Page 1 編集後記 2006年4月に、「創価教育研究センター」が発展し

編集後記
2006年4月
に、 「
創 価 教 育研 究 セ ンター 」 が発 展 し、 「
創 価 教 育研 究所 」 と して新 た'
な ス タ ー トを き っ た。 業 務 的 には 、何 か特 別 に大 き な変 化 が あ った わ けで はな く、 む
しろ継 続 され て い る もの が ほ とん ど とい え よ う。 池 田研 究 を は じめ 、様 々 な資 料 の 収
集 ・管理 、 そ して そ の保 存 とい う基 本 的 な作 業 が 、 日夜 繰 り返 され て い るの で あ る。
紀 要 につ い て は 、機 関名 も改 称 され た の だ か ら、新 しい形 で始 め た方 が よい の で は
な い か 、 とい う意 見 が多 か った 。 だ が 、 そ うす る た め に は、 これ ま で 「
創 価 教 育研 究
セ ンタ ー 」 で継 続 され て きた 論稿 に 区切 りをつ け る必 要 が あ ろ う、 とい うこ とで 、 本
書 はセ ン ター で 刊行 して きた 『
創 価 教 育研 究』 第6号
と して 発行 す る運 び とな った 。
継 続 とい う点 で象 徴 的 な もの が 、伊 藤 論 文 「
『少 年 日本 』掲 載 の 山本伸 一 郎"ペ ス タ
ロ ッチ"に つ い て(2)」
で あ る。 この論 文 は(1)と
合 わせ る と大部 な も の とな る。
本 格 的 な池 田研 究 の 論文 と位 置 づ け る こ とが で き よ う。 本 号 掲載 分 で完 結 とな った 。
また 、 「
牧 口常三 郎 研 究 ノー ト」 も掲 載 継 続 分 で あ る。今 回 で一 つ の 区切 りがつ け られ
た か と思 う。
そ の一 方 で 、本 年 の 「
創 価 教 育研 究 所 」 の活 動 成 果 も取 り入 れ た 。 「
牧 口常三 郎 とジ
ョン ・デ ュー イ 」 は、本 年 度 中国 武 漢 の華 中 師範 大 学 で 開催 され た 「
池 田大 作 思 想 国
際 シ ン ポ ジ ウ ム」での 報 告 成果 で あ る。 この シ ン ポ ジ ウ ム の概 要 につ い て は、 「
中国に
お け る"池 田 思想 研 究"の 動 向 」に詳 しい。 ま た 、 「1960年代 の英 語 圏 の書 籍 ・論 文 に
見 られ る創 価 学 会 研 究 」 は 、今 後 の 当研 究 所 に お ける池 田研 究 のた めの基 礎 的 作 業 と
もい うべ き も の で 、国 内 だ けで は な く海 外 にお け る研 究 史 をサ ー ベ イ し よ う とい う新
た な試 み で あ る。
「
創 価 教 育 研 究所 」が ス ター トした こ とに よ って 、創 立 者 研 究 、創 価 大 学 史研 究 等 々
が新 しい段 階 に入 っ て きた。 そ の成 果 は、 年 と ともに 明確 に な り拡 大 して い く と思 わ
れ る。 そ れ に合 わせ 、研 究 紀要 も よ り良い もの に して参 りた い と考 えて い る。 多 くの
方 々 の ご叱正 ・ご教 示 を賜 れ れ ば 、 これ に過 ぎた る喜 び は な い。 合 わ せ て 、今 後 の よ
りい っ そ うの ご協 力 ・ご理解 を心 よ りお 願 い す る もの で ある。(K,K)
一101一