観念論について バークリ(1685~1753) 物質否定論→観念論 1709年 『視覚新論』記号としての世界 1710年 『原理』 1713年 『対話』 1732年 『アルシフロン』 対話 記号としての世界 神の存在証明 神の存在証明 『宇宙論的証明』 動かすものの第一原因たる神 例 アリストテレス『不動の動者』 トマス・アクィナス 『存在論的証明』 それより大きいものが考えられないもの 例 アンセルムス『プロスロギオン』 『アルシフロン』の第4対話 別の神の存在証明 魂が働いた結果としての身体のある在り方 感覚では知覚できないものの存在を直接知覚されるものから 推論できる(例 人の動きから他人の心の存在を推論する。) 知覚される身体の在り方から知覚できないものを推論する‥ このような身体の在り方は『記号』である。 『記号』を通して原因を推論できる。 この世界の驚嘆すべき構造や働きを『記号』とみるとそこには 神が推論できる。 さて、そもそも本当に『他人の心』は存在するといえる のか? バークリの論法 他人の心は存在する‥言語を使用するから 神も言語を使用する。‥視覚が神の言語である。 視覚と記号の類似性 記号は表示すべきものと似ていない。必然的な結 びつきはない。 視覚も 遠いものと近いものが区別がつくのは経験的に知っ ているからであって必然的な結びつきはない。 形についても。『モリニュー問題』 (ヒュームの因果性についての議論を先取りしてい る。) 現代の心の哲学 ギルバート・ライル 1949 『心の概念』 心の哲学の古典の一つ 身体のある在り方が心のあり方として捉えられる 『原理』 りんご‥色、形、味、香りといった知覚の集合体 知覚の対象のすべてを『観念(アイディア)』と呼ぶ 。 観念の寄せ集めであるりんごも観念。 『対話』 熱 非常に熱い→痛みとして感じる→心の中にある 非常に冷たいもそう。 適度なら→心地好さを感じる→心の中にある →ものの性質と思っているものも心の中にあるもの であり『観念』とよばれているものである。 『快苦との同一視による議論』 『対話』 熱 同じ熱でも熱い手には冷たく、冷たい手には熱く感 じられる。同じものが状況に対して相対的に異なる 仕方で知覚される。 『相対性からの議論』 『対話』 ピンが指に刺されば結果としての痛みはピンでは なく心の中にある。 火の場合も熱さは結果であり心の中にある。 『因果関係からの議論』 存在することは知覚されることである 観念としての物(可感的なもの)は知覚されている ときしか存在しない。 『存在することは知覚されることである』 エッセ・イズ・ぺルキピー 存在する‥ラテン語でエッセ 知覚されること‥ラテン語でぺルキピー 抽象観念説批判 ロック 抽象観念(一般観念)の存在を認める。 – ミルクの白さの観念だけを分離して取り出せる。 バークリーの批判、色は形を伴ってしか現れない。 三角形にしても鋭角でも鈍角でも直角でもない三角 形を考えることはできない。抽象観念はない。 可感的な物が知覚されていなくと存在するというこ とはあるはずのない抽象観念を認めることになる。 存在することと知覚されることは切り離せない 観念論 心以外のすべてが心の中にある。 観念である可感的なものを知覚能力のない物質が 持つというのはおかしい。 物質についてのそれまでの捉え方 知覚している観念と似た物質が存在する →バークリの批判『似たもの原理』 それは観念である。 観念に似たものを考えたらそれは観念以外にはな い。 物質についてのそれまでの捉え方 ロックの物質肯定論 物質は色や味等の二次性質は持っていないが 形や大きさなどの一次性質は持っている。 →バークリの批判 形や大きさなどの一次性質だけを 持ち色などはもたない物質は想像できない。観念で ある色と切り離せないこれら一次性質も心の中にあ ることになる。そもそも形や大きさは『相対性の議論 』によって観念である。 マスター・アーギュメント 誰も知覚していないのに存在している木を想像す ることはできる →バークリの批判 それを知覚しているのはあなた 自身ではないか。 どんな物質でも心と関係なく存在するものとして考え ようとしても、それを考える人の心が知覚する観念 でしかない。(『マスター・アーギュメント』) 因果関係 知覚に原因・結果の関係は成り立たない。 観念はすべて活動性を持たない。 人間の心は想像の観念の原因になりうる。 例 花を思い浮かべる 一方五感でじかに知覚している観念「感覚の観念」 は作り出すことができない。 それらには規則性がある。 神が心の中に感覚の観念を生み出してくれている。 観念同士には因果関係ではなく記号関係的な規則がいきわ たっている。 観念同士の記号関係的な規則 1.日差しがあるところに身体を移動させると身体が温 まる。 2.何度も経験する 3.光の観念が暖かさの観念の記号として働くようにな る。 こういった規則が『自然法則』 観念論の系譜 バークリ(1685-1753) ヒューム(1711-1776) 独断のまどろみ カント(1724-1804) 超越論的観念論、物自体を認めてい る フィヒテ(1762-1814) 物自体を批判 ヘーゲル(1770-1831) シェリング(1775-1854) シューペンハウアー(1788-1860)『意志と表層としての世 界』 マッハ(1838-1916)『感覚の分析』 観念論の系譜2 ポパー(1902-1994)によるバークリ再評価 リチャード・ローティ(1931-) 言語論的観念論者 バークリの観念論の批判的検討 ロックの物質肯定論 • 物は一次性質(形や大きさ)だけを持つ • 一次性質だけを持つ物そのものが感覚器官に働 きかけて熱や色などの観念が心の中に作り出さ れる。 • 物はそれ自身は一次性質しか持っていないがわ れわれの感覚器官に作用して観念を心の中に生 み出す能力を持っている。(二次性質) • 物は感覚器官以外にも作用して一次性質を変更 する『能力』も持っている。(例 太陽の光がロウ を溶かす) ロックの物質肯定論 • 『人間知性論』(1689) – 心が知覚していない観念は存在しない。 – 心はもともと『白紙』の状態で人は生まれてくる (『タブラ・ラサ』) • 人間は生得的な知識はもとよりその材料となる『 生得観念』も持っていない。 • 観念は知覚されていないとき存在するのをやめる ‥やはり『エッセ・イズ・ぺルキピー』 ロックの三項関係的枠組み 17世紀の粒子仮説 • 日常的な物‥色のついたテーブル 『経験的対象 』 • 物そのもの‥一次的性質だけを持つ • 経験的対象は物そのものが我々の感覚器官を刺 激した結果として心の中で知覚されるものである 。→日常的な物は心の内なる『観念』‥『実体の 複合観念』 ロックの『実体の複合観念』 • 知覚されているものは皆観念。 • 観念には単純なもの(例、一様な色)と複合的な もの(色の組み合わせや形などとの組み合わせ) がある。 • 複合観念は単純観念の組み合わせ • 日常、『それ自身で存在している』と考えているも の(例 テーブル)を『実体』と呼ぶ。 ロックの『様態の複合観念』 • 『三角形』などの物の在りかたは、まず物が存在 していてその在り方としてのみ存在している。 ‥『様態』 • 三角形は三つの辺からなる。→複合的 – 三角形は複合的 ロックの『関係の複合観念』 • 親子関係 ロックの三項関係的枠組み • 日常、物と思っているものや物の持っている性質 、それらの関係は複合観念として心の中にある。 物そのものの導入によって日常の経験的対象は心の 中で知覚される観念となる。この物そのものと観 念と心の関係を『三項関係的枠組み』と呼ぶ。 • 経験的対象の示す様々な現象を考察するために 新たに物そのものを導入し、経験的対象は観念 として位置づけ直された。 バークリの批判的検討 • バークリの批判は知覚できない物そのものの導 入についての批判だった。 – しかし、その直接知覚されないものを認めないとす ると電子やニュートリノのようなものを説として認め るべきではなくなる。。 • ロックは物そのもの-観念-心 • バークリは観念-心 両者とも経験的対象を観念として扱う点は同じ。 バークリの批判的検討1 • ロックの三項的枠組みでは経験的対象を心の中 の観念として扱えたのは物そのものを導入したか らであり、観念という考えの前提に心の外にある 物そのものがある。 バークリの批判的検討1 『快苦との同一視による議論』 • 程度の高い熱さは痛みとして感じられる、痛みは心の中 – 心の中と心の外という区別を使っている。 『相対性の議論』‥ • 片方の手を温め、もう一方は冷やし、同時にぬるま湯に つける – • ぬるま湯、手は心の外にあるという区別を使ってい る バークリの結論ではすべて心の中にあるということにな る‥前提されていることが結論で否定されている。 バークリの批判的検討2 • ロックの説をバークリは心象的観念理解に基づい て批判しているが、ロックの観念は心象的ではな く概念的な思考に基づいている。 参考文献 「観念論ってなに?オックスフォードより愛をこめて 」富田恭彦
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