アンゴラ内戦 ~武装解除の具体例 ・基本情報 アンゴラ共和国 ・首都:ルアンダ ・人口:1849万人 ・公用語:ポルトガル語 ・宗教:キリスト教、土着宗教 ・民族:オヴィンブンド人 37%、キンブンド人 25%、 コンゴ人 13%、メスチソ 2%、ポルトガル人 1% ・主要産業:石油、ダイヤモンド ・内戦経緯 1975年:ポルトガルより独立 アンゴラ解放人民運動・労働党(MPLA)、アンゴラ全面独立民 族同盟(UNITA)、アンゴラ解放民族戦線(FNLA)間での独立運 動 死者数:360万人以上。現在も地雷などの影響で増加中 対立構造 ・調停・和解に向けた動き 年代 1989年~ 1990年 1991年~ 1994年 1995年~ 2002年 動向 国連アンゴラ監視団(UNAVEM) ビセス和平合意 第二次国連アンゴラ監視団(UNAVEMⅡ) ルサカ議定書 第三次国連アンゴラ監視団(UNAVEM Ⅲ) 停戦に関するルエナ和平覚書 ・和平交渉の概念 権力分掌(power sharing): 和平後の政治的権限の配分をあらかじめ取り決め 政治面・・・行政府の閣僚ポストや立法府の議席を和平交渉の段 階で分け合う 軍事面・・・国軍の再編、統合後の国軍における各勢力の構成比 を和平合意において取り決め 領域面・・・自治区の設置や事実上の分離独立によって、空間的 に諸勢力の自律を確保 ・ビセス和平合意(1990年4月~) 政府軍とUNITA軍の兵士の武装解除・動員解除 新アンゴラ国軍(FAA)の設立 UNITAが移行期間においてドス・サントス大統領の地位を認める 複数政党制を認める憲法改正と関連法規の制定、複数政党制の下 での大統領選挙と議会選挙の実施 ⇓ 選挙実施の前提としてFAAを設立 政府軍、UNITA軍の武装・動員解除を進め、その後に両者を統合 ・ビセス和平合意(1990年4月~) 1992年9月上旬時点 政府軍は40%、UNITA軍は24%のみが武装解除 しかし….. ・選挙実施に統合軍の設立が前提となっていたため、両者とも武 装・動員解除が不十分なまま形式的に統合 =双方の指揮命令系統が分かれたまま個別に存在し、戦闘行為が いつ起きてもおかしくない状況で選挙を実施。 結果を不服としたUNITAによる攻撃再開で再度内戦へ ・ビセス和平合意の問題点 「勝者総取り」の戦後政治秩序を準備 選挙で選出された大統領に過当な政治的権限を付与することを、 和平交渉で取り決め UNITAに領域的自律が約束されなかった ・ルサカ議定書(1994年11月) FAAの形成プロセスの完了 それに伴い武装・動員解除される政府軍兵士、UNITA軍兵士の社 会復帰を図る ⇓ ・課題:政府軍とUNITA軍の間の停戦の確保と前線分離を行い、 UNITA軍をFAAへ統合 しかし… FAAは形式的には形成完了が宣言されたものの、実際には UNITA軍 兵士の多くがそのまま武装・動員解除されずUNITA軍の指揮下に置 かれたまま ・国際社会の介入・支援が与えた効果 ~治安制度~ ビセス和平合意以降 UNITA元兵士の国家警察への統合を主たる目的に、政府軍、 UNITA軍の再編によりFAA設立 UNAVENⅡが支援を担う。 主要任務:停戦、軍の集合地域への集積、武装解除の監視 しかし…成功せず 動員解除への関与は「中途半端であまりにも不十分」 91年5月から92年9月の間UNITAの武装・動員解除への抵抗に有 効 な手立てを講じられず ・武装解除不調の原因 ・国連による十分なリソース配分が無かった ガリ国連事務総長の「条件付楽観論」(停戦合意は大きな違反無 く維持され、選挙準備が進んでいる) により、UNAVEAMⅡに対し て多くの予算や人員を割くことを支持しなかった ・交渉においてUNITAが望むような形で領域的自律が約束されな かったことにより、UNITAはビセス合意もルサカ合意も尊重する意 思を持つことが出来なかった ・参考文献 「紛争後平和構築と民主主義」 国際書院 2012.2 「アンゴラ内戦と国際政治」 芦書房 2001 .2 「交渉による内戦終結と領域的権力分掌の陥穽 ~モザンビーク内戦とアンゴラ内戦の比較を通じて~ 『国際政治』第156号 2009.3 水田愼一 青木一能 佐伯太郎
© Copyright 2024 ExpyDoc