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Title
[リレー対談] 「地方分権」で何が変わる? (第5回 どうなる"人権とし
ての社会保障": 福祉行政)
Author(s)
白藤, 博行; 井上, 英夫
Citation
住民と自治, 443: 72-78
Issue Date
2000-03
Type
Article
Text version
publisher
URL
http://hdl.handle.net/2297/45204
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白藤博行
井上英夫<
しらふじひろゆき
いのうえひでおを
を実践につなげて種み上げてい
く作業こそ必要と説く。
専修大学法学部教授
化を容認する空気もあり、原則
金沢大学法学部教授’'1
白藤桶祉分野の地方分椛改革では、老人保健施設の開設鰈
の許可の事務が自治聯務にされる一方で、生活保謹の決定・
実施に関する事務等が法定受託事務にされるなど、自治珊務
が増大したとは簡単に言えません。むしろ特徴的なのは、自
治事務についての則の直接執行が大変多くなったということ
ではないでしょうか.これまでも養護老人ホーム等の設世者
または事業者に対して、施設の改善命令または認可の取消、
行的に与えられてきました。このような﹁入所者の保謹のた
郡業の停止命令などの椛限が、郡道府県知事と厚生大臣に並
の直接執行が、随所に見られます。この愈味で、必ずしも分
め緊急の必要があるとき﹂に代表される場合などの厚生大臣
椛一本やりではないようです。まず福祉における分椛改難を
どうご覧になっているでしょう。
分椛改革の中で本来の柵祉が
井上分椛改革以前に‘福祉の領域では、サービスはより身
それは柵祉サービスの本質で、・人ひとりの個別のニーズに
近なところで行うべきだという考え方が広がっていました。
小さな自治体ほどいいということになり、自治体の規模が問
対して適切なサービスを提供するのが本来の目的ですから、
われてきたわけです。福祉から見ると、むしろ後からそこに
分椛改革が虹なってきたように思えます。
つまり、住民の他康や安心を保障するのが補祉法制皮の趣
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(ノ(ノー3
で何が変わる?
│
「
地
方
分
権
」
リレー対談第5回
どうなる‘‘人権としての社会保障''一福祉行政一
小学校以来の同級生を伴って現
れた井上先生は、金沢市の福祉
行政に参加する経験をふまえ、
聞かせてくれた。「分権」や「構
造改革」の“看板に偽りあり”
の側面もあるが、功罪二面性が
ユーモアを交えて柔軟に展望を
せめぎあう時代だ。現場には変
l仙位修榔。Wl111は行政法。
瀞に『自論体の「市珊化」」
(〔1治体研究社)等。
ま
1947年、崎.E県秩父市唯ま
1952年、.finl0l生まれ。
れ。早稲ill大学卒業後、茨城
大学を総て現職。帯il'ドは『尚
齢淵・の人椛が生きる地域づく
I)_I(rl治体研究社)など多数。
名i1握大学大学院博士,Ⅲ蝦
している立場から見ると、力関係が変わって来たなという印
題ですと、自治体には一生懸命やれとは言っても、自治体の
並み拝見と決めこんでいるところがあります。これが環境問
その意味で、福祉の領域は財源保障なしで、自治体のお手
れない部分は介入する。
せるところもあって、事後的な関与という形でどうしても譲
象をもちます。金沢市の場合、中核市になったことも大きい
意思どおり企業の排出規制を厳しくしていいとは言いませ
それから、介護保険の事業計画を現場でつくる策定委員を
しようとして政府に要請したわけです。
のですが、権限がある程度拡大すると戦員が張り切ります。
ん。しかし福祉は、環境行政領域にも増して国の責任がもっ
﹁中核市にふさわしいレベルに﹂という気になるのでしょう
とも問われる分野ですよね。
井上﹁分権﹂Ⅱ一○○%喜ぶべきことではないと思うので
す。一つは生活保護の問題があります。今までの磯論からす
か、新たに職員研修などもするようになりました。こうした
職員の意識改革は大きいと思いました。もっとも中核市に
ちばん下という考え方が根底にあって、本来の意味の地方自
れば、福祉の権利の平等性から言って、国家が関与して最低
なったから張り切るというのは、国がいちばん偉くて村がい
治の糖神の発揮とは違うと思いますが、自治意識が芽生えて
味で自治体の裁量を拡大するほうがいいかも知れないので
ラインを確保せよということになります。ところが、逆の意
﹁これからは自治体がしっかりやりなさい﹂と、国も言って
めるような主張がされてきた結果が、ナショナル・ミニマム
す。それは、生活保謹については国が統制し,国の関与を強
きているのも事実だと思います。
いる。確かに、自治体間競争をあおっているのは国の責任逃
こなかったのかということです。
を引き下げる、あるいはその形成を遅らせる方向に作用して
れだけれども、あおられたほうは﹁そうか﹂と思いこむとい
たいと思っています。
うこともある。そのことをどう制度の発展に生かすかを考え
生活保護にミニマムがあるのなら、他の領域、所得保障は
ミニマムがなくてはならないのに、そうは発展しませんでし
もちろんヘルパー派遣、施設や住宅、医療保障、教育等でも
た。日本は、ミニマムⅡ生活保護という貧弱な形です。本来
各領域にミニマムがあるのがナショナル・ミニマム
を発揮することになりました。自治体の自由にきせるところ
白藤国の強い関与は、事後チェックという意味でとくに力
は、各領域にミニマムがあって、なお最後の安全網としての
公的扶助︿生活保護等︶があるのがナショナル・ミニマム論
はさせるシステムになっていることは確かですね。つまり、
財政的支援はしないが、やりたかったら勝手にどうぞと泳が
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自治体でどうぞ、という低いレベルの議論を貯してきたのは、
です。だから、国は生活保護だけめんどうをみます、あとは
います。
言えば最高水準の医療を提供することがミニマムだと考えて
ミニマムをつくりあげて、それについては国に責任をもたせ、
自治体は国に代わって、あるいは地方自治の観点から、自ら
国民の基本権を定めたものです。これを国が果たさない場合、
白藤憲法の﹁健康で文化的な﹂の中身は、その水準を傾向
的に高めて行く国家の責務と、それを請求することができる
生活保護個重できたからですよ。本来は、それぞれの分野で
プラスアルファ部分は自治体の責任だという理屈を立てなけ
の住民に対してこの責務を果たすことは当然です。﹁最低限
ればならなかったのです。
白藤ところが一部の研究者の間では、もうナショナル・ミ
れは、保障すべき生活水準の基準としての意味と国家が果た
井上﹁最低限度﹂には、二つの意味があると思うのです。そ
度﹂にとどまるわけにはいきません。
ニマムは達成されたのだから、あとは自治体の努力だという
すべき義務の水準を示す基準、つまり医療で言えば、現在の
﹁最低限度﹂の2つの意味
大ざっぱな議詰がありますね。それは、福祉のテーマを単に
す。その二つの意味を、﹁構造改革﹂や公平論を唱える人達は
最高水準の医療を提供するのが国家の最低の義務となりま
りの、あるいは緊急的な最低生活保障という意味で用いられ、
混同ぎせている。﹁最低限度﹂に比重を置き過ぎると、ぎりぎ
ての福祉だという、福祉の考え方を根底から変えてしまう議
洽につながります。
公的扶助”弱者救済とするのではなく、日本人すべてにとっ
井上それは貧困な考え方であって、生活保護水準がミニマ
代間等のちょっとした凸凹が問題となり、公平を実現するこ
もうすべての人に平等に保障きれているのだから、あとは世
ら選別化につながる議論で、サービスを受けている人は働い
とが課題だとなるわけです。それは実は、普遍性をいいなが
ムだという発想でいるから、”達成きれた“ということになる
的な﹂と言っているわけだから、日本の経済力などを考えれ
わけでしょう。本来のミニマムは、憲法だって﹁健康で文化
ばもっとずっと高い水準であってよい。それは裁判所でさえ
の考え方が根強く存在する。﹁ミニマム﹂のあまりの貧困さと
ている人たちの生活水準より低くていいという﹁劣等処遇﹂
同時に、こうした選別化、差別化を払しょくしないと本当の
認めています︵中嶋訴訟福岡高裁判決、高訴訟金沢地裁判決
いのですが、そこのところの厚みが全然違うと思っています。
福祉とは言えません。
等︶。私は、ミニマム自体をもっと豊かなものとしてとらえた
例えば、二四時間体制が介護のミニマムだと思うし、医療で
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にした行政評価ばかり目立つような気がしています。その点
にイギリスでは、学校の清掃など民間が勝っている例もあり
の中で自治体側が勝っているというお話がありましたが、逆
の社会保障の理念、原理・原則を具体的に提起し、実践と結
という﹁人権としての社会保障﹂ですね。私は、権利として
お金がない人でも社会保障を受けて人間らしい生活が送れる
味の権利性ですね。しかし、権利としての社会保障の意味は、
います。半世紀の社会保障制度の発展や生活の変化を踏まえ
びつけること、政策として具体化することが大事だと考えて
ます。最近、日本では、”公務員は働かない“という話を前提
た評価が一般的です。
で﹁構造改革﹂議においては、権利保障や公行政の後退といっ
は大違いというものもありますから﹁羊頭狗肉﹂には注意し
いった看板はいいじゃないかと思いますが、ただ看板と中身
う。そうだとすれば制度自体を別の、例えば社会手当や年金
活保護行政はどんなに改善しても人間の尊厳を傷つけてしま
の組織の役訓を、改めて考え直す。資産調査に象徴きれる生
国家と自治体、それに非営利団体や民間を含めたそれぞれ
1﹄﹄ム易ノ。
て、原則を実践につなぐ作業を積み上げていくということで
なければならない。また外国で使われている用語も、日本に
等より尊厳を保障しやすい制度に変えていくしかない。そう
反対の部分があります。﹁選択﹂﹁人間の尊厳﹂﹁自己決定﹂と
井上﹁構造改革﹂が掲げる原則の中にも、賛成できる部分と
ければなりません。
利化・市場の育成で方向が間遮っている。それには、﹁人権﹂
しかし、はっきり言って、社会福祉の基礎構造改革は、営
く必要があると思います。
いう議論をもっとして、本当の意味の﹁構造改革﹂をしてい
入ると﹁似て非なるもの﹂になりやすいので中身を検証しな
例えば﹁参加﹂は、本来の意味の参加ではなく、﹁社会活動
への参加﹂、つまり突き詰めるとボランティアを箱出してやり
は、政策決定過程、実施過程への参加ですね。その点で、﹁住
ましようということに淺小化されている。一番大事な参加
き、個人の生活←地域←自治体そして国と創り上げていく必
を対置して、人権保障を宮らの役割とする新しい国家像を描
わいしようか
民参加が大事だと政府関係の審議会も言っている﹂と言って、
鵡蕊鮮蕊喰瀦韓謹蕊喝㎡
白藤個人的には私は、﹁自治型福祉増進国家﹂とでも言える
要があるのではないでしょうか。
行政の中に決定過程への参加をうまく根づかせるよう働きか
けることが必要でしょう。
白藤﹁構造改革﹂が言われる背景に、﹁福祉国家﹂の行き詰
まり論、脱福祉国家詮がありますね。
井上介護保険の中で言われているのはお金を出して買う意
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