こちら - 獨協大学

獨協大学フランス語学科企画コンサート
フランス音楽と文学の出会い
Musique et Littérature : La France de la Belle Époque
響きあう音・色・言葉 — ベル・エポックの音楽・絵画・文学
2016 年 6 月 12 日(日)15:00 開演
獨協大学天野貞祐記念館大講堂
表紙の絵について:
モーリス・ドニ(1870-1943)作《イヴォンヌ・ルロールの3つの肖像》1897 年
(パリ・オルセー美術館蔵)
ドニが長年暮らしたサン=ジェルマン=アン=レーの風景を背景に、イヴォンヌ・ルロールが異なる衣装、
異なるポーズで三度描かれている。三人のイヴォンヌは、人生の三つの異なる局面を表していると解釈でき
るかもしれない。様式化された背景に、バラを描いた装飾的な額縁で取り囲まれたイヴォンヌの姿は、単な
る肖像画を超えて、女性の優雅さを象徴的に表現した寓意像として現れる。
イヴォンヌ・ルロールは画家でコレクターのアンリ・ルロール(1848-1929)
の娘である。アンリ・ルロールの周りにはドガ、ルノワール、モネを始め多
くの画家や音楽家が集っていた。ルロールは若いドニの才能を認め、作品を
購入し彼の芸術家サークルに招き入れた。ドニは彼を通じてドビュッシーと
出会い、また同年代のイヴォンヌとも友情を結んだ。ドビュッシーもまたイ
ヴォンヌに捧げてピアノのための三曲の《[忘れられた]映像》(1894)を
作曲している。
ドニとドビュッシーという二人の若い芸術家は、互いに才能を認め合い共
感しあっていた。ドニは 1893 年に出版されたドビュッシーの『選ばれし乙女』
の楽譜表紙を手がけている。
ドビュッシー作曲《選ばれし乙女》楽譜、ドニによる表紙、1893 年
下の絵は、ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)作《ピアノに向かうイヴォンヌとクリステ
ィーヌ・ルロール》1897 年(パリ・オランジュリー美術館蔵)。背景の壁にはルロール所有のドガの絵画
(《レースの前》と《踊り子》)が飾られている。
ごあいさつ
本日は獨協大学フランス語学科企画コンサート「フランス音楽と文学の出会い 響きあ
う音・色・言葉 ― ベル・エポックの音楽・絵画・文学」にご来場下さいましてありが
とうございます。
これまでフランス語学科は 10 回にわたりシャンソン・コンサートを行ってまいりまし
たが、今年は趣向を変えて、文学と音楽と絵画が交錯する 19 世紀後半から 20 世紀の初め
に至るフランス芸術の独特な美の世界を味わっていただきたいと思います。
具体的には、さまざまな絵画を背景に、この時代を代表する作曲家サン=サーンス、フ
ォーレ、ドビュッシー、ラヴェルの室内楽作品の演奏と、レニエ、マラルメの詩のフラン
ス語原文とその日本語訳の朗読を交錯させる構成になっています。
ベル・エポックのフランス芸術は日本の文化とも深く関係しています。
この時代は日本ではだいたい明治時代と重なり、フランスのエレガントで洗練された
作品には日本人も魅惑され、多くの文学者が影響を受けました。例えば上田敏は訳詩集『海
潮音』(1905)を、作家永井荷風は『珊瑚集』(1913)を出版して、当時の日本の文化
に新しい風を吹き込みました。しかし、日本は単にフランスの影響を受けただけではあり
ません。日本の芸術、特に美術はフランスの文化に大きな影響を及ぼしました。浮世絵は
早くから知られており、大胆な構図、非常にデフォルメされた人物像など、従来は見られ
なかった新しい手法を西洋絵画にもたらしています。また、日本で昔から伝承されてきた
花や鳥など、自然をモチーフにしたデザインは、この時期のフランスではとても斬新に感
じられ、多くの芸術家にジャポニスムと呼ばれる強いインパクトを与えました。印象派の
モネ、マネ、セザンヌなど日本でもおなじみの画家たちが活躍したのもこの時代です。
音楽ではフランス独特の音使いや新しい技法に基づく作品が次々に生まれました。今
日はとくにドビュッシーとラヴェルを中心に聴いていただきたいと思います。
文学の世界でも、19 世紀後半にはその後の世界文学に大きな影響を与えた「象徴派」
(サンボリスム)と呼ばれる新しい詩の流れが生み出されました。ボードレールの有名な
詩集『悪の華』(1857)以来、フランスの詩の世界ではランボー、マラルメ、ヴェルレー
ヌのような偉大な詩人が輩出し、今も愛されている多くの詩を残しました。今日は、ラヴ
ェルがインスピレーションを得たレニエの詩と、ドビュッシーが曲をつけているマラルメ
の詩をふたつ、初期の詩「あらわれ」と大作「半獣神の午後」の冒頭部を鑑賞していただ
きます。
音と言葉、そしてイメージが織りなす洗練された美の世界をご堪能ください!
獨協大学外国語学部フランス語学科長
若森榮樹
La Belle Époque
フランス語で「美しい時代」を表すベル・エポック(La Belle Époque)とは、おおよ
そ 19 世紀末から第一次世界大戦前夜、芸術の都パリを中心に文化が爛熟した平和な時代
を指します。ヨーロッパの偉大な芸術的才能がフランスに集まったこの時期、音楽、絵画、
文学は、国境もジャンルも超えて影響を与え合い、豊かな実りを結びました。
音楽界では、ワーグナーに深く影響された象徴派のドビュッシーやラヴェル、普仏戦争
の敗北をきっかけに「国民音楽協会」を設立したサン=サーンス、フォーレらが活躍しま
した。フォーレやドビュッシー、ラヴェルの室内楽曲や、ロシア・バレエ団のニジンスキ
ーが踊った《牧神の午後への前奏曲》などは、フランス音楽史に残る傑作です。また、19
世紀後半に生まれ、世界的な影響を及ぼした象徴主義の運動は、詩や戯曲、小説などの文
学作品、ドニやルドン、ラファエル前派の絵画、そしてドビュッシーやラヴェルの音楽な
ど、さまざまなジャンルの芸術に、内省的かつ神秘的な性格を与えました。
産業革命によって次々と便利な機械が発明され、社会が加速度的に変化していく中で、
ベル・エポックの芸術は現実よりも夢や幻のなかに美の真実を追い求めています。私たち
の生きるせわしない現代においても、音楽と詩の言語がもたらす抒情的な響きに耳をかた
むけ、内面的世界に身をしずめる時間は貴重なものではないでしょうか。それによって、
ベル・エポックを生きた人々との時を超えた共感もまた、可能になるのかもしれません。
マラルメ『半獣神の午後』1876 年(初版、限定 195 部)
マネによる挿絵
本学図書館「鈴木信太郎文庫」所蔵
― 1F 図書館入口にて、特別展示開催中 ―
プログラム
第一部(約 60 分)
フォーレ
《チェロとピアノのためのエレジー
作品 24》
中実穂(Vc) 野田清隆(Pf)
朗読 I
レニエ
詩「水の祭り」
ジョルジュ・ヴェスィエール/長岡立子
ラヴェル
《水の戯れ》
野田清隆(Pf)
ラヴェル
《ピアノ三重奏曲》
水林彪(Vn)中実穂(Vc)野田清隆(Pf)
休憩(15 分)
第二部(約 60 分)
サン=サーンス
《動物の謝肉祭》より「白鳥」
辻本玲(Vc)野田清隆(Pf)
朗読 II マラルメ
詩「半獣神の午後」
ジョルジュ・ヴェスィエール/長岡立子
ドビュッシー
《牧神の午後への前奏曲(ピアノ編曲)》
野田清隆(Pf)
朗読 III
マラルメ
詩「あらわれ」
ジョルジュ・ヴェスィエール/長岡立子
ドビュッシー
《弦楽四重奏曲
作品 10》
島田真千子(Vn)直江智沙子(Vn)横溝耕一(Va)辻本玲(Vc)
終了予定時刻
17 : 30
朗読 I
Henri de Régnier, « Fête d’eau », La Cité des Eaux (1902)
Le dauphin, le triton et l’obèse grenouille
Diamantant d’écume et d’or Latone nue,
Divinité marine au dos de la tortue,
Dieu fluvial riant de l’eau qui le chatouille ;
La vasque qui retombe ou la gerbe qui mouille,
La nappe qui décroît, se gonfle ou diminue,
Et la poussière humide irisant la statue
Dont s’emperle la mousse ou s’avive la rouille ;
Toute la fête d’eau, de cristal et de joie
Qui s’entrecroise, rit, s’éparpille et poudroie,
Dans le parc enchanté s’est tue avec le soir ;
Et parmi le silence on voit jaillir, auprès
Du tranquille bassin redevenu miroir,
La fontaine de l’if et le jet du cyprès.
アンリ・ド・レニエ「水の祭り」『泉水の都』より(筒井伸保訳)
海豚、トリトン(半魚神)と、肥満の蛙は
亀の背に乗った海の女神、
裸のラトナ(ギリシア神話のレト。アポロンとディアナの母)を泡と金でダイヤモンドのように輝かせ、
河の神は自らを擽(くすぐ)る水に笑い、
泉水盤は垂れ下がり、水柱は濡らし、
水面は下がり、膨れ、また減り、
水煙が石像を虹色に輝かせ、
苔に水滴が真珠の玉をなし、錆は艶やかに光る。
水と水晶と喜びの祭りが
互いに交わり、笑い、散らばり、煌めき、
魔法の庭で夕べとともにだまりこんだ。
そして沈黙の中に吹き出すのが見える、
鏡に戻った静かな泉水の傍らで、
櫟(いちい)の泉と糸杉の噴水が。
ヴェルサイユ宮殿 ラトナの泉 ©flickr.com/Patrick Connelly
朗読 II
Stéphane Mallarmé, L'après-midi d'un faune (1876)
Ces nymphes, je les veux perpétuer.
Si clair,
Leur incarnat léger, qu'il voltige dans l’air
Assoupi de sommeils touffus.
Aimai-je un rêve?
Mon doute, amas de nuit ancienne, s’achève
En maint rameau subtil, qui, demeuré les vrais
Bois mêmes, prouve, hélas ! que bien seul je m'offrais
Pour triomphe la faute idéale de roses.
Réfléchissons…
ou si les femmes dont tu gloses
Figurent un souhait de tes sens fabuleux !
Faune, l’illusion s'échappe des yeux bleus
Et froids, comme une source en pleurs, de la plus chaste :
Mais, l’autre tout soupirs, dis-tu qu’elle contraste
Comme brise du jour chaude dans ta toison ?
Que non ! par l’immobile et lasse pamoison
Suffoquant de chaleurs le matin frais s’il lutte,
Ne murmure point d’eau que ne verse ma flûte
Au bosquet arrosé d’accords ; et le seul vent
Hors des deux tuyaux prompt à s’exhaler avant
Qu’il disperse le son dans une pluie aride,
C’est, à l’horizon pas remué d’une ride,
Le visible et serein souffle artificiel
De l’inspiration, qui regagne le ciel.
ステファーヌ・マラルメ「半獣神の午後」(筒井伸保訳)
あのニンフたちを、俺はこのまま留めたい。
如何に明るく、
ふたりの軽い肉色が、ふさふさとした眠りに微睡(まどろ)んだ
空中をひらひら舞おうとも。
俺は夢に恋したか?
俺の疑惑は昔からの闇が積もり積もってとうとう
多くの尖った小枝になり、まさしくまことの
森となってしまった、嗚呼(ああ)、その証しは、俺一人が
薔薇たちの理想的な過ちを勝利として手に入れたことだ。
よく考えてみよう……
もしやお前がとかく言う女たちは
お前の途方もない官能の単に願望ではないか?
牧神よ、幻想は、涙の泉のように、清純な方の乙女の
青い冷たい眼から洩れ出るのだ。
だが、溜息ばかりのもう一人は、対照をなすと言うのか、
お前の獣毛の中を吹く昼間の暑い微風として?
否。涼しい朝が争うならそれを熱気で息詰まらせるような
動かない疲れきった恍惚の中を、
俺の縦笛が木立に和音を振り掛けるほかは
水はちっともさらさらと音を立てない。風だけが
(笛の)二つの筒から外に発散するに急がしく、
音を乾いた雨のごとく撒き散らす、
波一つ動かぬ水平線に、
吸気の目に見える澄み切った人為の息吹が
空に帰っていく。
朗読 III
Stéphane Mallarmé, Apparition
La lune s’attristait. Des séraphins en pleurs
Rêvant, l’archet aux doigts, dans le calme des fleurs
Vaporeuses, tiraient de mourantes violes
De blancs sanglots glissant sur l’azur des corolles.
— C’était le jour béni de ton premier baiser.
Ma songerie aimant à me martyriser
S’enivrait savamment du parfum de tristesse
Que même sans regret et sans déboire laisse
La cueillaison d’un Rêve au cœur qui l’a cueilli.
J’errais donc, l’œil rivé sur le pavé vieilli
Quand avec du soleil aux cheveux, dans la rue
Et dans le soir, tu m’es en riant apparue
Et j’ai cru voir la fée au chapeau de clarté
Qui jadis sur mes beaux sommeils d’enfant gâté
Passait, laissant toujours de ses mains mal fermées
Neiger de blancs bouquets d’étoiles parfumées.
ステファーヌ・マラルメ「あらわれ」(若森榮樹訳)
月は悲しんでいた。熾天使(してんし)たちは泣きながら
指を弓にからめ、涙で輪郭が薄れていく静かな花々のあいだで
夢見つつ、水色の花びらを滑っていく白いすすり泣きを
死にゆくヴィオールから引き出していた。
—— それはきみの初めてのキスの祝福された日だった。
私の夢想は自分を苦しめようと
後悔や苦い思いなどなくても
夢の成就が、夢を成し遂げた心に残す
悲しみの香りに酔っていた。
こうして、私は古い石畳に目を落としたまま、街をさまよった。
すると、陽を受けて輝く髪とともに、夕暮れの光のなかで
君が、微笑みながら、あらわれた。
私は光の帽子をかぶった妖精を見たように思った。
軽く閉じた手のひらから、香りある星々の白い花束を雪のように
降らせ、甘やかされた子供だった昔の私の美しいまどろみの中を
いつも通り過ぎていった妖精を見たように思った。
アンリ・ド・レニエ
Henri de Régnier (1864-1936)
詩人・小説家。マラルメと高踏派の詩人たちの影響を受け、象徴主義と高踏派との折衷的な作品を発表し、
代表作の 1 つがヴェルサイユ宮殿の庭に存在する様々な泉水を歌った『泉
水の都』 La Cité des Eaux(1902)で、今日朗読する「水の祭り」 Fête
d’eau はその中の一編で宮殿の庭園正面にあるラトナの泉を歌ったもの。
20 世紀初頭にはフランスを代表する詩人と見なされ、文学者としては最
高の名誉であるアカデミー・フランセーズ会員に選ばれた。日本でもその
詩篇は上田敏の訳詩集『海潮音』(1905)で紹介されるなど高い評価を
得ていたが、レニエの詩の発想や詩型の古典的な保守性のゆえに、前世代
でありながら彼よりも斬新なランボー、マラルメ、ロートレアモン、また
20 世紀らしい革新的な次の世代のアポリネール、ヴァレリーといった詩
人たちの影に隠れ、現代ではすっかり忘れられた詩人となってしまった。
モーリス・ラヴェルのピアノ曲《水の戯れ》 Jeux d’eau (1901 年作曲、
1902 年初演)の自筆楽譜には、レニエ自らが「水の祭り」の 1 行「河の神は自らを擽(くすぐ)る水に笑い」
Dieu fluvial riant de l’eau qui le chatouille を手書きで題詩として書き込んでいる。
(左)ラヴェル
《水の戯れ》
自筆譜。題名 Jeux d’eau
の下に Dieu fluvial riant de l’eau qui le chatouille
H. de Régnier の書込みが見える。
ステファーヌ・マラルメ
Stéphane Mallarmé (1842-1898)
ステファーヌ・マラルメはアルチュール・ランボー(1854—1891)と並
んで、現代にいたるまで大きな影響を文学の世界に及ぼしている大詩人の
一人である。マラルメは少年時代から詩作を始め、『悪の華』の詩人ボー
ドレールがフランスに紹介したアメリカの詩人エドガー・アラン・ポーの
強い影響を受けた。
初期にはヴィクトル・ユゴーやボードレールの影響のもとに、「温室咲
きの花のよう」と評される繊細でロマンティックな詩を書いていた。「あ
らわれ」はそのような詩のひとつである。その後ドイツ人女性と結婚し、
中学の英語の教師になったころから、マラルメはより規模の大きな詩を構
想するようになり、聖書のサロメの挿話を題材にした「エロディアード」
の創作を始めた。しかし大きな精神的危機に陥り、そのような危機の中で
全く新しい詩法を発見した(1860 年代後半)。
「半獣神の午後」はその時期に構想され、70 年代に発表された長編詩である。このほかにも非常に独特
な、普通のフランス語からかけ離れた語法を用いた難解なソネット群(14 行詩)を書いているが、これら
は現在、フランス文学の至宝と考えられている。1880 年代にはマラルメの名は一般の人にも知られるよう
になり、彼を巡って若い詩人、文学者のサークル(木曜会と言われる)ができた。その中にはヴァレリー、
ジッドのような 20 世紀文学をリードした人々が含まれている。晩年には極限的な内容と形式を持つ散文詩
「骰子一擲」を書いた。
「あらわれ」は初恋の喜びと、その喜びに影のように付き添う悲しみを、ラファエル前派を思わせる絵画
的表現と、流れるような音楽性をもって描いている。本当に切実な思いが叶えられてしまったのだから、も
う何もすることがない。夢の実現に伴うそうした空虚感の中で、詩人は石畳に目を落として街を歩いている。
すると夕映えのなかで「きみ」が金色の髪をなびかせてあらわれる。「私」はそういう「あらわれ」のなか
に幼年時代の夢にでてきた光に満ちた「妖精」を見る。普通の意味での時間は停止し、陶酔に満ちた幻想の
世界が展開する。マラルメ初期の代表的な詩のひとつである。
カミーユ・サン=サーンス
Camille Saint-Saëns (1835-1921)
2 才半で大伯母に最初のピアノの手ほどきを受けたサン=サーンスは、3 才
で最初のピアノ曲を作曲するなどモーツァルトと並ぶ非常に早熟な子供だ
った。7 才で作曲とオルガン演奏の指導を受けはじめ、10 才でパリの有名コ
ンサートホール、サル・プレイエルにピアニストとして公式デビューを果た
す。その後 20 代半ばで作曲家として、またピアニストとして絶大な名声を
博した。1861 年から 1865 年、生涯で一度だけ教鞭を取るが、このときの生
徒にフォーレがいた。サン=サーンスは 10 才年下のフォーレを大変かわいが
り、彼が音楽家としてキャリアを積む上であらゆる手助けをし、またその子
供たちにも伯父のように愛情をもって接していた。
室内楽曲として書かれた 14 曲からなる組曲《動物の謝肉祭》(1886)は、様々な動物の生態を機知に富
んだやり方で描いた作品である。オッフェンバックの《天国と地獄》の旋律をわざとゆっくり演奏する「亀」
など、ほかの作曲家の曲の一節をパロディーとして用いたり、「森の奥のカッコウ」のように動物の鳴き声
を模したフレーズを挿入したりしている。もともと私的な会で楽しむことを目的とした内輪の冗談ともいえ
る作品だったため、サン=サーンスは生涯この作品の公開演奏と楽譜の出版を禁じていたが、唯一例外として、
生前に出版が許されていたのが「白鳥」である。これは、白鳥のなめらかで優美な動きを想わせる美しい曲
で、有名なバレエの演目「瀕死の白鳥」でも使われる。
ガブリエル・フォーレ
Gabriel Fauré (1845-1924)
フォーレは、サン=サーンスの愛弟子で、師の明確にフランス的な音楽
の伝統を継承した。二人の間には親愛に満ちた書簡が多く交わされている。
フォーレは幼少期にオルガンに触れて楽才を開花させ、パリのマドレーヌ
教会で主席オルガニストも務めた。1871 年には、サン=サーンス、フラン
クと共に国民音楽協会を創設した。1896 年よりパリ音楽院で作曲を教え、
1905 年からは校長を務めたが、聴覚を失って 1920 年に辞職した。
上品で洗練されたフォーレの旋律は、フランス音楽の貴族的な特質を具
現化している。主として叙情性に満ちた室内楽曲、とくにショパンの系統
を汲むサロン用のピアノ曲を多く書いた。派手さはないが緻密で内省的な
フォーレの音楽は、後に続くドビュッシーやラヴェルへの道筋を作った。
《チェロとピアノのためのエレジー ハ短調》作品 24(1880)は、チェロと管弦楽のための楽曲を二重奏
版にしたものである。エレジー(Élégie)とは、悲しみを歌った楽曲で、一般に「哀歌」と訳される。フォ
ーレはチェロに特別な愛着があり、本曲は未完のチェロソナタの緩徐楽章として構想された。典型的な三部
形式で、もの悲しく厳粛なハ短調の始まりから、メロディーの変化とともに中間部は変イ長調に転調する。
クライマックスでは、恋の絶望を象徴する濃密でテンポの早い楽節が現れ、大波のようなピアノのアルペッ
ジョがチェロの旋律を支える。最後は力尽きるかのようにテンポは遅くなり、音は儚く消えていく。
モーリス・ラヴェル
Maurice Ravel (1875-1937)
ラヴェルは、スペイン国境に近いバスク地方の小村に生まれた。7 歳で最
初のピアノのレッスンを受け、14 歳でパリ音楽院への入学を許可される。ア
カデミックな教育に合わず一度は退学するが、1898 年にフォーレの作曲クラ
スに入り直す。国民音楽協会のリサイタルで作曲家デビューしたのち、5 度に
わたってローマ賞に挑戦するものの受賞を逃した。5 年目にはパリ音楽院校長
の辞任騒ぎにまで発展した、この「ラヴェル事件」はつとに有名である。後
任の院長にはフォーレが就任した。初期にはフォーレやドビュッシーなど、
叙情的な作曲家の影響を受けたが、ラヴェルがより惹かれたのは、すっきり
した透明な旋律、明確なリズム、堅固な構成であった。
《水の戯れ》(1901)は、パリ音楽院在学中に創られ、当時の師フォーレに献呈されている。ラヴェルの
ピアノ曲の中でも際立って斬新な響きを試みたと同時に、自らのピアノ書法を確立した重要な作品である。
サン=サーンスが「不協和音に満ちた作品」と批判したが、当時としては斬新な 9 度 11 度といった不協和音
とアルペッジョをふんだんに取り入れ、緊張感に満ちた美を構築している。本曲は、題辞に掲げたレニエの
詩のほか、リストのピアノ曲《エステ荘の噴水》からインスピレーションを受け、噴水から転がり落ちる水
の動きが華麗に表現されている。ラヴェルの目指したのは感情的な曲想の描写ではなく、高度な技巧が支え
る精妙な音響による描写であった。
《ピアノ三重奏曲》(1914)は、ラヴェルの室内楽曲における古典形式への好みをはっきり表した作品で
ある。その年の夏、ラヴェルは母のルーツであるバスク地方に滞在しており、本曲の構想にもバスクの民族
音楽、とくに 8 分の 7 や 8 分の 5 といった不規則拍子を取り入れた。その一方、ピアノと弦楽器の音色のバ
ランスに苦心し、トリルやグリッサンド、アルペッジョを盛り込んだため、演奏者にはより高い技巧が要求
されることになった。第一次世界大戦が勃発したことから、徴兵に応じる意思のあったラヴェルは「5 か月
分の仕事を 5 週間で仕上げた」と友人に書き送っている。そして翌年 3 月には、志願兵として砲兵隊に従軍
する。生まれ故郷での集中的な制作が、この作品の高い完成度をもたらしたと見られる。
第 1 楽章 Modéré(モデラートで、適度な速さで):ピアノの呼びかけから始まるバスクの伝統舞曲の描写で
ある。古典的なソナタ形式。
第 2 楽章 Pantoum, Assez vif(パントゥム、かなり生き生きと):マレー語の「パントゥム」という詩形の
韻律を模倣した、独特のリズムが特徴的である。
第 3 楽章 Passacaille, Très large(パッサカリア、ラルゴで、幅広くゆったりと):オクターヴの伴奏が反復
され、バロック趣味の情緒を醸し出す。
第 4 楽章 Final, Animé(終曲、生き生きと):第 1 楽章と同様に変拍子が表れ、弦楽器のアルペッジョを背
景にピアノが第一主題を奏でる。3 人の演者の技巧が極限まで引き出され、華麗な情熱溢れるコーダで終
了する。
クロード・ドビュッシー
Claude Debussy (1862-1918)
ドビュッシーは、パリ近郊の町サン・ジェルマン=アン=レーに生まれた。両
親は陶器店を経営していたが、まもなく経営が破綻。さらに、1871年のパリ・
コミューンの際に、革命に加担した罪で父が投獄されるなど、不安定な家庭環
境のなかで幼少期を過ごした。9才のときに、詩人ヴェルレーヌの義母マリー・
ド・フルールヴィル夫人に基礎的な音楽の手ほどきを受け、10才でパリ音楽院
の入学試験に合格する。彼は最初ピアニストを目指したがピアノの試験で賞を
得られず、その後作曲家を志すこととなった。
《牧神の午後への前奏曲》(1894)
ステファーヌ・マラルメの長編詩「半獣神の午後」は、まず 1865 年に「半獣神独白」としてコメディー・
フランセーズ座での劇上演を目指して制作されたが、オーディションで不採用となった。1875 年にト書きを
削除し純粋詩に改作した「半獣神即興」を『第三次現代高踏派詩集』に掲載を拒否されると、翌年エドゥア
ール・マネの挿絵入り豪華限定出版として『半獣神の午後 —— 牧歌』を公刊した。マラルメは 1890 年にド
ビュッシーと出会い、翌年に予定していた「半獣神の午後」の舞台上演のための音楽を委嘱する。舞台上演
は中止となったが、ドビュッシーは作曲を続け、当初、前奏曲、間奏曲、敷衍曲の三部の予定だったが、1894
年に前奏曲ができると、完璧な構成に満足しそれだけを発表した。この曲は本来、オーケストラ曲で、牧神
パーンの葦笛(パンフルート)を表す印象的な半音階で始まる主題がフルート独奏で奏でられる。バレエ・
リュス(ロシア・バレエ団)の振付師ディアギレフとダンサーのニジンスキーは、古代ギリシアの均整美と
色彩性を彷彿とさせる《牧神の午後への前奏曲》をバレエにすることを思いつき、1912 年にパリで上演され
た。エロティックな演出はスキャンダルとなったが、スキャンダルがかえって人気を呼び、1913 年までのニ
ジンスキーの短い現役時代の重要なレパートリーの一つとなった。
(左・中)ニジンスキーのバレエ《牧神の午後》
(右)レオン・バクスト
バレエ《牧神の午後》プログラム
《弦楽四重奏曲
作品 10》(1893)
ドビュッシー唯一の弦楽四重奏曲で、親しくなった先輩作曲家のエルネスト・ショーソンに献呈しようと
したが、イザイ弦楽四重奏団による初演を聴いたショーソン自身の反応が思わしくなく、やむなくイザイ弦
楽四重奏団に献呈された。今日ドビュッシー初期の、また近代室内楽史上の重要な作品と評価されるこの曲
も、初演当初はあまり反響がなかった。1894 年の楽譜出版時「作品 10」とされたが理由は不明。ドビュッ
シーとしては四楽章構成の古典的形式をもつ珍しい作品で、循環形式により各楽章が関連付けられる点でセ
ザール・フランクの強い影響がみられるが、ドビュッシー独自の旋法和声が使用され、革新的な傑作となっ
ている。
第 1 楽章 Animé et très décidé (活発に、そして非常に決然と)
冒頭、全楽曲で繰り返される旋法和声に
よる循環主題が第一ヴァイオリンによって提示される。
第 2 楽章 Assez vif et bien rythmé (かなり生き生きと、とてもリズミカルに) ピチカート奏法が印象的な
スケルツォ風の諧謔的な楽章
第 3 楽章 Andantino, doucement expressif (アンダンティーノ、優しく表情豊かに)
官能的・叙情的であ
ると同時に精神的な深みのある緩徐楽章
第 4 楽章 Très modéré (非常に穏やかに) 緩やかな序奏に始まり、次第に速度を速めて主題がさまざまに
変奏される。
ラファエル前派兄弟団
Pre-Raphaelite Brotherhood
1848 年にダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-1882)、ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-1896)、
ウィリアム・ハント(1827-1910)を中心に結成されたイギリスの芸術家グループ。アカデミーにおける古
典偏重の美術教育に反発し、アカデミーが範としたルネサンスの巨匠ラファエロ以前の、中世や初期ルネサ
ンスの芸術から着想を得ようとした。優美な女性像を象徴主義的に描いた作品が多い。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ Dante Gabriel Rossetti (1828-1882)
イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)の
ベアトリーチェへの思いを歌った詩文集『新生』から着想
を得た作品。赤い服を着た天使に導かれ、死の床にあるベ
アトリーチェのもとにやってきたダンテが描かれている。
ドビュッシーは、ロセッティの詩「祝福されし乙女」に
魅せられ、1893 年管弦楽のためのカンタータ《選ばれし
乙女》を発表した。
《ベアトリスの死に際するダンテの夢》1871 年
エドワード・バーン=ジョーンズ
Edward Burne-Jones (1833-1898)
ロセッティの下で学び、大きな影響を受けて自らの作風を築いた。絵画
のほか、ステンドグラスの制作にも打ち込み、タイルやタペストリーなど
の工芸品も手がけた。この作品は油彩ではなくテンペラで描かれている。
テンペラとは、顔料に卵黄混ぜる絵画技法で、中世〜14 世紀イタリアのル
ネサンス初期に一般的な画法だが、19 世紀イギリスではほとんど使われる
ことはなかった。画材の選択においても、バーン=ジョーンズの中世趣味が
伺える。この作品は制作後 10 年間画家の手元に置かれていた。
現実世界の描写に依拠しない音楽を理想的な芸術と考えたことから、画
面に音楽を暗示する要素を取り入れるのも象徴主義絵画のひとつの特徴で
ある。
《フラジォレットを吹く天使》1878 年
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー James Abbott McNeill Whistler (1834-1903)
アメリカ生まれの画家ホイッスラーは、パリで美術を学びロンドンと
パリを活動の拠点とした。マラルメとも親しく頻繁に書簡のやりとりを
し、マラルメの「火曜会」にも参加していた。マラルメの詩集『詩と散
文』の口絵に銅版画の肖像画も制作している。
ホイッスラーは「シンフォニー」「アレンジメント」「ハーモニー」
など音楽用語を用いた作品を多く制作している。この作品は夜の情景を
描いた「ノクターン」シリーズのうちのひとつ。オールド・パターシー・
ブリッジの一部を大胆に切り取っている。こうした構図や、デフォルメ
された橋の形状などに明らかな浮世絵からの影響が見られる。
《青と金のノクターン:オールド・パターシー・ブリッジ》1872-75 年
クロード・モネ
Claude Monet (1840-1926)
印象派を代表する画家。時間や天候、季節によって移り変わる光と色彩の変化を追求した。《アンティー
ブ》はフランス南部コート・ダジュールの町。地中海地方の輝く光がとらえられている。《ジヴェルニー近
くのセーヌ川》では、川にボートを浮かべ水面近くに視点を置いている。画面を二分する水平線を中心に、
実際の景色と水面への反映とが対称的に配置された構図が、現実と幻影との境目を曖昧にし、幻想的な雰囲
気を生んでいる。晩年のモネの作品には象徴主義との共鳴も感じられる。モネはマラルメとも親しかった。
《アンティーブ》
1888 年
《ジヴェルニー近くのセーヌ川》1897 年
エドガー・ドガ
Edgar Degas (1834-1917)
モネ、ルノワールらとともに印象派のグループ展に参加したが、
自然の風景や光の移り変わりを描いたモネとは異なり、都市の情
景に関心を寄せていた。とくにバレリーナはドガが頻繁に取りあ
げたテーマ。舞台上や練習中のバレリーナのさまざまな姿勢を鋭
い観察力で的確に捉えている。この作品では、画面の端を大胆に
切り取ったことで、練習中の情景をスナップショットでとらえた
ような臨場感が生まれている。しかし、実際はおそらく、3 人の
それぞれ異なるポーズはアトリエでじっくり研究し、考え抜かれ
たものだろう。窓からはパリの風景が見える。
ドビュッシーはドガの絵画を愛していた。
《3 人の踊り子》1873 年
ポール・シニャック
Paul Signac (1863-1935)
ジョルジュ・スーラ(1859-1891)によって創始さ
れた、印象派のタッチをより規則的な点として配置す
る点描画法を引き継ぎ、短命だったスーラに替わって
新印象派の中心的存在となった。やや横長の細かいタ
ッチで画面全体が覆われ、夕日が海に反射する様子が
効果的に表現されている。
海を愛し自らヨットを操縦したシニャックは、当時
まだ小さな漁村だったコート・ダジュールのサン=ト
ロペに暮らし、海辺や港の風景、ヨットなどを好んで
描いた。
《夕刻の港、赤い入り日、サン=トロペ》1906 年
オディロン・ルドン
Odilon Redon (1840-1916)
フランス絵画における象徴主義を代表する画家。眼に見える世界を忠実に描くのではなく、内的世界や抽
象的な観念を、象徴的暗示的に描き出すことを目指した。ルドンは文学作品に深い関心を抱いており、マラ
ルメ、ポー、ボードレールなど文学作品に基づく作品を数多く残している。とくにマラルメとはお互いの資
と う し いってき
質をよく理解し影響を与え合う存在で、マラルメの散文詩「骰子一擲」の挿絵も手がけている。
《ベアトリーチェ》はダンテが思いを寄せ、詩に歌った女性。《パンドラ》はギリシア神話において「パ
ンドラの箱」を開けることで人類に災いをもたらした。作品ではいずれも物語性は薄められ、女性を手の届
かない存在として象徴的に表現している。
《内省》1900-05 年
モーリス・ドニ
《ベアトリーチェ》 1885 年
《パンドラ》 1914 年
Maurice Denis (1870-1943)
象徴主義的な芸術家グループ、ナビ派(1888 年~1900 年頃)の中心的な画家。扱う主題は、家族の日常風
景や余暇を過ごす人々、神話や宗教と幅広い。ナビ派解散後は特に宗教的な主題に傾倒し教会の壁面装飾も
手がけた。《聖ユベール伝説》は 7-8 世紀、オランダ・フランドルの領主ユベールが狩猟に情熱を燃やすあ
まり安息日にも狩猟に出かけ、神に戒められて悔い改めたという伝説を描いた連作。《葉叢のなかの梯子》
は、友人のアンリ・ルロール宅の天井画として描かれた。梯子に上る 4 人の女性という主題は、旧約聖書の
「ヤコブの梯子」を思わせる。《9 月の夕方》では妻のマルトが娘のドミニクに授乳する場面が描かれてい
る。この作品において、浜辺の人々は単なる日常生活の一場面に留まらず、一種のアルカディア(理想郷)
として表現されている。
《聖ユベール伝説》1897 年
《黄昏》年
1892 年
《葉叢のなかの梯子》1892 年
《9 月の夕方》1911 年
半獣神(牧神)[パーン(古代ギリシア)ファウヌス(古代ローマ)]
ギリシアの森と田園の神。山羊のような脚、角、尖った耳をもつ。シューリンクスという葦笛(パンフル
ート)がトレードマークだが、これはニンフのシューリンクスがパーンから逃れるために葦に姿を変え、そ
れをパーンが楽器にしたもの。粗野で好色な神で、ニンフや羊飼いの少女を誘惑すると考えられていた。
ウィリアム・ブグロー
1873 年
ジョン・ラインハート・ウェグリン 1905 年
出演者紹介
第一部
ピアノ
野田清隆(のだ・きよたか)
東京藝術大学で、ブラームスと 20 世紀作品を組み合わせた一連のリサイ
タルにより博士号を取得。1995 年日本音楽コンクール第 1 位および各賞受
賞。室内楽で多くの名手と共演を重ねるかたわら、近年では下野竜也、広
上淳一ら指揮者の信頼が篤く、ソリストとして読響、日本フィル、京都市
響などに客演。藝大ピアノ科および室内楽科講師を経て、現在東京学芸大学准教授、ならびに東
京音楽大学指揮科特別アドヴァイザーなど教育にも力を注ぐ。東京クライス・アンサンブル、ト
リオ・エドアルテのメンバー。
チェロ
中実穂(なか・みほ)
5 歳よりチェロを始める。桐朋学園大学音楽学部卒業。東京藝術大学大学院
音楽研究科修士課程修了後、ベルリン芸術大学にて研鑽を積み、国家演奏家資
格取得。これまでにチェロを津田朝子、井上頼豊、松波恵子、山崎伸子、マル
クス・ニコシュの各氏に師事。室内楽を毛利伯朗、岡山潔、山崎伸子、クァル
テット・エクセルシオに師事。第 8 回ビバホールチェロコンクール第 4 位、第
77 回日本音楽コンクールチェロ部門入選。平成 17 年日演連推薦・新人演奏会
にて大阪フィルハーモニー交響楽団と共演。東京・春・音楽祭特別公演など多
数出演。現在室内楽、オーケストラで幅広く活動している。
ヴァイオリン
水林彪(みずばやし・たけし)
アマチュア演奏家。本業は法学研究・大学教員。5 歳の頃にヴァイオリン
を始め、中学 2 年まで故鈴木共子先生に師事。2010 年「みなとみらいアマ
チュア室内楽フェスティバル」に参加、ブラームスのソナタ 3 番でリサイ
タル開催の賞を受賞。その準備過程で、野田清隆先生にレッスンを依頼、こ
れが機縁となって、コンサートで先生との「共演」がかなった。
第二部
ヴァイオリン
島田真千子(しまだ・まちこ)
東京芸大附属音楽高校を経て東京芸術大学を首席で卒業後、6 年間ドイツにて
研鑽を積み 2005 年デトモルト音楽大学院を最優秀で修了。これまで日本音楽コン
クール 2 位、日本モーツァルト音楽コンクール 1 位、パガニーニ国際コンクール
やJ.Sバッハ国際コンクールで入賞、愛知県芸術文化選奨文化賞を受賞。ソリス
トとして各地でのリサイタルやオーケストラと共演する他、サイトウ・キネン・オ
ーケストラ、東京春祭チェンバーのメンバーとしても活躍。2015 年にはバッハ無
伴奏ソナタ&パルティータを収録した CD をリリース。現在、水戸室内管弦楽団メンバーおよびセ
ントラル愛知交響楽団ソロコンサートマスター。NPO 法人イエロー・エンジェルより G.B ガダニ
ーニ(1769 年)を貸与されている。ホームページ http://www.machikoshimada.com
ヴァイオリン
直江智沙子(なおえ・ちさこ)
桐朋女子高等学校を経て桐朋学園大学を卒業。これまで小澤征爾音楽塾、サイ
トウキネン若い人のための勉強会、宮崎国際音楽祭、JT 室内楽シリーズ、東京の
オペラの森、プロジェクト Q、サイトウキネンフェスティバル松本、みなとみら
いクラシッククルーズなどに出演。これまでに徳永二男氏に師事。ロームミュー
ジックファンデーションの奨学金を得てベルリンに留学。シュテファンピカール
氏に師事。2011 年度紀尾井シンフォニエッタシーズンメンバー。現在神奈川フィ
ルハーモニー管弦楽団第 2 ヴァイオリン首席奏者。
ヴィオラ
横溝耕一(よこみぞ・こういち)
桐朋学園大学卒業。在学中に Verus String Quartet を結成し第 57 回ミュンヘ
ン国際音楽コンクール弦楽四重奏部門第 3 位入賞。これまでに宮崎国際音楽祭、
別府アルゲリッチ音楽祭、サイトウキネン室内楽勉強会、サイトウキネンフェス
ティバル松本等に参加。小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト、オーケストラ・
プロジェクトではコンサートマスターを、アルゲリッチ音楽祭ではソリストを務
める。これまでに小森谷巧、堀正文、徳永二男の各氏に師事。室内楽を徳永二男、
毛利伯郎、原田幸一郎、東京クヮルテットの各氏に師事。09 年 Verus String
Quartet を脱退し、13 年より復帰。NHK 交響楽団ヴァイオリン奏者。
チェロ
辻本玲(つじもと・れい)
東京藝術大学音楽学部器楽科を首席で卒業。その後シベリウス・アカデミー、
ベルン芸術大学に留学。第 72 回日本音楽コンクール第 2 位。2009 年ガスパー
ル・カサド国際チェロ・コンクール第 3 位入賞(日本人最高位)。2011 年に東
京サントリーホール他 5 大都市でデビュー・リサイタルを開催。2013 年齋藤秀
雄メモリアル基金賞を受賞。サイトウ・キネン・オーケストラに毎年参加するほ
か、アルカス佐世保レジデンス・カルテットなど室内楽でも活動。日本フィルハ
ーモニー交響楽団ソロ・チェロ奏者。使用楽器は、NPO 法人イエロー・エンジ
ェルより貸与の 1724 年製作のアントニオ・ストラディヴァリウス。
公式サイト
http://www.rei-tsujimoto.com
朗読
ジョルジュ・ヴェスィエール=佐藤
慶應義塾大学 SFC、明治大学非常勤講師。パリ第四大学(ソルボンヌ)博士課程。専門はフラ
ンス中世文学。
長岡立子(ながおか・りつこ)
話芸集団「ぶれさんぽうず」の斉藤由織氏より朗読の教えを受ける。「朗読 土筆の会」定例公
演、古楽器ヴィオラ・ダ・ガンバと朗読の共演などに参加。カフェ朗読会、イベント司会もこな
す。
プログラム作成協力
松橋麻利(獨協大学)