YMN003504

に
持って
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茶らか木語る加こと
無
稿をネえ。
田
四
四
初
①
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の頃
短時
ると
言
ある。
学生と
のよう
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の日本
に
本語で あっても、その日本語が理解できたという喜びが大切なので
。
私は一九八六︵ 昭和六十一︶ 年 九月から一年間、本学からの交換
を
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限
本
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師 述
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か 師 語 語
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の を を
だ 生 学 ど
限
教授として台湾台地面にある姉妹校八市回文化人里V の 八外国語 文
い
う
制
一
一の
日
年間しか滞在しな い日本人教師が日本語教育の効果をあげられるの
@の
コ
畢院東万語女牢 系 日文 紐 V に派遣され、日本語教育にあたった。
@
諫
人教
眼
さ
か、と私に問われ るとつらいものがあるが、次のように考え、少し
なりとも努力した 結果をここに述べ、批判を仰ぎたいと思う。
ネーティブ スピ |カーの教師の役割にはいろいろなものがあろう
の 言語を学習している学生とその舌口語で話す柏手
にわ
1よ
限 た れ
をされ
おける外国人教師の役割も同様である。たとえば本学外国語学部英
になってやること であることには異論はないだろう。日本の大学に
と
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本語の語をと
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学
あり、 無理な論理かもしれないが一年しかいない日本人教師
ぼと教に
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当然
,、
こ
末学科の一年生の科目の調義概要を見ると﹁外国人教師には積極的
呼
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る
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日本人
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え方得る
聞 @ 工際ょ識
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生に、
日本語教師 の制限コード
常 詰
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日本史
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限
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目語翻訳
1
え
日本地理
1
け
三年生高級目語
工
も
目語実習
1
米田 語会話
1
日文習作
日本現勢
1
な
あ
る
応用文 ︵商業文
Ⅹ日本戯劇
1
の
ヵ
口語語法
四年生日語実習
1
味
口語翻訳
目語会話
1
日文名著述 読
日語修辞学
1%
日文名著 選 訪
中日民族交流鬼
1
日本文学史
大衆伝播
四五
1
意 耳
1
1
I
1
ある。
が、古
二、三
の任務であると考えていた。スポーツ大会、他大学へ出かけての 東
がやたら多く、それに積極的に参加し、学生と話すことも交換教授
口一
ハ
一年間で二十五週授業があるので、ュ コマは年間約五十時間
ェは週ュ コマであり、1 コマは五十分+五十分の計百分間で
たことになる。Ⅹ印を付したのが私の在任中の担当科
・目で、
った時
学校と
だことはない。一部に八専科学校V ︵日本の高等専門
年生が私と接する学生であった。学生は大学入学前に日本語
を受け
もの︶からの編入牢がおり、その学生は日本語を勉強したこ
を学ん
8者が多い。ただし数から言えば少数で無視してよい。まず
同様の
・
大学で初めて日本語を勉強し始めた学生と言っていい の だ
とのあ
ものでな
責 務 なのだ る
学生がよく訪問してきた。私の宿舎でいろいろな話をする機会も多
くあった。再度言 うが、 こ う いうことこそが我々の
一一一一
●
﹁制限コード﹂の日本語の発音は﹁正しく﹂﹁美しい﹂
ければならない。このような言い万は、言語には﹁誤ったもの﹂ や
日本語で話さなければならない。その理由を考えてみよ
私 自身の言
こ
の点を強調するのは鼻濁音によって意味の識別の劫,きがあることを
後 ﹂、﹁大眼 暮 ﹂と﹁大笠﹂といった最小対語が挙が っている。
妻 があると考える。鼻油昔に関する記述を見ると、﹁十五﹂と﹁ 銃
ば賛成できない。にもかかわらず私は 日本語教師は鼻 濁 昔を使 う必
語 には 鼻濁 昔は存在しないので、鼻濁音を﹁美しい﹂とする考えに
﹁美しい﹂と舌口えば鼻濁 昔のことがまず頭に浮かぶ。
﹁美しい﹂
湾 ほかつて日本の植民地であったため、学生の祖父母は日本
り、そのような状況が身近にある学生は少しの日本語を聞く
慣れている場合がある。
と接触するのほ授業以外に、研究室、各種学校行事がある。
といっても日本の大学のような個人研究室でほなく、八日文
室V ︵日本語学科事務室︶という大部屋に教師の机が
り、その部屋は日本語学科図書室も兼ねているので、学 生は
八弁公室 V に出入りしていると言ってよい。この学校は行事
@ 語学の常識にそむき、﹁正しい﹂
﹁きたないもの﹂はないとする言語学の常識に反するものである。
華中国語が話せなかったらやむなく日本語を使ったりするこ
語が話
ある標
とがあ
ことに
学生
究
室
井
公
てお
つも
しかし日本語教師は
し
せたり、母語の異なる人たち同士が話す際、現在の公用伍Ⅲ弔
全員が
まであった。私は学校のそばの教員宿舎に一人で住んていたので、
洋語学科同士の対校スポーツ大会、学芸会、はては料 理 コンクール
点で累計五百二十五時間の日本語の授業︵日本史
等を除 くと︶
となる
。したがって二年生になった時点で、二百時間、三年生 にな
数字
組 研
れ
い
示そうというものであろう。しかしそれだけの回 きであ ろうか。
アクセントの機能には水差的機能と境界表示的機能のあ ることが
知られている。この機能のとらえ万を鼻濁音の機能にも流用すると
すると、最小対話を挙げるような見方は示差的 機能を重 要視しょう
というものであろう。ところがこれらの単語を鼻濁音によって識別
するという場面があるのた ろ うか 。ましてや初級・中級日本語学習
者がそんな場面に出くわすばるぅか 。︵鼻濁音とは関 係 ないことだ
が、戦争中も日本の統治下にあり、﹁両造基地﹂としての役割を担
わ きれた台湾についての話で﹁銃後﹂などという言葉を私は無神経
た だし 鼻濁
本人教師は鼻濁音の習得に努めるべきであって、なに
正しい﹂とか﹁美しい﹂とかいう 理由からではない。
は 口蓋化
・ uト ・自ミ・ 里巳 斗
のうち﹁﹁ ぎ、ぎャ、ぎュ、ぎョロ 6 一
@よ門
二︶
ャ、ニュ 、ニ, M ︵中略︶と聞き誤きられやすい﹂。これ
軟 口蓋寄り
ためであろうが、私は鼻濁音のギ、ギャ、ギュ、ギョの発 立円の継体
は破裂音のそれと比べて、調音位置を後ろつまり
して、 ニ、ニャ、ニュ 、 ニョとまぎれないようにしてい
一 一一
一
日本人日本語教師にとってもアクセントの習得は困難であるため
﹂二九
に 使いたくない。こ う いった態度のあり万も﹁制限
日本語と日本語教育1発音・表現 編
ションプロ
と、どの部
日本語 0発音教育において、話がらくに通じるう ためには、ア
フにするため
い。日本語に用いる㎜種 ほどの拍を発音しわけること、
四セ
末であ る。︵中略︶だけれども、このことは教師が日本語の ァ
できる こと、などがもっとずっと重要で、アクセントど ときは
ことに ン ・ ッ ・1を正確にちゃんと二拍分の時間をもって発音
度が低
要
クセン トを コ正しく ロすることなどは問題にならないほど必要
ミネンス﹂の中で﹁アクセントなどどうでもよいけれど﹂と題して
セ 五年・大蔵省印刷局︶の﹁アクセントイントネー
⑪
|ズ 別冊 3
、アクセントに関心の払われることは少ない。和田実は 同国語 シ
は、意味のまとまり単語・文節の境界がわかる
分 が理解でき、どの部分が理解できないのかもわかり、
に音素的対立があるから、各日木人教師によっ
き 起こす。そのような無用の混乱を学生に与えないよ,
が鼻濁音・破裂音を不規則に混用したりでは学生に無用の混乱を引
て鼻濁音を使用する人、使用しない人がいたり、一人の日本人教師
にはユ咀トとトめト
増していくであろう。特にこの地の多数派住民の母語である 閻面語
会話の力が
る方がよい。日本人教師の発話がすべてわからなくても、学生の方
鼻濁音であるという点に着目し、鼻濁音の境界表示的機能を強調す
べきだ︶。むしろ鼻濁音は語頭に立たないとか連濁による ガ行昔は
コ| ド ﹂に加える
日
「
吉
三
の
に
に
この指摘は標準語を絶対とする根本的な誤りをおかしているうえ
四八
を否定するものではない。東京アクセントが自在にしゃ べれる
に、藤田が﹁標準語﹂を﹁習得でき﹂たのは、自分が束束生まれで
社︶セ十セページ
教師が八おれはアクセントについて何も学ぶ必要がな いV わけ
ある︵司書の著者紹介櫛 による︶ためで自身の努力ではないことに
クセントについて一通りの知識をもっているべきだということ
ではなく、しゃべれない教師が日本語教授の資格に欠けるわけ
知識もしっかり持っていてほしい﹂と思う。なぜなら本稿で求め
実に把握し、自分自身の@語を客観的にとらえ、加工もしていく
ここで舌コ
ロ制限コード きえ使ってみせられる必要があるという
二
時、NHK の教育テレビの中国語講座は京都放送局で収録 きれ、﹁
ことを指摘しているという点では学ぶこともあるもの である。 当
に。
万=
口=
人の中国詰の講師﹂は両者とも京阪アクセント話者であっ *
い﹂ものでなければならないからだ。
アクセントの習得はむずかしいためか、次のような例がある。
分目身の言語を加工することもしない︵できない︶﹁
中国語の講師﹂
私も京阪アクセント話者だが、交換教授在任中、中国妾山をしゃべ
の怠慢も同時に責められるべきである。
といい、
るときに次のようなまちがいをするのに気づいた。京阪アクセント
わたくしは先年、テレビの中国語の講座をきいていた の た
テレ
ビで語学を教えるのに、日本の標準語さえ習得できぬ人 の中国
において、低起平板型のアクセントの語には次のような現象がある
る ︵吸収されると考えてもよい︶。低い拍を
0、高い拍 を●で示し
が高いのだが、あとに語が続くと語末の高い拍が後ろの話 に移転す
低起平板型は低く始まり最後の拍のみ
︵議論を名詞のみに限る︶。
たま
レ
藤田圭 雄 ﹁歌の中の日本語﹂︵一九 セ 0 年、明日新聞
くなった。
Ⅰ
b のか ロ
二%
フか、七つ
ょ つと心細
韮山といフ
ス
b の 火Ⅲ、はたして 工止しいヰ
ソョンといい、標準語からは大分距離がある
が 、そこに出て来る二人の中国語の講師は、アクセント
話者をおとしめる藤田の態度の誤りは言うまでもないが、一万、自
いるわけで、アクセント︵広く音声︶については﹁正しく ﹂﹁美
ぅ としている制限コードが学生の聴取しやすい日本語を目標とし
もないものであるが、言語を教えようとする者が学習者の母語を確
気 づいていないおどりの上になり立っているもので相 手 とする必要
は しいのである。
でもない。両者ともにアクセントの技術はともあれ
識 はしっかり持っていて
れぞれに期待するものが異なる点にも賛同する。ただ私 は ﹁技術
書いている。私も大筋でこの考えに賛成である。特に学生と教師
と
そ
も
よ
て
し
O00 Ⅰ 0となる。京阪アクセント話者の私が中国語の 二戸または
い切ると︵実際の発話には珍しいがⅠ 000 Ⅰ、﹁雀が
ことば﹂の筆者は、﹁これが日本語であろうか。いかなる 土地
この一文は、かたりひろく読まれたらしい。︵中略︶﹁思想の
雑誌﹁思想﹂︵一九 セニ ・二︶にのった、﹁思想のこと
正確であり得るであろうか。︵中略︶︵清水幾 太郎︶
二丁日+ 一声または四声つまり上昇 調 千百起式 ︵
京阪 アクセント
0万言 か知らないが﹂と疑問の形にしているが、これは再圧
伍叩で
すすめ
﹁雀 ﹂を例にとると、﹁雀 ﹂単独では 00 Ⅰ、﹁雀が﹂ と 助詞で @
流 に言えば︶を発音すると、三戸または三声の部分が低く平らにな
あって、じつは﹁日本語ではない﹂ときえ 言いたいので ある。
ではこの人にとって、﹁日本語は﹂どんなことはとして考える
ば﹂の
っブヒ
ってしまう。右の例の﹁雀が居る﹂の﹁雀が﹂と同じようノ卜舌口
三 戸十四声︶は
れているのであろうか。この時の講師は︵中略︶純粋の茨城 詰
︵階上・二階。
﹁ローシアン﹂ 00 Ⅰ 0。というように。単語レベルの みならず 旬
の話し手である。︵中略︶清水という人はまるっきりの東京生
V
レベルでも同じことがある。このような間違いをする学 昔者の実態
まれの東京育ちだそうである。︵中略︶東京の隣で行なわれて
しまうのである。たとえば 八 楼上
0把握と原因の究明のできる能力は同時に自分自身の日本語を加工
いる万言に関する知識を持とうとしないう えに、自分の 舌口語感
はやはり用心しなければならないと思わざるを得ない。
目口語の思想1国家と民族のことば ヒ ︵一九セ 五年
本放送出版協会︶
私は田中の意見に賛成する。しかし清水の﹁日本語に ついて
あり得るであろうか﹂との指摘にも共感する。﹁二人の中国語の講
日
宜 だけを絶対視するこのような規施主義者がやっている学問に
する能力ともなるのである。
同様の清水簸太郎の指摘を田中克彦がとりあげ、批判している。
始
︵略︶家内と一緒に NHK のラジオの講座でロシア語を
勉強したことがある。⋮⋮ ロロシア語講座の第一回が口
まった途端に 、私たちは肝腎のロシア語よりも、講師 0 日
ハハハ ト ハハハハⅡ ハハ
師﹂のときと同様、学習者の母語を把握する力と自分の甘口語を加工
本語に気を取られてしまった。これが日本語であろう Ⅰ
カ
@
。
いかなる土地の万言 か知らないが、彼の喋る日本語は 、
する力はともに言語の教師として必要だと考えるからである。
ヰハハヰハハ ⅠⅩⅩⅩ ヰ
私たち自身が 恥 ずかし
ンも、
クセントもイントネーシ,
この二つの問題は言話の専門家である外国語教師さえも日本語の
なるようなものばかりである。︵中略︶日本語について
んなに無神経な人物が、ロシア語の発音などについて敏 感
四九
学習者のぽ
アクセント等の習得がむずかしいということと、外国ユ旧教師に日本
詰の知識が求めら・れるう
よに日本語教師には外国語
語の知識が求められるという指摘であると理解しよう。
ふり返って日本語教師の日本語は、と思い観察してみると 、清水
藤 田や清水の
標 華語からは
ら ﹁これが日本語であろうか﹂と言い、藤田なら﹁
分 距離がある﹂と言いそうなものがしばしばある。
な
う に東京人で標準語の習得に苦労したことのない者に この問題に
大
五O
なのかという疑問が残る。にもかかわらず私はそう いった場合一拍
目の低を実に低く発音する。これによって境界を明示しようと考,ん
てのことである。鼻濁音についての検討同様、学生は日本人教師の
発話がすべてわからなくても、境界を鼻濁音及びァク セントによつ
て知り、どこが見知らぬ単語かを知る手がかりを与えることが必要
である。標準語アクセントのこの性質は極めて有効で、これを利用
するべきである。
ものとして、有坂秀世の言う慎司的機趣 ︵﹁アクセン ト の型の本質
普通、アクセントの機能は前に述べた二つだが、それを補足する
三 ,四
ほ ついて﹂目口話研究
旧教師のた
相互に関係あるものと感ぜしめ、音韻上完全に同形でないにも拘ら
形態部︶を 、
ず 、両者を同一の 語 ︵又は形態部︶の二つの変形とし
お せる必要がある。﹁標 同町機能とは、二つの五八又は
働きである﹂と定義し、引ム ︵読む︶|ョ刊 ナイ、 刈 ク 釜日く ︶ 、
@
遡ナ
生が未知のコロナイとい,三日葉を聞い
Ⅱ の はずだ - 、起
たとき、 形
カ カ々 ィ のような例を挙げ﹁各共通の語根の含まれている事実が 標
示される﹂としている。まきにこのような機能が制限
能
小
よめ てあり
ケ刀
/
があると考えている。標準語アクセント の原則の
容詞などではなく︵形容詞ならコロナ ノか口ロ
|
つである﹁一拍 目 と二拍 目 とは必ず高さが異なる﹂性質 は境界 表
話 機
月
に役立っている。ただ二拍目 が高であるときの一拍目は 本当に低
一
においては
て感ぜしめる
挙げられているが、そうしてあるのは赤芽的機能を重視 している
め
特に木稿の目的である制限コードとしての加工きれた日本
考えられる。しかし私は境界表示的機能の方にこそァ クセントの
の音声に関する参考書を見ると、アクセントの異なる同 昔異義語
アクセントの機能は前に述べたように二つある。日本垂
なければならない。本題に戻って﹁正しい﹂アクセントで話さな
つ
をも考え合
め
L 第セ ・八号、一九四一年四月︶
ればならない理由を考えてみよう。
いての発言権はないが、一万、そのような日本語教師の怠慢も責
よ
け
が
と
示
有坂はその定義に基づき、用舌口の例のみを掲げていが
る、私はこ
ている。したがって境界表示と標 同性に重点を置いての習得を日本
ただしアクセントを完全に習得するのは不可能であると私は思っ
日
の慎司的機能を拡大解釈しょうと思う。用言の活用形はム﹁見たよ,≦
語 教師は目指すべきである。
ついてもアクセントと密接な関係があるわけだから、
にアクセントが決まっているし、外来語は多くが後ろから 3拍目に
である﹁ 坂 ﹂
小対語の練習ばかりでは意味がない。また、ゆれの問題
伏動詞 十打ち消しの 々イだと類推することができるよ,
ヮに、﹁止し
アクセント核がある︵例外も多いが︶というようにアクセント型が
は 00 か 00 かとか、﹁赤蜻蛉﹂はⅠ0000 か 00O
必要な技術と知識とを獲得していただきたい。
決まっている。漢語でも同様のことが言える。特に複ム異胴では複合
いったことに気をとられることなく、本来なら日本語数 育 用の﹁ 簡
い﹂アクセントで言わなければならない。
のし方によってアクセント型がかなり一定している。与
ロい
一かえれば
約 アクセント﹂を開発すべきだろう。たとえば﹁赤埴蛉 ﹂は複合語
00
示差 性を無視するわけで はなⅡリが、巨取
アクセントは語種、語構成、品詞を類推させる働きがあ る。たとえ
の規則から 00O00 を採用するというように。
四・一
ば ﹁0Ⅰ 00 Ⅰ 00 サン﹂と言われたら前の四拍が姓 であとの三拍
が名であることは容易にわかるだろう。むりやりこじつければ、こ
語彙について少し述べる。
のように同種のものを同種であると感じさせる働きなのだから、標
同曲機能の一種と舌口うことにしよう。このようア
なクセントの機能
外国語学習はあるところまで行けばあとは語彙量 を増 やすことが
これまでの知識を利用して理解する方法の開発を試みよ
重要になる︵それだけではないが︶。未知の日本語の単語を学生の
はあまり強調されることがないように思うが制限コード を考えるぅ
えでは重要な要素となるものなので特に番目しておきた
境界表示、標同性という未知の言葉の意味・用法を少しでも類推
使う日本人日本語教師は﹁正しい﹂アクセントで話す必要がある。
の規則に従って日本語化している。したがってある時期に日本語に
るのに対し、最近入ってきたものは原語︵ほとんど英語︶から一定
まず外来語だが、古くから使われている外来語が﹁なまっ﹂ てい
日本語教師養成の場においても土星戸の学習にこのよう観
な点からの
おける外来語の発音と原語を類推するパターンを正規の授業の中で
させる機能がアクセントにあることがわかった以上、制
授業を充実させることが期待きれる。つけ加えると骨立
日の無声化に
五一
かとか
る。この考えに基づき、天理大学夏期日本語講座といって 夏休みに
教えればかなりの語彙力を増すことになるのではないかと考えてい
人のオーストラリア人を相手とするフォーリナー・ト |クに 現れた
学解釈と鑑賞 ヒ ︵一九八八年一月・特集日本語と他 壬一藝
口どネⅠ日本
アリーチⅡスクータリデスは﹁日本人が外国人と話す時﹂﹁国文
五二
二週間、中国文化大学と香港中文大学の学生に本学で集中的に日本
語彙の面での加工を次の三つに分けている。
旧の同義
、
こ
れている。 c も不自然だが、必要なときは採用した。
に気をとられ、日本語を聞くことを忘れてしまうのでは ないかと 恐
というより、日本人教師が少し中国語を話すとその変な中国語の万
不自然である。 B は私の中国語力の不足のため利用できなかった 0
ような発話であるよう に心掛けてきた。その観点から号口えばは
本当はそれは無理な話だが、せめて教科書に載せても不自然でない
この制限コードは不自然なものであってはならないと考 えている。
どれも起こり得るし、私も同様のことをしてきた。ただし、 私は
例 、速い、高い、スピード道路。
ス︶した。
フプ レ
c、はじめに選んだ言葉をより易しい表現に釈義︵パ -
ト肛毛ぎ
㎎︵中世
例 、 M面 @@寸ヰ
B 、はじめに選んだ舌口 葉 をそれに対応する英単語に直 した。
語に 換えた。
A 、はじめに選んだ舌口 薬 をすぐ別のもっと簡単な日本五
語を教える機会があった際、私は外来語として日本語化してしまっ
たものから原語を類推する方法を教えたことがある︵ 一九八 セ 牢入
広 生口などで
外
来語を目にするわけだから、それを機会に生の日本語を覚えてもら
月 ︶。日本に滞在している学生は新聞や雑誌、看板、
﹂
おうと考えてのことである。果たして結果はどう だった かわからな
い。交換教授在任中の私の発話、
﹁ムロ北にはファーストフードの店が多いですね。﹂
﹁そのスチュワーデスは日本語がわかりませんでした。
などは当該外来語の部分をゆっくり話すとまず全文わ かるだろう。
四・二
橿旧でロ
舌フ
ス。
漢語のうち日中同形同義語については次のように言,っ
。
⑬としよかん
としよかん
﹁昨日、私は図書館︵ 6のゴ由
的いロ取コ図書館に行きまし キ
@ん
@0
﹂
しゅⅡ
﹁紹興酒の己oxU
旺n
乱紹興酒はう
おいししょうリ
こ
です 0 ﹂
まりまず日本語で言い、中国語の発音で言い、再び日本
ているかもしれない。
れで印象に残るだろうと考えてのことだが、簡単なことをくどく
つ
し
LU
﹁奈良から大阪まで、速い電卓で四十分かかります。﹂
速い電車ナ|急行︵電車︶
巾を熟知し
本来ならそこの大学のカリキュラムや教科書の新出単妾
て話すべきなのだが、カリキュラムがあまりはっきりしい
てないよう
だったのでそれには従えなかった。国立国語研究所日日本語教育の
ための基本語彙調査﹂︵一九八四年、秀英出版︶を参考何
に年生の何
一つの工夫として必ずメモ用紙と万年筆を持っよ
う にし、理解し
﹁そうですねえ。台南に行ってみたいです。台南は古い
引 です。私は奈良に住んでⅡます。奈良も古い町です。
奈良によく似ていると思います。﹂
右は傍線部分を強調するためのものである。
長い文の聞き取りはむずかしいたろうと 想像きれるの で次
な 加工をした。
﹁これは昨日永漢書局で買った日本の木です。﹂
Ⅰ
モ
いかんしよきよく
﹁これは日本の本です。昨日永漢書局で買いました。﹂
|
から、。﹂
漢書局﹂は台北面にある日本書籍扱い店 ︶
このほか、接続助詞を接続詞にし・﹁
(「
月ど ろはどの単語を使うかを考えなければならないと思っている。
ほくそうな単語を話してしまったときはそのメモに書き、学生に渡
すようにしていた。受け取った学生は帰宅後辞典で調 べるであろ
う。ついさつき日本人教師と日本語で話した際に出てきた単語は ィ
L
こ舌口
っ和
Ⅰ。
ムロ南は
永
「
間
です。だから。﹂
文法上のまちがいを学生がした場ムロ
、どうするか。 文 法以
違いは単純な訂正ですな。私は日本人の日本語の誤りを次の
処理したことがある。他の学科の教師が卒業論文の中に 現れ
点 のつけ万がよくないというわけで、
A ﹁それにしても クド クテンのつけ万が、学生たち、
ちゃですね。﹂
タト ーテンは。小学校以来タ
私 ﹁いや|、 クトーテンですか。それは学生の責任とい
国語教育の責任ですよ、
ぅ
ンパクトが強く、印象に残ることを期待している。
五・一
文法項目について、これも語彙同様、カリキュラムがきちんとし
ていれば、何年生にはどの文法項目を使ってはいけむ い、または、
積極的に使うということができるのだが、この点についての段階も
不明確であまり成果はなかった。
﹁先生ハ台湾ノドコ 二行キタイデ スカ﹂
ただ、むずかしい文頭項目を積極的に使うというこ とはした。
五三
だそ
の
町
外
ち
た よ
句
読 に
よ
-T
は無視し、副詞で代用しょうとするものである。これは まさしく 中
五四
についてはきちんと教えないんですよ。本多勝一さんな
間 甘口拍
許と言,ヮべミ
でい
ある。
した。このように私の発話の中に正しい言い万を何度も入れるこ
で外国人学生の誤りを訂正した。
教えようと、 共 起しやすい副詞をいつもつけて言って ヘ
@
・@
キ
@@
。
@
﹁まるで⋮・・・のう
よです。﹂
﹁前に⋮⋮したことがあります。﹂
﹁ム﹁:::しています。﹂
﹁もう ⋮・・・してしまいました。﹂
四年生の発話を観察していると・やはりこのような副詞 の多用が日
だつ。これは制限コードの弊害ではないだろうか。私の中国語が不
複 ムロ助辞のみで表せば いいのだ。
適切なよ う に、日本語でも助詞・
このような問題点を制限コードは含んでいることを自覚しなければ
ならない。
敬語は 、そこまで達するレベルではないので私の制限コードには
含んでいな い。ただし、発話はすべてデス・マス体である。常体で
で
が少なくなるという面もあるからである。動詞 十 マスの
話すレベル でほないからだが、デス・マス体にした方がアクセント
つまり、本来なら動詞に機能語 をつ けて表現しなければならないも
場ムロ
、マス をつけることによって、動詞が平板式 であれ起伏 式 であ
アシ
ルテ
︶﹂ と 舌ロリ
Ⅱ
︵v は動詞を示す︶
﹁⋮⋮ シ テイル︵進行︶﹂と舌口いたいときには
八王 在 vV または 八 現在 vV
﹁︵モウ ︶⋮⋮ シテ シマッタ︵または・ ,
・
:.
よ
たいとき こ
@@
八已経 VV
/.、
のを、機能語の選択・使用はむずかしいため、そちらの正しい用法
八以前 vV
上
@
Ⅰ辛
i
私が話す中国語に文法上の間頭で一つのパターンがめ ることに 気
五・二
私の日本語の制限コードでも、助動詞や複合助辞の正確 な用法を
クトーテンのつけ万を教えない国語教育を批判しておられます
よ 。﹂
はばかられるので正しい言い方を何度もして気づいても らうよう
れは読みの誤りだが、日本人が相手の場合、直接的に指摘 するの
こ
@ま
@%
と
つ
ね、一つの型になる。⋮⋮マセンも⋮⋮ マシタ も
マセンデシ タ
人 に日本語を
も同じく一つの型になる。下田美津子はコ月刊言語L 一九八九年五
月号 ︵十八巻五号︶特集日本語大問題集の中で﹁外国
ということ
教える 際 ⋮丁寧休の万から先に教えるが、それはなぜか ﹂にいろい
ろと答えているが、アクセントの面から舌口っても簡素化
が 言えるのでそれに加えて指摘しておきたい。
いかにも日本語教育の場の日本語らしい形容詞十 デスの 言い切り
にしても、動詞同様、デスをつけることによって、一型化するから
存在の価値はあると言える。
七
制限コードではゆっくり話さなければならないのはもちろんだが
つと、二年生
ことはそ う単純ではない。まず、基本のスピードを言,
ぅと @@@
る ぅ からかな
。
のである。一方、容易に理解できると予想きれる部分は速く言 ,ヮ
たとえば﹁⋮・・・したことがある﹂はもう慣れているだ
り速く言ってもよい。また重要構文そのままの文をたまたま
きにはかなり速くてもよいだろう。私の宿舎に数人の学生 が来て 、
P﹂
帰ろ う とするときにかばんの置き忘れがある。
﹁これはだれのかばんですか
これなどは普通の速度で話してもわかる。その速いスピ |ド 0発話
が聞き取れた喜びは学習意欲を一層増すだ るぅ 。
JR. 近鉄天理駅前には﹁ラーメン大学﹂というラ| メン屋があ
る。これを見ながら夏期講座の学生に、
﹁ラーメン大学は天理大学より有名です。﹂
ったが、学生には聞きとれた。しかもこのようなギャグが聞きとれ
ード弔し
@口
=
絵 にかいたような比較の構文である。これもかなりのスドし
した線である。これはあくまで基本のスピードであっ・
一つの文の中
て、聞き取り
出せる能力も必要である。私は、戦争や植民地支配に対する台湾人
ギャグを舌ロう能力ももちろん必要だし・学生の関心のある話題を
るということは大きな喜びであろう。
にくいところは一層ゆっくりミロわなくてはならない。
のとらえ方を知ろうと思って、交換教授在任中、かなりの、それを
には一拍を Z 秒、三年生には一拍を拷 砂 というのが経験 から割り出
でもかなり速さを変えることがある。たとえばわかりにくい単語や
扱った映画や他の映画を見た。日本の学生より台湾の学生は映画を
よく見るよ う で、適切な話題づくりにこれは役立った。
構文の部分はゆっくり言う。三話からなる複 ムロ話はま
聞き取りにくいので、その部分をゆっくり言うよう気 をつける。
ノ八
ソ号
ロフ
ス
﹁国立中央図書館﹂と言 う ときに は、﹁中央﹂を特にゆ つ八
五五
五ハ
のである。学内で私を見つけた学生は﹁ マェダ センセー ﹂とだけ 言
ある。これについて授業の際に何度も注意したが、
うが、これは中国語では名まえを呼ぶことがあいさつになるためで
日本語を話す際には日本人の身振りをするべきなのだるぅが、ス
かった。日本語で話すことに気をとられ、このような点 にまでは 気
八
プの椀を手にもって 口をつけて食べたり、深々とねじ ぎをしたり
がまわらないのたろう。それを認めるのも制限コードだ
身振りに近づけた。この点では制限コードは日本人らしい身振り
伴わないということになる。
身につい
一方、中国語で話す機会も多いので、台湾人の身振りが
一方、私の方は機会をとらえて日本語の言語行動様式の
説明をし
た。ある土曜日、学生たちは私を屋台の集まっている地威に案内し
ったです。私は昨日文と母に手紙を書きました。屋台の話 を書
﹁おとといはどうもありがとうどざいました。とてもおいしか
てくれた。月曜日、学生と会って、
とえば﹁十﹂を表す身振りは両手の人差し指を交差させるもので
きました。日本語ではお世話になったら、そのときと次に会っ
﹁六時に私の家へ来て下さい。﹂
はそれもやむを得ないことかと思っている。
九
身振り同様、言語行動様式も制限コードではフォロ| できないも
注
①以下、中国語は八
V でくくって示す。
コの汀
ぎの︵
往い の訳であ
em
巨 in
汀口 co
片
②﹁平成二年度胆 習要覧﹂︵一九九 0 年
③﹁制限コード﹂はいの﹁
,天理大学︶に よる 0
開発の一助となれればと思い、つたない経験を述べた。
以上、日本語教育の現場での中間言語、フォーリナー トークの
@
ネり
ヰ
@
よん
Ⅰ
@
Ⅴ。
というふうに。ただし、どの程度効果があるかは自信︶
たときの二回、お礼を言わなくてはなりません。﹂
て
﹁昨日は十時に寝ました。﹂
た
豆 生柏手
り、﹁ 六﹂は片手の親指と子指 のみを立て残り三本の指は折って
しまい、日本語で話す際にもそれを伴ってしまうようになった。
ま ったく直らな
る私の身振りは学内で注目を浴びたのでそれはあきらめ、台湾人
l
す
の
を
あ
お
と
で
⑩日本の万言のうち
ト亜トとトむ Ⅰに音素的対立を 有する万言の
いが、﹁中
ここで 述
ト・この場合、かなり後ろ寄りであるのではないかと いう 観察を
/りトの調音位置が特 にト ・@へ、
的に加工された本稿のような言語を指すものではなく、
私は得ている。もしこれが正しいなら音素として トヒトを 持つ 以
話者が標準日本語を話すとき、
べるものは﹁中間 @ 語﹂とでも呼べばよいのかもしれな
る 。この語は本来、社ム三日華虚ナの用語で、教育目的のた めに意図
間 言語﹂には学習者側の不完全な外国語等も含まれるので、意図
ではないだろ,っか。
徳川 宗賢婦﹁論集日本語研究 2
部分には訂正なし。
一九八 0 年
一セ 一ぺージ 以 降 。
⑫今田滋子﹁教師用日本語教育ハンドブック 6
︵一九九0 年 ・国際交流基金・凡人社︶
美的機能のことを 標差的 機能と言って お り 、それに 対
示同的 機能と言ってもよい。事実、
金田一 春
ついての
外来語の形成 とその教育 ロ
︵一九九0 年 ・大蔵省印刷局︶が発行され、この問題に
⑭その後﹁日本語教育指導参考書 托
差的 ﹂﹁市司 的 ﹂としている。その万がわかりやすい。
Ⅱことばの体系﹂︵一九五セキ・筑摩書房︶に引用す る際、﹁示
彦は有坂のこの論文を﹁日本語のアクセント﹂ 門講座 現代国語学
示 売約機能に対し、
して 標同曲機能なのだろうが、反対の概念を表そうとするなら、
⑬有坂は示
日 改訂版﹂
発立
有情宣︶に内容を訂正して再掲載されている。ただし今回の引用
アクセント﹂︵
っなったの
こう言 う ︶ 、トト Ⅰとの弁別を明らかにするためにこ,
をへ斡への条件異音とするという 立 場 に対して
ご
%口
][
上 ︵ハ
他編 コロングマン応用言語 学 用語辞
国際立二戸字母
一節参照。
の
につ
的に制限した言語ということでこの語を使用する。この用伍如
いては ジ ヤックⅡリチャーズ
串0 の項 ︵司書では 訳 諸を﹁ 限
典﹂︵一九八八年・南雲堂︶の no
V
定 コード﹂とする︶及びトラッドギル著 ・土田滋訳ヨ 目語と社
科 白老の 八
会﹂二九 セ五年,岩波書店︶の第二章五十一ぺージ参
④在任時の︵民国 セ 十五年度︶の時間割から作成。
は 省略する。
佃 太郎 講 ・著 ﹁音声学
⑤金田一春彦同日本語音韻の研究﹂︵一九六七年・ 東宗室︶一九
四 、四三 0 ぺージ。
⑥金田一春彦監修、城主
甘口︵一九八二年・アポロン音楽工業︶第六章第一
後 ﹂にさせられた台湾の姿がよくわかる。
王背徳﹁台湾 語 入門﹂︵一九八二年・日中出版︶
セセ年 ・桜 極札︶ 三十六 |三
十 ぺージ。
⑦朝日新聞社﹁南方の拠点台湾﹂︵一九四四年︶を 見ると、﹁ 銃
⑧
⑨川上薬﹁日本語音声概説﹂︵一九
十セ ページ。
五セ
有益な資料となっている。
⑮日本での中国語教育・学習の現状
青で示す。
にあれ せ、中国詰の発音は排
ル事典﹂︵一九八三年・研究
の生活日本語 し二九八三年︶
社 ︶の 比 番の身振りである。﹁ 六﹂ に相当する身振りは同書には
⑯金山宣夫 コ世界 舘 万国ノンバーバ
記述がない。
⑰文化庁口中国からの帰国者のため
第一課﹁あいさつ﹂の解説に﹁柑子の名前を呼ぶだけでは・あい
きつをしたことにはなりません﹂︵ 二九六ぺ ー ジ︶とあるのはこ
のことを裏付ける。
五
ノ人