競馬の歴史 - TUINS eポートフォリオ

2012G079
松倉 諒
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体高(肩までの高さ)は160-170cmほど、体重
は450~500kgが標準的。頭は小さく、四肢は
長く、胸や臀部の筋肉は発達しており、速く走
ることに向いている。だが、ケガをしやすく、
物音や閃光に弱いなど、肉体的・精神的にデリ
ケートである。

毛色 鹿毛・黒鹿毛・栗毛・芦毛で、青鹿毛・
青毛・栃栗毛、白毛・月毛・河原毛・佐目毛・
駁毛・粕毛・薄墨毛
競馬発祥の地、それはイギリスである。紀元210年、ロー
マ人の支配下にあった古代イギリスでアラブ軍馬による競
争が行われたという記録があり、これが世界最古の競馬と
されている。
そして、歳月を経て軍馬による競争から競走馬による競争、
つまり現代の競馬の原型が作られていったのである。もっ
とも、初期の競馬は貴族のスポーツとして定義されており、
一般大衆が親しんでいたものではなかった。
イギリス競馬 年表年

イギリス
紀元210年
ローマ人の支配下でアラ
ブ軍馬による競争が行わ
れる
16世紀
2頭の馬によるマッチレー
スが主流。リッチモンド
などで競馬場が建設され
る
17世紀初期
競馬場ごとに詳細なルー
ル
が設定される
18世紀
イギリス競馬の基礎が確
立
競争体系の確立
19世紀
競馬場の数が増加
賭け事としての競馬の普
及
仏や米の騎手や馬の参入
20世紀
現代イギリス競馬の完成
ジョッキークラブの活動
活発化

日本で初めて競馬が行われたのは、横浜とされている。この競馬
は居留民によって開催されたとされているが、どのような団体が
開催したのかは不明である。1864年、江戸幕府がイギリス、アメ
リカ、フランスなどの各国公使と交わした横浜居留地覚書と、こ
れを破棄して新しく両者の間で調印された横浜居留地設置及競馬
基地等約書に基づき、居留民が横浜、根岸に幕府から借地し、同
所に幕府の負担で競馬場を建設させた。1867年の春、同競馬場で
行われた競馬が通称根岸競馬である。明治維新後もこの根岸競馬
は続けられていたが、居留民の人口も1,000を超えた程度でしかな
かったため、競馬はただの遊びでしかなかった。その後、居留民
の競馬施行団体として横浜レースクラブが設立され、後に日本人
の参加が認められた日本レースクラブと改称した。
イギリス
コース
日本
自然をそのまま利用する 中央競馬では、芝コースが主流となって
という考えのイギリス競 おり、内側がダートコース、外側が芝
馬では、
コースとなっている。また、イギリスの
芝コースが主に利用され 芝コースとも異なり、芝は刈り揃えられ
ており、芝が不揃いでデ 地面もデコボコしておらず、人の手が
コボコしたコースとなっ 入ったコースとなっている。地方競馬で
ていることが多い。また、 は、中央競馬とは異なりダートコースで
コース形状も多彩で、ほ のみレースが施行されている。
ぼ三角形の形状をした
コースを持つ競馬場もあ
る。
5000円
200円
賞金
安い
高い
レース
登録費
用
高い
安い
重さの
表し方
ポンド
キロ
入場料