スライド 1

経営目的
経営とは
• 現代社会は、家庭、企業、政府、病院、学校、宗教団体等
色々な組織体により構成されている。これらの組織体はみ
な形やその規模の違いはあれども経済活動を行っている
と考えられる。ここで述べた経済活動とは「財・サービスを
最小の犠牲で最大の効果を上げるように提供する」ことと
考える。たとえば、家庭では労働力を企業や他の組織体
に提供し、その見返りに給与などを受け取り、企業は財・
サービスを提供し、その見返りに対価や料金を受け取る。
経済学では提供のことを貢献と呼び、見返りのことを誘引
と呼ぶ。経営の問題はこの貢献と誘引との関係の中にあ
るといえる。つまり、最小の犠牲で最大の効果を上げるよ
うに取り計らうことが経営の目標であるといえる。それでは
経営とはどのような活動を行うのか。次の2つの図に表現
してみる。
経営プロセス
財・サービス
経営資源
人
物
金
情報
技術
Input
(投入)
Output
(産出)
Throughput
(価値変換)
Market
(市場)
経営サイクル
経営計画
Top
(トップ)
階
層
Plan
Plan(計画)
See 社長 Do
See(評価)
Plan
Middle
(ミドル)
Plan
Plan
See 財務 Do See 総務 Do See 人事 Do
Plan
Bottom
(ボトム)
Do(実施)
Plan
See 販売 Do See 生産 Do
企業とは
• 企業とは
– 生産経済を営み
– 独立した主体である
経済社会の各種の組織体は経済活動をしている。しかし,企業以外の組織体は,労働九行政サービス,医療
サービス,教育サービス,心のケアサービスを行っており,財の提供は行っていない。この財すなわちモノの
提供は,企業以外の他の組織体と違うところである。生産経済を営むということは,商品を最小の犠牲で最大
の効果をあげるように生産するよう取りはかることである。しかし,最近では,サービスも財に含めるように
なってきている。すなわち,商品という有形財とサービスという無形財というようにである。そのようにとらえた
場合,企業と他の組織体の活動とは相違がみられなくなるが,経済合理性がより強く求められるという点から
すると,企業と他の組織体と区別をつけることができる。
次に,独立した主体の独立とは,①財・サービスを提供したけれどその見返り(対価)を受けることができな
かった場合(たとえば,取引先が倒産してしまい・売掛金が回収されないという場合)でも,その損失の責任を
とること,②財・サービスの提供の対価を自分のものとしで,自分の意志で処分することができることの2つで
ある。また,主体とは:「自分の意志と決断で行動し,他に働きかけたり影響を及ぼすもの」(集英社国語辞
典)という意味であるが,具体的には,自分の意志で行動する当事者ということができる。以上のように企業を
理解すると,「企業とは生産経済を営む独立した主体」ということになる。
企業の特徴
この「生産経済を営む独立した主体」と定義づ
けられた企業は,どのような特徴があるので
あろうか。その特徴として次の5つをあげるこ
とができよう。
① 財・サービスの提供
② 経済合理性の追求
③ 経済計算単位
④ 危険負担と成果の獲得
⑤ 社会的責任の遵守
以上5つの特徴の相互関係を示すと,図のよ
うに示すことができる。
企業の特徴
•
•
•
まず「生産経済を営む」ということから,財・サービスの提供の活動を経済合理的
に,しかも継続的に行う必要がある。すなわち,「最小の犠牲で最大の効果をあ
げるように計らいながら,財・サービスの生産・提供をする」ということになる。この
行動の基底に経済合理性の考えかたが流れている。経済合理性の合理性とは,
一言で言うと,「何かに適う」ことである。したがって,経済合理性は,「経済的に
適う」ことである。企業は,財・サービスを経済合理性が成り立つように提供する
行動をとる。このことは,企業が経済計算単位であるということを示している。
さらに企業は,独立主体である。つまり企業の行動によって生じた危険,すなわ
ち,不良債権(回収できない売掛金や受取手形など)などに自らの責任で対処し
なければならない。たとえば,不良債権が生じても仕入先,外注先へ支払うべき
ものは支払うなどである。このように企業は,危険負担をする代わりに成果の獲
得をすることができる。すなわち,収入や利益を法律上の規制以外に自分の意
志で処分することができるということである。
以上の4つは「生産経済を営む独立主体」としての企業の基本的な特徴といえる
ものであるが,企業が社会のなかで重要な存在になるにつれて出現した特徴とし
て社会的責任の遵守がある。経済社会のなかで財・サービスを提供するという生
産経済を担当する企業は,まず財・サービスの提供という責任を果たす必要があ
る。これは企業が社会に果たす基本的責任であるといえる。また企業は,法人と
いわれるように法律上 人とみなされる。われわれ,人間が社会のなかで「良き
市民」として生活することが求められるのと同じように,企業も「良き企業市民」と
して生活することが求められる。
企業はなぜ存在するのか
• ニーズのある財・サービスをつねに創造し,かつ提供すること
– 原始社会では,自給自足経済であった。そこでは個人が生活していく
うえで必要なものは,自分自身でつくり消費するという生活であった。
ところが,そのような生活では,生活で必要なものでも自分でつくると,
できばえも悪く(品質的に劣る)かっ費用的にも高くつく(生産コスト
高)ということが発生する。その発生は,適性ということからと考える。
そこで人びとは,分業ということを考え出した。つまり生産と消費の分
離である。生産と消費の分離が生じると,そこには生産者と消費者と
の問に交換という行為が生じる。その交換手段を容易にしたのが,貨
幣である。交換手段として貨幣が発明されることによって交換が容易
になると,生産者は,消費者のニーズに応える財・サービスをますま
す創造し,結果として文化的・快適な現代社会を招来した。現代社会
生活において,人びとは,朝起きてから夜寝るまで,企業の提供する
財・サービスのお世話になっている状態である。企業の存在理由の
第1は,ニーズのある財・サービスをつねに創造しかつ提供すること
である。ここにDrucker,P.F.(1954)の「顧客の創造(to create a
customer)」といった名言が生まれたものと理解する。
企業はなぜ存在するのか
• 品質の維持向上に努めること
– 自給自足経済から,生産と消費の分離の経済へ移
行したいま1つの根拠が品質の問題と考える。「餅屋
は餅屋」である。つまり,餅をつくるのが上手な人が
餅をつくった方が素人より品質の良い餅をつくること
ができる。生産と消費の分業によって,特定の財・
サービスを創造し,かつ提供する企業は,特定した
財・サービスについて適性があると考えられ,「餅屋」
になっているものと理解する。消費者は,必要なもの
を自分でつくるよりも,品質的に優れたものを入手す
ることができるのである。企業は,品質の維持向上に
努めることによって,存在することができるのである。
もし,その逆に品質の劣るものをつくっている場合,
消費者は離れていき,企業の存在も危なくなる。
企業はなぜ存在するのか
• 消費者に合理的価格で提供するように努めること
– 合理的価格で提供するということは,消費者がその財・サービ
スに対して支払っても満足するという価格で提供しても,企業
側は利益をあげることができるという2条件を満たすことである。
企業の提供する財・サービスは,消費者(利用者)が満足して
喜んで支払う価格でなければ,その財・サービスは売れないも
のと考える。消費者も経済行為をしているからである。経済行
為の経済とは,「最小の犠牲で,最大の効果をあげる」こととと
らえる。消費者からすると,財・サービスの価格が犠牲で,購
入・利用が満足(効果)と考えることができる。消費者が財・
サービスを購入・利用するということは,消費者がその購入・利
用に支払った価格(犠牲)で満足した(効果があったという)こと
であると理解する。 しかし企業側からすると,その提供した価
格で利益をあげることができるようにはからなければならない。
経営目的
• それぞれの企業は,企業としてどうありたいか,あるべき姿としてどのよ
うな状態にしたいかについて志(こころざし)を抱いている。企業が経営活
動を通してどのようにしたいか望む状態のことを経営目的という。企業に
は,顧客,出資者,従業員,取引企業,金融機関,政府,地域社会など
多くのステークホルダー(stakeholder:利害関係者)がいる。企業は,これ
らのステークホルダーと日々,調整しながらかれらの満足を得ようと努め
ている。したがって,経営目的は,ステークホルダーの合意が得られるよ
うな条件を満たす必要がある。そのためには,企業はステークホルダー
との調整をはかりながら維持・存続をはかっていくことが必要になる。
• 経営目的は,企業内の意思決定全体を方向づけたり,従業員を動機づ
けしたりするはか,企業外のステークホルダーに対して支持を得る道具
やシンボルとなるなど経営活動に一体性やまとまりなどの統合性を与え
る。統合性を高めるためには,経営目的は包括的で抽象度の高い表現
が望ましい。一方,「どうありたいか」という到達状態を示すことで企業や
従業員の業績評価基準になるので,それだけ具体的でわかりやすい表
現にすることが望ましい。到達したかどうかを客観的に測定できるように
経営目標には操作性が求められるのである。
経営理念
• 経営目的の「あるべき状態」として,信念,信条,理想,ビジョン,
根本精神,哲学などの「望ましい」価値的側面を表したものが経営
理念であり,客観的で測定ができるような「到達状態」である事実
的側面を表したものが経営目標である。たとえば,比較的短い表
現の経営理念として,「独創的な製品の創造によって,人々の生
活向上に貢献する」(カシオ),「より楽しいスポーツライフとスポー
ツの振興を通じて社会に貢献する」(ミズノ),「人間の生命の輝き
をめざし,若者の勇気に満ちて,価値のフロンティアに挑戦しよう」
(サントリー)などがある。また,「××%の市場占有率を獲得す
る」「〇〇%のROI(投下資本利益率)の達成」など売上高,利益率,
生産性,付加価値率などは経営目標の例である。
• 経営理念は,企業の創業者や経営者が制定し,それには価値観
や信念が含まれている。経営理念には,企業の使命や存在意義
を表す経営理念,および,それを具体化した基本方針や従業員の
行動指針である経営行動基準が含まれる。そして,経営行動基準
には法令を遵守し,倫理的行動をとることを求めている場合が多
い。
経営目標
•
経営理念は統合性を高めるために抽象的な表現になるのに対して,経営目標は操作性の
ある具体的な表現になると述べた。そのため,経営目標は具体的な数値で表される場合が
多い。それでは,経営目標にはどのようなものがあるのであろうか。企業は,維持存続する
ために,「金儲け」をすること,利益(利潤)をあげること,すなわち「金儲け=利益」と考えて
いる人が多いかもしれない。昔から「金儲け」には,私利私欲や強欲のイメージがあり,「清
貧を等し」とする儒教の教えと相容れず,軽蔑の目で見られたことは否定できない。そして,
「金儲け=利益」ととらえられてきたのも事実である。それでは,企業が利益を追求すること
は,忌み嫌われるような否定的なことなのであろうか。決してそうではない。現代の企業に
おいては,利益を追求することは正当なことで,否定的なことではない。利益追求の手段と
して法令に違反したり,倫理的に反するような行動は責められなければならないが,そのよ
うな企業は自ら自分の首を絞めることとなり,維持・存続さえ危うくなるのはいうまでもない。
しかし,多くの企業は,ステークホルダーとの共生をはかりつつ,利益をあげることで税金を
払い,内部留保することで維持・存続できるのである。たとえば,政府の財政が危機に瀕す
ると種々の行政サービスが切り捨てられるが,その一因が多くの企業が赤字で税金を納め
られていないことによる税収減によるものであることを思うと,企業が利益をあげることの重
要性が理解できよう。ただ,利益は有力な経営目標ではあるが,それのみが経営目標では
ない。利益以外にも,売上高などの収益性,生産性,新製品開発や顧客の開拓などマーケ
ティング,地域や環境対策などの社会的責任など多くの目標がある。複数の目標のうち,ど
れを優先するかについては,企業のおかれている状況によって異なってくる。
経営目標
図Drucker,P.F.(1974)の唱
える経営目標体系である。そ
れによると,企業の存続・成長
には,顧客の創造が根本目標
であり,それを実現するため
には収益性に関する目標を含
む8種類の個別目標が必要に
なるというユニークな主張をし
ている。彼は,顧客の創造を
最上位の目標とし,利益につ
いては存続・成長にとって,必
要不可欠なものとしている。ま
た,求められる利益の水準と
しては,存続・成長のための
投資,リスク・不確実性への備
え,革新などに必要となる費
用などの企業の未来費用であ
るとしている