死への準備教育―特に大学生に対して

大 町:死 へ の準 備教 育 一 特 に 大学 生 に対 して一
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町
公
あ る。 こ の新 た な 時 間 意 識 は 当 人 を 欝 状 態 に陥 れ る き っか け とも な る
体 験 に 由 来 す る 。 自 分 の生 き ら れ る 時 間 が 限 ら れ て いる こ と の認 識 で
死 へ の 準 備 教 育 - 特 に大 学 生 に対 し てー
に
が、 時間 の貴 重 さ を も発 見 さ せ てく れ る 。 人 生 半 ば と も な る と、 も は
め
個 人 的 な こ と に な る が 、 最 近 、 死 に つ い て関 心を 持 つに 至 った 理 由
や 死 と いう テー マは 避 け て通 る こと が でき な い。 ﹁中 年 期 の危 機 は 、
じ
を 考 え て み る と、 日 野 原 重 明 氏 の ﹃死 を ど う 生 き た か﹄ (中 公 新 書 )
は
を 読 んだ 時 の感 動 、 岸 本 英 夫 氏 の ﹃死 を 見 つめ る 心ー ガ ソと た た か っ
と。
本 式 か つ体 系 的 な 死 への 準 備 教 育 講 座 を 受 講 す る 絶 好 の 機 会 で あ る 。﹂
で は 、 ∪Φ象げ 国ユ仁$ 口oづと は 何 か 。
ね
た 十 年 間 1 ﹄ (講 談 社 文 庫 )を 読 ん だ 時 の衝 撃 を まず 思 い起 こす が 、
そ れ ら に 加 え、 三 年 前 上 智 大 学 で行 な わ れ た ﹁比較 思想 学 会﹂ にお け
従 来 は ﹁死 の 教 育 ﹂ と 直 訳 さ れ た り 、 デ ス ・ エデ ュケ ー シ ョ ソ と 単
ハ る シ ソ ポ ジ ウ ム ﹁東 西 の死 生 観 ﹂ で の ア ル フ ォ ソ ス ・デ ー ケ ソ氏 の発
表 を 挙 げ な く ては な ら な い。
る の が適 当 であ ろ う と述 べ、 今 日 では 一般 にも そ う 訳 さ れ る こ とが ふ
﹁実 質 的 な 意 味 内 容 に 即 し た 訳 語﹂ と し て、 ﹁死 への準 備 教 育 ﹂ と す
ヨ に カ タ カ ナ で 置 き 換 え ら れ る だ け の こと が 多 か った が 、 デ ー ケ ソ は
え て き て いる 。 以 下 では筆 者 も そ れ に従 う こと にし よう 。
∪Φ9げ 国α仁oo口8 な る も の が存 在 す る こと 、 教 壇 か ら 数 多 く の学 生
に向 か って 死 に つ い て語 る こ と が でき る と い う こ と、 そ れ 自 体 が 新 鮮
た が、 こ の領 域 では 日本 の第 一人 者 であ る ア ル フ ォ ソ ス ・デ ー ケ ソ の
そ れ では 、 ﹁死 への準 備 教 育﹂ と は 何 であ る か 。 す で に名 前 を 挙 げ
な 驚 き で あ った 。 筆 者 は パ スカ ル の ﹃パ ソ セ﹄ に関 し て、 人 間 の ﹁悲
惨 さ ﹂ を 示 す 最 た る も のと し て の死 を 講 ず る時 も、 さ っと 触 れ る に止
し か し よ り 大 き な 理 由 と いえば 、 両 親 の年 齢 と いう こと も 確 か に あ
め てお く の が 常 であ った 。
年 ) ド イ ッ生 ま れ 。 神 父。 フ ラ ソ ス の哲 学者 ガ ブ リ エル ・マ ルセ ルの
の準 備 教 育﹄ 全 三巻 を中 心 に 見 てゆ き た い。 氏 は 一九 三 二年 (昭 和 七
教 え を受 け る 。 現 在 五十 九 歳、 上 智 大 学 教 授 。 大 学 では 人 間 学 、 西洋
考 え方 、 特 に氏 の編 集 に な る メジ カ ル ・フ レ ソド 社 発 行 の叢 書 ﹃死 へ
の間 に中 年 期 特 有 の ﹁深 刻 な精 神 的 危 機 ﹂ を 経 験 す る。 そ れ は 自 分 の
自 身 が こ う 説 明 し てく れ て い る。 人 は 三十 五歳 ∼ 四 十 五 歳 く ら いま で
倫 理 思想 史 、 そ れ に 死 の哲 学 を 担 当 。 上 智 大 学 に て 一九 八 二年 よ り毎
る が 、 そ れ 以 上 に自 ら の年 齢 と いう こと に な る の だ ろ う か 。 デ ー ケ ソ
人 生 の半 分 が す で に過 ぎ 去 った こと を 、 あ る 日突 然 自覚 す る と い った
理学研究室
受 理*倫
平 成3年9月30日
大*
奈
良
大
要
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第20号
紀
学
を考 え る会 ﹂ を開 催 。
年 ↓般市 民向 け に ﹁生 と 死 を 考 え る セミ ナ ー﹂ を 、 ま た 毎 月 ﹁生 と 死
日o同δ5巳﹂ と 題 さ れ た絵 や書 物 でよ き 往 生 の 心 得 を 学 ん だ 。 日本 に
お い ても 、 死 の作 法 を教 え る武 士 道 や、.諸 行 無 常 を 説 く 仏 教 の長 い伝
統 が存 在 す る 。 天災 、 飢 饒 、 疫 病 な ど を 通 し て、 人 々は常 に生 が 死 と
隣 り 合 わ せ であ る こ と を 実感 し てき た。 遠 藤 周 作 も ﹁日 本 に は 死 に支
度 と いう 言 葉 が 昔 か ら あ った。 デ ス ・ エデ ュケ ー シ ョソと は 死 に支 度
ヱ
と 訳 し ても い い と思 う。﹂と述 べ、 別 の本 でも ﹁死 に支 度 いた せ いた せ
一、 ﹁死 への 準 備 教 育 ﹂
と桜 か な ﹂ と い う 一茶 の 句 を紹 介 し て いる。 し か し 近 代 医 学 の発 達 に
﹁死 への準 備 教育 ﹂ と は 何 で あ る か。 死 は 誰 に でも 必 ず 訪 れ る。 普
遍 的 で、 絶 対 的 な現 実 であ る 。 人 間 は 死 す べき 存 在 であ っ て、 生 を 享
よ り、 病 気 に よ る 死 亡 が著 し く減 少 し、 そ れ に臨 終 の場 が家 庭 か ら 病
院 に 移 る に つれ て、 死 は 次第 に人 々の意 識 か ら締 め 出 さ れ る よ う に な
い て い つか身 近 な 人 の死 、 自 分 自 身 の 死 に 直 面 せ ざ るを え な い。 死 そ
け た瞬 間 か ら、 死 へと 向 か って歩 み続 け て いる 。 わ れ わ れ は 人 生 にお
の も のを 前 も って体 験 す る こと は で き な いが 、 ﹁死 を 身 近 な 問 題 と し
ま った 。
と こ ろ が 、 こ こ十 五年 く ら いの間 に事 態 は 変 わ ってき た と い う の で
り、 こと に今 世 紀 に 入 って、 死 はす っか り 忌 む べき タ ブ ー と化 し てし
て考 え、 生 と 死 の意 義 を 探 求 し、 自 覚 を も って自 己 と 他 者 の 死 に備 え
き
ての 心⋮
構 え を 習 得 す る こと は 可能 で あ る し 、 ま た 必 要 でも あ る。﹂これ
﹁死学﹂ と 訳 され て いた が、 最近 は ﹁死生 学﹂ と訳 さ れ る ことが 多 い)﹂
あ る。 死 に関 す る諸 問 題 の学際 的 研 究 であ る ﹁サ ナ ト ロジ ー (従 来 は
が 死 への準備 教 育 の主 な 目 的 で あ る。 ﹁死 を 意 識 し 、 お の れ の生 き る
の貴 重 さ を改 め て認 識 し 、 残 さ れ た 時間 を よ り 豊 か にま た健 や か に生
時 間 が 限 ら れ て いる こと を 自 覚 す る時 、 人 は か け が え の な い こ の人 生
り よ く 生 き る た め の教 育﹂ 、 ﹁ラ イ フ ・ エデ ュケ ー シ ョ ソ﹂ に 他 な ら
き る べく努 め る よ う にな る 。﹂そ う い う意 味 で、 死 への準 備 教 育 は ﹁よ
の準 備 教 育 が 行 な わ れ て いる。 わ が 日本 に お い ても徐 々に では あ る が
エデ ュケ ー シ ョ ソが導 入 さ れ、 ド イ ツに お い ても 宗教 教 育 の中 で死 へ
た。 ア メリ カ では す でに小 学 校 から 大学 、 社会 人講 座 に 至る ま でデ ス ・
が新 た な 関 心 を 集 め、 死 を体 系 的 に学 ぶ こ と の重 要 性 が 見直 さ れ てき
ヨ な い。 こ の こと は 学 生 に対 し て 十分 説 明 す る 必 要 が あ る、 と デ ー ケ ソ
﹁私 の知 る 限 り、 当 時我 が 国 (一九 七 六年 頃、 日本 - 筆 者 註 ) に
デ ー ケ ソは 曽 野 綾 子 と の往 復 書 簡 の中 で こ う 回顧 し てい る。
を形 成 し 、 ベ ス ト ・セ ラ ー と な る こ と さ え あ る。
変 化 が 見 ら れ 、 最 近 で は 死 を取 り扱 った書 物 が書 店 で 一つの コー ナ ー
は強 調 し て いる。
人 は 人 生 に お け る 重 要 な 試 練 に臨 む 前 には 教 育 、 訓 練 と い った 形 で
必 ず 準 備 す る。 入 試 や 就 職 に際 し て十 分 な 準 備 が 必 要 で あ る こと は よ
く 承 知 し て いる。 ま し て死 と い う ﹁人 生 最 大 の試 耀 ﹂ に対 し てな ら 、
何 も 準 備 を し な い のは お か し い の では な いか 。 例 え ば 、 末 期 癌 の患 者
です 。 一九 七 七年 に初 め て ﹃死 の哲 学 ﹄ を開 講 し た時 、 同 僚 や知
は、 死 の問 題 を 正面 切 って取 り上 げ る 講 座 は存 在 し ま せ ん でし た 。
人達 の多 く は、 日本 では 死 が タ ブ ー視 さ れ て いる か ら学 生 が 集 ま
そ れ で私 は こ の未 開 拓 の分 野 に チ ャ レ ソジ し てみ よ う と考 え た の
ヨΦ目Φ5ざ 日o同ご と いう 言 葉
か つて 死 は決 し てタ ブ ! で は な か った 。 親 し い友 です ら あ った 。 中
に何 の 心構 え も な く 死 に向 か わ せ よ う と す る のは 、 社 会 の態 度 と し て
世 の ヨ ー ロ ッパ では ﹁メ メ ソ ト ・モリ
ら な いだ ろ う と忠 告 し てくれ ま し た。 し か し いざ 蓋 を開 け て み る
あ ま り にも 残 酷 では な い の か。 基 本 的 な 発 想 は こ こ にあ る。
が 座 右 の銘 と さ れ 、 人 々は ﹁ア ル ス ・モ リ エ ソデ ィ (死 の 芸 術 )母 ω
大町:死 へ の 準 備教 育一 特 に 大学 生 に対 して一
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と 、 私 が 他 に担 当 し て いた ど の課 目 よ り も 多 い 二 五〇 名 余 り の学
生 が 登 録 し て く れ た の です 。 当 初 、 一般 教 育 の半 年 間 の コー スと
し て ス ター ト し た ﹃死 の哲 学 ﹄ は、 一九 七 八年 、 七 九年 と続 い て
ハ 八 〇 年 から は 通 年 課 目 と な り 、 や が て毎 年 六〇 〇 名 も の学 生 を 集
め る よ う にな り ま し た。﹂
さ て、 ﹁死 への準 備 教 育 ﹂ に戻 る が、 デ ー ケ ソ は こ れ を 通 例 四 つの
ク リ アー し て いる 必 要 が あ る。
三、 死 への準 備 教育 の 十 五 の目 標
① 死 へのプ ロセ ス、 なら び に 死 にゆ く患 者 の抱 え る多 様 な 問題 と ニー
ズ に つ い て の理 解 を 促 す 。
② 生 涯 を 通 じ て自 分 自 身 の死 を 準 備 し 、 自 分 だ け の か け が え のな い
に続 い て体 験 さ れ る悲 嘆 のプ ロセ スと そ の難 し さ 、 落 し 穴 、 そ し て立
③ 悲 嘆 教 育 (グ リ ー フ ・ エデ ュケ ー シ ョソ)、 つま り 身 近 な 人 の死
死 を 全 う でき る よ う に、 死 に つ い て のよ り 深 い思索 を 促 す。
レ ベ ル、 ② 死 への 準 備 教 育 の十 五 の 目 標、 ③ 死 への準 備 教 育 の方 法 、
観 点 か ら 考 察 し て いる 。 す な わち 、 ω 死 への準 備 教 育 に お け る 四 つの
ω 死 への準 備 教 育 の課 程 内 容 であ る。 では 、 ま ず そ れ に従 って見 てゆ
ち 直 り に到 るま で の十 二段 階 に つい て理 解 す る こと を 目 指 す 。
⑧ 死 と 死 へのプ ロ セ スを めぐ る倫 理 的 な 問題 への認 識 を促 す 。 (例 、
⑦ 告 知 と末 期 癌 患 者 の知 る 権 利 に つい て の認 識 を 徹 底 さ せ る。
か に し て自 殺 を 予防 す る か を 教 え る。
⑥ 自 殺 を考 え て いる 人 の心 理 に つ いて理 解 を 深 める こと 、 ま た 、 い
び つい た情 緒 的 問 題 の解 決 も 可 能 と な る。
問 題 に つい て自 由 に考 え 、 ま た 話 す こと が でき る よ う にな り 、 死 に結
⑤ 死 にま つわ る タ ブ ー を 取 り 除 き 、 それ によ って、 死 と いう 重 要 な
④ 極 端 な 死 への 恐怖 を 和 ら げ 、 無 用 の心 理 的 負 担 を 取 り 除 く 。
く こと にし よ う。
一一
、 死 への準 備 教 育 にお け る 四 つの レ ベル
死 への準 備 教 育 は 次 の 四 つの レベ ル で行 な わ れ る。 す な わ ち 、 ① 知
識 の レ ベ ル、 ② 価 値 観 の レ ベ ル、 ③ 感 情 の レ ベ ル、 ④ 技 術 の レ ベ ルで
① 知 識 の レ ベ ル では 、 専 門 知 識 の伝達 が 行 な わ れ る。 受 講 者 は サ ナ
ある。
ト ロジ ! の 研究 成 果 に親 し み、 知識 の レ ベ ル で そ れ ら を 身 に つけ る。
② 価 値 の レ ベ ル では 、 各 人 が自 己 の価 値 観 の徹 底 的 な 見 直 し と 再 評
定 義 と 死 の判 定 、 脳 死 、 臓 器 移 植 、 医 学 研究 の た め の献 体 、 腎 臓 の遺
⑨ 医 学 と 法律 に関 わ る 諸 問 題 に つ い ての 理解 を深 め る。 (例 、 死 の
植 物 人 間 、 人 工 的 な 延 命 、 消 極 的 ・積 極 的 安 楽 死 など )。
贈 、 アイ ・バ ソク 、 遺 言 の作 成、 死 後 の家 族 援 助 な ど )
価 を 行 な う。 死 に関 す る問 題 は、 単 な る 知 識 だ け では 解 決 が つか な い
.場 合 が 多 い。 臨 死 患 者 の延 命 、 安 楽 死 の是 非 な ど 態 度 決 定 、 決 断 を迫
ら れ る こ と が し ば しば あ り、 価 値 の解 明 と堅 固 な 価 値 観 の確 立 が 目 標
、
⑫ 死 の芸 術 (ア ル ス ・モリ エソデ ィ) を 積 極 的 に習 得 さ せ 、 第 三 の
直 しと再評価を促す。
⑪ 時 間 の貴 重 さ を 発 見 し、 人 間 の創 造 的 次 元 を刺 激 し 、 価 値 観 の見
備 す る た め の助 け と す る。
⑩ 葬 儀 の役 割 に つい て 理解 を 深 め 、 自身 の葬 儀 の方 法 を選 択 し て準
と され る。
③ 感 情 の レ ベ ル で は、 死 が 引 き 起 こす 様 々な 感 情 の問 題 と の対 決 が
行 な わ れ る 。 特 に、 極 端 な 死 の恐 怖 を 緩 和 す る こと は 、 臨 死患 者 と の
④ 技 術 の レ ベ ル では、 死 にゆ く 患 者 と の 具 体 的 な か か わ り に 必 要 な
コミ ュ ニケ ー シ ョ ソを 円 滑 にす る た め に も重 要 であ る。
技 術 の 習 得 が 行 な わ れ る。 こ の場 合 、 ① 、 ② 、 ③ の レ ベ ルを前 も って
良
奈
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第20号
要
紀
大 学
人 生 (老 年 )を 豊 か な も のと す る 。
⑬ 個 人 的 な 死 の哲 学 の探 究 。 文 化 的 ・教 育 的 背 景 に よ って制 約 さ れ
た 死 に 関 す る 社 会 的 ・心 理 的 ・イ デ オ ロギ ー 的 固 定 観 念 か ら人 間 を 解
放 し、 各 人 が 死 に つい て自 分 な り の個 性 的 な 理解 を 自 由 に選 び取 る こ
と が で き る よ う 積 極 的 に援 助 す る 。
⑭ 宗 教 に お け る 死 のさ ま ざ ま な 解 釈 を 探 る。 そ の際、 生 き が い と 死
にが い の 相 互 関 係 に つい て も考 察 す る 。
⑮ 死 後 の生 命 の可能 性 に つ い て積 極 的 に考 察 す る よう 促 す 。 そ の際 、
根 源 的 希 望 が 現 在 の生 活 に占 め る重 要 な 役 割 を 理解 す る。
以 上 が デ ー ケ ソが挙 げ る ﹁死 への準 備 教 育 ﹂ の十 五 の目 標 であ る が 、
そ の 一々 に つ い て コメ ソ トす る こ と は 筆 者 の能 力 を 超 え て いよ う 。
死 への準 備 教 育 は す で に見 た よ う に ﹁自 覚 を も って自 己 と 他者 の 死
に 備 え て の 心構 え を 習 得 す る ﹂ (傍 点 筆 者 ) も の であ る。 大 学 生 に対
る が、 特 に⑪ であ る。 筆 者 の専 攻 に も近 い領 域 であ り、 ま た大 学 生 に
と っ て最 も 大 事 な 事 柄 の 一つであ る と考 えら れ る か ら であ る。 そ の説
﹁多 く の人 は 、 あ た かも 時 間 が ま だ いく ら でも 自 由 に使 え る か の
明 と し て、 デ ー ケ ソは こ う続 け て い る。
よ う に、 日 々を た だ 漫 然 と 過 ぎ 去 る にま か せ てお り、 それ ゆ え充
実 し た生 を 送 る こと なく 、 散 漫 に生 き 、 貴 重 な 時 間 を 無 為 に費 や
し て い る。 死 への準 備 教 育 は 、 生 き る 時 間 が 限 ら れ て いる と いう
事 実 、 自 由 に な る 時 間 が 無 限 に あ る わ け では な いと いう 現 実 に人
間 の 目を 向 け さ せ よ う と す る。 自 己 の有 限 性 を 認 識 さ せ ら れ る の
は 、 け っし て愉 快 な 体 験 では な いが、 そ こ には積 極 的 な意 義 も存
在 す る 。 自 分 の時 間 が 限 ら れ て いる と悟 る こと に よ り、 私 た ち は
む
時 間 の貴 さ を 発 見 し、 そ れ に よ って残 さ れ た時 間 を よ り有 意 義 に
自 己 の創 造 的 能 力 を 開 発 す る こ と でも あ る。 ⋮ ⋮人 間 は誰 でも 持
﹁死 を 直 視 し 、 よ り密 度 の高 い生 き 方 を す る と は、 多 く の場 合 、
過 ご す こと が でき る よ う に な る。﹂
に つ い て言 えぱ 、 今 や 二十 世 紀 の名 著 の 呼 び 声 高 い E ・キ ュー ブ ラー
が 限 ら れ て いる と い う意 識 は 、 し ば し ば 潜 在 的 能 力 の 可能 性 を 今
し てな ら ば 主 と し て ﹁他 者 の死 ﹂ に関 す る も のと な る で あ ろ う が 、①
1ー ロ ス女 史 の ﹃死 ぬ 瞬 間 05 山Φo島 o巳 身 ぎ αQ﹄ に は、 ﹁死 へのプ ロ
セ ス の 五段 階 ﹂ な る 考 え 方 が 見 ら れ る 。 す な わ ち 、 ﹁否 認αΦ巳 鋤ご 、
す ぐ にも 実 現 す る た め の具体 的 な 動機 と な る 。﹂
若 い人 はま る で時 間 が 無 限 であ る か のよ う に、 生 を 浪 費 し て いる。
ヨ
て る創 造 的 才 能 のな に が し かを 眠 れ る ま ま に放 置 し て いる 。 時 間
﹁怒 り O口σ
QΦ昌 、 ﹁取 り 引 き び震 σq巴巳 昌σQ﹂ 、 ﹁抑 欝 αΦ胃 Φωωざ⇒﹂ 、
﹁受 容 ゆooΦb鼠昌oΦ﹂ であ り 、 デ ー ケ ソ 氏 は こ の後 に 第 六 の段 階 と し
③ の ﹁悲 嘆 教 育 ﹂ に つい ては、 デ ー ケ ソは ロ ス女史 の ﹁五段 階 ﹂ を
と し て の自 ら の有 限 性 の自 覚 、 つま り 死 の自 覚 こそ が 、 そ の人 の持 っ
死 への準 備 教 育 は 生 が 限 ら れ て いる こと を 自 覚 さ せ よ う と す る。 人 間
ヒ ソ ト に、 ﹁悲 嘆 のプ ロセ スの 十 二段 階 ﹂ と い う彼 自 身 の理 論 を 切 り
て いる潜 在 的 な創 造 的 能 力 を 発揮 さ せ、 充 実 し た生 を 送 ら せ てくれ る 。
ヨ
川 端 康 成 も ﹁あ ら ゆ る芸 術 の極 意 は、 こ の ﹃末 期 の 眼﹄ であ ら う。﹂と
て ﹁期 待 と 希 望 96Φo冨口8 碧 α げobΦ﹂ を 付 け 加 え て い る。
開 き 、 身 近 な 人 の死 よ り 受 け る悲 嘆 か ら いか に し て立 直 る か を 教 え て
言 った こと は よ く 知 ら れ て いる が、 筆 者 自 身 こ の点 を も う少 し敷 衛 し
ま た 、 主 と し て ﹁自 己 の 死﹂ に関 し ても 、 ⑮ にお け る ガ ブ リ エル ・
長 し﹂ (ヒ ッポ ク ラ テ ス) と言 わ れ て いる が 、 ﹁わ れ わ れ は 短 い時 間
セ ネ カ も ﹃人 生 の短 さ に つい て﹄ の中 で、 一般 に は ﹁生 は 短 く 術 は
てみ よ う Q
いる 。
マル セ ルの ﹁日常 的 希 望﹂ と ﹁根 源 的 希 望﹂ の区 別 等 、 興 味 深 いも の
は 他 にも 多 く あ る が、 拙 論 で取 り 上 げ た い のは② 、⑤ 、 ⑬ と も関 連 す
大町:死 へ の準 備 教 育 一 特 に大 学 生 に対 して一
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生 は 十 分 に長 く、 そ の全 体 が有 効 に 費 さ れ る な ら ば 、 最 も 偉 大 な こ と
を も って い る の では な く 、 実 は そ の 多 く を 浪 費 し て いる の であ る 。 人
﹁老 人 の顔 ﹂ 、 ﹁じ いさ ん﹂ い や ﹁じ じ い の顔﹂ と 表 現 し て いる。 写
の顔 を ﹁苦 虫 を 噛 み 潰 し た よ う な 顔 ﹂ と 評 し た あ と 、 こ れ は ま さ に
前 、 自 分 の歳 よ り 一回 り 以 上 も 若 い夏 目漱 石 (一八六 七 ∼ 一九 一六 )
演 ﹁漱 石 に つい て﹂ の中 で、 有 名 な 書 斎 で の写 真 に触 れ て、 こ の五 十
お を も 完 成 で き る ほ ど 豊 富 に与 え ら れ て いる 。 ⋮ ⋮ 人 生 は使 い方 を 知 れ
十 三 歳 の自 分 は ﹁青 漢 垂 ら し た 小 僧 ﹂ であ り 、 五十 前 の漱 石 は す でに
真 の印 象 も そ う だ が、 書 いた も のを 読 ん でみ ても 、漱 石 と 比 べる と 六
お ば 長 い。﹂と 言 う。 そ し て ﹁人 生 の使 い方﹂ の キー ・ポ イ ソト こそ 死 で
あ り 、 自 ら の ﹁有 限 性 ﹂ 、 ﹁可 死性 ﹂ の自 覚 に他 な ら な い こと を 指 摘
﹁大 人 ﹂ で あ る こ と を ﹁認 め な い わ け に は ゆ かな い﹂ 、 そ の こ と は
す る の で あ る。
二葉 亭 四迷 (一八 六 四∼ 一九 〇 九 ) は 自 伝 的 小 説 ﹃平 凡﹄ (明 治 四
も ま た ま さ し く ﹁人 世 五 十﹂ の時 代 を 誠 実 に生 き 切 った 人 であ った ろ
﹁いく ら 地 団 駄 踏 ん でも ご ま か し よ う が な い。﹂ と述 べ て いる。 漱 石
﹁わ た し は今 年 三十 九 に な る。 人 世 五 十 が 通 り相 場 な ら 、 ま だ 今
十 一年 刊 ) の 冒 頭 、 主 人 公 ﹁わ た し﹂ に こう 言 わ せ て いる。
日 明 日穴 へは いろ う と も 思 わ ぬ が、 し か し 未 来 は長 いよ う でも 短
わ れ わ れ の寿 命 は ﹁た だ伸 び た﹂ だ け では な いか 、 ﹁ゴ ムを ズ ー ッと
と は わ れ われ に そ の こと の是 非 に つい て問 題 を 突 き付 け て いる と 言 う。
中 野 は さ ら に今 日 の 平 均 寿 命 の著 し い伸 長 に触 れ て、漱 石 を 読 む こ
う。
て る う ち に い つし か こ の世 の隙 が 明 い て、 も う お さ ら ば と いう 時
いも の だ。 過 ぎ 去 って しま えば 実 にあ っけ な い。 ま だ ま だ と い っ
節 が 来 る。 そ の時 にな って幾 ら あ が いた っても が いた って追 っ つ
に よ って、 われ わ れ は ﹁本 当 に いろ いろ 苦 労 し 、 勉 強 し て、 だ ん だ ん
引 っ張 った よ う に伸 び た﹂ だ け な の では な い のか 。 寿 命 が 伸 び た こと
い や、 し か し わ た し も 老 い 込 ん だ。 三十 九 に は老 い込 み よ うが
か な い。 覚 悟 を す る な ら 今 の う ち だ。
ぬ に人 間 と し て高 ま ってきた のか、 深 ま ってき た のか、 力 量が 大 きく な っ
チ ト早 過 ぎ る と いう 人 も あ ろ う が、 気 の持 ち 方 は年 よ り も 老 け た
方 が よ い。 そ れ だ と 無 難 だ 。﹂ (傍 点 筆 者 )
てき た の か﹂ と、 プ ラ ト ソ の ﹁大 切 にし な け れ ば な ら な い のは 、 た だ
ヨ
生 き る と いう こ と では な く て、 よ く 生 き る と いう こと な のだ。﹂と いう
叢 書 ﹃死 を考 える﹄ の中 の ﹁アメ リ カに お ける デ ス ・エデ ュケ ー シ ョ
主 人 公 の よ う に 四 十 近 く に な って、 残 り ﹁あ と十 年 ﹂ と 考 え 、 言 わ
二十 代 で ﹁人 生半 ば ﹂ と考 え る の と、 今 の学 生 のよ う に ﹁青春 真 只 中﹂
ソ﹂ (若 林 一美 ) に よ れ ば 、 ア メリ カ の ﹁死 への準 備 教 育﹂ は ﹁高 齢
ぱ ﹁死 に支 度 ﹂ を 開 始 す る の と、 わ れ わ れ の よ う に ﹁人 生 半 ば ﹂ と考
いる。
言葉 を 思 い起 こ さ せ る よ う な 、 倫 理 的 に極 め て重 大 な 問 いを 提 出 し て
と 考 え る の と で も、 そ の生 き 方 は根 底 か ら 異 な る で あ ろ う 。 現 に 二葉
え 、 そ ろ そ ろ ラ イ フ ・ワー クを と重 い腰 を 上 げ る の と では 、 あ る い は
亭 は 朝 日新 聞 社 特 派 員 と し て渡 った ロシ ア、 ペ テ ル スブ ルグ に て肺 を
いる が 、 事 情 は わ が 国 でも 変 わ ら な い。 つま り 、 自 分 の死 を でき る だ
け彼 方 へ追 いや り、 そ のこと によ って現 在 の生 が と めど な く希薄 に な っ
化 と 医 療 技 術 の進 歩 ﹂ と いう 社 会 状 況 の中 で生 ま れ てき た と 指 摘 し て
こ のよ う な主 人 公 の ﹁覚 悟 ﹂ も 決 し て早 す ぎ は し な か った と いう こ と
患 い、 そ の帰 途、 イ ソド洋 上 で 四十 五年 の生 涯 を 閉 じ た こと を 思 え ば 、
てき て い る。 ﹁高 齢 化 ﹂ す な わ ち 平 均 寿 命 の著 し い伸 長 の下 で、 い か
に 生 き る べき か と いう新 た な 難 問 が 顕 在 化 し てき て いる の であ る 。
にな る 。
同 様 の テ ー マで、 中 野 重 治 は昭 和 四 十 年 、 六十 三歳 の 時 行 な った講
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第20号
紀
要
大 学
良
奈
の 理、 口に 知 って心 に知 らず ﹂ 、 ま た ﹃徒 然 草 ﹄ の ﹁死 は 前 よ り し も
ゼ
来 た ら ず 、 か ね て後 に迫 れ り。﹂ (百 五 十 五段 ) な ど が あ った 。 死 を 自
り 顔 に 見 ゆ れ ど も 、 先 づ 死 の近 き 事 を 知 る 人 、 希 な り﹂ 、 ﹁生 者 必滅
思 はざ り し を﹂ は さ て お き、 鈴 木 正 三 の ﹁人 々、 身 の上 を 弁 え 、 我 知
有 名 な業 平 の辞 世 ﹁つい に ゆ く 道 と は か ね て聞 き し か ど 昨 日今 日 と は
こ の間 読 んだ 死 に つ い て の警 句 の中 で、 あ ら た め て納 得 した も の に、
を 深 く 考 究 す る に つれ、 自 然 に人 生 の根 本 問 題 への関 心 が 生 ま れ てき
え さ せ よう とす る試 み であ る 。 ﹁幸 い学 生 の多 く は 死 にま つわ る 問 題
何 を 語 る べき か に つ い て、 じ っく り 考 え さ せ る 。
人 な ど 誰 でも よ いが、 自 分 の親 し い人 に言 わ ぱ 最 後 のあ いさ つと し て
る 手 紙 を 書 か せ る の であ る 。 いず れ も 無 記 名 。 宛 先 は 両 親 、 兄 弟 、 友
な な け れば な ら な いと いう 状 況 を 想 定 し て、 残 さ れ る 人 に別 れ を 告 げ
五、 死 への準備 教 育 の課 程 内 容
よ り よ き 生 を 目 指 す よ う にも な る。
身 の価 値 観 を 自 覚 す る こ と にな り、 自身 の価 値 観 を 批 判 的 に検 討 し、
て いる 。﹂と デ ー ケ ソは 言 って いる。 死 を 論 ず る こと に よ り 、 学 生 は 自
これ ら の論 文 の ね ら いは 、 学 生 に対 し て生 と 死 の問 題 を 集 中 し て考
覚 し た生 き 方 と は 、 し か し古 来 か く も 困 難 な も の な の で あ ろ う 。
四 、 死 への準 備 教 育 の方 法
死 への準 備 教 育 は基 本的 に ﹁生 涯 教育﹂ であ って、 ﹁子供 に対 し て﹂ 、
﹁中 ・高 校 生 に対 し て﹂ 、 ﹁大 学 生 に 対 し て﹂ 、 ﹁中 年 期 の危 機 に際
が い) を 見 い だ す か 否 かも 私 達 が 死 に 対 し てと る 態 度 と密 接 に関
ま
連 し て いる 。﹂
人 間 と 死 と の 本 質 的 な 関 係 性 を 考 究 し てき た 。 人 生 に意 義 (生 き
て死 の問 題 と 取 り 組 む こと が 望 ま し い。 古 来 、 あ ま た の哲 学 者 が
﹁大 学 生 の レ ベ ル では 、 さま ざ ま な 哲 学 的 人 間 解 釈 の 研究 を 通 じ
⑥ 愛 と 死 、⑦ 死 と ユー モ ア、⑧ 美 術 にお け る 死 、⑨ 音 楽 と 死 、⑩ 文 学
る権 利、 ④ 死 への恐 怖 と そ の理 解 、⑤ 死 にゆ く 患 者 への援 助 と ケ ア、
で実 際 に 行 な って い る講 義 の テー マを 列 挙 し て いる 。
取 り 上 げ ら れ る テー マは 変 わ る であ ろ う 。 デ ー ケ ソは 自 ら 上 智 大 学 等
マは 多 岐 にわ た る 。 担 当 す る教 員 の専 門 分 野 や興 味 ・関 心 に よ っても
す で に見 た よ う に、 死 への準 備 教 育 には 十 五も の 目標 が あ り 、 テー
し か し な が ら 、 死 への準 備 教 育 は ﹁単 な る 知 識 の伝 達 ﹂ であ っては
に お け る 死 、⑪ 安 楽 死 、 ⑫ 自 殺 と そ の防 止 、⑬ 死 の判 定 と 臓 器 移 植 、
のわ れ われ の関 心 は 大 学 生 に対 す る も の であ る 。
し て﹂ 、 ﹁第 三 の人 生 (老 年 ) に臨 ん で﹂ に分 類 され て いる が 、 目 下
な ら な い。 学 生 が 死 に 目 を 向 け 、 死 に つ い て自 ら 進 ん で思 考 す る よ う
⑭ 悲 嘆 のプ ロセ スに お け る人 格 成 長、 ⑮ 世 界 各 国 に おけ る 葬 儀 の風習 、
い く つか 不 安 が あ る 。 以 下 では そ の不安 を でき る だ け整 理 し てみ る こ
今 後 、 ﹁死 への準 備 教 育 ﹂ を 実 際 に行 な う に あ た っては 、 筆者 自身
六 、 死 への準 備 教 育 の 問 題点
十 五 の 目 標 と 重 複 す る 部 分 も 多 く 、 こ れ 以 上 の説 明 は 行 な わ な い。
① 死 の意 義 、② 死 へのプ ロセ スの 六段 階 、③ 告 知ー 末 期 癌 患 者 の知
し む け る こと が 大 切 であ る 。 死 の自 覚 の難 し さ を 念 頭 に お い た 上 で の
⑯ ホ スピ ス、⑰ 宗 教 にお け る 死 の解 釈、 ⑱ 死 後 の生 命。
ひ と つは ﹁も し あ と半 年 の命 し か な か った ら 、 残 さ れ た 時 間 を ど の
こ と であ ろ う 、 デ ー ケ ソは 講 義 の中 で 二 つの 小 論 文 を 書 か せ て い る。
よ う に過 ご す か。﹂で、 あ ら か じ め 、 自 分 が ガ ソな ど の不 治 の病 に お か
さ れ、 医 師 か ら あ と半 年 の 命 と告 げ ら れ た場 合 を 想 定 す る よ う説 明 し
も う ひ と つは ﹁別 れ の 手 紙﹂ であ る 。 自 分 が 不 治 の病 で間 も な く 死
て お く。
大 町:死 へ の準 備 教 育一 特 に大 学 生 に対 して一
19
続 けた こ の著 作 は 、 宗教 に関 す る知 識 な ら お そらく 世界 的 な 学者 であ っ
教授 で宗 教 学 者 の岸 本 が 自 身 ガ ソと 戦 いな が ら 十 年 にも わ た って書 き
先 ほ ど 引 用 し た 箇 所 に も、 ﹁人 生 に意 義 (生 き が い) を 見 いだ す か
い って、 ﹁素 手 で﹂ 巨 大 な 死 に立 ち 向 か う 壮 絶 な 戦 い の記 録 であ る。
た 氏 が 、 自 ら は ﹁死後 の 世 界﹂ を ど う し ても 信 じ る こと が でき な いと
とにしよう。
に、 死 への 準 備 教 育 を 行 な う に あ た って、 死を ど う捉 え る か は 重 要 な
フ ラ ソ スの モ ラリ ス ト、 ロシ ュフ コー は ﹃箴 言 集 ﹄ の中 で ﹁太 陽 も
らず に 自 分 の悲 惨 を知 る こと は、 絶 望 を 生 み だ す。 ﹂ と 言 う。 そ れ に
﹁自 分 の悲 惨 を 知 らず に神 を 知 る こと は、 高 慢 を 生 み だ す。 / 神 を知
き も の も あ る 。 今 の筆 者 に は 死 は いく つも の顔 を 持 つ。 パ スカ ルは
死 への準 備 教 育 を行 な お う と す る 私 自身 、 死 の恐 怖 と 共 に信仰 ら し
否 か も 私達 が 死 に対 し て と る態 度 と 密 接 に関 連 し て いる。﹂と あ る よう
こ と で あ る。 そ れ が 明 確 に な れ ば 、 死 への対 応 も 自 ず と決 ま ってく る
死 も じ っと 見 つめ る こと は でき な い。﹂と 書 いた 。 あ ま り に も有 名 な 話
続 く彼 の結 論 は ﹁イ エ ス ・キ リ スト を 知 る こと は 中 間 を と ら せ る。 な
と 言 っ てよ か ろ う 。
であ る。 死 は今 な お 筆 者 に は幼 い時 に覗 いた あ の暗 く、 底 知 れ ぬ井 戸
ヨ
を 思 い起 さ せ る 恐 ろ し さ が あ る。
ぜ な ら 、 か れ に お い て わ れ わ れ は 神 と わ れ わ れ の悲 惨 と を 見 いだ す か
ヨ
ら であ る 。﹂と い う こ と に な る のだ が 、 自身 の問 題 と し ては な お先 のこ
し かし 死を ﹁じ っと見 つめる﹂ と ま ではゆ かな く とも、 死を ﹁見 る﹂ 、
と 共 に 大 き く 変 化 し て いる。 人 に 特 定 の死 の解 釈 を 押 し つけ る こと は
死 は 様 々な 貌 を 見 せ る。 モ ソ テー ニ ュにと ってす ら 死 の相貌 は 年齢
とに思える。
う 年 齢 に達 し て いる こと は 否定 でき な い。 ﹁死 への準 備 教 育 ﹂ に関 心
あ る い は ﹁眺 め る﹂ と いう こ と は し な け れ ば な ら な い。 筆 者 も そ う い
を 持 つ理 由 も そ れ であ った 。 パ スカ ルは ﹁神 を 知 ら ず に自 分 の悲 惨 を
でき な い。 学 生 に対 し ても 無 論 そ う であ る。 わ れ わ れ の役 割 は 、 デ ー
き
﹃人 は 死 ねば ゴ ミ に な る ﹄ と は 伊 藤 栄樹 の著 書 の題 名 であ り、 ま た 氏
命 であ る 死 を ば 、 自 ら ど のよ う に 解 釈 し、 ど のよ う に生 き る べき か を
を 死 ぬ た め の、 言 い換 え れ ば 人 間 と し て生 を 享 け た 限 り 、 不 可 避 の運
ケ ソも 目 標 の 一つに考 え て いる ﹁か け が え のな い﹂ ﹁自 分 自身 の死﹂
ね 知 る こ と は 、 絶 望 を 生 み だ す 。﹂と 書 い た 。 筆 者 も そ の 通 り だ と 思 う 。
自 身 の偽 ら ざ る覚 悟 でも あ った ろ う が 、 筆 者 ご と き 常 人 の真 似 でき る
A ・デ ー ケ ソ、 メ ジ カ ル フ レ ソド 社 編 集 部 編 、 ﹃ ︿叢 書 ﹀ 死 への準 備 教 育
︹主 要参 考 文 献︺
筆 者 に は そ れ 以 上 の こ と は でき そ う にも な い。
考 え る た め の基 礎 的 知 識 の提 供 と いう こと に止 ま る であ ろ う が、 今 の
も の では な い。
神 の存 在 を 教 え る こ と な し に、 死 への準 備 教 育 を 行 な う こ と は 可 能
だ ろ う か 。 言 葉 を換 え れ ば 、 信 仰 を持 た ず に死 に つ い て講 義 す る こと
は 可能 な の か。 倫 理 的 に ( ﹁倫 理的 に﹂ では 軽 す ぎ る よ う にも 思 うが 、
適 当 な 言 葉 が 浮 かば な い) 許 さ れ る のか ど う か と いう 不 安 で あ る。
死 への準 備 教 育 の意 義 を 積 極 的 に 評価 す る デ ー ケ ソ、 日野 原 重 明 は
も 慰 め 多 いも の であ り、 ま こと に有 り 難 いも の であ る 。 請 い願 わ く は
第 二巻 ﹃死 を看 取 る﹄
第 一巻 ﹃死 を教 え る﹄
UΦ讐ゴ 国α¢oo菖o口﹄ (メ ジ カ ル フレ ソド社 、 一九 八 六年 )
彼 ら の 信 じ る ご とく あ って ほし い と 思 う も の の、 他 方 では 、 ﹃死 を 見
第 三巻 ﹃死 を考 え る﹄
共 に キ リ スト 者 であ り、 来 世 を 信 じ る 人達 であ る。 そ の著 作 は いず れ
つめ る 心﹄ を 著 し た岸 本 英 夫 に畏 敬 の念 を禁 じ え な い の であ る。 東 大
20
第20号
要
学 紀
良 大
奈
曽 野 綾 子、 A ・デ ! ケ ソ編 、 ﹃生 と 死 を 考 え る ﹄ 上 智 大 公 開 セ ミ ナ !第 一集
(4) ﹃死 を 教 え る﹄ 、 二 頁
と ば﹄ (一九 八 六年 ) 。 ﹃心 にし み る 最 後 の言葉 ﹄ (日本 文 芸 社、 一九 八
(17 ) ﹃日 本 名 言 名 句 の辞 典 ﹄ (小 学 館 、 一九 八八 年 )。 中 公 新 書 ﹃辞 世 のこ
イ ド ー ソ﹄ 、 八 四 頁
(16 ) 田中 美 知 太 郎 氏 訳 、 新 潮 文 庫 ﹃ソー ク ラ テー スの弁 明 ・ク リ ト ー ソ .パ
(岩波 書 店/ N H K サ ー ビ ス セ ソタ ー 、 一九 八 八年 )
(15 ) 於 、 東 京 ・サ ソケ イ ホ ー ル、 ﹃カ セ ット で 聞 く 学 芸 諸 家 ︿第 2 集 ﹀ ﹄
(14 )岩 波 文庫 ﹃平 凡﹄ (一九 七 一年 )、 五 頁
(13 )岩 波 文庫 ﹃人 生 の 短 さ に つ い て﹄ (一九 八〇 年 )、 九 頁 ∼ 一〇 頁
(12 )現 代 日 本 の エ ッセ イ ﹃一草 一花﹄ (毎 日新 聞 社 、 一九 七 三 年 )、 八 三 頁
(11 ) ﹃死 を教 え る﹄ 、 三 九 頁
(10 ) ﹃死 を教 え る﹄ 、 三 八 頁
(9 ) ﹃旅 立 ち の朝 に﹄ 、 二五 九 頁∼ 二六 〇 頁
手 死 に 上 手﹄ (
海 竜 社 、 一九 九 一年 )、 三 九頁
(8) ﹃死 に つい て考 え る﹄ (
光 文社 、 一九 八 七年 )、 九 頁 。 ま た、 ﹃生 き 上
(7) ﹃身 近 な 死 の経 験 に学 ぶ﹄ 、 H 頁
(6) ﹃死 を教 え る﹄ 、 二頁
(5) ﹃身 近 な 死 の経 験 に学 ぶ﹄ 、 六 八頁 .
平 山 正美 、 A ・デ ー ケ ソ編 、 ﹃身 近 な 死 の経 験 に学 ぶ﹄ 同第 二集 (
春 秋 社、
(
春 秋 社 、 一九 八 四 年 )
重兼 芳 子、 A ・デ ー ケ ソ編 、 ﹃伴 侶 に先 立 た れ た時 ﹄ 同 第 三集 (
春 秋 社、 一
一九 八 六 年 )
・
い のち
曽 野綾 子、 A ・デ ー ケ ソ編 、 ﹃旅 立 ち の朝 に1 愛 と 死 を語 る往 復 書 簡 ﹄ (新
九八八年)
死 の準 備 と 希 望 ﹄ (
同 朋 舎 、 一九九 〇 年 )所 収
A ・デ ー ケ ソ著 、 ﹁死 への準 備 教 育 ﹂ 、 ﹃医 療 と宗 教 を 考 え る 叢 書
潮 文庫 、 一九 九 〇 年 )
の終 末
A ・デ ーケ ソ著 、 ﹁日本 にお ける デ ス ・エデ ュケ ー シ ョソはど う あ る べき か﹂ 、
﹃仏 教 ﹄ 別 冊 四 ﹁脳 死 ・尊 厳 死 ﹂ (
法 蔵 館 、 一九 九 〇 年 ) 所 収
A ・デ ー ケ ソ著 、 ﹁悲 嘆 教 育 OユΦh国α¢oo二〇口﹂ 、 ﹃死 生 学 ﹄ 第 三集 (技 術
A ・デ ー ケ ソ著 、 ﹁キ リ スト教 の 立場 か ら﹂ 、 ﹃新 し い生 命 倫 理 を 求 め て﹄
出 版 、 一九 九 〇 年 ) 所 収
(北 樹 出 版 、 一九 八九 年 )所 収
注
(18 ) ﹃身 近 な 死 の経 験 に学 ぶ﹄ 、 七 七 頁
六年)。
(19 ) 二宮 フ サ氏 訳 、 岩 波 文 庫 ﹃ラ ・ ロシ ュフ コー 箴 言集 ﹄ (一九 八 九 年 )、
拙 論 は 平 成 三年 四月 三 日、 第 一回奈 良 大学 教養 部 教 育 研 究 会 (於 、 教 養 部 共
同 研 究 室 ) で、 ﹁デ ス ・エデ ュケ ー シ ョ ソに つ い て﹂ と 題 し て行 な った 口頭 発
(22 ) 前 掲 断 章
総長。
(21 ) (新 潮 社 、 一九 八 八年 )、 副 題 は ﹃私 のが ん と の 闘 い﹄ 。 著 者 は 元 検 事
(20 ) 由 木 康 氏 訳 、 ﹃パ ソ セ﹄ 、 L 一九 二、 B 五 二七
一八頁
表 を 改 題 、 加 筆 修 正 し たも の で あ る。 司会 を し て いた だ いた 高 山 先 生 、 貴 重 な
(1 )昭 和 六 三年 六月 四 日。 こ の 発 表 の 内 容 は ﹃比 較 思 想 研 究 ﹄ 第 十 五号 (
比
御 意 見 を いた だ いた 先 生 方 に深 く感 謝 い た し ま す。
に転 載 され て い る。
較 思 想 学 会 、 一九 八 九年 ) に 掲 載、 ま た 前 掲 ﹃新 し い生 命 倫 理を 求 め て﹄
(2 ) ﹃死を 教 え る﹄ 、 五 二頁
(3 ) ﹃身 近 な 死 の経 験 に学 ぶ﹄ 、 六 七 頁
21
大 町:死 への 準 備 教育 一 特 に大 学 生 に対 して 一
L'educationdelamort
‐surtoutpourdesetudiantsa1'universite‐
IsaoOMACHI
Sommaire
Danscetessai'j'aitrait6decequ'est1'6ducationdelamort(c'est‐a-dire,enseignerala
personneapreparersapropremort)enconsultantAlfonsDEEKEN,pretre,professeura
1'universitedeSophia.
11considさrecette6ducationsousquatrepointsduvue:1.quatreniveaux;2.quinzebuts;
3.m6thode;4.contenuducours.
J'airesumesesconceptionsetpuffsj'aitraitesurtoutd'undesbuts,quiseraleplus
importantpourdes6tudiantsa1'universit6;inviterlapersonnead6couvrirlavaleur61ev6e
dutemps,astimulersapuissancecreatriceetarevisersonjugementdevaleurenchant
Platon,Senequeetquelquesecrivaintsjaponais.Endernierlieu,j'aienumerelesproblemesauxquelsjemeheurteraiquandjeferaimes
courssurcesujetaux6tudiantsjaponaisd'aujourd'hui.
∼