第242回 ゆうすけ ました。 られたきっかけについてお話を伺い たのか、また荒川区にお住まいにな トとしてどんな道のりを歩まれてき も注力している菊地さん。ピアニス トレッスンなど若手音楽家の育成に たわら、大学での指導やプライベー 演奏家として精力的に活動するか 勢 い に 乗 っ て、 ﹁僕 は フ ラ ン ス 人 に ンクール第2位に入賞すると、その そして、高校3年生で日本音楽コ て﹂ のところなんて絶対わからないっ こういうところで勉強しないと本当 どもながらに思ったんです。音楽は ど、いろいろ歩きました。そこで子 トーヴェンの住んでいた家や教会な メージです。ちょっと歩けば、楽し れます。荒川区は堅実に暮らせるイ んでいたのですが、そういう街は疲 うな素晴らしいお店が並ぶ地区に住 多く、貧乏な学生には関係のないよ でいいですよね。パリでは観光客が しました。荒川区は肩肘はらず、楽 近くにいい物件があったので、即決 い、周辺で探したら、西日暮里駅の 合格し、入学すると、音楽科は男女 等学校音楽科のみの一本勝負。無事 の音楽高校は受験せず、桐朋女子高 と桐朋の先生に就いてきたため、他 ご自身で決めます。小学校からずっ 高校進学のとき、音楽科へ行こうと す。その後、桐朋中学男子校に進み、 就いてピアノを習い始めたそうで 格し、初めて桐朋音楽教室で先生に 小学校受験で私立桐朋小学校に合 ました﹂ の大きな差を幼いながらに感じてい アノも流れてくるという環境で、そ 室からは生徒が悪戦苦闘して弾くピ レコードから流れる一方で、母の教 ど偉大な演奏家の素晴らしい音楽が 音楽愛好家だったので、カラヤンな ﹁父はレコード会社に勤めていて、 ほどきを受けていた菊地さん。 ピアノ教師だったお母様に物心が つく前からリトミックやピアノの手 本へ帰国することになりました。 ころ、採用が決まったことから、日 師の募集があり、書類を提出したと その後、東京藝術大学の非常勤講 増えたのもこの頃だったそうです。 ます。コンクールでの優勝・入賞が 出ること以外、考えなかったと言い ピアノを弾くことと、コンクールに ら を 高 め よ う と ス ト イ ッ ク に 学 び、 囲まれたクラスで、演奏家として自 はユンディ・リなど優秀な人たちに ドイツのハノーファー音楽大学で ディ先生でした﹂ のがドイツで習うことになるヴァル かねないと思っていた頃、出会った めずに終わってしまうことにもなり うち 代も半ばになり、このままで はピアニストとしてのきっかけを掴 それに喜びを感じていました。その め、あ れ も こ れ も と 単 位 を 取 得 し、 伴奏や作曲なども同時に学べるた つけるのに苦労しました。パリでは ﹁行 っ て か ら は 自 分 の 方 向 性 を 見 渡仏。 を 頼 っ て、試 験 を 受 け、家 を 探 し、 なる!世界に出るんだ!﹂と、伝手 めています。 自らが描く体制づくりにも着手し始 注力する菊地さんは、 会社を設立し、 卒業した教え子のアフターケアにも ているそうです。また、音楽大学を も視野に入れた教室運営なども考え 里のご自宅におき、地域との繋がり ている音楽教室のサブ拠点を西日暮 今後、教え子の方々がそれぞれ開い 戸 を 広 げ る の は 難 し い 状 況 で す が、 ご自身の時間が限られるなかで、門 徒 さ ん が 全 国 各 地 か ら 集 ま り ま す。 ベートレッスンを受けたいという生 つ。西 日 暮 里 の ご 自 宅 に は プ ラ イ のプライベートレッスンが1/3ず 大学でのレッスン、ご自宅と地方で 現在、 菊地さんの仕事は、 演奏活動、 いるほど荒川区に愛着を持たれてい ページなどからも情報を入手されて も と て も 関 心 を お 持 ち で、ホ ー ム 自宅にほど近い西日暮里の再開発に 張っていらっしゃる菊地さんは、ご 地 域 の 都 市 計 画 に も ア ン テ ナ を ています﹂ いところもあって、すごく気に入っ 小学校卒業時に決意した ヨーロッパへの留学を果たす 共学ではあるものの、100人のう 受けている菊地さんは、演奏だけに イデアを形にした演奏で高い評価を ピアニストとして今までにないア ます。 ち男子はわずか9人。男子校との雰 囲気の違いに苦労したそうです。 そして高校卒業後は、すぐにパリ 国立高等音楽院ヘ留学します。 留まらず、音楽業界のあり方にも風 穴を開けるべく、取り組まれていま 西日暮里を拠点に、 今後は 地域との繋がりも視野に 帰国後しばらく住んでいた台東区 す。 なマンションに本や楽譜を並べた本 根岸から西日暮里に引っ越されたの 棚を置いていたんですが、大変なこ 日時 2016年5月 午後2時開演 音楽にまっすぐな菊地さんの今後 行。 とになりまして。地震の瞬間はヨー 会場 の荒川区での活動が期待されます。 ﹁祖 父 母 が、病 気 だ っ た 母 を、思 ロッパへ行く飛行機に乗っていたん お問い合わせ は2012年。 い出深いヨーロッパへもう一度連れ ですが、1週間後に帰ってきて驚き ﹁引 っ 越 し の 大 き な 理 由 は 東 日 本 ていってあげたいということで、僕 ました。これはまずい、建物がしっ 留学を強く心に決めたのは、小学 と母と祖父母とで2週間ほど旅行し 日︵日︶ ◆ 菊地裕介 ピアノリサイタル I N FO RM A TI O N たんです。母はあまり動けなかった かりしたところに引っ越そうと思 大震災でした。音楽家のための手狭 ので、お小遣いをもらい、一人でベー http://ykpianoforte.com 株式会社 演 東京文化会館 小ホール 15 さん ■プロフィール ピアニスト きくち 菊地 裕介 1977年東京生まれ。1994年、日本音楽コンクール第2位。高校卒業と同時に渡欧し、パリ国立高等音 楽院、独ハノーファー音大卒。マリア・カナルス第1位、ジュネーブ第3位をはじめ、多くの国際コンクー ルに上位入賞。CD「ベートーヴェン・ピアノソナタ全集」 「ラヴェル・ピアノソロ曲全集」 「B-A-C-H」ほ か多数。東京音楽大学専任講師、名古屋音楽大学客員准教授。荒川区在住。 小学校から高校まで 年間、 桐朋で学び、 その後はパリヘ 20 校の卒業時に行ったヨーロッパ旅 12 情報満載のオフィシャルサイトへアクセス! ACC 公益 2016年5月号 No.329 I 02 ACC 持ち前の発想力と行動力で 新しいことに挑み続ける演奏家。
© Copyright 2024 ExpyDoc