Page 1 Page 2 Page 3 Page 4 Page 5 Page 6 Page 7 Page 8 Page

'
j
l
鈩句
ー 一
ー も
ー
タ
−
や
北
2003
誌
11I
Q
−
−
一
一
−
ユ
111I
'
l
詞
rマ
’
、
イテンパテンパ5
←
『
し
B
北大探検部
2003年度部誌
’
、
ロ
一
一
F
一
I
馳纈
ページ
ざ
一一一一宮
榎本充孝
I
活動記録
Qbq
I
I
?
’|
I
●q
‘
ご 』
アイヌ民族交易路を行く
宮畑周平
POLUprOjectの概要と報告
長谷川航
魚
馬場広樹
ガンジス川周遊の記録
相楽恭宏
ポンショカン死の行軍
本田剛史
馬場さんと私
香本佳彦
神の意思に背いたもの達
加藤周一
ロシア番外編
榎本充孝
こんなんでいいのかよ
渡慶次元
熊と自分
谷本リマ
知床半島海岸を行く
板垣えいすけ
最近思ったこと
小川雄輝
とりとめもない話
生田紗苗
2003遺言
石川守幸
ソフトクリーム日記
竹田沙代
たなせゆうこの6文字しりとり
棚瀬裕子
新歓
笠置知子
編集後記
香本佳彦
1
51584692580247912
21
2
2
2
3
3
3
4
4
4
5
5
5
5
5
6
6
I
‐1
、-.面巳手
Eさ
、ロケ
63
0
γ
辱叩
︶
一
一 ■ = ■ ご
』
一一==二1
巻頭言
111
−
’
▼
P
生き残るのはどっちだ
2000年度活動記録
日時
活動
明大山岳部が存亡の危機にあるそうです。日本が誇る冒険家植村直己さんを生んだ団体
が、です。現在「正式な部員」は一人もいません。部員は二年生と一年生が各二人の計四
レスキューと
耐寒訓練
’
人いますが彼らは仮部員なのです。学年ごとに決められたカリキュラムをこなし、OBで組
織される「コーチ会」で実力を認定されて初めて「正式な部員」になれます。認定証は植
村直己さんの妻で書道家の公子さんに書いてもらい、監督と部員たちが植村家まで受け取
りに行きます。山ではテント生活一つとっても装備の保管場所から調理方法に至るまで事
細かに決められた規則を守らなくてはいけません。部存続の危機を感じたOBは新入生へ
の声かけや問い合わせに応じるための部室の留守番を買って出ているそうです。
女だけ川くだり
in鵡川
メンバー
L福元M・内海
10,21
、
吉田細川
園田國分杉浦
杉村小川
馬場田澤池田
宮畑
I
’
もう少しで使えるね
成長してますな
I
L.福元M山田池田高橋
10,28
何も覚えていない
中野
∼29
宝探し
‐
言
−
M・福元小川亮杉村細川
11,3
も
−
楽しかった
宮畑加藤馬場吉田山田
水上池田内海田澤國分
′一方北大探検部はどうでしょうか。テントでは装備の保管場所が決まっているどころか、
朝になると誰かが装備を失くしています。食計は下ごしらえがやってあれば優秀です。認
定証どころか入部届さえありません。OBは集まろうともせず、口も一切出さず、たまにお
高橋
酒を飲みに来て一緒に遊びに行く程度です。問い合わせに応じようにもいつも部室の電話
は故障しています。明大山岳部と比べれば対極にあるカラー(このカラーが良いと思って
はいません、現状を書いたまでです)を持った団体ですが、野山を排掴することに喜びを
感じる人たちの集まりであることと近年部員が減少傾向にあるのは共通のようです。生き
残るのは硬派体育会系明大山岳部でしょうか、それとも自由奔放北大探検部でしょうか。
冬山勉強会
11,23
講師タケノブさん
、旭岳
∼26
L.福元M.山田小川榎本
勉強点多し
池田宮畑
慰労会
in吹上温泉
1
1
1
12,9
M・馬場亮杉村山田小川
∼10
宮畑岩本藤井吉田加藤
ギャハハ
榎本水上國分池田細川
依田田澤内海福元深美
それを占う−材料がこの部誌なのかもしれません。
慰労会
生
き
残
る
の
か
ど
う
か
。
1
0
年
も
経
て
ば
答
え
は
出
て
い
る
で
し
ょ
う
。
で
も
そ
ん
な
不
確
定
な
“
未
来
”
を
心
配
し
て
も
仕
方
あ
り
ま
せ
ん
。
四
の
五
の
言
う
前
に
“
今
”
活
動
に
出
か
け
ま
し
ょ
う
。
L・細川M.吉田
12,9
雪フカフカ
L福元M.山田内海深美
三段山山スキー
春香山
L馬場M.山田深美
12,17
結構イケタ
山スキー
来るべき探検のために。
H
1
奥手稲山
12,16
迷沢山山スキー
∼17
目国内岳
12,23
山スキー
L.吉田
思ったよりつらくなか
った
L.細川M.馬場宮畑
−
文責榎本充孝
’
最高!
∼24
昆布岳
-
一
一
一
−
12,23
L、山田M吉田榎本
雪が重い
12,26
L.内海M佐野佐藤
楽しかった
山スキー
一
│
天
塩
&
山スキー
∼29
−
■
無意根
I
小川
流氷の上少し歩けた
∼14
in網走
アニーの冬山訓練
L馬場M山田
1
,
1
3
海開き
_
■
-
1,19
-
-
−
一
一
_
-
-
-
L・吉田M馬塲山田アニー
「ありがとう」の大切
■
さを学んだ
∼20
1
,
V
や
−
.
L − − − 一
−
=
−
■
二
二
画
一
一
一
−
−
一一一−−−−−−℃…一一二 =二二二=一一二で_二一
2
一 一 一 一 一 一 一 一 一 - - − − − −
庁
9’
’
鵡川見物
1
,
2
0
冬の川くだり挑戦
∼21
L.宮畑M.國分田澤小川
もうやだ
とても楽しかった
澤田さんと行く
1,27
L・山田M.澤田内海ドク細
積丹岳山スキー
∼28
川馬場佐野アニー吉田
2,17
縦走
∼18
ワカサギつりと
2,17
L.細川M吉田山田ドク
L.相田M馬場加藤榎本
一匹だけ連れました
自転車ソリ試験
111111
ノ
樽前山山スキー
3,18
紀伊半島ツアー
3
,
6
青森お花見ごっこ
5
,
1
L加藤M内海福元柴山田
川下り
∼5
亮池田相楽石川四ケ浦
勇払越え
5,2
L相田M宮畑田澤
荷物重い
L宮畑M水上山田馬場杉村
フリップ練習大事
千歳川下り
レスキュー訓練
L、吉田M.國分榎本
洞門だ−
L.ソルM.馬場田澤
次行くなら一人で行く
創成川下り
5,19
L杉村M内海吉田水上山田
∼20
馬場加藤亮宮畑田澤榎本
5,21
5,25
5,26
2001年度活動報告
千歳川
日時
4,14
ラフティング
海洋調査m白岩
4,19
(サバイバル練習)
IIljllill1Jl
jIq0llllll︲b︲lllPdl1lfll8
ロープワーク
4,21
∼22
4,25
琴似発寒沢登り
一言
メンバー
L杉村M相田潤(以下相田)
加藤宮畑田澤榎本、
L相田亮(以下亮)M宮畑
千歳は夏までいいや
L吉田M國分榎本加藤
地味な活動であった
、中央ローン
厚田川
4,28
五分で勇気ある撤退
ふむふむ
ちょっと変わった新歓
田澤榎本相樂石川本田
活動
L 宮 畑 M 吉 田 山 田 馬 場 加 藤 水少ない
5,27
L宮畑M吉田池田榎本深美
吉田覆面パトカーにつ
相樂
かまる
L 田 澤 M 杉 村 宮 畑 榎 本 相 樂 強いところは動きが違
全国リバーベンチャ
5,31
一選手権
∼6,5
百松沢沢登り
6,3
L相田M池田本田
地図読み大事
海洋調査in桃内
6,6
L宮畑M亮
魚はとれず
百キロハイク
6,7
M相樂
男としての課題が見え
つ
てきた
パドルを折る
杉浦宮畑相樂
4,29
ラフティング
鵡川下り
L田澤M水上杉村加藤
4,30
L宮畑M相田加藤杉浦
杉村田澤相樂内田
L宮畑
ト
ラフティング
自分達がバカだと再確
L宮畑M吉田山田亮杉村
亮宮畑
ラフティング
尻別川下り
L宮畑M吉田加藤田澤
ー
’
相楽池田
L吉田M杉村加藤水上
座学も大事
亮杉村榎本深美相樂
素潜り
キャンプ
スラローム大事
池田田澤榎本相樂内田
イング
活動名
L宮畑M加藤亮杉村
認
豊平川下り
jl
5,13
4$
ひょうたん池ラフテ
|
ヘリオス見事なラップ
田澤相樂内田
∼25
|
樹液をゲット
相樂石川
’
’
5,12
ラフティング
すばらしい
國分榎本
火散布沼ソリ旅行
∼5,5
ラフティング
in桂沢湖
別寒辺牛川一
in上ハカイマップ川
尻別川下り
’
3,2∼4 L 吉 田 M . 加 藤 馬 場 山 田
山菜、魚、カタツムリ、
4,28
∼5
1llIH1IIIIIl0IIll01llll1lllIl
狭薄山一札幌岳
楽しかった
L國分M吉田榎本
山サバイバル
パドルを一本ひろう
M 寺 田 水 上 加 藤 亮 練習によし
杉村内田
羊蹄山
4,29
L 内 海 M 柴 福 元 山 田 石 川 春の山は最高
春山スキー
∼30
本田
W・
積丹素潜り
6,8
L岩本M藤井宮畑
透明度高し
函館で遊ぼう
6,7
L恕藤M國分馬場田澤
加藤骨折、打撲、顔面裂
釣り
∼9
勇払川下り
6,16
傷、心に重症
L榎本M相田田澤相樂
もっと場数を踏むべし
−−−−二二二一三
’
蝦蟇沢川
6,17
L宮畑M馬場吉原田澤
宗谷岬ツーリング
単調な沢でした
’
南暑寒岳登山
6,23
L馬場M宮畑池田
’
しい
創成川下り(下流)
8
,
8
L宮畑M田澤相樂
創成川制覇
郡上八幡お祭り
8,13
M沢田内海柴小林鈴木
踊りまくり
∼16
宗像山田加藤池田宮畑
8,13
L相樂M杉村石川益田小沼
返す
1
1
’
途中で酔っ払って引き
北海道の景色はすばら
L内田M本田
∼12
1
沢登り
8,8
百キロハイク
1
6,22
腹減りました
L本田
∼23
百キロハイク
6,23
L相楽
もう少しで男に・・・
L石川
うげ∼
∼22
I
!
百キロハイク
1.︲凸口.1日i,I︲1.111︲■01118Ⅱ9
搾取琴似川下り
6,27
7,5
L宮畑M馬場加藤亮
もういいや
乃 岾
’
│
桃内,白岩
L亮M相楽馬場
接待巣潜り白岩
石狩川下り
M榎本
一人ツーリングもおつ
なもの
千歳川
7,11
L水上M杉村宮畑
千歳たるいよ
インド北部旅行
楽しかった
M榎本
4 申
ガンジス川下り
8,29
M相樂
肩雪さ刀1J自ハノこ
‐
∼9,25
札幌観光
8,22
L宮畑M馬場
セイコーマートで昼寝
日本縦断ツーリング
8,26
M内田
自転車は良く壊れる。修
理技術が必要である
∼9,22
、
1
7,15
L水上M内海相田杉村
スカウティング大事
榎本
漁沢登り
7,15
白岩素潜り
7,18
L馬場M石川池田親方
L宮畑M馬場加藤深美”
絶景だな
ウニは食べ過ぎてはい
けない
7,25
L澤田M石川
L宮畑M柴相田馬場亮
L 山 田 M 吉 田 加 藤 田 澤 高 橋 川最高
歴舟川下り
9,8
ツーリング
∼9,9
赤岩クライミング
9,26
L植田M石川
やっぱ石川=原人
勇払越え2
9,25∼
L宮畑M田澤
石狩河口に到達。勇払越
9,
え完結
26
義経岩クライミング
10,4
L植田M宮畑
練習不足
滝野きのこ狩り
10,6
L園田M宮畑
サンショウウオゲット
石川=北京原人
m赤岩
7,27
I11llll
︲dⅡⅡq︲Ⅱ1勺別口2■ⅡIPIIII︲’1.101.1.1︲JP,jIIII︲.01.11
ラフティング
白岩素潜り
8,19
∼9,28
ラフティング
ビレイの練習
ウニはお盆までが食べ
L亮M馬場益田南波
ごろ
’
天人峡
8,14
、
’|
7
,
7
なかなかでした
茸はお店で収種
1
芦別川下り
’
L 水 上 M 内 海 柴 相 田 田 澤 やっぱりうっかり川で
8
,
4
L植田M宮畑
最高
千歳川
8
,
5
L相楽M杉村石川小沼
やっぱたるい
8
,
5
沢登り
∼6
L植田M藤井宮畑
歩きすぎ、しかし滑床に
満足
g
-
茨戸ラフト練習
10,7
L杉村M宮畑榎本
橋脚はいい練習台にな
る
余別川バカンス
10,8
L相田M馬場宮畑石川本田
サケの最盛期はもう少
し前だろう
尻別川下り
10,13
七梗索.M吉田杉村
レースに向けての練習
ラフティング
益田
クワウンナイ川
▼
YT而韓+塊間仰殿…Ⅱ
した
神居岩クライミング
ラフティング
10Ⅱ10.86ⅡJFl8J8BⅡ■︲﹄︲■■$且■■日L■LF寺
… 肝
7,29
榎本宮畑
ⅡIIIIIIⅡ!・・lIllllll■hfbBIq1llIIl9Pl︲11﹄Ⅱ111
11.ⅡIIIJIIJ研・IJI舐︲︲叩rIトⅡIrI︲’し川ⅡⅡ〆鵬脾いい評貼岬抑叩恥Ⅲ叩r昨ⅡⅡⅡⅢIIIfⅡIIr0fIIⅡII
加藤内田
1
|│
リーダーは責任を感じ
る
素潜りいいね
素潜り
1
新人接待川下り
1111画・■I■111110︲1111111
01101ⅡI■4.
′│
7,6
bⅡⅡPIjⅡlIIlllL4l1II︲llllIlllIhIⅡ11111トーllLblⅡ01144ⅡOEl4l4I1lIl61I1BⅡ0ⅡIIIIl卜︲IlI0llIlI■l1llllIH1ll1
I
NACラフトレース
10,14
チーム1(内海、吉田、細川、石川)
チーム1優勝、チーム2
チーム2(杉村、田澤、榎本、宮畑)
準優勝
参
一I
蝿■.咄
一
−11
宝探し
10,27
L 相 田 亮 吉 原 宮 畑 M 内 海 新歓活動だったが新人
福元水上山田園田加藤榎
無し
イグルーリペンジ
0
春香山バックカント 2,3
本池田相樂親方石川本田
余別川沢登り
レスキュー訓練
廃村ドライブ
10,28
11,3
11,10
鮭、サクラマスを見る
I
l
丸山バックカントリ
L 杉 村 宮 畑 M 内 海 吉 田 加 藤 今後に期待
榎本相樂石川本田
冬期キジ湖横断踏査
L 相 樂 M 馬 場 宮 畑 池 田 高 橋 軽く遭難しかける
小笠原帰化動物調査
11︲l1lIIIjIIIlljllIII■Ⅱ
L︲■I︲Id■凸Uq︲︲︲︲︲hlIII■010■Ⅱ9
L宮畑M紅林水上加藤石川
宮畑入院
朝里岳
11,23
L吉田M國分榎本相樂
雪が少ない。
冬期野外訓練
∼25
春香山山スキー
12,8
L吉田M榎本相樂
冬山リーダー養成
積丹岳山スキー
12,9
L馬場M杉村
ピークにいけるとよい
慰労会m幌加温泉
12,15
L榎本M内海福元相田吉田
水上山田吉原加藤杉村相
内海さんの装備大放出
,トヨ・I
11,11
IIIlII1Ul4I●Ⅱ1111
12,15
山スキー
I
春香山山スキー
.’ト・4■HPⅡ日IIIIIIIIqII’0bⅡ■︲図■0.III1lJ1IIII︲・・.・・・.00L■FII由111
ニセコ縦走
Ll
1
12,22
12,30
.
.
「
:.:
:
§
│
冬山リーダー養成
111︲I︲411JI
蔭
§
::.
#
i
’│
宮畑
3,29
M宮畑
自転車そり旅行
∼8
今井
余市川下り
1,4
M冨畑
朱鞠内湖
1,12
そり旅行
し百出M國分榎本相樂
∼14
宮畑
イグルー体験
1,18
L幽万M宮畑
1,19
そり旅行
∼20
藻岩山クマゲラ捜し
1,26
リの巣を発見
6,7
L小川M杉村
徳士別川川くだり
6,6
L宮畑M加藤中村榎本
後半つらい
L石川M相楽長谷川香本
虫つらい
弔:&‐
』
勇払川サバイバル
6,6
白岩素潜り
6,7
L宮畑M細川中村
I
白岩素潜り
6,8
L宮畑M小川中村長谷川
韓鱸燕
同じく冷たい
笠置馬場加藤
白水川沢登り
6,16
L相楽M馬場池田生田
|
楽しかった
白井川下り
なかなか進める。加藤川
6,17
うっかり楽しかった
1
幾春別川下り
ゴム手袋便利
6,22
1
L榎本M杉村佐藤生田
新人が大変
下出小川宮畑中村笠置
ロシア遠征プレ活動
長谷川渡慶次
歩行、耐寒訓練
M呂畑
L相田M中村笠置加藤
榎本
にはまる。
」J幽万M冨畑
100キロハイク
作成途中で断念
6
,
2
1
堀井棚瀬
うエーん
L石川M榎本申村杉村
スライダ−楽しい
∼23
ロシア遠征プレ企画
琴似発寒川
そり性能実験
沢登り
見つからず
白岩素潜り
ワ
6,29
渡慶次
6,29
b
l
l
L宮畑迩園薗催加藤(新人)
’
上
干司ニーーーーー詞三一&:ニム凸■凸十手.再号.
凸
I
I
I
恥
水温冷たい
I ロ
伊藤
’
一杯いっぱい
漁岳沢登り
香本
L相田M加藤榎本石川
ウトナイ湖勇払
オガサワラオオコウモ
2002年度活動記録
L吉田M宗像福元細川山田 ヘドランを付け下山
1,4
。
:
・
・
・
・
朧:
∼3,21
I
L吉田
浜頓別
1
ロ:■L■
L 吉 田 S L 國 分 M 榎 本 相 樂 全員笑顔で帰国
∼6,9
慰労会にあわせて
1
'
:
:
:
:
守
2,24
∼31
』
鴬
L相樂M内海福元馬場
∼6,7
L吉田M内海福元山田
榎本相樂本田
M部長相樂
新歓向きの山
2,11
噂
_
,
樂本田
西ヌプカウシヌブリ
スノーシューは新雪で
∼4,13
厚田川下り
∼16
L相樂M本田今井
−ボード
本田
ノ
リベンジ成功
はつらい
l
L宮畑M馬場親方
L宮畑M馬場榎本石川本田
リーボード
益田
1’
1,27
I
楽しい
一
‐
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
→
一
一
7
一
6,30
空知川下り
’
L水上M宮畑棚瀬山田
∼8
相田
山口洞窟大会
8
,
9
L 長 谷 川 M 香 本 本 田 笠 置 いろいろあったね
トカラ列島探索
∼30
1
香本
7
,
7
余市川下り
雨もまた乙ですな
L宮畑M中村山田榎本
小川
小川脱臼
社台川、インクラの 9,15
L相田M石川高橋生田
榎本
全員冷誇だった
滝ハイキング
中村柏野(生田友人)
7,12
L相楽M長谷川香本本田
洞窟いい
海
∼14
中村笠置
リパーレスキュー
7
,
2
0
L杉村M水上相田加藤
m落合
∼21
7,13
川沢登り
1
1
中頓別洞窟探検
;
漁川沢登り
1
7,27
1
1
群別川沢登り
7,26
9,16
美しい
星がとってもきれい
藤井岩本園田細川鶴田
宮畑
ツーリング北海道
9,20
馬場相楽榎本石川渡慶次
(釣り)
∼23
長谷川生田中村棚瀬香本
学生レスキユーク
9,28
リニック
∼29
岩手洞窟探検
経験つむべし
景色きれい
L澤田M馬場長谷川香本
渡慶次池田榎本
ノ
(途中参加)
L小川M馬場石川池田
ボンショカンベツ
みんなばか
9,7
歴舟川ばかツアー
暑かった
L水上M吉田榎本宮畑
P会
言”
L榎本M香本渡慶次
寒いてゆ−か寒い
9,20
L香本M長谷川中村相楽
水好きにはたまらん
∼25
石川生田本田
アライグマ討伐
1
,
1
8
L宮畑M馬場加藤香本
in野幌森林公園
∼19
笠置
塩谷丸山スキー
1,17
L馬場M香本本田
北大雪山スキー
2,1
L馬場M本田内海渡慶次
色々問題点あり
塩谷丸山スキー
2,14
L相楽M馬場
地図読みマス
春香山スキー
2,21
L馬場M香本(若)
今年一番のパウダー
千歳川下り
3,24
L石川M本田長谷川渡慶次
まとまった練習が必要
千歳川下り
3.29
L 本 田 M 石 j i l 長 谷 川 棚 瀬 終了後吹雪になる
北海道の沢だなあ
L澤田M宮畑
釣り新聞信じるな
L加藤M馬場田澤
誰必』
この間記録なし
’
I
|
’
千歳川川下り
石山ダート
7,26
7,28
L渡慶次M馬場長谷川棚瀬
L相田M堀井
暑い
重心がうまくとれなか
った
赤岩クライミング
穂別流送祭り
L宮畑M細川吉田馬場
加藤榎本相楽石川長谷川
7,28
渡慶次香本笠置澤田
、I
千歳川下り
楽しかった
長谷川ビテイコツ損傷
串
1
円山洞窟探検
8,4
円山洞窟探検
8
,
5
L石川M伊藤加藤(新人)
名コンビ誕生
天塩川川下り
8,5
杉村
クラゲ状のもの発見
’
1
1111卜
’
洞窟は確かにあった
へ'6
1
「
L長谷川M石川
千歳川下り
L相楽M谷口棚瀬寺田
8,25
ビールを飲みながら
IlI4l
I
笠置
Jウ
‐1
C●
L渡慶次M長谷川水上亮
8,1
近場でいい場所だ
。
体重減らすぞ
11
’
L澤田M植田堀井
7,29
若、トイレで寝る
寺 ■
次元
厚田川下り
3.31
L 本 田 M 石 川 長 谷 川 棚 瀬 寒くて膀胱炎になりそ
ー
つ
次元
子h・』
岩井(寺田友人)
P
釧路川ツーリング
℃》
9,2
L相楽M杉村加藤馬場
へ'4
棚瀬レミ(ゲスト)
もうイカね−
IO
帝
ー ‘ . , 一 一
一一一
一
干l︲←i1l︲
’
ケイコク洞(埼玉県
2003年度活動記録
幾春別川下り
1
幾春別川下り
メンバー
4.5∼6
L石川M次元本田長谷川
石川本田棚瀬
棚瀬相樂加藤
ツプする
L長谷川M香本次元加藤
北川初登場
4.12
背負子第一洞(富士
一言
ラ
’
6.4
同上
初の溶岩洞窟
樹海迷いそう
6.5
同上
洞窟練習施設あり
100キロハイク
6.20
L香本M北川板垣
若のザックが臭い
∼22
円山洞窟探検
6.22
L石川M長谷川谷本
たのしい涼しい
次元
不落の洞窟下見
6.21
L次元M長谷川本田
フネないと行けないね
L 長 谷 川 M 加 藤 本 田 石 川 石川ピンチ
棚瀬次元香本
琴似発寒沢登り
6.27
L本田
寒い天気悪い
不落の洞窟
6.29
L長谷川M相樂次元谷本
メチャクチャ楽しい
白水川沢登り
7.6
L香本M本田長谷川石川
薮漕ぎゴクイ
100キロハイク
7.4∼6
L生田M谷本
生田元気すぎ
’
ボンショカンペツ
7.20
L香本M本田次元
雪渓危ないよ
1’
沢登り
7.26
L 杉 村 M 馬 場 加 藤 園 田 鶴 蟹の素揚げうまい
L 本 田 M 加 藤 石 川 長 谷 川 水が多くて楽しいよ
4.19
凸
厚田川下り
ー
佐町)
L 長 谷 川 M 香 本 次 元 加 藤 川にいた鹿を食べたい
馬場本田棚瀬
4.13
パニック
の樹海)
竜が岩洞(静岡県引
。
生田北川相樂宮畑
幾春別川下り
同上
大滝村)
日時
活動
1
6.3
I
111
尻別川下り
’
4.20
歴舟川ツーリング
L加藤M石川次元本田
4.28
ノ
水綺麗
∼29
’
’’
1
ポルプロジェクト
5.2∼5
L長谷川M次元板垣香本
上磯
かつた
1
花見と魚釣り
1
1
板垣以外はみんな楽し
5.2∼5
1
L馬場M加藤D308号(本
加藤3キロ太る
I
11
名?)
円山洞窟地図つく
’
5.5
L有川M北川生田
井戸があって怖い
り
徳富川下り
5.14
静内川下り
5.10
L 加 藤 M 香 本 次元
%
長谷川
おフランスの船メッツ
生田ソフイア笠置
ラーに乗る
L石川M相樂北川谷本
ヒッチハイク楽しい
∼11
レスキュー訓練
5.17
∼18
L 本 田 M 馬 場 加 藤 長 谷 川 自主トレしろ!
沼田谷本相樂生田紅林
白岩
田長谷川小川板垣北川
白岩
5.24
∼25
知床海岸歩き
∼6.1
L仁I川M次元
→I
生田棚瀬澤田宮畑依田
相田
仏石山洞窟(埼玉
6.2
県大滝村)
香本長谷川
学生レスキュー
板垣流される
位位
5.28
生田本田北川水上
とつち−(澤田友人)
L 石 川 M 次元
生田香本長
8.14
8.26
∼29
L香本M板垣谷本(リタイア)
あらゆる意味で無理
L 石 川 M 香 本 次 元 小 川 生 いい経験
田棚瀬笠置
十勝川下り
8.29
L小川M香本次元棚瀬
大雪縦走
8.26
L本田Mフードツアイ・ターズ(本 本州の山と違ってまた
∼27
たのしい
釧路川ツーリング
谷川
アワビうまい
∼21
0
42
5
艇艇
役B
現○
リバベン
L加藤M馬塲長谷川板垣
L笠置M小川宮畑中村棚
瀬
石 川 香 本 次元
空知川下り
8.20
9.4∼6
泳ぎ練習しました
田友人)
よい
L次元
人生に妥協した男:次
元
i
l
F
一
1︲.凸守IIL
。︷
一
⋮...。﹄...m叩鐸零無的
・・.●●●●●弥蝿噌息為。
、
一
鱗繍蕊謹悪穂蕊錘邇
ザ■串
∼=、司一
lZ
tf
L小川M笠置棚獺生田
9.5
塩谷円山スキー
水少ない
1.17
L本田M相樂香本次元
パワーダウンした本田
はおもろい
厚田川下り
札幌岳山スキー
1.31
L香本M小川次元
ゴクイけどおもろい
計画失敗
桂沢湖公魚(ワカサ
2.7
L長谷川M加藤石川香本
リベンジする
もうやってられない
ギ)釣
榎本ずつとニヤニヤ
釧路川下りと柴さ
2.13
L次元M加藤長谷川板垣
次元はもっと人をまと
L 谷 口 M 加 藤 寺 田 香 本 谷 ヘリオス調子悪い
9.14
︲IL︲IIIIIIIIIl■■ⅡOII・I︲OblllllllⅢIIIIIllⅡ
’│
尻別川下り
口友人
琵琶湖湖上生活
L長谷川M次元棚瀬
9.16
∼23
歴舟川下り
10.12
∼13
L加藤M香本
吉田園田鶴
田石川榎本
モリザネかわ
ん家でご馳走にな
うそクラブ
ー
無意根山登山
ー
る活動
ー
L板垣M北川
10.11
めて欲しい
∼16
−
−
サロマ湖そり旅行
紅葉綺麗
2.27
L加藤M長谷川本田香本
∼12
中I卜
−
中頓別洞窟
10.11
’
−
谷本マリー
』
10.19
−
一
L 長 谷 川 M 本 田 次 元 棚 瀬 中頓別もまだまだ面白
∼13
茸狩
ー
ー
リーダーたくさんやった偉い人
い
一
L長谷川M棚瀬生田板垣
みんな疑心暗鬼
2001宮畑24回吉田
2002宮畑7回相樂
‐
ポルプロジェクト
10.25
平取
旭川で交通事故により
9回
5回
_
L長谷川M香本次元棚瀬
腐った飯は食べるな
2003長谷川11回石川
10回
∼26
秋のレスキュー訓
11.1
練と耐寒訓練
寒くない!
∼2
思いつきの春香山
11.8
コーヒー10缶飲んだ
登山
−
一一一一−一一一一一一一一一一一一一
ポルプロジェクト
一
11.15
日高幌別
雨降って増水
∼16
ビーコン訓練
11.16
チトニカウシ山ス
11.12
電波で混乱
当別で交通事故により
キー
中止
−
慰労会in五色温泉
12.13
酔いすぎ
∼14
−
春香山スキー
1.10
すべるの一番楽しい
’
一
−
1.16
雄大な景色に感動
−
一一一一ー一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
I
S
l
叫
一一一画=−−−−===
最後に石狩川河口に出るっていうのがあってん」
アイヌ民族交易路を行く
’
’
’|
∼俺のもかい
「お互いゴクいな」
|
「ははははははははははははははは」
’|
「ひつひつひつひつひつひつひつひ」
年
の
と
き
の
活
動
で
あ
る
。
ま
だ
ま
だ
面
白
い
こ
と
は
た
く
さ
ん
あ
る
が
、
こ
の
類
の
活
動
は
最
近
あ
ま
り
な
い
の
で
皆
に
伝
え
よ
う
と
思
う
。
探
検
部
に
入
っ
て
間
も
な
い
人
な
ど
に
と
っ
て
は
分
か
ら
な
い
人
ば
か
り
出
て
く
る
か
も
し
れ
な
い
け
れ
ど
、
こ
の
通
り
の
人
た
ち
で
あ
る
。
各
自
想
像
す
れ
ば
み
ん
な
同
じ
人
物
像
に
行
き
当
た
る
と
思
う
。
抵
抗
を
感
じ
ず
に
読んでみてほしい。では少し長くなる探検話を始めよう。
「船は何で行くの?」
「石狩丸、あと宮畑の船」
宮畑周平
探検部員というものは本当にろくなことをしない。みんなもそう思うだる?全国どこの探検部もきっと
そうさ・ふと思い立ったことに時間と金をかけ、最終的には親を泣かせる。そんなもんさ。みんなは探検
部
に
入
っ
て
ど
ん
な
活
動
を
し
た
だ
ろ
う
か
?
ど
ん
な
こ
と
を
し
て
遊
ん
だ
だ
ろ
う
か
?
こ
れ
か
ら
書
く
の
は
僕
が
大
学
二
∼そんな具体的なの初めて聞いたし、夏じゃなかったつけか?
二人とも笑ってやがる。なぜか部長も笑ってやがる。そうか、こいつらマゾなんだ。相田さんも今は酔っ
払っているから明日になれば忘れているさ、きっと。笑っとけ笑っとけ。
「ははははははははははははははははははははははひっひっひっひっひつひつひっひつ、あはははははは
I
ははははははははは」
’
1
宴の夜はふけていった。
1
’
PARTOアイヌ民族の交易路を・・・
I
ノ
「
ね
ぇ
宮
畑
、
今
年
の
夏
に
で
も
ア
イ
ヌ
の
交
易
路
を
た
ど
っ
て
み
な
い
?
」
PART1勇払より
春
先
、
二
人
で
札
幌
市
郊
外
の
真
駒
内
川
を
下
っ
て
い
る
時
、
相
田
さ
ん
が
突
然
言
い
出
し
た
。
そ
の
直
前
に
堰
堤
を
ま
く
た
め
3
メ
ー
ト
ル
く
ら
い
の
高
さ
か
ら
船
に
ダ
イ
ブ
し
た
か
ら
だ
ろ
う
か
、
二
人
と
も
軽
い
興
奮
で
何
か
お
か
し
く
な
っ
て
い
た
。
夏
の
予
定
も
特
に
な
い
。
そ
れ
に
北
海
道
民
た
る
も
の
、
ア
イ
ヌ
民
族
の
文
化
に
触
れ
る
こ
と
は
悠
久
の
大
儀
で
は
’
2001年5月1日、僕はすでに勇払にいた。勇払川河口に向かい30キロはあろうかというザックを
背負って歩いていた。隣でもっと重そうなザックを背負った相田さんが歩いていた。
「いやあ、いい拾い物したねえ、柔ちゃん」
ないかなどと妙なものにかられていた。
|
|
l
’
l
’
l
相田さんが少し後ろを歩いていた柔ちゃんに話しかけた。柔ちゃんはこの計画が部会で発表されるなり食
「いいっスねえ、行きますか」
僕は二つ返事でOKしていた。
そ
れ
か
ら
約
一
週
間
後
の
飲
み
会
、
例
の
ご
と
く
相
田
さ
ん
と
吉
田
さ
ん
が
語
り
合
っ
て
い
た
。
探
検
部
員
は
人
よ
り
面
白
い
活
動
を
し
た
が
る
た
め
人
が
ど
ん
な
活
動
を
考
え
て
い
る
か
探
り
あ
う
。
そ
し
て
酔
い
が
回
っ
て
く
る
と
探
検
と
は
何
かという結総のでない議鎗へと展開していく。
「相田、ゴールデンウイーク何すんの?」
「今年はプンプンと部長と食サバイバル」
∼それはすごいですな、行きたかねえけど
∼そりやあ絶対ごめんだ、今年はほかの活動に行こう。
「あ、そうだ。地図忘れちゃったんだよねえ。だからどこに勇払川があるか分からないんだよ。ひつひつ
船を引いて川を遡れそうだ。
「で、相田は?」
『とりあえず、海に出ますか。」
「僕は宮畑とアイヌの交易路をたどる」
罠...!
初めてリーダーらしいことを言う相田さん。いよいよ活動の始まりだ。ああ雄大な太平洋。僕たちはこれ
∼はい?
『
昔
の
交
易
路
で
勇
払
川
か
ら
ウ
ト
ナ
イ
湖
ま
で
船
を
引
い
て
遡
っ
て
、
そ
れ
か
ら
美
々
川
を
遡
っ
て
、
千
歳
川
を
下
っ
て
、
〃
=
ー,
’
勇払駅前からほど近い積れたすし屋で無理やり見つけた鍋と湯のみだった。
実はそこはあと200メートルも歩けば勇払川が見える場所だった。
店を出てすぐに勇払の河口近くについた。まず川岸に出るため軽いやぷ漕ぎを始める。とつばじめから
やぷ漕ぎだ。でもススキだからまだ楽なもんさ。河口のせいもあったが流れはとても緩やかだ。これなら
「
え
っ
、
プ
ン
プ
ン
も
来
る
の
?
じ
ゃ
あ
道
南
で
や
る
の
?
」
「
い
や
黄
金
ヶ
原
あ
た
り
に
こ
も
っ
て
魚
も
獣
も
全
部
現
地
調
達
」
「
|
思い出したかのように相田さんが言った。どうやらこの人はとことん何かを狂わせたいらしい。しょうが
ない、近くのコンビニに道を聞きに入る。なかなか親切な店員だったがやっぱり不信感を漂わせていた。
そうだろうな、自分の店の入り口前でわけのわからないでっかい荷物を置いてジャージ姿のむさい奴らが
入ってきてんだもんな。ゴメンネゴメンネ。申し訳程度に一番安い歯ブラシを買ってそそくさと店を出た。
「吉田は?」
、
|
ひつひつひつひj
∼おっ、始まったか。
I
いついてきた。背中にザック、右手に湯のみ、左手にすき焼き鍋を持ちホクホク顔で歩いていた。交易路
をたどるくらいだから何か交易品があったほうがいいよという無責任な部員たちからの意見があったため、
から日本海へ出るための旅に出る。柔ちゃんと相田さんがテトラポッドに座って遠くを眺めている。なん
かいいぞ、格好いいぞ。僕もそこへ行こうと歩いていくと犬の臓乱死体があった。それから五分ほど三人
〃
一
一Fデー=一一一・・一。−−−−…--.字‘一 一一----.一-一一一−=一一F一一一一−
T
‐ ー
一 −
脛F一一一一一一一−−−−
I
’
1
’
ともテトラポッドの上で遠い目をしていた。
き始めた。
←
リーダーが言った。午後一時出発である。
飲み会で相田さんが言った通り、今回の活動はアイヌ民族がかつて使っていた交易路を彼らが昔やって
いたようなやり方でもう一度たどる、というものだ。基本的に彼らはたくさんの交易品を一度に運ぶため、
船にそれらを積み水上をひきながら移動していた。したがって彼らの交易路をたどることは必然的に川を
上ったり下ったりの半身びしよぬれ生活が約束されたことを意味する。ただアイヌ人達と異なるのは彼ら
I|
’
の船が木製のイカダだったことに対し、われら相田探検隊がインフレータブルカヤックであること、そし
てこの活動が終わっても僕らに物質的な利益は何もないだろうということだ。
’
詳
し
い
行
程
は
ま
ず
苫
小
牧
の
西
を
流
れ
る
勇
払
川
を
河
口
か
ら
8
キ
ロ
遡
り
ウ
ト
ナ
イ
湖
へ
。
さ
ら
に
こ
こ
で
美
々
川
に
進
路
を
と
り
再
び
遡
る
。
す
る
と
お
よ
そ
1
0
キ
ロ
で
今
度
は
千
歳
湖
に
出
る
。
そ
の
後
今
度
は
陸
路
を
歩
き
約
5
キ
ロ
を
北上し千歳川を目指す。こうして千歳川に出たら船を出して下る。千歳川はやがて石狩川へと注ぎ、石狩
1
1
1’
11
川を下りきると日本海にたどり着く、というものである。
I
1111111トー11
・・■J111.1
IllllII
ザ
イ
ル
が
ひ
っ
か
か
っ
て
し
ま
う
。
対
岸
に
渉
っ
て
し
ば
ら
く
歩
い
て
い
る
と
怪
し
い
お
じ
さ
ん
が
い
て
僕
た
ち
の
ほ
う
を
じっと見ていた。
Ⅱ111ifIJI・IrrIIIIIIIIIJI1.JⅡIIIIIf.︲1.11F−.r・IfI
I
|
I
PART2千歳を目指して
朝八時に起床。活動にしては遅い目覚めだ。昨日あれから細川さんが現れ、相田さfノと焚き火を囲んで
り小屋のような所を何度か過ぎ一心不乱に歩き続ける。と、ぬかるみの中先行していた僕の視界が急に開
後ろから来る相田さんと柔ちゃんに叫んで教える。ウトナイ湖のアウトレットで、しばらく三人で横にな
って休憩した。時刻はちょうど正午。遡上距離は二キロ。時速で考えるといかに遡上が面倒なものだった
かが想像できるだろう。新千歳空港が近いので飛行機が何度も頭上を行く。,‘
’
’
1
l
ここで終わればきれいな活動になるが、やはり探検部だった。
交易時代ならお構いなしにえいやっと船を漕いでいけるのだが、ウトナイ湖は現在、鳥類保識のためカ
l
ヌーの乗り入れが禁止されている。
「どうしようか」
相田さんが言う。どうしようもこうしようもないではないか。船の乗り入れが禁止されている以上、船を
たたんでザックに入れて歩くしかない。しかし直線距離で約二キロ、ぬかるみの中を薮こぎで進むのか?
しかもぬれた船を入れることでザックの重さはゆうに30キロを越すだろう。
三人は無言でうなずく。これしか方法はない。
「乗ってないですよね?」
「うん、乗ってない」
お
じ
さ
ん
が
聞
い
て
き
た
。
こ
っ
ち
か
ら
す
る
と
こ
ん
な
ド
プ
川
で
あ
ん
た
こ
そ
何
し
て
ん
だ
と
言
い
た
か
っ
た
が
、
相
田
さ
ん
が
持
ち
前
の
社
交
性
を
発
揮
し
て
お
じ
さ
ん
と
会
話
を
進
め
だ
し
て
い
た
。
ど
う
や
ら
ウ
ト
ナ
イ
湖
に
行
く
た
め
に
は
こ
の
進
路
で
い
い
の
か
を
聞
き
た
い
ら
し
い
。
お
じ
さ
ん
は
ウ
ト
ナ
イ
湖
へ
は
こ
ち
ら
を
ま
っ
す
ぐ
遡
れ
ば
い
い
こ
と
と
、
二
股
の
逆
側
を
行
っ
て
い
た
ら
す
ぐ
に
行
き
止
ま
り
に
な
っ
て
い
た
こ
と
を
教
え
て
く
れ
た
。
行
っ
て
い
る
方
向
が
正
し
い
二
時
間
ほ
ど
歩
く
と
い
よ
い
よ
流
れ
が
ほ
と
ん
ど
な
く
な
り
岸
辺
に
も
立
派
な
木
が
せ
り
出
し
始
め
た
の
で
、
ザ
イ
ル
で
船
を
引
く
の
を
や
め
、
−
人
が
石
狩
丸
を
漕
ぎ
な
が
ら
ナ
タ
リ
ー
を
牽
引
し
二
人
が
岸
辺
を
歩
く
と
い
う
隊
列
を
組
ん
で
歩
ノク
▼
た。下流のほうから歌声と共に相田さんが現れたのは午後六時であった。
「ウトナイ湖にでたぞ」
「何してんだおめえら、どこまで行くんだ。」
ことが分かったので三人ともテンションが上がってきた。
I
午後五時二十分、岸辺を先行していたぼくと柔ちゃんがこの日のテン場である国道235号線下に到着し
けた。ウトナイ湖である。このときはさすがに感動してしまった。
lllll︲I1Illllllfll1l
01ⅡJ1ⅡJ・F■J■・J0IⅡIⅡfⅡI
だ
ん
だ
ん
や
ぶ
漕
ぎ
も
激
し
く
な
っ
て
く
る
。
最
初
は
葦
だ
っ
た
の
が
今
で
は
低
木
が
所
々
に
立
っ
て
い
て
そ
の
た
び
に
上していた。ときどき白鳥がだるそうな表情で僕らを避けていく‘楽しみゼロの最悪の活動だ。
九時四十分に遡上を開始。昨日と同様ドプ川歩きだが、昨日よりも歩きづらい場所が増えている。鯉釣
第
三
石
狩
丸
と
僕
の
愛
艇
、
ナ
タ
リ
ー
を
膨
ら
ま
せ
荷
物
を
額
み
込
む
。
三
人
分
の
ザ
ッ
ク
や
荷
物
な
ど
は
簡
単
に
稲
み
込
む
こ
と
が
で
き
た
。
船
に
二
人
が
乗
り
込
み
そ
れ
を
−
人
が
引
っ
張
る
と
い
う
隊
列
を
組
ん
だ
。
最
初
に
歩
く
の
が
相
田
さ
ん
と
な
り
、
相
田
さ
ん
は
腰
に
テ
ー
プ
シ
ユ
リ
ン
ケ
を
つ
け
1
0
メ
ー
ト
ル
の
ザ
イ
ル
の
切
れ
端
を
縛
り
付
け
船
を
引
っ
張
僕
が
船
頭
に
な
っ
て
相
田
さ
ん
と
柔
ち
ゃ
ん
を
対
岸
に
運
ん
だ
。
さ
す
が
に
相
田
さ
ん
も
地
図
を
忘
れ
た
こ
と
を
後
悔
し
始めたらしく、まいった、まいったと言っている。
ブ水が豪勢に浸水してくる。相田さんは交易品であるはずのすき焼き鍋で船内の水をすくい出しながら遡
I
り
始
め
る
。
傍
目
か
ら
見
た
ら
ま
る
で
奴
隷
だ
ろ
う
。
見
た
目
よ
り
も
簡
単
に
船
を
引
っ
張
れ
る
ら
し
く
、
普
通
に
歩
く
速
度とほぼ変わらない速さで進んでいけた。
I
岸には大きなごみ処理場のようなものが見える。さらに悪いことに相田さんの石狩丸に穴があいておりド
グしている。柔ちゃんも黙々と船に空気を入れなおしていた。まったく化け物達め。
l
し
ば
ら
く
歩
い
て
い
く
と
川
が
二
股
に
分
か
れ
て
い
た
。
僕
た
ち
は
地
図
を
持
っ
て
い
な
か
っ
た
の
で
ど
ち
ら
に
行
っ
て
い
い
の
か
分
か
ら
な
い
。
や
は
り
こ
こ
は
リ
ー
ダ
ー
に
頼
る
べ
き
か
、
僕
と
柔
ち
ゃ
ん
の
視
線
が
相
田
さ
ん
に
注
が
れ
る
。
「
ま
た
ひ
と
つ
に
戻
る
よ
き
つ
と
。
で
も
せ
っ
か
く
船
が
あ
る
ん
だ
か
ら
対
岸
に
渡
っ
て
み
よ
う
か
」
「・・・・.。」
上流に進むにつれていよいよ勇払川もドブ川の様相を呈してくる。水面にはオレンジ色の膜が張り、左
話していたが、僕は疲れて早々に寝てしまっていた。相田さんは朝から鼻歌を歌いながら早くもパッキン
l
まず、最初の目的地はウトナイ湖である。
ノ
qIIIⅡⅡⅡp6DU9Il98H■ⅡIlI00fILPI1I0I1lIIlIl1lII01I4q0f0l卜L0Iトー1111日lIII1IlIlI1l01Irl1jiⅡ11110Ⅱ11ⅡⅡ010ⅡIJO■ⅡⅡI■,LⅡⅡIⅡlⅡⅡⅡj︲
「・・・行こうか」
結局、船を引っ張りながら湖を歩いていくことにした。直線で行くとあまりに目立ちすぎるので西に大
きく回りこむルートを取った。これでも湖の中はかなりぬかるみ大変だ。船入りザックを背負っていたら
|
’
とんでもないことになっただろう。
ちょうど白鳥が営巣している時期だったらしく、催らが露いていくと巣をほったらかしにして沖へ逃げ
ていく。目をそらしているが、本当に迷惑だというのが白鳥なのに分かってしまった。ゴメンネゴメンネ
といいながら国道へ近づく。
午後二時過ぎにウトナイ湖駐車場へ到着した。ここから本来は美々川を遡る予定であるが、時間と体力
/
を
IJI
=..「 "−− =
一‐.一 . 一 − −−一 一−−一−−− …−− −.−−−
一.一−
1
-
T
‐ 一一._.
−
−
−
辱
一
-
−
」rアー
が嫌だと言っていた。
PAR'I,4大学生に戻る
「ここから千歳湖まで歩こう。美々川は川幅が狭い所もあるし、多分遡るのは難しいから」
英断です、相田さん。俺達は彼らが船で行っただろう湖を歩いたんだからどっこいどっこいつスよ・心の
時間交代で偵察をする。千歳川の流れが遅いため、そして僕らにあまり漕ぐ気がないため船の進みは遅い。
中でリーダーに言う。
しかし前三日がハードだったため、すでに心は「のんびり行こうぜ」状態であった。相田さんの鼻歌もい
船をたたみザックの中へ。歩くのを喜んでも結局ザックが重いのだからつらいことには変わりない。パ
ッキングは以下のようにした。−番大きな石狩丸を相田さんのザックに、ナタリーをぼくのザックに入れ
最終日。朝八時より石狩湾を目指す。しかしどうやら途中でいったん札幌に帰ることになりそうだ。一
’
|
ノ
いえない。橋で船を片付けている時に相田さんに聞いてみた。
非常用パックに加えてウエツトスーツにライフジャケット、ヘルメットなどが加わる。100リッ│、ルザツ
「相田さん、第二回目はいつやりますか?」
クがパンパンになり、その上ザックのいたるところに外付けをするありさまだった。
午後四時半、ウトナイ湖を出発。ザックの横にパドル三本をつけ、パーカーの帽子をかぶり弁慶のよう
になった柔ちゃんがなぜか「そりつぴきの歌」を歌い始めた。皆病んできている。
ここからテン場まではあまり覚えていない。とにかく歩いたという思いがある。実際は13キロ程度だっ
「えっ?俺やんないよ。昔、石狩川下ってるし。あそこ河口で川が逆流するんだよね。おまえ達に任せる
たが、本当に荷物が重かったのでテン場に着いた時には午後九時を過ぎていた。テン場は千歳科学技術大
’
行く活動である。あとはいつ第二次交易を行うかである。やはり石狩河口に出ないとこの活動は終了とは
申■■F1I上11“61111111JⅡ11■■■可1111日l■JII■IⅡ1日Ⅱ1.01
I
川を下る、下る、下る。18キロ下って千歳川橋に到着。今回の活動はこの橋で終了である。一応満足の
I
る。相田さんのザックにはそれ以上何も入らなくなるので残りの共同装備を柔ちゃんと僕のザックに割り
振る。パドル三本、テント、火器、ふいご、スローバッグ、鍋やお盆。個人装備にはいつものお泊り道具や
|
つしか発声練習に変わっていた。
’
学敷地内にした。
よ。老兵はただ去るのみですよ。ひつひつひつひつひっひつ」
バスと電車を乗り継ぎ僕らは平成の大学生に戻った。第一回アイヌ交易路行は終了した。
@L
ぼくらがこのように四日間アイヌ民族の真似事をしていた間、食サバイバルに言った面々である吉田、
部長は毎晩毎晩星空に向かって寮歌を叫び、プンプンこと國分は半ば狂ってしまい木の枝から御神体を作
成していたらしい。そして三人とも自分達の活動がぼくらの活動よりもつらいと話あっていたらしい。
PART3川は下るためのもの
’
I
jIlIlJ︲0lIIjl1lIJllIIllJllIl0lrlIIpI■rlIl−IIllDIIIl
ilIill
|
この日も朝八時に起床。ザックを長時間背負っていたために肩が張っていた。千歳科学技術大敷地内か
ら千歳湖へ。本来ならば美々川を遡って千歳湖に着く予定だったので一応見ておこうね、という相田さん
の意見だった。
千
歳
湖
を
見
た
後
は
ま
た
ザ
ッ
ク
を
背
負
っ
て
国
道
を
歩
く
。
疲
れ
が
た
ま
っ
て
き
て
い
る
の
か
ザ
ッ
ク
が
や
け
に
重
く
感
じ
る
。
千
歳
ま
で
約
4
キ
ロ
。
そ
ん
な
に
遠
い
距
離
で
は
な
い
。
こ
の
あ
た
り
か
ら
三
人
と
も
食
サ
バ
イ
バ
ル
を
し
て
い
llIllI︲1111111︲llllrI“11l■I
る
は
ず
の
メ
ン
バ
ー
と
自
分
達
の
活
動
の
つ
ら
さ
を
較
べ
る
よ
う
に
な
っ
て
い
た
。
探
検
部
は
つ
ら
い
こ
と
に
美
学
を
見
出
雷哩琵"蔵を持っていること、自分にもその傾向があるこ塁巍霊し忌早震三毒{患帝
内
第
二
千
歳
橋
に
到
着
し
た
。
橋
の
下
に
荷
物
を
隠
し
食
料
買
い
足
し
と
昼
食
を
と
る
。
橋
の
す
ぐ
近
く
に
昭
和
初
期
か
ら
そこにあるような怪しい食堂を発見した。
「ひつひつひつひつひつひつひ、ここいいじゃん入ろう」
や
っ
ぱ
り
ね
。
相
田
さ
ん
は
迷
わ
ず
食
堂
に
入
っ
て
い
っ
た
。
味
は
あ
え
て
書
か
な
い
。
’
やはり探検部員というものはろくなことをしない。みんなもそう思うだる?
午
後
四
時
半
、
川
下
り
を
開
始
し
た
。
一
人
が
川
岸
を
歩
き
、
障
害
物
が
あ
る
か
な
ど
の
偵
察
。
残
り
二
人
は
船
に
乗
り
込
み
、
ナ
タ
リ
ー
に
乗
っ
た
も
の
が
推
進
力
と
な
っ
て
石
狩
丸
を
引
っ
張
る
と
い
う
隊
列
を
組
ん
だ
。
偵
察
は
相
田
さ
ん
、
ナ
タ
リ
ー
に
は
僕
が
乗
り
込
ん
だ
。
最
初
の
イ
ン
デ
ィ
ア
ン
水
車
を
越
え
た
あ
と
は
も
う
海
ま
で
下
る
だ
け
だ
と
い
う
安
心
感から自然と探検ソングを歌いだしてしまう。
「川は下るためのものですなあ」
柔
ち
ゃ
ん
が
石
狩
丸
か
ら
気
持
ち
よ
さ
そ
う
に
話
し
か
け
て
く
る
。
こ
の
日
は
ヘ
ッ
ド
ラ
ン
プ
を
つ
け
午
後
八
時
ま
で
川
く
だりを続けた。夜の川下りもおつなものである。
〃
γ
之
必
・JJ
rlI
ⅡIrlf
▼
_------÷-'--.--言二二ー一ご■u孝司
I
長谷川航
北海道には洞窟が少ない。といわれてきました。そのためケイビング人口は皆無
です。でも広い北海道、まだまだ知られていない洞窟があるはずです。そんな洞窟を探す
、
①
111
︲IlIjII0lIIIIII114︲’f7Il9l︲lllllIjld.︲jⅡ︲1Ⅱり010︲、。可9,0,10j0●’i1︲lL01l0l’’10’10110’’11111︲I41llIIIIlII8III1l←111
I
PORUPrOjectの概要と報告
のがこのプロジェクトの目的です。ちなみにPORUはアイヌ語で洞窟を意味します。
洞窟のはっきりとした定義はありません。諸外国でも二メートル以上とか、5メートル
llllIll41
以上であるとかばらばらです。洞窟には、主に石灰洞と火山洞があり、石灰洞は、石灰岩
と雨水との反応によってできた地中の空間で、鍾乳石などの二次性生物が発達す
る一般的な洞窟です。火山洞は溶岩が冷え固まったときにできる地中の空間です。他に波
の侵蝕によってできる海蝕洞というのがありますが、洞窟として扱わないのが一般的なよ
うです。
ノ
I
’
〃
前述の通り、洞窟は石灰岩地帯や火山地帯に多く分布します。石灰岩地帯や火山地帯は
その特徴的な地形を知っていれば地形図を見れば見つけることができます。特に石灰洞は、
4基
上磯地域上磯町の浅朗鉱山は北海道最大の石灰岩鉱山。莪朗鉱山の層厚(地
層の厚み)は推定500M以上。
島牧地域泊川支流のガロ沢川下流付近及びヒヤミズ沢川、カモイ沢、大平
川中流、今金町後志利別川上流に分布。
’
浦河一様似地域日高累層群中の石灰岩。浦河町ムコロベツ、様似町新富に石灰岩
鉱山があった。
南富良野地域南富良野町鹿越、東鹿越に鉱山があった。上下2層の石灰岩帯か
らなる。
興部一士別地域西興部村上興部鉱山と士別市上士別鉱山(閉山)に石灰岩鉱床あ
り
。
中頓別地域中頓別鍾乳洞。
常呂帯北部仁頃層群中に石灰岩。北見市北見石灰鉱山、上常呂鉱山、訓子府
今年度は計三回の調査を行いました。
dlq︲111︲︲︲j1II0十I0IIllLlIp伽111
︲I︲■11.01lb■・I・’十・・・’’181,.80・・・・︲111■■■■■。■日日ⅡⅡⅡ8■屯1日ⅡⅡ11日■■lⅡ■11
水が流れることによって形成されるため、沢の頂端部に開口していることが多いようです。
また、北海道は鉱山調査のため全地域の5万分の1の地質図が発行されているのでそれも
有効な手がかりとなるでしょう。地質図は北大の北にある道立の地質調査所で貸し出し
ています。道内の主な石灰岩地帯を図にすると以下のようになります。
↓
□
、ロ
i
第一回
上磯町
釜の仙境
第二回
平取町
岩知志
第三回
浦河町
日高幌別川上流
この中で第一回のみ洞窟を発見することができました。実は、40年ほど前に北大探検部
が調査したとの新聞記事や東京農大の探検部が調査したという話があり、あることが確
実だったからなのですが…。去年日本洞窟学会の大会に参加したときの話では、道南に
「釜の冷水窟」という洞窟があるらしいが詳しくはわからないということでした。
今回は第一回調査の報告を書きます。
活動期間は2003年5月2日から5日までの4日間。活動場所は渡島管内上磯町の巍
朗(がろう)鉱山を中心とする地区(ガロの沢、釜の仙境)で、メンバーは長谷川、若、
次元、コッキー(板垣)の四人。ここからは報告書モードで少し硬い文章で書きます。
町訓子府鉱山あり。
1,調査地域の概要
イ
.dもロ,.・空←:、
上磯町は、北海道の南西部に位置、南東部は道南の中心都市函館市、西部は木古
内町に接し北部は大野町・七飯町と桧山管内厚沢部町、南部は函館湾に面している。
莪朗地区は上磯の市街から10キロほど内陸へ入ったところにある。周辺の戸切地
’
、
旦
!
Z》
一 一 一 一 一 一 ■ 一 一 = 一 一 一 マ ー ー ー ー
’
li
’
’
2,調査結果
111J■且
①
駐
車
場
か
ら
ま
ず
は
釜
の
仙
境
と
書
い
て
あ
る
矢
印
の
方
へ
進
む
。
途
中
道
が
消
え
て
い
る
と
こ
ろ
も
あ
る
の
で
注
意
。
1
5
0
M
程
降
り
る
と
川
岸
に
到
着
す
る
。
こ
こ
で
す
ぐ
に
対
/
岸
に
洞
口
が
見
え
る
。
(
仮
に
釜
の
第
一
洞
と
す
る
(
以
下
同
じ
)
)
第
一
洞
は
東
方
向
に
斜
め
上
に
向
か
っ
て
5
M
ほ
ど
で
終
わ
る
。
川
沿
い
に
上
っ
て
い
く
と
無
数
に
洞
口
ら
し
き
穴
が
あ
る
が
人
が
入
れ
な
い
か
、
は
い
れ
て
も
1
M
ほ
ど
で
終
わ
っ
て
い
る
。
す
ぐ
に
倒
木
が
川
を
横
切
っ
て
い
る
場
所
が
あ
り
、
そ
こ
か
ら
両
岸
が
壁
に
な
っ
て
い
る
。
そ
の
左
岸
側
の
︲111Ⅱ0111.1111h日■qll
I
’
’
5月3日釜の仙境入り口から釜の仙境沢川合流まで
8
M
ほ
ど
上
方
に
第
二
洞
が
開
口
し
て
い
る
。
こ
こ
は
ほ
ぼ
垂
直
に
7
M
ほ
ど
続
い
て
終
わ
る
。
最
奥
部
は
水
平
に
な
っ
て
い
る
。
さ
ら
に
川
を
上
る
と
今
度
は
右
岸
側
に
内
部
に
人
が
入
れ
る
ほ
ど
の
大
き
な
ク
ラ
ッ
ク
が
あ
り
、
そ
こ
を
越
え
る
と
同
じ
く
右
岸
側
に
第
三
洞
が
あ
る
。
こ
こ
は
水
面
か
ら
が
け
を
4
M
ほ
ど
登
っ
た
と
こ
ろ
に
開
口
し
て
い
て
足
場
が
悪
く
ま
た
落
石
の
危
険
も
大
き
い
の
で
注
意
。
入
洞
す
る
場
合
は
一
人
哉
つ
に
す
べ
き
で
あ
る
。
第
三
洞
は
斜
め
上
方
に
1
2
M
ほ
ど
続
い
て
い
る
。
洞
内
に
は
二
次
生
成
物
と
し
て
洞
窟
珊
瑚
が
小
規
模
な
が
ら
存
在
し
て
い
る
。
さ
ら
に
上
っ
て
小
さ
な
落
ち
込
み
を
過
ぎ
る
と
、
右
岸
川
2
0
M
ほ
ど
上
方
に
二
つ
洞
口
が
見
え
る
。
上
流
側
の
穴
は
昭
和
3
8
年
に
北
大
探
検
部
が
民
俗
学
的
見
地
か
ら
調
査
し
た
戸
切
地
川
2
号
洞
窟
と
思
わ
れ
る
が
、
川
か
ら
2
0
M
ほ
’
②
この日は駐車場から遊びの広場の矢印の方へ降りる。遊びの広場はすでに自
然に還っている。ここから下流側に下り、昨日とは反対側から釜の仙境沢の合
流点を目指す。しばらく行くと右岸側に大きな洞口と出水がある。これが釜の
冷水屈であると思われる。洞口は三ケ所あり、二ケ所は地面からアクセスでき
る。もうひとつは崖の中腹に開いている。そのほかに出水口が二つあり、結構
な量の出水がある。洞内は中央の洞口を入るとまず二手に別れ、右側に行くと
他の二つの洞口へと続いている。左側は葡萄前進しなければならない細い穴が
3Mほど続いた後小規模な滝のあるホールに出る。ここから水流の中を進み10
Mほど行った後、斜めに6Mほど登って終わる。水流が少なくなれば登る前の
右側の道を進めるかもしれない。そのほか支洞も多く存在する。-水流が多いた
め二次性生物が発達し、特にカーテンは多く見られる。しかし洞口に近いため
か色はあまり綺麗でない。ここが今回の調査では最大規模の洞窟であった。冷
水窟の先は岩陰が多く洞口と見間違いやすい。この先は結局洞窟は存在しなか
った。釜の仙境沢川は戸切地川に合流する際、落差’0メートルほどの滝を作
っているが、水流はなかった。右側に高巻き用にロープがあるがアンカーが非
常に不安定なのと、明らかにホームセンターで売っているようなビニール製の
ロープのため使えなかった。技術不足のため越えられなかったが、釜の仙境沢川
︲,l︲,︲卜値︲・︲︲111︲︲!﹄,︲、l︲︲●llIlII1lⅦ’21︲1.’︲●llIlIll,︲’’’’’11,1︲L1,h︲’1,︲︲LI︲I’︲11︲●10︲911111111︲10111.︲︲!︲l︲︲︲︲11︲11︲11,1︲llIb
ア
ク
セ
ス
す
る
林
道
が
未
整
備
の
た
め
訪
れ
る
人
は
山
菜
取
り
と
渓
流
釣
り
が
ほ
と
ん
ど
で
あ
る
。
他
に
戸
切
地
川
上
流
台
水
ノ
沢
川
付
近
に
も
石
灰
岩
帯
が
存
在
す
る
が
小
規
模
な
た
め
洞
窟
は
な
いと思われる。
発達した鍾乳石によって滑らかになってはいなかった。
111
川、釜ノ仙境沢川、ガロの沢に囲まれた地域はすべて石灰岩でできており、道内最
大
の
石
灰
岩
帯
と
な
っ
て
い
る
。
ガ
ロ
の
沢
に
は
日
本
最
大
規
模
の
太
平
洋
セ
メ
ン
ト
(
株
)
巍
朗
鉱
山
が
あ
り
、
こ
こ
で
取
れ
た
石
灰
石
を
原
料
に
上
磯
市
街
に
あ
る
工
場
で
は
年
間
4
0
0
万
ト
ンのセメントを製造している。また、近年までガロの沢の南にある水無沢上流にお
いても石灰石の採掘が行われていた。釜の仙境は戸切地(へきりち)川がQ字状に
石灰岩帯へ切り込んだ所である。川の水が石灰岩を溶かして、両岸は絶壁となって
い
る
。
「
釜
の
冷
水
窟
」
と
呼
ば
れ
る
洞
窟
が
あ
る
ら
し
い
。
釜
の
仙
境
は
一
応
観
光
地
で
あ
る
が
、
はこの先上流もすべて石灰岩帯のため洞窟が存在する可能性がある。
3
,
まとめに替えて
鉱山の方の話のとおり、今回到達できなかった場所にも大規模な洞窟がある可能性は少
ないだろう。しかし100M未満の小規模な洞窟なら存在が考えられる。今回技術と準備不足
のためアプローチできなかったところについても引き続き調査を継続したい。
本報告書中の洞窟の長さなどの数値は今回測量装備を持っていかなかったためすべて目
測であるため正確ではない。近いうちに測量をしたいと考えている。
戸切地川の水は石灰岩帯の湧き水のため非常に綺麗で、川を両側の壁をへつって行くだ
けでも楽しめる。ただし水温が低いから暖かい日に行くのがしあわせだろう。
ど
泥
の
壁
を
登
ら
な
け
れ
ば
な
ら
ず
、
今
回
は
断
念
し
た
。
こ
の
あ
と
釜
の
仙
境
沢
合
流
地
点
ま
で
は
、
山
に
降
っ
た
水
が
し
み
こ
ん
で
石
灰
石
の
割
れ
目
か
ら
出
水
し
て
い
る
様
子
が
多
く
見
ら
れ
る
が
、
残
念
な
が
ら
人
が
入
れ
る
ほ
ど
に
は
発
達
し
て
い
な
い
。
5
月
4
日
浅
朗
鉱
山
及
び
遊
び
の
広
場
か
ら
釜
の
仙
境
沢
川
合
流
ま
で
朝
起
き
て
ま
ず
太
平
洋
セ
メ
ン
ト
莪
朗
鉱
山
の
あ
る
ガ
ロ
の
沢
へ
行
く
。
し
か
し
、
鉱
山
敷
地
の
た
め
入
域
は
不
可
と
の
こ
と
。
し
か
し
、
鉱
山
の
方
が
巍
朗
鉱
山
の
概
要
を
説
明
し
て
く
れ
る
。
話
に
よ
れ
ば
、
こ
こ
の
石
灰
岩
は
生
成
時
期
が
若
い
た
め
鍾
乳
洞
は
発
達
し
て
い
な
い
だ
ろ
う
と
の
こ
と
で
あ
る
。
確
か
に
前
日
の
洞
窟
は
す
べ
て
ご
つ
ご
つ
し
た
も
の
で
、
G F
ユ午
Z
量
▽
一一
蕪溌燕
師÷
一・一
一
源八沢川
魚
◎
ということで、部誌の原稿として何を書こうこか色々迷いましたが五年間で一番ハッチ
ヤケていた八月について書こうと思います。
八月に僕が何をしていたかといいますと、渓流釣りにはまっていました。就職が決まろ
うと決まるまいと北海道にはいないと思っていたので、だったらまだ行ったことのない沢
で釣りをしておこうと思った訳です。そこでこれから渓流釣りを始めたいという人たちの
l
ためにも、ここにその釣行録を記しておきます。
’
’。●U1.凸●.●0●●●●0011’︲““0‘IIIIIIIIIIjI︲トーl‘iIIl︲11︲・’11︲l︲111,,6,lrI11,’1︲︲,︲IIIIIII0︲1︲︲80︲00,190︲I︲︲’’’’1111国IIlIf︲,︲︲11︲1000
八月、たくさん遊んだ。就職活動真っ盛りの時期に...
この川は死んでいます。山の手通りから盤珪の方へ向かう途中にあるリ)ですが、上の方で
土砂を採掘しているため川に泥が流れ込み、川底に堆積しています。また工事関係者か登
山者の物と思われる空き缶が至る所目に付きます。もちろん魚はいません。餌となる川虫
が生息していないのですから当然です。この川が早く再生することをりjに願います。
小樽内川
この川は札幌湖に流れ込んでいる川です。札幌湖には沢山の魚が生息しているということ
ですが、この川はイマイチ魚のノリが悪いです。この日はヤマメ、岩魚、それぞれ2,3匹ず
つでした。サイズも小さいですし。ですが、札幌近郊に位置しその取り付き易さを考える
と仕方がないのでしょう。この川は川幅が広く、またポイントも沢山有るので研究のし甲
斐はあると思います。あと、釣れない時は湖で気ままにルアーで遊ぶというのもいいかも
しれません(以前やったときはなんの反応も有りませんでした)。
八月に訪れた沢。
I
4鼻
小樽内川、群別川、源八沢川、琴似発寒川、濃昼川→中ノ沢川、逆川、春香川、宮城沢川、
逆川
美国川、幌内府川。
この川は小樽内川の支流です。沢はそれなりに深くいかにも熊が出没しそうな雰囲気です。
ノ
にもかかわらず、つれるのはウグイばかりです。沢山います。元気です。沢を歩くと朔行
I■ⅡⅡ口03.1111.ⅡF■1111
琴似発寒川
’
’
しますから。鮭………?ウグイでもなんでも釣れればいいという人にはお勧めです。
平和の滝として有名なこの沢は、札幌近郊に位置する気軽に行ける沢として有名ですね。
この沢で釣りをする場合は、時期と場所が大切です。よく春に、その年最初の沢登りとし
て訪れる沢ですが、5月や6月だと水温が低すぎるためまったく釣れません。また、釣り始
める場所ですがいつもの送電線の所からですと、なんのアタリも無いまましばらく沢登り
をするはめになります。ですので釣りを目的として行く場合は、もっと上の方から入渓し
春香川
逆川よりももう少し小樽寄りに位置するこの川では、なかなかいい釣りが出来ました。春
香山へ続く林道を少し行くとこの沢に入渓出来ます。この川はあまり上流にいくと草がお
い茂っているので、橋から200mほど釣り上ったら下流へ向かうことを勧めます。数もそこ
ましょう。だいたい450メートルぐらいからがいいのではないかと思います。沢のレベル
は、しっかりと撒き道が出来ているので見落としさえしなければ簡単です。魚の数は多い
で
すが、サイズはアベレージ15cmほどなのでそれ程引きは楽しめません。たまにビッグ
フィッシュがいますけどね。
’
’
そこサイズも20cmぐらいをアベレージに釣ること出来ます。頑張ればそのまま道路に脱
出することも可能です。
濃昼川
I
宮城沢川
|
’
壷#
この川は濃昼港に流れ込んでいる川です。すぐ近くの橋から入ったのですが少し進むとい
きなり木が覆い茂り大変薄暗い様相になったので、熊が怖くすぐ近くの中の沢川という支
こ
の
沢
は
琴
似
発
寒
川
の
支
流
で
す
。
平
和
の
滝
へ
曲
が
る
道
を
曲
が
ら
ず
に
真
っ
直
ぐ
進
む
と
墓
地
に
ぶ
つ
か
り
ま
す
が
、
そ
こ
か
ら
入
渓
出
来
ま
す
。
看
板
に
は
ヤ
マ
メ
放
流
と
書
い
て
あ
り
ま
し
た
。
か
な
り
釣
り
人
が
入
っ
て
い
る
の
か
ま
っ
た
く
釣
れ
ま
せ
ん
で
し
た
。
沢
自
体
は
そ
こ
そ
こ
面
白
い
の
で
、
沢
登
り
.
に
行
く
に
は
い
い
か
も
し
れ
ま
せ
ん
。
か
な
り
上
の
方
ま
で
林
道
が
続
い
て
い
る
の
で
帰
り
は
楽
で
す
。
1
I
流に移動しました
中ノ沢川
ウ
この川は大変おいしいです。魚影が濃い。しかもビッグフィッシュ。沢はすぐ狭くなり水
量も少なくなるのですが、ポイント、ポイントに紗や鯵と魚はいます。また雑魚も沢山い
るので餌は沢山必要です。大きい魚はなかなか喰い付いてくれませんが、タナをしっかり
とり丁寧に流してあげるとバク!ときます。最高です。沢自体の難易度はかなり低いので
I
zS
▽
Z
ら
__._-.-..----・-.--..---
11
マーーーーーー−−−=ー
… 蓬
. 一一 . -
I
初心者でも楽しめると思います。
印度ガンジスlll周遊の記録
‐
相楽恭宏@当時大学2年生
群別川
この川は群別の林道を利用して最初の橋から入渓します。上流の方を詰めていくと滝が点
在しているのですが、この地点から入渓すると時間的に滝まで行くのは辛いです。勾配が
ほとんど無いこの沢はなかなか高度が上がりません。釣りをしないならば別ですが。また、
l
l
’
1
1
I
幌内府川
l
l
I
ノ
この川は北海道の釣り場の事が詳しく書かれている新聞を参考に行きました。余別川と積
丹川の間にこの川は位置しています。どちらも禁漁河川なのでお気を付けあそばせ。さて
釣果の程はといいますと、ハ、ハ、ハ、ハ、ハー。まんまとオドラサレマシタ。佃煮にし
・JrJI■。
I︲1111IlIIIIIIlIIII。ⅡrlhⅡj■Ⅱ■■■■■■■■■■■IⅡⅡJ1IlJ■■rI0IIIII
たら美味しそうなサイズしか釣れません。軽自動車にはとてもキツイ荒れた林道を無理矢
理入って来たのに。しかも帰りに適当にエスケープして林道に出ようとしたらマジに遭難
する5秒前…。危なかったです。楽しかったけど。確かにこの川には魚はいますがしっか
り育つまで待ちましょう。9月の終わり頃がいいのではないかと思います。沢としてはすご
くきれいですので、沢登りにはお勧めです。あと、軽自動車で行くのはお勧めできません。
こんなおいしい話を耳にして胸躍らせてからはや4年。大学二年の夏休みに、パドルを手
にしてダッキー(ゴムボート)をザック入れ、うっかりインドまできてしまった。そう、
’
’
沐浴とかいうのをするためだ。沐浴を「ガンジス川でバチヤバチヤと水浴びすること」と
ばかり思っていた。インドに対する知識など「インド=天空ペケ字拳」しか持ち合わせて
ないものだから。
︲トー1︲令lIIIll1︲111〃1dIjIIjI1l41f’00.18017161;IIIIIIIIIIIIlIlI1DlfID日日lⅡIIBⅡ、■■Ⅱ01ⅡⅡI0l0IlIrlIIlIllIIl︲Ill︲l︲111111111︲1111?I1II
ゲートが開いていれば一気に滝まで行けます。さて釣果の程はといいますと、釣れます。
アベレージ20cm程のヤマメが二桁は行きます。沢も途中滑床があったりと大変きれいな
沢です。基本的に林道も並走していますので安心です。ただこの川にはサクラマスがいま
すので針を引っ掛けないように気を付けなければなりません。釣ったら犯罪ですよ。その
まま沢を上って行くと滝の手前で林道にぶつかるので、そこから林道を歩いて帰れます。
’
「ガンジス川で沐浴とかいうのをすれば、いままでの罪がチヤラになる11」
’
「明日、川を下ろう。」インドにきて4日目にそう決めた俺はまず食糧などを買うことに
した。スペアとかの類はまったく持ってきていないので、食パン3斥、バター、クッキー
Lと
2袋、バナナチツプス2袋。これだけあればとりあえず次の町に着くだろう程度の気持ち
での軽いチヨイスだ。非常食にカロリーメイトを5パックほど、コンデンスミルクを2チ
ューブ。そして忘れちゃいけないのがミネラルウォーター。日本にいる時は二日酔いの朝
ぐらいしか飲まないのだが、ガンジス川の水を飲むほどの勇気はこれっぽっちも持ち合わ
せていないので買うことにする。近くのレストランに行ってミネラルウオーターのペツト
ボトルを指差し叫ぶ。「テン、ウォーターっ11テン、ウォーターっ11」本人はこれで水を
十本買える気でいるらしい。まあ、世の中も甘いもので、実際にこれで買えてしまうのだ
が
。
買い物途中でかっぱらいにミネラルウオーターを数本取られたりとかもしたが、こんな
[
かんじで何とか準備をすませる。
この川は美国港に流れ込んでいる川です。川沿いの道をずっと進んで行くと民家にぶつか
ります。そこが終点です。すぐ近くの橋から川には入れますが、アプローチが楽なので釣
り人が結構入っています。実際魚が釣れ始めたのは巨大な堰堤を無理矢理撒いて、しばら
く登った所に発見した支流の上流部からです。そこからは爆釣でした。サイズもなかなか。
沢
山の岩魚と戯れ、そして美味しく頂きました。帰りは堰堤の横に走っている林道を利用
できます。
川下り当日。ガンジス川の上流、ヤムナー川にアプローチするため橋のところまでリク
シヤー(タクシーみたいな自動3輪車)を探す。途中でたまたま同じ時期にインドにきていた
部長(←単なるあだ名)に出くわす。なんかインド人の青年と楽しげに話している。国境
を越えても彼の男色は変わらないようだ。
「相楽、ホントに川下るの?」
I
I
あたりまえだ、冗談だったらこんなに重い荷物もってわざわざインドまで来たりしない。
特にそれ以上の会話もないのでさっさと部長と別れて橋へとリクシヤーを向かわせる。
運転手のおっちゃんの話によると、どうやらヤムナー川の水量はかなり少ないらしい。そ
れでも自分の目でみるまでは信じない性格のため、川まで行くことにする。面倒な性格だ。
|
I
渓流釣りに行く際に参考にして頂ければ幸いです。
最
後
に
、
釣
り
に
行
く
と
い
っ
て
も
フ
ィ
ー
ル
ド
は
沢
な
の
で
地
図
と
コ
ン
パ
ス
は
い
つ
も
携
帯
し
ま
し
ょ
う
。
き
っ
と
役
に
立
つ
時
が
あ
り
ま
す
よ
。
あ
と
、
無
意
味
な
乱
穫
も
止
め
ま
し
ょ
う
(
キ
ャ
ッ
チ
&
リリースには反対だけど)。
111︲4111111
ま、こんな感じで私の夏は幕を閉じました。
i
11︲.r,・IIIJIJIfllllfllllⅡrlllllflllllllllllllllllllllll1J︲11
’
美国川
途中で運転手が車を止める。ここが目的地というのだ。しかし明らかに川どころか橋す
ら見えない。どうみても街の真ん中だ。インド人ぽ薬をザることしか考えてない。にやに
I
や笑うおっちゃんにプチ切れつつ再び橋まで向かわせて、15分ほどで目的地につく。物
珍しいのか運転手のおっちゃんも一緒に川まで降りてくる。まだ余計に金をせびる運転手
以上馬場‘広樹
酬
1←
撫
職
#熱:#“i
▽
、
ZS
参拝に来た人たちに船の上から物を売るらしい。川幅はとても広く対岸まで必死で漕いで
たインドの子供達が群がってきた。ジェスチャーで空気の入れ方を教えると楽しそうに勝
手にダッキーを膨らませ始めた。こいつは楽だ、普段の探検部の川下りにも一人は欲しい。
も10分以上かかりそうだ。コンパスを切って地図で確認しなければどっちが上流かも分
からないほど川に流れがない。漕がないでボーつとしていれば下流に流されるかと思った
が岸に打ち寄せられてしまっただけだった。虚しい。とりあえずコンパスを信じて下流と
「お兄さんやめときな、水も少ないし危ないよ。」
’
ふと、けつこう御年配のおばあちゃんに声をかけられる。タクシーの運転手に話をきいて
心配してくれたらしい。ちょっと考えこむ。
I
と、そこへ再び部長登場。どうやら心配になって追っかけてきたらしい、持つべきものは
友達だ。彼と一緒のインド青年が流暢な日本語ではなす。
インド青年「この川は水が少ないよ、このボートじや無理ね」
俺「んじや、船引いて歩くんで.・・・」
さすがに頭が悪い俺でもこのことは理解できた。
I
要するに「水が少ない」→「川を歩く」→「ヘビに噛まれる」→「3分で出来上がり」
こんなカップラーメンみたいな死に方は嫌だ。かっこよくない。映画の主人公なんかがこ
I
|
’
んな死にかたをした日には失笑ものだ。
ノ
I
もうここには用はないとダツキーをしまおうとすると、子供達がうるさい。彼らが言う
には「俺達が膨らませたから俺達の船だ」というのだ。うん、もっともな道理だ。これが
俺の苦手とする“論理的”とかつてやつなのだろう。けど、このダッキーは借り物なので
あげるわけにはいかないんだね。んなわけで近くで子供たちと船遊びをして勘弁してもら
うことにする。他の船を漕いだり、飛込みをしたり、水の掛け合いをしたりして1時間ほ
’
』
IIllIlIlllll
そんなわけで、大都市の排水とほかの川との合流により水量が増えるアラハバードから
下ることに予定を変更。そこから川の名前もヤムナーからガンジスヘと変わるのだ。ガン
ジ
ス川なら毒蛇もいないらしい。さすがは聖なる川。理由はわからなくとも妙に納得して
しまう。
ど。金品をたかられないうちにさっさと退散。
が
合
流
す
る
聖
地
、
サ
ン
ガ
ム
と
か
い
う
の
が
あ
る
ら
し
い
。
縁
起
が
よ
さ
そ
う
な
の
で
そ
こ
か
ら
下
り
は
じ
め
る
事
に
す
る
。
頭
が
短
絡
的
だ
か
ら
あ
れ
こ
れ
悩
ま
な
く
て
す
む
、
助
か
る
ね
。
到
着
し
て
か
ら
3
日
目
の
早
朝
、
リ
ク
シ
ヤ
ー
を
つ
か
ま
え
て
サ
ン
ガ
ム
に
到
着
。
朝
早
く
か
ら
漁
師
達
が
チ
ヤ
ー
イ
を
飲
ん
で
い
る
。
ダ
ツ
キ
ー
に
空
気
を
入
れ
は
じ
め
る
と
漁
師
の
青
年
が
手
伝
っ
て
く
れ
た
。
う
ん
、
イ
ン
ド
人
も
や
さ
し
い
ね
。
ダ
ツ
キ
ー
も
完
成
し
、
さ
あ
出
航
1
1
川
の
周
り
は
泥
の
ぬ
か
る
み
が
ひ
ど
す
ぎ
て
歩
け
な
い
た
め
、
漁
師
さ
ん
た
ち
の
船
の
上
を
渡
り
川
に
出
す
。
み
ん
な
が
荷
物
を
運
ん
だ
り
す
る
の
を
手
伝
っ
て
く
れ
る
。
4
.
5
人
の
漁
師
さ
ん
達
に
見
送
ら
れ
て
ガ
ン
ジ
ス
川
下
り
が
始
まった。
I
1111■911︲11卜J1
最
初
の
2
0
分
ほ
ど
は
聖
地
の
付
近
と
い
う
こ
と
で
花
屋
と
か
果
物
屋
と
か
の
船
が
近
寄
っ
て
く
る
。
G−fJl午lbll︲1
f・︲出,.
111111口?︲bbfrrI︲b9lOLJ
常
,
:
、
蕊
鋼
、
IIjlI︲4ii,41︲111︲Il■I1Fl1IlIllI1﹄IF
アラハバードにて。アラハバードにはヤムナー川とガンジス川と地中を流れる伝説の川
思われるほうにひたすら漕ぐ。川の合流地点のせいか時々水面に渦が現れる。直径がだい
たい1.5∼2mぐらいと大きい。川底からボコボコと水が湧き出しているように見えると
ころがあるのは地下を流れる伝説の川があるからなのか?
そんなことを考えながら漕ぎつづけること1時間、川が浅くなってダツキーを引きずり
ながら歩くことになる。水牛がウヨウヨしている横を、船を引きずりながら歩くなんてな
かなかできる体験じゃないね。ん∼、素晴らしい。必死でそう自分に言い聞かせながら歩
111
インド青年「この川には毒蛇がたくさんいるよ。噛まれたら3分で死ぬね」
’
且■■9rlIIr且1J111ⅡIIIIIdⅡ1JⅡ■1111ⅡⅡⅡjⅡ■ⅡlⅡ■ⅡⅡlIjⅡⅡl■ⅡⅡ111.■Ⅱ1日ⅡⅡⅡ1Ⅱ0
に再びプチ切れてからダッキーを取り出す。膨らませようとフイゴを取り出すと周りにい
I
7
1
きつづける。数十分ほども歩けば船に乗れるぐらいの水量になるのだが、そんなオリロー
が1時間おきくらいにある。
昼前ぐらい、のんきに舟を漕いでいるとちょっと大きめの帆掛け舟が近づいてきた。帆
掛け舟といっても風のない時は手で漕ぐのだが、帆を張っている時は手漕ぎの船と違って
めちゃくちゃ速い。面倒事が嫌だったので必死で逃げてみたが声をかけられてしまったの
で仕方なく漕ぐ手を休める。船にはおっさんと子供2人が乗っている。おっさんは「こっ
ちに乗れや」というジェスチャーをする。どうやら英語がしゃべれないみたいだ。船に乗
ってガンジスで釣った魚(30センチ位の大物ばかり。食べれるらしい)とかをみせても
らっていると子供達が金をせびってきた。こいつら英語がしゃべれないくせにマネーとい
う単語だけは知っていやがる。いい加減うんざりして自分の船に移りその場を去る。
1時ごろ。途方にくれた。川が消えている…。船を引きずりつづけなければならない程
度の水かさが視界の利く限り続いている。勇払川での悪夢が再びよぎる。ガンジス川って
うっかり川だったの??自問自答しながらエスケープルートについてすら考えてしまう。
もつと近づいてみれば流れが見つかるかもしれないと舟を漕いでいると、一隻の小さな
商業船(それでも手漕ぎ)に遭遇。下流を指差し叫んでみる「バナラシイー?」。先導のお
っちゃんが満面の笑みで答えてくれる。「ヤー、バナラシイー11」確信した。この船はバナ
ラシから来たに違いない。ということは俺もこれから先、船を引きずらなくともいけると
いう事だ。こいつはプリチーだね。自分のポジテイブシンキングに感謝しつつ、うれしく
なってサクサク漕ぎまくっていると右岸側に細めの流れを発見。案ずるより産むが安しっ
ていうのはまさにこの事。
それから川辺のサドウー(修行僧みたいなひと)と話をしたり(オールジェスチャー)、
野良犬と戯れたりしながらのんびり下っていると時刻は4時半。そろそろ快適に眠れる場
所を探さなければときょろきょろし始める。ちなみ篭咲鐵こ眠れる場所というのは、人気
がなくて且つ動物がこない所という条件さえ満たしておけばどこでも良かった。というわ
けで雨が降ったときのことも考えようとせず(意識的に削除し)「中州で決まりだね。」と、
罰0
識:霊塞了壼一
安易に寝床探しをはじめた。(野宿方法としてはダツキーのなかでシユラカバの中に入って
「ナマステー、ナマステ∼」会う人に次々挨拶しながら青年たちに連れられて進んで行
横になる予定だった。)
くと、はじめてドアがある家を発見。どうやらこれが今晩泊めていただける家のようだ。
中州を探してしばらく漕いでいると、右岸側に小さな建物があり数人の青年たちが塀に
腰掛けているのが見えてきた。彼らは、ガンジス川でゴムボートに乗るおかしな外国人を
中に入れてもらうとこんな感じになっていた。8畳ほどのワンルームで、ベッドが真中に2
つ並んでいて、左手には驚くべきことにテレビがある。ベッドは布団などなく、何かの木
見つけたのだから当然ながら声をかけてくる。
を編んでつくってあり見るからに涼しそうだ。テレビはやはり相当な貴重品と見え、未だ
「ハロー、ノ、ロ−11」
にビニールがかかっている。そしてほとんど物が置かれていない棚があり、天井にはイン
え、英語だ!!ひさびさに聞く英語にちょっと小躍りしてしまう。日本では大嫌いなメリケ
ンの言葉も今じゃちょっと懐かしく、ついつい岸に船を寄せてしまう。
ドではおなじみのファンがついている。正面には時計が掛けられていて、正確に時を刻ん
でいた。
「おなかは空いているかい?」的なジェスチャーをしてきたので即答。「イエス、イエス」。
ほかの家と比べると段違いのお金持ちだ。自分の強運に思わず感謝してしまう。
もらえるものは何でももらえとの貧乏根性丸出しである。彼らが食べていたバナナをもら
う。うまい。いろいろ話を聞いていると、ここにいる5.6人の青年&少年達は学校帰りら
しい。英語を話せるのは一人だけ、しかも片言である。村が対岸にあるので渡し舟を漕い
で、みんなそろって帰るらしい。ちなみに学校は探検部の部室の壁を土壁にしたような感
t︲トーIFIllIII1lljI1III114IjIIP4Lj0II0IlllI1Il0fIlI0l●lI11III︲l■Ⅱ11Ⅱ81ⅡJ■■6口ⅡⅡ1日Ⅱ101もihl
’
ベッドのうえに座らせられると、次々といろいろな人が集まってきた。青年の叔父やら叔
じの建物。
1
ノ
木から緑色の見たこともないフルーツを椀廟って食べさせてくれる。ちょうど洋ナシ
のような感じであろうか。「アッチヤ(うまい)」と連発し感謝の意を表す。バナラシまで
’
’
’
2日目に俺の家に来てくれ、というようなことを言われた。2日もいる気はさらさらなか
っ
た
が
と
り
あ
え
ず
そ
う
い
う
こ
と
に
し
て
お
く
。
世
渡
り
に
は
嘘
も
方
便
だ
。
し
ば
ら
く
の
歓
談
の
あ
と
、
村
へ
と
向
か
う
こ
と
に
す
る
。
ダ
ッ
キ
ー
を
渡
し
舟
の
横
に
括
り
付
け
、
の
ん
び
り
乗
船
。
日
本
の
コ
イ
ン
や
カ
ロ
リ
ー
メ
イ
ト
を
あ
げ
て
、
話
も
は
ず
む
。
漕
ぎ
手
の
人
は
や
っ
ぱり汗だくだ。15分ほどで対岸に到着。
ど
ろ
ど
ろ
の
浜
辺
で
ダ
ツ
キ
ー
の
空
気
を
抜
い
て
折
り
た
た
む
。
み
ん
な
に
手
伝
っ
て
も
ら
い
な
が
ら
ダ
ツ
キ
ー
を
ザ
ッ
ク
の
中
に
詰
め
込
み
、
背
中
に
背
負
っ
て
歩
み
だ
す
。
が
、
下
が
ど
ろ
ど
ろ
に
ぬ
か
る
ん
で
い
る
の
で
ザ
ッ
ク
を
背
負
っ
て
歩
く
と
膝
上
ま
で
沈
ん
で
し
ま
う
。
頑
張
っ
て
次
の
一
歩
を
踏
み
出
し
て
も
ま
た
沈
ん
で
し
ま
い
、
歩
く
ど
こ
ろ
の
話
で
は
な
い
。
結
局
、
村
の
み
ん
な
に
助
け
て
も
ら
い
、
4
.
I
キ「
I
5
人
で
ザ
ッ
ク
を
持
つ
こ
と
で
何
と
か
泥
の
浜
辺
か
ら
抜
け
出
せ
た
。
こ
の
浜
辺
じ
ゃ
体
重
が
1
0
0
キ
ロ
以
上
の
奴
は
死
ぬ
し
か
な
い
の
だ
ろ
う
か
…
。
転
が
ら
な
い
限
り
絶
対
身
動
き
取
れ
な
い
ぞ
。
.
村
の
門
ら
し
き
と
こ
ろ
を
入
る
と
女
性
達
が
手
押
し
式
ポ
ン
プ
で
水
を
く
み
上
げ
て
い
る
。
そ
こ
で
体
の
泥
を
流
さ
せ
て
も
ら
い
更
に
村
の
奥
へ
と
進
む
。
家
が
何
件
も
あ
る
が
、
土
壁
の
ち
や
ん
と
し
た
家
は
ほ
と
ん
ど
な
い
。
家
の
左
右
に
は
士
壁
が
あ
り
、
前
後
は
吹
き
抜
け
。
屋
根
は
木
を
渡
し
て
そ
の
上
に
草
を
敷
く
と
い
う
形
が
も
っ
と
も
ポ
ピ
ュ
ラ
ー
み
た
い
だ
。
中
に
は
細
い
木
の
柱
4
本
だ
け
で
壁
が
ま
る
っ
き
り
な
い
家
も
何
件
か
あ
る
。
ホ
ン
ト
に
雨
を
し
の
ぐ
た
め
だ
け
に
使
っ
て
い
る
よ
う
だ
。
iql且■︲11り0日’lf6gIjl1ljⅡI6j1
ノ
j
1.’7︲︲’1︲,’’,︲’1︲︲,贈i︲︲衝︲,︲Ir︲l︲I︲11“1il︲・1.1︲︲1,.,111︲11114,1︲j︲.!︲Il1l11︲If︲’︲︲←︲llj1︲:︲1︲I︲倉︲︲、111,︲︲,。﹄︲︲!︲︲!︲︲︲、11︲、︲●←︲,
行
き
た
い
と
い
う
こ
と
を
話
し
た
ら
、
英
語
を
話
せ
る
男
性
が
「
今
晩
は
俺
の
家
に
泊
ま
っ
て
い
き
な
よ
」
と
の
お
誘
い
。
こ
い
つ
は
逃
し
ち
ゃ
い
け
ね
え
チ
ャ
ン
ス
だ
と
、
即
答
。
「
ヤ
ー
、
ア
ッ
チ
ヤ
1
1
」
す
る
と
も
う
一
人
の
青
年
が
何
や
ら
も
め
だ
し
た
。
ど
う
や
ら
2
人
で
俺
を
取
り
合
っ
て
い
る
ら
し
い
。
な
ん
か
偉
い
人
に
で
も
な
っ
た
気
分
だ
。
と
り
あ
え
ず
1
日
目
は
英
語
が
出
来
る
青
年
の
家
に
泊
ま
り
、
I
母やら従兄弟やら盛りだくさんだ。わけもわからずとりあえず「ナマステイー、ナマステ
イ∼」と連発しておく。この村にきてからもう30回以上はこの言葉を使っているような
気がする。挨拶が終わると次はお決まりの質問コーナーだ。
「どこの国の人だい?」
「俺はジャパニーさ」
「ああ、ジヤーマンかい。それなら知ってるよ」
どうやら、この村においては俺の顔は欧米人と言い張っても通用するようだ。そんな感じ
で相手の言葉を必死に解読しながら受け答えしていると、村の偉いおばあちゃんが「あん
たは、疲れているのだから横になりなさい。」と言ってきた。いくら断っても聞いてくれな
い。みんなが立っている中ひとりだけ寝そべったままの質問タイムはやけに長く感じてし
まった。ふと窓に目をやると小さい子供達の顔が窓にびっしりとならんでいる。自分の両
脇には二人の少年が大きな団扇で俺をあおいでくれている。ここまでくるともう王様気分
だ。「ウルルン滞在記もやらせじゃないかもな…」なんてすら思えてくる。
子供たちとあれこれ遊んでいると、いつの間にやら夕食タイム。
「君は肉も食べるのか?」夕食前に青年が質問してきた。
なに!?ひさびさの肉が食えるのか?!…しかし、もしも彼が菜食主義者で質問の意図が違っ
ていたらどうしよう。しばしの葛藤ののち、返答。
「ああ、俺はノン・ベジタリアンさっ」
やはりお肉をやすやすと見逃すことはできない。当然の返答だ。
「そうか、僕はベジタリアンだ。」
…しまった。迂闇すぎた。気まずい空気が流れる。しばしの間の後、青年は笑って言っ
た「野菜だけも結構いけるんだぜ。」ああ、いい人だ∼。
けっして豪華とはいえないがとてもおいしそ2な料鯉が運ばれる。この村ではごちそうに
ちがいない。これぞ“おもてなしの心”などと思っていると、同時にコップに入った水も
出てくる。ミネラルウオーターしかダメな旨をつたえると、この村の井戸水は安全だと主
張する。そこまでいわれて断るのも失礼なので覚悟をきめておいしく飲み干す。これがい
j
望
q上
I
-T‐---. −
一一一−‐
|
一二当菫三=−一一一一一一一一一一一一
一一一一一
’
けなかった…。
ー
1
|
’
’
l
f
l
用を済ませ家に戻ってくると入り口前で青年がずっと待っていてくれた。ほんといい人
だ。そのあともしばしば腹痛に襲われ家をとびだしたが、毎回青年は待っていた。さすが
に毎回待ってられるとなるとのんびり用も足せなかったが...。
な気分になりたいという気持ちで、沢に向かった。しかしその期待は裏切られることと
ノ
1
1
大学四年生になったいま当時書いた上記の文章を読んでみると、自分の計画性のなさや
無鉄砲さに改めて驚かされる。しかし、おかげでいろいろ面白い体験もできたと思うとま
んざらこの性格も捨てたものじゃなかったのかもしれない。(このおかげで2002年の冬に
は皆様に多大なご迷惑をお掛けした訳だが)
I
ここまで読んでくれた皆様、長
い
駄駄
文文
にに
.お付き合い頂きありがとうございました。
長
い
’
’
IlIIIi
IIP!︲●8111・・011.11︲j日Ⅱ.’Ⅱ111.・卜Ⅱ11
I
帰国後、病原性大腸菌O1にかかっていたり、マラリアが発病したり、そしてまた半年後
にマラリアが再発したりと大きなリスクを背負った旅行だった。
なる….
I1llllll
|
7月某日、小雨の降る朝だった。我々がポンショカン沢登りに出発したのは。前日に
車が故障するというショッキングな出来事があったのも関係して、その日は無性に爽快
へと向かう。…長くなるので総て割愛。
I
’
’
ⅡF11.lILIIl︲rbiⅢⅡ11■I■0■11トトIPIトー11︲111111.011
︲LG1IJhpP■r■色01・IIlIIl1qIl0■II1llIl,︲やOf11︲“00JI﹄hIIl1P1I●lldlIⅡ■l︲11401副1︲IIIl0j1Ijもq:F6d■01F40.11.11■’40,140,.GDP■l’
’
1
1
I
卜
|
’
8時少し前、我々は何事も無く沢への入り口のある暑寒荘に到着した。まだ天気は回
復してなく、少し肌寒いながらも、我々は意気揚揚と沢に入っていった。しばらく平坦
な沢沿いを歩いた。雨のせいか、石が濡れていてよく滑る。途中、水の淀みにかなり大
きな川魚なども見ることができ、我々は沢の雰囲気を満喫していた。
4÷
2時間くらい歩いただろうか。突然空が晴れ渡り、沢のはるか奥に暑寒別岳が姿を表
した。そう、はるか奥に…・山頂から伸びる沢筋には雪がかなり残っているように見え
た。その時はあまり気に留めていなかったが。その堂々とした山頂を見て、また天気が
良くなり気温が上がってきたこともあって、我々3人の気分は高まっていった。
さらに1時間くらい歩いただろうか。突如我々の目の前に雪渓が現れた。それはかな
り大きく、どこまでも続いているように思えた。ここは登れるのか….?他の2人もそ
う感じたらしく、とりあえず他にルートはないかと考えることとなった。しかし地図を
見ても他に沢筋はない。横の斜面を登って尾根に抜けようかとも試みたが、斜面はすぐ
に崖になっており、抜けられそうに無い。
そして我々には行くか戻るかの選択のみが残された。私は戻ることを考えた。あまり
にも危険すぎる、と。他の2人にも聞いてみると、登りたいと言う。確かにここまでの
沢はひたすら平坦で、天気がよく気持ちいい沢歩きは楽しめたものの、満足はできない
というような気分ではあった。しかしこの雪渓は.;・・
結論が出なかったので、我々はリーダーに判断を委ねることにした。リーダーは言っ
た。行こう、と.…
雪渓は進むにつれて斜度を増していった。しかもただでさえ滑ったり崩れ落ちたりと
いう危険が伴う雪渓上だ。私は思った。間違いない、一歩誤ったら死ぬ、と。もう気分
は沢登りではなかった。ただ生と死の狭間で奮い立っているだけだった。そしてしばら
く登っていくと、雪渓の切れ目に小さな滝が現れ始めた。ようやく沢登りらしくなって
きたね、と他の2人は意気込んでいたが、私にはそれを楽しむ余裕は残っていなかった。
必死だった。
ようやく雪渓を登りおえた我々を待っていたのは、ハイマツ帯であった。とりあえず
命の危険は去ったものの、なおも斜度はきつく、そしてハイマツは怒涛のごとく襲い掛
I
.剴o7fDbO。
l→hIL■711
I
本田剛史
度で蚊にも刺されまくる。
次の日、村のみんなとの交流もあったり、涙のお別れがあったりして、再び旅行の続き
|
ポンショカン死の行軍
11
夜。は、腹が痛い…。横で寝ているインド人にジェスチャーでトイレに行ってくると伝
え、外に飛び出す。トイレといってもこの村ではトイレは存在しない。野原を求めてさま
ようが、夜のインドの村はホント不気味だ。牛は放し飼いだし、そこらの地面には何人も
人が寝ている。あやうく何度も踏みそうになった。用を足してる最中も、信じられない速
かり、我々の自由を奪った。しばらく登るうちに我々を別の恐怖が襲ってきた。日没の
J
1114︲f1︲461■ⅡPfq●﹄1■49170111■・
︲マrP0lI・TIILll︸1.J.︸︲116■71
”
▽
S
テ
一_一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
1
11
I噌諦一軍一
T−−−−−−−−−−−−−−−−一 一 、−−
麹甫5超=‐
一 一ー− −−− 一− 一‐
恐怖・・・・雪渓の上から見ても、ハイマツ帯の長さはかなりあったし、尾根に上がってか
ら山頂までの道のりもかなりあった(我々は安全を考えて予定より手前の沢筋を登って
馬場さんと私∼山スキーの巻∼
いた)。だいいち、ハイマツの中では自分達がどれくらいのペースで進んでいるのかも
わからない。しかし恐怖に駆られながらも、我々にはがむしゃらにハイマツの斜面を上
’
その頃まともに山スキーができる数少ない現役部員の一人B氏とは、必ず一緒に山に行った。
り進むということ以外、残された道はなかった….
しかし、私は岡山という温暖な気候の土地で育ったため、山スキーは愚か、ケレンデでさえ年に
もう時間の感覚も無くなってきた頃、我々は尾根へとたどり着いた。到着時刻午後5
麓に着いたのが、空はもう薄い暗さに包まれた午後7時半。私はやっとの思いで
で
車
車
の
の
ハンドルを駆り、帰路に着いた。他の2人は熟睡していた。総行動時間約12時間!!そ
’
の大半が生と死との格闘に費やされていたのだから、無理もないか.…
こうして無事に家に帰ってきて、この文章を書ける今、声高らかに言いたい。退くこ
1度行けばよい方で、スキー板をハの字にして滑る、いわゆるボーゲンをマスターすることから
私の山スキーへの挑戦は始まった。そして、同時にそれはB氏という鬼コーチに怯える日々の
’1ⅡⅡ︲BrⅡⅡⅡⅡⅡⅡⅡlⅡBBBEE■■■Ⅱ■■■■且■Lb■IIl00■IlllIⅡIjl1Ijlljl1.1100741︲
時。ありえない。日はまだ稜線に隠れてはいなかったが、それも時間の問題。我々はま
だ遠い山頂に一瞥をくれると、麓へ向けて尾根を駆け下った。安息できる場所を求めて
lIlllllIl
IⅡ!﹄Ⅱ‘︲l︲I‘︲︲111︲7111︲ifllll︲IfIj︲︲︲︲︲︲’︲︲︲︲︲l︲︲’0︲︲,●IIILiI︲I︲︲l︲︲’114︲il︲jU8Ⅱ1日︲1日︲︲︲,︲トー︲
1
1
「初滑りにでも行くか。」
という事になった。いつもB氏の走り屋ぶりにはちょっとしたスリルを味わっていたのだが、
人口雪で他のスキー場より一足早くオープンするオーンズスキー場には、このシーズンを待ち
I
’I
そしてB氏も暇だったようで、
と不敵な笑みを浮かべながら恐ろしいスピードで車を飛ばすのであった。
1
1
’1
ゲレンデに行くにしても一人で行くのも寂しいと思い、無用心にも私はB氏に声をかけた。
「お−、滑る、滑る。止まんねえなぁ。」
/
’
始まりを告げたのであった。
凍った冬道もなんのその、
とも大切な選択だと11
’
私が一年目の冬、探検部では山スキー人口が大幅に減少していた。そういうこともあって、
に待ったスキーヤー達が大勢詰め掛ける。皆本当にうまくて岡山のスキー場とはまるで違うので
驚いた。とりあえず一度滑ってみないことには始まらんということで、昔親父に教えてもらった
スキーを思い出しながら滑ってみた。何とか無事下まで滑ることができたが、全身ガチガチに力
が入ってどうしようもない。次からとうとうB氏のコーチが始まった。
B氏の教え方はこうだ。まずB氏がどんな風に滑るか説明し、実際に滑る。そして、その後
私がそれを真似て滑り、最後にB氏が悪かったことを直してくれる。それだけならただの親切
な先輩なのだが…
ある時B氏とM氏と一緒に盤渓スキー場に行った。簡単なことを教えられている間は良かっ
。■?llIIII4Il︲●11︲︲I︲111︲IqII回りr︲QIl●lⅡ!卜0111︲巾︲b︲bhIjl1lII︲’’’0bpJ1lII︲’1119..︲■011︲f0Il1lL︲r1fl︲IJ9I︲!。Tl0llII︲︲d14︲11︲︲j41l︸
P︲■−1“Ir11■10■Ⅱ
J
1
ノ
たのだが、この頃になると段々教えられることが高度になってきた。
「同じ様に滑って来い。」
いつもの様にB氏が華麗に滑ってゆく。M氏もいつもと違って爽やかだ。しかし、今までより
も随分きつい斜面だったので、なかなかふん切りがつかず上でもじもじしていた。すると、遠く
でもはっきりと確認できるほどB氏の顔は険しくなり、
「若一!さっさと来ねえと今日スキー場に置いてくぞ−1」
と叫んできた。私はもうどうにでもなれという感じで、何度も転びながら滑り降り、二人の所ま
でたどり着いたときには雪で真っ白になっていた。_鷺の鶴もB氏に逆らえないまま、コブ斜面
で飛ばされたりスキーが刺さって前転したり、ジャンプ台では尻から落下してしばらく悶えたり
した。中でも埋没体験の時には、この人は本気で私を殺しにかかっているのではと、改めてB
氏と二人きりになることの危険を身に染みて感じた。
12月日、とうとう初の山スキーに行くことが決まった。リーダーはもちろんB氏、山は
V
(h
I
│
功
妬
ご
(
妃&
−
−−
‐一
-,
---------'一一一一一一一一一一一一一P一一一一一一一一一豆一一一画'------一___一一一=_一P‐一‐ー一
一一︲︲
=』=ニー
’
北大雪の有明岳、天狗隅だ,相変わらずの激しいドリフトに恐'│布したが、その時私はB氏を憤
私はどこかへ消えてしまいたいくらいだった。その後、しばらくするとB氏の怒りも徐々に落
慨させる驚樗の大失態にまだ気付いてはいなかった。
深夜、北見峠のチェーン着脱場に着くと、B氏は雪スコップを私に手渡してこう言った。
「俺ここで寝るから。お前、はいこれ。じや、お休み。」
つまりどこかに穴を掘って寝ろということだと気が付くと、私は雪スコップと銀マット、シユラ
’41111日lrllIII︲1111①1111■I且■■Ⅱ■■IIIIlⅡIIIII
’
1
1
1
h
l
’
フカバーを手に車を出てねぐらを作る場所を探した。雪洞なんて掘ったことも無ければ、冬に外
で寝るのも初めてだが、私には他に何の選択肢も無いことは考えるまでもなかった。その時既に
私は激しい睡魔に襲われていたため、深雪の中にねぐらを探しに行く気にもならず、チェーン着
脱場の脇に除雪車が溜めた雪に、私一人がぎりぎり入る穴を掘って銀マットを敷き寝た。外はち
ょっとした吹雪であったが、意外にも風がしのげるだけでかなり楽になった。これなら何とかあ
と数時間、夜が明けるまでは持ち堪えられそうだと思い、私は少しでも寝るよう勤めた。しかし
数分後、遠くから何かが近づいてくる音が聞こえた。その音が段々と大きくなり激しい溌音とな
ソ
’
ど進まずに引き返し、結局私のせいで次の日の計画も断念することとなった。
その日の帰り道、我々は吹上温泉に向かっていた。すると、もうすぐ吹上への分かれ道という
10111
ldL︲11︲11.1■TIIIIILp,助日Ⅱ。︲.・I.・・・d口■■■■B■■■ⅡⅡ日日Ⅱ■、■ⅡⅡⅡⅡ日rJ■941︲
ークヘと車を走らせた。ところが、ちょうど我々が帰った頃彼らの無事が確認された。その時の
除雪車の音は徐々に小さくなっていった。どうやら道の反対側を通り抜けていったようだ。生き
B氏の言葉は今でもはっきりと覚えている。
I
と、聞いてきたので私は観念して恐る恐る話した。すると、B氏の顔がみるみるうちに引きつり、
「て、てめえ−!。」
そう言うと、B氏は手に持っていたストックを逆さに持ち替えた。怒りに震えるそのストックは
ムチのようにしなって私を打ち、また私を蜂の巣にするように刺して刺して刺しまくった。
「
ご
め
ん
な
さ
い
。
ご
め
ん
な
さ
い
。
」
「
あ
う
っ
1
う
ぎ
や
!
助
け
て
!
」
静かな山に私の悲痛な叫びが響いた。しかし、悪いのは私だ。申し訳ないやら、恐ろしいやらで、
合■6町111︲011︲︲■lⅡlJllUrら!j41トーbrFⅡI0II11Ijqjld1
1111“Ⅱ60091■ⅡllPlIP11&90︲L■1J0トーL1rノーaⅡIEI■U1Ll︲‘︲
鬼のようになった。
1111︲︲1419︸︲l︲IlllJ9q︲j’11411︲II4I41I6I︲IIIIllljDl▼OBIもf■■Ⅱ︲Il1jll1’“J■qJq11qIJl︲011.01001Ⅱ0111.01日〃甲
「どうした?」
とら
ていたようだった。そして、すばやく針金で応急処置をして先を急いだ。しかしその後、ほとん
ゴーーーー(除雪車)「ギヤーーーー!」(私)ゴーーーー
て、
》
私はとうとうどうする事もできず助けを求めた。しかし、返事は返ってこない。どうする事もで
トックが上を向いたのは言うまでも無いことだが、B氏の頭の中はむしろ計画自体の変更を考え
「あれ?死ななかったんだ。プハハハ...」
」
「Bさ−ん、Bさ−ん!」
きず、私がB氏の名前を呼び続けると、やがてB氏が鮮やかに滑り降りてきた。再びB氏のス
ると、車のドアが開いて、
F'
シールを締め付ける部分の紐まで切れてしまった。
ところで、白井岳の隊が帰ってこないという電話が入った。すぐさまB氏は猛スピードでデユ
と、こみ上げてくる笑いを抑えきれないでいた。そんなB氏が実にアンビリーバボーであった
が、汗びっしょりでぐったりとした体はすぐに眠りについた。
翌朝、心機一転、張り切って準備を始めた。しかしその時になって初めて、私はストックを忘
れてきたことに気が付いてしまったのだ。B氏を見ると頭から血の気が引いたが、そんな私を見
1
と、私を叱n宅する声が聞こえた。私は必死に登っていたのだが、今度はシールがはずれ、そして
げた。
なかった。そして、こんなところに寝ちゃおれんと思い、私はB氏の寝ている車に帰った。す
6
「若一!早くこ−い!」
った時、私はやっと除雪車が近づいてきていることに気が付いた。雪洞の穴は道路に面しており、
私は死の危険を察知した。しかし、シュラフカバーに入っていた私は、すぐに穴から脱出するこ
とができず必死にもがいていた。そしてとうとう除雪車が私を押し潰さんとした時、私はピーク
に達した恐怖と興奮で気狂いし、除雪車の溌音に掻き消されまいとしたのか本能的に叫び声を上
ている。そう実感した時、体からすっかり力が抜けたが、激しい鼓動と荒い呼吸だけはおさまら
’
初めて使うシールは軽い斜面を登るのには楽であったが、少しきつくなると力のかけ方が悪い
ためか何度もずり落ちた。それに、登る向きを変えるときや、単にバランスを崩したりしたとき
にこけると、木の棒のストックはずぶずぶと雪に刺さり、立ち上がるのにやたらと手間取った。
やがてB氏は見えなくなったが、時々上のほうから、
111
l︲︲︲︲l︲l︲l‘︲︲︲︲1−︲’0.111,,lIlll︲’’’111●︲︲・llll’0.︲lIl8PIll︲︲ib0Il︲l︲︲・10?︲︲,lIlIlI●︲0,︲︲︲
1
ち着いて、私はとりあえずその辺の木をなぎ倒しストックの代わりとして登ることになった。
「
「なあ−んだ。面白いもん見損ねたなぁ。」
本気なのか冗談なのか今でも分からない。
2003年になって、B氏と春香山に行った。いつものことだが、私を先に歩かせ、B氏は頻
繁に私が現在地を把握しているかどうかチェックしてきた。少しでも違っていれば容赦なくスト
ックが上を向いた。ルートやピークを間違えるなど、いろいろ失敗もあったが、初めてふかふか
のパウダースノーを滑ることが出来て本当に楽しかった。そして、オーンズまで戻ってきてスキ
ー場をBさんと滑っているときにB氏にこう言われた。
「なんかスキーうまくなったじゃん。」
気分としてはいつも超ハイレベルなスキーヤーになりきっていた私だが、お手本にしていたB
氏に初めて褒められて、ちょっとだけ嬉しかった。
もうB氏はスキーをしなくなってしまったが、いまでもB氏によって培われた精神は私の心
に息づいている。
B氏よ、ありがとう。
そしで、人間としてその根底から琴え直してください。
文責若
1
一
’
一
T"一一-一首 ..一 一一.
!︲︲1111︲6ず’■■■q,︲Ⅱ01画。69︲’9’。■ロロ■■r4IpL1l8010日ト0’〃Ⅱ,9今4’■6DJDⅡ1″1口■画﹄。ⅡIⅡIhⅡ0110ⅡIl1l00IIIlⅡ074Ⅱ0I6BrI1IIIIl1IIIIII4liI︲II1llI
’
(
神の意思に背いた者達
この物語は、神の意志に背き、そのために神から見放された者達の悲劇の物語である。
I
111︲11■Illll
始まり
ある夏の暑い日、この時もM氏が「サイコロの旅でもするか?」と突然言い出した。
この時私は、「何を今更、某番組のパクリをしなきやなんないんだ。」と心の中で思った。
l0ILJが
|
I
ノ
llIIil
I
11︲・ロ・・・iII・・ⅡIIIII刑1..J.。.1日■ⅡⅡⅡⅡⅡⅡ!ⅡBⅡpq8Ⅱ94fIlIIIIIII0I
’
’
’
1
I
’
この時,我々の気の緩みを神様は見逃さなかった…
投げたサイコロの目は…3能取岬…つまり網走。
現在が定山渓のため少なく見ても8時間はかかる距離。
「よつしや−11行くか網走11」あまりの遠さに壊れかけのハイテンシヨンになる4人。
いったんデュークヘ寄り、網走へ向け出発。
6:00能取岬到着
しかし他にやる事もこれといってない状況…
能取岬まで来た事と、ちょうど朝日を拝めた事もあり、そんなに疲労感はない。
その場にいた四人(作者、B氏、M氏、S氏)ともそれほど乗り気ではないが、退屈さに
冗談で「ここで松前が出たら、今見た朝日は沈みかけの夕日になるな。」と言っても笑える
負けスタートとしてサイコロを振る。
状態だった。
決め方としては地図上でまず3桁目,次に2桁目そして1桁目という方法でぺージを決定。
しかし、5分後全員が深い沈黙の世界へといざなわれてしまった。
その中から目に付く場所へ行くという決め方にした。
この時神は、鬼神へと豹変していた。
この時、サイコロの神様は我々のやる気を見透かして、登別という手頃な目的地を与えた。
出た目は3だった。松前…
13:30デュークスタート
全員テンションが急降下。
「…とりあえず市内へ行きコンビニで飯を食おう…」
「帰ろうか」と誰かが言い出すのは時間の問題に思われた。
すると、M氏が電話帳を見ている。
「何してるの?」と聞くと「…松前さんを探してる…」と言う返事が返ってきた。
一瞬「なに言ってんだ?こいつ」と言う表情をすると、「だってあの紙には松前としか書いて
ない!!松前町なんて書いてないじゃん11」と半ば逆切れ気味に言われた。
晴れた空、退屈からの脱出、手頃な場所、そして温泉となかなかの条件がそろい企画は
日帰り温泉旅行という様相を呈してきた。
15:30登別到着
駅前で写真を撮り、登別温泉で一風呂浴びる。
「おいおいそんな庇理屈、北の国なら将軍様に首をはねられんぞ」
そしてサイコロ2投目…
次の目的地は定山渓に決まった。現在地からも札幌からもそれほど遠くはない場所。
lIlllllll
l︲lllll・︲l
神様は人の心を掴むのが上手い。
この時、我々の間には僅かながら甘い考えが生じ始めていた。
「おいおいこの企画って温泉巡りだったつけ?次あたりで札幌でるんじやないか?」
と全員が思い始めた。
I
’
|卜
F'
|I
3能取岬6弁慶岬
奇跡的に網走までテンションは落ちず目的地までたどり着く。
人間あまりに退屈な状況に陥ると何をやらかすかわからない。
’
、 一‐
17:30定山渓到着
というのが一般の反応だろう。
しかし我々には非の打ち所のない理論に聞こえた。というか無理やり聞いた。
そしてタウンページを探すとたった一人だけ網走に松前氏はいた。
ここはある意味「松前」で助かった。もしも「椴法華」だったら絶望的だった。
更に幸運な事に、その人物は接骨院をやっている。
車で付近まで行き、その住所内をしらみつぶしに捜索し始める4人。
早朝7時の住宅街をうろうろする不信人物達。通報されてもおかしくない状況だった。
少
oIIjlr︲1J、I︲■911,0■イi1If0
;
そして探すこと1時間ついに発見。
ここで、従来の決め方では面倒なので、新システムを採用した。
各
人
の
行
き
た
い
所
を
六
カ
所
ピ
ッ
ク
ア
ッ
プ
し
、
サ
イ
コ
ロ
を
振
る
。
空いた場所にはまた行きたい所を書きこむという方法だ。
’
ある意味ミッションを完遂した4人はテンションだけは持ちなおしたが、それと同時に
最初の6カ所は以下のように決まった。
1札幌
札幌帰還の声も上がりはじめた。元松前の場所には札幌の文字が書きこまれた。
4摩周湖
2松前
7:00松前?到着
I
5羽幌
J
確率2/6
I
jO■日’11﹁︲8F
▽
今
。
亨
蟇
−
劉曝譲垂驫孟品:二;当…、−.…−−−‐←
÷
−
1
−
−
−
匙&
0
一
一
一
_ _ や − − − − - 一 一 一 一
一一
■ ■ − − a − − −
一
T
一一一 − ‐
’
’
しかしサイコロの神改め鬼は、我々の不正に対し罰を与えた。
ロシア番外編
4摩周湖
「まあ、札幌に近づくしいいか」と言いながら出発。
榎本充孝
9:00摩周湖到着
2002年3月21日(木)
この辺りでさすがに疲労感が全員を襲い始め、うつるな目で写真を撮る。
1
1
卜
もちろん元摩周湖には札幌の文字が書かれた
確率3/6全員の考え「さすがに札幌が出るだろう」
5羽幌札ではなく羽。1文字違いだが行き先は全く別の地へ…
昔から神の教えを聞かぬ者には天罰が下るとは言われているが、ひど
い仕キ
ひどい仕打ちだ。
もはや精神は麻庫状態。特に何も考えずただ羽幌へ向けて車を動かす。
’
’
’
11111
1
’
ったら新潟は全く暖かくない。地元の人の話ではつい数日前まで暖かい日が続いていたの
だが、今日になって急に気温が下がって天気も下り坂だそうだ。ついてない。,、
I
’
5時間後
I
I
14:00羽幌到着
こに泊まるのはダメだから、敷地内も含めて。」としっかり釘を刺してくれる。この日は仕
方なく重い荷物を背負って2時間近く歩き、河川敷にテントを張って寝ることになった。
到着と同時にこの無謀なバカ企画もめでたく24時間をオーバー。
とりあえず、昼食と仮眠を取る。
’
’
|
2002年3月22日(金)
11
1時間ばかり休憩を取った後に、神の審判を受ける。
すでに札幌の目は4つ。確率は4/6までに達していた。
久しぶりに、本気で神に祈りながらサイコロを振った。
|
神様は微笑んだ…目の前にいたら殺したいくらい憎らしい笑顔で微笑んだ。
,1
6弁慶岬
1
ちょうど石狩市内に入った時、
弁
慶
岬
方
面
へ
は
直
進
、
札
幌
方
面
へ
は
左
折
と
い
う
看
板
が
目
に
飛
び
込
ん
で
き
た
。
「・………・………。」しばしの熟考の後に、
再
び
神
の
教
え
に
背
く
こ
と
を
決
意
し
、
左
折
ウ
イ
ン
カ
ー
を
点
滅
さ
せ
た
の
だ
っ
た
。
■ⅡL0■1日ⅡIトー’111″■IlB0■I01jrliIⅡ・8,0111411■9Ⅱ1日V︲︲d・Il1j1IIL89
︲11︲l︲41︲︲0,11︲qqI︲・甲l︲111
111日IIlJI11fIlo0︲01,︲︲︲’1110’716.,︲l︲︲
j0,︲IIJ用OpIF1︲1,10■F■IIILlFIIⅡII1I1jI.ⅡIl8ljlI04jI7lIIりlIlll1.111日I上り1口■■7︲1r︲’11110︲I11IjIIlI11トー1日1︲lIiII﹃■’’’’18口1.191︲Lj1日
徹
マ
ン
で
大
負
け
し
た
時
よ
り
荒
ん
だ
心
で
オ
ロ
ロ
ン
街
道
を
ひ
た
す
ら
南
下
。
他の三人は熟睡中。
’
│
面行きの車に乗せてもらおうと考えていた。持ち物は30kgのザックに加えてスキー一式と
この空港で眠れないかなと思いながらベンチに座っていると、警備員の人がやってきて「こ
’
ノ
なぜか「ピッチ」で返ると言ってしまい、後に引けなくなっていた僕は新潟から関東方
そり。トラックのような大型車でなければ乗せてもらえないだろう。今日はもう遅いので
|
|
新潟空港に降り立った。寒い寒いロシアを離れ、やっと暖かい日本に帰って来られた思
雨音で目が覚める。昨日横着してフライを張らなかったのでテントはびしょ濡れになり、
急いで橋の下に避難する。ロシアで買った韓国製のまずいインスタントラーメンを一人ス
ペアで作っているとさすがに嫌になってくる。電車で帰っちゃおうかな、分からないだろ
うし。いやいやここで折れるわけにはいかない。もう少し頑張ろう。雨の降りが弱まった
ので近くの道路でピッチを始めたものの車は全く止まってくれない。場所が悪すぎる。場
所を変えよう。最寄りの駅から電車に乗って目的地の関東から遠ざかる方向に駅三つ分向
かう。三つ先の駅のそばに国道7号線が通っている。ここなら車をつかまえられそうだ。
目的の駅に着いてからまたまずいラーメンをスペアで作って食べる。今の自分がバカ以外
の何者にも思えない。一刻も早く家に帰ろう。
一時間後運良く地元のおばさん二人、おばあちやん一人、小学生くらいの子供二人の乗
ったタウンエースに乗せてもらう。事情を話すと、「それなら道の駅がいいわ。あそこなら
トラックがたくさん集まっているからすぐ関東に行く車も見つかるわよ・」とうれしい情報
を提供してくれる。そのまま道の駅まで乗せてもらい、周りを見渡すと確かに大きなトラ
ックが5,6台止まっている。これで家に帰れるぞ。記轆写蕊を一枚撮って笑顔で分かれ
たが、そんなにうまくいくものではない。
文責ソル
2002年3月23日(土)
}
I
II
〃
ジ
星
し冬
一一__一一−−−マーーーーーー_司口一-一一一一一-二一・二一一一一F■−−−−■−−−一一一一一一一一一一−−==一一-−−−一・--『一一一一一三Ⅱ
rマ
I
−
丁 一
’
一三=三一二一一一一一一一一一一一一一一一一一
’
る。身に付けているお守りの類は全て外すように指示され、ヤンママのヤン車に乗り込む。
僕を乗せたヤン車は雨の国道7号線をぶつ飛ばして日蓮様の像に向かった。
体が痛くて目が覚める。今日も雨だ。ついてない。昨夜は道の駅の自販機コーナーのベ
ンチで寝た。自販機コーナー中央のベンチに僕が寝ている。深夜たまにジュースを買う人
着いた先は普通の小さなアパートの一室。玄関を開けるとおばさんが一人出てきて二階
に通され6畳間に入り、仏壇らしきものの前におばさんが正座しその後ろにヤンママと僕
が入ってくるが一切無視する。僕の格好は上が黄緑色のヤッケ、下は赤色のズボン、靴は
111
’
プラブーツ。目立たない格好ではない。朝になると外のベンチでロシア製の乾燥ボルシチ
でスープを作り、炊いた米と一緒に食べる。みじめ以外の何者でもない。昼間はトラック
にピッチの交渉をする。東北・関西方面に行くトラックはあるものの関東に行くトラック
は一台としてない。結局この日は30台以上のトラックにアタックしたが一台もつかまらな
は世間一般で言うところの「ヤン車」が多い。しかもその数が次第に増えていくような気
がする・・・。夜九時、駐車場は100台以上のヤン車のみで埋め尽くされた。車内はもち
ろんプラックライト。取り付けたスピーカーからは大音量の音楽。小刻みにジャンプした
りドリフトを繰り返したりする車の群れ。一台のヤン車には大抵,∼3人乗っているのでざ
I
|
っと計算して今この道の駅にいるのはヤン車に乗っている人2人/台×100台=200人十僕
ということになる。身の危険を感じずにはいられない。僕のいる自販機コーナーの部屋に
もヤン車に乗っていた人たちが溜まりはじめる。外は雨が降って寒く、大量の荷物があっ
て逃げるにも逃げ場のない僕は部屋の隅っこで一人体育座りをして嵐が去るのをひたすら
待つ。幸いだったのはヤン車に乗っている人たちがコワイ人たちではなく、真に車の改造
のみを楽しむ人たちだったことだ。彼らは僕の存在を一切無視してお互い車について熱く
、■■■■且■50ⅡⅡⅡⅡ■■■■■ⅡⅡⅡlldⅡ9Ⅱ1...︲
熱く語り、情報交換をしていた。日付変わって翌日午前3時頃集会はお開きになり、僕は
眠りについた。
!
I
’
’
すといった具合だ。儀式は10分程度で完了し、僕はおばさんに「おめでとうございます。
只今あなたは日蓮宗に入信されました。」と告げられた。日蓮様の像に触れてもいいとは言
ったが、入信するとは言ってない。僕は曹洞宗であり、改宗することはできないので黙っ
帰りの車の中でもヤンママと話したが、彼女は入信して本当に運命が変わって暮らしが
楽になったそうで、だからあなたの状況もよくしてあげたかったというのだ。やはり悪い
人ではなかったが、複雑な気持ちで道の駅で別れた。
2002年3月25日(月)
日蓮宗恐るべし。昨日までの雨はうそのように晴れ上がって気温も上がって暖かい。し
かもこの日僕は実家のすぐ近くの国道を通る関東行きのトラックをつかまえて実家に帰る
こともできた。
IIlll
| ’
ノ
が並んで正座する。おばさんが鐘を小さく鳴らしお経らしきものを声に出してゆっくりと
読み始める。それに続いてヤンママと僕がおばさんの読んだ部分を復唱してそれを繰り返
ていた。
lO4Ij6IⅡ11ddI■ⅡⅡjもlⅡ
11l
|
I
’
今日もあの硬いベンチで寝るのかと思いながら外を見ている。気のせいかこの道の駅に
’
I
|
いまま夕方を迎えた。
11110lIiIl
’
1
当時はピッチで帰ると言ってしまったことを心底後悔したし、道の駅で雨の中ピッチの
交渉を延々とやっていた時には自分のバカさ加減に呆れ果てたけど、こんなことでも今で
は楽しかった思い出の一つになっている。
2002年3月24日(日)
●
;
Il
l
11411
│
l
・I
1
l
Ij
l
’
’
I
穿
争
つを返した後僕がここに来た経緯と現在の状況を簡単に話す。いくつか会話のやり取りを
していると彼女たちがしきりに「今あなたの状況がよくないのは気が足りないからだ」と
いった内容の言葉を繰り返し、さらに「気を回復させるためには日蓮様の像に触って気を
回復させる必要がある」と続ける。このあたりでこの人たちがどのような人たちなのか80%
理解し、脳裏には小川ちゃんの顔が浮かぶ。さらには「今から日蓮様の像に触りに行こう」
と強く誘われる。はじめは必死の思いで断るがその人たちの姿に悪意はなく、渋々承諾す
了
|,
I
■1.1叩1901
11
弓
今
う
|
,}
│
’
。。■・ロロロロロロロ叩■叩■叩ロロロロロ●畢諦
トト1..卜朏......0ⅡIr‘甲Q■1足■■■04F呂早・■■■■L8UJ2■ⅡⅡ“.r11.膳恥︾一峠吟搾峰砕︾峠︾︾峠
|'
チに座り込んで考え事などしてみる。自分は何をやっているのだろう。これからどうしよ
うかな。ぽ−つとしているとウンコ座りしたいかにも前ヤンキーやっていましたという感
じのヤンママニ人と目が合った。「こんばんは。」向こうからあいさつをしてくる。あいさ
︲︲︲11︲j1fI︲111︲1全一︲I︲111︲︲111Fい︲111︲︲1111申叫pD1鬼111
1日ⅡFII1ⅡIlIIIIILI0IdH■1j000L,111ⅡILI■1︲LⅡⅡ0−0・oldⅡⅡ1flI1I■〃ロ日■甲■Ⅱ
’
IllllliI
「
今日も僕はピッチの交渉を雨の中続ける。いくら聞いても関東行きの車は見つからない。
売店のおばちゃんの「あんたまだいるの?」という視線が背中に突き刺さる。交渉台数は
30台を越え、今日も車をつかまえられないまま夜を迎えた。途方に暮れて寝床の硬いベン
4上
一 一 一 一 一 J 一 一 一 一 一 一 一 一 三 一 一 − - - - − 一 一 一 一 面 一 一 一 一 一 一 一 − 一 − −
一 一
− − 一 ー −
- _ _ _ 言 ■ − ,
一 一 一 一
一
一
Y-- --一一一 ‐
’
一
一
一
一
一
一
一
一
一
=
一二=一一一一一一-一一一一一一一一一一一一一一
一
’
客
後日、支笏湖で、奈良で買った材料でイカダ作成、浮かべる、わ−い浮かんだよ。もうい
こんなんでいいのかよ
=
いね、いっぱい、いっぱいだね。
これで第一回本州スタック計画の報告を終わります。
ところだけをお読みになってください。
次元
11
今回の部誌は三部構成になっています。別に続き物にはなっておりませんので、お好きな
1
1
第一部今年度ワースト活動報告書
琵琶湖イカダ水上生活(長谷川、棚瀬、次元)
lllLI1ll︲Illll︲I
lllllJ11
この活動はあまりのひどさに記憶も今では薄れている。果たして我々は本州まで一体何
をしに行ったのだろうか。
lI
ll1lll
0J日日1119
l
l
ョツト転落、死亡者あり。翌日行ったら、ヘリコプター飛んでました。この時点で多分メ
ンバーの中には「やめようか」みたいな雰囲気が生じていた、というか計画の時点で半分「や
りたくないな」と思っていた(多分みんな)。しかし、誰もその禁句を言葉にすることはなか
った。琵琶湖がだめならどこにする?ということでサイコロで行く場所を決定することに
1,USJに行く
2,シマノの自転車博物館に行く
4、札幌に帰りたい
5、札幌に帰り、支笏湖でイカダ生活
|
6,吉野川でイカダくだり
I|
I
1
I
あ、で、札幌案はリーダーのハセキョンの希望でした。活動中終始り−だ一は「札幌に帰ろ
う、ねえ、札幌に帰ろう」の一点張りだった。ねえ、はせちやん、札幌には何があるの?
サイコロの指し示した場所は3の熊野川だった。僕らは琵琶湖から南下し、奈良県と和歌
山県を流れる清流熊野川へ車を走らせた。熊野川へ行く途中、吉野川の河原で一泊。次の
日の朝、さあ出発しようという段階になって、車がでない1アクセルをふかせば、タイヤ
はより深く地中へと食い込んでいく、そう我々の車はスタックしてしまったのだ。何度も
ジャッキアップし、下に板をいれ、車を出そうとした。やっと車がでたのが14:00.
9:.00からまさに5時間の大奮闘であった。そして、疲労困値のなか、やっと熊野川に
着いた。どこに泊まるという話になって、嫌がる長谷川を尻目に私と棚瀬氏は熊野川の河
原に泊まることに決定。そして案の定、本日2度目のスタック。さすがに、みんな疲れ果
て、その日はスタックしたまま寝ることに・・次の日の朝、一台のジムニーが僕らを助け
出してくれた。いや一、やっぱジムニはすげ−や。台風到来、みんな萎える。暗黙の了解、
嫌がる棚瀬を尻目に舞鶴港へ車は走る。そのまま渡航...
I
’|
。bb笹ⅡI
dqqll‘b
、
ープでふさがれ、馬場氏は電気を消し、部屋を出ていき、ほったらかしにされたのです。
J君によると、立とうと思うと首が締まり、立つことすらできない、あれは地獄だという
ことでした。そしてそのままJ君は力尽き、眠り込んでしまいました。深夜お月見に行っ
ていた人たち(吉田、紅林、ソル、若、ハセ)がデュークに帰ってくると、J君が死んでい
るではありませんか。彼らはJ君にライターを与えました、J君は手から首につながって
いるロープを何とかライターで燃やし、立つことができるようになり、足にイトノコを挟
み、手のロープを切ることで馬場氏の恐怖からやっと逃れることができました。J君曰く、
監禁されたスパイの気分だった、引田天功の気分では決してないということでした。とい
うわけで、馬場氏に「技術賞」が与えられることは探検部一同にとっては至極当然のことな
のです。
Ⅱ14︲I011111争IU﹄10■ⅡJj01g0IL11︲11116111︲I
dJ0■■■111■0■■Ⅱl■■1111ⅡIF上り0︲
l・f1ll︲0,1︲101’’110.1︲’’71︲,l
1
4
Ilf4lbL9l9−。.jII1lⅡIⅡ11﹄ⅡFh6■,’ⅡrIIII0.︲b
lll■11I
■I■F1■lⅡ1311︲.11111︲I011IPlIJ
灯哩●●●謡嚥謹む轍率簿轆鶚講ぞ謎珠
1
ョンやってよ、ねえ、やってよ、縛ってあげるから、イリュージョンで抜け出してよ。ベ
ストを尽くせ!」そして下級生J君は一本のロープで足、手、首を縛られ、目、口をガムテ
’71.111J︲f1︲︲1︲lIIlIl4︲lpIIj4︲→︲1︲j︲︲’’’’’11砂凸ID1llも︲1lb■可1011’’1.0111︲110︲・qIlI・︲I︲︲40Ⅱ
I
古色
で集まったことなどあったろうか、いやはや思い出したくもないわ。活動前日、琵琶湖で
3、熊野川でイカダくだり
1
馬場氏は『縄』という巧みな発想と技術を活かしました。「引田天功みたいにイリュージ
してみますかというものであった。しかし計画はズサンナもの、一体計画のためにみんな
︲1qll’1●IllII1lIl1’︲I“1411トー1171︲j0pP0l1JIrjq1‘87ⅡⅡF1f00Ⅱ00,トーfhIlIP
I│
’|
今年度素晴らしいイジメを決行した人々に送られる栄誉ある賞「全日本イジメセレクシ
がノミネートされたのです。それでは彼らの実績を振り返ることにしましょう。
まず活動計画としてはイカダを作り、その上にテントを張り、1週間ほど水上生活でも
I
111︲IrII■Ⅱ■
’
全日本ベストイジメセレクション
ョン」に、我が探検部から二名がノミネートされることになりました。まず、道具を使っ
た華麗な技を展開したイジメッ子に送られる「技術賞」の部門で馬場広樹氏が、そして理
由のない理不尽なイジメを展開したイジメッ子に送られる「強行賞」の部門で加藤周一氏
’
ノ
第二部ディアソル・パパ
紬
加藤氏は無意味、無根拠という『無』というテーマをイジメの中で巧みに表現しました。
わけもなく、H君の頭に口に含んだお茶を垂れ流し、学校であえば、わけもなく下級生を
蹴り、ひとりわけもなく北50条まで夢遊し、温泉に3時間もJ君を監禁し、J君が出よ
うとすれば「オマェはボブ・サップのハイキックに敗れるミルコ・クロコップだ。」と言い、
J君を蹴飛ばす、などなどの理不尽きわまりないイジメを犯してきました。そしてその行
動一つ一つには何の意味も含まれることがないのです。ただ自己の快楽のためだけに、意
味など必要とすることなく東奔西走するばかりです。しかし、彼から被害を受けたものた
ちは、彼が考えている以上に苦悩にさらされているのです。というわけで彼には「テーマ賞」
ではなく「強行賞」がふさわしいということになり":《本審査委員会は彼を「強行賞」の部
門でノミネートした次第であります。
「全日本イジメセレクション」の発表までもうすぐです。さあ、今年は誰がグランプリを
猫得するのでしょう。
〃
‐‐−−−−−−‐-=‐一一-−−-=--≦一一一二=二一←ざ三一。−二二二
一 厚 一 ] ー
北海道教育大学札幌枝国際理解教育課程国際協力分野所属谷本リマ
第三部青年倶楽部住人について
熊と自分
事務総局長わか副長はせ風紀委員長ガン
...andthefearstillshakesme,soholdmeuntilitsleeps."
『〃
青年倶楽部には2003年12月現在、若・はせ・ガンちやん・つがい(ぴごさん.おお
み)の五人が住んでいます。今回は僕の同期である若・はせ.ガンちやんについて語ろうと
’
思います。
初めて熊を見たのはいつだったか。
まず若君ですが、僕はいまや彼のひげの硬さ、彼の油ぎつた頬、程好く太った腕を想起
し、快楽を味わうことができるようになりました。彼は近頃ついていません、不運です。
野生じゃない、飼いならされた特徴のない熊を円山動物園で小学校の時に見た。3頭ほど狭い
濫にまとめていれられている熊もいた。それがはじめて熊を見たときだった。
1997年の夏、カナダに渡る。自分がそこに4年も滞在することなんて考えていなかった。カナダ
多分厄年です、年齢を詐称しているのでわかりませんが。この前も、もう少しでオレオレ
詐欺にひっかかるところでした、結局単なる被害妄想極まりなかったんだけど、そうそう
車寅次郎は被害妄想という言葉を知らなかったんだって。それで最近は僕の発言を軽くシ
で初めて買った本がLIVINGEARTHというアイウイットネス社から出版されている図鑑。‘白熊に
ついて94ページから95ページまで2ページも使って説明されている。そこに忘れもしないKING
OFTHEARCTICというタイトルがつけられていた。
カトするのです、ああ僕は君のことをこんなに思っているのに。
長谷川君はなんといっても有言実行の男です。でも皿洗いができないようです。「俺も恋
に恋する年頃なんだよ!アー!」と言ってから,一週間もたたないうちにその恋を成就させ
〃
てしまいました、お見事です。今年の初めには「アー!?」という語彙しか持たなかった
男の子が二十歳の誕生日と同時に今では立派な男子になったわけで、私は今時風に言うと、
彼をリスペクトします。
ガンチヤンとは誰なのか、知らない人はピンとこないと思います。実際ガンチヤンに会
1
不思議なことに自分はよく熊の夢を見た。別に続けてみるわけじゃないが、覚えている範囲でも
最低4回は熊の夢を見ている。夢なんて自分で選べない。この頃から熊は自分のなかに内面化
してたのか。夢のなかにでてくる熊は常に凶暴で自分を殺そうとした。いつも建物のなかに立てこ
もったり、屋根や柵の上に登って喰われまいとした。次の朝は怖い心臓の鼓動と手と背中の汗で
とてもいい朝を迎えられるもんじゃなかった。あまりの奇妙さに夢判断の本なんかを家の側の図
書館で借りたりする。それが発端になり約一年間、星占いや魔法に没頭することになる。1998年、
白い永遠の夏のことである。最後に熊を夢で見たのは悪夢の知床半島一周計画の後だ。
ってみると、もっとピンとこないと思います。ほんとにピンときません。焦点が合いませ
’
探検部の野郎2人と知床半島を歩く、一週間の予定。
ん、顔に生命力が感じられないのです。ガンチヤンは僕とクラス・学科(哲学科)が同じの
友達です。彼は私を友達だとは思ってはいないようですが・・三浪したそうです。元応援
団で誰も応援することなく、応援団を辞めてしまいました。根気のないやつです。授業で
は2いびき・3ケップが普通です。そういうわけで今は青年倶楽部の風紀委員長です。多
出発後、5日後に自分だけデュークに帰っている。ひとりだけリタイアして札幌に帰ってきたのだ。
最初は楽しかった。だけど熊の潜む林道を歩いた2日目から恐怖に頭が犯された。
分これから先も彼とはあまり打ち解けることができる気がしません。入学当時はもつとマ
"ほんとうに怖かった。ずっと自分が何かに跡をつけられている、見られている気がした。3日目
の朝、恐ろしさで足が震えた。体力の問題もあったけどそこでリタイアして、岩の上でうずくまった
シだったのに。。。
後に人のいる番屋へ引き返した。
彼らはそれぞれに人並みはずれた人達です。でもスペシャリストではありません、そう
いう意味での人並みはずれた人ではないのです。どういう意味であるかは皆さんがよくご
存知だと思います。あと何年か彼らと生きていけることは一つの恥であり,一つの誇りであ
ります。
実際に熊を自分の目で見たのはあの日から33日もたった2003年9月17日の夕方になる。
前の日に会ったばかりのおじさんに車に乗せてもらい、バンクーバー島西部に位置するカーマ
ナ・ウオルバーン州立公園からの帰りで、夕暮れ時だった。おじさんはアラスカで幻の白い熊の
撮影に成功したフォトゲラファーでもある。
車が砂ぼこりをあげながら粗悪な道を走っている。数分前までいた原生林では結局野生の熊と
出会うことはなかったので残念な気分でカーラジオをいじっていた。役に立たなかった熊スプレー
の重みが腰のベルトにかかってくる。ちょうど熊の話をしていたそのとき、おじさんが「あ、熊だ」と
口走った。車の走っている方向に目を向がいく。
顔をあげると、自分の目に勢いとともに森のなかへかげてゆく、黒くてずんぐりした動物が鮮明
に映った。最初に発した言葉が"ohmyGod''である。我ながら恥ずかしい。同時に人差し指がデ
ジタルカメラのシャッターを押していた。
熊へのオブセッション、ここからはじまる。
タ
ク
舞
功
8
童=−−−−-一一一=一=一一薑=一一一一右琴雲=雲三垂軍で--−零で一一 =
ー . _ -
一
|
今,‘
一
一=
==−−…電-薑≦一一一皇二二二三言一室
一 一 一 ÷ = 一 一 一 五 一 一 一 号 r = - - 一 一 二 ÷ 三 一 豆 −
=
【屋
一 ‐
一
燕譲::蕊講評罵燕素志.一=一一-.
『■ー一一一一一一一一一一ヨーーーーーーF−g』-
認・エ四.,.….尋も岬榊。.r
一
マ
一 一 一 一 一 一 一 . ‐ ー . 一
qー■ロ一一一マーーロ
I
自分にとって熊は神聖な存在であり、
畏れと同時に憧れのような感情もいだく。
知床半島海岸を行く
そもそも人間と熊はきっても切れない関係にある。人は昔、熊を捕らえて食料とした。肉はもちろ
ん、毛皮や骨、または内臓といったあらゆる部分が利用され、それで人は生きてた。そして人々は
’
その日、若と二人、リマちやんを一人番屋に残し出発した。一度は三人で引き返すこと
に決め一泊倉庫を借りた番屋に戻ったのだけれど、そこで漁師のおっちゃんが、「おまえら
男なのにもう諦めたんか。」と一言言葉を投げかけてきた。この一言で若と二人、急迩これ
熊
に神の存在を見出した。アイヌの「熊送り」という儀式がもっとも身近な例だ。熊の強さをあがめ、
それにおののきながらも共に歩んできた。
はやはり引き返すわけにはいかないという結論に達し、リマちやんのことは漁労長さんに
自
分
は
根
っ
か
ら
の
現
代
つ
子
だ
。
コ
ン
ピ
ュ
ー
タ
ー
を
は
じ
め
と
す
る
テ
ク
ノ
ロ
ジ
ー
無
し
じ
ゃ
と
う
て
い
生
き
て
い
け
な
い
。
い
や
、
生
き
て
け
る
け
ど
様
々
な
乗
り
越
え
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
壁
が
で
て
く
る
と
お
も
う
。
そ
ん
な
ⅡI1Id口’11.,111■qlI︲jiq
頼
み
、
「
俺
た
ち
を
男
に
な
ら
し
て
く
れ
。
」
今
か
ら
思
う
と
わ
け
の
分
か
ら
な
い
こ
と
を
言
い
出
発
し
た
自
分
が
赤
い
臭
い
の
す
る
熊
と
密
着
し
た
生
活
は
と
う
て
い
送
れ
な
い
。
人
間
は
熊
か
ら
奪
い
す
ぎ
た
。
豊
か
さ
を追い求めて破壊しすぎた。
のだった。
そ
の
後
、
二
人
で
一
度
引
き
返
し
た
場
所
に
戻
り
、
ウ
エ
ツ
ト
ス
ー
ツ
を
着
て
、
一
応
ザ
ッ
ク
”
'
中
身
普
段
、
日
常
生
活
を
生
き
て
い
る
と
古
い
銅
貨
を
な
め
た
と
き
の
よ
う
な
、
鉄
っ
ぽ
い
味
の
す
る
瞬
間
が
あ
る
。
身の周りの出来事や考えが安っぽかったり、意味がないと感じるときだ。
も
防
水
し
て
泳
ぎ
始
め
た
。
波
は
さ
ほ
ど
高
く
は
な
く
、
海
水
の
温
度
も
ウ
エ
ツ
ト
ス
ー
ツ
を
着
て
い
れ
自
分
の
脳
裏
に
移
る
熊
は
、
小
学
生
の
頃
見
た
、
濫
の
な
か
に
ま
と
め
ら
れ
て
収
容
さ
れ
て
い
た
熊
で
、
夢
に
で
て
自
分
に
恐
怖
を
与
え
な
が
ら
も
自
分
を
魅
了
す
る
ほ
ん
と
う
の
熊
は
遠
く
離
れ
た
森
の
中
に
い
る
。
ば
さ
ほ
ど
寒
く
は
な
か
っ
た
。
し
か
し
海
水
を
十
分
に
吸
い
込
ん
だ
ザ
ッ
ク
は
想
像
以
上
に
重
く
、
歩
き
易
そ
う
な
、
平
ら
な
岩
場
の
海
岸
が
つ
づ
い
て
い
て
い
る
よ
う
な
場
所
で
も
、
再
び
海
岸
を
ザ
ッ
ク
を
背
だから、駆られる。大きな大地を下に、むっとするようなコケや土の匂いのする森の中へ足を踏‘、
み入れたいと。
夏
だ
っ
た
ら
自
分
は
い
つ
で
も
構
わ
な
い
。
来
年
で
も
再
来
年
で
も
い
い
、
ま
た
ザ
ッ
ク
を
背
負
っ
て
旅
に
で
る。
/の
だ
。
負
っ
て
歩
く
気
持
ち
に
は
な
れ
な
か
っ
た
そして、海
岸
に
そ
そ
り
立
つ
絶
壁
、
絶
壁
を
流
れ
落
ち
る
滝
を
見
な
が
ら
、
ま
た
本
当
に
透
き
通
っ
て
い
た
海
水
の
な
か
を
観
光
船
が
つ
く
っ
た
波
を
避
け
な
が
ら
’
’
1
I
ザ
ブ
ン
、
ザ
ッ
プ
ン
と
波
に
揺
ら
れ
な
が
ら
泳
い
だ
の
で
し
た
。
そ
し
て
、
そ
の
日
は
大
体
3
時
く
ら
い
に
辿
り
着
い
た
番
屋
で
行
動
を
中
止
し
た
。
自
分
た
ち
が
辿
り
着
い
た
時
、
番
屋
に
は
誰
も
い
か
っ
た
。
と
り
あ
い
ず
、
ウ
エ
ッ
ト
を
脱
ぎ
、
ザ
ッ
ク
の
中
身
を
乾
か
し
た
。
ザ
ッ
ク
の
中
は
完
全
に
海
水
が
入
っ
て
し
ま
っ
て
い
て
テ
ン
ト
、
服
、
ス
ペ
ア
、
ペ
ン
ネ
(
パ
ス
タ
み
た
い
な
の
)
、
ラ
ジ
オ
と
こ
と
ご
と
く
濡
れ
て
し
ま
っ
て
い
た
。
こ
の
ま
ま
、
番
屋
に
’
111Ⅱ‘■BOIIIIILl,−1711︲6111J
I
’
|
板垣
誰
も
帰
っ
て
こ
な
か
っ
た
ら
ど
う
な
る
の
か
と
い
う
思
い
に
と
ら
わ
れ
な
が
ら
、
二
人
で
ぬ
れ
て
し
ま
っ
た
も
の
を
乾
か
し
た
。
出
発
す
る
前
は
、
他
人
の
力
は
借
り
ず
に
い
こ
う
と
思
っ
て
い
た
に
も
か
か
わ
ら
I
’
ず
、
実
際
行
っ
て
み
れ
ば
自
分
た
ち
だ
け
で
は
ど
う
に
も
な
ら
な
い
こ
と
を
思
い
知
ら
さ
れ
た
。
そ
え
か
ら
し
ば
ら
く
、
海
水
が
浸
入
し
て
調
子
の
お
か
し
い
ス
ペ
ア
で
お
湯
を
沸
か
し
、
ペ
ン
ネ
を
ゆ
で
る
準
備
を
し
な
が
ら
過
ご
し
た
。
そ
ん
な
こ
と
を
し
て
い
る
と
、
番
屋
の
沖
合
に
漁
船
の
一
団
が
現
れ
次
々
に
番
屋
の
あ
る
港
の
ほ
う
に
や
っ
て
き
て
港
に
接
岸
し
た
。
び
く
び
く
し
な
が
ら
、
若
と
二
人
で
漁
師
の
お
つ
ち
や
ん
達
に
話
し
掛
け
た
が
相
手
に
し
て
も
ら
え
ず
、
な
ん
と
か
も
う
少
し
し
た
ら
今
日
、
番
屋
に
泊
る
当
番
の
人
達
が
く
る
こ
と
を
教
え
て
も
ら
っ
た
°
仕
事
中
の
漁
師
達
は
と
て
も
無
愛
想
だ
。
そ
う
し
て
漁
|
I
’
│
船
の
一
団
は
去
っ
て
い
っ
た
。
し
ば
ら
く
し
て
三
人
の
漁
師
を
乗
せ
た
小
型
の
漁
船
が
や
っ
て
き
た
。
再
び
若
と
二
人
で
話
し
掛
け
た
が
「
漁
労
長
に
聞
け
。
」
と
い
わ
れ
る
だ
け
で
、
漁
労
長
だ
と
思
わ
れ
る
人
に
B■■■■■q66日■qIdⅡf■1111Ⅱ“も■居﹃可︲41・qHIIllIIIjL0JⅡ610“9711日︲tD・B0rlFl1LlII1414︲︲f1I︲lⅡ8屯41
0●8ⅡⅡⅡPⅡ■FIIIII8ⅡⅡ■11111401171101■FFFIIII1l4rl00a■I■lIll11lIdⅡllIIdII
■。bⅡ甲IIIIl
卯
察
宇
:Y111
:
“
:
‘
:
:
:
:
;
1
1
:
:
.
:
.
.
.
:
.
.
:
.
:
.
.
.
.
.
.
.
・
・
・
:
.
.
.
、
4
:
識:::%:賂%N
PI』
■■
"
i
、
−
−
一
■189■FIV︲■P︲■0日414口
・
|
l
i
■:■.
|
話
し
掛
け
て
も
ほ
と
ん
ど
相
手
に
し
て
も
ら
え
ず
漁
船
の
周
り
を
う
ろ
う
ろ
し
て
し
ま
っ
た
。
し
か
し
、
仕
事
が
だ
い
た
い
終
わ
る
と
漁
労
長
さ
ん
は
「
お
ま
え
ら
、
泊
っ
て
い
く
の
か
。
」
と
言
い
荷
物
を
熊
が
来
i
な
い
と
こ
ろ
に
持
っ
て
く
る
よ
う
に
言
い
、
二
人
を
番
屋
の
中
蜂
騨
曇
れ
ど
飯
を
出
し
て
く
れ
た
。
後
か
ら
だ
ん
だ
ん
、
漁
師
の
世
界
で
は
漁
労
長
が
絶
対
的
に
偉
く
、
ま
た
仕
事
中
は
何
を
話
し
掛
け
て
も
あ
ま
り
相
手
に
し
て
も
ら
え
な
い
こ
と
が
分
か
っ
て
き
た
。
最
初
は
非
常
に
と
つ
つ
き
に
く
か
っ
た
が
、
一
度
中
に
入
れ
て
も
ら
え
る
と
、
み
ん
な
や
さ
し
い
と
て
も
親
切
な
人
達
だ
っ
た
。
そ
こ
の
番
屋
の
人
達
は
−
なかなか生真面目でシヤイな人達だったように,思う。
最近思った事
その晩は晩御飯を食べ終わった後風呂に入れてもらって、みんなでk−1を見ながらビー
ルを飲んだように思う。根室から来ていたおっちゃんが一番しやくっていたが「俺は来年、
辞めさせられる。」と言う発言に対して、一番若くてゴツいヒロ君も漁労長さんも否定しな
かったのが印象的であった。ヒロ君は、見た目はかなりゴツくてあまりしやくりはしなか
ったが、何気ないやさしさが自分としてはとてもうれしかった。漁師の夜は早く九時には
何が書きたくってこの話をするのか、結論を先に言ってその後から、論じていこうと思う。
まず結論。自分の人生がどう動くかの決断は、すべて自分自身が決めていて、そのため、
寝たように思う。
すべての結果に対して本人は責任がある。
翌朝、若と二人で定置網にかかったマスを網に追い込みにいくのに連れていってもらっ
た。初めて乗った漁船はかなり爽快だった。定置網につくと漁労長さんはてきぱきとほか
の二人に指示を出しながらヒモを縛ったり、玉を付け替えたりしていった。その仕事振り
を見ていると、さすが漁労長という感じでかっこよかった。一番年上の根室のおつちやん
もがんばってはいるのだけれど、今一つの働き振りであった。準備が終わると網を引いて、
定置網の中の魚を海中の袋状の網の中に追い込み、魚が逃げないように入り口をヒモで縛
った。網が上がってくると、たくさんのマスが網の中を泳いでいるのが見えた。五ケ所ほ
どの定置網を同じように周りマスを網の中に追い込んだ。途中でマスのオンタとメンタを
一匹ずつお土産用に取ってくれた。番屋に戻ると、取ってきたマスを若と二人でさばいた。
卵にはしょう油をかけ、身の部分には塩をしてもらった。その後、朝食を食べさせてもら
い出発の準備に取りかかった。朝食に出た塩をしたマスはかなりしょっぱかった。
根室のおつちやんとヒロくんは寝ていたので、漁労長さんにお礼を言い出発した。出発
してすぐにマスを忘れたのが分かって若が取りに戻った。その後すこし進むと海に切り立
偶然は世の中にたくさんあると思う。宇宙ができたことや、俺があの家にそして、自分の
親の間に生まれたことやら、すべてが偶然からなっていると思う。力が届かないものすべ
て偶然だろう。誰かよい人に出会うのも、偶然。だから目の前に現れるやつら'がよいか悪
いかは偶然よいやつだったとか、嫌なやつだったとか。
ここまでが大前提。そしてここからが本題。そういう偶然以外のものはすべて自分で決め
ている。だから寄ってくるやつらが悪い人たちでもよい人たちでも一緒にいる決断をする
のは自分だ。偶然に生まれた家庭や家族を恨み、不幸に思い続けながら生きているのも自
分で決めたこと。天才は超人間的なもので、偶然的なもので不幸にしてすべてを失ったの
は自分の決断じやない。でも、それを何年も悔やみ続ける決断は自分でする。不幸なこと、
詐欺や泥棒とかも自分の力で未然に防ぐことはできないかもしれない。それでもそれに対
する反応はいつでも自分で選択している。
った岩場にたどり着いた。ウエットに着替えるのが面倒だったのと、昨日の経験からザッ
クをぬらしたくなかったので岩場をへつっていく事になった。若がなんなく切り抜けられ
るような場所でも、自分の技術ではなかなかつらかった。若が先に行ってルートを確かめ
何か嫌なことが起きたときに、誰かのせいにしていれば自分の気持ちは楽。それが人間の
自衛本能だし、それが普通だと思う。でもそれじゃ問題は解決されない。何かを探すのに
休んでいると小型の漁船がこちらにやってきた。乗っていたのは、なんとヒロ君だった。
部
屋
中
を
探
し
て
も
そ
れ
が
車
の
中
に
忘
れ
て
き
た
物
だ
っ
た
ら
家
中
を
探
し
て
も
見
つ
か
ら
な
い
の
と
同
じ
よ
う
に
、
ほ
か
の
人
間
に
問
題
を
押
し
付
け
て
も
絶
対
に
そ
れ
は
処
理
さ
れ
な
い
。
そ
こ
に
答
え
が
無
い
か
ら
で
あ
る
。
そ
れ
に
気
づ
か
な
い
と
ど
う
な
る
か
と
い
う
と
、
今
抱
え
て
い
る
問
題
に
対
し
て
誤
った診断を犯す。誤った診断を犯すとどうなるか、正しい処置ができない。そうすると物
事は改善されない。これに気付くためには自分で選んで生きているつてことを自覚しなく
出発の時に会えなかったからと、缶コーヒーの差し入れを持ってきてくれたのだ。ヒロ君
ちゃいけない。
たり、ザイルで荷物を引いたりしてくれた。しかし、自分の技術と体力ではあらゆる意味
で無理とだと思われる急な角度の岩場に達し、そこでウエットに着替えて岩場を抜けるま
で泳いだ。しかし、若はへつりつづけた。
そんなことをやっていると、いつの間にやら半日過ぎていた。難所だった岩場を抜けて
は「ま−だ、そんなところにいたのか。」と言い、缶コーヒーを渡すとすぐに去っていった。
その後、若と二人「冷えているけどなんて熱い缶コーヒーなんだ。」とヒロ君のやさしさに
感激した。あんなふうに自然に人に優しくできたらいいなと思った。
これから先の道のりも、若、生ビールサーバのある番屋の人達けがをした時に番屋を
開けたままにしておいてくれたおじさん、ピッチで乗せてくれた非常勤講師のおにいさん
など、たくさんの人のお世話になりました。本当にありがとうございました。人の優しさ
が本当に身にしみた旅でした。
ざ
/
つまらない環境に居続け、不満を言っているようでは環境はいつまでたっても変化しない。
自
分
が
間
違
っ
て
い
る
こ
と
に
気
付
き
、
自
分
で
変
え
て
い
か
な
け
れ
ば
何
も
変
わ
ら
な
い
。
誰
か
に
期
待
し
、
自
分
の
期
待
通
り
に
な
ら
な
い
こ
と
に
文
句
を
言
っ
て
も
、
困
る
の
は
自
分
な
の
で
あ
る
。
何
か
思
う
よ
う
に
行
か
な
い
な
ら
、
自
分
が
間
違
っ
て
い
曇
こ
ど
に
気
づ
か
な
く
て
は
な
ら
な
い
。
そ
れ
を
認
め
て
、
改
め
な
く
て
は
い
い
方
向
に
は
向
か
わ
な
い
。
気
づ
い
た
と
こ
ろ
で
初
め
て
、
そ
れ
じ
や
あ
ど
う
するか、ということになる。ここで始めて前進する。むかつくけどそういうことなのであ
ぎ
ー
塾
る。そう気づいてさっさと自分を見つめ、改善策を見つけてさっとリセットボタンを押し
て、先に進む。泣きたくなるくらいに悔しくて、自分が本当に正しく能力があるのだった
ら、今直面している問題は自分で解けるはずである。解けないのはやっぱりその問題を正
しく見れていないからである。自分がいくら正しいって思っていても、解決の兆しが見な
いのだったら、問題はもっとほかにあるはずなのである。自己否定できる人間は強いって
最近言われているけど、そういうことなんだと思う。否定できるから、きづくことができ
|
て、正しく処理できる。迅速に対処ができ、人生の貴重な時間を無駄にすることは無くな
探検部に入ってもう二年がたった。思えば、ここに入って人生いろいろ変わったなあ。
お酒も飲むようになったし、興味の幅も広がったし、人の目も気にならなくなってきたし、
親ともめることも増えたし…。いいことや楽しいことばっかりなわけはないんだけど、な
んだかやたら充実してる今日この頃。書きたいことが色々あるのにうまくまとめられない
る。だからそういう人は強いのである。
ので、とりとめもなく書いていこうと思う。つまらないと思ったらすっ飛ばしてください
すべての結果は自分が選んでいて、ゆえにその責任は自分にある。何かの結果に対してい
くら他人の責任だってそいっをせめても、結局困るのは自分。人を信じるのは悪いことで
はないけど、自分の人生の責任は自分でしか取れない。親友や彼女や親、先輩や教授のこ
(ゾーh
100キロハイクについて
己
もせめてもいいと思うけど、ただ状況は絶対に変わらない。
探検部の必修の100キロハイクは、「やっと行ったよ」という感じだった。正直、行か
ずにすむなら行きたくなかった活動ではあったけど、実際に行ってみれば、道行く人から
ちょこちょこ差し入れをもらえたりして、こんな時代に人の温かさが身にしみた。天気の
方も、最初に霧雨に降られたくらいで、あとは晴れてたしね。
あと、小樽駅でリマちやんと二人、仮眠場所を探してふらふらと歩いていた時に、変な
おじさんに追いかけられたり(私が変な人形をぶら下げながら歩いていたのが悪かったん
自分の人生にはすべて自分で責任を持つ。気づこうが気づくまいが人生を楽しむのも、無
だけど)、深夜の小樽市街でビガーさん似の酔っ払いに話しかけられて、そのまま二時間近
く一緒に歩いたり…と人間模様もあれこれ見られて面白かったな。
とは強く信じているけど、彼らの望む王になろうとは、思っていない。他人に喜ばれる人
生は結果としてなるもので、初めから狙うものじゃない。あなたがこういったから、俺は
こんな人生を歩いたのに、あなた達の望むとおりに生きてきたのにって後から彼らに泣き
ついたって、親だろうが所詮自分じゃない。責めまくって気持ちがはれるなら、いくらで
しいて言えば、日中の暑さと、帰りの手稲の長さが半端じゃなくつらかった。
駄に過ごすのも自分で選んでいる。
小川雄輝
え、ここで1−2
あと、今年の活動で一番怖かったのが本州で入った洞窟かな。
山梨に入って二つ目の洞窟(名前は忘れたけど)でのこと。そのとき、もろもろの事情
から外で待ってる次元ととつち一に引き返してくる時間を伝え、若と長谷ちゃんと私の三
人で洞窟を堪能。そして、時間も迫ってきたので帰ろうとしたときだった。
さほど入り組んだ洞窟でもないと思い,、私が先頭になって引き返して行ったのがそもそ
も間違いだった。ルートに見覚えもある。洞内図に'照らし合わせても間違っていない。な
のになぜか入口にたどり着けないと来たのだ。外では二人が待つでいるの'に、決めた時間
はどんどん過ぎていく。しかもそんな中、追い打ちをかけるようにヘドランの電池が切れ、
ぬかるみで転んだりもした。
出られない焦りと不安がどんどん募っていくのに、そんな気持ちと裏腹に、私たちは同
じところをグルグルしてばかりで出られない。私と一緒に入ったばっかりに、若と長谷ち
やんを迷わせちゃったことが申し訳鞭くて、本当に榊電繊購N‘いっぱいで泣きそうな気分に
なった。「まだ死にたくないけど、まさかここで!?」とか本気で考えたりして、かなり焦っ
た
。
結局、来るときに上がってきた部分を、帰'りもまた上がろうとしていたことが分かって、
何とか無事生還bこの時ほど卜太陽の光がありがたいと思ったことはまだ無い。
⑯
’
生田紗苗
な
。
'
1
、会
とりとめもえ兵し、言舌
雛
李
「去年行っておくべきだったなぁ」ってすごく思ったのが、学生レスキュークリニック。
本当に行ったことで勉強になったし、一年目のうちに行くべきだったと思う。心からね。
っていることなんだよね。誰かにせつつかれたり、強制されたからじやなくて、本当に自
分の意思で「やりたい1行きたい!」って思うからやっているだけ。だからその結果、自
分にとっていやなことがあったとしても、それも結局は自分の本心の表れなんだ、ってこ
と。先生が言ってたことは、多分そういう意味だったんだろうなって、最近そう思ってる。
やっぱり、その道のプロの方に技術を教われるというのは、探検部内でのレスキュー訓
練とは違った緊張感もあるわけだし、他大学と一緒に参加することで、自分たちとの技術
差の比較(いい意味でも、悪い意味でも)が出来るっていう点でもすごく得られるものは
終わりに
去年やっとけば…
大きいと思う。参加したことで、少なくとも、私自身の中では何かスイッチが一つ切り替
わった気がする。それはレスキューに関してとか、自分の心構えに関してね。だから、そ
の後に行った秋のレスキュー訓練では、今までで一番充実してたって言えるな。
人生って分からな匹
話は飛んで高校時代でのこと。私は「温泉と山菜取り」といううたい文句に輻され、入
J
1
↑
学早々、友人とともにアウトドア系の同好会に入った。先輩がいる間こそは、ワカサギ釣
りに行ったり、ゲレンデスキーにいったりするなど、微妙ながらもアウトドア活動をしな
今年は探検部にいて、本当に得ることが多かったと思う。「何を?」って聞かれるとうま
く説明できないんだけどね。
なんと言うか、自分の身の丈が分かったし、同時にその身の丈に合った事が今年ようや
っと出来るようになったかな、とも思う。もちろん、足り‘ないことばかりではあるけど、
その「足りない」ってことが分かったことだけでも、私にとっては大きなことだった。こ
れからどうなっていくのかは分からないけど、自分にあった探検をして、ちょっとずつ身
の丈を伸ばしていこう。あくまで無理はせずにね。
心
こんな駄文を読んでくださって、どうもありがとうございました!
がら過ごしていた(なぜか目当てにしていた温泉や山菜取りは行くことがなかったのだが)。
ところが、先輩が去り、気がつけば全会員がインドア派。類は友を呼ぶとはこういうこ
となのであろうか。そのため、やる活動としては、調理室で餅をついたり、なぜか編み物
をしたり、小樽近辺をみんなで食べ歩いたりするなど、おおよそアウトドアとは無縁に過
ごしていた。
ところが、その当時の顧問の一人(ロン毛&色黒=松崎しげる似)は、洞爺湖畔でのオ
ートキヤンプに一人用の折りたたみ式カヤックや、自作のカナデイアンカヌーを持ってく
るほどの「アウトドアマン」だった。しかし、彼とは対極に位置していたインドア派の私
たち会員は、
「この人やりすぎっしよ−。秀岳荘?知らない、知らない。絶対に縁がないもん。」
などと思っては、話をするにも行動するにも若干の距離を保っていた。
ところが一年後。
買い物先は、ほぼユニクロか秀岳荘。バイト代と奨学金をつぎ込む先は、沢タビ、ザッ
クにウェットスーツ。ガムテと軍手の消費量が、女子大生の平均をはるかに上回っている
ことは言うまでもない。ほんとに、人生どこでどうなるかは誰にも分からないものだ。
最近塁2−皇_と
1
再び高校時代のこと、部活の顧問(ケーム好き、英語教師。上とは別の人)が、「人生っ
てのは、やりたいと思ったことしか出来ないのさ」と言っていた。つまり「嫌なことも楽
しいことも、自分の中でやりたいと思っている部分があるからこそ出来るんだ」、ってね。
当時はその意味がよく分からなかったけど、探検部に入って二年目にして、その言葉の意
味がやっと分かった気がする。
そんな気がしたのは、探検部でのことを振り返ったとき。言ってみれば、活動に行くこ
とや、デュークに行ってなんだかんだすることは、自分が行きたいから、やりたいからや
重
宮
“
一
− − − − 一 一 一 一 一
一
一
一
ヨ ー ー
探検部3年目とつち−石川
せん。ちょっとした瀬を洗われながら流されてしまいました。頭は時々しか水面上に出な
いし、でかい岩はゴロゴロしてるし、かなり必死でした。尻別川ぐらいでなにやってんだ、
と思うかもしれませんが本当にこの時ばかりは死ぬかと思いました。船に引き上げズもら
そうです。今年こそリバベンに行ってきました。去年は自分の計画性の無さでポシヤって
った後も疲労困憾でとても漕げるような元気はありません。人生で2回、死ぬかもしれな
いと思ったことがあるけど、両方とも川での出来事です。まあ、どうにか今まで生き長ら
えていますが。ただ、3年にもなって「パドルは死んでも離すな」という探険部の教えが
守れませんでした。やっぱり自分もほかのメンツも不安。しかもこの時は、リバベン競技
2003遺言
チーム名は「長谷川ちんこシコリ隊」。
しまったので今回は何があっても行かねば!と、密かに責任を感じていた部分もあったの
で。そこで一番重要な要素であるクルーには、まだまだやる気と体力のあふれる2年生を
起用し探険部に不足しがちなスタミナ面を補強したつもりです。水上の白く波打つ渓谷を
若さと勢いで乗り切るべく。しかし、そんな理想とは裏腹に、本当にこのメンツで無事ゴ
ールできんの?といつも心配していました。恐らく行かない人間もけつこう不安だったと
思います。そんなこともあってスキルアップのために春先には色々な川に行ったのですが、
'1’一応リーダーとしてこの不安がどう変化していったかを綴ってみました。
まず一発目に行ったのが新歓などで何度もお世話になっている入門レベルの川である千
中に溺死するんじゃないかと思い正直行くのがイヤになりました。
こんな事があり、川の危険性と自分たちの技術の低さを再認識させられました.尻別川は
今までに少なくとも2,3度は行った事があり、流れはわかっていたはずなのI亀畷,そして、
リバベンのときに死んじゃったらカッコ悪いし、みんなに迷惑がかかると思いSRTを取ろ
うと思ったのです(SRTとはSwiftwaterRescueTechnicianの略で、川などの水周りでの
救助者の資格のこと)。取ってみてから気付いたんですが、SRTがあるからといって川下り
当たりません。これから毎週リバベンのために練習をして行こうと思っていた矢先にこの
失態。ちょっとばかり弛みすぎていたのでしょうか。3月の初川下りからこんな態度ではい
ているときに。
きるだろうと思っていました。しかしその考えが甘かった。久しぶりなのでスタート前に
サインや装備の確認を念入りにやってみると、困った事にどこにもレスキユーセツトが見
かんと思い、悔やみつつもその日はフェリーグライドをするだけにし、対岸との間を何往
復もしていました。ああ、本当にこんなんで大丈夫なのか。
川下りの経験も技術も未熟な4人でしたが、あの遺言が日の目を見ることなく、全員が五
体満足で帰ってこられて本当によかった。
そして今度こそはと意気込んだリベンジの日。気合十分、装備も確認して曇り空の中デユ
おわり
ークを出発しました。しかし途中からだんだん雲行きが怪しくなりスタート地点に着いた
ときには辺りには雪がチラホラと。この時点でもちろん気合は急降下。できれば下りたく
ないな−と思ってほかのメンツを見ると、やはり微妙な表情でやる気のない空気。でも誰
も帰ろうとは言い出さず雪の降る中を下ることになりました。しかし、どうにかスタート
したのはいいものの漕いでも漕いでも体は暖まるどころかガチガチで、ついには吹雪きは
じめる始末。春先とは思えない過酷な最低の川下りでした。さらに、ゴールしても雪がや
む気配はないので車を待っている間はラフトの下に隠れて雪をしのいでいました。あんな
に寒くて水量の少ない川下りはもう二度と嫌です。
そしてあれは、厚田川とか幾春別川で適当に経験を積んだ後に尻別川に行ったときの事で
す。前半はまずまず順調に進みトロ場でのフリップ練習も上達が見られました。しかし堰
召卒
の技術が上がる訳ではありません。レスキユーの知識と技術が増えるのです。だから、そ
れでもまだ「死んじゃうかもしれない」という思いは消えませんでした。これは、今まで
水上峡に行ったことがなく、リバベンの公式ホームページを見ると「練習を十分に積んだ
上で」と頻繁に書いてあったことが大きく影響しています。この不安はどうしても払拭で
きなかったので実際にリバベンに向かうときには、もし川でなにかあった場合のためにと
思い、両親や知人に向けての遺書を書いたものです。、出発前日のちょうど緊張感の高まっ
歳川。さすがに、いくらなんでもこの川くらいは狙ったコースをとらえて難なくゴールで
ー
‐追一
リバベン中の出来事やその後の本州漫遊などについては誰か他のメンツが書くことを期
待しています。全国には枠にはまらない元気な人間がたくさんいることを実感した貴重な
活動でした。
堤を越えて少し行った何もない所で、ガイドをしていた長谷川がいきなりの落艇。オイオ
イなんて思ってよそ見をしていたらラフトが岩にぶつかって自分も振り落とされてしまい
ました。そこはちょうど瀬の入り口で、前に吹っ飛んだもんだから船には拾ってもらえま
ロ
壷
g
r
l
菊
ニ
ー
ー
ー
ー
ー
一
一
一
主した。
ソフトクリーム日記
ー
実際に手にしてみるとやはり美深>ニューヨークの考えは間違っていなかったと確信しま
した。高さはクリーム部だけでも20cmに迫ろうかという勢い。しかも太い。そして硬
竹田沙代
い。さすがに食べきれないかもという思いが一瞬よぎりましたが、そんな女の子としての
思いも虚しく15分後には全てお腹の中へと吸い込まれていました。そして食後に残った
べ
‘
会社でネットをして遊んでいる最中に探検部のHPを見つけてから早数ヶ月が経とうとし
想いは美深巨大ソフトに会えた満足感と、普通に完食してしまった寂しさでした。
ています。しかし参加したのは未だ耐寒訓練のみ。むしろ部会に行く事が活動な今日この
食べ切れなくて辛い、食べているうちに寒気がする等、もっと過酷でどでかいやっに出会
頃です。
える日までソフトクリーム日記の、そしてソフトクリーム部の灯が消えないよう活動して
そんなこんなで、探検活動について書くことが何も無いので、私のライフワークであるソ
いきたいと思います。、
フトクリーム日記のある日について書きたいと思います。
次回は7月3日(ソフトクリームの日)
に何かしたいと思います。
次回は7月3日
誰でも、好きな食べ物というものを一つは持っていると思います。私の場合、それは寒天
令色
(を固めた時の表面)とじゃがいもでした。しかし、ある時ソフトクリーム型の看板を見
ると、何故か胸に熱いものが込み上げてくるようになっている事に気付きました。いつの
間にかソフトクリームに恋していたのです。何故ソフトクリームが好きなのかも、何時好
きになったのかも分かりませんが、疲れた時には必ず口にする様になっていました。
そんなソフトクリームの事を想う事がめっきり増えたある日、美深に巨大ソフトクリーム
があるとの情報を耳にしました。同時期に小樽にもニューヨークソフトなる巨大モノがあ
るらしいと知りましたが、きっと田舎の方がどでかい事をやってくれる、美深>ニューヨ
ーク、そんな予感に襲われた私は美深へ巨大ソフトの為だけに馳せ参じる事にしました。
10月下旬のある日、長いこと鈍行列車に揺られて美深に辿り着いた私が知っていたのは、
店名と本当はラーメン屋であるという情報のみ。駅に降り立ち、想像以上の田舎つぶりに
動揺しながらもとりあえず大きな通りまで歩くことにしました。国道に出たものの、どこ
がどこだかさっぱり分からなかった為地元の人に道を聞くことにしました。怪しげな薬局
のおじいさんに聞いたところ2∼3メートル先に見えるソフトクリーム型の看板があるお
店だと教えられ、喜びのあまり小走りで近づいてみました。うわさ通り外観はラーメン屋
さんでした。しかもちょっと小汚い。入ってみると、メニューが畦にずらりと貼られてい
るのですが蛍光色の画用紙?みたいなものに書いてある上にごちやごちやしていて見づら
いbラーメンだけじゃなくカレーとかステーキとかお蕎麦とか何でもある様です。とりあ
す者はまだ現れていない様でした。
食事を終え、遂に「6Lを」と注文したところ、お店の人に止められてしまいました。女
性には無理だとの事。しかしこの為に美深まで来たのだと伝え、お店の方の意見は無視し
6
⑧
■JIJと
︲・rmf.
えずお蕎麦を注文して店内の様子を観察してみると、お店の外観とは裏腹に結構繁盛して
いました。しかし誰もソフトクリームを注文していないので不安になっていると、若者達
がやって来て次々にテイクアウトしていきます。が、一番大きいサイズ(6L)に手を出
”
α、
− − ニ ニ ー ー ー ー ー L 一 一
一
一一一
今一戸-----.一一--"一些剥一一一一一弔一'一一一口一一一一一
可
たなせゆうこの6文字しりとり
新歓
文責たなせゆうこ(2)
②んけんぷ
夏休み、『筏生活on琵琶湖』という、名前だけ見るとなんとも探険家ちつくな活動があ
りました。次元とハセちやんと私の3人だったのですが、これがまた最初から最後まで
探検部に入って、2年目の冬を迎えた。とりたてていうほどいわゆる「アウトだスポーツ」に興味
を持ってはいなかった私だが、部室を訪れてすぐに入部することを決めてしまっていたような
気がする。夏でも日の光はあまり入らず、また冬ともなれば口を開くたびに吐き出される呼気は
お粗末な展開で、ぐずぐずでした。
でもまあ一応筏は作ったし、十分それで楽しんだし、次元とハセちやんとの交流を一段
と深められたし、小学生の夏休みの絵日記の題材としては満点でした。
白い。古い木造の平屋に一歩足を踏み入れると、私はまるで秘密基地のようなデューク東郷
⑦おん
よりよい女の生き方、というのが人生の課題です。
『結婚とは、自分の身体の性的使用権を生涯にわたって特定の異性に対して排他的に譲
渡する契約のこと』と、あるフェミニストが言っていて、私的に100「へえ」でした。
しかし最近、『大改造1劇的ビフォーアフター』を観ていたら、建築士と結婚したい!と思
,い始めてしまって、建築士を求めて結婚斡旋所に登録しちやったりしているのです。
②いれんくらぷ
近頃、冬のせいか、誰もいない家に帰るのが苦痛でしょうがないのです。そんなときは
必ず青年倶楽部に寄ります。いつも若があたたかく迎えてくれてほんとに助かります。夜
中に寝ぼけて『2限目遅刻だ』、と焦っていたりして笑えます。
、め
よく映画のワンシーンにでてくる、洗面所のシンクにハンドバックの中身をガチヤガチ
ヤと空けるのが私の夢です。あれなんかすごくあこがれです。“死ぬまでにやっておきたい
10のこと”のトップ5に入ります。いっそのシチュエーションになるかわからないので
いまから雰囲気のある小物をバックにつめておきたいです。
⑫えをむいてあるこう
最近凹むことが多くて、毎日自分に活を入れて頑張っているのですが、それでも運気は
上昇せずに追い討ちをかけるように嫌なことが起こります。そんな時、『人間万事塞翁が馬』
という言葉を心の支えとするのです。そして一晩ぐっすり眠れば78%ぐらい復活しま
す
。
独特の雰囲気に魅了されてしまった。、”
QQ,
さて、入部後2かげっほどたったころであろうか、そろそろ「シンカン」のじきだという。意味を聞
いてみると新人さんだか新入生だかの歓迎の意味の「新歓」だという。森のなかでたき火を囲
みジンギスカンを食べながらの宴。とても楽しい行事らしい。しかし、それを語る先輩の目は怪
しげであると同時に若干遠い。その表情に何か引っかかるものを感じ、さらに質問を重ねて見
句暑
ると、新入生は余興に軽い一発芸をするということであった。普段人前で何かをするという習慣
が無かった私は一発芸のネタ探しを開始した。まず向かった先は行きつけの古本屋である。
店主に相談までしてみたが返ってきたのは「いやあ、うちではそういったものはおいてないです
ねえ」のつれない言葉。切羽詰ってきたところで同期に探りを入れてみたが、皆それぞれ何か
しらあるらしく、まったく思いつかないでいる私は、ますます焦燥感が募るばかりである。どうし
ようか。
そうこうするうちに当日がやってきた。まず洗礼として嬉しげな笑みを浮かべた先輩からトマトジ
ュースが手渡され、同期の何名かが撃沈した。一気飲みをした私の口の周りは生ぬるいジュー
スだったにもかかわらず熱く燃え、手渡した先輩たちは嬉しげに笑っている。差し出されるなく、
たき火の炎を映し出し黄金に輝くそれにはたっぷりと液体が喉を突き破らんばかりに名を叫び、
同期のKさんとともに芸をする。
、みみにはさんだはなし
銭函の、とあるラブホの鏡を彼氏が誤って割ってしまったら、中からビテオカメラがで
てきた。なんとマジックミラーだったのです。フロントに言いにイj:つたら黙って20万渡
されたそうな。
こからはうっすらとしか覚えていないが今も思い出すのは口中に広がるジヤリジヤリヌルヌルし
た生卵(全卵である)の感触と髪の毛を不本意にも黄色く染めてしまった私に対する「お前、キ
タネーよ」という先輩のありがたいお言葉であった。
f
:
.
.
!
」
I
『
・
r
J
f
Zノ
笠置知子
雀
墓
一.暴:、穿一..、診二当-..‘--....L・_,,.三・.一・・三呈巽二・・‐-.…--..毛一. ・ロ
−
’
編集後記
∼世代交代の今後∼
2003年度の追いコンを終え、探検部も本格的に世代交代をしたような気がします。思え
ば私が入部して以来、その絶対的な権力で支配を続けてきた「悪の枢軸SMB」こと、ソル、
宮畑、馬場の三人の内、来年札幌に残っているのは、去年現役引退した宮畑君ただ一人で
す。今年引退して札幌に残るのも、デューク住人、キレる青年相楽君のみ。心優しきアン
ラッキーマン小川ちやんは東京へ、未だ100キロハイクを歩いていない部長は国家一種の
キャリアマンです。皆達者でやってほしいものです。特に成人病に注意!(ソル)
’│
さて、未来を作る探検部の若き現役部員の皆さん、何だか最近脳みそが硬くなってきた
気がしませんか?若くたって動かさなければ、脳みそも使えないものになってしまいます。
さあ、とりあえず共に酒を飲み、脳みその柔軟体操を始めましょ。きっとドロドロに溶け
たその絞りカスこそ、あなたの素敵なエッセンス。そう、探検部の楽しい未来は、その絞
Iりカスにこそアリ!?
最後に、最近結婚したOB・OGの皆さん、おめでとう!探検Jr.達がデュークにやって
来るのを楽しみにしておりますぞ!
文責香本佳彦
11
北大探検部
〒001.0014
北海道札幌市北区北14条西2丁目
デューク東郷様方北大探検部
Ⅲ011−746−5609
2004年3月発行
農要
一
鰯
一
一
一
一
證母蓮