2016コミ講義1 のコピー

2016成城大学「コミュニケーション講義Ⅷ」担当:後藤将之
「21世紀初頭におけるメディア環境とメディア行動」
この講義には、決まったテキストは特にありません。毎年少しずつ変化
している講義ノートに基づいて講義し、完成した講義ノートは何らかの
方法で講義終了までに配布します。
・コミュニケーション講義7「過去」:マスコミ理論・研究史
・マスコミ原論「現在」:日本における(在来)マスコミの現状
・コミュニケーション講義8「未来」:メディアの新動向と未来
*マスコミ理論という枠では、80∼90年代以来、それほど大きな新
展開はない。デジタル化現象が全世界規模で影響著しく、それについて
の記述的な研究や、過去の研究の再検討が盛んになっているため。
*2014年から、ここ数年と若干、内容の順番などが変わります。古
い講義ノートを持っている人は要注意。
新しい世紀に入って、とりわけ情報メディアのデジタル化を反映し
て、これまでの在来型メディア(新聞、放送、出版)研究では想定され
ていなかった新たな可能性と問題点が発生するようになっている。大規
模メディア(組織、制度に根拠をもつ)と微小メディア(装置、機器で
可能になる)との併存が生じている。それぞれが独自の性質を持ってい
る。在来型の大規模メディアについては「マスコミ原論A」ですでに検
討してきた。
電子メディアの量的増大、小型化により、「環境に遍在する」、「身
体に密着する」という2方向で、各所に小型のメディア類が存在する状
態になっている。これに関連して、必ずしもメディア行動そのものとは
いえないが(これは「メディア」の定義にもよるが)、類似した領域
(例:衣料、コスメ、外見印象管理、身体障がい補助など)にも、高機
能化による変化がみえはじめている。この全体が、「メディア化した社
会」を作り出しはじめている。
このことにより、たしかに従来からいわれている「メディア依存型社
会media dependency society」=ほとんどの出来事をメディア経由で
知る媒介型の社会が続いてはいるが、しかし、その「メディア」が、
「在来の大規模メディア」だけではなくなっている。在来型メディアを
取り巻く形で、小規模の新メディアが大量に保有されて、情報秩序にお
ける2重構造を作り出している。
在来型メディアについては「マスコミ原論A」などですでに解説して
いるので、ここではそれ以外の部分、その先の部分について、特に近年
の新しい展開を各種トピックとして紹介するという形式で検討し、最終
的に21世紀の日本のメディア社会について検討していく。ある種の現
代社会論、日本社会論という性質もある。
できるだけ近年の動向や可能性をトピック的に紹介し、それについて
考えていくことで、現在および近い将来の、メディア社会の可能性、あ
りうべき姿やその問題について考察していく。あまり直近の「程度の
差」レベルの問題は扱わない。「それまでの社会や人間関係を変えかね
ない」技術革新などに注目して、その社会と人間へのインパクトについ
て考えるのが目的。
*これは、情報提供→問題提起型の授業なので、示した事実や情報を理
解した上で、「それについて自分はどう考えるか」を考えてみることが
求められる(それをコメント用紙に書いてもらい、次回、それを紹介す
る:ネット経由での実施も試行する)。
基本的には「メディア=媒介するもの」であり、「個人と環境の「あ
いだ」にあって、情報などを媒介する存在」だった。しかし、このよう
なメディア(の一部)が、一方では外部環境に目に見えないような形で
遍在し、他方では個人に携帯されたり、身につけられたりする形でも遍
在するようになってきている。
在来メディア:テレビ、新聞、出版:
「介在する組織としての在来マスコミ」から「電子メディア:個人に持
たれるデバイス+環境内に遍在する装置」へ、と考える方が分かりやす
い。PCなどは、ネットとつながっていないと、できる作業が限られ
る。
従来から、「情報環境」「情報行動」という切り口があった。それが高
度化して:
「メディア<環境>」の高度化→環境内に遍在するメディア:情報環境
化、ユビキタス化(どこにでも小型メディアが介在する)
「メディア<行動>」の高度化→身体に密着するメディア:小型化・可
搬化、ウェアラブル化、さらにインプラント化(ここは「メディア」の
定義によるが)
もはやここでの「メディア」は、在来型のような「1対不特定多数の
1方向の伝達(=大衆社会を前提)」ではなく、「特定多数相互の双方
向の伝達(=大衆社会以後を想定)」であることが多くなっている。そ
の意味で、典型的な「(在来型)量産マスコミ」ではすでにない。いわ
ゆる「マスコミ以後のマスコミ」の可能性。これはもはや、いわゆる
「マスコミ」「マス媒体(新聞放送出版…)」だけには限られない。
基本的な物流制御の場合:POS(ポイント・オブ・パーチェイス)管
理、ICタグ管理、トレーサビリティ、入出管理と監視、などの発想と手
法がすでにある。
(図:商品管理タグ。素朴な情報端末の実例。中には短い磁気テープと
簡単な情報がある→このようなものが高度化していく)
トレーサビリティの実例:リンゴ1つ1つにその来歴を表示:
*そのために使われるQRコード(2次元バーコード)もかなり遍在す
る「環境化したメディア的な情報伝達システム」ではある。
←上の文章ほぼそのままを、QRコードに
したもの。
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
「人間個人」の「トレーサビリティ」はどうか? 望むか?
(1) ある人の、1日の移動経路の詳細な明示化
(自宅5F→エレベーター1F→バス停→バス経路→駅前→○○線上り*
*時の**車輛→成城学園前駅地下→エレベーター→改札A→、という
ことが、動線として全て記録公開される、など)
(2)ある人の、もっと長期の色々な傾向が記録、明示化されること:広
義の履歴:学歴、職歴、「家系」、居住地、病歴、……。
明らかにいわゆる「プライバシー」項目であるが、「プライバシーが正
確に公表される=議論の余地、疑いの余地が少ない」ともいえる。「ま
るでプライバシーのない人」=おそらく 罪の危険もないだろう。それ
を望むだろうか? 「安全」←→「私秘」なのだろうか?:監視カメラ論など関連。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
そこにメディア情報が付与される:携帯電話、スマホ、ワンセグ、IC
カード類、などなど、「高機能化した端末」類多数。
例:スマホ1台の使う電波の種類:
・電話とショートメッセージ用の通信電波(電波法で統制)
・無線LAN用の電波(弱電波)
・Bluetooth (近距離通信)用の電波(弱電波)
・ワンセグ、地デジ用の放送電波(放送系、放送法)
・GPS衛星と通信する位置情報用の電波(通信系)
多い場合、これらの電波を全て授受する小型装置=高機能端末になって
いる。それが「タダ」で手に入ったりする世界。
ただし:
これらのメディア、メディア機器類は、それだけ単体では機能しない。
これらメディア装置の機能を支える社会的なインフラ(ハードウエア
的、社会制度的な)が整備されて、はじめて有効に機能することができ
る。
したがって、一方での現象としてのメディア機器の普及、他方では、そ
の背後にあって、それを支えている社会制度や社会インフラについて検
討しなければならない。
携行・密着型メディアも、それを動かしている遍在的な背後のメディア
環境なしには意味がないことが多い(電波圏外でのケータイなど)。そ
の意味で、「環境」メディアと「密着」「可搬」メディアとが、まった
く独立ではなく補完して機能する場合も多い。
例:日頃意識しない「携帯電話」の基地局(近所の建物の屋上に設置さ
れていることが多い、気をつければ分かる)
例:監視カメラの監視行動。学内にも設置されているが、監視カメラそ
れ自体は、単に「その視界を持続的に記録する装置」というだけのこと
である。それが社会的な合意をえてその会社や組織によって適正に運営
されていれば問題化しない。その記録が不適切な第三者によって利用さ
れれば、プライバシーの侵害となりうる。部外者の悪意などで勝手に設
置されれば、単なる覗き行為である。しかし、いずれの場合でも、カメ
ラを設置して撮影する、という具体的な行動そのものは同じである。つ
まり、制度的な運営方針によって、その意味がまったく別のもの(安全
管理、プライバシー流出、のぞき犯罪)となる。メディア行動は、それ
がいかなる意図と正当性のもとに、いかなる制度によって実施されてい
るかで、その意味を変える。→その社会的文脈の理解が必須。
例:実現しているアメリカ司法省による「偽装した携帯電話の電波塔を
積んだ航空機」による犯人の探索。犯人が潜んでいるらしい地域の上空
に、「携帯電話の電波塔を偽装したアンテナを積んだ飛行機を飛ばし、
地上にいる人々の携帯電話の電波をすべてキャッチ、その中の情報か
ら、持ち主を特定して、犯人を逮捕する」=これについてどう感じるだ
ろうか? (やろうと思えば日本でもすぐにやれる=制度上、世論上の
合意がまだないだけ。技術は進んでいる)
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
上例のアメリカ司法省が実施した「偽装した携帯電話の電波塔を積んだ
航空機」による犯人の探索について、賛成または反対または是々非々の
立場から、理由をつけて、論じてみよう。
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「環境内メディア」には、ほとんど「完全な環境」になるものすらあ
る。:その内部に個人たちがすべて包摂されるもの。→監視社会への危
機意識から、これに類する発想への批評的なフィクション作品も多い。
「1984年」「THX1138」「トゥルーマンショー」等
例:完全環境としての「バイオスフィア2」アリゾナ砂漠に建設された
「地球環境シミュレータ」。90年代に実験。後で詳述。
例:「子宮」:少なくとも、栄養、酸素交換などでは完全に「隔離され
た環境」。音などは多少、直接に入ってくるか(胎児音楽教育、なども
ある)。
例:「カプセルホテル」「ネットカフェ」「個室」:「私空間」は現代
人には必須のもので、「自ら選択できる極小のメディア環境」というこ
ともできる。私空間は必須であることは各種の実例からほぼ検証されて
いる。
この講義では、具体的な新展開について、環境サイド、個人サイドの双
方から、トピック的に紹介していく予定である。
およその目次は以下の通り。
<1>情報通信メディアの新展開1:環境化するメディア:環境内に遍
在、または環境そのもののメディア(4回程度)
<2>情報通信メディアの新展開2:身体化するメディア:可搬的、装
着的、ウェアラブルなメディア(4回程度)
<3>情報通信メディアの新展開3:さらに高機能化するメディア(4
回程度)
なお以下で説明していくが、デジタル化を学ぶ意味として、「デジタ
ル化は、そのものとしてだけでなく、<それ以前を対象化する条件>と
しても効果的である」ことを、念頭においておくと分かりやすいかもし
れない。
つまり:デジタル条件の導入→それ以前は?→それ以前にも、いろいろ
な課題や例外事象はあった→それでは今後はどうするか?、という論理
展開になる場合が、とても多い。
例:電子書籍の可能性→「書物の危機だ」という指摘が多いが→現在、
危機に直面していると言われるものだけが「書物」だったのか?→それ
以外にも「文字記録、言語記録メディア」は、色々とあったことに気づ
く(例示)→それでは、これまでの「アナログ媒体」を「全体的に」み
て、「今後はいかに、デジタルと併用、統合、共存させていくか?」と
いう思考の流れになると生産的。
例:90年にはすでに「文字文化の危機だ」論。他方で、喫茶店の訪問
者ノートとか、コミケへの出店とかでは、大規模に「文字文化」が勝手
に展開していた。「制度化された文字文化の危機」ではある。
例:活発な集合行動の存在を示す「コミケ雲」
上の意味で、デジタル化は、「アナログ社会への反省材料」として機
能している。この思考経路が多いことに留意すること。
アナログ社会は「定義があいまい」でも何とか通用するが、デジタル
化することは、「まず明瞭に定義すること」が前提のため、いやおうな
しに、たとえば上の例ならば「書物とは何かの定義」を精密に再度行う
ことが求められてしまう。あいまいだった境界を再度定義して、「同じ
世界の再発明、再発見」が大規模に進んでいる、ともいえる。このよう
な状況下での「メディアの展開、近未来」論。
‼ 本日の出席と質問(1)ーーーーーーーーー!!
以下について、今日の講義にもとづいて、携帯電話/スマホの「本文」
に、自分の意見を記入して下記へメールする。
(1)「人間のトレーサビリティ」をどう考えるか?
(2)学内での監視カメラの設置の是非について?
(3)航空機でのニセ電波局による個人特定の是非について?
<1>情報通信メディアの新展開1:環境化するメディア
1)環境としてのメディア
メディア機器は基本的に「外部」から情報やエネルギーを得て作動す
るものなので、本来、電気電子メディアは、すべてその「外部」に、
「環境」としての「対応する部分」を持っている。つまり単体では動か
ない、機能しない。
例:テレビにおける放送局、発電所。携帯における基地局。印刷メディ
アにおける生産・流通環境。これらがないと、その単体メディアはその
ものとして機能しない。この意味では、かなり多くの単体メディアは、
環境メディアとしての部分が、そもそもある。
ただし、ここで検討したいのは、いっそう限定的な、「環境化してい
る」「環境と区別できない」「環境内に端末が多数設置されている」タ
イプのメディアである。
このような環境メディアは、それが与える経験の包括性によって大別
されるだろう。
(1)全包括的環境メディア:環境全体が、人工的で、メディア環境的
になっているもの。その環境内部から感知できるのは、その環境メディ
アのみである。
社会学者のアーヴィング・ゴフマン的な表現でいえば「全制的メディ
ア環境 total-institutional media environment」とでもいえるもの。
ゴフマンの用語である「全制的施設 total institution」は、当初の実例
としては、刑務所、閉鎖病棟、長期航路の船上など。「生活の全体が、
トータルに一定の環境内部で行われ、そこから出て行くことは基本的に
できない」という閉鎖的な状態。「完璧な情報環境」。そこでは、ある
程度の戦略で棲み分けが行なわれないと、つねに私事が他人の目にさら
される可能性がある。ただし、まだ現実的な具体的はあまりなく、病人
とか、船員など、限られた人だけが体験することが多い。例:「どくと
るマンボウ航海記」中の船員相互の関係など。
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
身近な「全制的施設」に入った経験がありますか。
どんな場所(病院、船上など)でしたか。どんな
困った/よかった経験をしましたか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
メディアの定義にもよるが、全制的メディア環境は、多少の実例が見
られるようになっている。いずれも実験的なものが多いが、見方では、
ごく普通のものもありうる。
本論での具体例は、「ディズニーの分譲住宅地セレブレイション」や
「地球環境シミュレータBiosphere II」などを想定している。(提示)
この場合、もはや仮定されている事態は「地球外植民」など、きわめて
大規模で遠大なものとなる。空想的だが、可能性として、実験として、
実在していることも事実。
例1:「マーズ・ワン計画 Mars One Project」は、近年始動されたオ
ランダのNPO団体による「火星への片道の植民計画」である。無人飛行
は2018予定、有人植民飛行は2024から、2年毎に4人を火星へ
送る計画。その過程はいわゆるリアリティTV番組で報道される計画。
所要時間は6∼9ヶ月片道。現在すでに20万人が、全世界から反応し
ている、らしい。日本からも。実効性が疑われている。
多年にわたり、地球の月までの飛行が限度で、それも、植民計画では
なかった。今回、いっそう環境的に地球と類似している火星への移民計
画が「大衆規模で」実施されようと計画されている。酸素はほとんどな
く、二酸化炭素(植物は可能か?)、気圧、気温、液体の水、放射線な
ど問題点は多い。すでに周回衛星との通信は可能になっている。
実現すれば、「外部環境そのものがまったく別種の環境」に人類が生
活するようになる。そこで子供が生まれれば、そもそも「自然環境」の
意味が違う人類が発生する。
現状で現実的に想定しうる、もっとも大規模な「別の(情報)環境」
の可能性がこれであろう。
例2:ディズニーの住宅地「セレブレイション」は「私有化された人生 privatized life」の環境とも呼ばれる。
ある個人の人生が、完全に別法人の管理する空間内部だけで営まれて
いるのであれば、「その人生全体が、いわば私有化されている」。
もともとディズニーは「規模の大きなものごとの演出=私有化(企業
所有)」をしばしば行っていた。だが、セレブレイションの実例では、
住人の「生活の全体」を、私有地内の私有化された空間、社会、制度に
全面的に依存させることになる。このため、そこでの人生は「法人に
よって私有化された人生」だといわれる。
ただし、多くの人々は、何らかの「人生の切り売り」をしないでは生
活できない(典型的には労働時間)。この意味では、人生の一部が他者
によって私有化されることはまったく珍しいことではない。とはいえ、
「そこで人生の全てが過ごされる」という形式での私有化は、過去にほ
とんど類例がない。前出の全制的施設total institution くらいしか思
いつかない。しかも、みずから望んでその中へ移住しようという点で
は、こうした施設とも異なっている。最終的に、そこでの「人生」は、
「当人の人生」といえるのかどうか、という点がいささか問題になる。
ただし、生活が複雑化し、ノイズが多くなると、いわば「妨害の少な
い生活環境」が欲しい、という欲求は出てきがちではある。「見渡すか
ぎり自分の土地」であるような住居は、たとえば国土の広いアメリカな
どではままある。日本では土地が狭いのでこの実例はより少ないが、周
囲を取り巻く包括的な「コックピット空間化」などは、よく指摘される
(「カプセル人間化」(後述)も同様の部分がある)。ただし、「自分
で所有して、自分で管理する」ことと、「管理を基本的に他人にゆだね
て、内部で充足すること」には大きな相違がある。
なお、このような場所では、シナジー効果が大きく発揮される:複数
のメディアで、同一メッセージにより、効果を増幅させること。
あるいはクロスプロモーション=多メディアで同一のものを宣伝す
る、相乗りで広告すること、も容易である。
セレブレイション内部には、広告看板などがない:不要だから。
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
ディズニーのセレブレイション住宅地に、
住んでみたいですか? どんなことを期待、
予想しますか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
→ 広告効果を最大化するために、一か所に集めて、そこから動かさ
ず、説得メッセージを与える。ひとつの便利な場所は「学校」。広告効
果を挙げるには、環境化したメディアはとても有効である。
これらの実例では、「そのメディア環境の外部」は基本的に「生きら
れ得ない」ので、いわば「人生の所与」として対処されざるをえない。
どこであっても、「その<外部>がありうるという可能性」は、人間の
想像力を刺激するので、受け止め方や考えようでは、出て行けないこと
は「抑圧的」ともとれる。
例:全制的なものごとを扱った映画「トゥルーマン・ショー(1998)」
(TV化が計画されている:「テレビで人生を放送されている人=「人生
そのものがリアリティー番組な人」についての番組が、さらにテレビド
ラマ化される」という事態が起こりそう)、「THX1138」など、社会
批評的な各種メディア内容がある。全体主義、管理監視社会ともとれ
る。(が、いずれあらゆる社会には、管理、監視的側面がある)。
例3:地球環境シミュレータ「バイオスフィア2」の実験
「バイオスフィア2」は、87∼91年に、アリゾナの砂漠に建設され
た「物質的に閉ざされた人工のエコシステム」。もちろん「バイオス
フィア1」はオリジナルの地球のこと。そのシミュレータとして製造さ
れ、2度の居住実験が実施された。初回では、8人が2年間、この密閉
環境内で生活し、実験を実施した。多数の生物も同様に密封されてお
り、太陽光以外は外部に依存しない循環型エコシステムが維持できるか
が検証された。
以上の「マーズ・ワン計画」「セレブレイション」「バイオスフィア
2」の実例は、「デジタルメディアの多用」という意味だけでの「環境
化したメディア」では特にないだろう(普通の場所だが、複雑な高度化
したメディア機器が周囲に大量にある、ということだけではない)。
ただし、個人の「生活環境そのもの」が、一定の全包括的な「制度」
や「領域」内部に包み込まれてしまっている、という意味では、非常に
包括性の高い「環境」となっている。このような事態が、デジタル化、
情報化(を中心)で進展する可能性が、どの程度あるかは、現状では未
知数、あまり成功した実例は多くないが、80年代頃からのひとつの社
会動向ではある。
いっそう簡便な実例としては、「特定の地域」「特定会社の開発した
住宅地」「特定会社の城下町」などがある。地域の自然特性は仕方ない
部分も大きい:寒冷地など。ただし、その特性が人工的に作られた場合
もままあり、そうなると、どうか? 「立川と国分寺の間に西武が開発
した国立」住宅地、など。「∼∼沿線住宅地」:小田急不動産の住宅地
で住居、小田急の電車とバス、小田急のスーパー、小田急のデパート、
週末の箱根(は小田急開発の観光地)、など。それは特定の「∼∼住民
らしさ」を生んでいるだろうか?
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
特定企業の城下町や沿線住宅地などに住んだ
経験や、知り合いがいますか。どんな体験を
した(したと聞いた)ですか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
全包括的メディア環境について、そのメディアからの身体への悪影響
が懸念されることがままある。特に「電波」の関係では、それが指摘さ
れることが多い。
・北鎌倉、カナダのオンタリオ州などでは、「携帯電話の基地局からの
電波汚染が幼児に対して影響をもつので、基地局を制限する」条例など
が施行されている。日本の総務省は、これについて、影響は現状で明瞭
ではない、と判断している。
(例示)
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
携帯電話などの各種の電磁波が、身体に悪影響
を及ぼしている、という具体的な経験や体験談
をしたり聞いたことがあれば、それについて
信頼性を考えてみてください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
‼ 本日の出席と質問(2)ーーーーーーーーー!!
以下について、今日の講義にもとづいて、携帯電話/スマホの「本文」
に、自分の意見を記入して下記へメールする。
(1)身近な「全制的施設」に入った経験を
(2)ディズニーのセレブレイション住宅地に住みたいですか?
(3)企業の城下町や沿線住宅地などに住んだ経験を
(4)名前などを削除して、コメントをネット配布していいか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(2)部分包括的環境メディア:その環境メディアが与える感覚のモー
ダルは、限定的である。つまり、「その外部」についての知識や経験や
感覚が、それを使用中でも、持たれ続けている(=「外が見える、分か
る」)。
例:00年代に喧伝された「セカンドライフ」は、もっとも大規模な部
分包括的環境メディアの具体例だろう。現在でも持続しているようだ。
ただし、環境といっても五感ではなく視聴覚しかカバーしておらず、基
本的に「第三者視点」が混在している(実人生は一人称なので、これま
ではあり得なかったこと)。また、結局「実社会」からの介入(ログオ
フしているときに、アバターが改変される、などなど)があったことか
らも、普及は限られている。
(例示:セカンドライフの実例。)
セカンドライフ内では固有の通貨が使えた(仮想→現実への影響。ド
ル化もできた)が、その部分だけを取り出して大規模展開させたような
ビットコイン等、仮想通貨類も、その後に多く試行されている。ただ
し、実体的な貨幣ほどの現実的具体的な裏付けや信用をもたないことも
ままある。とはいえ、広く見れば、「ポイント」制、金券、ショップ
カードなどなども、広義の「オルタナティブ通貨」類ではある。
部分包括的環境メディアを可能とする技術は、まだ普及が遅れてい
る。コンセプト自体は80年代からあったものが多い。
近年、ようやっとヘッドマウンテッドディスプレイHMD (Head
Mounted Display) の性能が、実用として意味あるものになりつつあ
り、普及の兆しをみせている(90年代から未完成の商品は多かっ
た)。
これらは、透過型(外界が見える)/非透過型、単眼型/ゴーグル型な
どでメディアとしての「包括性」の程度に違いがある。非透過のゴーグ
ルの場合、「その外が見えない」状態となるので、包括性は高いが、そ
の状態で、その他の日常生活はできないだろう。概念自体は20年前に
はすでにあり、10年以上前から実用化されているが、本当に実用的で
はなかったため普及しなかった。
例:Google Oculus Rift :
ゲーム機と接続して、没入感の高いゲームを可能とする。
ただし、何度も試作機が市場に投入されたが、普及は限定的。
高額、性能上の問題による。
*現場作業や倉庫などで、図表を片眼視する、在庫を管理する、などの
用途では導入が進んでいる。実用性はあるが、それほど長期間の継続使
用ではない。
セカンドライフ的なもの+HMD類=まさしく「別の世界に住む」、
という発想や可能性:未完成、試行中。現状でも、SNS類については依
然としてテキスト主体のまま(通信速度の問題)。
「五感の完全包摂」という方向性は可能か? ただし、この場合、「五
感の連携」が必須のはず。例:「目で見える→手をのばす→のばした手
も目で見える→手がそれに触る→その物体の存在が触知される。持ち上
げると、重みが感じられる。見える像も、持ち上げれば移動する」。こ
れらは、感覚の連動、連携によって可能となっている。個別の感覚メ
ディアを連携させないと、このようなリアルな「環境のエミュレーショ
ン」は不可能だろう。このあたりは現状で開発中→触覚の反発シミュ
レータなどは各所で開発中。
「個人の周囲の環境全体」という意味ではないが、「ボーカロイドのラ
イブがいかに構成されているか」なども、高度にメディア的な条件に依
存している。例:
<音声関係>
・ボイスサンプル(生声の一部)→サンプラーでデジタル的に音程を構
成→言葉をかぶせる→「歌」になる
・バック演奏(生のバンド演奏であることが多い)
<画像関係>
・モーションサンプル(生のダンサー)→スキン掛け→3DCG動画
・観客(生)+LV(中継)(テレビ)
*ボーカロイドそのものは歌の合成システムでしかない。キャラクター
はそれとは同じではない、後付け。
*モーションアクター(実在)と結果の比較画像
(最近はMS キネクト(市販のモーションキャプチャ装置)等で動作
キャプチャしている)
ただし、部分的包括性しかもたない(例:まだ「握手会」?なし)、
多面的に構成された現象ではある。もともと「会場」というものは構成
性の高い一時的な空間であるものだが。
触覚フィードバックは現在、導入が進みつつある。簡単な実例は、
タッチの仕方で動作が変わるスマホのパネル。もう少し進化すると、
「仮想の、ディスプレイ中の存在などに、あたかも実在のような触覚を
もつことができるシステム」なども試行されている。
例:Haptic glove: 触覚フィードバック装置の1例:まだ試行段階
感覚それぞれについて、その仮想的な再現やエミュレーションの可能
性が大々的に検討されている現状がある。一見してムダなようにも見え
るが、各種の社会状況や、個人の状態では、意味をもつことも多い。
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
上の実例の他に、メディア的に構成された
環境やキャラクターにどんなものがあるかを
例示してください。
ーーーーーーーーーーーーーー
‼ 本日の出席と質問(3)ーーーーーーーーー!!
1)携帯電話などの電磁波類が、身体に悪影響
を及ぼしているという具体的な経験や体験談
2)実例の他に、メディア的に複雑に構成
された環境やキャラクターの例示と説明
3)各回のコメントを、限定的な配布で名前なし
にして履修者に渡す可能性についてもう一度。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さらに感覚のモーダルが限られていたり、ごく一時的であってもいい
なら、現状のメディア社会そのものが、ある程度まで「メディア依存社
会」なので、社会の随所が「部分包括的なメディア環境」となってい
る。これの実例は、一般的になったものが各種あり、別講義で説明して
いる。
「単純な購買行動」ですら、かなり包括的なメディア環境内で行われる
ようになりつつある。これを順に説明:
(1)コンビニのPOSシステム、銀行のカード、クレジットカード:初
期からの簡単な実例:事業所をネットワークでつなぎ、各販売店などで
の動向の情報を、データセンターへ送って、売れ筋、利用実態などを基
本属性とともにリアルタイムで調査。消費動向、使用動向に即刻に対応
するシステム。「情報」と「物流」のネットワークが整備されてはじめ
て可能になる。コンビニ、銀行カードは国内では1970年前後から。
「コンビニのない世界」は想定できない人も多いだろうが、災害や殺到
時には、配送が間に合わず、コンビニが空になる事態がおきる。ネット
ワーク依存型の流通サービスが増えている(通信網で依頼して、輸送網
で運んでもらう)。
(2)ICカード類の利用(ICカード処理の情報通信ネットワーク):交
通、購買など。
(例示:Suicaなどは、普通の状態では、「詳細な使用履歴」が所有者
にも見られない。クレジットカードよりも、その点が曖昧だが、これは
小額利用を想定しているため(クレカ=信用販売、借金)。ただし、し
かるべき装置を使えば、およその使用実態が、このように表示できる。
盗難時には微妙な問題となるか?)
なお、日本では「小切手」はほとんど普及しなかった。サインで使える
代理の紙幣状のもの。
(3)「電話またはファックスでクレカ注文 + 宅配便」のシステ
ム:80年代にはすでに構築されていた。「現金を使う」ことなく、指
定住所へ、電話やファックスで購入したものや頼んだものが届く。「宅
急便や郵便さえ届けば、山の中でも、必要な物資が届けてもらえる」→
高齢者の別荘生活の裏づけなどとしても便利がられて普及していった
(自然の中で都市的消費):しかし、思えばこれは「離島生活」と同
じ。交通遮断されれば孤島化して危険。ただし、こうした前例が、
Amazonなどネット通販へ、90年代以後に発展した。
(4)GPS(グローバル・ポジショニング(全地球測位)・システム)
による位置把握(GPS認識ネットワーク):具体的なサービスはまだ地
図、ナビ程度か? 軌道上のGPS衛星のうち、頭上にあるものとの通信
で、そのGPS衛星の情報によって、自分の位置を確認する。 GPSシグナルが充分に確定できるなら、「常時、個人の地球上の位
置」が推定できる。プライバシーがないともいえるが、緊急時に安全と
もいえる(授業アンケートでも賛否があった部分)。ただし、現状でほ
とんどのスマホにはGPS機能が義務づけられているので、犯罪捜査など
でまず注目されている。もちろん、電源が切られていればGPS信号の授
受は起こらないので、位置も調べられない。GPSが完全に常時機能して
いれば、「授業の出席取りも代返も無意味化する(自動で測定でき
る)」。
(5)グーグルの「マップ」「アース」などの実例:詳細な地図情報の
一元的な提供。これも賛否両論があるが、しかし、すでにそれを前提と
した情報サービスは、ウェブ上では非常に多くなっている。「待ち合わ
せ場所」の変化:具体的な特定地点を事前に確認→近づいたら都度、
SNSとマップにて相互確認しあう方法へ。
地図情報とは、基本的に、「物理空間に都合のいい印をつけていったも
の」「中範囲の規模で知られるもの」だった(自分の知っている・用の
ある場所にしか興味がなかった)。これが、詳細かつ全世界的となる事
態は想定されていなかったため、一定の混乱が生じている。「町内会に
は顔や表札が知られてもいいが、それを世界の裏側までバラまくことは
想像されていなかった」。ただし、これまでも、利用可能といえば可能
だった。(海外へ現地調査に行く時に、事前にその地域の詳しい地図を
入手して、準備する、などをしていた)。なので、「そのような意識:
世界中がお隣さんの意識」が不足していたともいえる。なお「旅情報番
組」:近年では「視聴者が実際に行く」を想定して作られる。過去のテ
レビでは、「代理として誰かが行き、撮影してくる」だった。つまり
「代表するメディア」から「一般参加メディア」への推移。カメラの特
権性の変化といえる。
(6)これらを組み合わせた実例:ピザの注文と監視社会
「どこにいても、そのGPS情報に対して、注文したピザが配達されてく
る」という事態。これはきわめて「ユビキタスなサービス」ともいえる
が、「監視の顕著な実例」ともいえる。公共の場所に監視カメラが設置
されることが多くなり、監視カメラの話題は、近年、盛んに議論されて
いる。
(7)以上の「位置情報(GPS情報)+マップ情報」が判明すれば、
「どこに誰がいるか」が分かるので、あとは輸送の手段だけになる。上
のピザ配達(2010ころ)では、まだ陸路で普通の配達車だったが、
近年は、飛行体=ドローンによる配達が現実味を持ち出している。(ド
ローンの語も一般化した)。このあたりは、テレプレゼンス(遠隔存
在、遠隔操作)論としてあとで説明します。
例:amazon prime air
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
直前に見せたAmazonのドローンのサービス
のようなものを使いたいかどうか。その理由は。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「監視社会論」
もともと古典的なジョージ・オーウェルの反ユートピア小説「198
4年」1949あたりから、「監視社会」はいつも問題視されてきたもの
(「テレスクリーン」による常時監視)。管理社会論の1種。
一般的には個人のプライバシーを常時特定化するので、まず「プライ
バシーの侵害」という問題で語られる。しばしばこのジャンルで言及さ
れるデビッド・ライオンDavid Lyon の一連の研究でもこの傾向があ
る。
反面、テロなどの防止目的からは、「一般人にまぎれた犯人の確実な
特定化」は必須。911以後のテロ多発時代、特にアメリカでは、大量
の監視カメラが設置されるようになっている→各国へ波及。
ユビキタス・メディアの研究者の間では、逆に問題視されることが少
ない。デジタルなユビキタス(遍在)サービスを実施するためには、そ
もそも個人のリアルタイムでの特定化が不可欠だから。
例:サイバネティック研究者ケヴィン・ウォーウィックによる英レディ
ング大学での研究には、「個人の発信する信号で、インテリジェントビ
ルとの交渉を制御する」ことが含まれている。周囲のインテリジェント
環境を、個人の携行する/インプラントされたIDで制御すること。すで
に国内でも、一部のビルやマンションでは、IDカードの提示により、
「その種類別に、開くドアや行ける階が変わる」という事態は現実のも
の。上層階居住者と、それ以外の区別、など。
他方で、個人情報がよく知られていれば、それだけ、相手との「ゼロ
からの交渉」をしないですむ。:「どなたですか?」「はじめまして
誰々です」ではなく、「あどうも、今日は何を?」「いつもの3つ、ま
だある?」:いきつけの店とか裏メニューとか、こうした「相互のプラ
イバシーがない(相互によく知っている)」場合の便利さもあることは
ある。伝統的な社会では、これは当たり前のことだった。
なおPCで音楽のデジタル化の際には、自動的に外部にあるCDデータ
ベースへ照会している。BDの再生時なども:一定のプライバシーはす
でに流出している。このところ管理強化:私有DVDもプロテクト回避
しての複製は違法となった。
プライバシー意識が極端に強くなる場合がある。例:病院や薬局や学
校で、「自分の名前」を呼ばれたくない、という人。しかし、最低限度
「自分を特定化する変わらない名称」は、サービスを受ける際に必要に
なってくる。例:「玄関の表札」は、プライバシーの範囲には入らない
という意見がある(知られるためのものだから。ただしグーグルのサー
ビスは、それを全世界に発信して、やや問題化した)。基本的に「題」
(題名、タイトル)には著作権はない(アイデアではあっても、思想感
情の表現ではない。呼ばれるためにある)。そうでないと、他者が使い
にくいということもある。
反対に、「逆プライバシー」状態ということがありうる。サービス提
供者が、相手の基本的事実を、「すべてあなたのプライバシーだ」とし
て受け付けなかったら、ほとんど、どんなサービスも受けられない。
例:クレジットカード情報は、流失すればプライバシー問題だが、どこ
の店舗でも、それをプライバシー扱いして受けつけなければ、カードは
無意味化する(現在でも、この理由で、クレカ対応しない店舗はまだあ
る)。
つまり、個人情報には、本質的に「グレーゾーン」を含まざるをえな
い部分がある(= 特定状況でのみ 、 特定相手に対してのみ 、 一時的
に などの条件付きで、プライバシーを公開、知られたい)。
医療情報はもっとも個人的なプライバシー情報のひとつだが、それを
医者が「プライバシーは知りたくない」と言ったら、もはや治療は不可
能になる。
あまり指摘されないが、プライバシーの主張ということには、実際に
は、「自分が希望する相手にだけ、自分が希望する種類の、自分につい
ての事実の、「特定の(=有利な)一部」を、知らせたい」という利己
的な側面がある。「自己の他人への印象を、自己自身で管理したい希
望」、「自己の対外イメージを都合よく管理したい願望」、ともいえ
る。本来、プライバシーには「水準」があり、すべての私的情報が高水
準のプライバシーではない。
例:ネット通販において、ある人の、「過去20年間の購入履歴」がす
べて判明している場合、「これに基づいた自動購入プログラム」を稼働
させたら、そのプログラムと、本人との間には、どのような類似がみら
れるか? これが「おすすめメール」の発想で、「過去の経緯から、将
来の行動パターンを推測する」。それは便利か、プライバシー侵害と感
じられるか?
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
ネット利用をしていて、個人情報が不安に
なったことがありますか。どんな時で、
どのように思いましたか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
他方で、病気情報などは、知られたくなくても、そもそも治療者に
「知られなければ、治療してもらえない」。女性は身体構造上、いっそ
う定期的な医療を必要とするとされ、それだけ公的機関との接触が多く
なりがちとされる。しかし、公的にしたくない身体情報もままあり、対
応が困難になりがちである。「野良妊娠」などの実例もある(きわめて
危険なので報道される)。これらについては、プライバシーの不可避的
な限定公開があるが、どう考えるか? →身体情報については、公衆衛
生意識をまず優先させ、あまり私的秘密の意識を強くしない対応策があ
りうる(基本情報の提供、性教育、犯罪情報、などなど)。
医療系だと、経口胃カメラなどの実例もある(飲み込むと、排出され
るまで、消化管内部の画像データを外部に電波発信しつづける→これが
データ漏れしたら?)。
例:経口胃カメラ
また、現在試行中の遠隔医療では、個人の身体情報を、通信でやりと
りする。これが「遠隔医療での共同治療」になると、個人のデータを、
複数の治療室でやりとりしつつ治療する。これはプライバシー情報が広
域にやり取りされる実例になる。(一定数の音楽も、もはやこの形式で
作られている)。
ここまでくると、「ネット経由での共同作業論、テレプレゼンス論」
(遠隔兵器などとも関連する)。別所にて検討します。
‼ 本日の出席と質問(4)ーーーーーーーーー!!
1)Amazonのドローンのサービスを使いたいか。理由は。
2)ネット利用をしていて、個人情報が不安になったこと。
どんな時、どのように思いましたか?
3)授業の進め方への意見があれば
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
*命が危険な状態であれば、ICUで常時、身体のあらゆる数値を測定し
つづけている。この場合、身体数値のプライバシーは医療関係者に対し
ては、ない。回復するにつれて、測定する数値の多さが減っていく。
*病気の場合、「良くないイメージのもの」「無根拠の差別になりうる
もの(遺伝子差別など)」がありうるので、「オープンな情報開示」が
なかなか難しいこともある。
*対照例として、参考に:アメリカの「ファミリー・ツリー」家系図作
成ソフト。このオープンさは日本でも可能だろうか? アメリカ=ほぼ
移民だけの国家(例外はネイティブ)なので、このようなフラットな発
想が容易に受け入れられる。
あるいは、各種の「遺伝子検査キット」のサービスがすでに利用可能
であり、当人の遺伝子を検査することで(唾液など使用)、予想される
将来の病気、発病可能性などが事前に推測できる。これに依拠して、が
ん対策などをとる人も増えている。量販店で買える数万円程度のサービ
スになっている。
*重要人物の場合、「公人」的部分が大きくなるので、「いつでも呼び
出し可能」なように、常時位置が特定されていることはままあった。政
治家、医師などの、かつてはポケベル、いまは専用電話なども同様。
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
上のFamily Tree Maker や遺伝子検査の実例は、
日本では可能だろうか。あるいは、求められる
だろうか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(8)新しい「購入行動」の可能性?
・古典的購入:「店に行く→品物を選ぶ→レジへ行く→カネを払う→
持って帰る」
・ネット販売:「欲しいものをHP上でクリックする→課金される→運
んでこられる」Amazonでもまだここまで。
この次段階として:「リアル世界のワンステップ販売(まだ実現してい
ない)」というユビキタスなサービスがありうるだろうか?
つまり「欲しいものをたんにその場で持って帰る(が、その行動は監
視されていて、個人情報によって、自動的に当人に事後に課金され
る)」(実感として、ほとんど万引きと紙一重、ただし確実に課金され
る)、という事態が起こりうる。これは「便利」なのか「堕落」なの
か?
ピザデリバリーの例:個人情報(位置、個人明示、クレカ情報など)
を相手に提供して、「リアルタイムの直接配達」を可能としている。そ
の意味で、かなりプライバシーを公開しているが、反面、利便性はかな
り高い。
例:スクエアリーダーによるクレジット決済:これはいわゆる「オン
ザウエイ(移動中)のクレジット支払い」を可能とする簡便な技術だ
が、その可能性はどうだろうか? これと商品管理を連携させれば、
「その場で手に取り、その場で決済して、そのまま持って帰る」も不可
能ではない。
例:Square リーダー2013 :店舗以外の「その場で」決済できるクレ
カ決済装置:「手に取り」「その場でカード決済し」「そのまま持ち帰
る」簡便で加速化された消費。展示品ならなんでも、そこに店員がこの
リーダーを持っていれば、即、商品として売買できることになる。
さまざまな指摘はありうるが、「リアル世界でのワンクリック購入」
的なもの(最小限の手間で、そこにあるものを購入)は「実現可能な状
態」になりつつある(希望するかどうかは別として)。日常生活でも、
複雑な作業や多くの物財が入用になってきているので、購買行動の効率
化が望まれる面はあるだろう。緊急時、多忙な時に、とりわけ必要だろ
う。
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
上の「その場で決済、そのまま持ち帰る」
販売方式などは、使ってみたいだろうか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
暫定的な結論:「プライバシー保護論」にたつか、「ユビキタス・サー
ビス論」にたつかで、環境メディアの意味付けは、相当まで異なってく
る。
参考:ごく単純な「環境からのサービスの変化」でも、大きな意識変化
に直結することがある。例:「電車の切符」。かつては口頭で出札の人
に目的地などを告げ→リアルの改札の人に切符を切ってもらって→入場
し、購入した目的地で降りた。これが、80年代に、出札機、改札機と
機械化する(人目でのチェックが弱くなる、ただし、まだ目的地を決め
ないと買えない)。その後、2001ころ、非接触型カード(SUICAな
ど)となる(ついに「出札口」のほぼ消滅、「事前の意思決定の必要
性」の弱化、簡便な改札)。「あらかじめ旅の目的を決定しての出発」
が、必須の意思決定ではなくなった:いわば「だらしなく」なっている
=ラクになっている。「決然とした旅」の消滅? ひかり号の特急券を
人に頼んで購入してもらっていた時代もある。
これらを応用した拡張現実=AR(augumented reality)的な技術も
各種が試行されている。環境内部に、便利な標識をつけてしまう、とい
う「高度化した地図」のような発想。
その素朴な形態:伊能忠敬の「大図」を再現し、体育館に敷き詰め、
その上を観賞して回る展示会:AR的な発想の応用。
用語解説:AR技術 Augmented Reality Technology 拡張現実技術
空間や環境に、一定の「マーク」「タグ」を付ける。その印を、手元の
デバイスで探知し、何らかのやり取りを、「その印の位置」で「追加的
に提供される情報に基づいて」行う、ということ。
具体的には、
1)環境、空間そのものには、とりたてて有意味な記号やマークが付さ
れているわけではない。
2)その「べったりとした」環境、空間に、何らかのマークを付してい
く。「地図記号」などが簡単な具体例。この段階で、すでに、アナログ
ながら、「環境内のマークに応じた行動」(標識に沿った登山など)が
できる。初期のAR技術ともいえる。重畳(ちょうじょう)表示、とい
われるもの=情報の環境へのスーパーインポーズ(重ね表示)。
3)環境内に重畳表示されたマークが、何らかの追加情報を提供してく
る。アナログな具体例としては、「山道の標識の記載から、そこの標高
が分かる」。デジタル的な実例としては、PDAのアクセスポイント探索
機能を起動すると、周囲の稼働しているWiFiスポットが表示される、な
ど。この追加情報提供を「アノテーション」(追加情報提供)と呼ぶこ
とがある。
4)環境内マークからのアノテーションによる情報に依拠して、環境と
複雑な相互作用ができるようになる。「デジタル地下街マップを表示さ
せて、欲しい品物や設備のある場所へ、無駄なく移動する」、など。こ
のように、環境マークからのアノテーション情報の提供によって、「物
理環境」に「情報環境」的な意味合いが加わり、その内部での「情報行
動」が可能となる。このとき、「AR=拡張された現実」が利用可能と
なる、ということ。
とはいえ、現状では、これらの技術は現状、道案内、課金、支払いなど
の「手間をはぶく目的」がとても多くなっている。
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
自分が考えた、または見聞きした、AR利用法について
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
‼ 本日の出席と質問(5)ーーーーーーーーー!!
1)Family Tree Maker や遺伝子検査キットについて感想
2)「その場で決済、持ち帰り」の消費について
3)自分の思う、面白いAR利用法について
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
例:世界的に、受刑者へのGPS装着が進む傾向にある。バンド取付の場
合もあるが、体内埋込もある。国内でもバンド型のものが実施されてい
る(刑務所外での作業などの時に使用)。
近年の「クラウド型」サービスの場合、従来のように、手元の装置に
アプリケーションがインストールされているのではなく、アプリ自体が
クラウド上に置かれ、手元の装置は、ほとんど「ネットへのアクセス装
置」としてしか機能しないことがある。まだ一般的ではないが、
Google のChrome OS などはこの方向を目指している。
→ネット系サービス会社としては、「ネットへアクセスした上で」の作
業を推進させる。他方、従来のソフト会社などでは、基本的に、「イン
ストール型のソフトウェア」を販売してきた。両者は基本的な方向性が
異なり、ビジネスモデルも違っている(前者:広告モデルか、後者:販
売モデルか)。
ウエブ系のクラウド型サービスの方が、いっそう「環境化したメディ
ア」といえる。インストール型でも、端末自体が小型化していれば、そ
れに近くなる。ただし、ウエブ系のサービスは、ネット環境への接続が
なければ、ほとんど全く使えない。
・ウエブOS+小型端末
・小型端末(独自OS)
・PCの小型化
Apple社のiOS上のPassbook 機能もこれに近い部分がある。地図上
の店舗へ予約、チケット、クーポンなど→これが一括的にスマホ内で管
理され、それだけあれば店舗にチェックインしサービスを受けられる:
地図、メール、添付クーポン、チェックインカウンタなどを一元化する
意図:ただし未完成、地図混乱の一因ともいう。
(アナログな実用化としては、スポーツ施設、スパなどでの個人IDによ
る課金制度:「一括してIDによって課金する」。)
情報環境とプライバシーをめぐって:
従来から、たとえば特定の輸送会社沿線に住んでいると、電車もバス
も、不動産会社もスーパーマーケットも百貨店も、すべてが同一の会社
系列=その結果、個人情報も共有される、ということは指摘されてい
た。大規模企業の場合、「城下町」が類似の傾向になる。したがって
「ある側面をとってみれば、部分的に包括的であるような環境」は、そ
もそもそれほど珍しいものではない。これが、融通のきかないデジタル
媒体で生じるようになると、「全てが明示的」に処理されるので、「思
えば以前からそうだった」曖昧な事態も含めて、一気に問題化する場合
が多い。
例:日本中に、どれだけの数の、例えば「東町1丁目」バス停が存在し
ているだろうか? これらは、これだけだと、デジタル情報としては1
意的に区別されない(東京のどこかの東町1丁目と、例えば長野のどこ
かの東町1丁目が、文字だけでは区別できない)。これではPCが混乱
するので、たとえば東町1丁目1100023と東町1丁目30989
49など、数値を付加して区別するようになる。それこそ「番号管理社
会」進行である(ルーカスのTHX1138と同じ)。だが、これにはもは
や、それほどの嫌悪感もなくなっているのでは? 「思えばあまり区別
されてなかった、なんとなくあいまいだったものごと」が区別されるの
は、便利な側面もあるが、ピンポイントに特定されるコワさもある。=
社会のデジタル化=形式化の進行。
ちなみに、セキュリティについて、ウエブサイトへのアクセス記録など
の場合、
(1)初回アクセスで、端末にID情報(いわゆるクッキーcookie)が送
付され、これによって以後は、以前にアクセスした特定個人の端末と識
別され、
(2)ログインすることで、サーバ上の利用記録などが利用できるよう
になる。
前者は「手元の端末に記録されている小さなデータ」であり、後者は
「ネットの向こうのサーバ上にある個人記録」である。クッキーはデー
タとしても情報量としても小さいので、手元ではほとんど自覚されない
(ブラウザにてクッキー拒否をしない限り)。「次回以降はあたかも記
憶されているかのようにふるまうネット」=ユニバーサルなサービスを
提供することになる。
(例示:PC上での「クッキー cookie」 の原理)
全ての利用者データが端末PC上にあるわけではない。気にしすぎて
も仕方ない。また、サーバと端末の間の通信が「覗き見」されていれ
ば、いずれほとんど同じこと。そもそも現状の「インターネット」とい
うこと自体、「大教室で、二人が、方言で会話している」のとあまり変
わらない状態だと喩えられている。現状のネット形式が、「多数が1つ
の大型計算機に同時アクセスするため」に開発された通信方式であるた
め、セキュリティの維持が基本的に考えられておらず、難しいといわれ
る。新方式ネットの必要性すら言われる。
ここまでの議論を理論的に整理するならば:
「アフォーダンスとユビキタスなメディア環境」という発想がありうる
「アフォーダンス」は、もともとは心理学者J・J・ ギブスン James
Jerome Gibson の概念。「特定の感受性をもった生命体が、外部環境
を独自に探索すると、その行為や感覚に対応して、しかるべき意味や価
値が、外界から提供される(affordされる)、その手がかりになるのが
各種のアフォーダンスだ」、という意味をもった概念。
例:椅子があり、人がいれば、そこに「座る」という関係がアフォード
される。例:壁の目につく位置にスイッチがあれば、照明をオンオフで
きる。つまり、生命体と環境との「関係性」において、環境のもつ一定
の意味、価値が、その生命体に対して現れるという発想。生命体の持っ
ている感受性や行為に応じて、外界からアフォードされる意味も変化し
うる。
外界がもっている大量の特性のうち、一定のものが、生命体の行為に
よって、選択的に利用される。外界には多くの「提供affordされるも
の」があり、生体の行為が、それらから一定の種類を選択する。生体か
らみれば、自分の「生世界=自分にとっての生きられる世界」が、「外
界から与えられている」印象になる。
この発想を応用すれば、「思いのままに、手元の機器に応じて、メ
ディア環境が与える自由の中を行動する」、という発想に近づくだろ
う。70年代からのギブスンのアフォーダンス論は、結果的に、ユビキ
タスなメディア環境を説明できるような立場となっている。ギブソンの
アフォーダンス理論は、心理学としてはあまり理解されてこなかったも
のだが、ユビキタスなメディア環境が提供するサービスについてはうま
く説明できるようだ。
デジタルな包括的情報環境=デジタル機器によってアフォーダンスが
拡張された(外界が提供するものが増えた)環境だ、といえる。
以上のようにして「シームレスなメディア環境」「包括的なメディア
環境」、という理想が示される:外界には充分なだけのメディア装置が
あらかじめ散在しており、手元のデバイスと、自分のその時の必要とか
ら、シームレスなメディア環境のうち、一定のものがアフォードされて
利用される。
例:歩いていて、特定の店のある方向を知りたくなる→進行方向を示す
ガイド記号などが現れる。
外国の食堂で食事をする、メニューが分からない→その場で翻訳と通訳
をそこにある何らかの装置がしてくれる。などなど。
ARなどを利用した、ユビキタスなサービス環境。「その時々に、希望
に沿って、その場で思いのままにふるまえる」という理想。それが今後
どこまで実現していくのか。(この文脈で、「持ち帰るだけの購買行
動」も例として使った。アフォーダンス的に自由な環境だから)。
ユビキタス環境における「個人の達成」についての問題:
ただし、このような場合、「誰が何を利用し、習得しているのか」、が
問題となってくる。シームレスにメディア環境と統合された個人におけ
る「能力」の問題は、今後、さらに評価が難しくなっていく可能性があ
る。
たとえば:
試験室で答えが知りたい→手元のデバイスで問題を撮影して、外部の知
人にメール依頼すると、外部から正解が届く→これは普通なら「カンニ
ング」という不正行為であるが、「(発達途上の)ユビキタスな環境を
(悪)用した実例」でもある。
あるいは、障がい者スポーツにおける「能力」の問題:バネ義足をつけ
た障がい者選手は、まれに、普通の選手よりも速く走れることがある
が、これは「誰」「何」による達成と考えるべきか、などなど。
ユビキタスな包括的メディア環境では、「個人の能力」の判断が難しく
なる。結局、何が「個人の能力」なのだろうか? ‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
「カンニング」は「環境メディア利用能力が高い」
と評価できるだろうか? 理由は?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<2>情報通信メディアの新展開2:身体化するメディア
こうした「ユニバーサルなサービス」の「手元」、「持ち運べるツー
ルとしての」実例=身体化するメディアの実例として、アップル社が8
0年代後半から提唱していた「ナレッジナビゲータ」のコンセプトビデ
オを示す。これは現状でも完全には実現していないが、いくつかのデジ
タルサービスの複合化した「PDA(Personal Digital Assistance 個人
的なデジタル補助)」の想像図である。ここでは、従来の(これでも初
期だが)マウスとキーボード操作に加えて、音声合成と音声認識が実現
されている。アシスタントや関係者のアバターが使用されている。電話
と直結している。メールやブラウザが統合されている。アドレス、電話
番号の一元管理が、テキストから可能になっている。テキストの自動要
約機能が実現している。これらの機能のうち、いくつかはいまだ実用段
階ではない。
続いて、PDAの最初のモデルとなったNewtonのコンセプトビデオ
(90年代半ば)では、いっそう具体的に、手書き文字認識、ペンタッ
チで図形処理、メールやネットとの連携、などが示されている。特有の
GUIも使いやすそうな印象を与える。(ただし、この機械そのものは同
社にとって大きな失敗だった。)現状でも、「真昼に詳細に提示できる
ディスプレイ画面」「24時間以上は充電を意識しないですむバッテリ
容量」「携帯可能な高機能」などは実現していない。(ディスプレイと
電池時間は排他的)。90年代後半当時のNewtonの画面では、これが
屋外で実用的とはあまり思われない。ただし、そこにあるゴミ箱などの
UIは、その後の同社のPDA類でも利用されており、デザインは一貫して
いる。
最後に、iPhoneを全面的に導入した大学キャンパスのコンセプトビ
デオは、学生参加作品としても興味深いが、やはり、まだ実現していな
い部分が相当程度まである。普通の電話。授業登録。教室の検索。キャ
ンパス地図。授業中の学習補助。友人との連絡連携などなど。ただし、
このような環境がもし実現すれば、それはかなり「シームレスなメディ
ア環境」「ふるまいやすい環境」と呼べるものになりうるだろう。(他
方で、故障、詐称、提出未提出などのトラブルもあるだろう)。
これらは「スマートフォン」の名称で、その後2000年代に急速に
普及することになった。
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
上のようなPDAが「なかった時代」もあります。
もはやPDAは不可欠でしょうか? その理由をいくつか挙げてください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
‼ 本日の出席と質問(6)ーーーーーーーーー!!
1)「カンニング」行為のメディア論的な評価は?
2)PDAの長所短所、不可欠性について
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「シームレス・メディア」の可能性について:
これは、遍在サービスの原型として、すでに80年代には使われてい
た発想で、つまり「メディア側での対応の切り換え、変化などが、利用
者には一切意識されず、<連続的な途切れない(=シームレスな)同一
の作業、サービス>として認識される」ようなメディア環境。現状で
も、たとえば「電子メールがどこの経路を通って授受されているか」と
いうレベルは、地球の裏側経由であっても、一切意識されていない。受
け手が第一に求めるのはコンテンツであって、メディア経路ではないか
ら当然ではある。
例示:NTTヒューマンインタフェース研の一連の研究
*上の研究の普及型として、後藤もこのところ、一連の「PC利用の共
同作業実験」を実施している。実例紹介:2016年の共同作業:MS
OneNoteのノート共有機能を応用して、共同討議、問題解決を試みた
結果。
このように、あるていど闊達な議論は行なわれている。ただし、結論が
集約されるまでには至らないが、それは多くの会議も同じだろう。設置
に手間がかかることも問題である。
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
身近に経験した「遠隔会議」「遠隔講義」
「遠隔共同作業」の実例があれば、それに
ついて説明してください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これらが普及するについては、「どこでも自由に」使えるインター
フェイス類の整備(=メディアの環境化)が必須であるが、この点もま
だ整備が不充分である。マウスポインタ類ですら、デスクトップから離
れると容易ではない(最近やっと3次元マウス実用化:20年かかっ
た。)。クリック、ドラッグ&ドロップなどはさらに困難。
3次元マウス、バーチャルキーボードなどの技術:
入力作業を容易にするために、どこでも使えるPC入力装置として想定
されているデバイス類。80年代にはすでに構想されていたものだが、
21世紀になっても、いまだ普及には至っていない。プロトタイプは各
種試行され、市販されたりもしている。「どこでも作業」「移動しなが
ら仕事」などは特殊な作業でないかぎり、まだ一般的ではない。「移動
民的なワーカー」が喧伝された時代もあったが、落ち着いた仕事、作業
には、「部屋」が必須なのかもしれない。
例示:3Dマウス、バーチャルキーボード、(HMD:すでに示した)
ヘッドマウンテッドディスプレイ+3Dマウス+バーチャルキーボー
ド=バーチャル環境で、「どこでも作業できる」。しかし、「そうまで
して仕事がしたいか?」という根本的な疑問は、ずっと提起されてい
た。前出セカンドライフのような、娯楽的な人工環境ならまだしもだろ
うが。
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
視聴覚、触覚などを遠隔的に拡張するデバイス
類が試行されています(HMD、3Dマウスなど)。
これらをどう応用したら便利でしょうか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
用語説明「カプセル人間」仮説:
社会学者の平野収・中野秀秋が70年代に提唱した、とりわけ若者の情
報行動に関する人間モデル。「個々人は、あたかも自分をとりまく快適
な情報からなる「カプセル」内部に存在して、その内部から、それを通
して、相手とやりとりしているようにみえる」、という、70年代若者
の情報行動から得られた人間モデル。建築家黒川紀章のモジュール住宅
(中銀カプセルタワー、1972)などから発想された。
(いわゆるカプセルホテル的なモジュール住宅)
日本発祥の社会科学系の独自概念はあまり多くないので、その意味で
は貴重である。この講義でも、部分的に、このモデルを拡張して使用し
ている。ちなみに、本講義の枠組みをカプセル人間仮説に当てはめる
と、以下のようになる。
「カプセル人間」の比喩は、メディア重装備な現代人にはよく妥当する
ように見える。
テレプレゼンス Telepresence の可能性
これは「個人の周囲の環境が、メディア的にシームレスなサービスを
提供している」という意味での「環境メディア」の話題とはやや異なる
が、80年代から議論されてきたデジタル・メディアの応用法のひと
つ。「容易に人間が行けない場所へ、遠隔操作された装置(ドローン
drone )を送り、それを操作することで、所期の目的を達成する」と
いうこと。
惑星探査、災害調査と救援、遠隔攻撃などですでに実用化されている。
軍事技術、航空技術のスピンオフである場合も多い。このところ、災害
関連でしばしば報道されている。
実例:遠隔操作攻撃機など。ネット通販の小型の無人機UMVなどもこ
れの応用。
例:UMVの操作
‼ 考えてみようーーーーーーーーーーーー‼
ドローンの便利な実用法にはどんなものが
あるでしょうか?
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ここまで説明してきた「可搬的」「身体的」メディア、デバイス類
は、すべてが「どこでも、思いのままに」作業したり、社会参加したり
できるような補助装置として構想されている。「場所、時間不問で、で
きるときにできる場所で、やりたいことができる」という理想。「民主
主義のための装置」(作業、意思表明、議論、意思決定、の促進デバイ
ス)が、多く考えられてきた。マスコミ原論に示したように、20世紀
戦後において、それは間接民主主義を保証するマスコミと代議制だっ
た。21世紀になって、いっそう柔軟な社会参加を可能とする各種デバ
イスが出現している(が、大勢はまだ変化していない、18歳参加など
の徴候はある)。
‼ 本日の出席と質問(7)ーーーーーーーーー!!
1)身近に経験した遠隔会議、作業について
2)HMD、3Dマウスなどの組み合わせ利用法について
3)ドローンの有効利用法について
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高機能化する携帯メディアの可能性
Apple社のコンセプトビデオが「あくまで実現可能性のある製品」に
即して作られているのに対して、もう少し想像上の技術に依拠したもの
も多い。
例:ノキアの携帯電話のコンセプト:これは新素材がじっさいに利用可
能でなければ不可能な「形態変化する携帯電話」のイメージ。より複雑
なユーザーとデバイスのやりとりを予想させている。
例:現状で市場に出ているウォッチ型のデバイス類が一定数あるが、ま
だ別のPDAの操作端末、という意味合いが強い。そのデバイスに、独自
のセンサーが多く搭載されるようになると、意味合いが変わる。具体的
にはバイタル(生体)信号のセンサー類。
例:
・糖尿病患者:血糖値、血圧など必須の測定値を「常時」
・ランナー、ジョギングなど:心拍数、呼吸数、血液測定値各種を「常
時」
*このような生体センサーが「常時」測定できるならば、不健康な状
態、危険な状態をコントロールすることはいっそう容易になる。「働き
すぎ」→自動的に警報、とか。ただし、まだ、皮膚下の状態を計測でき
にくい。
*各種測定器(活動量計、体重組成計)のデータをネット上にアップし
て長期に通覧できるシステムはすでに実用化。ただし流出したら、とい
う懸念はいつもある。
例:担当者の過去の測定記録
(ネット上)
ここまでくると、「単なる持ち物」という域を超えて、「人体といっ
そう緊密に結びついた装備」という印象が出てくる。→便利なら埋め込
んでしまえ、という発想も出てきうる(後述)。
なお、PDA類とユーザーの自己意識の関係については、すでに198
4年に、MITでの当時のコンピュータ文化を調査した心理学者シェ
リー・タークル Shelly Turkleの著作「第二の自己 Second Self」があ
り、同書は古典として扱われている。PDA類をユーザーの「第二の自
己」とみなすタークルの発想は、想像ではなく、実際の調査体験から得
られている。
「自分のPDAが壊れたときに、それは死のように感じられた。そこには
私の生が入っていた。自分の心が失われたかに思えた」というヘビー
ユーザー女性のコメントなどから影響されたもの。単なる「道具」の域
をこえて、いっそう「密接な自己自身の一部」として携帯メディアと付
き合っている人々の率直な感想が示されている。この方向は今後も展開
していく可能性がある。
「個人とデバイス類の親密化」「人間の拡張」(マクルーハンの用語)
としてのウェアラブル・デバイス、デバイスの身体化、という方向の可
能性。
これ以外には、試行段階のものがほとんどであるが、今後に普及する
可能性があるものもある。例示した3Dマウス(Wii コントローラー)
のように、市場化されるのは、大衆性のある消費材としてであることが
多い。
例:マイクロソフトの「キネクト」→ゲーム用途で普及しつつある一
方、すでに初音ミクなど用のモーションキャプチャ装置としても実用さ
れている。:自作する可能性もあったが、なお実現していない(卒論
で)。
より実験的なものは、産業用途、障害者補助、高齢者補助などからも
要請される:パワードスーツ類など
ロボット、パワードスーツ類
マンガ、アニメなどをはじめとして、「メディアに流通する空想のイ
メージ」が、現実の研究に一定の影響力を持ち始めている。生産オート
メーションという意味での「ロボット」は、産業用途として70年代に
は注目されていたが、その実用性、機能性を超えようとしている部分が
ある。
産業用ロボットの発達→パワースーツへ
ロドニー・ブルックスの仕事:初期ロボット開発80年代∼ ブルックス
もMIT(のパナソニック講座の)ロボット工学の教授。早期から動物の
形態と原理(単純な動作の複雑な組み合せ)を真似たロボットを多く開
発している。
UCバークレイの外骨格スーツ:パワードスーツ類の着想には、日本の
アニメを含むメディアからの影響が大きいと言われている。ここでは、
単純なロボット的な自律的構造体ではなく、「人体の補佐をするも
の」、高機能「ウェアラブル」メディアとしての装置となっている。災
害現場、産業用途、宇宙開発、障害者、高齢者補佐などが想定されてい
る。
実例:レイソン社の最近のパワードスーツ
障害者、高齢者補助のスーツ類:いっそう簡便でメンテや着脱が容易な
装置として、すでに実用開発が進んでいる。当初紹介したときは空想的
と言われたが、もはやある程度、日常的な景色になっている。日本の高
齢社会化は、このような開発を促すものと言われている。例:筑波大の
介護用パワードスーツ
ここまであたりで、およそ半分の授業を実施した。今後、ここまでに
出てきた技術、デバイスなどの名前と機能について、一覧表的に整理し
た要約を配布したいと考えている。これによって、授業全体の見取り
図、要点が分かるだろう。期末テストは、これらの語句から出題される
ことが多いはずである。
本日の出席と質問(8)ーーー
1)この授業の内容は、「最近、最新、近未来的な技術の可能性を視野
に入れて、最広義の「メディア」技術の新展開について、その可能性を
社会科学的な視点から検討し紹介する」ものである。そのため、受け止
め方も、理解のしやすさも、様々だろう。確実なのは、このような可能
性が実際に検討されていることである。
ここまでの講義の概括的な感想を聞きたい。
2)成績評価と期末テストの必要性、傾向について、反論などがはっき
りあるならば指摘してください。
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