戦後日本の障害乳幼児支援の展開過程における教育

年報「教育経営研究」 Vol.1 No.1 2015
pp.42-57
研究論文
戦後日本の障害乳幼児支援の展開過程における教育行政の動向
―幼稚園および養護学校幼稚部に焦点を当てて―
田中 謙*
The Characteristics of Developmental Process of Support for Young Children with
Disabilities in Educational Administration during the Postwar 1950s~the 1970s
―Focusing on the Kindergarten and Child Care Practice of the Special School―
TANAKA Ken
Key words : 障害乳幼児、知的障害、教育行政、幼稚園、養護学校幼稚部
要旨
本研究は戦後日本における障害乳幼児支援の歴史的展開過程を明らかにする作業の一環として、教育行政によ
る障害乳幼児支援に係る政策および施策の動向とその特質を明らかにすることを目的とし、特に幼児教育と特殊
教育の政策および施策の動向についての検討を行った。
その結果、戦後日本における障害幼児への支援体制整備は、教育行政下の幼稚園および養護学校幼稚部のいず
れにおいても十分進められてこなかったことが明らかとなった。そのため、1970 年代まで障害幼児の保育・療育
の場はほとんど整備されておらず、整備に関する施策も十分なされているとは言い難い状況にあったと考えら、
民間や地方公共団体の取り組みが展開されていた可能性を示唆した。
Ⅰ
問題の所在と研究目的等
本研究は戦後日本における障害乳幼児支援の歴史的展開過程を明らかにする作業の一環として、教育行政によ
る障害乳幼児支援に係る政策および施策の動向とその特質を明らかにすることを目的とする。特に障害乳幼児に
対する教育行政における政策および施策は幼児教育と特殊教育との関連の中で展開されるととらえられるため、
幼児教育と特殊教育の政策および施策の動向についての検討を行うこととする。
なお本研究では主に戦後から 1970 年代を主な分析対象とする。
第二次世界大戦による戦災を経て、戦後日本では復興が目指され行政政策および施策が展開されている。その
中で教育政策および施策も展開されていく。特に戦後日本においては経済復興と経済成長が復興の中心に据えら
れ、国政は経済政策および施策に重点が置かれていた。その経済政策および施策に基づき様々な事業が展開され
る。
また日本は国際社会の中で朝鮮戦争特需による「神武景気」や「岩戸景気」と呼ばれる好景気の時期を迎え、
1950 年代半ばから大幅な経済成長を遂げることとなる。戦後日本においては大幅な経済成長を背景にして幼児、
障害児者に係る政策および施策が企画・立案され、具体的な支援事業等が行われていくようになるのである。で
はどのような政策および施策がなされ、障害乳幼児支援はどのように展開してきたのか。本研究ではこの問題意
*
山梨県立大学(Yamanashi Prefectural University)
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「戦後日本の障害乳幼児支援の展開過程における教育行政の動向―幼稚園および養護学校幼稚部に焦点を当てて―」
識を基に検討を試みるものである。
戦後の障害乳幼児支援の動向に関する先行研究としては、まず恩賜財団母子愛育会愛育研究所「特別保育室」
について検討を行った河合・高橋(2005)があげられる。河合・高橋(2005)は愛育研究所「特別保育室」
、そ
して愛育養護学校幼稚部が「当時皆無であった障害幼児の『受け皿』
」であったとともに、戦前の保育科学と国民
保育論との関係の中で「困難児・障害児保育がもつ保育科学としての普遍性・共通性を追究する視座」
、
「通常の
保育との応答的な関係やダイナミズムを戦後障害児保育の課題として継承し、提起する役割」を果たしていたこ
とを指摘しており、戦後の障害乳幼児支援の系譜の特質に言及している。また河合・高橋(2006)は戦後の知的
障害児に対する保育に着目し、
「保育・療育の場そのものの絶対的不足」があった状況下で「保育所、幼稚園にお
ける統合保育か、専門機関における専門的保育・療育かの是非が問われてきた」という言説分析の結果を示して
いる。いずれも戦後日本の障害乳幼児支援の系譜を検討する上で示唆に富む研究結果であり、本研究においても
この2つの研究の視座を参考にする。また末次(2011)は 1950~1970 年代の障害児保育の展開過程を検討し、
その結果「重度の障害児は療育施設へ、軽度の障害児は一般の幼稚園・保育所へという障害の程度による水路付
けの仕組みが確立された」可能性に言及している。今後さらなる研究が期待される仮説であるものの、幼稚園・
保育所を併せて検討しており、展開過程における幼稚園、保育所の相違や障害児教育や福祉政策等との関連性と
いう研究視座からは課題が残る。
そこで本研究は特に教育行政政策および施策に関して、幼児教育と特殊教育の政策および施策に焦点を当て検
討を行うこととする。福祉行政に関しては別稿にて検討を行うこととする。
Ⅱ 研究方法
本研究では研究目的を達するため、以下の順で検討を行うこととする。
1.1960 年代以前の日本の戦後復興と幼児、障害児者に係る政策および施策
2.1960 年代の「高度経済成長」下での日本の幼児、障害児者に係る政策および施策
3.戦後の幼児教育の変遷―幼稚園及び幼児教育の拡充整備―
4.戦後の特殊教育の変遷
5.幼児教育、特殊教育における障害幼児への教育
なお本研究を含む研究全体の構想としては戦後日本の障害乳幼児支援の展開過程を明らかにすることを目的と
するが、本研究で取り扱う幼児教育は基本的に「満三歳」からを取り扱うため、
「乳幼児」ではなく「幼児」の表
現を用いることとする。また本研究では主に知的障害幼児を対象とする。
加えて、本研究では今日使用が控えられる用語等に関して、それらの用語が歴史的概念であること、また先行
研究等を鑑みて、一部括弧書きを用いながらもそのまま用いることとした。
Ⅲ 「高度経済成長」下での日本における幼児、障害児者に係る政策および施策
1.1960 年代以前の日本の戦後復興と幼児、障害児者に係る政策および施策
経済政策および施策と経済成長を背景とした戦後日本の幼児教育は、すべての子どもたちの全面的な発達のた
めに、平等に保障されなければならないという理念を実現することが目的とされた。目的を達成するための制度
設計が戦前からの幼児教育関係者によって示され、戦後日本の幼児教育制度として確立することが模索された。
つまり戦後日本の幼児教育では、
すべての幼児に対する幼児教育の保障が目指された。
その具体的方策の中心が、
戦後の幼児教育は教育基本法において示されているような新しい教育理念のもと、特に制度改革にあたっては幼
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稚園と保育所の両制度を一元化するということであった(宍戸,1989,2)
。しかし、幼稚園を管轄する文部省と保
育所を管轄する厚生省との間に、幼児教育のめざす方向性に違いがあり、一元化は実現しなかった(1)。すべての
幼児に対する幼児教育の保障を目指す幼児教育体制の構築は叶わなかった。
すべての幼児に対する保障のなかに、
障害幼児の保育の保障が含まれていたのかどうかについて明確に記述された資料は見られないものの、少なくと
も戦後日本の幼児教育における幼稚園・保育所の二元化は、障害幼児に対する「保育」を保障するものとはいえ
なかった。
戦後教育行政政策および施策においては、障害児教育は「特殊教育」制度下で徐々に制度整備が進められてい
った。しかし障害児教育のなかでも、教育の対象となる障害種ごとに、制度整備には進度に大きな差が見られた。
特に戦前から教育の「専門性」を実践や運動のなかで蓄積させてきた盲教育・ろう教育は、戦後直後から義務制
実現へ向け活動を始めた。
特にろう教育では「全国聾啞学校職員連盟」が文部省のみならず「CIE」(2)、「教育刷新委員会」(3)へも働きか
けを行い、義務制への動きを加速させていった。そこに盲教育推進を図る「全国盲学校教員組合」も加わり、
「日
本教職員組合特殊学校部」による盲聾教育義務制促進運動へと活動は発展していった。その結果、盲・ろう教育
では 1948(昭和 23)年度から、学年進行での義務制実施が進められた(聴覚障害者教育福祉協会編,1979,172
‐173)
。
翻って、肢体不自由児教育や精神薄弱児教育においては、盲・ろう教育のようには制度整備や、教育の場の拡
充整備が進まなかった。肢体不自由児教育関連では、1948(昭和 23)年に高木憲次らが「肢体不自由児協会」
を組織し、肢体不自由児への療育事業推進運動を進めた。精神薄弱児教育に関しても同年「日本精神薄弱児愛護
協会」 (4)、三木安正らによる「特殊教育研究連盟」(5)が結成され、それぞれ教育環境の整備を求める運動が展開
された。また 1952(昭和 27)年に「精神薄弱児育成会」(6)が組織され、保護者による運動が教育行政を動かし
ていくという新たな展開も見られるようになっていった。これらの組織による障害児教育の振興運動を受け、文
部省も 1953(昭和 28)年「精神薄弱児対策基本要綱」
、1954(昭和 29)年「盲学校、聾学校及び養護学校への
就学奨励に関する法律」(7)、1956(昭和 31)年「公立養護学校整備特別措置法」等を制定し、教育行政の整備を
進めていった。
しかしながら、障害児教育に関する制度整備の動きは、小学校・中学校といった戦後義務教育制度の整備状況
に比べれば遅々として進まなかった。実質的に障害児の教育の場の整備拡充が進むのは、小・中学校で特殊学級
の整備が進む 1960 年代に入ってからであった。このような状況下では、障害児教育全体としてその制度整備に
よる教育対象が小・中学校段階に該当する学齢期以上の障害児に向けられていた。戦前から「聾学校」初等部予
科による教育制度整備と実践が進められていたろう教育を除いては、障害幼児に対する教育の制度整備、教育の
場の拡充整備はほぼ進まなかった。
2.1960 年代の「高度経済成長」下での日本の幼児、障害児者に係る政策および施策
日本は戦後復興の時期を終え、1950 年代後半頃から「高度経済成長期」(8)を迎える。1960 年代の日本はこの
「高度経済成長期」の真っ只中にあったといわれている(佐々木他編,2005,277)
。国策としても更なる経済成長
政策がとられる。
この時期国政を担った池田勇人内閣(9)は、第 1 次内閣(1960(昭和 35)年 7 月 19 日~12 月 8 日)で国民所
得倍増等を柱とする経済の高度成長政策路線をとり、
経済重視の政策を進めることとなる。
経済成長路線下では、
経済発展を担う労働力の確保が政府に課せられた。国の労働政策では賃労働力の拡大が図られ、その賃労働力の
担い手として女性や(特に障害の程度が軽度の)障害者が着目される。後者に関しては、単純労働の担い手とし
ての期待が集まることによるものであった。1960(昭和 35)年に「身体障害者雇用促進法」(10)が制定されるが、
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「戦後日本の障害乳幼児支援の展開過程における教育行政の動向―幼稚園および養護学校幼稚部に焦点を当てて―」
この法律も(身体)障害者を単純労働の担い手として労働力に組み入れる流れに沿ったものであると解釈が可能
である(Cf.滝村(2002)
)
。また、1960 年代前半における小・中学校での「特殊学級」の拡充整備は、この労働
力養成という背景が 1 つの要因であるといえる(Cf.滝村(2002)
)
。
幼児教育に係る政策および施策では、
1960 年代に幼稚園・保育所の拡充整備振興のための施策が実施される(11)。
幼稚園・保育所の拡充整備による幼児教育の振興は、池田内閣の「人づくり」政策下での文教施策、事業による
ものである。
池田内閣では幼児教育の振興により、
将来の日本及び日本の経済成長を支える人材育成が期された。
障害児教育に係る政策および施策に関しては、池田内閣で障害児者支援に関する施策、事業が進められ、特に
重度心身障害児者の処遇に力が入れられた。1963(昭和 38)年には厚生省より「重症心身障害児の療育につい
て」(12)、
「重症心身障害児療育実施要綱」が通達され、同年度から補助事業として「重症心身障害児施設」の運
用が始められた。翌年精神薄弱児施設・肢体不自由児施設へ重度児棟の設置と重度加算制度が導入された(13)。ま
た、1964(昭和 39)年には「重度精神薄弱児扶養手当法」(14)が制定され、
「精神薄弱の状態にある者のための施
設」が「いちじるしく不足している状態」にあるなか、重度障害児の養育を行う保護者の支援が図られた。重度
児の対策が進められるようになった動きの背景には「重症心身障害児を守る会」
「自閉症児親の会」等の運動体に
よる運動があり、その運動は従来の運動よりも利権性をより全面に出していったことが特徴であると指摘されて
いる(内海,1983,31)
。これらの支援はまだまだ不十分であったものの、国による支援が重度障害児者になされた
意義は小さくはなかった。重度障害児者に関しては 1970 年代に「コロニー」論が展開されるが、それ以前の 1960
年代頃から社会の関心が少しずつ重度障害児者に向けられ、支援のあり方が議論されるようになっていく。
一方障害幼児に関しては、障害者の労働をめぐる議論の中ではほとんど関心が寄せられなかった。また、重度
心身障害児者をめぐる議論においても、当時の重度心身障害児者の施設による支援は入所施設が中心であり、入
所による支援が発達の特性上受けにくい幼児は議論(及び支援)の対象となりにくかったのである。一部の「精
神薄弱児施設」での受け入れや、1960 年代終盤には「ところさわ学園」(15)等幼児を主な支援対象とする入所施
設等もつくられるものの、入所による支援は保護者の保育・療育要求とは異なる部分が大きかった。そのため一
部をのぞき、保護者の要求に対応する保育・療育の場とはなりにくかったと考えられる。
Ⅳ 教育行政における幼児、障害児者に係る政策および施策
障害幼児に対する教育行政における政策および施策は、幼児教育と特殊教育との関連の中で展開される。本節
では幼児教育、
特殊教育政策および施策の展開の中で障害幼児がどのように位置づけられていたのかを検討する。
1.戦後の幼児教育の変遷―幼稚園及び幼児教育の拡充整備―
1960 年代に入り、教育面では幼児及び障害児に関する幼稚園及び特殊学級、養護学校の拡充整備が図られた。
これは第 2 次池田勇人内閣
(1960 年 12 月 8 日~1963 年 12 月 9 日)
の下で展開された高度経済成長下における、
国づくりの一環としての「人づくり」を主要な目的の 1 つとする文教政策による部分が大きく、
「人づくり」を
目的とした文教政策の下では幼児教育が着目された。1960 年代の幼児教育に関しては、特に幼児教育の重要性が
着目されたことがその拡充整備の大きな要因である。それは例えば第 2 次池田内閣時に示された、
「第 1 次幼稚
園振興計画(7 ヶ年計画)
」
(1963-1970)に表れている(岡田他編,1980b,4-7)
。
「第 1 次幼稚園振興計画」では趣
旨のなかで、
「人間形成の時期は幼児期」にあることが示され、
「将来の日本を担うに足る国民の育成」のために
重要であることが記されている。すなわち、高度経済成長のもと将来の人材育成の観点から幼児教育が重要視さ
れるようになったのである。また同時期の 1963(昭和 38)年に文部省初等中等教育局長・厚生省児童局長共同
通知「幼稚園と保育所との関係について」(16)のなかで、幼稚園の振興計画を強く打ち出したことも 1 つの要因と
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いえよう。
Table 1 は戦後~1970 年代における日本の幼稚園(国立・公立・私立)の設置数・在園児数・就園率の変化を
まとめたものである。Table 1 からもわかるように、
「第 1 次幼稚園振興計画」に基づく設置推進の動きにより、
戦後幼稚園は設置数・在園児数ともに 1970 年代までその数を増やしてきた。計画が示された 1963 年度の全国の
幼稚園数は国公私合わせて 7,687 園であったのに対し、1970 年度には 10,796 園まで増加している。また、特に
1960 年代後半~1970 年代にかけては就園率がおよそ 50%近くになり、就学前教育において幼稚園へ通園するこ
とが幼児にとって一般的になってきたことも合わせて示しているといえる。
Table 1 戦後~1970 年代における日本の幼稚園(国立・公立・私立)の設置数・在園児数・就園率の推移
年
幼稚園数 幼稚園在園児数 就園率
年
幼稚園数 幼稚園在園児数 就園率
1948 1,529
198,946
1965 8,551
1,137,733
41.3
1949 1,787
228,807
1966 9,083
1,221,926
47.2
1950 2,100
224,653
8.9 1967 9,588
1,314,607
49.4
1951 2,455
244,423
1968 10,021
1,419,593
51.8
1952 2,874
370,667
1969 10,418
1,551,017
53.8
1953 3,490
519,750
1970 10,796
1,674,625
56.2
1954 4,471
611,609
1971 11,180
1,715,756
58.3
1955 5,426
643,683
20.1 1972 11,731
1,860,416
60.6
1956 6,141
651,235
1973 12,186
2,129,471
61.9
1957 6,620
663,253
1974 12,686
2,233,470
63.5
1958 6,837
673,879
1975 13,106
2,292,591
64.0
1959 7,030
699,778
1976 13,492
2,371,422
64.1
1960 7,207
742,367
28.7 1977 13,855
2,453,422
64.1
1961 7,359
799,085
1978 14,229
2,497,895
64.4
1962 7,520
855,909
1979 14,627
2,486,604
64.4
1963 7,687
935,805
1980 14,893
2,407,093
64.4
1964 8,022
1,060,968
(文部省「学校基本調査」及び文部省監修全国教育調査研究協会編(1980)を基に筆者作成)
このように 1960 年代、特に 1963(昭和 38)年からの 7 ヶ年計画による「第 1 次幼稚園振興計画」により、
1960 年代後半から 1970 年代にかけて、幼児教育に関する社会の関心が非常に高まってきた時期であることが指
摘できる(岡田他編,1980b,11-18)(17)。それは当時の「ここ数年の間に、異常と思えるほど幼児教育に対する関
心が高まってきて」いるという指摘にも表れている(日本子どもを守る会編,1973,353)
。また社会の関心の高ま
りのみならず、実際に幼児に対する教育を行う場としての幼稚園の設置数も増加しており、幼児をもつ保護者に
とっても幼稚園教育への関心が社会同様に高まっていた時期であるといえるだろう。1960 年代には第 2 次池田
内閣による「人づくり」を目的とした文教政策をもとに、戦後の幼稚園を主に私立が担ったことや地域偏重に関
する課題が生じたことが指摘されるものの(18)、
日本社会においては確実に幼児教育が行われる場が拡大してきた。
このことは幼児をもつ保護者にとって、自らの子に幼稚園教育を受けさせたいという要求を高める大きな要因に
なったと考えられる。このことはまた障害幼児をもつ保護者においても少なからず影響を与えたと考えられる。
そして幼稚園設置数の増加に伴い、Table.1 にも表れているように幼稚園への就園希望者と在籍者も大幅に増
加した。一方幼稚園設置数の増加はその希望数を十分満たすまでには至らず、当時幼稚園就園を希望するものの
就園できない子どもたちを生じさせた。障害のない幼児でさえそのような状況下にあったため、幼稚園において
「問題児としてあつかわれてしまうことが多い」等と目された障害幼児の就園は難しかった(福島県教育センタ
ー編, 1976,6)
。障害幼児にとっては、幼稚園設置数の増加がすなわち幼稚園への就園の機会拡大とは直結しにく
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「戦後日本の障害乳幼児支援の展開過程における教育行政の動向―幼稚園および養護学校幼稚部に焦点を当てて―」
かったのである。つまり障害幼児の保護者にとって 1960 年代は幼稚園への就園(あるいは就学)の要求が幼稚
園の拡充整備により高まったと考えられる。けれども幼稚園の拡充整備は障害のない幼児と保護者の就園への要
求を満たすことができておらず、その中では障害幼児の保護者の就園への要求を充足させることは難しかった。
1970 年代に入っても 60 年代の振興政策を受け、幼稚園設置数・在籍児数はともに増加していった。1978(昭
和 53)年には在園児数が全国で 2,497,895 名と戦後最大を数えるまでに増加する。1960 年代から高まっていた
幼児教育への関心は 1970 年代に入ってもさらに高まっていったのである。この社会の関心の高まりの背景は、
1971(昭和 46)年の中央教育審議会答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本施策につい
て」からも見てとれる(19)。
「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本施策について」では、幼児
教育に関する新たな構想を示すことだけでなく、現行の幼稚園教育の振興や拡充整備を進めることも述べられて
いる(21)。それは「とくに小学校就学前の幼児に対して、家庭だけでは得がたい集団生活の体験を与えることは、
幼児の様々な発達に対してたいせつであることが認められている」
ことによるものであることが示されている(21)。
ここでは特に就学前の幼児について示されており、幼児にとって集団生活の体験が重要であるという認識が、社
会において非常に高まっていたことがうかがえる。この社会での認識の高まりが、更なる幼児教育の需要を拡大
させたと考えられる。
「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本施策について」の後に出された第 2 次幼稚園振興計
画により、実際に 70 年代を通して幼稚園設置数は増え続ける (20)。1978(昭和 53)年に在園児数は戦後のピー
クを迎え、幼稚園教育が非常に盛んになる。つまり、この時期は戦後から徐々に高まってきた就学前教育、特に
幼稚園における(集団)保育への保護者の要求が非常に高い時期であったともいえ、多くの幼児が幼稚園での保
育を受けられる環境が整備されてきた時期であるともいえる。また、
「家庭だけでは得がたい集団生活の体験」の
要求は決して障害のない幼児の保護者のみならず(21)、障害幼児の保護者にとっても同様であったと考えられる。
しかし、戦後日本においては幼稚園に関する教育政策および施策において、障害幼児の受け入れに関するもの
は後述のように 1974(昭和 49)年度「私立高等学校等経常費助成費補助金(特殊教育教育費補助)交付要綱」
(21)に基づき
「特殊教育教育費補助」
が計上されるなど限定的な施策に留まった
(教育年鑑刊行委員会編,1970,62)
。
公立幼稚園での障害幼児の受け入れや障害児保育に対する国の助成制度等の整備はなされなかった。そのため先
駆的に障害幼児を受け入れ、障害児保育を実施していった一部の私立幼稚園や独自に公立幼稚園での受け入れに
係る「要綱」等を定めた自治体を除き、戦後日本の幼稚園における障害幼児の受け入れ、障害児保育は限定的な
ものに留まっていたのである。
2.戦後の特殊教育の変遷
1960 年代には、小中学校における特殊学級そして養護学校の拡充整備が進められる。整備拡充は第 2 次池田
内閣において、高度経済成長のなか不足が指摘されていた労働力の確保の一環として、障害児者の労働力に着目
されたことによるものといえる(22)。このことは、1961(昭和 36)年「学校教育法等の一部を改正する法律」(23)
および、1962(昭和 37)年「学校教育法施行令等の一部を改正する政令」(24)による「心身の故障の程度」が定
められたこと、1960 年代における特殊学級の設置数が増加したことから読み取れる(渡邉,1997,91)
。
つまり「学校教育法」の一部改正や「学校教育法施行令等の一部を改正する政令」により、精神遅滞児におい
ては養護学校の対象が①精神発育の遅滞の程度が中度以上の者、
②精神発育の遅滞の程度が軽度以上の者のうち、
社会適応性が特に乏しい者とされ、
その程度により
「軽度の者が特殊学級の対象児とされた」
のである
(渡邉,1997,94)
。
星野(1997)も「知能遅滞児の養護学校の対象児は比較的重度で、特殊学級の対象児は比較的軽度の者であると
いう役割が明確にされた」ことを指摘しており(星野,1997,108)
、
「精神遅滞児」においては比較的障害の程度が
軽度の児童生徒が特殊学級の教育の対象となったと考えられる。
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そして 1960 年代には特殊学級の設置数が著しく増加する。まず 1950 年代後半に「公立養護学校整備特別措置
法」の付帯決議による特殊学級の拡充整備、
「特殊学級設備費補助金」が出されたことにより小・中学校の特殊学
級が増加していく(渡邉,1997,90)
。さらに 1960 年代前半にも 1959(昭和 34)年 12 月 7 日の中央教育審議会
答申「特殊教育の充実振興策について」に基づく設置計画により、特殊学級の拡充整備が進められるのである(日
本精神薄弱者福祉連盟編,1997,445)
。
それにより精神薄弱児の特殊学級は小中合わせて 1960
(昭和 35)
年に 2,250
学級であったものが(日本精神薄弱者福祉連盟編,1997,90)
、1964(昭和 39)年には 6,163 学級まで増加してい
く(全日本特殊教育研究連盟他共編,1965,237)
。
1960 年代後半にも 1964(昭和 39)年からの第 2 次の設置計画が進められることにより、1966(昭和 41)年
には年度の特殊学級設置数が小・中学校合わせて 1,810 学級とピークを迎えるほど整備が進められるのである
(全
日本特殊教育研究連盟他共編,1970,26)
。このように、主に労働力が期待された、精神薄弱の「故障の程度」が軽
い者を教育の対象とした特殊学級の整備拡充が 1960 年代には増加する。養護学校に関しても、1960 年に養護学
校設備費補助が開始され設置が進む。
「精神薄弱児」を対象とする「養護学校」も 1960 年代に整備拡充が進められ、1968(昭和 43)年には全国で
70 校を超え、1970(昭和 45)年には 96 校にまで増加する(25)。この数は同時期の盲学校設置数よりも多く、聾
学校設置数に次ぐ数にまで増加するのである。そして 1970 年代には更なる学齢期を中心とした特殊教育の拡充
整備が進められる。
このように 1960 年代~1970 年代には第 2 次池田内閣による「人づくり」を目的とした文教政策を基に小・中
学校における特殊学級が増加していった。また養護学校は特に地域偏重の問題が指摘されるものの、こちらも確
実に整備拡充が進められた。つまり日本社会においては確実に障害児を対象とした特殊教育が行われる場が拡大
していったのである(26)。このことは障害児をもつ保護者にとって、自らの子に障害児教育を受けさせたいという
要求を高める大きな要因になったと考えられる。それはまた、障害幼児をもつ保護者においても同様であったの
ではないだろうか。けれども、特殊学級の設置は学齢期の児童生徒を対象とした小・中学校で進められたため、
障害幼児は学齢期までは入学することはほとんどなかった。養護学校も年々設置数は増加したものの、精神薄弱
養護学校において幼稚部が設置されていたのは、1960 年代では全国でわずか 2 校(私立愛育養護学校(1955(昭
和 30)年~)
、東京教育大学附属大塚養護学校(1963(昭和 38)年~)
)にすぎなかった。そのため、精神薄弱
やダウン症、
自閉症等の幼児が幼稚部に就学する機会はほとんどなかったといえる。
障害幼児の保護者にとって、
1960 年代は就学への「希望」と、
「希望」に基づく要求が特殊学級、養護学校の拡充整備により高まったと考え
られる。しかし、それら教育の場の拡充整備はあったものの、障害幼児を受け入れる場としての養護学校幼稚部
はほとんどできなかった。
3.幼児教育、特殊教育における障害幼児への教育
1 および 2 でみたように、1960~1970 年代にかけ、日本では幼児教育および特殊教育の振興、幼稚園や特殊
学級、養護学校の整備推進に関する政策がとられ、施策、事業が展開されることにより、幼児教育、特殊教育が
行われる場の拡充が図られていった。そのような社会動向の中で、障害幼児は幼児教育や特殊教育に関連する政
策および施策あるいはその策定に向けた議論の中でどのように位置づけられていたのであろうか。
本項では政策および施策策定に大きな影響を与えたと考える文部省設置の審議会や会議の答申等の検討からそ
の位置づけをさぐってみたい。具体的には、
(1)1969(昭和 44)年特殊教育総合研究調査協力者会議報告「特
殊教育の基本的な施策のあり方について」
(以下「協力者会議報告」と表記)
、
(2)1971(昭和 46)年中央教育
審議会答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」
(以下「中教審答申」と表
記)
、
(3)1972(昭和 47)年「特殊教育拡充整備計画」
(以下「1972 年計画」と表記)等で議論が行われている
48
「戦後日本の障害乳幼児支援の展開過程における教育行政の動向―幼稚園および養護学校幼稚部に焦点を当てて―」
ため、この 3 つを主として取りあげる(日本精神薄弱者福祉連盟編,1997,451-453)
。
3 つ目にあげた「1972 年計画」は、1970 年代の特殊教育の整備拡充の基本になった計画であり、
「協力者会議
報告」から「中教審答申」に至る議論の流れを受けて策定されたものである。
「1972 年計画」は養護学校幼稚部
の設置が具体数をもって計画される等、障害幼児の教育に関する一連の議論を踏まえた上での国の方針が示され
ている。このことは、1970 年頃より国でも障害幼児の教育が具体的に議論にあげられ、その政策及び施策が検討
される等、新たな展開をみせたことを意味すると考えられる。
「協力者会議報告」
「中教審答申」
「1972 年計画」
3 つの議論の展開から、1970 年代の日本における障害幼児に関する教育政策および施策の方向性を検討する。
(1)特殊教育総合研究調査協力者会議報告「特殊教育の基本的な施策のあり方について」
1969(昭和 44)年 3 月 28 日に特殊教育総合研究調査協力者会議(議長:辻村泰男)より宮地茂文部省初等中
等局長宛に「協力者会議報告」が示された(27)。
「協力者会議報告」では「Ⅰ 特殊教育の改善充実のための基本
的な考え方」のなかで、早期教育に関する内容が「3.早期教育および義務教育以後の教育を重視すること」と
して以下のように示された(28)。
心身障害児に対する幼児期における教育は、心身の障害に起因する欠陥を補償し、望ましい
成長発達を図るうえに著しい効果があることから、可能な限り早期に発見し、早期から教育を
開始する必要がある。また、心身障害児の能力、特性等に応じ、社会的適応力を高め自立を可
能にするために、義務教育以後の教育をいっそう重視する必要がある。
ここでは障害幼児の早期発見、早期教育の必要性が示されている。そして、その具体的施策としては次の 3 点
が「早期教育の充実」として示されている。
○心身に障害をもつ幼児の教育については、特殊教育諸学校の幼稚部の設置をいっそう促進す
る必要があり、このための助成を強化し、また、幼稚部には、保護者が幼児とともに早期か
ら指導を受けることができるようにするため、必要な設備等の整備を図ること。
○特殊教育諸学校と地域の幼稚園とが提携協力して、当該幼稚園に心身に障害をもつ幼児を入
園させ、特殊教育諸学校の教員が巡回して特別の指導を行なうようにするための措置をとる
こと。
○特殊教育諸学校をはじめ特殊学級を置く小学校等において、保護者が幼児とともに早期から
教育相談と指導を受けることができるようにするための体制を整備すること。
このように施策としては、特殊教育諸学校幼稚部の設置、地域の幼稚園への入園とそれに対する特殊教育諸学
校の教員の巡回指導、学校における保護者と幼児への教育相談、の 3 点が示されている。
「協力者会議報告」で
の障害幼児への早期教育に対する施策で特徴的なのが、
「特殊幼稚園」の設置という考え方を示しておらず、むし
ろ「特殊幼稚園」については懐疑的ですらあるという点である。
1960 年代に障害幼児支援の場として「特殊幼稚園」を整備することが障害幼児を持つ保護者や支援関係者の中
で議論され、一部の民間幼稚園(Cf. 北九州市「いずみの園」等)では試行もなされていた。例えば 1960(昭和
35)年に全日本精神薄弱者育成会が国に提出した請願書「精神薄弱者対策促進強化について」では、文部省関係
の請願のなかで、
「
(ハ)学令前の知能程度の比較的高い精薄児のための特殊幼稚園の新設を促進すること」とあ
り、
「特殊幼稚園」の新設という文言が示されている(指導誌編集委員会編,1960,32)
。1964(昭和 39)年「精神
49
年報「教育経営研究」 Vol.1 No.1 2015
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薄弱者対策促進強化についての陳情書」にも「特殊幼稚園を創設する(中略)よう計られたい」という同様の文
言が見られる(指導誌編集委員会編,1964,31-32)
。また千葉県市川市では渡辺映子による自由契約施設(障害幼
児の通園施設)
「国分学苑」による「特殊幼稚園」の試みがなされていた(29)。つまりこの時期には障害幼児支援
の場として障害幼児を主な支援対象とした「特殊幼稚園」に関する構想が議論されていたのである。しかし、
「協
力者会議報告」では「障害児の幼稚園というような特殊な環境を作って特殊な人を入れる、そこへは親は抵抗な
く入れるんだというふうに言ってしまうと、この報告書の考え方と大分違う」
「むしろ普通の幼稚園がこれを受け
入れる用意を本気になってするように」と幼稚園に障害幼児を就園させていくように取り組む施策を示すことを
唱え、
「特殊幼稚園」には否定的な方針を報告しているのである(指導誌編集委員会編,1969,40-44)
。
「協力者会議報告」ではなぜ「特殊幼稚園」に否定的な方針を示したのであろうか。背景には 2 つの障害幼児
の教育に関する考え方があったといえるのではないだろうか。1 つが日本における幼稚園の設置状況では「特殊
幼稚園」の設置が難しいという現状認識、もう 1 点が「分離」と「統合」をめぐる障害児教育の考え方の変化の
思想、である。
1 点目の日本における幼稚園の設置状況では「特殊幼稚園」の設置が難しいという現状認識については、
「国分
学苑」の経営に携わっていた渡辺映子が「特殊幼稚園」が増えない理由を分析し、1)私立では経営が非常に困
難であるということ、2)職員の確保、3)親の方の問題、の 3 点を指摘している(渡辺,1967,19-23)
。また 1)
では、人件費がかさみ、採算がとれないこと、2)では職員の熱意や善意だけでは続かず、精神薄弱に対する十
分な知識と経験と幼児保育の技術が必要なこと、3)では特殊幼稚園にちょうど合う子どもの親が普通幼稚園に
行かせたいと思うこと、を併せて指摘している(渡辺,1967,19-23)
。つまり渡辺(1967)は日本の私立中心の幼
稚園制度では園経営が難しく、職員の確保も困難で、
(適すると目される幼児の)保護者は「特殊幼稚園」より「普
通幼稚園」を志向する理由から、日本では「特殊幼稚園」
(
「特殊保育園」も合わせて)は創設することが難しい
と述べている。日本において特に戦後幼稚園における教育を牽引してきたのは、私立幼稚園であった(30)。しかし
私立幼稚園のなかには学校法人格をもたない園も多数含まれており、行政による助成が十分行われてきてはいな
かった。実際「私立学校振興助成法」(31)が制定されるのは 1975(昭和 50)年になってからであり、多くの私立
幼稚園がそれまでは自治体等による就園奨励費補助や保護者負担等により園経営を行ってきた。このような私立
幼稚園を中心とした日本の幼児教育の状況下では、幼稚園とは別に「特殊幼稚園」を設置し、拡充整備を望むこ
とは難しいという認識が高まったのではないだろうか。そのため、普通幼稚園で受け入れる方向での検討の方が
現実的であるという認識へ転換していったことが、1 つの考えではないかと推測される。
2 つ目は障害児教育における「分離」と「統合」をめぐる議論が、幼児期の教育においても考えられるように
なったためではないかと考えられる。1960 年代から 1970 年代にかけては、それまでの「分離」を基本とした障
害児教育の制度整備に関し、見直しが求められるようになった時期に該当する。堀(1994)は、1960 年代に分
離教育の制度が能力主義教育の展開のなかで徹底化されてきたことを指摘し、
「硬直化した特殊教育の制度に対し
て七〇年代初頭から批判や反省」が行われたと述べている(堀,1994,371)
。まさにこの時期はそれまでの「分離」
一辺倒であった障害児教育に対して、
「統合」をめぐる議論が活発になってきた時期なのである。
「協力者会議報
告」のなかに「2.普通児とともに教育を受ける機会を多くすること」という点が指摘されていることからも読
み取れるように、特殊教育総合研究調査協力者会議の方向性が「統合」教育を志向していたことは明らかといえ
よう。
「協力者会議報告」では「心身障害児の個々の状態に応じて、可能な限り普通児とともに教育を受ける機会
を多く」することが述べられており、心身障害児には幼児も含んでいたと考えられる。
「統合」教育への志向が、
幼児期においても「特殊幼稚園」のような「分離」した教育を行う施設の拡充整備ではなく、普通幼稚園で障害
のない幼児とともに教育されることが望ましいという考えとして示された。
それにより、障害のある幼児の教育は「特殊幼稚園」ではなく、普通幼稚園で行われるようになっていくこと
50
「戦後日本の障害乳幼児支援の展開過程における教育行政の動向―幼稚園および養護学校幼稚部に焦点を当てて―」
が模索されるようになる。ただし、この考え方は「心身障害児の個々の状態に応じて」とあるように、すべての
障害のある幼児に考えられていたことではないことも指摘できる(30)。大井(1972)は、
「特別な幼稚園・幼児グ
ループによる指導は、中・重度の精神薄弱には必要な施策であろう。軽度の精神薄弱児については、普通の幼稚
園・保育所において特別な配慮を加えつつ、普通児とともに育てられるべきであろう」と述べている(大
井,1972,174-179)
。障害幼児においても可能な限り普通幼稚園での受け入れを検討しつつ、主に中・重度の知的
障害幼児を対象とした「特殊幼稚園」や幼児グループの指導も検討するという考え方にシフトしつつあったとい
える。また、幼稚園は私立幼稚園が多かったことと、私立幼稚園に対する私学助成がまだ十分整備されていなか
ったことから、教育の場として十分機能することはこの段階では難しかったと考えられる。1970 年代に幼児期に
関する議論がなされるようになったという展開はみられたものの、実質的な整備拡充についてはまだ議論の端緒
が開かれたにすぎなかった。そのため保護者の要求していた教育の場の創設という課題は政策および施策に係る
議論の段階であり、具体的な施策、事業化には到っていなかった。
(2)中央教育審議会答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」
先述のように、
「中教審答申」では幼児期の教育に関する言及がなされている。そこでは社会的な「家庭だけで
は得がたい集団生活の体験」の重要性の認識の高まりによる(21)、幼児期の教育の場の振興が唱えられている。そ
して、
「中教審答申」では障害のない幼児の幼児期だけでなく、障害児の幼児期についても言及されている。答申
内の「説明」では「心身障害児の幼児期における教育は、その後の発達に重大な影響をおよぼすものであること
から、早期に障害を発見し、早期から教育・訓練を開始できるようにするため、必要な判別と就学指導を行い、
それを適切に受け入れる教育の体制を確立することを早急に検討しなければならない」としている(32)。ここでは
幼年期の教育や幼稚園教育について記された項と同様に、心身障害児でも幼児期の教育のあり方がその後の発達
に影響することを示している。しかし、その「教育・訓練」を行う場として具体的な施設名があげられてはいな
い。これは「幼年学校」や幼稚園の振興に関する記述と異なる部分である。
文部省が障害幼児の「教育・訓練」を具体的にどのような場で行うことを想定していたのかについては、この
答申の翌年に示された「1972 年計画」に示されている。
(3)
「特殊教育拡充整備計画」
1971(昭和 46)年の文部省設置法の一部改正法案に対する附帯決議である養護学校義務制実施の促進の採択、
また(2)であげた「中教審答申」における「これまで延期されてきた養護学校における義務教育を実施に移す」
の提言を受け(34)、文部省は 1972(昭和 47)年から「特殊教育拡充整備計画」に基づく特殊教育の拡充整備を始
めることになる。
「1972 年計画」の中心はこれまで延期されている養護学校の義務制を早急に実施に移すための 7 年間の養護
学校整備計画であるが、
(2)のように幼児期の重要性を鑑み、養護学校幼稚部設置に関する指摘もなされている。
「1972 年計画」における 3 つの目標は次の通りである(全日本特殊教育研究連盟他共編,1972, 279-281)
。
51
年報「教育経営研究」 Vol.1 No.1 2015
pp.42-57
1)すべての養護学校教育の対象となる精神薄弱、肢体不自由、病弱の児童・生徒を就学させ
るに必要な養護学校を設置する。
2)精神薄弱特殊学級を人口五千人以上の市町村に設置し,すべての当該児童・生徒を就学さ
せるとともに,病弱、肢体不自由、視覚障害、聴覚障害、言語障害、情緒障害の児童・生徒
のうち比較的軽度のものについて,養護・訓練に関する特別の指導を行う特殊学級を一定人
口規模以上の都市に設置する。
3)盲・聾・養護学校の幼稚部に就学させるべき該当幼児の二分の一を収容するに必要な幼稚
部学級を設置する。
「1972 年計画」では、1)の養護学校設置は 7 年計画、幼稚部設置は 10 年計画と計画期間に差はあるものの、
「幼稚部に就学させるべき該当幼児の二分の一を収容するに必要な幼稚部学級を設置」が養護学校設置と同列に
記されているのである。この点から当時の文部省においても、障害幼児の教育(保育)において養護学校幼稚部
が教育を行う場として意図され、その設置計画を進めようとしていたことがうかがえる。また、その対象は 1962
(昭和 37)年に示された「学校教育法施行令等の一部を改正する政令」を幼稚部にも適用すれば、精神遅滞児に
おいては精神発育の遅滞の程度が中度以上の幼児を対象としていると考えられる。このことを先の議論と合わせ
ると、当時の文部省や障害児教育の専門家らは、障害幼児教育に関して、知的障害が軽度の子どもに関しては普
通幼稚園での受け入れを目指し、中・重度の幼児に関しては「特殊幼稚園」や養護学校幼稚部での受け入れを目
指していたと考えられる。また、日本の就学前教育、特に幼稚園教育の私立偏重傾向という特色から、養護学校
幼稚部での受け入れを視野に入れ、施策が検討されていたと考えられる。
ただし、柴崎・中嶋(2008)によれば、文部省には幼稚園に特殊学級をつくるという考えがあったことが指摘
されている(柴崎・中嶋,2008,42-43)
。このことについて柴崎・中嶋(2008)は 1974(昭和 49)年に北九州市・
戸畑幼稚園で行われた実験学校研究発表会における、当時の文部省初等中等局教調査官宮崎直男のあいさつを引
用して指摘している。そこでは宮崎の言葉で当時の文部省の考えが次のように記されている。
「文部省は養護学校の中に幼稚部を作っていこうという考えがございます。47 年に作成致し
まして 56 年度までに毎年 38 学級ずつ 640 学級養護学校の中に幼稚部を作っていこうという
計画でございます。また幼稚園の中に特殊学級を作っていこうというふうなことも今作成して
おります。障害をもっている子供達をできるだけ収容しようというふうなことで今後 1 万 3
千学級ほど作っていこうという計画がございます。もちろん普通の学級の中でもそういうふう
な教育を平行して行っていくということでございます。
障害の程度に応じて養護学校の幼稚部、
あるいは特殊学級における障害教育、あるいは普通学級の中でということで教育の場を多様化
していこうという考えがございます(後略)
」
(柴崎・中嶋,2008,39)
。
柴崎・中嶋(2008)はこの発言を、それまでの猶予・免除児が養護学校に大挙して入学してくるため、その対
応策として「文部省では障害の程度に応じて養護学校に幼稚部を設置、幼稚園に特殊学級を設置、幼稚園の普通
学級に在籍という 3 段階を考えていたことがわかる」と指摘している(柴崎・中嶋,2008,39)
。そして宮崎直男の
あいさつの中の「1 万 3 千学級」は「1972 年計画」における 2)の特殊学級の計画設置数を示している。つまり
文部省は、通常の学級では在籍が困難であるが養護学校幼稚部に在籍するほど重くない障害幼児の教育の場とし
て、幼稚園特殊学級を検討していたということである。ただし、幼稚園における特殊学級の設置については、養
護学校幼稚部や幼稚園での「統合」教育をめぐる議論に比べ、あまり議論がなされていない。そのため、幼稚園
52
「戦後日本の障害乳幼児支援の展開過程における教育行政の動向―幼稚園および養護学校幼稚部に焦点を当てて―」
における特殊学級設置をめぐる議論はほとんど文献等に残されていない。幼稚園は都道府県や都市ごとの地域偏
在が大きく、特殊学級を設置する幼稚園自体が少ない自治体も少なくないという問題が関係しているとも考えら
れるが、十分に明らかにはされていないのである(33)。
(1)~(3)の議論の流れからは、1970 年代前半には幼児期の教育がその後の発達おいて重要であるため、
早期教育を行う必要があることが国の議論のなかで指摘されていたことが見て取れる。そして障害幼児の教育の
場として、養護学校幼稚部や幼稚園が想定され議論が行われていたことが示されている。実際に、1970 年代に幼
稚部を設置する(精神薄弱)養護学校が増加していることから、これらの議論を基にした幼児への教育の場の整
備拡充も目指されていたと考えられる。しかし、養護学校幼稚部の設置も、最も多い 1978 年度で 53 学級(251
名)であり、精神薄弱児数や発生率からみれば十分とは言い難かった。同年度の盲学校幼稚部学級数 62 学級(227
名)と同数程度であり、ろう学校幼稚部学級数 426 学級(2,034 名)の 1 割程度にすぎなかったことからも明ら
かである。従って戦後 1970 年代頃までに、学齢期の障害児の教育を担う特殊学級・養護学校(小学部・中学部)
の拡充整備は進められた。しかし、幼児期に関してはまだ議論の段階であり、整備拡充への実際の動きに至る段
階までは達していなかった。
そのため教育行政における政策および施策の中で 1960~70 年代にかけ障害幼児支援として実際に施策化が図
られたのは、1974(昭和 49)年度から予算計上された「私立特殊教育教育費補助」だけであった。これは 1973
年度まで私立の盲・聾・養護学校への補助制度であったが、1974 年度から私立学校の特殊学級と障害幼児の受け
入れを行っている私立幼稚園に助成対象を拡大し、旅費・教材費・校費・人件費等の助成を予算計上したもので
あった。この助成制度が創設されたのを受けたのを 1 つの契機に、1970 年代後半から幼稚園における障害幼児
の受け入れが全国的に広がっていく(Table 2 参照)
。また公立園に関しても、各地方公共団体の助成制度創設に
より受け入れ幼稚園数が増加していったと考えられる。けれども幼稚園における助成制度は十分とは言えず、受
け入れの振興に関する政策および施策もほとんどなされなかったため、少なくとも 1960~70 年代前半において
日本の多くの地域では、幼稚園は障害幼児支援の場としては限定的に機能していたと考えられるのである。
Table 2 国・公・私立幼稚園における障害幼児の受け入れ(1980 年 3 月時点)
回答
国立
受け入れ
幼稚園数 幼稚園数
47
2
設置率(%)3歳児(名)4歳児(名)5歳児(名) 合計(名)
4
0
0
4
4
公立
5,929
2,187
36.6
21
1,055
3,227
4,303
私立
6,787
2,283
33.7
765
2,462
2,983
6,210
合計
12,763
4,472
35.0
786
3,517
6,214
10,517
(文部省資料より)
Ⅴ 考察と今後の課題
本章では、戦後から 1970 年代までの日本における障害幼児への支援体制整備について検討することを目的に
分析を行った。分析に際しては、障害幼児に関する施策に関連が深いと考えられる幼児政策および施策および障
害児者政策および施策に特に着目した。
戦後日本は、第二次世界大戦による戦災のなかで、戦後復興を目指し政策および施策が展開されていく。特に
経済復興と経済成長は復興の中心に据えられ、国政は経済施策に重点が置かれていた。このような大幅な経済成
長を背景にして、幼児政策および施策および障害児者政策および施策が行われていくようになった。まず幼児政
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年報「教育経営研究」 Vol.1 No.1 2015
pp.42-57
策および施策では、すべての幼児に対する幼児教育の保障が目指されたものの、幼稚園・保育所の二元化等もあ
り、実現は困難であった。
また、障害幼児の保育に関しても、その保障はなされなかった。障害児者政策および施策においても、他の障
害に比べ、精神薄弱児者対策は遅れていた。幼児政策および施策および障害児者政策および施策との谷間に置か
れていた障害幼児は、支援対象としてとらえる社会の認識の形成が非常に遅れていた。1960 年代まではあまり支
援の対象として議論に取りあげられることも少なかった。このような状況下では、幼稚園は整備拡充が進められ
るものの、障害幼児の支援の場として実際に機能する園は少なかったことが推測された。
幼稚園数は戦後整備拡充が進められ増加したものの、同時に障害のない幼児の幼稚園への入園希望者も大幅に
増加した。そのため、幼稚園数の増加はその希望数を十分満たすまでには至らず、幼稚園入園を希望するものの
入園できない子どもたちを生じさせた。障害のない幼児でさえそのような状況下にあったため、幼稚園において
「手がかかる」等と目された障害幼児の就園は難しかった。障害幼児にとっては、幼稚園数の増加=幼稚園への
就園の機会拡大とはつながりにくかったのである。障害児教育に関しては、1970 年前後から養護学校幼稚部の設
置や幼稚園における特殊学級の設置、障害の程度の軽い子を対象とする普通幼稚園での受け入れ等が検討される
ものの、養護学校幼稚部の設置は全国でも十数校に止まる等、十分な実現には至らなかった。精神薄弱児に関し
ては幼児期の教育の重要性の認識が盲・ろう教育のように高められておらず、養護学校の幼稚部やその他の教育
機関等での幼児の教育の場の整備拡充が進まなかった。
以上から、戦後日本における障害幼児への支援体制整備は、教育行政下の幼稚園および養護学校幼稚部のいず
れにおいても十分進められてこなかった。そのため、1970 年代まで障害幼児の保育・療育の場はほとんど整備さ
れておらず、整備に関する施策も十分なされているとは言い難い状況にあったと考えられる。
このことは 1960 年代までの障害幼児支援が民間の支援関係者や地方自治体、そして保護者に委ねられる部分
が大きかったことを意味するといえる。実際民間の動き等が戦後日本における障害幼児支援の動きの萌芽となっ
ていたことが田中・渡邉(2011)等で明らかにされている。また 1970 年代以降国の政策および施策において、
「私立高等学校等経常費助成費補助金(特殊教育教育費補助)交付要綱」に基づく私立幼稚園への助成事業がな
され、私立幼稚園で障害幼児が受け入れられる体制の進展が図られたこと、公立幼稚園でも受け入れ園数、幼児
数ともに増加したことは、それまでの民間等による行政への働きかけの積み重ねや地方公共団体独自の政策およ
び施策の結果とも考えられる。このことから今後戦後日本における障害乳幼児支援に関する検討を行うにあたっ
ては、国の教育行政下に位置づく教育行政下の幼稚園および養護学校幼稚部のみならず、民間等の取り組みや地
方公共団体独自の政策および施策等に着目する必要性が示唆される。
最後に、本研究からは 1970 年代後半から幼稚園での受け入れ事例が増加することは、1970 年代後半以降の民
間の障害幼児支援に関する様々な動きに変容をもたらしたことも推測された。実際に変容が生じていたのか、生
じていたとしたらその変容はどのようなものであったのかを明らかにすることが今後の課題である。
付記
本研究は平成 24 年度東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科博士学位論文「戦後日本の障害幼児支援に関する研
究―幼児グループから通園施設・事業への展開過程を中心に―」の一部を加筆修正したものである。
なお本研究では「精神薄弱」等の差別的表現・用語について、歴史的史資料を用いるため改変せずに使用しているこ
とを付記する。
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厚生省大臣官房統計調査部(1964)
『厚生行政基礎調査報告 昭和 38 年』厚生省.
子どもと保育総合研究会編(2008)
『最新保育資料集 2008』ミネルヴァ書房.
森岡清美・塩原勉・本間康平編(1993)
『新社会学辞典』有斐閣.
文部省監修全国教育調査研究協会編(1980)
『戦後 30 年学校教育統計総覧』ぎょうせい.
文部省初等中等局特殊教育課(1969)
「盲幼児の早期教育について」
『教育と医学』17(8),慶應通信,66-69.
文部省編(1939)
『1939 年度文部省年報』.
文部省編(1958)
『盲・聾教育八十年史』二葉株式会社.
文部省編(1978)
『特殊教育百年史』東洋館出版社.
中野善達(1976)
「盲・ろう教育の制度的整備と障害児教育対象の拡大」荒川勇・大井清吉・中野善達『日本障害児教
育史』福村出版,70-112.
日本子どもを守る会編(1971)
『子ども白書 1971 年版』緑星社.
日本子どもを守る会編(1973)
『こども白書 1973 年版』草土文化.
日本子どもを守る会編(1975)
『子ども白書 1975 年版』草土文化.
日本精神薄弱者福祉連盟編(1997)
『発達障害白書戦後 50 年史』日本文化科学社.
大泉溥(1971)
「障害幼児対策と障害幼児の保育(教育)―その基礎的問題に関する一考察―」日本福祉大学社会福祉学
会『福祉研究』24,37-58.
大井清吉(1972)
「幼児対策のあゆみ」全日本特殊教育研究連盟・日本精神薄弱者愛護協会・全日本精神薄弱者育成会
共編『精神薄弱者問題白書 1972 年版』174-179.
岡田正章・久保いと・坂元彦太郎・宍戸健夫・鈴木政次郎・森上史郎編(1980a)
『戦後保育史 第一巻』フレーベル館.
岡田正章・久保いと・坂元彦太郎・宍戸健夫・鈴木政次郎・森上史郎編(1980b)
『戦後保育史 第二巻』フレーベル館.
佐々木毅・鶴見俊輔・富永健一・中村政則・正村公宏・村上陽一郎編集委員(2005)
『戦後史大辞典 増補新版』三省
堂.
宍戸健夫(1989)
「第 2 次世界大戦後の教育改革―幼稚園と保育所の 2 つの制度―」
『日本の幼児教育 昭和保育思想史
下巻』青木書店.
指導誌編集委員会編(1960)
『手をつなぐ親たち』53,全日本精神薄弱者育成会.
指導誌編集委員会編(1964)
『手をつなぐ親たち』99,全日本精神薄弱者育成会.
指導誌編集委員会編(1965)
『手をつなぐ親たち』113,全日本精神薄弱者育成会.
指導誌編集委員会編(1967)
『手をつなぐ親たち』137,全日本精神薄弱者育成会.
指導誌編集委員会編(1969)
『手をつなぐ親たち』160,全日本精神薄弱者育成会.
児童福祉法研究会編(1979)
『児童福祉法成立資料集成下巻』ドメス出版.
柴田悦子(1973)
「現代資本主義と保育問題」諏訪きぬ・土方弘子・柴田悦子編『働く婦人の講座 第 6 巻』汐文社,249-269.
柴崎正行・中嶋寿子(2008)
「わが国における統合保育の成立過程の研究(2)―北九州市戸畑幼稚園の資料分析―」
『大
妻女子大学家政系研究紀要』44,35-43.
55
年報「教育経営研究」 Vol.1 No.1 2015
pp.42-57
末次有加(2011)
「戦後日本における障害児保育の展開―1950 年代から 1970 年代を中心に―」
『大阪大学教育学年報』
16,173-180.
障害児教育実践体系刊行委員会編(1984c)
『障害児教育実践体系別巻 障害者制度・権利便覧』労働旬報社.
高見節子・猪平眞理(2001)
「盲学校における幼児教育の歴史と今後の課題 国立の盲学校における『初等部予科』か
らの発展をふまえて」
『日本保育学会大会研究論文集』54,374-375.
田澤あけみ(1986)
「障害児の早期療育のシステム化に関する研究(1)
」
『児童育成研究』4,22-34.
内海淳(1983)
「日本のあゆみ」大井清吉・北沢清司『障害児教育・福祉入門』晩成書房,20-34.
山口薫(1997)
「全日本特殊教育研究連盟」日本精神薄弱者福祉連盟編『発達障害白書戦後 50 年史』日本文化科学
社,425-428.
渡邉健治(1997)
「特殊学級」日本精神薄弱者福祉連盟編『発達障害白書戦後 50 年史』日本文化科学社,84-102.
全日本特殊教育研究連盟・日本精神薄弱者愛護協会・全日本精神薄弱者育成会共編(1965)
『精神薄弱者問題白書 1965
年版』日本文化科学社.
全日本特殊教育研究連盟・日本精神薄弱者愛護協会・全日本精神薄弱者育成会共編(1970)
『精神薄弱者問題白書 1970
年版』日本文化科学社.
全日本特殊教育研究連盟・日本精神薄弱者愛護協会・全日本精神薄弱者育成会共編(1972)
『精神薄弱者問題白書 1972
年版』日本文化科学社.
全日本特殊教育研究連盟編(1972)
『現代精神薄弱児講座 5 社会・福祉』日本文化科学社.
注
(1)
宍戸(1989)では、当時の教育刷新委員会のメンバーであった城戸幡太郎が、幼児教育の一元化と義務制を厚生省に
話に行ったが、厚生省はすでに児童福祉法の制定が行われ、教育基本法に対して児童憲章の制定も意図しており、文
部省との折り合いがつかなかったことを振り返っている(宍戸,1989,19-20)
。
(2) 連合国軍最高司令官総司令部
(GHQ)
幕僚部
「民間情報教育局」
。
正式名は
「Civil Information and Education Section」
。
(3) 連合国軍最高司令官総司令部の要請により設けられた各種教育制度改革を審議するための委員会。
「教育刷新委員会
官制」
(昭和 21 年 8 月 10 日勅令第 373 号)に基づき設置された。
(4) 1934(昭和 19)年に創設された「精神薄弱児教育保護団体の連携」
「精神欠陥児治療教育的研究」を趣旨とした会。
戦後 1949(昭和 24)年に協会が再建された(白子,1997,422)
。
(5) 1949(昭和 24)年に創立された研究・運動団体。1953(昭和 28)年から「全日本特殊教育研究連盟」となった(山
口,1997,425)
。
(6) 1952(昭和 27)年に結成された。機関誌は『手をつなぐ親たち』である。現在の「全日本手をつなぐ育成会」の前
身である(青木,1997,429)
。
(7) 昭和 29 年 6 月 1 日法律第 144 号。
(8) 「高度経済成長期」とは経済規模の急激で継続的な拡大が生じた時期。詳しくは佐々木他編(2005)参照。
(9) 池田勇人内閣は、第 1 次 1960(昭和 35)年 7 月~12 月、第 2 次 1960 年 12 月~1963(昭和 38)年 12 月、第 3 次
1963 年 12 月~1964(昭和 39)年 11 月である。
(10) 昭和 35 年 7 月 25 日法律第 123 号。現在の名称は「障害者の雇用の促進等に関する法律」
。
(11) 1963 年度から 1970 年度までの「第 1 次幼稚園振興計画」
(7 ヶ年計画)や、1967(昭和 42)年からの「保育所緊
急整備計画」等があげられる。
(12) 昭和 38 年 7 月 26 日発児第 149 号厚生事務次官通達。
(13) 「重度精神薄弱児収容棟の設置について」
(昭和 39 年 3 月 13 日発児第 39 号厚生事務次官通達)
、
「重度精神薄弱児
収容棟の設備及び運営の基準について」
(昭和 39 年 3 月 13 日児発第 197 号児童局長通達)
。
(14) 昭和 39 年 7 月 2 日法律第 134 号。
(15) 他に、
「東京都立七生福祉園幼児棟」や群馬県社会福祉法人桐の実会「わたらせ養護園」等があった。
(16) 昭和 38 年 10 月 28 日文初初第 400 号・児発第 1046 号文部省初等中等教育局長・厚生省児童局長共同通知。
(17) 約 3,000 の公私立幼稚園の新設が図られた。
(18) 岡田他編(1980a)に「普及傾向に地域格差が著しかった」ことが指摘されている(岡田他編,1980a,74)
。
(19) 文部科学省 HP「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について(答申)
」
(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chuuou/toushin/710601.htm)を参照(Last access:20120720)
。
(20) 岡田他編(1980b)を参照。幼稚園設置数は 1985(昭和 60)年まで増え続ける(岡田他編,1980b,90-96)
。
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「戦後日本の障害乳幼児支援の展開過程における教育行政の動向―幼稚園および養護学校幼稚部に焦点を当てて―」
昭和 49 年 7 月 30 日文初特第 31 号文部省初等中等教育局長通知。
滝村(2002)は、1960 年代の高度経済成長期に、軽度の障害者が低賃金の労働力として労働政策に組み込まれた
ことを指摘している(滝村,2002,69)
。
(23) 昭和 36 年 10 月 31 日法律第 166 号。
(24) 昭和 37 年 3 月 31 日政令第 114 号。
(25) 1969 年度「学校基本調査」より。
(26) 例えば、星野(1997)等。
(27) 特殊教育総合研究調査協力者会議は元初等中等教育局特殊教育主任官であった辻村泰男が議長を務めている。
(28) 国立特別支援教育総合研究所 HP「特殊教育の基本的な施策のあり方について(報告)
」
(http://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/horei/html/b2_s440328_01.html)を参照(Last access:20120720)
。
(29) 同書のなかで、自由契約施設「国分学苑」を例に「特殊幼稚園」を考察していることからうかがえる。
(30) 岡田他編(1980a;1980b)によれば、1946(昭和 21)年度の全国幼稚園数に占める私立の割合は 51.9%(676/1303
園)
、1967 年度は 63.7%(6,109/9,588 園)
、1970 年度は 63.4%(6,843/10,796 園)である(岡田他編,1980a,65;
岡田他編,1980b,12)
。また岡田他編(1980b)に示された昭和 45 年度文部省「幼児教育に関する実態調査」によれば、
1970 年度都道府県幼稚園公私立別比率では 70.2%(33/47 都道府県)の都道府県で私立の方が比率が高い(岡田他
編,1980b,13)
。公立園が 9 割以上を占める県は 1 県(徳島)で、私立園が 9 割以上を占める県は 9 県(栃木・山梨等)
である。これらのデータからも、戦後私立園が幼稚園教育を推し進めてきたと考えられる。
(31) 昭和 50 年 7 月 11 日法律第 61 号。
(32) 文部科学省 HP「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について(答申)
」
(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chuuou/toushin/710601.htm#15)を参照(Last access:20120720)
。
(33) 岡田他編(1980b)に示された昭和 45 年度文部省「幼児教育に関する実態調査」によれば、幼稚園就園率の高い県、
例えば兵庫県(幼稚園就園率 85.2%-保育所在籍率 11.0%)から、保育所在籍率の高い県、例えば高知県(幼稚園就園
率 15.4%-保育所在籍率 68.7%)と、地域格差があることが示されている(岡田他編,1980b,15)
。
(21)
(22)
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