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Nよ
響り
正円
指熟
揮味
者を
を増
聴し
くた
文
◎
山
田
治
生
尾高忠明とNHK 交響楽団との関係は長
くて深い。何しろ、1947年に彼が生まれた
とき、父の尾高尚 忠は N 響の前身である日
本交響楽団の専任指揮者を務めていたの
だから(しかし「尾高賞」に名を遺す尚忠は、1951
年、39歳の若さで急逝してしまう)
。1968年に N
響の指揮研究員となり、1971年に23歳の若
さで N 響を初めて指揮(チャイコフスキーの《交
響 曲 第4番 》など )
。1974年には N 響の定 期
公演にデビューしている。
その後、尾高は、東京フィルハーモニー交
響楽団、BBC ウェールズ交響楽団(現・BBC
ウェールズ・ナショナル管弦楽団 )
、読売日本交響
楽団、紀尾井シンフォニエッタ東京、札幌交
響楽団などの常任指揮者や音楽監督を務
めるだけでなく、N 響とも共演を重ね、2010
年に N 響正指揮者に就任した。そしてこの
10年間、尾高は、毎シーズン、N 響定期公
演の指揮台に立つ唯一の日本人指揮者と
なっている。2012年には N 響の中国公演
を率いて、成功に導いた。
尾高は、これまで、N 響の定期公演でエ
ルガー、ラフマニノフ、ブルックナー、R. シュト
ラウス、ウォルトン、シベリウスなどの得意のレ
パートリーを披露してきた。そのほか、父・尾
©Martin Richardson
高尚忠の
《交響曲第1番》
や《フルート小協奏
曲》、武満徹の《ノスタルジア》
など邦人作品
の紹介にも務めた。尾高の指揮は、音楽の
流れが自然で、作品の見通しがよい。感情
Tadaaki O
今月のマエストロ
尾高忠明
Tadaaki Otaka
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
3
表現は温かく、同時に気品がある。そんなと
時期から務めてきた。つまり、イギリスのレー
ころが聴衆にもオーケストラ・プレイヤーたち
ベルに札幌交響楽団とレコーディングし、前
にも愛されているのであろう。
述の札幌交響楽団のオール武満プログラム
では最後の曲として取り上げたのであった。
《波の盆》は、武満のメロディ・メイカーとして
武満徹の音楽の紹介者として
の魅力が味わえる名作である。
武満徹( 1930年生まれ )の作品の多くは、
作 曲 者とほぼ 同じ世 代の岩 城 宏 之(1932
年生まれ)
、小澤征爾(1935年生まれ)、若杉弘
エルガーの魅力が詰まった《変奏曲「謎」》
(1935年生まれ )
らが初演を手掛け、積極的
エルガーは、尾高の十八番といえよう。し
に広めてきたが、その下の世代で最も数多く
かし、彼は最初からエルガーを得意としてい
武満作品の初演を担い、紹介してきたのは
たわけではなかった。1987年、BBC ウェー
尾高忠明に違いない。
ルズ交響楽団の首席指揮者となり、イギリスと
尾高は、
《遠い呼び声の彼方へ!》
(1980
の関係を深めるとともに、身につけ、次第に自
年)
、
《オリオンとプレアデス》
(1984年)、
《ジェ
分の切り札としていったレパートリーである。
モー》
(1986年 )、
《ファンタズマ╱カントス》
尾高は高貴で美しく温かみのあるエルガー
(1991年 )の世 界 初 演の指 揮を執った。そ
作品との相性が良かったのであろう。一方、
のほか、武満の没後10周年にあたる2006
尾高の明晰な指揮による丁寧な音楽作りは、
年には札幌交響楽団の定期演奏会でオー
イギリスの聴衆やオーケストラを魅了した。
ル武満プログラムを組んだ。ディスクでは、
尾 高は1991年の N 響 定 期 公 演でエル
BBC ウェールズ・ナショナル管弦楽団、紀尾
ガーの《交響曲第1番》
を取り上げ、1995年
井シンフォニエッタ東京、札幌交響楽団とと
には BBC ウェールズ響と同曲の録音も行っ
もに、武満作品の録音を行っている。
た。1999年には、英国エルガー協会よりエ
武満徹の没後20年にあたる今年、尾高
ルガーの音楽の普及に貢献したとして、日本
が N 響定期公演で武満作品を取り上げる
人として初めてエルガー・メダルを贈られた。
のは当然のことといえよう。
《波の盆》は、テ
その後、札幌交響楽団と2007年に《交響曲
レビ・ドラマのために書かれた音楽であり、
第3番》
( ペインによる補筆完成版 )
と2012年に
クラシック音楽界ではあまり重要視されてこ
《交響曲第1番》
を録音している。
Tadaaki Ot
なかったが、尾高はこの作品の紹介に早い
4
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
N 響の定期公演では、2008年に再び《交
PHILHARMONY | MAY 2016
響曲第1番》
を取り上げ、2011年の《第3番》
プログラムといえよう。
までエルガーの交響曲全曲演奏に取り組
そのほか、今回ソリストとして登場する小
んだ。また、2009年に《チェロ協奏曲》を、
曽根真との縁にも触れておく。1996年、東
2013年には《序曲「フロアサール」》を演奏
京でチック・コリアと初めてモーツァルトの《2
している。今回の《変奏曲「謎」》
は交響曲シ
台のピアノのための協奏曲》
を弾いた小曽根
リーズの補遺といえるかもしれない。
《変奏曲
真を、本格的にクラシック音楽の世界に誘っ
「謎」》はエルガーの出世作であり、交響曲
たのは尾高であった。2003年、尾高は札響
と同等の規模の大きな作品。多彩な変奏の
の演奏会に小曽根を招き、モーツァルト
《ピア
なかに彼の身近な人々への愛情や音楽的
ノ協奏曲第9番「ジュノーム」》で初共演。そ
な魅力がぎっしりと詰まった名曲である。
の後、バーンスタイン《交響曲第2番「不安の
尾高は、一時期、新国立劇場オペラ芸術
時代」》、ショスタコーヴィチ
《ピアノ協奏曲第1
監督、札幌交響楽団音楽監督、東京藝術
番》、プロコフィエフ
《ピアノ協奏曲第3番》
など
大学指揮科教授などを兼務し、多忙を極め
もコラボ。N 響では、ラフマニノフ《パガニー
たが、現在はより自由な立場で演奏活動に
ニの主題による狂詩曲》やガーシュウィン《コ
取り組んでいる。そしてその音楽表現はより
ンチェルト・イン・F》
を共演している。
円熟味を増している。今後、N 響正指揮者と
してのますますの活躍が期待される。武満と
[やまだ はるお/音楽評論家]
エルガー、今の尾高忠明を聴くには最適の
プロフィール
1947年、鎌倉に生まれた。桐朋学園大学で齋藤秀雄に師事。ウィーン国立音楽大学ではハンス・スワロ
フスキーに学んだ。
これまでに、東京フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団、紀尾井シンフォニエッタ東京、札幌交
響楽団のシェフを歴任し、新国立劇場オペラ芸術監督も務めた。海外では、BBC ウェールズ交響楽団(現
BBC ウェールズ・ナショナル管弦楽団)の首席指揮者、メルボルン交響楽団の首席客演指揮者のポストに
あった。また、ロンドン交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、BBC 交響楽団、バーミンガム市交
響楽団などのイギリスのオーケストラに定期的に客演している。
NHK 交響楽団との関係は長く、1968年に N 響の指揮研究員となり、1971年に N 響を初めて指揮。
1974年には定期公演にデビューした。2010年からN 響の正指揮者を務めている。
後進の指導にも熱心に取り組み、現在、東京藝術大学指揮科特別教授、相愛大学客員教授、京都市
taka
立芸術大学客員教授、国立音楽大学 招 聘 教授を務める。
[山田治生]
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
5
©Simon van Boxtel
虚録
飾音
を数
排も
し最
た高
王峰
道を
を誇
堪る
能巨
す匠
るの
文
◎
相
場
ひ
ろ
ネーメ・ヤルヴィはヘルベルト・フォン・カラヤ
ンやネヴィル・マリナーと並んで、史上最も数
多くの録音を残す指揮者のひとりであるとい
う。ならばこの文章も、まずは彼の録音の話
から始めて差し支えなかろう。
彼の名前が日本に入ってきたのは1980
年代初頭のことで、優秀録音で知られる北
欧のレーベルに録音されたシベリウスの交
響曲の数々が直輸入 LP のかたちで紹介さ
れ、大きな話題を呼んだのであった。これ
は当時日本ではまだまだ特殊な作曲家と思
われていたシベリウスの音楽をクラシック愛
好家の間に広く知らしめる契機ともなったも
ので、
そこに記されていたヤルヴィの名(当時は
「イェルヴィ」
という表記が一般的であったかもしれな
い)
も鮮烈な印象を与えてくれたものだった。
華やかなキャリアを支える卓越した指揮棒
まだソヴィエト連邦が存在し、彼の故郷エ
ストニアがその一部を成していた1980年、
ヤルヴィはより広い活動の場を求めて西側
に出国し、2年後にはスウェーデンのエーテ
ボリ交響楽団で首席指揮者の座に就いた。
それを手始めに彼は、デトロイト交響楽団や
ハーグ・レジデンティ管弦楽団、ロイヤル・ス
コットランド・ナショナル管弦楽団など、欧米
の名だたるオーケストラのポストを歴任し、行
Neeme Järv
今月のマエストロ
ネーメ・ヤルヴィ
Neeme Järvi
6
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | MAY 2016
vi
く先々で膨大な数のレコーディングを行うこ
効果や達成すべき表現に対して、低徊するこ
とになる。その他にもシカゴ交響楽団やベ
となくストレートに到達し、過不足なく音にで
ルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・
きる能力をも指すものと理解していただきた
コンセルトヘボウ管弦楽団など、世界のトッ
い。ヤルヴィの指揮は細部に過度に意匠を
プ・クラスに位置する楽団と共演してはアル
凝らしたり、人目を惹く表現を目指して文脈
バムを制作しており、いつしかその数は400
にそぐわない大見得を切ったりといったこと
点を超えるのではないかといわれる程に
が一切ない。どちらかというと速めのテンポ
なっている。
を好み、引き締まったリズムを通わせて、音
彼の指揮棒の何がそれほどのレコーディン
楽を力強く推進させていくスタイルを貫きつ
グ・キャリアを生み出したのか。現代におい
つ、ネーメ・ヤルヴィの音楽は豊かな感情表
てディスク制作には様々な要素が複雑に絡
現の広がりを感じさせてくれる。つまり、自己
み合っていて、すべてを指揮者の能力や個
陶酔的な感傷やら、深刻ぶった沈痛な面持
性に帰すことはできないけれども、それでも
ちやらに一面的に傾くことなく、音楽の表現
彼には、そうした旺 盛な録音活動を可能に
しうる多様な感情が、どれも看過されること
する資質と、それに伴う美質とが疑いもなく
なくバランスよく実現されていくのだ。深刻な
備わっている。それはきわめて機能的・効率
涙も、おどけた笑いも、共に誇張なく的確に
的な演奏を達成しうるスタイルである。
聴き手に届けることのできる彼の行き方こそ、
音楽について「機能」
「 効率」
という語は、
まさに音楽的な効率性・機能性を確かに実
技術的な巧みさを意味する反面、情感を軽
現したものと言えるだろう。
視した、機械的で無味乾燥さを連想させ、好
ましからざる印象を与えることが多い。ネー
メ・ヤルヴィが合奏を短時間で錬成し、客演
指揮においても相対するオーケストラの潜在
美質を十二分に発揮させるプログラム
能力を十分に発揮させる確かな技術の持ち
今 回の NHK 交 響 楽 団との共 演でネー
主であり、常に水準以上のレベルの演奏を
メ・ヤルヴィは、ベートーヴェンの《交響曲第
実現できることは、さまざまな楽団と共演し
6番「田園」》、シューベルトの《交響曲第7番
た録音の数々を聴けば明らかであろう。しか
「未完成」》
といったスタンダードなレパート
し彼のスタイルにみられる機能性や効率性と
リーと、カリンニコフの《交響曲第1番》
とプロ
は、そうした技術的側面に加えて、得られる
コフィエフの《交響曲第6番》
とを振る。ロマ
PROGRAM B/C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
7
ン派から現代までの、近代的なオーケストラ
り過ぎることなく、格調高く、かつ親しみ易く
音楽を積極的に手がけているヤルヴィとして
音にすることのできる指揮者として、ネーメ・
は、前二者は少々珍しいレパートリーに属す
ヤルヴィほどの適任者はいまい。
ると言えるかもしれない。NHK 交響楽団と
プロコフィエフの《交響曲第6番》は、彼の
シューベルトを演奏したことはなく、ベートー
書いた7曲の交響曲中でも特に晦渋な難曲
ヴェンも《ヴァイオリン協奏曲》の伴奏指揮が
として知られる。ときに沈 鬱であり、またとき
あったのみである。彼の虚飾を排したスタイ
に辛 辣であるプロコフィエフの音楽を、その
ルはこうした古典的な音楽にも適性を示す
性格を損なうことなく整然とした音響として
はずで、楽しみな曲目と言える。
構築してみせることのできるネーメ・ヤルヴィ
カリンニコフの《交響曲第1番》は、近年
の指揮棒によって、この難曲の真価が広く受
再評価が進み、1990年代後半の日本でも
け容れられる形で開陳されることを、期待し
ちょっとしたブームを引き起こした作品であ
たい。
る。古典的な堅固な構成の中に民俗的な薫
りをふんだんにくゆらせる音楽を、ドライにな
[あいば ひろ/音楽評論家]
プロフィール
1937年生まれのネーメ・ヤルヴィは、生地であるエストニアのタリンで打楽器と合唱指揮を学んだ後、レニ
ングラード
(現サンクトペテルブルク)
でニコライ・ラビノヴィチとエフゲーニ・ムラヴィンスキーより指揮法の指導
を受けた。1963年、エストニア放送交響楽団(現エストニア国立交響楽団)
の首席指揮者に任命されて本
格的な指揮活動に入る。1979年まで同ポストにあったほか、1963∼1975年にはエストニア国立歌劇場
の首席指揮者・芸術監督を兼任した。1980年にアメリカに移住してからはエーテボリ交響楽団及びロイヤ
ル・スコットランド・ナショナル管弦楽団の首席指揮者、デトロイト交響楽団の音楽監督、スイス・ロマンド管弦
楽団の音楽・芸術監督を歴任すると共に、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ
管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、チェコ・フィルハーモニー管
弦楽団、ウィーン交響楽団など、世界の主要な管弦楽団と共演を重ねている。現在はエストニア国立交響
楽団芸術監督・首席指揮者の地位にあり、ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団、エーテボリ交響楽団と定
期的に共演している。
ドヴォルザーク、グラズ
録音活動も盛んで、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、R.シュトラウス、マーラー、
ノフ、グリーグ、シベリウス、ニルセン、ブラームスの全集や、知られざる作曲家としてステンハンマル、アル
ヴェーンの作品など、そのレパートリーは幅広い。最近のリリースとしてはチャイコフスキーのバレエ全集など
がある。
NHK 交響楽団との共演は2011年11月、イルジー・コウトに代わって定期公演及び名古屋公演を振った
のが最初で、2014年4月に引き続き今回が3度目の登場となる。
[相場ひろ]
8
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | MAY 2016
A
PROGRAM
第1835回 NHKホール
土 6:00pm
5/14 □
日 3:00pm
5/15 □
Concert No.1835 NHK Hall
May
14 (Sat ) 6:00pm
15 (Sun) 3:00pm
[指揮]
尾高忠明
[conductor]Tadaaki Otaka
[第1ピアノ]小曽根 真
[pianoⅠ]Makoto Ozone
[第2ピアノ]
チック・コリア
[piano Ⅱ]Chick Corea
[コンサートマスター]
伊藤亮太郎
[concertmaster]Ryotaro Ito
武満 徹
(18′
)
波の盆(1983/1996)
Toru Takemitsu (1930-1996)
Nami no Bon (1983/1996)
Ⅰ 波の盆
Ⅰ Tray of Waves
Ⅱ 美沙のテーマ
s Theme
Ⅱ Misa’
Ⅲ 色褪せた手紙
Ⅲ Faded Letter
Ⅳ 夜の影
Ⅳ Shadow of Night
Ⅴ ミサと公作
Ⅴ Misa and Kosaku
Ⅵ 終曲
Ⅵ Finale
モーツァルト
2台のピアノのための協奏曲 変ホ長調
K.365(24′
)
Ⅰ アレグロ
Wolfgang Amadeus Mozart
(1756-1791)
Concerto for 2 Pianos E-flat major
K.365
Ⅱ アンダンテ
Ⅰ Allegro
Ⅲ ロンド:アレグロ
Ⅱ Andante
Ⅲ Rondo: Allegro
・・・・休憩・・・・
PROGRAM A
・・・・intermission・・・・
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
9
エルガー
変奏曲「
)
」作品36(30′
主題:アンダンテ
第1変奏 C.A.E.:リステッソ・テンポ
第2変奏 H.D.S-P.:アレグロ
第3変奏 R.B.T.:アレグレット
第4変奏 W.M.B.:アレグロ・ディ・モルト
第5変奏 R.P.A.:モデラート
第6変奏 イゾベル:アンダンティーノ
第7変奏トロイト:プレスト
第8変奏 W.N.:アレグレット
第9変奏 ニムロッド:アダージョ
第10変奏ドラベッラ:間奏曲:アレグレット
第11変奏 G.R.S.:アレグロ・ディ・モルト
第12変奏 B.G.N.:アンダンテ
第13変奏 ***:ロマンス:モデラート
第14変奏 E.D.U.:終曲:アレグロ
10
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
Edward Elgar (1857-1934)
Variations on an Original Theme
op.36“Enigma”
Theme: Andante
istesso tempo
Var.Ⅰ C.A.E.: L’
Var.Ⅱ H.D.S-P.: Allegro
Var.Ⅲ R.B.T.: Allegretto
Var.Ⅳ W.M.B.: Allegro di molto
Var.Ⅴ R.P.A.: Moderato
Var.Ⅵ Ysobel:Andantino
Var.Ⅶ Troyte: Presto
Var.Ⅷ W.N.: Allegretto
Var.Ⅸ Nimrod: Adagio
Var.Ⅹ Dorabella: Intermezzo: Allegretto
Var.Ⅺ G.R.S.: Allegro di molto
Var. Ⅻ B.G.N.: Andante
Var.ⅩⅢ *** : Romanza: Moderato
Var.ⅩⅣ E.D.U.: Finale: Allegro
PHILHARMONY | MAY 2016
Program A|SOLOISTS
チック・コリア(ピアノ)
© Toshi Sakurai
1941年、
マサチューセッツ州に生まれた現代アメリカを代表する作曲家・
鍵盤楽器奏者。半世紀を超える多彩な音楽活動を通じて、22ものグラミー
賞に輝く。スタン・ゲッツやサラ・ヴォーンと共演した後、1968年からマイル
ス・デーヴィス・バンドに加わってエレクトリック・ピアノを弾いた。前衛的なピ
アニストとして活躍し、
「リターン・
トゥ・フォーエバー」
をはじめ自身のアコース
ティックやエレクトリックのバンドでも多様な音楽冒険を展開する。
フリードリヒ・
グルダやキース・
ジャレットとの共演のほか、1996年にはボビー・マクファーリン、セントポー
ル室内管弦楽団とモーツァルト《ピアノ協奏曲第23番》や《ピアノ協奏曲第20番》に新しい光を当
をロンドン・フィルハーモニー管弦楽団ほかと録音し、
てた。1999年には自作の《ピアノ協奏曲第1番》
2006年にはモーツァルトの250歳の誕生日を祝う《ピアノ協奏曲第2番》を初演。2011年には《ジャ
ズ・クインテットと室内オーケストラのための協奏曲「ザ・コンティネンツ」》
を録音した。
[青澤隆明/音楽評論家]
小曽根 真(ピアノ)
© Shumpei Ohsugi
1961年、神戸に生まれ、父・小曽根実の影響でジャズに興味を抱
く。12歳のときにオスカー・ピーターソンのソロを聴いて、ジャズ・ピア
ノに道を決め、1983年にバークリー音楽大学ジャズ作編曲科を首席で卒業。
で世界デビュー。
同年カーネギー・ホールでリサイタル、アルバム
『 OZONE 』
自身のトリオやビッグ・バンド
「No Name Horses」、ゲイリー・バートン、チック・
コリア、エリス・マルサリス、ブランフォード・マルサリスとのデュオのほか、舞台
音楽、映画や TV への楽曲提供などでも幅広く活躍する。2011年から国立音楽大学教授も務めている。
2000年以来、クラシックへの進境も著しく、ガーシュウィン《ラプソディー・イン・ブルー》や《コンチェル
ト・イン・F 》、自作カデンツァを織りなしたモーツァルト《ピアノ協奏曲第9番》、ラフマニノフ《パガニーニ
の主題による狂詩曲》で N 響との共演を重ねるほか、ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第2番》、ショスタ
コーヴィチ《ピアノ協奏曲第1番》、プロコフィエフ《ピアノ協奏曲第3番》などの多様な協奏曲や、ピア
も意欲的に手がけている。
ノ
・ソロが活躍するバーンスタイン《交響曲第2番「不安の時代」》
[青澤隆明/音楽評論家]
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
11
Program A
武満 徹
波の盆(1983/1996)
武満徹( 1930∼1996)のオーケストラのための《波の盆》は、1983 年 11月15日に日本テ
レビ系列で放送された同名のドラマの音楽を演奏会用組曲にした作品である。映画、ドラ
マ、演劇などの音楽も数多く手掛けてきた武満。
《波の盆》
には彼ならではの手慣れた、そ
して場面の臨場感を生き生きと表現するような手腕が発揮されている。物語の主な舞台
は1983 年当時のハワイと日本である。名優・笠 智衆が演じる日系人 1 世・山波公作とその
家族の複雑な人間模様を回想も含めて描き出し、戦争とは何かを問いかけた秀作である。
オーケストラ版初演は1996 年 9月、八ヶ岳音楽祭の武満徹メモリアル・コンサートで行われ
た。ヴィブラフォン、ハープなど、武満が生涯好んだ透明な響きの楽器群が随所で巧みに使
われるのが印象的だ。
曲はまず、柔和な響きの序奏風の部分で始まるが、ここで第1ヴァイオリンによって奏でら
れるメロディーが全曲を通じて何度か回帰し、全体を統一するような役割を担っている。続
〈 夜の影〉
〈ミサと公
〈 色褪せた手紙〉
いてドラマの主要場面で用いられた〈美沙のテーマ〉
作〉
といった音楽が続いていき、
〈終曲〉
でしめくくられる。
〈夜の影〉
では管楽器群とスネア・
ドラムなどによる行進曲風のフレーズが唐突に挿入され、まるで突如として蘇ってくる戦争
の記憶のように鮮烈に響く。ドラマの内容には戦争の影がつきまとうが、武満の音楽はそう
した面を強調しすぎることはない。全体としては武満トーンと呼ばれる柔和かつリリカルな
音楽が紡がれ、未来へのかすかな希望の光のような余韻を残す作品となっている。
[伊藤制子]
作曲年代
1983年(原曲)
初演
1983年11月15日
(原曲放送初演)
、1996年9月、八ヶ岳高原音楽祭
(コンサート版初演)
楽器編成
フルート2
(ピッコロ2 )
、オーボエ1、Es クラリネット1、クラリネット2 、ホルン3 、
トランペット2 、
トロンボー
ン3 、テューバ1、小太鼓、グロッケンシュピール、タムタム、テューブラー・ベル、ヴィブラフォン、サスペ
シンセサイザー1、弦楽
ンデッド・シンバル、大太鼓、マリンバ、
シンバル、ハープ1、チェレスタ1、
12
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | MAY 2016
Program A
モーツァルト
2台のピアノのための協奏曲 変ホ長調 K.365
1777 年 9月、21 歳のモーツァルト
( 1756∼1791)は、そりの合わないザルツブルク大司
教に仕える境遇を抜け、新たな活動の場を見出すためマンハイム・パリ旅行に出た。しかし、
成果を上げることなく、1 年半後の1779 年 1月に故郷に戻ってくる。それから、思いがけず
ウィーンに移住するまでの2 年あまりの間、作曲家は、不本意な生活ながら、旅行で得た経
験も生かし、
「ザルツブルク時代」
を代表する傑作を生み出していった。この《 2 台のピアノの
ための協奏曲》
も、そのひとつである。
成立の詳細は不明だが、モーツァルトが、ナンネルの愛称で知られる姉アンナ・マリア
と一緒に弾くために作ったのは、まず間違いない。完全に対等な2つの独
( 1751∼1829)
奏パートは、技術的な要求も高く、ピアノ奏者としての姉への信頼がいかに篤かったのかが
うかがえよう。モーツァルトにとって不満足な故郷の音楽的環境の中で、ナンネルが果たし
た役割の大きさをしのばせる楽曲ともなっているのである。
第1 楽章 アレグロ、変ホ長調、4/4 拍子。オーケストラによる冒頭部分に続く2 台ピアノ
の弾き始めが華々しい。作曲者自身、
その効果に自信があったのか、楽章最後のカデンツァ
も同じ仕方で始めている。
( 独奏のみの自由な部分)
第 2 楽章 アンダンテ、変ロ長調、3/4 拍子。2 台のピアノは、優雅きわまりないデュエット
を奏でる。ピアノの名手で、かつ、オペラの二重唱の名曲をいくつも残した作曲家ならでは
の楽章といえる。
第3 楽章 ロンド:アレグロ、変ホ長調、2/4 拍子。大変に活き活きとした冒頭主題が秀
逸。カデンツァの後、2 台ピアノが主題を再現しつつ盛り上げて、全曲の終結となる。
[松田 聡]
作曲年代
従来、1779年とされてきたが、近年は1780年終わり頃という説も出ている
初演
不明
楽器編成
オーボエ2 、
クラリネット2 、
ファゴット2 、ホルン2 、
トランペット2 、ティンパニ1、弦楽、
ピアノ
・ソロ2
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
13
Program A
エルガー
変奏曲「
《変奏曲「
」作品36
」》
は、エルガー
(1857∼1934)
が妻と周囲の友人たちを主題と14の変奏で描
いた「音楽による肖像」
である。原題はたんに「創作主題による変奏曲」
であり、
「
マ)
という名称は「この曲には小さな と曲全体に隠された大きな
」
(エニグ
がある」
との作曲者の発
言に由来する。小さな とは各変奏に記されたイニシャルなどで、大半が判明している。
「大
きな 」
には、
《きらきら星》
《蛍の光》
《ルール・ブリタニア》、そしてモーツァルトの交響曲等が
曲の構造に隠されているなど諸説あるが、いまだ解明されていない。
まず、メランコリックな主題がおずおずと提示され、続く憂いと優しさが入り混じった第1
変 奏〈 C.A.E. 〉は愛 妻のキャロライン・アリス・エルガー。不 遇 時 代のエルガーを良く支
も彼女に捧げられている。ある日エルガーが即興で弾いた旋律を
え、かの《愛の挨 拶 》
アリスが 褒めたことから、それが 創 作 主 題へ 発 展した。第2変 奏〈 H.D.S-P. 〉は室 内 楽
仲間でピアノを担当するヒュー・デーヴィッド・ステュアート・パウエル。ヴァイオリンによる16
分音符の細かい動きはピアノ演奏前の指慣らしを模したもの。第3変奏〈 R.B.T. 〉はアマ
チュア劇団で老人役を演じるリチャード・バクスター・タウンゼント。ファゴットが彼の低い
声を表す。第4変奏〈 W.M.B. 〉では活気あふれる田舎紳士ウィリアム・ミース・ベイカーが
バタンとドアを閉めて出ていく。第5変奏〈 R.P.A. 〉では思慮深いインテリ、リチャード・ペン
ローズ・アーノルドが真面目な会話の合間にぽつりとユーモラスな話を挿しはさむ。第6変
奏〈イゾベル〉のイザベル・フィットンはアマチュアのヴィオラ奏者。エルガーは暗号作りや
言葉遊びを好み、イザベルをおどけてイゾベルと呼んでいた。第7変奏〈トロイト〉はエル
ガーのピアノの生徒で建築家のアーサー・トロイト・グリフィス。常に巻き尺を持ち歩き、古
い建物のサイズを測る変わり者であった。第8変奏〈 W.N. 〉のウィニフレッド・ノーブリー
は18世紀に建てられた典雅な家に住み、ウースター音楽協会の事務局に勤める婦人
であった。第9変奏〈ニムロッド〉は全曲中の白 眉で、親友オーギュスト・ヨハネス・イェー
ガーの愛称。英国に帰化したドイツ人でノヴェロ音楽出版の社員であった。エルガーの
最良の理解者で、その的確な助言なしにはエルガーの名作の多くは生まれなかったであろう。
荘重でありながら、どこか人なつこい調べはイェーガーが愛好していたベートーヴェンの《ピ
アノ・ソナタ「悲愴」》の緩徐楽章を下敷きにしている。毎年11月に行われる戦没者の追悼式
14
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | MAY 2016
典をはじめ、英国では慰霊を目的とする催しの定番の音楽となっている。ちなみに初稿では
短かった最後の第14変奏の終結部が現行の形に改作されたのもイェーガーの助言の賜物
である。第10変奏〈ドラベッラ〉はエルガー夫妻が可愛がっていた少女ドーラ・ペニーの愛
称。エルガーが弾く旋律に合わせて即興で優美な踊りを披露することもあった。エルガーは
「ドラベッラの暗号」
と呼ばれる不思議な文字で書かれた手紙を彼女に送っているが、これ
もいまだに解読されていない。愛称はモーツァルトの《オペラ「コシ・ファン・トゥッテ」》
のヒロイ
ではヘリフォード大聖堂のオルガニスト、ジョー
ン、
ドラベッラに由来する。第11変奏〈 G.R.S. 〉
ジ・ロバートソン・シンクレアの愛犬のブルドッグ、ダンが水中に落ちて必死に犬かきをする。エ
ルガーは大の愛犬家で、水から上がったダンが、
「ワン!」
と喜ばしげに一吠えして、体から水
を払うさまを愛情を込めて描写している。第12変奏〈 B.G.N. 〉のベイジル・G. ネヴィンソンも
( Romanza )〉
には単に
室内楽仲間で、深々とした音色でチェロを奏する。第13変奏〈ロマンス
とアステリスクが3つ並んでいる。総督として任地に赴く兄に従ってオーストラリアへ
「***」
向かう貴族令嬢レディ・メアリー・ライゴンと言われていたが、ニュージーランドに移住し再び会
うことのなかった初恋の女性ヘレン・ウィーバーという説もある。ティンパニが客船のエンジン
音を模したトレモロを弱音で叩き続ける上を、クラリネットの独奏が滑り込み、メンデルスゾー
ンの《序曲「静かな海と楽しい航海」》終結部のトランペット・ファンファーレのメロディーをひっ
そりと奏して船旅と別離を示唆する。終曲の第14変奏〈 E.D.U. 〉では、雌伏の時代を経て、
いよいよ世に出ようとする得意満面のエルガーの姿が浮かんでくる。
「エドゥ」
とは妻アリスが
と
〈ニムロッ
エルガーを呼んでいた愛称で、フル・オーケストラの威力が全開となる。
〈C.A.E.〉
ド〉
が回想される点に、妻と親友への感謝の念が表れている。この曲はアリスの洞察に満ち
た言葉に起源があり、イェーガーの助言で威風堂々たる終曲に仕上がったのであった。ハン
ス・リヒター指揮による初演の成功はエルガーを地方作曲家から一躍国民的大作曲家へと
押し上げたのみならず、ヘンリー・パーセル(1659∼1695)の没後初めて国際的に評価され
が
る英国生まれの作曲家の登場を意味した。1910年にはグスタフ・マーラー(1860∼1911)
ニューヨークで指揮し、
トスカニーニやワルターもいち早くレパートリーに取り入れた。
が校訂し
なお、今回の演奏では指揮者・音楽学者クリストファー・ホグウッド
(1941∼2014)
が使用される。同版にはフィナーレのオリジナル版も
た最新のベーレンライター版(2007年刊)
オプションとして収められているが、今回は現行版が演奏される。
[等松春夫]
作曲年代
1898∼1899 年
初演
1899 年 6月19日、ロンドン。ハンス・リヒター指揮の管弦楽団
楽器編成
フルート2
(ピッコロ1)
、オーボエ2 、
クラリネット2 、
ファゴット2 、コントラファゴット1、ホルン4 、
トランペッ
トロンボーン3 、
テューバ1、
ティンパニ1、小太鼓、
トライアングル、大太鼓、
シンバル、
サスペンデッ
ト3 、
ド・シンバル、弦楽
PROGRAM B
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
15
B
PROGRAM
第1837回 サントリーホール
水 7:00pm
5/25 □
木 7:00pm
5/26 □
Concert No.1837 Suntory Hall
May
25 (Wed) 7:00pm
26 (Thu) 7:00pm
[指揮]
ネーメ・ヤルヴィ
[conductor]Neeme Järvi
[コンサートマスター]伊藤亮太郎
[concertmaster]Ryotaro Ito
シューベルト
Franz Schubert (1797-1828)
交響曲 第7番 ロ短調 D.759「未完成」 Symphony No.7 b minor D.759
)
“Unvollendete”
(25′
Ⅰ アレグロ・モデラート
Ⅰ Allegro moderato
Ⅱ アンダンテ・コン・モート
Ⅱ Andante con moto
・・・・休憩・・・・
プロコフィエフ
交響曲 第6番 変ホ短調 作品111
(41′
)
・・・・intermission・・・・
Sergei Prokofiev (1891-1953)
Symphony No.6 e-flat minor op.111
Ⅰ Allegro moderato
Ⅰ アレグロ・モデラート
Ⅱ Largo
Ⅱ ラルゴ
Ⅲ Vivace
Ⅲ ヴィヴァーチェ
16
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | MAY 2016
Program B
シューベルト
交響曲 第7番 ロ短調 D.759「未完成」
作品が未完のまま残されることは珍しいことではない。その理由はさまざまだが、創作
の続行を不可避に阻止するもののひとつが、作曲者の死である。しかしフランツ・シューベ
ルト
( 1797∼1828)のこの曲の場合、死を迎える6 年も前に着手されていながら、なぜ完成
に至らなかったのか、理由は解明されていない。これまでに多くの説が提示されてきたも
のの、シューベルト自身が意図的に放置したのか、それとも無意識のまま忘却の彼 方となっ
たのか、あるいはより大胆に、そもそもこの曲が本当に未完なのか等、依然として議論の余
地を残している。
しかし《未完成》が人々にこれほど愛されている理由は、この曲が未完だからではない。
限定された簡素なオーケストラ編成ながら、シューベルトはそれぞれの楽器独自の響きを効
果的に用いて、もっとも美しく、もっとも豊かな音色の創出に成功した。とりわけ冒頭楽章
の歌うような旋律は、それまでの交響曲に典型的だった堂々とした語調とは明らかに異な
る、真にロマン的な響きを帯びている。
このような叙情的性格には、ロ短調という調も大きく貢献している。膨大な数の交響曲
が書かれた18 世紀、選択された調の実に大多数は長調で、しかも全体の約 3 割ほどがニ
長調だった。演奏会プログラムの冒頭に配置され、人々の気を引きつけるというジャンルと
しての役割を前に、悲嘆や憂 鬱 、苦悩などを連想させる短調の出番がほとんどなかったこ
とは容易に想像がつく。
19 世紀に入ると交響曲の個性化は急速に進み、それに伴って短調作品も大幅に増加
した。しかしそれでもハ短調とニ短調が突出して多く、ロ短調の交響曲は依然として珍し
〔1849/1850年〕、
そしてチャイコフスキーの《第6番「悲愴」》
かった(後にシュポーアの《第9番「四季」》
などがある)
〔 1893 年〕
。シューベルトはこのロ短調がかもし出す音色、叙情的な旋律、そし
てこれらの旋律を奏でる楽器独自の響きをフルに活用することで、未完か完成かの問題を
超えて、人々の心をつかんだのである。
もしこの作品の自筆譜が43 年もの間、引き出しの奥で眠る運命を歩まず、シューベルト
存命中に初演を迎えていたならば、同時代人にいったいどのようなインパクトを与え、そし
てその後のシンフォニストたちに、どのような影響を与えていただろうか。
PROGRAM B
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
17
第 1 楽章 アレグロ・モデラート、ロ短調、3/4 拍子。ソナタ形式。低弦楽器の陰 鬱な響き
の前奏主題で開始、オーボエとクラリネットによる第 1 主題が続く。はかなさと悲哀のなかに
も憧 憬を感じさせるこの旋律は、聴き手に強い印象を残す。この主題部は驚くことに、主調
のままカデンツで閉じられるが、区切れを感じさせない絶妙な橋渡しで第2 主題に移行す
る。それはシンコペーションのリズムに伴奏されて、主調の平行調、すなわち短 3 度上のニ
長調ではなく、長 3 度下のト長調で現れる。このチェロによる穏やかな旋律は特別な救い
の念を与える。しかしそれもつかの間、金管による不吉な和音で遮断される。主に前奏主
題を素材とする展開部は、表現上のクライマックスが幾度もやってくる緊張に満ちたセクショ
ンとなる。
第2 楽章 アンダンテ・コン・モート、ホ長調、3/8 拍子。緩徐楽章によくみられる、展開部
なしのソナタ形式。短い導入の後、チェロの対旋律を伴って、ヴァイオリンが第 1 主題を奏す
る。第 2 主題はクラリネットが平行調の嬰ハ短調で、哀愁を帯びた旋律を美しい和声のな
かで歌い上げる。
[上山典子]
作曲年代
1822年10月30日
(自筆譜への記入。スコアに着手した日付といわれている)
初演
1865 年 12月17日、ウィーン楽友協会のホールにて、自筆譜を発見したヨハン・ヘルベックの指揮に
よる
楽器編成
フルート2 、オーボエ2 、
クラリネット2 、
ファゴット2 、ホルン2 、
トランペット2 、
トロンボーン3 、ティンパニ1、
弦楽
18
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
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Program B
プロコフィエフ
交響曲 第6番 変ホ短調 作品111
国外で活躍していたプロコフィエフ( 1891∼1953)が祖国に完全帰国したのは、ショスタ
コーヴィチの《オペラ「ムツェンスクのマクベス夫人」》が共産党機関紙『プラウダ』紙上で批
判され、大粛清が頂点に達した1936 年である。とはいえプロコフィエフが政治的に盲目
でなかったことは、彼が帰国後から積極的にスターリンや共産党を讃美する作品を折に
触れて発表したことからも推察される。そして彼が待ち望んだ栄誉をようやく手にしたのは、
1945年3月3日、ドイツ軍のレニングラード( 現サンクトペテルブルク)敗退に全モスクワが沸き
立つ日に、自ら初演した《交響曲第 5 番》の成功によってであった。モダニズム時代の斬 新
な曲想と、体制側が求める楽観的で英雄的な様式を絶妙にブレンドしたこの作品で、プロ
コフィエフはスターリン賞第 1 席を授与された。
つづく
《第 6 番》は終戦直前にスケッチが開始され 1947 年 2月に完成、ムラヴィンスキーの
指揮で10月にレニングラード、12月にモスクワで初演され、各地で予想を上回る成功を収
めたが、これがプロコフィエフ最後の栄光となった。戦時中に緩められたイデオロギー統制
を再び引き締める動きはすでに他の分野で進行していたが、1948 年 2月にはついに音楽
にも及び、指導的作曲家のほとんどが戦時中の創作を批判された。むろん、プロコフィエ
はレニングラード初演からわずか4か月で演奏レパート
フも例外ではない。
《交響曲第 6 番》
リーから消え、生前、作曲者が耳にすることは二度となかったのである。
当初から、この交響曲の陰 鬱で
渋な表情は批評家を当惑させた。戦時中の英雄的
を戦争の不安や悲しみに焦点を当てた作品と解
な闘いを描いた前作に対して、
《第 6 番》
釈することも多いが、むしろ作曲家がレニングラード初演の前日に第 2の妻ミーラ・メンデリ
ソンに語った次の言葉が示唆的であろう。フィナーレの終結部に唐突に挿入される不協和
音についてである。
「(フィナーレでの )永遠に対して投げかけられた疑問に注意を向けてく
であ
れたかい?」─その後、プロコフィエフはこれが「人生の目的に関わる疑問のひとつ」
ることを明かしたという。この言葉を敷 衍すれば、この曲が表現しているのは、具体的な戦
争体験が昇華された人間の生と死に関わるより普遍的で哲学的な問いということになろう
か。この交響曲の
めいた相 貌 の奥には、激動の時代を生きた人間の真
な思索の跡
が刻み込まれている。
PROGRAM B
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
19
第 1 楽章 アレグロ・モデラート、変ホ短調、6/8 拍子、3つの主題によるソナタ形式。低
音の金管による
めいた序奏につづき、ロシア民謡風の第1 主題が弦楽器で提示され、
様々な楽器で反復された後、オーボエによる孤独な表情の第2 主題が奏される。どちらも
暗い叙情性を湛えた旋律で、あらためてプロコフィエフがロシアの作曲家であることを再認
識させられる。第3 主題はピアノとファゴットの刻む行進曲風のリズムを伴って現れ、ようや
く希望の兆しを伺わせるが、展開部では第1 主題の緊密な動機労作によって容赦なく歩み
を進め、モダニズム時代のプロコフィエフを彷 彿させる壮絶なクライマックスにいたる。彼は
この後ホルンが奏する
「喘 息の喘ぎ声」のようなパッセージに対して特別の注意を喚起した
という。
第 2 楽章 ラルゴ、変イ長調、4/4 拍子、ソナタ形式。異様な熱気に満ちた序奏につづき、
第 1 主題がヴァイオリンとトランペットで、第 2 主題( 属調の変ホ長調 )はチェロとファゴットによ
り提示される。引き続き両主題が短く展開された後、ホルン四重奏やハープとチェレスタの
アンサンブル等、
《バレエ音楽「ロメオとジュリエット」》の「バルコニーの場面」
を彷彿させる
印象的なエピソードを経て、第 2 主題から第 1 主題の順に再現される。
第 3 楽章 ヴィヴァーチェ、変ホ長調、2/4 拍子、ロンド・ソナタ形式。この形式を得意とす
るプロコフィエフの面目躍如とした音楽であり、特にハイドン風のロンド主題と行進曲風の
エピソード主題が重なり合う展開部の躍動感は圧巻である。ところが、音楽はいつしか第
1楽章第2主題の孤独なつぶやきに道を譲り、やがてロンド主題の一部を拡大した動機を
全オーケストラが絶叫する痛切なクライマックスに至る。あまりにも断絶した表情の落差を埋
めることなく、冷徹なリズムと不協和音が最後へと り立てる。
[千葉 潤]
作曲年代
1944年からスケッチ開始、1947年2月完成
初演
1947 年10月10日、
ムラヴィンスキー指揮、
レニングラード・フィルハーモニー交響楽団、
レニングラード
(現サンクトペテルブルク)
にて
楽器編成
フルート2 、ピッコロ1、オーボエ2 、イングリッシュ・ホルン1、クラリネット2 、Es クラリネット1、バス・クラ
トランペット3 、
トロンボーン3 、テューバ1、ティン
リネット1、ファゴット2 、コントラファゴット1、ホルン4 、
トライアングル、シンバル、サスペンデッド・シンバル、タンブリン、小太鼓、ウッド・ブロック、大
パニ1、
( 指揮者の意向によりハープ2で演奏)
、
ピアノ1、チェレスタ1、弦楽
太鼓、タムタム、ハープ1
20
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | MAY 2016
C
PROGRAM
第1836回 NHKホール
金 7:00pm
5/20 □
土 3:00pm
5/21 □
Concert No.1836 NHK Hall
May
20 (Fri) 7:00pm
21(Sat ) 3:00pm
[指揮]
ネーメ・ヤルヴィ
[conductor]Neeme Järvi
[コンサートマスター]
篠崎史紀
[concertmaster]Fuminori Shinozaki
カリンニコフ
)
交響曲 第1番 ト短調(37′
Vasily Kalinnikov (1866-1901)
Symphony No.1 g minor
Ⅰ アレグロ・モデラート
Ⅰ Allegro moderato
Ⅱ アンダンテ・コモダメンテ
Ⅱ Andante comodamente
Ⅲ スケルツォ
:アレグロ・ノン・
トロッポ― モデラート・
Ⅲ Scherzo: Allegro non troppo–Moderato
アッサイ― アレグロ・ノン・
トロッポ
Ⅳ 終曲:アレグロ・モデラート―アレグロ・リゾルート
・・・・休憩・・・・
assai–Allegro non troppo
Ⅳ Finale: Allegro moderato–Allegro risoluto
・・・・intermission・・・・
ベートーヴェン
Ludwig van Beethoven (1770-1827)
交響曲 第6番 ヘ長調 作品68「田園」 Symphony No.6 F major op.68
)
“Pastorale”
(40′
Ⅰ 田舎に着いたときの愉快な気分:アレグロ・マ・ノ
ン・
トロッポ
Ⅱ 小川のほとり:アンダンテ・モルト・モート
Ⅲ 田舎の人々の楽しいつどい:アレグロ
Ⅳ 雷と嵐:アレグロ
Ⅴ 牧歌。嵐のあとの喜びと感謝:アレグレット
PROGRAM C
Ⅰ Erwachsen heiterer Empfindungen bei
der Ankunft auf dem Lande: Allegro ma
non troppo
Ⅱ Szene am Bach: Andante molto moto
Ⅲ Lustiges Zusammensein der Landleute:
Allegro
Ⅳ Gewitter, Sturm: Allegro
Ⅴ Hirtengesang, frohe und dankbare
Gefühle nach dem Sturm: Allegretto
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
21
Program C
カリンニコフ
交響曲 第1番 ト短調
ワシーリ・カリンニコフ
( 1866∼1901)の名前は、ロシア音楽好きの方以外には、ほとんど
馴 染 みがないかもしれない。彼の短い生涯はつねに貧困と病気に苛まれ続け、作品では
2曲の交響曲と管弦楽曲、劇音楽やカンタータ、それに数曲の器楽曲等が残されているだ
けである。しかしながら、
チャイコフスキーも称賛したその才能と個性は、彼の代表作である
に明確に示されている。
《交響曲第1 番》
カリンニコフの生涯は胸の痛むような不運の連続である。1884年にモスクワ音楽院に入
学するが経済的な困窮から数か月で退学を余儀なくされ、その後はモスクワ・フィルハーモ
ニー協会の音楽学校に移り1892年に修了した。卒業と同時にチャイコフスキーによってモス
クワ・マールイ劇場の指揮者に推薦され、翌1893年にはイタリア歌劇場の副指揮者に就職
して、ようやく独立した音楽家としての活動を開始した矢先、肺結核によって中断を余儀な
くされる。その後は教師クルーグリコフや友人たちの援助を受けて保養地を転々としながら、
は1894年に作曲が開始され、翌年に完成さ
闘病の合間に作曲を続けた。
《交響曲第1番》
れた。写譜屋を頼む余裕のないカリンニコフは妻と共に総譜やパート譜を自ら浄書し、各
都市の演奏団体に送ったがことごとく演奏を拒否される。ようやく1897 年にキエフで行わ
れた初演は大成功を収め、カリンニコフに初めての名声と収入をもたらしたが、彼の人生
にはあと4 年しか残されていなかった。
ロシア音 楽 史のなかで、カリンニコフはグラズノフ(1865∼1936)やグレチャニーノフ
と同世代だが、アカデミックな教育を受けた後二者の交響曲が、先輩世代
( 1864∼1956)
であるチャイコフスキーやリムスキー・コルサコフよりもはるかに保守的で手馴れた( 裏を返
せば常 套的な)
スタイルなのに対し、民謡風の素朴さや叙情性を全面に押し出し、循環形式
で全体をまとめるカリンニコフの交響曲は、ロシア国民楽派や初期チャイコフスキーの音楽
性を発展させたような表現の直 截性や誠実さが特徴だ。リムスキーは彼の和声法や対位
法の技術的な未熟さを辛 辣に批判しているが、むしろそうしたアカデミズムに帰 依する機
会を得られなかったことで、カリンニコフの個性が素直に表出されたのだろう。
第1 楽章 アレグロ・モデラート、ト短調、2/2 拍子、ソナタ形式。冒頭、ロシア民謡風の
第 1 主題が弦楽器によってユニゾンで提示される。これが半音階的な和声を挟んで様々
22
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | MAY 2016
に変奏されながらクライマックスに達した後、幅の広い叙情的な第 2 主題がホルンとヴィオラ、
チェロの落ち着いた音色によって歌われる。展開部はかなり長大であり、第1 主題と第 2 主
題の対位法的展開や第 1 主題のフガート等を通して雄大な高揚を見せる。
第2楽章 アンダンテ・コモダメンテ─ピウ・モッソ─テンポ・プリモ、変ホ長調、3/4拍子、
3部形式。バレエの一場面を彷 彿させるように、夢幻的なハープとヴァイオリンの伴奏を背
景に、イングリッシュ・ホルンが歌謡的な主題を奏し
(この主題はフィナーレのクライマックスで壮大
に再現されることになる)
、中間部ではメランコリックで物憂げな主題がオーボエに現れ、やが
て意識が覚醒するようにオーケストラ全体に広がっていく。この楽章について作曲家は次の
ように語ったという─「皆が眠りにつき、外からは物音ひとつ聞こえない。するとこの静寂
が震え出すのだ。自分自身の心臓が鼓動し、孤独が心を捕えるのを感じるだろうか」。
トロッポ─モデラート・アッサイ─アレグロ・ノン・
トロッ
第 3 楽章 スケルツォ:アレグロ・ノン・
ポ、ハ長調、3/4 拍子、複合 3 部形式。民族舞曲的なリズムによる野趣あふれるスケルツォ。
2つの旋律が別々に登場し、やがて統合されて華やかさを増していく。対照的に中間部トリ
オでは、バグパイプ風の固執低音に乗って牧童の吹く葦 笛を彷彿させる鄙びた旋律が歌
われる。
第 4 楽章 終曲:アレグロ・モデラート─アレグロ・リゾルート─アレグロ・コン・ブリオ─
マエストーソ、ト長調、2/2 拍子、ソナタ形式。第 1 楽章の主要主題の回想とフィナーレの第
1、第2主題の提示が交互に進められることで、両楽章の主題的な関連性が明 瞭に示され
る。様々なエピソードがカラフルに交代する展開部を通り過ぎ、やがて第1 主題が熱狂的に
反復されるなかで、第 2 楽章の主題が金管による讃歌風のコラールに変容して盛大に全曲
を締めくくる。
[千葉 潤]
作曲年代
1894∼1895年
初演
1897 年 2月20日(旧ロシア暦では8日)
、キエフ、アレクサンドル・ヴィノグラツキー指揮、ロシア音楽
協会の演奏会にて
楽器編成
フルート2 、ピッコロ1、オーボエ2 、イングリッシュ・ホルン1、クラリネット2 、ファゴット2 、ホルン4 、
トラン
トロンボーン3 、テューバ1、ティンパニ1、
トライアングル、ハープ1
( 指揮者の意向によりハー
ペット2 、
、弦楽
プ2で演奏)
PROGRAM C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
23
Program C
ベートーヴェン
交響曲 第6番 ヘ長調 作品68「田園」
1808 年 12月22日に行われたこの交響曲の初演の時に使われた第 1ヴァイオリン・パー
ト譜に、ベートーヴェン( 1770∼1827)は「シンフォニア・パストレッラ( Sinfonia pastorella)
あるいは田舎での生活の思い出。絵画というよりも感情の表出」
と記している。また、初演
5日前の『ウィーン新聞』に掲載された演奏会予告では、コンサート第1部の最後に演奏さ
れるのは《交響曲、ヘ長調。田舎での生活の思い出》
と題されている。さらにこの作品の
あるいは田舎
作曲に使っていたスケッチ帳にも「性格交響曲(Sinfonia charakteristique)
での生活の思い出」
と記している。なぜここまで、絵画的描写ではなく感情の表現というこ
とを強調しなければならなかったのだろうか。しかも、この作品では後掲するように、5つ
の楽章それぞれに広く知られた標題( 書かれた説明文という意味でのプログラム)が付けられ
ており、ベートーヴェン自身がいかに否定しても、1809 年 5月に出版された初版譜(パート
譜)
タイトルに
「シンフォニー・パストラーレ
(Sinfonie pastorale)」
( 牧歌的交響曲=田園交響曲)
とあることから、これが標題交響曲の範 疇に含まれるとしても不都合ではない。
標題音楽という用語と概念は、1850 年代にリストが自ら開拓創案した一連の「交響詩」
を説明するために導入したもので、ベートーヴェンの《交響曲「田園」》
( 1808年 )や、今日
では標題交響曲の代名詞のように呼ばれるベルリオーズ( 1803∼1869)の《幻想交響曲》
とか「標題交響曲」
という呼称や概念はまだな
( 1830年 )初演当時でさえも「標題音楽」
かった。とはいっても、標題音楽の対立概念として考え出された絶対音楽という範疇で《交
響曲「田園」》
を捉えることにも無理があり、不自然さが残る。
ベートーヴェンの主張には2つの意図が隠されているように思われる。後世の概念であ
る標題音楽の美学的意味はともかくとして、実践的な音楽表現語法として、描写的表現を
含む広い意味での標題音楽はルネサンス時代(さまざまなバッタリア=戦闘の音楽、カッチャ=
狩猟の音楽等々)
やバロック時代(たとえば、ヴィヴァルディのソネット付きヴァイオリン協奏曲集、い
わゆる《四季》等々)
から存在していたばかりか、かなり隆盛してもいたのである。ソナタ形
式の発展と並行して、というより、それに伴ってさまざまな器楽ジャンルが開拓された古典
派時代が、むしろ例外的に標題音楽から遠ざかっていたとも言えそうだ。そうした時代に
あって、ベートーヴェンが考えていた作曲理念では、描写語法は高く評価できるものでは
24
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なかったようである。ただ、ベートーヴェンも劇音楽、たとえば、
《バレエ音楽「プロメテウス
《交響曲「田園」》の〈雷と嵐〉の原
の創造物」》
( 1800/1801年)の序曲後の導入音楽では、
型とも呼ベる雷鳴の描写表現なども見られる。また、後年の管弦楽曲《ウェリントンの勝利》
( 1813年 )では戦闘描写そのものが作品の前半を成している。つまり、ベートーヴェンも明
確な物語性を表現する場合には描写表現を使っているのである。ただ、ベートーヴェンに
とって交響曲はそうした対象ではなかったのである。
もうひとつの理由は、おそらく、これが真意であろうが、当時シュトゥットガルトの宮廷楽
長で、特にジングシュピール作品で人気のあった作曲家でありオルガニストでもあったユス
ティン・ハインリヒ・クネヒト
( 1752∼1817)の作品とは次元の異なる作品であるという主張
であったと思われる。クネヒトには1784 年作曲の15の楽器のための交響曲《自然の音楽
的描写》、1794 年作曲のオルガンのための《雷雨によって妨げられた牧人の喜びのひと
時》
という作品がある。クネヒトの作品は作曲直後に印刷出版されており、かなり広く知ら
《交響曲
れていたという状況から、
ベートーヴェンがこれら2曲を知っていた可能性は高い。
「田園」》の5つの楽章に付けられた標題の流れや構成がクネヒト作品と相似しているため、
ベートーヴェンは「自分の作品はクネヒトなどの当世流行の描写音楽とは次元の異なるも
のである」
と自己主張したと考えるべきだろう。
アレグロ・マ・ノン・
トロッポ、ヘ長調、2/4拍子。
第1楽章 〈田舎に着いたときの愉快な気分〉
アンダンテ・モルト・モート、変ロ長調、12/8 拍子。
第2楽章 〈小川のほとり〉
アレグロ、ヘ長調、3/4 拍子。第 4 楽章へアタッ
第3楽章 〈田舎の人々の楽しいつどい〉
カで続く。
アレグロ、ヘ短調、4/4 拍子。第 5 楽章へアタッカ。
第4楽章 〈雷と嵐〉
アレグレット、ヘ長調、6/8 拍子。
第5楽章 〈牧歌。嵐のあとの喜びと感謝〉
[平野 昭]
作曲年代
1807 年暮れ∼1808 年 8月、ウィーン
初演
1808年12月22日、アン・デア・ウィーン劇場で。ベートーヴェン自身の指揮による
楽器編成
フルート2 、ピッコロ1 、オーボエ2 、クラリネット2 、ファゴット2 、ホルン2 、
トランペット2 、
トロンボーン2 、
ティンパニ1 、弦楽
PROGRAM C
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短期連載(全2回)
音楽における
ロマン性
三宅幸夫
音 楽 学 の 第 一 線 で 活 躍 する研 究 者 が 、
交 響 曲 やオーケストラを 入り口 に自 由なテーマで 執 筆 する短 期 連 載 シリーズ。
今 月号 から 2 回 にわ たり、ドイツ・ロマン 派 音 楽を 専 門とする三 宅 幸 夫さん が 登 場 。
今 回 は《 未 完 成 交 響 曲 》を 題 材 に 、シューベ ルトのロマン 性を 浮き彫りにします。
第1回
シューベルトの場合
古典派とロマン派の関係は、音楽史家にとって頭の痛い問題で
ある。以前は両者を対立する時代ないし様式概念として捉えていた
が、それでは説明のつかないところが多すぎるからだ。はやばやと
結論めいたことを言うならば、もしロマン派を、古典派の土台に立ち
ながら、その規範から逸脱したものとして捉えるならば、ロマン派の
意味するところがより明確になるのではないだろうか。
まず音楽における古典性とは、たとえばモーツァルト
《アイネ・クライネ・
ナハトムジーク》
の冒頭にはっきりと現れている[譜例1]
。最初の4小節
の旋律構成は2+2小節に区分けされ、前半と後半のリズムは同じで、
前半の旋律線が呼びかけるように上行すれば、後半はこれに応える
ように下行する。つまり同一の要素(リズム)
と対照的な要素(上行→下
行)
を組み合わせて、均斉のとれた、いわゆる古典的主題を生み出す
というわけだ。その背景では、和声がト長調の主和音(T)
→属七和音
) →主和音[T]
(D7(
)
と進行し、これをしっかりと裏打ちする。
ほんの一例ではあるが、こうした「規範」
を一時的にせよ逸脱する
譜例1
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ところに、ロマン派への道が開かれているとみてよい。聴き手の立場
からすれば、たとえば最後の主和音をⅥ度の和音に置き換えると、
予想している音の進行が裏切られたという印象を受ける。もちろん
裏切られるというからには、その前に確たる約束事が存在していな
ければならないわけで、
「古典派の土台に立ちながら」
と言った意味
はまさにここにある。もっとも、抽象的な話ばかりしていても埒が明か
ないので、ここでシューベルト
《交響曲第7番ロ短調「未完成」》から
具体的な事例を挙げてみよう。
対 照 から差 異 へ
作曲家は楽章構成において、古典的な枠組みを守ろうとしているよう
にみえる。すなわち急─緩(─急スケルツォ─急フィナーレ)
を念頭に置いてい
たとみてよいが、まずは完成された最初の2楽章に注目したい。両者が
ともに3拍子、第1楽章3/4拍子─ 第2楽章3/8拍子(実質は6/8拍子?)
を
とっていることもさることながら、両者のテンポ設定が問題だ。第1楽章
アレグロ・モデラート
(適度に)
に対して、第2楽章はアンダンテ・コン・モート
(動きをつけて)
。つまりアレグロは抑制され、逆にアンダンテは解放され
るというわけで、両者が互いに接近してゆくことは、明らかにテンポ設定
の段階で指し示されているのである。古典的な
「対照」
が、ここではロマ
ン的な
「差異」
へと質的変化を遂げているといえようか。
ついでに第1楽章と第 2楽章の調性関係にも触れておくべきだろ
う。第 1楽章のロ短調に対して、第2楽章はホ長調。本来、ロ短調に
最も近いのは同じ調号の平行長調つまりニ長調だから、ここでも原
則からの逸脱が生じている。もちろん現実の作品にはいくらでも例
外があり、古典派にもこのような調性関係をとる作品は存在するが、
ここで問題にしたいのは、むしろ古典派の拠りどころとなっていた「 5
度近親関係」が、崩れたとまではいわないまでも、少なくとも脅かさ
れていることである。このように第1楽章と第 2楽章の関係は、調性・
拍子・テンポのいずれをみても古典的な規範からは外れているので
ある。ただし繰り返しになるが、規範が意識されているからこそ、そこ
から
「外れている」
と言えることを忘れてはなるまい。
内 面の 解 放
《未完成交響曲》の第 1楽章は、明確なソナタ形式で書かれてい
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る。提示部・展開部・再現部の区分け、その内部構成( 第1主題と第2
主題など)
も図式的といってよいだろう。強いていうならば、第 1主題(ロ
短調)
に対して第 2主題が、主調に最も近い平行調(ニ長調)
ではなく、
3度下のⅥ度調(ト長調 )に転じているのが目につく。いわゆるロマン
派で頻繁に用いられるようになった「 3度近親関係」
にあるわけだが、
これも古典派に先例がないわけではない。それよりも注目に値する
のが展開部のありようだ。
とくに短い経過句に続く展開部前半(第114小節以降)
である。提示部
で提示された素材を用いて展開してゆく手法も、また展開部後半(第
170小節以降)
の開始まで、長いこと和声的解決を避けていることも、ソ
ナタ形式の展開部にお定まりの語法といってよい。しかし問題は、その
内実にある。楽章冒頭の動機
[譜例2a]
は、展開部でも調を変えて現れ
るものの、その旋律線は嬰ヘ音で底を打つことなく、嬰ヘ→ホ→ニ→
。あたかも旋律がとめどなく沈んでゆく
ハとさらに下行してゆく
[譜例2b]
かのように……。
譜例2a 第1楽章冒頭
(第1小節∼)
譜例2b 第1楽章展開部
(第114小節∼)
そして、この下行線の到達点ハ音が持続する上に、第1・第2ヴァイオ
リンが新たな音形を導入し、ファゴットとヴィオラが2小節遅れの模倣で
テクスチュアの密度を高める。ただ「新たな」
とはいっても、3度順次上
行と2度下行の音程は、冒頭動機、第1主題、第2主題を通じて、すで
におなじみのものである。その意味では展開部の常套手段ともいえる
のだが、この新たな音形がこれまでとは比較にならぬほど表出力に富
んでいることに着目したい。じっさい2度下行音程は分離独立して反
復され、やがてフォルティッシモの爆発
(トゥッティ)
への道を開いてゆく。
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個人的な見解を述べるならば、この表出力ゆたかな新しい音形こ
そがシューベルト究極のメッセージであり、それまでの音楽は伏線にす
ぎないというわけだ。もし《未完成交響曲》
におけるロマン性、つまり
内面の解放を象徴する例を1か所だけ挙げるとすれば、それは ―
もちろん伏線の張り方までふくめて ― この展開部に導入された音
形にほかならないのである。
そして挫 折
「内面の解放」
とは、作者が論理的に整理できない、
あるいは整理
しようもないことを表現すると言い換えてよいかもしれない。その結
果、作品は一筋縄ではいかない複雑な様相を呈し、それが受け取り
手に多様なイメージを生み出さずにはおかない。ただひとつの正解
があるわけではなく、時として聴き手の反応はポジティヴとネガティヴ
のあいだを揺れ動くことすらある。最後に一例を挙げておこう。
つとに指摘されているが、
《未完成交響曲》
の第1楽章を支配してい
るのは弱音である。導入部、第1主題、第2主題ともにピアニッシモと
指定されていて、強音が用いられるのはアクセント付けを必要とされる
ときのみである。たとえば展開部の第154小節。前の文脈からみて予
想されるのは嬰ハ音上の短三和音だが、ここでは意表を突く減七和
音がトゥッティによるフォルティッシモで現れる。これもアクセントにほか
ならないのだが、この減七和音は和声の流れを強引に断ち切り、音
楽に亀裂を生じさせる機能を有している。すぐれて衝撃的な瞬間だ。
そもそも《未完成交響曲》にかぎらず、シューベルトの音楽は素朴
な、時として俗っぽい「歌」
にかぎりなく傾斜してゆく。これを繰り返し、
繰り返し口ずさまずにはいられない反復強要、つまりは現実逃避と
みることはできまいか。もしそうだとすれば、この強音は苛 酷な現実
が鋭い楔を打ち込んでくる瞬間とみてよいだろう。つまりは挫折であ
る。もちろん反対に、作者が弱気を克服する瞬間と受け取る向きも
あるかもしれない。たしかに弱音も強音も古典派の音楽には当然の
ことながら存在する。しかし、このような異なる意味付けを可能にす
るのはロマン派、しかもシューベルトに特有の現象といえるだろう。
三宅幸夫( みやけ・ゆきお)
慶應義塾大学名誉教授。音楽学者。著書に『歴史のなかの音楽』
『 菩提樹はさ
ざめく』
など。
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《協奏的幻想曲》では、ロシアのルステム・
6月定期公演の
聴きどころ
ハイルディノフが独奏を務める。ピアノ独奏と
オーケストラによる協奏的作品だが、2楽章
構成をとるのが珍しい。ピアノ協奏曲を名
乗ってもおかしくない作品規模を持っている
が、形式の自由さはやはり幻想曲ならでは。
バレエ音楽風の曲想もあれば、独奏ピアノの
名技性も発揮されるなど、型破りなおもしろ
さがある。ハイルディノフは意欲的なレパート
リーを録音で聴かせる気鋭だが、思いのほ
か強烈なインパクトを残してくれるのではな
6月の定期公演は、ウラディーミル・アシュケ
いかという予感がある。
ナージが A、B、C、3つのプログラムを指揮
《スコットランド》はアシュケナージとN 響
する。2004年から2007年にかけて NHK
のコンビでは珍しいレパートリーといえるだろ
交響楽団音楽監督を務め、以後桂冠指揮
うか。もっとも、ベルリン・ドイツ交響楽団と交
者として共演を重ねるアシュケナージが、
ロマ
響曲全集を録音するなど、アシュケナージは
ン派の名曲を中心とした魅力あふれるプロ
メンデルスゾーンをしばしば取りあげている。
グラムを組んでくれた。いずれもメイン・プロ
流麗で生気にあふれたメンデルスゾーンを堪
グラムは、のびやかな叙情性と豊かな詩情
能したい。
をたたえた交響曲ばかり。マエストロの作品
に向ける温かな共感が、豊麗な音楽を生み
出してくれることだろう。
異国情緒あふれるバラキレフ《イスラメイ》や
ハイルディノフ独奏のチャイコフスキーなど
シューマンとエルガー、
2つの《交響曲第2番》
B プロではシューマンとエルガーの2つの
《交響曲第2番》が並ぶ。シューマンの《交
響曲第2番》は、作曲者が精神的な危機を
A プロはバラキレフ(リャプノーフ編曲)の《東
迎えるなかで作品に取り組み、終楽章を作
洋風の幻想曲「イスラメイ」
》
、チャイコフスキー
曲するに至って快方へ向かったと伝えられ
の《協奏的幻想曲》
、メンデルスゾーンの《交
る作品。シューマン特有のダークサイドのロマ
響曲第3番「スコットランド」
》の3曲が並ぶ。
ンティシズムが横 した傑作である。第3楽
《イスラメイ》
といえば原曲が演奏至難なピア
章の絶美のアダージョは深く心に刻まれるこ
ノ曲として広く知られているが、ここで演奏さ
とだろう。
れるのはリャプノーフによる管弦楽版。色彩
アシュケナージは2014年6月定期でエル
的なオーケストレーションによって、原曲の持
ガー《交響曲第1番》
を指揮している。このと
つ異国趣味が一段と鮮やかに伝えられる。
きの演奏はエルガー特有の高揚感と輝かし
チャイコフスキーの一 風 変わった作 品、
さにあふれた、特筆すべき熱演だったと記憶
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する。今回の《交響曲第2番》でもやはり高
聴く機会を得ることになる。
《交響詩「ドン・フ
貴で壮大な楽想を余すところなく伝えてくれ
アン」》
はパーヴォ・ヤルヴィとのレコーディング
るのではないだろうか。なにより、これほどエ
が記憶に新しいが、また違ったアプローチに
モーショナルな20世紀の交響曲はめったに
よる演奏を楽しめそうだ。
ない。実演に接することができるのは大きな
《オーボエ協奏曲》
ではフランソワ・ルルー
喜びだ。
のソロが聴きもの。フルートのパユらとともに
レ・ヴァン・フランセのメンバーとして来日の機
会も多い名手だが、N 響定期には初登場と
フランソワ・ルルーのソロと
アシュケナージによる R. シュトラウス
なる。肩の力が抜けた作曲者晩年の秀作
を、軽やかに吹き切ってくれることだろう。
C プロではリヒャルト・シュトラウスの《交響
ブラームスの《交響曲第3番》
では、マエス
詩「ドン・フアン」》
と《オーボエ協奏曲》、ブ
トロの豊かな情熱と円熟味が一体となった
ラームスの
《交響曲第3番》
が演奏される。
名演を期待したい。
N 響での R.シュトラウスといえば、首席指
揮者パーヴォ・ヤルヴィとのシリーズが続いて
[飯尾洋一/音楽ジャーナリスト]
いたが、久しぶりにアシュケナージの指揮で
6月の定期公演
A
バラキレフ
(リャプノーフ編)
/東洋風の幻想曲「イスラメイ」
チャイコフスキー/協奏的幻想曲ト長調 作品56*
メンデルスゾーン/交響曲 第3番 イ短調 作品56「スコットランド」
NHK ホール
指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
ピアノ:ルステム・ハイルディノフ *
B
シューマン/交響曲 第2番 ハ長調 作品61
エルガー/交響曲 第2番 変ホ長調 作品63
土 6:00pm
6/11 □
日 3:00pm
6/12 □
水 7:00pm
6/22 □
木 7:00pm
6/23 □
サントリーホール
C
金 7:00pm
6/17 □
土 3:00pm
6/18 □
NHK ホール
指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
R.シュトラウス/交響詩「ドン・フアン」作品20
R.シュトラウス/オーボエ協奏曲 ニ長調
ブラームス/交響曲 第3番 ヘ長調 作品90
指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
オーボエ:フランソワ・ルルー
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