賢治の小宇宙 驚きを語る言 葉 モード1以前 モード1の科学が成立する以前、聖なる「知」という発 想が科学の根幹にありました。すなわち自然について の「知」が、神の意図、神の計画についての「知」に 連なることは、自明であったのです。例えば花の構造 を見てみてください。その花弁の微細で巧妙に作られ た構造には、神の御業の素晴らしい意図が見出せる、 とされていました。またそれ故にこそ、科学を研究す るということは、世界をつくられた神様の意図を知る ことでもあったのです。 モード1からモード2へ 科学と宗教が分離した純粋科学の形態モード1を経て、 モード2の知識生産における問題設定は専門分野の内的 論理ではなく、社会的応用の文脈に即してすすめられるよ うになりました。そのため研究成果は、社会的問題解決とそ のスピードによって評価されます。 こうしたモード2の背景としては、1980年代以降、アカウンタ ビリティ要求が増大したことが挙げられます。アカウンタビリ ティとは説明責任のことで一、投入すべき/投入した社会 的資源が社会的問題の解決に役立つかを問う 財政的 なものと二、研究活動やその成果が社会に及ぼす影響や 研究活動内容を、社会に知らせて理解を求める 社会的 なものとの二種類が考えられます。こうしたアカウンタビリ ティの増大に伴って、科学とコミュニケーションが結びつくよ うになりました。 インドラの網 「インドラの網」という童話は、「華厳経の風景」(法華経 の「序品」・「寿量品」等、手本にした経典には諸説あり) の主題を象徴しています。童話の中の私(たぶん賢 治)は、ひどく疲れて、秋風と草穂との底に倒れて、夢 うつつを彷徨っています。 「私」はツエラ高原の、孤独な精神だったのです。なぜ 私の心に世界が反映するのか、そのわけは――依他(え た)の極微は互いに相映しあいそのことで、――極微(ミ クロ)すなわち極大(マクロ)において個が遍在しえるか らです。 詳しくはプリント1下参照。 華厳経の世界 「「ごらん、そら、インドラの網を」。私は空を見まし た。 いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四 方の青白い天末までいちめんはられたインドラのス ペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その 組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金(きん)で 又青く幾億互に交錯し光って顫えて燃えました」。 インドラの網 「インドラの網」(因陀羅網)は、帝釈天(インドラ)の 宮殿をおおうといわれる網である。この網の無数の 結び目のひとつひとつに宝の珠(たま)があり、これ らの珠のひとつひとつがまたそれぞれに、他のす べての珠とそれらの表面に映っているすべての珠 とを明らかに映す。このようにしてすべての珠は、 重々無尽に相映している」(見田宗介、1984、33頁)。 ライプニッツ 賢治の表象する世界は小宇宙が 互いに、他の小宇宙を映し出して いる モナド論 亀谷聖馨 「春と修羅」の「第四次延長」、「農民芸術概論綱要」の「不 滅の四次の芸術」の四次にアインシュタインの時空論の影 響を見るとして、とくに華厳経との関連で注目すべきは亀谷 聖馨、1922、『華厳の哲理と相対性原理』名教学会 であり、 併せて亀谷聖馨、1922、 『華厳哲学研究』も賢治が読んで いたと思われます(賢治の蔵書目録に存在)。 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971089亀谷聖馨、 1924、『華厳哲学と泰西哲学 : 東西思想の比較研究』哲学 宗教研鑽会。←ノートルダム清心女子大学の山根知子氏 の教示 註ⅲ・依他の實體 華厳哲学と泰西哲学 モナドとは分割できない霊魂的な単位のことです。 調和的に宇宙を相映しているさまを示しています。 亀谷聖馨,1924, 143頁。「然し乍ら、如何にして此 等のモナッドが、然かく交互作用を起こし來たるや と訊ぬるに、そは此等のモナッドが、其の裏面にそ れぞれ固有の本能を具へ居るのみにあらず、其の 間に豫め其の相和合して、相互作用を起こすべく、 調和の確立せられ居るが故に然かるなりと」。 ヘッケルの解釈 モナド論については、進化論者ヘッケルの「モネラ」概念に 関係して鈴木健司が論じている。 http://hdl.handle.net/2065/2850→ヘッケル『生命の不可 思議』(ドイツ語版1904年賢治の蔵書) 参照のこと。 「ゴットフリート・ライプニッツは、徹底した楽天論の建設者として認め得べく、 氏の哲学は、人工的調和を以て各種哲学系統の反対を調節しようとしたもの であるが、其の要点に於ては一つの物力論で、オストウァルトの現代勢力学 に極めて接近した半一元論である。彼は、力学的系統の纏まつた記述をそ の単元論(モナドロジー)(一七一四年)に於て示したが、之に拠れば、宇宙は 無限に多数の個々の単元(モナード)(吾人の「心霊を有する原子」に稍(や や)照応する)より成る。唯、此の多元論は、神が『中央単元』として万物を一 箇の具体的の覊絆(きはん)を以て互に連結せしめると言ふに至つて一元論 となつた」 (エルンスト・ヘッケル著、後藤格次訳、1928、『生命の不可思議 (上)』岩波文庫、123頁) 。エルンスト・カッシーラーのヘッケル記述 賢治の表象する世界は小 宇宙が互いに、他の小宇 宙を映し出している。 ライプニッツ のモナド論 賢治からの引用 ・「あけがたになり/風のモナドがひしめき/東もけむりだし たので」(「七三 有明」)註ⅶ ・「いま青い雪菜に/うすい春の霜がおりたのであるか/そ れとも残りのつきしろやさしい銀のモナドであるか」(いま青 い雪菜に)註ⅷ ・「銀のモナドのちらばる虚空/すべて青らむ禁欲の天に 立つ/聖く清浄な春の樹の列」(銀のモナドのちらばる虚 空)註ⅸ モナド的賢治 ライプニッツの森羅万象を映すモナドは、華厳経の宝珠ときわめて似 ています。金子務、2010、500頁の要を得た記述によると、「『春と修 羅』序の中に「すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなの おのおののなかのすべてですから」という言葉がありますが、まさにモ ナド的世界」を表わしています。「私という存在も含めてすべてがそう いうモナド的存在であるから、「すべてわたく〔し〕と明滅し/みんなが 同時に感ずるもの」を心象スケッチする意味を見出すのである」。すな わち「部分の中の全体」を前提にした、モナド相映をみとめることがで きます。 青森を通過する賢治は妹トシの死を思って「おもては軟玉(な〔ん〕ぎよ く)と銀のモナド/半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ」(「青森挽歌」第二 巻本文篇、166頁)といい、妹との魂の交感に身を賭すわけです(「青森 挽歌」第二巻本文篇、163頁)。つまりモナド相映による交感です。 鈴木健司,from:Website http://hdl.handle.net/2065/2850 付記2に よると、「半月」は1922年(大正十一年)8月1日、午前3時ごろ、月齢 17.7日と推定されるとしています 。 四次元芸術=ザラリとした大地 賢治の四次元芸術において、われらは「まづもろともにかが やく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう/」、そうした 未完成であり続ける営みの単位は、 ―農民芸術概論綱要 の言葉のように「永久の未完成これ完成である」―未完の有 限者として無限のモナドの連鎖につながります。賢治のsub specie aeternitatis(永遠の相から)の四次元表象と重なる 「われらの声」は、「しかもわれらは各々感じ、各別各異に生 きている」 。 農民芸術概論綱要 モナドに残響する声(『インドラの網』) 自然はかくも美しい 驚きからの 出発 哲学の誕生 哲学発祥の地、ミレトスの港町では、繰り返し際限なく波が 岸辺を洗っていました。その刹那の水の容(かたち)は、そ の部分にも海そのものの容を抱えているのです。波頭はさ かまく海の縮図とも言えるからです。 そればかりでなく、紺碧の海は白雲を紡ぎ出し、そこから生 命は慈雨を頂くことでしょう。生命の反復をはらみながら、 水は微小反復を通して無限の循環をつくり出します。ピュシ ス=自然の生成変化は、海に範型をもっています。タレスが 叫んだ「水!!」の言葉は、そうした悠久の感覚をとどめている のです。 雪片図形の無限の反復 科学・宗教・芸術の誕生 西洋哲学の開闢註ⅩⅣ 自然の開披 ミレトス学派→科学 魂の神秘 ピュタゴラス学派→宗教 文芸批評 クセノパネス→芸術 PHILOSOPHY 西欧近代科学の草創期において、「(「前科学期」 の)科学」と「哲学・宗教」は一体化していました。裏 返せば現在で言う哲学者と科学者の境界は、当時 の通念では明確ではありませんでした。 科学者とは昔、哲学者の一員でした。 驚きを語る言葉 物語りの復権⇒ナラティヴという方法 杉山滋郎,2002,「科学教育」金森修/中島秀人編『科学論 の現在』勁草書房,104頁。 「こんなことは、「科学教育」に対し重要なことを示唆する。 つまり、一般の人々が、どんなことについて知りたがってい るか、なぜそれを知りたがっているのか(知りたがらないの か)、科学のどこに不安や嫌悪を感じているのか、それはな ぜなのか、などなど、一般の人たちのよってたつ状況・文 脈を考慮に入れて「科学教育」を行なわねばならない、と いうことである」。 モード2と物語り モード2の出現にともなって、わかりやすいか たちで科学のあり方を、人々に啓蒙するよう、 要請されるのが現在の科学のあり方です。 物語りによって科学の驚きを語る言葉の果た す役割が増えてきています。振り返ればレク チュアの最初に扱った高木仁三郎、2000、 『鳥たちの舞うとき』工作舎はそのいい例です。 科学とナラティヴ モード2まで、科学の研究者だけが極めて例外的に、 その活動と成果の発表の目的を同業者にのみ限 定してきました。しかし今や自分の研究内容を、同 業者でない他の領域の人々、あるいは一般の人々 に説明し、十分納得させなければならないことを、 研究者には要請されるようになったのです。ちょう ど文学や音楽と同様に、科学はアマチュアに対し て発せられるものでありうるのです。この文脈で言 えば科学を芸術のように生み出すことが要請される のです。 まとめ 科学の啓蒙における驚きを語る言葉!! 主な文献一覧 野家啓一,1996,「ザラザラした大地 宮沢賢治とウィトゲン シュタイン」『へるめす』岩波書店、49-55頁。 見田宗介,2001,『宮澤賢治』岩波現代文庫。 亀谷聖馨,1924,『華厳哲学と泰西哲学 : 東西思想の比較 研究』哲学宗教研鑽会。 高木仁三郎,2000,『鳥たちの舞うとき』工作舎。 エルンスト・ヘッケル著,後藤格次訳,1928,『生命の不可思 議』(上)岩波文庫。
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