GKH019306

6
9
Fa
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r
b
a
i
r
nのシゾイ ド論 :分裂態勢
高
1.概
森
淳
要
Fai
r
ba
i
m ,W.
R.
D(
1
8
8
㌢1
9
6
4)は英国の対象関係論の創始者であ り,精神分析の第 2の出
発点 を劃 した 氾e
i
n,
M.に多大 な影響 を与 えた精神分析 家 で あ る。「
対 象 関係 O
b
j
e
c
t
r
e
l
a」 という用語 自体,彼の創案である。近年それに加えて心的外傷説の観点か ら Fa
i
r
b
ai
m
t
i
o
ns
が提唱 した,外傷 の際 に生 じる 「
悪 い対象 の 内在化」の磯制 が再評価 され ている (
岡野
1
9
9
5
)
。
Fai
r
ba
i
m は臨床では主にヒステ リー,シゾイ ド的な人,戦争神経症の人 を治療対象 とした
e
udの リビ ドー (
本能,欲動,快感) を中心 に据 え
ようであるが,そ うした臨床経験か ら Fr
た古典的な精神分析理論 を,自我 と対象 とい う観点か ら根本的に脱構築 しようと目論んだ。
中心的な理論的テーゼ として,「リビ ドーは本来快感希求的ではな く対象希求的である」 と
い うこと,心的エ ネルギー (
欲動, リビ ドー) と心的構造 は不可分 である (
力動 的構造の原
哩)
,言いかえるとリビ ドーは自我の機能であるということを掲げる。
i
r
b
ai
m は リビ ドー論 と本能論 (
死 の本能) を否定す る。そ して Fr
e
ud
こう した点か ら Fa
の リビ ドー論 を基盤 にす える Abr
a
ha
m の発達理論 も対象への依存 とい う視点か らみた全 く別
nf
nt
a
i
l
ede
pe
nde
nc
e
」か ら 「
移行段階 (
擬
種の発達論 に置 きかえる。そこでは 「
乳児的依存 i
似独立の段階)
」 を経 て 「
成熟 した依存 ma
t
ur
ede
pe
nde
nc
e
」へ といたる精神発達が想定 され
ている。ただ し,以下で も触れるように,精神 一性的発達段階のなかで 「口唇期」の用語だけ
は廃用 されない。む しろ口唇が本来的に対象関係的だ とい うことか ら,口唇期性 は最重要視 さ
れ,「
乳児的依存」の中身は口唇期の前期 と後期 とされ,口唇期 に精神 的障害のすべ ての原発
的起源 を集約 させ る。
Fr
e
udの提唱 した自我,イ ド,超 自我か らなる心的構造論 において も,Fai
r
ba
i
m はイ ドを
否定 し,その三部構造全体 を内在化 された対象 と力動的関係 を有する自我の観点か ら再構成す
精神内部構造 e
ndo
ps
yc
hi
cs
t
mc
t
ur
e
」 と称 される。 この 「
精神 内部構
る。そのモデルは,「
造」の着想 にはシゾイ ド的な人の夢の臨床が大いに寄与 した。
Fa
i
r
ba
i
m は 「
分裂性」 (
シゾイ ド)の問題 について精神分析学か ら本格 的に取 り組 んだ最
初の臨床家であ り,その記述 は汲め どもつ くせぬ豊か さをたたえた古典であ り,彼 に後続 して
「
分裂性」 を問題 に した,Wi
nni
c
o
t
t
,氾l
a
n,Gunt
ip,La
r
i
ngといった対象関係論の臨床家た
i
r
ba
i
m の独 自性の高い理論 については,本論の主題 である議論 に関
ちの橋頭壁 となった。Fa
9
9
5,Fai
r
bai
m
係す る必要最ノ
ト限度 に とどめ,その全貌紹介 は別 に譲ることとする (
相田 1
.
1
9
6
3,Gu
nt
ip1
r
9
61
,Ke
mbe
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g1
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0,Wi
s
do
m1
9
6
3)
2.シゾイ ド現象
Fa
i
r
ba
im は,顕在化 したシゾイ ド的状況 (
s
c
hi
z
o
i
d c
o
nd
i
t
i
o
n) として,精神分裂病その
70
天 理 大 学 学 報
s
c
hi
z
o
i
dc
ha
r
a
c
t
e
r
)
,一過怪
もの, シゾイ ドタイプの精神病質パ ー ソナ リテ ィ,分裂 的性格 (
の シゾイ ド状態の 4つ をあげる。 しか しなが らよ く観察する と精神神経症 において もシゾイ ド
傾向が潜在 してお り,次 にあげる症状や特徴 を有 している人ではそれが とりわけ当ては まる と
いう。
社会規範が遵守で きない,仕事 での集 中欠如,性格上の問題,性倒錯 の傾向,主訴の不 明瞭
さ,神秘的雰囲気
などである。
自己範晦,現実感の障害,離人感,既視体験,解離症状,過剰 な 自己意識
加 えて狂信家,煽動家,革命家,犯罪者 な どにもシゾイ ド現象 は見 られる とい う。 さらにも
つ とマ イル ドな形の ものはイ ンテ リと言 われ る人の うちに も見 出だす ことがで き,超俗,孤立
の態度,知性の偏愛 をその特徴 としてあげる。
以上の ように一見相違す る広 い範 囲にシゾイ ド現象 を見 て取 るわけだが, こうしたグループ
に包括 される人の共通 の特徴 として (1)万能的態度 ,(
2)孤立 し超然 とした態度 (
a
t
t
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ude
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ma
ndde
t
ac
hme
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)
,(3)内的現実への没頭 をあげる。
s
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ff
ut
i
l
i
t
y)があるO
またこうした人に顕著 な感覚 として不毛感 (
以上 の ように Fa
i
r
bai
m の い うシゾイ ド現 象 には特徴 的 な心 理力動 が あ る とはい う もの
の,臨床群 と しては分裂病 か ら正常者のスペ ク トラムの全 幅 を蔽 う範 囲でそ う した心の動 き
を,顕在的にか潜在的 にかは別 として,確認 しうるとす る ものである。そ こにはシゾイ ド現象
が顕現 している程度, シゾイ ド現象へ の対処法 に応 じて,精神 的な正常 一異常 のスペ ク トラム
上の位置づ けが変 わって くる とい う含みがある。
Fa
ir
ba
ir
nは 「
分裂的 (
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c
hi
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o
i
d)
」 に 「自我の分裂 (
s
pl
i
t
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i
ngo
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go)
」 を合意 させ る。そ
して 「自我の分裂 (
s
pl
i
t
t
i
ng)は普遍的な現象であるc Lか しむろんその分裂 の程度 は人 によ
1
9
4
4/1
9
5
2 p1
31
) といい, さらには 「こころの基本的 な態勢 (
po
s
i
って さまざまである」(
t
i
o
n)は,み な一棟 に分 裂態 勢 (
s
c
hi
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s
i
t
i
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n)で あ る」 (
1
9
4
0
/1
9
5
2 p8) とさえい
う。
口唇期前期 とい う最早期 の心 の構造 を Fa
i
r
bai
m は「
基本的 な精神内部構造 b
as
i
ce
ndo
ps
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hi
cs
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uc
r
t
ur
e
」 と称す る。分裂態勢 はこの基本 的な精神内部構造その もの と重複す る と考 え
られ る。それ ゆ えに 「
分裂態勢」 は 「こころの基本 的 な態勢」であ る と Fa
i
r
ba
i
m はい うの
である。
Fai
r
「
実際 もっとも r
正常 な』人に さえ,最深 レベルではシゾイ ド的な潜勢が存在す る」(
bai
m 1
9
41
/1
95
2 p5
8) と考 え られ,ス トレス フルな状況下 で誰 しもうつ状 態 にな りうる
可能性 があるの と同様 に,正常 な成人であ って も外傷 的 な環境,例 えば Fa
i
r
ba
i
m が 目に し
た ように,戦 闘状況下 にあ っては この分裂態勢 が再賦活 す る。 また Fa
i
r
ba
i
m は 自我 の分裂
が普遍的であるこ との証左 として夢のなかで,夢見手の 自我が分裂 して,それぞれが登場人物
として人格化 され ることをあげる。
したが って分裂態勢 にみ られる心 の布置 自体 は,口唇期前期の常態その ものであ り,口唇期
前期以後 も存在 しつづ けて,折 りあ らば再活性化 す る もの と考 え られ てい る。 これ は Kl
e
i
n
の提 唱す るふ たつの態勢
,「妄想 一分裂態勢」,「抑 うつ態勢」 にい う 「態勢」 とい う考 え方 と
同様 の ものである。Fa
i
r
ba
i
m は口唇期後期 の心 の布置 と して,me
i
nの抑 うつ態勢 を分裂態
勢 と対照 して掲げる。
この ように分裂態勢の構造 自体 は正常か らの逸脱ではない。 シゾイ ドパ ーソナ リテ ィは,分
裂態勢 (
口唇期前期)へ の固着 ない しは退行 として考 え られている。口唇期前期へ の固着が坐
71
Fai
r
bai
m のシゾイ ド論 :分裂態勢
じるのは,単 にこの時期の対象関係が満足のゆ くものでなかったか らというのではない。その
ことが精神病理的影響 を持つ ようになるのは,同様の不満足 な対象関係が,続 く児童期早期の
数年 にまで持続 した場合 であるとい う。
3.シゾ イ ドパ ー ソナ リテ ィに見 られ る リビ ドー的態度 (口唇期前 期 の リビ ドー的態 度 )
口唇期前期 とは乳児の生後一年 日の前半,未だ歯が生えぬ半年の期間を指 し,口唇期後期 と
はそれ以降の半年 を概ね指す。
シゾイ ド現象 (
分裂現象)はその口唇期前期の固着 に起源するため,シゾイ ドパーソナ リテ
i
r
bai
m
ィの特徴 は,口唇期前期 に固有 な リビ ドー的態度'
の特徴 を誇張 した ものである と Fa
は言 う。そ こで Fai
r
bai
m の挙 げた 4つの口唇期前期 の特徴 をあげつつ, シゾイ ドパー ソナ
リティの特徴 を記述する。
(
a)部分対象関係
乳児の母親 との関わ りは全体存在 としての母親 という個人に対す るもの (
全体対象関係)で
はな く,授乳時 における乳房 という身体器官 を通 じた ものに限 られている。母親はいまだ乳房
とい うレベルで自分 にお乳 を与 える もの,自分が空腹 を満たすための もの といった意味あいが
強い。
シゾイ ドパーソナリテ ィの人はこの レベルの関係様式 を後 々まで引 きずってお り,口唇期前
期 と同様 に他者を部分対象 として扱 うことがある。つ まり相手 を自分 とは別個の独 自性のある
人格 として扱 わず,自分の欲求 を満たすための単 なる手段 に股めることがある。 ここでは対象
に対する感情が撤去 され,対象が非人格化,モノ化 されている。
この特性 は Kr
e
t
s
c
hme
r(
1
95
8)が分裂気質の 3つのサ ブタイプの うちで 「
無感覚者,冷酷
者,ひね くれた変わ り者」 としてあげた一群 に特 に明瞭化 している と考えられる。他者は, 自
分の欲望の観点か らしか見 られてお らず,その人独 自の意思や感情や欲求 を自分 とは無関係 に
もつ存在 としては想定 されていない。
シゾイ ドパーソナ リティにみ られる部分対象関係への傾性 は,ある退行現象であると考 えら
れる。それは口唇期前期 に続 く次の段階で,両親, とくに母親 との間で満足な情緒的関係が結
べ なかったことに起因する。 こうした退行 を誘発 しやすい母親 とは,子 どもを自分の一部の よ
うに扱 う (
po
s
s
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s
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i
ve)母親や子 どもに無関心 な (
i
ndi
fe
r
e
nt
)母親であ り,最悪 なのはその
両方の要素 を兼備 した母親であるとい う。そ うした母親の もとでは,子 どもは, 自分が一個の
人格 として愛 されていると感 じることがで きない。 シゾイ ドパーソナリテ ィが他者 に見せる態
度 は,かつては母親 とのあいだで受身の立場で経験 した体験 と,同様の ものであると考えるこ
とが出来 よう。
pe
r
s
o
nal
) としての基盤 にたった情緒的交流が維持で きないため,
子 どもは人格全体の個 (
それ以前の より単純な部分対象 としての乳房 との関係 を再活性化 させ る。関係 を単純化 したい
ために しば しば情緒的接触が身体接触 に置 き換 えられる。
,
,
対象の脱人格化 de
per
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nal
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」 「
対
こうした部分対象関係への退行では 「
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heo
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hi
p」が生 じている。
象関係の脱情緒化 de
(
b) リビ ドー的態度において 「受け取 る t
aki
ng」 ことが 「与える gi
vi
ng」 ことにまさる傾向
口唇期前期では,対象 との リビ ドー的関係 (
愛情的関係)は,授乳 とい うことが中心で,こ
こでは授けられる,つ まり相手か ら受 け取るとい うことが主たる関わ りで 茸 (
排継物は 自己
あ
の創造物 を与 える関わ りにな りうるが,それはむ しろ,対象への価値切 り下げ と拒絶であ りう
72
天 理 大 学 学 報
る)。乳児 にとって受 け取 るこ とは,体の内部 に食べ もの を保持す るこ とに等 しい。加 えて成
人 において も体の内部 は心 の内部 と深層心理 においては同等視 されている。 したが ってシゾイ
ドパ ー ソナ リテ ィの人 は,授乳 での口唇 的体 内化の態度 に伴 う体の中身への過剰評価 を反映 し
て, 自分 の精神的な内面世界 を過大 に評価す る傾 向 をみせ る。
それに連動 して彼 らは情緒的な意味で相手 に与 えることについて抵抗感 を覚 える。そのため
プライヴァシーや感情 を他者 に披涯す ることが難 しい。 ここか ら自己輪晦や神秘的雰囲気が生
じて くる。 また与 えることは精神的な内容物 を喪失す ることを意味 し,人 といると疲弊 し,脱
力感 を覚 え, 自分の人格が貧弱化 した と感 じる。 シゾイ ド性格者 は, こうした感情喪失 を防衛
しようと引 きこもる。
与 えることが出来ない困難 を克服す るため にシゾイ ドパ ー ソナ リテ ィの人は (
a)役割演技
,
b)文芸,芸術活動 を典型 とした 「
見せ る」 「
見せ び らかす」行為 を妥協方策 と して使用
と (
す る。
(
C) リビ ドー的態度における書込み (
i
ncor
por
at
i
on) と内在化
子 どもは自分が まるで母親の延長 ない しは所有物の ようで,母親 とは別個 の独 自の 自立性 ・
自発性 をもった一個の人間 として愛 されていない と感 じることがあるO また母親 に対す る自分
の愛情が良い もの として評価 され,喜んで受 け容 れ られていない と感 じることがある。
その ような場合,子 どもは自分 の愛情 を外側 に向か って表現 す るこ とを悪 い こ とだ とみ な
し,愛情 を良い もの としてお くために,それ を心の内側 に しまってお くようになる。加 えて,
自分の愛情表出 を悪 しきものだ と感 じるのみ な らず,それが般化 されて愛情 関係一般 を悪 い も
pr
e
c
ar
io
us
) だとみなす ようになる。
の,少な くとも当てにならず剣呑 な もの (
こうした結果, 口唇活動 さなが らに対象 を呑み こむことによって内側 (
内的世界) に取 りこ
み貯めてお こうとす る。いわば宝 を内に積 む といった ような ものである。そのため内的世界 は
過大評価 をうけ, シゾイ ドパ ー ソナ リテ ィの人は, 自己の内面 に価値 を置 く。その人は次第 に
「
内向的」 になってゆ く。そ こか らは知性の重視,秘密主義,秘匿 された内的な優越感 (
内界
の過大評価 と密かな自己愛の肥大)が生 じる。
内在的対象 は過度 に重要視 されてお り, こうした対象 を密かに所有 している とい う感覚か ら
は 「自分 は人 とは違 っている」 とい う感覚が生 じ, これは一方で 「自分 は人 と外れた変人」 と
い う感覚 とも結 びっいているO こう した人は仲 間集団か らひ とり外 れていることを主題 とした
夢 を良 く見 る。
Fai
r
bai
m
このほか 「
内的現実 と外 的現実 を適切 に区分 しそ こなうとい うシゾイ ドの特徴」 (
1
9
4
0/1
9
5
2 p1
3)に も注 目すべ きであろ う。春込みが優勢 な対象 関係 では 自己の内外 の区
別が不明瞭化 しやす く,能動 一受動の反転 も生 じやすいOそれ らはときに現実感の障害や 自我
境界 の不鮮 明化 (自他 の未分化状態) として表現 される。
(
d)充溢 (
f
uJ
l
nes
s) と空貞 (
empt
i
ness)の重要視
乳児 は授乳の欲求が満た されない と空腹 を感 じ, 自分が空 っぽで空虚 になった と感 じる。一
方, 自分がお乳 を吸 って春込 むことで,愛情対象 (
乳房)が空 っぽになって消耗 し,消滅 した
のではないか と感 じる。子 どもは 自分の リビ ドー的 (
愛情希求的)欲求が乳房 を破壊 し,消滅
を引 き起 こ したのではないか と危倶す る。 これは乳房 にとどまらず,母親その もの を破壊 ,潤
滅 させ た と体験 されるOむろん乳児の意図 と しては破壊す るつ もりはないのだが,結果 として
な くなった以上
原 因は自分の リビ ドー活動 にある と解釈 し, 自分の リビ ドー欲求 を破壊 的で
危険な もの として体験す る。乳児の認知機能が成熟 して くると,対象 は消滅 したのではない こ
Fai
r
b
ai
m のシゾイ ド論 :分裂態勢
7
3
と, 自分の呑込み欲求が対象 を破壊 したのではないことがわかって くる。
しか し口唇期前期 に固着がある場合, とくに自分が愛 されるとして もそれは誰かの所有物の
ようにであ り,ひとりの人間 としてその固有の存在 自体が尊重 され愛 されているのではない,
自分の愛情が良い もの として評価 され受容 されていない と感 じられる場合 には,先の不安が再
燃賦活する。つ まり自分の愛情的感情が,相手 を消耗 させ は しないか,相手 に損傷 を与 えは し
ないか といった不安が高 まる。
そ うなると子 どもは,母親が 自分 を愛 して くれないのは,元 はといえば自分の方が母親の優
しい愛情 を台無 しに して しまったか らであ り, 自分の愛情が受 け容れ られないのは, もともと
自分の愛情が破壊的で良 くない ものだか らだ と感 じる。
4.シゾイ ドパーソナ リティの リビ ドー的態度から帰結する 3つの悲&1
口唇期前期の分裂態勢 において優勢 な不安 は,以上みて きたことか ら分かるように 「自分の
愛情が母親の愛情 (
良い もの) を破壊す るのではないか」 とい う命題 に集約で きる。悪 しきも
のは, 自分の愛情である。
i
r
bai
m は Kl
e
i
nの提 出 した 「
抑 うつ態 勢」 を想定 す る
口唇期後期 の心 的態勢 と して Fa
が,そこでは 「自分の攻撃性 (
憎 しみ)が母親の愛情 を破壊す るのではないか」 とい う不安が
主題 になる。 ここでの悪 しきものは自分の憎 しみである。 この場合, 自分の愛情 を良い もの と
して保持 しうる。
分裂態勢での 「自分の愛情が母親の愛情 を破壊する」 とい うことと,抑 うつ態勢での 「自分
の攻撃性 (
憎 しみ)が母親の愛情 を破壊する」 こととの懸隔は大 きく,前者の,自分の愛情が
対象 を破壊するとい う事態 は後者 に比べ はるかに解消 しがたい難事である。
口唇期前期の愛情希求 (リビ ドー的態度)は身体活動 としての摂食であ り,それは生命活動
その ものに直結 している。 したがって リビ ドー的態度 (
愛情希求) を悪 しきもの とみなす姿勢
は 「自分の生命活動 自体が悪である」 とする感覚 に連続 しうる ものであろう。
口唇期前期の リビ ドー的態度, これは後の成人言語で細分化 して言 えば, 自分 に必要なもの
を要求すること,相手か ら愛情 を求めること,相手 に愛情 を示す ことということになろうが,
そうしたことが抑制 され ざるをえな くなる。なぜ なら,そ うした感情は相手 に害 を為すや もし
れぬ と無意識的に思われるか らである。
このことを考 え合わせ るとシゾイ ドパーソナ リテ ィの人が情緒的に相手 に与 えることが出来
ないの も当然である。 シゾイ ド傾 向 をもった人が 自分の愛情 を心のなかにしまいこんでお くの
は,価値あるものを惜 しくて手放せ ないか らだけではな く,自分の愛情 はとて も危険で 自分の
愛情対象 に差 し向けることが出来 るような代物ではないと思 っているか らである。愛情 を大切
に金庫 に保管するのみでは不充分で,他人に危害 を加 えない ように程の中に閉 じ込めておかな
くてはならない と感 じているか らである。
自分の愛情への評価 と鏡像の ように対 をな して,他者の愛情 も同様 に危険なものだ とい う解
釈が さらに付加わる。その場合, 自分の リビ ドー対象は,口唇的な呑込みのイメージを反映 し
て,自分 を遠慮会釈 な く余 り食 う,腹 をすか した狼の ように食欲 な姿 として体験 される (
言う
まで もな くこの貧食の狼 は愛情 を希求する際の 自己 イメージで もあ 岩
)
。 これは,被害感 を伴
った不安,つ まり相手か ら 「
食い ものにされる」不安体験である。そのためシゾイ ドパーソナ
リテ ィの人は,自らが人 を愛する危険に対 して も,人か ら愛 される危険 に対 して も防衛 しない
といけない。それゆえ情緒的接触へ と駆 り立てる リビ ドーの根本傾向を全面的に抑圧 し,人 と
7
4
天 理 大 学 学 報
の情緒的関係 か ら引 きこもるのである。彼 らは人 を愛す ることも,人か ら愛 されることも自ら
に禁 じようとす る。
さらには愛情的関係 か ら引 き離れ るのみ ならず, よ り積極的 にそれ らを攻撃性 によって遠 ざ
け ようとす る。つ まり自分が愛情 を向ける,あるいはそ こか ら愛情 を得 たい と切望す る リビ ド
ー対象 と喧嘩 した り,相手 を侮辱 した り,相手の前で粗野 に振舞 った りす るのである。そ うす
ることで相手か ら嫌 われ,憎 しみ を受 けるように もってゆ き, 自分 を愛情的 な関係 か ら遠 ざけ
ることに成功す るのである。 自身が他者 に向ける愛情 も他者が 自分 に向ける愛情 も共 に憎 しみ
へ と取 りかえられるのである。
こう したことを考 え合 わせれば, シゾイ ドパー ソナ リテ ィに とって他者の安易 な親切や好意
の類が救い とならないのは 自明の ことであろ う。「
能動 的 な愛が恐怖 か ら数 えないの は,宗教
家 と心理学者の観察が一致するように,恐怖 の最深の核 は,愛 その ものに対す る恐怖 だか らで
Hi
l
l
ma
n
ある」 O(
1
9
6
7 邦訳 p3
2)
。彼 らは,は るか遠 くか ら愛す る こと,はるか彼方 か ら
愛 されること しか 自らに許す ことがで きない。
さて ここでは愛情が憎 しみに置 き換 え られているのだが,愛情が憎 しみ に置換 され るには 2
つの理由がある とい う。第一は愛情 関係か ら締 め出 されているうえは,いっそ憎 しみや破壊 か
ら得 られる悦 びに身を任せ,人か ら恐れ られるような破壊力 を もった強力 な 自分 を良 しとす る
こと。 これは不道徳 な動機 とい える もので,喰 えていえば悪魔 と契約 を結 び,「
悪 よ,汝 わが
善 とな りたまえ」 と祈 るような ものである。 この動機が革命家や売 国奴 を生み出す。 ここには
自身の攻撃性が リビ ドー化 され る とい う倒錯 をみて とることがで きる。
次 に自分が愛情対象 を破壊 させ る として も,それが 自分の愛情 によるものであるよりは,憎
しみによる方が, まだ しもだ と思 われるためである。それは, 自分の憎 しみ に限 らず,憎 しみ
とい うものが誰 に とって も破壊性 を意味す る悪 しきものだか らである。 これは前者 に比 して道
徳 的動機 といえる。
i
r
bai
m は シゾイ ドパ ー ソナ リテ ィの
上述 して きた こ とを Fa
「3つ の悲劇」 と して要約す
る。第 1の悲劇は 自分の愛情が愛す る者 を破壊す るように感 じて しまうこと。つ まり本来善で
あるべ き自分の愛情が悪 しきもの となること。第 2の悲劇 は愛情が憎 しみに置 き代 わって しま
l
い
る。 ここでは,愛 とい う善が
うこと。つ まり本来悪 しき憎 しみが,本来愛情 とい う善のつ くべ き座 を代 わ りに占め ること。
第 3の悲劇 は第 1,第 2の悲劇か ら導かれ る道徳 的価値転倒 であ
悪 に,憎 しみや攻撃 といった悪が善 に転倒 している。
以上 3節 お よび 4節 で口唇期前期つ まり分裂態勢 に固着 した シゾイ ドパ ー ソナ リテ ィの リビ
ドー的態度 をとりあつか った。次 に分裂態勢 に言及 したいがその前 に,「
基本 的な精神 内部構
造」 を明 らか に してお こう。それ とい うの も本論 2節 で述べ た ように基本 的 な精神 内部構 造
は,分裂態勢 にはかな らないか らである。
5.「基本的な精神内部構造」について
精神 内部構造は以下の一連の過程 によって生 じる と考 え られている (
Fa
i
r
bai
m
1
9
4
4)
0
口唇期前期 において, まず良 くもなければ悪 くもない (
欲求充足的で もなければ欲求不満 を
pr。
m bi
a
va
l。
nt。bj
。蒜 が内在 化 され
与 え るの で もな い) ア ンビヴ ァ レンツ以 前 の対 象 (
る。
この内在化 された対象 との関係でア ンビヴァレンツが生 じると対象 は 3つ に引 き裂 かれ る。
過度 の刺激 を喚起す る側面 と過度 に欲 求不満 をひ き起 こ させ る側面が引 き裂 かれ,それぞれ
Fa
i
r
ba
i
m のシゾイ ド論 :分裂態勢
7
5
o
rリビ ドー的対象)e
xc
i
t
i
ng (
o
rl
i
bi
di
nal
)o
b
j
e
c
t
」,「
拒絶す る対象 (
o
r
「
興奮 させ る対象 (
ァ ンチ リビ ドー的対象)r
e
j
e
c
t
i
ng (
o
rant
i
1
i
bi
di
nl
a)o
b
j
e
c
t
」 とな り,それ らは 自我 に よっ
て ともに抑圧 を受ける。その後 にもとの対象の主要な中核的部分が残 され, これはリビ ドー的
に中性的なもので抑圧 をうけず に保有 され,のちには 「
理想対象 (自我理想)
」 となる○
興奮 させ る対象」,「
拒絶する対象」
こうした対象の分裂 と抑圧 にともなって,先 の 2つ,「
に愛着 していた自我の部分のそれぞれが切 り離 されて抑圧 をうける。それ らは 「リビ ドー的 自
i
bi
di
na
l。
g
。」,「
反 リビ ドー的 自我 a
nt
i
1
i
bi
di
na
le
三言
」 と称 される。対象の抑圧 にとも
我 l
e
nt
r
ale
g
o」 とな
な う抑圧 を受 けず に残 った 自我 の 中心部分 は意識 的な ままで 「
中心 自我 c
り,抑圧の主体 となる。そ して中心的 自我は理想的対象 と対 になるo
興奮 させ る対象」 と対 になった 「リビ ド
こうして 「
理想対象」 と対 になった 「中心 自我」,「
拒絶す る対象」 と対 になった 「ア ンチ リビ ドー 自我」 とい う自我分裂状態が生 じ
ー自我」,「
る。 これが基本的な精神内部構造 と称 される心的力動構造である。
ここでは,中心 自我が 「リビ ドー 自我一興脅 させ る対象」,「アンチ リビ ドー自我一拒絶する
i
r
e
c
tr
e
pr
e
s
s
i
o
n」 を行 っている。 これ に加 え
対象」 に対 して攻撃性 によって 「
直接 的抑圧 d
ndi
r
e
c
tr
e
pr
e
s
s
i
o
n」 も生 じてお り,これは 「ア ンチ リビ ドー 自我」が,「リ
て 「
間接的抑圧 i
ビ ドー自我一興奮 させ る対象」 に対 して攻撃性 を行使す る働 きである0
この基本 的 な精神 内部構造が分裂態勢その もの とい って よい。すで にふれたように Fa
i
r
-
ba
ir
n は,Ke
n の言 った 「
i
抑 うつ態勢 d
e
pr
e
s
s
i
vepo
s
i
t
i
o
n」 を口唇期後期 に,分裂態勢 をよ
り早期の口唇期前期 に想定 し, この 2つの態勢 を対照 させる。
6.分裂態勢 と抑 うつ態勢
Fa
i
r
bai
m (
1
9
41
/1
9
5
2)は,「シゾイ ド状態 と抑 うつ的状態は 2つの根本的な精神病理的状
態であって,その点 について他 の精神病理的 な展 開はすべ て 2次 的 に派生 した ものであ る」
(
p57) と述べ,精神病理学的な性向に関 しては,乳児的依存 関係 の困難が口唇期前期 にあっ
いかなる個人 も基本 的な 2つの心理学
たのかそれ とも,口唇期後期 にあったのかによって,「
的 タイプ,つ まり分裂的 (シゾイ ド)か抑 うつ的の どちらかに分類 されるか もしれない」(
o
p.
°
i
t
.p5
6) とす る。精神病,操 うつ病 をもとに して,健常者 をも含めて人 を心的 2タイプに区
分 しようとす るのは Kr
e
t
s
c
hme
rの分裂気質,循環気質 (
同調性)に相似 した発想 といえる。
Fa
i
r
ba
i
m は分裂態勢 を Ke
i
nの抑 うつ態勢 と対照 させる。 しか しこれ らを対立する 2つの
根源状況 とは しなが らも,Fa
i
r
ba
i
m は抑 うつ態勢 自体の解明には さして関心が な く,焦点は
もっぱ らより早期の,心の より深い層であると思われる分裂態勢 にあ り,抑 うつ態勢はその違
いを対比 させ ることで,分裂態勢の性格 を浮 き彫 りにするために言及 されているにす ぎない。
一方,すでに良 く知 られているように Ke
i
nは,Fai
r
ba
ir
n の分裂態勢の考 えを受 けて,抑
うつ態勢に先行する態勢 として,妄想 一分裂態勢 (
pa
r
a
no
i
d-s
c
hi
z
o
i
dpo
s
i
io
t
n) を提唱する
こととなる (
Kl
e
i
n1
9
4
6,R。
s
e
nf
e
l
d1
9
4
仇 口唇期 に,つ ま りこの 2つの態勢 に全ての精神
i
r
ba
ir
n と Ke
i
n派に共通す る特徴 とい え
病理の起源 を還元 しているように思 われる点は Fa
I
l
=
う
るだろ 。ただ し両者の相違点 も大 きく,それは,氾e
i
nが攻撃性 (
死の本能)に対 して第一
i
r
bai
m は,攻撃性 について,抑 うつ段 階 に関
義的な重要性 を与 えて展開するのに対 して,Fa
しては分裂態勢 と対照 させて言及す るものの,分裂態勢では攻撃性 に触れない, とい うよ り攻
撃性の欠如 をこの時期の特徴 とみな していることである。Fa
i
r
b
ai
m の理論構成全体が リビ ド
i
r
bai
ー関係 を中軸 に展 開 してお り,攻撃性 にはほ とん ど重要性が与 え られてい ない。Fa
7
6
天 理 大 学 学 報
は,死の本能は存在せず,攻撃性 とは欲求不満や剥奪 に対する反応であると考 える。 こうした
攻撃性の軽視 は後年の研究者か ら,批判 されている点で もある。
me
n の妄想 -分裂態勢 と Fi
i
ar
bai
m の分裂態勢か ら受ける全般的な印象の差 は,前者が流
血が流血 を呼ぶ煮えた ぎる世界であるとしたら,後者は,無気力が死滅 を呼ぶ索漠の世界 とい
った ものであろう。
さて以下に分裂態勢 と抑 うつ態勢 を対照 させなが らみてゆ くことにしよう。
発達的にはすでに述べ て きたように分裂態勢は口唇期の前期,抑 うつ態勢は口唇期の後期 に活
発 な心の布置である。前期では歯が生えてお らず 「
吸 う」活動が関係様式の大半であるためこ
の時期の葛藤は 「
吸 うか,吸 うべ きでないか」 という二者択一すなわち心理的な表現 としては
「
愛すべ きか,愛すべ きでないか」である。
一方,後期 に入 ると乳児 は歯が生 えて きて乳房 を噛 む ことがで きるようにな り 「
吸 うべ き
か,噛むべ きか」 とい う葛藤が生 じる。乳房 を噛むことは拒絶,攻撃性 を表現する通路 とな り
える。抑 うつ態勢での心的葛藤は 「
愛すべ きか,憎むべ きか」である。
分裂態勢 と抑 うつ態勢では対処すべ きものが相違 し,前者は 自分の愛情が,後者では 自分の
憎 しみが問題 となる。 シゾイ ド的なひとが抱 える大 きな問題 は 「
愛 によって破壊す るこ とな
く,いかに愛するか」(
Fa
ir
ba
in
r 1
9
41
/1
9
5
2 p4
9)であ り,一方,抑 うつ的なひとが抱 える
i
bi
d.
) として表現 され
大 きな問題は 「
憎 しみによって破壊す ることな く,いか に愛す るか」(
る。前者は自分が愛 して もらえないのは自分の愛が悪いもので破壊的だか らであると考 える。
リビ ドー関係 その ものが悪い ものであるため,関係 自体 を持つことがで きない。後者は自分が
愛 して もらえないのは自分の憎 しみが悪い もので破壊的だか らであると考 える。 この場合 は,
外的対象 を相手に リビ ドー関係 を結ぶ ことがで きる。ただ し愛憎の両価性のために関係の維持
が うまくで きない。
両者の相違点は,対象 を単 に拒絶するといった反応 を,口唇期後期 になってか ら直接的な対
象への攻撃性 (
噛むこと) にうまく置 き換 えられたか否かによって生 じる。
母親か らの拒絶 を子 どもが体験 した際に子 どもは攻撃 (
憎 しみ) を表現することによって対
処するか,あるいは リビ ト 的感情 (
愛情の希求) を表現 しようとすることで対処 を図
g
'
.
しか し2つの対処法 にはどちらにもそれぞれ固有の危険性が随伴 している。前者の場合,憎
しみを表現すれば対象は振 り向いて くれるどころかます ます拒絶的になって, さらに欲求不満
を与 える悪い対象 にな りかねない危険性がある。攻撃性 を表明することはよい対象 を喪失する
危険にさらされることである。
一方,後者の場合,拒絶 された状況で対象 にさらに リビ ドー的欲求 (
愛情) を乞お うとする
が, これが無視,拒絶 される危険性 は高 く,そ うなった場合, 自分の愛情が良いもの とされな
かったこ とか ら くる屈辱感 (
humi
l
i
at
i
o
n)が子 どもを襲 う。 自分の愛情表現が省み られず軽
ん じられ,状況 を好転 させ ることが出来 なかったことで, より深い レベルでは屈辱感 に加 えて
恥 (
s
hame)の体験が伴 っている。 この屈辱感 と恥の感情のために自分 は無価値で無能,貧粗
で何 も良い ものをもたない乞食の ように卑ノ
J
、
な存在だ と感 じる。愛情表現 (自分の持 てる良い
はずの もの) によって状況 を好転 させ対象か ら愛情 を獲得することがで きないために, 自己効
力感が喪失す る。劣等で何 も為す ことがで きない とい う意味で 自分 は悪 い存在 であ る と感 じ
る。 この 自己価値感の凋落は, 自分が 「
あまりにも多 くのことを要求する」のが良 くないのだ
という感覚 によってさらに強化 される。何 を して も無駄 だ,虚 しい という不毛感 (
a
fe
c
to
ff
u-
t
i
l
i
t
y)が優勢 となる。
Fa
ir
b
ai
m のシゾイ ド論 :分裂態勢
77
拒絶 された状況で対象への愛情 を表明することは, 自分の良い ものであるリビ ドーが空無化
される危険 を冒すことになる。 リビ ドーが無価値化 され空無化 されるとひとは解体 と心理的死
滅の危殆 に瀕する。 リビ ドー喪失 はひいては自分 自身を構成 している自我構造の喪失 を意味す
るか らである。
攻撃性 を表明す ることにまつわる葛藤が抑 うつ状態の基盤 を提供 し,愛情 を表明することに
まつわる葛藤がシゾイ ド状態の基盤 を提供する。
7.先行 の記述精神 医学 との関連
シゾイ ドパ ー ソナ リテ ィに関 して展望す る場合 ,Bl
e
ul
e
r
,Kr
e
t
s
c
hme
r
,Mi
nko
ws
k
iとい
i
r
ba
i
m に端 を発す る英 国の精神分析 が交差
った先行す る大陸系の記述精神 医学の流れ と Fa
点のない別系統の流れ として把握 されることが多いが,そ うした認識は必ず しも好 ましい もの
とは思えない。
まず記述の対象 とされている人は両者 ともほほ同様 の一群であると思 われるO また精神 的布
置 に分裂病 と操 うつ病 という内因性精神病が心的類型 として採用 されている点に共通の発想 を
みることがで きることはすでに指摘 した。
シゾイ ドパ ーソナ リテ ィと精神疾患 としての分裂病 との実質的関連が どの程度,想定 されて
いるかは,各論 によって区々である。 シゾイ ドと分裂病 との実質的関連の程度 については,シ
ゾイ ド理論 を考 える際 に等 閑視 してはならない重要な点である。Bl
e
ul
e
r
,Kr
e
t
s
c
hme
r
,Mi
nkiでは言 うまで もな く,分裂病の臨床か ら発 し,シゾイ ドは分裂病の頓挫型,分裂病 と同
o
ws
k
様の遺伝的潜勢 を有す る者,分裂病の病前性格,分裂病 と連続する気質の持 ち主 といった理解
の線上 にある。
s
e
nf
e
l
d,Bi
o
n といった分裂病治療者の臨床的知見が もと
クライン派のシゾイ ド論では,Ro
になって,妄想 -分裂態勢が彫琢 されている。
Fai
r
bai
m が精神病,それ もとりわけ分裂病 については,ほ とん ど言 うべ きことを
一方 ,「
もたない点」(
Ke
mbe
r
g1
9
8
0) には注意 してお く必要がある。
しか しなが ら,この 2類型の心的 タイプを病者の分類 に限 らず,健常者 も含めた人間の生 き
方, さらには存在構造の対立す る 2原理 にまで拡張す る点 も先行 す る大陸系記述精神 医学 と
Fai
r
ba
i
m とで同様 である。
Fai
r
bai
m 自身,大陸の精神病理学者の知見 と彼の分裂態勢,抑 うつ態勢か らなる 2元論的
タイプ論 を関連 させている。
Ju
n gの内向性 一外 向性の理論 との関連 に関 して,「
分裂的」(
s
c
hi
z
o
i
d)とい う概念は,Jung
の内向的 タイプ (
i
nt
r
o
ve
r
tt
ype) とい う概念 と実 によ く対応 してお り, とりわけその概念が
de
no
t
at
i
o
n) については符合 していると述べ,両者 を等価 的に言述 してい
指示 している対象 (
1
9
41
る個所 をい くつか見出す ことがで きる。「内向的な人は根本的には分裂的な人のことだ」 (
乳児 的依存の投階で 『
分裂的』傾向あるいは 『
抑 うつ的』傾向の どち らかが優
/1
9
5
2p5
0)
,「
勢 となるわけだが, どちらが持続的に優勢 となるかに応 じて,人に関する 2種類の対照的なタ
r
a) 分裂的』 (
内向的) なタイプと (
b) 『
抑 うつ的』 (
外向
イプが生 じるのであ るOそれは (
的)なタイプである」 とい う言い方 をしてい g'(
Fa
i,
bai
n1
r
9
51
/1
9
5
2p1
6
3
f
)O
e
t
s
c
hme
rの 「
分裂気 質」,「
循
さらに Jungよ りはるか に自分の考 えに近 い もの として Kr
i
r
bai
m と Kr
e
t
s
c
hme
r
環気質」の考 えに言及 し自分の主張の裏付 け としている。ちなみ に Fa
は全 くの同時代人であ り,Fa
ir
bai
m の生年が Kr
e
t
s
c
hme
rより一年遅いだけであるO
7
8
天 理 大 学 学 報
両者の相違点は といえば, 2タイプの差が どこに起源する と想定す るかにある と言 えよう。
Kr
e
t
s
c
hme
rは,内的要因つ ま り生得的要因に近い体質,気質 を問題 にす るの に対 して,Fai
r
m は外 的な環境 因 との相互作用,獲得要因 を重視す る。 この相違は小 さい もの とは言 えな
bai
い。
Kr
e
t
s
c
hmerは,後年,分裂気質,循環気質の 2元論 に, 3大精神病 のなかで残 る痛痛 と関
連づ けて 「
粘着気質」 を追加提 出 し,それ ら 3つの気質の関係 を,一直線上の 3点ではな く 3
角形の頂点の ような もの として考 えた。そ こには時間軸上での相互の位置関係 は想定 されてい
ない。
i
r
bai
m が問題 にす る分裂態勢 と抑 うつ態勢では,両者 に時 間軸 での位置づ けが賦
-方 ,Fa
与 されている。 「
態勢」 は発達段 階 と相違 して,分裂態勢がすめば,抑 うつ態勢 に発達す る と
い う線状モデルではな く,両態勢の共時的 な共在 を許す ものである。 しか し,分裂態勢 は抑 う
つ態勢 よ り, よ り早期 の蒼古的な心の状態であ り,初期 の発達 においては,分裂態勢か ら抑 う
つ態勢へ と適時的 な時 間軸 に沿 った進行方 向が想定 されてい る。適時 的 な時 間軸上 (
発 達論
上)で物事 を整理す る発想 は精神分析一般 に共通す る ものではある。
Fai
r
bai
m 以前 の シゾイ ド論では, シゾイ ドはある既成の心的状態 と して,その特性 が的確
に記述 されていた。Fa
i
r
bai
m の シゾイ ド論 で価値があるのは,彼 はそれ を越 えて, シゾイ ド
の心的 な布置がいかに生成 されてゆ くか,そのプロセスに焦点 をあてたことである。 しか もそ
の記述 の視点は,外部観察者のそれではな く,主体の内側か らの ものであ り,その論 は主体の
内的苦悩 の性 質 を浮 き彫 りに しようとす る ものであった。
註
(1) リビドーは一般に身体やイ ドに基盤 をもち,快感の充足を求める心的エネルギーを指すが,
Fa
i
r
ba
i
r
nにあっては,リビ ドーは自我の機能であ り,それは快感ではな く対象を希求すると
考えられている。 したがって Fa
i
r
ba
i
m のいう 「リビドー的」 という用語は,従来の快感追求
的要素を排除 しないが,対象希求的とで もいうべ き意味合いをより包含するもので,対象 との
心的紐帯を求めて対象に (
心的に)接近するよう駆 り立てる心の動 きに言及 したものと理解で
きよう。一方,攻撃性は対象を遠 ざけるための心の動 きといった意味合いで使用 されている。
単純化が許されるならばリビドーを対象 との心的引力,攻撃性 を対象 との心的斥力になぞらえ
ることができよう。
(2) Fa
ir
ba
i
r
nは,リビドー的関係において 「
受け取る t
a
k
i
ng」ことが 「
与える g
ivi
ng
」 ことに
勝るというが,それは外的観察者の視点 としては妥当な表現だが,自他が未分化な状態の主体
,
受け取ること」 と 「
与えること」 も不分明なはずである。受け取ることと与える
からすれば 「
ことの区分,あるいは 「
や り ・とり」が生 じるには,対象が自己から分離 していなければなら
ない。
El
e
i
n派は生後す ぐの発達最早期から対象 とのや り ・とり,つまり対象関係 を想定するが,
それはオーソ ドックスな古典理論でいわれる一次ナルシシズムをはっきりと否定 し,乳児には
最初から自我境界が存在 してお り,自己と非 自己 (
対象)を区別 して認識できていると考える
からである。自己と対象が混同されるのは,万能的な防衛機制に基づ くあ くまで 2次的な,柄
的状態であるとみなす。
nni
c
o
t
t(
1
9
6
5
)などは初期の母子一体性の重要性 を再三強調する。有名な移行対象
一方,Wi
論 もむろん一次ナルシシズムを前提 とした理論であ り,一次ナルシシズムをめ ぐる考え方の相
違および外的環境要因に対する考え方の相違によって彼は El
e
n 派 と枚を分かつことになる。
i
79
Fai
r
bai
m の シゾ イ ド論 :分裂態勢
Fai
r
bai
m に関 しては, この点ややあい まいであるが,一次 的同一化 (
pr
i
mar
y i
de
nt
i
丘c
at
i
o
n) とい う用語で,主体 と対象がい まだ十分分化 していない状態 に言及 してお り,一次 ナル
シシズムの考 えを受容 しているように思われる。
自他が未分化な状態であれば乳児 は相手か らただ受 け取 っている とい うふ うには体験 は しな
いであろう。口唇期前期では,愛す ること (
与 えること) と愛 されること (
受け取 ること)の
区別,換言すれば愛情 関係での主体,客体の別が融合 してお り,外 的観察者か らすれば,満足
に授乳 されている,つ まり愛情 を与えられている情況 を,乳児 は自分が母親 を愛 している,具
体的には自分が母親 に授乳 してい る情況 として体験す る と考 える方が よ り適当か も しれ ない
(
c
o
nf
:Wi
mi
c
o
t
t1
97
0/1
9
9
2)
。
この時期,愛情 を与 える側面 と愛情 を求める側面が融合一体化 して両者の別 な くリビ ドー的
態度 となってお り,その全体が,外部観察者か らみれば受 け取 る様式 とされる愛情関係の質 に
,
規定 される と考 えるべ きであろ う。それゆえ Fai
r
bai
r
nは議論 のなかでは 「
与 える形での愛
情」 は直接 問題 にせず,文脈 によって断 りな く口唇期前期 に特徴 的な受 け取 る形の愛情 関係
を,後年の成熟 した与 える形の愛情関係 に置 き換 えて両者の別 な く論 を進めてゆ くところがあ
る。
ir
ba
ir
n のいう 「
愛l
o
ve
」 も一般的な用法 とは相違 している。口愛的な欲求充
したがって Fa
r
ba
ir
n は 「
愛」 とい う術語 を使用す る (これ
足 を求める関係,体内化へ の衝動 に対 して も Fai
1
9
71
)の い う 「
甘 え」,Ba
l
i
nt(
1
9
65)の い う 「
受 身 的対 象愛」(
pas
s
i
ve o
b
j
e
c
t
には土居 (
l
o
ve) とい う術語が至当だろう。Ba
l
i
nt(
1
9
65)は ヨーロ ッパの言語では能動 的愛情 と受動 的
愛情の十分 な弁別が存在 しない ことを指摘 しているが,この点 も考慮すべ きか もしれない)。乳
房 を吸 うことが乳児の愛,噛むことが憎 しみ と同等祝 される。
以下の ような例で,Fai
r
bai
m のい う愛 -体内化 とい うことが はっ きりす る。「
ある子 ども
が,ぼ くはケーキが好 きだ (
l
o
ve) といえば,ケーキは (
食べ られて)な くなって しまうのは
確かで,結果 としてはケーキは破壊 される。 しか し同時 にケーキの破壊 はその子の 『
愛』の 目
的ではない。それ どころか仝 くその逆で,子 どもの観点か らすればケーキが消 え去 ったのは,
自分の 「ケーキへの愛」が引 き起 こ したこの上 な く遺憾 な結果 なのである」(
Fa
ir
bai
r
n1
9
41
/1
9
5
2p4
9 強調は著者)a
,
a
ki
ng」 「
与 えること g
ivi
ng」の 2極でいえば,一般 に 「
愛」は相手 に自分 を
「もらうこと t
与 えることに対応す るだろ う。 しか も受 け取 る t
a
keものが身体 的な世話 を中心 とす る情緒交
流であってみれば,身体 的な欲求 を満た して 「もらお う」 とす ること,これはせいぜ い愛情希
求 と言えて も, これを子 どもの 「
愛」 と表現す るには一般 的には抵抗があろ う。乳児的な必要
性 を満た して もらう関係が,先 に述べたように g
ivi
ngとして も体験 されているために,後年,
「
愛情関係」 といわれるものの原版 になると考 えるべ きか もしれない。
一般的に愛 とい うものが与える もの g
ivi
ngであるか, もらうもの t
aki
ngであるかは, さて
i
r
bai
m のい うところは以下の ように敷桁 されるだろう。
お くとして,Fa
口唇期前期では彼 がい うように愛情 にまつわる関係 (
愛情対象 との関係)において 「もらう
aki
ng
」が 「
与 えること g
ii
vng」 に優勢である。 したがって口唇期前期 に固着のあるシゾ
こと t
イ ドパーソナ リティの人 も 「
愛」 を t
aki
ngの性質を帯 びた もの として心的に体験する。
ところで外部観察者か らは受身的に 「もらう t
aki
ng」 と表現 されるや り取 りが,主体か らは
能動的な 「
奪 うt
aki
ng」 こととして体験 されるのは容易に推測がゆ く。そこで成人 したある一
群の人にとっては愛は与える とい うよりも,相手 を奪 う, よ り正確 には相手の 自己同一性 を奪
って自分の中に取 り込 むこととして体験 される。そ うした体験様式 に関 して有島武郎 (
1
9
5
5)
の 『
惜 しみな く愛 は奪 う』が参考 となろう。
80
天 理 大 学 学 報
「
私がその小鳥 を愛すれば愛す る程,小鳥 は よ り多 く私 に摂取 されて,私 の生活 と不 可避 的 に
同化 して しまうのだ。 -
・私 に とっては小鳥 は もう私以外 の存在で はない。小鳥で はない。
Thel
i
t
t
l
ebi
r
di
smys
e
l
f
,弧dIl
i
veabi
r
d) - 私 は小
小鳥は私 だO私が小鳥 を生 きるのだ.(
p6
6)
。
鳥 とその所有物の凡て を残す ところな く外界か ら私の個性へ奪い取 っているのだ」 (
aki
ngであ り,口唇期 早期 に固着
以上の ように早期 の母子 関係 においては,愛 はす なわち t
aki
ngの側面が 目立つ。
のあるシゾイ ドパーソナ 1
)テ ィも体験様式 において愛の t
aki
ng的 な側 面 と区
一方,そ うだ として も,成 人 した シゾイ ドパ ー ソナ リテ ィにおいては t
gi
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ng」 的な側面 に関す る記述 は不 可欠 だ と思 われる。Fai
r
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m には この点
別 して,愛 の 「
に関す る記述が存在 しない。
(3) この主題 に関 して Fa
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n は付 言 す る に とどまる。Gu
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8)は, この愛 情 へ の
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d」 を重視 して,対象 を呑 み こむ不安,対象か ら呑 み込 まれ る不安 に光 をあ て,
「
食欲 さ g
特 に後者の不安,対象か ら呑み こまれ主体 を喪失する不安 について探求 を深める。
(4) Ro
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5)が 分 裂 病 患 者 に 共 通 す る特 徴 と して あ げ た 「混 交 状 態 c
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」 と関連 させて考 えることがで きるか も しれない。混交状態 とは,死の本能が リビ ドーを
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dは この原 因 を羨望 e
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支配 し,良い対象が誤 って破壊 される状態 の こ とで ,Ro
とめた。 この状態では,善悪が交差 し,良い対象 と悪 い対象, リビ ドー欲求 と破壊欲求の仕分
けが不全化す る点,類似性 を想定で きる。
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ng)は, 自分が破壊 され た り,愛す る もの を破壊 した りす る圧倒 的 な不安が
「
分割 (
発展することな く,乳児が安全 に乳 を吸 い愛す るこ とを可能 に し,安全 に欲望 し憎 むことを可
」(
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6邦訳 p
47)「
分裂病 を含 む重篤 な精神病理 に導 きうるひ とつの条件
能 にす るO
」(
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p.°
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p4
3)
は,分割 を適切 に用いることがで きない とい うことなのである。
(5) 1
9
40
年の論文では最初 に内在化 される対象 は,口唇期前期の ア ンビヴ ァレンツ以前 の対象で
9
41
年以後 は,外 的対象 は内在化以前 に外界 との交流で生 じたア ンビヴ ァレ
ある とされたが,1
ンツのため にすで に良い対象 と悪 い対 象 に引 き裂 かれてお り,最初 に内在化 され るの はつ ねに
「
悪 い」対象である とされて きた (
満足 を与 えて くれ る 「
良い」対象 は最初 に内在化 され る必
要はな く,内在化 された悪 い対象 に対する防衛のため に内在化 される)
0
しか し,再度 この考 えは修正 され,分裂 を知 らない 自我 はア ンビヴァレンツ以前の対 象 を内
在化 し,この内在化 された対象 との関わ りを通 じてア ンビヴァレンツが生 じる とした。
(6) 「
反 リビ ドー自我」は1
9
5
4年の論文で導入 された術語で,それ以前では 「
内的破壊工作 員 (
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)
」 と称 されていた。
(7) Re
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9
46)は,彼女のい う妄想態勢 par
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n には本質的 に,Fai
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n の記述
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した 自我分裂の過程が含 まれている と考 え られるため に,彼 の分裂態勢の 「
分裂」の用語 を付
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n と改称 した。
加 して,妄想態勢 を妄想 一分裂態勢 p
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n は Fa
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bai
m の見解 で,同意で きない点 もあげている。 まず悪 い対 象
しか しなが ら,El
だけが内在化 され る点。つ いで 「
私 は,彼 の次 の見解 に対 して も異議 がある。す なわち,分裂
的個体 にとっての重要な問題 は,愛 に よって破壊す るこ とな くいか に愛す るか とい うことであ
り,抑 うつ的個体 にとっての重要 な問題 は,憎 しみ によって破壊す るこ とな くいか に愛す るか
i
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bai
r
nが最初期 か ら活動 してい
とい うことである, とみた点である」 (
邦訳 p7) と述べ ,Fa
る攻撃性や憎 しみの役割 を考慮 していない として批判す る。
(8) 「おそ ら く Ⅹl
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nの妄想 一分袈態勢 と同様 に,Fai
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m と wi
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tの記述 した分裂 の力
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rの分離 一個体化期 に対応す る もの と思 われ,Fai
r
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nの
動性 は,おお まか に言 って,Ma
分裂的防衛 は,おそ ら く早期分化期 か ら再接近期 までの範 囲 に対応す る もの と思 われ る。
」と
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O)は示唆す る。
Fai
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m の シゾ イ ド論 :分 裂態勢
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7
4)は分裂病性 の障害 を 「口唇期へ の固着」 とす る精神分析での公式 を退 け
る よう注意 を促す。「この時期 の赤 ん坊 と母親 との関係の中に,既 にさまざまな異常が存在す る
と して も;それ らの異常 は,後の成人の精神分裂病 と直接 関係す る もので はない と強調 してお
9
6)
。そ して, 自立性の徴候 を示 さず,子 どもが完全 に依存 的 な
くことは重要であ る」 (
邦訳 p
状態では母親 は適切 に対応 で き,む しろ困難 は子 どもが 自立 的個 とな り,両親のそれ とは合致
しない 自分独 自の願望や要求 を持 ち始めた ときに生 じる と述べ る。
(9) 感情 とい うものが単に主観 内の出来事 と してで はな く,外界 との関係維持 のための機能 とい
う観点か ら考察 されている点,注 目される。
(
1
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ki(
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5
3)は,分裂病,分裂病質の本質 を自閉性 ,彼 のい う 「
現実 との生 ける接触
の喪失」 にみ る。 こう した概念 は,一般 には,外界か らの引 きこも り,受動 的状態,静止 的状
n gの内向 タイプに重 ね合 わ
態や内向,内省,内的生活へ の沈潜 と同一視 され,分裂病質は Ju
せ られる向 きがあるが,Mi
nko
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kiはそ うではない とい う。内向性 を構成す る 「内省 ,夢,夢
想 などの受動 的状態 は,それだけで は自閉性 の概念 を充分 につ くし得 ないのであ って, さらに
自閉的活動性が顧慮せ られねばならぬ」 (
邦訳 p1
31-部改訳 ) としてこれ まで等 閑視 されて き
た 「自閉的活動性」 を問題 にす る。
引用 ・参考文献
相 田信男 1
9
9
5「フェアベ ーンの考 え方 とその影響」
小此木啓吾 ・妙木浩之編 『
現代のエスプ リ別冊
精神分析の現在』 (
至文堂)所収
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殿村忠彦 ・笠原嘉監訳 1
9
9
5『
精神分裂病 の解釈 Ⅰ, Ⅰ
‖ (
みすず書房)
有島武郎 1
9
5
5『
惜 しみな く愛は奪 う』 (
新潮文庫)
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9 『
甘えの構造」 (
弘文堂)
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憲適訳 1
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創元社)
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山口泰司訳 1
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2 F内的世界 と外的世界 上 ・下』 (
文化書房博文社)
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分裂機制についての覚書」小此木啓吾 ・岩崎徹也責任編訳 1
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『メラニー ・クライン著作集 4 妄想的 ・分裂的世界』 (
誠信書房)所収
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内村祐之訳 1
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天才の心理学』 (
岩波文庫)
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『
精神分裂病 :分裂性性格者及び精神分裂病者の精神病理学』 村上仁訳 1
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みすず書房)
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6 『こころのマ トリックス :対象関係論 との対話』 (
岩崎学術出版社)
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外傷性精神障害』 (
岩崎学術出版)
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母子相互性の体験」牛島定信監訳 1
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9 精神分析的探求③』 (
岩崎学術出版社)所収
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