介護新聞連載 第4回 PDFはこちらから

2016年(平成28 年)5月26日
当事者の能力を信じてかかわる
っかけ」
や
「手がかり」
が大事で
す。しかし、
運転に限らず、
「き
っかけ」
も
「手がかり」
も自分か
ら得るものですから、
私たちが
行うケアという当事者への関わ
りは、
当事者が動作するための
「きっかけ」
として、
「 手がかり」
として使ってい
ただく視点が重要となります。
(
熊本県水俣市において2015年9月から3回
にわたり、
「 動き出しは当事者から」
をテーマと
した連続講座を開催することができました。会
場の都合もあって定員70人とし、
熊本県を中心
に九州各地の事業所・施設に参加していただき
ました。開催ごとに2カ月間、
「動き出しは当事
者から」
を実践する期間を設け、
連続講座第2回
では15事業所・施設、
第3回では17事業所・施
設から実践成果を発表していただきました。
実践成果の発表を通し、
私たちが当事者とど
のように向き合い、
関わっていくのかを考えさ
せられた事例を紹介させていただきながら、
「動
き出しは当事者から」
の意味を考えたいと思い
ます。
にいても何もならない」…
私たちは、
当事者の衰えていく、
できなくなっ
ていく身体に対し、
もしかすると仕方がないと
いう見方をしてしまっていることはないでしょ
うか? Aさんの発言が教えてくれたことは、
「まだできる」
「なぜさせてくれない」
という訴え
なのではないでしょうか?
連続講座には職員2人が参加し、
Aさんの言
葉を改めて思い出されたそうです。
Aさんが何もできないと決めつけていたのは
私たちの方ではないか?─
連続講座への参加、
「 動き出しは当事者から」
との出会いが、
Aさんの能力を信じて関わるこ
とに切り替わるきっかけとなりました。
認定作業療法士・手稲渓仁会
連載第4回 こんな身体に誰がした…
( 病院非常勤職員
関わることの原点が
「気づき」
と
「関係」
をもたらす
日本医療大保健医療学部
リハビリテーション学科
大堀 具視 准教授
ケアは身体と身体の
コミュニケーション
ケアを使うのは言うまでもなく当事者です。
しかし、
私たちはベッドから起き上がること一
つとっても、
私自身もそうですが、
手すりをつか
む場所からすでに当事者へ指示してしまってい
るような場面を多く見かけます。どこをつかみ
人は良くも悪くも、
たいのか最も分かっているのは当事者であるに
環境への適応性が高い
もかかわらず、
次はこうして、
また次は…という
Aさんは特別な存在ではなく、
日本全国の地
声かけが増えてしまうこともあると思います。
域や施設で同じように生活されている方たちが
ケアは、
私たちと当事者が2人で1つの動作
いらっしゃるのではないしょうか? つまり、 を全うする、
二人三脚のようなものです。息を
Aさんのような思いを抱きながら生活されてい
合わせ、
お互いの動きを邪魔しないようにとい
る方、
自分はもっとできるという思いを持ちな
うよりは、
お互いの能力を出し切るように協力
がらも、
「 安全」
という私たちの都合でその機会
します。
「 次はこうして…」
という言葉はむしろ
が奪われ、
もしかすると諦めてしまっている方
動きを邪魔してしまいます。生活動作において
連続講座は地域密着型特養ビハーラ
たちです。
「 こんな身体に誰がした」
という言葉
も同じです。言葉による指示があまりに多すぎ
まどか
(熊本県水俣市)
で開催
は、
私たちへの本当に強いメッセージだと思い
ると、
かえってどうしてよいか混乱してしまい
ます。
ます。
他の動物を圧倒する人間の能力の1つに、
環
二人三脚競争では
「1・2、
1・2」
という掛
境に対する適応力の高さがあると言われていま
け声が
「きっかけ」
であり、
「 手がかり」
です。あ
す。私たちも不慣れな、
不得意な人間関係の場
とは、
お互いの気持ちや動きを身体で感じ取っ
面であっても、
何とか乗り越え適応しています。 ています。ケアはコミュニケーションと言いま
自分の意思を抑えてじっと耐え、
我慢しつつも、 すが、
場面によっては言葉のコミュニケーショ
自分にとっての意味を見つけ、
状況を肯定して
ンが効果的ではないと言えそうです。しかし、
いる場面も適応していると言えます。
コミュニケーションは身体を媒体とすること
施設などで生活されている高齢者も、
「まだで
で、
動きばかりか、
気持ちまで通じ合う高度なス
きる」
という思いを持ちながらも、
介助してもら
キルです。当事者の動き出しを私たちが身体で
う状況に少しずつ適応してしまっていることは
感じてみると、
さまざまな意思や可能性に気づ
「動き出しは当事者から」
を実感できるよ
十分考えられます。私たちも当事者の能力を感
くことができます。
う、
居室と会場をつないだライブ中継で
じながらも、
介助させていただくという状況に、
入居者との関わり方をアドバイス
(写真
ある意味適応してしまっているのかも知れませ
は靴下を自分の力で履く場面)
信じてもらえる関係が、
ん。
さらなる能力発揮に
誰が良い、
悪いということではなく、
私たちに
は自ら行っているケアを見つめ直すきっかけが
冒頭ご紹介したAさんですが、
施設で
「動き出
必要です。それを通じて、
当事者がご自分の能
しは当事者から」
を実践したところ、
次のような
力に改めて気づくきっかけにもつなげたいと考
報告がありました。
えています。Aさんの場合、
そのきっかけが
「動
き出しは当事者から」
でした。
1)
ベッド柵を握り、
寝返り、
ベッドの外へ
足を投げ出された
2)
ベッドに肘をついたあと、
自らの腕の力
「できなくなる」ではなく
で起き上がられた
「やらなくなる」
3)
足底をしっかりと床につける介助を行
身体で覚えた記憶はそう簡単になくならない
うと、
自ら身体を支えようと柵を持つ位
参加者は演習を通して
「動き出しは
ことは、
自転車や自動車運転、
水泳などを想像す
置を変えられた
当事者から」
をさらに体感。自分の
ると分かると思います。何十年と経験していな
4)
スリッパを履かれる時に、
麻痺側下肢を
事業所・施設で実践している。連
くても、
とりあえずは何とかできます。起床や
上げてくださった
続講座は地元テレビ局のニュース
立つことなどの起居動作、
ADL動作もすべて
5)
少し臀部を上げる介助で、
座る位置をず
番組で紹介された
身体で覚えたことで忘れません。特に、
毎日繰
らしてくださった
り返される動作をそう簡単に忘れることはあり
6)
介助+自らの足の力も使って立ち上が
ません。
られた
なぜ高齢者、
とりわけ認知症の方の動作に介
7)
介助の必要なく座り直すことができた
助が必要となるのでしょうか? 大きな理由の
1つは
「できなくなる」
ことではなく、
「やらなく
職員は多くの
「動き出し」
があることに気づか
なる」
ことだと思います。
“機能の衰えがあって
れたそうです。その一つひとつを実際に生活の
できなくなる”ではなく、
「
“ やらなくなる」
こと
中で実施していただくこと、
簡単に言えばそれ
が先にあって機能が衰える”のです。したがっ
だけの実践ですが、
ほとんどの動作に介助を要
て、
今できることをやり続けられるような関わ
していたAさんでしたが、
ベッドから1人で起
第2回から各事業所・施設が実践した
りが大切です。
き上がり、
車いすへ自分で移乗され、
歩行される
「動き出しは当事者から」
の成果を発表
ある動作をしばらくやっていなければ、
私た
までに至りました。
ちも最初は戸惑います。ペーパードライバーの
「動き出しは当事者から」
が気づかせてくれる
※
※
※
障害者施設で2年ほど前から生活されている
方がたまに運転するような場面を想像すると理
当事者の能力、
ある能力に気づき生活で行うこ
解しやすいでしょう。しかし、
意を決してぎこ
とは、
他の次なる動き出しや動作につながって
Aさん
(男性・53歳)
は、
元々の知的障害に加え
ちなく操作し始めると、
身体が勝手に動き出し
いくことが分かりました。何よりも、
ケアする
て3度の脳梗塞の既往があり、
ほとんどの生活
ます。次第に、
大きな違和感や緊張なく運転が
私たちの当事者に向き合う姿勢が変わるきっか
動作において介助を必要としていました。この
施設がAさんとの関わりを根本から見直すきっ
できていると思います。つまり、
動き出すこと
けとなりました。
「動き出し」
があることで、
当事
が大切ですし、
標識など運転中のさまざまな刺
者を信じ待ってみようという姿勢です。信じて
かけとなったのが、
職員との会話
(構音障害のた
身体が思い出してくれ
もらえる関係の中で、
人はますます能力を発揮
め筆談)
の中で発せられたAさんの言葉でした。 激に反応していく中で、
るという感じではないでしょうか。
動作には
「き
できるようになります。
「こんな身体に誰がした」
「 施設がした」
「 ここ