11/4 荒木翔也 リアクション・ペーパー ③ 篠原明日美 そもそも「同じ状況から引き起こされる出来事は一つじゃない」という反論は、何らかの状 況が出来事を引き起こしていると言っているので、因果法則を前提としていると思います。 「結果は一つでない」が、無限の可能性だとすると、全く予想できなくなる。 いくつかの可能性ということなら、確率の問題だという主張と同じ。 ④ 服部諭美 確率は因果法則に従って導かれる計算であるはずです。例えば降水確率は、気候上の様々 な因果法則をもとに天候の変動を予想し、完全に把握できない要素の曖昧さを考慮に入れ た上で、%を出すものです。因果法則がなければ確率は導き出せません。 私は、確率的であるということは、把握している情報量が十分でないということを意味す るのだと考えています。 もし、④の意見を持つ人が、例えすべてを把握できても確率は存在するのだと主張するの なら、その人が信じているのは「確率」ではなくて、授業中に五十嵐くんが言っていた 「人知を超えた『法則』以外の何か」であると思います。 「たぶん−」とはどういうことか。 佐藤彩乃 不確定性原理がこの世界に因果法則がない根拠だとすると、不確定性原理が発見されたこと すらも、一定の原因の中から必然的に導き出された結果と言うことができなくなる。 不確定性原理そのものが必然的ではない概念ということになり、因果法則を否定する根拠に はなりえない。 「必然性」とは何か 論理的− 実在的− 吹野智子 しかしそうならない場合の 1%を我々は意識的に選ぶことはできますか? これは我々が「そうしないこともできる自由」を行使したことにはなりません。 甲斐壮太郎 もしも選択が確率によって決定されるとすれば、そこに自由意志(そうしないこともできる 自由)はありません。双六の駒がサイコロの目で決められた数だけ動くように、人は確率で 決められた選択肢を行うだけです。 「そうしないことができるが」 「あえてそうした」 ⑤ 馬場紀衣 すべての選択において、原因と結果の因果関係があると私には思えない。 心の出来事には物理的な法則は影響されないですし、同時に、1つの原因からは複数の結果 が生まれないという可能性も否定できないと思います。出来事には前後不覚な結果というも のもあるのではないでしょうか。気まぐれとは少し違う気もしますが因果法則があるという 証明がない=私は認識できていないのでまだ納得できません。 田中里奈 心の動きだけを別に考えることはできなく、物に因果が働くのであれば心にも働くと考えま す。 服部諭美 精神の働きが因果法則に縛られていないなら、因果関係なしに突然悲しみ出したり喜び出 したりすることも、おかしいことではないということになります。しかしそれは、一般的 には病気と呼ばれる状態です。 この思想を持つ人がいたとしたら、まずは「心が因果法則のもとにないとは具体的にどう いう状態か」を説明していただかないと、私には⑤の意味を完全に理解することはできな いと感じました。 また、説明を求められて答えられないなら、その人は無意識に心の因果法則を認めている のではないかと思います。ただ、認めたくないだけで。 開示後 寺澤美咲 ただ私が言いたいのは、物事には因‐果の関係があるかもしれないけれど、「因」が何なの かを突き止めることはできないということです。 そして、同じ状況から同じ出来事が必ず生ずるとは私には考えられません。なぜなら、同じ 状況をつくること自体が不可能だからです。A という状況と、時間的に次の段階にある A´ という状況に因果関係があるか調べるとします。しかし、もういちど A をつくろうとして場 所やら物象やらをいかに調整したとしても、時間だけは同じにできないのです。また、同時 に同じ状況をつくりだそうとするのも不可能。これは、状況同士が作用しあった可能性を否 定できないため、純粋にその状況のみが原因となって出来事を生み出したと言い切れないか らです。検証できない以上、「必ず」とは言えません。 ですから、出来事に原因があるのは認めますが、ある特定の出来事には必ずある特定の原因 がある、ということは認めません。逆に、ある特定の原因から必ずある特定の出来事が生じ るというのも認められません。 リアクション 心の出来事は、或る程度まで決まっているが、一つに決められて「そうしないことができな い」わけではない という主張は(厳密な)因果法則を前提していないのか。 ヒント:人間にとって不可欠の「予想する」という営みは、 (厳密な)因果法則を前提す ることなしに可能かどうかを考えてみる。 「確率」の意味ももちろん参考になる。
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