第4号(H28/ 7/ 1)

校長のつぶやき 第4号
平成28年7月1日
校 長 林 田 仁
懺悔(パフォーマンスの限界とは)
昭和55年4月に本県の体育教員として県立高校に赴任して以来、平成18年4月に行政職として県庁に転勤
になるまでの26年間、県立と市立の高校の陸上部顧問として多くの教え子達と接してきました。早朝や放課後
の練習はもとより、土日、祭日の練習や遠征・合宿を共にしながら、多くの大会にも出場しました。巣立っていっ
た卒業生たちは自宅に遊びに来たり、同窓会やグループの懇親会に誘ってくれました。担任として接してきた教
え子達から結婚式に招待されたことも幾度かありましたが、陸上部の教え子たちからも数多くの結婚式に招待さ
れました。それだけ、高校時代に一番熱心に取り組んだ活動への思い入れが強いのだと思います。
中でも平成5年度は私にとって指導者として最も輝き、数々のすばらしい思い出が誕生したシーズンであった
のですが、一方では自身の自覚がないところで起こり、数年後の教え子達との懇親会で判明した、恥ずかしくま
た、心が痛む出来事もあった年でした。
この年は2年半前に中学から預かった選手たちが私の予想を大幅に上回る急成長を遂げて、夏には男子3種
目で9名が東海予選を突破し、全国高校総体(宇都宮インターハイ)に駒を進めていました。そして記録的な冷夏
の中、ウォーミングアップに苦慮しながら400mハードル優勝、4×100mリレー準決勝進出の好成績を残すこ
とができました。そしてこの後、事件は発生します。10月、徳島県鳴門陸上競技場で開催された東四国国体秋季
大会陸上競技での出来事です。この大会には教え子の中から2名、インターハイで優勝したS君が同じ男子400
mハードルに、男子100mと4×100mリレーにK君が出場しました。現地で私は県民からインターハイ・国体の
2冠を期待されていたS君のサポートに没頭する中、並行してK君が出場する100mのレースも進行していきま
した。K君は秋風が立つ頃から上り調子で予選を楽々突破しました。そして準決勝を走る前、いつものように私
のもとへアドバイスを求めに来ました。「高校生活最後のレースだ、悔いを残さないよう全力で走ってこい。」・・・
と、こんなような指示を出した気がします。絶好調のK君でしたが僅差で準決勝敗退の結果でした。一方400m
ハードルのS君はなかなか調子が上がらず、「全力を出し切ろう。」の私の指示もむなしく、準決勝ではこの年初
めて他の高校生の後塵を拝して2着通過となりました。その夜は必死のマッサージとメンタルコントロールを施し、
翌日の決勝では、東海、県高校新の堂々たる走りで2冠を達成しました。
K君は卒業後、東海地区の会社に就職し、実業団選手として30歳近くまで現役を続けました。卒業後5~6年
が経った頃、K君やS君達の学年の教え子たちが集まった同窓会での事、アルコールが入って皆が賑やかに話
し出すと、K君が私の席へ来て話し始めました。「高3の国体の時、準決勝で先生はぼくに最後のレースだと言っ
た。あの時ぼくは、準決勝を通過して決勝を走るつもりだったのに。」・・・と。その後彼らとは何度も酒席を共にし
ましたが、K君に会うたびに当時の事が蘇り、心が痛みました。
時は下って平成21年、私は行政職として県の外郭団体に勤務し、スポーツ指導に関する仕事をしていました。
前年冬のある日、市内の高校に勤める先輩の体育教員から、「うちの陸上部に8種競技で有望な男子選手がい
る。面倒を見てくれないか。」との依頼がありました。私は、雪の残る頃からシーズン途中まで、数回にわたって
学校やメモリアルの補助陸上競技場に足を運んで、A君にハードルややり投、走高跳などの技術指導を補助さ
せていただきました。A君は県高校記録を連発しながら県、東海大会を通過して全国高校総体(奈良インターハ
イ)へ駒を進めました。幸運にも高校生支援の業務でその場に出張していた私は、7種目目の走高跳の指示を先
輩から依頼されていました。それまでの自己記録を大幅に更新しながらバーを上げていくA君に対して、1m83
cmをクリアーした直後に私は不覚にも「もう限界だ、暑さも厳しいし、8種目目の1500mに備えて体力を温存す
るため次の高さを棄権したらどうか。」と指示を出しました。するとA君は目を輝かせながら「まだいける気がしま
す。次も挑戦したいと思います。」と答えました。その後A君は1m86cmに成功し、総合7位入賞の快挙を成し遂
げたのです。・・・A君はその後先輩や私の母校の大学に進んで努力を重ね、10種競技でインカレ入賞を果たし
ました。卒業後は本県に体育教員として採用され、赴任先の高校で頑張っています。昨年度は、練習不十分の中
教員の立場で日本選手権に出場して見事県新記録を樹立して入賞しました。有望な若手指導者です。
◇
私は指導者として、これまで一度ならず二度までも人の限界を勝手に定め、それを押し付けてしまう大失態を
犯してしまいました。人の成長や技術の伸びと、その結果として得られる成功や勝利は、高い目標の設定と強い
モチベーションの持続によって成し遂げるのだと思います。人が自らの限界を自身で設定してしまうことが伸びを
阻む大きな要因であるならば、指導者(教師・コーチ)は、そのストッパーを取り去ってあげようと最大限の努力を
惜しまないことこそが最高の教育であり、コーチングではないでしょうか。