中日比較文学研究 「中国語」とは何か 課題論文① 課題論文① 村田雄二郎(2005)「漢字圏の言語」村田 雄二郎・C.ラマール編『漢字圏の近代―こと ばと国家―』東京大学出版会 著者紹介 村田雄二郎(むらた ゆうじろう) 〔1957― 〕 東京大学総合文化研究科教授。中国哲学、近 代中国史。 「漢字圏の言語」論構成 1.国語とナショナリズム ■特定のことばが特定の集団(国家や民族)の集合意識(アイデン ティティ)を構成するという前提 中国―中国人―中国語 日本―日本人―日本語 北朝鮮/韓国―朝鮮/韓国人―朝鮮/韓国語 ベトナム―ベトナム人―ベトナム語 ↑ 前提を疑う ○ことばを国家や民族ごとに区分する考え方がいつから始まった のか →それほど古くない =近代特有の認識 (近代以前にはそもそも言語とアイデンティティを結びつけるよ うな発想がなかった) ○世界中には一体いくつの言語があるのか →言語学者が正解を出しているわけではない 言語=人間の主体意識から離れて客観的に存在してい る対象ではない! 「社会言語学者と言われるひとびとは、一つの言語 を他から区別し、また下位の単位(方言)を従属さ せる基準を導くのは言語外的な事実――ひとびとの意 識や社会状況である、との立場をとっている。」 (p.2) 言語共同体=「想像の共同体」(B.アンダーソン) 「標準語の基礎をなす北方官話と東南部の粤(広 東)方言、閩(福建)方言との言語学的な距離は、 フランス語とスペイン語、英語とドイツ語ほどに隔 たるといっても過言ではない。」(p.3) 7 (3)独特な方言 ■語彙 •うきみりーちー(おはよう) •にふぇーでーびる(ありがとう) •どぅし(友達) •ちゅらさん(美しい) 8 ■音韻 琉球語(琉球方言)のはほとんどが /a/・/i/・/u/ の3つで、/e/・/o/ の短 母音や、それらを含む複母音は、通常、伸ばす音すなわち[e:][o:]の形で 表れる。 (例)首里方言 雨(あめ)ame→アミami 船(ふね)fune→フニfuni 心(こころ)kokoro→ククルkukuru 夜(よる)yoru→ユルyuru 兄弟(きょうだい)kyo-dai→チョーデーcho-de 帰る(かえる・終止形)kaeru→ケーユンke-yun(またはケーインke-yin) 青い(あおい・終止形)aoi→オーサンo-san なぜ中国人は、諸方言を同系統の言語だと考 えるのか →①方言差を消去する書きことばの体系 (漢字)があったから →②漢民族である以上、一つのことばを共 有している(はずだ)という意識(イデオロ ギー)のせい 「国語」=「近代国家形成の過程でつくり 出され、学校教育やマスメディアを通じて 普及が図られてきたことば」、国家建設と 共に「制作」された「国家語」「国民語」 ■日清戦争→東アジアの言語地図を塗り替える 転換 「19世紀末の日本に「国語」という新たな 言語の規範意識が成立し、それが中国や朝鮮、 ベトナムにも連鎖していった」(p.5) 2.漢字圏の解体と文字 ■東アジアの国語ナショナリズムの特質・個性 →漢字による書記体系の圏域(漢字圏)からの 離脱、あるいはその解体と意識された点 ○漢字(東アジア)/ラテン語(ヨーロッパ) /アラビア語(イスラーム地域) =唯一の広域共通語(リンガフランカ) =聖典をバックにもつ「神聖/真正なること ば」 =少数の文字エリートの専有物 《ヨーロッパ》 聖なるラテン語からの「解放」の結果→ヨーロッパ 近代諸国語の「誕生」 《東アジア》 漢字圏=中華文化圏からの自立、あるいは超克→ 近代「国語」の「誕生」 漢字・漢字語彙の位置づけをめぐる問題=言語の 「純粋性」「真実性」をめぐる問題 「漢字は周辺国の言語ナショナリストたちから、 近代の「文明」に逆行する「野蛮」の象徴と非難」 (例)日本の国学者(本居宣長など) 《日本での展開》 「日本では明治初期の文体改革の試みの中で、従来の 「和漢」から「支那」を外部に析出することを通じて、 「漢学」が国民化されるとともに、社会には漢文訓読調 の新文体が広く浸透していった」(p.7) 「近代国家として自己確立した日本が、旧漢字圏への 「関与」を強めていく際、持ち出したのは、文字と血統 の共通性をうたう「同文同種」という合いことばであっ た。「和漢」の学は近代に至って、いったん「日本」と 「中国(支那)」に分離されたとはいえ、こんどは漢 字・漢文を「日本」と接合するという動機が、政治的に 浮上してきたわけである。」(p.7) 《中国での展開》 「中国では、「真実語」の解体が複数の「国語」を成立させるような歴 史プロセスをたどらなかった。…漢字の一元的な表意性のおかげで、帝 国固有の言語秩序は近代に至ってもさしたる変化のないまま存続しえた のだ。」(p.8) 「漢字の一元的な表意性が近代「国語」の統一性を担保したかどうかは はなはだ怪しい。清末から民国に至る言語改革の流れの中で、たとえば 文字表記をめぐって、『新世紀』派の万国新語(エスペラント)導入や 五四期の銭玄同による漢字全廃の論が唱えられたように、官話/白話か ら「国語」への展開には、実は大きな選択の幅と揺れがあったことも確 かである。」(p.8) 「中国においては漢字古典語の世界との断絶を意識しつつ、その批判的 継承の上に近代学術を構築せんとする運動(国学・国故整理など)が起 こった」「これに反発する反伝統主義者(エスペラント派や漢字廃止論 者)の側も、古典語の生命・価値をいったんは否定したものの、漢字漢 文からの全面的離脱を企図したわけではなかった。」(p.8-9) 【参考】中国「国語」の誕生 年号 事項 民衆の識字教育向上 1892 廬戇章「中国第一快切音新字」←音韻基準:アモイ音、漳州音、泉州音 1896 沈学「盛世之音」←音韻基準:呉音 1896 力捷三「閩腔快字」←音韻基準:福州音 1896 蔡錫勇「伝音快字」←音韻基準:官話(北方音) 1897 王炳耀「拼音字譜」←音韻基準:広東音 1900 王照「官話合声字母」←音韻基準:官話(北方音) 1902 京師大学堂(北京大学の前身)学長、呉汝綸、日本を訪問。教育機関など を視察。貴族院議員伊沢修二(かつて台湾の学務総長をつとめた)と会談。 伊沢から、国民の愛国心を奮い立たせるために①敵国を作る、②「統一国 語」を作る、というアドバイスを受ける。 参考:丁伊勇(1995)「銭玄同の漢字廃止論から中国の文字改革を考える―その真 意と文字改革の真の目的―」『一橋論叢』113-2 【参考】中国「国語」の誕生 年号 事項 1907 呉稚暉・李石曾ら、パリで雑誌『新世紀』を発行、無政府主義を宣伝。 『新世紀』40号で、「難習難解」で「野蛮」な漢字文を廃止し、エスペラ ントに切り替えるよう主張。 1908 章太炎、エスペラント派に反駁、五十八個の注音記号を使うことで漢字学 習の便を図るべきと主張(@東京)→「呉章論争」 1911 辛亥革命 1912 中華民国臨時政府教育部、注音字母採用の決議。 1913 「読音統一会」召集。会長呉稚暉。 各省から88人の代表が集まり(そのうち、江蘇・浙江から26人)、漢字の 「国音」を一字一字定める。ただし、それぞれの方言音を採用するよう各 省で論争となる。特に北方音と南方音の差異が問題となる。 結果、法定「国音」は、母語話者の存在しない人工言語となる。 参考:丁伊勇(1995)「銭玄同の漢字廃止論から中国の文字改革を考える―その真 意と文字改革の真の目的―」『一橋論叢』113-2 【参考】中国「国語」の誕生 年号 事項 1917 胡適、『新青年』第2巻第5号に「文学改良芻議」を発表→白話文学運動 1918 胡適、『新青年』第4巻第4号に「建設的文学革命論」を発表。 1918 銭玄同、『新青年』第4巻第4号に「中国今後之文字問題」を発表。 →漢字漢語廃止を主張。 「中国を滅ぼすまいと願い、中国民族を二十世紀文明の民族たらしめんと願うならば、孔学を 廃止し、道教を絶滅するが根本解決である。そして孔門の学説と道教の妖言を記載した漢字文 を廃止することこそが、根本解決中の根本解決である」(『新青年』4-4) 「国語を制定するからには、一つの原則が必要である。即ち国音から取り除くべきなのは、少 数の方言でしか発音されない奇癖な音(捲舌音)であり、取り入れるべきなのは大多数の方言 が発音している平易な音(濁音、入声音)である」(『新青年』4-3) 1918 『教育部公布注音字母令』により「注音字母」が正式に公布される。 1919 教育部付属機関として、「国語統一籌備会」が結成。 1919 北京で五四運動が起こる 参考:丁伊勇(1995)「銭玄同の漢字廃止論から中国の文字改革を考える―その真 意と文字改革の真の目的―」『一橋論叢』113-2、藤井(宮西)久美子(2003) 『近現代中国における言語政策―文字改革を中心に―』三元社 【参考】中国「国語」の誕生 年号 事項 1920 銭玄同、『新青年』第7巻第3号に「減省漢字筆画底提議」を発表。 1922 「国語統一会」、銭玄同の「減省漢字筆画底提議」を可決。「漢字省体委 員会」を組織。 1924 「国語統一会」、旧国音に代えて、北京音を国音の標準に定める(新国音 の制定) 1930 「注音字母」の名称が「注音符号」に改称される。 30年代から、ラテン化新文字の議論が盛んになる。 ローマ字表記。それぞれの方言で作成される。その後、中華人民共和国に 至って廃止。 1932 「国語統一会」、「注音符号表」を発表。「閨音字母」(各地の方言音) も付け加える。呉稚暉、漢字の右側に「注音符号」を、左側に「閨音字 母」をつける「右国左方」を提唱。 参考:丁伊勇(1995)「銭玄同の漢字廃止論から中国の文字改革を考える―その真 意と文字改革の真の目的―」『一橋論叢』113-2、藤井(宮西)久美子(2003) 『近現代中国における言語政策―文字改革を中心に―』三元社 3.多言語社会と国語 ■帝国=ほんらい多言語状況を容認し、民衆の言語生活の実際には 一切介入しない「寛容」さをもつ =異なる民族集団や政治状況に応じて多元的に言語を使い分 けるシステム →統治の無限性・普遍性の保証 ○清朝=「満漢合壁」(公文書での二言語対照):モノリンガル な支配を目指していたわけではない 「清朝の初期には、満州・蒙古・漢軍の三軍からなる八旗の構成 員の間では、漢・満・蒙の三言語併用や相互浸透の現象もまれで はなかった。もちろん、満人による固有の日常言語の放棄、いわ ゆる「漢化」の進展により、満語・満文は清朝の半ばから衰退し ていった。」(p.10) ↑ 「近代国語の成立には、こうした多言語状況を清算し、漢語・漢 文を正統・威信言語の地位に就ける必要があった。」 ★「重要なのは、たとえば中国、日本、朝鮮/ 韓国、ベトナムを包摂する漢字圏を想定する際 に、決まってそれが国家や民族文化が加算され た集合体を意味するということ」(p.10) ★「酒井直樹が指摘するように、自己完結的に 組織された言語共同体という想定は、反照的に 仮構された実体であり、言語を「日本語」「英 語」「中国語」といった可算名詞とするような 考え方そのものが、すぐれて近代的な言語意識 に由来するのである。」(p.11) 課題論文② 課題論文② 橋本萬太郎(1978)「結論」『言語類型地理論』弘文堂 著者紹介 橋本萬太郎(はしもと まんたろう)〔1932―1987〕 東京外国語大学教授。言語学。 【主要著書】 客家語基礎語彙集 東京外国語大学アジア・アフリカ言語 文化研究所 1972-73 言語類型地理論 1978.1 (弘文堂選書) 現代博言学 言語研究の最前線 大修館書店 1981.2 納西語料 故橋本万太郎教授による調査資料 東京外国語大 学アジア・アフリカ言語文化研究所 1988.3 橋本萬太郎著作集 全3巻 内山書店 1999-2000 『言語類型地理論』主要論点 「言語の類型地理論は、アジアの言語にしかあてはまら ないものではない。しかし、そんなことよりもまず、 ヨーロッパ世界がなかったら、われわれはアジアという ものをひとつに考えたであろうか? おそらく、だれも ひとまとめに考えなかっただろうし、事実、一体として の「アジア」は、いままでのところでは、まだフィク ションであることに、みんな、気が付いているはずであ る。洋の東西で、教育を受けたものの責務として、その フィクションをこわさずに議論をすすめ、しかし、少な くとも大陸部にかんするかぎり――そして言語の構造類型 の面では――アジアは、ひとつの連続体(continuum)を なすことを、この本は示すことに、成功したつもりであ る。」(p.ⅳ) ■漢民族とは 「漢民族とはなにか、と正面から問われると、 簡単には答えられない。とにかく、いちおう はっきりしていることは、紀元前11世紀ごろに、 西方からいわゆる「中原」地方にはいってきた、 「周」と名付けられる種族が、なんらかのかた ちで漢民族の形成に決定的な役割をはたし、そ れ以後、東の「斉」、東南の「呉」、その南の 「越」、西南の「楚」というような、あきらか な「蛮人」を何百年もかかって、同化してきた ことである。その言語は、とくに「北狄」と総 称される、北方のアルタイ系の言語との接触の 過程で、のちにはかなり急激な変貌をとげる」 (p.7) ■言語史に関して 古代英語→中世英語→現代英語 奈良時代の日本語→室町時代の日本語→江戸時代の日本語 「言語の「発展」を、なにか等質の原初体があって、言語史とい うものを、その一本の線状の発展であるかのよう」に考えること ↑ 「虚構」として批判(p.14) (例)上古中国語(周代)と中古中国語(隋代)のあいだには、 時代差というよりは、言語の地域的なちがい、性格のちがい(民 謡と標準語)があることが近年認識されてきた (例)古代英語(7C~12C)と中世英語(12C~15C)のように、 「時代による変異体をタテに辿っているという幻想を与えていた ものが、実は、西サクソン語から東ミッドランドの影響をうけた ロンドン方言へと、ヨコにたどったものであった」ことがわかっ た ■基礎語彙 「北方語」「呉語」「閩語」「客家語」「粤語」← 「これらの言語はあまりにも中国化されてしまった ために、いまでは中国語の「方言」とみなされてい る。それはぜんぜん理由のないことではなく、たと えば「大きい」というような、ある意味では抽象的 な概念をあらわすことば、「鉄」のような、ひろい 意味での文化に関係することばは…完璧な対応を示す のに、「母」や「はね」、「縫う」や「吸う」とい うような、…親族名称、動物の身体部分、人体の基礎 的な動作などをあらわす語彙となると…ほとんど全部 といっていいくらい異なる」(p.17-18) ■統辞構造(順行構造と逆行構造) 順行構造:名詞句、動詞句を問わず、修飾語句を被修飾 語のあとにつみかさねていく構造(動詞→目的語、名詞 →修飾語) 逆行構造:(例:日本語、目的語→動詞、修飾語→名詞) 「北方に話されている言語はツングース語といいモ ンゴル語といいトルコ語といい、圧倒的に逆行構造 に統一されている。…これに対して南部に話されてい る言語は、タイ諸語であろうとモン・クメール語で あろうとベトナム語であろうと大部分が、順行構造 の統辞法をもととしている。」(p.41) ○中国語(標準語)における差異 【北方語的=逆行】我+到+中国+去 【南方語的=順行】我+去+中国 (動詞を修飾する成分が動詞に後置される) ○中国語と広東語 【中国語=逆行】我+先+給+他+一+本+書 【広東語=順行】我+俾+本+書+佢+先 (私はまず彼に本を一冊あげます) 【中国語=逆行】你+比+他+高 【広東語=順行】你+高+過+佢 (あなたは彼より背が高い) ○中国語と客家語 【中国語=逆行】多+吃+一点 【客家語=順行】食+多+滴 (もう少し食べる) ■名詞修飾 北方型:修飾語+名詞 南方型:名詞+修飾語 「南にくだるにつれて、名詞に対する修飾成分が名詞に 後置され、北へのぼるとその逆に修飾成分が前置され る」(p.62) アルタイ語 ‘わたくしの’+‘ちち’ ‘いぬの’+‘しっぽ’ 中国諸語 ‘わたくしの’+‘ちち’ ‘いぬの’+‘しっぽ’ チベット・ビルマ語群 ‘わたくしの’+‘ちち’ ‘いぬの’+‘しっぽ’ ミャオ・ヤオ語群 ‘わたくし(の)’+‘ちち’ ‘しっぽ’+‘いぬ(の)’ カム・タイ語 ‘ちち’+‘わたくし(の)’ ‘しっぽ’+‘いぬ(の)’ ○粤語(広東語)=南方型の名詞句構成の痕跡 をいちばん多く残している 人客‘おきゃく’(北京語:客人) 菜乾‘ほしな’(北京語:乾菜) 鶏公‘おんどり’(北京語:公鶏) 牛公‘おうし’(北京語:公牛) 「中国の古代語として標準化された言語では、動詞を修飾する成 分が…、強調とか倒置法の場合を除けば、系統的に動詞に後置さ れるのに、現代の北方語がこれを…動詞に先行させるのは、南方 語から北方語への統辞法類型の推移というヨコの変化(latitudinal transition)が、古代語から現代語への統辞法の変化というタテの 変化(longitudinal change)によって、…みごとに対応し、検証さ れる例ではないだろうか」(p.46-47) 「中国語は、本来南方型」(p.57) 「歴史的な言語資料にみえる名詞句のこのような順行構造の、そ れも痕跡は、周初(紀元前1120年)以前にしか見えない」 (p.75) 「周が西北から、いわゆる中原地方に侵入した蛮族であることを 考慮すると、「中国語」の名詞句が問題の変化を決定的にうけた のは、紀元前10世紀末とせざるをえない」(p.75) ■音節と声調 複音節膠着語型 声 調: 少 声 調: 多 單音節孤立語型 出所:西田龍雄『東アジア諸言語の研究Ⅰ』(京都大学学術出版界、2000年)P38 39 「南へ下れば下るほど単音節語の性格が強くなり、北へ上 れば上るほど複音節語となっており、アジア大陸に話され ている、北方のアルタイ諸語、中間の「中国語」、南方の 南アジア諸語の全体をつうじて、みごとな連続体をなして いるのである。その境界線は、…だいたい揚子江流域あたり で、はっきり南方型から北方型に移るのである。」(p.101102) C:音節頭子音 V:母音(複母音もふくむ) 「音節構造については、…南方の諸言語が、… 一般にCVCの構造をもち、末尾音に人類の言語 一般にみられる主要子音群をカバーした鼻音と、 それと調音点を共通にする閉鎖音(内破音)を もっているのに対して、北方に話されている言 語は、…大部分がCVだけであって、唯一の例外 をなすのがCVNである」(p.117-118) 「粤語のカントン方言は、…約1800種の異なった音節素 (syllabeme)をもっているのに対して、北方語のペキン方言は、 約1277種しかない(…)――つまり、30パーセント近く減ってい るわけである。もって、北方語の単語がいかに多音節化せざるを えなかったかが、うなずけるであろう。」(p.127) 「隋代のはじめ(6世紀末)に大綱をさだめ、601年に編まれた、 陸詞(法言)の押韻用の字書『切韻』に反映されている当時の標 準語(当時の話しことばそのものとは考えられないが、少なくと も教育された知識人にはかなりな程度正確に発音できたと思われ る書きことば)は、3607(『切韻』が1007年に改訂増補されて できた『広韻』では、3877)の異なった音節をもっていた。だ から、音節素の数は現代のペキン語に至って、実に3分の1近く に減ってしまったわけである。道理で、身体名称のような「基礎 的」な語彙をとってみても、…激しい複音節化が起こったわけで ある。」(p.128-129) 「過去1先年の間だけをとってもみても、「中原」地方は、金・元の3 世紀半、清の3世紀弱と、その半分以上は、北方のアルタイ諸民族の支 配下にあったことを、われわれは深刻に考えるべきである。「中国」人 の入植が、唐代末にはすでに渤海地方にまで及んでいたことがわかって いる以上、遼(契丹)、金(女真)などの諸民族が「中原」に進出する 以前に、そのもとに、多数のいわゆる「中国」人のいたであろうことは、 容易に想像がつく。それらの集団のなかで、どのような言語が、どのよ うな変貌をうけながら、話されていたかは、これからの研究の課題であ る。しかし、けっしてわすれてはならないことは、金が亡び、元が崩壊 し、清が滅亡しても、この「亡国」とか「滅亡」ということばの暗示す るような、民族の文字通りの消滅(extermination)が、「中原」地方に あったわけでは、けっしてない点である。いいかえれば、こんにちわれ われが、なんの疑いもなく、中国の――ということは「漢民族の」とい う意味に、ふつうはおきかえられてしまう――文化・政治という、その 文化・政治の中心地の人口のかなり(もしくは大半)が、実は遼の遺民 であり、金の後裔であり、清の子孫なのである。中国は、中国でありな がら中国でない、という逆説の生まれるゆえんである。」(p.217218) 課題論文③ 課題論文③ 岡田英弘(1977)「真実と言葉」伊東俊太郎・他編『講座・比較文化 第二巻 亜細亜と日本人』研究社 著者紹介 岡田英弘(おかだ ひでひろ)〔1931― 〕 東京外国語大学教授(名誉教授)。歴史学(満州史・モンゴル史・中国史・日 本史) 【主要著書】 『倭国 東アジア世界の中で』 (中公新書 1977年) 『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』 (筑摩書房[ちくまライブラリー] 1992年/ちくま文庫 1999年) 『日本史の誕生 1300年前の外圧が日本を作った』 (弓立社 1994年/ちくま 文庫 2008年) 『歴史とはなにか』(文春新書 2001年) 『モンゴル帝国の興亡』(ちくま新書 2001年) 『中国文明の歴史』(講談社現代新書 2004年) 『モンゴル帝国から大清帝国へ』(藤原書店 2010年) 「真実と言葉」論構成 一 表意文字と表音文字 ■漢字=表意文字 ◎許慎『説文解字』 「六書」 ① 指事:抽象的な概念を表す記号。(例)「上」「下」←表意 ② 象形:具体的な事物の形を写すもの。(例)「日」「月」←表 意 ③ 形声:新しい意味の大体の方向を示す字(ヘン、ツクリ、カン ムリなど)を附け加えて、新しい字を合成する。 漢字の80%以上を占める。 ④ 会意:二つの字を合わせて、その両方に関係のある新しい意味 を表す。(例)「武」「信」←表意 ⑤ 転注:字の一部を少し変えて、関連のある意味を表す。(例) 「考」「老」←表意 ⑥ 仮借:同音異義の語に対応する字を借りて来て使う。 「形声」「仮借」は「いくらか表音的な性質を持っているかに見 える」が、「しょせんは表音文字ではない。」 「形声の「江」「河」にしたところで、「工」「可」は何の音も 表わさない。ただ「江」「河」の字を作り出し、それを使ってい たある人々の集団の言語では、長江・黄河の固有名と、「工」 「可」の字の意味に対応する語とが同音であった、ということを 示すだけのことである。言いかえれば、「工」「可」が表意文字 である限り、「江」「河」もやはり同じく表意文字なのであり、 「可」の表わす意味が分かってはじめて「江」「河」も意味が分 かるわけである。」(p.129) 「漢字が表意文字であって表音文字でないという性質から必然的 に出て来ることは、その漢字を綴り合わせた漢文という記号体系 が、中国人が日常に使用する自然言語と規則的に対応しない、と いう事実である。つまり漢字・漢文は決して中国語そのままを書 き表わしたものではない、ということになる。」(p.129) ■日本人にとっての漢字 「日本人が一つの漢字を認識するとき、実はそ の字の意味を直接に認識しているのではない。 その字と結びつけて覚えている仮名書きの日本 語を思い出しているに過ぎない。…たとえば、 「岡田英弘」という字面を見る時、日本人はこ れを「おか・だ・ひで・ひろ」か「こう・で ん・えい・こう」という仮名の系列に置きかえ て認識するのであって、「高地・はたけ・雄 花・ひろがり」という意味の系列として理解す るのではない。つまり日本人にとっては、漢字 も表音文字なのであって、表意文字なのではな い。これは中国人と正反対の態度である。」 「漢字は表意文字であり、その漢字を綴り合わ せた漢文は、「言葉」の音を表わさず、手で書 いて眼で読む、聴覚に訴えずに視覚に訴える記 号体系である。こういう性質の体系を使って情 報を伝達する場合、口で話し耳で聞く自然言語 に従って書くということは、原理の上では不可 能ではないまでも、非常にむだが多く、効率が 低くて得策ではない。つまり表意文字の性質と して、「言葉」に忠実であればあるほど分かり にくくなる。」(p.131) 「むしろ表意文字の有効な使用法は、書き手や 読み手の自然言語の文法とは関係なく、簡明な 法則を決めておいて、それに従って最小限度の 必要な字を排列することである。」(p.131) 「いかに中国語といえども、どの音節もそれぞ れ意味を持つわけではないし、またどの方言に も、対応する漢字のない語がたくさん存在する。 だから中国人にとって、自分が話すとおりに書 くことは極端に困難であって、まず絶望と言っ てもよい。」(p.131-132) ◎「白話」(胡適・魯迅などによって実験・創 出された口語文学)=失敗 「白話文学の作者が、文体を自分の話し言葉に 近づければ近づけるほど、他の方言の話し手に は難解になって行くのが宿命なのである。つま り古文から白話に変っても、難しさは大して変 らないのであり、かえって中国全土に通ずる普 遍性が減退することになる」(p.132) 「結局のところ、白話とは新しい古文」 二 漢字の利点 「漢字が表意文字であることは、一面において利点でもある。漢 字のこの性質は、異なる言語を話す雑多な集団にわたったコミュ ニケーションの手段としては最適であって、そのためにこそ、 ヨーロッパ全体より四〇%も広い土地に住む、全人類の四分の一 にのぼる巨大な人口を一つの文化、一つの国民として統合するこ とが可能になったのである。」(p.133) 「これほど相互に異なる中国語の諸方言は、実は方言というより は、それぞれ独立の言語と考えるべきものであって、ちょうどゲ ルマン語派の中に英語・オランダ語・ドイツ語・スウェーデン 語・デンマーク語・ノルウェー語・アイスランド語などがあるの と同じように、あるいはラテン語派の中にフランス語・スペイン 語・ポルトガル語・イタリア語・ルーマニア語などがあるのと同 じように、中国でも北京語・上海語・福建語・広東語・客家語・ 海南語などの独立の言語が並存しているのだ、と見たほうが正し い。/だから一口に漢族とは言っても、その成員に文化の統一性 があるように見えるのは、多分に幻影であって、これだけ多くの ちがった言語を話す人々を結びつけているのは、表意文字である 漢字の特異な機能である。」(p.134-135) ■秦の始皇帝による重要政策 →漢字の書体と用法の統一 →「焚書」:「コミュニケーション手段の 全面国有化」(p.136)、「情報の国家管 理」(p.137) 三 漢字と儒教 中国社会の大変動の結果、四散して失業の危険 におびやかされる儒教系の学者たちは、前漢末 から後漢にかけてほぼ確立した、表意文字の読 み方の伝統を、断絶の運命から救おうとし、そ れぞれ師から口伝を受けていた発音を整理して 「韻書」というものを作り出した。 →陸法言『切韻』 「反切」:ある字の読み方を示すのに、すでに 音の分かっている字を二つ重ね、上の字では最 初の子音、下の字では中間の母音と末尾の子音 を表す。 「『切韻』が表現する読み方は、決して六世紀当時の中 国のどこかの方言を正確に表記したものでもなく、また 後漢以来の洛陽の話し言葉に基いたものでもない。それ はただ、表意文字で綴られたテキストを暗誦するために、 一字一字に配当された音節が、後漢以来、口頭で伝えら れて来たものを整理した結果に過ぎない。最初からいか なる地方の話し言葉にも由来しない、全く人工的な音で あり、しかも伝承のあいだに多くの個人の癖の影響で歪 曲されて来たものの集大成なのである。だから『切韻』 の組織を分析して、いかに精密に音価を推定しても、そ うして復原されたものは、儒教の古典の読誦のための特 殊な音だけであって、決して中国語の古い姿を代表する ものではない。古代漢語そのものは、『切韻』からは復 原できないのである。」(p.139) 四 文字と言語のギャップ 「中国における唯一の情報伝達の手段は表意 文字であり、漢字の使用に熟練することが、 政治家・官僚の資格の最初にして最後である。 「科挙」においてはこの能力をテストするた め、作詩・作文が課せられたのは当然であっ た。」 ↓ 『切韻』系の音韻が隋・唐帝国の領土に普及 して、文字を持つ階層の言語に影響 【注意】「「韻書」や「反切」が表現するのは、漢字それぞれの 読み方の間の相対的な関係だけである。もし一つの字の読み方が 何かの理由で変れば、それと「韻」や「反切」で結びついている 他の字も、連動して読み方が変わってしまう。/しかも普通の言 語能力しか持たない人間にとっては、自分の日常語にない音なり トーンなりを聴き取ることは不可能に近い。違いが聞こえないの である。だから中国人が『切韻』系の字音を習得した結果は、自 分の方言よりも音韻の区別はずっと貧弱になり、「反切」や 「韻」の違いに拘らず、実際上は同音の字がうんと増えて来るこ とになる。/そのために、文字で書かれたテキストを、『切韻』 系の字音を当てながら読み上げても、耳だけではその意味を捕捉 できない。文字と言語の間の乖離現象がどんどん進行し、悪化し て行くことになった。言い換えれば、教育程度が高ければ高いほ ど、文字によるコミュニケーションの領域が拡大して、音声によ る生きたコミュニケーションの能力が低下する結果にならざるを 得ない。」(p.140-141) (例)蒋介石の演説 「もともと困難な表意文字による伝達をより容易に、より確実に し、誤解の余地をなるべく少なくするためには、それぞれの単 字・熟字が出現しうる文脈を制限し、プレディクタブルにしてお かなければならない。つまり文体に一定にするわけである。」 (p.143) 「中国における経典のもっとも重要な社会的機能は、その内容の 思想ではなく、その文体なのである。」(p.143) 「こういう人々が集まって構成する「読書人」階級なのだから、 かれらが何事かを文字によって表現しようとすれば、儒教の経典 や古人の詩文の文体に沿った表現しかできないわけである。もし 何か創造的な思考を発表しようとしても、その手段としてはスタ ンダード・テキストの文体しかないのだから、その筋道なり気分 から大幅に外れる記述をすることは、実際上は非常に困難だし、 もしそれに成功しても、読む側は既成の文体に合わせて解釈する のだから、合わない部分は読者の心にレジスターしない、つまり 理解されない結果になる。」(p.144) 来週の課題 課題論文 漢字文化圏とは何か 金文京(2010)「漢文を書く―東アジアの多 様な漢文世界」『漢文と東アジア―訓読の文 化圏』岩波書店
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