SKI000204

立は ついての一考察
氏家
幹夫
はじめに
まず、 自立とは何か、 ということを 考えたい。 社会福祉は、 また私はなぜ 自
立ということにこだわるのか。 それは、 自立することが、 その人の生を 豊かに
すると考えるからだ。 自立とは、 「社会の中の 自分ということを 認識し、 その上
で自分や社会の 足りないところを 努力して解決しようと 思い、 行動すること」
だと私は考える。 社会において、 多くの人と知り 合うことで、 自分とはなにか
を深く考察することができるよさになり、
その自分と対比することで、 他人ま
た社会というものが 見えてくる。 自分のことばかり 考えている時は、 さまざま
なものに不満を 感じるが、 自分の周りが 見え始めると、 自分には多くのもの、
多くの可能性が 与えられていることに 気付く。 そうなれば、 人は自分の生に 希
望を持ち、 生きることに 喜びを見出すことができる。 その時に、 自分のしたい
こと、 するべきこともみえるようになる、
と考える。
私は、 人間が生きることに 関して、 自立して生きることの 反対概念を、 依存
して生きることだとは 考えない。 依存の反対概念は、 独力であ る。 独力で生き
ることがよ い だとか、 依存して生きることが 悪いだとかは 一概に言えない。 ど
ちらか一方を 取るのではなくて、 独力と依存の 釣り合いを自分でうまくとるこ
とが、 自立して生きることだと 考える。
本稿は、 以下の章立てで 考察を進める。 第一章において、 アルコール依存症
と断酒 会 についてそれぞれ 説明し、 両者がどういう 関係にあ るのかについて 解
説する。 第二章では、 私が断酒 会 に参加して書き 留めた体験談の 分析を元に、
アルコール依存症者はなぜアルコールに 依存するようになったのか、 またアル
コール依存症者の 自立を妨げている 身体心理社会的な 問題は何かを 考察する。
それと同時に、 それぞれの解決策を 考察する。 第三章では、 断酒 会が アルコー
ル依存症者の 自立にどのような 役割を果たしているのかを 整理する。 まとめで
は 、 それらの考察を 踏まえて、 アルコール依存症者が 自立するとはどういうこ
とかを考える。
第 上草 アルコール依存症と 断酒金
策Ⅰ 節
1
アルコール依存症について
アルコール中毒からアルコール 依存症 へ
アルコール中毒という 呼び名が、 アルコール依存症と 呼ばれるよ
一 30
一
う
になった
のは、 戦後になってからであ
る。 戦前は、 アルコール中毒や 薬物中毒の状態を
総称して医学的には「薬物嗜癖」と 呼んでいた。 薬物嗜癖とは、 習慣性を来し
やすい麻薬などの 薬物を繰り返し 用いているうちに、 ①しだいに増量しないと
効かなくなり、 ②その薬を得るためには 犯罪も辞さぬという 強烈な欲求が 生じ、
③薬を断つと 激烈な禁断症状が 出る、 という風に段階的に 進んでいく病気であ
ると考えられていた。
しかし終戦後、 覚醒剤の流行に 始まり、 睡眠剤から精神安定剤、 幻覚剤など
さまざまな薬物が 嗜 癬の対象になった。 この中には、 身体的依存をおこさない
習慣性の薬物も 含まれている。 今までは、 薬物を使用することによって 心身が
虫食まれることが 問題とされていたが、 現在では薬物を 利用しなければならな
い心理状態 (薬物への心理的依存 ) が根本問題であ るとされ、 「薬物依存」とい
ぅ
用語が用いられるよさになった。
アルコール中毒と 呼ばれた時代には、 アルコールが 身体に着として 作用する
ことが問題とされたが、 アルコール依存症と 呼ばれるよさになって、 アルコー
ルを求める心の 状態が問題にされるよさになった。
つまり、 体の病気から、 心
の 病気へと認識のされ 方が変わったのであ る。
2
アルコール依存症の 現在
どれだけの量をどれくらい 続けて飲めばアルコール 依存症になるのかは、 個
八個人の体質や 生活歴によって 異なるが、 一日に清酒に 換算して 4 ∼ 5 合のア
ルコールを、 1 0 年間毎日のように 飲み続けるとアルコール
われている。
平成 8 年の患者調査によると、
2 3,
依存症になるとい
8 0 0 人がアルコール 精神病、 アルコ
ール依存症の 患者と推計されている。 厚生省の発表では 日本の潜在的アルコー
ル依存症者
(大量飲酒者 ) は、 2 3 0 万人との推計値が 発表されている。 この
数字は、 実際のアルコール 依存症者数と 比べて大きな 隔たりがあ るが、 その 理
由 として本人がアルコール
依存症であ ることを自覚していないこと、 医者もア
ルコール依存症と 診断せず、 肺 疾患、 糖尿病などの 診断をし、 治療や入院の 措
置を取ることが 多いことが挙げられる。 手の震えなどの 身体依存症状があ れば
十分依存症といわれるが、 日本のように 社会の許容範囲が 広ければ、 酒乱でさ
えなければ相当重症な 依存症者であ っても、 「単なる大酒のみ」と 思われている
こともよくあ る。
日本のアルコール 依存症者数は、 潜在的なアルコール 依存症者数も 含めれば
人口の 00/ にものぼる。 事態はもっと 重く受け止められるべきだ。
一 31
一
第2節
断酒会 は ついて
1
断酒会の成り 立ち・組織について
日本における 禁酒団体の先駆けとして「覚国船員禁酒 会 」が生まれたのは、
1 8 7 3 年 (明治六年 ) であ った。 その後さまざまな 禁酒・断酒団体が 入れ替
わり立ち替わり 日本に誕生したが、 どの団体も特筆するような 成果は挙げられ
なかった。 断酒 会が 「酒をやめられるところ」であ ると認識され 全国へ広まっ
ていくのは、 AA の方式を取り 入れた全日本断酒連盟が 生まれた 1 9 6 0 年代
以降であ る。
全日本断酒連盟は、 昭和 4 0 年代前半に 2 万人の会員を 要する巨大組織にな
った。 その背景には、 AA 方式を取り入れたことが
強力な要素であ ったが、 各
地の断酒 会 にははじめからスポンサー 的な精神科医や 行政機関があ ったことも
挙げられる。 大阪では、 行政 (保健所 ) が主導して断酒会を 育て、 大阪方式 (保
健所十医療機関士自助バループ ) と呼ばれる方式を 創り出し、 効果を挙げた。
1 9 9 8 年現在、 全日本断酒連盟に 加入している 断酒会は 4 7 都道府県で 6
5 0 を超え、 約 5 万人が活動に 参加している。 大阪府断酒 会 が発行している 平
成 1 1 年 9 月号の『なにわ
よ
には、 大阪府断酒会の 傘下 5 4 断酒食、 実働会員
1 4 0 0 名と記されている。
2
断酒会の例会について
断酒会の例会は、 酒 書体験の発表が 中心に置かれる。 それはどこの 断酒 余 で
も同じなのだが、 例会の導入部分や、 最後の部分が 若干異なることがあ る。
私が参加した 例会は 、
。
例会の頻度
:
週1回
・一回の例会に 要する時間 : 2 時間
例会の規模
:
2 2
∼
2 5 人程度
一人の体験発表の 時間
:
5 分程度
という概要であ り、 例会の内容は
。
断酒の誓を参加者全員で
。
松村語録を一人が
唱和
。
参加者が一人一人体験談を
。
心の誓を参加者全員で
。
家族の誓を家族が 唱和、 例会が終わる
朗読
発表
唱和
という流れであ った。
ただし.地域によって例会の内容はさまざまであ
たり、 例会の時間にも 長短があ る。
一 32
一
り
7 ∼ 8 人で例会を行っ
私は、 この大阪府内の 断酒食に平成 i i 年の 6 月から 1 0 月までの 4 ケ 月間
通った。 そのうちの計 1 1 回の例会を本稿の 調査対象とした。
第2章
第i節
断酒会の体験談の 分析
アルコール依存症に 至った原因
(0 が問題、 欝が解決策、 を示す )
0 ふだんの自分の 性格や社会環境などに 不満や不安があ り、 それを飲酒で 紛ら
わせていた
「酒を飲むようになったのは、
付き合いからだった。しかし、酒を飲むとふだん言えないことや
できないことができることに
気がついた。それから酒を飲んでストレスの発散をしていた。ふだ
んほ 無口でなにも言えずじっとしている
性格だった。 (9
」
一
9 から) W注)
「二回目と姉回目の
就職の間にかなり酒を飲んだ。ストレスがすごかった。(9
」
一
3 から)
(注 : 9,9 とは、 第 9 回目の例会、 9 番目の発表者の 体験談を意味する。 )
6 ふだんの自分に 不満。不安があ るため、 酒の力を借りてそれを 見ないように、
考えないようにする。
そういう自分の 性格に対する 不満などは、 対人関係に表
れるものであ り、 あ まりにひどくなると 対人関係をうまく 築けなくなる。
アルコール依存症者が 対人関係をうまく 築けないのは、 自他の分離ができて
いない心理的発達段階にとどまっているからだとする
ール依存症にメランコリー
説があ る。 また、 アルコ
親和型の性格傾向の 人が多いことを 猪野亜朗氏が 指
摘している。
発達心理学的に 自他を分離できていないことや、
メランコリー 親和形の性格
傾向、アルコール依存症者に 多い認知行動パターンの
全てに共通しているのが、
自分の視点からしか 判断をしていない、 つまり他人の 視点 (客観性
)
が欠けて
いることであ る。
自他を分けて 考えられないため、 自己中心的な 考えを持ち、 自分の能力に 万
能感を抱いている。 そのために、 自分には荷が 勝ち過ぎていることでもできる
と判断するが、 実際やってみると 失敗してしまう。 自己に万能感を 抱いている
ため、 失敗した時の 挫折感は大きい。 それを否定するために 飲酒することにな
る 。 こんなはずではないという
気持ちが、 失敗と向き合うことを 拒ませ、 問題
は解決されないまま 自分の周りに 山積みされていく。 気付いた時にはもう 何か
ら手をつけてい い かわからず、 酒を手放せない 状態になっている。 そうなると
さらに対人関係がうまくいかなくなり、
自分の殻に閉じこもってしまうように
なる。
そうならないために 他人の視点
(客観性 )
一 33
一
が不可欠であ るが、 その他人の視
点を持つためには、 自分の無力を 認め、 他人の意見に 耳を傾けなければならな
い。 これは、 断酒会の元になった 自助グループ、 AA の「十二のステップ」で
も指摘されている。 AA の「十二のステップ」とは、 アルコール依存症者の 回
復過程を十二段階に 分けたものであ る。 一つ目のステップで、 自分が「アルコ
認
一ル に 対して無力であ り、 生きていくことがどうにもならなくなったことを
め」
る 。 ここで自己の 無力を悟り、 万能感と決別するのであ る。 ただし、 そう
簡単に自分の 無力を認めることができないから 困っているのであ って・できる
なら問題は無いのであ
る。
自分の無力を 認め、他人の意見に 耳を傾けるきっかけの 一つとなるのが、 底
つき体験」をすることであ る。 底 つき体験とは、 何度も病院の 入退院を繰り 返
したり、 食べ物を体が 受けつけなくなったり、 つれあ いから離婚を 迫られたり
といった、 身体心理社会的な 圧迫を受け、 このままでは 死の危険性もあ るが、
自分ではどうにもできない、 というところまで 追い込まれた 時に経験するもの
で、 自分に対する 一種の諦めであ る。 そこまでいかないと 自分に対する 万能感
は、 完全には消えないのであ ろう。 底 つき体験をすることで、 自分に対する 万
能感 が消え、 同時に他人の 意見に耳を傾けることができるようになる。
「
0 他のどんなことよりも、 飲酒を優先させてしまう
0 自敬機の普及やアルコール 飲料の価格低下で 酒が容易に手に 入る
0 テレビなどでの 商品 PR の発達によって めび酉欲求を掻き立てられる
「アルコール
依存症だと自分では分かっていたけれど、
治らないと分かっていたけどそれでも
自
分は違う 、 自分は例外だと思い込もう としていた。嫁からは昨日離婚届を突きつけられ、会社か
らはこれで最後やぞといわれているのに、
まだ、
何とかのめるんじゃないか、
大丈夫じゃないか
とおかしな解釈をして
酒を飲んだ。も
う
あ かんとわかっているのに、
飲んでいた。 (2 一
」
1 から)
「テレビコマーシャルで
新しいアルコール飲料が放送されると、どんな味すねぬんやろと思って
しまう。さすがに企業が
大金をかけて作っているだけあると思う。 (2 一 8 から)
」
膠 薬物としてのアルコールの 問題も重要であ る。 WHO が定義するように、 ア
ルコールはれっきとした 薬物で、 コカインなどの 禁止薬物より 激烈な離脱症状
を 起こすこともわかっている。
アルコールは、 耐性獲得があ る薬物であ る。 耐性獲得とは、 次第に薬物の 量
を 増やさないと 効かなくなることを 言う。 アルコールのプラスの 効果を漠然と
追っていると、 どんどん酒量が 増えることになる。 人体のアルコール 分解能力
はほとんど変わらないので.アルコールが体内に残る時間も 長くなることにな
る 。 やがては体内のアルコールを
分解しおわらないさちに、
が体内に摂取されることになる。
このように、 体がアルコールづけの 状態が長
一 34
一
新たなアルコール
続けば、 心理面だけでなく 身体的にもアルコールに 依存するようになる。 す
なわちアルコールが 切れると離脱症状を 起こすようになる。 そうなるとますま
すアルコールに 依存することになり、 自分一人の 力 ではとてもではないがアル
く
コールを断てなくなる。
このような状況になっても、 本人にアルコールが 薬物であ るという認識がな
ければ、 すべては自分の 心の弱さに原因があ ると 居、 ってしまって、 余計に自分
で解決しようとしてしまう。 しかし、 解決することができず、 酒量は増えるば
かり、 となると、 自分に対する 自信を喪失してしまう。 そうすると対人関係 @こ
消極的になり、 どんどん孤立してしまう。 その寂しさを 紛らすために 酒を飲む‥、
という悪循環に 陥ってしまうことが 起こりうる。
われわれは、 アルコールが 薬物であ ることをはっきり 認識しなければならな
い 。 また、アメリカなどのように、 アルコール飲料のテレビコマーシャルでは、
いたずらに飲酒欲求を 煽るようなものは 規制することも 考えなければならない。
たばこの場合のように、 過度の飲酒は 健康に害を与えることをコマーシャルの
中に盛り込まなければならないなどの 処置を検討すべきだろう。
第 2 節 自立を妨げる、 身体心理社会的な 問題
第 i 節では、 アルコール依存症になった 原因を考察することで、 解決方法を
見つけることができた。 しかし、 アルコールに 依存することになった 原因は除
去できても、 現実には自立した 生活を送れていない 人もいる。 それは、 アルコ
ール依存症という 病気からは回復したが、 アルコール依存症によって 失われた
人間関係や社会的信用は、 まだ取り戻してはいない、 または新しく 作って い な
いからだ。 第二節では元の 通り、 または新たに 人生を送ろうとする 時に 、 何が
妨げとなっているかを 考察する。 第一節と同じように、 断酒例会の体験談の 中
から、 自立を妨げる 問題に関して 述べているものを 集め、 それを身体心理社会
の各部面に分割して 考えてみる。
。 自立を妨げる、 身
0 高齢であ ったり、 健康を害しているものが 多い
「
「
4 0 歳頃がピータで、入院中でも、酒を飲んで、酒にとらぬれていた。
1 (7 一 7 から)
3 0 年間溜飲んできた。
J (4
一
8 から)
鯵 アルコール依存症は、 一日にしてなるものでないことは 先に述べた。 何年、
何十年と飲酒を 続けて、 依存症になるのであ る。 そのように長年一つのことを
続けていると、 習慣として身につくことになる。 習慣として身についたものを
やめるのは、 難しいことだ。 生活習慣病であ る糖尿病が治りにくいのも、 食生
一 35
一
活 という習慣を 変えなければならないところに
ることは、 大袈裟に言えばそれまでと
原因があ る。 一つの習慣をやめ
違った生活をすることであ
る。 断酒 会で
耳にする、 素面の文化の 創造という言葉は、 この新しい生活のことを 指してい
るのであ る。 今まで酔いの 中にあ った人生と決別し、 断酒をして素面の 生活を
送るのであ る。 しかし、 断酒するだけでは、 よりよく生きているとはいえたい。
断酒することのみにとらわれているという
酒を我慢しているのだ、
状態は、 自分は酒が飲めな い のだ、
という思いにとらわれている
状態であ りどちらかとい
うと後ろ向きに 生きている状態と い える。 よりよく生きるには、 前を向いて 生
きることが大切だ。 自分の失ったものばかりに 目を向けていても、 生きる気力
は湧いては来ない。 自分に残されたものを 見つけ、 それを生かすことこそ、 前
を見ることであ り、 生きる力を得ることができる
方法であ る。
これほ、 障害者が、 自分の障害を 受容する時に 見られる心の 動きでもあ る。
また事実、 アルコール依存症者は、 長年の飲酒によって 体を壊して障害者とな
っているものもいる。 障害者は、 自分が失ったものに 目を奪われている 間は、
自分の障害を 受容することができない。 そういう状態の 時、 生きることよりも
死ぬことを考えることが
多い。 生きたいという 気持ちよりも、 死にたいという
気持ちを抱く 人が多い。 だが、 残された機能に 目が移った時、 障害は徐々に 受
容され、 生きようという 気力も湧いてくるようになる。
そのような一連の 流れが、 アルコール依存症者の 自立にも必要であ る。 それ
は 身体的障害者として 捉えた場合もそうだが、 もう一生アルコールを 上手に飲
めない、 という障害を 負ったものとしてアルコール 依存症者を見る 場合にも当
てはまる。 しかし、 アルコール依存症は 長い年月を経て、 やっと姿をあ らわす
病気であ るので、 自分がアルコール 依存症とわかったのが、 4 0, 5 0 歳 とい
う人が多い。 4 0. 5 0 歳の人に、 長年過ごしてきた 生活習慣を改めることが
できるだろうか。 確かにできないことはないだろうが、 容易ではないことも 想
像に難くない。 生活習慣は、 その人の過ごした 人生と共にあ るものであ り、 良
くも悪くもその 人を形作ってきたものであ る。 その習慣が長ければ 長いほど、
その人にとっては 切り離しがたいものになるのは 当然であ ろう。 また、 年老い
ていればいるほど、 新しいことに 抵抗を感じる 傾向は一般に 強まり、 新しいも
のを受容する 力も弱まる。
こういう問題に、 医療機関などでは、 運動療法を取り 入れて対処していると
ころがあ る。 国立療養所久里浜病院に 国立医療機関としては 初めてのアルコー
ル 症 専門病棟が設置された 際、 同院の堀内秀医師 (作家なだいなだ ) が行軍 療
法を取り入れ、 大いに効果を 挙げた例もあ る。
私が参加した 断酒 会 にち、 アルコール専門病院が 行っているソフトボールに
一 36
一
参加している 人がいた。 野球やソフトボールは、
日本人になじみが 深く、 また
それほど体力を 必要としないので、 あ る程度の年齢であ っても参加できる 点で、
運動療法に適したものであ
のつながりもできる。
ろう。 仲間とともに 練習や試合を 行うことで、 人と
また、 体力の回復や 成就感の獲得は、 自分に対する 自信
を 持たせ、 自発的な生き 方、 前向きな生き 方を可能にする 機会を作りうる。
。
自立を妨げる、 心理的問題
0 ゆび四時代に 犯した自分の 罪にとらわれる
「覚面 は よくて、内面はだめという
性格に酒が絡んで、一番身近な嫁さんに、
言ってはいけない
ことを浴びせ続けてきた。嫁さんがつぶれてしまったことがあ
った。子どもが一番割を食った。
雰囲気も家にほなかった。
飯は食われへん、学校に持ってい く金もない。子どもに言葉をかける
自分は次の酒.次の
酒しか考えてなかった。
酒はおれの葉。 これがなかったらあ
かんのや、と思
,
っていた。
家族の力、断酒会の仲間の力 で生きている。しかし、自分は元気になっても、
嫁さんと子ども
は、 元気がない。覇気がない。自分の飲酒時代の
傷をまだ背負っている。
心苦しい思いをする。
問題を起こした自分だけが元気になって、
家族はもとのまま。
J (8
「
1 0 か引
酒やめても、飲んでたときのことを
思い出す。子どもがアダルトチルドレンになって、
あ と五
午後に問題が起きるかもしれた
目な、と思うとここ_
ら
一
目
なにも手につかなかった。(6 一 1 9 か
」
)
認 アルコール依存症者は、 過去に苦しい 体験をしている。 それは自分のみでは
なく、 家族や周囲のものを 巻き込んでいて、 いくら悔やんでも 悔やみ切れない
体験であ る。 断酒 余 で多く発表されたのは、 子どもや連れ 合いに対して、 迷惑
をかけたこと、 取り返しのつかないことをしてしまったことを
あ った。 子どもについては、 AC
反省するもので
(アダルトチルドレン ) にならないかどうか
を心配する人が 多い。
犯してしまった 罪は一生消えない。 なかったことにはできない。
しては、 現在の自分まで 否定することになってしまう。
過去を否定
それはわかるのだが、
断酒 余 で何度も自分が 犯した罪を繰り 返し思い出し、 かんなの前で 発表して聞
いてもらうのはなぜだろうか、
と断酒 会 に参加して 一ケ 月が経った頃 、 ふと 気
になった。
そのような思いで 断酒 全 院の体験談を 聞いていると、 答えが見えてきた。 そ
れは今までに 何度も繰り返し 発表されていたのだが、
気付かずにやり 過ごして
いたことだった。
「苦 い 思い出も思い出さないと、
初, ひ @こ帰られないかな、
と思げ。
断酒例会で、 「皆さんの体験談を
」
(5 一 1 6 か 切
聞いているおかげで‥・」という 発言を耳にし
一 37
一
ていた。 よく考えればなぜ 他の人の体験談を 聞いていることを 感謝しているの
か、 という疑問が 浮かびそうなものだが、 見過ごしていた。 ここに繰り返し 過
去の苦しい体験を 発表するのはなぜか、 という疑問の 答えがあ ったのであ る
どうしても、 過去の苦しい 思い出は忘れたいものだ。 けれど、 それをあ えて
思い出し、 みんなに聞いてもらうことで、 自分が何をしてきたのかを 思い出す
ことができる。 それは断酒生活の 馴れから緊張が 緩むのを抑える 役目を果たす。
常に酒客体験やアルコールの 害のことを聞いてれないと、 過去にあ れだけ 苦し
んだことも忘れてしまうことがあ る。 そうなると、 再び飲酒欲求が 沸き上がっ
た時、一杯ぐらいなら 大丈夫だろう、 ここまで断酒することができたのだから、
と考えて常飲酒してしまい、 元の状態に逆戻り、 ということは 本当に悲しいぐ
らい簡単に起こってしまうのであ る。 十年以上断酒が 続いている人でも、 再飲
酒 するとあ っという間に 過去の状態に 戻ってしまう、 ということが 起こる。
そうならないために、 断酒 会 に参加し、 自分の過去の 体験を掘り起こし、 そ
れを反省する。 また仲間の体験を 聞くことで、 自分が忘れていた 体験を思い出
すことにつなげる。 さらに、 何年も断酒してきた 仲間が、 あ っという間に 過去
に 逆戻りする姿などを 見て、 自分の気のめるみを 引き締める。 断酒 会 には、 常
に自分を振り 返る機会を提供する 役目もあ る。
。 自立を妨げる、 社会的問題
0 日本社会では、 酒は人との付き 合いに欠かせない。 酒が飲めないためうちと
けにくい
「冠婚葬祭を
控えている。不安はあ るが、そんなことほ言っていられない。
今までは、好きで出
席 していたが、今度は立場がまったく
逆になった。ここで結婚式に出て、 飲まない覚悟で出席す
ることにした。
ケースワーカ一に聞くと、欠席した方がいいのではといわれた。
(断酒の) 経験も
浅いし。しかしここが私の見せ所。鳥籠茶で、 生涯初めての結婚式に出席することになった。
自
分 には絶対負けない、
という気持ちです。
@ (8 一 2 から)
「昨日飲み仲間から
電話があった。今までなら即OK だったが、断った。しかし、ちょっとぐら
いいけるやろう、といわれたりかなりのすったもんだがあ
った。相手はアルコール依存症のこと
を理解していない。
そこで、たまたま今日は例会がなりが、明日また例会にいかないといけない
のだ、というと、何とか納得してくれた。
誘惑というのほ大変だ。相手も理解してくれればいい
のだが。 (7 一 4 から)
」
「はじめは酒を
飲まず、仲間から孤立してしまった。
仕事の方へも影響が出てきた。酒のめ酒の
めといわれて、飲まないから浮いたようになってしまった。
J (3 一 工から)
翰 日本では、 まだまだアルコールの 害についての 認識が低い。 アルコール依存
症と診断された 時から、 その人にとって 酒は飲めないものになる。 飲めないと
一 38
一
いっても、 下戸の人のようにアルコール 分解酵素がなりのではなく、 上手に飲
酒できないという 意味であ る。 この辺りでやめておこう、 という飲酒に 対する
ブレーキが効かなくなっているため、 深酒をしたり 倒れるまで飲んでしまうこ
とになる。そのことに対する 理解がなされていないため、 「一杯ぐらいなら 大丈
大 だろう」といって 酒を勧めたりする 人が多い。 酒を勧める人も、 悪気があ っ
てやっているのではなく、 むしろ親切からしていることなので 責めることはで
きないのだが、 その一杯の酒が 長い苦労の末回復しかけたアルコール 依存症者
を 再び地獄に引き 戻すことを考えると、 そのような行為は 罪作りであ ることを
理解しなければならない。
日本には、 飲酒を共にしようとする 風潮に加えて、 共に酔うことを 求められ
る風潮があ る。 酒席は、 「今日は無礼講で」などといって 、 酔いに任せて 会社の
上司にふだん 言えないことを 言ったり、 それを上司も 替めないといういわばガ
ス抜きの役割を 果たしたり、 羽目を外すことで 仲間同士が心のバリアを 取り除
い て、 親密になる機会を 与えたりする 役目を果たす。
酒席では、 飲酒できない 者がその場から 浮いたようになることがしばしばあ
る 。 共に酔うことができない 者を 、 「カタイやつ」といって 遠ざけてしまう 傾向
も日本人にはあ る。 また、 酒を無理に強要するということもしばしば
酒席で行
われることであ る。 これらのことは、 酒を飲めないアルコール 依存症者にとっ
てはつらいことであ る。 これと同じ悩みを 下戸の人も持っていて、 無理に飲ま
されるのが恐くて、 楽しいはずの 会社の宴会がいやになる、 という経験を 多く
の下戸の人がしている。 せっかくの仲間との 絆を深める機会なのに、 飲酒でき
ないものにとってはかえって 仲間との溝を 深めてしまうことになりかれない。
共に酔うことが 求められるのは 一つの日本の 文化であ り、 何百年と時を 重ね
て形成されたものであ る。 それをあ る時期からぱっと 変えることは 不可能であ
り、やはり変化には 長い時を必要とする。 アルコール依存症者や 下戸といった 、
飲めないものが 酒席を楽しめるようになることが、
この問題の根本解決であ ろ
うが、 これは徐々に 飲めないものがいることを 世間に知らしめ、 その上で酒席
の在り方を飲めるものと 飲めないもので 共に考える、 という時間のかかる 方法
でしか解決されないだろう。 今までは飲めるものが 中心で文化を 築いてきたが、
これからは飲めない 人も加わって 、 新たな文化を 築いていかねばならない
0 アルコール依存症であ ることがわかると、 解雇する、 または雇わない
「接骨
医に勤めていたが、アル中という病気を持っていることがばれて、
期首になった。ァ
ル% という、一 くくりに考えるのはやめてほしい、
私は仕方ないと思うが、ほんとにがんば
っている人もいるのだから、
と手紙をかいて
辞めてきた。
J (6 一 1 0 から)
一 39
一
翰 アルコール依存症について 学んだことで、 自分がアルコール 依存症に対して
偏見を持っていたことに 気付いた。 また、 世間にも同じような 偏見があ ること
を知った。 この体験談 6
一
1 0 は、 その表れだといえる。
アルコール依存症は、 その人の気持ちが 弱いから、 その人がだらしないから
なる病気ではない。 確かに心理的な 要因が関わっていることほ 確かであ るが、
あ くまでそれはいくつかあ る要因のうちの 一つであ る。
アルコール依存症になる 一番の要因は、 アルコールが 薬物であ ることの認識
無しに常用飲酒を 続けることであ る、 と私は考える。 つらいことがあ れば酒に
逃げていた人も、 酒が薬物であ り、自分の体を虫食む 危険があ ることを知れば、
やめるまでいかなくても、 他のストレス 発散方法を探すようになるだろう。 ま
た、現在アルコール 依存症と診断された 人がアルコールの 害を知っていたなら、
アルコールに 依存することもなかった 人が大勢いただろうと 考えられる。
アルコールの 害が大きな声で 言われない原因の 一つは、 アルコール飲料が 富
を生み出していることにあ る。 アルコールの 害を世間が認識し、 政府がアルコ
ール飲料の販売を 抑制するような 手段をとれば、 アルコール飲料業界にとって
は 、 死活問題になる。 多くの失業者が 生まれるのは 避けられない 事態となろ う 。
犠牲は出るがアルコールの
ればならないことであ
害について世間の 認識を広めることは、 やらなけ
る。 それも、 個人的な活動ではなく、
国家的な規模で 行
われなければ 効果は薄い。 い くら個人的にアルコールの 害を説いても、 それは
個人の意見にすぎず、 アルコールの 良い効果を説く 人と、 対等な関係にあ るか
らであ る。 なにも全面禁止にすべきだとはいわない。
しかしせめてアルコール
が 薬物であ ること、 長く常用していると 耐性を獲得する 可能性があ り、 また 依
存を形成する 可能性があ ることは、 アルコール飲料のテレビ CM や広告とあ わ
せて知らされる 必要があ る。 悪いとわかっていて 手を打たないのは、 政府の信
頼問題に関わってくる。 このままアルコールの 害を放置しておいても、 世間が
気付く時が必ずやってくる。 いずれやらねばならないことなら、 今やるべきで
あ ろう。 今、 偏見に苦しんでいるアルコール
依存症者がいるのであ る。 偏見を
なくすにはそれしかない。
第3章
アルコール依存症者の
自立に断酒 会 が果たす役割
この章では、 今まで様々に 述べてきた断酒会の 役割を整理する。 断酒会の役
割は、 まず大きく「断酒の 場」と「自信を 取り戻す場」、 「社会復帰の 訓練の場」
の 三つに分けることができる。 断酒の場では、 アルコール依存症者の 身体的問
題を解決する 役割をまとめている。 自信を取り戻す 場、社会復帰の訓練の 場は 、
一 40
一
それぞれ心理的問題、 社会的問題を 解決する断酒会の 役割をまとめている。
ら
さ
@こそれらを次のように 細分化することができる。
[断酒の場 ]
・飲まない経験の 蓄積の場
・仲間の存在による 圧力の場
・過去を見つめる 場
伯 信を取り戻す 場 ]
・受容の場
・自己に意味を 与える 場
[社会復帰の訓練の
・
場]
人 との交流の場
・手本を見つけられる 場
・情報が提供される 場
これらについては、 以下に詳しく 説明する。
1
断酒の場についての 説明
「断酒会 につながっていれば、 自然に酒がやめられる」、 そのような言葉を 断
酒 会 でよく聞くことができる。
それはなぜか、 という問いかけを 断酒例会でし
たことがあ る。すると、あ る参加者は、 「今日、酒を飲まず例会にきている
これが私にとっての 答えだ十年間さまよっていた
現実。
私が、今日酒を飲んでいない。
これが断酒会の 意味だとおもう。 」というコメントをした。
また別の参加者は、
「断酒会 に参加している 間は 、 酒をやめられる。 (断酒 会 には ) 目にみえない カ、
不思議な力があ るように思う。 引っ張られているような 感じ。」とコメントした。
アルコール依存症者にとって、
るのかということはさほど
断酒できるかどうかが
重要ではないので、
思われる。 しかし、 理由はわからないまでも、
問題であ って、 なぜでき
このような答えが 返ってきたと
飲まずに過ごせる 日がずっと 続
くことで、 飲まないで い る生活とはどういうものかを
体験することができる。
そしてそれは 飲んで い た時とは比べものにならないほどれ
理解することができるようになる。
れ 生活であ ることを
これが「飲まない 経験の蓄積の 場」の意味
であ る。
なぜ断酒 余 で断酒できるのかという 問いに、 あ る福祉施設の 職員はグループ
療法の効果であ ると答えた人がいる。 グループ療法が 医師や心理療法士などに
よって行われるのに 対し、 断酒会はそういった 専門家による 指導などがない。
それゆえ、 グループ療法の 効果に類似した 効果は得られるが、 グループ療法と
いってしまっては、 正確さを欠くことになる。
一 41
一
断酒 会 に参加すればどういう 理由で断酒できるのかについて、
あ
る断酒会員
は、
「
今ようやっと、みなさんがた、仲間に顔見てもらうことで、
やめ続けることができるんや
ということがわかってきた。(5
」
一
2 4 から)
と 、 断酒できる理由を 語った。 仲間に顔を見てもらうこと、
とは仲間に自分が
飲んでいないことを 知ってもらうことと 言い直すことができる。 飲酒すれば仲
間に合わす顔がない。 そのことが、 断酒会員にとって 飲酒欲求を抑える 要因に
なっていると 考えられる。 これが「仲間の 存在による圧力の 場」の意味であ る
これはいわば 人間の見栄を 利用したものといえる。 見栄 とは悪 い 意味で使われ
ることが多いが、 一種の自己尊厳の 形であ る。 それを断酒を 継続する力に 利用
しているのであ る。
断酒があ る程度継続できるようになると、 緊張も緩んできて 常飲酒の欲求が
生まれてくる。 事実飲酒欲求に 負けて、 スリップを経験する 人は少なくない。
その飲酒欲求を 抑えるさらに 飲酒欲求自体を 持たないために、 自分が飲酒時代
何をしてきたかを 反省し続けなければならない。 例会では、 何度も自分の 過去
の体験をみんなの 前で発表する。 そうすること、 また仲間の体験談を 聞くこと
で、 緩みがちな断酒の 気持ちを締め 直しているのであ る。 これが「過去を 見つ
める 場 」の意味であ る。
2
自信を取り戻す 場についての 説明
アルコール依存症者は、 あ まりにつら ぃ 経験をしてきたため、 自分ほど苦し
んでいるものは 他に目ないのではないか、 自分のほかに 誰も自分を理解してく
れない、 自分は孤独だなどの 居、 いを持ってしまう。 そういう 思、 いは自分から 周
囲のものとの 距離を遠ざけ.余計に社会との距離を 広げることにつながってい
る。
確かに世間には、 アルコール依存症者がしたような 経験を持っていない 人が
多い。 ところが断酒 会 には、 同じような経験をした「仲間」が 大勢いる。 同じ
経験を共有していることで、 仲間との間に 親近感が生まれる。 また自分もその
仲間たちから 受け入れられているのを 感じることができる。 人を受け入れる 気
持ちと、 人から受け入れられる 気持ちを断酒 余 で経験することができる。 その
結果、 それまで感じていた 孤独感は 、 少し 和 らでくる。 これが「受容の 場」の
意味であ る。
同じ経験を共有していることを
鼻 の 酒 書体験を発表するからであ
酒客体験を語ることができない。
知るのは、 断酒会の仲間が、 それぞれ自分自
る。 参加して間もない 頃 は、 なかなか自分の
それは、 自分の体験を 人に話していいものか
一 42
一
どうか思い悩むからであ り、 また今までに 大勢の人の双で 話した経験がないか
らでもあ る。 それでも、 先に入会した 仲間たちが、 次々自分の体験を 話すのを
聞いて、 すこしずつ自分の 体験について 話すことができるようになる。 そして、
自分より新しい 断酒会員が入ってくる 頃 になると、 自分が他の仲間の 体験談を
聞いて癒されたように、 自分の体験談を 聞いて癒される 人がいることを 知るこ
とになる。 自分が人の役に 立っていることに 気付くのであ る。 このことは、 自
分に対する自信を 取り戻すのに 大きな力を持つ。 このように、 援助することに
よって援助される 側だけでなく 援助する側が 癒されることを「ヘルパーセラピ
一 原則」という。 そしてこのことを 私は、 「自己に意味を 与える 場 」と捉えたの
であ る。
3
社会復帰の実践の 場の説明
アルコール依存症者は、 断酒することによってアルコール
依存症からは 回復
することができる。 また、 自分に対する 自信も断酒 会 での へ ルパーセラピー 原
則によって回復することが 可能であ る。 しかし、 アルコール依存症者の 自立を
阻むもう一つ 大きな問題が 残っている。 それは社会との 関わりを回復すること
であ る。
アルコール依存症者は、 会社を タビ になったり、 連れ合いと離婚したりとさ
まざまな理由で 社会的に孤立していることが 多い。 自立するために 必要な社会
との関わりが 少なくなることになる。 それが、 断酒 会 に参加することで、 多く
の仲間と触れ 合う機会を得ることができる。
人 との交流の場」とは、 このこと
を指す。 また、 人との交流によって、 それぞれが持っている 知識や体験を 教え
合 う 機会を持っことになる。 これが「情報が 提供される 場 」の意味であ る。
断酒 会 仲間の中で、 断酒を継続しながら、 社会復帰までもうまく 行えている
人を発見する。 そういう先輩をお 手本にすることで、 社会復帰に必要な 知識な
どを学び、 自らの社会復帰に 向けて準備することができる。 これが「手本を 見
「
つけられる 場 」の意味であ る。
このように断酒会は、 アルコール依存症者の 自立に欠かせない 存在であ る。
しかし、 断酒会さえあ ればいいというものでもなく、 断酒の姉本柱といわれる
ように、 医療機関や抗 酒剤 (家族 ) などとの連携によって 効果を挙げることが
できるのであ る。 だがそのような 知識も、 断酒 会 で得られることを 考えると、
やはり断酒 会が アルコール依存症者の 自立を助けるのに 果たす役割は、 非常に
大きいものであ るといえる。
一 43
一
まとめ
自立とは、
アルコール依存症者の
「社会の中の
自立とは
自分ということを 認識し、その上で自分や 社会の足り
ないところを 努力して解決しょうと 思い、 行動すること」であ る。 アルコール
依存症者は、 発達心理学で 言 う 自他未分離の 状態であ ったり、 薬物としてのア
ルコールにとらわれたりすることで、
自分中心にしか 物事を見られない 状態に
陥ると指摘した。 自分を客観 祝 することのできる 他人の視点を 失っているため、
「社会の中の 自分」がきちんと 把握できない。
他人の視点を 獲得するには、 自分に対する「見切り」を 経験しなければなら
なかった。 自分に見切りをつけることで、 自己万能感が 失われ、 自分を他の人
と同じ人間の 一人として相対的に 見ることができる、 つまり社会の 中の自分と
して認識できるようになる。 自分は何でもできると 思っていたのに、 自分も他
の人と同じ人間の 一人であ り、 あ りふれた存在であ ることがわかった 時の衝撃
は 、 大きなものであ ろう。 自分が特別な 存在でないことは、 不満でもあ るし、
同時に不安でもあ る。 自分が特別な 存在でなかったら、 他の人に相手にされな
いのでは、 と自分の存在意義に 危機を感じるからであ る。 アルコールに 依存す
るのは、 そういった自己の 存在意義の危機から 身を守るためとも 考えられる。
しかし、 さまざまな人と 断酒会などで 出会うことで、 その不安を感じている
のは自分だけではないことに 気付く。 社会との接触というのか、 社会の中の存
在として自分を 捉えることが 初めて、 または再びできるようになるこの 世の誰
もが、 そういう不安を 持って生きていることに 気付く。 漠然と感じていた 孤独
感から、 すべての人とのつながりを
感じる気持ちへと 変化する。
そこから、 では自分には 何ができるのか、 という自分の 可能性に挑戦する 気
持ちが生まれる。 失敗しても一人の 人間の失敗として 捉えることができ、 自己
万能感を抱いていた 時のような絶望感を 抱くことはなくなる。 成功を収めれば、
それが自信となり、 他の人とは異なる 自分のアイ ヂ ンティティを 確立する要素
になる。 多くの失敗や 成功を繰り返し、 自分のアイデンティティが 確立される
と、 社会には多くの 価値観があ り、 それらは自分のものと 同じぐらい大切にさ
れなければならないことに 気付く。 それが「許し」や「 い たわりの感情を 生む。
それとともに 自分が許されていることやいたわられていることに
気付く。 その
気付きが、 人生を豊かなものにする。 そういう感じ 方、 生き方ができる 人が自
立できている 人だと私は考える。
私が参加した 断酒食には、 「許し」や「いたわり」といった 雰囲気が、 例会場
に 漂っているように 感じた。他人の痛みを 自分の痛みとして 感じる姿があ った。
自分一人が回復しようというのではなく、
仲間と共に回復し、 よりよい生活を
一 44
一
共に送れるよさになろ
う
とする気持ちを 感じた。 このような雰囲気が 例会にあ
るのは、 何年も断酒を 続けている人が 多く い ることと無関係ではないだろう。
長 い 飲酒時代に犯した 罪と向き合い、 他人に対して 許しゃ い たわりの感情を 持
っに至るには、 相当な勇気と 忍耐力が必要であ る。 それを為し得た 人は、 自立
しているといってよいだろう
そういった人は、 例会での体験談発表でも
自分の酒客体験を 隠さず話せる 人
でもあ る。 そんなことまで、 と聞き手であ る私が戸惑うほど 赤裸々 な 体験談を
話す場合も多い。 自立できている 人は、 そこまで話すことが、 他のアルコール
依存症者の回復に 重要な意味を 持つことをわかった 上で話している 風であ った。
事実、 そういった体験談が 発表された日の 例会は、 参加者が気持ちを 集中し、
自分の酒寄体験についても
深く語る人が 多くいた
(第 4 回や第 5 回など ) 。
自立している 人は 、 他のアルコール 依存症者に回復の 機会を与えようとする。
そのことによって 自らも自己の 存在価値を確認することができる。
自己の存在価値を 確認することについては
ただしこの
無意識であ り、 ただ仲間と共に 回復
することに喜びを 見出している 人もいるだろう。
社会の中の自分を 認識するのは、 人間の成長段階のかなり
早い時期で、 三才
頃 には見られると、 神谷美恵子氏は 指摘している。 それゆえに、 社会の中の自
分を認識できないアルコール 依存症者には 心理的発達段階において 異常があ る
という説が唱えられるのであ
る。 ただ、 そうだからといって 一時期の心理学会
のように乳幼児期の 生活環境にすべての 原因を求めることは 正しくない。 神谷
氏も指摘するように、 人間には長い 人生の中にいくつかのライフステージがあ
り、 一つの段階
(ステージ ) ではうまくいっていなくても、
次の段階、 その 次
の 段階でそれを 回復することができうる。
そうであ るから、 心理的発達段階の
異常を一つの 要因とすることはできても、
すべての原因を 乳幼児期の段階に 押
し付けることは、 他人に問題の 所在を押し付けることと
同じであ る。 それは、
そのひとにとって 自らの心の重荷の 軽減には役立つが、 自立のためにはむしろ
尼棚となる。
断酒 会 において自立している 人は、 自分の過去を 受容している 人であ る。 そ
れゆえに、 自分の過去の 体験を他のアルコール 依存症者に語り、 その人達を癒
すことができるのであ る。 過去に起こった 事柄に対して、 自分が責任を 負って
いるか否かは 置き、 過去に起こった 事柄が積み重なって 現在の自分があ る。 こ
のことを認識することも、
「社会の中の 自分」を認識するために 必要であ る。 つ
まり自立できている 人とは、 自分が社会の 中に存在する 多くの人間の 一人であ
る とに気付き、 自らの過去や 現在を背負って
一 45
一
生きている人であ る、といえる。
平野かよ子
して山
参考文献
F セルフ・ヘルプバループによる
川島書店
1 9 9 5
福井進。 小沼 杏坪
猪野亜朗
回復一アルコール 依存症を例と
T 薬物依存症ハンドブックロ
金剛出版
7 アルコール性臓器障害と 依存症の治療マニュアル
1 9 9 6
山
里和書店
1
9 9 6
石川副賞・久保 紘章
Fセルフヘルプバループ 活動の実際
ンタビューを 通して』
中央法規
医歯薬 出版株式会社
『最新
医学大辞典
『アルコール 依存症を治す
催同人社
1 9 9 7
清水新 三
Ⅰ
イ
i 9 9 8
中村 希 開
大阪府断酒会本部
一 当事者・家族の
ロ
医歯薬 出版株式会社
1 9 9 6
予防,治療。
家族の心得 Q&AJ
八社 ) 大阪府断酒全
会誌「なにわ 5 8 号Ⅱ
『酒飲みの社会学一アルコールハラスメントを
保
1 9 9 9
生む構造山
素朴 社
9 9 8
財団法人厚生統計協会
号第 9 巻
ロ
小山造次郎
動向,厚生の指標
下国民衛生の
臨時増刊号・ 第 4
1 9 9 9
下生活保護法の
解釈と運用
復刻版
ロ
全国社会福祉協議会
9 7 5
神谷美恵子
6
工心の旅ョ
日本評論社
柴田純一
F プロケースワーカー
(本論文は、
卒業論文を要約したものであ
i 9 7 4
1 0 0 の心得田
一 46
る
一
現代書館
i 9 9 9
: 原文は 200 字 X174 ぺージ。 )
i