ICP-MS による医薬品中の元素(金属)不純物分析

The TRC News,
201605-04 (May 2016)
ICP-MS による医薬品中の元素(金属)不純物分析
一ノ瀬 尊之
無機分析化学研究部
要 旨 「医薬品の元素不純物ガイドライン」
(ICH Q3D)では、各種元素(金属)不純物について、それ
ぞれの毒性に応じた許容限度値が設定されている。マイクロ波酸分解法と誘導結合プラズマ質量分析法
(ICP-MS)の組み合わせにより、これら元素不純物を十分な感度で測定することが可能である。ここでは、
マイクロ波酸分解法及び ICP-MS の特徴と、医薬品中金属分析の事例を紹介する。
申請される新医薬品が適用となる。なお、本ガイドラ
1. はじめに
インは独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)
のホームページ等に公表されている 1)。
日本国内における医薬品中金属不純物分析は、第十七
ICH Q3D では、As, Cd, Hg 及び Pb の Big 4 と呼ばれ
改正日本薬局方に記載されているヒ素試験法及び重金
る元素や、Ir, Os, Pd, Pt, Rh 及び Ru など白金族元素を
属試験法に基づいてきた。重金属試験法は、酸性で硫
含めた 24 元素が対象となっている。これらの元素は、
化ナトリウム試液によって呈色する金属性混在物を、
それぞれの毒性によりクラス分けされており、各元素
鉛の量として表す限度試験であり、対象元素は「pH 3.0
の許容限度値が 1 日許容暴露量(Permitted Daily
~3.5 で黄色~褐黒色の不溶性硫化物を生成するPb, Bi,
Exposure; PDE)として表され、経口、注射及び吸入の
Cu, Cd, Sb, Sn, Hg などの有害性重金属」となっている。
投与経路ごとにその値が設定されている(表 1)
。
欧州や米国でも、試薬や強熱温度などに違いは見られ
これらの元素を十分な感度をもって定量するには、
るものの同様の試験となっている。しかしながら、重
誘導結合プラズマ質量分析法(ICP-MS)が有効である。
金属試験法は、対象元素や限度値が必ずしも毒性を考
ICP-MS では、一般に前処理として試料を分解・溶液
慮したものとはなっていないこと、製造工程で触媒と
化する必要があり、湿式灰化法あるいはマイクロ波酸
して用いられる白金族元素などの有害元素を測定でき
分解法がよく使用される。両手法とも試料に酸を添加
ないことなどから、実際の健康被害を評価する上では
し、加熱しながら有機物の分解と金属元素の溶解を行
不十分であると指摘されており、米国薬局方(USP)
うが、元素によってはこの過程において不溶性の化合
や欧州医薬品庁(EMA)ガイドラインでは、それぞれ
物を形成したり、揮発性の形態となり損失してしまう
独自に先行して規制対象元素とそれぞれの許容限度値
ことがあるため注意が必要である。表 1 に記載された
が制定されてきた。
元素では、As, Hg, Os 及び Ru が揮散しやすい元素とし
このような中、医薬品中の元素(金属)不純物を管
て知られている。本稿では、密閉系のマイクロ波酸分
理するための方策が、日米 EU 医薬品規制調和国際会
解法と ICP-MS を用いた揮発性元素も含めた金属不純
議(ICH)のトピックとして決定され、
「医薬品の元素
物の一斉分析について説明する。
不純物ガイドライン」
(ICH Q3D)制定に向けて協議が
行われてきた。現在は、2015 年 9 月 30 日付で Step5
として通知され、
日本では 2017 年 4 月 1 日以降に承認
1
The TRC News, 201605-04 (May 2016)
表 1 各元素の許容限度値(PDE, μg/day)
元素
クラス
経口
注射
吸入
5
2
2
Cd
Pb
3. 医薬品中金属分析の事例
5
5
5
15
15
2
Hg
30
3
1
Co
50
5
3
錠剤を乳鉢で粉砕した後、マイクロ波酸分解法により
As
V
1
2A
市販されている錠剤を試料として分析した例を示す。
前処理法及び分析に用いた装置の概略を図 1 に示した。
100
10
1
分解・溶液化して試料溶液を調製し、反応セル搭載型
Ni
200
20
5
Tl
8
8
8
の ICP-MS で各元素を定量した。また、揮発性元素に
Au
100
100
1
Pd
100
10
1
験を実施した。添加回収試験では、市販の As, Hg, Os
Ir
100
10
1
及び Ru 標準液を試料中換算濃度で 0.4 μg/g となるよ
100
10
1
う試料に添加し、同様に前処理から測定までを実施し
て、実測濃度と理論添加量から回収率を算出した。
Os
Rh
2B
100
10
1
Ru
100
10
1
Se
150
80
130
Ag
150
10
7
Pt
100
10
1
Li
550
250
25
Sb
1200
90
20
Ba
1400
700
300
3000
1500
10
Cu
3000
300
30
Sn
6000
600
60
Cr
11000
1100
3
Mo
3
ついて、定量の妥当性を評価するために、添加回収試
ICP-MS
図 1 分析方法概略図
図 2 に ICH Q3D ガイドラインによる最大許容濃度、
ICP-MS の定量限界及び市販錠剤の定量結果を示す。
2. 分析法の概要
最大許容濃度は経口投与の場合で、製剤の 1 日摂取量
を 10 g として算出したものである(オプション 1)1)。
前処理に使用するマイクロ波酸分解法は、密閉した分
各元素の定量限界は、
ブランク溶液を 10 回測定して得
解容器内部の試料を直接加熱し、短時間で昇温、昇圧
られた強度の 10σ/slope より決定した。Cd, Pb, As 及び
を行うため、
高効率で試料の分解を行うことができる。
Hg は、その毒性のため最大許容濃度が低いが、ICP-MS
また、密閉系であるため、外部からの汚染や揮発性物
の定量限界はそれより十分低く、これらの元素の定量
質の散逸を防ぐことができる。これらの特徴より、
に適していることがわかる。市販錠剤を定量分析した
ICP-MS をはじめとした無機元素分析の前処理法とし
てよく利用されている。
定量限界、
ICP-MS は、ICP をイオン源として、イオン化された
10000
単原子イオンを質量電荷比に応じて質量分析計で分
1000
最大許容濃度、
定量値、 ND 定量限界未満
100
濃度(μg/g)
離・検出する手法である。ICP-MS は試料溶液中で
pg/mL オーダーの測定が可能であり、非常に感度が高
い。また多元素を同時に定量することが可能なため、
医薬品中の元素不純物の個別定量法として優れている。
10
1
0.1
0.01
0.001
特に、Cd, Pb, As 及び Hg は許容限度値が低く、ICP-MS
ND
ND
ND
ND
ND ND
0.0001
による定量が最適である。
Cd Pb As Hg V Ni Pd Ir Os Rh Ru Pt Mo Cu Cr
図 2 市販製剤の ICP-MS 測定結果
2
The TRC News, 201605-04 (May 2016)
結果、15 元素中 9 元素が定量されたが、いずれも最大
許容濃度を下回っていた。
また、前述のように As, Hg, Os 及び Ru は揮発性を
有する元素である。図 3 にこれらの元素の添加回収試
験の結果を示す。図に示したとおり、回収率はほぼ
100%であったことから、これらの元素も揮散すること
なく定量できていると考えられた。このように、密閉
系のマイクロ波酸分解法を使用することで揮発性元素
の定量も可能であった。
図 3 揮発性元素の添加回収率
4. まとめ
ICP-MS は多元素を高感度で一斉分析できるため、金
属不純物分析に大変有効な手法である。また、マイク
ロ波酸分解法は、As, Hg, Os 及び Ru などの揮発性を有
する元素の定量が可能となる前処理法である。これら
の組合せは医薬品中の金属不純物分析に最適な方法で
あると考えられる。
弊社では、本分析に用いた装置はいずれも申請資料
の信頼性の基準(医薬品、医療機器等の品質、有効性
及び安全性の確保等に関する法律施行規則第 43 条)
及
び医薬品及び医薬部外品の製造管理及び品質管理の基
準に関する省令(医薬品・医薬部外品 GMP 省令(厚
生労働省令第 179 号)
)
に基づく試験が実施可能であり、
医薬品の各種申請のための試験として活用できる。
引用文献
1) 合意ガイドライン, 元素不純物ガイドライン Q3D,
現行ステップ 4 版, 2014 年 12 月 16 日付.
一ノ瀬 尊之(いちのせ たかゆき)
無機分析化学研究部
無機分析化学第2研究室 主任研究員
趣味:音楽鑑賞
3