Page 1 こ際して ご退職に 1 岩松浅夫先生のご退職に際して 一九九四年

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岩松 浅夫先生 のご退職 に際 して
岩 松 浅夫 先 生 のご 退 職 に際 し て
菅
野 博
史
一九 九 四 年 四 月 よ り 創 価 大 学 文 学 部 人文 学 科 に 赴 任 さ れ 、 東 洋 思 想 史 、 サ ン ス ク リ ット語 を 担 当 さ れ てき
た 岩 松 浅 夫 先 生 が 本 年 三月 ご退 職 を 迎 え ら れ ま す 。 一九 入 八 年 に人 文 学 科 が創 設 さ れ た と き に は 、 三 年 次 の
配 当 科 目 と し てサ ン スク リ ット語 が 予 定 さ れ て いま した 。 当 時 、 創 価 大 学 教 授 で あ った岩 本 裕 先 生 が 担 当 さ
れ る予定 でし た が、 ﹃日本 佛 教 語辞 典 ﹄(
平凡社、 一九八八年) の校 正 の激 務 が た た った のか急 逝 さ れ て しま いま
し た 。 そ こ で、 私 は 友 人 の羽矢 辰夫 先 生 (
現在、青森公立大学教授) にお 願 いし て、 非 常 勤 講 師 と し て 一九 九 〇
年 か ら 二年 間 、 サ ン スク リ ット語 を 担 当 し て いた だ き ま し た。 羽矢 先 生 が青 森 公 立 大 学 に赴 任 さ れ た 後 、 岩
松 浅 夫 先 生 に 一九 九 二年 か ら 二年 間 、 非 常 勤 講 師 と し て サ ン スク リ ット 語 を 担 当 し て いた だ き ま し た。 ち ょ
う ど 、 一九 九 四年 か ら 人文 学 科 に イ ンド 仏 教 の専 任 教 員 を 迎え る 機 会 が あ り 、 上 に述 べた よ う な ご 縁 があ っ
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て、 岩 松 先 生 が 助 教授 と し て赴 任 さ れた の で した 。
岩 松 先 生 と 私 は、 東 京 大 学 文 学 部 の印 度 哲 学 印 度 文 学 専 修 課 程 の同窓 生 です が 、 年 齢 も 学 年 も 違 いま す の
で、 学 生 時 代 は ほと ん ど面 識 が ござ いま せ ん で し た。 し か し、 二 人 と も 大 学 院 を 修 了 し て か ら 、中 村 元 先 生
が創 立 さ れた (
財団法 人)東 方 研 究 会 の専 任 研 究 員 と なり ま した の で、 研 究 会 の行 事 のと き な ど に し ば し ば お
会 いす る よう に な り ま し た 。 そ の頃 は 、 同 じ 大 学 で 二十 年 の長 き に わ た って同 僚 と な る こ と な ど は 想 像 も つ
き ま せ ん でし た 。
こ こ で、 岩 松 先 生 の研 究 者 と し て の履 歴 を 簡 単 に ご 紹 介 さ せ て いた だき ます と、 岩 松 先 生 は 、 東 京 大 学 文
学 部 を 卒 業 後 、 大 学 院 に進 学 さ れ、 一九 七 九 年 に は 東 京 大 学 大 学 院 人 文 科 学 研 究 科 印 度 哲 学 専 門 課 程 を 満 期
退 学 さ れま した 。 そ の後 、 財 団 法 人 東 方 研 究 会 専 任 研 究 員 を 経 て、 前 述 し た と お り 、 一九 九 四年 四月 よ り本
学 文 学 部 助教 授 と し て赴 任 さ れ、 そ の後 、 一九 九 九年 四月 に教 授 に 昇 任 され 、 今 日 に至 って おら れ ま す。
岩 松 先 生 は、 大 学 院 に在 学 中 よ り 一貫 し て、 サ ン スク リ ット 語 、 パ ー リ 語 、 チ ベ ット 語 を 用 いた イ ンド 仏
教 の研 究 を 志 ざ し て こら れ ま し た。 パ ー リ語 仏 典 の研 究 、 ﹁阿 弥 陀 ﹂ の原語 の問 題 に つ いて新 説 を 発 表 さ れ た
こ と、 韻 律 の分 析 に基 づ いて、 ﹃
維 摩 経 ﹄﹃
月 灯 三 昧 経﹄﹃
法 華 経 ﹄﹃
十 地 経﹄ な ど のサ ン スク リ ット 語 経 典 の偶
頒 に 対 し てな さ れ た ご 研 究 は、 仏 教 学 界 に お い て高 く 評 価 さ れ て いま す 。 岩 松 先 生 のこ 学 風 は 、 厳 密 な 文 献
学 的 研究 を そ の特 徴 と し てお ら れ ま す が、 パ ー リ語 経 典 ﹃マ ハー パ リ ニ ッバー ナ ・ス ッタ ンタ﹄、 いわ ゆ る小
乗の ﹃
浬 葉 経 ﹄ の現 代語 訳 のご 出 版 もあ り、 一般 の読 者 にも歓 迎 さ れま し た 。
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岩松浅夫先生の ご退職に際 して
私 が 軽 い気持 ち で岩 松 先 生 に ﹃
法 華 経 ﹄ 方 便 品 のあ る偶 頒 に つ いて質 問 した と こ ろ、岩 松先 生 はな んと ﹁梵
文 ﹃
法 華 経 ﹄﹁
方 便 品 ﹂第 29 偶 に ついて1 和 訳 と 解 釈 を め ぐ ってー ﹂ と いう 一篇 の論文 をも って解 答 を 与 え て
く だ さ いま し た。 岩 松 先 生 の学 問 魂 に触 れ た 思 い で、 大 変 感 銘 を 受 け ま した 。 学 者 た るも の、 こ のよ う にあ
りた いと 思 いま し た。
岩 松 先 生 は 本 学 へ着 任 さ れ て 以来 、 教 育 に 関 し ても た い へんな ご 尽 力 を さ れ て こ ら れ ま し た。 と く に仏 教
思想 に 関 す る正 確 な 理 解 は学 生 の教 育 に大 き な 貢 献 を 果 た さ れ ま した し、 サ ン ス ク リ ット語 の教 育 に お い て
も 地 道 な 教 育 を 続 け て こら れ ま し た。 そ の謹 厳 実 直 な ご 人 格 に接 し て、 私 た ち 同 僚 、多 く の学 生 ・大 学 院 生
が得 たも のは き わ め て大 き なも のが あ ったと 思 いま す 。
岩 松 先 生 は 、 七 十 歳 を 迎 え ら れ る今 日 ま で、 決 し て多 作 では あ り ま せ ん が、 堅 実 に研 究 論 文 を 発 表 し 続 け
て こ ら れ ま し た 。 そ の集 大 成 と し て、 個 人 の論 文集 を 刊 行 さ れ る計 画 も あ ると 伺 って お り 、楽 し み にし てお
りま す 。
幸 い、 岩 松 先 生 は ご 健 康 に恵 ま れ て古 稀 を 迎 え 、 ご 退 職 さ れま す 。 今 後 は、 教 育 の義 務 、校 務 な ど か ら 解
放 さ れ 、 大 好 き な 学 問 研 究 に心 置 き な く 取 り 組 む こと が でき ると 思 います 。 今 後 とも 仏 教 学 界 、後 進 を 導 い
てく だ さ い。 長 い問、 あ り がと う ござ いま した 。