多剤排出トランスポーターによる薬剤の認識および排出機構

要
旨
2016 年 3 月政府は、抗生物質が効かない多剤耐性菌が増加し、感染症が広まる
恐れが強まっているとして、抗生物質の使用抑制を柱とする行動計画の概要をま
とめた。厚生労働省によると、耐性菌感染による 2013 年の死亡者数は全世界で
70 万人だが、2050 年にはがんを上回る 1000 万人に達するとの試算もあり、ペニ
シリン以前の時代への逆戻りが懸念される。多剤耐性化の主因のひとつある多剤
排出トランスポーターは、構造や作用機序の大きく異なる多種多様な薬剤を基質
として認識し、それらを細胞外に能動的に排出する膜蛋白質である。私たちは多
剤排出トランスポーター、およびその基質複合体のX線結晶構造解析を行い、構
造に基づく多基質認識およびその輸送機構の理解を目指し研究を行ってきた。
2002 年我々は大腸菌の持つ最も強力な多剤排出トランスポーターである AcrB
の結晶構造解析に成功した[1]。この成果は世界初の多剤排出トランスポーターの
構造解析例であるというばかりでなく、プロトン駆動型トランスポーターとして
も世界初となったため大きな注目を集めた。さらに、薬剤の認識機構や、排出ト
ランスポーターの作動機構について結晶構造解析により明らかにし[2]、それに基
づき、分子動力学シミュレーションや、蛋白質工学的研究などを組み合わせるこ
とにより詳細で生理的な条件にちかい動的な作動機構について明らかにしてき
た[3,4,5]。また、脂溶性基質認識における多基質認識機構のモデルとして脂質結
合蛋白質の結晶解析から、脂溶性基質の認識に於ける水分子の重要性などについ
ても明らかにしてきた[6]。
大腸菌をはじめ、緑のう菌やセラチア菌などのグラム陰性細菌は、臨床現場に
おいてしばしば問題となり、耐性化が懸念されている病原体のひとつである。グ
ラム陰性細菌は、全ての細胞の持つ細胞膜のほかにもう一枚、細胞外膜を纏って
いる。これらは薬剤などの透過障壁となり、グラム陰性細菌はそれにより薬剤の
自然抵抗性を持つことが知られている。また、グラム陰性細菌は細胞膜と、細胞
外膜両方にまたがる巨大なトランスポーター複合体を持ち、細胞膜から一気に菌
体外へと効率良く薬剤を排出する薬剤排出機構を有している。その構造解析につ
いても、結晶構造解析とは別に、電子顕微鏡による高解像度の一分子観察も進め
られている。
以上、本解析により院内感染など難治感染症に見られる多剤耐性化問題の原因
蛋白質である多剤排出トランスポーターが薬剤分子のどのような部位のどのよ
うな特徴を識別し、それらを排出するのかが原子レベルで理解が進んでいる。得
手不得手を幾らか含む種々の方法論を複数組みあわせることのシナジーにより、
多剤耐性化の本質的な理解に迫っている。その知見を逆手にとり、排出されてし
まわない新薬や、逆に結合部位に固く結合し、排出機能を抑える阻害剤の開発が
方々で進められているが、また、病原菌の病原性発揮そのものにもトランスポー
ターが関与することが知られており、その抑制による感染症の回避や、症状の緩
和医療などの開発へ向けた展開研究にも期待が集まっている。
参考文献
1. Murakami S, Nakashima R, Yamashita E, Yamaguchi A. Crystal structure of bacterial
multidrug efflux transporter AcrB. Nature 2002, 419: 587-93.
2. Murakami S, Nakashima R, Yamashita E, Matsumoto T, Yamaguchi A. Crystal structures of a
multidrug transporter reveal a functionally rotating mechanism. Nature. 2006, 443: 173-9.
3. Yao XQ, Kenzaki H, Murakami S, Takada S. Drug export and allosteric coupling in a
multidrug transporter revealed by molecular simulations. Nat Commun. 2010, 1: 117.
4. Yao XQ, Kimura N, Murakami S, Takada S. Drug uptake pathways of multidrug transporter
AcrB studied by molecular simulations and site-directed mutagenesis experiments. J Am
Chem Soc. 2013, 135: 7474-85.
5. Yamane T, Murakami S, Ikeguchi M. Functional rotation induced by alternating protonation
states in the multidrug transporter AcrB: all-atom molecular dynamics simulations.
Biochemistry. 2013, 52: 7648-58.
6. Matsuoka S, Sugiyama S, Matsuoka D, Hirose M, Lethu S, Ano H, Hara T, Ichihara O,
Kimura SR, Murakami S, Ishida H, Mizohata E, Inoue T, Murata M. Water-mediated
recognition of simple alkyl chains by heart-type fatty-acid-binding protein. Angew Chem Int
Ed Engl. 2015, 54: 1508-11.