Title イギリス農民一揆の研究( Abstract_要旨 ) Author(s)

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イギリス農民一揆の研究( Abstract_要旨 )
富岡, 次郎
Kyoto University (京都大学)
1966-11-24
http://hdl.handle.net/2433/212010
Right
Type
Textversion
Thesis or Dissertation
none
Kyoto University
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学 位 の 種 類
文
学
学 位 記 番 号
論
学位授与の 日付
昭 和 41 年 11 月 24 日
学位授与の要件
学 位 規 則 第 5 条 第 2 項 該 当
学位 論 文 題 目
イギ リス農民 一 按 の研究
論文調 査委 員
教 授 前川貞次郎
文
(主
博
第 20 号
査)
教 授 井 上 智 勇
教 授 織 田武 雄
ノ
ノ
論
文
内
容
の
要
旨
本論文はイギ リスにおける封建制盛期 (13世紀) か ら絶対王政末期 ・ 市民革命 (17世紀) にいたるまで
の, 有名な農民- 漠の展開を個別的に分析 しつつ, それ に対応 して王権の中央集権化 ・ 絶対王政の形成 と
その解体が, いかに進展 したかを解 明 しよ うとす るもので ある。
第- 章 「1381年以前の農民闘争」。 イギ リスでは13世紀 の後半, 領主制支配の強化に対 して, 農民は法
的身分を確定す るための訴訟闘争, 個 々の領主 に対す る日常闘争, あるいは暴力的非合法闘争によ って抵
抗 した。 しか し, これ らの抵抗 はいずれ も孤立的散発的で成功す ることは, ほとんどなか った。
第二葦 「1381年の大反乱」。
しか し14世紀 になると, 黒死病 による労働力の不足 などか ら直営地の貸出
しと賦役の金納化が進行 した。 このマナ経営の構造転換に対応 して, 大貴族が没落騎士層を封建家臣団に
組織 し, 所領 内への王権の介入を しりぞける傾 向があ らわれた。 これに対 し国王 は騎士層を援護 し, また
「労働者規制法」
(1349- 51) 実施のため治安判事制を導入 して,ノ中央集権化の強化をはか った。 たまた
ま対仏百年戦争によ って王室財政が悪化 したので, 臨時税や人頭税が戚課 され, これを機会 に ワッ ト・ タ
イラーを指導者 と し, ロン ドンを中心 に, イングラン ドの大半 (東部 ・ 東南部) にわたる, イギ リス史上
最初の 「1381年の大反乱 」 がお こった。 この反乱 は富農を中心 に中小農 と手工業者をま じえ, 賦役制の撤
廃 ・ 不 当な租税賦課反対 ・ 悪官吏の排除 ・ 取 引の 自由などを要求 し, 領主 ・ 役人 ・ 都市商人を攻撃 した。
この反乱の結果 , 農奴制の強化は阻止 され , 15世紀 には農民の地位は全体 と して向上 した。
第三章 「ジャ ック ・ ケ イ ドの反乱」。
百年戦争が有利に展開せず , 国 内では大貴族問の抗争にまきこま
れたため, 王室財政は破綻にひん し, その負担は農民の上にふ りかか った。 これを機 に1450年 に反乱がお
こり, 反乱軍 は大貴族の悪政打破 ・ 重税賦課反対を要求 し, 大貴族 とその支配下の地方官吏を攻撃 した。
第四章 「 イギ リス絶対主義 と修道院解散」。 30年間にわたるバ ラ戦争 (1455- 85) によ って貴族の大半
が没落 したが, 新 らしく支配者 とな ったチュ- ダ- 家の- ンリ7 世 ・ 8 世 はジェン トリ地主層を基盤 と し
て絶対王政の基礎をきず いた。 と くにヘ ンリ8 世 は宗教改革 によ って イギ リス国教会をつ くり, さらに修
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通院解散 (1536- 39) によ って封建貴族である宗教諸侯の所領を没収 し, その勢力を解体す るとともに,
絶対王故の経済的基礎を確立 し, 集権的な行政機構を整備 した。
第五章 「恩寵の巡礼」。
この修道院解散を契機 と して北部全州に 「恩寵の巡礼」 とよばれ るカ トリック
教徒の反乱がお こった。 この反乱はふつ う宗教反乱 と規定 されているが, 基本的にはジェン トリを指導者
とす る農民- 漠であ り, そこには多 くの政治的 ・ 経済的要求がかかげ られている。
しか し, 強制的に参加
させ られたジェン トリは反乱の過程でたえず国王 と妥協 しよ うと したため, 反乱軍の内部に分裂が生 じ,
反乱は失敗に終 った。
第六章 「西部の反乱」。 第七章 「ケ ッ トの反乱」。 前者はエ ドワー ド6 世のカルヴィン派的宗教改革政策
に反対 してお こった ものであ り, 後者 は牧羊エ ンクロジュアに反対 してお こった農民- 漠である。 ここで
注 目され るのは, - 漠にジェン トリが参加 してお らず , 富農を中心 と した中小の村落共同体農民が, 絶対
王政の支配に反抗 しは じめたことである。
第八章 「17世紀の農民- 探」。
エ リザベ ス 1 世の時代は農民- 僕は比較的す くなか ったが , 17世紀 スチ
ュア- ト家の支配下になると, 絶対王政の反動的性格が強化 し, ジェン トリ層が分裂 し, その一部はふた
たび富農 ・ 一般農民 ・ 手工業者 と結んで絶対王政 と対決す るよ うにな った. 「西部諸州の反乱」 (1629- 31)
はその一例であ り, イギ リス革命の前駆的現象 といえる.
第九章 「市民革命期の農民闘争」。
市民革命期に も干拓反対闘争, エ ンクロジュア反対- 撹, ディガ-
ズ運動など孤立的散発的に農民反乱がお こっているが, 共通 にみ られ る特徴は, 中小農 による村落共同体
諸権利の擁護であ り, また共和政成立以後は, 反地主的闘争 と しての性格が強い ことである。
以上概観 した農民一校の個 々について, 著者 は独 自の分析方法によ って考察 している。 すなわち, - 挟
の社会経済的背景だけでな く,
「蜂起の発端」 とその展開過程を精密にたどることによ って, - 投をお こ
そ うと した階層を うかびあが らせ, ついで 「反乱軍 と鎮定軍の構成」 を検討す ることによ って, 一挺の指
導者 , 反乱の起動力 とな った階層を明 らかにす るとともに, 反乱を鎮定 した権力の性格を解 明する。 さら
に 「反徒の要求」 を調べて反乱の性格を究 明 し, 「反徒の攻撃対象」 を明 らかに し, 最後に 「反乱の挫折
あるいは終結」 を検討 して反乱後の権力の対応の仕方 , 反乱の歴史的意義を考察 している。 要するに著者
は, この研究方法によ ってイギ リス農民闘争の歴史を,
「農民の抵抗 と権力の対応」 とい う視角か ら分析
を こころみている。
なお最後に詳細 なイギ リス農民- 挟年表が付加 されている。
論 文 審 査 の 結 果 の 要 旨
わが国においては もちろん, イギ リスにおいて も, 中世末期か らの農民一抹について体系的研究 はまだ
公刊 されていない。 著者 は14世紀か ら17世紀 にいたるイギ リスのい くつかの有名な農民- 挟をとりあげ,
独 自の研究視角か ら分析を くわえ, 農民運動が イギ リス絶対王政の形成過程 に果 した歴史的役割を明 らか
に した。 今 日わが国で利用 しうるほとんどすべての史料や研究 に依拠 しつつ, 個 々の農民- 挟の実態を詳
細 に実証 し, 綿密な分析を こころみ, その社会経済史的意義を究明 した点は, きわめて高 く評価 され る。
個 々の農民一瞬をすべて同一の研究視角か ら考察 したため, それぞれの農民運動の もつ特殊性の解 明に
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はやや足 りない点が あ り, また著者が企図 した社会経済史研究 と政治 ・ 憲政史研究 との有機的連 関には十
分でない部分 も認め られ るが, 永年 にわたる著者の着実な研究の成果 はよ く示 されてお り, イギ リス社会
経済史や農民運動の今後の研究 にとっては, 不可欠 な もので あ り, わが国の学界 に寄与す るところ大 なる
ものがある。
よ って木論 文は文学博上の学位論文 と して価値 ある もの と認め る。
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