ベーシック・インカムと ベーシック・インカマ(釜) 学習院大学経済学部教授 鈴木亘 1.ベーシック・インカム(BI)とは何か (1)ベーシック・インカムがある世界 を想像してみよう • ベーシック・インカムとは、一言で言えば、最低 生活に必要な所得を、国家が個人の区別無く、 無条件に、国民全員に配る政策。他の公的所 得再分配政策(生活保護、雇用保険、年金、 諸手当)は廃止。 • 例えば、成人月額10万円、子供月額7万円が 分配されるとする。 • 例1)日雇労働者 – – – – – 年齢55歳、男 収入・・・労働収入が月額5万円 資産・・・預貯金が30万円 家族構成・・・単身 稼働能力・・・仕事可能 →月額10万円を労働収入に足して、月額15万円で 生活可能。 例2)生活保護受給者 – 年齢65歳、男 – 収入・・・労働収入月額2万円、生活保護費10万 円の計12万円 – 資産・・・無し – 家族構成・・・単身 – 稼働能力・・・病気のため不可能 →生活保護費10万円がBIに置き換わり、月額12万 円で生活 例3)母子家庭 – 年齢35歳(女) – 収入・・・労働収入月額3万円、生活保護費13万 円の計16万円 – 資産・・・貯金300万円 – 家族構成・・・6歳、3歳の子供あり – 稼働能力・・・仕事可能 →BIが24万に加え、労働収入3万の月27万円で生 活 例4)サラリーマン – – – – 年齢40歳(男) 収入・・・労働収入月額35万円 資産・・・4LDKマンション、預貯金800万円 家族構成・・・専業主婦の妻、9歳、6歳の子供あ り – 稼働能力・・・仕事可能 →BIが34万に加え、労働収入35万の月69万円で 生活。妻は、配偶者控除などが廃止されるため、 就業抑制を止めて、さらに収入増。 例5) 年金生活者 – 年齢70歳(男) – 収入・・・厚生年金20万、妻の国民年金6万、企 業年金10万円で計36万円 – 資産・・・4LDKマンション、預貯金800万円 – 家族構成・・・年金生活者の妻あり – 稼働能力・・・不可能 →BIが20万に加え、企業年金10万の月30万円で 生活 例6) 釜ヶ崎の町は? ・アブレ、ホームレスの人々は全て、働かずとも収入を得 ることができる。 ・生活保護受給者も、働くことで勤労控除を気にせず収 入を得ることが出来る。ただし、生活保護廃止という 考え方もある。 ・生活保護を得るために、取り崩したり、社会的入院を 続けるような行為が減る。医療保険も常に加入可。 ・収入増により、家賃増、物価増でまちの商売が潤う。 ギャンブル収入も増えるだろう。ただし、生活保護とは 異なり、どこでもBIは出るので、釜の町を離れる人も でるだろう。 ・生活保護受給者の住宅扶助に依存するビジネスは、 質と料金の競争に晒される。 (2)ベーシックインカムへの疑問 • あまりにうまい話。どういう理屈でお金がでる のか(非労働所得、生存への所得)。 • 働かざるもの食うべからずの原則は?社会主 義? 働かない人が大量に出るのでは? • 国家財政が破綻するのではないか。1億2千万 の人口で計算すると、ざっと年間100兆円の財 源が必要(一般会計はH22年予算要求で95兆 円)。 • 金持ちがさらに金持ちになる仕組みではない か(税金の取り方によって様々)。 (3)ベーシック・インカムの定義 (山森(2009)) • 現物(サービスやクーポン)ではなく、金銭で給 付。使途制限は無い。 • 一時点での一括給付ではなく月単位・週単位 の定期的な給付。 • 国家または自治体からの支払い。 • 世帯や世帯主ではなく、個人への給付。 • 資力調査、稼働能力調査はなし。 (4)ベーシックインカムのメリット (山森(2009)) • 現行の社会保険+生活保護のモデルよりも複 雑ではなく、単純である。 • しかも、所得再分配・貧困救済が確実に、効 率的に行なうことが出来る。現状の控除方式 は、低所得者への再分配機能小さい。 • 行政機関が一切不要となる(税務当局のみ)。 • 生活保護へのスティグマがない。 • 家事をしている専業主婦にも所得(ジェン ダー問題の改善) (5)何故、今、ベーシックインカムなの か • 歴史的には、19Cトマス・ペイン、キング牧師 • ヨーロッパの失業増により、1980年代から再 び議論が加熱。 • 日本でも、格差社会や貧困問題の広がり • 生活保護制度の不備の認知 • 世界的な「負の所得税」、 「給付付き税額控 除」の政策実現 • 経済財政諮問会議の児童を持つ家庭に対す る「児童税額控除」の議論 • • • • • • 再分配志向性の高い、民主党政権のマニュ フェストの「給付付き税額控除」 研究者によるわが国への紹介や多数の書 籍が近年出版される。 山森亮「ベーシック・インカム入門」光文社新 書、2009 ゲッツ・W. ヴェルナー「ベーシック・インカム ―基本所得のある社会へ」現代書館 、2007 トニー・フィッツパトリック「自由と保障―ベー シック・インカム論争」勁草書房 、2005 森信茂樹「給付つき税額控除―日本型児童 税額控除の提言」中央経済社、2008 2.ベーシック・インカムは現実的か (1)財源問題をどうするか • 1億2千万の人口で計算すると、ざっと年間 100兆円の財源が必要(一般会計はH22年予 算要求で95兆円)。 • 消費税で徴収すると45%。ただし、年金、生活 保護、こども手当を廃止することも可能。 • 消費税については、さらに控除する考え方。 • 所得税から徴収する場合には、生活保護の勤 労控除同様、労働供給抑制となる可能性。 (2)労働しなくなる問題は無いか • 基本的な考え方は、BI+労働収入なので、労 働供給を抑制するわけではない。もっとも、基 礎的収入を得ることでもう就労しないという人 は増え、退職促進的となる。一方で、生活保 護制度などのために就業抑制していた人は、 就業増。 • ただし、所得税で財源を確保する場合には、 就業抑制的となる。 (3)生活保護、BIの貧困の罠 • 現行の生活保護制度は、極度に就業抑制的。 就労した場合、勤労控除はあるが、基本的に その分、生活保護費が減らされるからである。 • これを、「貧困の罠」と呼ぶ。 • 自立支援プログラムも、本当の意味で、就労 のインセンティブとなっているかどうかは疑わ しい。 • BIも給付する一方で、所得税で完全に財源調 達するような設計をした場合には、貧困の罠 に陥る。 概念図 所得 最低所得 労働日数 3.「負の所得税」の登場 • ノーベル経済学者のフリードマン(1962)「資 本主義と自由」が提唱した考え方で、生活保 護や手当ての就業抑制効果を緩和する。 • 概念的には、勤労控除がもっと緩和されたも の。アメリカでは、いくつかの州が導入。 • 日本では生活保護改革の文脈、ワークフェア の流れの中で、提案。 • アトキンソンが提唱する「BI+フラットタックス」 も基本的に同じ制度。 概念図 所得 最低所得 労働日数 4.「給付付き税額控除」の政策実現 • 現在は、「負の所得税」の現代版というべき、 給付付き税額控除(EITC、Earning Income Tax Credit)を導入する国が増えている(アメ リカ、イギリス、オランダ、ベルギー、フィンラ ンド、韓国等)。 • 経済財政諮問会議の児童を持つ家庭に対す る「児童税額控除」 • 民主党政権のマニュフェストの「給付付き税 額控除」 概念図 所得 最低所得 労働日数 (1) 給付付き税額控除の種類 • 一国全体として、給付付き税額控除にするの が基本。 • 変種として、ターゲット層を絞った形のEITCも ある。一番多いのは、児童をもつ家庭に絞っ たものや、母子家庭に絞ったもの。あるいは、 生活保護対象者に絞ったものなど。生活保護 の勤労控除を緩和するのも一種のEITC。 • 社会保険料負担軽減税額控除、消費税逆進 性対策税額控除。 • 高齢者への最低保障年金はむしろBI。 • • • 問題点としては、①不正受給が多いこと、② 労働供給がそもそも増えるとは限らない (フェーズアウト部分)、②歳出増となる点な ど。 また、EITCがあることを前提に、企業が賃 金設定をするために、低所得者の賃金が抑 制される可能性がある(そのため、最低賃金 と補完すべき点がある)。 生活保護制度や年金制度を並存するのか、 並存させるのか、並存させない場合には移 行期の問題もある。 (2)世界の給付付き税額控除 • イギリスはフェーズイン部分がないが、生活 保護制度と並存させている。わが国でも、雇 用保険と生活保護をつなぐ第二のセーフ ティーネットを民主党がマニュフェストに挙げ ているが、参考になる可能性。 • オランダ • カナダ • 韓国 概念図 所得 最低所得 労働日数 (3)民主党の給付付き税額控除 • まだ明確な形が提示されてはいない。 • 新しい政府税制調査会(首相の諮問機関)の 初会合が今月開かれたところ。2010年度税 制改正で反映される。増税となる所得控除の 見直しや低所得者を支援する「給付付き税額 控除」の創設などが協議される。 • 年金、生活保護、雇用保険、子育て手当ては 維持したままか?第二のセーフティーネット部 分のみの限定。 • 最低賃金引上げ、製造業派遣禁止との整合 性。 • 例1)日雇労働者 – – – – – 年齢55歳、男 収入・・・労働収入が月額5万円 資産・・・預貯金が30万円 家族構成・・・単身 稼働能力・・・仕事可能 →月額10万円を労働収入に足して、月額15万円で 生活可能。消費税は控除される。 例2)生活保護受給者 – 年齢65歳、男 – 収入・・・労働収入月額2万円、生活保護費10万 円の計12万円 – 資産・・・無し – 家族構成・・・単身 – 稼働能力・・・病気のため不可能 →生活保護が変わらないとすると、何も変わらない。 例3)母子家庭 – 年齢35歳(女) – 収入・・・労働収入月額3万円、生活保護費13万 円の計16万円 – 資産・・・貯金300万円 – 家族構成・・・6歳、3歳の子供あり – 稼働能力・・・仕事可能 →BIが24万に加え、労働収入3万の月27万円で生 活。消費税も控除無く徴収。 例4)サラリーマン – – – – 年齢40歳(男) 収入・・・労働収入月額35万円 資産・・・4LDKマンション、預貯金800万円 家族構成・・・専業主婦の妻、9歳、6歳の子供あ り – 稼働能力・・・仕事可能 – →BIが34万に加え、労働収入35万の月69万円 の収入。ただし、労働収入のうち25万円が課税 され、月額44万円で生活。もっと収入の高い人 は、課税ももっと大幅に。消費税も控除無く徴収。 →妻は、配偶者控除などが廃止されるため、就業抑 制を止めて、さらに収入増。 例5) 年金生活者 – 年齢70歳(男) – 収入・・・厚生年金20万、妻の国民年金6万、企 業年金10万円で計36万円 – 資産・・・4LDKマンション、預貯金800万円 – 家族構成・・・年金生活者の妻あり – 稼働能力・・・不可能 →税額控除は無し。企業年金分に3万円に課税が なされ、月33万円で生活。消費税も控除無く徴 収。年金額が少ない人々は、最低保障年金で保 障。 例6) 釜ヶ崎の町は? ・アブレ、ホームレスの人々は全て、就労を条件として、 かなり時給の高い収入を得ることができる。医療保険 加入が進むので、健康問題の改善。 ・生活保護受給者は、現行制度と変わらないか。その場 合、生活保護の問題(資産取り崩し、自立困難、貧困 の罠、社会的入院)は基本的に変わらず。 ・収入増により、家賃増、物価増でまちの商売が潤う。 ギャンブル収入も増えるだろう。釜の町を離れる人は 基本的に少ない。 ・生活保護受給者の住宅扶助に依存するビジネスは、 かなりの部分、温存される。 ・雇用保険は無くなる可能性あり。 (4)今後の政策実現への課題 • 官僚の抵抗は著しいだろう。したがって、既存 の社会保険+部分的な導入が現実的か。 • 財源問題。 • 所得把握を進めないとイギリスのように不正 受給が深刻化する。 • 働かない生き方を日本社会が許容できるか。 • ばら色ではない。財源問題もあるし、労働供 給は低下する可能性もある。
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