創価教育研究第5号 『通俗学術雑 誌 先世』 総索引 幻 の雑 誌 『教 材 集 録 』 の 探 究 と 『通 俗 学 術 雑 誌 1発 先世 』 の発 見 見の経緯 『通 俗 学術 雑 誌 先 世 』(以 下 、『先世 』 と略 す)は 、 明 治38年11月3目 行 され 、 明 治39年5月3日 に 第1巻 第1号 が発 発 行 の 第1巻 第7号 ま で の7冊 が 、東 京 大 学 大 学 院 法 学政 治 学研 究 科 附 属 近 代 日本 法 政 史 科 セ ン タ ー(明 治 新 聞 雑 誌 文 庫)に 所 蔵 され て い る。 こ の うち 、 明 治39 年2月 発 行 の 第1巻 第4号 か ら第7号 ま で の4冊 は 、 編輯 兼 発 行者 が 、 牧 口常 三 郎 で あ り、 第 7号 には 、 牧 口の 「ヴェ ス ヴ ィア ス 山 の噴 火 」 とい う講話 を掲載 して い る。 『先 世 』とい う雑 誌 に牧 口が 関 与 して い た こ とは 、関係 者 の聞 書 きや 今 まで 出版 され た 伝 記 ・ 年 譜 に も触 れ られ て い ない 。 発 見 に至 った の は、 牧 口常 三 郎 の関 係 資 料 の 中で 、 実 在 が っ か め ない も の のひ とっ に 『教 材 集 録 』 が あ り、 これ を常 に意 識 して い た こ とに あ る。 そ の 手 が か り を探 す た め に 、明 治36年 か ら41年 にか けて 出 版 され た 新 聞 及 び雑 誌 の 目次 、広 告 や 書評 、寄 贈 ・ 交 換 雑 誌 の一 覧 な ど に 目 を通 す 作 業 を して い た か らで あ る。 2『 先 世 』 と 『教 材 集 録 』 幻 の 『教 材 集 録 』 につ い て記 述 され た文 献 の代 表 的 な も の と して は 、聖 教 新 聞社 か ら昭 和47 年 に 出版 され た 『牧 口常 三 郎 』が あ る。そ の 中 で 、『人 生 地 理 学 』出版 後 の活 動 のひ とっ と して 、 「牧 口は 自 ら小 冊子 『教 材 集 録 』 を編 集 して い る。 これ は 、 日々変 わ りつ つ あ る生 活 現 象 の 実 相 に即 して 、 毎 日の新 聞 や雑 誌 等 の な か か ら、教 師 が授 業 を 展 開 して い く上 で 、役 に立 っ 教 材 とな る よ うな 記 事 を 見 っ け 、蒐 集 し、 あ わせ て 国 定教 科 書 中 の 関係 教科 、 関係 箇 所 を 明確 に し た もの で あ る 。忙 し さに追 われ て な か なか 勉 強 ので き ない 教 師 達 の 間で 好 評 だ った の み な らず 、 生 きた 教材 に 接 した 生 徒 達 の 間 で も、 そ の こ とに よっ て興 味 を喚 起 され た もの も少 な くな か っ た 」(1)。 とあ る。 巻 末 の 年 譜 で は 、1905年(明 治38年)の 項 目 と して 、 「こ の頃 経 済 的安 定 を はか るた め様 々 の 職 業 にっ く。 茗 渓 会(東 京 高 等 師 範 学校 同 窓 会)の 書 記 、雑 誌 『教 育 』 の 編 さ ん、 弘 文 学 院 の 地 理 科 講 師 、 小 冊 子 『教 材 集 録 』 の 編集 、 女 学校 講 義 録(現 在 の通 信 教 育 の 一 種)等 の仕 事 を転 々 とす るが 結 局失 敗 に終 わ る」(2)と あ る(下 線 筆 者) 。 こ の こ とは 、平 成5年 され 、1go5年(明 に第 三 文 明 社 か ら出 版 され た 『年 譜 治38年)の 牧 口常 三 郎 戸 田城 聖』 に も掲 載 項 目に、 「小 学校 教 育 の補 助 教 材 と して 小 冊 子 『教 材 集 録 』 を編 集 す る」(3)と あ り、 同 書 の 「 著 作 ・寄 稿 ・出 版 一 覧 」 の 出 版 の項 目に 、 「明 治38年2月20日 小 冊子 『教 材 集 録 』」(4)と あ る。 しか し、 こ の記 述 の根 拠 を特 定 す る こ とは 出 来 な か っ た。 ま た 、平成15年 に聖 教 新 聞社 か ら出版 され た 『創 価 学 会 三代会長年譜 「月 が 不 明 で 年 や 時 期 が 確 定 して い る事 項 」(5)と して 、1905年(明 上 巻 』にお い て も、 治38年)の 項 目に 、 「 小学 校 教 育 の補 助 教材 と して小 冊 子 『教 材 集 録 』 を編集 す る 」(6)と 記 載 して い る。 小 冊 子=単 行 本 と して の 『教 材 集 録 』は 、 どこ の図 書 館 も所蔵 して い ない 。 しか し、『教 材 集 録 』 とい うタ イ トル の雑 誌 は 、 存 在す る。 南 光社 発 行 の 『最 新 変 動 一197一 教 材 集 録 』 で あ る。 この 『通俗学術雑誌 雑 誌 は 、 明治45年6月15日 先世』総索 引 に 、第 三 種 郵 便 物 の認 可 を受 け て い る。 バ ックナ ンバY-一 一Lを 全 て見る こ とは で き な い の で完 全 に否 定 は 出来 な い が 、明治38年 前 後 に は 、当然 、南 光社 の 『教 材 集 録 』 は存 在 して い な い。 ま た 、当時 の新 聞 の書 評 、新 刊 紹 介 欄 な どに教材 集 録 が 見 あた ら ない こ とか ら、 「 小 冊 子 『教 材 集 録 』」 と は、 ま ず 、 小 冊 子 とは 、 雑 誌 も含 む 薄 い 本 とい う形 態 を表 現 す る もの で あ り、 「 教 材 集 録 」 とい う言 葉 も 、本 の 内容 を意 味 す る もの で 、 タイ トル は教 材 集 録 で は な い の で は な い か と考 え る よ うに な っ た。そ れ は 、明治 期 の牧 口に 関す る伝 記 ・聞 書 き記 録 を調 査 す る な か で 、 この 時期 の 聞 書 き に拠 る記 述 が 、正 確 に 固有 名 詞 等 を表 記 して い な い こ とが あ る とい う経 験 に 基 づ く もの で あ る(7)。 小 冊子 『教 材 集 録 』 が 、単 行 本 と して 出版 され た とす る な らば 、 図書 館 に所 蔵 され て い な く と も図 書総 目録 に掲 載 され てい る はず で あ る。 明治39年10月 に 出版 され た 『東 京 書 籍 商 組 合 図 書 総 目録 第3版 』(8)の 文 会 堂 の 出版 書 籍 に は 、『人 生 地理 学 』 と とも に 、『教 科 日誌 理 』 と 『教 科 日誌 日本 地 外 国 地 理 』 が掲 載 され て い る。2冊 の 『教 科 目誌 』 は 、未 発 見 だ が 、『早 稲 田学 報 』(9)等 の 書 評 と広告 か らそ の概 要 を知 るこ とが で き る。体 裁 は小 冊 子 と呼ぶ にふ さわ し い が 、『教 科 日誌 』は 、本 来 、弘 文 学 院 で学 ぶ 中 国人 留 学 生 の た め の サ ブ ノー トと して考 案 され た もの で 、 そ れ を広 く中 等学 校 の学 生 の便 に供 す る た め に 出版 され た も ので あ る。 よ っ て 、聖 教 新 聞社 『牧 口常 三郎 』 で紹 介 され て い る 内容 とは異 な る の で 、 こ の2冊 を も っ て 、幻 の 『教 材 集録 』 とみ なす こ とはで き ない 。 3.『 先 世 』 の 編 集 方 針 『通 俗 学術 雑 誌 先 世 』 の第1巻 第1号 の表 紙 裏 に は、 「 先 世 の 目的 は 、学 術 技 芸 及 び諸 般 の 知識 を普及 し、発 明 を促 進 奨 励 す る に あ り。」 とあ り、 「先世 の特 色 は 、記 事 の正 確 な る 、 有益 な る、 且興 味 あ る こ とな り。 講 話 は斯 道 に最 も通 じた る学 者 名 士 に就 き て 、特 に本 誌 の為 に講 述 せ られ た る もの ㌧み を掲 ぐ。 発 明 特 許 彙 報 は他 に類 例 な き も の な り。」 と して い る。 更 に、発 刊 の辞 に は 、「吾 々 の 主 眼 とす る所 は或 る専 門 の学 術 に 関 して最 も確 実 な る知 識 を有 す る人 の説 を求 め て何 人 に も分 り易 く極 めて 通俗 に 之 を紹 介 す る こ とであ る」 と述 べ て い る。 本 誌 の 目的 に も明 らか な よ うに 、 学術 等 の 知識 の普 及 と広 い意 味 で の発 明 の促 進 奨 励 を 目指 す もの で あ り、 何 人 か の講 話 と発 明 特許 彙 報 と雑 録 で構 成 され 、 ほ とん ど広 告 を載 せ な い 紙 面 構 成 とな っ て い る。 『先 世 』 は 、 当然 、 教 師 の 中 で購 読 す る人 もい た と思 わ れ る が 、教 師 を対 象 と した教 育雑 誌 で は な く、 よ り幅広 い読 者 層 を想 定 した 雑 誌 で あ る。 4.『 先 世 』 と牧 ロ 常 三 郎 次 に、 牧 口常 三 郎 と 『先 世 』 との 関係 につ い て み て み た い。 『先 世 』 創 刊 時 は 、 編輯 兼 発 行 人 は 、 豊 田潔 臣 で 、発 行 所 の 先世 社 の住 所 は 、東 京 市神 田区 駿 河 台 北 甲賀 町 十 番 地 に な っ て い る。 明 治39年2月 先 世 社 の住 所 は 、 東京 市神 田区 三 崎 町 三 丁 目一番 地 明 治38年5月 の 第4号 か ら牧 口が編 輯 兼 発 行 人 とな り、 大 日本 高 等 女 学会 構 内 に移 転 して い る。 に大 日本 高 等 女 学 会 を創 立 し、 実 質 的 な運 営 を行 う主 幹 で あ っ た牧 口は 、 同 じ建 物 に先 世 社 も置 き、 そ の 業務 を 行 っ て い る。 豊 田潔 臣 は 、 どの よ うな 人 物 か詳 細 は不 明 だ が 、 『先 世 』 の創 刊 時 か ら既 に先 世 社 と牧 口 との 関係 が あ っ た こ とは 推 測 で き る。 そ の理 由 は 、 第 一198一 創価教育研究第S号 1巻 第1号 に、大 下藤 次 郎 が 編 輯す る 『み ず ゑ 』と同 じ大 下 の経 営す る内 外 出版 協 会 が 各1頁 山根 吾 一(10)の 編輯 す る 『渡 米 雑 誌 』 と、牧 口が主 幹 を務 め る大 日本 高 等 女学 会 が1頁 を 出 して い るか らで あ る。 広 告 は 、 第2号 か ら第6号 には 掲 載 され て お らず 、 第7号 、 の広 告 に 、大 下 藤 次 郎 の 『み ず ゑ 』 と大 日本 高等 女 学 会 の月 刊 女 性 雑 誌 『家 庭 楽 』 が あ るの み で あ る 。 『先 世 』 が 毎 回 講話 を掲 載 して い る人 物 に池 田夏 苗 が い る。 池 田夏 苗 は 、牧 口が 主 幹 を務 め る大 日本 高 等 女 学 会 が 発 行 す る講 義 録 『高 等 女 学 講 義 』 で 英 語 の講 義 を担 当 して い る。 そ の 兄 で 、味 の素 の 発 明者 で あ る池 田菊 苗 の講 話 も2度 掲 載 され て い る。 『先 世 』 の 編 輯 兼 発 行 人 とな った 明 治39年2月 ご ろの 牧 口 は、 どの よ うな仕 事 を し て い た で あ ろ うか。まず 、主 た る仕 事 と して い た大 目本 高等 女 学 会 は順 調 に拡 大 を してい る時 期 で あ る。 明治38年5月 に創 立 した 同会 は、明 治39年11月 に は 、全 国 で2万 有 余 の 女 性 が 『高 等女 学 講 義 』 を購 読 して い た と考 え られ る(11)。ま た 、明 治39年 は会 員 が 毎 月 着 実 に増 え てい た と思 われ る。 同会 の運 営 と月2回 発 行 の 『高 等 女 学 講 義 』 と月1回 発 行 の 『家 庭 楽 』 の編 集 、 自身 も前 書 に 世界 地理 の講 義 を連 載 して い る。多 忙 の為 か 、明 治38年12Hに 治36年11A1日 は 、『人 生 地 理 学 』 出版 直後 の 明 か ら勤 務 して い た 茗 渓 会 を退 職 して い る(12)。 しか しな が ら、 弘 文 学 院 と東 亜 女 学校 で は 、明 治40年4月 ま で 教 鞭 を と って い る ので 、明治39年 初 め頃 の牧 口は実 に多 忙 の 日々 を送 っ て い る と思 われ る。 新 た に 『先 世 』 の 編輯 兼 発 行 人 を積 極 的 に兼 務 しな けれ ば な らな い 理 由 は 見 え て こな い。 総 合 的 な事 業拡 大 を考 え て い た か 、 も し くは 、友 人 か ら頼 まれ た とい う 可 能 性 も推 測 で き る。 『先 世 』 は 、東 京 大 学 の 明 治新 聞雑 誌 文 庫 には 、 第1巻 第7号 ま で所 蔵 され て い る が 、 明 治 39年5月3目 発 行 の 第7号 以 降 が発 行 され て い る可 能性 を示 す 資 料 は 、 現在 の とこ ろ 発 見 で き て い な い 。 引 き 受 け た 理 由 と と もに 、 な ぜ 短 期 間 で廃 刊 に な っ た か 、 も し くは 、継 続 して い る の か は 、今 後 の研 究課 題 で あ る。 5『 教 材 集 録 』 の存 在 す る 可能 性 と 『新教 材 集 録』 の 発 見 聖 教 新 聞社 『牧 口常 三 郎 』 にお い て 紹 介 され て い る教 師 の た め の雑 誌 『教材 集 録 』 の イ メー ジ と 『先 世 』 の 内容 とは必 ず しも一 致 しない 。『教材 集 録 』 は別 に存 在 す る の で あ ろ うか 。現 在 の とこ ろそ の 痕 跡 す ら見 っ け る こ とは出 来 て い ない 。 も し、 あ る と して 、 明 治38年 と考 えた 揚 合 は 、牧 口が 、 自 ら主 幹 とな って 明 治38年5月 に大 日本 高 等 女 学 会 を創 立 して い る こ とか ら、 同会 創 立 へ の 動 きが 活 発 化 す る前 の4月 以 前 の可 能 性 が 高 い だ ろ う。 しか し、4月 以 前 で あ っ て も東 京 高 等 師 範 学 校 の 同窓 会 茗 渓 会 書 記 と して 、雑 誌 『教 育 』 の 編 輯 等 の仕 事 を して お り、 弘文 学 院 の地 理 科 講 師 、東 亜 女 学 校 の教 師 と して諸 科 目 を教 えて い るの で 多 忙 で あ る こ とは変 わ らない 。筆 者 は 、今 の とこ ろ、 「 教材 集 録 」 とは 『先 世 』 の こ とで は な い か と考 え て い る。 し か し、大 目本 高 等 女 学 会 の主 幹 を務 め る 中 で 、『教 科 日誌 』 を 出版 し、 『人 生 地 理 学 』 の訂 正 増 補 の原 稿 を書 きつ づ け て い た牧 口で あ る か ら、『先 世 』 とは別 に 、 『教 材 集 録 』 も しく は それ に 相 当す る 出版 をや って い るか も しれ な い 。 幻 の 『教 材 集 録 』 を探 しっ づ け て い た こ とは 、思 わ ぬ発 見 を生 ん だ。 昭和8、9年 れ て い た 『進 展 環 境 新 教 材 集録 』(城 文 堂発 行)1冊 見 で あ る。 牧 口が 、『創 価 教 育 学 体 系 』第1巻 聖)は 、城 文 堂 か ら 『新 進 教 材 年12月 頃 には 、 『進 展 環 境 に発 行 さ 、『新 教 材 集 録 』(日 本 小 学 館)8冊 を 出版 した 昭 和5年 の発 の5月 頃 、戸 田城 外(後 の城 環 境 』 とい う月 刊 教 育 雑 誌 を創 刊 した(13)。そ の後 、 昭和7 新教 材 集 録 』 の 創 刊(14)と な り、 昭和9年 一199一 初 め 頃 に は 、 『新 教 材 集、 『通俗学術雑誌 先世』総索引 録 』、 昭 和10年8.月 頃 に は 、 『新 教 』、 昭 和11年7月 に は 、『教 育 改 造 』 と改題 され て い く(15)。 これ はま さ に聖 教 新 聞 社 『牧 口常 三 郎 』で 記 述 して い る教 師 の た め の雑 誌 で あ り、特 に、『新 教 材 集 録 』 以 前 の も の は教 師 のた め の教 育 雑 誌 の色 彩 が 鮮 明 で 、牧 口常 三 郎 の 創 価 教 育 学 の 普及 を 目指 して 編 集 され て い る こ とが 紙 面 構 成 か ら見 て取 れ る。しか し、この 『新 教 材 集 録 』の 「 新」 は 、 明治38年 の幻 の 『教 材 集 録 』 に対 して の 噺 」 で は な く、 当時 出版 され て い た 南 光 社 発 行 の 『最 新 変 動 教 材 集 録 』 に対 す る 「新 」 で は な い か と考 えて い る。 (注) (1)『 牧 口常 三郎 』(i聖教 新 聞社 (2)前 牧 口常 三郎 戸 田城 聖』(第 三 文 明 社 平成5年)39頁 。 出、519頁 。 (5)『 創 価 学 会 (6)前 。 出 、502頁 。 (3)『 年 譜 (4)前 昭和47年)51-52頁 三代 会 長 年 譜 上巻 』(聖 教 新 聞 社 平成15年)凡 例4頁 。 出、50頁 。 (7)『 大 白蓮 華 』 第12号(聖 教 新 聞社 昭 和25年11月)、14頁 の 「 牧 口先 生 の 御 一 生 」 の 明 治38年 頃 の 記 述 を例 に す る と、文 末 に 「 近親 者 の 談話 を 基 と して 書 き 綴 る ・原 島宏 治 」 と して 、 「 殊 に最 後 の 大 目本 女 学講 義 は 、 会 長 に二 条 候 副 会 長 に青 木 子 爵 等 の名 前 を あ げ 、視 学 浜 幸 二 郎 と協 力 して 大 々 的 に発 足 した の で あ るが 」 と あ る が、 『大 日本 女 学講 義 』 は 、『高等 女 学講 義 』 の 誤 りで 、 会 の 名 称 で あ る 大 日 本 高 等 女 学 会 と混 同 した と考 え られ 、 二 条 侯 、 青木 子 爵 は 、 そ れ ぞ れ 同 夫 人 で あ り、 会 の 発 足 か ら2 半 後 の1910年12月 に会 長 、副 会 長 に な っ て い る 。 浜 幸 二 郎 は 、 幸 次 郎 の 誤 り。 明 治38年 の 大 日本 高 等 女 学会 の創 立 は浜 と牧 口の 二人 が 中心 に な っ て行 った 。 (8)『 東 京 書 籍 商 組 合 図書 総 目録 第3版 』(東 京 書 籍 商 組 合 事 務 所 明 治39年)、192、406頁 。 明 治44 年 発行 の 同 目録 第4版 に も掲載 され て い るの で、 短 期 間 で絶 版 に な った とは考 え に く い。 (9)『 早 稲 田学 報 』117号(早 本地理 外 国地 理 稲 田 学会 牧 口常 三郎 著 明 治39年5月1日)、49頁 東京 発免 の 「 寄 贈 薪 刊 」 に は、 「i教 科 日誌 日 本 書 は 中学 校 、 師 範 学 校 、 高 等 女 学 校 及 び 之 れ と全 等 の諸 学 校 の学 生並 び に 自修 者 の 日本 地 理 外 国 地 理 研 究 上 の一 助 に も と編 纂せ る も の に して 、 教 室 若 し くは 自宅 に於 け る 学習 の 際 要 点 を 秩 序 正 し く摘 書 して 記 憶 に便 な ら しむ る こ と を期 し、 順 序 及 び 項 目は、 大 体文 部 省 訓令 の 中 学校 教授 要 目に 則 り、 且 つ 現 今 最 も好 評 あ る志 賀 山上 氏 等 の地 理 書 を参 考 した り と云 ふ。(定 価 日本 の部 金拾 銭 外 国 の 部 金 拾 弐 銭)」 と あ る。 書 評 は、 他 に、 『教 育 時論 』721号 (開発 社 明治39年4月25日)、28頁 、 『渡 米 雑 誌 』 第9年 第3号(渡 米雑誌社 明 治39年3月3目)、 16頁 に掲 載 され て い る。 よっ て 、 出版 時 期 は 、 明治39年 初 頭 と推測 で き る。 (10)山 根 吾 一 は 、 片 山潜 の 後 を引 き 継 い で、 渡 米 協 会 の運 営 に あ た っ た。 岡 林信 夫 『あ る社 会 主 義 者 の 肖像 一 山根 吾 一 覚 書 一 』(不二 出 版 (11)萬 朝 報 明 治39年11月11目 付4面 (12)明 治42年1月 平 成12年)}ビ 詳 しい。山根 と牧 口 との 交 友 に つ い て も触 れ てい る。 の広 告 に は 、 「 大 好 評 を博 し己 に二 万 有 余 の会 員 あ り」 とあ る。 の牧 口の履 歴 書 に よれ ば、 「明治 三 十 六 年 十 一 月 一 日 茗 渓 会 ヨ リー 任 セ ラ レ庶 務 会 計 編 輯 ノ事 務 二 全 三十 八 年 十 二 月 マ テ従 事 ス」 とあ る。 (13)『新 進 教 材 環 境 』第1巻 第9号(城 文堂 昭 和5年11月 発 行)の 表 紙 に は、「昭 和5年5月26日 第 三種 郵 便 物 認 可 」 とあ る。 (14)セ ン タ ー の 所 蔵 す る 『進 展 環 境 に は 、 「昭和7年12月28日 新 教 材 集 録 』 第3巻 第14号(城 (15)『 新 教』 『教 育 改 造 』 の表 紙 に は 、 「 昭 和7年12E28日 『 進展環境 文堂 昭 和8年12月 発 行)の 表 紙 第 三種 郵 便 物 認 可 」 とあ る。 第 三 種 郵 便 物 認 可 」 とあ り、巻 号 の つ け 方 も 新 教 材集 録 』 か らの 改題 の扱 い を して い る と考 え られ る。 (塩 原 一200一 将 行) 創 価教育研究第5号 凡 例 一 、本 文 の表 記 に よ り記 載 した が 、 旧字 体 で記 載 で き な い漢 字 にっ い て は 、新 字 体 に改 めた 。 一 、欄 外 に は 出版 年 月 目、巻 、号 、 編輯 兼 発 行 者 を記 載 した 。 一 、巻 数 表示 は ア ラ ビア数 字 に統 一 した。 一 、「 始 頁 」欄 に は 本 文 が 開始 され た ペ ー ジ数 を記 載 した 。作 品 にペ ー ジ番 号 の表 記 が な い場 合 は 、本 文 のペ ー ジ数 を数 えた 上 で()に 一 一 入 れ て 記 載 した 。 、「終 頁 」欄 に は本 文 が 終 了 した ペ ー ジ数 を記 載 した。作 品 にペ ー ジ 番 号 の表 記 が な い 場 合 は 、 「 始 頁 」と同 様 と した。 、「 作 品名 」欄 に は 作 品 の タ イ トル を記 載 した 。 但 し、 記 号 等 は省 略 した。 本 文 に タ イ トル が な い 場 合 は 内 容 をイ タ リック 体 で記 載 した。 な お これ につ い て も本 文 の表 記 に よ り記 載 した が 、 旧字 体 で 記 載 で き な い漢 字 にっ い て は 、 新 字 体 に改 め記 載 した。 一、 「 作 者 名 」欄 は 本 文 の表 記 に した が って 記 載 した 。 一 、「 種 類 」欄 は 目次 に よる分 類 に した が った 。 一、「 備 考 」欄 に は本 文 の 内容 表 記 と 目次 表 記 が 明 らか に違 うも の を記 載 した 。これ に は 作 者名 も含 ま れ る。 (作成 者:北 川 洋 子) 明 治38年11月3日(第1巻 始 頁1終 表紙 頁1作 表紙 口絵 第1号)豊 田潔 臣 品名1作 表 紙/要 目 本誌 の 目的/本 誌 の特 色/奥 付 多摩川上流白丸の秋 者名[種 類1備 大下藤次郎 画 齋田功太郎 池田菊苗 住友兼吉 講話 講話 講話 池 田夏 苗 講話 講話 考 目次で は多摩 川 の 紅葉 (百版)と記載 護刊の辞 目次 ■1 6 12 19 20 27 5 12 19 19 27 33 33 34 35 37 39 39 33 34 37 39 39 39 綴 初泉」 オ鋤 源重之/鶉遮 予告 實用新案法 最近の特許品 改良は護明 39 40 40 40 41 42 42 42 42 43 43 44 44 44 44 40 40 40 41 41 42 42 42 43 43 44 44 44 44 45 日本 人 は議 明 に適 しないか 畿 明 より大な るものな し 畿 明 は無 盆で あるか 畿 明 家と常識 近 年 の大 登明 蒸 気 、電 気 、X線 獲明特許彙報 議明特許彙報 畿明特許彙報 獲明特許彙報 樺太の氣象 樺太石油畿見 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 墨奮の紅葉 マッチ の製 法 緻 働 颯 レi公 在卿 大 畿明 家ア ルキメデス 米 國の 冨 に就きて 斯波貞吉 目次で は米 國の 富 に就 い て と記載 獲明特許彙報 獲明特許彙報 護明特許彙報 獲明特許彙報 目次で は畿 明 の奨 励 と記 外 國 に於 ける畿 明の奨 働 載 島 のi教 最大の動物 最高の動物 物 の速 さ 人 の 分娩 の 時間 大象 女護の島 朝鮮の農産物 一201一 『通俗 学術雑誌 先世』総索引 濁逸へ の輸出入減す 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 48 日本 電氣 の 進歩 雑録 (49) (50) (51) (52) (53) 広 告 蓋蕩曾 45 45 46 46 47 48 48 45 46 46 47 47 48 48 48 (49) (50) (51) (52) (53) 辛崎の松 甘藷 植物の数 柿 テキサ スの 日本 人 日本 の沈 没船 引 揚工 事 目次 で は濁 逸へ の輸 出 人減 少 と記載 広告 内亦出鰯 曾 広 告 麓 米協曾 広 苦 オ ヨ本葺等女學曾 広痔 彪屋離易屡/耐 屋 裏表紙 裏表紙 広 苦 冨 ψ房 明治38年12月3日(第1巻 始 頁1終 表紙 頁1作 表紙 口絵 1 8 12 20 27 37 40 42 43 43 44 45 45 46 46 47 47 47 49 49 50 51 51 51 51 52 52 52 7 12 19 26 36 40 42 43 43 43 45 45 46 46 47 47 47 48 49 50 51 51 51 51 52 52 52 52 表紙 1 7 14 20 26 34 36 岡村金太郎 山根正次 住友兼吉 亜 弗利 加 の小 人 國 クリスマスの話 豊 田潔 臣 池 田夏 苗 日光 浴 治療 術 海底 電線 の世 界一 週 電氣畿動汽船 無線電信機装置 の列車 第3号)豊 別1備 考 講話 薄話 薄話 黄話 蒼話 畿明特許彙報 獲明特許彙報 登明特許彙報 嚢明特許彙報 畿明特許彙報 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 癩病 新高山登撃 印度洋探検 世界週航商品陳列船 横濱桑港間の快走 表紙 7 13 20 25 33 36 38 者 名1種 最近の特許品 最近の實用新案 特許出願の旨意 便利か不便利か 畿明に必要な學問 蜜柑 世界の植物園 樺太島の農業 本年の褒と米 米國昨今の米作 漏州の柞翼練 邊羅の翼況 樺太島の漁業と狩狸 人の猿眞似 頁1作 ロ絵 ロ絵 田潔臣 淺草海苔 戦後経螢の最急務 石鹸製造法 明 治39年1月3日(第1巻 始 頁1終 第2号)豊 品名1作 表紙/要 目 本誌 の 目的/本 誌 の 特色/奥 付 東京 溝(海 苔 採集 期) 田潔臣 品名1作 表紙/要 目 本誌 の 目的/本 誌 の特 色/奥 付 者 名1種 馴鹿 の圖/藁 の圖 東京瓦斯會社第二製造所傾斜式瓦斯 煉階上の圖/同 上瓦斯清澤器械の内 冷縮器及掃嬢器(工事中)の圖 瓦斯工業の話 変酒醸造法 世 界 第一 の 燧道 シムプ ロン 象の話 維新前の大畿明家近江大橡 最近の特許品 最新の實用新 案 別1備 考 要 目では馴 鹿 及漿 と記 載 要 目では瓦 斯蟷及瓦斯 清津器と記載 水田政吉 =谷 美種 池 田夏 苗 豊田潔臣 斯波貞吉 薄話 薄話 董話 蒼話 黄話 嚢 明特許彙報 登 明特許彙報 一202一 創 価教育研究第5号 38 38 38 38 42 43 43 44 44 45 46 46 47 47 47 48 48 48 48 48 49 49 49 49 50 50 特許出願轍 實用新案出願数 特許出願敷と許可の割合 世界の大登明 馴鹿と塵 鶴と覇 鮒と鯉 林檎 38 38 38 42 43 43 44 44 45 46 46 47 47 47 48 48 48 48 48 49 49 49 49 50 50 50 熱 の野 菜 黄金 の産出 石 油の 産 出 世界 第 一 の高 屋 空中の有様 世界最大の戦艦 艦底の改良 ゴムの 製 造 アンチモニー 製造 印 度 に於 ける 日本燐 寸 南米航路の初航 アルゼ ンチンと日本 商品 ヒリッピンの鐡 道 敷設 喫煙と各國 太陽の黒鮎 悲轟病原登見 電車救難器謹明 肺病種痘療法の獲明 明 治39年2月3日(第1巻 始 頁1終 表紙 畿明特許彙報 獲明特許彙報 畿明特許彙報 畿明特許彙報 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 頁1作 表紙 第4号)牧 ロ常 三 郎 品名1作 表 紙/要 目 本 誌 の 目的/本 誌 の特 色/奥 付 者 名1種 ロ絵 空中懸垂鐡道 街上架設之圖/ウッペル 河上架設之圖 ロ絵 イエ ロース トー ン公 園 マンモス温 泉/ カッス ル噴 泉 7 13 23 27 34 眞珠の話 鍍金術 岩川友太郎 住友兼吉 世 界最 大 の 公園 イエローストーン 池 田夏 苗 豊 田潔 臣 高 山榮 一 35 38 39 40 40 41 41 43 45 46 46 46 47 47 47 47 48 48 48 49 49 49 50 50 50 38 39 40 40 41 41 43 45 46 46 46 47 47 47 47 48 48 48 49 49 49 50 50 50 50 最近の特許品 最新の實用新 案 畿明の必要迫る 今後の護明 我 國 の工 藝 考 要 目で は空 中懸 垂 鐡道 街 上の 架 設/河 上 の架 設 と記載 要 目で はイエロース トン 公 園 と記 載 1 7 14 23 28 空中懸垂鐡道 別1備 講話 講話 講話 講話 講話 要 目で は 日本の 工 藝 と記 載 獲明特許彙報 獲明特許彙報 獲明特許彙報 獲明特許彙報 獲明特許彙報 獲明特許彙報 雑録 雑録 本 文 中で は狸虎 と記 載 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 特 許 と内外 人 十二年間の特許件敷 ノベル 賞 金受 領者 膿虎 山茶 と茶梅 世界最大の花 満洲の農作 垂溝の樟樹 奥 羽 の 凶作 と氣象 電氣 と種 子の 嚢 芽 ゴム製造 の成効 航海と液体燃料 極東探瞼 西藏探瞼 磁氣極鮎 の獲見 爆畿藥の新原料 硝子の原料 我國の陶器磁器 沈設水雷の謹明者 害轟駆除電車 本社の移轄 と社務援張 一203一 『通俗学術雑誌 明 治39年3月3日(第1巻 始 頁1終 表紙 頁1作 表紙 口絵 口絵 口絵 第5号)牧 先世』総索 引 口常 三 郎 品名1作 表紙/目 次 本誌 の 目的/本 誌 の特 色/奥 付 汽車 の 今昔 ニユ ルンベル ヒ・ フルテ ル 鐡 道開 通 時(今ヨリ七十 年前)の 光景/ 最 近 の機關 車(速 カー 時 間 九十 哩) 蒸 氣機 關 の畿 明 者ヂェー ムス ・ ワット 者 名1種 別1備 電 氣 鐡道 の畿 明者 ウェル子 ル ワ オン ・ シーメンス 准 14 平 野 の出 來 かた と其 人 文 の關係 山崎直方 講話 15 25 34 39 40 40 42 45 45 45 46 47 48 48 49 50 50 24 34 38 40 40 42 44 45 45 46 47 48 48 49 50 50 50 徽毒に就て 英國民の膨脹 汽車の今昔 我國の獲明界 各國專費特許状敷 津久井省巳 講話 講話 講話 嚢明特許彙報 表紙 最新の實用新案 世界の最 大旅舘 人 ロ十 万 以上 の世 界 の都 會 火星に人が住むか 人造絹の盛況 鰐魚の番鳥 小 見の 死亡 率 英國科學組合 フオン ・ べ一 リング教授 の 新肺 病 藥 海水中の淡水泉 水難救命法の獲明 頁1作 表紙 ロ絵 ロ絵 老谷生 老谷生 老谷生 老谷生 日本 最 近 の嚢 明 明治39年4月3日(第1巻 始 頁1終 岡 田恵市 池 田夏苗 第6号)牧 登明特 午彙 報 登明特許彙報 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 口常三郎 品 名1作 者 名1種 表 紙/要 目 本 誌 の 目的/本 誌 の特 色/奥 付 ス ヴェン ・ ヘヂ ン氏旅 装 の像/ム スタガタ 山のテ ルゲン ・ ブラク氷 河 智 利 國アタマ ワの沙漠(硝 石 原産 地)/ 同上 硝 石精 製 所 空 氣 より肥 料 の製 造 池田 菊苗 別1備 豊 田潔 臣 26 石器時代の塵物利用品 中村士徳 講話 26 36 ス ヴ エン ・フオン ・ヘ ヂ ン 氏 の 探 瞼 池 田夏苗 講話 37 39 40 40 41 41 43 39 39 40 40 41 43 43 44 45 46 46 46 47 48 48 最近の畿明品 最近の實用新案 砂鐵の性質用途及び採集法につき 20 43・ 44 45 46 46 47 47 48 阿部文夫 馬鈴 薯 より澱 粉を製 取す ること 智利硝石の原産地 猫逸 の一 元論 者 の團 髄 創立 紬帯 に硝子 の 利用 特許品展覧會開催の計書 世 界 に於 ける大 學 の撒 米國の大疏水工事 米國南部諸州の畿達 エスペランド語 羅 馬 字ひ ろめ 會 護明特許彙報 畿明特許彙報 質問磨答 質問鷹答 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 i雑録 北海道移住の漿働 倫敦旅館の電話装置 雑録 雑録 一204一 考 要 目で は全 上硝 石 精製 所 と記 載 講話 講話 講話 6 15 20 目次で は汽 車 の今昔 七 十 年前 の 汽 車/最新 の汽 車 と記 載 目次で は蒸 氣機 關 の嚢 明 家シェーム ス ・ ワット氏 肖像 と記 載 目次で は電 氣鐡 道 創 設 者 ウェルネ ル ・ フオン・ シーメンス氏 肖像 と記載 目次で は、平 野 の出 來 方 と其 人文 に封 する關 係 と 記載 糊 難 彙報 精神の素質 膿腋獣の話 1 7 15 考 要 目で はオ ツトセイと 記載 要 目では石 器 時 代の 廣 物 利 用 と記 載 要 目ではス ヴェン ・ フォ ン・ ヘヂ ン氏 の中 央亜 細 亜 探瞼 と記 載 創価教育研究第5号 48 49 49 49 49 降電豫防法 鐘淵紡績會社の獲明漿働 醤油醸造機の登明 49 49 49 49 50 百廿=年 間の 盤 力 自働製菓器 明治39年5月3日(第1巻 始 頁1終 表紙 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 頁1作 表紙 ロ絵 ロ絵 第7号)牧 口常 三 郎 品名1作 表 紙/要 目 本 誌 の 目的/本 誌 の特 色/奥 付 イタリア國 ナポリ湾 タクラ・ マカン沙 漠 者名1種 別1備 考 実 際の 口絵 には 存在 しな い 1 9 18 27 8 17 26 40 石炭瓦斯製造の副生物 41 41 43 43 44 44 44 45 46 47 48 41 43 43 43 44 44 45 46 47 48 50 英佛間の海底燧道 五大洲連絡鐵道 製紙の新原料 (51) (5D 広告 鯖 愈以 ヨ本瘍争女學曾 出灘 高松豊吉 肝付兼行 石 炭 の産 出 ヴェスヴィアス 山の 噴火 ス ヴ ェン ・フォン ・ヘ ヂ ン氏 の 探 瞼(績 き) 牧 ロ常=郎 池 田夏 苗 講話 講話 講話 講 一舌 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 雑録 護明特許彙報 魔 酔 剤としての ダイナマイト パ リ市 街 の掃 除料 軍 用 自働 車 の獲 明 満洲博覧會 鹿児島鐵道燧道工事 馬匹の改良 皇潜の大震災 最近の特許品 裏表紙 裏表紙 広 告 メ旧 本葺争女學 曾 一205一 要 目で はスヴエン・ フォ ン・ ヘ ヂン氏 の中 央亜 細 亜探 瞼(績き)と記載
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