ルツの義母

WAJC16
WAJC160
160508 Title: 「ルツの義母」Ruth’s Mother-in-law Bible Text:
Text:ルツ記1章
ツ記1章 1-22 節
序 論
●今日は「母の日」である。
今日は「母の日」である。そこで、ここまで数週間連続で「復活された主とペテロとの対話」から
は「母の日」である。そこで、ここまで数週間連続で「復活された主とペテロとの対話」からメッ
そこで、ここまで数週間連続で「復活された主とペテロとの対話」からメッ
セージを頂いてきたが、今日は
セージを頂いてきたが、今日は一回
今日は一回お休み
一回お休みして、母の日に因んだメッセージを取り次ぎたい
お休みして、母の日に因んだメッセージを取り次ぎたい。
して、母の日に因んだメッセージを取り次ぎたい。
●「母の日」の言われは、ご存知のように、ジャービスという
「母の日」の言われは、ご存知のように、ジャービスという一人の米
ジャービスという一人の米婦人が、熱心なクリスチ
一人の米婦人が、熱心なクリスチャン女性
婦人が、熱心なクリスチャン女性
として生きた自分の母親
として生きた自分の母親を思い、彼女に対する尊敬と感謝を表わそうとしたことから始まった。
を思い、彼女に対する尊敬と感謝を表わそうとしたことから始まった。
●今日は、
●今日は、その意味で、
は、その意味で、この「母の日」に、
その意味で、この「母の日」に、「
この「母の日」に、「聖書に登場する一人の
聖書に登場する一人の信仰をもつ婦人」の姿からメッセージ
一人の信仰をもつ婦人」の姿からメッセージ
を頂きたい。その婦人として、
を頂きたい。その婦人として、以前も学んだことがあるが、
その婦人として、以前も学んだことがあるが、旧約聖書に登場する「ナオミ」を選んだ。
以前も学んだことがあるが、旧約聖書に登場する「ナオミ」を選んだ。
本 論
Ⅰ.「ナオミ」の偉大さはどこにあるか? 「ナオミ」について学ぶ価値と意味はどこにあるのか?
A.ナオミは決して、聖書において、いわゆるメージャーな存在ではなかった。
1.聖書には、婦人で活躍した人物として
1.聖書には、婦人で活躍した人物として「
聖書には、婦人で活躍した人物として「デボラ」と言う人物
デボラ」と言う人物が出て来る。
」と言う人物が出て来る。国の
が出て来る。国の女性リーダー
国の女性リーダー
としてイスラエル民族を敵の手から救い出した婦人である
としてイスラエル民族を敵の手から救い出した婦人である。
婦人である。
2.世界史の中には、フランスを英国との
世界史の中には、フランスを英国との「
フランスを英国との「100 年戦争」
年戦争」で勝利へと導いた有名な女性戦士
で勝利へと導いた有名な女性戦士ジ
有名な女性戦士ジ
ャンヌダルクと言う婦人もいたが、ナオミは、自らの手で、直接
ャンヌダルクと言う婦人もいたが、ナオミは、自らの手で、直接そのような目立った働き
自らの手で、直接そのような目立った働き
や、大きな
や、大きな業績を
大きな業績を成し遂げた
業績を成し遂げた人物ではなかった。
成し遂げた人物ではなかった。
3.それではナオミの偉大さはどこにあった
3.それではナオミの偉大さはどこにあったの
それではナオミの偉大さはどこにあったのか? 彼女を学ぶべき意味と重要性はどこにある
のか?
B.それは、彼女が、人類のために、次世代のために大切な「信仰を残した」ことにある。
1.具体的には、
1.具体的には、ナオミが、
具体的には、ナオミが、義理の娘であったルツに
ナオミが、義理の娘であったルツに、
義理の娘であったルツに、自分の「信仰を残した
自分の「信仰を残した」こと
の「信仰を残した」ことである。
」ことである。
2.「
2.「東日本大震災」で被災された方々
東日本大震災」で被災された方々を励ますために作られた「花は咲く」という歌がある。
」で被災された方々を励ますために作られた「花は咲く」という歌がある。
(1)あの歌の折り返しの部分に、「花は
(1)あの歌の折り返しの部分に、「花は 花は 花は咲く、いつか生まれる君に 花は 花
は 花は咲く 私は何を残した
私は何を残しただろう
残しただろう」とある。
だろう」とある。
(2)人々は、
(2)人々は、あの
人々は、あの大地震、津波
あの大地震、津波の悲惨の中で、
大地震、津波の悲惨の中で、目の前にあったものが、
の悲惨の中で、目の前にあったものが、また
目の前にあったものが、また、
また、今まで辛苦
粒々として積み上げて来たものが、一瞬にして、消えて行くという経験をした。
粒々として積み上げて来たものが、一瞬にして、消えて行くという経験をした。
(3)そして、人々は
(3)そして、人々は、それまで大切にしてきた
そして、人々は、それまで大切にしてきた「
、それまで大切にしてきた「もの」
もの」の「はかなさ」
はかなさ」を学んだ。そして、
私たちにとって、今の人生がすべてではない。
私たちにとって、今の人生がすべてではない。大切なことは、
今の人生がすべてではない。大切なことは、次の
大切なことは、次の世代に生きる人々
次の世代に生きる人々に
世代に生きる人々に
何を残せるかであ
何を残せるかであり、
であり、何を残すかである
り、何を残すかである事を学んだ
何を残すかである事を学んだ。
事を学んだ。
3.私たち夫婦を育ててくれた牧師が、よく私たちに言ったことがある。それは、
が、よく私たちに言ったことがある。それは、「人の
ったことがある。それは、「人の価値は、
その人が去るときに分かる。その人が何を残して行くかで分か
るときに分かる。その人が何を残して行くかで分かる。
分かる。牧師も同じである。そ
の牧師の価値は、その牧師が去るとき、どんな人を残していくかで分かる
るとき、どんな人を残していくかで分かる」であった。
分かる」であった。
4.私たちは、自分の
.私たちは、自分の人生
自分の人生を
人生を通して何を残そうとしているのだろうか?
して何を残そうとしているのだろうか?
(1)アメリカの実業家、鋼鉄王アンドリュー・カーネギーは「
ーは「子孫に財産を残すほど愚かな
ことはない」と遺言に書き残し、その巨万の富を全て慈善事業に寄付したと言う
したと言う。
と言う。
(2)
(2)私たちのような、特に財産を持っていない多くの人々は、「教育」「知的財産」の機会
を与えることこそが、
えることこそが、子どもに残してやれる最高のものと信じている。
(3)
(3)しかし、果たしてそうだろうか?
たしてそうだろうか?! 教育の大切さを
の大切さを否定しているのではない。
●しかし、ハーバード、東大などの
、東大などの最高位の大学で教育を受けながら、個人的に、必ず
しも幸せになっていない人々がどのくらいいるだろうか?!
●また、そのような最高の知的な
の知的な財産を持っている人々が、その能力を用いて、社会的
に反って大きな
って大きな負の影響を与えるような犯罪を犯している例も枚挙にいとまがない。
にいとまがない。
●それでは、私たちは、次世代に何を残すべきなのか?
5.今日、学ぼうとしているナオミは
うとしているナオミは、
ナオミは、次世代のために何を残したか?
次世代のために何を残したか?「信仰」
何を残したか?「信仰」であった。
「信仰」であった。
(1)具体的には、
(1)具体的には、前
具体的には、前述したように、特に、息子の嫁のルツに「信仰」を残したのであった。
のルツに「信仰」を残したのであった。
1
(2)ナオミには、
(2)ナオミには、人々に残せるような、
ナオミには、人々に残せるような、また
人々に残せるような、また与えるような、
えるような、財産も、教育もなかった。家族
さえなかったのである。
●彼女と夫のエリメ
彼女と夫のエリメレクは、かつて、
は、かつて、ベツレヘムが飢饉に見舞われたとき、食糧を求め
て、二人の息子を連れて、約
を連れて、約 100 数十キロメートルほど離れた、異国・異教の地「モ
アブ」の地に移り住んだのであった
んだのであった。
のであった。
●しかし、その地で
しかし、その地で主人のエリメ
その地で主人のエリメレクはほどなく死んだ。その後二人息子はどちらもモ
アブの娘を
の娘を娶った。しかし、事もあろうに二人の息子とも、
とも、老母であるナオミとそれ
ぞれの嫁を残して、子どももいないまま父の後を追うように死んでしまったのである。
●ナオミは、今や二人の異邦人の嫁が未亡人としてそばにいるだけで、文字通りに何も
かもを
かもを失ってしまったのである。その心
ってしまったのである。その心境は、1
は、1 章 21 節の彼女の言葉によく表され
ている。即ち、彼女は言う。「私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰
されました。なぜ、私をナオミ(
、私をナオミ(笑い)と呼ぶのですか。主は私を卑しくし、全能者が私
をつらいめに会されましたのに」。
されましたのに」。
●彼女は、ここで大決心をする。それは、自分の年を考え、二人の嫁の将来を考え、彼
え、彼
らが、今からでも再婚するチャンスの為にも、離縁して、二人をモアブの家族のもと
族のもと
に帰し、一方、自分は
し、一方、自分は故郷のベツレヘムに帰ることであった。
●しかし、二人とも、しゅうとめのナオミを
とめのナオミを愛していた。それ
していた。それゆえ、彼らの夫たちが、
亡くなっていたにもかかわらず、しゅうとめ
うとめであるナオミについていこうとした。
●しかし、ナオミの再三の勧めと説得で、弟息子の嫁であったオルパは泣きながらも、
別離を決意し、モアブの地の家族のもとに戻った。
●しかし、ルツは、最後まで、ナオミについて行くと言う決心を変えなかった。
(8)その理
(8)その理由は何であったか?
●それは、単にルツがナオミを好きだったからと言う以上の理由であった。
●その理由を、聖書は、ルツ自
聖書は、ルツ自身の言葉と、やがて後にルツと結婚することになるボア
ズの言葉を通して明確にしている。即ち、
●ルツの言葉:「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように私を仕向けないでくださ
い。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まわれる所に私も住みます。あなた
みます。あなた
の民は私の民、あなたの神は私の神です」
です」(1 章 16 節)。これは同時に、彼女の信仰告
白であった。
●ボアズの言葉「あなたがその翼の下に避け所を求めてきた、イスラエルの神、主から
豊かな報いがあるように」
いがあるように」(2 章節)
章節)。ここにもルツがナオミについて来た理由は、神様
を求めていたからであると表現されている。
●言い換えるなら、ルツが
えるなら、ルツがナオミについて来た理
、ルツがナオミについて来た理由は、ナオミの信じている同じ神を信
じて、ナオミと同じ信仰をもって、これからの自分の人生を生きた
信仰をもって、これからの自分の人生を生きたかったからである。
もって、これからの自分の人生を生きたかったからである。
(9)即ちナオミは、異教文化で育った嫁のルツに、しかも、夫であった
のルツに、しかも、夫であった息子がすでに死んで
しまった後、人間的には、「この信仰に
、人間的には、「この信仰に本当にご利益があるのか?」と問いたくなるよ
うな状況の中で、ルツの
の中で、ルツの心の中に
で、ルツの心の中に「信仰」
心の中に「信仰」を
「信仰」をしっかりと植え込み、残したのである。
(10)ほむべきかな、
べきかな、主よ。このルツこそが、やがてボアズと結ばれ、イスラエル史上
れ、イスラエル史上最も
特筆すべき王様、ダビデの
ダビデの「曾祖母」となり、イスラエル
となり、イスラエル社会ではあり得ないことであ
るが、「異邦人の女性」が、「
人の女性」が、「祝福された」女性として
された」女性としてたたえられたのである。
」女性としてたたえられたのである。
(11)それは
11)それは更に、ルツが人間の
に、ルツが人間の系譜としては救い主イエス様の先祖となることを意味した。
(12)
12)そのような栄光と祝福が、ルツに、イスラエルに、そして世界にもたらされたのは、
一重に、ナオミが、ルツの心に、
一重に、ナオミが、ルツの心に、真の神への信仰を
への信仰を明確に植え込み、残したからである。
(13)
(13)ここにナオミの偉大さがあった。
ここにナオミの偉大さがあった。真の神様への信仰をルツの心に遺したことである。
●子供に、子孫に、財産や、教育を残すことも良い。
2
●しかし、それだ
しかし、それだけでは十分ではない。正に「人はパンだけで生きることはできない」。
●人には、それ以上に、真の神への信仰が必要である。
●それを、自らの子どもたちに、また次世代の人々に遺すことが私たちの使命である。
Ⅱ.それでは、ルツをそこまで引き付け、そこまで影響を与えた、ナオミの信仰とはどんなものであったのか?
A.それは、苦難と試練の連続の中での信仰であった。彼女の人生は、既にお話ししたように、極めて波乱万
丈なものであり、苦難の連続であった。
1.彼女の苦
1.彼女の苦難の人生は、ま
の人生は、まずベツレヘム地方を襲った飢饉から始まった。
2.そこで、夫のエリメレクと共に、二人の息子を連れて、モアブと言う異国、異教の地と言え
るモアブの地に全家族で移住した。
3.しかし、そこで、次の苦
3.しかし、そこで、次の苦難がナオミを襲った。それは夫エリメレクの死であった。
4.その後二人の息子たちは、それぞれモアブ人の女性と結婚し、一息ついたかに見えたのも
えたのも束
の間、どちらにも子どもができない間に、
どもができない間に、二人共後を追うように死んでしまったのである。
5.異教の地で、夫にも、息子にも先立たれてしまう。孫も居ない。ただ、異国人である息子の
嫁だけが残った。
6.これが、ナオミの生涯であった。誰がこんな人生を魅力的だと思うか。現に、ナオミ自
に、ナオミ自身、
自分の人生について「全能者なる神様は私をひどい目に合わせられた」と言った。
7.普通考えることは、神様を信じて、物事が順調に進んでいくとき、即ち、「家内安全無病息
家内安全無病息
災」であると、「いいなー」と感じ、自分もそんな信仰を持ちたいと思うものである。
8.しかし、驚くべきことは、ここでは、その
くべきことは、ここでは、その反対である。神様を信じても、試練の連続のナオ
ミの人生を、長男の嫁としてすぐそばでよく見ていたルツが、そのナオミの人生、ナオミ
の信仰、ナオミの信じる神様を自分のものとしたいと思うのである。
9.ナオミの信仰は、実に、暗闇の中で、輝く光のように、試練の中で、輝く信仰であった。
B.しかし、だからと言って、ナオミの信仰は、大それたもの、特別な「優等生」信仰というものではなかった。
1.そ
1.それは、間
れは、間違いも、失敗もする信仰であった。
もする信仰であった。
(1)ある
(1)ある聖書学
ある聖書学者たちは、
たちは、そもそも
は、そもそもベツレヘムが飢饉に襲われたとき、ナオミ
われたとき、ナオミと夫のエリメ
ナオミと夫のエリメ
レクが、「約束の地」を捨ててモアブに移住したことは判断の間違いであったとも
いであったとも言う。
(2)
(2)私たちは、神様を信じてクリスチャンになったからと言って、人間でなくなるわ
クリスチャンになったからと言って、人間でなくなるわけでは
ない。それ
ない。それゆえ、私たちは、一杯間違いもする。判断の間違いだけでなく、罪を犯し、
人を傷つけてしまうことさえ
てしまうことさえもある。
さえもある。
(3)
(3)ナオミもそういう信仰者の一人であった。即ち、異邦人、異教徒であった嫁のルツを深
い信仰者へと導いた
へと導いたナオ
導いたナオミの信仰は、
ナオミの信仰は、決して間
して間違いをしない、
いをしない、優等生信仰ではなかった。
(4)次女の宣子は、彼女が Teen Ager になった頃、私にこのように言った。「Daddy, I
know you are not perfect.」。彼女は、その後にいつもこう言った。「でも、そんな失
敗もするお父さんやお母さんが、失敗しながらも、それを神様にお詫びして、前に進も
うとしている姿が、私を励まし、そんなお父さんやお母さんを赦し、受け入れて、成長
させている神様を、私も信じたくなる」と。
2.また、
ナオミの信仰は、極めてカジュアルなありのままの信仰であった
ルなありのままの信仰であった。
まの信仰であった。
2.また、ナオミの信仰
また、ナオミの信仰は、
(1)ナオミが、ルツと
(1)ナオミが、ルツと共に、モアブの地から故郷のベツレヘムに戻って来たとき、彼らを迎
えた村人たちとの
人たちとの会話をもう一度見たい。1
たい。1 章 19-21 節「・・・・」。
(2)第一に、彼女の信仰は、神様の前に「
の前に「振りのない」「ありのまま」の
りのない」「ありのまま」の信仰であった。
●彼女は言った。
彼女は言った。神さまは、
さまは、「私をつらいめにあわせ」た。
私をつらいめにあわせ」た。「私を
あわせ」た。「私を卑しくした」「一杯
持っていたのに、素手で帰された
された」などなど。
●これらの言葉は、普通、多くの人々が持っている「
っている「模範的信仰者」のイメージとは
」のイメージとは思
イメージとは思
えない。まるで
えない。まるで神様に向かって不信仰から文句をいっているようにさえみえる
をいっているようにさえみえる。
るようにさえみえる。しか
し、それが
し、それが、
れが、ここでポイントである。
3
●「 詩篇」を見ると、驚くことは、祈りの中で、神様に文句を言い、不満を投げつけて
いるダビデをはじめとする沢山の聖徒たちの姿をみる。
たちの姿をみる。
●私たちの神様への祈りはどうであろうか? ただ願いごとをつらつらと、或いは繰り
返し並べて、神様にお願いするだけの、通り一遍の祈りではないか。
●不信仰じゃいけないと思い、不信仰を隠して、さも信仰があるような言葉を使い、信
仰がある振りをした祈りではないか?
●しかし、旧約の聖徒たちの祈りは違った。自分の中にあるありのまま
った。自分の中にあるありのまま、信仰も、
自分の中にあるありのまま、信仰も、不信
仰も、フラストレーションも皆ぶつけた。
●クリスチャンはこんなことを言っていいのかなどという振りを一切捨てて。
てて。
●これがナオミの信仰であった。神様の前に振りの無い、ありのままの信仰であった。
(3)第二に、彼女は人の前でも、
らない、ありのままの人であった。
に、彼女は人の前でも、飾らない、肩を張らない、ありのままの人であった。
●もう一度、1 章の 19-21 節を思い出していただきたい。
節を思い出していただきたい。「・・・・」
●そこには、神様の前に自分のありのままの気持ちを伝えるだ
えるだけでなく、面子も、恥も、
外聞も気にせず、ありのままの自分を人々の前にさらけ出したナオミの姿がある
出したナオミの姿がある。
ある。
●ベツレヘムは、当時、まだ小さな田舎町、というより村であった。そんな小さな村だ
ったから、言うまでもなく、ナオミがルツを連れ
ったから、言うまでもなく、ナオミがルツを連れ帰ったとき、村中の人々が出てきた
であろう。
であろう。特に、女性たちは
に、女性たちは、鵜の目鷹の目で彼
の目で彼らの様子を伺い、好奇心の目をもっ
て彼らをみつめていたであろう。皮肉まじりの挨拶も一杯飛び交ったであろう。
●俗にいう「故郷に錦を飾る」どころか、ナオミは、
る」どころか、ナオミは、それとは
ナオミは、それとは正反対に、何もかもを
対に、何もかもを失い、
人間的には恥ずかしさと惨めさと悔しさとがあるだ
しさとがあるだけであった。
●彼女は、よく分かっていた。「今自分がベツレヘムに帰ったら、みんなの
ったら、みんなの笑いものに
なるだけだ」ということを。
●普通の人ならプライドが許さなかったであろう。多くの人は、神様の御心より、自分
の面子とプライドを優先する。だから神の御心と知っていても、その
心と知っていても、その御心に逆らって
も、自分の恥をさらすことを絶対にさける。
●しかし、ナオミは違っていた。彼女は、ありのままを人々の前にさら
っていた。彼女は、ありのままを人々の前にさらけ出した。
出した。
3.彼女はこのように
3.彼女はこのように神と人との前にありのままをさらけ出す信仰をもっていたが、同時に、彼
女は決して、信仰の中核である「
である「神様は全能者」であると言う信仰を
」であると言う信仰を失うことはなかった。
(1)そのことは、前
(1)そのことは、前述の 1 章 21 節の彼女の言葉にもハッキリと表れている。
(2)彼女は苦
(2)彼女は苦難・試練の中、また
の中、また祈りが思うように答えられない状況の中でも、
の中でも、決して「
して「神
なんかいないんだ」「
なんかいないんだ」「神様といえども結局は何もできないんだ」とは言わなかった。
(3)な
(3)なぜか分からないし、それはつらい、それは苦しい、現実にあれもこれも失ったと彼女
は正直に言った。しかし、神様ご自身を疑わなかった。質問は一杯あっただろうが。
結
論
●私たちは、子どもたちに、次世代に何を残すか? 財産? 教育? ナオミはルツに信仰を遺した。
●ナオミからルツへの、その信仰の遺産相続がなかったら、ナオミ自
続がなかったら、ナオミ自身とルツのその後の人生の祝福は
なかったであろう。
●更には、ダビデの
には、ダビデの誕生も、ひいては、主の誕生もすべては違ったものになったであろう。世界の
ったものになったであろう。世界の歴史
は変わっていたかもしれない。
●私たちも何を
私たちも何を遺すに勝って「信仰」を
すに勝って「信仰」を遺すものとなりたい。その信仰とは、
すものとなりたい。その信仰とは、い
その信仰とは、いわゆる「模範的信仰」
と言われるようなガチガチなものではなく、ナオミのようにカジュアルでありのままな信仰である。
●先日のヤードセールの片づけのときに、成田兄姉もそこにおられたが、奇跡的とも言える素晴らしい
出会いと助けを経験した。後で、しのぶが、「
しのぶが、「家(うち)
うち)はいつもそうなんだよね。最後に必ず不思議
な人が現れて助けてくれる」と、
てくれる」と、集会中に思わず漏らした。彼女の中にささやかながら信仰をもって
らした。彼女の中にささやかながら信仰をもって
生きることのタネが芽生え始めているのかと感じた。あなたも信仰の遺産を遺さないか?!
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