2001.12.21, 福岡教育大学にて 21世紀の数学教育 への期待と仕掛け作り -作図ツールに関わる体験を中心に愛知教育大学 飯島康之 [email protected] http://www.auemath.aichi-edu.ac.jp/teacher/iijima http://www.auemath.aichi-edu.ac.jp/dgs/ 0.はじめに 教室の講演会を引き受けるような立場ではないので,まだ「本当にい いのかな?」 岩元先生には大風呂敷なタイトルを選んでいただいたので…困った。 「幾何」担当の講演会→私自身は数学教育の研究者だが,幾何のこ とも触れないといけない? 「ソフトの話を聞かせていただけるということで..」→ソフトのことも触 れる必要がある 限られた時間の中で何を話そうか… この資料は,それなりに幅広く作っておいて,その場に応じて必要な話 題を取り上げよう。話せないことは,読んでいただき,面白いと思った ら,Webを見てね。「さらに」の場合はメールで続きを。 1.私はどういう人間か(1) 数学教育(特に図形教育)の研究者 作図ツール GC の開発者 国内の多くの学校で使っていただいている 1995年頃からインターネットをよく使う 学内/学外で情報化関連のことに携わる 2000-2001:文部科学省の学習資源デジタ ル化・ネットワーク化推進事業の委嘱 2.私はどういう人間か(補足) 1959生まれ:出身は埼玉県本庄市 1978-82:学部では数学ばかり(ゼミは微分 幾何,その他トポロジー,力学系など,幾何を 中心に) 1982-87:大学院は博士課程(教育学研究 科,数学教育) 1987-1989:上越教育大学 1989-現在:愛知教育大学 3.私はどういう人間か(2) (どういう立場で今日の話をしたいか) 定年まではまだ20年以上 私にとっては1995年から21世紀 いろいろな仕掛けを作り,実践し, 模索している。 つまり,みなさんと一緒に,21世紀を作っていきた い。 「幾何」という立場での講演→幾何あるいは幾何 教育の面白さ 4.21世紀ってどんな時代だろう 「3割削減」に始まった21世紀の数学教育 しかし,前向きの可能性も「ある」。 「均質」から「多様性」へ 「個人」を生かす時代へ 「やりたいこと」を伸ばす時代へ 説明責任や情報公開をしつつ,目の前の子ども・ 地域等にあった「サービス」を提供する業種とし ての教育 カリキュラム設計をする自由度・権限が大幅に学 校・教員に委ねられると共に,自由競争をするべ き時代へ 5.21世紀は20世紀とは違う 20世紀は「組織」の時代。(いい高校→いい大学→いい企業/官庁→い い???) / 21世紀は「個人」あるいは「個人」の集まりの時代。 20世紀後半?は横並びあるいは,護送船団方式の時代。不満はあっても,そ こでじっとしている分にはそれなりの快適度。/ 21世紀は自己主張の時代。 あるいは競争の時代。誰でも「敗者」になりうる時代 / 「敗者復活」あるいは いつでもチャンスがある社会にしないと将来はない。 20世紀は拡大/高度成長の時代。21世紀は安定成長あるいは高齢化/成 熟の時代。/借金の処理ができるかどうか分からないが,物的には非常に豊 かな現実/「身の丈にあった将来」を目指そう 20世紀前半的な「国家」はなくなりつつある。同時に,「自分だけがよければ いいだろう」という気持ちが蔓延し,「公共性」が失われつつある。それはい いことなのか? 20世紀に想像していたのとは違った形で「生涯教育」が当たり前のものに なってきた。「教育」は学校教育だけではないし,「養成機能」だけではない。 システム全体のあり方を含め,考え直す必要がある。 コンピュータやインターネットそのものは,巨大な「学習環境」。 6.なぜ数学を学ぶ/教えるのか 私たちの出発点/到達点は「数学/数学教育」 数学が好きな人/先生希望の人に聞くと, 「数学が嫌い,役に立たない,自分には数学は分からない」と思ってい る人々が実に多い。 「いい点が取れたから」という過去の栄光? いい大学に入るため? 「数学で何をしたいの」→? 最近,算数科教育の授業でとても実感している 「できるがきらい」と「できないが好き」はどっちがましか 数学は入試のための点取りゲームか? 数学教師の「原点」としての,「面白いから,楽しいから,役に立つから」 を言葉で表し,行動で説明・演出できることが必要なのではないか。 7.自分たちは「数学をしている」か? 1980年代の問題解決研究等から学んだこと 「与えられた問題を解く」ことはしてきた。 それだけが「数学」か? 「数学する」ことについて,もっと多くの言葉と事例を持とう。 「自分にとって得意な事例」を持つことが,これから数学教 師として生き残っていくための最も基本的な方法 計算力の欠如などで,「やりたくてもできないこと」は多 かった。では,それをコンピュータなどが支援してくれると したら,「本当にやりたかったことって何?」 自分の場合はそれが「幾何での探究」だった。 8.GCの世界 –私の仕事場? 図形を「関数」とみる 図形を動かすとこんな数学がある 図形を動かすとこんな授業ができる 1989~:DOS版,1997~:Win版,2000~:Java版 1995~:Web(GC Forum),独自のコンテンツ開 発:GC World, 2000~:教科書準拠のコンテンツ開発 2000~:独自コンテンツのJava化:GC World2 9.GCと幾何/事例を中心に 最も基本的な例としての「4角中点」 考え方は「応用可能でなければいけないが,現実 にはできない」例としての「4角角2分」 問題提示の工夫例としての「2円1線」 瞬間芸?:三角形を元に何をしようか 探究例:シムソン線に関連して 複素数:1/zの軌跡,2次方程式の解の所 在,{z^n} 写像,変換を調べるための道具 不変量などは,発見のための「当たり前」 10.GC設計/開発での工夫 「図形は関数」という基本発想 「思考を妨げない」ことの重視,主役はユーザー 特定の問題でなく,扱いたい探究事例「群」 数学のための道具である以上に授業の道具 「その時点」で最も多くの学校で利用可能な形態での開 発(DOS[98/FM/DOSV]→Win→Java) ソフトは単独では意味がない。データあるいはそれを使っ たコンテンツが重要(ブラウザ内で統合) DOS時代はself-contained, Winは他のソフトとの連携, Javaでは「部品化」 「ソフト開発」から「コンテンツ開発」へ重点の移行 11.GCは何のための道具か 自分の数学的探究のための道具 生徒の数学的探究のための道具 授業でオープンな発問をするための道具 多くの生徒を主役にするための道具 分かりにくいことを分かりやすく提示するための 道具 自分の思いを実現するための道具 いろいろな先生が勝手に楽しんでくれる道具 12.最初はGCをどう位置づけ ていたか(研究者として) 幾何教育目標論の見直し(1982~,大学院生) 探究的活動などは,させたくてもできない現実 パソコンの発展, Quick BASICの登場(1988~?) 実現したい目標を実現可能にするための学習環 境の設計/開発 その学習環境を使った数学的探究の特徴の明 確化 新しい学習環境を前提としたカリキュラムの開発 13.開発・公開を進める中で(1) 自分の数学的探究を広げてくれることの喜び 設計/実装というプログラミングと数学的思考の接点を楽 しむ ソフトを育ててくれる多くのユーザー(先生方) 新しい教材開発や授業研究をすることの喜び 「この子」の反応がどう変わるか/「この先生」の授業スタ イルがどう変わるか 純粋に「理論的な研究」とは違った面白さ。教育現場に関 わりを持て,それを変えられるかもしれないという面白さ。 14.開発・公開を進める中で(2) 自発的に変わる先生の割合はそれほど多くない (広がっていかない)。 特に若手の研究仲間が増えない(元々の人数が 少ないこともある。しかし,一方で,自分が面白い と感じる教材を育てる熱意も低いのではないかと 感じる)。 同じ研究・努力をあちこちで繰り返している。(深 まっていかない) GCができて10年以上がたったが,現場は何も変 わっていないのではないだろうか。一方で,外国 の多くの進展を横目で見ると,暗澹たる気持ちに 15.インターネットのインパクト 予算なしでも,「その気」と「労力」さえあれば,グ ローバルに情報発信 「興味・関心」を持っている人たちと日常的に議論 ができる 誰もがいつでも使える環境を提供できる。 多くの人の貢献をうまく整理でき,情報交換できる ようにすれば,かなり面白いことを多くの場所でで きるようになり,教育現場が変わりうるのではない か。 16.仕掛けとしてのインターネット 資料庫としてのWeb (書籍は1000部も売れない。アクセス数は..) (印刷・製本・郵送に要する時間とコストと比較) 議論の場としてのメーリングリスト (去年から約14ケ月で1000通×70名を議論) アイデアがあれば,それを試験的に実施 すぐに評価してもらい,「いいものは育て,よくないものは 捨てる」 2005年までには,すべての教室がインターネットにつなが る つまり,インターネット上に作るもの = すべての教室で 使ってもらえるかもしれないもの。 17.2005年までの教育の情報化 すべての教室にネットワーク + コンピュータ (+ プロジェクタ) 先生の日常的な道具としてのネットワーク + コン ピュータ すべての教科書に対して教科書準拠コンテンツ の整備(?) それ以外のコンテンツも整備 「課題学習」「選択」「総合的な学習」など,教科書 の枠にしばられずに教材開発を行える領域が増 える。 18.作図ツールコンソーシアム 文部科学省による教育用コンテンツ開発事業(4種類) その中の一つ:学習資源デジタル化・ネットワーク化推進 事業(2000-2001年, 17プロジェクト) 教科書準拠のコンテンツ開発の方法論の開発 CDあるいはネット経由でいつもGCを使えるようにするた めのGC/Java開発(飯島・大日本図書・ゼータの共同研 究) 中学校教諭50名を含む70名のメンバー MLでの議論(1000通),研究授業のCD化など,いろいろな 試み ここはかなり積極的に成果を公開 (でも,現場の先生方はあまり知らない?) 19.この仕事から感じたこと 今まで,予算がなかった。この2年,今までに経験したことがないことが 起こった(もうないかもしれない)。 予算がなくても,10年かかったら,同様のことを一人で行ったろう。しか し,完成した10年後には,もう時代遅れになっていたろう。予算があり, 他人の仕事を任せることができることは,仕事を加速し,時代の要請 に合わせることができる。 予算はあっても,できないことはできない。予算がなくてもできること はできる。いいアイデアを出し合い,何を実現したいかを議論し,実際 に使ってもらうことが何より大切。 しかし,別の目で見ると,これはある意味での「公共事業」ではないか? 悪い意味での公共事業にならないようにするための工夫/監視が必 要。 いい意味での投資も必要。いい事業が効果的に行われることが重要 20. 教員養成系大学のこれか らの仕事:コンテンツ開発 やりがいはあったが,とっても大変。でも,そういう ことを続けていかなければ,我々の今後はない。 2002年度からの科研費(特定研究領域)をはじめ として,様々な予算がつく可能性はある。 いいプロジェクトを多くのグループで前向きに進 めていきたい。そして,現場の先生方や授業を活 性化していきたい。そういう場面では,教員養成 系大学の内容学/教育学の両面のスタッフの価 値が引き出せるのではないだろうか。 実際,2005年以降は,大学と「すべての学校/教 室」はネットワークで直接つながっている。 21.こんなこともしてみている。 授業のオンラインライブラリ化 雑誌(イプシロン)のオンライン化 GCなどを使ったコンテンツ開発 ちょっとしたソフトの開発 しきつめ君→学生の卒業論文として 落書き君/書き順→情報教育概論の素材として 算数ゲームセンター→Webプログラミング ..こういうことは,どこの教員養成系大学でもでき るはずだし,連携すれば,面白いことができるはず。 (予算はあまりいらない。気持ちと労力は必要だ が。) 22.最悪のシナリオ 「3割削減」による基礎学力の低下 「総合的な学習」を含め,新規事業が何も効果を生まな い 情報化のための投資が電機業界救済のための公共事 業 コンテンツ開発も新規の公共事業化 「官製」のコンテンツ伝達のための情報化と,誰も使わな い機器,機器の管理に消耗される「力のある教師」 国力の低下あるいは財政破綻 でも,誰も責任を取らない 年金ももらえず,路頭に迷う私たち? 23.最悪にならないためには 「人材としての教員」を生かす いいものは残す/伸ばす。いらないものには別れ を告げる。 いろいろな意味でのコスト意識を持つ。 自分にとっての得意分野を作り伸ばす。そうでな い部分については人的ネットワークを生かす。 「こういうことができれば,こんなことができる」とい う具体的なプランを作り,提案する。いいアイデ アにはすぐに反応し,できることはすぐに実現し育 てることができるような,「打てば響く」環境作り。 24.おわりに 21世紀って,そんなに悪い時代じゃない。 その気になれば,「自分を生かしてくれる」時代だ と思う。 教員になるのは今は確かに難しい。でも,情勢は 変わりつつある。 逆に,「なったら教育の専門家」として活躍してほ しい。 また,教員にならないとしても,社会の中での教育 的な側面を増えている。その素養は必ず生かせ ると思う。 ぜひ,面白い時代を作りましょう。
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