「世間」の変質一世間話研究の 背景一 飯島 世間という言葉は、 元来仏教用語で、 吉晴 サンスクリットの loka (場所 ) あ るいは la 血 ika (世俗 ) の訳語であ り、 世の絶えざる 変転・ 致 壊するさまや 出家せずにこの 俗世間にいる ことを意味し 、 転じて有為転変する 俗人の世すなわち 世の中を指すよさになった。 世間は 、 独立した個人の 集合体であ り互いに見知らぬ 者同志を結びつけるのを 前提とした「社会」 とは異なり、 自分たちがつき 合い活動ずる 広い範囲の生活空間であ るとともに、 そこに住 む自分と縁で 直接間接につながった 人々を意味し、 行動の内的な 基準 枠 ともなった。 狭い 意味では、 日々生活する 自分が関わりをもつ 人々の世界であ り、 あ くまで現世の 縁によっ て外側に向かって 拡大された内部世界といえる 柳田国男は、 綾。 「昔話零落の 主たる原因は、 書物の進出でもなく、 かった。 最初には説話の 他の種類のものが、 時間の欠乏ではなおな 人の成長していく 智能を占領したのが 端緒で、 それがはからずも 無限に変化すべき 素質を具えていたゆえに、 次第に追随者が 戻って来ら れなかったのであ る」のと述べ、 炉端の昔話が 衰退した原因に 世間話の進出をみている。 さらに柳田は、 昔話と対立する 世間話の「世間」に 関しても、 「 ロ 世間日は日本の 俗語で は、 わが土地でな 目処、 自分たちの属しない 群を意味している。 そこから出た 話だから 幽 界の消息と同じく、 仲間の好奇心を 刺激するのであ る」③と述べ、 世間は村や故郷の 外の 世界や人々であ るとしている。 交通交易や経済の 発展が、 個人の抜け駆け 的な行動の自由 と必要を生み、 それに伴って 人々の生きる 世界が拡大し 村を大きく越えるようになってき たのであ る。 ドイツのフランツ・ハイ ヂ マンも、 昔話の存立する 条件として「語り 手の視界の狭さ」 を挙げ、 「昔の人々にとっては、 すぐ近くの森の 縁から ( 自分たちの知らない ) 空想の世 界 が始まっていたが、 人々の視界が、 自分たちの住む 限られた地域を 越えて、 広がるにつ れて、 空想の世界に 代わって、 現実の、 広い世界が現れる。 ずる確信が消えうせてしまうと、 そして、 あ の昔話の世界に 封 昔話を語る欲求も 消滅する " そして伝承された 空想の世 界の形姿は現実界の 色とりどりの 形姿によって 排除される」 (49 ノと 述べている。 伝統的な共同体が 崩壊していった 過程で、 説話や口承文芸の 世界はどのように 変化して いったのだろうか。 ヘルマン・バウジンガーは、 一定の法則性がみられるとし、 この空想の世界が 排除されるプロセスに さらに技術や 交通手段の発達につれて 現実の世界や 現実の 諸関係についての 知識が地球規模で 広がると、 あ る種の「平面化」が 起こり、 故郷の狭い 世界は広く全体として 把握されるよ えるという新たな 課題を担 う 交通の ) 発展は、 説話よりも う になり、 民間説話も現実の 世界の多様な 諸現象を伝 ようになると 論じている。 す な れ ち、 「Ⅰ現実の』 (技術と (現実世界のさまざまな ) 報告に重要な 役割を担わせた。 従 一 40 一 来の世界においては 自分たちのいる 場所からそんな 遠くない所から、 もう不確かな 世界が 始まっていた。 そしてその世界は 説話の中でのみ 知ることのできるものであ り、 その世界 についてのどんな 情報もすぐに 説話に代わるものであ った。 それに対して、 今日では『 新 しい世界像』の 現実性はますます 確かなものになってきた。 そして、 この現実世界のさま ざまの出来事について 報告することを 責務とする多くの 報道機関が存在するようになった。 そういうわけで、 口承の話もしばしば 報告のレベルで 行なわれるようになってきた。 (中 略 ) しかしながら、 出来事自体に 一定の重さがあ り、 その出来事が 単に歴史的な 一たいて いの場合ほんの 少し前に起った 一事実としてのみ 関心が持たれるのではない 報告も、 やがて説話を 形成する可能性があ 来 事を伝える情報でいかに であ る。 その新しい説話 る。 そういうわけで、 満ちあ ふれていようとも、 限り、 どんな 今日の世界が、 現実の出 依然として民間説話が 生まれるわけ (世間話 ) は 、 単に現実を写し 取る報告を超えており、 しかも 決 して伝統的な 説話ジャンルには 属しておらず、 それでいて、 伝統的ジャンルとよく 向を土台としている」と。 そして、 情報や報告が 説話化される 過程で、 昔話、 伝説、 笑い 話という伝統的な 説話ジャンルの 基礎になっている 精神活動が作用すると、 せな出来事」 り 話、 「奇異な出来事」 ) が 生み出されてくるのだという 話、 「陽気な出来事」 それぞれ「 幸 (= 日常の語 話 といった世間話 働。 現代の世界は、 伝統的な共同体とはちがって、 視界が拡大した 代わりに、 現実世界のず べてを見通すことはできなくなった。 とくに大都市では 社会生活が断片化され、 時的な個人的出会いの 場の中を忙しく 動き回っているが、 日の日常の語りであ る世間話が形成されるのだと、 バウジンガーはいっている。 伝統的な共同体が 崩壊する過程で、 で意識化し捉えようとした 時に誕生したものであ ドーソンは 、 自 り、 元来きわめてモダンなものであ った。 伝統的な共同体の 民間伝承を重視する 目 静態的研究方向が 支 立場の研究が、 現実社会 にし近代社会が 従来とはまったく 異なったシステムや 速度 で 動いていることを 否応なしに認めざるを い 民俗学 ( 民間伝承 ) をモノとして 収集することが 目的化されていく。 のあ まりに大きな 変貌を直接 民俗学」の一種とも 今 それを自覚的な 批評的な目 しかし、 民俗学の枠組が 一旦出来上がると、 過去志向の伝統保存的な 配 的となり、 フォークロア 人々は一 そうした場においてもやはり 体が 、 資本制生産によって この目前の現実生活よりも 似た傾 得ない状況になったときに、 え る モダン。 フォークロアという とりあ えず「都市 研究分野が現れた。 リチ ヤード・ 『アメリカの 民間伝承』の 中で、 「民俗伝承は 移住、 科学技術、 マスメディ ア 、 大衆の画一性に 直面してどのように 民間伝承が定義上では 生き、 生き残ることができるのだろうか。 さらに、 相当期間にわたって なく実証しているというのに、 人間の中で生き 続ける能力があ ることを間違い 『現代ロ民間伝承について 語れるのだろうか」 議し、 それまでほとんど 問題にされてこなかった (6) と問題提 大学、 百貨店、 病院、 軍隊といった 近代 に特徴的な施設や 組織、 あ るいは自動車という 近代を象徴するメディアをめぐる 現代伝説 の 収集と研究の 意義を説いた。 という論文ので、 さらに、 ドーソン は 、 フォークロアの 同時代性と近代性の 「マス。 メディア」、 「近代世界におけるフォークロア」 間 題 とを「都市」、 「産業と技術」 「ナショナリズム、 政治、 イデオロギー」の 四つの題目のもとに 論 一 41 一 じている。 しかし、 ドーソンは、 民俗学がよって 立つ存立基盤自体やその 道具立てを問 までには到らなかった。 Ⅰ う 960 年代末以降、 欧米でそれらを 問題にしたのは、 次の若い世代 の民俗学者たちであ った。 近代という 人 ・モノ (貨幣 ) . 情報の急激で 大規模な流動化が 伝統的な共同体に 侵入し てきた場合、 ハナシ や カタリなどロ 承文芸の世界はど の過程は各国ごとに 状況が異なるであ う 変化してゆくのだろうか。 近代化 ろうが、 日本では鎖国の 場合と同様に 近世段階では ムラ が市場経済に 巻き込まれることを 警戒し、 必、 要最低限の窓口をあ けただけで自給自足 を旨としていたため、 個人は ムラ を通して間接的に 市場に接触していた。 できない最小のものを しかし、 ムラで 外部世界から 入手し自給自足の 生活を維持するため、 や コミュニケーションには 外部との交易 考えられないほど 腫大な努力と 労力を費やしていた。 近代的な 交通や通信体制が 整備され本格的な 産業化が進展して、 村落共同体が 分解してくると、 個 人が資本制生産の 競争原理に直接無媒介に 身を晒すことになり、 込まれていくことになった。 その渦中に否応なく 巻き それまでは、 ムラがいわば 一つの生きる 世界であ り、 世間と いう外の世界に 関してはハナシを 通して間接的に 知るか、 青年期の一時期ムラを 通常は ムラ で一生を過ごすことが 見聞し限られた 体験をするにすぎなかった。 考えられ、 ムラを出て暮らすことは 出て直接 最も幸福 と 容易ならざる 事態であ った。 近代の「立身出世」主義 は、 むしろ故郷の んラ を出て覚の世界で 地位を得たり 名を上げることであ り、 それ以前の 考え方とは大分異なるものであ った。 他方、 ムラ自体も教育や 商品 (貨幣 ) 経済や交通通 信の発展などにより、 市場経済システムの いちいち物事にこだわり 中に組込まれ 浸食され徐々に 解体していった。 自分の言葉で 考えていくことの 代わりに、 効率的に手本を 鵬 鵡返 しに口真似したり 文字と標準語に よ るスムーズな 意志伝達が重視されていった。 るやかなムラ 中心の生活の 中でほ 、 生きる知恵や 規範は定型的なカタリ 変化がめ や ハナシを通して 身につけたり、 時には空想的な 世界や奇事異聞の 話に耳を傾けることに 楽しみを見いだし に たであ ろう。 ムラ が分解し、 個人がそれまでは 郷土の覚の馴染みの 薄い世界であ った「世 間 」の只中で生きねばならなくなった 時に 、 ハナシは生活の 上でどのように 変わったので あ ろうか。 世間が単に ムラ の外や外界であ った時代から、 マス・メディアが に 侵入して人間社会一般を 取って代わ @ 中島恵子は、 さ ら 日常生活の中 意味するように 拡大し変質していったとき、 世間話は昔話の 座 に 世間話もまた 現代伝説などと 称されていくようになる。 「現代の世間話」 ( 西郊民俗』 25 号 ) という論文働の 中で、 世間話には ロ 誇張やうその 混じった ブ イクショナ か な内容の話と 日常的リアリテ ィ に富む迫真的な 内容 の話の二つがあ り、 前者は終戦を 境に伝承化してあ まり聞かれなくなり、 は日常化平均化してまずます 等 化も進んでいるという。 共通のものになり、 世間話のテーマ 同時に話者の 平準化や話し 手聞き手の対 中島は、 その原因にはマスコミの 多様化を含めた 圧倒的な発展 があ り、 われわれはいやでも 共通の話題を 材料に世間話をせねばならなくなり、 また世界 中の出来事が 即時に家庭の 茶の間に伝えられるため 人々の生活に 内と外の区別もなくなっ て 特定の伝播者が 不必要なものになってしまった。 こうして、 内と外の区別がなくなった といっても、 その垣根を超えるのは 電波や活字であ って、 むしろ人々は 家族や家庭単位で 一 42 一 孤立化し閉鎖的な 暮らしを営むようになり、 同時にその孤独感や 孤立感から何とか 抜け出 そうと友人や 隣人と雑談して 楽しく過ごし、 何でもよいから 話し合っていることで 安心す るのであ る。 奇事異聞 譚 のような世間話は、 現実世界の拡大によって カ を失って衰える 一 方 、 日常的ないわぬる 世間話の方もマス。 メディアの侵入で 均一化画一化が 進行して、 世 間話は生きている 現実を十分に 反映しないリアリテ あ る。 孤立や不安から 他の人と何か 話をしていたい、 侵入されたくないという は団地生活にみるよ う ィ の乏しいものになってしまったので しかし自分の 守る領域までは 他人に 隙間に、 マスコミが巧みに 入ってきたのであ る。 このような状況 に高度経済成長の 過程で大衆化したものといえる。 重信幸彦は、 世間話研究に 大きな衝撃を 与えた「『世間話 号 ) という論文のの 中で、 柳田の「セケンは、 団 再考」 ( F 日本民俗学 刀 180 実際の日本語に 於ては、 今の社会という 新 語よりも意味が 狭い。 是に対立するのは 土地又は郷土で、 つまり自分たちの 共に住む以外 の地 、 弘く他郷を総括して 世間とは言って 居たのであ る」仁のという 定義だけを抜き 出して、 村 境の外の世界とか 他界だとするのは 早急すぎるとし、 柳田の「世間」なり い う 概念はかなり 「世間話」と 「近代」に対して 自覚的なものであ ったと述べている。 すな む ち、 重信 は 、 民俗学理論の 体系化・組織化が 推進された「一九姉 0 年前後の時代は、 この国の日常 生活が一人一人の 勝手知ったる 身の丈の大きさをこえて 休息に拡大してゆく 、 即ち現在我 々が『都市』と 名付けて語ろ う としている『経験』がラディカルに 展開しはじめた 時期で もあ る。 『世相篇』という 試みも、 そうした日常の 経験をニ目の 前に出ては消える 事実員 をもとに記述しょうとしたものだったはずだ。 とするなら T 世間』という 概念は、 この身 の丈をこえて 日常生活を拡大させてゆくシステムがもたらすダイナミズムのなかでの 日常 の 経験の在り方を 示す概念として、 より積極的な 意味をもち得るといえるのではないか」 白りと述べ、 近代的メディアが 日常生活に次第に 浸透して「世間」の 事態を踏まえたものであ ることを明らかにしている。 927 年の 35 万台から 33 年には t35 万台へと急増し、 質が変わりつっあ る 実際、 ラジオ聴取契約数をみても、 円木や円タクなどの 流行が示すよ う 1 に活 字メディアだけでなくさまざまな 交通や通信のメディアが 日常化しつつあ った。 重信自身 は、 メディア論の 観点から、 別の場所で、 「Ⅰ世間』とは、 定説として言われている『 他 郷 』という静的な 定義ではなく、 様々なメディアの 介在により日常生活のに 湯口 が 拡大し てゆく『動き』をさしていると は、 話の内容や型という 考えることができる」 (lJ2 りと論じている。 そして世間話と 以前に、 こうした多様なメディアの る用語であ ったとしている。 交錯する「 場 」の変動を捉え 「眼双の事実」を 重視した民俗学は 、 知らぬ間に現実の 足元 の日常生活を 自ら問い意識化することを 忘れ、 現実とは掛け 離れたものになってしまった。 重信の主張は、 この「あ たりまえな現実」を 再び民俗学の 手に取り戻す 試みとみることも できる。 近代日本の資本主義は、 日清戦争以来常に 戦争とともに 発展してきたが、 とくに直接戦 場 とならず漁夫の 利を得た感のあ る第一次世界大戦け 914 ∼ 18年 ) によって飛躍的な 発達 を遂げる。 重化学工業が 成立しめざましく 成長するとともに、 長距離送電が 可能となり、 四大工業地帯が 成立する。 各地で都市化が 進行し、 日本の工業生産高が 農業生産高を 上回 一 43 一 り 文字通り工業国家となったのも、 第一次大戦中のことであ った。 1914 年の開業の東京駅 や、 1923 年に落成した 丸 ビルに象徴されるように、 東京丸の内には 日本の産業やビジネス の指令塔としての 丸の内ビジネス・センターが 整備される。 丸 ビルの完成した 同じ年に 、 関東大震災が 東京を襲って 甚大な被害をもたらしたが、 同時に江戸の 名残を一掃 し、 人々 の日常生活はじめ 日本の近代社会が 大変貌する時代転換の 契機ともなった。 こうした産業 化の進展によって、 一 1920 年代 (大正半ば ) にはビジネス 街に勤める都市のホワイト・カラ を中心とする 新たな社会層として 新中間層が成立する。 この月給取りとも 呼ばれた俸給 生活者 (サラリーマン ) は、 郊覚の私鉄沿線の 文化住宅に夫婦と 子供だけで住み、 ちゃぶ 台に象徴される 親子水入らずの 一家国らんの 家庭生活を営み、 濃密な愛に包まれた「 家族を実現していった。 性 」 この階層を対象に、 神前結婚式や 新婚旅行といった 新しい婚姻形式が 普及し、 さまざまな商業機構も 整えられ、 週末にはターミナル 駅の デパ 一トに 買物にでかけたり、 郊覚の遊園地で 過したりして、 一定程度ハイカラな 文化を享受 できた。 この新しい家庭は、 職住分離によって 生産から離れ、 もっぱら休息と 消費の場と なり、 子供中心に営まれた。 主婦は、 画一的な公教育に 飽きたらず、 童話や童謡を 読み聞 かせ豊かな情操を 育てようとするとともに、 これといった 財産を持たないために、 高い学歴だけでも 子供につけさせようとした。 また故郷から 離れて暮らしあ まり知遇もな いために、 育児その他伝統的な 知恵を年寄りから 受け継ぐことができないため、 次いで創刊された 婦人雑誌などのメディアを せめて この頃 相 通してさまざまな 知識を獲得しょうとした。 この都市中流家庭を 営む新中間層の 家族こそ、 男は覚に勤めに 出かけて、 主婦は内で家事 と育児の再生産過程を 担 う ,f 土豹分業を一つの リーマン家族の 原型をなすものであ 特徴とする 「近代家族」であ り、 現在の サラ った 但3 。 ノ この新中間層はまだ 1920 年代には、 近世社会の武士階層と 同様に、 総人口の一割にみた ない存在でほあ ったが、 1960 年代の高度成長の 過程で大衆化し、 今日では実態ほともかく 大半の人々が 中流意識を抱くよ う になっている。 しかし、 戦後に一般化した 近代家族も 、 オイル・ショックを 経て低成長時代に 入った 1975 年 (昭和 50) 頃 から、 その崩壊や危機が 叫ばれるよ う になり、 女性や子供を 含めて家族というものが 根底から問われ 始めた。 人々 0 社会意識が、 経済的な達成を 背景に従来とは 異なり、 自分の生き方を 重視する方向をめ ざす よ う になった。 ともかく資本主義的生産の て一人の男のサラリ 一で家族が養えるだけの 発展によって、 大正から昭和の 初めにかけ 工業化社会が 到来する一方で、 出身地の故郷 や 農村は経済的に 疲弊し貧困に 喘ぐという現実も 生まれていた。 近代の生産システム や市 湯原理は、 都市、 農村を問わずその 日常生活にまで 入りこみ大きな 影響力を及ぼす よう に なったのであ る。 自己省察の学や 内省の学として 眼前の事実を 問い直す民俗学が、 一部の 研究者だけでなく 広い社会的関心を 集めるよ う になり、 そのが組織化が 図られていくのも、 実はこうした 時代状況の中であ った。 高取正男は、 『日本的思考の 原型』の中で、 「現代社会では、 新しい交通機関とその 体 系 が開発され、 一般化すると、 旧来の低能立の 体系に依拠していた 部分は、 新規の体系に 従属し、 適応ずる よう に強制される。 できなければ 切りすてられ、 特定地域の過疎化現象 一 44 一 などは、 その端的なあ らわれであ る。 これに対して 近代以前の社会では、 いもの、 必ずしも絶対的な 力はなく、 社会上下をあ げての信望を 担 う 新しく能率のよ ということもなかっ た 。 相対的な優越だけにとどまり、 社会文化の表層を 形成するだけにとどまっていたから、 @ 来のものはその 背後に消滅することなく、 十分な生活力と 生命力をたもって 生残ってき た。 ( 中略 ) その表層を形成しているものの 厚さと、 力量の相違は、 近代と近代以前とで は 比較を絶する 質的な隔たりがあ った。 近代以前の社会文化の 有していた独特の 重層構造 は 、 こうして社会のコミュニケーションのシステムのなかに、 よく明示されている。 ュニケーションの 媒体が機械化する 再生産していた。 コミ 以前は、 一国の文化は 独自の重層構造を 絶えず強力に これは社会経済の 体制はもとより、 よりひろく文化の 歴史を考える で、 きわめて重要な 問題として確認しておく 必、 要があ う た リのと述べ、 近代が均質化や 画一 る」 化を強力に推し 進めすべてを 覆ってしまうのに 対して、 近代以前には 独特の重層構造があ っ たことを指摘している。 新聞などのマス・メデイ もっとも古い メ デイ ア であ る「うわさ」は、 テレビ。 ラジオや ア の発達によって 一見滅びてしまう が 信頼できる制御された 唯一の情報源となり、 「 ぅ わさの存在理由の 核心であ る」 を唱えて、 別な現実をさまざまに ぅ わさを抹殺できなかった るほどもてはやされ、 印象をもつが、 実はメ デイ ア 公式の情報しか 存在しなくなった 状況こそ という。 カプフェレは 、 「 ぅ わさは公式の 現実に異議 提示するのであ る。 これが、 いかなるマス・メディアも 理由であ る」 と述べている 仁り。 最近、 現代伝説はブームに な アンソロ ジ 一の類も数多く 出版されているが、 これもやはり 近代の 画一化に抗して「 別 なさまざまな 現実」を提示するためなのであ ろうか。 いわぬる伝説は 、 かっては他所に 同じ伝説があ ろうと、 ムラ固有のかけがいのないものとして 信じられてい たが、 都市伝説などの 場合は次々と 新しい話が生み 出されると同時にそれ 自体がすでに 商 品として根無し 草的に大量に 流通し消費されている。 村落共同体が 崩壊し、 われわれの 身 体感覚をこえた 巨大な現代の 現実の中で、 いかに自らの 生きる足場を 築いていくべきだら つか。 自らの言葉で 考え、 判断できる人間を 養成することは、 柳田民俗学の 大きな目的の 一つであ ったが、 現代社会において 民俗学の可能性を 求めるならやはりそれが 一つの ポイ ント となるであ ろう。 証 (1) 『平凡社世界百科事典 刀の 「世間」 (浜口恵俊 ) の項目参照。 なお、 最近の世間論に 阿部謹也 とは何か B 、 講談社現代新書、 一九九五年があ る。 (2) 柳田国男「昔話と 伝説と神話」 ( 『口承文芸支考 に所収) 、 n 定本柳田国男 集 J 6 巻、 70 頁、 ァ 「世間」 よ 筑摩書房、 1968 年 (新装 版 ) 。 (3) 柳田、 前掲 註 (2) 、 71 頁 。 (4) ヘルマン・バウジンガー (竹原 威滋 訳 ) 「世間話の構造」、 荒木博之 編 アフオークロアの 理 論コ所収、 152 頁、 法政大学出版局 1994 年。 (") バウジンガー、 前掲 註け ) 、 1154-5 頁。 なお、 竹原 威滋 「ヨーロッパの 世間話」 『昔話一 研究 4 号、 1985 年も参照。 と資料 (6) リチ ヤード・ドーソン (坂本宅 春訳 ) i アメリカの民間伝承』、 335 ∼ 6 頁、 198 年 、 岩崎美術 社 (R.M.Dorson 担肋げ碗れ月oiklo 托 , Chicago U.P., 1959. ) 。 コ Ⅰ Ⅰ (7) R.M.Dorson,Folklore ㎞ 曲 e Modern (8) 中島恵子「現代の 世間話」 (9) 重信幸彦「 ア World, in FOoW 用We 篆材Fa0kelWg,Harvard U. P. , 976 Ⅰ 『西郊民俗 J 25 号、 13 一 7 頁、 1963 年。 世間話』再考一方法としての『世間話 一 45 一 コへ 」 『日本民俗学 j 180 号、 i989 年。 く 10) 柳田国男「世間話の 研究」 (初出は田綜合 ヂヤ一 ナリズム講座 コ 11 巻、 内外 社 、 Ⅰ 93T 年 ) 、 『定本柳田国男集団 7巻、 394 頁、 筑摩書房、 1968 年 (新装 版 ) 。 く 11) 重信、 前掲 註 (9) 、 19-20 頁。 12) 重信幸彦「『口承文芸』以双へ」、 1991 年度日本口承文芸学会レジュメ、 5 頁。 リンダ・ デク F アメリカの民俗とマス・メディア (インディアナ 大学出版、 1994 年 ) の中で、 現代 の 産業社会では、 「口頭の」 ということよりも、 「変異性」や「異本」が 民俗物語や民俗の キーワードになると 論じており、 さまざまな メ デイ ア の交錯するなかで 民俗をト一 タル に捉 えるべきだとしている。 (13) 鹿野 致直 「分解に向かう『 家 』」 二 0 世紀の歴史 J 7 巻 (家族上) 所収、 131頁 、 平凡社、 993 年。 (14) 高取正男丁日本的思考の 原型』、 115-6 頁、 講談社現代新書、 1975 年。 く も、 コ 『 (15) J . N . カプフェレ (吉田幸男 訳 ) Ⅰ 『うわさ』、 334-5 一 4f 一 頁、 法政大学出版局、 1988 年。
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