233 研究ノー ト ス タンダールはなにを書か なかったか 鈴 木 昭 一 郎 この研究ノー トの性質 本稿の内容は,1 9 9 9年 1月2 5日付で京都大学か ら博士 ( 文学)の学位 を授与 されたフランス e ndhale tl eThe ' at r e,Pr e f a c edeV.De lLi t t o( 『 ス タンダール と演劇』,序文 ヴ 語の論文 St イク トール ・デル ・リッ ト)の 日本語 による要約であ り,本稿の タイ トル 『 ス タンダールはな に を書 か なか った か』 は原 タイ トルの意訳 で あ る。原論 文 は Bi bl i o t e c a( Bi bl i o t hと que ) udi( Et ude s )3,Co l l e c t i o n St e ndhal Cl ub,ス タンダール ・クラブ叢書 STENDHAL,St 「 研究 3」として,1 9 9 8年 1月, C.Ⅰ .R. Ⅴ.I .( Ce nt r oI nt e uni r ve r s i t a iod r iRi c e r c hes ulVi a ggoi i nI t li a a,Ce nt r eI nt e r ni u ve r s i t a i r edeRe c he r c hes r1 u eVo ya g ee nI t li a c,St r adaReigl v i as c o6,1 0024Mo nc li a e i,I r t li a a( イタリア,モ ンカリエ リ,C.I .R.Ⅴ.i .社)か ら出版 され ( I SBN 88 17760 -203 X,i n-80,24c mX1 6c m,2 80p) ,恩師ヴイク トール ・デル 11 )ッ ト氏 に捧げ られた。なおこの学位論文 には,副論文 ( 参考資料) として,桑原武夫 ・鈴木昭一 9 8 5年 ,I SBN4 1 560 -041 96 2C3098)の うち鈴木 昭 郎共編 『 ス タンダール研究』 ( 白水社 ,1 1 8 3 一郎単著 『 年譜 「 ス タンダールの生涯」その 日々の生活 ・読書 ・創作 の軌跡』 ( 年譜 p, 3 3 5 4 2 2,計2 3 9ページ, 日本語)が添付 された。年譜 の年月 日ご との全記述 に記 3 3 3,索引 p. 号 ・数字 により典拠への遡及 と読者 による再検討 を可能に した,ス タンダール年譜 として本邦 最初の ものである。 念のため記すが,上記の論文 と副論文はともに出版 されている。ゆえに本稿 は学位論文公刊 の義務 にかかわるものではない。 また本稿 は上記主論文の要約であ り論文ではない。 したがっ て引用や用語の出典註記 など,論文 に必要な形式 をとらない。 また主論文はス タンダール研究 者 を対象 としたが,本稿 はやや広 く日本の読者の興味 に訴 えようとする。 したが って若干の伝 記的説明 と,論述 に潤いをあたえるための行文が必要であった。 主論文の成 りたち ・初出等 について付記す る。本書は,小説家ス タンダールが1 8 3 0年の 『 赤 と黒』出版 の後 まで,正確 に言 えば1 8 3 4年,未完の長編小説 『リュシャ ン ・ルーヴェン』執筆 の二 カ月前 までメモに残 した 「 劇作」 に対す る関心 を,彼が生涯 をかけて探究 した 「ロマ ンチ ックという名の優 しい崇高」Subl i met e ndr eno mm6r o mant i queとい う概念 に しぼ り,従来 ほ とん ど無視 されて きた彼 の戯 曲習作 ・文学 ノー ト ・日記 を通 じて,彼が 「なにを書 き」 ( 明 示的エ クリチュール)「なにをあえて書かなかったか」 ( 潜在的エクリチュール) を分析 し,そ 0章及び付録 2)は こか ら彼の小説技法の一端 を解明 した世界最初の研究である。第 4章-第 1 St e ndhalCl ub ( 『 ス タンダール ・クラブ』 ( 国際ス タンダール研究誌,アカデ ミー ・フランセ ーズお よび文芸研究国立セ ンター後援 ,I NSS:0 039 -11 58) に発表 した 7編の論文 に加筆 ・ スタンダールはなにを書かなかったか 235 のみが学位論文 『 ス タンダールの知的生活』LaV i ei nt e l l e c t z L e l l edeSt e ndhal ,Ge ne s ee te ' u o- l ut i o n des e ei de ' e s[ 1 802 -1 821 ]( 1 9 6 2)で戯 曲習作 に若干のページをさいたに過 ぎなかっ た。 この学位論文 は不朽の価値 をもちなが ら,未 だ研究者 たちの豪 を開 くに到 らなか った。彼 らは, この膨大 な量の草稿 をまともに検討 しようとせず,ス タンダールの戯 曲習作 は,劇作 と くに韻文の才能が なかったため に 「 失敗 」 した と考 え,その ように発言 した。 しか し 「 失敗」 とい うのは適切 でない。ス タンダールが伝手 を求めて 自作の上演 を図った形 跡 はまった くない。そ もそ も第 4章で見 る 『ルテ リエ』の ような,当時劇壇 に君臨 した批評家 ジ ョフロワ,文学者 とい うよりナポ レオ ンの外交官であったシャ トーブ リア ン,そ して彼 らの 背後 にいる独裁者ナポ レオ ンを暗 に訊刺す る戯 曲をフランス座 に採用 させ るのは,ほん らいで きない相談であった。「 失敗」 とい うの は早計である。ス タンダールの戯 曲習作 は, ひ とつ と して完成 され舞台 にかけ られる幸運 をもたず, したが って弥次 り倒 される不幸 を経験 しなかっ た。第 3章で述べ るが,ただひ とつ散文ではほほ完成 され,ただ韻文化の困難が彼 に才能の欠 如 を痛感 させ た とい う 『 二人の男』で さえ,彼 は劇場関係 の友 人知 己に助言 も仲介 も求め よう と しなかった。『ルテ リエ』 について も,理工科学校 か ら土木 ・行 政畑 に進 んだ同郷 の友人 ク ロゼ と二人で, シェイクス ピアとエ ドモ ン ド・バー クのなか に崇高の定義 を もとめるのみで, 上演の具体策はなにひ とつ講 じなか った。彼 は片 々たる成功 を眼中におかなか った。たんに小 器用 な野心家であ り小成 に甘ん じる策士 であった ら,彼 は自作 か ら面倒 な箇所 を削除 し,笑い をとれる喜劇の常套手段 を付 け くわえ,′ ト給麗 に仕上 げることを考 えたであろう。彼 は現実の 観客ではな く理想の観客,す なわち彼 自身の評価 に耐 える作品 しか考 えなか った。 この ような 「その真聾 な発展がすべ て美への愛の性格 をもつ」探究 を単 に 「 失敗」 と断定 して足 りるであ ろうか。デル ・リッ トが指摘 した ように,ス タンダールは文学修行 の当初か ら 「なにひとつ軽 率 に筆 にすることを肯 ん じなか った。いいかえればすべ てが書 くに値す る理 由があることを欲 した。そ もそ も彼 が劇作 にのめ りこんで行 ったのはこの強い要請の結果である。手抜 きさえ し ていた ら彼 は三 ケ月 に一本戯 曲 を書いていたであろ う」。研究 者たちには先人見 とひそか な喜 びがあった。 「 ス タンダールの戯 曲は失敗 した。劇作 の才能が なかった。 だか ら小説家 になっ た,仕方 な しに」。その ような発言 は,研究者 としての見識 を示 し,批評家 としての優越感 を あたえて くれるはずの ものであった。 1 3歳 ごろ と推定 され る喜劇 『セルムール』 ,1 8歳の時の喜 ス タンダールは,その戯 曲習作 ( ,1 9歳の時の悲劇 『ユ リシーズ』 と 『ハム レッ ト』 ,2 0劇 『と りちがい』 と 『はや りの夫婦 』 21 歳の本格的性格喜劇 『 二 人の男』 ,その後4 7歳 まで念頭 を去 らなかった反動陣営批判 の猟刺 ,3 3歳 で試 み た喜歌劇 の計 画 『イ タリアの異邦 人』 ,3 6歳 の時 の悲劇 の着想 喜劇 『ルテ リエ』 ,37 歳で書 き残 した1 8 世紀 の小 説 『 サ ヴ オワ伯爵夫 人』の脚色 ,4 3歳 の時 『フェ リーペ二世』 5 歳の時の史劇 『ア ンリ三世』 ,5 1 歳で詩人の悲運 を描 の反工業主義の戯 曲 『 名声 と侶偉女』,4 こうとした 『トルク ァ- ト ・タ ッソ』) で,登場 人物 の論理的性格描写 と感傷 的 な心情 の吐露 とい う,二つの創作 モー ドの間で揺 れつづけた。す なわち彼が 「ロマ ンチ ックとい う名の優 し ub l i met e nd r eno mm6r o ma nt i q ueと形容 した稀有 の瞬 間は,本来 ほ とん ど言葉 を い崇高 」s 必要 としないにもかかわ らず,演劇ではかな らず台詞,で きればア レクサ ン ドランとい うい う 韻文媒体 で表現 されなければな らず,想像力の リズム とは異質だったのである。 私 たちはス タンダールの全戯 曲習作 を,苦 い失敗 の連続 と してで はな く理想美の探 究 ,「ロ マ ンチ ックとい う名の優 しい崇高」 の探究 として解明 し,それがのちの小説美学 とどの ように 関連 しているか を指摘 したい。既述の ように本書 は 『 ス タンダール ・クラブ』その他 にフラン 2 37 スタンダールはなにを書かなかったか クリチ ュール,多感 な魂 に とって,性格描写の ように分析的ではな く, よ り直接 にアクセスで きる悦 びである。 この ことが彼 の戯 曲習作 の二律背反 を説明す る。彼 は自分 の熱烈な想像力 を 赴 くにまかせたい と念 じている。 しか も同時 に,性格の展開 を旨 とす る古典的 な演劇論 に,あ くまで も忠実であろうとす るのである。 『とりちがい』 と 『 ゼラン ドとラ ン ドールの恋』 7歳で,ナポ レオンの第 2次 『ア ンリ ・ブリュラールの生涯』 によれば,ア ンリ ・ベールは1 イ タリア遠征軍 に後続 して イタリアにむか う。母方の従兄でナポ レオン軍の主計局長 ピェル ・ ダ リュは, この親類 の青 年 を経 理 官 と して世 にだ してや ろ う と考 えてい る。そ して ア ンリ 8 0 0年 5月, レマ ン湖畔の ロル ( 実際はヴヴェ-)で,丘の上の教会の鐘の音 に 「 完全 な は,1 幸福 に最 も近い」瞬間を知 り,大サ ン ・ベルナール峠 をこえ,イヴレアでは じめてチマローザ 幸福 が どこにあ るか を明 らか にみ た」 。1 8 01 年2 の 『 秘密 の結婚』 ( 作詞ベ ル タテ ィ) を見 ,「 月,経理将校 になるステ ップとして, ミラノで第 6竜騎兵連隊の少尉 に任命 され,3月ベ ルガ モで,イタリアに生 きる幸せ にひた りなが ら 『と りちがい』 と題する喜劇の草案 を書 き,おな ゼ リンダとリン ドロの恋』 を見,テクス トを手 に入 じくベ ルガモで 5月, ゴル ド一二の喜劇 『 れて フラ ンス語 に訳す。 これが 『 ゼ ラ ン ドとラ ン ドールの恋』であ る。いず れ も 『 秘密 の結 婚』の残響 のなかで書 かれ,「 陽気 なジ ャンル」への試み として利用 されるはずの ものであっ た。 』『ゼラ ン ドとラ ン ド ベ ルタテ ィの 『 秘密の結婚』の台本 と,ス タンダールの 『と りちがい ールの恋』の構成要素 は,いず れ もあ りきた りの恋,誤解 , とりちがい,誘拐 ,駆落 ち, どん でん返 し,セ ンチメ ンタリズム, イタリア風 の陽気 さと活気である。そ して不思議 なことに, 『 秘密の結婚』 とい うこの安直 なイタリアのメロ ドラマ喜歌劇が, これほ ど単純 ・平凡 ・月な みな筋で,ス タンダールを一生魅惑 しっづ けるのである。やがて 『 赤 と黒』 に も引用 されるカ ol i nai nf e l i c e,/Pi e t adit enons e nt ei lCi e lt i r anno… /Ah!di s pe r at ai o ロ リーナの Car vo ' amo ird' r af f annoI「 ふ しあわせ なカロリーナ,神 も仏 もない ものか。ああ私 は悩みのあ ま り死ぬのだわ」 とい う詠唱 などは,紋切 り型の最 たる もので,性格描写の価値 は認 めがたい。 アンリ ・ベールに新 しい世界 を啓示 したのは,ゆえにベル タテ ィの台本ではな く,チマ ローザ の旋律 であ った とい う言 うほかはないD この ジャンルでは,台本 は音楽 を呼びきます以外 の機 能 を もたない。 メロデ ィーが台詞 を増幅 し,観客の感受性 をつかみ,運 び去 るのである。 イ ヴ レアでベ ールは逸 楽の合 間 に思 った。 「 私 は こんな租 野 な職業 になげ こ まれて しまっ た。生涯 を音楽 にささげないで。 ともか く生活がかかっている。一,二年 した ら自分の唯一の 。1 8 01 年1 2月,1 8歳,病気 ,賜暇,帰郷 ,1 8 0 2年 9月,軍職 を去 る。 愛である音楽 に もどろう」 移 り気 ではな く熟慮 の結果である。 しか し彼 は音楽 に もどらず, まっす ぐ性格喜劇 と風俗喜劇 にむかい,メロ ドラマ的な類型 をこえた性格喜劇 を志 向す る。 「 舞台 はパ リ,時 は現代」,それ が五幕韻文喜劇の試案 『はや りの夫婦』である。 芝居 の人物配置 とい う ものは,そ もそ も複雑 な ものではない。『はや りの夫婦』の人物配置 は 『 ゼ ラン ドとラン ドールの恋』 と同 じであるD しか し主要登場 人物の性格 は, この習作 をフ ランス的な性格喜劇 ・風俗喜劇 にす る意図 を明確 に示 している。ル ・シュヴァリ工は 「 現今わ が国の若者のあいだで流行す るあ らゆる欠点 を もった伊達男で,たえず貴族 の家柄 と父祖の宗 教 を口 にす る」。 これはゼ ラン ドを追い まわ した単 なる女ず きの ドン ・フラ ミー ノで はない。 活発 で激 しい性 格」,「 大 革命 で破 産 した良家 の ル ・シュヴ ァリ工 に対す るヴェルソ ンは,「 239 スタンダールはなにを書かなかったか 第 3 章 『 二人の男』 とゲランの版画 rなかなお りJ Le sDe u xHo T nT n e Se tl ag r a v wed eGu6 in: r Ra c c o T nmO de T n e nt . 『 二人の男』は散文の原稿 としてはほとん ど完成 された唯一の五幕韻文喜劇の習作である。 二人の男 とはシャルル とシャム-シー,前者 は1 8世紀啓蒙哲学の教育 をうけ,後者は君主制的 .J.ルソーの 『新エ ロイーズ』のジ 反共和主義の子,この二人が一人の娘 アデールを争 う。∫ ,『エ ミール』の ソフィーに想 をえた娘 である。 シャルル とシャム-シーには,それぞ ュリー れ後見がいる。 シャルルにはエルヴェシウス流の哲学者 ・伯父のヴァルベル氏, シャム-シー には現代の タルチュフともい うべ き悪党のデルマール, またシャルルの母親 は,息子の栄達 を 念願す る虚栄心 と野心の権化である。最後 にシャム-シーの父母。 シャム-シーの父はデルマ ールの策略で投獄 されていたが,釈放 されて姿 を現 し,シャム-シーの母親 と結婚 して財産 を まきあげ ようとしたデルマールの計画は失敗 し,啓蒙哲学 に追われて去 るデルマールの 「これ か ら新 聞をやるぞ」 とい う捨台詞で幕がお りる。 ところでデル ・リッ トが指摘 した ように,1 8世紀啓蒙哲学の擁護 はまさにファーブル ・デグ ランナーヌの 『 二人の師博jの主題 であ り,この喜劇 と 『 二人の男j との骨組 みは同 じであ ,r 二人の男』 るCそれぞれに,二人の師博がいる。r 二人の師博』ではティマ ン トとア リス ト ではデルマール とヴァルベルである。それぞれの前者 は古い タイプの偏見 にみちた教師,後者 はジャン ・ジャック ・ル ソーの流れを くむ啓蒙哲学の信奉者。前者 はそれぞれ悪漢で陰謀 をこ らし,後者 は哲学者,謙虚,博識,完壁 なオネー トムである。それぞれが後見 している弟子, に 人の師博』のジュル とアレクシス ,に 人の男』の シャム-シー とシャルルは,たがい に 正反対の教育 を受け,反哲学者の弟子 は性悪で堕落 してお り,哲学者の弟子 は健気で誠実で虚 2歳,シャム飾がない。二作 の相違は弟子 たちの年齢である。 ジュル とアレクシスは1 1歳 と1 3歳 と2 0歳。 ファーブル ・デグランナーヌでは, とうぜ ん 「 恋」 は問題 にな シー とシャルルは2 らない。 ス タンダールはこの図式 に,彼の永遠のテーマ 「 恋」 を組み こむ。真の恋の勝利 を具現する のはシャルル とアデールの 「 和解」のシーンである。 ところで この 「 和解」の シー ンは,新進 画家 ピェル ・ナルシス ・ゲ ラン ( 当時選 ばれてローマにいた)の版画 『なかなお り』 に想 をえ たとい うス タンダールの再三の言明にもかかわ らず,研究者たちはファーブル ・デグランチヌを下絵 に したイデオロギーの枠組みにも,この 「 恋」の描写の源泉にも注意 をは らわず,早 にスタンダールには 「 韻文」の才能がなかったとして,この習作の理解 を拒んだ。ゲランの版 画 とは 「 女はわずかに衣 に覆われた裸体,男 はリラを負い,ティテエス風の寛衣 をまとい,情 熱 にか られた和解の接吻はか くもあろうか と思われる接吻のなかに結ばれている」当時はや り の新古典主義の作品である。 しか もベールは, この版画に想 をえた韻文のシー ンで,学士院の コンクールに応募 した,あるいは しようとしていたのである。 問題 は,ゲランの版画 『なかなお り』 に想 をえた劇幻覚が,韻文 にせ よ散文にせ よ 「 言葉」 では表現 しがたい ものであ り,本来は言葉 を必要 としない性質の ものだったことである。 この ことは,ベールが タッソの 『 エルサ レム解放』で, タンクレー ドとクロラン ドの最後のシーン に最大の劇幻覚 を認めていたことと,劇幻覚が どうい う場合 に現れるか とい う彼の考察か ら判 ,「緊迫 した台詞渡 し」(r6pliquespress6es),す なわち情熱 にか ら 明す る。そ もそ も劇幻覚は スタンダールはなにを書かなかったか 第 2 41 4 章 「 優 しい崇高」 を求めて,第 2段階 『ルテ リエ』は どの ようにして 「ロマ ン主義」喜劇 となったか Al ar e c he r c heduS ubl i met e ndr e.De uxi 色mep has e: t e l l i e re s tde v e nuu n ec o m6 di er o ma nt i que. Co mme ntLe ( 初出 St e ndhalCl ub,No. 1 23,p. 1 97 121 6,1 9 8 9年 4月1 5日) 8 0 3年の着想か ら 『 赤 と黒Jの1 8 3 0年 まで ,11のプランがある,ルテ リエ 『ルテ リエ』 には1 , れか ら新聞をやる」 とい う捨台詞 を残 して退場 した 『 二人の男』のデルマールの化身, 「 現代 のモデルは劇評家 として当時生殺与奪 の権 をにぎっていた 『デバ紙』の主筆 ジ ョプロワ 「こ の タルナュフ」であ り,この反動陣営 にさらに 『キ1 )ス ト教精髄Jの著者でナポ レオンの外交 官 シャ トーブリア ンをモデルとするサ ン ・ベルナールとい う人物 を配する。金融界の大立者 ロ スチ ャイル ドの名 も後期のメモに現れる。 ルテ リエは彼 を楓刺する喜劇 を計画中の新進劇作家 シャベル ( モデルは,は じめアンリ ・ベ ールの庇護者 ピェル ・ダリュの弟でベールの憧れの的の伊達男 マル シァル,の ちにベール 自 身) を失脚 させ るため,政財界 に中傷 し,シャベルの恋人サ ン ・マルタン夫人に横恋慕 し,シ ャベルが彼女 を楓刺す る詩 を書いた と言い,偽作 を見せて中傷する。 シャベルには,共同出資 者であるチューリッヒの友人の自殺 を隠蔽,あるいは毒殺 した とい う嫌疑で逮捕状がでる。彼 女はシャベルにルテ リエか ら渡 された訊刺詩 を,彼への信頼の証 しとして手渡 し,いっ しょに 逃 げ ようと提案す るO舞台 はパ リの リル街 5 0 5 番 地,貴族街 の一角,ア ンリが1 7歳 でパ リに 出,病 をえてか らイタリアへ発つ まで世話 になった陰宙 なダリユ邸 ( 一部現存)であ り,ルテ リエの虚栄心の描写 には Fデバ紙』の 日々の反動的な記事 を利用するとい う,す ぐれて写実的 な設定であった。 ところで,舞台での性格展開は,主 として相手役 とのデ イアローグによって行 われる。 した がってルテ リエの虚栄心の多面性 を執掬 に追求すれば,相手役 もシーンもそれだけ増 え,すべ てが筋 に必要な場面 とは限 らな くなる。例 えば独裁者 ルテ リエは,阿訣追従が生 きがいの道化 者 ヴォルフとい う人物 を玩具 に している。『トルクァ- ト・タッソ』 にも登場す る実在の人名 で あ る。 この ように して ルテ リエ の性 格 は,多様 な シー ンを通 じて 「 見 る もお ぞ ま しい ( o d i e ux ) 」 までに展 開 され,多 くは筋 とは無関係 になる。 この ような 「 使 えない シー ン」 を 惜 しみつつ,ベールは最終的に41 のシー ンを選 び,番号 を付 し,重要度 に応 じて三段階 に分類 」「なにを笑 うか」 とい う訊刺の対象 を記入す る。 ところがサ し,それぞれに 「だれ を笑 うか ン ・マルタン夫人がシャベルに 「 逃げ よう」 と提案するシー ンにはその記入がな く, しか もシ ャベルが 《s c he mac o l l aSi gT W aSa int Ma rt i n, ・( サ ン ・マルタン夫人 と話す) とい うメモ で,彼女の背後 に幸福 の国イタリアがあることが暗示 される。 また この シー ンに関す るメモ に,は じめて 「ロマ ンチ ックとい う名の優 しい崇高」 という美学が現れる。それは技法的には 「 場所の単一」 とい うフランス古典劇の制約 を超 えたシェイクス ピア的世界への出口であ り, 新 しい美学 としては,同時期の 『イタT )ア絵画史Jの 「 近代の理想美」 と同質である.そ して ベールは, このシーンを書かなかった。 スタンダールはなにを書かなかったか 24 3 葉 を,母后 カ トリーヌ ・ト メデ イシス と臣下たちに裏切 られたアンリ三世 に,「ああ, この 一 日は私の王の権力 を破壊 したのみならず,私 を辱めた.私は祖父の ように " すべては失われ た,名誉 をのぞき" と言 うことはで きない」 とい う台詞で引用 させ ようとする。そ して欄外 に . .Fo T ・T ne:f t a uS ] s ema i 且bo nne., ,と記す。歴史的には 「 嘘」だがア ンリ三世の悲嘆の表出 と しては 「よい」のである。愛妾 ブルデ イヨン元帥夫人 については, さらに巧赦 な仕かけが見 ら れる。彼女 は歴史上はすでに死 んでいるピラーグの娘で,ス タンダールの配役では当時2 6歳で .Ba lt e a uの Di c t i onnai r edebi o gr a phl e斤an9 ai s eによれば,ブルデイヨ あるO ところで J ン元帥は1 5 4 6年 9月1 4日に Cl aude de Damas Rag nyと結婚 し,1 5 61 年 4月1 5日にピラーグ の娘 フランソワ-ズ と再婚 した。彼女が1 5 8 8年 に2 6 歳であるなら,ブルデ イヨン元帥 とは 9歳 で結婚 していなければならない。 3)は,やがてアンリ三世を暗殺するジャック ・クレマ ン,パ リ高等法院裁判長バルナベ ・ 時 間の処 ブリソン。ただ し前者の名前 は劇 中に現 れてサ スペ ンスの効果 をあげる。 4)の 「 理 」,例 えば歴史的にはまった くの虚構,ギーズ公が変装 して恋人マ ンチ侯爵夫人 ( 架空の人 物,実はス タンダールの恋人クレマ ンチ-ヌ ・キュリアル) に会いに行 くとい うこの史劇か ら 5 8 8 年 5月 9日か ら1 2日までの 4日間を, どのように して一幕 とい う の 「出口」 については,1 舞台上の時間に収めるか という技法 に関連 して,次章で検討す ることになる。 第 6 章 歴史の時間か ら劇の時間へ 戯 曲 『アンリ三世』 におけるス タンダールの創作手順 ( その 2) Dut e mpsdel ' hi s t o i r ea ut empsdudr a me . Le sp r o c 6 d由 d' i nve nt i o ndeSt e ndha l da n sHe T mI l l (2) . ( 初出 St e ndhalCI z L b,No. 11 3,p. 25 -42,1 9 8 6年 1 0月1 5日) 5 8 8年 5月 9日月曜か 前述の ように,ス タンダールの戯 曲習作 『アンリ三世』の第 3幕は,1 ら1 2日木曜 までの 4日間パ リで起 った王権争奪戦の歴史上の時間を,ひと幕 とい う舞台上の時 間にもりこむ試みで もあった。∫.F.マーシャルの校訂本 に収め られた本文 ・ヴァリアン ト・ 9 枚 に散見する日付 ・曜 日 ・時間帯 ・時刻などに関す るメモ 削除部分 ・原稿欄外の証など,全8 と関連表現 は,副詞 ・副詞句 ・動詞の時制 をどの程度 までひろうかで差はでるにせ よ,わずか 1幕のためには異常 なことだが2 5 0箇所前後 に及 び,舞台上の時間 と歴史上の時間 を調整 し同 時 に終了 させ るために,ス タンダールがいかに苦慮 したか をしめ している。 史劇である以上初め と終 りは操作 し難い。ス タンダールは 5月 9日,1 0日,11日,1 2日の 4 日間の うち,1 0日の 「 群衆の シー ン」 ( 書かれていない) と,11日のルーヴルでの演説や議論 によって 「 観客 に時間をや りすごさせ」 ることを計画する。 また舞台面は,第 4シークェンス 降伏 したアンリ三世方のスイス兵が武器 を伏 の早鐘の場面 と最後の第 6シークェンスの前半 ( せて行進する場面) をのぞいて夕方か ら深夜であ り,市中の様子 ( 原則 として 日中)は出入 り する登場人物や使者 によって伝 えられ,夜の時間に吸収 され,すべては夜の相 をおびる。 この ように して,舞台上 と舞台裏の速 さのちが う二つに時間が同時 に経過 し,そのなかで登場人物 たちの性格が展開される。 歴史の時間」か ら 「 劇の時間」への試みである と同時 に,史劇 とい ところでこの習作 は,「 う 「 明示的エ クリチュール」 に 「 恋」 という 「 潜在的エ クリチュール」 を組みこもうとする試 スタンダールはなにを書かなかったか 245 攻 囲 されている と知 り,シシ リア ( ママ)を発 つ。 カル タヘ ナか ら出撃 の とき,彼 は伯爵夫 人 の手紙 をもって彼 をたずねて きたエ ミリーの弟 を捕 える。彼 は公爵夫人の寝室の事件 に激怒 し ( ママ) ,手紙 を読み もせずエ ミリーの弟 を追いか えす。メ ン ドサ は絶望 し,公 爵夫人の手紙 を 読み,変装 してカル タヘナ を発 つO彼 は トリノに着 き,宮殿 に入 り,エ ミT )-を探 し,見 とが め られ るの を恐 れて礼拝 堂 に身 をか くす。エ ミリーが連 れて こ られ る。翌 日断首 され る ( マ マ)ので トリノの枢機卿 ・大司教 に告解 に きたのである。 メ ン ドサ は伯爵夫人 ( ママ)の告解 を 聞 き,練兵場 に掲 げ られた楯 に手 を触れにゆ く。伯爵夫人のために騎士 として戦 うとい う意思 表示 である。彼女 は騎士が現れたことを知 る。 しか しメ ン ドサがエ ミリーの弟 を追い返 したこ とで彼女 はすでに死 を覚悟 してお り,見 しらぬ騎士の助 けを断 ろうと思 う。 しか し宗教の命 じ るまま彼女 は騎士の救助 をまつ ことに し,承諾 の印 として指輪 を彼 に送 る。 「ここにタンクレー ドにおける ような出会いを入れれば,告解 の シー ンはお さらばだ。で き O 二人の恋人が語 りあ うシー ンは他 の どれ よりも感動 的 れば二つ とも入れ る,それ とも選ぶ」 「 だ。告解 はあ とに置けないか」 どの ような 「 出会い」 をス タンダールは考 えていたか。あ きらかにタッソの 『 ェルサ レム解 放』 の, タンクレー ドとクロラン ドの最後の出会い,あの最大 の劇幻覚 をあたえうるシー ンで ある。 メ ン ドサがサ ヴ オワ伯爵夫人 にそれ とは知 らず致命傷 をあたえる とい う設定 は不可能で ある。恋人 たちのながい別離 と誤解 の後 の,死 を前 に しての 「 和解」 こそが 「 二人が語 りあ う シー ン」 であろう。 メン ドサはパ ンカリエ と決闘 して致命傷 を負 わせ,パ ンカリエは群衆 に八 つ裂 きにされ,メン ドサ もパ ンカリエの放 った刺客 に倒 され,彼の絶息 を見 てサ ヴオワ伯爵夫 人は 自害す る。原作 は二人の結婚で終 っている。 0の シー クェ ンス と結末 を素描 した後 ,ス タ ンダー ルは 「 場面 の く く飛 び , ,をへ ら 以上 の3 し,たぶん登場人物 の名前 を変 える」 とメモ したが,いずれ もその まま放置 された。 第 8 章 ス タンダールの戯 曲習作 『 栄光 と侶佳女』 は対工業家楓刺文書か e pr L o j e tdet h6 at r edeSt e ndha ll aGl o i r ee tl aBo s s e e s t i lunpa mphl e tc o nt r el e sl ndus t ie r l s? ( 初 出 St e ndhalCl ub,No. 1 48,p. 1 2-23,1 9 95 年 7月1 5日) 1 8 2 6年 ( 43歳) ,ス タンダールは謎 の戯 曲 『 栄光 と侶倭女』 を着想 す る。 メモ に よれ ば1 8 2 6 年 1月2 6日付 『デバ紙』 に掲載 され た プロスペ ル ・デ ュヴェル ジェ ・ド・オー ラ ンヌの著書 『フラ ンスにおける法秩序お よび職権の乱用 について』の匿名 の書評が ヒン トだ とい う。ス タ ンダール実証研究の泰斗 フランソワ ・ミシェルは,その本 の著者 はプロスペル ・デュヴェル ジ ェ ・ド ・オー ランヌで はな く,その父 ジ ャン ・ル イ ・デュ ヴェル ジェ ・ド ・オー ラ ンヌであ り,かつ 『デバ紙』の書評の内容 はス タンダールの戯 曲習作 と無関係 である と断言 した。権威 者の宣告 は以後の研 究 に扉 を とざす ことになった。 ス タンダールの発想 は次の とお りである。一人の青年 ジェ 1 )メールが 「 書 く喜 び と美 に対す る無垢 な熱狂 を もって」文壇 にデ ビューする。社交界 を蔑 ろに し,資産 を食 い,作 品は高踏的 で読者が ないが,彼 にロラン夫人の ような一人の女性 の愛 を得 させ る。 ジロン ド党 に属 し,サ ロ ンに多 くの名士 を集め,ジャコバ ン派 によって処刑 される とき 「自由 よ,汝の名 において, いか に多 くの犯罪が行 われたか」 と叫んだ高貴 な魂,ス タンダールが好 んで引用する女性 であ 247 スタンダールはなにを書かなかったか 同質の時代設定である。不遇の宮廷詩人 タッソは,ア レテ ィーノの ような阿訣追従 の輩 ( モデ ルは 「ブラウンシュワイクにお けるヴ オルフ」)が倣岸 な大公 アルフォンソ ・デス テに重用 さ 8 0 6年 1 1 月6 れる宮廷 を嫌悪 している。ス タンダールはナポ レオ ン軍の陸軍主計官補 として,1 日か ら1 2月25日までブラウ ンシュワイクで勤務 した。『ルテ リエ』 にすで に現 れたこの ヴ オル フとい う人物 は,同地の警視総監あ るいは局長で,大学関係の取締 りに妹腕 をふ るった人物 と されるO フランス軍官憲 に対す る阿訣追従が 目にあ まるほ どの人物 であったであろうO タッソはひそかに大公 の妹 エ レオノー ラ ・デステ に恋 してい る ( 「 モ デル,ベ -シュヴ イル 。 フェラーラの街 における レデ ィー ・パ ルフイ [ピェ ル ・ダリュ夫人] に村する ドミニ ック」) で タッソは二人の騎士 と決闘 し,騎士 の一人 は 『 エルサ レム』 な ど読 んだ ことはない と言 って 息たえる。エ レオノーラ ・デステはわれ を忘れて駆けつけるやぎ , タッソの無事 を見 て 自らの軽 率 を恥 じ,急 ぎ立 ちさる。 彼女 のライヴァル,エ レオノーラ ・デ ・ス カンデ イア-ナの, タッソへの肉体恋愛。 タッソ は彼女 を避 けるO彼女の手の者が タッソがエ レオノーラ ・デステのため に書いた恋歌 を盗 みだ す。彼女 はそれが 自分のため に書かれた もの と思 い,その糠喜 びが彼女 に復讐, タッソの幽閉 を計画 させ る。 この タ ッソの恋歌 にはロ ッシーニの歌劇 Fアル ミダとリナル ド』の二重唱が利 用 される予定であ った。 彼女 はタッソを呼 び よせ るOナポ リのサ ン ・カル口座 を祷沸 させ る宏壮絢欄 たる舞台 に奏楽 とともに大公が登場す る。二つの大 きなシー ンが予定 されてい る。第 1はスカ ンデ イア-ナが タッソに もちかけるが, タッソはエ レオノーラ ・デステを思 って応 じず,スカ ンデ イア-ナは 激怒す る。第 2は宮廷 での大公 と阿訣追従者 たちの シー ンであ り, タツソは大公の気 に入 らず ア レテ ィーノはお気 に召す。ふ たたび 「ブラウンシュワイクにおけるヴ オルフ」 とい う註記が あ る。 エ レオノーラ ・デステは大公が席 をはず した間にタッソに会い,恋 の シー ンを もつ。彼女 は ス カンデ イア-ナが彼 を欲 しているの を知 り嫉妬す る。ス カンデ イア-ナは彼 を追放 しようと し, まずそれ を彼 に知 らせ恐れ させ ようとす る。 タッソはそれ を知 り, 自らの内気 を呪 う。去 る前 に恋の果実 を摘む勇気 さえあれば よい ( 再び 「 ベ -シュヴイルにおける ドミニ ック」 とい う註記) 0「 彼女 とと もに トル コの大 主 の もとに逃 げ る こ ともで きように」。 しか しタ ツソが 「ドミニ ックの ように心 を開いて恋 を語 らない以上,舞台では冷たい。 この シチ ュエーシ ョン は,叙述 ( d e s c ip r t i o n)のゆえに,小説でな ら適切 なのだが」。 1 811年 5月31日,2 8歳 の ア ンリ ・ベ ー ルは,セーヌ下流 の左岸 ム ラ ン Me 山an に近 いベ シュヴ イル Bも c he il v l e(ダリュ伯 の シ ャ トーが あ った)で ダリユ伯 爵夫人 に恋 を告 白 した。 直接 の上司,専制君主 ともい うべ き権力者 ピェ ル ・ダリュの妻,ベール と同年,すでに六児 の 母の豊満 な女性 である。問題 は自伝 的詮索ではない。最後 の, しか も天才の憂 悶を描 く戯 曲習 作 で, この恋のシー ンは 「 叙述があるか ら小 説でな ら書 ける」 とい う認識が重要 なのであ り, これが 『 二人の男 』『ルテ リエ』か ら30年後 の結論 であ った。そ してその二年後,小説家 ス タ ンダールは rルヴユ ・ド ・パ リ』 に r 1 8 36年 において喜劇 は不可能であ る』 を書 くO 『リュシャ ン ・ルーヴェ ン』の原稿欄外 の無数の註 にはス タンダール自身を しめす ドミニ ッ クとい う名前が頻 出す る。「 お前 はナチュラ リス トだ。モデルを選 ばない。 ラヴ とい えばつね にメチ ル ドと ドミニ ックだ」。 わずか 4ペ ー ジ半 の 『トル ク アー ト・タッソ』 に も, ドミニ ッ クの名 は四度 あ らわれ る。 これは単 なる作者 の 自己投影で も人生論 的 な 自己認識 で もない. 「 過去か らよびさま したシー クェンスの中で 自己 を現時化す る」ス タンダール独 自のエ ゴチス スタンダールはなにを書かなかったか 249 きか」 には 『シンベ リン』のイモジェー ンの 「 優美な優 しさ」 について 「 絵画史」の註 として は度 はずれて長い考察がある)は, これ までスタンダールの美学 として正当に評価 されること がなか った。 また 『イタリア絵画史』のなかに三箇所 『 ルテ リエ』への言及があることを,だ れ も指摘 しなかった。 『イタリア絵画史』で s ub l i meと t e nd r eという語は,ダヴインチの 『 最後の晩餐』の描写 に典型的に現れるoス タンダールは第45章 「ダラーチェ修道院における レオナル ド」で, ダヴ インチが 「イエスをただ,死の前夜,弟子たちを身近 にあつめて語 る若 き哲人 と見な して」描 いたこの絵 か ら,イエスの心 に生 じた 「 感動」 に注 目する。あえて感動 と訳 したが フランス語 , では a t t e nd is r S e me nt ,気の弱 りともいえる一種の諦観であ り 「まことにわれ汝 らに告 ぐ, 汝 らの うちの一人われを売 らむ」 とい う 「 崇高で心優 しい苦悩」,闘い をすてて放下 した天上 的な憂愁である。 しか も闘いの相手 は下購下劣 ,「かかる忘恩の徒 とともに過 ごさねばな らぬ 不幸な一個の生 を救 うより,い ま自分の魂 を満 た している天上的な憂愁 に身をまかすほうが安 。 らかである」 「もし彼が常人であったら,こうした危険な感動 に時 を失いは しなかったであろ う。彼 はユ ダを刺殺 したであろ う,あるいは忠実な弟子たちにか こまれて逃 げ きったであ ろ う」 。 この ことは,すで にベールが1 8 0 4年の 『 文学 日記』で着 目していた新 しい 「 崇高」, コルネ イユや ラシーヌの古典的崇高 とは違 う崇高に対応する。アンリ三世は,1 5 8 8年 5月の王権争奪 戦でギーズ公 にパ リを追われる。そのア ンリ三世がブロワに招集 した三部会にギーズ公は出か けて行 く。そ して刺客の刃 に倒れなが ら 「 お前の宗教はお前 に私 を殺せ と教 え,私のそれはお 前 を許せ と教 える」 と言 う場面の崇高である。 バルザ ックは 『 パルムの僧院』 を 「 章か ら章へ崇高が件裂する」小説 として激賞 した。それ はまた 「 優 しさ」が到 るところに花 開 く小説である。古典的な 「 崇高」はサ ンセヴェリナがパ ルムの大公か ら力ず くで ファブリスの赦免状 をとりつけるシー ンであ り,読者はまさに平土 間 か ら舞台を目の前 にみる思いがす る。バルザ ックの称賛は当然である。 ところが 「ロマ ンチ ッ クとい う名の優 しい崇高」, ファブリス とタレリアの恋の舞台は, フアルネ-ゼ塔の地上2 30フ ィー トのファブ リスの獄 窓 と,斜め下に25フィー ト離れたタレリアの露台のあいだの超 えがた い空間である。「 場所の独創」 として これ以上の ものは考 えられない。 ファブリスはせ っか く 脱獄 したこの牢 に, タレリアを見るために戻 って くる。翌朝彼女は習慣的にファブリスの窓に 目をや り,彼の姿 を兄いだす。そ して 「二人の若者は,あわれ しば し,たがいの眼差 しに,魔 術 にかけられたように見つめあっていた」。 この無言 の眼差 しをス タンダールの主人公 たちは 与えられている。『イタリア絵画史』でス タンダールはラファエ ロの 『 聖家族』 をこう描写 L ている。聖母マ リア,聖ジ ョゼ 7,そ して嬰児 イエスの眼差 しを 「これは,あの,天が一般た がいに近づ け ようと欲 した優 しい清純な魂が ときお り味わ う,静 か な情愛 にみ ちた場面 であ る」 と。『アルマ ンス』の恋人たち,オクタ-ヴとアルマ ンス もこの視線 を与 えられている。 彼 らはス タンダールの 『 聖家族』 とも言 うべ き TheHa ppyFe w である。 5 0年記念国際ス タンダール学会は,1 9 92年 3月21 1 2 2日,パ 1 )歴史図書館 ス タンダール穀後 1 ( オテル ・ラモワニ ヨン)で開かれた。テーマは S t e nd ha l,Pa i8e r tl emi r a g ei t a l i e n 「ス タ ンダール,パ リ,そ してイタリアの賃気楼」であった。第11章はこの ときの研究発表である。 「イタリアの革気楼」 とはス タンダールにとってなんであったか。 ヴオージュ広場のユ ゴーの 豪邸, フォルテユネ街のバルザ ックとハ ンスカ夫人の愛の巣 を知る者の 目には,スタンダール の末路 は哀れである。彼が ローマ法王庁付 フランス領事 として,休職中にパ リの路上で倒れた ス タンダールはなにを書かなかったか 2 51 は,恋 の主題 は不可能 であ る。二人の 「 少年」 を二人の 「 男」,2 0歳の シャルル と2 3歳の シャ ム-シー と し,恋 とイデオロギーを同時 に可能 にす る, この着想で 『 二人の男』 はすでに成 っ た とい うべ きであろう。 2)『ユ リシーズ』 と 『ハム レッ ト』 『 ユ リシーズ』 は着想 だけに終 った。『 ハ ム レッ ト』 は第 5幕 の シチ ュエ ー シ ョンが,ル ミ 模倣 でデ ビュー した くない」 とい うメ ュールの 『イベルムネス トル』 にあ るこ とが分 か り,「 モが残 っている。 クローデ ィアスが王妃 を殺 し,狂 ったオフェ リアは,ハ ム レッ トが刺 したク ローデ ィアスの死体 をみて正気 にか えって 自害 し,ハ ム レッ トもその後 を追 うとい う設定であ る。 しか し放棄の真の原 因は,おそ ら くは多量の流血 のシー ンへの嫌悪 にあった。 この二つの悲劇習作 は,従来 は習作 自体 として価値が問われたo Lか しベールにとって問題 は 自分 に最適のジ ャンルを発見す ることであ り,その探究で彼が兄 いだ したのは 『 エルサ レム 解放』の タンクレー ドとタロラン ドの シー ン,そ こでは投 げかわ される切 れ ざれの叫 びだ け が,強烈 な劇幻覚 を生み だす とい うことであ った。二人の叫 びをア レクサ ン ドランにすれば, 必ずや 「 割 り台詞」 にな り,高度 の技術が要求 されたはずである。 3) 『 二人の男』 ベールにおいて明示的エ クリチュール と潜在的エ クリチュールは両立 しない。一方 は実際 に 紙の上 におかれたエ クリチュール,他方はヴァーチ ャルなエ クリチュールであ り,後者 は前者 に固有 な手段 をはるかに超 え,絵画や音楽 に隣 りあ う性質 を もつ。 ところで 『ア ンリ ・ブ リュ ラール伝』の原稿 に書 かれた多 くの クロ ッキーは,ス タンダールの記憶 の特異性 を示 してい る。彼 の記憶 は,いわばスナ ップ写真 の ように,つかの まの瞬間を定着す る。 とくに登場人物 の位置 を しめす クロ ッキーがそ うである。は じめて ミラノへ入 った時,彼,同行 の大尉,その 従卒,出迎 えにきた従弟 マルシァル ・ダリュの位置が頭文字 で示 され,彼 らが立 ちどまった街 角が線 で示 され, これ に本文で短い対話がつ く。すで に 『トル クアー ト ・タッソ』で指摘 した 過去 か らよび さま した シー クェ ンスの中で 自己 を現 時化す る」 ス タ ンダール独 自 ことだが,「 の コンセプ トである。 ところで記憶 をイマージュに定着す るこの帰納的作業 を,逆 にイマージ ュか ら記憶 を演樟 的に展 開す る と問題がお こる。ゲランの版画 『なかなお り』 か ら発想 したシ ー ンは筆が伸 びなかった。 イマージュは瞬時 に網膜上 に定着す る。 しか しイマー ジュの言語 に よる展 開は,時間 と空 間を必要 とす る。 しか もそ こで用い られるべ きエ クリチ ュールは,ス タ ンダールに とっては演劇 に固有 な ミメ- シスではな く彼 自身の用 語 に よれば魂 の一種 の 「 液 i qu6 f a c t i o nであ り,言語表現 を絶 した ものであ った。 フ ァーブ ル ・デ グ ラ ンチ - ヌの 化」l ,『二人の男』 に共和 主義教育 と君主主義教育の対決 とい うイデオ ロギーの 『 二人の師博』 は 枠 をあたえ,ゲ ランの版画 『なかなお り』 は 「 恋」 を導入す る ヒン トをあたえた。ゲ ランの版 画は,ベールが苦 しい恋の相手であ ったメラニー ・ギルベ ールや アンジェラ ・ピェ トラグ リュ ア と分 ち もった幸福 の瞬間 を舞台で再現す ることを彼 に求め,彼 はそれ に成功 しなかった。 こ の ように して 『 二人の男』 はイデオロギー と情熱 とい う二極 のあいだで分裂 した。彼 は ともか く恋の シー ンを学士院 に送 るため ア レクサ ン ドランで書 く。出 きばえは芳 しくなかったo Lか し彼 が この シー ンで情熱の表現 に成功 しなかったのは,韻文の技術 とい う問題以前 に, この シ ー ンの描 出が,韻文 ・散文 をとわず,彼 にとっては言語表現 を超 えていたか らである。 スタンダールはなにを書かなかったか 2 5 3 蛇足 として記せ ば,「 彼 ( サ ン ・フェ リックス)は軽薄 さをすて, ビーナは感動す る」 とい うメモが暗示する二人の 「 和解」の シー ンは,グロテスクな滑稽 と噸笑にみちたこの 『イタリ , 和解」の アの異邦人』か らの出口であ り 『ルテ リエ』の シャベル とサ ン ・マル タン夫人の 「 シー ン,重苦 しい写実か ら幸福-の唯一の 「出口」 に対応する。 シャベル もこの幸福の瞬間に 「 軽薄 さをすてる」のである。 この書歌劇の台本 は完成後 イタリア語 に訳 されるはずであった。作 曲についての メモ はな い。 しか し楽想 を音譜で書 く術 を知 らなかったにもかかわ らず,ス タンダールが 自らを優れた メロデ ィーの作 り手であると評価 していたことは,後の 『ア ンリ ・ブリュラールの生涯』 に明 らかである。それは 「 エゴチスム」 という妙 なるメロディーであった。 6) 『フェリーペ二世』 1 8 1 9 年 7月,3 6 歳,ス タンダールはヴオルテラにメチル ドを追って不興 を買い,彼女がたち 寄 りは しないか と空頼みに してフィレンツェに滞在中,この悲劇 ( む しろアルフイエ リの同名 の悲劇の翻訳) を計画 した。主人公 はフェリーペ二世ではな く,その息子 ドン ・カルロス,悲 8 0 2 年の 『 ハム レッ ト』,決断力 を欠 く君主 の主題 の リニ ューアルであ 運 の王子のテーマ,1 り,1 8 2 8 年の 『アンリ三世』の予兆である。 5 年前,ベールはこの 「 歌劇」の可能性 を検討 していた。豪華絢欄 たる宮殿で,暴君 すでに1 フェリーペ二世,恋 に身を焼 くドン ・カルロス とイザベル。彼 らは気づ まりを感 じている。最 も自然 な感 じでバ レエ を導入で きないか。 ドン ・カルロス とイザベルの婚儀 か王の婚儀かは, どうい うプランを選ぶかによる ( .‥ )。 これはオペ ラ ・セ リアではな く,コメデ ィー ・バ レ エ,音楽 をともなう軽快 な舞台 を想定 したものではなかったか。 7) 『 サヴォワ伯爵夫人』 8 2 0 年 ( 3 7 歳),1 8 世紀のラ ・フォンテーヌ夫人の小説 『 サヴ 既述 の ようにス タンダールは1 オワ伯爵夫人』の脚色 を目ざして,3 0 のシークェンスを素描 した。綿密 に番号 を付 した 1か ら 2 8までのシー ンのプロジェク トと結末のプランであ り,第 1幕の最初の二つのシーンは書かれ ている。 この二つのシー ンに くらべれば他はすべて潜在的エ クリチュールであるとも言 える。 も neaa ll o nge r ところでそれ らのなかに『 二人の男』とおな じメモがある。シークエ ンス1 0の Sc ( 長 くすべ きシーン) とい う記入である。すでに第 7章で指摘 したが,伯爵夫人がカルタヘナ の宮殿の庭で彼の肖像 に見 とれているときメン ドサ に見 られ,メン ドサは恋 と嫉妬 を告 白 し彼 女は肖像画を取 りお として逃げる。 この箇所の 「これにつづ く巨大 な量の不幸 を ( 観客に)堰 えさせ るため,幸福 の描写 を長 くす ること」 とい う覚書である。『 二人の男』第 2幕第 1景, シャルルがアデールに伯父 ヴァルベルが二人の結婚に賛成 した と告げる場面の 「この シー ンを 長 くすること。アデールが シャルルに思いのたけを述べ, この恋は 4年前か らつづいていると 言わせ る」 というメモ と同質である。 しか しベールはこの二つのシーンを書いていない。恋の 甘美 な刻々は, しょせん彼 自身の, さらには未来の読者の,想像力のなかに しかなかったので はないか。 8) 『 栄光 と催倭女』 1 8 2 6 年,ス タンダールは4 3 歳である。 この習作 が王政復古 の 「 憲章」 と産業資本家が説 く 「自由」 に対する憂悶か ら生れたことはすでに述べた。そ うい う社会で 「 書 く喜 びと美 に対す スタンダールはなにを書かなかったか 2 5 5 ア ンリ ( ‥ . ) これが最後 と分れる前 に,ひ とこと礼 を言いたかった。あなたは私の生涯で 味 わった真の幸福 の刻々をあたえて くれた。私には分 っている,われ らはもはやわれ らが 心の主ではない。許す,このア ンリ ・ド・ヴァロより物憂か らず幸 うすからぬ者 を愛す る が よい。 ヴァランチ-ヌ 王の二言 目か ら泣いている 陛下,不幸 は高遠 な魂 を結 びつけます, とくにその不幸 にあず かって力 あった場合 に は。私の心は六年前の,そのままです。陛下の過 ちはただひとっ,エベルノン殿の中傷 を お信 じになったことです。 ア ンリ 私 にまだ喜 びの余地 さえあれば,あなたの言 を信 じもしよう。 しか し学識 たかい星 占い たちは,私 に起 ったこと起るであろうことを,すべて天空にはっきり読み,一人残 らず私 に最 も望みな き不幸 を予言 した。彼 らはまった く誤 っていたことになろう, もし私が,ヴ アランチ-ヌは未 だ私 を愛 してお り,あ らたな選択 を しなか った と信ず るに到 る とすれ ば。 ヴァランチ-ヌ ああ陛下,私の王 よ,膝 まづいてそうお誓い しないのは,王冠 を頂いているか らあなた を愛 しているのだ とお思いにならない と ( ママ) [ ならないか と],ただそれのみを恐れる か らでございます。 1 0) 『トルクアー ト・タッソ』 この戯 曲習作 におけるス タンダールの潜在的エ クリチュール とは, まさに音楽であ り,恋の 場面 における沈黙である。 タッソはエ レオノーラ ・デステに恋 してお り,エ レオノーラ ・デ ・スカンデ イア-ナを避け ている。ス カンデイア-ナの手の者が タッソがエ レオノーラ ・デステのために書いた恋歌 を盗 みだす。スカンデ イア-ナはそれが 自分のために書かれたと思いこみ,その糠喜 びが彼女 に復 讐 としてタッソの幽閉を計画 させ る。 このタッソの恋歌 にはロッシーニの歌劇 『アル ミダとリ ナル ド』の二重唱が利用 されるはずであったことは既 に述べ た。『ロ ッシーニ伝』 には, この 二重唱が恋す る男女の心身にあたえる影響が,かな り露骨 に述べ られている。 ナポ リのサ ン ・カル口座 を,ス タンダールは絶賛 していた。「ホールは金 と銀,桟敷 は濃い 空色 ( ..」,王の桟敷ほ ど豪華絢欄 たるものはない」。ホールは広大で 「 48頭の馬が 自由に 。 サ ン ・マルコ座 進退で きる」 『トルクアー ト タツソ』の第二幕で,スタンダールは大公が 「 の ように設 えられた」美々 しい回廊 を通 って登場する場面 を想像する。それは音楽で伴奏 され ている。 まさにコメデ ィー ・バ レエの発想である。 タッソのエ レオノーラへの恋は典型的なウェルテルの恋,ベ-シュヴイルにおけるアンリ ・ ベールのダリュ夫人への恋である.ス タンダールは, このシー ンも書いていない.そ してすで にに見たように,スタンダール自身この ような描写はノ ト説でな ら 「 叙述があるか ら可能」 だ と スタンダールはなにを書かなかったか 2 5 7 をもとめ, ピアノで 『ドン ・ジ ョヴァンニ』のひ と幕ぜ んぶ を楽譜 を見 なが ら弾 くO「 モーツ 。「二人の天使」 にとって幸福への唯一の アル トの暗い和音 は彼の心 に平静 をもどして くれた」 出口は結婚である。 しか しそれはオククーヴにとって,ギ リシアへ むか う自殺行であ り,母の マ リヴェール夫人 とアルマ ンスは,おな じ修道院に尼 となった。 r 赤 と黒』 小説 と演劇 は別物であることは承知の上だが ,『赤 と黒』の多 くの場面 は舞台化で きない。 巨岩の上 にたって高 く飛朔する隼 を眼で追い,そ こにナポ レオ ンと自らの運命 を重ねあわせ る ジュリヤ ンのシー ンは舞台上では不可能であろう。 しか もモノローグに避 けがたい誇張的 レ ト リックは,読者のジュリヤ ンへのイメージを歪めることになろう。 音楽の癒 しの力 については, ロマ ン ・ロランの指摘 をまつ まで もな く,二つの大 きなシー ン 9章 『オペ ラ ・ブッフア』で,マチル ド・ド・ラ ・モールが 『 秘密の結婚』 がある。第 2部第1 のカロリーナの詠唱 を聞 き,帰宅 してか らピアノで繰 りかえ し弾 く場面であ り,他方では第3 0 章 『オペ ラ ・ブ ッフアの桟敷』で,ジュリヤ ンが フェルヴァック夫人の桟敷で 『 秘密の結婚』 の熱唱 に涙 に くれ,別の桟敷のマチル ドの眼 も涙 に濡れているのに気づ く場面である。 死刑囚の牢獄の場面はス タンダール小説最大の 「 和解」 のシー ンである。 レナル夫人は 「 宗 教 と道徳の神聖な提」 の名の もとに告解僧の口述のままジュリヤ ンの過去 をあぼ く手紙 を書い て彼 を失脚 させ,彼 はパ リか らヴェリエールに走 って教会で彼女 を狙撃するとい う,二つの恋 の恨みの激発ののち,二人が 「 和解」するの場面である。 この 5ページにわたる和解の場面 に は無言の静止画像がある。「 彼女 はひざまづいたジュ リヤ ンに もたれかかった。二人は長いあ いだ声 もたてずに泣いた」。二人が たがいに投 げかわす言葉 は,心理小説の文体 で も常套 的な 芝居の台詞で もな く,あえて言 えばオペ ラ ・ブ ッフアの文体,短い言葉 に最大量の情動 をこめ た文体である。優 しく情熱的な魂は近 よれば言葉 を必要 としない。彼 らは言葉 も動 きもない画 面 として,瞬間,読者の眼に焼 きつ く。 このシー ンの舞台化は 『 二人の男』の和解の場面 とお な じ困難 をまねいたであろう。『 赤 と黒』では,二流の登場人物,なかで もヴァルノ,カス ク ネ- ド, クロワズノワの輩 は舞台か ら解放 されない。 これに対 してス タンダールの 「 聖家族」 の人々は, ピカール師 も7-ケ も,言葉は短 く簡潔である。彼 らは言葉 を必要 としない。 ジュ リヤ ンの死後,マチル ドの行末については記述がない。 レナル夫人は自ら生命 をちぢめ は しなかったが,三 日後 にこの世 を去 る。 『 パ ルムの僧院』 舞台化が困難な場面の多様 さは 『 赤 と黒』 に劣 らない。 ファブリスの眼に映 じたワーテルロ ーの戦場,点景であ りなが らルーベ ンスの措 く農民の娘の ように光 り輝 く酒保 の女 ヴイヴァン デイエー レ, ファブリスが コモ湖 とフアルネ-ゼ塔か ら遠望す る,東はモ ンテ ・ヴイーゾか ら 西はモ ン ・スニ峠 までイタリアの北壁 をなすアルプスの連峰, グリアンタの鐘楼 からのぞむコ モ湖の水面などである。 ファブリス もまた,音楽の癒 しの力 を必要 とす る。彼 はクレリアの婚礼の夜会の とき,恋 に 苛 まれなが ら,チマ ローザの歌劇 『オラース とキュリアス』の 「い と優 しの瞳 よ」が歌 われる 」 半時間以上 も熱い涙 をなが し 「 完全 な安 らぎ」 に達する。 のを聞 く。彼 の怒 りは消 え,「 無言のシー ン,牢獄 のファブリス とバルコニーのクレリアの視線が,空の孤独のなかで交差 するシー ンについてはすでに述べた。 スタンダールはなにを書かなかったか 259 えたゲ ランの版画 『なかなお り』 にさかのぼる。そ してこの 『リュシャ ン ・ルーヴェ ン』の一 節 は,モーツアル トの旋律の残響 のなかで,ス タンダールにおける絵画 と楽 曲 と文学作 品の一 節 に通底す る,不思議 な感覚の同質性 を示 している。 「 幸せ な 日々には,諸君 ははるか にチマ ローザ を愛す るであろう。夢見 る ような,魅力 に満 ちた憂愁の刻々,秋の末,高い楓 の並木の下で,静寂 をやぶ るのはただ ときお り落 ちて くる木 の葉 の音 しか ない とい う時 には,モーツアル トの天才 に出あいたい と思 うであろ う。それは森 のなかで,遠いホル ンによって繰 り返 される彼 の旋律 であ ってほ しい と」Q これ は 『イタリア 0 4章の一節である。 『リュシャ ン ・ルーヴェン』 にあ らわれるモーツアル トの旋律 絵画史』第1 は, この無意識の記憶 に他 な らない。 この小 説 は未完である。ス タンダールは リュシャ ンを死 なせ ることが きなかった。クロー ド・ オー タン ・ララの フイルムでは, リュシャ ンは決闘でその生 をとじる。 3)スタンダールの創作の奥義 「 文学 を音楽 に競 わせ ること」 Le sa r c a ne sdel ac r e a t i o ns t e ndhal i e nne: f ai r el ut t e rl al i t t 6 r a t ur ec o nt r el amus l que . 『ア ンリ ・ブ リュラールの生涯』は, なが くス タンダール研 究者 の民 であ る と言 われて き た。「 母 ア ンリエ ッ ト・ガニ ヨン夫人 は魅惑 的な女性 で,私 は母 に恋 していた。 ( ‥ 母 を接吻でおお うことを, また衣服 のないこ とを願 った。 ( ‥ . )私 は .)父が きて私 たちの接吻 を邪 魔す るような とき,私 は彼 を憎悪 した。私 はいつ も母 に,乳房 に接吻 したか った。 どうか忘れ ないでいただ きたい,私 は七歳 になるか な らずで母 をお産で失 ったのだ」。 こうい う真率 な記 述 は今 も一部の読者 を当惑 させ る。 しか しデル ・リッ トが指摘す る ように 「 ス タンダールの言 うことを頭か ら疑 ってかか るのは, よい方法ではない」。 4 章 で,ある種の楽 曲 と絵画 と文章のあいだに 「 感覚の一致」があ ス タンダールは同書の第2 ることを,経験的 にではあれ発見 していたことを示 している。それは音楽-の愛の芽ばえを書 きとどめた章である。少年 アンリが,絵 の先生ル ・ロワの ところで買 った小 さな絵 と初恋 の女 優 キュブ リーが出演 したガヴ オーのオペ ラ 『 無効 の契約』の一場面 か ら 「まった くお な じ感 覚」 をあたえられた とい う証言 であ る。 「この二つの芸術 の結婚,密接 な一致が永久 に結 ばれ たのは,私が十二,三歳の頃,四,五 カ月にわたる最 も生 きい きした幸福 と,ほ とん ど苦痛 に まで達す るほ どの,かつて経験 した最 も強烈 な逸楽の感覚 によってであ った」。 しか しこの 「 感覚の一致」 は彼 にとって絵画 と音楽のあいだに しかなかったのか。彼 は この 感興 を 『ブ リュラール』で,文章で再現 しようとしていた。 しか もこの初恋の女優 キュブ リー 9年後の1 8 3 6年 1月 3日, この章 1 3 枚 を 1時間半で書 き,大 き の くだ りにおいてである。彼 は3 な快楽 を兄 いだ した と原稿 の欄外 に記 しているQ これほ どはっ きりした証言 を研究者 たちは見 逃 して きた。 『ブ リュ ラール』が,ス タンダールの美学 とは無 関係 な 「 小説的 自伝」であ る と い う先人見 で読 まれて きた証左 であろ う。 しか も彼 はこの ような感覚 を古典悲劇やオペ ラ ・セ リアか らは受 けなかった。彼 はそれ らに 「 感動 させ てや る とい う下心」 を見 た。そ こか ら 「 喜歌劇へ の ほ とん ど排他 的 な変」 が生 れ 3歳のス タンダー た。『ブリユラール』で比類 ない率直 さで表明 され たこの喜歌劇- の愛 は,5 ルが,単 に少年時代 を回顧 す るだけではな く,そ こに遠 く懐 か しい思い出ではな く, 自らの裸 2 6 1 スタンダールはなにを書かなかったか 楽好 き」 はサ ン ・カル口座やスカラ座 で 「自分の感動 に浸 りきり,意見 を述べた り気の きいた ことを言 った りす るどころではない」。それは レオノールの前のサ ルヴイア ッチ ( 『 恋愛論』), CO BEYLE MI uメチル ドの前 のス タンダールであった.ス タンダール自選の墓碑銘 ERRI ・ NESE,Vi s S e,Sc is r s e,A m 6,Que s t ' ani maCi mar o s a,Mo z a r t6Sha ke s pe a r e 「エル1 )コ ・ ベ- レ, ミラノ人。生 きた,書いた,恋 した。その魂 の熱愛せ るは,チマ ローザ,モーツアル ト,そ してシェイクス ピア」云々には,本書の論証 の ような 「 解」があたえ られて もよい。 付 韓 1) ファーブル ・デグランチ-ヌ 『 二 人の師博』 五幕韻文喜劇 要約 na A l ys ede sPr e ' c e pt e ur sdeFa br ed' Eg la nt i ne, Co m6 di ee nc i nqa c t e se te nve r B . 『 二人の師博』 にはパ リの国立図書館 に二つの版があ り,ス タンダールが どち らを読 んだか 複数]の7 6 ページの版 であ り, は同定で きない。 ひとつは革命歴 8年発行,新刊書発売書店 [ 他 は同年霜月の 日付 で I mpr ime ie Nat r i o na l e発行 ,1 3 3ページの版 である。ふ たつの版 のサ イズ については,マイクロフ ィルム しか実視 で きないため明言 を避 ける。前者のページ数が少 ないのは,版型は′ 」 、さいが小活字で組 まれているためであ り,かつ,革命歴 7年補足 日第 1日 の フランス座 での初演 にあたって,僅 かなが ら俳優 たちが削除 した台詞 を収録 していないか ら である。その部分 は後者ではカギ括弧内 に示 されているが,質量 ともに要約 に影響 を及ぼす も のではない。 配 役 アラマ ン ト 未亡 人, ア レクシスの母。 ア レクシス 2 歳。 アラマ ン トの息子,ア リス トの生徒 ,1 ジュル 歳。 アラマ ン トの甥,テ ィマ ン トの生徒 ,11 ダミス アラマ ン トの兄弟, もと船乗 り。 ア リス ト ア レクシスの師博。 テ ィマ ン ト ジュルの師博。 クリザル ド ア リス トの友 人。 リュク レス アラマ ン トの女 中,聞 き役。 ジャケ ッ ト クリザル ドの召使 。 警視 1名 警官 4名 舞台はパ リ郊外 ,第 1,2, 3,5幕 はアラマ ン ト邸,第 4幕 はクリザル ドの家。筋は朝 6 時 には じま り午前零時 に終 る。時期 は晩冬。 第 1幕 リュク レスはアラマ ン トの侍女で話 しの聞 き役 ,「堕落 した女」。 ジュルの師博 テ ィ マ ン トは邪悪 で姦智 にたけた悪者である。彼 は リュク レスに,ア レクシスの師俸 ア リス トを追 いだ し,後釜 に自分 の弟 フイリス トを入れ る計画 をうちあけ,弟 にあてた手紙 を読み きかせ る。 アラマ ン トがア リス トを嫌 っているのは計算ずみで, 自分 の弟 を彼女 に とりもって結婚 さ 2, 0 0フランの年金 を出 させ る企 みである。 リュク レスは助力 を約束す る。ただ し彼が彼 せ ,1 ス タンダールはなにを書かなかったか 263 間 される。 ジュルは逃 げ をうち, リュクレスは彼 に果物の砂糖漬け をや って白状 させ ようとす る。彼 はその紙で舟 をつ くり,庭の小 川に うかべ て流 し,舟 は沈 んだ と言 う。 ジュルはテ ィマ ン トの方 を盗み見 しなが ら砂糖漬 け をなめ,テ ィマ ン トが去 るの を見 て 「あか んべ え」 をす る。テ ィマ ン トは リュクレスにせ きたて られ,庭 に走 る。 アラマ ン トは ダミスへ の懸念 をうっ たえ, リュク レスは慰める。テ ィマ ン トが もどり, リュク レスに舟 は見つか らなかった と告 げ 0歳の美男が教 て去 る。 リュクレスはアラマ ン トの不安 につけこみ, トランプ占いで,やがて3 師 としてや って くる,邪魔 をするのが ダ ミスで,あなたをまもるのは私 で云 々と,アラマ ン ト をた らしこみ,ア リス トに暇 をだす手紙 を書 き,アラマ ン トに署名 させ る。 第 4幕 舞台 はア リス トの友人 ク リザル ドの 自宅。事務机 が 開いていて一組 の拳銃が見 え る。 ア リス トが会いに きて友の帰宅 をまっている。 クリザル ドが帰 って きて,召使 のジャケ ッ トにア リス トと自分のため に夕食 を作 る ようにい う。 クリザル ドは 自宅で夕食 を した ことがな い。 こぼ しなが ら,いそいそ と働 く女中の陽気 なシー ン。 クリザル ドはア リス トにいつ までい て もよい と言 う。 ア リス トは出るまえにア レクシスに会 えなかった ことをなげ く。子供へ の愛 情のあ ま り,子供 をああい う家 に残 して きた ことが たえられない。あの ような母か ら子供 をす くいだすのが彼の義務 だ。 ジャケ ッ トは食卓 をととのえる。ふ たたび女 中の陽気 なシー ン。そ こヘ ア レクシスが,ア リス トが解雇 されたことを知 り,磁石片手 に クリザル ドの家 を尋ねて く る。 ア レクシスはテーブルの上 に自分 の 「 宝」 のすべ てをな らべ, これ をあげるか らいっ しょ に家 に帰 ろ うと言 う。感動の シー ン。そ こへ警視 と四人の警官が現 れる。少年誘拐の嫌疑でア リス トは投獄 され よう。 ア レクシスは事務机 か らピス トル をとり,アリス トをかば う。 クリザ ル ドが武器 を とりあげ, ア リス トは 「 人の本性 のか くも善 であ る こ とに感動 して」連行 され る。 ア レクシス も警視 に家 に送 られてゆ く。 クリザル ドとジャケ ッ トはアレクシスの 「 宝」 を しらべ る。 『ラ ・フォンテーヌの寓話』があ り,その包み紙 に 目が とまる。 テ ィマ ン トが弟 に 書いた手紙 であ る。 第 5幕 舞台 は再 びアラマ ン ト邸。 アラマ ン トは リュクレス とテ ィマ ン トに, ア リス トが見 つかった礼 をい う。 リュク レスはア レクシス を迎 えにでる。テ ィマ ン トはアラマ ン トに母性愛 をたたえる歯の浮 くようなお世辞 をい う。 ア レクシスが着 く。 アラマ ン トは家 をとびだ したこ とを厳 しく叱 る。 ア レクシスは母 にア リス トの復職 を哀願 し,テ ィマ ン トにまで頼み こむ。 リ ュクレスが, うま くやるか らと言 ってア レクシスを連れ さる。 ダミスが登場 し,船乗 り言葉 ま るだ Lでテ ィマ ン トの企み をあぼ く。弟への手紙が証拠である。 ダ ミスは手紙 をアラマ ン トに 渡 そ うとし, リュクレスは奪お うとす る。 ダ ミスは手紙 をと りあげ,ステ ッキを振 りあげて一 同を制止 し,ア リス トをよぶ。 リュク レス とテ ィマ ン トは逃 げる。 ダミスは船乗 り言葉で続 け る。 「これで沖の泊地 についた。 まもな く港 だ」。 ア レクシスが きてア リス トと抱擁す る。 ダ ミ スはア リス トに言 う。「田園が きみの仕事だ。明 日に も早 々に発つ ように」。 アラマ ン トは自分 も同行 し,息子 とともにいる と言 う。一同,食卓 につ き,幸せ をいのって乾杯す る。 2)私 はス タンダールの 『日記』 をどの ように邦訳 したか Comme ntj ' ait r adui te nj aponai sl eJour naldeSt e ndhal . ( 初出 St e ndhalCl ub,No. 51 ,p. 233 1 243,1 9 7 1 年 4月1 5日) スタンダールはなにを書かなかったか 265 どお り 『日記』 を全訳するまで,私の宿題 として残るであろう。 なお この翻訳 は,1 9 71 年1 0月2 0日,人文書院か ら 『ス タンダール全集』第 1 2巻 「 r エ ゴナス ムの剛 削 『日記 山 として出版 された ( 本文 p. 1 71 -5 2 9,訳註 p. 5 3 0 15 8 0). この論考 はそれに 先 だち,グルノーブルでデル ・リッ ト先生の勧 めで書いた。私の最初の フラ ンス語論文 であ る。 あ 史跡探訪 と が き スタンダールゆか りの地で pも l e inag r es t e nd ha li e naupa ysdeSt e ndha l・ プラング ( Br a ng ue s ) ,ローヌ河がジュラの山裾 をまわって北西 に折れ, ようや くリヨンに むけて緩やかに流れ下 ろうとす るあた り,左岸の低い丘の うえに, この村 はある。蛇行す るロ -ヌの流れは村の低い標高のため目に入 らないが,その彼方,北東 には,ジュラの山なみの一 っが地平 を限 り,西 はモ レステル ( Mo r e s t el ) とク レミュー ( Cr 6 ie m u)をへ て リヨンまで 5 5キロ,南は県庁所在地のグルノーブルまで72キロ,1 9 82年の市町村郵便局資料 I nde xAt l as 48人,イゼ-ル県の寒村である。あた りの集落 ととくに変った とこ de Fr anc eによれば人口3 ろもないが,村 とい うだけに教会はある。その教会で1 8 2 7年 7月2 2日,アン トワ-ヌ ・ベルテ とい う青年が ミシュー ・ト ラ ・トウール夫人 をピス トルで撃つ.『 赤 と黒』の ヒン トのひ と つになった事件である。 1 9 85年 8月 9日,午後 2時ごろ,デル ・リッ ト先生 と私は教会前の広場 に仔 んでいた。 この 地 になんの繰 りもなかったクローデルが城館 を買い,いまもクローデル家所有の城館 の庭 には クローデルの墓があ り,教会前の広場 もこの駐 日フランス大便 であった文人の名が冠せ られて いる。教会は比較的新 しい。かつてその場所 にあった御堂は村人のあいだで 「コキュの教会」 と呼ばれ,その忌わ しい記憶 を消すために取 りこわされたのである。村 にはまだア ン トワ-ヌ・ ベルテの父の家 とミシュー ・ド・ラ ・トウール家の建物がある。晴天であった。家々の石 と土 の荒壁 には亀裂が走 り,太 陽は古 びた赤い桟瓦の屋根 を焼いて, どこか らか堆肥の臭いがただ よって くる。出あったのは目を伏せて通 りす ぎた三人の村童だけ。 カフェも食料品店 も見あた らず,なぜか駄菓子屋が一軒店 をあけているにす ぎない。人声 どころか物音 ひとつ しない。国 道 も県道 もはるかに遠 く,ぬけるほ どの青空の下 に,村は寂実 として静かである。「こうい う 相 にラテ ン語ので きる青年がいたとい うことが, どうい うことかわか りますか」 と,デル ・リ ツ ト先生は私 に言 った。 その E ]の夕方,私たちは,スタンダールの故郷 グルノープルの南西 にそびえるヴェルコール ( ve r c o r s )高原,第二次大戦で フランス ・レジス タンスの最大の拠点だった山塊の一角,港 抜1 , 2 0 0メー トルのサ ン ・ニジエ ・デュ ・ム ウシュロツ ト ( Sa int Ni z i e r duMo uc he r o t t e)の 展望台へ と,断崖 にそって車 を走 らせていた. とあるカーブを曲 りなが らデル ・1 )ッ ト氏 は言 った。「ジャン ・プレヴオは,町へ連絡 に出 ようとして,ここで独軍の機関銃 にや られたので す。 この天椴 も小銃 と手相弾では守 りきれなかった。それに彼 も不用意だった」。そ して短い 沈黙の後 に氏 は続 けた。「きみが着いたのは 5日で したね,6日の朝,町でなにか見 たで しょ う」。それは広島の記念 日であった。街か ら街-,歩道 に人の倒 れ伏 した形が,熱線で焼 きつ 945 ( 1 9 45 年 8月 6日) と書 きそえて け られたかのように白い塗料 でふちどられ,6AOUT 1 ある。それ を市の清掃車が高圧ポ ンプの水 で洗い流 していた。「 見 ました,そ して今 日は長崎 の記念 日です」。 スタンダールはなにを書かなかったか 2 67 t o rDELLI TrO,i c o no g r ap hi er e c e ui l l i ee tc o mme nt 6 eparPi e r r eVA l LLANT,Ed i t i o ns G1 6 na t ,1 988,1vo l . Co T ・ T . e S POndaT We,Pr e f ac ee tc hr o no l o g l eparVi c t o rDELLI TTO・Edi t i o n6 t a bl i ee ta nno t 6 eparHe i MARTI m NEAU e tVIDELLI TrO,Pa is r ,Ga l l i ma r d,《Bi bl i o t hと quedel a ,,1 962a 1 968,3vo l . P1 6 i ade) Vo ya ge se nl t al i e,t e xt e s6 t a bl i s ,pr 6 s e nt 6 se tano t 6 sparⅥc t o rDELLI TrO,Pa is r ,Ga l ,,1 97 3,1vo l ・ 1 i mar d,咲Bi bl i o t hも quedel aP1 6 i ade, St e ndhal i ana Vi c t o rDELLI TrO,Lav i el nt e l l e c t ue l l edeSt e ndhal,Genとs ee te vo l ut i o ndes esi d6 e s . ( 1 802-1 8 21) ,de uxi と mee di t i o n,Pa is r ,Pr e s s e sUni v e r s i t ai r esdeFr a nc e,1 962,1vol Vi c t o rDELLI TrO, Es s al ss t e ndhal i e ns,Ge n占 v e Pa is r ,Edi t i o nsSl at ki ne ,1 981 ,1vo l . Vi c t o rDELLI TTO,Pr e s e T Wedel ' ar ge nt ,i nSt e ndhale tl ' ar ge nt ,Pa is r ,LeMus 6 edel a l . Mo nna i e,1 97 3,1γo pa ulARBELET, Laj e un es s edeSt e ndhal, ( Appe ndi c eauxαuu r e sc oT n Pl 占 t e s) ,Pa is r ,Li . br ai i rea nc i e nneHo no r 6Champi o n,Edi t e urEdo uar dChampi o n,1 91 2,2vol Fr an9 0 i sMI CHEL, Fi c hl e rs t e ndhal i e n,G.K.Hal l& C0.,1 963,3v o l . St e ndhalCl ul b,No. ll ,1 7,21,51 ,7 4,11 3,1 2 3,1 41,1 43,1 48. St e ndhal ,Par i se tl eT ni r a gel t al i e n.Ac t e sduc o l l o quepo url ec e nt c i nqua nt i 占 meanni ve r s ai r edel amo 一 tdeSt e ndhal ,Bi bl i o hら t quehi s t o iquedel r aVi l l edePa is r ,21 1 22mar s 1 992. Aut T ・ e SOut l r age SCOnS Z L l t i s LeTASSE,LaJe T ・ uS al e m de ' l i v T l e ' e( Ge r us al e ' nT nel i b e r at a) ,Edi t i o nbi l i ng uedea.M. l . GARDI ER,C1 as s i queGami e r ,Bo r das ,1 990,1γo MmedeFo nt ai ne s ,Hi s t o i r edel aCo T nt e S S edeSau o l e,e xe mpl ai r ec o ns e vea r l aBi bl i o t hも quemunl C l pa l edeGr e no bl e,no uve l l ee di t i o n,publ i 6 ea v e cno t i c e se tc o mme nt ai r e s pa rChar l esBUET,c he zF.Duc l o z ,l i br ir a ie 6 di t e urMo ut i e r s/Br ide s 1 e s Ba i ns ,1 889, 2 35 p.,1vo l . Jour nalde sDe b at s,n.du30j a nv ie r 1 826,pa g e s1 1 4,pho t o c o pi e sdel ' e x e mpl a i r ec o nl aBi bl i o t h色 queNa t i o nal e. s e vea r Le sBaT ・ T . i c ade s,Pr e i 色r m ee di t i o n,Pa is r ,c he zBr i色 r e,Li br ir a ie Edi t e ur , Ludo icVI v TET, 1 826,1v o l . Do me ni c oCI MAROSA,I IMat r i T nO ni oSe ct . e t O,Te xt edeGi o va nniBERTATI ,Or c he s t r e dec ha mbr edeLa us a nne ,Jes usLo pe sCo bos ,e nr e is g t r e me nt・ くl i ve, ,r 6 a l i s 6e nc o l l a bo r aor di ,1 992. t i o na ve cRad i oSui s s eRo manc eEs pac e2,Mi l an,Edi t i o nRi c 付 記 (フランス語原論文にはな し) 索引 を付 さなかった理由 索引 をつけなかった理由は二つある。第一に,私はこの本の最初の一冊 を恩師デル ・リッ ト
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