仏教説話

第五節
説話文学
制作者:朱惠群
一、説話文学の定議
説話を集めた作品のことを「説話集」と言う。一種のアンソ
ロジーである。文学性の備わったものを「説話文学」と呼ぶ。
民間に伝わる話を知識層が文章に記述することよって生ま
れた。
百科事典マイペディアの解説
説話文学とは
説話を素材とし文学的内容や表現を備えたもの,さらには
それらが集成されて一作品を構成するもの,すなわち説話
集のことをいう。伝説,昔話,世間話など,口頭で伝えられ
てきた説話が文字化されたもので,叙事的,非個性な短編
が多いが,伝えてきた人々の好尚,思想等が端的に表現さ
れている。
話話済信 に人乱仏 奈
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二
、
説
話
文
学
の
背
景
三、説話文学の流れ
1、平安時代の始めには『日本霊異記 (822)』が作られた。
2、中期には和文による 『三宝絵詞』(984)があった。
3、末期には庶民を対象とする浄土教などが流布した結果、説教、
法話が盛んに行われ、その聞き書きが『打聞集』(1134)として
現存している。
4、また世、仏教説話集として、王朝時代の優美さを残して伝え
ようとした『古本説話集』も、このころ作られたと考えられる
。
5、説話の内容にとって大体王朝説話、仏教説話、世俗説話の三
種んにまとめられる。
四、説話文学の作品
『日本霊異記』は、平安時代初期の弘仁年間に薬師寺の僧景戒に
作られた、日本で最初の仏教説話集です。仏教に関する異聞・奇伝
を描いた短編物語が、全部で112編集められています。 正しくは「日
本国現報善悪霊異記」といいます。その名の通り、“因果応報”(善
い行いや悪い行いに対する報い)の例となる話や、“霊験”(仏さまの
力が実際にあらわれる)の話など、仏教の教えを判りやすく具体的に
示すエピソードが多数おさめられています。
時代背景は、大和時代から平安時代まで。日本での仏教普及をす
すめた聖徳太子にまつわる話や、大仏建立の頃の行基の話、当時
の庶民生活と仏教との関わりなどがリアルに描かれていて、まさに
“物語による日本仏教史”ともいえるでしょう。
この日本霊異記は、主に中国の仏教説話集のスタイルを踏襲してい
ます。ここを起点として、のちの『今昔物語集』など、たくさんの仏教説
話文学が生まれました。
説話の舞台と世相 [編集]
上巻に35話、中巻に42話、下巻に39話で、合計116話が収められ
る。それぞれの話の時代は奈良時代が多く、古いものは雄略天皇
の頃とされている。場所は東は上総国、西は肥後国と当時の物語
としては極めて範囲が広い。その中では畿内と周辺諸国が多く、
特に紀伊国が多い。登場する人物は、庶人、役人から貴族、皇族
に及び、僧も著名な高僧から貧しい乞食僧まで出てくる。
説話自体が事実を伝えるものではないとしても、その主題から外
れた背景、設定からは、当時の世相をうかがい知ることができる。
田に引く水をめぐる争い(上巻第3)、盗品を市で売る盗人(上巻
第34、第35、下巻第27)、長期勤務の防人の負担(中巻第3)、
官営の鉱山を国司が人夫を使って掘ること(下巻第13)、浮浪人
を捜索して税をとりたてる役人(下巻第14)、秤や桝を使い分け
るごまかし(下巻第20、第26)などである。また、『霊異記』の
警告に反し、実際の俗人の生活様式が殺生と無縁ではなかったこ
ともわかる。
説話の主題と思想 [編集]
編纂の目的から、奇跡や怪異についての話が多い。『霊異記』
の説話では、善悪は必ず報いをもたらし、その報いは現世の
うちに来ることもあれば、来世で被ることも、地獄で受ける
こともある。説話の大部分は善をなして良い報いを受けた話、
悪をなして悪い報いを受けた話のいずれか、あるいはその両
方だが、一部には善悪と直接かかわりない怪異を記した話も
ある。
仏像と僧は尊いものである。善行には施し、放生といったも
のに加え、写経や信心一般がある。悪事には、殺人や盗みな
どの他、動物に対する殺生も含まれる。狩りや漁を生業にす
るのもよくない。とりわけ悪いこととされるのが、僧に対す
る危害や侮辱である。と、これらが『霊異記』の考え方であ
る。
転生が主題となる説話も多い。説話の中では、動物が人間的
な感情や思考をもって振る舞うことが多く、人間だった者が
前世の悪のために牛になることもある。
『三宝絵詞』は、永観2年(984)に、平安時代中期の学
者で、詩や文章にすぐれた源為憲(みなもとのための
り)が編纂した仏教説話集である。仏・法・僧の三宝を
上・中・下3編に収め、上巻は釈迦の過去世を伝える本
生話(ほんじょうわ)、中巻は聖徳太子以下18人の伝記、
下巻は仏教行事の解説と説話を記し、各巻に序をもつ。
本来は絵もあったと見られるが、現存しない。
三宝绘词》为佛教故事集,于永观二年(西元984
年),由平安时代中期擅于诗文的学者源为宪编纂完
成。全书是将佛、法、僧三宝分别集录为上、中、下
三卷,上卷为叙述释迦前世的本生故事,中卷是以圣
德太子为首等十八人的传记,下卷则记载有关法会佛
事的解说与故事,各卷皆有序文。本来可能有附图但
今已散逸。
『今昔物語集』は編者未詳、十二世紀前半成
立した、日本最大の古代説話集である。印度、
中国、日本の三大部門からなり、千余の説話
を集大成したものである、基本上是收集來自
於天竺、中國、波斯、阿拉伯、希臘、羅馬等
國的故事 。内容は仏教説話をおもにしたが、
しかし、それに単に仏への賛嘆ではなく、行
動する人間のありかたをもよくした。表現は
簡潔素朴、片仮名や漢字混じりによる和漢混
交文体によって統一さて、同時の口語や俗语
入れて『野生の美しさ』(芥川龍之介)を持っ
ていると評価された。芥川龍之介などの近代
作家にも大きな影響を与えている。
《今昔物语集》是总计三十一卷(其中欠缺三卷)的说话集,
成书于12世纪,作者不详。收录一○四○则故事。此说话集是未
完成作品,文中有不少空白(主要是固有名词或汉字无法表达的
和语),作者似乎想於日后再填补,终未能完成。第一卷至第五
卷的内容是印度故事,第六卷至第十卷是中国故事,第十一卷至
第三十一卷是日本故事。内容包括佛教故事与世俗故事,
前者系说明佛教信仰之功德与因果报应之思想;后者则
叙述历史人物之逸事与孝子、烈妇等道德故事。此外,
尚有文艺爱情、生灵、怪物、狐狸、仙人、盗贼等各种
传奇故事。每一则故事皆含有通俗处世教训之寓言。人
物五花八门,有僧侣、贵族、武士、农民、游女等等,
甚至连鸟兽、鬼神、妖怪都写进去。此物语系相对于当时
广泛流传有关贵族社会生活之物语及正统王朝文学之日记类而撰,
也就是说,所有平安王朝文学没写进去的物事,全部收录在《今
昔物语集》内,所以,这本著作,为了解当时逐渐抬头的武士与
庶民生活、思想之重要资料,且为后世镰仓时代之宇治拾遗物语
与古今著闻集等说话文学之创作源泉。
年代 [編集]
11世紀後半に起こった大規模な戦乱である前九年の役、
後三年の役に関する説話を収録しようとした形跡が見ら
れる(説話名のみ残されており、本文は伝わっていない)
事から、1120年代以降の成立であることが推測されてい
る。一方、『今昔物語集』が他の資料で見られるように
なるのは1449年のことである。
成立時期はこの1120年代~1449年の間ということになる
が、保元の乱、平治の乱、治承・寿永の内乱など、12世
紀半ば以降の年代に生きた人ならば驚天動地の重大事だ
ったはずの歴史的事件を背景とする説話がいっさい収録
されていないことから、上限の1120年代からあまり遠く
ない白河法皇・鳥羽法皇による院政期に成立したものと
見られている。
このため、『今昔物語集』は編纂後約300年間にわたって
死蔵状態だったと考えられている
作者 [編集]
作者についてはっきり誰が書いたものである
かは分かっていない。『今昔物語集』を『宇
治大納言物語』を改訂増補強したものと考え
る場合、作者は宇治大納言源隆国と考えられ
る。だが、その説はほぼ否定されている。他
にも、南都北嶺といったところに所属してい
た僧侶が作者という説がある。また、この説
についても一介の僧侶が個人的な理由で書い
たのか、またはその時代の天皇である白河天
皇の庇護下にあった何名かの僧侶によって書
かれたのかなど様々分かれている。奇説とし
ては『俊頼髄脳』を著した源俊頼とする説も
ある。
だが、どの説も想像の範囲を超えず決定打に
欠けている。
原話 [編集]
『今昔物語集』の話はすべて創作では
なく、他の本からの引き写しであると
考えられている。元となった本は『日
本霊異記』、『三宝絵』、『本朝法華
験記』などが挙げられる。また、平安
時代の最初の仮名の物語といわれる
『竹取物語』なども取り込まれている。
本朝世俗部の話には典拠の明らかでな
い説話も多く含まれる。伝聞資料に基
づき構成されたものがあったかもしれ
ない。
文体 [編集]
原文(鈴鹿本)は平易な漢字仮名交じり文(和漢混淆
文)(ただし、ひらがなではなくカタカナである)で書かれ、
その文体はあまり修辞に凝らないものである。そのため、古文と
しては比較的読みやすい部類に入る。一方、擬態語の多様などに
より、臨場感を備える。芥川龍之介は「美しいなまなましさ」
「野蛮に輝いている」と評している。話のテンポも軽妙で口語と
いった語りもふんだんに用いられ、典型的な平安文学とは一線を
画している仕様になっている。
極力、どの地域の、何という人の話かということを明記する方針
で書かれ、それらが明らかでない場合には意識的な空欄を設け、
他日の補充を期す形で文章が構成されている。例えば、典拠とな
った文献で「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいま
した」という書き出しから始まる説話があり、その人名が具体的
には伝わっていない場合であっても、その話を『今昔物語集』に
収録する際には「今ハ昔、
ノ国ニ
トイフ人アリケリ」と
の形で記述され、後日それらの情報が明らかになった場合には直
ちに加筆できる仕様になっている。このような編纂意図から発生
した意識的な欠落部分が非常に多いのが、本説話集の大きな特徴
である。
]
各巻の内容 [編集]
天竺部 [編集]
巻第一から巻第四までは仏教説話。巻第五は非仏教説話や釈迦の前世譚を含
む。
如:巻第一 天竺(釈迦降誕と神話化された生涯)
震旦部 [編集]
巻第六から巻第九までが仏教説話。
如:巻第六 震旦付仏法(中国への仏教渡来、流布史)
巻第七 震旦付仏法(大般若経、法華経の功徳、霊験譚)
本朝(日本)仏法部 [編集]
如:巻第十一 本朝付仏法(日本への仏教渡来、流布史)
本朝世俗部 [編集]
巻第二十一は欠巻であるが、配列順からここには天皇家に関
入る予定であったと考えられている。
如:巻第二十一 欠巻
巻第二十二 本朝(藤原氏の列伝)
巻第二十三 本朝(強力譚)
する説話が
影響 [編集]
死蔵期間が長期に渡っていたため、後の説話
文学の代表格といえる『宇治拾遺物語』など
中世の説話文学に何らかの影響を与えたとは
言いがたい。
『今昔物語集』に想を採った近代作家は多い。
中でも大正時代の芥川龍之介による『羅生門』
と『鼻』は有名。
どうもありがとうございました