田 奥 付 著 者 頁 た人 を こ らず、 され、 いう形式で出版し、そしてそれに関する文章を読者の多い月刊 発表していることを考えると、影響力の大きさが予想 ま 放置しておくわけにはいかないと私は思う。 明治以来、幾 万の ﹁日本のうた﹂が生まれ、国内のみな 外国でも翻訳されて歌われている現在、たとえ日本語 というも ても、 そ 話発音 ﹂とでも 何 世紀にもわたって築かれて きた日本 のが、もともと 暖昧で 矛盾だらけの舌口語であったとし れを可能な限り整理し、 語の美学を生かした﹁歌うための日本語の舞ムロ いうべきものを作り上げていかなければ、日本語から 本来の美 しい響きが消えていくことに歯止めをかけることはで きないだ 五七 あ 均 欄一 へ の疑問 取 7号 l21 ユ 、 憶 U 九 九 声楽家の日本語音声認識 土芳 その ょうな人の著書であること、また一般に普及しや す い新書 術博 藍川由美著 ﹁これでいいのか、 にっぽんのうた﹂の検討 ロ が発行された 。藍川は月刊 昨年一一九九八年一創刊された文春新書の一冊として 、藍川由美 著 ﹁これでいいのか、にっぽんのうね ﹁文藝春秋﹂の一九九九年五月号の巻頭随筆欄に ﹁西洋音楽コン フレックス﹂と題する文章も発表している。同じ出版社 で発行する 雑誌に、単行本等をその出版社から出した著者の文章 を 同時期に掲 載するというのは、営業上よくあることではあるが、 もしその著書 0万に問題点があった場合、その問題屯を広めてしま 、っことにもな ﹁山田耕作歌 く 含まれてい る。以下述べるように、﹁これでいいのか、にっぽん のう ト @に 口にけ卜 日本語音声学上から舌口って、看過しえない問題点が多 る。しかも藍川は 、 ︵﹁演奏家としての立場における 曲の楽譜に関する研究﹂﹂で声楽 一ソプラノ一の分野 ではわが国初 学 ぃだろうが、 。もちろん、 五八 冨一となるが、﹁じゆ﹂には摩擦音の可能性もある 0 真一 ﹁んじゅ﹂となれば一己二であることが圧倒的に多 ろう。︵一九 と 言っているが私はこの考えに大賛成である。しかしそのためには、 自由異音のことを無視してはならない。また﹁きん か ﹂﹁さんご﹂ ︵舞ム口語 現在の︵ふだん話しているような目抜な発音︶一八頁 一と の例は三一である。 M と N のみで表そうとするから 、細かい違い 発音︶の正しい姿を確実に把握することが不可欠であ に気付いていない。もっと詳細に検討してこそ、︵ 歌、っための日本 ろう。つまり、 正確な日本語音声学の知識なしにはこの分野の開拓は 不可能である 軟 口蓋という後 語の舞ムロ発音︶に接近できるのではないか。しかも 誤りを正して 、 ﹁ とんぼ﹂ -zてつまり、積極的 な 閉鎖を伴 当 摩擦昔 ︵ ︵人形︶︵文部省唱歌引用者 芭の歌には、﹁ひと よって発音が決まる︶と言えるのである。藍川は 、 表すとしてもよいであろう。そこまで考えてこそ、︵ 次に続く ザ行 ・ジャ行の自由異音としての摩擦音も含む︶の前 の ﹁ん ﹂ 前の鼻母音化した﹁ ん ﹂ や 、もっと簡略化しては、 い ﹁ん﹂である。この昔は無音の直前に出現する。 加 ・ えて、 母 @ むしろ歌唱上問題があるのは ういうものと歯茎での閉鎖で作られる三一を混同して はならない。 と断 舌口できる。本稿では同書の問題点を指摘し、その 実 方での閉鎖のあるものは共鳴が作りにくく、歌唱上国 難を伴う。 そ と N を混同した何として、﹁じんせい﹂﹁ が続く場合は B 、 M 、 P ん ﹂がある。﹁ ん﹂は次に続 く 昔によ り んご﹂ ﹁ん ﹂は いくことにする。そしてそのことによって、藍川と私 の共通の願い ん﹂について。確かに歌う立場からすると の実現へと近づけるであろう。 一 まず擬音﹁ 、 M に歌いにくいものである。藍川は次のように言って い る 。 同様に ﹁とんぼ﹂など、語中の﹁ って発音が決まる。唇音の おいても泣きません﹂とある。この場合の﹁ ん ﹂は 否定形なの となり、その他の 子音が続 ﹁さんさ﹂﹁さんぼ﹂などのように で 発音は Nだ。もちろん母音は人らない。上の歯茎に 舌先を当 も M く ﹁きんか﹂﹁しんじゅ﹂﹁さんご﹂などは N の発音 となる。 一三六基 てたまま N を持続すればよい。︵ 言っているが、こういうときの日常の発音は と ら ん︵ 舞 ムロ 語発音︶として﹁ ョ一を提案しようという考えはあ 一Nロの はずだ。 ︵一三七頁一 確定すれば この例では典型的な歯茎鼻音冨一となる例が挙げられ ていない。 しんじゅ﹂の﹁じゅ﹂の子音を破擦音で発音すると も ち や ﹁ じ ってもよいが、その前提には日常の発音の正確な把握があるべきで ある。同じく、 戦後は 、 歌のおばさんから演歌歌手まで、﹁りんご﹂ 一 一 一 次に無声化について。 藍Ⅲも、 クラシックの歌手が歌う日本詰は聞きづらいとよく 言われる が、それは何も演奏にだけ責任があるわけではない。 作曲家が Mで発音するように なり、 最 近 では、テレビのニュース・キャスターやアナウンサ |までも 岳声昔を有声音のように長々と延ばして書こうと、 日本証叩の吉ロ んせい﹂の﹁ ん﹂を 、唇を閉じて が ﹁すみませ む ﹂﹁ありませ れ﹂と発音するありさまだ 。一八四 奏するしかないのである。一一一八頁一 低 アクセントを虹祝 して作曲しようと、歌い手は楽譜 通りに演 -ョ直 - と言って いるのではなく 頁︶ とも言っている。後者はまさか と 言っているが、その通りである。ここで舌口 う ︵血声昔 ︶とは無声 ったときの 自 て、ロョ一と 舌口っているのだろうが、勢いよく言い切 この無声化には規則があるのは言うまでもない。しか し次の藍川 このような例は多く、藍川もそのことを言っているの であろう。 の冒頭﹁あした浜辺を﹂の﹁ し﹂には長い音符が当て られている。 意味であろう。たとえば﹁浜辺の歌口︵林古漢作詞・成 山石三作曲一 である単音という意味ではなく、﹁母音の無声化され た拍﹂という あくまで 由異音でしかない後者と、明らかに条件異音としての 誤りである 前 者とを同じ議論にのぼらせてはならない。前者の誤り 0ヨ - も、 ︵泣き ロョ@と歌う藍川の誤りも、私には五十券面歩 に思える。 共鳴を多くとろうとしてのものであろうがの ません︶を 但し、藍川の記述からは、歯茎と舌先では閉鎖してい るものの、 舌 フ 一であるべき︵泣きません︶を積極的な 閉鎖を伴って 発 る ﹁N﹂に Ⅲ 川いていいるとⅠい 、し ブ舌 ん 。口 る Ⅰもし そし 、Ⅰ 9 でな ト @なら やはり、多く も 読み取れる。その占では、口腔・鼻腔両方からの 空気の流出のあ 過ぎ去る無声音を長く延ばさなくてはならない場合も ある。 し たとえば﹁夏は来 ね﹂の﹁ つ﹂のように、喋ると一瞬 のうちに ところが、歌となると、 1昔工 昔に音符が与えられる ため、 0発言口を見ると、その規則を理解しているとは思えな の場合 かも、無声昔の﹁ っ﹂を 1拍半延ばすためには、発音 を有声化 の側面からいささかの空気が一もちろん 無摩擦で一山 ているように 昔 するわけだから、問題である。 せねばならない。すると、出展のことながら、響きそ のものが 五九 変わってしまうことになる。一一 0 一頁︶ もちろん義務 つ﹂のことを言っている め だ るぅ が 、 ﹁夏は来 ね﹂三夏は来 ね﹂佐々木信綱作詞・小山伸之 助作曲一の ﹁つ﹂とは﹁真一なご﹂の﹁ この﹁ っ﹂は義務的な 皿声 化の行われる拍ではない。 的でない 掘青北をしてもよいのだが、ここでわざわざ 歌いにくくな へ﹁つ﹂を 1拍手延ばすた めには︶﹁ つ﹂ 二ハ ハ U レ である 一 3は藍川によれば基本母 土日 8番に ウは ︵唇を前に突き出 して 発 であり、﹁ く﹂の一七一とは異なる。 また、︵現在の共通語︶では、 る ︶わけではない。つまり、 一仁一であるが、実際には基本母音巧香 に近い一日一 口 土日で らんかなり 前 寄りではあるが 一。藍川の舌口ぅ ような 円 反目与 ば 、自分自身が批判している︵佐藤千夜子はべ ル ・カ ント も ど 発声法で、まるでカタカナを読んでいるかのような 日本語で歌 る 無声化をする必要はない。 の母音部分を延ばせば よい だけのことである。また 次 のよ . Ⅰ ノにぐ心 =口 し = いた︶ 一ゼ0 真 一ものと同じようになってしまう。 確 かに円唇 ﹁君の名は﹂︵ともに菊田一夫作詞 く 評価されなかった。﹁ 古 を生 熊 祭りの夜﹂のレコードでは 、血 て作曲していたのだが、歌い手が勝手に歌い変えたた め、 所作曲11引用者 芭では、上の譜例のように無声音 ﹁ 熊祭りの夜 ヒや ほ ついて次のように言っている。 話を無声化に戻そう。藍川は古関裕而の仕事を紹介し て、虹 たとすると、その土地の方舌口の反映かもしれない。 川県生まれ︶一一九九頁- なので、もしそこで言語形 成親を過 ﹁ん﹂をすべて Mと発音するのと同じ措置ではないか。 藍 Ⅲは 、 の方が共鳴を得やすいからそうするのだろうが、それ なら、 前 っている。 ウ には、現在の共通語においても、およそ三つの異な る タイ フ 0発音があるようだ。 1. 掘 声音的な ウ 。 宇 いつか﹂﹁ くつ ﹂﹁ つき﹂﹁つゆ くさ﹂ など︶ 2. 暖 珠母音的な浅 い響きの ゥ 。︵﹁すみれ﹂﹁すず し い﹂ な ど一 ウ 。 写 うみ﹂ ﹂は無声化の -日口を示してい るようだ。 3. 唇を前に突き出して発音する深い音色の -日 - を 、 2は中古化された ﹁ゆり﹂など 一 1は ら で歌われるべき﹁満月﹂の﹁ つ﹂が 、 ﹁つゥ﹂と延ば して れている。一丁八三一六四頁 一 戸札 かし 正し 声 土日 歌わ だが﹁つゆくさ﹂の﹁ く ﹂は無声化するものの、 ノ 要がない。誤解を招く舌ロ い方ではある。なお厳密に は ﹁つ﹂が 掘 声化される場合は中古化した 紐 川の言う 2 一ものの㎜ 声 化でロモ 一 ちいす も追首 れ あ き 香の音ての 述母つ ( ご し 関裕 声化は泌 要 ではない。確かに﹁ っ ゥ﹂と延ばし しかし、﹁満月﹂は﹁ああ満月よ﹂として出てくるも のであり、 ここでは義務的な血 し ﹂を 軸声音で歌うよう、上のような譜例 を 引いて 巻ヒの 解説で、﹁からたちの花三の﹁みんなみんなや さしかっ たよ﹂の﹁ 一 ﹁し﹂には十六分音符が当てられているので、﹁し ﹂ を 短く軽く歌う 註釈していた。一一一六頁 であって、無声化とは関係がない。また﹁君の名は ヒ 0例は﹁忘れ るものである られれ﹂で﹁わす﹂が一つの四分音符に配置されてい ことができる。但し、﹁優しい﹂は平板形容詞なので 、アクセント た 誤った例を掲げてはあるが、それは音符のつけ方を 間違ったもの が、ここでも無声化は必要ない。むしろこういう表記 は 、 狭 母音を は ﹁ ヤサ シカッタ﹂となり、 声化しないのが本来の発音である。しかもメロディー は ラドード ソ シに アクセント核を置く ため、 シを皿 譜例には︵ ヒぃ ・sa 浄.七キ 占pピ .0︶とある。﹁ さ﹂には 村占 八分音符、 持つ拍を軽く歌えということで、﹁ す﹂に十六分音符 を 当てはめ、 それに伴って﹁ ね﹂には 付占 八分音符を与えればよい だけのことで 一致している。も シを軸声 化し ヤサ シカッタ とい うことも多い でⅠその際はアクセント核は一拍 前 、 サ にずれる ので、メロデ が 多数派である起伏形容詞のアクセントに合流する こともできる ちろん ヤサ シカッタの |ソソ一ドは 高い方の ド︶で、このアクセント と 4番 の歌詞 はないか。 一方、血 声化を正しく認識したものも紹介している。 ﹁据籠のうた﹂ 一 北原白秋 詩 ・草 川信四一では、 っ﹂が 血 声音なので、これを生か して﹁ つ イーと合わなくなる。と言うより、無声音はそもそも 音程がとれな ﹁黄色い月が﹂の﹁ き﹂が一つの音符にあてられていたが、現在では、﹁ 黄色いつ いので、一応音程があるように表記しても、実際には 役に立たない である。 |きが ﹂という 符割りで定着してしまっている。一一四三頁 一 ものである。 山田も本当に無声化という現象を理解していたのか、疑 間 ﹁月﹂には八分音符が与えられているので、実際には 血声 化され た ﹁つ﹂には十六分音符、﹁き ﹂にも十六分音符を配 生 して歌うこ 血一七戸土日 ﹁サクーラ﹂と読まれる可能性があるため、耕作 はク の母 などの音を指す。たとえば、﹁桜﹂を ,のa |k ヒ% ,と 書く K.P もう一つ、耕作が始めた特殊なローマ字表記として、 と、 T.S がある。無声音とは、舌口語土日の中でも声を伴わない、 とになるだろう。﹁ つ﹂をもっと短く 、 ﹁ き﹂をもっと 長く歌うこと も 可能だが、童謡という性格上、実際には無理だろう もう一例を m 田 耕作のものから。 無声昔の歌い方について、耕作は﹁山田耕作名歌曲金 集 第一 由笘ド ニ,﹁ AIYAN ち く生 ﹂ を ,に・ ニ・ 砕き ・Pp, 、, ﹁気 をつけ の歌﹂では、﹁あん 昔を抜いて,の ぃは ﹁a,と書いていた。﹁蟹味噌三 では﹁ 蟹稿き ﹂ ぜ な い士・ n ヰ@ は・ 件 0. 。、 ﹁かきつばた﹂を てもらえないからではないか。︵耕作はひとりローマ字表記に情動 を 傾け、工夫を凝らしていった︶一一一三頁︶のだが 、日本語の発 昔の認識も甘く、表記法の工夫も足りなかったのでは ないか。 つ のだが、わざわざ歌いにくく、聞きにくく、音楽表現として不適切 は無声化の必要はない。もちろん義務的でない無声化 なしてもよい と 藍川は紹介しているが、﹁ 桜 ﹂の﹁ く ﹂、﹁かきつ ば ちL ﹂の﹁ つ﹂ きもの︶だ。但し、この ょうに無声化すべき拍を有声 で歌わざるを いても、現在の︵﹁歌うための日本語の舞ム語 ロ発音﹂ とでもいうべ のような例は除いて。それがたとえ、本来の日本語の 発音とずれて かないのではないか。もちろんごく一部の﹁やさしか った﹂の﹁し﹂ 岳声化された拍を歌うには現状では楽譜に忠実に 、有 声で歌うほ な音程のない昔を発するノ 要はない。しかし、それよりも﹁かき 次に促音を扱う。促音は歌う側にとって苦労の多いも のである。 四 大きくするように私はしている。これも︵舞ム口語発音 ︶であろう。 得 なくなったとき、その拍の子音が摩擦昔及び破擦音であった場合、 かにも、 でも﹂ ばた﹂の﹁ き﹂はなぜ血声化しないのか。なお他の三 例は適切であ の歌﹂でも、﹁一つ摘ん その子音を強調して歌い、その拍の母音と比べての 比重を少しでも 事実、 ところが、同じ﹁ となる これについて藍川はどう言っているか。 ていないし、藍川も注目していない。これはむしろ 表 記法の問題で れない。﹁一 つ﹂の﹁ ひ﹂も 虹声 化すべきだが、山田 もそう注記し とのことなので、こちらとしても厳密に考える ノ 要は ないのかもし 作詞・中山晋平作曲11引用者 こ - と昭和仏年の﹁ め ん こい 小 歌った、昭和 9年の冒三太子さまお生まれなった三一北原白秋 も 、いちばん驚いたのは、促音の問題だ。いずれも 子 供 たちが 当時の発音のいい加減さを思い知らされることになっ た 。中で 発音や歌い方の範を求めたはずのレコードで、はから ずも、 はないか。つまり。・ エ・0 ︵ ・︵ しの ,と書いたのでは ヒ の 無士戸化とはとっ 一二ハ真一 4 人 @0一一 など、 泌ずしも厳密に表記されていたわけではなかっ , ﹁あつき﹂が。お山仁ヤオ @。 , 、 ﹁かすかに﹂が。・ ぼ ・ 倦・ ガぃ白 AIYAN る。 な ﹂を,宇 。 俸・ 寄占㌔と表記していたのである。 二一 上ハ頁一 Ⅰ / そのまま歌うという便法がとられる。実際そのように 歌う のが 大 分 である。子供たちはそう歌ったのではないか、この 歌い方は 、 馬﹂︵サトウハチロー作詞・仁木他喜雄作曲引用 者 佳一だ が、ここでは何と﹁なった﹂﹁ひかつてる﹂と書かれ た促音の と益 @ 昔し に 歌って 半部分で音程を生かし、後半部分の休止で促音の感じ を 出すとい いたのである。しかも、﹁めんこい小馬三では、一緒 ている﹂ るのか。 とは考えられない。子供だからこそ︵まるでカタカナ を 読んでい かのような日本語で歌︶ ぅ はずはないのである。むし ろこれは、 、いわば両方の顔を立てたものである。 事実、加古美枝子は﹁愛国行進曲﹂︵森川幸雄作詞 い る。 団は 、ソファミ ソ の最後の ソが八分音符なので二分割 し、前半は ミ で﹁ い﹂を歌っているの で、それを の掘菩の感 よくない。藍川の挙げている二葉と子供たちの違いも このことで い﹂と歌い、後半を十六分休符として、促音 い じ 延 一同じ長 の母音部分 ないか。 は 促音の歌い方は確かに大問題である。しかし、︵﹁歌 一 るときには、その音符を二等分し、後半部分は休止と し の休止符におきかえ︶、前半部分は、促音の直前の拍 は う ための日本 を 出したのであろう。確かに独唱と合唱とで歌い方に 差があるの に なる。それが二葉の歌ったものではないか。確かにこ れなら促音 しくは聞こえる。ところが実際には、促音に一音符が 当てられて ばして﹁ 十 音符が当てられている場合、楽譜にあまりにも忠実で あろうとし ﹁たて一系の大君を﹂の﹁ 曲 - の二番を歌ったときのことを次のように舌口って 自身は引用者 芭 一如 古 い﹂一中昭一をはっきり詰めて歌ったが、あとで合唱 がその 箇 所を歌ったときに、前の音が少し延びて詰まり方がほ やけてい ソドドレミミミミミ 一 ドドレ以下 は高い方 一 るので、全国から一中略︶問合せの手紙が殺到したそ、っ である。 この部分は、ソファミ だ しまうこと ソを 血昔にした 。一方、合 が、そのソファミ ソ の最後の ソに﹁いっけい﹂の﹁ っ﹂が当て ろ れ 加古は由 実にその 六分音符とし、その直前の 唱 ていたわけだろう。 ろ のような閉鎖昔に先立つ促音、つまり無音の促音に楽 諸士、一つ 、促音の乗っている音符を歌わないですませてしまっ たのではな こ か。それは促音の性質には忠実だが、音符を血 規 して 瀬戸口藤吉 ツが、 ﹁なつ ゥた ﹂﹁ひかつ ゥてる﹂という風に、有声化されて を 前 部 う 作 いる二葉あき子が、﹁待ってゐる﹂を﹁待ッ ているのに、なぜ子供たちだけが﹁ つゥ ﹂と発音してい まったく不可解な現象と言わざるを得ない。︵モー 六頁 しかし、本当に﹁なつ ゥた ﹂、つまり ナ ツー タと 歌っ たのであろ か。このような古い時代のレコードを聞く機会はなく 、実際のと ろはわからないが、いくらなんでも促音を 、 タ行 ウ段 のツ で歌っ う こ た の て ら い さ 語の舞ム語 コ発音﹂とでもいうべきものを作り上げて ぃかなければ︶ 一二七 @ 一二八頁と同様のことを再び述べたあとで、 、﹁植﹂からのわたり昔のせ い である。 上 八四 と考えているなら、促音に対する正しい認識と、の 実歌 地唱法への うに舌口っている。 藍 心掛けるようになった。さらに、上代日本語における ﹁母音は ぢ ・ず ・づ﹂の﹁四 つ仮名﹂の区別や 、 ﹁ん﹂の正し い益金日を そんな体験から、すでに現代語から消滅したとされる ﹁じ 模索がなければならないだろう。 五 藍川の発言にはこのほかにも理解しかねるところ るが 。あ ﹁思い出ずる﹂とう 歌時、﹁おもいいずる﹂と発音す とる 、どう 歌い出される語頭のア行 昔との対比が鮮明になるので はないか 0区別を生かすことで、時に声門を閉じて子音的には っきりと ワ仁 Ⅱ土日 しても二度目の﹁ い﹂が平べったくなり、響きもきつ と考え始めた。こうした微妙な発音の違い な 絡み合わ せていく 語中に立たない﹂というきまりを念頭に置いて ハ ・ヤ ちだ。それを、歴史的仮名遣いに戻して﹁思ひ出 い一 一づる﹂ ことで、歌われる日本語の響きに、日本語独特の陰 訪 が出てく ﹁故郷日省 ロ貯炭之作詞・岡野貞一作曲引用者注一で、 と発音すると、ひ ﹁﹂と﹁い﹂になるので、い ﹁﹂が楽 に歌える よって演奏 動を行うという考えはあってよい。しかし、その前提 として、 日 再度言うが、新しい﹁舞ム口語発音﹂を提案し、それに の可能性があるのではないかと考えている。一一三八頁 るのではないだろうか。ここに、日本語の﹁ 舞 ムロ語弊土日﹂ 確ユ つと、子 ようになる。声 ﹁こゑ一をそらへて﹂や、﹁早苗一な さへ一植 一二八頁︶ 歌うとい るのだ る 昔を生かせるため、音程の跳躍の際、白が節約できる だけでな @ ﹂﹁そ ら へて﹂﹁さなへ﹂と歌ってい く、発音の ヴァ ラエティも増す。一一二セ 本当に藍川は﹁ 苦ひ うか。もちろん一つの提案として出し、自分はそのよ、 えてしまうの う考えはあってもよいが、聴衆にはかえって不自炊な と聞こえ | るのではないか。なお﹁ 植ゑ ﹂の﹁ ゑ﹂を﹁ワ行 昔と して歌う﹂と はウェと 歌うということであろうか。そのように聞こ、 どできていないことは既に述べた通りである。私なら 、よっぽど 語の発音の正しい認識が不可欠だ。藍川は︵﹁ん ﹂の 正 しい発音︶ 本 活 別なものは除いて、たとえ文語で、歴史的仮名遣いで 書いてあっ な としても、現在の発音を基礎とした﹁舞 ムロ 語 発音﹂で 歌 ぅ だろう。 特 川は表記のシステムと発音とを混同しているのではな た 藍 の ﹁へ﹂ や、﹁得る口の﹁得﹂と同じ発音にならなく て困って いた。だから、発音の区別などないといわれても、す 記述を見ると、むしろ認識はそんなに誤っていないかのようである。 血りへ 得 できないし、私がそれらを区別して歌おう とするこ とを否定 ﹁とこ し へまで小変へ で﹂など 異なると舌口えばまたそれもそうだ。 ﹁発音の区別などない﹂と三口えばそうだし、発音は環 境 によって する根拠にはならないように 吾われる。一九八頁一 語頭の場合は、軟口蓋に柔らかく自をあてて発音する軟口蓋 一うへニ 摩擦音となる。発音記号としてはⅩが用いられる。 現 在、語頭 以外のへは、﹁幸一ヌの上 のように エで発音される。ただし、これをア行の エと して歌う かせながら エと 舌口うと白状な響きになるようだ。︵一一一一四頁一 られていたような﹁アイウエ オ﹂の日形で歌えるもの なのだ る らない。日本語の母昔は、ほんとうに、小学校の教室 の壁に貼 なぜか、﹁家﹂と﹁ 笛﹂と﹁ 声﹂の﹁ え ﹂が 、同じ響 きにな 本当にア行の エと、へ から変わった エとで発音に違い があるのだ うか。それとも、母音や子音の組み合わせによって、その都度、 と 平べったくなるため、先に ガの発音をイメージして 、自を浮 ろうか。への子音は本来は ハ、ホ 同様 -己である。 但し 、 への母 発音が変化するのだろうか。 二二頁一 とも言っている。﹁音声﹂と﹁音韻﹂の別がわかっていないようだ。 昔が 前古であるため、軟口蓋での摩擦も伴いやすいと は 舌口える。 な X で表すべきであ る 。﹁Ⅹの 発 ちょうど表記と発音とを混同したように。この両者の 混同は次のよ お Ⅹは口蓋垂摩擦音の記号なので、 昔をイメージして﹂とは単に 、口 をややあ け、ェ の母昔をどちらか うな提案も生む。 日常会話はともかく、歌においては、 1昔 1昔がノ要 以上に と 舌口 ぅと 平底母音であるかのように発音せ よ、 そうす るとあたかも 軟口蓋に空気が当たっているかのように悪う、という だけのことで 引き延ばされ、強調されるために、どうしても言葉が 聞き取り 八 @九九頁 一 0発音を生かすことを考えればよいのではないだろう か。一九 う性質を利用して、すでに消滅したといわれている 古 い日本語 にくくなる。だから、逆に、 1昔 1昔に時間をかけら れると @ 口= はないのか。それなら﹁ア行の ェ﹂も同じことである 。まさか本当 次のようにも言っている。 や、 ﹁ さぎり消ゆる漢江 の ﹂﹁江 ﹂ が 、﹁甜@へ﹂ 私は 、 ヤ行の ェの存在を知る以前から、どうしても﹁ 千代の 松が枝﹂の﹁ 枝 ﹂ 五 しかし、別のところでは﹁梁塵秘抄口伝集﹂を引用し て次のよう に 述べている。 ﹁尺一息に 、声のたすけなく、さらと常のこと 葉 な い ふ 上Ⅱ ノ上 ノト を 云々されて ど 、かえって関西の方が促音が出てくることもあるわ けで、単なる 無知とは舌ロいながら、この程度の知識で日本語の発音 はたまらない。四家はその後、﹁日本歌曲のうたい 方 ﹂という本を 不動の一つの流儀をつかみ、うちたてたのだという 自覚をもつこと て した。﹁私は四十年かけて日本語唱法と取り組んだ 末 、確固たる 如く 謡ふ べし﹂の一節は、日本語歌唱の本質を的確に 舌ロいいん十二出 ている。私は、この、ふだん話しているような白状な ができたのでした﹂一十四頁︶との考えは藍川とも 通 じるところが ない。少し例を挙げてみよう。 "D" は鼻音を伴いますし、なかなか むずかし い ある。しかし、困ったことに日本語の発音については 誤りが少なく を 歌いなさい、とのメッセージを座右の銘としている 。︵八頁 一 これは矛盾ではないか。私は 、 ﹁ふだん話しているよ・ つむ自然な 発音﹂のように聴衆には聞こえるが、歌唱は日常会話 とは異なると ﹁。タ行中昭一 子音です。オーヴァーな言い方をすれば﹁ ンダヒ ﹁ンヂ﹂﹁ンヅ﹂﹁ン いうことをはっきり認識して、発音する例にはなんら かの加工を加 語発音﹂だと考えている。音声学で 言う、聴覚昔 えたものが﹁ 舞 ムロ デ ロ ブドぬ となるわけです。﹂︵四六一四 セ真一具 立日は伴わない。 声学の立場と、調音音声学の立場の両方からの検討が 必要である。 閉鎖を鼻音と誤解している。 ﹁パ行 中略 一外来語でないと現われません﹂︵四七頁 一和語 漢語にもある。四家は声楽家だが、﹁野の羊日天 水惇 矢作詞・服部 上 私が声楽家の日本語音声に対する認識に疑問を持った のは藍川に 貫一摩擦 工作曲 一という歌曲の冒頭の﹁野っ原はいいな﹂を 知 らないのだ る 、 ﹁ザ什一中略一方法は普通の "S" と同様です﹂︵四六 ついてが初めてではない。かつて四家文子のそれに 疑 問を抱いたこ とがある。四家は一九六 セ年の時 占 で、促音について 、﹁関西人は 日常会話に使用していないので、歌に出てくると苦労している﹂と 昔 でも発音されるが、破擦音でも発音される。だから むずかしいの もあるが、 東 舌口っていた。﹁日本橋﹂という地名が東京にも大阪に だ アクセントについて﹁標準語を、簡単に申しますと、 なるべく 上 京 ではニホン バシ、大阪ではニッポン バシと 言うこと を 知らなかっ たようだ。また東京での﹁借りた﹂を関西では﹁借っ た ﹂と舌口,Ⅰノ な げたり下げたりしないで、棒読みに近くく 読ゆ むき とま 案す 外﹂ う導 ましております。﹂一一八五頁 一と 舌口っていて、ん ﹁﹂ の@ 刊の回 叫土日 九六頁︶﹁ 赤とんほ﹂が伝統的な標準語でだ はっ 頭た 高ことか 鼻母音化したのを﹁ ん﹂として発音せよというわけで ある。開口 らもわかるように、そうとは限 不ら | テ なィ いフ 。ス を ﹁ん﹂のとき少し小さくした方が﹁ ん﹂とその前の 拍との区別 てにならない実感の好例。 つきやすいと私は思うが、いずれにせよ、藍川の﹁ ん﹂のとらえ ﹁ガ行で、途中や終りは全部鼻濁音と決 -ま っ いる﹂ 一0 七て 頁 より正確である。 を 方 が 度 例外があるのはよく知られて ギン いギ るン 。ギ ﹁ラ夕 ギ日 ラが沈む﹂ 七 窯ゆうひ ﹂墓原しげる作室 詞崎 ・琴 同作曲︶を四ど 家う は歌うつも りだろうか。 藍川は、 ︵国語学者や有識者らは、敗戦以前から、読 み書きと これだけにとどめるが、声楽家の日本語 ての の発 認音 識に のつい ての日本語ほどには、﹁日本のうた﹂に関心を払っていなかった。 なさは今も昔も変わりないなあと思わさ い なれ かる な。 かし 鋭かし一一九0 真一と言っているが、そうではない。私も微 力 ながら 一 記述もある。﹁複合母音﹂と ア称 十し オて 暗、 い﹁ ﹁ アヒ になりま 八一年に﹁日本歌曲の発音について﹂という小論を発 表している。 すから、悲しみ、恨み、恐れ等の感情を に表 使現 いす まる す時 。﹂ 前述の促音の歌唱法はそこに既に発表してあるほか、 さまざまな ︵四一一四一 二 と頁 は、オ ﹁ ﹂の後昔性を利用後 し舌 ての 、ア 、つま 唱 上の発音について提案した。それは藍川の言う︵ 舞 ムロ五明光土日︶ 5番に近い アを特別な感情を表すの り基本母音 よに 、用 とい 言う教 考えと共通するものするものである。また 氏平明は﹁ 歌唱に見る えだろう。舌を引くと、反作用で円唇化な をる 伴か いら や すく 本語の特殊モーラ﹂Q ﹁歌唱と特殊モーラ歌詞 と昔 符の結びっ そ 、 歌 の をめぐって﹂を発表している。音楽の立場からは坂井 康子が﹁ 日 二八七 し ) 九 日 衆一広く音楽関係者一たちの みでの活動では不可能であろう。やは り基本母音 4番に近い アと 区別して用いよと説る いわ てけ いでこ 、 本のうたにおける促音の音響的特徴﹂を発表している。 のような発想は藍川にはない。 私は冒頭にも述べたように ︵歌うための日本語の舞ムロ 語発音︶を ﹁ ん﹂についても、﹁私はだいたい、前の あこ いと たば 押の 型時に 確立しょうとする藍川の考え に大賛成である。しかしそれは、声楽 き ︵一九六セ年 ・音楽之友社一四六 セ頁 。 よ @ 人へ ﹂ ここでの﹁義務的﹂﹁義務的でない﹂は川上前掲喜人 十九頁 卯吉三枝子﹁歌いかたの基礎声楽をこころざす 宋 口唱 事四 一九七三年・音楽之友社。 大阪大学国文学研究室 嚢明文ヒ第三十九軒所収。のち、﹁国 六八 語学論説資料集﹂第十八号第一分冊に再録。なお、Ⅲ 七票による 社 一所収。 れの紹介が﹁国語学 ヒ第一二九輯 一一九八二年一六十 三頁に出て る。 ⑨音韻論研究会編三日韻 研究三一一九九六年・開拓 八年。 ⑩京都外国語大学留学生別科﹁日本語・日本文化研究﹂ 第 号 ・一九九六年所収。 ⑪日本音声学会主日 声研究﹂第二巻第一号。一九九 @ @ レ り、国語学 ・舌口語学関係者との連携があってこそ、完成するのでは 一九九八年十一月二十日、文藝春秋刊。 、 ヵ、 ニ ないか。 その確立にいささかなりとも協力できればと思い、あえて 藍川の著書 の批判をした次第である。 ① 以下本稿では同書からの引用は︵︶でくくって示す この記号は、川上葉﹁日本語音声概説﹂一一九セセ年 更があ る 。 ③ ⑥ ︵一九八 丁九年・音楽之友社 一 三十六頁。 ⑤ を参照 のこと。 ④ 第一八 四軒、一九九 セ 年三月参照のこと。 稿 ﹁ 掩昔 ﹁ん口を表わす音声記号一フ 一と ロロ﹁天理大学学報 ヒ 什一で の用法に従う。但し、この用法に私は疑問を持って い る 。 拙 桜楓 字格としで示し、該当頁を付す。引用の際、記号・行 替え 箇 所 の変 ② 旺 @
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