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Nき
響わ
桂め
て
冠広
指い
揮レ
者パ
ー
がト
登リ
場ー
を
も
つ
「文は人なり」
という言葉がある。ただし、
文学の世界でも、音楽の世界でも、必ずしも
そうではない例は、いくらでも挙げることがで
きる。とてもではないが、友だちにはなりたく
ないタイプの作曲家が、とてつもなくすばら
しい作品を書いたり、コミュニケーションがと
りづらいとしか思えない演奏家が、予想を
遙かに超えた世界を奏で上げる例は無数に
ある。
この6月に、N 響定期公演を指揮するア
シュケナージは、世界的なマエストロであり
ながら、もったいぶったり、尊大であったりす
ることがまるでない人物である。筆者は、数
回、インタビューをしたことがあるのだが、そ
のたびに、にこやかな語り口やものの見方
に接して、満ち足りた気分で家路につくのが
常である。ただし、その音楽と向き合う姿勢
は、つねに真摯である。あるとき、きわめてレ
パートリーの広いマエストロに、ラヴェル《道
化師の朝の歌》の管弦楽版は指揮している
のに、原曲のピアノ独奏版を録音していない
点についてうかがったところ、インタビュー場
©Keith Saunders
文
◎
満
津
岡
信
育
所の楽屋の隅にあったピアノに向かい、いき
なり暗譜で弾き始め、
「このパッセージが巧く
弾けないんだ。無理矢理弾こうとすると、指
を痛めてしまうからね」
と語っていたことが印
象に残っている。ごまかし気味に弾いたり、
適当に処理することは、音楽家としての良心
が許さないのだろう。先ほど、レパートリーが
Vladimir
今月のマエストロ
ウラディーミル・アシュケナージ
Vladimir Ashkenazy
PROGRAM A/B/C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
3
広いという話を書いたが、ピアニストとしての
シュケナージは、コンドラシン、シュミット・イッ
活動も精力的に行っているアシュケナージ
セルシュテット、オーマンディ、ケルテス、ショ
は、21世紀に入ってから、バッハの作品の
ルティ、マゼール、プレヴィンといった名指揮
レコーディングを開始した。これについても、
者たちと名演を繰り広げてきたことを思い出
「若い頃からバッハはずっと大好きでした。
していただきいと思う。指揮者として、エキセ
しかし、ロシア出身のピアニストにバッハを、
ントリックな表現や常軌を逸したデフォルメな
というオファーが誰からもなかったのです」
と
どを排しつつ、スコアに刻み込まれた音楽の
穏やかに語っていたことを憶えている。
自然な流れを大切にして、オーケストラととも
に音楽を形づくっていく手腕に、ますます磨
スコアに刻み込まれた
音楽本来の自然な流れを汲みとる手腕
指揮者として活動する以前から、オーケス
トラのスコアを読むのが好きだったというア
シュケナージは、指揮者としても、きわめて幅
きがかかってきていると感じるのは、筆者だ
けではないだろう。
ロマン派の名曲もそろえた
豊潤なプログラムに注目
広いレパートリーを備えている。大作曲家の
今回の A プログラムは、ロシア五人組の
レアな楽曲はもちろんのこと、マイナーな作
リーダーで、ピアノの名手であったバラキレフ
曲家の楽曲も数多くレコーディングしており、
が超絶技巧を盛り込んだピアノ曲《イスラメ
以前、
お話をうかがった際に確認したところ、
イ》の管弦楽版でスタート。チャイコフスキー
「譜読みは速いですね」
と語っていた。そう
の《協奏的幻想曲》は、ピアノ協奏曲仕立て
した音楽的な好奇心に加え、世界中のオー
でありながら、3曲のピアノ協奏曲に比べて
ケストラの指揮台にのぼって、個々の音楽家
演奏機会が少ない楽曲であるだけに、
アシュ
と無理なくコラボレーションしていく姿勢に
ケナージの指揮ぶりに期待したい。若手の
は定評がある。そこには、ソリストとして、さま
音楽家とも積極的に共演しているマエストロ
ざまな名指揮者たちや有力オーケストラと共
と、上り坂にあるハイルディノフの共演も楽し
演してきたアシュケナージならではの観察眼
みである。ラストは、ベルリン・ドイツ交響楽
やノウハウが活かされているに違いない。そ
団と交響曲全集の録音も完成しているメン
れこそ、レコーディングだけに限定しても、ア
デルスゾーンの《交響曲第 3番「スコットラン
4
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JUNE 2016
ド」》
だ。
主要作をレコーディングするなど、その独特
C プログラムの前 半は、アシュケナージ
な音楽を手の内に収めているシューマンの
が得意にしている R. シュトラウスの名作が
《交響曲第2番》である。後半は、エルガー
続く。2011年6月に《変容》、2012年6月に
の
《交響曲第2番》
だ。思い起こせば、アシュ
《ツァラトゥストラはこう語った》、2014年6月
ケナージが、最初にオーケストラの常任的
に《アルプス交響曲》
など、N 響とR. シュトラ
なポジションについたのは、ロイヤル・フィル
ウス作品を数多く共演してきただけに、首席
ハーモニー管弦楽団の首席指揮者(1987∼
指揮者のパーヴォ・ヤルヴィとは、また味わい
1994年)
であり、この時代に、イギリスの国民
の異なるアプローチを見せてくれるに違いな
的作曲家の交響曲に熱心に取り組んだこと
い。現代最高のオーボエ奏者のひとりであ
は間違いないだろう。2014年6月に N 響を
るルルーとの共演も要チェックだ。ブラームス
指揮した《第1番》
も人間味にあふれる名演
の交響曲は、2006年6月に
《第1番》、2011
だっただけに、今回の
《第2番》
も今から楽し
年6月に《第4番》
を指揮したが、今回取り上
みである。
げるのは《第3番》
である。
B プログラムの前半は、ピアニストとして、
[まつおか のぶやす/音楽評論家]
プロフィール
1937年7月6日、旧ソビエト連邦のゴーリキー生まれ。幼時からピアノで才能を発揮し、1955年にショパン
国際ピアノコンクールで第2位を獲得。翌1956年にエリーザベト王妃国際音楽コンクール、1962年にはチャ
イコフスキー国際コンクールで第1位に輝いた。1968年に夫人の母国アイスランドに居を移し、1972年に
アイスランド国籍を取得した。1970年代半ばから指揮活動を本格的に展開する一方で、ピアニストとして精
力的にレコーディングを行っている。
これまでに、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・
ドイツ交響楽団、チェコ・フィルハーモニー管弦
楽団、シドニー交響楽団、EU ユース管弦楽団など、数多くの有力オーケストラで音楽監督や首席指揮者を
歴任。また、フィルハーモニア管弦楽団とアイスランド交響楽団の桂冠指揮者も務めている。現在は、世界
各国のオーケストラに客演して、円満な人柄を反映した指揮ぶりで、幅広い演目を手がけている。
NHK 交響楽団とは1975年に初共演。2004∼2007年には音楽監督を務め、現在では桂冠指揮者とし
て定期的に共演を重ねている。
[満津岡信育]
PROGRAM A/B/C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
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A
PROGRAM
第1838回 NHKホール
土 6:00pm
6/11 □
日 3:00pm
6/12 □
Concert No.1838 NHK Hall
June
11 (Sat ) 6:00pm
12 (Sun) 3:00pm
[指揮]
ウラディーミル・アシュケナージ
[conductor]Vladimir Ashkenazy
[ピアノ]
ルステム・ハイルディノフ*
[piano]Rustem Hayroudinoff*
[コンサートマスター]伊藤亮太郎
[concertmaster]Ryotaro Ito
バラキレフ
(リャプノーフ編)
)
東洋風の幻想曲「イスラメイ」
(9 ′
Mily Balakirev (1837-1910) /
Sergei Liapunov (1859-1924)
“Islamey”, oriental fantasia
チャイコフスキー
)
協奏的幻想曲ト長調 作品56*(30′
Peter Ilich Tchaikovsky
(1840-1893)
“Fantaisie de concert”
G major op.56*
Ⅰ ロンド風に:アンダンテ・モッソ
Ⅱ コントラステス:アンダンテ・カンタービレ─モル
ト・ヴィヴァーチェ
Ⅰ Quasi rondo: Andante mosso
Ⅱ Contrastes: Andante cantabile–Molto
vivace
・・・・休憩・・・・
メンデルスゾーン
交響曲 第3番 イ短調 作品56
「スコットランド」
(40′
)
Ⅰ アンダンテ・コン・モート─アレグロ・ウン・ポーコ・
アジタート
Ⅱ ヴィヴァーチェ・ノン・
トロッポ
Ⅲ アダージョ
Ⅳ アレグロ・ヴィヴァチッシモ─アレグロ・マエス
トーソ・アッサイ
6
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
・・・・intermission・・・・
Felix Mendelssohn Bartholdy
(1809-1847)
Symphony No.3 a minor op.56
“Schottische”
Ⅰ Andante con moto–Allegro un poco
agitato
Ⅱ Vivace non troppo
Ⅲ Adagio
Ⅳ Allegro vivacissimo–Allegro maestoso
assai
PHILHARMONY | JUNE 2016
Program A|SOLOIST
ルステム・ハイルディノフ
(ピアノ)
© Ulli Richter
ルステム・ハイルディノフはロシアのカザン生まれのピアニスト。モスクワ
音楽院でレフ・ナウモフに師事した後、ロンドンに渡り王立音楽院でクリスト
ファー・エルトンに学んだ。
ヨーロッパやロシア、日本を舞台に国際的に活動しており、イギリスでは
バービカン・センターやカドガン・ホール、ウィグモア・ホール他の主要ホール
に出演。これまでにチェコ・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン・フィルハー
モニー管弦楽団、BBCフィルハーモニック、ボーンマス交響楽団他と共演している。
レコーディング活動も活発で、イギリスの有力レーベルからリリースしている。とりわけショスタコーヴィ
チについては、コリン・ストーンとの2台ピアノ版による《交響曲第4番》や、ピアノによる劇場音楽集など、
意欲的なレパートリーを開拓して注目を集めている。また、ラフマニノフの前奏曲全集は、英『クラシック
FM マガジン』の「エッセンシャル・ラフマニノフ・コレクション」の一枚に選出された。
N 響とは今回が初共演となる。
[飯尾洋一/音楽ジャーナリスト]
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
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Program A
バラキレフ
(リャプノーフ編)
東洋風の幻想曲「イスラメイ」
「イスラメイ」は、本来、カフカス(コーカサス)地方に住むカバルド人やアディゲ人が踊るテ
ンポの速い民俗舞曲である。1862 年にこの地を訪れたバラキレフ( 1837∼1910)は、壮
公が演奏して
大な自然と当地のエキゾチックな舞踊と旋律に魅せられ、
アディゲ(チェルケス)
くれた旋律「イスラメイ」
をスケッチした。当初は、カフカス伝説にちなんだレールモントフの
詩に基づく
《交響詩「タマーラ」》
で使用するつもりだったが、最終的には《イスラメイ》の第
1主題として用いられた。一方、中間部の主題は、モスクワで紹介されたアルメニア人歌手
が歌ってくれたクリミア・タタールの民謡旋律に基づいているという。
原曲はピアノの超絶技巧で有名だが、音楽的にはロシア五人組の作曲家たちが好んで
取り上げた「ロシア的オリエンタリズム
(東方趣味)」の先駆的な作品であり、アレグロの主部
で、短い舞踊動機を執 拗に反復しながら、最後に向けて加速してゆく手法や、中間部(アン
ダンティーノ・エスプレッシヴォ)
での長調と短調の間を頻繁に移動する官能的な和声法は、後
の《シェエラザード》や《ダッタン(ポロヴェッツ)人の踊り》等に影響を与えている。テンポが
戻った後半では、2つの主題が自由に展開しながら盛り上がり、2/4 拍子のアレグロ・ヴィー
ヴォから最後はプレスト・フリオーソにテンポをあげて、熱狂的に曲を締めくくる。管弦楽編
曲を行ったセルゲイ・リャプノーフ
( 1859∼1924)はバラキレフと親しく交流し、彼の後継者と
して活躍した作曲家である。オリエンタリズムを強調すべく多数の打楽器と2 台のハープを
駆使して、原曲の色彩感を管弦楽に適確に置き換えている。
[千葉 潤]
作曲年代
原曲
(ピアノ版)
:1869年完成、1902年改訂
初演
原曲(ピアノ版)
:ニコライ・ルビンシテイン、1869年12月12日
(旧ロシア暦では11月30日)
、無料音楽
学校のリサイタルで、サンクトペテルブルクにて。ニコライ
・ルビンシテインに献呈
楽器編成
フルート2 、
ピッコロ2 、オーボエ1、イングリッシュ・ホルン1、
クラリネット2 、Es クラリネット1、
ファゴット2 、
トランペット4 、
トロンボーン3 、テューバ1、ティンパニ1、
トライアングル、タンブリン、小太鼓、
ホルン4 、
シンバル、サスペンデッド・シンバル、大太鼓、ハープ2 、弦楽
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NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JUNE 2016
Program A
チャイコフスキー
協奏的幻想曲 ト長調 作品56
チャイコフスキー( 1840∼1893)
には独奏楽器と管弦楽のための楽曲が、完成作だけで
《ピアノ協奏曲第 1 番》
( 1875年)
や《ヴァイオリン協奏曲》
実は8つもある。絶大な人気を誇る
( 1878年 )の陰に隠れているが、一連の作品からはチャイコフスキーが協奏曲というジャン
ルでもその開拓に専心していた様子がうかがえる。
8 曲のうち5 曲は協奏曲というタイトルを冠していない。つまり《ゆううつなセレナード》
(ヴァイオリン独奏、1875年 )のように、曲調とジャンル名を自由に統合させたような表題がつ
けられている。チャイコフスキーが活躍した19 世紀後半のロシアでは、交響詩に連なるジャ
ンルの革新が盛んに試みられ、
「交響的幻想曲」や「幻想序曲」
などといった作品が数多く
書かれた。チャイコフスキーの独奏楽器と管弦楽のための作品群も、これに付随する試み
として捉えることができる。単一楽章が多いなか、ピアノ独奏と管弦楽のための《協奏的幻
では全 2 楽章という変わった形をとる。
想曲》
(1884 年)
第1 楽章〈ロンド風に〉は、大きくABA の3 部形式をとる。明るい主題 A は《バレエ音楽
「くるみ割り人形」》の〈トレパーク〉
を彷 彿させる。中間部 B では独奏ソロの壮麗なカデン
ツァのみが展開する。
第 2 楽章〈コントラステス〉では、文字どおり2つの対照的な主題の駆け引きが愉しい。ま
ず歌謡的で哀愁にみちた主題と、前楽章の主題 A に通じる快活な主題が順番に示された
あと、これら2つの主題がときに重なりつつ、身を翻すように軽妙に行き来する。
[中田朱美]
作曲年代
1884年4∼9月
初演
1885年3月6日
(旧ロシア暦では2月22日)
、セルゲイ
・
タネーエフ独奏、マックス・エルトマンスデルファー
指揮、ロシア音楽協会モスクワ支部第10回交響楽演奏会
楽器編成
フルート3 、オーボエ2 、
クラリネット2 、
ファゴット2 、ホルン4 、
トランペット2 、
トロンボーン3 、ティンパニ1、
グロッケンシュピール、タンブリン、弦楽、
ピアノ
・ソロ
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
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Program A
メンデルスゾーン
交響曲 第3番 イ短調 作品56「スコットランド」
「スコットランド」の通称で知られるメンデルスゾーン( 1809∼1847)の《交響曲第 3 番》は、
1829年夏、20歳の彼がスコットランドの旅の途上で着想したものである。しかしその後、
作曲ははかどらず、1830 年代を通して模索が続けられた。1841 年夏になってようやく本格
的に作曲が進められ、1842 年 1月20日に総譜が書き上げられる。同年 3月3日にライプツィ
ヒのゲヴァントハウスにて行われた初演は、作曲者自身の指揮により大成功を収めた。こ
の頃、メンデルスゾーンはゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督のみならず、プロイセン王
の招 聘を受けてベルリンでの職務も兼任しはじめており、名実ともに音楽界の第一人者と
して地歩を固めていた。若き巨匠の創意に満ちたこの大交響曲は、ベートーヴェン以後の
新しい時代を切り開く作品として高く評価され、同時代および後世に大きな影響を与えた。
交響曲着想の様子は、史料を通して具体的に ることができる。1829 年 7月26日にエ
ディンバラに到着したメンデルスゾーンは、30日に友人とともにホリルード宮殿を観光し、そ
の晩、ベルリンの家族にあてて次のような手紙を書いた。
「深い黄 昏のなか、私たちは今
日、女王メアリーが人生を送り、愛を営んだ宮殿へ行きました。……思うに、私は今日そこ
で、私のスコットランド交響曲の始まりを見つけました」。そして実際、
「 1829 年 7月30日夕、
エディンバラ」
という日付をもつ楽譜スケッチ( 大譜表、16小節)が現存し、その内容は、完成
した交響曲の冒頭とほぼ完全に一致するのである。素朴な民謡調の歌に近いその着想は、
「交響曲の始まり」
として斬新であり、旅先でのメランコリックな気分を鮮やかに封じ込め
ている。
作品は4つの楽章からなる。第 1 楽章の序奏と第 4 楽章の後奏が通常より拡充され、交
響曲全体の出発点および到達点となっているのが特徴である。メンデルスゾーンは、各楽
章の主題を密に関連づけ、また、楽章間を途切れなく演奏するように指示することによって、
大規模な作品全体の統一を図った。
63 小節からなる長大な序奏(アンダンテ・コン・モート、イ短調、3/4拍子)は、1829 年夏の着
想を大幅に拡大し、3 部形式としたもの。第 1 楽章の最後に短く回帰する。
第 1 楽章主部(アレグロ・ウン・ポーコ・アジタート、イ短調、6/8拍子)はソナタ形式による。主要
主題は、序奏主題の輪郭を色濃く残した変容であり、副主題ともに、歌うような性格に貫
10
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JUNE 2016
かれている。一方、静寂のなかから激しく盛り上がる展開部とコーダは、嵐の前の不気味
な静けさと、大海原のうねるような波の描写を思わせる。
第 2 楽章(ヴィヴァーチェ・ノン・トロッポ、ヘ長調、2/4拍子)は、明るく軽快なスケルツォ。クラリ
ネットで奏される主要主題は、バグパイプの旋律を模したとも言われ、5 音音階やスコッチ・
スナップ(スコットランド民謡に特徴的な付点リズム)の使用も指摘されるが、やはり明らかに序
奏主題の変容である。副主題と縦横無尽に組み合わされ、音響的にも形式的にも戯れる
ように展開する。
では、無言歌風の美しい旋律が特徴の長調部分と、
第 3 楽章(アダージョ、イ長調、2/4拍子)
葬送行進曲風の付点リズムが特徴の短調部分が交替しながら進む。気高く壮大な緩徐楽
章である。
第 4 楽章(アレグロ・ヴィヴァチッシモ、イ短調、2/2拍子)は、激しく勇壮なフィナーレ。メンデル
とも呼んでいる。それまでの夢幻を絶ちき
スゾーンは「戦いのアレグロ
(Allegro guerriero)」
るかのように、鋭い付点リズムとスタッカートによる主要主題が奏されるが、副主題は再び
序奏主題の変容である。楽章終盤になって副主題はピアニッシッシモにより、あたかも消え
ゆく過去を追憶するかのように、ポエチックに奏される。
こうして、序奏のメランコリックな気分が再現したところで、大規模な後奏(アレグロ・マエス
トーソ・アッサイ、イ長調、6/8 拍子 )
が続く。その主題もまた序奏主題の変容であり、交響曲の
始まりからアーチを描くように全体にまとまりをつけ、作品を堂々と締めくくる。
なお今回は、ライプツィヒ版メンデルスゾーン作品集を使用する。
「新全集」
とも呼ばれ
るこの楽譜(ブライトコプフ、2006年 )は、メンデルスゾーン本人が厳密に校正した初版楽譜
に
( 1843年)
って、最新の研究成果を反映したものである。
[星野宏美]
作曲年代
1829年7月30日夕刻、エディンバラのホリルード宮殿の観光中に着想。1841年夏、ベルリンにて総
譜起稿、1842年1月20日に脱稿。1843年3月の初版まで何度か改訂
初演
1842 年 3月3日、ライプツィヒのゲヴァントハウスにて。作曲者自身の指揮による
楽器編成
フルート2 、オーボエ2 、
クラリネット2 、
ファゴット2 、ホルン4 、
トランペット2 、ティンパニ1、弦楽
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
11
B
PROGRAM
第1840回 サントリーホール
水 7:00pm
6/22 □
木 7:00pm
6/23 □
Concert No.1840 Suntory Hall
June
22 (Wed) 7:00pm
23 (Thu) 7:00pm
[指揮]
ウラディーミル・アシュケナージ
[conductor]Vladimir Ashkenazy
[コンサートマスター]篠崎史紀
[concertmaster]Fuminori Shinozaki
シューマン
)
交響曲 第2番 ハ長調 作品61(36′
Robert Schumann (1810-1856)
Symphony No.2 C major op.61
Ⅰ ソステヌート・アッサイ─アレグロ・マ・ノン・
トロッポ
Ⅰ Sostenuto assai–Allegro ma non troppo
Ⅱ スケルツォ
:アレグロ・ヴィヴァーチェ
Ⅱ Scherzo: Allegro vivace
Ⅲ アダージョ・エスプレッシヴォ
Ⅲ Adagio espressivo
Ⅳ アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ
Ⅳ Allegro molto vivace
・・・・休憩・・・・
・・・・intermission・・・・
エルガー
(58′
)
交響曲 第2番 変ホ長調 作品63
Edward Elgar (1857-1934)
Symphony No.2 E-flat major op.63
Ⅰ アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・ノビルメンテ
Ⅰ Allegro vivace e nobilmente
Ⅱ ラルゲット
Ⅱ Larghetto
Ⅲ ロンド:プレスト
Ⅲ Rondo: Presto
Ⅳ モデラート・エ・マエストーソ
Ⅳ Moderato e maestoso
12
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JUNE 2016
Program B
シューマン
交響曲 第2番 ハ長調 作品61
1841 年に《交響曲第 1 番「春」》
を作曲して以来、ローベルト・シューマン( 1810∼1856)
は大規模な作品に次々に取り組んでいる。1843 年に初演されて大成功を収めた《オラト
リオ「楽園とペリ」》はその端的な例で、文字通りの意欲作だった。しかし、大作曲家として
の地位を固めつつあった時期にも、彼は作曲技法に磨きをかけることを怠らなかった。そ
れまでは感興に任せて作曲する癖があったのだが、バッハの研究などを通じて、作品をよ
り綿密に組み立ててゆくすべを身につけたのである。1845 年から翌年にかけて作曲され
た《交響曲第2 番》は、そうした成果の賜 物であり、成熟した技法の中に情熱がほとばしる
魅力的な作品である。
さて、シューマンは《交響曲第 2 番》の作曲を始める直前に、オーケストラの響きを集中的
に耳にする経験をしていた。自作の《序曲、スケルツォとフィナーレ》の改訂版と《ピアノ協奏
曲》
を初演する演奏会が 12月4日に予定されており、それに向けたリハーサルが行われて
いたのである。そして彼は、この直後の12月9日に、かつてシューベルトの兄のもとで発見
し、自身の編集する音楽新聞において「天国的な長さ」
と評して世に紹介した、シューベル
トの《交響曲第8 番ハ長調「ザ・グレート」》の演奏に接している。ここからシューマンは、新
しい交響曲(それもシューベルトと同じハ長調の交響曲)の着想を得た。そもそもシューベルトの
《グレート》は、ベートーヴェンとともに交響曲の新しい可能性を開くという点で、シューマン
にとっての理想の作品だった。そのような作品を、実演を通じて自分の管弦楽作品への自
信を強めていた時期に聴いたために、シューマンは新しい交響曲に取り組む気になったの
である。
《グレート》
を聴いた3日後の12月12日から開始され
こうして《交響曲第2 番》の作曲は、
た。全曲のスケッチは、
「ティンパニとハ調のトランペット」の音に導かれながら、12月28日ま
でに一気に書き上げられた( 第1楽章は5日間、第2楽章から第4楽章も、それぞれ3日程度で完成
している)
。ところが、翌年の2月からのオーケストレーションには時間がかかり、この年の10
月にようやく全曲が完成している。後年シューマンが、半ば病気の状態で作曲を始め、最
終楽章で回復の兆しが現れたと回想しているように、精神の不調が完成を遅らせたので
ある。
PROGRAM B
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
13
こうした経緯があったため、シューマンは《交響曲第 2 番》について、
「暗い時代」
を思い
起こさせ、
「苦痛の響き」がすると言っている。だが、一段上の境地に到達したかのような
「苦痛」
という表現は似つかわしくないのではないか。精神の危
第4 楽章のフィナーレには、
機を克服し、
その先まで到達した過程についても、
この作品は反映しているのかもしれない。
第1 楽章 ソステヌート・アッサイ、ハ長調、6/4 拍子。ゆっくりとした導入部の冒頭で、曲
中の随所に登場する金管楽器による5 度音程の旋律が、静かに奏でられる。主部はアレグ
ロ・マ・ノン・トロッポのソナタ形式(ハ長調、3/4拍子 )。ところどころに陰影のある楽想を織り
込みつつも、全体としては前向きな音楽である。作曲者はこの楽章に、精神の
藤 、気ま
ぐれや反抗心といった性格を認めている。
第2 楽章 スケルツォ:アレグロ・ヴィヴァーチェ、ハ長調、2/4 拍子。弦楽器が運動性のあ
る旋律を16 分音符で奏でる。第 1トリオでは、管楽器と弦楽器の掛け合いの後、両者が穏
やかに融合する。第 2トリオは4 分音符が主体の滑らかな旋律で、慌ただしいこの楽章に
束の間の休息をもたらす。
第 3 楽章 アダージョ・エスプレッシヴォ、ハ短調、2/4 拍子。ロンドのような構成をとり、
全体的にメランコリックな曲想である。楽譜の初版が刊行された際、
「十分に熟成した、極
めて洗練された音楽」
と評された。なお、冒頭でヴァイオリンが奏でる主題については、バッ
ハの《音楽のささげもの》の〈トリオ・ソナタ〉の旋律との類似性が指摘されている。作曲者は、
この楽章のファゴットの響きに特別な愛着があったと述べている。
第4 楽章 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ、ハ長調、2/2 拍子。2 部構成になっており、前
半はソナタ形式。途中で、第 3 楽章の主題が低音部に現れる。総休止の後の静かなオー
ボエの旋律から、後半部分が始まる。この楽章の前半部や第 1 楽章の主題、さらにベー
トーヴェンの歌曲集《はるかな恋人に》からの引用などが現れ、曲は壮麗さを増してゆく。
ティンパニの力強い連打が、曲の終わりを告げる。
[佐藤 英]
作曲年代
1845∼1846年
初演
1846 年 11月5日、ライプツィヒ。メンデルスゾーン指揮
楽器編成
フルート2 、オーボエ2 、
クラリネット2 、
ファゴット2 、ホルン2 、
トランペット2 、
トロンボーン3 、ティンパニ1、
弦楽
14
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JUNE 2016
Program B
エルガー
交響曲 第2番 変ホ長調 作品63
「まれにしか、本当にまれにしか来ない、汝 、喜びの精霊よ!」
という英国ロマン派の詩人
による一節を楽譜の冒頭に掲げ、
「ヴェニス、ティ
パーシー・ビッシュ・シェリー
( 1792∼1822)
という楽想の始まりと作品完成の地名が記されたエドワード・エ
ンタジェル1910 ∼ 1911 」
ルガー(1857∼1934)の《交響曲第2 番》は、公には1910 年に崩御した「故エドワード7 世
国王陛下の想い出」
に捧げられている。英国王エドワード7 世( 在位1901∼1910)は《行進
「第 2の国歌」
と称されるようになる
《希
曲「威風堂々」第 1 番》のトリオに歌詞を付けて、後に
望と栄光の国》に編曲することを勧め、エルガーをナイトに叙した大恩ある君主であった。
全編に
れるノスタルジックな空気から、この曲を「エドワーディアン」
という短くも輝かしい
大英帝国のたそがれの時代への
歌と見ることは誤っていない。
しかしそのような公の面とは別に、この曲にはエルガーのミューズであったアリス・ステュ
という佳人への密かな思いも込められている。アリスは名
( 1862∼1936)
アート・ワートレイ
画『オフィーリア』
で有名なラファエル前派の画家ジョン・エヴァレット・ミレー( 1829∼1896)
の娘で、保守党議員を務める男爵の妻であった。才色兼備のアリスはエルガーの音楽の
最高の理解者であり、エルガーは彼女を
「ウインドフラワー
(アネモネ)」の愛称で呼んでいた。
愛妻家のエルガーが妻アリスと同じ名前のワートレイ夫人アリスとの関係で一線を越えるこ
とはなかったが、
《交響曲第2 番》の随所に現れる、やるせないまでの憧れの感情は作品
をエルガーの《トリスタンとイゾルデ》にしている。作品を完成させたティンタジェルはステュ
アート・ワートレイ夫妻の出身地であると同時に、アーサー王伝説の舞台でもあった。この
伝説の柱の一つはアーサー王、ギネヴィア王妃、騎士ランスロットの苦しい三角関係である。
《交響
また、奔 放な男女関係を生きた詩人シェリーの詩が意味するところも深長である。
曲第 2 番》は《変奏曲「
」》以上に多くの
が封じ込められている作品と言えよう。
第 1 楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・ノビルメンテ。ソナタ形式ではあるが、個々の明
確な主題ではなく複数の主題群が織りなす重層的でラプソディックな楽章である。引き延
ばすような序奏に続いて
「喜びの精霊」
を示す下行するモットー・テーマが現れる。このモッ
トーは本楽章の第1 主題であると同時に、さまざまに形を変えながら全曲にわたり登場す
る。しばらくエルガー特有の「高貴な(ノビルメンテ)」行進曲調の音楽が続いた後、ハープ
PROGRAM B
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
15
のアルペッジョを伴って叙情的な第 2 主題群を弦楽器群が歌い始めるが、調性は揺れ動き
続けて定まらない。まもなく現れる不安を喚起するような陰 鬱な旋律はエルガーが「庭隅に
と表現しており、第 3 楽章のロンドの中心的素材となる。お天気
うずまく瘴 気のようなもの」
雨のように刻々と変化する気分が描かれ、ドミナント
( 変ロ音 )からトニカ( 変ホ音 )への進行
はほとんど現れない。モットー・テーマが輝かしく上昇して結ばれるコーダでようやく一瞬変
ロ音から変ホ音への移行が姿を見せる。
第2楽章 ラルゲット。悲痛な第1主題と慰めに満ちた第2主題が綾なす葬送行進曲調
の音楽である。悲嘆に暮れるオーボエのオブリガートに続いてトゥッティのオーケストラが滂
陀と涙を流すさまは、
ブルックナー
《交響曲第7番》
のアダージョ楽章のクライマックスを思わせ
る。コーダではソロ・クラリネットがモットー・テーマを侘しげに回想し、消え入るように終わる。
第 3 楽章 ロンド:プレスト。形式的にはロンドであるが焦燥に満ちたスケルツォであ
り、トリオでも推進力は失われない。第1 楽章に現れた「庭隅にうずまく瘴気」の旋律がタ
ンブリンやティンパニの連打を伴って熱にうかされたように荒れ狂うさまは、魔性のものの
「生きながら埋葬される恐怖」
と語っている。
跳 梁を思わせる。エルガーはこの部分を
第4 楽章 モデラート・エ・マエストーソ。穏やかな第 1 主題に決然とした第 2 主題が続
く。嵐が過ぎた後の平安の音楽とはいえ、随所に複雑な想念が姿を見せる。展開部は激
しいフガートで始まり、最初の頂点でトランペットがつんざくようなロ音を奏でる。原譜では
1小節のみであるが、初演の際に奏者が独断で1小節分長く吹いた効果を気に入ったエ
ルガーは、その形での演奏も認めた。しばらく厳かな行進曲調の展開が続くと、再び楽章
冒頭の穏やかな空気が戻ってくる。コーダでは第 1 主題に導かれてモットー・テーマが一瞬
姿を見せる。
「喜びの精霊」が宙空に消え入るさまは、雄大な日没と残照を思わせる。なお、
にエルガーが語った言葉にもとづき、コーダに
指揮者エイドリアン・ボールト
( 1889∼1983)
アドリブでオルガンの低音が加えられることがある。
《交響曲第1 番》のような初演時からの圧倒的な成功は収められなかったが、1920 年代
以降はボールトらの努力により徐々に演奏頻度が上がり、現在ではエルガーの神髄をもっ
ともよく表した作品のひとつとみなされている。
[等松春夫]
作曲年代
1909∼1911年
初演
1911年 5月24日、ロンドン、作曲者指揮、クイーンズホール管弦楽団
楽器編成
フルート3
(ピッコロ1)
、オーボエ2 、イングリッシュ・ホルン1、クラリネット2 、Es クラリネット1、バス・クラ
トランペット3 、
トロンボーン3 、テューバ1、ティン
リネット1、ファゴット2 、コントラファゴット1、ホルン4 、
シンバル、ハープ2 、弦楽
パニ1、大太鼓、小太鼓、タンブリン、
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PHILHARMONY | JUNE 2016
C
PROGRAM
第1839回 NHKホール
金 7:00pm
6/17 □
土 3:00pm
6/18 □
Concert No.1839 NHK Hall
June
17(Fri) 7:00pm
18 (Sat ) 3:00pm
[指揮]
ウラディーミル・アシュケナージ
[conductor]Vladimir Ashkenazy
[オーボエ]
フランソワ・ルルー
[oboe]François Leleux
[コンサートマスター]
伊藤亮太郎
[concertmaster]Ryotaro Ito
R. シュトラウス
)
交響詩「ドン・フアン」作品20(17′
Richard Strauss (1864-1949)
“Don Juan”, sym. poem op.20
R. シュトラウス
)
オーボエ協奏曲 ニ長調(25′
Richard Strauss
Oboe Concerto D major
Ⅰ アレグロ・モデラート
Ⅰ Allegro moderato
Ⅱ アンダンテ
Ⅱ Andante
Ⅲ ヴィヴァーチェ─アレグロ
Ⅲ Vivace–Allegro
・・・・休憩・・・・
・・・・intermission・・・・
ブラームス
)
交響曲 第3番 ヘ長調 作品90(39′
Johannes Brahms (1833-1897)
Symphony No.3 F major op.90
Ⅰ アレグロ・コン・ブリオ
Ⅰ Allegro con brio
Ⅱ アンダンテ
Ⅱ Andante
Ⅲ ポーコ・アレグレット
Ⅲ Poco allegretto
Ⅳ アレグロ
Ⅳ Allegro
PROGRAM C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
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Program C|SOLOIST
フランソワ・ルルー
(オーボエ)
© Uwe Arens / Sony Classical
驚異的なテクニックと多様な色彩感、
フランス的な優雅さを併せ持つ、世
界トップ級のソロ・オーボエ奏者。
1971年フランスのクロワに生まれ、パリ国立高等音楽院でピエール・ピ
エルロとモーリス・ブールグに学ぶ。18歳でパリ・オペラ座管弦楽団の首
席奏者に就任し、1991年のミュンヘン国際音楽コンクールで最高位を獲
得。1991∼2004年にはバイエルン放送交響楽団の首席奏者を務めた。
その当時からソリストとしても活躍。ブーレーズ、M. ヤンソンス、サヴァリッシュ等の一流指揮者や世界
的なオーケストラと共演し、各地の著名ホールや音楽祭で、委嘱作や自ら編曲した演目を含む幅広いレ
パートリーを披露している。また吹き振りにも取り組み、フルートのパユやクラリネットのメイエらと結成し
たレ・ヴァン・フランセのメンバーとしてもおなじみの存在だ。
N 響とは2007年以来の共演だが、定期公演には初の登場。ハーディング指揮による CD 録音をは
じめ、幾多のオーケストラと演奏してきた R.シュトラウスの協奏曲に期待が集まる。
[柴田克彦/音楽評論家]
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Program C
R. シュトラウス
交響詩「ドン・フアン」作品20
冒頭からわれわれは、オーケストラの沸騰するエネルギーによってリヒャルト・シュトラウス
(1864∼1949)のとりことなる。シュトラウス24 歳。早熟であり、10 代の頃から室内楽を中
心に傑作を残している彼にしても、これから交響詩やオペラなどの分野でさまざまな文学
的題材での大作をものにしていくための出発点のすべてがここにある。次から次へと出てく
る主題はすべてあふれ出んばかりの魅力とアイディアに満ちている一方で、こうした主題をド
イツ・オーストリアの伝統的な交響楽的作品を支配してきた動機の労作法を用いて存分に
展開していく力にも事欠かない。これらすべてが当時、肥大化し、そして爛 熟の始まりの時
「近代オーケストラ」
によって繰り広げられる。
期にあたっていた豪華絢 爛な
この《ドン・フアン》
自体は、この後に書かれるシュトラウス自身の作品に比べてそれほど
巨大な編成とはいえないが、とにかく良く鳴るように書かれている。というよりは、シュトラウ
スのエネルギーが奏者に伝染して、響くように弾かせてしまうのだろう。全オーケストラによ
る大喧 噪から、まるで室内楽を聴いているかのような薄い布を思わせる響きまで、段階を
おったグラデーションが実に巧みに配されていて、シュトラウスが若い頃からオーケストラを
いかに手中におさめていたかということが一目瞭然にわかる。
曲は詩人ニコラウス・レーナウのドン・フアンについての3つの断片による一大絵巻であり、
ドン・フアンの持つ人間の生の享楽的で欲望的な側面を、シュトラウスは見事に描き切っ
ている。しかし作品はこうした見かけとは異なり、交響曲の第1 楽章のようなソナタ形式の
堅固な構成を持ち、展開部には2つの独立したエピソードがある。
[野平一郎]
作曲年代
1887∼1888年
初演
1889 年、ワイマールで
楽器編成
フルート3
(ピッコロ1)
、オーボエ2 、イングリッシュ・ホルン1、
クラリネット2 、
ファゴット2 、コントラファゴッ
トランペット3 、
トロンボーン3 、テューバ1、ティンパニ1、
トライアングル、シンバル、サス
ト1、ホルン4 、
ペンデッド・シンバル、グロッケンシュピール、ハープ1、弦楽
PROGRAM C
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Program C
R. シュトラウス
オーボエ協奏曲 ニ長調
20 世紀に入ってからリヒャルト・シュトラウス
( 1864∼1949)はオペラの制作に没頭するが、
その念頭から管弦楽・協奏的作品のことが完全に離れてしまったわけではない。その中で
( 1935年、未完 )の存在
も、ナチス政府に虐げられた記憶を留めようとした《チェロ協奏曲》
は重要だろう。この作品をはじめとして、第二次世界大戦期に作曲された《ホルン協奏曲
( 1942年 )、
《変容》
( 1945年)、そして
《オーボエ協奏曲》
には、戦争と人道的犯罪へ
第 2 番》
の抵抗を示しつつ、同時に新たな時代を志向した作曲家の精神が息づいている。
1945年7月6日、シュトラウス邸を訪れた米軍兵士でオーボエ奏者のジョン・ド・ランシーに
よるオーボエ作品の作曲の勧めには、はっきり
「否」
と応えたシュトラウスではあったが、その
3か月後には前言を翻し、協奏曲の作曲を短期間で終わらせる。作曲家はアメリカでの初演
権をド・ランシーに与えようとしたが、所属するフィラデルフィア管弦楽団では第2奏者だったた
めに第1奏者に譲らねばならず、自身が本作を演奏できたのは30年以上も後のことだった。
ごく短い伴奏音型が2度繰り返された後に突然始まるオーボエの独奏、という第1楽章の
始まり方、そのオーボエに絡むヴィオラ独奏の扱いなどに、晩年のシュトラウスらしい闊達な筆
さばきがあらわれる。この後に続く主要主題が全楽章に渡ってさまざまに変容して全体を統
で
一する。第1ヴァイオリンに続いてオーボエ独奏が奏する中間部の主題のひとつが《変容》
用いられた主題に似ているのは、決して偶然ではないだろう
(その後も登場)。休みをはさまず
にそのまま移行する第2楽章冒頭も第1楽章冒頭の伴奏音型に導かれて始まる。第3楽章の
カデンツァ後から、テンポはヴィヴァーチェからアレグロへと徐々に穏やかに。闇から光明へと
流れるような、しなやかな音楽によって、シュトラウスは次世代への希望の灯をつないだ。
[広瀬大介]
作曲年代
1945年10月
初演
1946 年 2月26日、チューリヒにて、マルセル・サイエ独奏、フォルクマー・アンドレーエ指揮、チューリヒ・
トーンハレ管弦楽団
楽器編成
20
フルート2 、イングリッシュ・ホルン1、
クラリネット2 、
ファゴット2 、ホルン2 、弦楽、オーボエ・ソロ
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Program C
ブラームス
交響曲 第3番 ヘ長調 作品90
1883 年、ブラームス( 1833∼1897)は50 歳を迎えた。この年の夏をブラームスはライン
河に面した美しい保養地、ウィースバーデンで過ごした。ここでの休暇期間に作曲された
である。この作品の作曲に取り組んでいた最中、ブラー
重要な作品がこの《交響曲第3 番》
( 現在のアルト)歌手の
ムスは友人のシュトックハウゼン主催の演奏会で26 歳のコントラルト
ヘルミーネ・シュピースと出会う。この女性の歌唱の素晴らしさと女性としての魅力にブラー
ムスは心を揺さぶられ、やがてシュピースを結婚の対象として意識するようになる。しかし、
結婚まで踏み切ることはできなかった。1892 年、シュピースは35 歳の時、法律家と結婚す
るが、その翌年、ウィースバーデンで急 逝する。
ウィースバーデンからウィーンに戻った1883年10月、ドヴォルザークがブラームスを訪問す
る。この時ブラームスは高く評価するドヴォルザークの来訪を大いに喜び、ドヴォルザークの
求めに応じて、この交響曲の第1楽章と第4楽章をピアノで演奏して聴かせている。新作の
との感想を述べている。
交響曲を聴いたドヴォルザークは、
「前の2つの交響曲を凌駕する」
《交響曲第3 番》は作曲経過を示す資料の少ない作品で、伝記作家のカルベックは
1883年夏には完成したと推測している。この時期に作品が一応、成立したのは間違いな
いが、これは決定稿ではなく、その後さらに推 敲が重ねられている。ブラームスの常として、
完成後、初演を含めて多くの演奏の折に改訂を重ね、初版が最終的な稿となる。この作
品の作曲にあたっては、最初の2 曲の交響曲の他に、2 曲の序曲や《ヴァイオリン協奏曲》
および《ピアノ協奏曲第2 番》の作曲の経験が土台となっており、非常に熟達した動機労作
や対位法が駆使されている。それだけではなく、その後のブラームスの重要な表現手法と
なる、長調と短調の融合や、非常に自由な転調、第 1 楽章の主題が第 4 楽章の最後に再現
されるなど、いわゆる循環主題的な手法など、随所に彼の卓越した創作手法の数々を見る
ことができる。作品は1883 年 12月2日、ウィーンにてハンス・リヒターの指揮でウィーン・フィ
ルハーモニー管弦楽団によって初演された。
第 1 楽章 アレグロ・コン・ブリオ、ヘ長調、6/4 拍子。管楽器群による力強い前奏に続い
て、この動機を受けて低音楽器がヘ─変イ─ヘ音という上行の動機を奏し、それに対応し
てヴァイオリンがヘ─ハ─イ─ヘ音という下行動機を奏して、見事にシンメトリックな作りを
PROGRAM C
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21
示している。この冒頭部分は変イ音とイ音という半音関係をうまく使うことによってヘ長調と
変ニ長調の2つの調を自在に横断する自由さを獲得している。これはブラームスの新しい
調感覚と動機手法を示している。第 1 楽章冒頭の下行動機は、シューマンの《交響曲第 3
番》の第 1 楽章で登場する動機と類似しており、その関連性が指摘されている。
第 2 楽章 アンダンテ、ハ長調、4/4 拍子。全体で134 小節の比較的短い楽章であるが
ソナタ形式が土台になっている。まずクラリネットが主要主題を奏し、ファゴットがそれを支
える。この楽章の主題は弦楽器群と管楽器群が対話のように交代する形になっている。ク
ラリネットとファゴットが弱音で主題を奏すると、そっと弦楽器群がそれに応える。
《交響曲
第 1 番》以来、ブラームスの交響曲では管楽器が独特の役割を担っている。
第 3 楽章 ポーコ・アレグレット、ハ短調、3/8 拍子。ブラームスの個性とも言えるメランコ
リックで深い叙情性を湛えた表現は、この第 3 楽章に見事に集約されていると言っても過
言ではない。この楽章は3 部形式で構成され、第 1 部でチェロによって奏される主題が、第
3部ではホルンによって朗々と感動的に再現される。中間部は変イ長調で、夢想的な楽想
である。
第 4 楽章 アレグロ、ヘ短調─ヘ長調、2/2 拍子。このフィナーレは面白い始まり方をする。
第 3 楽章のハ短調の余韻を引き継いで、ハ音で開始するために、第 4 楽章は一瞬、ハ短調
であるかのような錯覚を与える。弦楽器群およびファゴットが同じ旋律を弱音の抑制され
た音量で奏して、陰 鬱な雰囲気で始まる。この楽章ではハ短調とハ長調、ヘ短調とヘ長調
の陰と陽の表現が効果的に用いられ、最後は明朗なヘ長調で締めくくられる。なお、楽章
の最後の部分で、弦楽器が第 1 楽章の冒頭の主題を静かに再現して作品全体を締めくくる。
[西原 稔]
作曲年代
1883年夏
初演
1883 年 12月2日、ウィーン、楽友協会大ホール、第 2 回フィルハーモニー演奏会、ハンス・リヒター指
揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
楽器編成
フルート2 、オーボエ2 、クラリネット2 、ファゴット2 、コントラファゴット1、ホルン4 、
トランペット2 、
トロン
ボーン3 、ティンパニ1、弦楽
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短期連載(全2回)
音楽における
ロマン性
三宅幸夫
音 楽 学 の 第 一 線 で 活 躍 する研 究 者 が 、
交 響 曲 やオーケストラを 入り口 に自 由なテーマで 執 筆 する短 期 連 載 シリーズ。
ドイツ・ロマン 派 音 楽を 専 門とする三 宅 幸 夫さん が 、
先 月号 のシューベ ルトに 続 いて、今 回 は シューマン のロマン 性を 分 析します。
最終回
シューマンの場合
ローベルト・シューマンのロマン性を考えるにあたって、だれでも思
い浮べるのが《詩人の恋》
などの「歌曲」、あるいは《子供の情景》
な
1… ロマン派の時代を中心
に、自由な発想によって作ら
れたピアノのための短い楽
曲をいう。
どの「性格小品」
[1]
ではないだろうか。いうまでもなく歌曲は言葉そ
のものを扱うし、性格小品は標題を通じて言葉と深く関わっている。
この言葉と音楽の融合を目指す姿勢はロマン派の特徴にほかなら
ず、何よりもシューマンが同世代の作曲家のなかでも際立った文学
的素養を示しているからだ。
しかし、ここはオーケストラ作品を扱う場であるから、今回も言葉な
しの交響曲からひとつの楽章を取り上げてみよう。具体例は《交響
曲第2番ハ長調》の第 3楽章アダージョ・エスプレッシヴォである。一
般的な楽章構成とは異なり、第2楽章にスケルツォを置き、これに緩
徐楽章アダージョが続くという配列もさることながら、それよりも気に
なるのはエスプレッシヴォ( 表情ゆたかに)
という付加語である。いか
にもロマン派音楽の楽譜に頻出しそうな言葉にみえるが、じつのとこ
ろ、
この発想標語を楽章冒頭に冠するのはきわめて珍しい。それに、
主題を一見するところ
「言わずもがな」の感なきにしもあらず[譜例1]。
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23
譜例1
第 1小節の短 6度跳躍上行は、バロック時代から表出力ゆたかな
音程として知られていたが、これは第3小節でオクターヴ跳躍上行へ
と拡大されてゆく。また第2・4小節の頭に置かれた和音構成音では
ないロ音とハ音、
その解決法も
「表情ゆたかに」
と呼ぶにふさわしい。
つまり音符そのものが語っていることを、ことさらにエスプレッシヴォ
と名づける必要がどこにあったのだろうか。
日々の 糧
この問いに答えるのは後回しにして、
もう一度主題に目を向けてみ
よう。すでにラインハルト・カップ(2005年 )が指摘しているように、主
題の調性も最初の音程関係も、J.S. バッハ
《音楽のささげもの》のトリ
2…17世紀末から18世紀初
めにかけて人気のあった音
楽形式。2つの旋律楽器と1
つの通奏低音のために作曲
され、3つの声部を形成する
ところからこの呼称がある。
3…J.S. バッハ の 没 後100
年にあたる1850年に、メン
デルスゾーンやシューマンな
ども参画してバッハ協会が
設立され、その全作品の出
版という事業が開始された。
出版された全集は、後に新
全集が編纂されたため、現
在は「旧バッハ全集」
と呼ば
れている。
オ・ソナタ[ 2 ]冒頭と一致している。これを偶然として片づけられない
のは、過去の音楽、とりわけバッハへ向けた熱いまなざしがロマン派
の作曲家に共通しているからである。とくにシューマンがクララに宛て
た手紙のなかで「バッハは僕にとって日々の糧です」
と告白している
のがよい例だろう。あるいはボード・ビショフの調査(1997年 )が明ら
かにしているように、
「旧バッハ全集」
[ 3 ]の刊行が本格的に進む以
前に、シューマンが《音楽のささげもの》
を含むバッハの楽譜を500
点近く収集していた事実に注目してもよい。彼は、メンデルスゾーンに
負けず劣らず、バッハに深く傾倒していたのである。
ただ「日々の糧」
については多少の補足が必要かもしれない。
『マ
タイによる福音書』第 4章には次のような一節がある。
「さて、イエス
は御 霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そ
して、40日40夜、断食をし、そののち空腹になられた。すると試みる
者がきて言った。
『もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパ
ンになるように命じてごらんなさい』。イエスは答えて言われた。
『人
はパンだけで生きるものではなく、神の口から出るひとつひとつの言
葉で生きるものである』……」。つまりバッハを
「日々の糧」
と呼ぶとき、
そこにはパンだけではなく、
「神の口から出るひとつひとつ言葉」のイ
メージも重なり合ってくるというわけだ。バッハの神格化である。
それ だけで はない。この 交 響 曲よりひとつ 作 品 番 号 の 若 い
《 BACH による6つのフーガ》に代表されるように、シューマンは B
24
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JUNE 2016
( 変ロ)─ A(イ)─ C(ハ)─ H(ロ)の音程関係を自作に積極的に取
り入れている。
《交響曲第2番》の緩徐楽章でも第56小節以降、本
来の主題と組み合わされたかたちで逆行形 H ─ C ─ A ─ B が姿を
現すし[譜例2]
、第 62小節以降、バッハ風の対位法的な部分では、
動機そのものに逆行形が編み込まれているといった具合だ。この音
程関係はシューマンにとって、バッハへのオマージュであると同時に、
純粋に作曲技法上の興味の対象でもあったのである。
譜例2
エスプレッシヴォ
それでは話を戻して、この発想標語を冒頭に用いた理由はどこに
あるのだろうか。第3楽章アダージョは、途中でホルンによるファン
ファーレ音形(第20小節以降)や、対位法的テクスチュア
( 第62小節以降)
が挿入されるものの、基本的には冒頭主題の繰り返しで成り立って
いるとみてよい。ただ繰り返しとはいっても、その現れ方が同じでは
ないことに注目すべきだろう。前回(5月号)のシューベルトで指摘した
「差異」
である。主題そのものが変形されるだけではなく、主題を担
当する楽器は第1・第 2ヴァイオリンのユニゾン、ファゴットの対旋律を
伴ったオーボエ・ソロ
( 第8小節以降)、そしてクラリネット・ソロに導かれ
た木管楽器のカップリング( 第36小節以降、2オクターヴ離れたフルートとファ
ゴット)
…… のように刻々と変化してゆく。
そのなかで音楽の流れは、第48小節以降に頂点を迎える。旋律は
初めて第1・第2ヴァイオリンによるオクターヴで重複され、冒頭動機は
反復進行によって、これまでにないほどの高まりをみせる
[譜例3]
。おそ
らくシューマンは、これに至る長いプロセスをふくめて、エスプレッシヴォ
と名づけたのだろう。ちなみに8分休符をはさんだ第1ヴァイオリンの
音域は、シューマンとしては珍しく高い4点ニ音まで到達している。
譜例3
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
25
差異はこれだけではない。全体を支えるバスは半音階上行に転じ
て楽想の高揚を裏打ちし、ヴィオラの伴奏リズムも休符ありから休符
なしへと変化して、楽想に重みをつける[ 譜例4]。この差異を伴なっ
た絶えざる反復は、聴き手の日常的な時間感覚を麻 痺させるという
点で、のちのブルックナーの緩徐楽章を予感させるものといえよう。
過去(バッハ)
に向けられたシューマンの長いまなざしは、どこかで
未来(ブルックナー)へと回路が通じているのかもしれない。
譜例4
長 いまなざし
この長いまなざしは、無限性への憧憬と言い換えることもできよう。
もちろん音楽の時間は有限であるから、これを実現するためには何
らかの仕掛けが必要になってくる。つまり文字どおりの無限性を体
現するのは不可能だとしても、少なくとも「終わり」
を無力化ないし弱
体化する手立てを講じなくてはならないというわけだ。このハ長調主
和音に至る緩徐楽章の終結部には、その意味でシューマンのロマン
性が如実に表れている。
絶えざる反復を経験してきた主題は、最後に低音域のチェロとコ
ントラバスに委ねられる[ 譜例5]。このバス声部は律義に冒頭動機
を再現したのち、意味ありげに短 6度上行音程(ハ→変イ)
を繰り返す
が、その先に進むことなく沈下してしまう。まだ主題が耳に残ってい
るだけに、なおさら来るべき進行( →ホ→ヘ)の欠如が強く意識され、
期待が満たされることなく音楽は終わってしまう。言い換えるならば、
何かを言い切って楽章を終えるのではなく、言い残したままで終わる
ことによって、無限性を獲得したといえようか。聴き手の心理を知り
抜いたシューマンのロマン性がここにある。
譜例5
三宅幸夫( みやけ ゆきお)
慶應義塾大学名誉教授。音楽学者。著書に『歴史のなかの音楽』
『 菩提樹はさ
ざめく』
など。
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NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | JUNE 2016
登場する井上道義がショスタコーヴィチ《交
2016/17
シーズンの
聴きどころ
響曲第12番「1917年」》
を取り上げる。
かつてその CD を大ヒットさせた名匠デー
ヴィッド・ジンマンが指揮する、現代ポーラン
ドのグレツキ《交響曲第 3番「悲歌のシンフォ
ニー」》
も聴き逃せない。
ソリストでは、デニス・マツーエフ、アレクサ
ンドル・クニャーゼフ、アレクセイ・ヴォロディン
などのロシア出身のアーティストに注目。ラル
ス・フォークト、レイフ・オヴェ・アンスネスらの名
ピアニストの登場も楽しみである。
パーヴォ・ヤルヴィの首席指揮者としての2
シーズン目は、N 響創立90周年にあたる。
彼は、9月、2月、6月に登場し、1シーズン目
民族色豊かな音楽を楽しむ冬シーズン
以上に多彩なプログラムを披露する。名誉
冬シーズンの目玉は、名誉音楽監督シャル
音楽監督シャルル・デュトワは、来シーズンも
ル・デュトワ指揮の
《カルメン》
(演奏会形式)
に違
12月に帰ってくる。
いない。今年もデュトワがもっとも自信を持つフ
ランスとロシアの音楽が取り上げられる。ベー
ロシア音楽満載の秋シーズン
トーヴェンの
《交響曲第5番》
は興味津々だ。
シーズン・オープニングは、パーヴォ得意の
ボスのレスピーギ・プログラムとN 響定期デ
ロシア音楽。B プロではムソルグスキーの3
ビューとなるスペインの新進気鋭のマエスト
作品を原典版、リムスキー・コルサコフ編曲、
ロ、ファンホ・メナのスペイン・プログラムが並
ラヴェル編曲で楽しむ。C プロはラフマニノフ
ぶ。チェコのマルティヌーとフサが平和への祈
《交響曲第3番》
とプロコフィエフ《ピアノ協奏
りを込めた作品を下野竜也が紹介する A プ
1月は、スペインの名匠ヘスス・ロペス・コ
曲第2番》
。
ロも意味深い。
今年2月の《第5番》
に続くブルックナーの交
2月の A プロは、パーヴォが積極的に取り
響曲は、
《第2番》
。演奏機会の少ない作品だ
組む北欧音楽。まず、彼の祖国エストニアの
が、すでにブルックナーの個性がしっかりと表
2人の作曲家、ペルトとトゥールの作品を日
れている。パーヴォが真価を示してくれるだろ
本初演する。後半はエストニアのバルト海を
う。武満徹の没後20年を記念してパーヴォが
はさんだ向かい側にあるフィンランドの大作
彼の2作品を振るのも注目だ。
曲家、シベリウスの《交響曲第2番》。C プロ
元ボリショイ劇場音楽監督アレクサンド
では、2015年2月の《第5番》に続くショスタ
ル・ヴェデルニコフはストラヴィンスキー《春の
コーヴィチの交響曲は《第10番》。パーヴォ
祭典》
とチャイコフスキー《交響曲第6番「悲
は子供の頃、父を通して、ショスタコーヴィチ
愴」》。11月には38年ぶりに N 響定期公演に
に会ったことがあり、この作曲家に特別な感
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
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情を抱いている。パーヴォ& N 響は、2∼3
5月は、円熟の名匠ピンカス・スタインバー
月に予定されているこのコンビでの初めての
グが久々の共演。ロシアの巨匠ウラディーミ
ヨーロッパ演奏旅行でも、ショスタコーヴィチ
ル・フェドセーエフは、十 八番のチャイコフス
の《第 10番》
を取り上げる。
キーの《交響曲第4番》
とボロディンの《交響
ヴァイオリンのヴァディム・レーピンや諏訪内
曲第2番》。
晶子、
ギターのカニサレスなどソリストも充実。
パーヴォは、N 響とは、R. シュトラウス、ブ
なお、2月から6月までは、リニューアル工事に
ルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチなど
伴うサントリーホールの休館のため、B プロ
の大規模な管弦楽作品をレパートリーの中
は休みとなり、その代わりとして横浜みなとみ
心としているが、6月には、フランス音楽や初
らいホール、NHK ホール、ミューザ川崎シン
期ロマン派の音楽を披露する。フランス音楽
フォニーホールで特別公演が開催される。
はパリ管弦楽団音楽監督として磨きをかけた
レパートリーであり、シューマンやシューベルト
パーヴォの多彩な魅力を味わう春シーズン
など初期ロマン派の音楽は芸術監督を務め
るドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団
4月は、チューリヒ歌劇場音楽総監督であ
で取り組んできた。河村尚子が弾くサン・サー
るファビオ・ルイージが、3年ぶりに N 響を振
ンスの
《ピアノ協奏曲第2番》
も楽しみだ。
る。 A、C プロで堂々のドイツ音楽プログラ
ムを組む。
[山田治生/音楽評論家]
9月の定期公演
A
モーツァルト/ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595
ブルックナー/交響曲 第2番 ハ短調
NHK ホール
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
ピアノ:ラルス・フォークト
土 6:00pm
9/24 □
日 3:00pm
9/25 □
B
水 7:00pm
9/14□
木 7:00pm
9/15□
サントリーホール
ムソルグスキー/交響詩「はげ山の一夜」
(原典版)
・ア・ローンⅡ
(1981)
武満 徹/ア・ウェイ
(1991)
武満 徹/ハウ・スロー・ザ・ウィンド
リ
ムスキー
・
コルサコフ編
)
/歌劇「ホヴァンシチナ」―第4幕
ムソルグスキー
(
/第2場への間奏曲「ゴリツィン公の流刑」
ムソルグスキー
(リムスキー・コルサコフ編)
/組曲「展覧会の絵」
ムソルグスキー
(ラヴェル編)
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
C
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲 第2番ト短調 作品16
ラフマニノフ/交響曲 第3番 イ短調 作品44
NHK ホール
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
ピアノ:デニス・マツーエフ
金 7:00pm
9/30□
土 3:00pm
10/1□
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