YMN002901

コ
ら
悲
解
し
田
登
っ
ってうたわれた自己劇化の歌集であった。その 口 一握の砂 ﹂に設定
大逆事件発覚の翌明治四十四年の正月、﹁一新聞社の雇
一 人として
ゐ たが、 ム﹁
ではもう 時曙 しない、無論社会主義は最後の理想ではなⅠ
ツ
@Ⅰ
ノ
Ⅰ
僕は長い間自分を社会主義者と呼ぶことを端曙 して
生活しっ ふ将来の社会革命のために思考 し 準備して ゐ る ﹂啄木は 、
あったことを明らかにした。さらに、この﹁構 かなら ぬ 目付二が 、
﹁会 ふべき 詩 ﹂から﹁硝子窓﹂にいたる思想的動向のなかで文学を
類の社会的理想の結局は無政府主義の外にない︵
と してかたちど
相対化するまなざしの理念体︵ひいては批評精神︶
然し無政府主義はどこまでも最後の理想だ、実際家は先づ 社会
主義者、若しくは国家社会主義者でなくてはならぬ、僕 は僕の
られたことも明らかにした。かくてわれわれは、大逆事件後の啄木
泰八
短歌が﹁生活の側が標傍 されながら得られた偶然の産物 ﹂︵ム﹁北
し
ち
・
的
校
はのぬ
" モ忌
か
された 八 見る V方法の原点が、﹁何やらむ 構 かならぬ 目 付して 鶴噴
絶
望
。 と
す を
た 「
わ 悲
在呆
あ
太
八
ら
啄木短歌研究ノート㈱
)
な
人見るⅤことの意味︵その三︶
子
盛岡中学時代の友人瀬川深 につぎのようにい う 。
償
の
で
う
た
こ
・
も
氏
の
い
ら
な
い
燥
ぅ
焦
。
う
井
る
も
え
て
み
な
け
れ
ば
な
り
考
で
あ
ろ
を通
と
を
介
る
き玩
想
博
呪
チ
l
フ
な
と
に
な
コ
悲しき玩具 口
発
0
き放
㈲末期の眼でうたう
き
玩
具
こ
L
と
の
わが啄木はおのれの 八刹那々々の生命を愛惜する心 V を八 見る V
ことの発見によって、短歌という一つの小 詩形にドラマ 化した。 か
そ
の
V
を打つ群を見てゐる﹂︵﹁東京毎日新聞﹂萌花・4. 舛 ︶の 一首で
れの第一歌集 二握 の 砂 ﹂は、 八 見る Vという啄木矩歌の方法によ
諦
念
︵
明何 ・1.9 ︶
ウニ
全身の熱心を ム﹁この問題に傾けてゐる、﹁安楽を要 求 する
私注
︵のは︶人間の権利である﹂僕は ム﹁の一切の旧思想、旧 制度に
不満足だ 、
かかる理想実現の一途として、啄木は﹁﹁次の時代ヒ ﹁新しき社
一
さ うい ふ事を考へると幸徳と菅野が肺病だつたといふ事 をしみ
安藤正純宛 ︶、と﹁ 安楽なる生活と
いふものを将来に期待し得られない人間﹂︵同上︶の悲 惨 な姿を思
と感じます﹂︵ 明佃 ・2.%
い浮 べることになる。三月十五日の午後、つかの間の八安息 所 V と
なった大学病院を退院することになるが、病没するまでの 一年間、
解熱剤のピラミドンを服用しつつ﹁仰 向に寝たまし、 唇 を 結び、 眼
土岐 哀果と
ともに﹁樹木と果実﹂の創刊を計画し、﹁二年か三年の後には政治
の中で闘はせて ゐなければならなかつた﹂︵﹁病室より﹂︶ 八休み
球の痛くなるほど強く上限をつかつて、いつもの苦し い闘ひを 頭脳
会 ﹂といふものに対する青年の思想を煽動しよう﹂と、
%誌にして一方何等かの実行運動11普通選挙、婦人開放、ローマ
瀬川 深宛の書簡からちょうど一年後、啄木は上司の杉村広太郎宛
のない 戦 V がまぎれもなく啄木を待ちうけていた。
字普及、労働組合1 6初めたいと思って ゐ ます﹂︵ 明佃 ・2.6
に、大逆事件を﹁分水嶺にして段々と変って来たこの国 0社会情調
大島桂男児︶と表明する。それは、﹁文学本位の文学から一足踏み
出して コ
人民の中に行 口きたい﹂啄木にとって、まきに ﹁死 身にな
い考への底に突き落されます﹂︵明ぬ ・ェ ・9 ︶と﹁ ストライキの
の姿を思い浮べると、私はいつも自分では結論する事の出来ない 深
正午から一時までの間に青柳医学士から診て 貰った。 一目見て コこ
中に来た﹂明治四十五年の正月を病臥のなかで迎えぬばならぬ 暗渚
った。ところが、その年の二月一日、﹁大学の三浦内科 へ行って 、
れは大変だ ロと言ふ 。病名は慢性腹膜炎。一日も早く入院せよとの
たる心境を吐露している。追い討ちをかけるよう に母カ ッが 年来の
ってやらうとしてゐる仕事﹂︵明何 ・2.Ⅱ小田島 理牢死︶であ
事だつた﹂︵ 明何 ・2. エ日記︶というただならぬ事 態を迎える。
私の家を包んでゐる不幸の原因も分つたやう なものであ る 。私は ム﹁
肺結核であることが判明する。﹁母の病気が分つたと同時に、現在
並木武雄宛 ︶啄木であったが、﹁病院から出たあとの事
日 といふ ム﹁日 こそ自分が全く絶望の境に
﹁初め病院を自分の安息 所 とする積りで入院した﹂︵明 何 ・2.M
何だかかう 怖 らしくなります、﹁休みのない戦 ﹂に 出 かけるや う な
は かつた﹂︵ 明朽 ・1. 為 日記︶。この時点で、大逆事件
を 考へると、
気がします、何年かの後には屹度ム﹁度は肺病にでもか Ⅰつて死ぬこ
がまきに 八 死臭 V でぶつかろうとした文学的営為はことビとく ﹁絶
以後の啄木
ぬ ることを承認 せざるを 得
とでせう、コどうせ長くない生命だ長ければ長いだけ苦 しい生命だ三
望 の境 ﹂に崩壊したかにみえた。かかる深い﹁絶望の境﹂を見据え
ヮとう私は 、
、 ﹁た,
かし、深い絶望と悲しい諦念とにうちひしがれた﹁生ける屍として
長廊下か
死をまっのみ﹂の歌人ではなく、絶望の病名ともいうべき ﹁死に至
6宿﹂︵死ぬに死ねない病の謂︶と闘う歌人であった。
るかのように、啄木の絶筆﹁病室より﹂の末尾は
他 の一切のものを破壊する代りに、病み衰へた自分の躯をひと思ひ
㏄ド ア推してひと足出れば、病人の目にほてもなき
者の心理の機微をつぎのようにもうたう。
悲しみ﹂とに微妙な交錯をみせる。かかる﹁病人の目﹂で啄木は病
自覚が夜明けの﹁重きかなしみ﹂と夜のしじまの﹁ぼんやりとした
り掩は病人だ﹂︵﹁第十八号室より﹂︶というまぎらしようもない
られしほどさびしかりけり﹂若山喜京子﹁病院の窓﹂︶。﹁失 っぱ
病者の心境をよく伝えている︵﹁長廊下しばし足音とだえしが捨て
く離れて了ったやぅ﹂︵明何 ・2.4 日記︶な孤絶感に とらわれる
は、﹁病院の第一夜は淋しいものだつた。何だかもう世 の中から遠
﹁悲しき玩具﹂の病中
詠開巻としての意味をもつ。病院の ﹁長廊下﹂
夜 ﹂ 一0貰中の一百。入院中に詠出きれた歌であるばかりでなく、
ぬ の歌は、四十四年三月号の﹁文章世界﹂に発表された ﹁病院の
来て乗る。
Ⅲぼんやりとした悲しみが、 夜 となれば、寝台の上 にそつと
かなしみ。
Ⅲび つしよりと盗汗出てゐる あけがたのまだ覚めや らぬ重き
に破壊する事にまで考へ及んだ。私の苦しい考へ事はい つでも其処
コ啄木論序説 L の 著者がこの
へ来て結末になる。私はいつもの通りの浮かぬ顔をして、 もぞく き
と禾 を道 ひ出した﹂と結ばれている。
最後の感想をもって﹁思想的にも文学的にも挫折してしまった啄木
は 生ける 屍 として死をまつのみである﹂と裁定したことはもとより
われわれのよく知るところである。が、これもつとに桑 高日日一て八ぶⅢ
指摘するように、この﹁病室より﹂を投回した一月十 九日の日記の
最後に書きつけられた、﹁去年のうちは死ぬ事 ばかり 考へて ぬ た つ
けが、 此頃は何とかして生きなければならぬと思ふ﹂という啄木の
悲痛な声をわれわれは聞き落としてはならない。たしかに啄木自身
がこの日の日記にいう よ う に﹁私の家は病人の家だ、ど れもこれも
不愉快な顔をした病人の家﹂であった。が、はたして啄木自身は
﹁生ける 屍 として死をまつのみ﹂であったのか、どうか、あらため
八末期の眼とは V
て問い直すべき必要がある。
㈲
﹁悲しき玩具﹂を う た ぅ啄木はまさしく病者の歌人であ った 。 し
一一
Ⅲ何もかもいやになりゆくこの気持 よ。思ひ出して ほ 煙草を
吸ふ なり。
の両手を
親
口 すこし る けし寝顔に
みぬ|蝸
Ⅲ ひ nしぶりに、ふと声を出して 笑 ひて
採 むが可菜しきに。
Ⅲ児を叱れば、泣いて、寝入りめ。
電燈の球のぬくもりのさはれば指の皮膚に
さはり てみるかな。
Ⅲ秋近し |
しき 。
も 、たま
﹁何もかもいやになりゆく﹂絶望の淵に身をおきながら
V という 能動的・ 苦里心
さか﹁声を出して 笑 ひて みね ﹂という晴れやかな心情を忘れえぬ 琢
五Ⅰ ヰ
木 なればこそ、Ⅲ・Ⅲの歌のように八 さはる
的な行為によって病者特有のヒステリックな感情を鎮静 化させつつ
四囲との繊細な交流をはかりえたのであろう。別言す れば、病者の
文学の晴天といえる正岡子規の コ仰臥漫録 口に ﹁見え 8人の孤独﹂
を読みとった詩人の松永佑一氏がいう よ う に、﹁健康 な人間という
四
子規と同じく病苦に喘いだわが啄木もまた絶望︵しかぬ る︶視線を
唯一の武器として﹁死に至る病﹂と闘う 人間の四囲に う どめく諸相
をしたたかにとらえようとした。きらに、その視線は別れゆく 、去
りゆくすべての事物を厳正かつ柔和に眺めつつ、自己および現実を
変革せんとする﹁末期の眼﹂﹁病患﹂のまなざしを﹁悲しき玩具﹂
八 ﹁病志 ﹂のまなさしV
の歌人啄木にもたらすことにもなった。
㈲
宮崎宛 ︶、浮世 は なれした 八安急所 V であ
入院当初、啄木にとって病院は﹁その間だけ一切の責任が 解除さ
れる﹂︵ 明何 ・2.2
と 暢気なこ
った。﹁重い荷を下したやう な気持﹂で、﹁痛くないんだから、 仕
キ な事を言って ぬ たら、 あ なたの山上
ム叩
事 をしながら治療するといふやう な訳にいきませんか﹂
とをい う 啄木。﹁そんなノン
反して病める人間は死という決定的な恐怖をも予感しながら、 対時
うものの﹁然しまた日一年だけの生命﹂といふことが妙に頭を圧迫
結句﹁だまりし 心 !﹂には、﹁病気を苦にしないたちだから﹂とい
だ
はたりた一年です﹂という医者の言葉は啄木の肺肝を鋭くえぐる。
卯 そんならば生命が欲しくないのかと、医者に舌口はれて、
しているすべての事物を油断なく見ていなくてはならない ﹂からで
した﹂啄木の﹁ 血そのものを凝視している視線﹂︵木材勝矢︶が き
まりし 心|
ある。恐怖とからまった視線を唯一の武器として何かが生まれると
びしく読み据えられている。
のは四囲を見ない。時の移り過ぎを感覚することも少ない 。それに
いうことを最初に発見した文学者が子規である、と松永氏 はいう。
き
き
た
の視線︵﹁よくみれば﹂︶がゆるぎなく固定されている
①
からである。
ら見抜かれ
﹁痛くないからあなたは病気を軽蔑してゐる﹂と医者か
十セ 位の盲人で、
る啄木の、いわば病人らしからぬ病人のシニカルな目がそこに作用
していたことは疑う べくもなかろう︵﹁隣室には
脳に癌 ︵?︶が出来たといふ少年がゐ て ﹂﹁時々変な 挙動をしたり
可笑い事を言っては笑はれてゐますが、私は可哀相で仕方がありさ
せん、可哀相とは思ひながら大帳可 笑いと 笑ふ ﹂︵同上 大島 宛 ︶ 立
場に 啄木がいることも一つの証左になろう ︶。
入院一過 間後、啄木は﹁初めは 無暗と 恋しかつた浮世 の事が 、ど
生活﹂︵ 岩
ぅ やら日一日と自分から離れ去ってゆくやう に感ずる ﹂︵ 明何 ・2
Ⅱ日記︶ようになる。病室︵病院生活︶は﹁非日常的な
城主徳︶というにとどまらず、啄木にとって八 休みの ない戦 V の中
断停止を余儀なくさせるいわば真空地帯︵現実との翠 父渉の世界︶
であった。病室の﹁窓のところに立つてゐると、寒い風の中をいろ
の人が元気よく大股にあるいて行った﹂︵明佃 ・2 ・9 日記︶
のを眺めていた啄木の視野に﹁久しぶりに巡査﹂の姿も入ることは
なる。というのも、﹁泣いてゐたりき﹂の読点、﹁隣りの患者﹂の
]]
]︶ャ
︶︵傍点太田︶
木と、﹁泣いてゐたりき、隣りの患者﹂とは明らかにその立場が異
同じである︶、むしろ みまわることを職能とする﹁巡査 ﹂を見つけ
八 第一 夢 V の巡査に﹁恐怖政治に近い時代背景﹂を想定する発想と
本 のきらいな職業﹂と ム﹁井底はことも む げにいうが︵﹁ 部面に与ふ﹂
五
体 舌口止によって、病人をあくまでも他者として冷徹観
に察する啄木
れる。﹂啄 Ⅹ︵傍
あ点
っ太
た田
で︶
あろう。﹁病室の窓﹂を通して見い出した﹁巡 査 ﹂は﹁ 啄
真夜中にふ
︵石井
勉次郎︶。しかし、これを厳密にいえば、前歌の﹁
あるという弱い立場を共有する コ同病相磯目意識が覗 いている﹂
の 一人で
﹁隣りの患者﹂という結句には、たしかに﹁自分も患者
,
と
患者。
@乙
の
"
な
憐
見アて
つ、
た
喜匡
の
"
り
似ヒ
ば
て
返2
こ
るか
巡はも
@C @
人ぎよ
笘の
を
92
93
たことでその視野を﹁病室の窓﹂外にひろげえたことが丁ろこべ
るかな﹂の結句に凝縮しているのではないか。ともあれ、この歌、
次歌飢 ﹁晴れし日のかなしみの一つ!/病室の窓にも たれて/煙草
を味ふ。﹂、℡の歌をそれぞれ﹁世間を恋しがる気持ち﹂﹁世間か
ら隔てられてしまった病人の暗い悲しさ﹂﹁健康人の営む世界から
排除きれ、その世界にかかわりえぬ病人のあきらめと 悲しみ﹂とし
かム
﹁
井氏が読みとれぬのは、﹁病室︵院 ︶の窓﹂とい,
フモチーフの
意味を看過しているためにほかならない。
では﹁病室︵院 ︶の窓﹂とは何か。それは﹁患者と外界との絶縁
状態をわずかに救ってくれる空間﹂︵石井︶であるばかりでなく、
ノ
真空地帯と﹁いろ Ⅰの人が元気よく大股にあるいて﹂ いる現実社
会 とをつなぐ唯一のとば口であった。真空地帯の風通しを少しでも
ろノⅡ 病院生活に
よくする通風孔 でもあった。ところが、﹁予はそ
飽きて来た。静安 な一日@ それは可い。然しあまりといへばあま
りに刺戟がない。予はもう此処でみるすべての顔に飽 きて了った﹂
啄木は、国会での南北朝正閏問題に興奮し︵明佃 ・2. Ⅱ日記︶、
﹁夜には同室の人々と社会主義について語った﹂︵
明佃 ・2.
記︶り、土岐哀果から借用の﹁クロポトキンを読み始めた﹂︵明何
ぬり
日、
記九
︶谷書市と﹁婦人問題について語 ﹂ ︵
明佃 ・2
幻日
/"
¥"
¥
1 日記︶などと、六窓V外への関心を日増しに高め
︵
明佃 ・3.5 日記︶うようになる。現実復帰の意欲
つ
ほど、かけがえのない通風孔 であった六窓 Vも、浮世
」
する獄中の鉄窓と化しに。﹁死という決定的な恐怖を
る
ら 、 対時しているすべての事物を油断なく見ていなく
断
﹂子規にとっては、病室のガラス窓は八見るV ことの
が
44
さ
と
を倍加させるものであった。︵のみならず、それが子
い
の方法を深化させることになる重要なモチーフであっ
み
は別稿を要する︶。しかし、わが啄木にとっていまや
Ⅴ
た運命を象徴する何ものでもなかった。かくて﹁病室
て
はその価値・効用を一変する。﹁もう此処でみるすべ
れ
てしまうた﹂啄木は、やがて八窓 V の内外の動きとは
」
る V こと自体からも後退していく。啄木短歌における
き
|フが暗渚 たる精神内部と外界とをつなぐいわぱブイ
見
の役割をはたすことで啄木調の形成に深くかかわりえ
チ
︶、という私見でいえば、﹁病室︵院 ︶の 窓 ﹂は 、か
て
そのなかの一人であった﹁元気に歩く﹂﹁いろいろの
四
0目﹂でみつめなおすという、いわば 八視差 V のまな
も
もたらすモチーフであったことをあらためて強調して
人
に
,2.
% 日記︶り、西川光次郎と﹁宗教的情調といふことについて語る﹂
とのににの呪
八館 窓 わい生しなな
っ 写楽らしえばでに・
遮莫 思 r 3
モ
本病「 分
啄
自稿
のし
(
明
が か る
募 と
。
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の
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風・
手
感
て
は
な
書
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親
の
八
た
点
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係 顔
ル 八
タ
窓
l V
た
(
前
っ
て
の
入
」
る
ぎ
し
な
おかねばなるまい。
八見る V ことからの後退は病状の・悪化につれて激しくなる。る 。
@ぅのうした
Ⅲ氷嚢の下より
ひか
まなこを光らせて、
ひと
寝られぬ夜は人をにくめる。
Ⅲ春の雪みだれて降るを
熱のある目に
れつ
な
力い
かなしくも眺め入りたる。
にんげん
|
Ⅲ人間のその最大のかなしみが
これかと
者の遅きよ
むね
の醤
ふつと目をばつぶれる。
廻診
づ
。
痛みある胸に手をおきて
Ⅲ
かたく眼をと
い しゃかはい る
ほか
Ⅲ 番畢やの顔色を ぢ つと見し外に
ひ
胸の痛み募る日。
何も見ざり
き|
れれ
Ⅲ胸 いたみ、
春の襄の降る日なり。
はるみぞれふ
菜に 億 せて伏して 眼な と づ 。
{すりむ
いろ
Ⅲあたらしき サ ラドの色の
うれしきに
]
音た
め来り、
@
ま
箸 とりあげて見は見つれども
づ から目がき
抽
抽
からだ痛める。
おの
﹁軌のある
日 ﹂で六窓V外の﹁春の雪﹂ を ﹁眺め入りたる﹂啄木
自身の姿を対象化するまなざしを含みつつ ︵玉城徹 ︶、どんよりと
ダッ ノュ には、 八見る V こと
うつろな病者の目は八見るV ことに疲弊してゆく。Ⅲ﹁何も見。さり
き﹂Ⅲ﹁見は見つれども﹂の
に対する病者の生理と心理の微妙な葛藤とその屈折が読 みとれる。
とりわけⅢの歌の推敵はそのことを明瞭に物語ってくれ る 。初出 歌
/
明佃 ・4. Ⅰ︶は、歌稿 ノ |トに 整理 記
﹁探るどとく医者の顔色 ぢ つと 見き 。 /外に何も見ざり き 。 / 熱の
高き 日 。﹂︵﹁精神修養﹂
裁 きれる折に﹁医者の顔色をちっと見し外にノ何も見 ざり き
胸の痛む日の午後。﹂と准哉きれた後、さらに﹁新口本 ﹂︵明弘・
7. エ ︶に﹁やまひの後﹂二十六官 として発表するに 際し﹁医者の
顔色を ぢ つと見し外に 、Ⅰ何も見ざりき、Ⅰ胸の痛 み募る日。﹂
と 入念な 斧鉱が 加えられている。端的にいえば、かか る推 敵によっ
立ち向かわ
ざしを八具
て ﹁胸の痛み﹂にたえかねて﹁目を閉じる﹂啄木があらたに表出さ
八 見る V ことの究極へと
れた。後述するように、﹁目を閉じる﹂ことは病者のまな
るV ことの疲弊から救い出し、
う に、
せることになるかけがえのないしぐきである。ともあれ、 Ⅲの結句
﹁からだ痛める﹂が示すよ
の 確認にっ
ながるという、﹁病志 ﹂のまなざしを啄木はあらため て発見するこ
とになる︵なお、 蝸年 8月号﹁新日本﹂掲載の人見東 明 の 詩 ﹁氷嚢
0丁﹂には、啄木のⅢ・Ⅲの歌と類似の発想がみられる ︶。
閑百鳥を忘れぎりしがか
かかる﹁ 病志 ﹂のまなざしは、つぎの﹁閑百鳥﹂四百 を前後にし
てきねだった変化をわれわれにみせる。
Ⅲいま、夢に 閑 古島を聞けり。
なしくあるかな。
八
長 廊下か
水 のいただきに来て 哺 きし 閑
法 民村の山荘をめぐる林のあかつきなつかし
甜ふるきとを出でて五年、病を えて、かの 閑 百鳥を夢にき
けるかな。
Ⅲ関白鳥 @
Ⅲふるさとの寺の畔のひばの
古島 !
Ⅲはづれまで一度ゆきたしと思ひ ゐしかの病院の
目 をと
やみあがりの目にこⅠちょき
Ⅲわが病のその因るところ深く且つ遠きを思ふ。
ぢて 思ふ。
Ⅲいつしかに 夏 となれりけり。
両の明るさ 一
はし やしにけむ。
Ⅲあの年のゆく春のころ、眼をやみてかけし黒眼鏡
﹁かの病院の長廊下かな﹂には、入院当初の孤絶感にとらわれた
﹁病人の目にはてもなき 長廊下かな﹂を対象化する一種 の余裕さえ
感じられる︵﹁ゆるされてはじめて歩む病院の長き廊 下の心もとな
さ﹂若山喜恵子﹁病室の窓﹂︶。﹁わが病の﹂の一昔は 、石井勉次
郎氏も指摘するように﹁数多い作者の病中吟の総決算 とも見るべき
過去の遺物として忘れ去られる。ここに﹁心の中を隠したいという
て、傷つきやすい青春のまなざしを癒してくれた﹁黒眼鏡 ﹂も遠い
から明るみに立ち向かう病者の心境を﹁! ﹂にこめて いる。かくし
う 。﹁やみあがりの目にこⅠちょき雨の明るさ﹂は
八 深い 穴 V を凝視する﹁痛点﹂のまなざしのありよう が うかがえよ
るが、﹁目をと ぢて 思ふ﹂には、﹁死に至る病﹂の 病巣部 にある
・6.5 日記︶という切々たる独白に重ね合わされるべき一 首であ
しそれはもう不安ではなかつた。心敬である。必然である ﹂︵ 明佃
ロセスを考へて 、 深い穴に一足
、この八 深い 穴 V
歌であろう﹂。自明のことながら、﹁予は予の生活のとって来た フ
いわば泥沼にはまりこみそうになった啄木のまさに脈脈をえぐる告
っ
立と表 @ 一休の家庭悲劇がぬきさしならぬ様相をみせる こうい,
察 のための理念として模索する。しかも、かかる啄木晩年の思想成
晩年のいわゆる思想転換問題と深くかかわる﹁理性主義 ﹂を現実洞
った。これもまた周知のどとく、かかる﹁最後の燃焼畑﹂にあって
四年六月は、﹁啄木の文学的生命力の最後の燃焼期 ﹂ ︵
ム﹁
井︶であ
期の歌群の中に、奇蹟に近い光りを見せる四百﹂が制作 きれた四十
文庫 口昭酩 ・4U でのべたことがある︶。ともかく﹁息 づまる最終
る、という私見を、すでに﹁啄木八閑百鳥 V四首の世界﹂ n﹁啄木
の深化というプラス面からの積極的意義づけがなきれるべきであ
﹁悲しき玩具﹂のライトモチーフにつながる現実凝視・
自己認識 へ
では、 八見る V ことの疲弊から病者を救い出し、のみならず﹁ わ
,客体化する視座が病者のまなざしに確立したといえよう。
化としてとらえるム﹁
井氏の解釈では、この﹁関白鳥﹂四首は ﹁現実
烏﹂四百である。﹁理性主義﹂を啄木晩年の下降・衰遇する思想変
の底から森閑にひびきわたるよう にづたいあげられた のが﹁ 閑古
入本
ノな上口目
白があの八弘敦・必然 V の一句なのである。この息衝 ノよ
ノⅠ落ちてゆく やう に感
思い﹂︵ム﹁井 ︶とはうらはらに﹁わが病のその因るところ﹂を総体
が病 ﹂を 八心教である。必然であるV としてあらため て自己の人生
とになる。しかし、啄木晩年の思想的営為のすぐれた到遠点︵ ?︶
に堪えるとい,
ヮ諦め﹂によってうたわれた﹁見果てぬ夢 ﹂というこ
忽 然と 詠出さ
のであろうか。
沈諺な病中 詠 のただなかにまさに
的 思想的課題に据えなおしえたのはいかなる モチベ| ションによる
結論的にいえば、
として﹁理性主義﹂を理解する立場でいえば、やはり ﹁ひばの木の
﹁わが病
れた﹁ 閑百鳥﹂四百がゆるぎなく連動していたからである 。︵この
せんとする作者の化身であったといえよう。だからこそ
いただきに来て憶きし閑古島﹂も、現実を人生をよりリァルに傭恩
か らではなく、
﹁閑百鳥﹂四百 はム﹁井泰子氏のいう現実諦観・自己絶望 にとらわれ
た 啄木の﹁飢渇を癒やすべき夢想﹂というマイナス面
九
の ﹂の一百 も 、﹁病患﹂のまなざしで詠出された﹁病中
たりえるのではなかろうか。
吟の総決算﹂
一O
苦痛を噛みしめる ことになる。これらの歌は、﹁病人らしくない病
人 ﹂から﹁ 天 つぱ り掩は病人だ﹂という認識の推移をあざやかに物
人間観の根底をとらえなおすモメントとなったことは前述のとおり
語っている。かか る ﹁俺は病人だ﹂という認識こそが啄木にとって
ように、その人間観の根底が洗われることで柔軟性を帯び 、さらに
であるが、﹁ 裁 し き 玩具 ロの 病中詠の歌 群 に照らしていえば、この
ともあれ、啄木にとって入院体験は、石井勉 次郎氏も立思床づける
透明度や体温が加えられることになった。
Ⅲの歌からかの﹁ 閑吉島﹂四百 が詠出きれるまでの三十一首の配列
形態にそのことは具現しているよ うに思える。Ⅲ﹁目さませばから
八 ﹁手﹂を見る啄木V
㈹
だ痛くて動かれず ﹂ではじまる 歌酔 は、﹁病院の窓﹂の歌、
き 歌 V ︵㈹八目を閉じる啄木 V で後述する︶を経て、やがて
八見
の峻厳な言葉は、﹁病人らしくない病人である﹂とうそ ぶく啄木に
る V ことの後退・ 疲弊から 八 見る V ことの究極である 八見ない V 歌
八嘘つ
﹁痛くないからあなたは病気を軽蔑してゐる﹂という
青 柳 医学士
﹁・・・・・・それを苦痛その他の感じとして直接に経験しなう
いちは、 そ
、、 ︶︵傍点大田︶
へと移り、﹁目さ ませ は ﹂の歌に呼応するかのようにⅢ﹁おのづか
、 ︵傍点太田︶
れを切実に信じ得ない、寧ろ信じようとしない人間の悲しい横着
な 契機と
青柳医学士の﹁医者らしい目 ﹂に屈服した啄木が﹁自分
分
して自己の身体のありかを認識させることになる。その
八号室よ り﹂︶くことで感じた八一種の着船 V は、他者の鋭い視線
の身体を たぢ 一個の肉体として同じ人間の一人の前に置﹂︵﹁
第十
からだ
とまれ
こまれて いるといえよう。
過 儀礼の どとく踏み越えねばならぬ病者啄木の沈痛のきわみが読み
通
のなかに 、すでにのべたように﹁胸の痛み﹂という受苦をいわば通
ィ,
@、
この﹁からだ痛く て ﹂から﹁ からだ痛める﹂にいたる配列形態
トハ
ら目がきめ来りからだ痛める﹂の一百でしめくくられている。つま
かなし
のからきし
﹂︵﹁前面に与ふ﹂㊧︶を考えきせるきっかけを与 えた。
びれ を。
花朝な朝な撫でてかなしむ、下にして寝た万の腿
㏄ふくれたる腹を撫でつつ、病院の寝台に、ひとり
みてあり。
Ⅲ目さませ は・からだ痛くて動かれず。泣きたくなりて夜明
くるを待つ。
なるほどの
﹁腿のからきしびれ﹂という入院前の自覚は、わが分身である
﹁ふくれたる腹を撫でつつ﹂、遂にひとり﹁泣きたく﹂
。 いてに「
て
" 受肉
手おし。
術はき
112
つ。
百 体
の 的 受:
で
か
身
死 聞
き
る
が
8
こ
人
6
)
を
自
身
間
変
し
ちゃうど
頃の自分の心に 勤
ぢ つとして、
ニ もとなさ
こ @ろ
!
ふ
つめ
/ かすか
八 精神としての 芽休 V
﹂に沈んだ気持を示す、と今井泰子氏
眼﹂
を志向するにふさわしい 八精神としての身体 V そのもの をさすこと
を必要と する。なぜならば、あの﹁はたらけど / はたらけど 猶わ が
一一
件発覚直後︵啄木短歌では大逆事件前夜- の ﹁はたら けど は たら け
捕 へばあな煩はし我が手なれども﹂︵長塚節・鍍の如く︶ く ︶ 大逆事
おのれの﹁よどれたる手を見る﹂︵﹁ゆくりなくも手 もて おもてを
一部であ る ﹁手 ﹂が身体と精神をつなぐよう に、﹁自分の心に対 ふ ﹂
生活楽に ならざり / ぢ つと手を見る﹂の歌を想起されたい。身体
れよどれたる手を見る
にたえたおのが身体を慰撫しているようである。
宮ダ
が病のその因るところ﹂を透視する清志のまなざしで さながら受苦
ィク@
、
は疑うべくもない。﹁手術の傷の痕を撫でつつ﹂は、前 々歌の﹁ わ
が包みこ まれている。ただし﹁みじめな自己﹂という解釈には補 足
﹁きびし い内面凝視﹂﹁みじめな自己を見据えている作者の凄い
はい う が、やはりここにはすでに石井勉次郎氏の言及するよ う
は気力の ない動作で、﹁
|
のありよ うな 考える ぅ えで興味深いモテープである。﹁手を見る﹂
る満足が Ⅰ今日の満足なりき。﹂とともに、
﹁よどれ たる 手 ﹂は、 次歌 ﹁よどれたる手を洗ひし時の
0
し。
蜜柑のつりに染まりたる爪を見つむ る
みかん
が,
と
コ 人
人
と
の
の
痛
として
0
の
れ
え
ぬ
Ⅱ
「
乙
べ
・ゴール
る
ケ
こ
つ
思逼
し
と
む
清
神
と
る
を
ル
岡
時
た
啄
木
ことが
とも。 、「@
て欠く
にい病
。 い者
)ば
に八 むキ
らェ
欲"
て
思
と
(
ば
わ
革
かの﹁ 閑 吉島﹂の詠出につづく﹁新しきからだ﹂が、 ﹁新しき明日﹂
痕を撫でっ
とな
ち
は
胸
のっか
あ
る
る
新ま
と
苦;
存
内
て
草
宿
八列 V とに動揺・拡散する自意識をきびしく律する。
去りゆ く人々 |
了一
壬,﹂
/箸 とりあげて 見
八 精神的 な 飢渇 V ヱ ﹁井 ︶を癒すべき﹁林檎﹂にのべられた﹁
は 、 Ⅲ﹁ あ たらしき サ ラドの色のⅠうれしさに
さに / つか れたるⅠ手を休めては、物を思へり。﹂を受けつつ、
は、初出︵
疲弊した病者のまなざしの険しさを象徴している。﹁やせし我が手
しで客体化 されたものであろう。﹁手を握り﹂は、前後の歌Ⅲ﹁
休
﹂がいわば三位一体化した自分自身の存在を認識することができ
/病みても 猶
革命のこと 口に絶たねば。﹂から判断すれば、たしかに﹁思想的
る日なり。 ﹂Ⅲ﹁友も 、妻も、かなしと思ふらし
ロオヂン と いふ露 四垂 名が、 /何故ともなく、Ⅰ幾度も思ひ出さ
泌む 夕日冷たき水仙の香 よ ﹂︵コ商万の花﹂︶
といえよう。さらに、﹁爪を見つむる﹂も、近藤元の ﹁蜜柑むき
黄 によどれたる爪に
共感﹂︵ 今 井 ︶を意味する。しかし、﹁現在の思想が共感者もほ
は ﹁何とな
、 / ム﹁朝は少しくわが 心 明るきどとし。 ノ手の爪を切 る 0 ﹂と 同
んどいない 孤独なものである﹂以前に、﹁手を握り﹂といういわ
ようなモチーフを拡散・分裂させる歌にくらべると、
心 もとな き ﹂
型通りの 入間 ︵関係︶に対する啄木特有の
手をのべて林檎をとるだに
く ︵あるいはその限定や比楡の表現を越えて︶、﹁
Ⅲ たへ がたき渇き覚ゆれど、
ものうき 日 かな。
いと はし
手を握り、またいつとなく
Ⅲ堅く握るだけの力も無くなりし ゃ せし我が手の
さかな。
Ⅲいつとなく我にあゆみ寄り、
0
。 詠をと る看護婦の手のあたたかき
もあり
日 あり、
|
℡脈をと 6手のふるひこそかなしけれ
き看護 婦|
医者に叱られし 若
つめたく堅き 日
アイ コニーが含まれて
核心にきびしく 迫 まる 精級 なまなざしが読みとれよう。
の
ることも 忘 れてはならない。
じ
く
﹂
﹂の﹁ 箸 とりあげ﹂ た ﹁手 ﹂と重なり合う よ う に 、
力 ・気力ともに萎えしぼんだ、いわば無用の﹁手 ﹂が自愛のまな
見 つれども
り、 前々稿の㈹でものべたごとく、見える﹁手 ﹂に見え ぎる ﹁心
、﹂
す
﹁新日本﹂ 明何 ・7. ェ ︶の前歌Ⅲ﹁寝 つつ読む本の 重
ま
@Uh た
透視するという、まなざしの昇華がもたらされること によって 、
んなるものとしての﹁手 ﹂、身体の一部である﹁眼 ﹂、 ﹁自分の
ることで作者は﹁みじめな自己﹂を救い上げることができた。 つ
き びしく 律
死臭﹂に等しき﹁自分の心﹂は、かつての﹁わが生活﹂
している。
猶わが生活楽にならざり﹂は、大逆事件以後の八安楽を要求 V す
く ﹁死臭﹂でぶつかろうとしている﹁自分の心﹂に凝集
ど
べ
「
と
な
た
て
め
のは、前述のように﹁私の家は病人の家だ、どれもこれも 不愉快な
とをも啄木は痛感する。ところが、退院後の啄木を待ちうけていた
﹁毎日きまって僕の目に入る顔は
、 父の顔、母の顔、 要 の顔 、妹の
この五つの顔の外にはない。髪を五分
Ⅲかなしきはわが文一
ちち
泣いてゆきしかな。
みとど
ま@
Ⅲもうお前の心底をよく見届けたと、
ゆめ
夢に母来て
﹁自分の顔﹂
るテコ としてきわめて困難な人間変革への道を歩むことにもなる。
の家﹂を見据えていることを意味する。同時にそれをたぐいまれな
いる。それは、 め がれよ う のない現実の生きた姿としてわが ﹁病人
のありさまを確かめようとしていることを コ悲しき玩具 しは伝えて
宮崎 宛 ︶。が、実際は﹁この五つの顔 ﹂を見ることで
来、鏡に映る自分の顔を見ることきへ滅多にない﹂︵明 何 ・8. 托
顔、子の顔
|
っ。
きす てなければならぬ絶望的な窮境であった。きらに啄 木 はい,
を覚悟して ぬ るのだ。 口 ﹂︵ 明巧 ・Ⅰ・㎎日記︶ 、と 妻の節子に 吐
かない事になった時から、おれの家の者が皆 肺病になっ て 死ぬこと
うノⅡ お削 が出てゆ
司おれは去年の六月、と
Ⅷいつとなく、記憶
︵傍点太田︶
顔をした病人の家だ。
つめたさなども。
︵
ム﹁井 ︶のではなく、実際は歌稿ノートの原
﹁看護婦﹂は病中 詠 にあって﹁医者﹂﹁患者﹂にまさる他者とし
、、、、︵傍点太田︶
てゆるぎなく存在する
身の立場で感じとる﹂
]]]]]
型 ﹁いつも、いつもつ めたき手よ と / 詠をとる看護婦の手をイム﹁ 朝
も 見つめ し 。﹂でもわ かるよ う に、アクティヴな感党 が働いていた
といえる。他者である看護婦の﹁手 ﹂によってあらためて自己の
﹁手 ﹂が確認きれている。さらに看護婦も患者もたがいに他者の視
線のもとにさるきれているという思いが﹁手のふるひ こそかなしけ
れ﹂の詠嘆にひひいている。やはり、これら一連の ﹁看護婦の手﹂
のモチーフには、たんに触覚によってではなく、またたんに視覚に
よってでもなく、それら二重の感覚をとりこむことで、あるべき
八精神としての身体Vを主体的・能動的にとらえよぅ とする病者 啄
木の意識が反映しているように思えてならない。
㈲
八 ﹁病人の家﹂を見る啄木 V
,,。
ハ受苦 V の体験は、啄木の人間観にぬく もりのあ
入院生活による
るまなざしをもたらした。また、そのことでおのれの人 間 変革︵ 社
会変革︶を志向するにふさわしい﹁新しきからだ﹂が 必要であるこ
ふん
ょ
一四
が、ここでは﹁新しき明日﹂を志向するためにあえて玉 城 氏のい ,フ
ふしん
今日も新聞を讃みあきて、
け
母の﹁守護力﹂を断ち切らねばならぬ啄木の心情が6. 7 .6/7
あり
ものではなか
Ⅰ母に叱ら
届けた。︵わたしのことは心配しないで良い︶﹂とい,
ヮ玉城御民 の
加えて、いずれにも与せぬ﹁もうお前の心底︵死ぬ覚 悟 ︶はよく見
るのであろう。しかも、﹁新聞を読みあきて庭に小幡と あ そべり﹂
孝二︶とすれば、それはともに人生の八弱者V である という絆によ
あわれむ歌﹂︵ ム
﹁井 ︶であろう。﹁啄木は父に同情的である﹂︵ 桂
の﹂﹁所在なげなようす にその生涯の経過と現在の心情を思いやり
に劣る。﹁かなしきはわが父 ﹂は 、 ﹁よく怒る人にて あ りし わが 父
周知のどとく、﹁わが父﹂の歌は母のそれにくらべると質量とも
への﹁甘えの構造﹂と破調のリズムとの関連が読みとれる ︶。
﹁日また何か怒れる。﹂などの歌についても、啄木の母
ま ふⅠ母の ム
れし をうれしと思へる。﹂Ⅲ﹁茶 まで断ちて、Ⅰわが平 復を祈りた
ろ うか 。︵℡﹁薬のむことを忘れて、Ⅰひさしぶりに、
/8 といういわゆる破調のリズムに屈折・揺曳して
庭 に小儀とあそべり。
にはこ
﹁もうお前の心底をよく見届けた﹂は実に謎めいた言葉
である。
家庭内における母と妻との確執に悩む啄木をおびやかす母親の言葉
︵山本健吉︶、﹁妻を愛しその立場を理解しなければな
らぬ﹂啄木
への母親の苦情・非難︵岩城主徳︶、さらに母と妻との
不和とかか
わりなく啄木の﹁一般の社会人と異なる無刀な病人であるというあ
独自な解釈もある。﹁心底見届けた﹂が人間の誠意・真 実 ・真情を
父の背後には、啄木自身の﹁われ泣きぬれて蟹 とたは むる﹂という
﹁
井泰子︶などといを解 釈がある。
きらめ﹂に対する母の泣き舌口ム
︵
はっきりと確認した場合の表現であると考える私見では、とうて
われをあはれ む 。
妹の眼が、かなしくも、
もうとめ
Ⅲクリストを人なりとい へば
ひと
、
0る
八闘わざる家長 V の姿が二重写しにされているよう に 思 ,イ几
八愚痴・苦情・あきらめ・泣き言V などと解することはできない。
むしろ玉城氏の読みを一歩進めて﹁お前の苦渋にみちた気持はおれ
皆肺病になって死ぬことを覚倍 してゐる
︵老母︶にもよくわかる。
からお前もそのつもりで信ずるままに行動せよⅡ﹂と読 みとりたい
が、どうであろうか。また、﹁母親の意志から完全に独立していな
い内部をこの歌はおのずから暴露している﹂︵玉城︶と い,
≦のも、
啄木と母親のつながりを考えるぅえで実に示唆に富む解釈である
り、宥和が
の歌を読むならば、﹁ここには 一切の現実との和解があ
,日ノ が立たされたことを意味する。そ 乙で、かかる祝日で ﹁クリスト﹂
払北す
缶の
ある﹂のではなく、啄木にとって対決・克服すべき課題が最後まみ
ここでは、 ム
﹁井 氏のい う ﹁最終期の作品に神にかかわる
たわれている点が印象的である﹂ことを検討しておく必要 がある。
僕は確実なる人間本位論者
、君はどう
重く横たわっていたことがわかる。つまり、﹁妹は天国の存在を信
まず、およそ半年前の肪﹁神様と議論して泣きしーⅠ あの夢 よ一
って﹁郁雨
/四日ばかりも前の朝なりし。﹂を関連歌として吟味しておかねば
なるまい。この歌にいう ﹁あの夢﹂の劇が作者自身によ
を 持つてるか知らないが、
・ェ ・9 瀬 Ⅲ宛 ︶と言明する啄木の真実の姿 がこの歌にも
に与ふ﹂㈹で詳しく解説されていることはわれわれのよく 知るとこ
まぎれなくあらわれている。神の使徒たらんとする﹁妹﹂の光子に
しかに﹁兄妹両者の心情の形容﹂︵ム﹁
井 ︶として微妙な陰笏を宿し
なしくもわれをあはれむ﹂かのようである。﹁かなしくも﹂は、た
妹 0目﹂は﹁
であったにちがいな㎏。しかし、対立者であるべき﹁
か
えたのもかかる所以である。おそらく兄妹の対話は永遠にパラレル
向かってきわめて峻烈かつ直哉に﹁クリストを人なり﹂といい放ち
ろである。さらにこの﹁夢 ﹂判断が啄木晩年の思想の内界を左右 す
目の人生に屈
釈 には承服しがたい思いを強くする。啄木がその夢のなかで﹁ 軸い
ている。それは、かつてのⅦ﹁船に酔ひてやさしくなれる Ⅰいも,ヮ
L︶ と ひ ひ きムヲっ
よう
ハⅠト
できないも
津
6木
軽
-田
の海
︶を
へ思
ば﹂三一握の砂
と
、の
、眼
、見
、ゆ
、/
︵
傍
に、兄啄木の内実をきびしく告発するまなざしとそれをやさしく 慰
神 への宥和や
人生への屈服とはうらはらに、あるべき現実洞察のために﹁ただ 理
撫する慈愛のまなざしとを﹁妹の眼﹂が内包しているからにほかな
一五
く読みとり、﹁病人の家﹂をみる啄木自身の﹁
眼﹂ ではなかったか。
られるという二重の視線によって兄妹の分かちがたい心情をくまな
性 のみひとり命令権を有する所の生活﹂を、絶対的・超 献酌存在で
の立場に啄木
、私
らない。あえて唐突にいえば、この﹁妹の眼﹂こそいわば見る | 見
太
避し
田そ
︶の実存の平安に慰めをえた﹂︵因幡︶のとは反対
﹁人生と社会に対する戦闘者としての役割を放棄し
ある﹁神様﹂に向かって揚言することをはばからなかった 。それは
のであるという確信をもつにいたったからであろう。
﹁理性﹂︵主義︶が自己の思想的営為としてゆるがせに
涙を流しながら神様と議論した﹂のは、すでにのべた どとく、
して生きなければならぬ苦痛と悲しみをうたう﹂︵ム﹁井 ︶などの 解
宥和を祈願せずにはいられないのだ﹂︵因幡︶、﹁本知立
は、自我の奥に秘む根源的な支えを求めずにはいられない。神への
ることも自明のところである。それだけに﹁おしつめられた自我
信仰
とを覚悟してるるのだ﹂、と啄木が妻の節子にいい捨 てた事実を知
一/
、
あるいは呪われた﹁病人の家﹂を統御する啄木のまなざしであった
るわれわれには、﹁その思ひ﹂がいかに深刻なものであるかは充分
@
カ
@O
はな
をんな
に推測することができる。
ともいえよう。
よ、
ひ
申
子
こ
て
加
え
た
た
っ
れ つ
病
み
て
か
の意味を自己のめざす社会変革の暗部としてとらえなおすことを咳
「
ダ
出
博
氏
こ
と
で
い
妻にはかれる。
Ⅲ庭のそとを臼き大 のけり。
リ
と
し
て
係
は
発表の﹁猫を飼はば﹂の最後の歌でもある︶は、木材勝矢氏のいう
この コ悲しき玩具しをしめくくる最後の 一百 @ 年 9 月号﹁詩歌﹂
ふりむきて、犬を飼はむと
に
日
は
8
と
の
ひ
Ⅶ放たれし女のごとく、
妻妾
じ
リ
切 畳
ヤ
ろ
わ
緒
木に求めることになった、ということだけは強調しておきたい。
も
と
たた
るみ
Ⅰ
Ⅲひとところ、普を見つめてありし間の
そ
る
つ半
か
@
ぉも
i'E ヱ 。
その思ひを 、
妻ま
︵太田注1玉城氏の解釈︶
よ う に﹁作者の演戯や擬態と見るよりも﹂
、 ﹁ある種の寂しい宥和
ヤ
︶︶︶
︶ ]] ︶ ]包
傍白太 用し
せ
たけ
といての文具。
首
章二
実
を " 后、" れ
"
︵傍白一大田︶
よ
さ
Ⅰ
て
や
ま
る
部
よ
う
た
は
ぬ
れ
求 づ 相
め
ま 対
と
あ
くある
化
地 絡
界 未
味
を
「
き " 」
現" は
と
る
ハ
る
も
も
な
い
あ
吹
し
こ
出
「
き
と
玩
べ" 犬
見えみなし
こ
そ
の
@
ら
みて
O
う
こ
えてな
悲
「
ぱ
見る
八
歴然と
態通り
登
場
力ピ
っ
て
か
た
れ
て
Ⅲすこやかに、
月
・
ヮ
ちに
お
し
こも、
l,
。
の脊丈
目め
し
にい思と
と居、 にぶ すで
るあ
の猶だ
び、
もな
よ
ら
ア
り
る啄
本
の
か
Ⅰ上
8
音
に
で
あ
の
子
に
託
る
父
配
列
。
病や
み
て
の
責
が
そ
め
出
詰
夫
ね
が
な
白
人 た
身
の
化以前の﹁表紙のことなど妻に語れる﹂夫婦愛 のかた ちに近い心情
]]
的 感情が働いてあほれ深い﹂。というのも、この﹁妻 にはかれる﹂
「白き
。
なる。
には、相対化きれた﹁その思ひを妻よ 語れといふか﹂
啄木が初」
,つ
、
十
つ,@
ヲヱ間 ま四
家
か
か
の
こ
啄
せたけ
ひ ごと
脊丈のびゆく子を見つつ、
われの日毎にさびしきは何ぞ。
すは
かは
Ⅲまくら漫に子を坐らせて、
まじまじとその顔を見れば、
逃げてゆきしかな。
﹁きびしきは何ぞ﹂は、子供の﹁目に見えて﹂成長する
姿をみつめ
る仮祝 のまなざしにいわくいいがたい孤立感が漂って い ることを 示
す結句であろう。﹁まじまじ﹂と正視のまなざしで 五歳 になった 子
の ﹁成長の度と成長の意味﹂︵
ム﹁
井 ︶を確かめようとする啄木の脳
かく汝が父は
裏には、おそらくかの﹁閑日農﹂四百で自己劇化した ﹁ふるきとを
、、ハ
傍点太田︶
出でて五年﹂の漂泊の歳月があざやかに甦ったであろう。だからこ
かれⅠ
そ、Ⅲ﹁その親にも、Ⅰ親の親にも似るぽ
思へるぞ、子よ。﹂を含む一連の歌が、われわれに﹁これはほとん
ぼ えたる
︵われもしかりき︶叱れども 、打てども
どぬ
星目である﹂︵ム﹁
井︶といえる感動を与えるのであろう。
Ⅲかなしきは、
泣かぬ児の心なる。
五歳の子かな。
Ⅲ﹁労働者﹂﹁革命﹂などといふ言葉を聞きお
一セ
1
一
叱れども打てども拉かぬ児 ﹂は、父親の鋭い視線にた えかねて
一八
が
感
として横 たわる﹁かなしみ﹂は、それだけその効用によっては北@
もえられ やすいが作品を類型化することもたやすい。﹁かなし﹂
啄木偏愛 の 主観 語 であり、文字通り﹁悲しき玩具﹂の野情質 と深
八 逃げて ゆかぬ V子に変貌 し
ている。いわゆる家族詠は血肉の情愛をう たりことで 作 者 と読者の
かかわる ものであることはわれわれのよく知るところでもある。
﹁逃げてゆきし﹂子ではなく、すでに
あいだに一種の共鳴作用をもたらす場合が多い。それだけに表出さ
こでは﹁ かなしき﹂が 父 娘の心のありかとありよう をその奥底 ま
.
ヮ。
つらぬ くという近代短歌のあるべき可能肚 をも具現しえたとい, て よ
な類型化 から免がれ、のみならず伝統的な定型のなかに自己の型
見通しえ る 主観 語 であることによって、いわゆる家族詠の陥りが
れた悲喜哀歓そのものがきわめて類型的なものに槌色し やすく、 ひ
いてはそのことが定型詩文学としての短歌の存在をあやぅ くするこ
父娘の精神胸紐帯のあ
司悲しき 玩且白 ではめずら しく五旬 三
とにもなりかれない。かかる家族詠の盲点︵弱み︶をみ ど とに払拭
しているのがこの歌である。
十一青の定型律を遵守している。ところが、
Ⅰ病みても 栖、 Ⅰ
としてゆるぎのない緊張を保ちえることになる。かつて言語学者の
ぼる氏もいうように、﹁革命の語﹂から﹁革命のこと﹂への発展が
八 労働者による 革
労
口 などといふ言葉﹂
それを如実に物語っている。﹁同労働者ヒコ革命
助音﹂﹁革命﹂をたんに並列に扱うのではなく、
ぬ追善雄 氏は 、﹁戦後代表作品集﹂︵昭加年 @% 年 ︶ 一五五九百 に
この﹁かな
は、啄木の思想的高揚をさらに鮮烈なものにしている。それは﹁
なしみ﹂を契機としている、という結果を示している。
ゆる細胞感情の核として存在する、というきわめてユ -一|クな仮説
期 0 コ呼子とロ笛口の ﹁墓碑銘﹂に描出きれた、﹁
生 を恐れざりし
結びつけねばならぬことをわれわれに強いることにもなろう︵同時
命V 八労働者のための革命Vという方向へ両者をたぐ いまれな力で
をも提示している。つまり、詩的発想の根底に密度の高ぃ感情表現
しみ﹂は他のすべての感情︵愛 ・喜 ・楽 ・怒 ・憎 ︶と っ ながるいわ
明 頃
|
ね
きて、 Ⅲ﹁友も 、妻も、かなしと思ふらし
﹂と うたぅ 啄木
つ
が 、いわば
] ︶ ] 、 ]︵傍点大田︶
]] 、、 ︵傍点太田︶
革命のことにに絶た
つ
弗 ・コ ・エ ︶という状況から思想的に飛躍している 。すでに確固の
好みて @
目ひし革命の語をつ ,
Ⅰしみて秋に人れりけり﹂
か
りかをしかと見定めようとする﹁ -われもしかりき︶﹂
ぅ 主情語が 、
内省の声としてゆるやかな旧任律を生みだしているこ とにわれわれ
は 気づかされる。しかもそれによって﹁かなしき﹂とい
@]
ま
おける感情表現の分類を試み、現代短歌の半数以上︵駿きが﹁ か
﹁泣かぬ児 ﹂と﹁われ﹂の心情のくまぐまを複眼的にとらえる措辞
ね
@@@
寸よ
。
ている︶。ともかく、
どとく死を恐れざりし、常に直視する眼 ﹂ の労働者像は、両者の力
強い結びつきを願 う啄木自身の理想を背負
父親のまなざしを受けつぎ つつ、﹁五歳の子﹂の主題をみずから完
結することになる。
ャ といふ 露西亜名 をつ
は、いわば匿名状態から脱皮する。
かくして、﹁五歳の子﹂
︶ ャ、 ︵傍点太田︶
かかる父親啄木の学習成果は、﹁聞きお ぼえたる五歳の子﹂に確実
呼びてはよ ろこぶ。
父
﹁ソニ ャ といふ 露 西面 名 ﹂は、岩城玄徳氏の指摘するように、ロシ
けて、
Ⅲ五歳になる子に、何故ともなく、ソニ
伺 思ひけむ
なに
@も
に 受けつがれていることだけは否定しがたいであろう。
Ⅲ
ペ ロフスカヤの愛称であろう。ここに
ア の女性革命家ソフィア・
@もちゃ
娘の絆は、たんなる肉親の情愛をこえて思想という堅固なくさびが
そば
玩具をすてて、おとなしく、
たらんとつとめても救われようがない。
いてみえるよ う である。﹁旅を思ふ夫の心﹂はたとえ﹁
/歩いてみたれ
用のある 人 ﹂
ー
ど | ﹂には、病気を予期せぬエゴイスティックな啄木の顔がのぞ
8 ﹁家を出て五町ばかりはⅠ用のある人のどとくに
7 ﹁旅を思ふ夫の心 !/ 叱り、泣く、妻子の心 !/ 朝 0食卓 l.
﹂
ねてみることもできた。
の八自分の顔 V を現実社会に生きるさまぎ まな他人の顔 に 写しか さ
とで、 八浮かぬ顔 V をした 八自分の顔 V を見つめなおし 、さらにそ
病者啄木は﹁不愉快な顔をした病人の家﹂をつぶさに八見る V こ
になった。
打ちこまれることによってたぐいない力強さで結びつけられること
わ力
@.
㎜
1
@
川げに
来て子の坐りたる。
わす
℡お菓子 貰ふ 時も忘れて、
二階より
ゆ
ききなか
る子かな。
町の往ぬ今を眺む
まち
領 域 へと子供が
﹁わが側に来て子の坐りたる﹂は、﹁玩具をすてて﹂﹁
お菓子貢 ふ
時も忘れて﹂、﹁労働者﹂﹁革命﹂という父親の思想
積極的に近づいてゆく状況をみごとに描出している。の みならず、
﹁人生の諸相をひとり観察しているかのような娘の姿を
描く﹂ 入﹁
る
井 ︶ことで、 八見る V ことの意味も﹁ 父 ﹂から﹁ 子 ﹂ へと 継承され
︶ヤ ]]︵傍
@太
ひろ子﹂は 、
たといえよ う 。ここに、床屋の﹁二階より町の往来を眺
田︶
病院の二階の﹁窓によりつついろいろの人の元気に歩くを挑む﹂
一九
弗人 がみな同じ方角に向い て行く。それを 横 より見てゐる心。
入院直前の正月詠 のなかに組み こまれた﹁
横 より見てゐる心﹂には、
ニO
鍵何となく自分をえらけ人のように思ひてゐたり
りしかな。
き
子供な
に ﹁百姓﹂﹁ 年 より﹂という 八弱者V ︵ひいては民衆︶をいわば
自
の家出の記事にも/ 涙出でたり。﹂などのいわゆる社会試に、すで
らば、Ⅰ何をやめるらむ。﹂㏄ ﹁目さまして直ぐの
心よ !/年 より
いる。もっとも、㏄﹁百姓の多きは酒をやめしといふ。ノもつと困
ようとする啄木の人間認識が次第 に深かめられてゆくことを示して
自分と同じこと思ふ 人 。﹂は 、自己を他者との関係において省察し
格を思ふ 寝寛 かな。﹂㏄﹁何となく、Ⅰ案外に多き気もせらる、ノ
投影されている。㏄﹁人 ととも に事をはかるにⅠ適せざる/ わが珪
ったく同じ﹁生活の形式と性質﹂をもとうとしてもその
ける 八特殊な人間 V 八普通人 V との対比をふまえつつ、
衆 ︶への深化をみせる。
だ人問 観が 、ここに﹁えらけ人 ﹂︵天才︶から﹁いろい ろの 人 ﹂︵民
人間だ、立派な一人前の人間だ﹂︵明佃 ・ェ ・9
胸高揚のなかで﹁おれはそんな特別な珍品ぢ やない、お れはた ッ の
歩く﹂社会を傭 撤 するまなざしが回復されつつある。
こには微塵もない。﹁病院の窓﹂を通して﹁いろいろの人の元気に
﹁石川はふびんな奴だ﹂とい, ユゑれな自己 鋪 晦の思いは 、もはやこ
を 眺む。
己 同一化するきびしい認識は詠みこまれているけれども、かかる人
容 ﹂の差を黙殺しかねた啄木の人間的成長をここにみ ることもでき
Ⅲ病院の緒によりつつ、いろいろの人の元気に歩く
間認識が自己の内なる民衆を、民衆の内なる自己を統一的にとらえ
よ う 。ともあれ、﹁僕は確実な人間本位論者だ﹂という
現状の体制に疑念をいだく自己の内部を冷静に見つめる啄木の姿が
ようとする内部衝迫を啄木に喚 起きせたことは注意しておかねばな
つぎのようにインターナショナルな 人間主義を仝 皇目する
めぬ 事実である。 即 ﹁㍉石川は ふびんな奴だ。L/ ときにかぅ自分
目を広く社会の上に移し、
我々は嘗て我々の好きな口 シャの青年のなした如くに、我々の
にいたる。
啄木は 、遂に
歴然たる﹁ 内
労働者とま
別 舌口すれば、かつての﹁ 食ふ べき詩 ﹂にお
川宛 ︶と叫ん
入 院前の思想
るまい。しかし自己をきまざまな他者のなかでとらえるという人間
Ⅰ舌ひ
口ナⅠⅠかなして
りナ
Ⅰえか
て
り。﹂ といかにもシニカルな苦渋をたたえ
つ
も広く他日その方に延ばしたいと思ふのであります、我々は支
認識は、啄木の主我的な心にかなりの動揺をきたしたこともまた否
ることになる。ところが、前述のどとく入院体験によって啄木の人
半本位の文学から一足踏み出して﹁人民の中に行﹂きたいので
出来うべくんば 、我々の手と足とを
間観 はその根底から洗いなおきれることになった。
と
「
で
きそよ皇
久ン闘
イの
空
」
︵
明侶 ・2. Ⅱ小田島宛書簡︶
せる
鋭い
いり、
に裏
米 座 子 な が
は
な 氏 人 啄
そ
そ が 間 木
な
い
愛にま
現
実
認
は
井
祝
泰
ル
識
の「病
の
志
」
の
ま
ま
現 で
突 進
と
展
の
さ
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忠
」
病
和解
ざなざ
な
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よつ
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そ
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る
豚
木
と
を
崎
お
が
・
病 花
る
」
間
ま
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「
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死
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発露ナ八やの
@
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す、
る協た入
こと。
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う挺
(5)
r
打
ち
と
宥
和
は
獲
得
す
へ つつ、
しを慰撫・浄化すべく理念の表徴である﹁空 ﹂﹁化 ﹂と 0対話・ 交
l
流 をはかろうとする。
ぃ・
あかあか
席 朴歯をおさ
9
日 が赤々 と
冬の需の中にのぼるを見たり。
人生苦・生活苦にたえかねる作者の心象風景の歌であるが、その
﹂ 宋 ﹁井 ︶と明暗が表裏する。
解釈は﹁赤々と昇る冬の太陽の美しさをめでる心の余裕﹂︵岩城︶ 、
﹁暗くつらい一日が始まるという思い
この歌につづく、 托 ﹁いっまでも歩い てゐ ねばならぬ どとき / 思ひ
湧き来 ね、Ⅰ深夜の町 町 。﹂は﹁何と なく、Ⅰ ム﹁朝は少しくれが方
明るきごとし。 /手の爪を切る。﹂で は、不安な 夜と 爽快な朝とが
対比されていることが瞭然である。やはり、内面の苦痛を鎮静させ
6人工的ェ木ルギーが﹁冬の襄の中にのぼる﹂朝の陽光に仮託され
れん
ているよ う に思われる。
るム
杓 この四五年
空を仰ぐといふことが一度もなかりき。
そら
かうもなるものか ?
一一一
に検証したりえで、多忙な生活での深い嘆きがこめられ ているとい
石井 勉次郎氏は、﹁ 空 ﹂をモチーフとする啄木短歌の碩向 をつぶさ
視界から遠のいてゆく。のみならず、大逆事件後、八死身V の仕事
握 の砂二︶のどとく、その﹁空 ﹂はむしろ嫌悪の対象として啄木の
とⅠくもれる空を見てゐしに /人を殺したくなりにける かな﹂︵
ョ
一一一一
ぅ従来の解釈に対し、﹁四三年以前の混迷状態への歎 きを下敷きに
に傾注する啄木は、﹁空を仰ぐといふことが一度もなかりき﹂とさ
たきびしくいいきる。それにしても、この歌の前後に頻 出する、鴇
した上での充足感すらただよう表現である﹂という。
︵無題︶
疲れはて、節々の痛む時、
的形象は何を意味するのであろうか。かかる視覚的形象を八見るV
閥 ﹁長いこと捜したナイフ﹂㏄﹁原稿
紙﹂㏄﹁古手紙﹂などの視覚
手紙の束﹂
﹁古新聞﹂何 ﹁女の写真﹂
乃 ﹁昔の恋文﹂
托 ﹁わが妻の
いと 苦き悲 みの迫る時、
ことで啄木は過去から現在にいたる現実の﹁劇 ﹂を再現 しているの
いざ 歌 へ、細間なき 戦 ひに
汝が 子の死ぬばかり病める時、
なれ
Ⅲ起きてみて、
また直ぐ寝たくなる時の
力 なき眼に愛でしチュリップ
ちからめめ
そんな
なり。
Ⅲ放たれし女のどとく、
わが妻の振舞 ふ日
|
空 ﹂がこの歌の背後によみこまれているのかも知れない。
とは別の﹁
るいは、これら一連の視覚的形象を収束するために、物
﹁ いはぬ空﹂
かる傾向に対する啄木自身の疑念も含まれているように思える。あ
であろうか。結句の﹁かうもなるものか﹂という問いかけには、か
︵明蛆 年頃 作力 ︶
母に似し物乞 ひを 見たる時、
汝が 恋につくづくと倦める時、
物 いは ぬ空を見て 、
いざ 歌 へ、その時ばかり、
あはれ、我が餓えたる者よ。
う ら悲し昔に 略 きしきり痛罵 はかの青空にあくがれて死す
︵﹁
暇ナ時 ﹂ 蛆 ,6. 為 ︶
いずれも上京後の創作生活で混
﹁細 間なき 戦 ひに疲れはて⋮⋮ 餓 ゑたる者﹂にとっての﹁物 いはぬ
宝﹂、﹁痛罵﹂にとっての﹁青空﹂、
迷する啄木を救済する筈の﹁空 ﹂で あった。しかし、㏄﹁どんより
ダリヤを見入る。
﹁チュリップ﹂の﹁ 花 ﹂は 、 Ⅲ﹁さびしきはⅠ色にしたしまぬ 目
の のゑと Ⅰ赤き花など買はせけるかな﹂三一握の砂 ヒ と 同じく、
病者の﹁ 力 なき 眼﹂をリフレシュメントするために求 められたあで
﹁
化 ﹂であった。この﹁放たれし ﹂の一百 が深刻な家庭悲劇と表裏
花
する 八心教 V 八 必然 V という啄木のただならぬ精神勅何 をその背後
に 読み据えていることは前述のところであるが、
Ⅲ何か 、かぅ、 書いてみたくなりて、ペンを取りぬ
活の花あたらしき 朝 。
な明度の高さをもっていたことは注目しておくべきであろう。つま
り、この﹁ダリヤ﹂は、妻を相対化することで︵森山重雄氏が指摘
前歌の﹁花 ﹂が﹁書いてみたく﹂なる内的衝迫をかきたてるに 充 ぬ刀
するように﹁啄木の母を含めて、母と節子の関係を包む日本の家族
やかな彩りであった。﹁力 なき 眼﹂は退院後の八生活の不安 V 八勝
しのありようをよく返照している。啄木自身はその苦悶をつぎのよ
主義的な女総体に対して向けられたのであろう﹂︶
餓の恐怖 V のなかでなおあるべき現実を摸索する啄木自身のまなざ
う に伝える。﹁頭の中に大きな問題が一つある。それを考へたくな
義 ︶に裏づけされた 八心教 V 八必然 V という高揚した 思念をさらに
理性﹂︵ 主
い。何とかしてその昔からの問題、一生 っぢきさ うな 問 題を忘れた
エネルギッシュにする、あたらしき﹁花 ﹂としての役割 を 担うこと
、
い。︵略︶夜にせつ子がチュリップとプ レ ヂヤ の花を買 つて来た﹂
さて、病室の窓ガラスが子規の八見るV ことの重要な モメントで
になったといえよう。
︵
明佃 ・4, 幻日記︶。啄木のいう六大きな問題 V と節 子の買って
﹁
花 ﹂によって活力をえた﹁力 なき 眼 ﹂は 、 Ⅲ﹁堅く 握 るだけの力
あったことはすでにのべたが、これまた子規を八相を 視る 人 V と位
来た八チュリップ Vとは偶然の符合であろうか。﹁ テ ユリップ﹂ の
も無くなりし ゃ せし我が手﹂ や受苦にたえた﹁手術の 傷 の 痕 ﹂ を
置 づける岡井隆氏の卓見によれば、入自分一人の眼で自 分の身辺の
ことができよう。
いちはつの花咲きいで
ヒ我目 には ム﹁年 ばかりの奉行かん とす
花 ﹂を見ながら、﹁詠題 としての花﹂を う たうのは、 子規にとっ
﹁
ぎよ
ておのれの︵予定きれた︶死に向かっての行であったⅤと 要約する
八 いと はしき V のまなざしで客体化することができた。
﹁ダリヤ﹂の﹁ 花 ﹂は、くりかえしのべるよう に、﹁ 友 がみな﹂
っ、あわせ
の ﹁
化 ﹂とは うら はらに妻を相対化する向背のまなざしをもたらし
た。換言すれば、夫婦の向背のまなぎ しをきわだたせつ
ておのれの主我的な生き方をとらえなおすために啄木が語りかける
一一一一一
タ顔の柵つくらんと思へども臥待ちがてぬ戟 いのち か
いたつきの癒ゆる 日知らにさ庭べに秋草花の種を蒔かし
ってかけがえのない存在であった。のがれようのない死 という 恐
しかに子規晩年における﹁花 ﹂は 、生と死の深淵にのぞ む 病者に
た
まくら出させて、
ひ占ピ 1レぶりに、
そら
巾ツふ べの空に レ
@ *に@レ休りる人ル卜は。
﹁枕辺の障子めけさせて﹂見る﹁空﹂も﹁ゆふ べの空 ﹂も、かつ
御弓町の床屋の二階から眺めた﹁
空﹂であり、後者は八
月期の終焉の
ての﹁物 いはぬ空﹂とは明らかにちが
ぅ。前者は四十四年六月期の本
ぬ小石Ⅲ久堅町 に転宅したばかりの新居の橡先 きから眺めた﹁空 ﹂
花 ﹂ではなく、﹁ 新 しき明日﹂
子 ぬめ ﹁
花﹂
らぎであることは疑う余地がない。が、それが﹁病床に伏す不甲斐
ないわが身を顧みる﹂︵岩城主徳︶ためにしかすぎぬとすれば問題
があるといわねばなるまい。なぜならば、六月が﹁啄木の文学的生
合力の最後の燃焼期﹂であることをよく知るわれわれには、﹁空を
見る﹂ことがその不遇をかこつことになるとはとりてい信じがたい
にわれわれには思える。
いう空﹂として啄木の高場した思考のありかに語りかけてくるよ,
っ
0対話︶の時間﹂があったといえよう。﹁吻 いはぬ空﹂ならぬ﹁物
をじっくり耕してくれるような対話︵無限なるものと有 限なるもの
洞察するように﹁恩寵的側面を持つ自習時間であり、生有感の根底
からである。むしろ、そこには、つとに コ秘伝石川啄木﹂の著者が
しやうじ
@せ
Ⅲ 枕逼 の 障子あ
み
なかゃまひ
長き、 病げト 。
空を見る癖もつけるかな
そら
て、
は
せ
向かう理念の花であったといえよう。
八 彼岸 V へと向かう黙示の花であり、啄木の﹁
花 ﹂は 八 明日 V ク
る ﹂﹁閑 百鳥﹂四百以後の詠出であることを思えば、
﹁悲しき玩具﹂の﹁ 花 ﹂二言がいずれも﹁奇蹟に近い光りを 見
の理念を高めるための活力 として欠くことのできぬ﹁花 ﹂であっ
ム﹁井 ︶という、いわば対症療法の﹁
、少なくとも コ悲しき玩具﹂の﹁花 ﹂は、﹁死に至る 病 ﹂と闘い
っその死地から這い上がろう とする思想動向と深くかかわって い
が 親
・慰め・安
っ
である。病臥の人にとって﹁空を見る﹂ことは気情ら
にとって﹁化 ﹂を﹁見る﹂ことは彼岸なるものとの対話で
四
。別言すれば、﹁何の心慰みもない時の代償的ないこい0表徴﹂
あった。
とからまる視線をやわらげるために子規の﹁化 ﹂ ほ 存在 する。 子
と
附
る
(
へ
た
せ
と
﹁橡 先に まくら出きせて﹂眺める﹁ゆふ
のい う よ う
べの 空 ﹂は 、ム﹁
井 泰子 氏
か。ム﹁井底 の 一種の終末 観は 、前引 9 の歌を﹁暗くつらい一日がⅠ
f
@ 吉
高田治 作宛 ︶かも知れない。細かくいぇば 、﹁ 像
﹁庭 ﹂とが﹁金のある病人の転地位の効果を貧乏な僕には与へた﹂
︵明何 ・8.%
に広い空間を所有しえたであろう。さらに﹁出させて﹂ ﹁あけさせ
あるが、﹁縁先に﹂は肩身の狭い二階借りの﹁枕辺﹂
先にまくら出させて﹂﹁枕辺の障子 め けさせて﹂は 同趣の設定では
まる﹂とす る 読みとりとみ
て﹂はともに人の手助けを必要としている。しかし﹁小 さな身体を
はここには
よ りもはるか
著者は、﹁ これらの歌は平明で何一つ過剰な表現意識をもたない。
しながら一人で威張っている啄木の姿﹂︵山崎敏夫︶など
どとに呼応する。また コ啄木 諭 序説 L
しかもそこ に沿 みとおる 力 は如何なる表現をもこえて力強い﹂と
ゆふ べの空にした
が、もとよりかつてと意味は異なるものの、﹁友がみなわれより え
田︶
微塵も感じられない。なぜならば、﹁
ら。しかし 、この﹁力強い﹂のも﹁彼は人生における戦闘者とし
登場してき たが、いまや、その役割を放棄 し、純粋に内面的な私 的
]]] ︵傍点六ユ︶
て / 妻 としたしむ﹂の構図を想
せ
ム﹁井 、国 崎
f坦
世界に逃避 してしまう﹂のでは無用というほかない。
来
に 届出でた り ﹂と感動をもって伝えている︶。さらに、﹁橡先 ﹂
充分に認められよ う。︵転居当日の日記に﹁夜は立木の上にまと @
させて﹂ よりもその視線は低いかも知れないが、視界のひろがり
ったかがめ かる。﹁縁先にまくら出させて﹂は、﹁枕辺の障子あ
のまなざし がいかに末期の眼にふきわしく穏やかで優しいもので あ
せよめば、 おのずから﹁ ゆふ べの 空 ﹂﹁白き 大 ﹂を眺める病者啄木
﹁縁先﹂ での嘱目 詠 として、 次歌の ﹁悲しき玩具 し最終 敵 をあ
見よ、ム﹁日も、かの蒼空に
二五
に足る反照があまねくゆきわたる﹁空﹂であっ たにちがいない。
は終末なき、滅びなき ﹁空﹂であった。﹁明日﹂の必要を発見する
の中にのぼる﹂朝日に呼応する初秋の夕映えではなかったか。それ
本 によってたまきかに眺められる﹁ゆふ べの空﹂は、あの﹁冬の謂
の出逢いが感得される﹂のである。あえて探訪みをすれば、病者 啄
語法のなかに、石井氏が看破するように﹁しみじみと心温まる空と
てくれるからである。つまり、﹁ゆふ べの空﹂ を眺める啄木の背後
氏 がとらえ る ﹁ゆふ べの 型 ﹂は、﹁死罪に身を移しつつある﹂﹁生
貝、
ける 屍 とし て死をまつのみである﹂啄木が﹁この世への断ちがた Ⅰ
@
@@
1
にぎこちなくはあるがけなげな妻節子の姿を思 い浮かべることも可
Ⅰ
よ
愛惜﹂﹁ 現 実との和解・宥和﹂を願う ために仕組んだ、いわゆる予
Ⅱ
卜しし
オ
能 であろう。だからこそ、﹁ひさしぶりに﹂﹁したしめるかな﹂の
日
主調和のど とき﹁ 空 ﹂でしかなかったようにわれわれには思える。
見
飛行機の高く飛べ 6 を。
﹁呼子とロ笛L の詩群に、暗い現実からの飛翔を声高らかにづたい
あげた啄木が重苦しい絶望と諦念の交錯した視線の呪縛から解き放
つ
。
言わば
い
う
軸
思考
ぅ乙)
文脈を
@
一一
、ノ
ノートに見えたことの意味を、われわれはあらためて痛 切に受け
八 ふれる V 八 さはる V の行為がきわ めて少ない。
と めねばなるまい﹂。
②啄木短歌には
㏄・Ⅲ
八 ふれ るV がい
八 さはる V には能動
兼 しき 玩具 ﹂の八さ
の
井泰子氏の﹁啄木短歌の技法﹂に関する分析では、日明ヱⅠ体
う に、 八 見る V ことを息衝くような日常生活のなかで
側面でしかない。詩編﹁騎馬の巡査﹂
-﹁東京毎日新 聞 ﹂ 明鳴 ・
ャ ]] ヘ ヤ +] ャナ ︵傍点太田︶
Ⅰ・ 比 ︶の﹁細間なく目を配って、 立つてゐる騎馬の 巡査﹂のよ
①啄木文学で﹁巡査﹂をいわゆる官憲︵ 権 ︶として 兄 なすのは 一
いとされる。
啄木の休 言止は独自性、内向的詠嘆がつよく他者との対 話性は薄
言止は対話性、外向的呼びかけにその特色がみられるのに対し、
③仝
る病者啄木のまな ぎ しが照射された行為として注目され
はる V は 、ハな てる V とともに絶望の奈落から這い上がろ うとす
的な心の ュレ が作用していることがわかる。﹁
かにも受動的・無意志的であるのに反して、
の 三例がある︶。これらの用例歌でみるかぎり、
る ︵なお八 なでる V はコ 悲しき玩具 口 に病中 詠 として 乃
八 ふれる V は、門一握の砂 口収載の湖﹁思出のかのキスか とも / お
短歌は
たれるにふさわしい﹁空 ﹂ でなくてはならない。しかも穏やかな人
(小小
ずかに
し、わ
気な」啄木にかにあ
た
稿
わ
「
た
っ
ら
も
な
か
る
よ
キ
-@@。
どろきぬ イプラタスの葉の散りて触れしを﹂の一例のみである。
ら
間愛をつつみこむ﹁ゆふべ の空 ﹂は、﹁ふりむきて犬を飼はむと妻に
す
八 さはる V も﹁悲しき玩具﹂終末部Ⅲ・Ⅲの二例をみるのみであ
木
は
、か
、れ
ヘる
ハ︵
﹂傍
と点
い太
う田
よ︶
うに、微妙な屈折をともなれせっつもたまさか
る
が
は
陰
う
れ
、
『
ガ
生
前
れつつ
移
し
あ
と
彼の
で
あ
に身を
い
に
@
V
て
北の歌
物
「
短
歌
い
き
氏の
」と
びきだ
きれて
コ
啄木
論
序
よⅡ
0
者
ら
思想
歌
集
ぇし
べ
五
八
。
だ
と
の
し
故
死
兇
う
て
残
に
『
よ
り
を
0
要
(
注
)
「
救
い
啄
水
今
井
泰
子
れ か 偶
わ
ら
然
れ み の
は
ち 産
視
野
に
人
「
つ
そ
要
。
」
病
り、
「 啄
なす
リ
並
ぬ
﹁放たれし 女| 西川文子 項 ﹂という一文に、文子が詩人
人
︵追記︶ 校了後、天野茂編﹁平民社の女|西川文子自伝 白 の 解
介
高安月郊 から贈られた 旬 ﹁放たれし 女 また解くダリア 哉 ﹂が紹介
顛末尾の
仮象として描出きれる場合もある。
人間とはその間に無限の質的相違の存する二つの質で
されてい るのがわかった。この月知 の 句と 編者の文意とは、啄木
相違を看過するあらゆる教説は人間的にいえば狂気で
の ﹁放たれし 女 ﹂の 一首を検討するうえで重要な手がかりを与
漬神 である。異教においては人間は神を人
てくれそ ぅ である。
に 評すれば、
著 ・斎藤信治 訳 ﹁死に至
二セ
た ︵
人 Ⅱ 神︶、キリスト教においては神は自己を人間
Ⅱ 人 ︶﹂︵キェルケゴール
80
昭㏄・ 3. 托
である﹁目を閉じる啄木﹂について考察したい。
Ⅰ付記日次
稿は、本稿の完結をはたすべく、八見るV ことの究極
う
彦氏は 、魚住理論︵感情のスペクトル︶の﹁かなしみ﹂
V も、三行分かち書き
の感情・感覚として日本人の感情構造のなかで位置づ
啄木短歌に多用される 八 かなし
ィル における﹁間﹂の万法という観点からとらえなお す
がス
あ
タ
間と
る
を
て
い
払