っている つむじ をさがして田舎へ行けばよい︒ む︒ 当 前である︒それがいやなら︑すぐに中学校の口 あ た り まえ この夏は君は卒業する︒卒業すればパンのために苦し は 冥 利がわるい︒ 54 森 田 兄 小石川 区指ケ谷町七十八番地姉崎正治へ 二月十七日 ︵土︶午後四時︱五時 本郷区駒込千駄木町 五十七番地より 拝啓 ありがた 君の返事は拝見した︒個人としての御忠告は難有感謝 する︒決して悪意をもって見るようなことはしない︒た さし ず し か し 学長 か ら も う 一 返な ん と か い っ て き た 時 に な ん いつぺん とい指図であっても決して怒りはせん︒ 55 と挨拶するかはあらかじめ君に受合うわけにゆかん︒の こうでい ぎよう き だ︒二十世紀は澆季だからしようがないが俗吏社会︑無 それでは悪るいというのは形式に拘泥した澆季の風習 わ 淡泊なものだ︒世の中はそれでたくさんである︒ ゆえで毎々辞することがある︒それでそれぎりになる︒ よく僕の宅へ依頼にくることがある︒しかし僕は多忙の 高等学校の入学試験が毎年ある︒その折には学校長が おり する 考 からではないから誤解してくれては困る︒ かんが え 断わらんともかぎらない︒これは決して君の親切を無に みならず僕自身にも分らない︒時と場合にょっては断然 56 学社会ならとにかく学者のおそろいの大学でそんなこと を む ず か し く い う の は 大 学 が お 屋 敷風 お大 名 風 お 役 人 風 になってるからだよ︒ 大学で語学試験を嘱托する︑僕が多忙だから断わる︒ その間になんらの文句は入らない︒もしそれが僕の一身 上の不利益になったり英文科の不利益になれば僕のわる いのじゃない︒大学がわるいのだ︒ 語学試験なんか多忙で困ってる僕なんか引きずり出さ 僕なんかは多忙のうちに少しでもひまがあれば書物を な く っ た っ て 手 の あ い て い る教授 で 十 分 間 に 合う のだ ︒ 57 一頁でも読むほうが自分のためにも英文学科の将来のた だよ︒頓首 二月十七日 金 之 助 のごとくにはならないということを承知させるがいゝの の 中 の 人間 は こ ん な 妙 な 奴 が お っ て 講 師 で も そ んな に 意 ものはたゞ歴史の大家になったって駄目だよ︒少しは世 ほうが人間というものが理解されていゝのだ︒学長たる なんと思ったって困りゃしない︒少々こんな謝絶に逢う しからんと思うなら随意に思うがよい︒○○さんなんか めにもなると思っている︒語学試験を引き受けないでけ 58 姉 崎 兄 東京帝国大学坪井九馬三へ︹封筒表の 二月二十三日 ︵金︶午後四時︱五時 本郷区駒込千駄木 町五十七番地より 宛 名 に ﹁ 文科 大 学長 坪 井 九 馬 三 殿﹂ と あ り ︺ 拝啓 昨 日 は 小 生 英 語 学 試 験 委 員 辞 退 の 件に つ き ︑ 再 応 教 授 すゝ 会 の 御 意 見 を 御 代表 に て お 勧 め に 相成 ま し て ︑ ま ず 一 通 り貴意のあるところは分りました︒ 59 何度も御心配をかけて御迷惑のことと存じます︒その もう しの わらず︑しいて小生に委員たれと御依頼になるのは小生 に対して謝するところであります︒しかしそれにもかゝ 認められたそうでありますが︑これは小生の深く教授会 昨日のお話では教授会では小生の辞退の理由を至当と 上ます︒ 多忙中かえって御迷惑と思いますから書面にて今一応申 会のうえ思うとおりを陳述いたしたいと存じますが︑御 引 き 取 り は な は だ 不 本 意 に 存 じ ま す ︒ 右に つ き 再 び 御 面 節 は 卑 見 を 十 分 申 述 べ る 暇 もな く 御授 業 時 間 切 迫 の た め 60 にとって非常の光栄とは思いますが︑この光栄たる少々 みずから双肩に担うを恐れたく思うのであります︒お話 の模様では教授中には適当の人物なきゆえ英語に関係深 き小生を推すやに理解いたしましたが︑これは小生にと し ってはいたみ入る御謙遜のお言葉と存じます︒教授のう ひい ちには多年欧米に留学せられて︑普通の語学者よりも斯 どう 道にかけて秀でたる人々多しとは︑単に小生の思うのみ ならず一般の公論であります︒さればこそ今回の試験委 員中にも一名の教授がお加わりに相成って試験を御監督 に 相 成 る こ と と 存 じ ま す ︒ た ゞ 御監 督に 相成 る と こ ろ を 61 一 歩 御 奮 発 下 さ っ て 答 案 を 御覧 下 さ る れ ば ︑ こ の 問 題 は く がめ い うに存ぜられます︒教授会では教授中に適当な人がない 御試験になるほうがもっとも学生の実力が分りやすいよ が進 んで委員とな るよりも︑教授のかた ぐ 私よりうまく読めましょう︒かくのごとく小生ごとき者 りも明かに分ります︒ギボンも歴史家によませるほうが に思います︒ミルなどは哲学者がよむほうが小生などよ ろ︑ミルの論文やギボンの歴史などがあげてあったよう で試験の程度を示した書名一二を拝見いたしましたとこ 一も二もなく解決のできることと存じます︒昨日事務室 62 との仰せでむりにも小生をとの御命令ではありましょう が︑小生の見るところではまったく反対で︑かえってそ の専門の教授がたが担任せらるるほうが好成績が出るに 相違ないと思います︒のみならずすでに一名の西洋人が 委 員 と な っ て 実 用 的 英 語 の ほ う は そ ち ら で 間 に 合い ま す から︑どっちからいうても小生の必要は認められません︒ こう申すとなにかむやみに頑固を主張するようではなは だ済みませんが︑私のほうから教授会の御意見を伺うと︑ 教授会のほうが無理を言っていらっしゃるように聞えま す︒実際出ないでも済むものをむりに出して二百人の答 63 案をしらべさせるなどは人が悪いじゃありませんか︒ど 夏目金之助 村伝四へ﹇はがき 町五十七番地より 署名に﹁なつめの金公﹂とあり︺ 本 郷 区 本 郷 六 丁 目 二 十 五 番 地 藪 中 方野 三月三日 ︵土︶午後十一時︱十二時 本郷区駒込千駄木 虎皮下 坪井先生 二月二十三日 うかお助けください︒以上 64 し 未明君独り感慨を催している︒読者は ひと 早稲田文学の三号の小説評︵先刻は失礼︒アレカラス お ない︒ な こ 大塚楠緒子作 お ぐり ふう よう 小栗風葉作 なにをかいたものやら︒あれよりホトト 小説のうちの傑作である︒ ません︒あの人の作としては 上 乗 であります︒三 じようじよう 学を考えたものであります︒思いつきもわるくあり 筆 が 器 用 に で き て い る ︒ す こ ぶ る文 章 なんともない︒あんなに感じを人に強いるものじゃ 小川未明氏作 グ読ンダ︶ 65 だ そろ ギスの投書の写生文をよむほうよろしくと存じ候︒ だ さく 駄作の駄の字であります︒ ︹左上の隅に細字にて︺ かい ろ こう 僕の薤露行を十二ヘン読んだ人がある︒僕は感謝の手 御手紙拝見︒中央公論にはなるべくかこうと思うがな 本郷区駒込西片町十番地反省社内滝田哲太郎へ 三月十七日 ︵土︶本郷区駒込千駄木町五十七番地より 紙ヲ出シタヨ︒ 66 そろ んとも受け合われない︒たゞいまホトトギスの分を三十 した ゝ とゝの 枚余 認 めたところ︒なんだか長くなりそうで弱わり候︒ きよう 白帆の見える川べりでもあるき それに腹案も思うように 調 わず閉口の体に候︒実を申 く すと今日などはぶら ありがた たいところに候︒文章も職業になるとあまり難有からず︒ また職業になるくらいでないと張合がなし︒厄介なもの よう きよ しゆう 夏目金之助 に候︒漾虚 集 はまだ校正が回ってこず︒拝借の天外先 三月十七日 まずは右御返事まで︒草々 生の文章も拝見のひまなく候︒ 67 滝田哲太郎様 三月二十三日 ︵金︶午後四時︱五時 本郷区駒込千駄木 麹町 区富士見町四丁目八番地高浜清へ ︶存外長いものになり︑事件 注﹁ 坊っ ちゃん﹂ 発展たゞいま百〇九枚のところです︒もう山 新作小説︵ 町五十七番地より 拝啓 く やるつもりで す︒もしうまくしぜんに大尾に至れば名作︑しからずん がなくて急ぎすぎたから今度はゆる く を二つ三つかけば千秋楽になります︒趣味の遺伝で時間 がだん 68 き ば失敗︑こ ゝが肝心の急 所ですからしば らく待ってちょ で うだい︒出来次第電話をかけます︒松山だかなんだか分 らない言葉が多いので閉口︑どうぞ一読のうえ御修正を 十七番地より 金 本郷 区丸山福山町四番地伊藤はる方森田米 四月一日︵日︶ 午後五時︱六時 本郷区駒込千駄木町五 虚子先生 願いたいものですが︑おひまはないでしょうか︒艸々 69 松へ げい えん そろ 芸苑毎度御贈にあずかり謝し奉り候︒小生は君の作が ら半分ほどよみました︒第一気に入ったのは文章であり つまらなくてもかまわない︒買って来たのです︒それか て来 ました︒これはたゞ買 って来たのです︒面白く ても に対してもぜひ一部買わねばならぬ気になり︑すぐ買っ って二年とか三年とか苦心したと聞いて︑急に島崎先生 が来て︑破戒の著者はこの著述をやるために裏店へはい う ら だな な か っ た で す か ︒ 破 戒 は 二 三 日 前買 い ま し た ︒ 先 日 紅 緑 こうろく 出るか出るかと思うて待っているが出ない︒今度もかか 70 ︑すた く 書いてあるとこ ます︒普通の小説家のように人工的なよけいな細工がな く い︒そして真面目にすら ろがすこぶるよろしい︒いわゆる大家の文辞のように装 飾だくさんでないから愉快だ︒それから気に入ったのは け ゆう とう じ 事柄が真面目で︑人生というものに触れていて︑いたず し ふん らな脂粉の気がない︒単に通人や遊蕩児や︑いわゆる文 おろ 士がかき下すものと大いに趣を異にしているからです︒ まだ後半はよまないから批評はできないが︑おそらく傑 作 で し ょ う ︒ 今 ま で の 日 本 の 小 説 界に こ んな 種 類 の も の はなかろうと思うのです︒たゞ一編のモチーブが少々弱 71 いかと思う︒ 軽薄なものばかり読んで小説だと思っている社会にこ 思う︒ まえ︒以上 四月一日 森 田 兄 なものに窮 僕ホトトギスに坊っちゃんなるものをかく︒どうかお 金 す︒君は金に窮するよし︒もし必要なら少々取りに来た 僕多忙︑採点に窮し来客に窮し︑いろ く んな真面目なのが出現するのははなはだうれしいことと 72 ついで 序 の節よんでください︒しかしとうてい君がほめてく れそうなものでないから困る︒実は藤村先生とは正反対 のものです︒ 本郷 区丸山福山町四番地伊藤はる方森田米 四月三日 ︵火︶午後零時︱一時 本郷区駒込千駄木町五 十七番地より 松へ︹はがき︺ 破戒読了︒明治の小説として後世に伝うべき名編なり︒ 金色夜叉のごときは二三十年の後は忘れられてしかるべ 73 きものなり︒破戒はしからず︒僕多く小説を読まず︒し な雑用にて御無沙 御清適賀し奉り候︒小生もちょっ 本郷 区駒込曙町十一番地大谷正信へ く く と伺ひたしと存じながらついいろ 春暖の候︑いよ 十七番地より 四月四日 ︵水︶午後零時︱一時 本郷区駒込千駄木町五 すべし︒ んと思う︒君四月の芸苑において大いに藤村先生を紹介 か し 明 治 の 代 に 小 説 ら し き 小 説 が 出 た と す れ ば 破 戒な ら 74 いたり ︶御推賞にあづかり感謝の 至 に堪へず侯︒ 注﹁ 坊っ ちゃん﹂ 汰い たしをり候 ︒ せつ ぶん 拙文︵ 山嵐のごときは中学のみならず高等学校にも大学にもを らぬことと存じ候︒しかしノダのごときは累々然として コロがりをり候︒小生も中学にてこの類型を二三目撃い はげ た し 候 ︒ サ ス ガ 高 等 学 校 に は こ れ ほど 劇 し き 奴 は こ れ な く︵もっとも同類はたくさんこれあり︶候︒要するに高 等学校は校長などにむやみにとり入る必要なきゆゑと存 じ候︒山嵐や坊っちゃんのごときものがをらぬのは︑人 間として存在せざるにあらず︑をれば免職になるからを 75 らぬわけに候︒貴意いかゞ︒ み な 卑見まで︒か 僕は教育者として適任と見倣さるる狸や赤シャツより たいけい ぐ 大兄も御同感と存じ候︒右お礼かた くのごとくに侯︒以上 四月四日 繞 石 兄 金 も 不適 任 な る山 嵐 や坊 っ ち ゃ ん を 愛 し候 ︒ 76 広島市江波村築島内鈴木三重吉へ 四月十一日 ︵火︶午後十一時︱十二時 本郷区駒込千駄 木町五十七番地より お 手 紙 も 小 説 も 届 い て た ゞ い ま 両 方 と も 拝 見︑ 千 鳥 は 傑作である︒こういうふうにかいたものは普通の小説家 に と う て い 望 め な い ︒ は な は だ 面 白 い ︒ し い て 難を い え ば段落と順 序が整然としておらん︒第一回の藤さんと瀬 ふる 川さんの会話が少々振わない︵その代りあとの会話はこ と ご と く 活 動 し て い る ︶︒ 最 後 に 舟 を 望 ん で 藤 さ ん を 想 たもと 像するところは少しくどすぎる︵その代り 袂 の貝をな げ る と こ ろ な ぞ は う ま い も の だ ︶︒ そ れ か ら 法 学 士 と の 77 問 答 もな い ほ う が い ゝ ︒ 絵 本 の お姫 さ ま は 前 後 と も な い く結構であ くうまい︒会話 ぐ へ 出 そ う と 思 う が た ぶ ん 御異 存 はな い だ ろ う ︒ 構 い ま す い︒三重吉君万歳だ︒そこで千鳥をこの次のホトトギス ってなにかかこうとしてもとうていこんなには書けま からいわない︒総体が活動している︒僕が島へ遊びに行 る︒一つ二つ取り出していうとほかがまずいようになる といい︑所作といい︑仕草といい︑こと るいほうだが︑それを除いてはこと ぐ 壁の画がぬけ出すのも考えものだ︒以上は僕の感じたわ え ほうが明瞭である︒もっともあれば妙な趣味は生ずる︒ 78 まいな︒もっとも緒言はぬくつもりだ︒ へつぽこぶん し どうか面白いものをもっとたくさんかいて屁鉾文士を きのう 驚ろかしてくれたまえ︒僕多忙でこまる︒昨日から講義 をかきかけたら半ページできた︒講義を書くより千鳥を よ む ほ う が 面 白 い ︒ 加計 の 緑 談 は 破 談 と や ら ︑ 気 の 毒 な じようず こ と だ ︒ 藤 さ ん で も 貰 っ て や り た ま え ︒ 血統 な ん て 構 や べつ ぴん しないよ︒別嬪でバイオリンが上手ならわるい病気なん か出やしない︒大丈夫なものさ︒先祖代々の血統を吟味 したら日本中に確たる家柄は一軒もなくなるわけだ︒つ いでによろしく︒以上 79 四月十一日夜 三重吉様 金 四月十一日 ︵水︶午後十一時︱十二時 本郷区駒込千駄 麹町 区富士見町四丁目八番地高浜清 僕名作を得たり︒これをホトトギスへ献上せん 木町五十七番地より へ 拝啓 三重吉君︒たゞいま休学郷里広島にあり︒僕に見せるた とす︒ずゐぶんながいものなり︒作者は文科大学生鈴木 80 く めにわざ かいたものなり︒僕の門下生からこんな面 金 白いものをかく人が出るかと思ふと先生は顔色なし︒ま づ は 御報 知 ま で ︒ 艸 々 四月十一日 虚子先生 座下 木町五十七番地より 広島市江波村築島内鈴木三重吉へ ○四月十五日 ︵日︶午前十一時︱十二時 本郷区駒込千駄 81 拝啓 二三日前君に手紙を出すと同時に虚子に手紙を だし全編を通じて若い男女の会話はあまり上出来にあら っ つ け た ら 下 女 やな に か の 田 舎 言 葉 が 引 き 立 つ ま い ︒ た 子のいうところ一理あり︒しかし主人公が田舎言葉でや 掛 合 を し た ら も っ と 活 動 す る か も し れ ん ︒︵ 漱 石 曰 く 虚 いわ が多すぎる︒藤さんが田舎言葉で瀬川さんが田舎言葉で ○全編を通じて会話が振っておらん︒藤さんのホヽヽゝ ふる 考のためにちょっと申し上げる︒ 千鳥を朗読した︒そこで虚子大人の意 見なるものを御参 たいじん 出して名作ができたと知らせてやったら︑大将今日来て 82 ずと思う︶ ざん しん ○虚子曰く︑章坊の写真や電話は嶄新ならず︒もっと活 動 が 欲 し い ︒︵ 漱 石 曰 く ︑ 章 坊 の 写 真 も 電 話 も 写 生 的 に 面白くできている︶ ところ ○女と男が池の 処 へしゃがんで対話するところ未だ室 に 入 ら ず ︒ か つ そ の 景 色 が 陳 腐 な り ︒︵ 漱 石 曰 く 会 話 は ふな あのくらいで上の部なるべし︒池の景色鮒の動静ことご とく写生なり︒陳腐な らず ︶ ○虚子曰く︑若い男女が相会して互に思うはありふれた 趣向なり︒たゞし二日間の出来事というに重きを置いて︑ 83 それを読者にわからせるようにつとめたところがよし︒ うたがい に 写 生 的 の 分 子 多 き た め に 不自 然 て ぎわ ては結構足らずと主張す︒漱石は普通の小説家にこれほ 要するに虚子は写生文としては写生足らず︑小説とし も の な り ︒︵ 漱 石 曰 く ︑ 全 編 お お む ね は あ の 調 子 な り ︶ 虚子曰く︑狐の話面白し全編あの調子でゆけばえらい をちょっと忘れさせるが手際なり︶ り︒しかしところ 点はどうしても作り物であるといふ 疑 を起す点にあ ぐ ともなし︒要するに技倆いかんにて極る︒この編の大欠 きま ︵漱石曰く︑趣向は陳腐にもあらず︑また陳腐でなきこ 84 ど写生趣味を解したるものなしと主張す︒ 以上は虚子の評なり︒君はもとより僕に示すだけのつ もりだろうが僕以外の人の説も参考に聞くほうが将来の 作のうえに利益があると思うからちょっと報知する︒虚 子という男は文章に熱心だからこんなことをいうので︑ ぜん ふれ 僕が名作を得たと前触が大きすぎたためかえって欠点を 挙げるようになったので︑いゝ点は認めているのである︒ それで原稿は一度君の許諾を得たうえでと思ったが︑ 虚子が持って帰るといったからやりましたよ︒もっとも 長いから少々削るかもしれない︒これも不平をいわずに 85 我慢してくれたまえ︒以上 四月十四日夜 三重吉様 金 本郷 区丸山福山町四番地伊藤はる方森田米 五月五日 ︵土︶午後四時︱五時 本郷区駒込千駄木町五 十七番地より 松へ 君の手紙は昨日拝見つかまつった︒実はこのまえ二度 手紙を出しても返事がないから︑君は当分手紙をかかな 86 いのかと思っていたら︑また突然長い奴が来て少々驚ろ い た ︒ 翻 訳 の こ と は 実 は 僕 に 訳 せ とい う か ら︑ 末 松 著 で 下傾きをするなら食うものに困った時でなくてはいや 君と栗原 だ︒しかし末松さんより上手な文章家を周旋してくれと く いうなら教えてやると威張った結果︑とう 君の所へ持ってゆくことになった︒原稿料が高いって本 屋などに嬉しい顔を見せてはいけない︒壱円五拾銭では い や だ が ︑ 夏 目 か ら た の ま れ て 仕方 がな い か ら や っ て や る と い う よ う な 顔 付 を し て 少 々本 屋 を 恐 れ 入 ら せ て や る がいゝと思う︒ 87 ありがた 猫 の 御批 評 難 有 く 頂 戴 ︒ も う 一 回 で や め る つ も り で い れは僕のかくのでないから︑時々は僕も悪口したくなる︒ ホトトギスの挿絵の攻撃は降参をしてもよろしい︒あ す︒大いに嬉しいのです︒ には降参をしない︒ほめてくれたところは賛成でありま 坊っちゃんも読んでくだされたよし難有う︒君の抗議 すのはいつのことか分らない︒ わか せるつもりだけは成算ができている︒しかし実際驚ろか 、実 、 ますが︑忙がしくて書けないから閉口だ︒いわゆる写 、極 、致 、というやつをのべつに御覧に入れてアッと驚ろか の 88 しかし君小杉先生の雲は特別ですよ︒あれはたまらない ものだ︒ 左千夫が晶子を評したのを明星で﹁これほど本人の魯 鈍を発表せるものなし﹂とかいうている︒左千夫が見た ら怒るよ︒元来左千夫なんて歌論などできる男ではない︒ たゞ子規ばかり難有がってみずから愚なうたを大事そう に作っている︒ 破戒の批評も拝見した︒あのくらい思い切ってほめて やれば藤村先生も感謝していゝと思う︒それでも過ぎた るはなんとかいうなら話せない男だ︒詩人じゃない偽人 89 だ︒実は破戒が出ても精細な評が出ないから気の毒に思 出している︒ 多忙﹁坊っちゃん﹂をかく かた づ べて十有九人︒伝四のごときは御丁寧に二冊つゞきを呈 どころにあらず︒今日ようやく古城先生を片付けた︒す 僕論文を見るのでなか く る︒これはいつもよりも遠慮がないからだろう︒ 君のこんどの手紙はいっものよりも親しい感じがあ ばもうたくさんだと思う︒藤村先生瞑して可なり︒ めい も読売には前後して三回も出たのを見た︒こう続々出れ っていたが︑君のを見ると同時に太陽のも早稲田文学の 90 し かた 先だってから食後に腹が痛くって仕方がない︒学生が おど か それは胃ガンだと 嚇 したので驚ろいて服薬を始めた︒ こ れ は 慢 性 胃 カ タ ー ル だ そ う だ ︒ 腹 が 重くて ︑ 鈍 痛 で ︑ 背や胸がひきつって苦しくて生きてるのが退儀千万にな 野 武 士 っ た ︒ 近 々 人間 を 辞 職 し て 冥 土 へ 転 居 し よ う と思 う ︒ 五月五日 白楊先生 芸苑は君もくれるし︑社からもくれる︒相な るべくは こと 君からだけ貰うことにして本社のほうは断わりたい︒ 91 麹町 区富士見町四丁目八番地高浜清 五月十九日 ︵土︶午後十一時︱十二時 本郷区駒込千駄 木町五十七番地より へ そろ 閲 読 はな は だ 多 虚子先生行春の感慨御同様惜しきものに候︒しかると く はつがつお 大いに気分壮快のほうに候︒いつか諸賢を会して惜春の 散 々 な 体 ︒ 服 薬 の お 蔭 に て 昨今は 腹 の 鈍 痛だ け は 直 り ︑ 沢もできず閉居の体︒のみならず目がわるく胃がわるく︑ てい 忙︑したがって初 袷 の好 時節も若葉の初 鰹 のと申す贅 はつあわせ こ ろ ︑ 小 生 卒 業論文 に て 毎 日 ギ ュ ー 92 あん ぎや 宴でも張らんかと存じ候えども当分駄目︒ちょっと伺い きた ますが︑碧梧桐君はもう東京へは来らんですぐ行脚にと りかゝりますか︒ 卒 業 論 文 を よ ん で ぃ る と頭 脳 が 論 文 的 に な っ て ︑ し ま いには自分もなにか英語で論文でも書いてみたくなりま す︒決して猫や狸のことは考えられません︒僕はなんで 金 も人の真似がしたくなる男と見える︒泥棒と三日いれば 虚子先生 五月十九目 必ず泥棒になります︒以上 93 五月二十六日 ︵土︶午後三時︱四時 本郷区駒込千駄木 広島市猿楽町鈴木三重吉へ 漾虚 集 ができました︒一部あげます︒諸々方 よう きよ し ゆ う 町五十七番地より 拝啓 しかし世の中には駄目なことが分り切っていても目が 分 ら な い ︒ 君 ど う ぞ 勉強 し て や っ て く れ た ま え ︒ 人間の価値はなにかやってみないとどのくらいあるか ちょうだい︒ 方に誤字があり誤植があるようだから見当ったら教えて 94 く 見えないのでうん やってる奴がある︒そんなものは ねん ば 教えてやっても説諭してやっても分りっこない︒やはり たお 自分が斃れるまでやって念晴らしができないと気が済ま さと んものである︒かつてに覚りがつくまでやらせるがいゝ びんぜん が︑はたから見ると憫然なものだ︒これはこのあいだじ ゅうからたった一人で感じていることだが誰にもいわな い︒しかし文芸上のことでもな んでもない︒ 君にやりたまえというのは文学のことだ︒自分でなに か作ってみないと︑どのくらい作れるものか自身にもわ からない︒いくら作っても︑そのつぎの自分はどんなふ 95 うにあらわれるか決して分るものでないから︑君も千鳥 ま たな ん ぞ か く つ も り で い る ︒ 以 上 五月二十六日 鈴木三重吉君 て 僕 な ど よ り も は る か に 適 任 者 に な る ︒ し か も 生 意 気な ちばんえらい︒あの人は勉強すると今に大学の教師とし 先日来卒業論文をようやく読みおわった︒中川のがい 夏 目 金之 助 僕も漾虚集だけでつきたわけでもないから︑これから 望する︒ のあとに万島でも億鳥でも大いにかきたまわんことを希 96 ところが毫もない︒まことにゆかしい人である︒たゞ気 が弱いのが弱点である︒ 広島市猿楽町鈴木三重吉へ さ 六月七日 ︵木︶︵時間不明︶本郷区駒込千駄木町五十七番 地より け 昨夜君のところへ手紙をかいたところ︑今朝君のを受 うけとり けとったから書き直す︒原稿料は遠慮なくお受取しかる 漾虚集の誤字誤植御親切に御教示を蒙り難有く候︒ べし︒小生などははじめからあてにして原稿をかきます︒ 97 あやま り と定めることに致そうと思っている︒ 弱かときいてしかりと答えたら︑普通の徳義心ある人間 なることと存じ候︒これから人に逢うたびに君は神経衰 る世の中には正しき人でありさえすれば必ず神経衰弱に る べ く ︑ 結 構 に 侯 ︒ し か し 現 下 の ご と き 愚な る 間 違 っ た ま ちが 君 は 九 月 上 京 の こ と と思 う ︒ 神 経 衰 弱 は 全 快 の こ とな 構だ︒どうかついでにあとも教えてください︒ お蔭にて僕の見落したる分をだいぶ直すことができて結 いたくらい︑人が見たらさだめし見苦しきことなるべし︒ 実は僕も訂正のつもりで一度よんで 誤 の多いので驚ろ 98 今の世に神経衰弱に罹らぬ奴は金持ちの魯鈍ものか︑ 無教育の無良心の徒か︑さらずば︑二十世紀の軽薄に満 足するひょうろく玉に候︒ もし死ぬならば神経衰弱で死んだら名誉だろうと思 う︒時があったら神経衰弱諭を草して天下の犬どもに犬 であることを自覚させてやりたいと思う︒ せつ たく たゝみ がえ だいぶあつくなった︒拙宅 畳 替なり︒書斎を加える 金 時は大騒ぎ ︒ 中川先生 とい ま一 人を手伝に たのみたいと 六月六日 思う︒艸々不一 99 三重吉様 本郷区丸山福山町四番地伊藤はる 六月二十三日 ︵土︶午後十一時︱十二時 本郷区駒込千 駄木町五十七番地より 末松の訳完結のよし︑本屋よりもその旨申し来 方森田米松へ 拝啓 げ だい 座でやりそうじゃないか︒青 萍 先生も存外話せない男 せい ひ よ う を改めて夏の夢日本の面影としたそうだ︒なんだか本郷 り候︒原稿料もお受取のよし承知いたし候︒末松先生外題 100 だ︒ 論語をおよみのよし︑小生はまるで忘れたり︒ニーチ ェと論語とを比較してみたまえ︒両人とも人間である︒ 口述試験に惨憺たるものは君のみにあらず︒学問ので きる中川と平然たる伝四とをほかにしては︑たいがいは 惨憺たるものである︒サンタンあに君のみならんや︒試 験官たる小生が受験者とならばやはりサンタンたるの み︒僕はあの試験をして深く感じたことがある︒多数の 人は逆境に立てば皆サンタンたるものだ︒得意の境に立 てば愚うたらたる小生のごときものもまた普通の試験官 101 かぶ たり︒人間を見るのは逆境においてするに限る︒得意に やつ 学生を駆ってこゝに至らしめたるか︑または神経衰弱な か 神経衰弱に罹っている︒これは二十世紀の潮流がしぜん かゝ いま一つ感じたことがある︒純文学の学生はたいてい 天下に求むべきものありとすれば禍のパーゲトリなり︒ を珠玉にせんがためなり︒禍はないかな︒禍はないかな︒ ていれば立派な人になれる︒天の 禍 を下す︑下せる人 わざわい ら修業ができる︒サンタンたる諸先生も毎日試験を受け いる︒気の毒なものである︒逆境を踏んだ人はおのずか お る 奴 を 見 る と 大 い に 買 い 被 る ︒当 人 自 身 が買 い 被っ て 102 らざれば純文学が専門にできぬのか︑まだ研究せず︒諸 君すでに神経衰弱なれば試験官たる拙者のごときは大神 経衰弱者ならざるべからず︒しかも当人自身は現に神経 衰弱をもって自任しつゝあり︒神経衰弱なるかな︒神経 金 衰弱会を組織して大いに文運を鼓吹せんとす︒白楊先生 白楊先生 六月二十三日 もっていかんとなす︒頓首 103 七月三日 ︵火︶午後二時︱三時 本郷区駒込千駄木町五 麹町区富士見町四丁目八番地高浜清へ いたし候︒昨日ホトトギスを拝見したるところ︑ きのう その後御無沙汰︑小生ようやく点数しらべ結了︑ 十七番地より 啓上 く ぐらいずつなんだか漫然と感興が湧いて参り候︒たゞ漫 よみはじめました︒スルと奇体なものにて十分に三十秒 き たい 実は論文的のあたまを回復せんためこのごろは小説を 侯︒思わず微笑を催したる次第に侯︒ 今度の号には猫のつゞきを依頼したくと存じ候とかあり のう 104 然と湧くのだからどうせまとまらない︒しかし十分に三 引 き の ば し て長 い も の に 出来 か す 時 日 と 根 ︵ママ ︶ 十秒くらいだからたくさんなものに候︒この漫然たるも く のをいち 気があれば日本一の大文豪に候︒このうちにて物になる のは百に一つくらいに侯︒草花の種でも千万粒のうち一 つくらいが生育するものに候︒しかしとにかく妙な気分 になり候︒小生はこれを称して人工的インスピレーショ ぼ た あて ンとなづけ候︒小生ごときものは天来のインスピレーシ たな ョンは棚のお牡丹と同じことで当にならないから人巧的 にインスピレーションを製造するのであります︒近ごろ 105 は器械で卵をかえすインキュベトーというものがありま 月に入ってからかきだすつもりです︒ び す るつもりだが︑講義という奴は一と苦労です︒これは八 ひ 来学年の講義を作らなければ大雄編をかくか大読書をや その辺はまだ自分でも考えていないのであります︒実は は一つもない︒どれを纏めようか︑またどう纏めようか まと れのようなものは雲のごとくあるがさてまとまったもの 編ばかりかくつもりです︒まえにいう漫然たる恵比寿ぎ え のももっともでしょう︒そこでこの七月にはなんでも四 す︒文明の今日だから人為的インスピレーションのある 106 伝四は文学士になり侯︒小生も文学士に侯︒してみる と伝四と僕とは同輩に候︒同輩である以上はこれから御 わ りま え 馳走の節は万 事割前にいたそうかと存じ侯︒ 小生は生涯に文章がいくつかけるかそれが楽しみに たのしみ 侯︒また喧嘩がなん年できるかそれが 楽 に候︒人間は 自分の力も自分で試してみないうちは分らぬものに候︒ 握力などは一分でためすことができ候えども︑自分の忍 耐力や文学上の力や強情の度合やなんかはやれるだけや ってみないと自分で自分に見当のつかぬものに候︒古来 の 人 間 は た い が い 自 己 を 十分 に 発 揮 す る 機 会 がな く て 死 107 んだろうと思われ候︒惜しいことに候︒機会はなんでも 恐れ入りましたね︒まだだいぶ残っています しかし人間と生れた以上は猫などを翻訳するよりも自分 で百ページばかりよこしました︒難有いことであります︒ 猫を英訳したものがあります︒見てくれというて郵便 か︒ はいよ く ね︒しかも坊っちゃんが下落して四十銭になるに至って 坊っちゃんを毎号御広告に相成るのは恐れ入りました ばんかと存じ候︒ 避けないで︑そのまゝに自分の力量を試験するのがいち 108 のものを一頁でもかいたほうが人間と生れた価値がある かと思います︒ 小生はなにをしても自分は自分流にするのが自分に対 す る 義 務 で あ り ︑ か つ 天 と 親 とに 対 す る 義 務 だ と思 い ま す︒天と親がコンナ人間を生みつけた以上はコンナ人間 で生きておれという意味よりほかに解釈しようがない︒ コンナ人間以上にも以下にもどうすることもできないの をしいてどうかしようと思うのは︑当然天の責任を自分 が背負って苦労するようなものだと思います︒この論法 からいうと親と喧嘩をしても十分自己の義務を尽してい 109 そむ っ て み たい ︒ 世 界 総 体 を 相 手 に し て ハ リ ツ ケ に で も な っ 今の 考 はまったく別であります︒どうかそんな人にな かんが え 汚名をきて罪に処せられるほど悲惨な事はあるまいと︒ 昔はコンナことを考えた時期があります︒正しい人が ます︒ ぎ ま し た ね ︒ 少 々 ひ まに な っ た か ら よ け い な こ と を 書 き に義理が立つわけであります︒これではちと気炎が高す 民 や な い し 世 界 全 体 の 人 の意 思 に 背 い て も 自 分 に は 立 派 のであります︒いわんや隣り近所や東京市民や︒日本人 るのであります︒天に背いても自分の義務を尽している 110 てハリツケの上から下を見てこの馬鹿野郎と心のうちで 軽蔑して死んでみたい︒もっとも僕は臆病だから︑ほん とうのハリツケは少々恐れ入る︒絞罪ぐらいなところで 文 章 論 を か きだ し ま し たね ︒ あ れ いゝなら進んで願いたい︒ し ほう だ く 四方太先生いよ を何号もつゞけたらよかろう︒もっとも文章論と申すほ どな筋の通ったものではないまったく文話というくらい かものですな︒鳴雪老人のは例によって読みません︒漾 虚集を御批評くださってありがたい︒ことに野菜づくし の はありがたい︒中央公論にね大魚に呑まれたる人という 111 ぎん げつ 新しい かきましたね︒いくらでもかけばいくらでも ませんか︒頓首 七月二日 虚子大人 夏 金 生 どうです︒一日どこかで清遊をつかまつろうじゃあり 書けるがまずよしましょう︒ いろ く でごらんな さい︒ 形容の言葉があって刺激の強い文章です︒ついでに読ん ずいぶん妙なことをかきますね︒しかしなか く 小説がありますよ︒伊藤銀月という人のかいたものです︒ 112 福岡県京都郡犀川村小宮豊隆へ 七月十八日 ︵水︶午後零時︱一時 本郷区駒込千駄木町 五十七番地より あゆ お手紙拝見︒川へ行って鮎をとるのは面白いだろう︒ たい び 僕も随行の栄を得たい︒猫の大尾をかいた︒八月のホト トギスには出るだろうと思うから読んでくれたまえ︒夏 は閑 静 で奇麗な 田舎へ行っ て御馳走をたべ て自雲を見て 本をよんでいたい︒大磯や箱根は大きらい︒あつくなる とぼんやりして気が遠くなる︑そこへ人が来てのべつに 113 入れ替り攻撃をやると︑とうてい持ち切れない︒お客か えん せい か 薤露行をたいへん面白がってくれる青年が往々ある︒ かい ろ こ う い︒ ぬよりいやだ︑それを考えると大学は辞職つかまつりた 来月は講義をかかなければならん︒講義を作るのは死 なれないのはどういうものだろう︒ 大心配ができたような気がする︒読書はこれほど熱心に 胃が堅くなる︒外の事はなにも考えられなくなる︒一 と愉快だが︑かいてるうちは苦しいものだ︒ ら見たら病人か厭世家のようだろう︒文章もかきあげる 114 ある人手紙を寄せて薤露行の一編吾において聖書よりも きわ 尊しとかいてきた︒文士の名誉もこゝに至って極まるわ け だ ︒ し か し あ ん な も の は 発 句を 重ね て ゆ く よ う な 心 持 ちで骨が折れていかない︒ 僕も国があって山があって河があって家があって最後 に 金 が あ っ た ら さ ぞ よ か ろ う ︒ し か ら ず んば 胃 病 で 近 々 夏目金之助 かあ おばゝ様の御病気を大事になさい︒お母さんによろし 小宮豊隆様 七月十七日 往生つかまつるべく候︒頓首 115 く さふらふ 小石川区竹早町百二十番地愛知社内中 七月二十四日 ︵火︶午後零時︱一時 本郷区駒込千駄木 町五十七番地より 川 芳太郎 へ ご めん どう 毎 々 御面 倒 相 願 ひ 候 ところさっそく神田の方へお送 学校を卒業して一日のうちに世の中が恐ろしくなった なにか御馳走いたすべく候︒ そろ り く だ さ れ 候 よ し 多 謝 の 至 り ︑ い づ れ 印税 が は い っ た ら 116 から︑これから︑よほど注意を周密にするよし︑結構に 候︒ しかし周密といふ意味に上等と下等あり︒自己の知力 にてできうるかぎり考へ︑自己の感情にてできうるかぎ り感じ︑しかして相手と自己とに不都合の破綻なきやう に先を制するやうなことを得意にする︑ にするを上等といひ︑たゞ人を見て泥棒のごとく疑ひな く んでもコソ これを下等の周密といふ︒ 君の感じたるはいかなる方面においての意味なるやを 知らず︒もし前者ならば賢のはうヘ一歩進みたるなり︒ 117 もし後者ならば愚のはうヘ一歩進みたるなり︒世上幾多 り君は世の中を恐れすぎてゐるなり︒君は家にをってお からぬものなり︒もし君の弊を言はば学校にゐるときよ 世の中が 恐 しきよし︑恐しきやうなれど存外恐ろし お そろ どいやな現象なし︒ からはすこぶるワイズになったと考うる人多し︒これほ て世の中にゐる時のはうがよほど下等なり︒しかもみづ よ︒学校にゐるうちのはうがはるかに上等にして卒業し 害の関係なき三者より忌憚なくこれ等の人を評してみ き たん の才子は愚に近づきつゝみづから賢に進むと思へり︒利 118 やぢを恐れすぎ︑学校で朋友を恐れすぎ︑卒業して世間 と先生とを恐れすぐ︒その上に世の中の恐しきを悟った らかへって困るくらゐなり︒恐ろしきを悟るものは用心 す︒用心はたいがい人格を下落せしむるものなり︒世上 のいはゆる用心家を見よ︒世を渡ることはすなはちこれ あらん︒親友となしうべきか︒大事を托しうべきか︒利 たゝ 害以上の恩慮を闘かはすに足るべきか︒ おそ 世 を 恐 る る は 非 な り ︒ 生 れ た る 世 が 恐 し く て は肩 身 が 余は君にもっと大胆なれと勧む︒世の中を恐るるなと よ 狭くて生きてゐるのが苦しかるべし︒ 119 べん せん べん せん 勉旃々々 ︵ママ︶ 七月二十五日 なほ 金 者はそれ以上に恐ろしき理由を口にせずんば恥辱なり︒ あるひは恐ろしきものかもしれず︒天下の士︑一代の学 に あ ら ず ︒ 免 職 と 増 給 以 外に 人生 の 目 的な く んば 天 下 は なるべきものにあらず︒どこまで行っても恐るべきもの 個所の地位ができるかできぬくらゐにて天下は恐ろしく 恐 る べ き も のに あ ら ず ︑ 存 外 太 平 な る も のな り ︒ た ゞ 一 んといふ気性を養へと勧む︒天下は君の 考 うるごとく かん が すゝむ︒みづから反して直き千万人といへどもわれ行か 120 芳太郎様 千 業 県 安 房 郡 北 条 町 浜 小 松 岩 谷 別 荘内 浜 武 元次 七月二十七日 ︹三十九年?︺本郷区駒込干駄木町五十七 番地より へ﹁うつし﹂ 再度の御手紙本日拝見︒御親切に御勧誘ふかくお礼申 そろ し上げ候︒僕も君の手紙を見たらむかし房州へ遊んだこ とを憶い出してはなはだ愉快である︒このごろは風景の い いゝ所へ往ったことがないからぜひ行きたいと思うが︑ 121 く 小説をかいている︒例のごと 来客が多くてしかも僕は 日は午後五 時から大学の御殿で御馳走をくう︒二三日雨 客が 嫌 でないから思うようにもかけないので困る︒今 き らい さ︒ところで僕も最もなか く んと申したところで昨日からいゝ加減な調子で始めたの かいてしまわないと義理がわるいものでね︒毎日うんう 今かいてるものはね︑でき損なってもかまわないがぜひ そく 鹿遊びをして暮らしてしまうにきまっている︒ところが けであるが︑君といっしょじゃ朝から晩まで馬鹿話と馬 くそういう景色のいゝ所で筆をとるほうが書きやすいわ あいにくたゞいまうん 122 しの こ みな と で少々凌ぎいゝ︒君房州を向側へつきぬけて小湊の方へ 行ってみたまえ︒面白いよ︒元来君は誰の別荘をごまか すわ して借りたのかね︒岩谷というのは松平君じゃないか︒ あとがま ○○が君の後釜へ据り込もうというので運動を開始した ろう︒君のところへ手紙が行きゃしないか︒兵隊にゆく 金 之 助 とひどい目に逢うから今のうちせっかく遊んでおきたま 浜武様 七月二十七日 え︒草々頓首 123 本郷区丸山福山町四番地伊藤はる方森田米 八月六日 ︵月︶午後零時︱一時 本郷区駒込千駄木町五 十七番地より 松へ さっそく御返事をかくなり︒漾虚集の評はすぐさま拝 候︒しかし僕のばかりが必ずしも人格を発揮した作物で かくはうがよからうと存じ候︒人格論は僕も至極賛成に 感銘つかまつるわけである︒いま少しなんとかわる口を じけない︒天下の評中あのくらゐ詳細なのはないと深く 見 ︒ ど う も あ ゝ 長 く か い て く れ た 御親 切 は は な は だ か た 124 ふで げい もあるまい︒たゞし主義はいつもお話するとほり︑文章 はら げい を作るのは腹芸で筆芸ではないから腹をこしらへてかゝ う ︶をかい 注 ﹁草枕﹂ らねば駄目といふなり︒君と同論のやうに思ふ︑いかゞ︒ や ほかの人の評と夜雨君の作は新小説︵ てからゆるりと読むつもりなり︒手紙が来ても邪魔には いく た ニ な ら ず ︒ 生 田 先 生 の 弁 解 とく に 拝 承 ︒ つい で に 申 し候 漾 しや れ 二虚 碧 を い ふ 句 よ り 来 る ︒ 御 三 君 の 文 集 たゞよフ 虚集は春水 漾 ぎ の名はすこ ぶる洒落たものなり︒ せん だ 小生千駄木にあって文を草す︒左右前後にゐるもうろ くどもいっさい気に喰はず朝から晩まで喧嘩なり︒この 125 中にあって名文がかけぬくらゐなら文章はやめてしまふ かん がへ 考 なり︒この間にあって学開ができなければ学問はや は御覧のごとく若きがゆゑに亭主もなか く 元気がある い ゝ 年 を し て こ んな こ と を い ふ と笑 ふ な か れ ︒ 僕 の 妻 とはな んでもなく候︒ 生つかまつる覚悟なれば君が夜中遊びにくるくらゐのこ くたばるまでは決して千駄木をうつらずして︑安々と往 つゝ︑強勉をしつゝ︑文章をかきつゝ︑もうろくどもが げらるるやうなデリケートな文章家にあらず︒喧嘩をし め て し ま ふ な り ︒ 手 紙 の 十本 々 二 十本 来 た っ て 詩 想 が 妨 126 なり︒まづはそれだけ︒ 八︑六 白 楊先 生 金 八月七日 ︵火︶午前八時︱九時 本郷区駒込千駄木町五 本郷区駒込西片町十番地畔柳都太郎へ 商業学校はどの辺なりや︒また学士でなくては 十七番地より 拝復 ならぬにや︒実は一二年前の卒業にて久しく周旋をたの ま れ た る 男 あ り ︒ し か し こ れ は 撰科 な り ︒ 語 学 は 比 較 的 127 本 年 の 卒 業 生 の あ る も の よ り も で き るな り ︒新 学 士 の 地 の辺は御了知くだされたく候︒あれは総体が風刺に候︒ 理に侯︒決して作者の人世観の全部にこれなきゆゑ︑そ 彼等のいふ ところは皆真理に候︑ しかしたゞ一面 の真 かれ ら 存じ候︒御反対御もっともに候︒漱石先生も反対に候︒ に太平の逸民に候︒現実世界にあの主義ではいかゞかと 東 風 君 ︑ 苦 沙 弥 君 皆 か っ てな こ と を 申 し 候 ︒ そ れ ゆ ゑ し︒たゞし語学が特別えらいとは受合かね候︒ うけあひ 交渉中なり︒もしまとまらずばこちらへ相談してもよろ 方 行 は 先 だ っ て ま で 一 名 あ り し と こ ろ ︑ た ゞ い ま長 岡 へ 128 現代にあんな風刺はもっとも適切と存じ猫中に収め候︒ もし小生の個性論を論文としてかけば反対の方面と双方 の働らきかけるところを議論いたしたしと存じ候︒ ︶あらはるべく︑これはぜひ 注 ﹁草枕﹂ 来九月の新小説に小生が芸術観および人生観の一局部 を代表したる小説︵ お読みのうへ御批評願ひたく候︒これとても全部の漱石 の趣味意見と申すわけにこれなし︒その辺はあらかじめ お断わり申し候︒まだ脱稿せず︒十日〆切までにぜひか なつごもり きあぐるつもり︒それゆゑどこへも行かず︒夏 籠 の姿︑ 御無 沙 汰 お ゆ る し く だ さ る べ く 候 ︒ 129 八月七日 芥舟先生 金 山口県玖珂郡由宇村三国屋鈴木三重 八月十二日 ︵日︶午後十一時︱十二時 本郷区駒込千駄 木町五十七番地より 吉へ︹はがき︺ ひと り 君は一人で大きな屋敷にいるよし︒お大名のようでよ なし︒君文章をかきたいならどん く おかきな さい︒書 かろうと思う︒僕例のごとく多忙︑長い手紙をかく余暇 130 いてわるければその時修養がたりないとかなんとかはじ やるべしと存じ候︒ め て わ か る な り ︒ か かな い う ち はど ん な 名 作 が で き る か く わからん︒なんでもどん 八月十五日 ︵水︶午後零時︱一時 本郷区駒込千駄木町 広島市大手町一丁目井原市次郎へ あ りが た 広 島 の 写 真 種 々 御恵 送 に あ づ か り 本 日 落 掌 難有 五十七番地より 拝啓 おもしろ 新聞の井原氏は大兄の御舎弟のよし︑それはちっとも く御礼申し上げ候︒あの写真は皆面白くながめ暮らし侯︒ 131 知りませんでした︒尼子さんは四郎という名です︒同町 や つ かい すね︒しかし銅貨を落したのは慥かにあなたではありま たし た︒まったくあなたとは固とお話しをしたことがありま 写真拝受難有く侯︒お顔を見てはじめて思い出しまし う認定したのです︒もっとも前歯は欠けています︒ 今大学の講師をしている人だそうです︒これも世間がそ てしまいました︒寒月というのは理学士寺田寅彦という は定てありません︒苦沙弥は小生のことだと世間できめ きめ と こ ろ へ 引 合に 出 さ れ た と 申 され ま し た ︒ 迷 亭 と い う 男 ひきあい 内にいていつでも厄介になります︒先日逢ったらとんだ 132 や せん︒もっと背の高い痩せた人のように思います︒あな たは写真ではたいへん色が白いが小生の記憶ではもっと 黒いと思いますどうですか︒ 尼子さんに逢ったらあなたのお話をしましょう︒斗作 先生に御文通の時小生のことをきいて御覧なさい︒ロン 夏目金之助 ドンの時のことでなにか面白いことをお話なさるかもし 井 原 様 八月十五日 れません︒頓首 133 134 福岡県京都郡犀川村小宮豊隆へ 八月二十八日 ︵火︶午後十一時︱十二時 本郷区駒込千 駄木町五十七番地より 大坂ノ滑稽新聞の写 し︒ 学生が送ってくれた︒ 夏だから客はないと思いのほか毎日々々繁昌で楽々昼 し まい 寐もできず閉口しているうち八月もお仕舞になって大い しこう に驚ろいて弱っている︒実は講義を一ページも書いてい しか ない︒然り 而 して十月一日発行の中央公論にかく約束 がある︒進退に窮するわけであってみれば︑講義は容易 に は 始 ま り そ う に も な い ︒ まず もっ て 十五 日 以 後二 十 日 か の う こうき ち 以内と見当をつけて御出京しかるべく侯︒今日狩野亨吉 先生に京都の模様をきいたら︑京都の法科大学などは十 月中ごろから開講するそうだ︒ずいぶんのんきなもので ある︒僕もそのうち東京の文科大学で十二月くらいに開 講してみようと思う︒ 135 ぐ 猫の批評こま 難有く候︒苦沙弥と迷亭の比較御も る も の あ り ︒ ぜ ひ 読 ん で ち ょ う だ い ︒ こ んな 小 説 は 天 地 今度は新小説にかいた︒九月一日発行のに草枕と題す であると︒御もっともなる攻撃に侯︒ ていない︒迷亭が喋舌っても苦沙弥が述べても同じ語気 しやべ 曰く︑終りのはうの文明の議論が人によって調子が変っ の十一を非難せるもの二人ばかりありたり︒その一人の い ︒ そ れ で な い と ︑ 腹 へ つめ た も の が も たれ て 困 る ︒ 猫 かしできるならばあんな馬鹿気たことを生涯かいていた っともに候︒あれで一段落ついてまず安心いたし候︒し 136 かい びやく 開 闢 以来類のないものです︵開闢以来の傑作と誤解し てはいけない︶︒ 今度の中央公論へはなにをかこうと思うている︒今日 は久しぶりで朝から晩まで外出︑方々あるいてくたびれ な つめ 金 八月三十日 ︵木︶午後零時︱一時 本郷区駒込千駄木町 小宮豊隆先生 八月二十八日 た︒艸々 137 五十七番地より 芝区琴平町二番地朝陽館野間真綱へ 草枕を明治文壇の最大傑作というてくれる人は ︹はがき︺ 拝啓 木町五十七番地より 麹町区富士見町四丁目八番地高浜清 八月三十一日 ︵金︶午前十時︱十一時 本郷区駒込千駄 で高評を謝す︒ いうて笑うだろう︒だから新小説に気の毒である︒謹ん たんとあるまい︒普通の小説の読者は第一つまらないと 138 へ おど 先生驚ろきましたね︒僕の第三女が赤痢の模様で今日 大学病院に入院したというわけですがね︒ことによると 交通遮断になるかもしれません︒小供の病気を見ている のは僕自身の病気よりよほどつらい︒しかも死ぬかもし れないとなるとどうも苦痛でたまらない︒もしあの子が 死んで一年か二年かしたら小説の材料になるかもしれぬ じようぶ が︑傑作などはできなくても小供が丈夫でいてくれるほ うがはるかによろしい︒とうてい草枕の筆法ではゆきま せん︒ 139 みよう ち ばく ぜんかい き りん へき えき 猫の代まさに頂戴︒難有く候︒漠然会なるものができ な て困るからたまには交通遮断をしてみたいと思います︒ しかし交通遮断はちょっと面白い︒あまり人がきすぎ とんだ 不義理ができる︒ の病気がわるければ僕はなにもできない︒中央公論には はなにをかいたものやら時間がなさそうだ︒これで小供 もう九月になる︒講義は一頁もかいてない︒中央公論 した︒ふりがなはやはり本人がつけなくては駄目ですね︒ 新小説は出たが振仮名の 妙 痴奇林なのには辟易しま ふり が るよし︑出られればいゝが︒ 140 の ま 野間先生が草枕良評して明治文壇の最大傑作というて 来ました︒最大傑作は恐れ入ります︒むしろ最珍作と申 金 す ほ う が 適 当 と 思 い ま す ︒ 実 際珍 と い う こ と に お い て は 十七番地より 神田区鈴木町十九番地ケーベル方深田康算 九月五日 ︵水︶午後四時︱五時 本郷区駒込千駄木町五 虚子先生 八月三十一日 珍だろうと思います︒ 141 へ 拝啓 いたり お手紙頂戴難有く拝見いたしました︒草枕につ たま 直︑君のいうてくれたほどの名作とも思うておりません 嬉しいから二遍繰り返して読みました︒実際をいうと正 聴して深くお礼を申さねばならんはずと思います︒実は まっている以上は︑ともかくもお言葉だけは真面目に拝 をかいて人を嬉しがらせるような軽薄な学者でないにき ありますが︑しかし大兄が一個の紳士としてたゞ出放題 で ほうだい せん︒御批評中には小生のあえて当るべからざる賛辞が いて最も御丁寧なる御批評を承わり感銘の 至 に堪えま 142 でした︒しかしもし草枕において御批評どおりの仕事が できなくても心掛だけはそうしたいと考えております︒ どうかこの後ともに善悪ともに遠慮のないところをお聞 かせください︒ 小生小児赤痢にて大学へ入院︑なんだか気がせいて仕 事ができず︑たのまれものはかどらず閉口いたします︒ 小児はようやく快方のほう︑しかし表向は明六日まで交 通遮断です︒修善寺へお出のよし︑ あすこは涼 しいと思 っていましたが︑そうでありませんか︒ケーベル先生か ちか づき たへも一度お近付に上がりたいと思うていますが︑なに 143 く せ この夏も今日に至りました︒ハルトマンのこと で 先 生 とい わ れ る の は な ん と な く 引 け る よ う な 気 が し ま ほうが年が多いばかりです︒しかし単に年が多いばかり に小生よりもえらいに相違ないと思います︒たゞ小生の 哲学はむろんドイツ語その他において君の知識ははるか から︑以後は万事同輩の格で願いたいと思います︒第一 君 は 小 生 を 先 生 と い われ ま す が︑ こ れ は 少 々 恐 縮 で す 拝見したいと存じます︒ は面白く拝見しました︒来月もつゞくことと存じます︒ おも しろ とう やかや取り紛れて気が急いているうえに来客のみ多くて 144 す︒ 大坂の滑稽新聞に小生の肖像が出ているのを切りぬい わ ら い ぐさ 有名になりました︒右とりあえず御礼 て送ってくれたものがあります︒お 笑 草に写しを御覧 に入れます︒ く 種々かきつらね候︒いずれくわしくお目にかゝ 小生もなか ぐ かた 145 り申し述べるべく候︒以上 九月五日 深 田 様 金 之 助 本郷 区丸山福山町四番地伊藤はる方森田米 九月六日 ︵木︶午後三時︱四時 本郷区駒込千駄木町五 十七番地より 松へ 御帰京のよし︑ 小生宅には三女赤痢にて大学医院へ 入 院︑今日まで交通遮断なり︒遮断にもかゝわらず方々出 146 あるくのみならず来客むやみに至る︒学校の講義は一ペ ージも書かず︒十月発行の中央公論からは催促をうける︑ いやはやのはやいやで困却中なり︒ 草枕を読んでくだされたよし難有い︒そのうえあっと 感心してくれたところなどはもっとも難有い︒あれはど うしても君に気に入る場所があると思った︒今日まで草 枕について方々から批評が飛び込んで来る︒来るたびに 僕は喜こんでよむ︒しかし言語に絶しちまったものは君 じ め 一 人 だ か ら 難 有 い ︒ 今 日 ま で受取 っ た 批 評 の う ち も っ と ま も長くかつ真面目なものは深田康算先生のものである︒ 147 ︵ママ︶ 新体詩人が喧嘩をしているよ︒昔は詩人が喧嘩などをと けん か な風呂敷へたゝみ込んで帰って行った︒君あやめ会では 上つかまつった︒着せてみたらよく似合った︒先生大き 僕今日中川先生にロンドン製フロックコート一着を献 か持ち出さなければならなくなる︒ 出版したらさっそく僕は草枕の原稿料のうえへいくぶん たら出版したらどうですというた︒草枕批評一班として いつぱん て持っている︒今日中川君が来たからそのことをはなし けたものが二三人ある︒いずれもうれしい︒僕はまとめ もっとも驚も感情的なものは君のである︒多少けちをつ 148 さきだ 金 之 助 いったものだ︒今じゃ詩人だから衆に 先 って喧嘩をす 郎へ 十七番地より 木 郷 区 駒 込 西 片 町 十 番 地 反省 社 内 滝 田 哲太 九月十日 ︵月︶午後二時︱三時 本郷区駒込千駄木町五 森 田米 松 様 九月五日 いずれそのうち︑さようなら るのだ︒ 149 拝啓 先日来お約束の小説︑どうにかかうにかかきあ ず さん 六 十五 枚 ほ ど に な り候 ︒これ も お ゆ るしくだ さ ついで まづは用事まで︒草々頓首 九月九日 滝 田 様 金 之 助 れたく候︒お 序 の節はいつにてもお渡し申すべく候︒ とう く 加減にかきをはり申し候︒四五十枚とのお約束のところ︑ か げん 誤って違約をしてはたいへんな御迷惑になることといゝ げ候︒まことに杜撰の作にてお恥づかしきかぎりなれど︑ 150 九月十一日 ︵火︶午後零時︱一時 本郷区駒込千駄木町 麹町区富士見町四丁目八番地高浜清へ 来 る 二 十 六 日 の 能に お招 き く だ され 難有 く 深 謝 きた 五十七番地より 拝啓 し奉り候︒西洋人もさだめてよろこぶことと存じ候︒も つ かま つ っとも通弁を 仕 るのは少々閉口に侯︒あの番組のうち で一つも見たものも読んだものもありません︒橋口は兄 のほうですか︑弟のほうですか︒小児病気は日にまし快 さふら きは 方︑小生見舞に参り 侯 へども︑いまだ一度も語を交せ こ たることなし︒草枕の作者の児だけありて非人情極まっ 151 たものなり︒すると今度は妻のおやぢが腎臓炎から脳を ふ おど み直してみたらいっこうつまらない︒二度よみ直したら 今度の中央公諭に二百十日と申す珍物をかきました︒よ 人と思います︒しかしよく趣味を解する人であります︒ た︒あの人は面白い考を持っているがあまり学問のない も読んでくれればいゝのに︒二六をすぐ買ってよみまし ことなり︒この女︑猫を愛読して研究するよし︑草枕で ろいたのは今日女記者の中島氏とか申す人が参られたる け に候︒小生もお客の相手で一人を暮らしてゐる様なり︒驚 ︵ママ ︶ 冒かされたとかなんとか申すよし︑世の中も多忙なもの 152 ずいぶん面白かった︒どういうものでしょう︒君がよん 金 だらなんというだろう︒またどうぞよんでください︒さ 五十七番地より 麹町区富士見町四丁目八番地高浜清へ 九月十八日 ︵火︶午後零時︱一時 本郷区駒込千駄木町 梧下 虚 子 庵 九月十日 ようなら 153 ︹はがき︺ ぼくの妻の父死んで今週は学校を休むことにした︒そ み さき ざ 本郷 区丸山福山町四番地伊藤はる方森田 草枕の主張が第一に感覚的美にあることは貴説のとお 米松へ 五十七番地より 九月三十日 ︵日︶午後零時︱一時 本郷区駒込千駄木町 もし行けたら御案内をつかまつるつもりなり︒ の外用事山 のごとし︒三崎座を見たいが行けるかしら︒ 154 りである︒感覚的美は人情を含まぬものである︵見る人 からいうても見られるほうからいうても︶︒ 自 然 天 然 は 人 情 が な い ︒ 見 る 人に も 人情 がな い ︒ 双 方非人情である︒たゞ美しいと思う︒これは異議がない︒ 人間も自然の一部として見ればやはり同じことであ る︒ 人間の情緒の活動するときは活動する人間は大いに の態度︵これは一ト二ト同じことに帰着する︶︒ まったく人情をすてて見る︒松や梅を見ると同様 人情を発揮する︒見る人は三様になる︒ 155 156 す まったく人情を棄てられぬ︒同情を起したり︑反 感を起したりする︒しかし現実世界で同情したり反感 を起したりするのと異なる場合︑すなわち自己の利害 ご じん を打算しない で純粋な る同情と反感の 場合︵吾人が普 通の芝居を見る場合︶︒ 現実世界で起す同情と反感を起して人間の活動を 見る場合︵この場合が芝居などへ切り込むと時々見物 人が舞台へ飛び上がって役者をなぐったりなどする︒ フランスで兵士の見物がオセロを拳銃で打ったことが ある︶︒ 草枕の画工の態度で異議のあるところは第三であるか らして︑第三の か か かをきめてみればよい︒ で はむろんない︒画工はなるべく で見ようとする︒よし だけで見られないでも全然 になってはもういやだと いう男である︒だから︑一歩を譲って を離れても ま では飛ばない︒ と の中間くらいである︒ あわ ﹁憐れ﹂が表情になって女の顔にあらわれるのが で 見 て い ら れ ぬ こ と は な い ︒﹁ 憐 れ ﹂ の 表 情 が 感 覚 的 に 画題に調和するか︒またはそれ自身において気持がいゝ 表 情 か わ る い 表 情 か ︒ 換 言 す れ ば 単 に 美 か 美 でな い か と 157 いう点からして観察ができる︵画工がこの態度でいれば り純非人情である︶︒ こゝろ もち こうなると普通の芝居の 心 持ちである︵草枕の画 るとすれば画工にはそれだけ冷淡であった︒なんだ馬鹿 憐れが出たのでやはり亭主に未練がある︒未練があ 工はたぶんこゝまでは人情的になっておるまいと思う︶︒ ︱ たものである︒したがって画工も思わず憐れを催した︒ ら感心である︒大いに同情を寄すべき女である︒見上げ 女の顔に憐れが出てそれが亭主のために出たのだか ていしゆ ﹁憐れ﹂というのが人情の一部でも︑観察の態度はやは 158 ほ 馬鹿しい︒今まではおれに惚れていたのにと思うのが現 実界の態度である︒この場合には自己の利害のために乱 さるるからして︑結構な女の心いきがかえってにくらし り よ う けん くなる︵草枕の画工はむろんこゝにはおらぬ︶︒ さ おう 沙 翁 が ハ ム レ ッ ト を か く 時 の 了 見 は 分 ら な い が で はないにきまっている︒ でもあるまい︒おそらくは であろう︵すなわちハムレットを見る観客の起す了見と 同一であったろう︶︒ せつぜん したがって︑草枕の画工の態度と沙翁とは違う︒截然 として区別がつかぬかもしれぬが傾向が違う︒沙翁は 159 ○ ○ ○ ○ である︒両方とも離れたが で に住する傾向がある︒画工は にもどる傾向がある︒ ○ ○ ○ は俗人情的である︒﹂ ○ て吾々日々夜々パンに汲々として喧嘩をしてくらす人間 画工は非人情的である︒沙翁は純人情的である︒そし ○ ○ ○ ○ っている︒ ある︒画工の態度は と をならべて矢で方向を示すと沙翁の態度は 160 かん が え ま 作家に作家の 考 があるとおり批評家に批評家の ごう 見識がある︒君のいうことは僕の考で毫も曲ぐべ ○ ○ ろう き必要はない︒たゞ考だけをいうまでである︒ ○ 画工は紛々たる俗人情を陋とするのである︒ことに二 ○ ○ 十世紀の俗人情を陋とするのである︒いなこれを陋とす ○ ○ ○ るの極純人情たる芝居すらもいやになった︒あきはてた ○ のである︒それだから非人情の旅をしてしばらくでも ひ よ う ろう 飄 浪しようというのである︒たといまったく非人情で 161 押し通せなくても︑もっとも非人情に近い人情︵能を見 森田米松様 九月三十日 夏 目 金之 助 わるいから忘れてしまう︒調べておいてあげよう︒ デーのこともかいたものがあるように記憶する︒記憶が 本を取り寄せるつもりのところまだ取り寄せない︒ハー このあいだメレディスのことをかいた人がある︒この 誘ってあげましょう︒ 御能拝見のこと承知いたし候︒今度行く折があったら おり るときのごとき︶で人間を見ようというのである︒﹂ 162 小石川 区原町十番地寺田寅彦へ︹はがき︺ 十月八日 ︵月︶午前八時︱九時 本郷区駒込千駄木町五 十七番地より いで 本 日 は 留 守 へ お 出 失 敬 ︒﹁ 二 百 十 日 ﹂ の 評 あ り が た く 拝見︒大いに弁護いたしたく候︒今度から木曜の三時か ︵ママ︶ 令甥も時々つれて成されたく候︒以上 れいせい ら を 面 会 日 と い た す に つ き 御来 遊 く だ さ れ た く 候 ︒ 163 麹町 区富士見町四丁日八番地高浜清へ 十月九日 ︵火︶午前八時︱九時 本郷区駒込千駄木町五 十七番地より 二百十日をお読みくださって御批評くだされ難有う存 ね 寐てしまうところなぞは面白いじゃありません に変化し ている︒しかし根が呑気な人間だから深く変化するのじ ろも弁護します︒碌さんはあのうちでいろ く か︒そこへ同情したまえ︒碌さんが最後に降参するとこ グー く 情を強いるわけにゆかない︒その代り源因を話さないで し ければいけません︒もっとも源因が明記してないから同 じます︒論旨に同情がないとは困ります︒ぜひ同情しな 164 ゃない︒圭さんは呑気にして頑固なるもの︒碌さんは陽 気にして︑どうでも構わないもの︒面倒になると降参し てしまうので︑その降参に愛嬌があるのです︒圭さんは おう よう 鷹揚でしかも堅くとって自説を変じないところが面白 こう が い か らない慷慨家です︒あんな人間をかく った窮屈なものができる︒また碌さんのよ い︒余裕のある と︑もっと うなものをかくと︑もっと軽薄な才子ができる︒ところ が二百十目のはわざとその弊を脱して︑しかも活動する 人間のようにできてるから愉快なのである︒滑稽が多す ぎ る と の 非 難 も も っ と も で あ る が︑ あ ゝ しな い と 二 人に 165 あれだけの余裕ができない︒できないと普通の小説みた こう でい ど悟るがよろしい︒今の青年はドッチでもない︒カラ駄 は皆圭さんを見習うがよろしい︒しからずんば碌さんほ 僕思うに圭さんは現代に必要な人間である︒今の青年 ないで普通の小説のように正面から見るからである︒ と思うのは︑あのうちに滑稽の潜んでいるところを認め が掉尾だと思って自負しているのである︒あれを不自然 とう び 以上トボケているところが眼目であります︒小生はあれ ある︒あの降参がいかにも 飄 逸にして拘泥しない半分 ひ よ う いつ ようになる︒最後の降参も上等な意味においての滑稽で 166 目だ ︒生意 気なばかりだ︒以上 十月七日 ︹封筒の裏に︺ 虚子先生 金 能の事難有う存じます︒やはり九段であるのですか︒ いつあるのですか︒ちょっと教えてください︒正月はな にかかいてあげたいと思います︒しかし確然と約束もで きかねます︒まあ精々かくほうにしておきましょう︒ 167 十月十日 ︵水︶本郷区駒込千駄木町五十七番地より若杉 三郎へ 二百十日についての御批評拝見︒ずいぶん思い切って うけたま た 公論に適しないことはない︒別に中央公論むきは柔弱主 味 は 結 構 だ ︒ 文 部 大 臣 が ど んな 主 義 で も 構 わ な い ︒ 中 央 いけない︒しかしアートだけがいゝのではない︒剛健趣 アートなどはこれまたどうでもよい︒アートが下手では へ 読んだ人がかってにつけるのである︒アート・フォー・ 小説でも象徴小説でもなんでも構わない︒そんなものは わる口を 承 わり大いに面白く候︒ところであれは傾向 168 義というわけはない︒筆跡をまずいというがほかの大家 ぞろい は僕よりまずい︒僕はあの二百十日︑夏目漱石がはなは そ ゆき だうまいと思っている︒大家 揃 じゃない小学生揃だ︒ よ 君はあれを余所行の筆跡でないというが︑僕の筆跡には 余所行も不断着もない︒いつでもあのとおりうまいので ある︒ ほん ごう ざ 猫を女役者がやる︒本郷座だって女役者だって同じこ とだ ︒ 猫 を や っ て 面 白 い 芝 居 が で き る ため に は 僕 自 身 が やらなくっちゃいけない︒中川芳太郎が見てきてきわめ て愚なものだといった︒愚ははじめから知れ切っている︒ 169 猫を図書館に献上するなんてずいぶん人を馬鹿にした て明治の文学を大成するのである︒すこぶる前途洋々た もない時代である︒これから若い人々が大学から輩出し 望する︒明治の文学はこれからである︒今までは目も鼻 い ︒ だ か ら 駄 目 だ ろ う ︒ とに か く に 活 動 あ ら ん こ と を 希 だってマンチウスの四巻目を 誂 えておいたがまだ来な あつら モリエルの事に関した写真やなにかは一枚もない︒先 と猫を御覧になったらよろしかろうと思う︒ 室と宮家ヘ一部ずつ献上しようかと思う︒宮様などはち ものだ︒もっとも僕も高等学校へ献上した︒この次は皇 170 る時機である︒僕もさいわいにこの愉快な時機に生れた みち のだからして死ぬまで後進諸君のために路を切り開い て︑幾多の天才のために大なる舞台の下ごしらえをして 働 き た い ︒ そ う こ う し て い る う ち に 日 は 暮 れ る ︒ 急 がな ければならん︒一生懸命にならなければならん︒そうし て文学というものは国務大臣のやっている事務などより も高尚にして有益なものだということを︑日本人に知ら せなければならん︒かのグータラの金持ちなどが大臣に 下げる頭を文学者のほうへ下げるようにしてやらなけれ ばならん︒ 171 皇太子や宮様が文学をお読みになってその主意がわか 夏目金之助 た︒君のについてごく遠慮のないことをいえばいずれも 花うづのうち君の分と生田君のある部分とを見直し いく た 本郷区丸山福山町四番地伊藤はる 方森田米松へ 十月十一日 ︵木︶本郷区駒込千駄木町五十七番地より 若 杉 兄 十月十日 る よ う に 書 い て あ げな け れ ば な ら ん ︒ さ よ う な ら 172 物足らない︒なんだか要領を得ない感じが多い︒君はで きるだけ悲酸で深刻で皮肉な間題を捕えてくるにもかゝ わらず︑よんだあとの感じが悲酸でも︑深刻でも皮肉で もな い︒ その解決はどういう点にあるかちょっと考えたところ を 参考 に 述 べ る ︒ 事件に発展がなくして︑比較的長いことを一二枚で かいてしまう︒だから読者は君につり込まれるほど作中 これが大源因だろうと思う︒換言すれば長くかくべき の人物に同情がない︒ 173 ものを短かくかいて︑しかも長くかいたものと同様の感 ところ ぐ に 奇 警 な 句 が あ る ︒ ハ ッ と思 わ せ る ほど ではあるまいか︒ 骨 を 折 っ て ︑ 叙 出 す る も の の ベ ゼ ー ル ン グ が で き ぬ ため まいにかゝわらず感じが乗らぬのは口調や文字にばかり 態 か ら 来 る 表 情 の ご と く ベ ニ や白 粉 と は違 う ︒文 章 の う 白粉のごときものである︒真の文章は女の栄養や心的状 お し ろい に骨を折るのである︒レトリックはむろん必要であるが︑ 君は文章に骨を折る︒しかしその骨折はレトリック を起しうるものと仮定しているらしい︒ 174 の も の が あ る ︵ お も に 人 世 上 の 観 察 ︶︒ こ れ ほ ど の 急 所 い をつらまえている人がなぜこの句をもっと活かして使わ ないかと思う︒たとえばそれ自身が一句でたしかに一短 おし げ 編の主意となりうるにも関わらず︑君は惜気もなく好い 加減なところへ使ってしまう︒そして全編からいうとさ ほど奇警でない︒ある時は幼稚である︒するとなんだか 妙な気がする︒この作者は時々老成な観察をする点から い え ば 四 十 前 後 で あ る が︑ 若 い ほう か ら い う と 二 十 を 多 く越していない︒二十三四の男と四十くらいな男が合併 しているようだ︒それがうまく調和すればいいが片手だ 175 けが四十くらいであったりなにかする︒ 僕の遠慮のない批評はまさにこゝである︒要するに花 ︵マ マ︶ 奮発して立派な作物を苦心せられんこ もっとも最後の二三行﹁あの人心おかみさんのいる時分 前後だけかいて肝心の嵐をかかないなんてずるい男だ︒ かん じん 寅彦の 嵐 は彼の作としてあまり秀逸じゃない︒嵐の あ らし 新作せられんことを希望する︒ とを希望する︑もし余暇あらば正月までにぜひ両三編を これからいよ く のではない︒もし前に大作があればそれは未来である︒ うづ中にある君の作は決して未来に君を重からしむるも 176 うん ぬん 云々﹂は君と絶対的反対で大賛成である︒あの下女の言 くま 葉があってはじめて熊さんの長いあいどの変化やら歴史 まと やらが一句のうちに纏められて︑読者はうんそうかとい う気になるのである︒短編でもし長い歴史を感ぜしむる ためにはああいう筆法でなければいかぬ︒あれが短編の が りよ う てん せい 落ちである︒あれがあるから画竜点睛の妙を覚えて全編 が活動してくるのである︒もしこれを不賛成というなら 大いに議論がしたい︒ 委細は面語に譲る︒花うづはいゝ名だと僕も本屋に教 えてやった︒ 177 夏目金之助 本屋へは川下氏の稿さしかえの義通知いたすべきかい き た 麹町区富士見町四丁目八番地高浜清へ ありが と 喜多の番づけを難有う存じます︒さっそくモリ スにやりましょう︒先だってお話のあった二百十日に関 拝啓 五十七番地より 十月十七日 ︵水︶午後零時︱一時 本郷区駒込千駄木町 白楊先生 十月十一日 なや︒草々 178 する拙翰をホトトギスへ掲載の義は承知いたしましたと み あわ 申 し ま し た が ︑ 少 し 見 合 せ て く だ さい ︒ 近 々 ﹁ 現 代 の 青 つ 年に告ぐ﹂という文章をかくか︑またはその主意を小説 にしたいと思います︒するとそのまえにあの手紙は出し てもらわないほうがよい︒どうでしょう︑あの主意をあ ふ えん なたが敷衍して︑そうして︑あなたの意見も加えてあな たの文章とかきかえてホトトギスへ出してくださって は︒あの手紙のうちで困るのは現代の青年はカラ駄目だ ということと﹁普通の小説家なら⁝⁝﹂という自賛的の 語 で あ る ︒ 自 分 が 小 説 を か い て︑ 人 の 小 説 を 自 分 の に 比 179 べて攻撃するのはいやな心持ちだ︒それから現代の青年 高浜 様 十六 日 金 はりロシア主義で進歩するがよかろうと思います︒ 森田流の人には当分シャボテン主義は分りません︒や まず用事だけにしておきます︒ かくのだから﹁カラ駄目﹂じゃちと矛盾してしまいます︒ に告ぐという文章中には大いに青年を奮発させることを 180 ほ もみじ 芝 区琴 平 町 二番 地 朝陽 館 野 間真綱 へ 十月二十日 ︵土︶午後三時︱四時 本郷区駒込千駄木町 か 伊香保の紅葉を貰って面白いから机の上へのせ い 五十七番地より 拝啓 ておいたら風がさらって行ってしまった︒どこをたずね てもない︒ きのう 近ごろは久しく逢わない︒昨日の面会日には四五人来 て十時ごろまで文学談をやって愉快であった︒ 近来世の中に住んでいるのが小便壺のなかに浮いてい るような気がする︒周囲が小便だから自分もさぞ臭いこ とだ ろう と思う ︒ 181 高等学校などへ出てももっとも簡単でもっとも純潔な 毒である︒ も知らずにワー く し て い る の は 天 子 様 の ため に お 気 の 未来 の日本 を作る青年が自己の責任もエライこ ともなに のは酔漢の中に窮屈にかしこまっているようなものだ︒ た︒天下の人が 戯 れているのに自分だけ真面目でいる たわむ にいることに気がつかなかった時はもっと熱心であっ からどうでも構わないという気でいる︒昔小便壺のうち い も の は 十 分 一 く ら い だ ろ う ︒ こ んな も の に 教 え る の だ るべき書生がだいぶアートフルである︒真正に書生らし 182 うずら かご 今日曜には遠足をする︒近日猫の中巻と 鶉 籠とそれ からいま少しすると文学論ができる︒できたら一部あげ る︒今の青年どもは猫をよんで生意気になるばかりだ︒ 猫さえ解しかねるものが品格とか人柄とかいうことが分 真 綱 様 十月十九日 金 之 助 りようはずがない︒困ったものだ︒さようなら 183 十月二十日 ︵土︶本郷区駒込千駄木町五十七番地より 久 し く お 目 に か ゝ らない ︒先 日 野 間 が 手 紙 を よ 芝 区高 輪 車 町 四十八 番地 皆 川 正禧 へ 拝啓 か げ く幻影と一般タワイないものである︒こんな世 ば ている︒真面目になりうるためには他人があまり滑稽的 界 に 住 ん で 真 面 目に 苦 し い 思 い を し て 暮 ら す の は 馬 鹿 気 こと ぐ な気がする︒どこを見ても真面目なものが一つもない︒ ごろは世の中に住んでぃるのが夢の中に住んでいるよう た︒ぜひ行きたいがなんだか忙がしくて行かれない︒近 こして君の今度の家はいゝ所だ︑ぜひ行ってみろとあっ 184 である︒ 僕明治大学をやめようと思う︒先日高田が来て報知新 聞へなにかかいてくれといったから明治大学をやめて新 聞屋になろうかしらん︑国民新聞でも読売でも依頼され ている︒明治大学は土曜の四時間であるから︑土曜を四 な便宜があるように 時間つぶしてなにかかいてそうしてそれが同じくらいの く 収入になれば新聞のほうがいろ 思う︒ 明日は大森の方へ遠足をするが東洋城という青年とい っしょだから君のうちへは寄れない︒この東洋城君なる 185 ものはすこぶる真面目な青年である︒青年は真面目がい して人のために応接をしてやったって自分が疲労するば 来客は皆木曜にまとめてしまった︒壱週間まるつぶしに 曜の晩だからこんなくだらない手紙をかくひまがある︒ あまり御無沙汰をしたから手紙をちょっとあげる︒土 る︒ は泣くにはあまり滑稽である︒笑うにはあまり醜悪であ くれる︒難有くも︑苦しくも︑恐ろしくもない︒世の中 な い ︒ 真 面 目に な り か け る 瞬 間 に 世 の 中 が ぶ ち壊 わ し て い︒僕のようになると真面目になりたくてもとてもなれ 186 かりである︒草々 十月二十日 皆川正禧様 夏目金之助 本郷 区丸山福山町四番地伊藤はる 十月二十一日 ︵日︶午前十一時︱十二時 本郷区駒込千 駄木町五十七番地より 君のところから向い状袋の長い手紙が来ないと 方森田 米松へ 拝啓 森 田 白 楊な る も の が 死 ん でし まっ た か の 感が あ る︒ 今日 187 ︵ママ︶ とをいう︒だから創作がその主義を応用するようにでき いうほうが筋の立ったことをいう︒またわけの分ったこ ことがあるから感服だ︒いったい君は評論をして理屈を だ か 分 らな い ︒ さ す が に 森 田 先 生 だ け あ っ て な に か い う ろが面白い︒普通の新聞屋などのいう評はなにをいうの よみつゝあるかが分るからである︒あの理屈をいうとこ わか 草枕を評するという点より君がどんな 考 をもって書を かんが え 草枕の評は多大の興味をもって拝読した︒面白かった︒ な と思 っ た ︒ 曜 早 起 き る や い な や 白 状 が あっ たの で や っ ぱり 生 き て る 188 うま てるかと思うと︑そう旨くいっていない︒君は不平かも しれないが︑たしかにいっていませんよ︒ したものだ︒はな 君のいつもよこす手紙はなんだかどこかに愚痴っぽい く ところがあったが︑今度のはサラ こうでい はだわが意を得ている︒愚痴を並べても愚痴に拘泥して いない︒滔々と︑愚痴が出て来て平気である︒これがは なはだ愉快だ︒すべて愚痴でもなんでも拘泥した奴は厭 味だね︒いくらスキのない服装でも本人がそれに拘泥し みなり ていると厭味が出る︒凝った身装をしてそうして凝った ところを忘れているのがいゝじゃないか︒今度の手紙は 189 これに近い︒君の創作もどうかこの格でゆきたいと思う︒ せん とう じゆ そ 大学を卒業して机上 は分らない︑やっぱりロシア主義でいゝのであるとかい 味を説いてくれというから僕は森田は当分サボテン趣味 などと気炎を吐いてきた︒そうして森田君にサボテン趣 で人生観を作っているからサボテン趣味が分らないのだ 報知したら︑虚子大いに激して ラウムレーレからサボテン趣味を呪詛することを虚子に ︱ ン趣味と名づけるのである︒サボテン趣味といえば君が じ侯︒敬具﹂などは振ったものだ︒あれを称してサボテ 今度の手紙の結末にある﹁これから銭湯に参らうかと存 190 てやった︒すると今度は虚子先生の返事に﹁実は私も社 会学や心理学方面が嫌なのではない︒できればこっちへ も興味を持ちたい︒その代り森田君もサボテン趣味を研 究してもらいたい﹂とあった︒ た 木曜日にはサボテン党の首領は鼓の稽古日だとかいっ のん き し ほう だ て来なかった︒呑気なものである︒その代り中川のヨ太 こう 公︑鈴木の三重吉︑坂本の四方太︑寺田の寒月諸先生の うえに東洋城という法学士が来た︒この東洋城というの は昔僕が松山で教えた生徒で僕のうちへくると先生の俳 句はカラ駄目だ︑時代後れだと攻撃をする俳諧師である︒ 191 先だって来て玄関に赤い紙で面会日などを張り出すの 我を折って来たのである︒また 翁 が 承 知 し ま い か ら 駄 目 だ ︒ 文 学 部 の ほ う を やめ る と米 こめ 提出しておいた︒君を後釜に据えてやりたいが内海月杖 僕は明治大学の文学部のほうを御免蒙るように辞表を 遠足をするのである︒ 松茸飯を食わせてやった︒今日この東洋城と大森の方へ まつ たけ めし んといったからとう く とをいうから︑そんなことをいわないで木曜に来てごら 日を別にこしらえてください﹂と駄々っ子みたようなこ は ︑ は な は だ 不 快 な 感 が あ る ︒﹁ 僕 の た め に 遊 び に く る 192 びつ く 櫃に影響する︒それからいろ 妙 な こ とだ ︒ なところへ微震を起す︒ 近ごろは小便壺の中に浮いているような気がする︒小 はた 生も臭いが傍から見ても臭いだろう︒さりとて小便壺か ら 飛 び 出 す ほ ど の 必 要 も 認め な い ︒ 昨 日 あ る 人 に 手 紙 を つかわして曰く﹁世の中は泣くにはあまり滑稽である︑ 笑 う に は あ ま り 暗 黒 で あ る ﹂﹁ 今 の 世 で 真 面 目 に な る こ とはとうてい不可能だ︒真面目になりかけると世の中が こ ゝ に おい て 僕 は サ ボ テ ン 党 で も ロ シ ア 党 で も な い ︒ すぐぶち壊してくれる﹂ 193 ねこ とう している︒これからさ になるのが自然だろう︒西洋人の名前などを くら ことを英国趣味だなどというものがある︒糞でも食うが くそ じゃないか︒今の文学者は皆このアタイ連である︒僕の 真を見てアタイもこんな顔になろうたってなれやしない そも不自然のはなはだしきものである︒君オイランの写 担いでこの人のようなものをかこうなどというのはそも でいろ く き何になるか本人にも判然しない︒要するに周囲の状況 われて︑小便壺のなかでアプ く は芸術的でないといわれロシア党からは深刻でないとい 猫党にして滑稽的+豆腐屋主義と相成る︒サボテンから 194 いゝ︒いやしくも天地の間に一個の漱石が漱石として存 在するあいだは漱石はついに漱石にして別人とはなれま せん︒英国趣味があるなら︑漱石が英人に似ているので はない︒英 人が漱石に似ているのである︒ 君英訳をやるってそりゃ少々むりだよ︒英文で立とう と思うなら今から五六年そっちの丁稚奉公でもしなけり ゃいけない︒それより英文を日本に訳すほうがいゝ︒も 十月二十一日 夏目金之助 もうかくのが厭になったからこれにて擱筆︒ かく ひつ っとも何を訳していゝか僕にもちょっとわかりかねる︒ 195 森田白楊様 本郷 区丸山福山町四番地伊藤はる方森 十月二十二日 ︵月︶午前八時︱九時 本郷区駒込千駄木 町五十七番地より 田米松へ さめ ず 君の夜中にかいた手紙を見ていると東洋城が誘いに来 いたくずはいまだにカクシの中に丸めてある︒ 川崎屋という料理屋で飯をくう時さき棄てて︑しかもさ す たから︑手紙は洋服のカクシヘ入れて品川の先の鮫州の 196 よ まん こう 余 は 満腔 の 同 情 を も っ て あ の 手 紙 を よ み ︑ 満 腹 の 同 情 をもってサキ棄てた︒あの手紙を見たものは手紙の宛名 にかいてある夏目金之助だけである︒君の目的は達せら きづかい れて目的以外のことは決して起る気遣はない︒安心して 余の同情を受けられんことを希望する︒ 余の知る人のうちに二三君と同様の境遇の人あり︒い な 境 遇 の 人 な り と き く ︒ され ど 彼等 は皆 相 応 に 成 功 の 人 なり︒君も相応に成功の緒を得ばこの不幸を忘るるを得 んか︒余は君がこの一事を余に打ち明けたるを深く喜ぶ︒ 余をそれほど重く見てくれた君の真心をよろこぶ︒同時 197 にこの一事を余に打ち明けねばならぬほど君の心を苦し のろ 士にならざるを苦にし︑教授にならざるを苦にすると一 前に汲々たるがゆゑに進むあたはず︒かくのごときは博 一事かへって君がために一光彩を反照し来らん︒たゞ限 きた をもって君が煩とするものぞ︒君もし大業をなさばこの 功 業 は 百 歳 の 後に 価 値 が 定 ま る ︒ 百 年 の 後 誰 か こ の 一 事 たれ 天地を懊悩するに足らんや︒君が生涯はこれからである︒ おうのう る を 悲 し む ︒ 男 子 堂 々 た り ︒ 這 般 の こ と あに 君 が風 月 の しや はん 余に打ち明くべく余義なくさるるほど君の神経の衰弱せ めたる源因者︵もしあらば︶を呪ふ︒同時にこの一事を 198 般なり︒百年の後百の博士は土と化し千の教授も泥と変 わが ぶん ず べ し ︒ 余 は 吾 文 を も っ て 百 代 の 後に 伝 へ ん と 欲 す る の 野心家なり︒近所合壁と喧嘩をするは彼等を眼中に置か ねばなり︒彼等を眼中に置けばもっと慎んで評判をよく することを工夫すべし︒余はそのくらゐなことがわから いと ぬ愚人にあらず︒たゞ一年二年もしくは十年二十年の評 ごう 判 や 狂 名 や 悪 評 は 毫 も 厭 は ざ るな り ︒ い か ん とな れ ば 余 はもっとも光輝ある未来を想像しつゝあればなり︒彼等 を限中に置くほどの小心者にはあらざるなり︒彼等に余 が本体を示すほどの愚物にはあらざるなり︒彼等が正体 199 を見あらはしうるほどな浅薄なものにあらざるなり︒余 べん せん べん せん の雪と消え去るべし︒勉旃々々 十月二十一日夜 十一時池上より帰りて 森 田白 楊 様 ︹以下余白 に朱書 ︺ 夏目金之助 君の偉大なるを切実に感じうるとき這般の因果は紅炉上 こう ろ ははじめて余の偉大なるを感ず︒君も余と同じ人なり︒ 信仰を求めず︒後世の崇拝を期す︒この希望あるとき余 は隣り近所の賞賛を求めず︒天下の信仰を求む︒天下の 200 いだ タツト 人もし向上の信を抱いて事をなす時 貴 キコト神人ヲ ふた てん がい ち 超越シテ蓋天蓋地に自我ヲ観ズ︒天子様ノ御威光デモコ レバカリハドウモデキン︒漱石ハ喧嘩ヲスルタビニコノ 本郷区弥生町三番地小林第一支店鈴木 さ 君の夜中にかいた手紙は今朝十一時ごろよんだ︒寺田 け 三 重 古 へ ︹ 封 筒 の 表 側 に ﹁ 第 一信 ﹂ と あ り ︺ 町五十七番地より 十月二十六日 ︵金︶午後三時︱四時 本郷区駒込千駄木 域 に 出 入 ス ︒ 白 楊先 生 ハ イ カ ニ ︒ 201 も四方太もまあ御推察のとおりの人物でしょう︒松根は しているから妙だ︒そうしてあの め しど き し て 食 う ︒﹁ 今 日 も 時 刻 を ハ ズ シ テ 御 馳 走 ニ ナ ル ﹂ と か 飯を食うに︑あたかも正当のことであるかのごとき顔を 男は鷹 揚である︒人のうちへ来 て坐り込んで飯時が来て 十円の月給でキュ く ている︒伯爵ノ伯父や叔母や︑三井が親類でそうして三 んとも思わない︒あれがハイカラならとくにエラクなっ してじきむきになる︒そこで四方太と合わない︒僕はな なところがある︒しかしアタマはあまりよくない︒そう アレデ可愛らしい男ですよ︒そうして貴族種だから上品 202 ﹁どうも難有うございます﹂とかいったことがない︒自 分のうちで飯をくったようにしているからいゝ︒ 君 は 森 田 の こ と だ け は 評 し てこ な い ︒ お そ ら く 君に 気 に入らんのだろう︒あの男は松根と正反対である︒一挙 と力めている︒近ごろはようやくのことあ つと 一動人の批判を恐れている︒僕はなるべくあの男を反対 く にしょう れだけにした︒それでもまだあんなである︒しかるにあ あな るまでには深い 源因がある︒それではじめ て逢った 人からは妙だが︑僕からはあれがきわめて自然であって︑ しかも大いに可愛そうである︒僕が森田をあんなにした 203 責任はもちろんない︒しかしあれを少しでももっと鷹揚 な ん と も思 わ な い ︒ 現 在 状態 が 変 化 すれ ば こ の狂態 も や 死んでから人が気違ときめてしまったって少しも恥とも たくさんなのである︒現在状態がつゞけば気違である︒ 皆方便的なことで他人から見れば気違的である︒それで になるような 行 をしてはおらん︒僕の行為の三分二は お こな い 僕の教訓なんて︑とんでもないことだ︒僕は人の教訓 ほどのこともないが叱られることもなかろう︒ 君をしかるって︑それでたくさんだ︒そんなにほめる に無邪気にして幸福にしてやりたいとのみ考えでいる︒ 204 めるかもしれぬ︒そうしたら死んでから君子といわれる かもしれん︒つまり一人の人間がどうでもなるところが 自分ながら愉快で人には分らないからいゝ︒気違にも︑ 君子にも︑学者にも︑一日のうちにこれより以上の変化 もして見せる︒人が学者というも︑気違というも︑君子 さし つ か え というも︑月給さえ渡っていればちっとも差 支 ない︒ ま ね だ か ら 僕 は 僕 一 人 の 生 活 を や っ てい る の で 人 に 手本 を示 しよ さ 夏目金之助 しているのではない︒近ごろの僕の所作を真似られちゃ 十月二十六日 たいへんだ︒草々 205 鈴木三重吉様 本郷区弥生町三番地小林第一支店鈴木三重 十 月 二 十 六 日 ︵ 金 ︶︵ 時 問 不 明 ︶ 本 郷 区 駒 込 千 駄 木 町 五 十七番地より 吉 へ ︹ 封 筒 の表 側 に ﹁ 第 二信 ﹂ と あ り ︺ たゞ一つ君に教訓したきことがある︒これは僕から教 の と 思 っ て い た ︒ 旨 い も の が 食 え る と 思 っ て い た ︒ 綺麗 うま 僕は小供のうちから青年になるまで世の中は結構なも えてもらって決して損のないことである︒ 206 な 着 物 が き ら れ る と 思 っ てい た ︒ 詩 的に 生 活 が で き てう つくしい細君がもてて︑うつくしい家庭ができると思っ ていた︒ もしできなければどうかして得たいと思っていた︒換 言すればこれ等の反対をできるだけ避けようとしてい た︒しかるところ世の中にいるうちはどこをどう避けて もそんな所はない︒世の中は自己の想像とはまったく正 反対の現象でうずまっている︒ そこで吾人の世に立つ所はキタナイものでも︑ 不愉快 なものでも︑いやなものでもいっさい避けぬ︑いな進ん 207 でその内へ飛び込まなければなんにもできぬということ たごとく閑文字に帰着する︒俳句趣味はこの閑文字の中 この点からいうと単に美的な文字は昔の学者が冷評し 流に出なく てはいけな い︒ 分のよいところを通そうとするにはどうしてもイブセン はいけない︒あれもいゝがやはり今の世界に生存して自 き わ め て 僅 小 な 部 分 か と 思 う ︒ で草枕 のよ うな 主 人公 で らすということは生活の意義の何分一か知らぬがやはり たゞきれいにうつくしく暮らす︑すなわち詩人的にく である︒ 208 に逍遙して喜んでいる︒しかし大なる世の中はかゝる小 天地に寐ころんでいるようではとうてい動かせない︒し か も 大 い に 動 か さ ざ る べ か ら ざ る 敵 が 前 後 左 右に あ る ︒ いやしくも文学をもって生命とするものならば単に美と いうだけでは満足ができない︒ちょうど維新の当時勤王 家が困苦をなめたような了見にならなくては駄目だろう にゆう ろう と思う︒間違ったら神経衰弱でも気違でも 入 牢でもな んでもする了見でなくては文学者になれまいと思う︒文 あい と お ざ 学者はノンキに︑超然と︑ウツクシがって世間と相 遠 かるような小天地ばかりにおればそれぎりだが︑大きな 209 う︒ う はつまらない︒というて普通の小説家はあのとおりであ まるで別世界の人間である︒あんなのばかりが文学者で まい︒かの俳句連虚子でも四方太でもこの点においては はい く れ ん ろんそうはゆかぬ︒文学世界もまたそうばかりではゆく 澄ましているようになりはせぬかと思う︒現実世界はむ す ウ ツ ク シ イ と 思 う こ とば か り か い て︑ そ れ で文 学 者だ と 君の趣味からいうとオイラン憂い式でつまり︑自分の うれ れ ぬ ︒ 進 ん で 苦 痛 を 求 め る ため で な く て は な る ま い と 思 世界に出ればたゞ愉快を得るためだなどとはいうておら 210 はい かいてき る︒僕は一面において俳諧的文学に出入すると同時に一 面において死ぬか生きるか︑命のやりとりをするような はげ 維新の志士のごとき烈しい精神で文学をやってみたい︒ いと それでないとなんだか難をすてて易につき劇を厭うて閑 こし ぬけ に走るいわゆる腰抜文学者のような気がしてならん︒ 破戒にとるべきところはないが︑たゞこの点においテ く 夏 目 金之 助 出シタマエ︒以上︒ 他をぬくこと数等であると思う︒しかし破戒イマダシ︒ 鈴木三重吉様 十月二十六日 三重吉先生破戒以上の作ヲドン 211 十一月七日 ︵水︶午後四時︵以下不明︶本郷区駒込千駄 あやしく 仙台市第二高等学校斎藤阿具へ さふ らふへい く かねて願ひ上げおき 侯 塀 ︑いよ 木町五十七番地より 拝啓 そろ でもはいれる︒ してくれたまえ︒三方とも四方ともあやしい︒どこから 十八円なり︒この水道は君に寄付つかまつるから塀を直 日赤痢ができたゆえ︑僕奮発して水道をつけたり︒代金 相成り候︒どうか始末をしてくれたまえ︒僕のうちに先 212 ねがい 僕は君のうちにおりたいからお 願 をする︒おりたく なければだまって越してしまう︒僕は千駄木に当分いる 日 いで 夏目金之助 麹町区富士見町四丁目八番地高浜清へ 昨日はお出かと思っていたら︑東洋城の注進で顔がは きのう 五十七番地より 十一月九日 ︵金︶午後六時︱七時 本郷区駒込千駄木町 斎 藤阿 具 様 七 つもりだから︑どうか手入をしてくれたまえ︒以上 213 かみ ゆい どこ ○ くさ こうろく ぜん わるくい あが たいができるか︑でき 損 うか︑またはでき上らないか そこな 正月には非人情の反対すなわち純人情的のものがかき ○ 文章談はほんの一口でつまらんものです︒ 思います︒ としている︒しかし田舎の趣味があるところが面白いと うた︒あのジヽイは僕も 嫌 だ︒通編西洋臭い︒焼直し然 きらい アンカを四方太がほめた︒森田白楊はさん です︒東洋城と三重吉が大いに論じていました︒紅緑の ぐ きました︒昨日はだいぶ大勢来ました︒しめて十三四人 おおぜい れたというわけで髪結床も油断のならないものと気がつ 214 しり 分らない︒文債が多くて方々から尻が来て閉口です︒ 坊っちゃんは依然として広告されていますね︒どうか まぬ 正月分は︵もしできたら︶この醜態を免がれたいと思う︒ やつ もん 僕今度は新体詩の妙な奴を作ろうと思う︒ いも 文界は依然として芋を揉んでいる︒そのなかに混じて 奮闘するのは愉快ですね︒皮がむけて肉がたゞれても愉 い 快だ︒僕もし文壇を退けば西都へ行って大学で済まして か 講 義 を し て い ま す ︒ し か し せ っ か く 生 れ た 甲斐 に は 東 京 うちじに いち 吉原の酉の市なんか僕も見たかった︒ とり で花々しく打死をしたいですね︒ 215 二三日漫然とあるきたい︒手紙をかくだけでもずいぶ 金 本郷区森川町一番地小吉館小宮豊隆へ くとちょっと一仕事だが返事をよこせというから上げ 今日は長い手紙をかかなければならん日で︑四五本か 五十七番地より 十一月九日 ︵金︶午後六時︱七時 本郷区駒込千駄木町 虚子先生 十一月九日 ん骨が折れる︒以上 216 る︒ 昨日は客に接すること十三四人ちょっと驚ろいた︒し かし知った人があゝいうふうに寄って︑みんなが遠慮な く話をするのを聞いているほどな愉快はない︒僕は木曜 日 を集 会 日 と定 め た の を い ゝ こ と と 思 う ︒ 君は一人でだまっている︒だまっていても︑しゃべっ ても同じことだが︑心に窮屈なところがあってはつまら ない︒平気にならなければいけない︒うちへ来る人は皆 恐ろしい人じゃない︒君のほうでだまってるから口を利 かないのだ︒二三度顔を合せればすぐ話ができる︒実は 217 君のようなのが昨日の客中にもあるのだが︑それが構わ おおせ 猛烈なところがある︒あの両人は のだ︒今でもある人はそう思っている︒ところが大違い︒ 幾人でもいる︒僕も昔は内気で大いに恥ずかしがったも りに俳句の会へでも出ると仮定したまえ︒知らない人は 人しい連中でちっとも気兼などをする男じゃない︒君か き がね あれみあれぎりの好人物である︒セビロ連はもっとも大 親友である︒色の白い顔は東洋城という俳句家である︒ 御仰のとおりなか く である︒中川という人はやさしい人であるが三重吉君は ずに話をしていたから面白い︒君も話せば面白くなるの 218 外部こそ同じだが内心はどんな人の前でもなんとも思わ ない︒学校などで気に喰わない教師などがいればフンと いって鼻であしらっている︒それでたくさんなのだよ︒ 世の中にエライ人がむやみに多いと思うから恥ずかしく きま なったり︑極りがわるくなるので︑自分の心が高雅であ ると下等なことをするものなどはしぜんと限下に見える からちっとも臆する必要が起らないものさ︒ こんな気炎を吐くのも木曜日に君を話させようと思う からさ︒また来 る時は大いに弁じたまえ︒忙しいからこ こうむ れで御免を 蒙 る︒以上 219 十一月九日 小宮豊隆様 夏目金之助 使い持帰 十一月十一日 ︵日︶本郷区駒込千駄木町五十七番地より 麹町区富士見町四丁目八番地高浜清へ 今日は早朝から文学論の原稿を見ています︒中川とい から少々降参をして愚痴たら ぐ 読んでいます︒ う人に依頼したところ︑先生すこぶる名文をかくものだ 220 とうがん 今四十枚ばかり見たところへ赤い冬瓜のようなものが もって驚ろきました︒ 驚ろきました︒赤冬瓜のことは一二行であ 台所の方から来て驚ろきました︒それに長い手紙がある く のでいよ く とは自我説文学説だからいよ 御意見は面白く拝見しました︒だいぶ御謙遜のようです があれはいけません︒しかし文章について大意見あると ははなはだ面白い︒ぜひ伺いたいと思います︒ アン火は感じがわるいですね︒フランスあたりのいか さま 四方太は白紙文学︑僕は堕落文学︑君はサボテン文学︑ 様ものを背負い込んだのでしょう︒ 221 ぐ んでも採用するという憲法です︒ かってにやればいゝ 採用しないことにしました︒その代りほめたところはな ら面 白 い ︒ 僕 は 人 の 攻 撃 を い く ら で も き く が ︑ たい が い し ょ う ︒ 東 洋 城 の オ バ サ ン が 二 百 十 日 を ほめ た そ う だ か 待たれておいて大いに驚ろかすつもりで奮発してかきま 天下が僕の文を待つははなはだ愉快な御愛嬌で難有く だからいやだ︒ いゝと思う︒ところが四方太先生は議論をしませんよ︒ のです︒それで逢えばめちゃに議論をして喧嘩をすれば 三重吉はオイラン憂い式︑それ 222 く なんだかムズ し て い け ま せ ん ︒ 学 校 な んど へ 出 る のが惜しくってたまらない︒やりたいことが多くて困る︒ たお 僕は十年計画で敵を斃すつもりだったが︑近来これほど 短 気 な こ と は な い と 思 っ て 百 年 計 画 に あ ら ため ま し た ︒ 二十日までにかきます︒ 十一月十一日 虚子先生 夏 目 金之 助 ハムは大好物だから大いに喜んで食います︒ 木曜に入らっしゃい︒ 百年計画なら大丈夫誰が出て来ても負けません︒ 223 十一月十二日 ︵月︶午後三時︱四時 本郷区駒込千駄木 お出くだされたとこ いで 下谷区谷中清水町五番地橋口清へ ご れい けい く 先日は御令兄がわざ 町五十七番地より 拝啓 外の来客があってすぐお帰りでは て体裁を見ました︒今度の表紙の模様は上巻のより上出 昨夜服部が猫の中編の見本を持って来ました︒はじめ なはだ失礼しました︒どうかまたお出ください︒ たところへ︑また く ろ︑あいにく親類のものがある用事で名古屋から来てい 224 来と思います︒あの左右にある朱字は無難にできて古い 雅味がある︵上巻の金字は悪口で失礼だがむやみにギザ ギ ザ し て 印 と は 思 え な い ︶︒ 総 体 が 淋 し い が 落 ち 付 い て いると思います︒扉の朱宇も上巻に比すれば数等よいと はま 思います︒ワクの中はうまく嵌っているように思われま す︒ うずら かご 鶉 籠の三枚の扉は先だって持って来ましたがどれも ほ ら 駄目だから帰しました︒それからまだ持って来ません︒ ふ せつ 浅井の画はどうですか︒不折はむやみに法螺を吹くか え なにをしていることやら︒ 225 夏目金之助 ら近来絵をたのむのがいやになりました︒まずはお礼ま 帰してやりました︒ と も 出 ら れ ま せ ん ︒﹁ 女 学 世 界 ﹂ の 記 者 が 来 た か ら 追 い どうも忙がしくて困ります︒こんないゝ天気にちょっ 橋口清様 十一月十一日夜 で︒草々頓首 226 十一月十六日 ︵金︶午後五時︱六時 本郷区駒込千駄木 麹町 区飯田町六丁目二十三番地滝田哲 ね 読売新聞文壇担任の義につき昨夜考えながら寐 町五十七番地より 太郎へ 拝啓 でしまった︒それゆえべつだん名答もできぬ︒ まずちょっと思い浮んだことをいうと月に六十円くら ︵ママ︶ い で 各 日 に 一 欄 も し く は 一 欄 半ず つ か く の は ち と 骨 が 折 わか れる︒もっともやってみんから分らんが︑たぶんいやに 僕が各日にかけば高等学校か大学をやめる︒どっちか な るだ ろ う ︒ 227 やめるかといえば大学をやめる︒ ありがた 大学はべつだん難有いとも名誉とも思うておらん︒今 ら︑すぐ運動してはいろうと思うているものもあるらし めればいゝと考えているらしい︒余がやめれば︑あとか る︒生徒のあるものは生意気である︒ある教師は余がや なおやめない︒高等学校の教師のあるものは生意気であ 裕を作るに便だからやめぬ︒のみならず今のところでは 高等学校は授業が容易で文学上の研究および述作の余 たとて職に堪えぬとはいわれない︒ まで三年半に余としては一人前の仕事をしている︒やめ 228 やつ ら けい ち よ う い ︒ こ ん な 奴 等 を 増 長 さ せ て は 世 の ため に な ら ん か ら や かん が え めぬ︒生徒はなんの 考 もなくたゞ軽 佻 にして生意気 な の で あ る ︒ し か し こ ん な 生 徒 を 征 伏 しな い で 学 校 を 出 ては余は生涯心持ちがわるい︒世のためになることを自 う 分の安きを得るために逃げたようではなはだ不愉快であ る︒だから高等学校は決してやめぬ︒もっともそのうち 職員のあるもの︑もしくは生徒のあるものと衝突して事 き 件が急に発展して出るかいるか二つに極める場合が起る かもしれぬ︒余はそんなことがあればいゝと心待ちに待 っている︒しかしそうして出るなら格別それでなければ 229 はい 出ない︒騒動を起して出るにしても僕の代りにはいりた こで僕は躊躇する︒ の授業のために時間を奪われると大した相違はない︒そ 一日で読み捨てるもののために時間を奪われるのは大学 くも文筆をもって世に立つ以上はその覚悟である︶︒たゞ 人たる僕の力で左右するわけにはゆかぬ︒しかしいやし として後世に残るものではない︵後世に残る残らんは当 ら八百円くれるにしても毎日新聞へかく事柄は僕の事業 大学をやめれば八百円の収入の差がある︒よし読売か がっているものは決して入らせない︒ 230 よしそれでも構わんとする︒しかし読売新聞は基礎の 堅 い 新 聞 か も し れ ぬ が 大 学 ほど 堅 く は な い ︒ も っ と も 大 学でいつ僕を免職するかもしれぬ︒僕の眼中には学生も 学 長 も 教 授 も な い か ら ︑ そ の く ら い の こ と は い つ 僕 の頭 の上へふりかゝって来るかもしれん︒しかしその懸念を 度外視するときは大学の俸給は読売よりも比較的固定し ている︒竹越氏は政客である︒読売新聞と終始する人で いつ たん はなかろう︒一旦の約束である程度の機械的文学欄を引 き 受 け た と こ ろ で 竹 越 氏 と 終始 し て 去 就 す る よ う に 融 通 の利く文学者ではない︒ある時ある場合に僕は一人で立 231 場を失うようになるかもしれぬ︒竹越氏がいかに勢力家 い︒ なくてはならん︒ところが今の僕にはさほどの事情がな かそこには未来の危険を犠牲にするだけの強烈な事情が ひとも新聞紙上で自家の説を発表してみたい﹂とかなに 教育界に立てぬ人だから︑退かなければならん﹂とか﹁ぜ の ほ う で そ れ だ け の モ チ ー ブ が な く て は な ら ん ︒﹁ 僕 は ま た そ れ だ け の 覚 悟 を も っ て 最 初 か ら 入社 す る に は 僕 者を生涯引きずってあるくわけにはゆかぬ︒ でも︑いかに僕に好意を表しても︑全然方面の違う文学 232 それから︑よし︑以上の理由を念頭に置かずして御依 頼に応ずるにしたところで︑とうてい文欄が僕の当初の 所期のようにゆくものではない︒読売には読売に付属し た在来の記者もいる︒僕が文欄を担任すれば僕の近しい 人の文字をのみ載せて︑在来の人の文字を閑却するよう になるかもしれん︒そうすれば苦情が起る︒その他いろ いろの事で苦情が持ち上 がる︒ もし僕の待遇をよくして月給を増して僕の進退を誘う とすれば僕も少しは動くかもしれん︒しかし未来の危険 は依然として元のとおりである︒のみならず比較的僕が 233 過分の月給をとれば社中にまた不平が起る︒島村抱月氏 ためだろうと思う︒早々頓首 十一月十六日 夏目金之助 以上の理由だからしてまず当分は見合わすほうが僕の ある︒ とである︒しかし事情を総合して考えるとそれも駄目で している人にいくぶんか余裕を与えてやりたいというこ が文壇を担任して︑僕のうちへ出入する文士の糊口に窮 こ こう 今度の御依頼についてもっとも僕の心を動かすのは僕 の日々文壇と同様の事情が起るにきまっている︒ 234 滝田哲太郎様 府下巣鴨町上駒込三百八十八番 十一月二十三日 ︵金︶午後十一時︱十二時 本郷区駒込 千駄木町五十七番地より 中学世界の臨時増刊にある十三年前の英文科学 地 内 海 方 野 上 豊 一郎 へ 拝啓 たくわ 生の写真中におるのはまさに僕である︒後列の左から二 び ぜん 番目に美髯を 蓄 えているのが僕です︒一番目は山川信 次郎という男である︒混同しちゃ困る︒あれは卒業した 235 く ひげ く で髭も生やし立てのほや ちよ う じやてい てのほや しのばず のところを を眼中に置いたことがない︒女の十中八九までは僕の作 幸福である︒実をいうと創作をやる時にかつて女の読者 愛読するとかいてある︒こういう異性の知己を得た僕は なんでも商人の家に生れて云々とある︒そして僕の作を なことをかいたものかと思ったらそうでもないようだ︒ 呼んでいるのは︑ぜんたい何物ですか︒男がかりにあん 僕のことだけ夏目先生といって他の人は皆雅号をもって 同号にとし女という人が当世の文学者を評したなかに 不忍の 長 蛇亭の前で写したのである︒ 236 に 同 情 を 有 し て お ら ん と 信 じ て い る ︒ そ の な か に こ んな 人がひょこりと出て来るとちょっと驚ろかされる︒そし て風葉天外一派を罵倒している見識家だからなお驚ろ く︒どうか西村君に逢ったらあのとし子さんのことをも う 少 し 聞 い て お い て く れ た ま え ︒ つい でに 大 い に 感 謝 の 野上豊一郎様 十一月二十三日 夏目金之助 意を表したいものである︒まずはそれまで︒不一 237 して遅 本郷 区森川町一番地小吉館小宮 十一月二十五日 ︵日︶午前十一時︱十二時 本郷区駒込 千駄木町五十七番地より 豊隆へ く 猫をはやく上げようと思ったが下女がぐず で も な い ︒ た ゞ や す ん だ の さ ︒ 霊 の 感 応 で 僕 が や す むな さればといって君が病気だからそれに対して休んだわけ んで寐ているがいゝ︒僕がやすんだのは病気じゃない︒ はずはないのだから風邪をひいたらゆっくり葛湯でも呑 くず ゆ などははなはだ難有い︒元来僕の講義はそんなに面白い くなった︒風邪をひいても僕の講義だけ出席してくれる 238 んてことがあるものか︒さほどに僕を信仰してくれるの は難有いが君がそんな傾向を発達させると︑とんでもな いことになるよ︒僕だからまだいゝが︑女が相手だと君 はついにその女のために食い殺されてしまう︒あぶない︒ 君のような性質の人はなるべく反対の性質を養成しなく てはいけない︒君も年ごろだから今に恋をするかもしれ ない︒その時に霊の感応なんぞばかり振り回わしている と︑小宮豊隆なるものは地球の表面から消滅してしまう︒ 僕も君くらいな年には霊の感応を担いであるいたもの だ ︒ そ し て そ の お 蔭 で も っ と え ら く な る とこ ろ を こ んな 239 馬鹿になってしまった︒以来は決して霊の感応を担いじ ほつ く 僕忙がしくって困る︒人にできることだと君にすけて を し て面 白 か っ た ︒ 直ったら木曜に来たまえ︒先だっては大勢来て皆々議論 て葛湯を飲んでね︑日向へ寐て発句でも作ってるがいゝ︒ ひ なた ことはしないから君もやめなくっちゃいけない︒そうし て君を嬉しがらせるくらいはできる︒しかしそんな罪な うな怖い女がたくさんいる︒僕だって霊の感応を利用し になる︒世の中には感応を担がせてひそかに冷笑するよ ゃいけない︒ことに女に対して担いじゃたいへんなこと 240 もらうがそうはゆかない︒ 君はあまり神経質だから今のうちにもう少し呑気にな っておきたまえ︒今のうちに呑気になるのはわけはない︒ 五十七番地より 夏目金之助 本郷区丸山福山町四番地伊藤はる方森田 十二月八日 ︵土︶午後五時︱六時 本郷区駒込千駄木町 小宮豊隆様 十一月二十四目夜 僕がしてあげるから毎木曜に必ず出勤したまえ︒以上 241 米松へ やま びこ そろ ひつ き よ う 山彦の評落手︑拝見︒一々賛成に候︒しかしデカ ダン 候︒ ホトトギス︵ ︶いまだ手を下さず︒今度は今ま 注 ﹁ 野分 ﹂ 執 筆 をさ す 論ぜんと思ひしところ時間なくそのまゝに相成りをり する一派に候︒それもよろしく候︒僕文学論にてこれを カ ダ ン は 結 構 に 候 ︒ た ゞ し 真 の た め に 美 や 道 徳 を 犠牲 に 感に候︒三重吉のほうがよほど上等に候︒君のほうのデ 駄目に候︒ボードレールなど申す 輩 のはつひに病的の やから 派の感じはたとひいかなる文学にも散点せざれば畢 竟 242 まと でと違ふ方面をかかうと存じ候︒しかし趣向纏まらず二 十 日 ま で に で き さ う もな し ︒ 実 はハ ム レ ッ ト を 凌ぐ や う おど な傑作を出して天下のモヽンガーを驚らかしてやらうと ほねお り ぞん 思へども︑歳末多忙のうへいくらえらいものを出しても ︵ マ マ ︶ すわ く 堕落文 決して驚ろかぬ性根を据った読者のみゆゑ骨折損と存じ 金 おやめにいたし︑これから学校のひまにポツ 白 楊 様 十二月八日 学を五六 十枚かかうと存じ候︒以上 243 つ か うけ あ 本日曜からホトトギスに取りかゝりま 麹町 区富士見町四丁目八番地高浜清 十二月十日 ︵月︶午前十一時︱十二時 本郷区駒込千駄 いよ く 木町五十七番地より へ 拝啓 は し て く だ さ い ︒ 正 月 発 行 期 日 が 後れ て も 職 人 が 働 か な い おく の 朝 に は 全 部 渡 さな く て は い け ま せ ん か ︒ ち ょ っ と き か ば傑作にして御覧に入れるがそうもゆくまい︒二十一日 えない︒しかしできるだけかいてみましょう︒時があれ した︒学校があるから二十日までにできるかどうか受合 244 から同じことでしょうか︒ 僕の家主が東京へ転任するについて僕に出ろという︒ は な は だ 厄 介 で あ る ︒ 今 時分 転 任 せ ん で も の こ と で あ る むこう のにと思う︒しかし 向 は所有権があるから出なければ ならない︒君どうですか︑いゝ所を知りませんか︒あっ 夏目金之助 たら移りたいから教えてください︒あれば今年中に移っ 座下 虚子先生 十二月九日夜 てしまう︒頓首 245 十二月十三日 ︵木︶午前四時︱五時 本郷区駒込千駄木 仙台市第二高等学校斎藤阿具 へ 東京御転任につき︑小生もその後精々家宅を捜 町五十七番地より 拝啓 にしかたまち ひき う つ り しかるところ︑こゝに申し訳なき御相談相起り候︒先 べくと存じ候︒ ば来学期よりお差支へなく当家へお引 移 の運びに至る さしつか まづたぶんはそれへ引き移ることと相成るべく︑さすれ 索いたしをり候ところ︑西片町にあく家一軒これあり︑ 246 便申しあげ候とほり小生自弁にてお宅へ水道をかけ候と ころ︑これは当分御厄介になるつもりにて貴兄へ寄付す るよし申し上げおき候︒ところが二三ケ月にして他へ移 転と申すことに相成り︑しかもその移転先も自弁にて水 道をかけたる男にて︑もし引き移るとすれば二十何円か 敷設賃を払って譲り受けねばならぬことと相成るのみな らず︑今まではなかった敷金なるものを取られ一時に費 かさ 用が嵩むことに相成り候︒ それで先約を取り消すのははなはだ厚顔の至りゆゑ︑ しひてとは申しかね候へども︑水道のところは実費でお 247 引受を願へれば当方は非常な好都合に御座候がいかがの ききずみ の事情これあり万一お聞済もくだされ候は づは右用事のみ︒草々頓首 十二月十三日 斎藤阿具様 引き移るやいなやは二三 夏 目 金之 助 日中に確定致し候へば︑きまり次第申し上ぐべく候︒ま それから前述の宅へいよ く たゞし水道の実費は十八円に御座侯︒ ば︑幸甚この事に存じ候︒ もいろ く ものに御座候や︒これはあまりな申し条なれど︑当方に 248 む こ う はち ま き 麹町区富士見町四丁目八番地高浜清へ 十二月十六日 ︵日︶午後四時︱五時 本郷区駒込千駄木 町五十七番地より ︹はがき︺ あく は つ か あが ︶製造中に候︒二十日までにでき上るつ 注 ﹁ 野分﹂ 欠びおできのよし︑小生だゞいま 向 鉢巻大頭痛にて 大傑作︵ もりなれど︑たゞいま八十枚のところにて︑予定の半分 にもいってをらぬゆゑ︑どうなることやら当人にも分り かね候︒できねば末一二回分は二十日以後とおあきらめ 249 くだ さい︒ たち の 小生立退きを命ぜられこれまた大頭痛中に候︒ ほん がう ざ く 下落いたし候︒残念 今度の小説は本郷座式で超ハムレット的の傑作になる 清へ﹇はがき﹈ 駄木町五十七番地より 麹町区富士見町四丁目八番地高浜 十二月十六日 ︵日︶午後十一時︱十二時 本郷区駒込千 千万に候︒ はずのところ︑御催促にてだん 250 エン タゞイマスコブル艶ナトコリヲカイテイル︒ 表 題 ハ 実ハ キ マ ラ ズ ︒ 人ガキタリ︑ナンカシテ一気ニ書ケ ﹁ 野 分 ﹂︑ ク ラ イ ナ ト コ ロ ガ ヨ カ ロ ウ ト 思 ヒ マ ス ︒ ド ウ く デショウ︒ナカ 郎へ 町五十七番地より 本郷 区台町二十七番地鳳明館中川芳太 十二月十九日 ︵水︶午後五時︱六時 本郷区駒込千駄木 ナイ︒ 251 御手紙拝見︒僕今明両日中に長いものを︵ しち てん ばつ とう ︶ か 注 ﹁ 野分 ﹂ うち 鈴木は病気をしたそうだ︒僕のうちでも家内中インフ 行くのを間違って僕のところへ来 たのだろう︒ 文学論の校正が舞い込んで来た︒これは君のところへ である︒ から︑降参をさせるような場所にいるほうが社会のため も 構 ワ ナ イ ︒ 早 晩 夏 目先 生 に 降 参 す る に き ま っ て る ん だ くださる御好意は難有いが︑あんなものはいくらあって はおおむねきまった︒落雲館や車夫のない所をさがして らくうん かん き上げるので七顚八倒の苦しみお察しくだされたし︒家 252 ルエンザ︒下女は寐ている︒細君も起きたり寐たりして いる︒僕だけ助かった︒僕が助からないと天下の大文章 経 験 す る が ︑ し ま いにい やに な る︒ もう 小説 ができ損うところであった︒万歳々々︒向鉢巻の大頭痛 く はたび つか は お や め と い う 気 に さ え な る ︒ な んだ か 腹 が 痞 え て 苦 し くって書き上げるまでは目が血走ってる︒眠たがる僕が 中川芳太郎様 十二月十九日 夏 目 金之 助 ちっとも眠くない︒夜通しでも起きていられる︒さよう なら 253 注 ﹁野 分﹂ ︶ 本郷区森川町一番地小吉館小宮豊隆 十二月二十二日 ︵土︶午後五時︱六時 本郷区駒込千駄 木町五十七番地より へ 君は長い手紙をかいたね︒ようやくホトトギス︵ らいろ く な 人 が く る ︒ 入 れ 代 り 立 ち代 り ︵ 鈴 木︑ 中川 晩 は 小 説 が 一 章 残 っ て 大 い に 勉強 し よ う と 思 う と 午 後 か 六本目である︒手紙も六木くらいかくと疲れる︒木曜の を済ましたから今日は用事その他の手紙をかく︒これが 254 か も来た︶たいていは十分くらいで帰した︒しかるに最後 はい しよ どう にいたって債主俳書堂主人虚子が車を駆って原稿を受取 へき え き り に き た の は い ち ば ん 辟 易 し た ︒ 僕 は ま だ 書 き上 げ て い ない︒それから書き放しで見直してない︒それでやむを えず虚子先生に半分朗続を頼んで︑あまり可笑しいと思 うテニヲハをちょっと直したらもう十時過ぎ︑そこへ中 央公論の滝田先生がやってくる︒なんでも十一時ごろに なった︒それだから君が来てもやっぱり同じことであっ 僕引越をしなければ年末に諸先生を会して忘年会を開 た︒くればよかった︒ 255 み あわ こうと思うが︑手紙を出してそうして客を呼んで︑そう ス み せ 子があると思うと落ち付いて騒げない︒僕はこれでも青 こ 僕をおとっさんにするのはいゝが︑そんな大きなむす 鶉 籠ができた︒今度来たら一部上げよう︒ うずらかご く家へはいったらこのランプを買うことにいたそう︒ しくなった︒札を見たら十五円である︒今に瓦斯でも引 僕瓦斯会社出張所の前を通って見世にあるランプが欲 ガ るといっていたが先生どうするかしらん︒ でも先だって東洋城がみずから台所へ出て指揮を 司 ど つ かさ して引越で見合せちゃ面白くないから控えている︒なん 256 く 年だぜ︒なか 若いんだからおとっさんには向かない ︒ 兄さんにも向かない︒やっぱり先生にして友達なるもの だね︒ ︵ママ︶ おとっさんになると今日のような気分で育文館の生徒 な ん か と 喧 嘩 が で き る わ け の も の じゃ な い ︒世 の 中に な にがつまらないって︑おとっさんになるほどつまらない 手コズッタ︒不思議なことは ものはない︒またおとっさんを持つより厄介なことはな ぐ い︒僕はおやじでさん おやじが死んでも悲しくもなんともない︒旧幕時代なら せが れ 親不孝の罪をもって火あぶりにでもなる 伜 だね︒君は 257 女の手に生長したからそんな心細いことばかりいう︒だ ︵マ マ︶ な人からいろ く でどんな感じが起るか聞きたいと思う︒ く 僕はこれでいろ り自分で自分のいうことを大袈裟に誇張することがあ とのいえるうちは人間がつまり純粋なのである︒その代 を 打 ち あ け た 手 紙 や な に か を 受 取 る 男だ ︒ 人 に そ ん な こ に自分の身の上 るものによませようと思って書いたものだ︒あれを読ん のかいた小説をよんでごらん︒あれは天下の心細がって になっていけない︒君の手紙を見て思い出した︒今度僕 んだん自分で心細くしてしまうと始終には世の中がいや 258 る︒自分は当時はそれほどと気がつかないでもあとから そう思う︒君もそうだ︒いまに細君でももらうと大愉快 になるかもしれない︒つまらんことをかいて長くなった︒ 夏 目 金之 助 これからちょっと昼寐でもしようと思う︒なんだかだる 小宮豊隆様 十二月二十二日 くていけない︒ 259 芝区琴平町二番地朝陽館野間真綱へ 十二月二十四日 ︵月︶午後三時︱四時 本郷区駒込千駄 木町五十七番地より ︹は がき ︺ つき 小生駒込西片町十番地へ来る二十七日晴天ならば転宅 候︒ 興行元 夏目漱石 興行に付︑なにとぞ御来援のほどひとへに願ひ上げ奉り 260 宇治山田市浦田町湯浅廉孫へ 十二月三十日 ︵日︶午後六時︱七時 本郷区駒込西片町 十番地ろノ七号より お手紙拝見いたし候︒学友のため御尽力の段︑御もっ せつ く ともに存じ候︒小生もさういふことなら賛成のうへ拙句 しふ 集を出してもよけれど︑小生の俳句たるや出しても金に ふところ ならず︒君の学友の 懐 に金がはいらねば仕方なし︒次 に小生の句はまとめて一巻となすだけの価値なきはむろ ん︑一巻をかたちづくるほどの量なし︒往年作るところ けい じつ らい のものたいがい散逸︑今わづかに十の一を存するのみに さふら 候 へば︑たうてい句集にはなりかね候︒頃日来とんと 261 俳句に興を寄せず︒したがって作るところ絶無なればほ へや の事情にて しけれど 狭 隘にてゐる室なし︒なんとかほかに工夫は き よ う あい 勇気なし︒うちにゐて書生の代りをしてくれるものも欲 金のはいる割合に出費多く︑もとのごとく窮生を養ふの なれどどうすることもできず︒近来いろ く は 卒 業 し て し ま ふ べ し ︒ 右 の 事 情 ゆ ゑ せ っ か く の 御依 頼 かもしれねど︑それを待って集を作るうちには君の友人 ければ︑あるひはホトトギスなどに一二句くらゐは出る に候︒それからこの後句を作らぬと決心したわけでもな とんど俳人としての漱石は死せりといふも不可なき有様 262 つかざるや︒ 小生借家の持主斎藤阿具氏東京転任にて千駄木を追ひ 夏目金之助 出 さ れ ︑ 両 三日 前 表 面 の 処 に 転 住 ︒ 押 し つ ま り て い ろ い 湯 浅 兄 十二月三十日 ろ多忙︑いづれ永日を期す︒頓首 263
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