SURE: Shizuoka University REpository http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/ Title Author(s) Citation Issue Date URL Version 文学的な創作を通して見る若きシューマン : 未完小説『 ゼレーネ』を中心に 後藤, 友香理 静岡大学教育学部研究報告. 人文・社会・自然科学篇. 66, p. 187-200 2016-03 http://doi.org/10.14945/00009530 publisher Rights This document is downloaded at: 2016-06-14T08:18:41Z 静岡大学教育学部研究報告 (人 文 社会 自然科学篇)第 66号 (20163)187∼ 200 187 文学 的 な創作 を通 して見 る若 き シ ュ ー マ ン ー未完小説『ゼレーネ』を中心に一 Young Schulnalm froln the Vle■ vpollt Of his Literaryヽ Vor魅 ――focushg on lus面 面shed novel..Selene"― ― 後 藤 友香理 Yukari GOTO (平 成 27年 10月 1日 受理) は じめに ドイツ・ ロマ ン主義の作 曲家、Rシ ューマ ン (1810∼ 1856)の 音楽に音楽外的要素、特 に文 学が深 く関 わつてい る ことは、 どの音楽事典 で も必ず言及 される周知 の事実 であ る。シューマ ンは青年時代、作家 になるべ きか音楽家 になるべ きか煩悶 したほど文学 に造詣の深 い作 曲家 で あ つたp音 楽評論家 として も活躍 し、膨大な量 の手紙 や 日記 を残す など文筆活動 も盛 んであ っ た。 自作 と特 定 の 作 家 や 文学 作 品 との 関 連 を仄 め か す 発 言 も多 い (Jallsen 1904お よび Schurnalu1 1971)。 シューマ ンの音楽 の下地に文学的な素養がある ことは確実 だ として も、私たちが実際に彼 の 音楽 を演奏 し解釈す る時には、 どこまで具体的に文学 との関連 を見出す ことがで きるのだろ う か。 この問題については常に議論が交わされてきた。マルセル・プリヨンは、《パピヨン》作 「標題音楽の顕著な一例を示 している。これが呼び起 こす印象だけでは満足せず、 品2に ついて、 自分でこの作品に精通 したいのであれば、ジャン・パ ウルの傑作 に親 しみ、その主人公たち、 ヴアル トやヴル トやヴィーナの友だちになって、舞踏会の進行につれて彼 らが変身す る様子を 追 ってつ きとめ」なければいけない と述べている (プ リヨン 1984:148)。 一方、渡辺健 は同 じ曲について「著述 という面でのジヤン・パ ウルの影響 は疑う余地 もないが、はたして音楽に ジャン・パ ウル的なものの表れがあるのか、とい うことになると音楽 というものが具象性 を欠 くメディアであるだけに… (中 略)具 体的な相応性を指摘することはほとんど不可能であろ う」 と反論する (渡 辺 1988:34)。 そもそも音楽 と文学 とは異なる手段 を用いた表現活動である。 (歌 詞を伴 う作品は別 として) 基本的に言葉を持たない音楽 は、文学の ように何かを明示的に表す ことはできない。仮にス トー リニや雰囲気など特定の文学作品と共通するものを音楽に感 じたとしても、それは個人の 想像力の賜物であり、全ての人が全 く同じ理解を持つ ことは不可能である。シューマ ンの音楽 に具体的な文学性を見出そうとする研究が、結局のところいつ も堂々巡 りに終わってしまう原 因は、 「音楽」 と「文学」 とい う根本の異なる媒体 を同じレベルで論 じるところにあるのでは ないだろ うか。本稿 は、シューマ ンの音楽作品で はな く、彼が書 き残 した言語作品か ら、 音楽教育系列 後 藤 友香理 188 シ ューマ ンの文学性 を解釈 し直そ うとす る試みである。 これまで、シューマ ンの文筆活動が クローズ アップされるのは、曲の成立背景や彼 の音楽観 を知 るためであ ることがほとん どであ った。彼 の文学的創作その ものが具体的 に論 じられる こ とは稀 だつたのである。そ こで本稿ではシユーマ ンの遺 した未完小説 『ゼ レーネ』 を日本語に 訳 し、その内容 の検討 を行 う。 シューマ ンの「文学」 を、彼 が影響 を受けた とされる他の作家 の「文学」 と比較することにより、彼が 自らの創作 を通 じて表現 したかつた ことや、そ こで獲 得 した手法 を考察す ることを目的 とす る。そ してそ こで得 られた見解 を、今度 はシユーマ ンの 「音楽」 に転用す る こ とによつて、彼 の「音楽」 と「文学」 にまつ わる課題 を解決す る一助 と なるのではないか と考 える。 1 シユーマンの言語活動 1.1 概要 シューマ ンの言語活動 は多岐 に及 ぶ。 まず、彼 は大変な読書家 であつた。それは図書出版業 を営 んでいた父親 の影響 も大 きい と思 われる6シ ューマ ンの父は何冊 もの本 を編集、出版 した だ けで な く自 らも文学的な週刊誌 を創刊 していたもそんな父親の影響 でシユーマ ンは早 くか ら 書物 に親 しむ機会 を持 った。そ して自分が読 んだ詩や文章か ら特 に気 に入 った ものを抜 き出 し てア ンソロジー を編む ことも、彼が終生続けた習慣 であ った。 日記や手紙、家計簿な どのプライベー トな「書 き物」 も、他 の作 曲家 と比較 して圧倒的な量 を誇 り、彼 が 日常 のこまごまとした出来事やそれ に伴 う感情 を、い ちいち文章で表現せず には い られない性分 であつたことが分 かる。そ して これ らは彼 の生活や山の成立背景 を知 るための 興味深 い資料 として、 よ く引 き合 い に出される。 最 もよ く知 られ、成功 を収めた活動 は音楽評論 であ ろ う。 F音 楽新報 Neue Zeヽ cmi ttr Musi劇 (創 刊当初 は 『ライプツイヒ音楽新報 Neue Lelpziger Zettchrlft fur Mus側 )は 、 シューマ ンが1834年 、2歳 で創刊 した音楽雑誌 であ り、彼 はこの雑誌 の主筆 として多彩 な評論 活動 を展開 した。多 くの若 い作 曲家 を世 に送 り出 し、 これか らの音楽の進むべ き道 を指 し示 し たこの雑誌 の功績 は計 り知 れず、 シューマ ンの人生や音楽観 を語る上で も一般 によく知 られて υヽる。 しか し、彼が書 き残 した「文学作品」につい ての詳細 な検討 はこれまでほ とんど行 われてこ なか った。 もちろんその存在 が紹介 される ことはあ つたが、それは彼 の読書傾向や嗜好 に関連 す る指摘 にとどまってい る。作 品の中身 に向 き合 い、そ こか ら彼 の文学的な本質 を見 ようとす る試みは ご くわず かであつた (Rauchneich 1990=1995お よび渡辺 1988)。 それにはい くつ か の理 由が考 えられる。 まず、1)シ ューマ ンの文学作品の大半 は、彼が本格的 に作 曲 を行 う前 のか な り若 い時分 に書かれ てい る こと。そ して、2)本 格的 な作 品 として完成 した例が少 ない。 当時 のシューマンが書 い たのは小論や短 い詩力ヽまとん どで、後述す る小説 も断片 だけの未完成 作 品であつた。 さらに、3)内 容が難解 で理解 しにい くい。古 い ドイツ語で書かれ たシューマ ンの文章 は、 ドイツ語 を母国語 とする現代人 にとつて も、決 して読みやす い とはい えない。 さ らに、彼 の書 いた物 は当時の ドイツ文学 の影響 を存分 に受けてい ると考 えられ、 ロマ ン主義特 有 の文体や主観 的な感情表現 は、私 たちにとっては馴染 みが薄 く容易 に共感で きるものではな い。 日本人であれ ばなおさら、難解な文章 を訳 し、その意味す る内容 を読み解 くのは大変な作 業 とい える。 この ように、シユーマ ンの文学的 な試みにうい てはまだ知 られて い ない部分が多 文学的な創作 を通 して見 る若 きシューマ ン 189 い。次節では同時期 の音楽活動 と重ね合 わせなが ら、彼 の文学活動 の萌芽 を見てい く。 12 文学と音楽 の芽生 え シューマンは7歳 で初めての作曲を行 つたとされ (作 品は現存 していない)、 12歳 の頃には、 詩篇第150篇 》 を作曲 している。文学の方面でも同時 現存す る最初の作品であるオラ トリオ 《 期にすでに活発な活動が見 られる。10歳 で「盗賊 コメデイー」 と呼ばれる物語 をい くつか書 き、 13歳 の頃から詞華集 を編集 して これに自作 の詩を書 き加えている。翌年には父の刊行物 『全民 族 時代著名人物図像誌』 にも文章を書いた。16歳 になると学生オーケス トラの独奏者、指揮 者 として演奏会を開催、翌年 にはピアノ協奏曲や歌曲の作曲を試みる。同じ頃、詩集 『ムルデ 河畔のロベル トの筆 になるもろもろ』、自伝的物語 『6月 のタベ と7月 の日』が生まれ、 日記 を つける習慣 も始 まった (藤 本 21D8)。 これらの事実から分かるのは、シューマンの中で音楽 と 文学の芽生えがほぼ同時に起 こ り、彼が両方に等 しく興味関心 を抱いていたということである。 これはメンデルスゾーンやシ ョパ ン、リス ト、後にシューマ ンの妻 となったクララ ヴイーク のように、最初から職業音楽家 となるべ く訓練を積み順調な経路 を歩んだ同時代の音楽家の体 質 とは根本的に相違す るものである。 シューマ ンのこのような芸術観 を形成 したのは、 ロマ ン派文学者 たちの思想 であつた。 Fシ ュレーゲルの芸術理論の中には、高次の意味における「詩 Poesb」 の概念がある。この 詩 Poesie〉 とは一方 詩 Poesie〉 とい うのは二重の概念であった。〈 時代の ドイツにおいては 〈 ではもちろん 〈 詩 Dたhmng〉 とい う特殊な芸術形態を指す概念であったが、他方で様 々な芸 詩 POede〉 とい 術形態に共通する一般的な「芸術の本質」 を意味す る総体概念でもあった。〈 うのはそ こから言葉が詩を汲んで くるような、形象以前 の根源的 な存在であ り、 このような 「詩」の く 詩〉 と音の く 詩〉の 「詩」は文芸に限らずすべての芸術に共通 し、芸術の魂 となる。 どちらの場合 も 〈 詩〉は一致すると考えられた (竹 内 1974:49)。 おそらく少年シューマンに とって も、音楽 と文学は不可分のものであ り、自らを表現する手段 として音楽 と文学の区別は ほとんどなかったのではないだろうか。それではい よい よ、彼の未完小説 『ゼレーネ』へ と話 を進めよう。 2 小説 『ゼレーネ』 21 概要 シューマンの 日記には作家ジャン パ ウルの名が頻出し、日記第1巻 (1827年 1月 ∼1838年 11 月末)だ けでも39ベ ージに及ぶ。日記が毎 日書かれたわけではな く、折に触れて記されたメモ・ 随想であることを考えれば、いかにシューマンが この作家 に傾倒 していたのが窺 える。また、 ノヴァー リスやETAホ フマンといったロマン主義の作家たちの名前 も散見される。そんな中、 1828年 11月 の数 日間に わた り、シ ューマ ンの 日記 に物語風 の 断片が登場す る (Schumann これらはそれぞれ「ゼレーネより真夜中の章 Mittemachお tick aus Selene」 、 「ゼ 「祭壇画 A■ arblatt」 、 「真夜中の章 Mlttemachtstuck」 、 「ハーモニカ Die Harmonika」 、 レーネ誕生前夜 Vorabende zur Selene」 、 「ゼレーネの中の蛾 Naclltph」 狙e in der Selene」 、 1971:134-146)。 「ゼレーネの芽吹 き Vorfrthling zu Selene」 とい う見出 しがついてお り、そのタイ トルと内 容から、シューマンが 「ゼレーネ Selen司 とい う小説を構想 していたのではないかと予想 さ 、 「真夜中の章」 、 「ハーモニカ」 、 「祭 れる。 これらの断片のうち、 「ゼレーネより真夜中の章」 後 藤 友香 理 壇画」、 「ゼレーネの中の蛾」が物語本編 にあた り (た だし「ハーモニヵ」はタイ トルのみで本 文なし)、 「ゼレーネ誕生前夜」 と「ゼレーネの芽吹 き」には、登場人物たちのキヤラクター設 定や大まかなあ らす じなど小説全体 の構想が記 されている。まず11月 9日 頃に「ゼレーネ より 「ハーモニカ」、 「祭壇画」までの四篇が一気 に、少 し日を置いた 真夜中の章」、 「真夜中の章」、 に「ゼレーネ誕生前夜」、そして19日 頃に「ゼレーネの中の蛾」 と「ゼレーネの芽吹 き」 が執筆 されたが、その後物語の続きが書かれることはなかった。 14日 「ゼ レーネ Selene」 とはギリシャ神話における月の女神の名前であるが、物語 も終始夜 を 舞台 として展開する。主な登場人物は四人、グスタフとゼレーネ、カールとミノーナとい う二 組の兄妹である。中でも、主人公に当たるのがグス タフであると思われるが、あえて主人公以 外 の名前 をタイ トルに使用 している点はETAホ フマンの多 くの小説 と共通 し (『 プランピラ 王女』、『くるみ割 り人形 とねずみの王様」 など)、 こういった点でホフマンの作法を真似 てい る可能性はある。また、主人公グス タフの性格を説明する際にシューマンはジャン・パ ウルの 小説の主人公たちを例に挙げており、グスタフの人物造形にあたつてジャン・パ ウルの作品を 参考にしていたことがわかる。 ,物 語の進行 を分か りやす くす るため、まず物語 の本編 次節で この小説の 日本語訳 を行 うが、 五篇、次に小説の構想部分 にあたる二篇 という順 に並べ替え掲載する。 22『 ゼレーネ』拙訳 ゼレーネよク財 申の章 ご座 っていた。灯火 r/J霧 力 ιく燃 え、ガ 彼 ら,ま頬杖 をつき、黙 った まま″かい合わせ′ ぼレーニ[議註 :回 。R“ノ イタ グアのノシ ック画家 ・鞭 家。暗闇 のウ も 浮か ヽ いかのよ う 汎レ ゞ るよ うな明暗 の激 ι′ ヽ斑 が特徴′の″ ぐキ グス トをrら す勇気 `な ま長 いこと夕言だ った。 に、ぼの″ 〈光 つaチ 。二人 ′ 静 ばιを回調 で √やは ク勢の不滅などという グスタノlま夢 うつつのような、長 ぐグノ 7■ さないまま、独 ク言の 、おそらくないのだろ う」 と言つた。彼 筋肉 を全 く動力ヽ 'ま `の よ うにそれを言つた。王子は彼 を月 つめ、すぐに √そうえツ と各えた。多 らはまた ιば らく黙 クこんん ちがいないゴfい ん 駒 ″ ν 王 子は言つた。 グスタク、きみ│ま気力ゝ ″ 「 キラキラと輝 き、花 々 外 では大きな雲が空 夕 舞 た ている。西のぼ うでは,ま だ太陽″ゞ │ま穏 や汁 語 らっている。東 笏 うからは冷た い夜嵐力き グいてきてお ク、月圧 で窓が ヽ ノヾ 風″ゞ タンと″ い力。グスタフはそつと立 ち上″ゞ ク、窓Zへ ゆつ くクと歩 いた。激 ι′ 夕のグ をかき屁 ιた。 気力ち れる、″ツ 「 生きている顔 ク、 どのス〃 酪 まさらに ′ 王子はク えなっ力。 つているのではないだろ うガツ と栃佛 を。 `狂 ゴ iグスタフ`答 長 い沈黙 のグ、グけ っ力。 いわ ぐあ クグに彼 をつかみ、静刻 ″なのか い」 グスタフ″黙 つてう デいた。 /3・ ′ `〃 いん。 きみはス 「 文学的な倉1作 を通 して見る若 きシューマ ン 191 ―― ミイラよ、夕 鋤 なデ ぐのか。今′│ま筋道 を立 でで考えることができる。 ` ι死後に発はな くなるのだと信 じるならは /7ぬ 力めに生 きるなんで″ ばなん とおか 患生 き続 ′ ナる ″″ゞ 死後 しなことを考えわ だろ う」 ´Lヽ は言うだろ う。逆に 「 `勇 `ι のたソ と言え′ ム グスタフ、ス″はなん と言つたであろうか ―― グスタフは雲を″ ι がらぼんや クと言つた。 二 なぜ入β を作 つたのか。そ ι 本当に存在 するのであれ′ ″よ、`ι あ″ レ ヾ /4・ /τ ゴ でもιあなたが いないの であれば な部 た ちは″ ではないのあ う。 「房″う 石滅な ら、″なんで必要 ない。そ 励 な んていないの月 と王 子力言 つ力。ノ うだろ う ′ゴ グスタフは答えなか った。そこで彼 ら.ま立 ち去 った… 真夜中 の章 青白 い星 々力滉 者 の夕 の上 へ と妖 ιくまたた き、"″ 赫 杉力そ っと ささや い で そ よ く磁 々の上 に、 るの わ ずそιド えた ち、大 きな影 言葉 をかわ した。墓碑 は、月 ls‐ `言 いはまるで永遠 のよ うに長 レヽ わ を している。 その影 はまるで時計 のグ のよ うに、ある そ してこ う言 つている一一 月 る″い い ノことが いずれお ″ た ちの属 るところなのパ と。 島力況 の前 に歌を歌 うという神話 から、 島のジ7罰議肇諸:´ ′ ′ は勁 ぐ光 ク、産 だは首′ 作曲家・計ス の最後の作品 とい う意味力場 る″ 洋 調 に、そ して陰鬱に延 々と停 ク響 い ていた。大地 │ま形 るな く、黙 ι力ままそこ翻 影 込んでいる。 ま起 き上が っ 墓堀人の 密 の前 でル レ ーネ、ゼレーネ」と呼ボ声が した。ゼレーネノ ∼ た。彼女 機 リ ン デと′ を月 つめて″ り ヽ さっと肪 を差 ι上げて、月 を力 こ うとι力。 彼女 の 軽 け るで時計のよ うに大 きく高鳴つてい力。ル はぼ ミ 、長 〈首い寝衣 はιど 「 な様子で背に落ち けなく身体にまとわ クついてお ク、″%に をせた長 い巻 き毛機 ヽ ことに憩 うゴ れ ι′ ど ていた。 ゼレーネ!ま急 いで墓地をオ ク、墓″隊 を読んれ 砕力ゝ 「 やってきた。 彼′は微笑みながら墓 の前の琢fこ腰 をおろ した。 すると教多 ら″骨″ゞ ゞ 暉こえた″ミ 立 ち上″お こと力 できなかった。〃 は 数 には、骨のカタカタ鳴るの″誦 こ 勃 姥 口 した。 ますます近 づき、彼女 の着 ′ 〃 をおろし、彼女 の体′ √キス ιでぼしいのね」 ゼレーネ″お とお どと言つた。 ――そιで立 ち去 った。 シ 認ま笑 って彼女 │こ氷 のよう キスを与え ― /4・ 私はたぶん罪 を″ ιたんか ゴ 「 ち上がっつ %沼 スると、螺旋階段 を上がって三階席 へと行 った 彼女酔 ^立 ンの前 =こ座 つて、 フルンを〃 いていん。 一― 夕骨はオルガ ガ は滋み、ゼレーネ│ま動 人の家 の申へと戸 つていつた。あた クは沈黙 と静ゲ さ力演 認 ιてお ク、数 をまどろみへ とス つた。 192 後 藤 友香理 )\-+= i ″ イル″ みで本文なιリ 奈彗″ 彼 ら│ま煙 こ菱 堂 にス っ aつ た。 す で′ く、申│ま真 っ″ でひつそ クとιていた。 `遅 ーテ、申廊、剣廊″ヾ こと見 力溺 く、わ ″ 〈燃 え、大聖堂 の ア 空′ 深 い魔夕 のよ うに高 々 ヽ と光天丼 をな し、古 で た クを月 ている。 ミノ ーナは どわごわと 聖 入 像力普 か ら冷力 `め ゼレーネの後に したが レ、 さらだグ スタ フと 王 子ガ続 いた。グ スタ ノ 憂鬱 な面持 ちで `ま こ座 ク、王 子″チ字梁 だ るたれ て立 った。 ミノ ー カとゼ レーネlま難 教会 の″ 子■ の階差 を下ろ ιた。グ らが黙 った まま数分″そ こtこ座 つていると、三階か ら/yNさ //.炎ヵ撚 え始 め、ま 〈如 られに男 産 のオ ι″ 表情力ゞ 浮 かあ り 'つ た。夕 は首 いマン トを投ゲ捨 fこ腰 て、近 く樹 物 つ ている里 ,マ グアの聖人〃■ 頭 をゞヾ た 。そ ιで預言者 のよ うに′を 上 へ と″ゲ、勅 み 酸 あ てが レ、 なるれ ル シ 現 天丼 を月 た。 する 初 動 物 の三階席 から、ゆっ くクとιた豊 ″綾 聖 力'流れ始 めた。そればまるで神 の柔 らかで漂 うよ うな ため想 のようだらた。月 クの全 での るのが誰 ιていた。′ は雲の後ろに眉れ、光 は彦 かに″ らめいて、壁に″ の麦億を大 きく′ ι″ した。′ をわずかに覆 うま色の雲によつ て、まいゴシック調のス テン ドグラスの窓々″なの光 っている。 ゼレーネは、昔が どこ から虎れ、そιでどこへ消えてい″ 物 かを深すよ う罐 け 上 へ″け 。すると今度 は、 ら涙のよ うに不安ゲで不″ 蕨か で物悲 ι 音が響 いてきた。そιでその申を、さなガゞ `報 か ヒ菫 諸 ″ 贈 力潰 いた。そα 撃 │ま夕焼 ゲの療やかな流れ のようだ漂 い、翼 を″ つかのように飛 びオ っていき、凪人の発 はその後 を道つて泳 いでいった。愛の精神 力漢 /g・ を〃│ぎたかせ、その後ろを震える昔″ミ 顔ι〈遊 つていき、そιで心の唇 を一つた合わせ た。や力ゞ で昔″鳴 娃 んん ιか し、教夕 握 財 ル ゆ つと クとあ アされたよ う 共鳴 `こ ιていん。男 .ま頭 を支え ていた肪 を外 ιた。彼の みま陰気 に垂れ下が ク、大理石のよう を半分層 ιていた。 う 諸 息をひそめていた。昔″モ んだ合闘 に窓ガラス″ ったよ うに鳴ったので、男 `″すませた。 時 まク″ゾ つた 一― と、そ こへ深'な い一音″ヽ まる●慮をするの ガ平 を な青ぎめ力翡 を潔るよ うに、だとんど 「 聞 こえない くらいの静かざぐ広職 をタゲ て流れ″ した 一一 そ こつ 鴻 つたοそれは次第 増 ι、′まク、上昇 ιていった。全 で力清 で満 ち /_‐ 溢れた。石べ 彫像ガヽ そして聖人圧″ミ まるで意 を吹き込まれたかのよ うに鳴 ク』 ι ま驚 き、日から反がだれ出 した。そ た。そ ιで全で力洪 に鳴 ク響 いた。ああ、四人の勇 ′ ご 々に語 っている。なぜならな いたからである 一 ―や″ゞ で、和音″オ ιゲフ ιで心 `様た。それはまるで死ん でしまタ ジ 敬 を 、あるい│ま失 われてιまった純潔 を ′ 停えていち ようであつた。そこ稀 iこな昔ガ響 いできた。〃 クはまるで吹 き消 して″ιい ″″ かのようにかすか に″ らめ いた。炎 と昔 とはますます力ヽ 細 くなったカミ 残 つたかすかな 一昔″ミ まどろみの申でまだ断片的 l_‐ ιゃべったような気力ゞ ι力…そしてランプカ瀦唸 た。雲の後ろから、″のFの ようにぽしか クと″る ぐガカ瀬 をのぞかま 壁 をうす `″ ピ の障界鉢 力沼 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友香 理 一 励 ∼ イ王子ガツ 画人の唇力ゞうっと クとその言葉 を凛 ク返 ι力。 ゼレー不の申の戯 グスタフは言さあたまま王子のところへ行 つた。″はナでに深更 であつた。グスタフ と言つ力。王子雄 諾 子に喚たわつ嘲 な いたカミ 〃 は ,つ すら笑 いな″ゞ ら 晩 =今 の本″i″ いたまま置 いであつた。グスタフを │ま見開かれ ていた。王子の″にはミイラ “ ―スグスタフが いるね」 と言ιそうに言うと、その本 をとって放 クタ た。 ことに 「 'デ いるとぷ いこんでいた。 ιか の夕めのベージ 書き込んれ 「発は君がをきて ノ そιて本`う ι君硼 だゲを″ いて度 でいたのだ。発は教 た。″ル スだつて:″ つていると思 わ /_‐ ずときていると思 うだろ ク。だ つてそのよう 見えるのだから。おやすみ ノプ 'こ ろ うそ〈│ま弱 々 ιく、そιてみナばらιぐ″ らめいてい力。グスタフ│ま立 ち上がって 消 ιた。火力=消え力と同時 に17が ′を覚 ました。 グス タガ 数 は″ の ヽ けた。 その レ F/tき 「 力 え、彼 らは力き合 つた。 」 とグスタフ 「 =″ `各 ンをゴ と″夕 いに言いつけた。グ らはク になるま 王子″″ び鈴 を鳴らし、 シャンノゞ 「 で飲み、グスタフ″ふらふらと帰 っていつ力… ゼレーネ誕生前夜 グスタフ仕 舞 隷 玖 ″ である。崇声な情熱 を″ ち合わせた青準 │き趨 にお いて気高 い ス″ であるという点 で、″ ち勝 つどころか逆に″ ち″かれでιまうよ うな、そんな激 ι い侍 酔 濶 卜 の申から、力 と穏やかざの調なが立 ち現れ るべ きである。グスタノ″ス生 ガならない。 の全 でな 盟 %妨 レ }ナればならない。夕│ま愛 と偕ιみ とを教fな けれ′ べ てを焼 きパ くすプロメテ シ ヽ それで 気高 いス″ とは確 かに拗 影 勁 にいる `のの火 をおこし、輝か `す すること″ゞ できるι、ま クスの炎 を消 ιでしまってはならない。そ たそ うιなければならなれ そこに導 〈力め 、グスタフの青少名″″″ ι〈有やかな 中モニカ″ミ るのでなくてはなら い。夕│ま墓地 のそばで、酔 の うちに声つた。花 と′ヽ ls‐ /4・ ノグ 後 の准一の質心事 であ ク、殊 ゼレーネのぼかだiま知 ク合 いるいない。 ゼレーネこそ「 ス タフの力 馴層 とい うべきスタ である。墓堀 クス をしているグスタフの父親は、老入 とιで、このをの虚 ιさについ●自子と語 クあ う。グスタノの着″″宇護″ と うべ `言 態 つている 一― はグスタフに きギ グシャス ーー タ時 的オ能 を″ ち、不 ―卸 物 後、彼│ま美 ιぐ気高 い青年 となっ 音楽 を解 することを教えた。 このよ う猜 か菱 の世界へ妃 を踏みスれる。そのと排 侍 物 産 に目覚める。彼は でα 議 材 週 て力こ らめにし、 クタゲ、飲み、遊べ そして恋 をする。 このよ うなス間関係 は夕 を″ じガゞ 'ん 夕の信″″″ ま ク、″ を行 εなくなる。 本体グスタフは陰気 ● に 綾 ス″ である″ヽ 彼はグの 書 機 のオ能 を″えている。疑 念 活動欲、そして絶望 ―一 だ力渡 ″自分自身み 教 わ″ 、 力なる全体 である。最 こつける。ヘ ラタレスのよ うだ野暮 で粗野 でない 後には、彼 よ力 と穏やかさの調和 を身 ′ 文学的な創作 を通 して見 る若 きシューマ ン 195 こと、 カ ヤ ンのよ うに臆病 でな く意気地 なιでるないこと、とい%″ 信条 はさらに 輝 きを砦 して浮かι吐 ″泌 。グスタフは、グの大 いなる愛 をまだ感 じることはできなし 感情カサ 生える。本質的 に変 と異 なっているの力ヽ 彼″ 夕になってようや ぐ″ ヒをグえ ているのだ″ミ β、カー/PI子 であ ク、彼 らなのち 友 となる。カール るまたオ遺 `こ ιか ιこれ!ま第二級 のるのである。グスタフの場合は、彼力滋 固たるるのに至るまでは ιでこの内部の力 ぼるつぱ 内部の力 ただ晟 拗 にιがみついているだ″ るのが ls‐ らん 留いを″ っているソ、カ ー/21子 にお いては、柔 らかな 弓さなのである。それゆ “ 軟扇 る し、夢児力ゞ ちで だか らと言っ 財 とい うわゲ α 老 いカツ、独 ま人 を愛 ι え 、 `す ある。 ちよつとした “え鷺 の″ ち主 とい うところである。カールは画家 で、詩人 であ ク、 音楽家 でるある。 a∼ ネの申にるグスタフの性格の一部はあるカミ 彼女 のを考ぼ盟″ ど ′ レ、 ″ 落 っているときには、ゼレーネはそ `停 オ能 があ ク、威厳 満 ケ 愛 と、女艤御碧銅 ヽ れをなだめる。彼女には女をならではの であ ク、女性的要素 によ ク児 よ ク /_‐ ″ ってお ク、グ ιぐ穏やかである。I女 ミノーカは、常に浮遊 しているよ うな″ であ ク、軽度 のえれ を有 している。炎 劫 熱 赫 れ た気をの激 しい貴族 である。彼女 はグス タフと惹 き合 うるのを″ っているのが ヽ そのことに気″つ くの デつと夕になってか らである。 というの る、グスタノ│ま弱みを月 せまいとして、彼女 らンナよ うとしていた きらい力ゞ あるのである。結局夕 は彼女 の情熱に負 ゲ でしまうことになる。ゼレーネぼ /7■ るっと早 く王子と解 ι合 う。 で これ″ゞ このテイツイアーノ月 の絵 Zの 基調 となる四つの色 である。 この小訪渤 あるなら受1/1こ のように表現 ι力 い f幼年時代 の 数 ル を して,ま墓地 を選ぶ ―― 前景 には、グスタフ料 π″ 曖 、墓η 錮 勁 、歯を食 い ιばつている。 ミノーナ″墓地 で、 ご咲 く花 で自 らに喜 び″ 戒 よ うとするだろ う。王子は墓石 花 々を無邪気 にガみ、墓場′ をひっくク′ ι、を ヽ 深 いゼレーネぼ毅 なまなぎιを空にカゲ、キグス トの絵 を唇だ 'ど 当 てている。 このを を完成 させるその他の登場人夕は、滅多に登場 ιない″ミ グスタフが戦 いだ整 けそうになるときに男れ、夕 を教育するす護″ であるギグシヤス、生 を超越 ι力墓堀 ク ス、若 々 ι〈児える″滓 老 いている夜爵、そιでをの数人 の言廷 のス″ %る 。 ナ塗 作品全体│ま難解 なよ うでいて、ス を若 きつけでやまな鴎 ス生 の散文 をできるだ′ クこめるよう、ポエ ジーはあ クとあらゆるところiこ顔 をのぞかせてい/4サ れ,ぎな らな場 ゼレーネのガ′き グスタフには、″の第二級 の天才たちやカールのような軽率 さは、 いかなる点 お い て くない。逆に、た いていのことは度重な″ ″ サ る。ガ 々 ιい情熱 と力なる力 と l_‐ `全 いは、崇酵 一″雄 である。カールにとって情熱 とはひιろ一時的 で一過 の の段 ` こ対 し のである。グスタフにお いて情熱 とは、 ιとιととた ク続 傷 議 め よ うであるグ“ である。激髄 精神力潔 やιパ ぐされて死ん aヾ 青 `の い働 れ て荘厳 な姿 をとってお ク、声のだヽ を若きつける 春真月申の若者 というのは、憂 イク ハーアやフラミ のた グスタフはアルバーノにもグスタフやヴォルデマールに `ヴ登場人惨。 アル,ヽ― ンにるなって いゲ″ ■ 議 註 ′すべ てジャン・パ クルの/ytyの て、カールにお いて制 教 拗 77■ 196 後 藤 友香理 ノ″ √ 児 えな い″ノえ 、 ヴイク ハー アとフラミ 互ノU、 グ スタ フとヴオルデ マールは ノ ンは √宵の〃星Jに 登場 するル タ ″ フラミンよ クる計的 に、 ヴイク トー アよ ク6カ 麟 ぐあるべ きであ る。 この アイデイアについ ては、発 の考 えは 決 まっている。副次的 `夕 な膚景 こそ自分 の 勢 た いJ議 て あ ク、それ などのよ うな るのである : 運 令が こ ちらに蔵ガ ιでこな い″ クは、僕た ちは首らの運命 と うま ぐ″ き合 っていゲ って くれは 未来 に立 ち膚か うために発た ちはたや る。 しか ι蹄 決 生 に立 ちふ さガゞ すく週去 と折 ク今 つてしまう。 危 な わ を いうものはヽか たよつで形成 されるものではな く、それ自身力域 師 であ ク ,生 行なの九 、あらゆる条件、あらゆる昴 荀ヽあらゆる状況下で、自らを鍛え上 ゲ てい くるのな"は のである。 とは、まだきちんと″ ク今えてはいない″l苛酷 など令 発自身はE令 の話やその であってる勇気 によつそ れを腹″することができるのではないだろ う″ち 3.考 察 この小説の特徴について、内容、文体・表現方法、構造の三点から考察 を行い、シユーマン が影響 を受けたとされる他の●マン主義作家たちの文学作品 との比較 を行う。 31内 容 『ゼレーネ』の物語には共通するテーマが見受けられる。 「ゼレーネより真夜中の章」では「魂 の不滅」や「神の存在」について、そして「祭壇画」 においても再 び「魂の不滅」 についての 疑間が提示 されている。 自分たちの人生とは一体何なのか、生 きることに何の意味があるのか、 そして死後我々はどこへ行 くのか…。そうした問題意識が作品の底流 にある。他のロマン主義 作家たちの作品で も、人間の精神性や死生観が扱われるケースは往 々にしてあるが、これほど ス トレー トにこの問題への疑間を投げかけているのはシユーマン特有であるといえる。青春の 只中にいた当時の彼の頭を占めていた中心的な命題だつたのであろう。 死への近似性 と自我の葛藤 もまた、重要な主題である。物語の中では骸骨や ミイラといつた 「死んだ人間」が当然のように登場 し、生と死が相互に侵入 し合 う。登場人物たちも正気なの か狂っているのか (シ ユーマンはグス タフに「生 きている限 り、 どの人間も狂 っているのでは ないだろうか」 と言わしめている)、 起 きているのか夢の中にいるのかもよく分からない。現 実 と虚構、夢 と狂気の境界があいまいである。ゼレーネは「 グスタフの女性版 em weiblcher であると表現 され、グス タフはミイラを「 もう一人の 自分」であると言 つている。 このような自我を複数の人間の中に投影させる描写は ドッベルグンガーを笏彿 とさせる。 こういったテーマは他のロマン主義文学においても好んで用い られた。ジャン・パ ウルやE Gustav」 TAホ フマンの小説には ドッベルゲ ンガー、夢遊病者、狂 つた芸術家など自意識の危機 を抱 えた登場人物たちが多 く登場す る。またジャン・パウルの長編小説 『見えないロッジJに は、 そのあらす じや設定において『ゼレーネ』 との共通点がい くつ もあることが分かつている (人 見 1978)。 まず 『見えないロッジJの 主人公の名前は「ゼレーネ』 と同じグス タフであ り、生 い立ちにも類似点が多い。また 『見えないロッジ』 には、埋葬された直後に甦 った男が教会で オルガンを弾き、それを夜の墓地でグスタフがまどろみながら聴 く不気味なシーンがあるのだ が、 これは『ゼレーネJの 「真夜中の章」の内容 とほぼ重なるo 文学的な創作 を通 して見 る若 きシューマ ン 197 3.2 文体・表現方法 『ゼレーネ』の文章の最 も大 きな特徴 は、まるで「詩」のようであるとい うことはなぃだろ うか。表現が比喩的で過剰である点、い くつかの語彙がシンボル的に多用されて特定のイメー ジを喚起 している点、 「ああ」 「おお」などの感嘆詞がたびたび用い られ文章が主観的である点 である。 こういつた特徴 は、他のロマン派作家たちにも見 ることができる。たとえばホフマン が見 られ、 「た 「 ロマン派特有の表現の過剰 さ」 小説の翻訳者、大島かお りはホフマンの文章 には とえば狂気や恐怖、熱狂や陶酔をあらわす表現を、 これでもか とい うほどてんこ盛 りに」 して :413)。 また、ジャン・パ ウルは花や蝶、月、夢 とい つた語彙 いると述べている (大 島 "∞ をシンボル的に用い、小説全体を統一する色調 を与えている。一方『ゼレーネ』で多用 される のは夜、月、ほの暗い炎や光、夢 (眠 り)と いつた単語であるが、その結果、全編を通 じて幻 想的で不気味なイメージをもたらしている。 もう一つ、見逃 してはならない重要なキーワー ドは「音」である。 Fゼ レーネ』 の世界では 「悲 しげな和音」、 「不安げで 空に歌が響 き、石や絵 も鳴 り響 く。音の種類 は単音 だけでなく、 、 不確かな七度音程」 「不協和音」など豊富である◇ しかし、音に対する鋭敏な感覚 はシユーマ 「憂いに満ちた憧 ンに限ったことではない。ホフマンの『黄金の壺』には「愛 らしい三和音」 憬の神秘的な和音」 といった表現がたびたび登場する。ジャン・パ ウルの 『五級教師フイック スラインの生涯』の一節 を『ゼレーネJと 比較 してみよう。 ) (ジ ャン・パウル『五級教師フイックスラインの生涯』より …はるか彼方には美 しい響 きが流れ、はるか遠 くには美 しい雲が飛んでいた、一一おお 心は解体することを望んだが、ただひらめ く花絲 に、柔 らか く包みこまれた葉脈になっ ただけであつた。眼は融けさることを欲 したが、ただ喜 びの花 の事のための露滴 になっ ただけであつた …・ (岩 田 1975:35) (シ ューマンの 『ゼレーネJよ り) …そこへ新たな音が鳴つた。それは次第に増 し、強まり、上昇 していつた。全てが音で 満ち溢れた。石が、彫像が、そして聖人画が、まるで息 を吹 き込まれたかのように鳴 り 出した。そして全てが共に鳴 り響いた。ああ、四人の魂は驚 き、日から涙が溢れ出した。 そして心 も様 々に語 つている。なぜなら泣いたからである… 音が単なる音響 にとどまらず、感動や陶酔、憧 れをなど様 々な感情を運んで くる重要なモ チーフとして扱われているのは特筆すべ き点である。 3.0 囀馘自 『ゼレーネ』のい くつかの章を読んです ぐに感 じることは、それぞれの章にはさほどドラマ テイックなあらす じがあるわけではないこと、そして各章間の話のつなが りが希薄で時系列が ほとん ど分からないとい うことである。 これは『ゼレーネ』が未完成であることを差 し引いて 考えても特徴的な点だと思われる。 「ゼ レーネ』では、それぞれの場面が印象的に描写されでい るが、全体の物語 自体が大 きく 進行 してい くことはない。 しかし、それこそシューマンがジャン・パ ウルをはじめとす るロマ 198 後 藤 友香 理 ン派作家から得た手法の一つであったと思われる。ジヤン・パ ウルゃホフマンの多 くの小説は、 あえて物語の時系列 をバ ラバラにして並べた り、関係のない話を間に挟むなど、物語の枠組 み や語 りの手法に特徴 を持つ。人見宏は、こういったジヤン・パ ウルの小説作法について「 この 小説 を書 く際の作者の関心は、本当は、主人公の性格の形成 とか、あるいは、主人公の人間的 発展 とかにあつたわけではなく、ある特定の場面の描写により、読者にある種の感動を与える ことにのみ作者の関心は集中していたはずである」 (人 見 197o:48)と 説明 している。シュー マンも『ゼレーネ』においては、ス トー リーテラーであることよりも、イメージや印象的な場 面を並べてい くことに重点を置いていたのではないかと思われる。 これまで小説 『ゼレーネ』 に見 られた精神性、文章表現の特徴、そして物語の構造を検討 し、 それ らがシューマンの愛 したロマン派の作家たちの小説作法 と共通す ることを確認 してきた。 シューマンはジャン・パ ウルやホフマンの作品を熱心に読み、その実践を試みることで、 こう した美学傾向や構成プロセスを自らの中に取 り込んでいったと思われる。 4 結論 :シ ューマンが「文学」から得たもの 本稿 のはじめにおいて、音楽 と文学 とは根本的に異なる手段 を用いた表現活動であると述べ た。 しかし、シューマンの中ではこの二つは不可分であ り、彼はそこに共通する芸術性を見て いた。だからこそ、彼 は生涯にわた り「音楽の評論活動」 と「文学的背景 を持つ音楽作品の作 曲」 とい う音 と言葉 を融合する表現活動をなし得たのであった。それではとどのつま り、音楽 と文学 に共通する芸術性 とは一体何 なのか。最後 にこのことを考えて結びとしたい。 その文学作品の何が芸術的かと考 えた時、い くつかのポイン トが挙げられる。まずはその作 品の主題、そしてその主題から何を見出したのかという着眼点である。同じ題材を扱 つたとし ても、そこから何を主題 とするかに作品は変わって くる。次に、言葉でもってどれだけ見事 に 物や感情 を描 くことができるかとい う文章表現の技術であろう。文章その もののスタイルもこ こに入る。そして最後に物語の構成力 を挙げたい。読み手をどのように誘導する、あるいは混 乱 させるか。物語の枠組みによってその物語の様相は変わって くる。 そう考えると、私たちが「物語」 と言ったときにまず思い浮かべ る「プロット」は、文学の 芸術性においてはそれほど重要な要素ではなぃのではないだろうか。あらす じを全て知 つたと ころでその文学作品を味わつたことにはならず、むしろ途中までであって も実際にその作品を 自分で読む方が作品の理解につながるのと同じである。あ りふれたプロットを用いたとしても、 その作家の着眼点や文章力、語 り方によって作品はいかようにも斬新なものとなる。 音楽 における「プロット」 とはソナタ形式、変奏曲、組曲 (あ るいはもっと単純な形式)と いつた伝統的な「型」である。それらは「提示部→展開部→再現部」や「原形→発展」などそ れぞれの基本プロットを持っている。同じ「ソナタ」という型を使 って も、その音楽で何 を表 現 したいのか、音でどのようにそれを表現す るのか、そしてその型をどのように料理するのか によって音楽は全 く変わる。 シューマ ンは『音楽新報』 の創刊 に至った経緯をこのように述べている。 …いつたい当時の ドイツの楽壇のありさまは、あまり愉決なものとはいえなかった。舞 台には相変わらずロッシーニが君臨していたし、 ビアノに上るものといえば、一の二 も なくヘルッとヒュンテンにきまっていた。 しかもベニ トーヴェン、カール・マ リア・フォ 文学的な創作 を通 して見る若 きシューマ ン ン・ ウェーバー、 フランツ 199 シューベ ル トらが死 んでまだ幾年 にもならない とい うのに、 このあ りさまなのであ った。 (中 略)そ こであ る 日のこと、若 い血 に燃 える人 たちの頭 に、 今 はぼんや り手 を束ねて傍観 してい るべ きではない。進 んで事態 を改善 し、芸術のポエ ジーの栄誉 をもう一度取 り戻そ うではないか、 とい う考 えが わいて きた。 こ うした次第 で「音楽新報」 が創刊 されたのである… (シ ューマ ン 1854=1948:11) 音楽批評家 としてのシューマ ンの批判 の矛先 は、名人芸 を見せ びらかす だけの表面的な技巧 音楽、そ して過去の様式 を模倣 しただけの保守的で通俗的な音楽 に向け られていた。 しか し、 彼 は過去 の様式その もの を否定 したのではな く、む しろ自身の時代 にふさわ しい創造的な ソナ タを追求 していた。 シユーマ ンの批評の中で、 ソナタに対す る批評には特別 の力点が置かれ、 自身 も何度 もピア ノソナタの作 曲を試みていた。そ して形骸化 してい た従来 の「型 」 に新 しい 息吹 をもた らす手段 として、シューマ ンは文学 を通 して獲得 した手法 を音楽 に応用 したのでは ないだろ うか。シューマ ンの音楽における、時 にや りす ぎとも思 えるリズ ムの偏執、従来 の音 楽形式 か らの逸脱、聴 き手 を混乱 させる変則性な どは、彼 の精神疾患 と関係 づ けられて批判的 に論 じられる こともあ った。 しか し、それをロマ ン派文学 の手法 に結 び付 けて考 える ことで、 シューマ ンの音楽 が意図 していた ものに一歩近づ くことがで きるのではない だろ うか。 シュー マ ンの音楽 に文学性 を見 る ことがで きる とすれば、それは特定 の小説 のプロ ッ トを音で追 うこ とではない。イヽ 説その ものの音楽へ の転用 なので あ る。今 回は、主にシューマ ンの文学作品を 同時代 の ロマ ン派文学 と比較す ることで彼が得 た小 説手法 につい て考察 して きた。今後 はその 手法 をシューマ ンが いかに自分の音楽作品 に転用 していつたかを具体的 に検証 してい きたい と 考 える。 引用・ 参考文献 Brion,Marcel Scん レ″αルんOι Jり jqレ ● Parjj,1954(=喜 多 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