2016(平成28)年度安居 特別論題に基づく自由討議「原発と未来への責務」

2016(平成 28)年度安居 特別論題に基づく自由討議「原発と未来への責務」
特別講義概要
講師(執筆者) 小原克博
3.11以降の日本の宗教研究において、宗教と公共性の関係が大きな主題として取りあげら
れてきた。そこでは主として復興支援における宗教の固有の役割が問われてきたが、同時
に、原発に代表される科学技術に対し、宗教が独自の倫理的批判をなし得るのか、という問
いも重要な位置を占めた。原発に対しては仏教界からも各種の声明や要望書が出されてき
たが、仏教固有の役割を明確にしていくためには、なお議論が必要だろう。
一般社会においても、また本願寺派の内部においても原発をめぐっては賛否両論がある。
どちらの立場が正しいのかを早々に結論づける以上に大事なのは、本願寺派内部の議論
を一般社会(公共圏)にどのように接続していくのかという課題ではないか。それは伝統教学
からどのような社会倫理を抽出できるのか、という問いでもある。こうした枠組みを意識する
ことなしに、原発問題の是非を個別に論じるだけでは、議論が袋小路に入り込む可能性が
ある。
本講義では、エネルギー問題や原発問題を論じる際に必要となる倫理的視座を抽出する
ことを試みるが、それは公共性の中に宗教をいかに位置づけるかではなく、宗教の中に閉
じ込められている、より大きな潜在的「公共性」を解放する試みとして展開される。おそらく、
そうすることによってこそ、宗教の固有のメッセージと役割が見出されるだろう。
いずれにせよ、原発問題が提起している課題は甚大である。そこでは狭い意味でのエネ
ルギー政策だけでなく、「未来への責務」を我々の世代がどのように果たそうとしているのか
が問われている。日本の伝統宗教の多くは死者儀礼や死後生の理解と向き合う中で、「過
去の不在者」との交流をなしてきた。これは死者と生者をつなぐ「世代間倫理」としても機能
してきたが、死者を社会から放逐する生者中心の現代社会に対し、この力が十分に機能し
ていないだけでなく、未来世代、「未来の不在者」に対しては十分な倫理的関心が向けられ
ることはなかった。「同朋」の範囲をめぐって、本願寺派の中では議論がなされてきたが、今
問われているのは、まだ誕生していない未来世代も「同朋」となり得るのかということである。
「過去の不在者」と「未来の不在者」からの視線を統合的に受けとめ、両者の中間にある
「現在の存在者」としての我々の責任を喚起する倫理的視座を模索したい。
経歴
小原克博(こはら かつひろ)
1965 年、大阪生まれ。マインツ大学、ハイデルベルク大学(ドイツ)に留学。同志
社大学大学院神学研究科博士課程修了。博士(神学)
。
現在、同志社大学神学部教授、良心学研究センター センター長。日本宗教学会 理
事、日本基督教学会 理事、宗教倫理学会 評議員、京都民医連中央病院 倫理委員会 委
員長も務める。一神教学際研究センター長(2010-2015 年)
、京都・宗教系大学院連合
議長(2013-2015 年)等を歴任。
専門はキリスト教思想、宗教倫理学、一神教研究。先端医療、環境問題、性差別な
どをめぐる倫理的課題や、宗教と政治の関係、および、一神教に焦点を当てた文明論、
戦争論に取り組む。
著書として『宗教のポリティクス──日本社会と一神教世界の邂逅』
(晃洋書房、
2010 年)
、
『神のドラマトゥルギー―自然・宗教・歴史・身体を舞台として』
(教文館、
2002 年)
、
『原発とキリスト教──私たちはこう考える』
(共著、
新教出版社、
2011 年)
、
『原理主義から世界の動きが見える――キリスト教・イスラーム・ユダヤ教の真実と
虚像』
(共著、PHP 研究所、2006 年)
、
『よくわかるキリスト教@インターネット』
(共
著、教文館、2003 年)
、
『キリスト教と現代―終末思想の歴史的展開』
(共著、世界思
想社、2001 年)
、
『EU世界を読む』
(共著、世界思想社、2001 年)などがある。
HP: http://www.kohara.ac