史 料 紹 介 じ め に 谷 山 正 道 な い、と いう 新 た な状 況が生じるよう にな った のであ る。 読 み書き でき なけ れば 、ま た算 術が でき なけ れば 不利益を豪- かね て、社会 的 ・経済 的行 為 に文書主義 が浸透 す るよう になり '文字を 宇 陀郡松井 村 仲谷 家 「 永代録」 と 歳 々記録帳」 葛 上郡重 阪村 西尾家 「 は 江 戸時代 は、 民間社会 におけ る文字 文化 が大き-発展 した時代 で 江 戸時代 の領 主 た ちは'兵農分離 に よ って農村を離れ、都 市を 拠 下が る不十 分 な 調査 な がら' ﹃ 日本 教育 史資 料﹄ 巻 八 によ れ ば 、幕 身 に つけ る場 所と な った のが、寺子屋 であ ったO ちな みに、年代 が こうした社 会状 況 のもと 'かな- の人たち が識字 や計数 の能力を 点 に領 地 ( 領 民 )支 配を行 って いた。 そ の際 に'支 配 の意図 を領 民 末 か ら明治 初 め の時 点 で'大和 には 三 1 1も の寺 子 屋 ( 他 に私 塾 あ った。 に周知 させ る手 段と し て用 いた のが文 書 であ- '触書 や廻状 など が 二) が存在 し た こと が知 られる ( 師匠 の数 は計 三 一九名 で'寺 子数 寺 子屋 での教授 内容 は' 日常 の社 会生活を 送 る上 で必要な レ ベル そ の代 表 であ った。ま た、村 方 や町方 に諸 書 類 の作 成 ・提 出 を 命 も 、村 方 や町 方 か ら 手 続 きを ふ ん で上申 す る こと が 認 め ら れ て い に止ま って いたが'村 役 人 ・町役人 クラ スの人 々や'経済的 な ゆと は計 7万九 〇〇名 余 )。 た )。 こう した支 配 のシ ステ ムは、民 間社 会 におけ る文 字文 化 の存 -をも つよう にな った 人 々のなか には、様 々な書物を 入手 し て知 的 じ'これを 支 配 を行 う 上 で活用 し て いた (一方 、領民 の訴え や願 い 荏 ( 少 な- とも 村役 人 や町役 人を つと め る人 々が文書を 読解 し、ま な読書を 行 い、さら に学問を志し て遊学す る人 々も出現す るよう に そうした 日記 ・記録 とし て'大和 の場合 には '添 上郡棟本村桐山 書き 残す 人 々も出 現す るよう にな った。 な った。ま た、文芸 作 品 ( 俳誰 ・連 歌など) や、 日記 ・記録 などを た作成 でき る こと )を 前提 に'成 -立 って いた のであ る。 江戸時代 の前 期ま では'文 字 の読 み書き や算 術が でき る人は 、村 役 人 や町役 人を つと め るよう な上層民 にま だ限 られ て いたが、中期 以降 にな ると拡 が- を みせるよう にな った 。商 品経済 の進展 に伴 っ 宇陀郡松井村仲谷家 「 永代録」と葛上郡重阪村西尾家 「 歳 々記録帳」 学 報 二 料集 に収録されたりしているが'存在することがまだ 1股 には知ら 学 家の 「 永代帳」 ( 寛文 五年 二 六六 五︺から文久 二年 二 八六二︺ れ ていなか ったり'存在は知られて いても これまで翻刻されること 大 ま での記事 があり、﹃ 天理市 同和 問題関係史料﹄第 一集と し て翻刻 がなか ったも のも'なお残 っている。本稿 では'そう した記録 のう 理 ・刊行.天理市同和 問題関係 史料 調査委員会 稀'天理市 教育委貞 ち'宇 陀郡松井村 ( 現菟 田野町松井)仲谷家 の 「 永代録」と葛上郡 天 会 ' 一九九 六年) 、添 上郡大 野村 山本 平左衛 門 の日記 ( 延宝 四年 重阪村 ( 現御所市重阪)西尾家 の 「 歳 々記録帳」とを翻刻 ・紹介す 九︺ま での記事があり、 ﹃ 甚太郎 1代 記﹄と遺し て翻 刻 ・刊行O康 之坊村吉川家の記録 ( 明和五年 二 七六六︺から明治 二年 二 八六 て翻刻 ・刊行。平井良朋編、清文堂出版、 1九九 三年)、十市郡山 の記事があり'堀内長玄 の記録ととも に ﹃ 大和国庶民記録﹄と遷し 兵衛 の記録 ( 宝永元年 二 七 〇四︺から宝暦四年 二 七 五四)ま で 安 永六年 二 七七七)ま で の記事 がある)'宇陀郡長野村井上次郎 二 六九九︺の生まれだが、慶長年代 二 五九六∼ 一六 7五)から 、思 いお れるが ( 後 の当主 の手 になる記事 -後筆も 一部存在す る) と記され ている) 。そ の後文政 二年 (一八 1九)ま での記事 が見 ら ら書き始められたも のと思われる ( 冒頭に 「 享和三亥年壬正月有」 むかえ てお-'この記録は、その三年後 の宇和三年 二 八〇三)か い) 。筆者忠右衛門は'寛政十 二年 (一八 〇〇)に六十 一歳 の賀を 八年 ︺ でその記事が活用されているが'全文が翻刻されたことはな 残 した記録 である ( す でに ﹃ 菟 田野町史﹄︹ 菟田野町役 場t T九 六 宇陀郡松井村仲谷家 の 「 永代録」 は'当主忠右衛門が晩年 に書き ること にした い。 二 六七六)から享保 五年 二 七 二〇)ま での記事 があ り'﹃ 大和 国無足人日記﹄と題し て翻刻 ・刊行。平山敏治郎編 '清文堂出版' 害 毒彦 編'清文堂 出 版' 一九 九 四年) '十市 郡 萩 田村高瀬 道常 の こしながら記された 7八世紀後半 の出来事に関す る記事も多 い ( 午 一九 八八年)、高市 郡曽我 村 堀内 長玄 の記録 ( 長玄 は 元禄 十 二年 「 大 日記」 ( 嘉永 五年 二 八五二︺から明治 二十 四年 ︹1八九 二 代順 に整序して記され ているわけ ではな-'思 いつ-まま に書き留 忠右衛門の居村 である松井村は'古市場に隣接する街道筋 の村 で ま で の記事 があ り、﹃ 大 和 国高瀬道 常年 代 記﹄と 還 し て翻 訳 ・刊 く知られており'宮座 の東屋 によ って書き継がれた山辺郡荒蒔村 の あ った。もと松山藩領 に属したが'元禄 八年 (1六九五) の 〃 宇陀 められたと いう印象をうける)O 年 代記 ( ﹃ 改訂天理市史﹄史料編第 7巻所収、天理市役 所、 1九 七 大和国 崩れ 〃 によ って幕府領 に編入された。この時 に作成された 「 行。虞吉春彦 ・谷山正道 編、清文堂出版、 一九九九年)、などがよ 七年)や式上郡忍阪相 の記録 ( ﹃ 桜井市史﹄史料編 下巻 所収'桜井 宇陀御用中諸事覚」 には、同村 の概況に ついて つぎ のよう に記され て いる ( ﹃ 新訂大宇陀町史﹄史料 編第 一巻四三五∼四三 六頁、大 字 市役所' 一九八 一年)などもある。 それら のかな-は'す でに翻刻して公刊され'ま た市町村史 の史 陀 町、 二〇〇 一年 )。 同池が ゝ-少 l高弐 百 六拾 弐 石 <( i) 内 六 石 四斗 四升 庄屋 門 松 井村 息 右衛 年 々荒地 床 1馬数 一牛数 1猟師 筒壱 挺 弐疋 九疋 六太夫 松井村 の村 高 は '太 閤 検 地以降右 に記 され て いるよう に二六 二石 7同弐匁 七 分 1銀 四拾 七匁壱 分 七 厘 一同 三斗 六升 五合 一同大 石 五斗 五升 弐 合 一同壱 斗壱 升 五合 1米 四石 六斗 壱 升 五合 七勺 紙木役 同 茶 役 走納 糠 わ ら代 こほれ 夫米 柿 年 貢走納 新 田年貢 ・小麦 ・菜 種を そ れ ぞ れ 七 対 二対 1の割 合 で作 付 し て いると記 さ れ 反 ま で稲 田 に水 除 之 た め仕 候」 とあり 、 ( 畑 方 で の)裏 作 には大 麦 には' 「 当 村 田方 拾 六 町 二反 七 畝 拾 三歩 之 内 ー年 々た ば こ弐 反意 五 な お'享 保十 九 年 (一七 三 四) の 「 松 井 村指 出帳」 ( 仲 谷家 文 書 ) の、 田方 での 二毛 作 の展 開 は ほと んど 見 られ な か った よう であ る。 比 べる と 畑 の比 率 が 高 - 、稲 の品種 改 良 は 進 め ら れ て い った も の ンクにあ た る 「 上 地」 と し て評価 され て いる が、 奈良 盆 地 の村 々と 検 地 に際 し て'同村 は、 宇 陀 郡 の村 々のな か では 上か ら 二番 目 の ラ 八升 であ った が ' そ の後 元禄検 地 ( 同十 五年 か ら 翌年 にかけ て実 施 . =.. : . 1同 八分 漆役同 て いる。 ま た、作 間棟 に ついては、明和 八年 二 七七 一) の 「 桧井 .i ・ ∴ 一銭 拾弐 文 山 桝役同 村 明細帳 」 ( 仲 谷 家 文書 ) に、 「 耕 作之 間 二男女 共 縄蓮 仕 候」 と いう g合 九 勺 に増 加 し て いる. こ の さ れた) によ って 二七 〇 石七斗 三升E 一同廿 六文 一ヶ所 右之 外 小物 成 T松 林 記 述 が見 ら れ る。 戸数 ・人 口 に つ いては 、 元 禄 以 降 '享 保 十 九 年 三 当 主 は代 々松井 村 の庄 屋を つと め て いた。 ま た 、 明和 七年 (一七七 右 に引 用 した史 料 にも 「 庄 屋忠右衛 門」 とあ る よう に、 仲 谷 家 の は' 同村 の戸数 ・人 口が低 落 し た状況 にあ った こと が確 認 され る。 軒 二一 〇 五 人、 と な って お - 、 「 永 代 録」 の筆 者 忠 右 衛 門 の代 に 三 五軒 ( 内堂寺 二軒 ) 二 三 1人 、安政 六年 (1八 五九) には 四〇 (7七 三F _ E T ) には 四六 軒 二 七九 人、寛 政十 二年 二 八〇〇) には 一ヶ所 内 細君 比<< 一川原薮 家数 四十 五軒 人数 百 八拾 六 人 京 都輿正寺 末 1道 場 7阿 弥陀 堂 一成 鉄砲 壱 挺 宇陀郡桧井村仲谷家 「 永代録」と葛上郡重阪村西尾家 「 歳 々記録帳」 天 理 大 学 学 報 し ており ( 「 宗門御改井家数人別貞数帳」 ︹ 仲谷家文書︺) '村内 では 屋 ・野道具蔵)、血縁家族 六人'下男 四人、下女 四人'牛 7疋を擁 本家 ・部屋 ・籾蔵 ・稲小 所持石高 一〇四石六升六合 八勺'棟数 五 ( 右衛門が六十 1歳 の賀をむかえ た年、寛政十二年 (一八〇〇)には 町' 一九九六年︺所収絞抽業関係史料 による) 、「 永代録」 の筆者忠 手を引 いているが ( 以上 ﹃ 新訂大宇陀町史﹄史料編第 二巻 ︹ 大宇陀 の後' 天明年間 には株を松山町大坂屋文助 に譲渡し、絞抽業からは 七三) には結成された 「 大和御免柏屋株仲間」 に加入して いる。そ 天明八年 二 七八八) 天明七年 (一七八七) 天明四年 (一七八凶) 安永九年 (一七八〇) 安永 三年 (1七七四) 明和 八年 (1七七 こ 明和 七年 (一七七〇) 明和 五年 (1七六八) 明和 二年 (一七六五) 大風 京都大火 称名寺本堂上棟 米騰'飢佳 光福寺屋根替普請 弐朱判 の通用 おかげ参-'米相場 ・気 候 ・作柄 雪 焼け 四文銭 の通用 五匁銀 の通用 四 なお飛び抜けた存在 であ った ( さらに、文化十五年 二 八 1人︺に 寛政三年 (一七九 一) 大雪 一件 は'所持石高は 二 l石八升 八合 に増加してお-、牛 のほか に馬も 寛政十年 (一七九八) ○)ま でに同家 は絞抽業を営むよう にな っており、安永 二年 (一七 7疋所有するよう にな っていた ことが知られる) 0 た。記載内容 には'あ の世 へ先立 った曽祖父から孫に至るま での身 文化元年 (一八〇四) 享和 二年 (一八 〇二) 紀州藩主 日張山 へ参詣、はしか流行' 手余地手当銀の下付 大水'称名寺高僧太子表 具仕替 寛政十 一年 (一七九九) 法隆寺開帳'雪降 内 の戒名 ・命 日や'自 ら の縁談 や六十 一歳 の賀、旅 ( 二十 四輩 巡 文化 二年 二 八 〇五) 「 永 代録」は'そう した松 井村 の仲谷家 の当主 によ って記さ れ 拝) 、家 の普請、植林tと い った私的 な事柄 や、天明 三年 (一七 八 二年 二 八 一九)に松井村から提出 した 「 米下直諸色 引 下 ケ御 講 七)の 「 野州足利郡上川崎村 百姓逸八後家ほ っ行状書」 の写、文 政 文化七年 (一八 一〇) 文化六年 (一八 〇九) 文化 四年 (一八〇七) 大水 ・山崩 による被害 ( 初瀬流 れ) 雪降被害 雪降 本願寺便僧通行、ほうき星 の出現 代官 よ-老農茶話など下付 書」 の写なども見られるが、社会 の各方面の出来事 に関す る記事も 文化八年 (l八 二 ) ≡) の 「 信州浅間獄地火井国 々満水困窮」 の件 や文化 四年 (l八 〇 多-含ま れて いる。それらのうち主なも のを年代順に整序し て示す 法隆寺開帳、親鷲上人五五 〇回忌、ほ うき星 の出現 文化九年 (l八 二 1 ) 宇陀 ・吉野両郡幕府領村 々の強訴未遂 と、以下のよう になる。 宝暦十年 二 七六 〇) 人、文政四年 (1八二 二 には 1六軒 ⊥ ハ八人、文久元年 (一八六 五) には 1九軒 ・六八人、文化 三年 へ一八〇六)には二〇軒 ⊥ ハl 合 にな っている。同村 の戸数 ・人 口については、延享 二年 (一七四 吉野での大峯役行者主開帳 文化十二年 (l八 1五) 大水 ・山崩 による被害 文化十年 (1八 l三) 聖徳太子 〓 7 00回忌 文政二年 (l八 一九) 「 歳 々記録帳」 の筆者西尾清右衛門の家は、同村 の庄屋を つとめ 二 には 一四軒 ・九 二人、とな ってお-、幕末 にかけ て戸数が減少 れに関 った 1四五四人 のうち、多数 の被処罰者 ( 死罪三人、遠島 一 た家柄 で、天保十三年 二 八四二)からは絞油業 にも手を染め てい 詳細な記事 が少な いのが残念であるが、宝暦十年 (1七六 〇) の 二人、村私 一人、退院 一人、長手錠 一人、三 〇日の手錠八六五人) る。また、文久三年 二 八六三) の天諌親 の変 に際して、総裁 であ す る 一方 で、人 口は増加 し て いることが知 ら れる ( ﹃ 葛村史﹄ ︹ 葛 を出し、「 南都御番所初り而無之事なり」と記 された こ の強 訴未遂 った吉村虎太郎らが二度 にわた って同家に立寄-、二度目には、重 宇陀 ・吉野両郡幕府領村 々の強訴未遂に関す るそれ のように、他 の 一件 に ついては、この記録をもと に、﹃ 菟田野町史﹄ 一九八∼ 一九 傷を負 った吉村が同家 で治療を受けたこと、その時 に彼が着 ていた 村 、 7九 五七年︺九七頁) . 九頁です でに紹介 され て いるが'関連史料はそ の後見 つか っておら 肌禰祥 ( 背に 「 重患報国」と大書し、左下に 「 土浪士 吉村重郷」 記録には見られな い注目す べき記事も存在す る。同年末 におき、こ ず、新たな史料 の発掘が待たれている状況 にある。 る歌 ( 「 見 てもあかぬ秋 の最中 の月よりも をしきは君と別れなり と記してある)や、小川左吉が書き残した 「 わかれ路即興」と題す 葛上郡重阪村西尾家 の 「 歳 々記録帳」は、当主清右衛門が書き残 けれ」)などが今に伝わ って いることでよ-知られ て いる ( ﹃ 御所市 五 天保改革時の著移禁止令 の発令、御用 作柄と米価 記事が見られる (一部省略) 。 「 歳 々記録帳」 には、この時 の関係記事を含め て、 つぎ のような 史﹄ ︹ 御所市役所、 l九六五年 ︺二二六⊥ T 三 一頁参 照) 。 したも ので、表紙 には 「 天保 十三年寅 年丘」と あ るが、天保 六年 二 八三五)から の記事 が見られ、そ の後明治 四年 (一八七 一)ま での出来事が書き留められている。 重阪村は'中街道 の延長路として利用されてき た巨勢路に沿 い、 天保六年 二 八三五) ∼八年 (一八三七) 東佐味村 への道 が分岐 す る交 通 の要所 に位置す る村 で、新庄 ( 布 施)藩領1御所藩領1幕府領1郡山藩領と いう変遷をたど った後、 天保十三年 (一八四二) 金 の用達、絞油棟 の開始 天保十五年 (一八四四) 水車 の普請 延宝七年 (7六七九)以降は幕府領に属していた。村高は、当初は 二三九石七斗 であ ったが、そ の後 一七世紀 の後半 に内谷村'享保十 7年 (一七 二六) に新 田村 ( 重阪新田)を分村し、 〓 ハ九石七升大 宇陀郡松井村仲谷家 「 永代録」と葛上郡重阪村西尾家 「 歳々記録帳」 天 理 大 学 学 報 六 鳥羽 ・伏見 の戦'五候代官所 の取払、 明治 二年 (1八六九) 米穀価格 大凶作'米価 明治元年 (1八六六) 水 明治三年 (一八七 〇) 銀手形 一件落着'米価 土蔵 の焼失 ささ の実だ んご作り 明治四年 (1人七 二 弘化 四年 (T八四七) 嘉永 三年 二 八五〇) 米価、青野山役行者開帳 コンパクーな記録ながら、幕末 ・維新期 の慌し い雰囲気 がよ-伝 相場、偽札、大洪水 嘉永 四年 (一八五 一) 大 日焼 土蔵 の普請'妹 の縁付'新高値、大洪 嘉永 五年 二 八五二) 大日焼、早損、米価 素永 元年 (一八四八) 嘉永 六年 (一八五四) 米価、京都御所 ・町内大火'大地震 の わ って- る記述 である。 嘉永七年 (一八五五) 弟武兵衛本宅普請 震、京都御所 の普請用材 の伐出し 用 い'変体がなは原則として平がなに改めたが'助詞に用 いられる び並列点 (・)を適宜付した。漢字 の字体 は、原則として新字体を 史料 の翻刻 にあ た っては、読 みやす-す るために読点 ( 、 )およ 安政三年 (一八五六) 作柄、物価'弟武兵衛 門長屋普請 被害、作柄、献金、竹高値'再度 の地 万延元年 (T八六 〇) 桜田門外 の変 ( 前年 の誤-) '米価 諸色大高借'御用金、苗字帯 刀御免 ① 史 「 永代録」 ( 菟田野町松井 ・仲谷辰 三郎氏所蔵) 料 ままとLt合字体 の 「 丘」 ( より)もそ のまま用 いた。 「 而」 (て) ・ 「 者」 ( は) ・ 「 江」 ( え)と 「 而巳」 ( のみ)はそ の 万延 二年 二 八六 一) 坂下門外 の変'南都春 日の神鏡割れ' 本宅上棟、米 ・綿価、奉公人 の逝去、 宅普諸 島津 の上京tはしかの流行'米価、本 文久 二年 二 八六 二) 文久三年 (一八六三) 天諌組 の変 諸色高 値、京都大火 ( 禁 門 の変)、大 慶応元年 二 八六五) 米価'第 二次長征 元治元年 (一八六El ) 慶応 二年 二 八六六) 米価 草魅、第 一次長征 慶応 三年 二 八六七) 享和 三亥年壬正月有 . .. I. . . _i 年号 不知 玄 誓 四月 廿六 日 兄 伯父 延 享 四未年 丘後 忠右衛 門代 寛政元酉 十 一月 廿九 日 法栄 妙龍 尼 知 謹 寛政十午 正月 四 日 尼 揮 尼 妙 滞 樺 尼 きよ 樺 尼 知 信 章和 四子正月十 八日 同りき 姉 田 口用 屋江縁付 稗 尼 同十 1未 八目十 五日 同ふし 孫き - 寛政 八辰 四月 二十 五日 稗 禅 尼 知善 妙浄 文化九十 二月 四日 光 信 文化 二丑 八月 八 日 娘記代 忠兵衛妻 文化 二丑十 7月 二十 日 も ん 本往 縁付宇陀 たば こや娘 姉 ぬ い 寛 政十 弐庚申年 二月朔 日仲 谷 恩 右 衛門 六十 一歳 賀 祝 ひ こ付 '御 祝 儀 請納 帳 二書置有之事 ヲ左 二相印 置も の也 「 六十 一賀 さ るま めな六十 のう へにひげ が出 て千代万世 の のぴ んこ 浄 還 夢 幼 圃 囲 1 六十 一賀庚 成 る中 の今年 を祝 ふら ん昔 の春もお なし目出 たき 也 、尚 又姓 之養老林卜申事也 ' お ゆう ト申 ハ仲谷 ノ孫 也 △ と ぶき △此う た宇 陀 町煙 屋古来 ル'但 シ此煙 屋 之義者拾 生屋 の事 妙 明和 四亥 正月 十九 日 同為治郎 俸 安永 同書藤 太 十 7月 四 日 天明 五巳正月 朔 日 宇陀郡松井村仲谷家 「 永代録」と葛上郡重阪柑西尾家 「 歳 々記録帳」 同 五巳 五月十 八 日 娘-き 知 妙 利 七仲 人 二而」 七 村 藤郁 弥十郎妻 二明治弐 巳年 八月廿七 日入線差遣 し候 '但 し 田中 上 「 古 来丘 当 仲 谷之義者古 キ家 二者候 得 共'仲谷 忠 平 二女 お 京字 賀 志 ( 後筆) △此う た ハ古市場 中屋Q来 ル'但 シ中屋卜申 ハ中井氏 ノ コト也 尼 妻 さと 見 田笹 岡娘 尼 貞 教 春 宝 暦十 辰 正月 二十 日 樺 妙蓮 宝暦 元未 八月 二十九 日 忠右衛 門 親 安永 九子 六月 二十 一日 千代 俗 名書 平治 俗 名書 蔵 空 意 諾 妙 妙 浄 元文 二三月晦 日 享保 五三月十 三 日 浄 宝永 五寅 九 月 十九 日 妙 十月十二日 稗 梓 碍 稗 樺 稗 揮 天 理 大 学 学 報 が 先 祖 葺有 ,其外 ハ宝 暦 六 七年 こ柏 、其後段 々 二植 宝 暦 元未年 後 心 覚 ヲ記 l大 平山 .豪 宝 暦 九 年 二見 田村 笹岡 娘 ヲ妻 二貰 同十辰 年 正月 廿 日 日 二死去 ス 明和 三成 年 こ三宮 寺柑 岡野娘後 妻貰 八 のも有 之 候 へと も 、 先 ハ人 足 の様 二両宇 陀 半 坂 辺迄 参 り 候、芝 村 同 明和 八卯 四月 中旬∂ 大神宮 お かけ参 り始 り ' 五月中 旬 頃 中海 道 此内 宇 平 治 ・源 治 ハ先 達而牢 死仕 候 宇 陀郡赤埴村 源 治 御 預 り 所 ・御 代 官 御 支 配 共 御 陣 屋 へハ押 寄 不 申 候 、宇 陀 辺 二而ハ 筋も多 人 中 二而何 ケ不自由 二而所 々 こせ つた いと て飯 粥 ヲ被 下' 七 小 四郎存 命 二而辰 十 月 十 八 日打 首 二相 成候 えん 遠嶋 吉 野九 人 ・宇 陀 郡 三人 同郡 長谷 村宇 兵衛 酒 や杯 江立 寄 候 而強気 ヲ申 、飯 酒杯 ヲ春 申 候 一右 強訴 こ付 死 罪 吉 野郡桧 垣本 村 小 四郎 月頃 迄 二多 ク 通 ル、米 相 場 ハ六 拾 四 五 匁 位 二御 座 候 へとも ' 五 月 存命 上赤 植 村 庄 助 ・内 牧 村 庄 七 右 三人 死 罪 中 旬 こハ赤 埴 ・田 口辺 こて ハ白 米 百 匁 位 迄 も 買 取申 候 ' 四 月 中 旬 牢 死 下赤 植 村 五右 衛 門'右十 二人 明和 二酉 年 五匁 銀 出 ル'同 五子年 四文 銭 出 ル 丘 六 月 廿 日頃 迄 雨水 な し'此 所 川 四 十 日 之 間 水 通 り 不 申 候 、 谷 相払 諸 木 野村 喜 三郎 長手 錠 下赤 埴 村新 太 郎 田 ハ八歩 植 付 ' 里 田 ハ五分 計植 付 '残 り ハそば ・た は こ ヲ植 付 一同明和 八卯 二月 廿 五日本 家 上棟 其外 村 々組 頭 吉 野 郡 ・宇 陀郡 口数 三十 日之 間手 錠 八百六拾 五人 退院 下赤 埴 村 酉孝 寺 了 園 一安 永 二巳 二月 東 土蔵建 右 強 訴 こ付 惣 掛 り 合 人 数 千 四 百 五 十 四 人 十 月 十 六 日 二御 召 出 十 月 米 出 来 ハ凡弐 分計 取入申 侯 一同 三午 年 弐未 判 通 用出 ル 宝暦 十庚辰年 十 二月 廿 日夜 何 れ共 出 所 不 知 廻 状 '芝 村 御 役 所 江悪 百人 余 之 手 錠 人 、凡 南都 御 番 所初 り 而無 之事 なり 十 六 日 二人 揃 二両'十 八 日御前 二而右 御 仕置 御 ほう ひ被 仰渡 シ' 八 シ ニ而、右 人 数 二少 々付 添 有 之 '凡 千 七 百 人 ほど 御 召 出 シ被 成 ' 作 願 二参 - 侯 間 同 心 可有 之 不 同 心 之 村 方 江者無 心 可 中 人 と の 文 明和 七寅 七 月 廿 八 日夜 五 ツ時 丘 北 空 雲 やけ 致 し侯 '最初者火事 之 ( 樵) 用 に相 見 へ候 '檎 牧 か余 り 火 大き - '但 シ伊 賀 の上 のか 京 二而も 東 シ者大 坂 御 代 官 & ) 而御 座 候 、宇 陀 不 帰 堂 当 村 花 れ んげ そな へ大 勢 伊兵衛 様 御支 配 二 申 居 候内 赤 キ筋 立 ' 東 西広 ク相成 り 候 声 高 廻 状 相 廻 - 侯, 其 頃当 村 古 市 場 誓 集 り 、十 二月 廿 三 四 日頃 に大 坂 御 代官 所 へ夫 飯 願杯 と申 ' 大 勢 者 つ ゝれ ミ の笠 二而参 - 候 と申 侯待 共 ' 時 分 悪 敷故 ふと - し ん のも 天 下晴 天 撃 見名 山 節 , 田 口村 御 毒 五尊寺 奉 薩多 弥満意 和奈 於 畏 世無 妙 土仁成 是 ハ文 化 二丑年 一説 祈 大 殿 大兵 殿様 御 臥 両 古 市 場村 御 中 へ車 内之為 と し て銀 札 三匁宛 頂戴 仕 候 、難 有 事 こ候 飯 二両' 日張 山 へ御 参 詣 二付 ' 上 下御 通 り 被 成 候 '当 村江も 人 足 ちん 庄屋 毒 害 文 化 二丑 五月 廿 日御 通り 文 化 二丑年 五月頃 は しかと いふ病 流 行申 侯 ( 虫損) 寛 政十 午 三月 六 日ぽ んA 七 日大 雪 ふり 弐 三寸 つも り 、 な た ね 土か い候 後 程 大 ふさ同十 一年 九 月十 1日雪 ふり 壱 □ 計 つも り 1安 永 九 子年 光福寺 屋敷 替 普 請 上棟 二月 讃 肘増鳩 日 1称名 寺 本 仏 本尊御 免者享 保 十 四己酉年 御願 同高 僧 太 子様御 免 ハ宝 暦 様 御影 同御 開山様 御影 同信 雷 岡 称 名寺 本 堂 上棟 天明 七年 二月 十 九 日 宇陀郡松井村仲谷家 「 永代録」と葛上郡重阪村西尾家 「 歳 々記録帳」 同前 石 垣 ハ享 和 1酉部 屋普 請 上棟 天明 六午 三 月 7天明 四辰 年 正 月時 分 ハ米 八 拾 六 七 匁 位 l t 段 々高 直 段 二相 成 '百弐 三拾 匁 迄 三 四 五月 ハ相 場 こ相 成 - 候 而'諸 方 二飢 人 飢 死 仕 候 者 多 ク御座 候 1同 天明 八申 年 ( 記載なし) 7善太 郎 家 焼失 ハ天明七 三月朔 日晩 一息 右 衛 門家 焼 失 ハ寛政 五丑年 九 日廿九 日晩 一与 右 衛 門家 焼失 ハ同 大寅 八月 一鍛 冶 屋林 蔵 杢兵衛 前 二細 工小 屋有 借レ 之 住 居致 小屋焼失 7杢 兵 衛 家 焼 失 1藤蔵 家 焼失 、 同十 二 1徳 兵 衛 家 焼 失 7東 郷 付 文 七 居 宅当 村有 焼失 7寛 政 二成年 三月 四日孟 五月 廿 八 日迄 日数 八十 五日 二十 四輩 巡 拝 、 稲 戸村 弥 平 太 ・同定 七㌧右 三 人 巡拝帳 仏前 二有 一同 三亥 年 八月 廿 日大 風吹 竹木 根起 '年 七十 才 l 一 成 人 不覚 申 一寛 政 三亥 三 月莱 蔵建替 同 六寅 二月東長 家建普 請 同 七卯 二月本 家 建 上棟 珊 八申 正 月晦 日晩Q 17 月朔 日夜道 京 都 大 火 同 九 巳 二月裏 土 蔵建 ル 蔽 一寛 政 十 二中 二月 内御 仏壇 九 天 理 大 学 学 報 一称 名寺 高 僧太 子棟 御 表 具仕替 蒜 ( 二年) 六月 廿九 日大 水 享 和 二年 六月 壷 一明和 七寅年 上 宮 ノ上 杉櫓 植付 ( 寛政) 1未 年 向 山 杉 槍 植 付 1享 和 十 7 0 七 月 八日信州御 代 官遠 藤兵 右 衛 門丘公儀御 勘 定 所江被申 達候趣 、 私御 代官所 信州 佐 転 配 針 浅 間 山当 五月 甘 苦 盛 り 量 り 、其後 如之 Q大 焼 の様子 にて l 日 々に焼候棟 に て 一面 之 閤 也 、六月 廿 五 日頃t 面空 へ煙吹 上 ケ 、其 中 に焼 石 の類も 有之 麓 へ落 下- 、山鳩 つよ[ . I; 近 郷家 居迄 雷 地 震 の様 こな り響 、尤煙 ハ東 へ吹 送 り候 故 都 而近 郷 ちら へハ砂等 ふり 不申 候 へ共 、 上州 の煙焼小 石砂 等 吹 散 し 所 々も 有之 由 、信州御影 陣 屋 に差 置 手 代 共A申 越候 二付 、何角 1通- 御 届中 1文化 元子年 十 1月 五条御役 所池 田仙 九 郎様古 一長家壱 軒 7本家壱 軒 右 同断 但 シ 戸障 子 不残 l 而 御㌔ 胡 針 右 同断 か 舛 璃 本 家華 日右建物 ・薮 売券 証 文 偽 而如件 文化 四卯 十 月 忠 右衛 門 殿 同村 庄 屋 親㌔ 太郎 印 半右 衛 門 印 年寄 長右 衛 門 印 松 井 村家 売主 貢 上納 申 所 実 正 也 、 然 上 ハ親 類者不 及申 村 中 差構 イ無 之 候 、為 後 付 御未 進御 年 貢 負 積 - 、代 銀 五百 五拾 匁 二売 渡 し 健 二請 取、御年 右 之建物 ・薮 先祖 長 右衛 門丘珠 等 譲 請 侯 得 共 、近 年 段 々不仕 合 こ 嘉 一土蔵壱 軒 売渡申 居宅薮 之 事 上置候 、御 取箇 方 へも 別 段 以 右之段 中 上候 - じゅく 手 余 り地 四反 拾 五歩 江壱 反歩 二付 七 拾 五匁 、 銀 三 百拾壱 匁 弐 分 五 厘御 手当 銀御 下ケ成 被 為 下、難 有奉存 候 同 二丑年 同御 代 官 仙 九郎様 古 老 農茶話 ・農 家 益 ・六敦解 信州浅 間 獄 地 火井国 々満 水困窮 うす 如 天明 三乗卯年 之 夏 東 西南 北 霧 雨連 に し て暑 気 薄 - 田 畑 熟 せす '其 ゑん ふ もと Q大 上信 州浅 間 獄点 火 煙 を 吹出 し 麓 弐 十 里 四方 へたな ひき 、其 中t うすい 石吹 出 し麓 二十 里 四 方 の 人 家 牛 馬 共 二損 シ、 碓 氷 峠 辺 ハ往 来 な かみ なり しん とう し、其煉 る音 大 雷 の如 クとう く と 鳴 て、東 北 に当 て震動 のほと じしん こ と 地 震 の に戸障 昼夜 た へす 、 日 ひ に つのり て家 々 へひびき 動き 子ま ても 其 震 動 諸 国 二同 Lt中 仙 道 美 濃 路 ハ灰 のこと- な る砂 降 事移 し- 、江 戸 中専 ら如斬 砂 ふる事 三 四 日な - 、依 之 騒動殊 之外 こ はせ な" , し て、武士 東 西 に馳 る、漸 - 日を 次 て晴 - 、 西 国九 州 に 津 波 有 、 諸 国 横 死 す る者 あ げ てか そ へ難 し、奥 州 仙 台 ・出 羽 秋 田 田畑 不 熱 、其節 諸 国方 々丘差 出 し候 訴書 左 に略 ス 少 輔 領 分 ヤ 野 州 染 田 鉄五 野 山口 忠 右衛 門 郡 百 頭村 名 主 権 印 右衛 門 娘 に 郎 支配 所 川 足利 郡 上川崎 村 百姓逸八後 家 は つ 年 三十 二歳 譲り主 庄屋 右 証 文 通 我 等 買 請候得 共 、 貴 殿 所 望 之 為 其 元 へ譲 り渡 シ候 間、右 部 ヤな た 証 文 通心 倭 支 配 可被成 侯 、 譲り 証 文 仇 而如 件 卯 十月 忠蔵殿 同村 1友 七 居宅 焼失 庄 式 しき ふ しや ゆふ ヤ ア シカ, 野 州足 利郡上 川崎村 い ち 百姓逸 八後家 は つ行 状書 右 之 も の本 て'寛 政 八辰 年 弐十 才之節 逸 八 女 房 に成 、其節 ハ千代 と申 所 、名 . . ・ J 前 を 譲受 は つと改 、男勘右 衛 門 ・姑 とも 四人暮 二両、 田畑 高 三 石 か せき よ く 余 所持 致 '逸 八着大 工 稼 致 相 暮 、 翌 巳年 男 子出 生勘 弥 と名 付 、勇 ろ 、 つ ひや , つ ・姑 も 悦 罷 在 候所、 同年 夏 より 逸 八 労 症 こ而相 煩 '種 々薬 用 致 優 こ、 入 よとて せん -わい 待 共快 無 之 候 而、 同 十 二月 重 病 之 節 連 も 全 快 致 間 数 候 間 、若 相 果 候 ハ、は つ親 元者名 主 を も 勤 侯 家 二付 '宜 敷 所江縁 付 も 相 成 可 之 差 門 申 二付 、親 元 へ帰 り他 へ縁付 侯様 達 人申 開 候所 、夫 之 家 成 中 程 困 きしつ かふつふ れ 図 二 任 せ百 姓 株 潰 不 申 窮 二候 共他 へ縁付 侯儀者不致 、男 ・姑 こ たへ な くほ と 二 うふ 様 いた し度旨 相答 、無 程逸 八相 果 、 日数 も 相 立侯間相 応 之 入 夫 養 かL 'い ぢ せいしっ 片 意 地 成 生 質 二 両、 子 いた し 可 敦 と 親 類 等 存 寄 候 処 ' 勘 右 衛 宇 陀郡松井村仲谷家 「 永代錨」と葛上郡重阪村西尾家 「 歳 々記録帳」 ち ヤ- そ ん 夜 辛 労 しんろ う 致 相暮 し'去 ル酉 年 甚 弥 嫡 孫 勘 弥 ヲ相 続 人 二相 立 侯 旨 申 張 ' は つも 入 夫 之 望 有 之 若 身 かみかたち か ま ひや うせん だ く ちんお り 分 二 而 髪 形 も 構 ひ不申 、 田畑之 耕 作 作 - ・ 旦 展 洗 濯 雇 ・木 綿 賃 織 ( 勘) も ち たへ 四歳 二相 成 最 早 乳 も 給 不 等致 、昼 申 、縁 付 は な れ 候 而も 差支 無之 候 間 は つハ他 へ縁 付 候樵 勘 右 衛 門 まつご かい ほう 申 開 候 所 、夫 之 末 期 二申 開 候儀 も 有 之 、殊 二勇 ・姑段 々年 寄 介 抱 - 蒋 人 無 之 侯而著差 支 可申 二付 他 へ縁 付 ハ不 致 旨 申 開 、弥 男 ・姑 ヲ大 ( 勘) Lや う 而手 足 不相 叶 、姑 ハ持 切 二いた し候 所 、 同 年 甚 右 衛 門 中 風 之 症 二 た んせ き わつ らい ぬい はた ら き 病 之 疾 積 相 煩 、 持 病発 り 不申候節 も 縫 物 ハ勿 論 農事 之 働 も いた し か せ ぎ いし 不申 ' は つ 一人 之 稼 二両 医 師之 薬 代 ・衣 類 ・食物 等 不自 由 無 之 様 ( 初) ほ うも う いた し ' 甚 右 衛 門 ハ病 労 政 老 妻 致 、無 度 之 食事 も わ す れ 昼 寝 い t) J i ] た し 、 眼 覚 候節 又 ハ夜 分 目之覚 候節も 朝 食 時 と そ んし幾 度 も 食 事 こしらへ L , へ きせ めんるいこ うふつ 為 給 、平 日 麺 類 好 物 二 両 いた し 侯 ヲ、太 儀 之 鉢 も 無 之 心 能 輩 夜 分 な と 風 と 望 候 節 も 有 之 候 二付 ,兼 而心 掛 置 急 之 掃 為 給 、( ふしん 右 衛 門 ハ大 工 二両手 足不相 立 様 二相 成 候 両も 普 請 場等 二参 り 見 る事 せひ す き ヲ好 候 故 、 日 々之 様 二 背 負 参 - 気 ヲな - さ め、何 二両 も 好 候 義 ハ しる し 差 押侯 儀 無 之 、 薬 用 介抱 いた し候 得 と も 験 も 無之 、去 々丑 年 別 而 人 眠 - 大 病 二成 、医 師 も 断申 候 様 相 成 、村内 薬 師 江命 乞之 立 願 いた し 、 ね むり すあし ち き そば 侯 内 寒 中 水 をあ ひ、 素 足 こ而毎 度 参 - 直 に帰 - '昼 夜 側 病 を 離 れ 不申 、 用も 居 なが ら いた し候 を其 度 々取替 遺し洗す 、ぎ 無 ねん ごろ かん 油 断 致 、 懇 に 看 病 致 候待 共 不相 叶 、去 々丑 十 二月 廿 八 日 七 十 七 千 歳 二而相 異 、右 病 中 姑も 持 病 二両研 く 煩 候 を も 介 抱 疎 な く 致 候 しヤ ノ \ き 所 、右 打続 之 不幸 故 姑も 去春積気 強 -差 発 - 、何 により気 短 に成 さ か 無筋 之事 とも 申 開 侯而も 一向 逆 ら ひ 不申 ' 姑之 立腹為 致 侯 儀 近 所 11 天 理 大 学 学 報 も た んせ い 之 も の参 -候 義 無 之 、右 両人永 々病 中 眠候 義 無 之 程 こ 丹 誠 致 、且 ぢい 勘 右衛 門存 生 之節 俸 勘 弥 ヲ相 続 人 二可相 立 旨 申 置 候 所 ' 祖 父 ・父 そ だて が ら あ なビ 無 之 故 育 柄 不宜 由 諸 人 二 侮 ら れ 候而ハ豪 之 相 続 も 成 兼 侯 旨申 '諸 すなを そ に うわ 事 素 直 に 育 立 侯 牧 村 内 子供 Q 柔 和 二有 之 、 当 年 拾 壱 歳 二相成 候 聞 あ らそい 争 侯 義 無 之 、御年 貢 米 手 習等 も 為致 、 観 察 縁者 村 内 百姓 二付 合 も 募 - 気 金 触 日限無 滞 相 納 、 誠 二丹 誠威 儀 二両'夫 相 果 候 後 困 窮 之 中 に て つ の り 男 ・姑永 々病 中貞 節 を 崩 し 不申 孝行致 '男 相 果姑 之 病気 賊 そく 立 入 候 物 音 ヲ姑 承 - 声 立 慎 二付 目 覚 可 起 山灯影 たし侯 短 に成候 を さ か ら い不申 孝 行を 尽 し候 かけか ね 去 寅十 一月 六 日 夜 掛 鉄 又 は し 〟 き し等 二而口 々〆 り 致 '姑 ハ勘 弥 ふ せ 臥 り 、 は つハ 一間之 内 押 入之方 へ寄 臥 罷 在 候 所 ' 同夜 八 ツ 盗 と 一同 時頃 立 操 合 、 裏 口音十 間 計 隔 - 右 之 通 之 行 状 こ付 左 之 通 - 二候 美 二一 被 下 置 '盗 賊 御 仕 置 之 趣 左 之 通 ほユ ノひ 御 褒 野州 足 利 郡上 川 崎 村 百姓 逸 八後家は つ 右 は つ義数年貞 節 を 守 - '第 ・姑 二孝 行 を 尽 し 、其 上 此 度 姑を か けなけ は ひ盗 賊 取 押 始 末 '女 之 身 分 こ両社気 之 形 二付 '為 御 褒 美 所 持 之 蔵 卯 三十 」歳 田畑永 代被 下之 、年 貢 諸 役被 除之 上、金 五拾 両被 下之 無 ♂ 右 之も の義 盗 可致 無 宿金 治 ・平蔵申 合 、 野州 上 川崎 村 逸 八後家 は 上 お とし っ居 宅裏 口t Q声 ヲ明 け ' 三人 共 立 入声 立候 ハ,町切 殺旨 申 威 '金 \ ヾ 治 ・平 蔵は つ臥 - 候 夜 着 之 両 袖 ヲ押 へ' 此 も のハ戸棚 二有之 候 衣 文 化 四卯 四月 下旬 鵬 用 汰 二付申 渡 酪 殿他出仙九郎 文 化 E] 卯年 御 役所 印 八月 卯 四月 た め盗 取候脇 差 ヲ抜 キ は つ へ数 ヶ所 之 痕付 始 末 、 不届 至 極 こ付 獄 臼 「 J R 仙 一 類 ・脇 差を取 出 シ' は つ夜 着 より抜 出此も のに組 付 侯 故 '可逃去 右 着付 々見習 ハせ 之 た め 写遺 し侯 間、 小前 末 々之 者 迄 不洩様 委 細 声 に 節 、は つ臥 居 候 夜 着 之 両 袖 を 盗 賊 両 人 二両押 へ動 不 申 、声 立 おそろし く 候 ハ,可 切 殺旨 申 候 政 情 敷 布 罷 在 候 処 '婆 々を 殺 侯 様 盗 賊申 候 けが せつ がい あい 故 、姑 二怪我為 致 候 而ハ難 相 済 'たと へは つ ハ 殺 害 こ 逢 候而も 姑 之 きなん は たか 危 難 難 見 捨 存 、 押 居 候 夜 着 よ -裸之 俵 二両無 鉢 二抜 出 、誰 共 不 覚 I ) チ 盗 賊之後 音組付 候所 ' 両人 之盗 賊 ハ逃 去 、押 居 候 盗 賊 も 可逃 と 致 し か はな 候得 共 、碇と 組 付 居候 故 脇 差 に て所 に手 庇被 為 負 候 得 共 '手 を 放 し きり も-あい へ だ、 頻 候 故 、隣家金右 衛 門 ・勘 左 衛 門 両人 罷 趨 捕 申 開 、後代迄 も申伝 侯横 町致 侯 、此段 御勘 定奉行 松 平兵 庫 頭殿御 申 - 呼 立 よひ 候所 ま て被 引 出候内、 惇 と - し不 勘 弥儀 隣家 へ参 押 へー盗 賊 二被 為 負 候 庇 所 右 之 肩 切 痕 長 サ 四 寸 五 分 '左 肩 同 四 あ ぎ と つ き 寸 '顎之 下 四 寸 五 分 程 有 之 、 其 外 所 々突 症 又 ハか す - 症 等 七 ヶ 所、都合庇 所拾 ケ所有 之 、追 々平愈 致 候 得 共 左 二之 腕 ハ深 庇 に て か、 みの はし 難相 成 候 く屈つしん伸 一本 願寺 本如 上 人御 専 一文化九 申年 一寛 政十 一未 三 月 法 隆 寺 開帳 一( 記載な し) 開帳 一裁 断御 善 一( 記載な し) 御 使 僧 御 下-被成 候而、当 家 こも御 一宿 被 成候 1文化 十 酉年 二月 十 l日丘 五十 日、外 二日延 十 日 同 一御 家老 中御 連 書為 披露 と 右 三通 共当 家 二写置有 文 化 六 巳十 1月十 二日雪 ふり 、 翌午 ノ 二月 五 日迄 雪き へ不申 侯 、 一同九 年九 月 中 旬 二西 へ出 ル'ほうき ほ し 一文化 四年 九 月 中 旬 初 夜 時分 西 へほう き ほし 出 ル 大峯 役 行者 主吉 野安 善 江御 開帳 紙鑓 1ノ 日数 九 十 三 日計 7文化 九申 三 月 一文 化 八 末 六 月 十 五 日 夜 大 雨 ふ - 候而'初 瀬 松 ケ場 々 こ大 木 松 地 7文化 八未 八月称 名 寺 も 執 行 高 祖親 鷲 聖 人 五百 五 十年 文化 七 午 四月 廿 六 日ぽ んあ ら れ のひ やう ふり 、掛匁 三匁位 迄 ' あ さわた ハ所 こt Qつふれ申 候 永 代 拝 借中 上候御米之事 申 侯 、 田 口辺音 萩 原 ・奈 良山 中 ・都 山 辺 迄 大 水 山 - つれ所 々 二死 置 二而流 、町 家 も 流 数 多 死人 虹記要 しk , 国 々之往 来 死 人数 知 不 右之 御 米 御 屋敷 意御 桐堂米 之内 拝借 申 所 実 正 也 '村方 小前 之百 姓 . 人有 之 、当 時 芳 野 川 筋 萩 原 迄 ハ別之 無 御 座 候 、 是丘南 ハ何之 別 条 永代拝借中上候御米之事 一米 三 捨 石 差 詰 - 候 二付 、村 役 人 共 相 談 之 上 拝 借 仕 候 、但 し利足 米 之 儀 者村 も無 御座 候 、先 ハ珍 激 辛 二而御座 候 和州申 事 丁三 洪 水 二而, 田 畑 大 損 二而御 座 候 ,流失 壱 番 濃 州 、 二番軒 川、 二 番 も 源 兵衛 居 宅 ・忠 蔵 土 蔵 流失 仕 侯、吉 野 郡 l t 而ハ居宅 ・土 蔵 流 失 ( 数) 牧 多 流 失 仕 、山 崩 二而死 人数 多 有 之 侯 '先 ハ弐 百 年 前 之 事 ハ不 存 外村 々者山崩 ハ多 ク御 座 候得 共 、格別 之 田地 ハ流失不仕 候 '当 村 こ而 一文化 十 二亥 六 月 廿 七 日大水 二而、別 所β萩 原 迄 ハ田地 流 失 仕 、其 惣 高 割 こ而毎 年 米 弐 割 之 定、霜 月 中 二相 補 御 約 束 二御 座 候 、若 御 国替 御 地 頭 御 代 官 替 又 ハ村 役 人 共 替 り 後 役 江申 渡 し侯 如 ケ様 之 儀 右衛 門 卯 長 三郎 印 庄㌔ 年番 松 井村 御座 候 共 ' 御無 沙 汰仕 間敷 候 ' 為後 日之偽 而如 件 元禄 五申 年 二月 同郡 千 眼寺 御 納所中 宇陀郡松井村仲谷家 「 永代録」と葛上郡重阪村西尾家 「 歳 々記録帳」 天 理 大 学 学 報 大坂 てん のうし 一文 政 二 卯 年 二月中句意五十日、又日延有 皇太子聖徳御はんLやう 一屋根 や ・黒鍬 一滴 7醤 油 壱割下ケ可仕侯 相場 こ応 し壱割下ケ可仕侯 同断 1大 工 ・木挽井張物師 ・畳屋 ・左官 壱 工 こ付弐匁三分之所 米下直諸色引 下ケ御講書 右之通御書付 ヲ以被仰出候間'写 ヲ以相触候条小前末 々迄不洩様 当時壱匁 八分 二可仕候 手間弐匁 五分之所 当時壱割下ケ可仕候 一瓦師職 申渡し'米穀 ヲ以追出し候品者勿論其外諸色とも 厳敷直段吟味之 上格 別直段引 下ケ致、是迄売買 いたし来候直段 よ-此度諸色之 一男女 日雇賃 当時壱割 下ケ可仕候 当時弐匁 三分 二可仕侯 一鍛冶職手 間賃 品 々何程引下ケ可売買旨'売買 いたし候も の共丘書付取之'村役 人奥書印形 いたし来 ル廿日迄可差出候 八月十四日 御役所 弐拾 四文之処 甲 左之通り近年銭 通用大 坂相場 二不抱 一茶屋膿めし 一宿屋旅能代 一魚類 拾弐文盛 壱割 下可仕候 弐割下ケ可仕候 当時廿弐文 こ可仕侯 7奉公人給銀男女 当時壱割 下ケ可仕候 右 之趣従江 戸被仰出侯段'京都 ・南都御奉行井二当従御役所御触 一髪結賃 (マ マ) 々 二而'所 々仕 来 こ 而諸色売買 書 ヲ以厳重 二被仰出候趣、委細永知奉畏侯、則村方取締方諸色直 投 下之訳左 二奉中上侯 用堅 一当村之偽者在方 二而百姓稼専 一之 村 小売方之義者銭通 近郷所通用として銭百文を壱匁と取引売買仕来り罷有候、大坂相 其外諸色荒物類 二重ま て、豆腐 ・こんにや- ・水車稼、右 こ応し 当時拾文 二可仕候 習 二両銭壱 貫文 を拾匁 之取引 二御座 候, 離√ 銀礼者御年貢御上納 壱割 下ケ'右之売方仕候も の諸職 人 二重ま て都而弐割 下 ケ'又ハ 場銭壱〆文 正銀凡 八匁 五六分位 日 々高 下有 候 へとも'夫 こ不砲 之外 都而弐 厘 引定 二而'銀 壱 匁 銭百 八文 よ り 百 拾 文 位 取引 定 二 其品 二応 し壱割下ケ 二両売 買取締 可仕候'従御公儀様被 為仰出' 百感 宇 陀郡 於井 村 付、諸色売買小売井二諸職人手間ち ん其外農業嫁入 日雇賃牛馬遣 文政二年 卯 八月十四日 助 逐 一承知奉畏候、依之郡中 一同取締御請書奉差上候 弐割 下ケ可仕候 ひ駄賃等 二重ま て'銭古文 ヲ以壱匁之積り取引 二御座候'則 左之通り 一酒酢 送籍券 写 氏神十 二神社 与右衛 門 患右衛 門 戸主 書谷捨松 当十七年六ケ月 平民農 大阪府 下大 和国吉 野郡武 木村 第拾 四番 屋敷 住平 民農 父青谷宇 八亡長男 丑四月十三日出生 寺禅宗青林寺 慶応元年 右之者仝府下全 国宇 陀郡松井村 雛鰯 僻些 依而送 籍 1応仕 木 村 加 藤 宗 五郎 印 大阪府 下 大和国 吉野郡 武 戸 長欠貞 二付 用掛り 第拾四番地仲谷直作方 へ同居移転致度旨願出候 二付 '因而送籍致 し候 也 明治十 五年午 十二月 五日 恥禦 右 送 籍券 二全 戸 卜 云事 無 之 二付 酔顔 仝 府 下全 国宇 陀 郡 松井村戸長御中 」 右吉 谷捨 桧籍 一条 二付吉 岡政蔵 殿 ヲ以先 方 へ引合 遺 し侯 処'右 之次 第 二候 也 ( 後輩) 「 去 ル慶応弐年 三月松井村氏神天御中主社前 二億有之 石小前犬之訳柄左 こ記 但 し 是 ハ元 石 田村 氏 神 二有 之侯 処'元老元 石殿 二有 之 処 木 殿 二取 直 し 候 こ 付 '不用と相 見 へ慎 二付、直助丘石田村役人衆 中 へ病人、金弐 百疋 ヲ以直 助方 へ譲講、直 助養 父忠兵衛成 人尾 の白 キ丑 二両持 戻り、当村社 前 へ家内 宇陀郡松井村仲谷家 「 永代録」と葛上郡重阪村西尾家 「 歳 々記録帳」 為永久奉納慎也 未 尤未年夏中大雨ふり候而 ⑦ 「 歳 々記録 帳 」 ( 御 所市 重 阪 ・西尾清 7氏 所 蔵 ) 覚 天保 七 申 年 大 米 高 也 、 其 年 酉 年 十 1月 ぶ 追 々 高 り か け 百 三拾 目 \ て 位 、翌申 年 三 四 月 頃 三 百 三拾 目 こ相成 世 上 1 ( 軸軒 家 難 義 二候 、 同 申 年大 分 豊年 二両新 穀 出 来 場 弐 百 五拾 目 、十 7月 二相 成 候 て百 五 拾 目位 、 翌酉 年 ハ百 弐 拾 目 也 、綿 申 年 ハ百 斤 二付 壱 〆 目位 、酉 年 八月頃 ハ米 八拾 目 こ相成 候 天保十三寅年五月中 御 公 儀 様 方 御 趣意 二付絹 布 類 御法 度銀物 類も 同御 法 度也 小 田又七郎様御代官之節 一金 五 両 御 用 金 用 達申 候 右 ハ西丸御 普 請 二而 御 ( 記載なし) 小 田又七郎様御代官所 之節 五両 御 用 金 用 達申 侯 一同 一五 天 理 大 学 日光 御拒 参 二而 学 報 山 上藤 一 郎棟御代官所 之節 四両 御 用 金 用達申候 7同 一 六 尤米百拾匁丘 ひヤけ 廿日迄 日照也 同 六 丑 年 大 日 焼 五 月 廿 日 丘 八 月 十 日迄 雨 ふ- 不申 、夫 二付 大 和 国 稲 作 ・木 綿 作 共 皆無 干損 也 、尤 米 穀 百 三十 五匁丘 四十 日迄 同七寅 年 春 y l l 月 頃古米 百 四十 日位 、 三月 十 六 日朝 五 ツ時 点京 都御 而何 方 も 当 戎若 之 候 、 尤南都 表 ハ余 程 大荒 所内 大 火 、 其外 町内も 凡 一万余 之 火事 也 、 同年 六月十 四 日之 夜 八 天保十三年寅年八月β 以上 卸 撃 7油 稼 仕 候 )4g大 ツ時 重 同寅年 序御 備御 入用 之 内 江御 上金 御 用 達 申候 、尤共 時 御 代 官 内 藤 杢左衛 門様 右 蒼顔 一金 拾 弐 両 也 嘉永七寅壬七月朔 日 年者米 穀 作 物 上作 也 申 侯 、 誠 二遠 国 江川 其外 勢 州 四 ケ市 、伊 賀 国 上 野表 ハ大 荒 也 、当 人余 - 死失 有 之 侯'夫丘 七月 朔 日頃迄 地 震 昼 夜 二七 八 度計 - ゆり れ、 御 番 所始 メ町内も 家 数 凡 千 八 百軒 計 り こけ申 候 、 死人 凡 三百 森 天保十五年辰年 土月中 一字 清 一郎 地 江 水 車 普 請 仕候 、 尤油 稼 仕 候 年 十 二月 廿 七 日朝 五 つ時 二土 蔵 米 蔵 .麦 蔵 .綿 蔵 .咲 一嘉 永 元年 申 ノ八 月七 日夜 大 洪 水 二而大 田川堤 切 二而地 大 荒 井諸 方 も 大荒 也 裏 一弘 化 ( 噌 蔵 合 四 ヶ所 出 火 二而焼 失 、尤 米 八 捨 石計 リ ト菜 種 五 捨 石 計 り外 諸道 具不 残 凡銀 目三拾 貫 目計 り之 鉄 分 二相成 候 '以 上 いたし 其 明 ル年 春 三月十 八 日右 土 蔵 不 残 普 請 申 候 以 上, 喋 ㌢ 縁 付 二御 塵候 そ割 同 四匁 が へ'松割 木 立 木 弐 匁 五分也 在 人 家 こけ申 候、尤 米 下 直 こ相 成 申 候 、 八九 十 日 二相 成 申 候 、 大 五 ツ半 時 大 ゆ-、 翌 五日七 ツ半 時 大 ゆ- '同 国高 田 ・新 庄 其 外 近 一諸 件 大 高 直 こ御 座候 寅 壱 荷 二付 七 八匁 位 二小竹 壱 駄 二付 四 拾 目 位 、地 震 同年 霜 月 四 日朝 嘉 永 三 年 成 五 月 上 旬 よ - さ 、の実 諸 方 之 山 林井野 山 之 場 所江沢 坂 ・泉 州 ・紀 州表 二津 な ミ人 絹 シ有 候 7其 年 新 高 直 二両- の木 割 木 立 木 山 二両重 坂領 な ら シ 五匁 が へ' ほ 山 こな - 申 候、 右 さ 、の実 取 て粉 こいた し、 だ ん ご こし て 飯 米 こ 材伐 出 し被仰 付 候 二付 、 木数 弐 百 七 拾 本 、但 角数 も 同 断 伐 出 し 、 1同年 十 月 十 三 日t Q京都御 所内 御 普 請 二付 、当 村御 林 山t Q松 木 御 用 候 、井二間竹 ・はち - 竹 共 ジね んご ふ入 かれ申 候 いた シ申 候、尚 石 英 者牛 こ拓 く ハし てよ し、其 後 す ゞ不 残 かれ 申 嘉永 四亥 年 三月 中米 高 百 六拾 目也 、同年 二月朔 日丘青 野山 役行 者 持 出 し賃 銀 六百 日阿 田村 方相 渡 し 御手 当 テ金 四拾九 両 弐歩 御 下 ケ被 下、 目 下阿 田村 へ向 ケ持 出 し、 ( 方へ) 尤 阿 田村 方 こも 引 負 峯 山 番 の次 こ阿 田 村 へ方 持出 し致 し申 候 、 尤 開帳 也 ひヤけ但 シ五月十日丘 嘉永 五子年大 日 焼 七 月 晦 日 迄 嘉永 八 尤 三十. E( 願針 在宿 有 之 候 五候御出役 長 谷川幸 平棟 江 戸御普 請役 鈴 木 栄 蔵 棟 請 二掛 り '翌亥 ノ 二月 十 三 日相 立候 上棟 二御 座 候 、米 五 石余 ・酒 申 侯 '米 穀 ハ百 六 七 拾 目 位 二御 座 候、尚 又 同 人 月中 旬 よ り本 宅普 同 成 ノ四月 上旬 より 日本 国中 男 女 は しかは やり 、余 程 死去 いた し 薩 州様御 上京 二相 成 '交 易 御 止 メ願 二候 打 と られ 死去 被致 候 、尚 同年 三月中大 和 南 都 春 日棟 御 鏡 ≡ ツニ割 符 れ '京 都意 御 便 五人 相 立 御き と ふ有 之 侯 '尤 五 月 上旬 より京 都江 右 御 用材 御掛 -御 役 人様 安 政 二年 二年 号 相 替 -申 候 手 代 都 合 五人 首 ヲ打 ご く も ん 哀 れ宵 陣 屋 焼 ほ ろ ほ し、桜 井 寺 弐 石 余 入 用 こ御 座 候 、 米 ハ弐 百 拾 匁位 こ侯'綿 ハ三 百 五十 E] 位、 安 改 む 同年 二月 万延 二替 \ J ヽ 同 酉文 久 元 こ相 成 申 候 春中Q 一攻 玖 玩 万 延 元 申 年 夏 中 大 雨 ふり こ而麦 作 大 不 作 二両'百 八 拾 自 任 へ陣 所 こいた し、 五僕 支 配 所 百 姓 へ当亥 年 之 御 年 貢 ハ半 通 り こ致 其余年 毎 年米 百 弐 拾 匁 室 一 四拾 日位 也 、 尤 其 年 意 掛 澗 直 二相成 申 迄 高 直 二相 成 侯 、 米 ハ百 五拾 目丘 弐百 七 拾 日位 迄 相 成 候 、尤 前 年 し遺 し候由 申 候 、 同 廿 五 飯 岡取 表 叫聖 候 安 政六未 年ぶ 異 国 こ ふ ゑき 専 痛 成 、油 .頭 酢 .楓 其 外 六 品計 り 都 合 弐 万之 軍勢 二而押 寄 、同 廿 六 昌 同 年 五月 廿 二 日召 砲 之 庄 蔵 死去 いた し 、六 月 三 日久 重 死 去 いた 亥 Lt七 月 三日お勇 死去 、 七月 廿 日奉公 人 五台 死去 、 同 八月十七 日 量 七 ツ時 五億御 陣 屋江何 国意 浪 人 参 り 、御 代官 鈴 木 源 内 横井二手 附 諸 品高 直 こ相成 候 、唐 物 薬 種 類 ふ- か ん 其 外 下 直 二相 成 候 、夫 二 付 米 六斗計 り酒 三 四斗 出 し申 候 、 同日七 ツ時 Q 吉村 虎 太 郎様 ・小 ( ㌘ 右衛 門 . 丘轟 町 中 衛 門 送 り 申 候 , 此 由 ハ廿 八 日 二南 都 御 番 所 様 へ相 届 参 り 、 七 ツ時迄 休 足被 致 申 侯 '夫 丘 五候常幸 迄 かご人 足 六人、書 人高 取 へ夜 打 二参 り ' 廿七 日 九 ツ時 戸 毛 村丘吉 村 殿 か ご こ而送 り ツ時Q 7 尿り 掛 ケ , 拾 人井二十 津 川郷 士 付菜種 百七 八拾 目位 迄相 成 、渦大 坂相 場 七 百 弐 拾 匁 迄 高 直 二相 成 川佐吉 様 ・中垣 堅太 郎 様 、外 二十 津 川郷 士 廿 人 計 - 、 都 合廿 三 四 諾 候 、米 ハ百 五拾 目位 〓別後 二相成 候得 共 、弟 武 兵 衛新宅 辰 加東 宅普 請 いた し申 候 、申年 二 門長家普 請 いた し申 侯 一万延 弐 酉 年 三 月 三 日 二江 戸御 本丸 前 二両、 悔 榊朗轡 棟 御 大 老 之 節 ケ申侯 野 八 拾人 計 - 二手 やり 二而打 と ら れ 死 去 被 致 侯 、 同 年 十 月 水戸 数 自余 二相 成 、其 外 諸 品 高 直 、 実 綿 五月 中 ハ八 百 五拾 日 二相 成 、 六 同 十 二月中 旬β 泊 八百 日余 二相 成 '子 ノ三月 中道 ハ壱 〆 弐 百 五拾 ( 普) 月 中 旬ぶ ハ六百 日、 七月 上 旬 ハ四百 日 二相成 、種 ハ三百 拾匁 位 中 ハ米百拾匁 位 二候 処 、十 二月 上 旬 二者百 五拾 目位 、 成 四月 二者百 八拾目 こ相 成 候 硬 昭 伽 二両水 戸浪 人 二 一七 同成 年 正月 十 五 日 江 戸 二お ゐ て安 藤 対 馬 守 宇陀郡松井村仲谷家 「 永代録」と葛上郡重阪村 西尾家 「 歳 々記録帳」 天 理 大 学 学 報 一七 月 十 九 日夜 京都大 火之 趣 、 凡家 数 七万余焼 失 いた し申 候 、 死 人 三千 余 死失 いたし 一八 上 旬 よ -米 壱 〆 百 目位 、 六 月 下旬 二者壱 〆 自 余 、七 月 廿 五 日 頃 ハ 壱 〆 五十 f Z Z ] 位 ' 八月中旬葺 ハ段 々 下落 、九 月 十 日頃古 米 五百 五十 候 、 其 後 元 治 弐 丑正 月 二者米 弐 百 八 拾 自任 こ相成 申 候 、 三 月 中 旬 大名 様 方 長 州江御越 し こ付 、米 穀 其 節 7旦 三百 五拾 目 迄 いた し申 匁 、 ほ そ 廿壱 匁 '枝 同断 、松 大割 戸毛着 拾壱 匁位 同 一子 ノ十 一月 廿 七 日頃β 長 州 行 諸 大 名 尾 州様 頭取 二両淀 様 其外 拾 五 同 年 正 月 中音薪 大高 直 、御 所 町 二両- の木 割 木 四十 〆 こ付 廿 弐 三 同年 大 干 焼 精 細謂 嫡如舘 印候 相 成 候 、米 辰 年 早春 丘 ハ凡 六 百 五十 日計 - ' 金相場 大 高 下壱 両 こ 鷲 尾 殿丘 取 払 二相 成 、本 代 官 中 村 勘 兵 衛 殿 も 外役 人中も 賢 坂 方 舟 こ而 7ツ橋 殿洋二会 津 殿者何 国江逃 去 候 、且又 五候 代官 所 も 家 数 千 計 - 煉 る'同 九 日昼後 音大 坂 城 内 大 火 二而不残 焼 る、 又大 鳥 羽 辺 こ而宮 家 卜 江 戸方 卜大 合 戦 二両、人 数 凡弐 千 人 計 - 打 死 い 頃丘 十 7月 廿 日頃 二七 百 日位 ' 翌 辰 正 月 六 日 七 日 二者京 都 伏 見 ・ 日位 ' 同九 月 晦 日十 月十 日迄 米 四 百 五 八十 日位 、夫A 十月 廿 五日 頃 ハ米 四 百 日 ・抽壱 〆 三 百 日 、 六 七 月 頃 ニハ米 五百 日 ・実 絹 壱 〆 付 百 三 拾 自 任 、 三 四 月 頃 二者百 六 拾 目 位 ' 五 六 月 頃 二者弐 百 目 一文久 四者申 春 三月上旬 こ年号 替 - 改 元 治 元 二相成 侯 舶 木 割 御 所 町 二而四 十 日 位 ,松 大 割 三 拾 目 引 替 いた し' 巳年 二月朔 日音 五月 廿 日迄 皆 引 啓 二いたし 侯 、 迫 々 た し 、以 上 四百 五拾 〆目す り 出 し候 、大 二偽 札人 出来 弐 百 〆 臥船 二 た し、伏 見 大 火 凡 家数 弐 万余 焼 失 也 '美 音 八幡橋 本 辺 二而も 大 火 日, 柴 薪 大 高 位 、七 月 上 旬 よ り 弐 有 給 九匁 八 分 二相 定 - 申 候、米 ハ七 月 頃 二者 臥謂 位 、 同 丑 ノ始 秋 樫木 山拾 八匁位 '立 木 売 払 ヒ相 成候 '松 木等 も 立 八百 日位 、 又前 後 こ相成 候得 共寅 ノ十 二月 冊 日頃音 銀手 形請 負 い 袈 相場相立申 候 、諸 木 八 匁位 売 払 イ申候 、抽壱 〆 三 百 日 八十 式 大 高 直 こ相成 候 、尤 丑 ノ壬 五月 中 旬者御支 配 様 重 立 候者 御 用 金 Q 五両 計 -迄 夫 々上金致 申 候 , 夫 子 八朔 御 被 仰 付 候 , 弐千 貫 鮎 ) ( 褒美) 礼 こ罷 出 申 侯 、 尤御 美 は ト し て苗 字 帯 刀御 免 相 成申 候 、寅 正 月 二 其 年 中少 々ヅ 、残 之 分引 替 ' 翌年 正 月 廿 二 日頃桜本 妨江金 拾 壱 両 ( ル) 壱 歩 弐宋 出 金 いた し始 末 相付 申 候 ' 然 し 処 未 年 五月 廿六 七 日頃 こ 奈 良 県A 御 沙 汰 二付 、代 人 治 右 衛 門 ヲ差 遣 し届 ケ清 二相成 帰 村 致 し申 候 '外 こ而者銀手 形 一条 相済 候 同 辰 年 七 八 月 二者米 八百 五十 日 位 、 同 辰 九 月 十 八 日大 洪 水 二両川 相 成 候 で薪 少 々下直 こ相 成 候 ' 又米 少 々高 直 二相成 候 ' 同 寅 二 月 七月 上 旬古 米 五 百 五 拾 日 計 -、 六 月 二者米 壱 〆 目、金 相 場 百 四 十 日 先陣 位 ' 八 月 ハ米 壱 〆 弐 百 目 計 - 、同 八 月 九 月 二者長 州 御 神 臭 紀 州 樵, 二 陣 悔 筋 大 荒 ' 米者八九 両 也' 巳年 も 風雨 度 々 二而大 凶作 二而' 八月 九 月 へ向 被 参 候 ' 寅 ノ十 1月上旬 A米 六 七 百 f Z Z ] 位 迄 下落 二相 成 申 候 ' 同 十 二 醇町 十 月十 l月 米 八両位 、翌午年 三月 之 頃β 七月 頃迄 十弐 璽 P( 棚 卵御 株 , 三陣 榊 原 様 、 其外 拾 五大 名計 り広嶋 月 上旬 二者米壱 〆三 四百 日 二相成 、 翌卯 正月 下旬 二者壱 〆 五 百 弐 三 欝 雑 穀 出 来 候 節 者六 両 W( 両位 , 翌 未 ノ正 月丘追 々下直 二相 成 , 十 日 二相 成 候 、同卯 三月 上 旬 こ者少 々下落 いた し申 候 '同 年 六 月 三四月頃六両位' 五六月頃 五両位 二相成候 ︹ 付記︺ 今回翻刻 ・紹介 した史料を拝見 させ て いただ いてから かなり の年 月がすぎ たが'快く調査 に応 じ て下さ った伸谷辰三 郎 氏と西尾清 一氏 に対 し'末筆ながら心 よりお礼を申 し上げた い。なお'私が課外 で行 って いる 「 古文 書を 読 む会」 ( 中 級) にお いて'相坂景子 ∴序岡桃子 ・長縄智美 ・東元勢 仁 ・山影美 夏 ・山本真也 の諸君ととも に'「 永代録」を読 み進 んだ。 宇陀郡松井村仲谷家 「 永代録」と葛上郡重阪村西尾家 「 歳 々記録帳」
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