創価教 育研究第4号 創価教育学 の基礎概念(2) 一 「信 ・行 ・学 」 一 古 川 敦 は じめ に L教 育 の3大 要 素 2,教 育革 命 ・宗 教 革 命 3,科 学的 超 宗 教 的 実 験 証 明 お わ りに は じめ に 創 価 教 育 学 の全 体 像 を正 し く把 握 して い くた め に 、ぜ ひ とも銘 記 しな けれ ば な らな い こ とは 何 か。 それ は 、お そ ら く、晩 年 に な る とよ りい っ そ う加 速 す る、 牧 口常 三 郎 自身 の 人 間 的 な深 化=拡 大 過 程 で あ る よ うに 思 わ れ る。 た とえ ば、 「 教 育 革命 」 と 「 宗 教 革命 」 とい うター ム は、そ の こ とを象 徴 的 に示 唆す る も の で あ る だ ろ う。 実 を言 う と、これ ら2っ の キ ー ・ワー ドは 、 「 創 価 教 育 学 会 」が 発 行 して い た 月 刊 雑 誌 『新 教 』(1935年 夏 な い し秋 ごろ ∼36年 夏 ごろ)に お い て 、は じめ て登 場 す る こ とに な る(1)。 っ ま り、 そ れ ら は 、『創 価 教 育 学 大 系概 論 』(1929年)〔 以下、『大 系概 論』 と略記〕 にお い て も、 そ して 、 ま た 、『創 価 教 育 学 体 系』(全4巻 、1930年11月 ∼34年6月)〔 以下、『体 系』 と略記〕 の なか で も、 決 して 用 い られ る こ とは な か っ た わ けで あ る。 創 価 教 育 学 は、終 始 一 貫 、 「 真 理 の認 識 」 と 「 価 値 の創 造 」 とい う対 概 念 を基 軸 に構 戒 され て い る。 しか し、 この 知識 体 系 は 、『創 価 教 育 学 体 系梗 概 』(1935年 春… ごろ)〔 以下、r梗概 』 と略記〕 の 「 結 語=法 華 経 と創 価 教 育 」に お い て 、一 切 衆 生 の救 済 を 旨 とす る 日蓮大 聖 人 の仏 法(妙 法) の 「 弘宣流布 」〔 『全集 ・第8巻 』、409頁〕が 強 く意 識 せ られ るや い な や 、 そ れ 以 前 とは ま っ た く 異 な った 様相 を呈す る よ うに な る。 と りわ け、『創 価 教 育 法 の 科 学 的 超 宗 教 的 実 験 証 明 』(!937年9月)〔 以下、r実験証明』 と略記〕 に な る と、 事 例 をふ ま え た 実 証 的 な考 察 が 、 仏 道 修 行 の基 本 た る 「 信 ・行 ・学 」 を柱 に しな が ら展 開 され て い る。 な ぜ か と言 え ば 、 「 創 価 教 育 法 の実 験 証 明 が 、 こ の信 仰 に基 づ い た た め に 、 初 めて 完 成 され た」 〔r全 集 ・第8巻 』、90頁〕 と牧 口 自身 が 明 言 して い る ご と く、創 価 教 育 学 は 、 「 妙 法 」 に め ぐ りあ う こ とに よっ て は じめ て 、 本 来 の 目標 に到 達 し うる よ うに な った か らで あ る。 か く して 、 「 教 育 革命 」 は、 「宗教 革 命 」 を ふ ま え た とき に の み 、 は じめ て 実現 可 能 に な っ て く る。 そ して 、 ひ とた び 「 妙 法 」 を根 本 にす る(信)と め の 教 育 実践(行)に AtsushiFurukawa(香 、 それ 以 後 は 、子 ども た ちの 幸 福 の た 裏 付 け られ た 実 際 的 な 教 育 学 の建 設(学)が 川 短 期 大 学 教 授/客 員 セ ン タ ー 員) 一63一 、価 値 科 学 的 に遂 行 され る 創価教育学の基礎概念(2)一 「 信 ・行 ・学」一 こ とに な る。 しか も、 そ の方 法原 理 は 、 「 信 ・行 ・学 」 に ほか な らな い の で あ る。 1.教 育 の3大 要素 そ も そ も 、創 価 教 育 学 とい う知 識 体 系 は 、合 計 で12巻 の 書物 に な る だ ろ う、 と想 定 され て い た。 こ の こ とは 、次 の よ うな 『大 系概 論 』 の 目次 を見 れ ば 、一 目瞭 然 の よ うに思 わ れ る(2)。 創 価教育学概論 第1編 目次 教育学組織論 第6巻 綴方教導の研 究 第2編 教育 目的論 第7巻 読方教導の研究 第3編 価値体系論 第4編 教育機関改造論 第8巻 地理教授の研 究 第5編 教育制度改造論 第9巻 郷土科の研究 第6編 教育材料論 第10巻 算術教導の研 究 第7編 教育方法改造論 第11巻 理科教導の研 究 第5巻 道徳教育の研 究 第12巻 歴史科教導の研究 書方教導の研 究 真理 の批判に就て そ して 、 こ の 当初 の全 体 構 想 は、 『体 系 ・第1巻 』 が 出版 され た と きに 、 「 総 論 」4巻 論 」8巻 と 「 各 の構 成 で 、 よ りい っそ う明確 化 され る こ とに な る(3)。 (総論)(各 論) 第・ 巻儂 鱗 灘 論 雛 欝 葺£ 灘 第2巻 第7巻 第3編 価値体 系論 第3巻 傑 鱗 驚 灘 鱗{雛 鍵撒 読方書方教導の研究 纂:糞 羅驚 雰 鍵究 雛 箋 購 雰 瓢 第12巻 歴 史 教 導 の研 究 し か し な が ら 、 実 際 に 出 版 され た の は 、 以 下 の よ うに 、 『体 系 ・第4巻 』 ま で で あ っ た 。 しか も 、 同 巻 の 内 容 か ら判 断 す る と、 「 創価教 育学体系」は、 「 総 論 」 す らも完 結 しなか っ た わ け で ある。 『体 系 ・第1巻 』(1930年11月18日) 第1編 教 育学 組 織 論 第2編 教 育 目的論 『体 系 ・第2巻 』(1931年3月5日) 第3編 価値 論 『体 系 ・第3巻 』(1932年7E15日) 第4編 教 育 改造 論 『体 系 ・第4巻 』(1934年6月20日) 一64一 創 価教育研 究第4号 教育方法論(上) 第1編 教育方法緒論 第2編 教材論 第3編 教育技術論 と こ ろで 、『体 系 ・第1巻 』が ま さ に発 刊 され よ う として い た こ ろ 、牧 口常 三 郎 は 、人 生 の 一 大 転機 を、 み ず か らの 研 究 と体 験 と に よ って っ かみ 取 る こ とに な る。 それ が 、ま さ し く、 日蓮 大 聖 人 の 仏 法 へ の 帰 依 に ほか な ら ない 。そ して 、 「 妙 法 」へ の信 順 は 、こ と ばで表 現 し え な い ほ どの 大 い な る歓 喜 を内 発 し、創 価 教 育 学 の研 究 に対 して も計 り知 れ ぬ進 展 を もた ら して い くの で あ る(4)。 しか らば 、 牧 口 自身 の胸 中 にお け る劇 的 な変 化 は 、著 作 の なか に 、 どの よ うな か た ち で反 映 され て い った の か。 こ こで は 、 そ の点 につ い て 、少 々具 体 的 に追 跡 して み る こ とに し よ う。 そ こで 、ま ず もっ て 確 認 す べ きは 、『体 系 ・第1巻 』 に関 す るか ぎ り、仏 法研 鎖 の成 果 は必 ず し も明確 に と ら え られ は しな い 、 とい うこ とで あ る よ うに思 われ る。 た しか に、 「 永 遠 的 生命 」 〔 『全集 ・第5巻 』、20頁〕や 「 宇宙の法則」 〔 『全 集 ・第5巻 』、172頁〕、あ るい は 、ま た 、 「 生死 の問 題 」 〔r全 集 ・第5巻 』、189頁〕 な どの よ うに 、宗 教 的 な要 素 を示 唆 す る タ ー ム も、 い くっ か は存 在 す る。 けれ ど も、仏 法 用 語 は ほ とん ど見 あ た らない 、 とい うの が 実 情 な の で あ る。 た だ し、唯 一 の 例 外 は 、 「 依 法 不 依 人 」で あ るだ ろ う。 そ れ は 、第2編 第4章 の 第2節 にお い て 、 シ ュ プ ラ ンガ ー の 生活 様 式 分 類 を見 極 めて い くた め に用 い られ て い る。 「吾人 の 日常 生 活 の 種 々 な る 相 を 見 渡 して 考 察 す るに 当つ て 、 吾 々 の 指 導原 理 の如 く に学 界 の権 威 と して利 用 され て居 る もの は、 シ ュプ ラン ガ ー氏 の生 活 様 式 の左 記 六 種 の分 類 で あ ら う。 一 、経済的生活様式 二、理論 〔 的 〕 生活 様 式 三、審美的生活様式 四、 政 治 的 生 活 様 式 五、社会的生活様式 六 、 道 徳 的及 宗 教 的生 活 様 式 こ れ存 名 な る シ ュ プ ラ ンガ ー 氏 の 分 類 と して 、 吾 々 の 思 索 を圧 す る 勢 力 を 以 て吾 々 に 臨 み 、 批評 の 自由 を許 さぬ か の 如 くに 見 え る もの で は あ る が 、 併 し仏 教 の 所 謂 『依 法 不依 人 』 の見 地 か ら暫 く冷 静 に 考 へ る な らば 、幾 多 の疑 惑 が 出 で来 て 吾 々 の 学 的 良 心 を安 定せ しむ る能 は ざる も の が あ るで は な い か。」 〔 『全 集 ・第5巻 』、156∼157頁 〕 とは い え 、 この こ とが 、 「妙 法 」へ の 帰依 を 、積 極 的 に裏 付 け して い るわ け で は な い(5)。 と ころ が 、『体 系 ・第2巻 』 にな る と、事 情 は大 き く異 な って くる、 と言 え るだ ろ う。 目蓮 大 聖 人 の仏 法 を根 本 とす る こ とに よっ て 、 視 野 が い っそ う広 め られ て い る の で あ る。 しか も、 そ の証 左 の1っ は 、 「 絶 対 的 な真 理 」 と 「 相 対 的 な真 理 」が 明確 に識 別 され る よ うに な っ た 、ま さ に、 そ の こ とに求 め られ る に ちが い ない(6)。 そ して 、『体 系 ・第2巻 』以 降 は 、 さま ざま な 仏 法 用語 が 、大事 な と ころで 登 場 す る よ うにな る。 な か で も、 と くに 好 ん で使 用 され た 語 句 は 「依 法不 依 人 」 な の で あ り、 さ らに、 ま た 、 そ の精 神 と軌 を 一 にす る もの と して 、「慈 無 く して 詐 り親 む は 是 れ彼 が 怨 な り。彼 が 為 に悪 を 除 く は 是 れ彼 が親 な り。」 とい う対 句 が 、 しば しば取 り上 げ られ て い るの で あ る(7)。 一65一 創 価 教 育学 の基 礎 概 念(2)一 牧 口は 、『体 系』の 第2巻 「 信 ・行 ・学 」一 と第3巻 の なか で 、みず か らの思 索 と行 動 の深 ま りを証 拠 立 て る よ うに 、 日蓮 大 聖 人 の著 作 か ら、 い くつ か の 引 用 をお こな っ て い る。(8) 『体 系 ・第2巻 』 「 月 水 御 書J〔 『全 集 ・第5巻 』、291頁 〕 真理 と価値 の峻 別 と、 そ の 両者 の 関係 につ い て。 「開 目抄 」 〔 『全集 ・第5巻 』、371頁 〕 科 学 と宗 教 、 した が っ て 、 教 育 と宗 教 との 帰 一 が不 可 欠 で あ る こ と。 『体 系 ・第3巻 』 「立正 安 国 論 」 〔 『全集 ・第6巻 』、16∼17頁 〕 本 当の 意 味 で の 「 思想善導」は、「 妙 法 」 を根 本 とす べ き こ と。 「開 目抄 」 〔 『全 集 ・第6巻 』、24頁 〕 法 華 経 護 持 の 人 に対 す る怨 嫉 ・迫 害 が多 い 理 由を説 明 され た もの 。 「開 目抄 」 〔 『全 集 ・第6巻 』、63・64頁 〕 教 師た ちが 陥 りやす い利 己主 義 や 慢 心 を、 厳 し く呵 責す る も の。 「 妙 法 」 を信 受 しな けれ ば、 教 育 社会 に はび こ る悪 癖 を克 服 で きな い こ と。 そ して 、 当然 の こ とな が ら、 第2巻 以 降 は 、 以 下 の よ うな 、 目蓮仏 法 に 関す る 固有 の用 語 が 、 次 第 に 際 立 っ て くる よ うに な る ので あ る(9)。 『体 系 ・第2巻 』 南 無 妙 法i蓮華 経 〔 『全 集 ・第5巻 』、359・363頁 〕 法 華 経 の 行 者 日蓮 大聖 人 〔 『全集 ・第5巻 』、363頁 〕 『体 系 ・第3巻 』 不 自借 身 命 〔 『全集 ・第6巻 』、24頁 〕 主師 親 の三 徳 〔 『全集 ・第6巻 』、65頁 〕 『体 系 ・第4巻 』 生命 といふ 無 上 宝 珠 〔 『全 集 ・第6巻 』、253頁 〕 仏法 の最 高 の肝 心 、妙 法 蓮 華 経 〔 『全集 ・第6巻 』、300頁 〕 さ て 、牧 口 は 、 『体 系 ・第3巻 』 に な る と、 み ず か ら が 拠 っ て 立 っ と こ ろ を 、 ま す ま す 鮮 明 に 論 述 す る よ うに な る。 「 余 を して若 し社会 学 を修 め しめ な か つ た ら、及 び 法 華 経 の信 仰 に入 らなか った な らば 、 余 が善 良 な る友 人知 己 の 様 に 、成 るべ く周 囲 の機 嫌 を損 ね ぬ様 に 、悪 い事 を 見 て も見 ぬ振 りを し、 言 ひ た い事 も控 へ 目に して 、 人 に 可 愛 い が られ な けれ ば損 で あ る といふ 主 義 を守 っ て居 れ た で あ ら う。 そ れ が世 の 舘 環 になつて、自分だけの生存 上には賢い方法には相違 ない。少 くとも現 代の如 き所謂 釜樹 慧 笹 の 末 法 に於 て は 。 け れ ど も誰 れ も彼 れ も が皆 この 賢 明 な る 主義 で あ っ た な ら国 家社 会 は遂 に ど うな る で あ ら う。 人 間 の数 は い く ら 雛 え て も畢 寛 箸 撰 の 堆積 と何 の 異 が あ る。 セ メ ン トで 固 め られ な け れ ば コ ン ク リ_ト には な らぬ で は な い か。 然 るに 悪 人 は 自 己防 衛 の本 能 か ら(窯)ち 他 と協 同す る。 共 同 す れ ば 孤 立 す る よ りは非 常 に強 くな る。 さ うな れ ば 仲 間 は 少数 で も、 孤 立 の 多数 を 自 由 に圧 制 す る こ とが 出来 る。 強 く なつ て 益 々善 良 を迫 害 す る悪 人 に 対 し、 善 人 は 何 時 ま で も孤 立 して弱 くな つ て 居 る。 一 方 が膨 大す れ ば他 方 は 益 々畏 縮 す る。社 会 は険 悪 とな ら ざる を得 ない で は ない か 。」 〔 『全集 ・第6巻 』、68∼69頁 〕 一66一 創価教育研究第4号 そ して 、 以 上 の よ うな 確 固 不 抜 の 精神 は 、 次 の よ うな 「正 義 」 の 勇 者 の 生 き 方 へ 、見 事 に集 約 され て い るの で は な い だ ろ うか。 「 悪 人 の 敵 に な り得 る 勇者 で な け れ ば 善人 の友 とは な り得 ぬ。 利 害 の 打 算 に 目が 暗 ん で、 善 悪 の識 別 の 出来 な い も の に 教 育 者 の 資 格 は な い 。 そ の識 別 が 出 来 て居 な が ら、其 の 実現 力 の な い もの は教 育 者 の 価値 は な い 。 教 育者 は(飽)ま で 善 悪 の 判 断 者 で あ り其 の 実 行 勇 者 で な けれ ば な らぬ 。」 〔 『全 集 ・ 第6巻 』、71頁 〕 さ らに 、牧 口は 、『体 系 ・第4巻 』の終 わ りの方 に な る と、仏 道 修 行 の 基 本 と され る 「 信 ・行 ・ 学 」に も とつ い た考 察 を、堂 々 と展 開す る よ うに な っ た 。 しか も、そ れ こそ が 、 「 教 育 の三 大 要 素 」(信=日 蓮 大 聖 人 の 仏 法 を信 受 す る こ と、行=子 ども た ち の幸 福 を 目的 と した教 育 方 法 の実 習及 び 熟練 、 学=具 体 的 な 教 育 実 践 に も とつ い た創 価 教 育 学 の科 学 的建 設)で あ る と考 え られ て い た の で あ る。 「 教 育 技 術 と いひ 、 又 教 育法 とい ふ た ゴけ で は、 日本 古 来 の何 々道 といふ 語 に対 照 す る と、 ま だ 意 くむの を十 分 に尽 しが た い もの が あ り、 多少 の誤 解 を生 ず る恐 れ が あ る。 依 て 寧 ろ 『教 育 道 』 と して 学 と 術 と人 格 と の渾 一 体 を表 す る を 以 て適 当 と信 ず る。 い か に精 緻 な名 文 を以 て表 現 す る と も言語 を超 越 した 技 術 の妙 味 は 之 を伝 へ る こ とが 出来 ず 、 技 術 とい ふ 名 称 す らも誤 解 の種 子 とな る恐 れ が あ るか ら で あ る。 所詮 教 育 道 の 藁う 義 に は剣 道 等 の免 許 皆 伝 と 同 じ く、術 の 熟 練 と之 が理 解 説 明 の学 と を 統 合 渾 一 した 人 格 に あ ら ざれ ば 達 し難 き もの で、 従 つ て道 揚 とい ふ 教 育 研 究 所 に於 け る幾 年 か の研 磨 、 熟 練 の成 績 に よ つ て初 め て そ の 教員 の免 許 皆 伝 は与 へ られ るべ き も の で あ る。 然 ら ばそ の 所謂 教 育 道 の くこんいつラ 内容 は如 何 。 教 育 に 就 て の信 ・行 ・学 の三 大 要 素 の統 合 渾 一 で あ る。 人 格 の 中心 た る人 生最 高 の 目 的観 念 の確 立 に必 要 な る 正法 の信 仰 と、教 育 方 法 の実 習 及 び 熟 練 と、 之 が 理 解 説 明 に 欠 くべ か ら ざる 教 育 学 との渾 然 た る統 一 が 乃 ち それ で あ る。 従 つ て 今 後 国家 の設 立 す べ き教 育 道 場 と して は 、 教 育 技 術 練 習 所 と して の小 中学 校 、 それ を 中心 とす る教 育 学 の 研 究 所 、 そ れ 等 指 導 の 基 本原 理 及び 人 格 の 酒 養 の 為 の信 仰 、 修 養 所 な る 三機 関 を完 備 しな けれ ぱな らぬ 。 現 在 の 師 範 学 校 は そ の 一 を さへ も 完全 に 具 備 して居 な い の を悲 しむ の で あ る。」 〔 『全 集 ・第6巻 』、446頁 〕 2,教 育 革 命 ・宗 教 革 命 創 価 教 育 学 は 、 時 を 経 る に し た が っ て 、 深 さ と広 が り を 増 す の で あ る 。 そ れ は 、 ま さ に 、 た ぐ い ま れ な 資 質 で あ る 、 と 言 え る だ ろ う。 ゆ え に 、牧 口 は 、 『体 系 ・第4巻 』 の 終 わ りが近 づ い た こ ろ に 、 次 の よ う な 文 言 を 付 け加 え る こ と に な る(10)。 「 是 等 の大 部 分 は本 巻 着 手 の際 の構 想 に於 て は 意識 し得 な か つ た 所 、 本 巻 を以 て創 価 教育 学 の総 論 を完 結 す る予 定 で あ った が 、今 に なつ て見 れ ばな ほ一 巻 の 追 加 を要 す る事 に なっ た の で 、 出版 者 に此 の上 の負 担 を重 ね しめ る の は(貴)に 忍 び ない 所 で は あ る けれ ど も、 強 ひ て 断 行 を願 ふ事 に した の で あ る。」 〔 『全集 ・第6巻 』、471頁 〕 そ し て 、 同 書 の 巻 末 に は 、 『体 系 ・第5巻 』 の 内 容 に つ い て 、 次 の よ う な 予 告 が 掲 載 され て い た の で あ る(11)。 一67一 創 価 教 育 学 の 基礎 概 念(2)一 「 信 ・行 ・学 」 一 教育方法論(下) 第4編 学習指導即教導論 第1章 教導 と学習 第2章 創価作用の指導法 第3章 評価作用の指導法 第4章 評価標準論 第5章 認識作用の指導法 第6章 不 良性の善導法 第7章 宗教教育問題 第8章 教導段階論 第9章 学習指導態度論 第10章 学習指導程度論 第11章 学級経営論 第12章 学校統督論 附 説 創 価教育学形成 小史 し か も 、そ の 中 身 は 、『梗 概 』 に お い て 、 以 下 の よ う に 、 よ りい っ そ う具 体 的 に 明 か さ れ て い る の で あ る(12)。 「 学習指導即教導論(第 五巻) 教育技術 の内容 を更 に分析観察 をな して、学習指導即 ち教育法 の 瞠 甥 こそ 、本体系 中枢の肝心 であ る とな した の が本 巻 で あ る。/利 と善 と美 との 創 価 生 活 を導 き安 全 円満 の幸 福 生 活 を遂 げ させ る為 に 創 価 と評 価 と認識 の三作 用を正当に指導す るのが教 育の要諦で あ り、 號 ん葎)計 画的創 価作 用の指 導 が 、 そ の 主眼 で他 の 両作 用 は それ の遂 行 の準 備 作 用 で な けれ ば な ら ぬ とな して 、 三作 用 の精 細 な る分 析 考 察 を試 み 、 各 教 科 に於 け る 教 導 作 用 の 基 準 を提 示 した そ の創 価 作 用 の指 導 法 に 至 つ て は 、 模 倣 、 推理 、想 像 の 三 階段 に 区別 し、 之 を各 教 科 各 方 面 に適 用 す る点 に於 て 、作 業 教 育 、労 作 教 育 等 の最 近 流 行 と して も て はや され て ゐ る もの を統 合 す る に 足 り、 また そ の評 価 作 用 の使 用 に は鑑 賞 教 育 の基 本 原 理 た る評 価 標 準 と云 ふ 新 学 説 を発 表 し、今 ま で の道 徳 批 判 に対 して全 く一 新 生面 を与 へ る も の で あ り、 そ の ま た認 識 作 用 の 指 導 法 に至 つ て は 直観 、 思考 、記 憶 、 応 用 等 の諸 項 に亘 つ て精 細 な る分 説 を 試 み 、 之 等 を 綜 合 統 一 して 教 授 段 階 に(蓮)り 古 来 のそ れ に就 て公 正 な る批 判 を な した る 上 に著 者 独 創 の 新 五 段 教 導 法 を 提 出 し、 以 て 渾 沌 た る 生活 か ら認 識 と評価 との 二段 階 を経 て遂 に創 価 作 用 に於 て有 意 的 企 画 的 生 活 に 結 び 付 け、 進 ん で は 古今 大 家 の種 々 な る教 導様 式 の批 評 研 究 を な し、更 に指 導 程 度 論 に至 つ て 近 年 の 世 界 的 流 行 の ダル トン ・プ ラ ン、 プ ロ ジ エ ク ト ・メ ソ ツ ド等 の 多 な る もの を批 判 し 統 合 し以 て 一 般 的 正 常 人 の教 導 法 の一 通 りを完 了 す る。/然 れ ど も未 だ 人 類 の 最 も苦悩 で 、 そ の実 最 大 多 数 を 占 め る所 の不 良性 の善 導 を、 従 来 の 教 育 制度 は 治 外 の 度 し難 き 人 聞 と して 退 学処 分 に よ っ て 葬 り去 つ て ゐ るの を慨 し、 之 が救 済 法 に転 じ遂 に 宗 教 教 育 問題 に ま で 接 触 し、法 華経 を原 則 とす る合 理 的教 育 方 法 を見 出 して千 古 の謎 を解 決 し、 ど こま で も教 育 法 の 完 成 に至 ら ざれ ば 止 ま ざる の慨 が あ る。 な ほ以 上 の 個 人 を対 象 と して論 じた る指 導 を更 に 団 体 の 指 導 に 適 用 せ ん と して 、 学級 経 営論 学 校 統 督 論 の 問題 に於 て結 ん で居 る。」 〔 『全 集 ・第8巻 』、397∼398頁 〕 とに か く、牧 口は 、 「四十 五 年 前 教 生 時 代 の 追 懐 」(札 幌 師 範 学 校 附 属 小 学 校 編 『五 十 年 回 顧 録 』1936年7月20日)の な か で 、「 価 値 が あ ら うが あ る まい が 、 と もか く 『創 価 教 育 学』 第 五 巻 を書 き あ げ総 論 だ け を漸 く六 年 目で完 結 した 。」 〔 『全集 ・第7巻 』、409頁〕、 と述べ て い る 。 そ し 一68一 創価教育研究第4号 て 、『実 験 証 明 』 の な か で は 、 「 創 価 教 育 学 の知 識 体 系」 に 関す る最 終 的 な全 体 構 想 が 示 され る と と もに 、近 刊 予 定 の 『体 系 ・第5巻 』の 中 身 が 、 「学 習指 導 論 」 と して 、以 下 の よ うなか た ち で紹 介 され て い るの で あ る(13)。 教育学組織論 魂 教育 目的論 } (第一 巻) 教 育原 理 と して の 価値 論 … …(第 二 巻) (第五巻 内容) 信用確立論 指導態度論 政策 的方 法 論 … 教 育改 造 論 …(第 三 巻) 認識 法指導論 実際 的方 法 論 … 教 育方 法 論 …(第 四 巻) 評価法指導論 技術 的方 法 論 … 学 習指 導 論 ・(第 五 巻) 創 価法指導論 T( 評価標準論 (近 生活指導論 刊) 不良性善導論 流 通 郷土教育論 宗教教育論 道徳教導論 教導段階論 国語(読 方綴方)教 導論 教導程度論 算術教導論 地理教導論 (未 学級経営論 刊) 学校統督論 歴史教導論 理科教導論 技芸教導論 〔『全 集 ・第8巻 』、57頁 〕 しか しな が ら、 『体 系 ・第5巻 』 は 、 と う と う世 に 出 る こ とは なか った 。 実 際 、 「 創 価教育学 会 々 長 牧 口常 三 郎 に対 す る訊 問 調 書 抜 粋 」の な か で は 、 「 単 行 本 と して 『創 価 教 育 学体 系』 を 第 一 巻 よ り第 四巻 迄発 行 致 しま した。」 〔 『全集 ・第10巻』、187頁〕、 との証 言 が な され て い る。 そ の草 稿 が 存 在 した の は 、た しか な こ とで あ る よ うに思 われ る。だ が 、現 実 に、 「 創価教 育学 体系」は、 「 総 論 」 す ら も、 未 完 の ま ま で 終 わ っ て しま っ てい るの で あ る(14)。 た ぶ ん 、 そ れ は 、 時 局 が 急速 に展 開 し、 教 育 改 造 へ の気 運 が薄 れ て い っ た こ とに も よる だ ろ う。 そ して 、 ま た 、 出版 そ の もの が 、 相 当程 度 にむ ず か し くな っ て い た とい うこ とも 、十 分 に 考 慮 す る必 要 が あ る。 けれ ども、 もっ と も大切 な 要 因 は 、原 著者 自身 の 人 間 的 な深 化=拡 大 過 程 に 求 め られ ね ば な らない よ うに 思 わ れ る 。す な わ ち、『体 系 ・第5巻 』が未 刊 の ま ま に な っ て しま っ た の は 、創 価 教 育 学 そ れ 自体 が あ る 意 味 で 大 き な 飛 躍 を成 し遂 げ た 、 ま さに 内在 的 な理 由 に よ る の で は な い か 、 とい うこ とな の で あ る。 『梗 概 』 の 「 結語 」 に お い て 、創 価 教 育 学 の 根 底 が 日蓮 大聖 人 の仏 法 に あ る と断言 し うる よ うにな っ た こ と。〔cf.『全集 ・第8巻 』、410頁〕そ して 、さ ら に、『新 教 』の なか で 、「 教 育 革 命 」・ 「 宗 教 革命 」 とい う画 期 的 な タ ー ム が 登場 す るの は 、 そ の こ とを如 実 に物 語 っ て い る に ち が い 一69一 創 価 教 育 学 の 基 礎概 念(2)一 「 信 ・行 ・学 」 一 な い。 それ ゆ え に、 わ た した ち は 、創 価 教 育 学 とい う知 識 体 系 が 有 して い る 、無 尽蔵 の 「内発 的 なエ ネ ル ギー 」 に着 目 しな け れ ば な らな い わ け で あ る。 牧 口は 、「教 育 改造 と宗 教 革命 」(『新 教 』1935年12A号 別 冊)の 冒頭 にお い て 、次 の よ うな論 陣 を 張 っ てい る。 くもとう 「国 民生 活 の全 般 的改 善 の国 策 を建 て る が為 に は、 財 政 経 済 等 の そ れ 等 は、 固 よ り緊 急 に は相 違 な い こ とで は あ るが 、 も少 し根 本 的 に大 観 す る な らば 、教 育 改 造 の 国策 か ら確 立 しな けれ ば 、枝 葉 末 節 の姑 息策 に しか 過 ぎ な い とは 、吾 々 が 屡f場)論 議 した 所 で あ る。 而 して 、 そ の 教 育 改 造 を企 図す る に当 り、多年注入教育の伝統 に毒せ られた教育 の制度並 に内容 を改 めんが為 にはその根本 中核 をなす べ き宗 教革 命 に ま で及 ば な い 限 りは 、永 久 に{鄙 籠 う 煮ゼ 蒔 を欠 くの(契)を 脱 し得 ぬ で あ ら う。」〔 『全 集 ・ 第9巻 』、5頁 〕 そ して 、彼 は 、お よ そ 半年 後 の論 文 「 科 学 と宗 教 との 関係 を論 ず(上)」(『 新 教 』1936年5月 号) の な か で 、 みず か らの行 動 を次 の よ うに位 置 づ け る よ うに な って い た ⑯ 。 「 吾 々 の企 画 す る教 育 ・宗 教 革 命 」 〔 『全 集 ・第9巻 』、60頁 〕 「 真 正宗 教 の 信仰 に よ る宗 教 革 命 、従 つ て それ を 内容 とす る教 育 革命 の理 想 」 〔 『全 集 ・第9巻 』、61頁 〕 だ か ら、 彼 は 、 最 晩 年 に 、 こ の 間 の 事 情 を 、 以 下 の ご と く述 懐 す る よ う に な る(16)。 「『 論 よ り証 拠』 とい ふ 目本 古 来 の俗 語 は、吾 々 の 生 活 に対 す る研 究 法 の方 向 を 明示 して居 るの に 、 却 つ て 邪 魔 して そ れ を悪 道 に導 い て 居 るの が 、 今 の 所 謂 智者 学 匠 で あ る 。/そ こ で夜 と昼 と を取 違 へ くいはラ た 事 に なつ た の は 今 日の 所 謂 イ ンテ リ階 級 で あ る。 云 く、 知 っ て か らで な け れ ば信 ぜ られ ぬ と。/ か く して 生 活 と学 問 、 生 活 と宗 教 とは 関係 の な い 別 々 の もの と誤 解 しそれ を 以 て 正解 とす る に至 つ た 。 /吾 々 は之 を元 に戻 す た め に骨 を をつ て ゐ るが 何 分 多 勢 に無 勢 、天 下 浴 々 た る学 者 に 対 して 吾 々 の 微 力 で は ど うに も しか た が な く、 創 価 教 育 学 を発 行 した とて 『馬 耳東 風 』。/止 む を得 ず 、 同 志諸 君 の 実 験 証 明 の力 を待 っ よ り外 に な し と あ き ら めて 著 書 をや めて この 実 験 証 明 に うつ つ た の で あ る。 これ は 『愚 人 に ほ め られ た るは 第 一 の恥 な り』 と仰 せ られ た 日蓮 大 聖 人 の 本 た うの御 弟 子 に な つ て 開 韻 され た か ら で あ る 。」 〔『全 集 ・第10巻 』、21頁 〕 『体 系 ・第5巻 』 が ま ぼ ろ し とな った の は 、 こ う した 内 在 的 な 理 由 に よ るの で は な い だ ろ う か。 強 い て 言 うと、『体 系 』(全4巻)は 、「 思 想 家 」が 「 革 命 家 」へ と飛 翔す る、 ま さに 、 そ の 途 上 の賜 物 で あ った に ちが い な い 。 にれラ 牧 口は 、『実験 証 明 』に な る と、「 宗教 革 命 を教 育者 は 先づ 以 て 断行 し、人 生 最 大 の 目的 と 之 が 達 成 法 を教 へ 、最 上 幸福 の 生 活 に導 く教 育 原 理 を確 立す べ き事 」 〔r全 集 ・第8巻 』、34頁〕 を訴 えて 、 よ りい っ そ う情 熱 を燃 や す よ うに な る。 ゆ え に 、彼 は、 お のれ 自身 の こ とを、 次 の よ う に うち明 けて い る ので あ る(17)。 「 牧 口研 究 所 長 。 地 方 の 師 範 学 校 卒 業 、(置)ち に母 校 の 訓 導 と して 単 級 教 授 の研 究 の(響}ら 理(饗)教 、地 育 の 中等 教 員 免 許 状 を得 て 、教諭 薯 力 藍 等 を 群 催 す る こ と八 年 、出 京 して 価 値 的 考 察 の『人 生 地 理 学 』 を(響)し て 非 常 な る評 判 とな り、 醤 隈 教 育 に 関す る雑 誌 の編 纂 及 び 出版 の 傍 ら、 教 育政 一70一 創価教育研 究第4号 治の改革に関係する こと八 年、文部省 に入 つては小学 地理教科 書の編纂 に従 ひ、晩年 は東京市 の小 学 校 長 た る こ と二 十 年 、隠退 後(蜜)ら 創 価教 育学 の著 述 に 従 事 す る と同 時 に 、 溝 努)宗 教 革 命 に 依 つ て 生 活 法 を 一 変 して(蚕 に 八 年 、 こ の 間1建 う 娑 の予 証 通 りの 種 々 な る 置 麗 の 競 起 に 蟹 ひ 、 大 な る 慰 撰 軽 蔑 の 的 とな り、友 人 等 の近 付 く もの も減 少 せ しが 、他 方 に は そ の 因縁 に よつ て 、意 外 な る 人 格 者 に親 近 の 機 会 を得 、 不 肖 な が らも更 正 を指 導 した 新 親 友 は 百名 に も(空)り 、 経 文 に於 け る 雛 駕藁 の 大 法 則 が 鮮 明 に見 え る に従 ひ 、(曝)む べ き低 級 邪 法 の信 者 の 生 活 を 見 る に つ け て は 、 傍 観 し て 隆 智 の罪 に 堕 す る に忍 び な い感 じを深 く し、及 ばず な が ら 自行 即 ち花 勉 の生 活 を い そ しむ の結 果 が遂 に 今 日に 至 つ た の で あ る。 初 め て 教壇 に 立 ち 、 高 等 科 の 作 文 教授 に 当 惑 した 揚 げ 句 、 文型 応用 主 義 の 方 法 に 思 ひ 付 い て 、意 外 の成 功 を 味 は つ た 四十 余 年 の 昔 を 回想 す る とき 、創 価 教 育 法 の研 究 に 因 縁 の 浅 か らざ る を感 ず る。」 〔 『全 集 ・第8巻 』、15頁 〕 3.科 学的超宗教的実験証 明 そ もそ も、 『体 系 ・第1巻 』 にお い て 、 創 価 教 育 学 は 、 「 応 用 科学 」 の1つ で あ る と位 置 づ け られ て い た。 しか も、 そ れ は 、 自然 の現 象 を対象 とす る 「純 正 科 学 」 も し くは 「自然 科 学 」 と は異 な った 、 人 間 の価 値創 造 の 活 動 を対 象 とす る 「自然 科 学 的研 究 法 を採 る精神 科 学 的応 用 科 学 」 に ほか な らな い 、 と考 え られ てい た ので あ る。 「自然 と精 神 との 区 別 に於 け る精神 現象 を 対象 とす る には 相 違 な い が 、 併 し 自己 の精 神 を 直 接 の 対 象 と して 、 体 験 に よつ て 捕 捉 し よ う とす る の で は な くて 、 教 育 作 用 の 要 素 間 に於 け る相 互 の 関 係 を 明 に し、 目的 と手 段 との 因 果 の 関 係 、若 くは 理 由 と帰 結 との 関係 を見 出 さ う とす る の で あ る が故 に 、 精 神 科 学 の 領 域 に は相 違 な い が 、 そ の研 究 の 態 度 方 法 は 自然 科 学 の そ れ と同 様 に、 帰 納 的 、経 験 科 学 的 であ るべ きは 、 屡ま饗)論 証 した 通 りで あ れ ば 、 自然 科 学 的研 究 法 を採 る精 神 科 学 的応 用科 学 とい ふ の を 至 当 とす る の で あ る 。」 〔 『全 集 ・第5巻 』、61∼62頁 〕 しか しなが ら、牧 口は 、『体 系 ・第4巻 』に な る と、そ れ まで の学 問 分 類 上 に一 大 変 革 が な さ れ ね ば な らぬ とい うこ とを、 は っ き りと意識 す る よ うに な って い た 。 この こ とは 、 同 巻 第1編 第3章 の 「 第5節 吾 人 の方 法 を裏 書 きす る フ ラ ンス の実 証 的 研 究 法 」 にお い て 、 次 の よ うに論 じ られ て い る。 「 そ れ に して も本 書 第 一 巻 を初 め て発 表 した 四年 前 に は、 未 だ 大 な る不 安 は免 れ 得 な か つ た が 、 其 後 の思 索 つ ∫け に よ つ て、 益 々 余 の 研 究 法 の 不 当で な い こ との 自信 が 強 ま り、 且 っ 当 時 は 普 通 の 応用 科 くかんがヘ ラ 学 と同様 、教 育学 もま た 基 本 科 学 が 発 見 した 原 理 を応 用 す る に よつ て 成 り立 っ もの と 考 てゐたの だ が、 今 や 一 歩 進 ん でそ の基 本 科 学 の 発 見 以 前 に 於 て 無 意 識 的 に発 明 され た 技 術 そ の もの を対 象 と し て学 者 が研 究 し、そ れ に よつ て 技 術 上 の 因 果 の 法 則 を後 か ら発 見 した もの が 即 ち 応 用 科 学 で あ る と信 ず る に至 つ た の で あ る。 恐 らくは これ は 之 れ ま で に応 用 科 学 若 しくは 規 範 科 学 な ど とい は れ て 居 た 知 識 体 系 に対 して全 く新 しい定 義 で は あ る ま いか 。 そ し て果 し て これ が 誤 りな し とせ ば 、 余 が 価 値概 念 の新 系 統 と共 に、 今 ま で の学 問分 類 上 に 一 大 変 革 を来 す も の で は な い か。」 〔 『全 集 ・第6巻 』、317∼ 318頁 〕 っ ま り、 牧 口が 言 うと ころ の 「 応用科学 」は、いわゆる 「 規 範 科 学 」 の意 義 を も包 摂 し うる よ うに な っ て い た の で あ る。 そ して 、 さ らに、 こ うした 思 索 の深 ま りは 、『梗 概 』 を経 た後 に、 よ りい っそ う拍 車 がか け ら 一71一 創 価 教 育 学 の基 礎 概 念(2)一 「 信 ・行 ・学 」 一 れ る こ とに な る。す な わ ち 、牧 口は 、『新 教 』に 掲 載 され た 論 文 「 科 学 と宗 教 との 関係 を 論 ず(下)」 (1936年6月 号)に い た る と、 「自然科 学 」 と 「 応 用 科 学 」 とい う従 来 の分 類 法 か ら、 「自然 科 学」 と 「 価 値 科 学 」 とい う新 しい 分 類 法 へ の 、根 底 的 な転 換 を うな がす よ うにな るの で あ る。 「技術 者 が研 究 体 得 の技 術 を そ の弟 子 に伝 達 す る方 法 は 、 自然 科 学 者 が なす ご とき観 察 、 思 考 な ど の認 識 法 で は な く て、 単刀 直入 、 師 匠 の 為 す こ とを 見 習 は せ 、 説 明 な どは抜 き に して 実 行 せ し め て 、 に ごラ 後 か らそ の 説 明 を な す の で は な い か。 是 に於 て か 、研 究 対 象 を捕 捉 す る上 に於 て 、科 学 があ りの ま} の 自然現 象 を対象 とす る 自然 科 学 と、芸 術 生 産 な どの価 値 現 象 を対 象 とす る 価値 科 学 との二 種 の 区別 が な され る こ との認 容 が 必 要 で あ る 。/自 然 科 学 の成 果 た る 存在 に 関す る真 理 は 、帰 納 推 理 の方 法 に よつ て 個 々 の 現象 に 就 て観 察 した もの ン統 合 され た もの の抽 象 概 念 で あれ ば 、反 対 に これ を具 体 化 す くかラ る こ と に よっ てか 、 も し くは 再 び 同 一 の も の を繰 り 返 へ す こ と に よつ て真 偽 の検 討 をなす こ と が 出 来 るが 、 価 値 科 学 の 対象 た る 価値 の説 明、 即 ち 主観 と対 象 との 関係 に 就 て の 真理 の説 明 は、 元 来 体 験 の 結 果 に属 す る も の で あ つ て 、 自然 科 学 の 認 識 に 基 づ い た 真 理 とは全 く趣 を 異 に す る もの で あれ ば 、 そ の検 討 に 当 つ て 、 自然 科 学 の 方 法 を適 用 す る こ とは 全 くお 附 竃 ひ とい は ね ば な らぬ 。1〔『全 集 ・ 第9巻 』、82∼83頁 〕 とこ ろで 、創 価 教 育 学 に固 有 な 方 法原 理 を端 的 に表 明 して い る ター ム は 何 か 。 そ れ は 、 お の ず と、「実験 証 明 」に 求 め られ る よ うに思 われ る 。な ぜ か と言 う と、そ れ は 、牧 口教 育 学 の 実 証 主 義 的 性 格 を 、 もの の 見 事 に反 映 してい るか らで あ る(18)。 牧 口は 、『体 系 ・第1巻 』 の なか で 、 「教 育 学 の研 究 法 」 につ い て 論 じる際 に、 「学 問発 達 の過 程 を大 観 す る と、 科 学 はい つ も実 際 経 験 の後 か ら発 達 す る」 〔 『全集 ・第5巻 』、68頁〕 の だ か ら、 「 科 学 は生 活 よ り出発 す る も ので あ り、 生 活 の事 実 の観 察 、考 究 の 上 に組 織 さ るべ き も の で あ る」 〔 『全集 ・第5巻 』、71頁〕 とい う こ とを 、幾 度 も繰 り返 し主 張 す る。 そ して 、彼 は 、 日常 の 教 育生 活 にお け る成 功 ・失 敗 の事 実 か ら帰 納 してい く とい うよ うな、 自然 科 学 の 方 法 に も とつ く 経 験 科 学 的 な考 察 を 、み ず か らの 方法 とす る の で あ る。 「 教 育 の 対象 は児 童 で あ る が、 教 育 学 の 研 究 対 象 は、 教 育 活 動 の 事 実 で あ る。 教 育 事 実 の 客 観 的 観 察 に よつて、捕捉 した教育方法 の観念 之を比較 し船 し抽象 して善 蔽 塑 を備一 る鵬 に達 し、 更 に これ を具 体 的 事 実 に適 用 して 果 して そ れ が 普 遍 の真 理 で あ るか 否 か を実 験 し、 そ の証 明 を 経 て、 初 め て 正確 な る抽 象 概 念 即 ち法 則 とな る の で あ る。 斯 様 の手 続 を経 て一 人 が確 立 した 法 則 は 、 同一 の 条 件 な らば 、何 人 がや つ て も必 ず 、 同様 の 成 果 をか ち得 べ し といふ 信 念 を得 る こ と 』な る。 故 に教 育 の 事 実 を 正 視 し、 麗 窺 し、 精 察 し、 之 を統 覚 して 一 大 真 理 に到 達 す るの が 教 育 学 の 所 期 す る も の で あ る 。/人 間社 会 に行 はれ る教 育 現 象 を 、平 面 的 に空 間 的 に綜 合 し、統 観 し、分析 し、比 較 し、 藁iる 贔 し、 統 合 し て 、個 性 的将 た特 殊 的 事 実 を普 遍 化 し、概 念 化 し、 以 て 知 識 の一 大 系 統 に 到 達 した の が 、 教 育 学 の 科 学 的研 究 の 成 果 で あ る。/等 しく教 育 家 の仕 事 に して も、成 功せ る も の と、失 敗 せ る も の が あ る。 其 の 成 功 した の は 何故 か、 失 敗 した の は如 何 。 教 育 学 の多 数 は何 故 に、 如 何 な る人 の、 如 何 な る方 法 を歓 迎 し、 そ れ に信 服 し、 之 を尊 敬 す る か と。 斯 の 如 くの観 察 に よ つ て得 た概 念 で は、 尚 ほ 満 足 が 出来 な い とな して 、 更 に 何 人 が や つ て も成 功 す るか 否 か と、 実 験 証 明 を して 初 めて 信 用 す る。 然 し これ 丈 で はま だ そ の 真 理 を一 般 人 に 承認 せ し める 丈 の 価 値 が 足 らな い か ら、 そ こ で今 一 方 面 か ら そ の 真 理 が 動 か す べ か ら ざ る価 値 あ りや否 や を 論 証 す る。 これ に は進 化 論 的 考察 が 最 も よ い方 法 で あ る。 即 ち 昔 か ら或 る問 題 に対 して社 会 の 人 心 が 如 何 に 進 行 して 来 た か 、 現 代 は 如 何。 然 して 将来 如 何 な る方 向 に進 み 、如 何 な る到 達 点 に帰 す るか を判 定 す る の方 法 に よ るべ き で あ る。」〔 『全 集 ・第5巻 』、 69∼70頁 〕 一72一 創価教育研究第4号 現 に 、 牧 口は 、 『体 系 ・第4巻 』 の なか で も 、 「科 学 的 教 育 学 」 が建 設 され ね ば な らぬ 必 要 性 を力 説 す る。 く あ きらか 「 若 しも教 育 学 の研 究 対 象 の 中 核 が方 法 に あ つ て 、 此 が教 師 の 焦 眉 の急 で あ る こ とが 明 に なっ た な らば 、 それ を得 る手 段 と して は 、教 育 の本 質 の認 識 を人 間 の 本質 か ら演 繹 して、 然 る後 に方 法 観 を更 に それ か ら探 索 せ ん とす る蓬 蕗 を辿 る よ りは 、今 少 し 窪 催 が あ りは しま いか と、 考 へ 直 す 必 要 が な い で あ ら うか。 果 して然 らば そ の捷 径 は総 て の 自然 科 学 の経 過 して来 た 路 を外 に して何 が あ るか 。 く わ ざわ ざラ 而 して 之 を よそ に 見 て 態 々 他 に求 め ん とす る何 の理 由 が あ る か。」 〔 『全 集 ・第6巻 』、307∼308頁 〕 そ して 、彼 は 、「自然 科 学 的 の研 究 法 を以 て 、言 行 に表 は れ た 教 師 の 動 と生徒 の反 動 とを 客観 し 主観 し、 そ れ に よっ て 心 の働 き を推 究 す る方 法 を採 る こ と」 〔 『全集 ・第6巻 』、313頁〕 が不 可 欠 で あ る、 と主 張す る ので あ る。 「教 育学 者 の研 究 以前 、 と うの昔 か ら人 類 のや つ て来 た教 育技 術 が有 り、 そ の技 術 の伝 統 は 即 ち人 類 の 有 史 以 前 か らの 経験 的知 識 の 累積 に 外 な らぬ こ とは 、他 の諸 方 面 の それ と同様 で あ るか ら、 それ を吾 々 の研 究 対象 とな し、そ れ を 直観 し記 述 した材 料 を蒐 集 し、 それ を 比較 し対 照 して、 分 析 し綜 合 し、 学 習 成 績 の 良好 とい ふ 結 果 を(饗)し だ 教 育 方 法 の 成 功 とい ふ 原 因 を見 出 し、 以 て 目的 と手 段 と の相 応 に於 て 教 育 上 の 因 果法 則 を認 識 して、 之 を新 な る揚 合 に応 用す る原 則 となす こ とが 即 ち それ で あ つ て、 余 が 本 書 の体 系 に於 て 採 つ て居 る所 であ る。」 〔 『全 集 ・第6巻 』、314頁 〕 要 す る に 、 牧 口は 、 「帰納 的研 究 法 に よっ て 新 しい 教 育 学 体 系 を提 唱 した 」 〔 『 全集 ・第6巻 』、 316頁〕の で あ る(19)。それ も 、 「思 ひ切 っ て 高 遠 な る概 念 哲 学 の思 索 か ら解 脱 し、浅 薄 に して卑 近 な る教 育 技 術 の 日常 経 験 の帰 納 か ら教 育 学 の新 体 系 を組 織せ ん と した 」 〔 『全集 ・第6巻 』、317 頁〕 とい うの が 、 いっ わ らざ る とこ ろな の で あ る(20)。 ところ が 、『梗 概 』 の 「 結 語 」 に お い て 、南 無妙 法 蓮 華経 と創 価 教 育 学 との 関係 性 が 明確 に認 識 せ られ る と、そ れ 以 後 は、 「 応 用 科 学 」 よ り もむ し ろ 「 価 値 科 学 」が 前 面 に押 し出 され 、 それ ま で とは ま っ た く異 な っ た研 究 の 方 法 が提 起 され る こ とに な る。す な わ ち 、 師 匠 と して敬 愛 し うる よ うな 正 しい 人 物 の 言説 を信 じ、 そ の 人 が 教 え て くれ て い る通 りに 生活 の な か で 実践 して み て 、そ の後 に、みず か らの体 験 を的 確 に省 み な が ら、価 値 の有 無 を証 明 す る とい う、 「 一信 二 行 三 学 」 の 新 しい 「実験 証 明」 の手 法 が 、 そ れ な の で あ る(21)。 か く して 、 創 価 教 育 学 は 、 日蓮 大 聖 人 の 仏 法 を根 本 とす る こ とに よ り、学 問 それ 自体 の性 質 を も大 き く発 達 させ る こ とに な っ た。そ して 、「自然 科 学 」の 「 智 解 法 」は 、必 然 的 な か た ち で 、 「 価値科学」の 「 信 解 法 」 に 、取 って 代 わ られ る よ うにな る(22)。 「自然 科 学 が 自然 現象 を 客観 す る 如 き態 度 に於 て は 、技 術 芸 術 の本 質 の把 握 は とて もで き る も ので な い が 、 信 行 の 体 験 に よつ て造 化 の 不 思 議 な力 に 匹敵 す べ き 、 人 力 と 自然 力 との合 致 した 結 果 、 即 ち 縮1貿 容 の結 果か ら不 思議 の力 の存在 が解 る と同様、宗教 に於 ても先覚者 が体験か ら感得 した とい ふ 力 の あ る こ と を、 そ の 指導 を信 じて実 行す る こ とに よつ て 、 体 験す る こ とが 出 来 る と とも に 、 こ の 因 果 の 法 則 に 生 活 を順応 す るが為 に 、 これ を 生活 に利 用 す る こ とに よつ て 、恰 も技 術 芸 術 の 結 果 の如 く生 活 に役 立 て る事 が 出 来 る こ と も解 る で あ ら う。/『 行 学 の 二 道 を は げみ 候 べ し。 行 学 た へ な ば仏 法 あ るべ か らず 。 我 もい た し、 人 を も教 化 候 へ 。 行 学 は 信 心 よ りを こ る べ く候 。』/と の 目蓮 大 聖 人 くえうた いラ の 仰 せ は仏 法 修 行 の 要 諦 を御 教 示 に な つ た も の で あ る が 、 これ は 凡 て の技 術 芸 術 の 修 学 法 に通 ず る 一73一 創 価 教 育 学 の基 礎 概 念(2)一 「 信 ・行 ・学 」一 もの で 、 即 ち 価 値 科 学 が 使 命 と して 狙 ふ 所 で あ る。 之 は 自然 科 学 の 観 察 的 認 識 の方 法 で は到 底 対 象 を 了 解 す るこ との 出来 な い 所 で あ る。」 〔 『全 集 ・第9巻 』、86頁 〕 「 信 解 法 」(一 信 二行 三 学)は 、 「 妙 法 」 とい う 「 絶 対 的 な真 理 」 を基 盤 に した も の に ほ か な らな い。 そ れ は 、い わ ば、 相 対 的 な意 味 で の善 悪 の基 準 を超 越 して い る わ け で あ る。 そ の考 察 の射 程 は 、宗 教 を も含 む 、 社 会 の なか のす べ て の生 活 に及 ぶ こ とに な る。 煎 じ詰 め る と、 これ こそ 、 ま さ し く、 あ らゆ る人 間 行 動 に あて は ま る 、 「 科 学 的 」 か っ 「超 宗 教 的 」 な 「 実験 証 明 」 の方 法 な の で あ る。 それ ゆ え 、牧 口が 、 『実 験 証 明 』 の 冒頭 で 、 「 創 価 教 育 学 の価 値 が 、六 名 の青 年 教 師の 一 年 間 の実 験 に よっ て 、 と もか く も証 明 され る に 至 りま した 。」 〔 『全集 ・第8巻 』、5頁 〕 と述 べ て い る の に は 、 二重 の意 味 が 含 ま れ て い る よ うに 思 わ れ る。 まず 第1に 、そ の試 み は 、 「 教 育 の 三 大要 素 」=「 信 ・行 ・学 」 をふ ま え な が ら展 開 され て い る とい うこ と。 そ して 、第2に 、そ の実 験 が 、具 体的 に は 、 「 一 信 二 行 三 学 」 の プ ロセ ス に則 っ て お こな わ れ た も ので あ る とい うこ と。 以 上 の2点 で あ る に ち が い な い。 した が っ て 、『実験 証 明 』は 、創 価 教 育 学 の 最後 の 著 作 で あ る と と もに 、そ の最 高 峰 に位 置 づ け られ て しか るべ き もの で あ る だ ろ う。 そ して 、 この こ とは 、原 著 者 自身 の 次 の よ うな証 言 に よっ て 、 た しか な も の に な る はず な ので あ る。 「 純 真 正 直 な る 青年 教 育者 が 安心 して信 仰 し、 先 づ 以 て一 家親 族 等 の宗 教 革 命 を 断行 して 、道 徳 生 活 の 確 立 を体 験 し、 之 に 基 づ い て 児 童 教 育 の 実 験 証 明 を、 斯 くま で に実 行 した の で あ り、… 議論 よ りは 証 拠 が 、斯 くも 密 う1募)の 両 方 か ら立 派 に 撃 》つ て居 る以 上 は、最 早 疑 ひ を一 掃 して お い て 、正 し く認 識 す べ き で あ ら う。」 〔『全 集 ・第8巻 』、87∼88頁 〕 おわ りに 牧 口教 育 学 には 、 ま った く性 質 を異 にす る2つ の側 面 が そ な わ っ て い る よ うに 思 われ る。 そ れ らは、お そ ら く、「 創 価 」 の教 育 学 と 「 創 価 教 育 」 の 学 、 とい うふ うに表 現す る こ とが で き る だ ろ う。 一 方 にお いて 、 「 創 価 」 の教 育 学 は 、価 値 創 造 力 を酒 養 し うる普 遍 的 な方 法 を 、 「科 学 的 」 に 探 究 してい くこ とを 目的 とす る。 これ は、 教 育 方 法 に関 す る一 定 不 変 の真 理 を希 求 す る とい う 意 味 で 、い わ ば 「 研 究 の過 程 」 に ほ か な らない 。 他 方 にお い て 、 「 創 価 教 育」 の学 は 、価 値 創 造 の教 育 を 、 「 科 学 的 超 宗 教 的 」 に検 証 して い く こ とを 目的 とす る。 これ は 、い わ ば 「 生 活 に実 現 の過 程 」 を とお して 建 設 され る も のな の で あ る。 牧 口は 、 前者 か ら後 者 へ の飛 翔 ・飛 躍 を見 事 に成 し遂 げ て見 せ て くれ て い る。 そ のた め の条 件 が 、 目蓮 大聖 人 の仏 法 を根 幹 とす る 「 信 ・行 ・学 」 の3要 素 な の で あ り、原 動 力 とな っ た の は、 「 一信 二行 三学 」 とい う 「 価 値 科 学 」 の 特 異 な 方 法原 理 で あ っ た わ け で あ る。 か く して 、今 や 、「 信 ・行 ・学 」 は 、教 育 生 活 のみ な らず 、創 価活 動 の 全 般 に あ て は ま る 、 「 創 価 人 問学 」 のパ ラ ダイ ム と して と らえ られ る こ とに な る。 しか も 、 それ は 、無 限 の発 達 可 能 性 を体 して い る 、 と言 え るだ ろ う。 一74一 創 価教育研究第4号 「 南無 妙 法 蓮 華 経 」 の信 心 人間の創価活動 における3要 素 { 価値 創 造 法 の 実 習 お よび 熟練 創 価 ○ ○学(方 法原 理 は 「 一 信 二 行 三 学 」) わ た した ち に は 、 そ れ ぞ れ の 立 場 で 、 さま ざま の 生 活課 題 に 自分 ら し く挑 戦 しゆ く こ とが 、 み ず か らの使 命 と して課 せ られ て い る の で あ る。 (注) (1)『 新 教 』 は 、1932年12月 ご ろ に創 刊 され た 『新 教 材 集 録 』 を改 題 した もの で あ り、 た とえ ば1936年3 月 号 の表 紙 に は 、 「 教 育革 命 」 と 「 宗 教革 命 」 とい うス ロ ー ガ ン が大 き く記載 され て い る。 な お、 『新 教 』 は 、1936年7月 号 か ら 『教 育 改 造 』 と改 題 され て い る が、 そ れ は 、 同 年秋 ごろ に廃 刊 に な った よ うで あ る。 〔cf,『 全 集 ・第10巻 』、186・219頁 〕 (2).『 大 系概 論 』 の 目次 〔 『全 集 ・第8巻 』、159頁 〕 に は、 い くつ か の 不 自然 な 点 が 見 受 け られ る。 まず 第1に 、標 題 が 「 創 価 教 育 学 概 論 」 とな っ て い る こ と。 これ は、厳 密 に言 え ば、 「 創 価 教 育学 大 系概 論 」 と表 記 す る の が正 確 で あ る だ ろ う。 しか し、 こ こ では 、 牧 口教 育 学 の 全 体 構想 が 明 か され て い る と考 え るな ら、そ れ を誤 記 ・誤 植 で あ る と見 な す 必 要 は な い よ うに 思 わ れ る 。ま た 、第2に 「 第5巻 、途 中 で突 然 、 道 徳 教 育 の研 究 」 とな っ て い る こ と。 この よ うな 目次 の構 成 は 、 とま どい を もた らす こ と に も な りか ね な い。 けれ ど も、 これ は 、 表 示 の 仕 方 に不 備 が あ る た め で あ り、 実 際 に は 、 第1編 か ら 第7編 ま でで4巻 分 が 出来 上 が る こ と を知 っ た な ら、 そ れ な りに筋 が とお っ て い る こ とが わ か るだ ろ う。(以 上 、 いず れ も、 『全集 ・第8巻 』 の脚 注 に よ る もの で あ る。) な お 、『大 系概 論 』 には 、末 章 と して 、 わず か1頁 分 で は あ る が 、学 問 的 な方 法 論 に 関す る 「 真理の 批 判 に就 て」 が付 け加 え られ て い る。 ち な み に 、『大 系概 論 』 と 『体 系』(全4巻)と 雑誌 『 新 進 教材 の 中 間 に位 置 づ け られ る 『創 価 教 育 学 緒 論 』(こ れ は 、 環 境 』1930年11月 号 の 「 創 価 教 育学 号 」に紹 介 特 集 記 事 と して掲 載 され た もの 。)は、 以 下 の よ うな 構 成 に な っ て い る。 第1編 教育学組織論 各 第2編 教育 目的論 第5巻 道徳教育の研究 第3編 価値 体系論 第6巻 綴方教導の研究 第4編 教育機 関改造論 第7巻 読 方 ・書 方 教 導 の研 究 第5編 教育制度改造論 第8巻 地 理 の教 授 の研 究 第6編 教育材料論 第9巻 郷土科の研究 第7編 教育方法改造論 第10巻 算 術 科 教 導 の研 究 第11巻 理 科 教 導 の研 究 第12巻 歴 史 科 教 導 の研 究」 論 〔cf,『 全 集 ・第8巻 』、361∼376頁 〕 『創 価 教 育 学 緒 論 』 は 、原 著 者 自身 の叙 述 に よ る もの で は な い が 、 何 らか の か た ち で 監 修 を経 て い る こ とは 、 容 易 に 推 察 し うる は ず で あ る。 そ して、 これ 以 降 、 「 創 価 教 育学 体 系 」 の 全 体 構 成 に 関 して は、 「 総論」 と 「 各 論 」 が 判 然 と区別 され る よ うに な るの で あ る。 (3)こ れ は 、『体 系 ・第1巻 』 の 前 付 け に掲 げ られ た 、一 種 の刊 行 予 告 に ほ か な らな い。 そ して、 当初 の 構 想 と比 較 対 照 して み る と、 少 しず っ 修 正 ・変 更 が 加 え られ て い る こ とが わ か っ て くる。 牧 口教 育 学 の 最 高 最 大 の 特 質 は 、い っ ま で も、ど こま で も、どん どん発 達 して い っ た こ とに あ るだ ろ う。〔cf,『全 集 ・第8巻 』、199∼200頁 〕 (4)こ の 間 の 事 情 に つ い て は 、『梗 概 』 の 「 結 語=法 華 経 と創 価 教 育(著 者 の辞)」 の 冒 頭 部 分 〔 『全 集 ・ 一75一 創 価 教 育 学 の 基礎 概 念(2)一 「 信 ・行 ・学 」一 第8巻 』、405∼406頁 〕 を、 ぜ ひ とも参 照 して いた だ きた い 。 (5)「 依 法 不 依 人」(浬 葉 経 に説 かれ た 「 法 四依 」 の第1)の 初 出 は 、『大 系 概 論 』 に ほか な ら ない 。 しか も、 そ れ は 、 「 無 慈詐 親 是 彼 怨 也 」 と 「 為 彼 除 悪 是 彼 親 也 」(い ず れ も、 章 安 の浬 繋 経 疏 の 文)と とも に、 創 価 教 育 学 の全 体 を貫 く3大 統 一 テ ー マ で あ るか の よ うに 、『大 系 概 論 』 の 目次 の 次 頁 に 掲 げ ら れ てい るの で あ る。 〔cf,『 全集 ・第8巻 』、160頁 〕 さ らに、 注 の(7)を 参 照 の こ と。 (6)cf,『 全 集 ・第5巻 』、274頁 。 こ の点 につ い て、 詳 しく は 、古 川 敦 「 創 価 教 育 学 の 基 礎 概 念(1) 一 『真 理 の認 識 』 と 『価 値 の 創 造 』 一 」 〔 『創 価 教 育 学 研 究 ・第3号 』2003年3A、33∼50頁 〕の なか の、 と くに第2節 (7)そ を参 照 して い た だ きた い 。 れ ぞ れ の語 句 につ い て 、 『体 系 ・第2巻 』 以 降 の使 用 頻 度 は 、 次 の とお りで あ る。 「 依 法 不 依 人 」は 、第2巻 で は4回 〔 『全 集 ・第5巻 』、361・363・369・370頁 〕、第3巻 で は2回 〔 『全 集 ・第6巻 』、137・173頁 〕。 「 慈 無 く して詐 り親 む は是 れ彼 が 怨 な り。彼 が為 に悪 を 除 くは是 れ 彼 が 親 な り。」 とい う対 句 につ い て は 、第2巻 た 、 第3巻 と第4巻 の 「 開 目抄 」 引用 文 中 に お い て 〔 『全 集 ・第5巻 』、371頁 〕、 ま とで そ れ ぞれ1回 ず つ(表 記 の 仕 方 に は 、若 干 の 異 同 が あ る)〔 『全 集 ・第6巻 』、 70・291頁 〕。 さ ら に、 第4巻 で は 、 「 彼 が為 に悪 を 除 く は即 ち是 れ 彼 が親 な り」 だ けが 、 単 独 で1回 使 用 され て い る 〔 『全 集 ・第6巻 』、346頁 〕。 (8)『 体 系 ・第3巻 』 にお け る 「 立 正 安 国論 」 は 、実 際 に は 、三 谷 素 啓 師 釈 『立 正 安 国 論 精 釈 』 か らの も ので あ る。 そ して 、案 外 に も、『体 系 ・第4巻 』 の なか で は、 日蓮 大 聖 人 の 著 作 か らの 引 用 は見 あ た ら ない 。' ただ し、『体 系 ・第2巻 』 で は浬 葉 経 か らの 引用 〔 『全 集 ・第5巻 』、361頁 〕 が あ り、『体 系 ・第4巻 』 では 「 法 華 経 方便 品第 二 」 か らの長 文 の 引用 〔 『全集 ・第6巻 』、467∼468頁 〕 がな され て い る。 (9)も ち ろ ん、 これ らは 、 あ くま で も代表 的 な も の に ほ か な らな い。 そ して 、 『体 系 ・第3巻 』 にお いて は、「 教 育 も終 局 に於 て は 最 高 な る宗 教 の 力 に基 づ か ね ば な らぬ の で あ ら う」 〔 『全 集 ・第6巻 』、35頁 〕 との文 言 が うか が え る よ うに な る。 な お 、『体 系 ・第4巻 』 に登 場 す る 「 生命 とい ふ無 上 宝珠 」 は 、文 脈 か ら言 え ぱ、 具 体 的 には 、子 ど もた ち の こ とを指 して い る の で あ る。 (10)引 用 文 中 冒頭 の 「 是 等の大部分」の 「 是 等 」 とは 、 お そ ら く、 そ の直 前 に示 唆 され て い るい くつ か の課 題 、 す な わ ち 、新 しい 教 導 毅 階 論 や 宗 教 教 育 問 題 、 学 級 経 営 論 や 学 校 統 督 論 、 そ して 、 さ らに 、 「 教 師 が 自 己 の職 業 を指 導 す る法 則 が、直 ち に子 弟 の 学 習 指 導 の 原 則 とな る こ と」、な どな どで あ る よ うに思 わ れ る。 〔cf.『 全 集 ・第6巻 』、469∼471頁 〕 (11)『 体 系 ・第4巻 』 の巻 末 に は 、既 刊 の3巻 分 の 章 立 て も掲 載 され て い る。 そ して、 と くに 刮 目す べ き は 、第2巻 の表 題 が 「 教 育 原 理 と して の価 値 論 」 とな っ てい る こ とで は な いだ ろ うか 。 (12)『 体 系 ・第5巻 』 の概 要 は 、牧 口 自身 が著 した も ので は な く、 「〔 創 価 教 育 〕 学会 編 輯 部 摘 要 」 と な っ て い る。 そ して、『梗 概 』 の な か で は、 創 価 教 育 学 の総 論 と各 論 が 、次 の よ うに再 構 成 され てい るの で あ る。 〔cf.『 全 集 ・第8巻 』、391∼404頁 〕 総論 教 育 学組 織 論(第1巻) 教 育 目的論 教 育 の 原 理 と して の価 値 論(第2巻) 教 育 の政 策 的 方 法論(第3巻) 教 育 の技 術 的 方 法論(第4巻) 学 習指 導 即 教 導 論(第5巻) 各論 道 徳教 育 の研 究 綴 方 教導 の研 究 一76一 創価教育研究第4号 読 方 教 導 の研 究 ・書 方教 導 の研 究 地 理教 授 の研 究 郷 土科 の研 究 算術 教 導 の 研 究 理科 教 導 の研 究 歴 史 科 教 導 の研 究 ち なみ に ・『梗概 』 の 「結語 」 に は 、 や は り、 「 詳 細 は創 価 教 育 学第 五 巻 の評 価 及 び認 識 の 指 導 の章 に譲 るこ と)・ ・ す る。」 〔 『全集 ・第8巻 』、417頁 〕、 とい う論 述 が あ る。 (13)こ こで は 、 「 創 価 教 育学 の知 識 体 系 」 が 、 仏 典 を三 段 に 分 け て解 釈 す る方 法 に した が っ て 、 「 序分 ・ 正 宗 分 ・流 通 分 」 とい うふ うに構 造 化 され て い る。 そ して 、 「 序 分 」 は趣 旨 ・由来 を説 く部 分 、 「 正宗 分 」 は 中心 とな る本論 の部 分 、 「 流 通分 」 は後 世 に流 通 させ る た め に説 か れ る部 分 に相 当 す る 。 ま た 、『実 験 証 明 』の な か で も、 「 そ れ は 拙 著 『創 価 教 育 学 体 系 』第 五 巻 に譲 る こ と ㌧な し」 〔 『全 集 ・ 第8巻 』、47頁 〕、 とい う文 言 が 見受 け られ る。 (14)た だ し、 『新 教 』 の 昭和11年3月 号 ∼6月 号 お よび 『教 育 改 造 』 同 年7月 号 に連 載 され た 「 教 育 の態 度 を論 ず(教 育 態 度 論)」 〔 『全 集 ・第9巻 』、8∼51頁 〕 は、 お そ ら く、『体 系 ・第5巻 』 の 一 部 分 に相 当す るで あ ろ う、 と推 察 され る も ので あ る。 (15)『 全 集 』 の な か で 、 「 教 育革 命 」 ・「宗 教 革 命 」 とい う2っ の キ ー ・ワ ー ドが そ ろ っ て使 用 され て い る の は 、 ここ の部 分 だ け で あ る。 なお 、 そ れ ぞれ の 出処 は次 の とお りで あ る 。 た だ し、 あ くま で も、 す で に発 見 ・収 録 され た もの に 限 られ て い る。 「 教 育 革 命 」 は3箇 所 。 〔cf,『 全 集 ・第9巻 』、60・61・114頁 〕。 「 宗 教 革 命 」 は10箇 所 。 〔cf.『 全 集 ・第8巻 』、13・15・29・34・88頁 〔cf・ 『全集 ・第9巻 』、5・6・60・61頁 〕、 〕、 〔cf,『 全 集 ・第10巻 』、23頁 〕 。 (16)実 は 、 引 用 文 以 下、 次 の よ うな文 言 が つ づ い て い る。 「 そ れ で もや つ ば り愚 人 に ほ め られ た さ の名 誉 心 が こび りつ い て 居 た た め に 大衆 に 呼 び か け て居 た の だ が 、 これ も思 ひ違 ひ で 、 少 数 の 同 志 を見 出す 外 に方 法 が な い とい ふ こ とが失 敗 して 見 て 初 め て 悟 る こ とが 出 来 た の で あ る。 馬 鹿 の知 恵 は後 か ら と いふ の は た しか に真 理 で あ る。」 〔 『全 集 ・第10 巻 』、21頁 〕 ち な み に 、 引用 文 中 に お け る 日蓮 大 聖 人 の御 文 は、 「 開 目抄 」 か ら の もの で あ る。 (17)引 用 文 中 冒頭 の 「 牧 口研 究 所 長 」 とは 、 牧 口 自身 が 「 創 価 教 育 学 研 究 所 」 の 所 長 で あ っ た こ と を意 味 して い る。 ま た 、文 中 に、 「 偶 々宗 教革 命 に依 つ て 生活 法 を 一 変 して 菰 に八 年」 と ある の は 、ぜ ひ と も 留意 す べ き で あ る よ うに 思 わ れ る。 な ぜ か と言 え ば、 『実 験 証 明』(昭 和12年9月)の る と、 牧 口が 日蓮 仏 法 に 本 格 的 に帰 依 した 時 期 は1929年(昭 和4年)で 発 刊 か ら8年 を遡 っ てみ あ る 、 とい うこ とに な るか ら だ。 しか も、 この こ とは 、 『新 教 』(1936年4月 号)の なか に見 出 し うる 次 の よ うな 文言 の た しか ら しさ を、 しっか りとサ ポー トす る も の で あ る にち が い な い。 「 吾 々 の 宗 教 革命 団 体 の 起原 は 昭 和 四年 春 、 創 価 教 育 学 体 系 の第 一巻 の 起稿 以前 に あ る。 爾 来 六 年 余 の星 霜 を重 ね る に至 り、 最 初 は牧 口研 究 所 長 一 人 の 物 数 奇 な気 違 ひ じみ た 言 説 と して驚 異 の 目を み は る の み で 、一 顧 の 耳 を傾 け る もの さへ もな か つ た も の \如 く で あっ た が、 先 づ 常 務 理事 戸 田城 外 氏 が共 鳴 し次 に渡 辺 力 、 山 田 高正 の 両氏 も加 は り、創 価 教 育 学 の研 究 所 の 学 生 と共 に、 さ 』や か な 宗 教 革 命 生 活 の 道 揚 の 出現 を 見 る に 至 つ た … 」 〔cf,宮 田幸 一 「 改 題 」、『全集 ・第9巻 』所 収 、 351頁 〕 (18)「 実 験 証 明 」 とい う用 語 が 登 揚 す る の は、 『体 系 ・第1巻 』 第1編 第4章 一77一 にお い て で あ る 〔cf,『 全 創 価教 育 学 の基 礎 概 念(2)一 「 信 ・行 ・学 」一 集 ・第5巻 』、70頁 〕 が 、 そ の こ とに 関 して は 、 まず もっ て 、 『大 系 概 論 』 の 末 章 に あ た る 「 真理の批 判 に 就 て 」 の な か で 、 以 下 の よ うに論 じ られ て い る。 しか も、 そ こで の考 察 は 、 よ りい っ そ う構 造 化 され た か た ち で も っ て、 第1編 第4章 〔cf,『 全 集 ・第5巻 』、73∼74頁 〕 の な か に 再 録 され て い る の で あ る。 「 真 理 の発 見 が如 何 に小 さ く とも 、 之 れ が 以 前 に発 見 され て居 た な らば これ を知 つ て居 る誰 か ゴ既 に存 在 してそ の正 否 を批 評 す るか ら承 認 され る の に 困難 は な い が、 全 くの 新 発 見 で あ る場 合 に は この 世 界 に於 て これ を知 つ て ゐ る もの は そ の人 以 外 に は絶 無 で、 これ を批 判 す べ き能 力 は無 い筈 で あ る。 こ の場 合 に こ の真 理 が 認 容 され る に は 之 を理 解 す るカ あ る も の が 、 そ の 発 見 と同 じ経 路 を再 び 繰 り返 し て見 、 即 ち実 験 して 見 て 、 そ こに 同様 の結 果 が生 じた こ とを確 か めて 、 之 を 証 明 す る(罧)途 が な い の で あ る。/あ の メ ン デル の 法 則 の 如 き 、 当 時 の学 者 社 会 に 一 笑 に葬 られ ゐ た くたまたまラ の が 、 偶 々 同様 実 験 を試 み た もの が 出 て来 た為 に 百 余 年 の後 に至 つ て漸 く社 会 に承 認 され る 様 にな っ た の はそ の 一 例 で あ る。」 〔 『全 集 ・第8巻 』、198頁 〕 (19)た だ し、 こ の こ とは、 教 育 方 法 論 の研 究 に限 定 され る わ け で あ り、 教 育 目的 論 は現 象 学 的 方 法 に よ るべ き で は な いか 、 と され てい る。 〔cf,『 全集 ・第6巻 』、318頁 〕 なお 、 次 の よ うな、 「 書 物 に た よる依 頼 心 を思 い 切 っ て 批 棄 せ よ。」 との 警 告 は 、 ぜ ひ と も傾 聴 す べ きで あ る だ ろ う。 「 哲 学 や 心 理 学 や 、そ の他 の基 礎 学 か ら机 上 の空 論 に よつ て 引 き 出 さ う と して居 た昔 の 態 度 を改 め、 学 問 よ りは遥 に 進 歩 して 居 る教 育 技 術 を研 究 対 象 と し て 直観 す る とい ふ 応 用 科 学 の 一 種 で 教 育 学 が あ る と いふ 吾 人 の 主 張 が真 理 で あ る な らば 、 そ れ に 問題 はな い 筈 で あ ら う。」 〔 『全 集 ・第6巻 』、 331頁 〕 (20)こ う した 文 言 は 、篠 原 助 市(東 京 文 理 科 大 学 教授 、文 学 博 士)が 、『創 価 教 育 学 体 系 』 に っ い て 、 「 立 派 な 博 士 論 文 とす る に足 る、 惜 しい こ とに 見 識 が 浅 い 云 々 」 〔 『全 集 ・第6巻 』、317頁 〕 とコ メ ン トし た との 風評 に対 して 、 教 育実 際 家 の 側 か らの誇 り高 き反 論 をな した も の にほ か な らない 。 (21)「 一 信 二行 三 学」 は、 「 妙 法 」 を根 本 とす る 「 宗 教 研 究 法 」 の研 鎖 に よ って もた ら され た もの な の で あ る。 〔cf.『 全 集 ・第8巻 』、74∼75頁 〕 (22)cf,『 全 集 ・第9巻 』、91頁 。 「 智解法 」か ら 「 信 解 法 」 へ の脱 皮 は、 そ れ ま で の 「 価 値 現 象 の認 識 法 」 が誤 っ て いた とい うこ とが、 判 然 と した か らに ほか な らな い。 〔cf.『 全 集 ・第8巻 』、9頁 〕 ち なみ に、 引 用 文 中 の御 文 は 、 「 諸 法 実 相 抄 」 か らの もの で あ る。 〈付 記 〉 文 中の 『全 集 』 とは 、す べ て、 『牧 口常 三郎 全 集 』(全10巻 、 第 三文 明社)の こ とであ る。 一78一
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