[日本経済新聞電子版 2016 年 7 月 05 日配信] 技術戦略を体現、ホンダの将来占う新型「燃料電池車」 ホンダ新型 FCV の全貌(上) ホンダの量産型燃料電池車(FCV)「クラリティフューエルセル」(図 1)。排ガスを出さない「ゼロ エミッション」の環境性能だけにとどまらず、今後の電動車に欠かせない先進技術を盛り込んだ。2030 年には販売台数の 3 分の 2 の電動化を目指す同社にとって、将来を占うクルマとなる。 図1 ホンダの新型 FCV「クラリティフューエルセル」 ホンダが 2016 年 3 月に発売した FCV「クラリティフューエルセル」は、今後のホンダ車の「大きな方 向性を示すクルマだ」――。開発責任者である本田技 術研究所四輪 R&D センターLPL 主任研究員の清水 潔氏は、新型 FCV をこう表現する。電動車の「フラッグシップ車」としてのみならず、ガソリン 車を含 むあらゆるクルマの“先駆け”となるものだ(表 1)。 ホンダは新型 FCV を、「ゼロエミッション車(ZEV:Zero emission vehicle)」というだけでなく、 同社の技術戦略を体現するクルマとして位置付ける。新技術を先行して搭載し、他の量産車へ適用する ための足掛かりと した。コストの問題などから通常の量産車では搭載を見送るような技術もあえて盛り 込み、育てる場にしたという。 表1 先代車「FCX クラリティ」と競合車「ミライ」との比較 先代の FCV「FCX クラリティ」では、軽量化や低コスト化のために、電動パワーシートや革シートと いった装備を省いていたが、クルマの使い勝手に一部の 北米ユーザーからは不満が出ていた。そこで新 型 FCV はフラッグシップ車として、最新の ADAS(先進運転支援システム)や電動パーキング、電動パワ ー シートといった装備を搭載した。 クラリティフューエルセルは日本で、2016 年度に 200 台をリース販売する予定だ。 FCV 自体の生産の 難しさや、水素ステーションの普及に向けた道のりの険しさから、ガソリン車のようにすぐに事業とし て成り立たせるのは難しい。それで も、今後 ZEV の必要性は高まっていく見通しだ。その候補の一つと してホンダは FCV の開発に力を注ぐ。 ■18 年に「ZEV 規制」大幅強化 一定以上の販売台数を ZEV にすることを義務付けるのが、米国カリフォルニア州の「ZEV 規制」であ る。2018 年に同規制は大幅に強化され、基準を達成 できなければ、カリフォルニア州大気資源局(CARB) に高額な罰金を払うか、他社から「クレジット」を購入しなければならない。ホンダは、FCV とプラグイ ンハイブリッド車(PHV)の販売比率を増やすことで同規制に対応していく考えだ。 同州は米国で最大規模の自動車市場であり、ZEV 規制への対応は避けて通れない。ホンダは北米でも 2016 年秋ごろに FCV のリース販売を始める。2018 年には PHV と電気自動車(EV)を発売する予定だ。 日本でも、経済産業省が「水素・燃料電池戦略ロードマップ」を定め、FCV の普及を目指している。最 新のロードマップでは、2020 年までに FCV を 4 万台、水素ステーションを全国に 160 カ所程度普及させ る目標だ。クラリティフューエルセルは購入(リース)時に国から最大 208 万円の補助が受けられる。 ■電動車への展開を目指す クラリティフューエルセルの最大の特徴は、他の電動車への展開を念頭にプラットフォームを開発し ていることだ。ホンダ社長の八郷隆弘氏は「2030 年をメドに、車両の販売台数の 3 分の 2 をハイブリッ ド車(HV)や PHV、EV、FCV といった電動車に置き換えていく」と語る。そのベースとなるのが、クラリ ティフューエルセルのプラットフォームだ。共通のプラットフォームを活用することで、電動車の低コ スト化や車種展開の加速を狙う。 そんな同社がクラリティフューエルセルを開発する上で強く意識したことが、水素タンクやリチウム イオン電池を除く燃料電池(FC)システムやモーターなどを「セダンのフロントフード下に収めること」 (清水氏)。 そうすれば、例えば FC システムとモーターをエンジンとモーターに、水素タンクをガソリンタンクに 置き換えることで同じ生産ラインで PHV を造れるなど、他の電動車への横展開が容易になる(図 2)。 図2 共通プラットフォームの設計。クラリティフューエルセルに適用したプラットフォームは、電動車 との共用化を想定している。パワートレーンをフロント部に、電池を床下に配置する(ホンダの資料を 基に日経 Automotive が作成) さらに、より車体の大きい SUV(スポーツ・ユーティリティー・ビークル)やミニバンなどさまざまな 車種での FCV の展開も進めやすくなる(図 3)。 同社は 2018 年に発表する PHV とプラットフォームを共 用することで、FCV の生産コストの削減を狙う。加えてレイアウトの自由度が向上することで、大 人 5 人が乗れるセダンタイプの FCV を実現できる。先代 FCV の FCX クラリティでは FC スタックが大きく、セ ンタートンネルへ配置していたため 4 人乗り だった。 図 3 先代車は FC スタックが大きかったため、PCU(パワー制御ユニット)やモーターとは別にセンタ ートンネルに搭載していた。一方、新型 FCV では FC ス タックや FC 昇圧コンバーターを小型化して、フ ロントフード下に収納した。 PDU はパワー・ドライブ・ユニットの略 (ホンダの資料を基に日経 Automotive が作成) 新型 FCV では、既存の HV、EV 部品を FCV に流用することでも低コスト化を図っている。HV のアコード やオデッセイなどから、PCU(パワー制御ユニット)や電池モジュールといった部品を流用・共用化した (図 4)。モーターには、「フィット EV」搭載品を改良して利用した。 図4 システムの構成と部品サプライヤー。FC システムの小型化に向けて多くの部品を新開発した。低 コスト化のために従来の HV 向け部品などを多く共用化している。( )内は部品のサプライヤー企業 PHV などへの展開を前提にプラットフォームを開発したクラリティフューエルセルに対し、トヨタ自動 車の FCV「ミライ」では、プラットフォームを FCV 専用として開発している。 ある専門家は、「ミライでは既存の HV からより多くの部品を共用・流用しやすいプラットフォーム にすることで低コスト化を図っている」と分析する。共通プ ラットフォームの適用には、パワートレー ン部品の小型化など新たな開発が必要になるため、トヨタはプラットフォームを FCV 専用に開発する方 がコスト削減 に有効と判断したものと見られる。 ■燃料電池スタックを 33%小型化 FC システムをフロントフード下に収める上で不可欠だったのが、FC スタックの小型化と横置きへの対 応だった。先代の FCX クラリティでは、FC スタックが大きくフロントフード下には収まらないため、PCU やモーターとは別に、センタートンネルに配置していた。 従来は発電時に FC スタックで生成される水の排水性を高めるために、FC スタックを縦置きにしてい た。FC スタックをフロントフード下に収めるには、レイ アウト上、横置きにしたかった。新型 FCV では、 スタックを構成するセルにさまざまな改良を施すことでこれらの課題を解決した(表 2)。 表2 FC スタックの小型化、配置の自由度を高めるための取り組み FC スタックのセルは、水素と空気中の酸素を反応させる MEA(膜電極接合体)を、水素と空気の流路 (ガス流路)を成形したセパレーターで挟んで構成する(図 5)。MEA の中心には電解質膜があり、外側 に向かって順に「触媒層」「ガス拡散層」が並ぶ。 図5 燃料電池の構成。セルは水素と空気中の酸素を反応させる「MEA(膜電極接合体)」と、それを挟 むようにガス流路となるセパレーターを配置して構成する(ホンダの資料を基に日経 Automotive が作成) 水素が拡散して触媒によって電子と分離してできた H+(プロトン)が電解質膜に至るまでの層が「水 素極」。電解質膜を透過してきた H+が酸素と反応するの が「空気極」。水素極で発生した電子が外部 回路を通って酸素極へ至ることで電気が発生する。空気極では、酸素と H+と電子から水が生成される。 今回の FC スタックでは、ガス拡散層の空孔率を高めてガスの通りを改善するなどして、セルの発電 効率を高めた。さらに、加湿器によるセル内の加湿をよりき め細かく制御したり、エアーコンプレッサ ーによる空気の供給圧力を高めたりすることでもセルの発電効率を向上させた。加えて、MEA の電解質膜 を炭化水素 系の素材から水素の透過率の高いフッ素樹脂の素材に変更。フッ素樹脂系の電解質膜は過去 にも使用していたが、その後の進化を評価した。 これらの取り組みにより、セル 1 枚当たりの出力を従来比で 1.5 倍に高め、FC スタック内のセルの積 層枚数を 30%削減した。 さらにセパレーターのガス流路の溝の深さを浅くすることでセルを 20%薄くし、 FC スタック全体で 33%小型化した(図 6)。FC スタックの最高出力(103kW)と出力密度(3.1kW/L) から算出すると、FC スタックの体積は従来の 52L から 33L に減っている。 図6 セル 1 枚当たりの出力を 1.5 倍に高め、積層枚数を 30%削減した。さらにガス流路を浅くするこ とでセルを 20%薄くし、FC スタックを従来の 52L から 33L へと 33%小型化した(ホンダの資料を基に 日経 Automotive が作成) ■「水との戦い」制す FC スタックの小型化で最大のポイントとなったのが、セル内の湿度制御の改良だ。セル内の湿度を均 一に保つことで、セルの出力向上や薄型化を実現した。一 般に、セルは電解質膜が十分に湿っていない と、水素イオンの伝導性が悪くなる。しかし、湿度が高すぎると、セル内で水分が凝集してガス拡散性 が低下し発電 効率が下がってしまう。FC スタックの開発が「水との戦い」(本田技術研究所四輪 R&D セ ンター第 5 技術開発室第 4 ブロック主任研究員の菊池英明 氏)と言われるゆえんだ。 従来の FC スタックでは、セル内の湿度分布が不均一で、湿度不足の部分を補うために加湿を強いてい た。そのため、凝集する水分が多かった。そこで、凝集した水分を重力でガスの流路の下流へ流せるよ うに、同流路の下流が下にくる縦置きにしていた〔図 7(a)〕。 図 7 セル内の加湿と排水の仕組み(a)従来セルと(b)新型セルの場合。従来の方法では、生成水が 空気の流れに乗って下流にたまり、ガス拡散性が低下する ため、スタックを縦置きにして重力で排水し ていた。新型セルでは、水素と空気を対向させて流すことで、水分をセル内で循環させる。セル内の湿 度が均一になるので生成水が凝集しにくくなり、ガス拡散性が向上した しかし、これにより水分の排出性は高められるものの、 流路の下流にたまった水が、水素や空気の拡 散を妨害する。それにより、セルの発電効率が下がり、出力も安定しなかった。従来の FC スタックでは 次善策とし て、水でガス流路が詰まらないように流路の溝を深くしており、その分セルが厚くなってい た。 また FC スタックを縦置きにしなければならないという制約も、フロントフード下への収納をより困難 にしていた。 今回の FC スタックでは、水分をセル内で循環させる工夫により湿度を均一に保つように改良した。 具体的には、MEA を挟んで水素と空気を対向させて流すこ とで、セル内の水分が MEA を介して循環する ように工夫した〔図 7(b)〕。加湿器から空気極へ供給した水蒸気や、空気極で生成された水分は、空 気の流れ に乗って流路の下流へ移動するが、一部は空気極の下流と水素極の上流の湿度差から MEA を透 過して水素極側へ移動する。水素極側の流路に移動した水分は、 水素の流れに乗って逆向きに移動し、 同様に水素極の下流から空気極の上流へと拡散していく。これを繰り返すことで、セル内の湿度が均一 になる。 流路の具体的な配置こそ違うが、トヨタのミライでも同様の考え方で水分をセル内で循環させている。 両社の最大の違いは加湿器の有無だ。トヨタはミライの FC スタックに加湿器を用いていないが、ホンダ は始動時の電力の立ち上がりを良くする目的で、従来と同様に加湿器を搭載している。 さらに、クラリティフューエルセルでは、セル内の湿度に合わせて加湿の度合いをリアルタイムに制 御する「湿度フィードバック制御」も導入した。セル内の水分量を適切に保つことで、水分の凝集を抑 えた。 これらの工夫によって発電効率が向上、流路の溝も浅くでき、セルの薄型化が可能になった。さらに FC スタックの横置きが可能になり、フロントフード下へ収納できるようになった。 (日経 Automotive 佐藤雅哉) [日経 Automotive2016 年6月号の記事を再構成]
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