ダウンロード - Researchmap

ドゥルーズ=デランダの「双対性」、「準‐
原因作用子」、「問い‐問題‐解の区別」
にかんする思想史的一考察
ロトマン、カヴァイエス、グランジェにおける
「問題」、「概念」、「操作」、「双対性」
近藤和敬(鹿児島大学法文学部)
第7回内部観測研究会
3月2日、3日
理化学研究所和光キャンパス池之端研究等3F
2013/3/2
第7回内部観測研究会
1
発表の概要
• 郡司氏のデランダ=ドゥルーズの解釈が、デ
ランダのドゥルーズの解釈のモデルたりえて
いることを確認したうえで、ドゥルーズの議論
の源泉になっているエピステモロジーの数学
的経験の議論にさかのぼり、郡司氏の具体
化とは別経路で、それと適合的な議論を再構
成する。その過程で、「問題」と「準因果作用
子」および「双対性」の諸概念を具体的に検
討する。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
2
郡司氏のデランダ解釈
①「因果律、すなわち可能性―必然性(結果)の軸に対して、準因果作用子
を導入し、因果律と準因果作用子の接合において潜在性を構想し、こうして
初めて潜在性―現実性を炙り出す」群司幸夫「ポスト複雑系」『現代思想 と
特集:現代思想の総展望』2013年1月号, p.77.
②「デランダは、可能性―必然性の軸が、現実化・脱現実化という二つの変
換によって構成される双対空間であると説き、双対性のモデルとして方程式
を立てること・解くことの双対性を示すガロア理論を取り上げる」Ibid, p.77-8
③「デランダは、この双対空間が、数学者によって一般にアジャンクションと
呼ばれるもので、自然科学者の方法論とは、たかだかアジャンクションを見
出すことである、と述べる。」Ibid, p.78
④「双対空間自体の内側とその適用されない徹底した外部、すなわちさまざ
まな双対空間スペクトラムを横切る、多様性の軸が導入される。この軸こそ、
デランダの唱える準因果作用子だ。それは、アジャンクションの多様性であ
り、アジャンクションをダイナミックに変質させる、特定の双対空間外部とな
る」Ibid, p.78
⑤「デランダはただ、科学はアジャンクションに留まり、準因果作用子の展開
こそがドゥルーズの業績だったと説くだけだ」Ibid, p.78
2013/3/2
第7回内部観測研究会
3
群司氏の解釈に対応するDelanda
2001の箇所
Manuel Delanda, Intensive Science and Virtual
Philosophy, Continuum, 2001.
①pp. 126-7 ?
②pp. 124-5. pp. 182-3.
デランダの主要な参照箇所:
『意味の論理学(上)』, p 216/『差異と反復(下)』, pp. 40-5
③pp. 182-4.
④pp. 187-8
2013/3/2
第7回内部観測研究会
4
デランダの「準-因果作用子」の規定
• ドゥルーズの『意味の論理学』に登場する概念。物体因果とは別の、意味
にかんする因果作用。意味の発生と分岐、消滅と生成に関わる。
• 郡司氏の解釈にたいして付け加えるべき点は次の二点
– デランダは、準‐因果作用子に〈二つ〉の働きを認めている。一つは、郡司氏
が指摘するように、問題‐解の双対の外部へといざなう軸(これをデランダは
「無作為抽出点」および「逃走線」と同一視しており、準‐因果作用子の「第二
の役割」[second task, p. 133]と呼ばれる。 また「反‐現実化」counteractualizationに対応)。もう一つは、問題の確定、すなわち、「点の添加
(adjunction:アジャンクション)」によって問題=可解性⇔解という双対を形成
可能にする役割(これをデランダは「暗き先触れ」と同一視しており、「第一の
役割」と呼ぶ。また「前‐現実化」pre-actualizationに対応。対称性崩壊のカス
ケードが対応するのもこちら)。この二重性をどう解釈するかがここでの問題。
– デランダは、「時間における潜在性の現実化」の章で、上記二つに関する時
間を、両方とも、「時間の潜在的形式」と呼んでいるように思われること。そう
すると、やはり時間は、三つ(物体の系列、出来事の分岐系列、無作為抽出
点の回帰)に分ける必要があるのか否かが問題になる。つまり、問題→可解
性の過程も、双対の外部である「潜在性」とは別の、二次的な「潜在性」に属
し、「可能性」は、「解」と双対になった「可解性」においてはじめて規定される。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
5
準‐因果作用子の二つの役割①
• 第一の役割:問題の確定。問題の確定の例としては、ガロア理論、
あるいはfield theoryにおける添加adjunctionによる場の拡大(拡
大体の構成)。割り振られた特異性が部分分割によって漸次的に
規定される過程。
– 郡司氏はこれを一気に圏論の随伴函手[adjoint functor]による双対
関係にまで拡張解釈している。デランダはこれは言えてないし、ドゥ
ルーズも言っていないし、ドゥルーズの元ネタになってるヴュイユマン
とロトマンも明示的には言っていない。が、歴史的には再構成できる
ように思われる。おそらくエルブラン、ロトマン、カヴァイエス、ヴュイユ
マン、グランジェらのガロア理論とフォーマルシステム研究の後にあ
るグロタンディークのガロア圏の研究がミッシングリンク?
• この「添加」(アジャンクション)の過程によって、「解」の存在と「可
解性」の存在を同一視することが可能になる(ならない場合は擬問
題と呼ばれる)。
– 郡司氏は「可解性-解」の関係を「可能性-必然性」の関係に読み
替えており、その間の関係(「現実化」-「前‐現実化」)を、「現実化」、
「脱現実化」と呼ぶ。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
6
準‐因果作用子の二つの役割②
• 第二の役割:可解性となるべき問題を規定する特異性の
割り振りそのものをやり直す過程。「命令=問い」、「賽の
一振り」、「無作為抽出点」、「大文字の出来事」、「逃走線」、
「着衣の反復」に対応する。また、第一の役割が「前‐現実
化」に対応していたのに対して、こちらは「反‐現実化」
[counter-actualization]に相当する。
– 問題は、郡司氏も指摘するように、この「準‐因果作用」の第二
の役割を、ドゥルーズもデランダも具体化できていないところに
ある(相対的に第一のものは容易にできるので、デランダの話
はそちらに終始している感が否めない)。
– 「準‐因果作用子」の「反‐現実化」の「操作」をどうやって、経験
の次元において具体化するのか(実際にモデルを構成するわ
けではなく、それを記述のレベルで再現することまでが目標)、
がここでの問題。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
7
郡司氏による「準- 因果作用」の第二
の役割の具体化
• 「わたしは準‐因果作用の最も強力なモデルは、非同期時
間であると考えている。双対空間に因果律を見出すとき、
それは一つの時間発展を司る装置となる。最も単純には、
ある因果律に従うエージェントだと思えばよい。したがって、
その多様性に関する軸――準‐因果作用子は、様々な時
間軸、様々なエージェントということになる。複数のエー
ジェントが、時間を非同期に進めるとき、各エージェント(各
双対空間)に認められる二つの変換は平行関係に置かれ
ず、斜交することになる。つまり或るエージェントにとって
の現実化と別のエージェントにおける脱現実化が斜交す
ることになる。それは未来だったものを過去とする時間の
進め方(現実化)と、過去となったものから未来を見出す予
期(脱現実化)の邂逅が、エージェントの間のいたるところ
で実現されながら時間が進む現象となる。」p.78-9.
2013/3/2
第7回内部観測研究会
8
問題論の系譜
• 「数学的経験」と「問題」(ロトマンとカヴァイエス)
• 「可解性」と「超越論性」(ヴュイユマン)
• 「操作‐対象の双対性」と「形式的内容」としての「問
題」あるいはライプニッツの「曖昧な記号」(グランジェ)
• ここでは主にカヴァイエス(Jean Cavaillès, 1903-1944)
とグランジェ(Gilles-Gaston Granger, 1924-)の議論だ
けをとりあげる。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
9
Ⅰ数学の生成、数学的経験①
• カヴァイエスの主張するところ:数学=生成
• 「数学は特異的な生成をなしている。数学を数学自身以外のいかなるも
のにも還元することが不可能であるだけでなく、それぞれの時代におい
て与えられるどんな定義も、その時代に対して相関的でしかありえない。
すなわち、歴史とは到達 (l’aboutissement)なのである。永遠の定義は存
在しない。数学について語ることは、数学を作り変えること以外ではあり
えない。この生成は自律的なように思われる。認識論者(épistémologue)
は、歴史的な偶然事の下に必然的な連鎖を見出すことが可能であるよう
に思われる。導入される用語は、問題の解決によって要請されており、先
に存在している用語のなかにその新しい用語が現れることによって、今
度はその新しい用語が新しい問題を打ち立てることになる。真なる生成
が存在する。数学者は、恣意的にしか立ち止まることのできない冒険の
中に、そして各モメントで、数学者に根本的な新しさを与える冒険の中に
巻き込まれているのである。」(Cavaillès 1939)
– 「数学は生成である」:数学の「内部観測」的規定?
– 数学の諸概念の間の「必然的な連鎖」=「準‐原因作用子」の系列?
2013/3/2
第7回内部観測研究会
10
Ⅰ数学の生成、数学的経験②
• 「問題を解決することは、経験のすべての徴表を備えている。構成は、可
能な失敗という制裁を被る一方で、規則に従って遂行され(すなわち、再
現可能reproduisibleであって、したがって非‐出来事non-evenementであ
る)、最終的には感性的なものの中で展開される。操作と規則はすでに
存在する数学的体系に相関的にしかその意味をもたない。それが思考さ
れている限り――すなわち感性的なものから(もっとも基本的なものから
始まる数学的振る舞い同士の間の連続性によって)規則的に組織化され
ている限り――、数学体系ではないような実効的に思考されている表象
は存在しないのである。」(Cavaillès 1939)
• 「再現可能」で「非‐出来事」の経験=非‐物体的なものの経験:ドゥルーズ
の用語に翻訳すれば、「準‐原因作用子」の「経験」、「概念の経験」。
• 「操作と規則」に「意味」を与えるのは、数学の歴史総体:そしてこの歴史
的総体が「問題」を要求するのだから:ドゥルーズの用語で言えば、事物
と命題の対応(≒「操作と対象の双対性」)ではなく、それを要求する「問
題」が、その「意味」を構成するということになる。
• 「思考可能性」としての「数学的体系」(=双対性)。しかし、その背後にあ
る「問題の提起」‐「問題の解決」という別の軸の存在。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
11
Ⅰ数学の生成、数学的経験③
• 「対象の存在は、方法の現実化に相対的であり、そうであるので、非範疇
的であるが、常に実効的な思考の基本的な経験に依存する。公理によっ
て(あるいは無からの生成によって)徹底的な記述が可能であるというま
ぼろしは、スコーレムのパラドックスによって取り去られたのだが、それは
解説と真正の思考との間の必然的なずれによって説明される。この真正
の思考、あるいは方法の中心的直観は、それが表現されるために、完成
された数学(継起的に現れるあらゆる要求の説明)を要求する。対象は、
弁証法的に展開する諸段階の諸表象の中への投射projectionを描きだ
す。すなわち対象に対して、毎回、方法それ自身によって条件付けられ
る要求の標識ciriterというものが存在する(例。超限帰納法に固有の明
証性)。したがって、対象は、即自的にあるのでもなく、空虚な世界の中
にあるのでもなく、認識作用の実在性そのものなのである。」(Cavaillès
1939)
– 「操作と対象の双対性」(カヴァイエスversion):操作と相関的なものとしての
対象
– 対象の非範疇性:対象の全体をあらかじめ確定することができない:操作を
網羅的に、あらかじめ対象と双対になるように定義することはできない。
– 解説と真正の思考のあいだのずれ:可解性と問題のあいだのずれ:問題が、
数学の完成を要求し、それによって、対象はあらたに条件づけられる。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
12
Ⅱ「理念化」と「前‐現実化」:可解性の
場の構成①
• 数学的経験(問題を提起し、その問題の要求に
応える仕方で、一般化を行い、その結果として解
を手にし、また一般化を行う際に手にしたあたら
しい用語によって、新たな問題が提起されるとい
う経験)の特定できる二つの「型」
– ①「主題化」:操作‐対象対の概念による創設
– ②「理念化」:理念的要素の添加による可解性の場
の構成(直観的な場の概念による拡張)
• まずは②が、可解性の場による双対性の確立として解釈で
きることを確認する。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
13
Ⅱ「理念化」と「前‐現実化」:可解性の
場の構成②
• 「第二の手続きは、ヒルベルトによって名づけられた理念化、あるいは理
念的要素(イデアル・エレメント)の添加〔adjonction d’éléments ideaux〕で
ある。この第二の手続きは単純に、偶然的に何らかの外的な状況に制限
されている操作の遂行を、この外的な制限から自由にするよう要求する
ことから成り立っている。この外因的な制限は、もはや直観の対象と一致
しない対象体系の設定によって生じた制限である。そのような例として、
数という用語はさまざまな仕方で一般化がなされている。」(Cavaillès
1939)
• 例①デーデキントのカットによる無理数の導入
• 例②非ユークリッド幾何における無限遠点の導入
• 例③ガウスによる複素数平面による虚数(複素数)の導入
– これらはすべて、場の拡大(adjonction)による「可解性」の場の構成として理
解できる。
– 個別の解(例:個別の方程式の解)ではなく、可解性(例:特定の次数の方程
式の代数的解法:ガロア以前の可解性)の場によって問題の措定可能性そ
のもの(特定の次数の具体的な方程式を立てること:ガロア以前の問題措定
の可能性)を置き換えてしまうこと。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
14
Ⅱ’数学の生成と理念化の関係①
• カヴァイエスの議論は、数学の生成を駆動するものの一
部に、このような可解性の要求とその実現(理念化)があ
るにもかかわらず、それが完全には実現されないことこそ
が、数学の本質であると考えている(これが「数学は生成
である」ということの本義)。
• このことを、カヴァイエスは、ヒルベルトプログラム(ある種
の可解性要求の公理系版)の破綻において見てとってい
る。
• 重要なのは、たんに数学は生成であると述べるのではなく、
それの不可欠な一部に、このような可解性要求とその部
分的な実現が位置づけられていることである。この両義性
が重要であり、デランダ=ドゥルーズの言う「準‐因果作用」
の二つの役割と重なる点でもある。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
15
Ⅱ’数学の生成と理念化の関係②
• 思想史的に重要なのは、明らかにガロア理論の場の拡大(カヴァイエスは、
エルブランと親しく、彼の初期(博士論文)のガロア理論研究をよく研究していたし、
デーデキントの抽象代数論について、ネーターのところで研究していた)の話と、
デーデキントからヒルベルトに受け継がれた「理念的要素の添加」の方
法、そしてデーデキントの「数学者は神の種族である」という発言を結び
つけつつ、考えているのは、カヴァイエスであるということ。 (Cavaillès
1938)で実際に、デーデキントの「神の種族」発言を引用している。
• つまり、デランダが引用している『差異と反復』(下)「第四章:命令と賭け」
での以下の箇所の元ネタは、カヴァイエスにあるということ。
• 「そしてこのフィアットが、わたしたちを貫通するとき、わたしたちは半‐神
的な存在に仕立てあげるのである。かの数学者〔=デーデキント:ドゥ
ルーズは伏せている〕が、自分は神の種族であるとすでに言っているで
はないか〔=ウェーバー神父への手紙1888年1月24日付:Dedekind oc. T3,
p.484〕。解かれるべき問題の本性に基づいた決定の能力は、〔〈体〉の〕
添加と〔特異性の〕凝集という二つの基本的な技法において最高度に行
使されるのである。なぜなら、ひとつの方程式が可解であるかどうかは、
つねに、かの数学者〔=デーデキント〕によって付加されたイデア的な
〈体〉に関連させて決定されるからである。」(ドゥルーズ2007b, p.84)。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
16
Ⅲグランジェの「操作‐対象の双対性」
との関係①
•
•
•
それでは、いかにして問題は発生するのか。
グランジェ(Gilles-Gaston Granger)の「操作‐対象の双対性」(彼は、カヴァイエス
の弟子)が示唆的である。
「もっとも広い意味で理解された形式と内容の対立は、明らかに、記号的思考に
とって本質的である。より厳密な仕方で言えば、記号的思考を定義したような双
対性のカテゴリーは、記号論symbolismeの根本的可能性の条件である。双対性
原理の行使によって、現象の知覚的な把握は、対象措定の働きと、暗に――そし
ておそらくは隠伏的に――確立される操作体系とによって二重化される(その対象は、
――未規定なものであるかぎりでは――支持体であると同時に――経験の規定作用である
かぎりは――産出物でもある)。対象的契機と操作的契機のこの双対的二重化こそ
•
が、経験の断片にたいして、意味するものという位階をあたえるのである。」
(Granger 1994b, p. 57)
「たとえば、群という語は、最初は、数的対象――つまり代数方程式の根――に働
きかける合成可能で可逆な置換システムとして出現した。そのときには、〔根のあ
いだでの置換という〕操作を支配している諸規則のゲームこそが際立たせられて
おり、それをもちいることで、ガロワとラグランジュの理論のなかで、諸対象を規定
することができるのである。これに続いて、抽象群という用語がケーリーによって
明示的に解き放たれる。そこにおいて今度は、合成法則を具えた任意の対象系
が考察される〔先の主題化〕。この双対的な観点によって照らされることで開かれ
た概念的な拡張が、観念と先行する結果の総合を可能にしたのであり、それが
「現代代数学」を構築することになるのである。」(Granger 1994a, p. 39)
2013/3/2
第7回内部観測研究会
17
Ⅲグランジェの「操作‐対象の双対性」
との関係②
• 「操作‐対象の双対性」は、基本的に「可解性」と
「解」のあいだの双対性として考えることができる
(郡司氏が言うように、双対性が完全に成り立っ
ている場合、どちらか一方だけで足りる)。
• グランジェのこの用語の重要な点は、この「可解
性」‐「解」の双対性を、数学において実現された
記号系の「操作‐対象の双対性」に読み替えたう
えで、そこに不可避に介入する「形式的内容」と
して問題の一つの条件を定式化したこと。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
18
Ⅲグランジェの「操作‐対象の双対性」
との関係③
• 「グランジェは、この「形式的内容」を、これまでに論じてきたような「問題」
に近い意味合いで議論している。「形式的内容は、しばしば、もとの体系
を拡張する操作的展開にたいする障碍としてあらわれる」(Granger
1994b, p. 65)。実際にグランジェは、この「形式的内容」の具体例として、
三次方程式にかんするカルダーノの解法が要求する「虚数」という概念
についての議論を提示している。つまり、負の数の平方根にかんする存
在問題である。これは、方程式を代数的に解くという方法において、ごく
自然に負の数の平方根が要請される(三次方程式の解が三つあることが示唆さ
れているのに、そのうちの二つが負の数の平方根になる場合があるため)が、そのよう
な数は存在しないし、そのような数が存在するということの正当化もでき
ない。そのようななかにあって、数学者たちはそれを「不可能なもの」
impossibles、また「想像的なもの」imaginaireと呼ぶことで、正当化なしに
受け入れるという時代が約二世紀のあいだ続いた。そのあとでようやくガ
ウスが、このいわゆる虚数というあたらしい対象を幾何学的に表示する
記号系(複素平面)を案出することで、「最終的にその対象に適切な位階
をあたえ、代数学の操作系とこの操作が規定しかつとりあつかう対象系
とのあいだの無矛盾な一致をふたたび確立したのである」(Granger
1994b, p. 65)。」(近藤 2013, 8章)
2013/3/2
第7回内部観測研究会
19
Ⅲグランジェの「操作‐対象の双対性」
との関係④
• 「形式的内容」の例
– (アリストテレス的設定=数と幾何の類的区別における)数と幾何:面積計
算:操作・対象の双対化。形式的内容=「共約不可能数」→連続体への数の
拡大の要求
– 方程式とその根:操作・対象。形式的内容=虚数の添加の要求
– デーデキントカットと連続量。形式的内容=無理数の添加の要求
– 因数分解と素数。形式的内容=イデアルの添加の要求
• わかること
1.「形式的内容」の記号論的条件:既存の仕方で意味が与えらない対象につい
て操作が存在するがゆえに記号としてのはかけてしまう:cf., ライプニッツの「曖
昧な記号」→ドゥルーズの「ガバン語」:デランダの「準‐原因作用子」の例
2.常に操作の側に過剰がある:関数の定義(冪集合)を考えればよい?
• 問題
1.操作はどこからくるのか。
2.双対性の成立と破綻(:ドゥルーズの用語で「特異性のセリーの収束と発
散」)のあいだの境界条件はどのようなものか。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
20
Ⅳ問題1に対する回答①
• A.操作はカヴァイエスの言う「主題化」によって措定される。
– 「私は第一の手続きを一般に、主題化と名づけた。すなわちモ
デルあるいは個体の場の上で遂行される振る舞いは、数学者
がその振る舞いを新しい個体の場として考えることで、その上
で作業をする個体と考えられることができる。例えば、位相変
換の位相がある。そして他の例も見つけることができる。この
手続きは数学的反省を重ね合わせることを可能にしてくれ
る。」(Cavaillès 1939)
– かつての概念(関係性)を、それが結びついていた対象から切
りはなすことで、構成的規則として再生すること。
– 「主題化」によって構成される場を「主題野」と呼ぶ。
• 例、群、ベクトル、行列式、超限順序(極限の構成規則化)、反復的
集合
• 対象は、個体の場において遂行される操作に相関的である。しかし、
それが措定された時点で、双対性が成り立っていることは必要ない。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
21
Ⅳ問題1に対する回答②
• 「主題化」による「操作‐対象」の措定の任意性をどのように制限す
るのか。
– 問題の要求への応答によって。
– なぜなら、これがあらたに措定される形式的な「操作‐対象」対にたい
して意味を可能にするから。「問題」を伴わない操作は無意味である。
• 例。写像の主題化(対象としての集合:濃度)
– 操作の設定(写像の主題化)と、操作される対象(濃度)の設定は同
時。
– 操作の展開による対角線論法のパラドックスの発生(操作の側の過
剰)
– 可解性の要求(理念化):非可算濃度の導入
– 集合構成規則の主題化による抽象集合論の展開
– 操作の展開による巨大集合のパラドックスの発生
– 可解性の要求(クラス理論、タイプ理論、・・・)
• 「操作‐対象の双対性」の崩壊と再生の反復
• 「新しい点の添加」(理念化)による「可解性の場」の漸進的規定
2013/3/2
第7回内部観測研究会
22
Ⅴ問題2にたいする回答①
• 「双対性の成立と破綻の境界条件は?」
• A.「他者の分身」(ドゥルーズ=トゥルニエの意味で)によっ
て決まる:「他者‐構造」を共有しない「他者の分身」として
の他者。
• 「他者‐構造」は、「可解性」‐「解」の双対性として読み替え
ることができる。
• 「他者とは場の総体の条件となる構造である。そして、先
のカテゴリー(=形態‐背景、奥行き‐横幅、テーマ‐ポテン
シャル、輪郭‐対象統一性、縁‐中心、テクスト‐コンテクスト、
措定的‐非措定的、繊維状態‐実体部分など:引用者による
補足)の構成と適用を可能にして、場の総体の作動の条
件となる構造である。知覚を可能にするのは、自我ではな
く、構造としての他者である。」(ドゥルーズ 2007, p. 238. 傍
点ママ)
2013/3/2
第7回内部観測研究会
23
Ⅴ問題2にたいする回答②
• 「「他者‐構造」という概念を導入することによって可能になるのは、主体と
客体のあいだの、あるいは「知覚の素材」とその素材にたいして「行使さ
れる主観的な総合」とのあいだの二元論〔可解性の双対〕を不徹底なも
のとして退け、「知覚的な場の中の「他者構造」の効果と、その不在の効
果(他者がいない場合の知覚の有り様)の間にある」(ドゥルーズ 2009, p.
237)「真の二元論」を発見することである。」(近藤 2013, 6章)
– 解と可解性の二元論ではなく、可解性の成立と破綻という二元論:準‐因果作
用の第二の役割の軸:潜在性―現実性の軸。
– 「この「真の二元論」は、「ミシェル・トゥルニエと他者なき世界」の議論では、
「大地」と「空」のあいだに、つまりは、「深層構造」に囚われた「モデル」と、
「天空」的な「表層」のうえでその固有の価値を取戻し、永遠に回帰し、永遠
の現在を生きる「シミュラークル」(=「幻影」)の解放のあいだにある。あるい
は、正常な成人男性と犯罪的な倒錯者からなる近代社会と、他者を経由しな
い純粋な倒錯性を開花させる無人島のあいだの二元論である。しかし同時
に、この同じ二元論は、『差異と反復』では、「対象と主体」という質と延長から
なる「個体」と、「強度的セリーのなかにあるかぎりでの個体化の諸ファクター
と、《理念》のなかにあるかぎりでの前個体的な諸特異性」(ドゥルーズ 2007,
p. 294)のあいだの二元論に対応しているように思われる。つまり、「他者‐構
造」の喪失の効果とは、すなわち、この「真の二元論」的世界において、「解」
から「問題」へと遡行することを可能にすることにある。」(近藤 2013, 6章)
2013/3/2
第7回内部観測研究会
24
Ⅴ問題2にたいする回答③
• このような「他者‐構造」の喪失:潜在性の軸の出現は、いかにして
起こるのか。
• ミシェル・トゥルニエ『フライデーと太平洋の冥界』の場合:同じ無人
島において、別の世界を生きているフライデーとの邂逅
– 可解性は、近代的価値と認識:可解性双対の成立と病気(神経症、
精神病)との関係?
• アルシフロンとユーフラノの対話(バークリ『アルシフロン』):「現に
見ているもの」と「真にあると思われているもの」との一致を認めな
いユーフラノとの対話
– 可解性は、日常的な知覚の理解:見ているものは見られているもの
である。それにたいして、ユーフラノは、見ているものは見ているもの
でしかなく、それ以上のものはないとする。
• カントールとデーデキントの対話:多次元連続体を写像によって一
次元連続体に対応付けられるという証明によって、次元概念の不
完全性を訴えるカントールとの対話
– 可解性は、次元とは関数の独立変量であるというそれまでの常識
2013/3/2
第7回内部観測研究会
25
Ⅴ問題2にたいする回答④
• 三つの例の共通点:「解けているはずの問
題」(可解性)を「実は解けたことにしないでお
くこともできる」という状態に送り返す「他者」
(分身としての他者)との邂逅。
– アガンベンはこれを「潜勢力」(問題を解くことの
できる能力」から区別して「非の潜勢力」(できるこ
とにすることもできないことにすることもできる能
力」とした。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
26
Ⅴ問題2にたいする回答⑤
• 「他者‐構造の喪失」あるいは動揺を促す「分身として
の他者」(他者の分身)を可能にするものは何か。
– 「根源的不定性」としての「自然」(スピノザの神)、ドゥ
ルーズの言う「幻影」(ファンタスマ)
– これによって、「分身としての他者」の「多数性」が条件づ
けられる。
– そして、現実的には、そのような「多数者」としてあらわれ
る「他者」のあいだの交接によって、準‐因果作用子の第
二の役割が生じる。
– これを意図的に構成するのが、最近の科学技術人類学
(ラトゥールの「翻訳」概念、マリリン・ストラザーンの「部分
関係」、ヴィヴェイロス・デ・カストロの「多自然主義」など)
2013/3/2
第7回内部観測研究会
27
まとめ①
• 例:問題:代数方程式はどのように解けるか
• 「主題化」による「操作‐対象」の弱い紐帯の構成:係数の操作による根
(対象)の構成
• 「操作」の全体性を俯瞰したときに生じる対象との不一致:「虚的なもの」:
負の数の根の操作の存在:対象系の観点からは無意味。
• 「理念化」による対象の場の拡大(理念的要素の添加):虚数の正当化
• 可解性と解の間の双対性の成立:解の公式と解の対応:問題の可解性
への解消
• そもそもの問題と可解性に一致した問題とのあいだの齟齬:そもそも代
数方程式が公式で解けるとはどういうことか:5次以上の方程式の公式の
不在が要求する別の次元の問題への遡及
• あらたな「主題化」:係数計算の環(操作)と根の拡大体(対象)の措定
• あらたな「理念化」:環のあいだの変換群と拡大体の系列の対応
• あらたな問題の可解性への問題の解消と、さらなる問題への遡及
2013/3/2
第7回内部観測研究会
28
まとめ②
•
•
問題を引き起こす齟齬は二つ
①問題への応答によって措定された操作系と対象体系のあいだの齟齬が引き起
こす問題(「形式的内容」)
– これは二次的問題に過ぎない?例:虚数:理念化によって個別的な解から可解性の場への
「前‐現実化」が生じるきっかけとなる。
•
②問題が可解性に解消されたときに、それによって遡及する問題の分割spliting
が生じる:問題を解けていないことにすること。まとめ①で言うと、公式ができた後
で、〈そもそも〉代数方程式を解くとはどういうことなのか、ということがわかったわ
けではないという問題を、可解性の場から切りはなすこと。これが新たな「主題
化」を要請する(「非の潜勢力」)。可解性の場は、このような「分身としての他者」
によってはじめて動揺する。
– カントールの例で考えると、多次元連続体を一次元連続体に移す写像の証明が、この「他
者」の役割を担っている。問題の分割を引き起こすような類の証明とは他にどのようなもの
があるのか?むしろ、証明することによって問いが深まるということ。
•
つまり、「潜勢力」(可解性としての問題)と「非の潜勢力」(解けない問いとしての
問題)への分岐:これが、「準‐原因作用子」の第二の役割であるところの「反‐現実
化」の作用。
– ドゥルーズが言うところの、「賽の一振り」、「無作為抽出点」による「特異点」の「割り振り」の
し直し。つまり「問題」の立て直し。これは、問題を可解性へと導く、「準‐原因作用子」の第一
の役割(特異点の凝集)とはまったく異なる。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
29
まとめ③
• 重要なのは、解けてない問題と解けた問題の分岐が、
可解性への問題の解消によってはじめて生じるという
こと。
• つまり、準‐因果作用の二つの役割のうち、第一の役
割(:特異点の凝集:問題の漸次的規定)が、第二の
役割(双対性の外部への逃走)を条件づけているとい
うこと。
• 第二の役割さえもが、まさに経験(「数学的経験」)に
おいてあらわれるということ。
• 根源的不定性の永劫回帰、無垢なる生成。
• エピステモロジーは、この無垢なる生成を記述におい
て反復することを目的とする。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
30
引用・参照文献
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
アガンベン、G.[2009]、『思考の潜勢力』(高桑和巳訳)、月曜社、二〇〇九年。
金森修編著[2013]、『エピステモロジー――二〇世紀のフランス科学思想史』、慶応大学出版会、二〇一三年。
Cavaillès J. und Noether E. (Herausgegeben von), Briefwechsel Cantor-Dedekind, Hermann, Paris ; trad. en français
et reéd. dans Philosophie mathématique, Hermann & Cie, Éditeurs, 1937; repris. dans Cavaillès[1994].
Cavaillès J.[1939], « La pensée mathématique (Conférence donnée avec A. Lautman à la Société française de
Philosophie en 4 février 1939) », Bulletin de la Société française de Philosophie, 1946, t. 40, n. 1, pp.1-39, reprise
dans Cavaillès[1994], pp.593-630.(引用頁数はCavaillès [1994]より)
Cavaillès, J. [1938a], Méthode axiomatique et formalisme-Essai sur le problème du fondement des mathématiques,
Série “Actualités Scientifiques et Industrielles”, n. 608–610, Hermann, Paris, 1938, reéd. sous le même titre avec
préface de H. Cartan et une introduction de J.-T. Desanti dans Cavaillès 1994, pp. 13-202.
Cavaillès, J.[1994], Œuvres complètes de philosohie des sciences, Hermann, 1994
Granger, G.-G.[1994a], « La notion de contenu formel », dans Formes opérations objets, pp. 33-52, Librairie
Philosophique J. Vrin, 1994a:初出はInformation et signification, Brest nov. 1980, pp. 137-163.
Granger, G.-G.[1994b], « Contenus formels et dualité », dans Formes opérations objets, pp. 53-69, Librairie
Philosophique J. Vrin, 1994b:初出はManuscrito, São Paulo, 1987, pp. 194-210.
小林道夫[2000]、「現代フランスの認識論の哲学―─G・G・グランジェの哲学を中心に」、『哲学研究』、第五六九
号、二〇〇〇年、pp. 71-104。
近藤和敬[2011]、『構造と生成I カヴァイエス研究』、月曜社、二〇一一年。
近藤和敬[2013]、『数学的経験の哲学――エピステモロジーの冒険』、青土社、二〇一三年。
ドゥルーズ、G.[2007a]、『差異と反復 上』(財津理訳)、河出文庫、二〇〇七年。
ドゥルーズ、G.[2007b]、『差異と反復 下』(財津理訳)、河出文庫、二〇〇七年。
ドゥルーズ、G.[2009]、「ミシェル・トゥルニエと他者なき世界」、『意味の論理学〈下〉』(小泉義之訳)、河出文庫、
二〇〇九年、pp. 225-259。
トゥルニエ、M. [2009]、『フライデーあるいは太平洋の冥界』(榊原晃三訳)、世界文学全集 II-09、河出書房新社、
二〇〇九年。
ラトゥール、B.[2008]、『虚構の「近代」――科学人類学は警告する』(川村久美子訳)、新評論、二〇〇八年。
2013/3/2
第7回内部観測研究会
31