高 橋;オ 133 ー ス トラ リア の 野 生 化 ラ ク ダ オ ー ス トラ リア の 野 生 化 ラ ク ダ 高 橋 春 成 車 FeralCamelinAustralia ShunjoTAKAHAS田 1分 《1)分 布 と発 生 過 程 布 響 オ ー ス トラ リア は、 野 生 化 ラ ク ダが 生 息 す る世 界 で 唯 一 の地 域 で あ る。 当地 で野 生 化 した ラ ク ダは ヒ トコ ブ ラ ク ダ(写 真1)で 、 推 定 生 息 数 は 約2万 頭 と いわ れ る。 4「 、 \ ぱ 購. ∵ 臨 ひ∴t 隷 碑 ξ 職i、 豪;ぜ 薪 二 箒 ,調 ・∴ボ 妻 欝 皆海 塙 議謬 岬 画. 誰蓬 生 化 ラ ク ダ(1981年.ニ 瀬 イ 窩鵬臨坤 島 .蟹 蜂、 讐縄醐 凹 寒 喪 甘賦, 、 -炉、 ぐ劃評 群 ・ 漁 嶺蹄覧臨 、 ・ ㌃ ・ 運欝 ﹂ F身 丁岬高 ' 曲算 ︾ 籍 酔 沖旨 鼻艶 吊串 ・ 三 細 Ψ 鵬盤 苛 写 真1野 嘱灘 葵 ㌧ 讐 ド' 一誰4灘 馴 証 疑艦 灘 擦∴ 贈 『' 晶1顎 ュ ー サ ウ ス ウ ェ ー ル ズ 西 部) か つ て 、 原 種 で あ る 野 生 の ヒ ト コ ブ ラ ク ダ は ア ラ ビ ア 半 島 の 乾 燥 地 に 生 息 して い た 。 しか し、 現 在 で は 家 畜 化 さ れ た も の が ア フ リ カ 北 部 や 北 東 部 、 中 近 東 、 中 央 ア ジ ァ に み ら れ る だ け で 、 野 生 の ヒ ト コ ブ ラ ク ダ は ア ラ ビ ア 半 島 か ら 姿 を 消 し て し ま っ た 。 今 日、 野 生 化 した も の と は い え 、 野 生 の 状 態 の ヒ ト コ ブ ラ ク ダ が 生 息 す る の は オ ー ス トラ リ ア だ け で あ る。 野 生 化 し た ラ ク ダ は 、 ウ ェ ス タ ソ オ ー ス トラ リ ア 、 サ ウ ス オ ー ス ト ラ リ ア 、 ノ ー ザ ソ テ リ ト リー 、 ク イ ソ ズ ラ ソ ドの 各 州 と連 邦 政 府 直 轄 地 に ひ ろ が る 乾 燥 地 に 適 応 して い る(高 .., ,1995)。 (マ ル ガ)を 平 成6年9.月22日 橋, 野 生 化 ラ クダ は 、 内陸 の 乾燥 地 に み られ る湖 の 周 辺 な どで 、 ア カ シ ァ低 木 林 は じ め と す る 幅 ひ ろ い 植 物 を 食 料 と し て 生 活 して い る 。 受理 索地 理 学 教 室 134 奈 良 大 学 紀 要 第23号 野 生 化 ラ ク ダは 、 通 常 小 さな 群 れ で 行 動 して い るが 、 旱 ば つ の 厳 しい時 に は 水 や食 料 を求 め て数 百 頭 の 群 れ とな る こ とが あ る と い わ れ る。 彼 らは きわ だ っ て移 動 性 に 富 む動 物 で 、 そ の 行 動 範 囲 は ひ ろ い。 野 生 化 ラ ク ダの捕 食 者 に は デ ィ ソ ゴが あ げ られ るが 、 病 気 にな っ た り傷 つ い た子 ラ ク ダが 捕 食 の 対象 にな るに と どま る。 しか し、 乾 燥 地 に 適応 を とげ て い る野 生 化 ラ ク ダ も、 早 ば つ の厳 しい 時 に は 水 や食 料 の 不足 か ら多 数 の もの が 死 ぬ とい わ れ る。 (2)売 生過程 才 一 ス トラ リア に お け る ラ ク ダの 野 生 化 の 発 生 過 程 を、 主 にMcKnight(1969,1976)を 参 考 に しな が ら整 理 す る。 オ ー ス トラ リア に最 初 の ラ ク ダ が導 入 され た の は1840年 の こ とで 、 ア デ レー ドと メル ボル ソに 陸 揚 げ され た 。 そ の 後 、1860年 に は 大陸 縦 断 の探 検 隊 用 に"ア フ ガ ソ"S)と 呼 ば れ た3 名 の ラ ク ダ使 い と と もに24頭 の ラ ク ダ が持 ち 込 まれ た 。 ラ ク ダ は ブ タや ヤ ギ な ど に 比較 す る と約 半世 紀 遅 れ て 導 入 され た が 、 それ は この 家 畜 が 内 陸 部 に ひ ろ が る乾 燥 ・半 乾燥 地 の 探 検 や 開拓 用 の 家 畜 と して 必要 で あ っ た か らで あ る。 オ ー ス トラ リアで は19世 紀 の中 頃 よ り内陸 部 の探 検 や 開 拓 が本 格 化 す るが 、 そ れ を す す め て い くにお いて 、 乾燥 した 環 境 にす ぐれ て適 応 力 の あ る ラク ダ は欠 く こ との で きな い 家 畜 で あ った 。1840年 ∼1907年 に か け て 、 内陸 部 に ひ ろ が る乾 燥 ・半 乾 燥 地 の探 検 や 開 拓 用 の 家 畜 と して 外 部 か ら導 入 され た ラク ダは1∼2万 頭 にの ほ った 。 当 時 探検 以 外 で も ラ ク ダの 用 途 は ひ ろ く、運 搬 用 の 家 畜 と して 各 方 面 で使 用 され た 。 た と えば 、 鉱 山 で は食 料 、器 具 類 、機 械 類 、 鉱 石 な どを運 搬 し、 ま た ヒ ヅ ジ牧 場 で は刈 りと った ヒツ ジの毛 の運 送 を担 った 。 さ ら に、鉄 道 の 敷 設(写 真2)、 ウ サ ギ防 除 柵 や 州境 の棚 の 設 置 、電 信 線 の取 り付 け 工事 、 井 戸 掘 りで も運 搬 用 家 畜 と して 使 用 され た(写 真3)。 そ の他 、 パ トロール や郵 便 配達 時 の乗物 と して も使 われ た。 ま さに当 時 の ラ ク ダは"砂 漠 の船 卿 で あ っ た。 な お、 ラ ク ダの ミル クや 肉が 利 用 さ れ る こ とは まれ で あ った 。 離 蝋,触 町 ・ 僻 こ 一 ・-wO.← ・y" 葉 轡 ∫物 ㌦ 認.}一_._一. 卿 く 舅 禦 孚㌻綴 翻 あ;多多鵬 零翼3(導智鵬 ノ8-一 ザソテ リトリー) 揚 鑑 縞;多多舳 臨 ノーザソテリトリー〉 オ ー ス ト ラ リ ア で ラ ク ダ の 野 生 化 が 生 じた の は 、19世 紀 の 後 半 と み ら れ る。1860年 代に行 わ れ た 内 陸 部 へ の 探 検 時 に す で に 少 数 の ラ ク ダ の 逃 亡 が あr)た と い わ れ 、19世 紀 後 半 の 探 検 時 に は ラ ク ダ の 逃 亡 や 遺 棄 は そ れ ほ ど め ず ら し くオ【か っ た よ うで あ る(Long,1988)。 しか し 、 ラ ク ダ の 野 生 化 が 目立 っ て 進 行 す る の は1920年 代 に は い って か らで あ る。 この 頃 よ り 、 オ ー ス トラ リア で は 道 路 網 の 整 備 や モ ー タ リゼ ー シ ョ ソ が す す み 、 飼 育 価 値 の 低 下 し た ラ ク ダ の 遺 棄 が 各 所 で み ら れ た 。 そ の 結 果 、1920年 化 が進 行 した。 代 か ら1930年 代 に か け て ラ ク ダ の 野 生 高橋=オ ー ス トラ リアの 野生 化 ラク ダ n有 135 害性と活用面 野 生 化 した ラ ク ダは 、 食料 と して依 存 して い る ア カ シァ 低 木 林(マ ル ガ)を 食 害 して い る。 ま た野 生 化 ラ ク ダの 活 動 は 、 乾 燥 地 に生 息 す る在 来 の小 動 物 に も影 響 を もた ら して い る と推 察 され て い る。 農 業 面 へ の被 害 と して は 、 砂 漠 周 辺 の 牧場 の柵 の 破 損 や 、 早 ば つ 時 に お け る家畜 用 の 水 飲 み 場 の破 壊 が 指 摘 され る。 棚 の 破損 は 、 デ ィ ソ ゴや ウ サ ギ な どの 侵 入 を許 す と と もに 家 畜 の 逃 亡 を生 じ させ る。 ま た早 ば つ時 に は 、飲 水 を め く.って放 牧 家 畜 と競 合 す る。 一 方 、 野 生 化 ラ ク ダは次 の よ うに活 用 され て い る。 野 生 化 ラ ク ダは時 折 ア ボ リジニ に よ って 捕 獲 され 、 駄 獣 と して 利 用 さ れ て きた(McKnight,1969,1976)。 また 今 日、 捕 獲 され た 野 生 化 ラ ク ダの一 部 が 中東 に ラ クダ レー ス 用 や 肉用 と して輸 出 され て い る。 野 生 化 ラ ク ダの 肉 は、 近 年 レス トラ ソの グル メ用 の メニ ュー に も登 場 して い る。 そ の他 、 サ ー カ ス や動 物 園用 の 動 物 と して も輸 出 され て い る し、 医学 や科 学 用 の 実験 動 物 と して も活 用 され て い る。 しか し、 遠 隔 地 の 乾 燥 地 に野 生 化 して い る ラ ク ダの 捕 獲 は 困難 を伴 う場 合 が多 い。 野 生 化 ラ 譲 ク ダの駆 り集 め に は ヘ リコプ ター 、 トラ ッ ク、 オ ー トバ イ な ど も使 用 され て い る が、 旱 ば つ 時 に水 飲 み 場 な どで 一 挙 に捕 獲 す る場 合 を 除 く と、 費 や す 労 力 や経 費 の割 りに成 果 は乏Lい 。 捕 獲 され た ラク ダは ま た、 ア リスス プ リソ グ ス周辺 の ラ ク ダ牧 場 な どで 飼 育 され 、 乾 燥 地 に お け る観 光 の ア トラ クシ ョ ソに な って い る。 こ こで は 、 牧 場 内 で の ラ クダ乗 り(写 真4)や ラ ク ダ を使,)た ア ウ トバ ックへ の旅 行 がで き、 さ らに ラ ク ダ の売 買 も行 わ れて い る。 野 生 化 ラ ク ダの コ ソ トロ ール 方 法 には 生 け捕 り(生 け捕 り後 は活 用 され る こと が 多 い)と 銃 殺 がみ られ る が 、 遠 隔 地 で 人 目 にふ れ ず 生 活 して い る野 生 化 ラ ク ダの 実 態 は よ く知 られ て お らず 、今 後 は そ の 生 態 や 乾 燥 地 にお け る在 来 の生 態 系 へ の被 害 な ど に 関 して 情 報 収 集 を は か る必 要 が あ る。 鞭 輩 賦﹄," 牝 オぬヰま けがけ ー ジ ニ ア ラ ク ダ牧 場.ノ 蛙.再垂 ぜ ヰ ハお 場 内 で の ラ ク ダ乗 り(1987年.パ 鴫 卯 辞 惣 } 、編 淵 写 真4牧 凱納 黙 灘 ー ザ ソ テ リ ト リー) 注 i)醒 ア フ ガ ソ"と れ た。 呼 ば れ た ラ ク ダ 使 い に は 、 エ ジ プ ト人 、 ペ ル シ ア 人 、 イ ソ ド人 、 ト ル コ人 な ど も 含 ま 136 奈 良 大 学 紀 要 第23号 文 高 橋 春 成(1994):『 荒 野 に 生 き る 一 オ ー ス ト ラ リ ア の 野 生 化 高 橋 春 成 野 生 動 物 と 野 生 化 家 畜 』 大 明 堂,316ペ く1995)1『 Long,工L、(1988)=Introducedム 囮5aη し た 家 畜 た ち 』 ど う ぶ つ 社,101ペ ー・ジ, ゴ 、!/:////inWesternAustralia. AgricultureProtectionBoardofWesternAustralia,56p. McKnight,T.(1969)=The6餌 McRnight,T,〈1976)=Friendlyワ8価 θ〃 刀AusLraUe.MelbourneUniversityPress,Melbcaurne,154p. 加'e5uハ 旭yofbra/livestock∠oAustrelis.Universityof CaliforniaPress,22,Berkeley,104p. Summary Feralcamelsavereintroducedfordraughtandtransport,andusedDarticularlyinthe explorationofthegridarea.A5motortransportimproved,camelswerereleasedorescaped andfo皿edtheferalpopulation. Theymaydamagethenativeplantsandanimalsofandareaaswellasfencesandwatering points.Ontheotherhand,f6ralcamelsandcapturedca、 皿elsareusedinthetouristindustry. ー ジ.
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