(参考)2013年度の講習パワーポイント資料

2013.8.7 平成25年度三重大学教員免許状更新講習(選択)
「生きる力」論批判
担当講師:三重大学教育学部
佐藤 年明
0.オリエンテーション-6時間で何を学ぶか-
・今年で二度目の開講となる講習です。
・1996年の中教審答申以来ずっと胸の中にくすぶり続けてきた疑問を、これまで5年
間の教員免許更新講習の必修講義の中で一部提起してきましたが、もっと本腰を入
れて考えてみたくなりました。
・しかし、まだまだ仮説の段階の内容です。受講者の方々の忌憚のない御意見を頂
戴しながら深めていきたいと思っています。
・できるだけ討論を取り入れ、受講者の皆様に「言いたいことは言えた。聞きたいこと
は聞けた。」とスッキリした状態で帰って頂けたらと思います。
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・とは言え「講習」の目的は私が皆さんの御意見を頂戴して学ぶことではなく、皆さん
が「学んだ」と実感していただけることだと思います。そこは忘れずに進めます。(^_^)
※音楽を取り入れた講習!
※スケジュール
[午前]
(9:00-10:20)
1.人が生きることを、死と切り離しては語れない
---------------------- 10分休憩 --------------------(10:30-11:50)
2.中教審答申(1996)の「生きる力」論とは?
3.学校教育は、人間が生きる「力」に関わるべきなのか?関われるのか?
(佐藤試論)
[午後]
(13:00-14:20)
4.(参考情報)「生きる力」論を継承?(2008年中教審答申)
5.教育科学研究会の「生きることとわかること」議論(1970年代)
---------------------- 10分休憩 --------------------(14:30-15:50)
6.梅原利夫の「生きる力」論-20年後の教科研における議論
7.「生きる力」大討論!
---------------------- 10分休憩 --------------------16:00-16:40 履修認定試験
16:40受講者評価書記入提出
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※試験問題:
1.あなたのこれまでの人生経験と、教師としての実践経験に照
らして、「生きる力」を学校教育の目標とすることは妥当である
と考えますか?その理由もお答え下さい。
(担当講師の「生きる力」解釈や「生きる力」論批判を気にすることなく、あなた自身の率
直な考えを述べて下さい。)
2.学校教育は、人間が生きるということとどのような関わりを持
つことができると考えますか?あなたの経験やあなた自身ま
たはそれ以外の教育実践の事例を挙げながら、具体的に述
べて下さい。
→価値観に関わること(賛否や何を取り上げるか)について、点数評価し
ない。
事実認識に裏付けられた論理的な意見であるかどうかを評価する。
※最後に上記の視点から学習を総括するのだということを最初
から念頭に置いて、学習に取り組んで下さい。
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(保)タイトルに興味
(幼)生きる力をどうつけるかを職員でも話し合う。
(小)30代に『教育』を読んでいた。生きるのに力が要るかという違和感を抱いてきた。生
き方と生きる力はどう結びつく?つかない?
(小)批判と聞いて。答申発表時に関心。自分の解釈と違うのか?
(小)生きる力は、今の子どもたちに対してどういう力なのか?外国人、特別支援の必要
な子など多様な子がいる中で。子どもに課題を見つけさせる、解決する力をどう培うか。
(小)年々忙しい、おかしくなってきている。年々新しい、35で割り切れない活動が増えて
きた。もっとシンプルにやれるのでは?
(中)特別支援の子どもたちにどうやって生きる力をつけるか。
(保)子どもの環境の多様化。親の生き方が子育てに出る。小学校との連携。生きることの
基本、楽しいこと、これから素敵な世界が広がる。
(幼)3〜5歳児にどのように生きる力をつけるのか。授業はない中で。震災後、特に死と
いうこと、いのちを大事にするということを伝えているが、それでよいのか。
(小)どういった力かを再認識したい。どこに問題があるか。
(小)批判するなら代案が知りたい。公開授業の指導案に掲げてきたが、より深く知りたい。
特別支援学級の子どもたちに限られた時間でどう力をつけるか。
(聾・中)どういう力か。特別支援の生徒にどう生きる力をつけるか。
(高)苅屋剛彦『教育改革の幻想』 高校間格差が広がる中で
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1.人が生きることを、死と切り離しては語れない
※死が照らし出す生の意味を考えよう
(切り口は様々ありますが…)
NHKスペシャル「最期の笑顔~納棺師が描いた東日本大震災」
(2012.8.17 22:00放送 49分)
*NHKオンデマンドで購入した映像です(購入後3日0時間視聴可 210円)
(前提)これは「見なければならないもの」ではありません。死との対面はつらいものであり、誰もが
いつでも経験しなければならないものではありません。番組を見ることがつらければ退出してい
ただいてもかまいません。50分で終了します。
※今日の講習テーマに限定せず、感想を自由に交流しましょう。
ご関心があれば、休憩時間に以下の著書をご自由にご覧下さい。
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笹原留似子『おもかげ復元師』『おもかげ復元師の震災絵日記』(いずれもポプラ社 2012.8.11
刊)
この番組は何を語りかけるのだろう?
・復元納棺師は、すでに亡くなった人と遺族の最後の別れのた
めに、最後の死に化粧(遺体の顔の復元をする)
・死者との訣別が、残された者の生の区切りとなる。
・火葬し(震災後は土葬?)無に帰す直前の死体を敢えて生前
の状態に近い状態へ復させようとするのはなぜなのか?
・傍観者が勝手な意味付けはできない。しかし、悲しい別れの
過程を通じて、生者が死者によって生かされていく。
・人の生は、意識しようがしまいが、無数の死に取り囲まれてあ
る。
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・この画期的な番組でも、復元された死者の顔は映し出されない。それは
個人情報保護でもあるが、同時に生者の世界のタブーでもある。
・人は全て死ぬ。しかしそのことに目を閉ざすことで人は安穏に生きている。
・しかし、ひとたび身近な人の死に直面した人は、大人であれ子どもであ
れ、多かれ少なかれ死者と共に生きていくことになる。
・学習指導要領には(小学校に関する限り)人の死に関する記述はない
cf.第7期=1998年版理科4学年「内容の取り扱い」に「植物の個体の
死について触れること。」の記載→第8期2008年版で削除
・生きる力、と呼べる実体がもしあるとしたら、それは同時に死なない力、生
命体を死なせないで維持する力である。つまり生は常に死と裏腹である。
そういう儚さに支えられている。
・生きる者は、裏腹の死を片時も念頭から外さないという必要はないが、目
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を閉ざすことがあってはならない。特に教育者は。
2.中教審答申(1996)の「生きる力」論とは?
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/old_chukyo/old_chukyo_index/toushin/1309579.htm
(文部科学省>トップ > 政策について > 審議会情報 > 過去の中央教育審議会 >
1996年7月19日 文部省 審議会答申等(21世紀を展望した我が国の教育の在り方について(第一次答
申))
第1部 (3) 今後における教育の在り方の基本的な方向
「これからの子供たちに必要となるのは、
いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、
自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資
質や能力
であり、また、
自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感
動する心など、豊かな人間性
であると考えた。
たくましく生きるための健康や体力
が不可欠であることは言うまでもない。
我々は、こうした資質や能力を、
変化の激しいこれからの社会を[生きる力]
と称することとし、これら をバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。
(以下、拙稿「『生きる力』論批判ノート(その1)」(2013)参照
」
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3.学校教育は、人間が生きる「力」に関わるべきなのか?
関われるのか?
(佐藤試論)
3-1.関わるべきなのか?
前項の中教審答申において、これからの子どもたちに必要となるものとして挙げられている個々
の項目には大きな異存はない。
だが上記の答申文の中で、「生きる力」の内実は、個別には「資質や能力」以外にも「心」、「人
間性」など、幅の広さを感じさせる用語で小括されているにも関わらず、末尾では「資質や能力」
で全てをまとめ、そして「生きる力」というラベルをつけている。
いったい、人が生きることを「力」の概念に集約してもよいのであろうか?
たとえば、残されたわずかな命を生きている末期癌患者にとって、生きることの価値はわずかに
残された生命維持の「能力」によって測られるだろうか?そんなことをしてよいだろうか?
(この視点は、乳児など幼い子どもや、障がいを持つ子どもへのまなざしのありようにも通じる
はずである。)
生きることを「力」という角度から捉えるということは、何かをなすこと、なし遂げることに価値を置く
人間観である。
しかし、末期癌患者ではなくても、人には何かをしたくてもできないという人生の局面もあれば、
トライしたが失敗したという局面もある。そうしたことを含めての人生であり、そこにこそ人の生き様
のリアリティがある。
人生を「力」で捉えることは「力」を持たない者、持ち得ない者の軽視であり、またそれを人生の主要な面と捉
えることは人間そのものへの冒涜である。「人が生きること」を簡単に「力」のものさしで測ってほしくない。
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(※これは特定の宗教等に基礎を置くわけではない佐藤個人の人間観、人生観です。)
3-2.関われるのか?
「生きる力」という語を日本語としてそのまま捉えると、
・人が生きることを支えている力
・それなしには生きていけない不可欠の力
と理解するのが自然。
人間は、呼吸しなければ生きていけない。
栄養を摂取しなければ生きていけない。
事故で大量出血したら死んでしまう…
人間という生命体を維持する生理的な諸機能が敢えて言えば「生きる力」で
はないのか?
だとすれば、それは教育・学校教育の守備範囲ではないのでは?
学校教育がなくても人は生きていく。人類史、人間社会の長大な期間、人
は学校教育なしに生きてきた(発達した現代社会を学校教育を受けずに生き
ぬくことが難しいのは自明だが、しかし野生児の例を見れば絶対不可能とは
言えない…)。
現代が高度に発達した文明社会であるとは言え、学校教育が人間に「生き
る力」を与える、人の「生きる力」を育てるなどというのは、教育関係者のとんで
もない傲慢ではないか?
(前出拙稿P.306-310でさらに詳しく考察した)
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佐藤試論への質問・意見
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4.(参考情報①)「生きる力」論はいつどこで
生まれたのか?
※佐藤年明「『生きる力』論批判-成立過程を中心に-」
(2013.6.29中部教育学会富山大学大会での研究発表配付資料)
・発想のルーツは臨時教育審議会第一次(1985)・第二次(1986)・第四次(1987)答申
(あるいはそれ以前から?)
・「生きる力」という語の初出は、これまでに確認できたところでは、文部省『小学校教育
課程一般指導資料 新しい学力観に立つ教育課程の創造と展開』(1993.9)
・第15期中央教育審議会では、第2回第一小委員会(1995.9.26)、第190回総会
(1996.3.21)でそれぞれ初めて「生きる力」についての議論が行なわれている。
(引き続き事実経過を調査中)
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5.(参考情報②)「生きる力」論を継承?(2008年中教審答申)
-教育科学研究会編集『教育』 NO.753(2008.3) 佐藤広美論文による分析-
※おもしろくないので、概略紹介のみに…(^^;)
※ページ数は、文科省ホームページ上の以下の答申全文PDFファイルのものです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/__icsFiles/afieldfile/2009/05/12/1216828_1.pdf
◎継承すると言うが...
1.教育の目的とこれまでの学習指導要領改訂(2008答申P.6)
(1998年版学習指導要領について)
「『生きる力」をはぐくむために、教育内容の厳選と授業時数の削減、総合的な学習の時間の創設、中学校における
選択教科の授業時数の増加などを行った。 」
5(2)「生きる力」という理念の共有(2008答申P.22)
(今次改訂について)
「子どもたちの『生きる力』をはぐくむことの必要性や『生きる力』の内容を教育関係者や保護者、社
会が自ら考え、理解の上共有することは、今回の学習指導要領改訂に際してまず行わなければなら
13 」
ないことである。
→と、「生きる力」継承を謳いつつ、改訂の内容として教育内容と授業時間数の増加、「総合的な学
習の時間」の時間の削減という前回学習指導要領改訂と逆の方向を提起していることについて、説
明がない。矛盾していないか?
◎「生きる力」概念の「補強」(つぎ足し?)
2.現行学習指導要領の理念(2008答申P.8-10)
「平成17年の中央教育審議会答申(「我が国の高等教育の将来像」)が指摘する
とおり、21世紀は、新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあ
らゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す、いわゆる「知識基盤
社会」(knowledge-based society)の時代であると言われている。」
「経済協力開発機構(OECD)は、1997年から2003年にかけて、(中略)「知識
基盤社会」の時代を担う子どもたちに必要な能力を、「主要能力(キーコンピテン
シー)」*2 として定義付け、国際的に比較する調査を開始している。このような動
きを受け、各国においては、学校の教育課程の国際的な通用性がこれまで以上
に強く意識されるようになっているが、「生きる力」は、その内容のみならず、社会
において子どもたちに必要となる力をまず明確にし、そこから教育の在り方を改
善するという考え方において、この主要能力(キーコンピテンシー)という考え方
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を先取りしていたと言ってもよい。」
※key competencyとは、「特定の文脈の中で複雑な課題に対応することができる力」
のことであり、①道具を相互作用的に用いる能力、②異質な集団で交流する能力、③自
律的に行動する能力、のカテゴリーで構成される(佐藤広美論文より)
「また、内閣府人間力戦略研究会の「人間力戦略研究会報告書」(平成15年4月)を
もとにした「人間力」*1 という考え方なども同様である。 」
※<生きる力=キーコンピーテンシー=人間力>の図式
を前提とした「知識基礎社会における「生きる力」育成の必要論は正しいか?
(佐藤広美論文より)
・市川伸一「人間力戦略研究会」(内閣府)座長(東大教授):「確かな学力」と「豊かな心」の二
本立てという文科省施策は、結局軸足が教育の内側にあり、「『実社会との関わり』のようなことが
希薄なことに、他の省庁や産業界からは物足りなさもあった」(市川『学力から人間力へ』2003)
→産業界は、従来の「ゆとり教育」には批判的。文科省の人間力戦略ビジョンにも、日本経済の
不振を打破し、経済の活性化を促すにはなお不十分との認識。
・市川:産業界では経済の長期停滞、雇用・労働の不振に対する危機感。経済活性化のために
は、従来の「学力」という用語では議論が限定的になり、混乱を起こし、有効と言えない。だから
「人間力」。
・市川:人間力戦略の基本的スタンスは、職業生活面に焦点をあてた「社会の見える教育環境」
の構築。現実の社会で大人がどのように生き、そこでは何が必要とされているかを見せることに
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より、学ぶ意義を子どもたちに伝える。受験戦争も緩和され、競争による外発的な動機は弱く、
また、子どもの価値観は多様化しており、教科の内在的な価値から学習に向かわせようとするに
も限界がある。そこで、学ぶことの実質的な意義に立ち返り、職業生活を視野に入れた学びの
再構築が必要。
※資料:市川伸一『学力から人間力へ』(2003)抜粋
・市川:「人間力」は「生きる力」の延長に位置づけてよい。ただし「生きる力」はあ
いまいで何をさすのかわかりにくい。また人を「思いやる心」とか「国を愛する心」
など情緒的な言葉は使いたくなく、「社会における責任を果たし、自立的に生き
ていく」という「ドライなイメージを出したい」。
→内閣府「人間力戦略研究会」は、文科省「人間力ビジョン」への批判を含んで
いた。
人間力戦略研究会:人間力=「社会を構成し運営するとともに、自立した一人の
人間として力強く生きていくための総合的な力」
①「知的能力的要素」 ②「社会・対人関係的要素」 ③「自己抑制的要素」
を総合的にバランスよく高めることが人間力を高めること。
・人間力戦略研究会:フリーターやニートの若者の増大=人間力低下は、労働市
場悪化や労働の流動化に最大の原因があるのでなく、本人の意識、勤労観の未
熟さにある。
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⇩
?こうした「人間力」形成ヴィジョンは、はたしてOECDのキーコンピーテンシー
概念と同じか?
・OECD報告書:key competencyが示す社会の目標の第1は「経済生産性」
だが、それに続き「民主的プロセス」「連帯と社会的結合」「人権と平和」「公正、
平等、差別感のなさ」「生態学的持続可能性」をあげる。
・これに対し人間力戦略研究会は、経済生産性以外の指標はことごとく軽視。
問題の解決を「人間力」という個人内部の力に求め、異質なものと交流したり、
対立や矛盾を調整するという視点は欠落。Key competencyの獲得により
社会を変革するという志向性は見られない。
⇨人間力≠key competency
・本田由紀(2007):「人間力」という言葉は、ポスト近代社会におけるハイパー・
メリトクラシーの現出の結果
ポスト近代社会:グローバル化、産業構造の激変、価値や文化の多元化・多様化
高度な新規需要開拓能力と接客などのルーティン的な対人能力重視
→認知的で標準的な記号操作能力を計測して評価する業績主義(メリトクラシー)だけ
では間に合わず、さらに非認知的で非標準的な感情操作能力、すなわちハイパー・メリ
トクラシーが要求される。
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‖
認知的な能力よりも、意欲や対人関係能力、人間の人格や感情の深部におよぶ能力の
評価が重要→「人間力」登場の背景
・本田:ハイパー・メリトクラシーの弊害=従来のメリトクラシーよりもいっそう剝き出しの苛
烈な競争を呼び起こし、人格や感情の深部にまでおよぶ能力の不断の発揮は、若者に
耐えがたい圧力となって襲いかかる。→自己責任化のシステムの中で生きる彼ら彼女ら
に自己否定と自己排除(離脱と退出)がすすむ。→他人への恐怖と自分への不信がつ
のり、対人不安を訴え、就職活動よりも「自分探し」に傾斜する若者の増加。
・「人間力戦略」は、こうしたポスト近代社会の把握を持たない。感情の深部に
まで入り込む人間評価とその弊害をとらえることが不十分。
・ましてや「生きる力」はOECDの「キーコンピーテンシーの先取り」であり、「人
間力」と同じ考え方であると結論づける中教審答申は、こうした社会批判に近
づこうとしないし、躊躇して思考を停止させている。
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6.教育科学研究会の
「生きることとわかること」議論(1970年代)
坂元忠芳論文(1975)より
・「生きる」ことと「わかる」ことを結びつける
・「わかる」ことを「生きる力」に結びつける
・「わかる」ことを出発点としながら、それを、「生きる」と結びつける
(学習と生活における子ども・青年の主体の確立)
・「生きる」ことと「わかる」ことを、子どもをまるごと、具体的に捕まえるという観点からとらえる
・生きていくのに必要な個々の能力としての「生きる力」
・生き方にかかわる全体的・総合的な力としての「生きる力」
・「生き方」の発達論
・生き方がわかる
・子どもの意識の総体を、その内的葛藤の姿において、子どもの生きる営みの(遊び・労働・集団活動・学
習の)たてなおしをとおしてとらえる
・今日の子どもに何よりも「生きる」ことを意識化させること、子どもの生活を意識的な生活でいっぱいに満
たすことこそが、未曾有の危機のなかでの民主教育の第一義的な任務
。子どもの学校での自主的諸活動を生き方の必要に根ざした集団活動の要求から出発させること、そして
それを子どもの内面的な連帯の形成でつらぬくこと
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→「生きる力」の語も使われてはいるが、主要には「生きること」「生きる営み」
「生き方」への着目である
座談会(1975)より
・子どもの生活と意識からもう一回教育を見なければいけないの
ではないか(P.25坂元)
・ここの教科が「わかる」ということを「生き方」がわかるというところに常に結びつけてい
く(同)
→議論の中心は「わかること」=学力問題だが、それを「生きる」という視野の基に位置
づけようとしていることが教科研の研究方針の特徴
※子どもの発達の歪みが人間としての生存の危機とも言えるレベルに到っている(背
筋力低下→直立歩行獲得以前への後退?)という危機感の下での子ども把握の問い
直し
※子ども自身が生きることを意識する=教育の主人公は子ども(大人社会が要求する
皮相な「力」を押し付けようとはしていない)
※しかしこうした民間教育研究運動における議論に、当時も今も文部省・文科省は耳
を傾けていない。
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6.梅原利夫の「生きる力」論
-20年後の教科研における議論
2002年論文
・96中教審の生きる力規定は「不満足」「限界」「乗りこえる」
・知徳体の各部分に「問題性」「限界」
・生きる力という「大事な中身や考え方」をもっと豊かに
・「生理的・身体的な力」をもっと重視
・「人格力」を「生きる力の中軸」に据える
「生活の中で生きる意味の模索」「模索の中で自分の再発見と生きる意味をつか
む」「生活の中で苦悩と喜びの両側面の実感」「生きようとする意欲」
●中教審批判 →佐藤もほぼ賛成です
・「どのような社会になるかの判断は一部の者に任せたまま、激しい社会に積極的
に適応していく適応能力」を求める
・「学習における自己責任を過度に強調」
・「自分の生き方を主体的に考える態度」の強調
←→「地球や世界レベルの人類的な未来と自分の生き方をつないで自覚的に
考え行動しうる世界観の確立」
※佐藤としては、各論賛成、総論(=「生きる力」肯定)反対
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7.「生きる力」大討論!
(高)「生きる力」がわかりやすい形で実践と結びつくのが、キャリア
教育。ここには役立つこともあるが、どこかうさんくさい。非正規になる
な正規になれと指導するが、椅子の少ない椅子取りゲームである。
(中)・生きる力を目標にやってきたが、変化の激しい社会に対応す
るだけでは受け身。
(小)日々「生きる力」を意識して実践しているわけではない。障害を
持つ子を社会に出した時に、生活者としてどう…
(小)考え方、捉え方。「〜言うまでもない」という表現。
(幼)生きる力が乏しい云々の議論を職場でしてきたが。遊びを通し
て習得するものとして「生きる力」も十分役立っている。
(保)道徳的なものをイメージしていた。よりよく生きていくためのフォ
ローの教育があるのかと思ってきたが。愛されて認められる中で思う
こと。
(中)親がいつ死んで育っていける子に。避けて通らず、身近なもの
として。
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いろいろな立場の人がいる。社会を引っ張っていく人、力のない人
→じゃあ、目標なしに生きているのか?生かされている喜び。
(小)「生きる力と称することとし」をカットすれば、もっとわかりや
すくなったはず。いろんなおせっかいを現場に焼いてほしくな
い。
「〜の力」は怪しいフレーズ。
目の前の子どもにやる気があって同じ土俵で出発できる…
生かされている、このことだけでも授業をしてみたい。
(小)温かい気持ちになれた。子どもたちと向き合う中で、力を
抜いた教育ができているか。本音で向かい合えているか。
必要・大事な教育課題をいっぱい学ぶが、子どもの気持ちをど
れだけ大事にできているか。
人との出会いが生きる力になる。4年総合で。ただ出会わせる
のか、何を学ばせるのか。自分が子どもたちと向き合っている
か。自分自身をわかっていない。人との出会いを通じてわかる
こと。
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(小)言葉の定義に無頓着だった。出自を考えれば深く読むのでなく概論だけで。力のあるも
のの論理に子どもたちは乗れない。自己責任の論理がいや。横に置いといて生活していた。
(小)学校は知性、理性中心。感じる部分はどうやったら身に付くのか。大事だとは思うが。
生きる力=能力、ランク付けするのか?障害があると△しかつかないのか。
人権教育同和教育から学び、生き方
親の「(差別に負けて)死なんといてほしいと思って子育て」と聞き、ショック。普通なら「健やか
に」と
社会の構造、仕組みも変える自分であり家族でありたい。
まじめはある意味危険。何を本気にできるか。それはランク付けされるものではない。人間を
元気にできるのは人間しかいない。
(幼)「生きる力」としてどういう力を子どもにつけたいか考えてきたが、生きるや力をあまり考え
てこなかった。子どもたちの未来ばかり考えて、死は隣り合わせなのに考えたことがなかった。
寄り添うためには信頼関係が必要。遊びの時間を大切にしないと、声かけに振り向いてくれな
い。
『忘れられないおくりもの』
(保)この数時間を「生きる力」が問われた。
死への過程を知る機会もいま少なくなっている。
「生きる力」の言葉を慎重に使いたいが、一人で着替え、転んだら一人で立てる、ありがとうと
言えることをフォローできる大人でありたい。生まれてきたことに喜びを感じることができる子ど
もに。
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問題の整理
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◎佐藤の問題提起への質問や意見
◎その他何でも、時間のある限り、自由に語り合いましょう。
※講習の「まとめ」はしません。ただ、議論の中で共通に
考えたい問題が出てくれば、ある程度整理を試みます。
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