「門」を評す

﹁門﹂を
す
僕は漱石先生を以て︑當代にズバ抜けた頭脳と技倆と
先生は︑其の大たるに於いて容易に他
を 持 つ た 作 家 だ と 思 つ て 居 る ︒ 多 く の 缺點 と ︑ 多 く の 批
難とを有しつゝ
の企及す可からざる作家だと信じて居る︒紅葉なく一葉
は︑
な く 二 葉 亭 な き 今 日 に 於 い て ︑ 僕 は 誰 に 遠 慮 もな く 先 生
め て 居 る︒ 然 も從 來先生 の
はざる恨があつた︒それだけ僕は︑先生
を文壇の第一人と
其の實力と相
するに方りて︑先づこれだけの斷り書きをし
あた
に就いて多くの云ひたい事論じたい事を持つて居る︒
﹁門﹂を
5
て置かないと︑安心して筆を執ることが出來ない︒
﹁それから﹂と比較して︑自分の考を云
と覺えて居る︒若し﹁門﹂を讀んで尙此の言を爲す人が
誰 や ら が ﹁ 漱 石 は 自 然 主 義 に 近 く な つ た ︒﹂ と 云 つ た
はうと思ふ︒
そこで僕も始
の代助三千代を書く積で︑
﹁門﹂を作られたのであらう︒
讀む事の出事ない理由を持つて居る︒勿論先生は其の後
である︒此の二篇はいろいろの點から見て︑切り放して
た ︒﹁ 門 ﹂ は 姦 通 し て 夫 婦 と な つ た 宗 助 と お 米 と の 小 說
﹁それから﹂は代助と三千代とが姦通する小說であつ
6
あれば︑其れは大なる
り と 云 は ね ば な る ま い ︒﹁ 門 ﹂
は﹁それから﹂よりも一層露骨に多くのうそを描いて居
然し我々には緣の遠い理想である︒一方に於ては
る︒其のうそは︑一方に於いては作者の抱懷する上品な
︱
る
先生の老獪なる技巧である︒以下僕は逐一其のうそを指
摘して見たい︒
宗助とお米とは姦通によつて出來上つた夫婦である︒
﹁宗助は當時を憶ひ出す每に︑自然の進行が其處ではた
の下から春が頭
りと留まつて︑自分もお米も忽ち化石して了つたら︑却
つて苦はなかつたらうと思つた︒事は
7
の苦しみであつた︒大風は突然不用
つた︒凡てが生死の戰ひであつた︒靑竹
を擡げる時分に始まつて︑散り盡した櫻の花が若葉に色
る︒
めた︒けれども何時吹き倒された
卽ち二人の罪は︑戀と云ふ大風
︱
自然の不可抗力に
の間にか德義上許す可からざる大罪を犯して居たのであ
か を 知 ら な か つ た ︒﹂ さ う し て 氣 が 付 い て 見 た ら ︑ い つ
けになつた自分達を
は何處も既に砂だらけであつたのである︒彼等は砂だら
意の二人を吹き倒したのである︒二人が起き上つた時分
を炙つて油を絞る
を易へる頃に
8
駈られた結果で︑決して放埓な淫奔な性質の然らしめた
でない事を︑作者は辯明して居る︒此のいきさつは﹁そ
れ か ら ﹂ を 讀め ば 能 々 解 る 事 で あ る ︒ か く て 二 人 は 當 然
と云ふ
の制裁として︑社會から繼子扱ひにされつつ︑淋しい
帶を持つた︒制裁は種々の形で二人に迫つた︒
奴が第一に來た︒それから病氣がお米のかよわい體を襲
つた︒
第 三 に は ︑﹁ 貴 方 は 人 に 對 し て 濟 ま な い 事 を し た 覺 え
がある︒其の罪が祟つてゐるから︑子供は決して育たな
い﹂と云つた賣卜者の豫言が中つて︑三度迄姙娠した胎
9
兒 が 悉 く 闇 か ら 闇 へ 葬 ら れ て 了 つ た ︒夫 婦 は 前 後六 年 の
さに堪へかね
を取るやうな工合に︑お互同志を賴り
と云ふ風をする︒
か う 宗 助 は 人 に も 云 は れ る 迄 に ︑ み じめ な 月 日 を
つ
迄後へ響くものだからな﹂と答へて︑因果は恐ろしい
﹁左うよなあ︒矢つ張り︑あゝ云ふ事があると︑永く
叔父に話す事があった︒すると叔父は︑
﹁宗さんは何うも悉皆變つちまひましたね﹂と叔母が
として暮して居る﹂のである︒
て︑抱き合つて
間 ︑﹁ 世 の 中 の 日 の 目 を 見 な い も の が ︑
10
て 居 る の で あ る ︒﹁ 彼 等 が 每 日 同 じ
を同じ胸に押して
長の月日を倦まず渡つて來たのは︑彼等が始めから一般
の社會に興味を失つてゐた﹂のでなく﹁社會の方で彼等
二人限に切り詰めて︑其二人に冷かな背を向けた結果に
外ならない﹂としてある︒然し現今の社會は此の二人の
やうな罪人に對してかほど迄に嚴肅な制裁を與へる程銳
敏な良心を持つて居るだらうか︒世の中の因果應報と云
ふものは︑案外もつとルーズな︑ふしだらなものではな
からうか︒少くとも其の富を奪ひ︑其の健康を奪ひ︑其
の三人の子を奪ふ程慘酷なものであらうか︒僕は此の點
11
に關して疑なきを得ない︒世間はもつと複雜な︑アイロ
云はるゝ點は此處にあるのであらう︒
更に考ふ可きは︑此の狀態に於ける夫婦の愛
等の命はいつの間にか互の底に喰ひ入つた︒⁝⁝二人の
に︑同じ六年の歳月を擧げて︑互の胸を掘り出した︒彼
﹁彼等は六年の間世間に散慢な交渉を求めなかつた代り
である︒
またま先生の作物が︑讀者の胸に痛切な響を與へないと
れるなら︑其は極めて甘い見方だと云はねばならぬ︒た
ら︑若し先生が眞に世間は斯う云ふものだと解して居ら
ニカルな事實に富むで居る筈である︒甚不遜な申分なが
12
精神を組み立てる神經系は︑最後の繊維に至る迄︑互に
ふ倦怠
抱き合つて出來上つて居た︒﹂﹁彼等は此の抱合の中に︑
滿 と︑ そ れ に
價する事
は忘れなかつ
ね具へてゐた︒さうして其の倦怠の慷い氣分に
尋常の夫婦に見出し難い親切と
とを
配されながら自己の幸福を
た︒﹂
﹁ 彼 等 は 自 然 が 彼 等 の 前 に も た ら し た恐 るべ き復 讐 の 下
に戰きながら跪づいた︒同時に此の復讐を受ける爲めに
得た互の幸福に對して︑愛の神に一瓣の香を焚く事を忘
れなかつた︒彼等は鞭たれつゝ死に赴くものであつた︒
13
たゞ其の鞭の先に︑凡てを癒す甘い蜜の着いて居る事を
に珍らしいロ
つて居ると云はねばならぬ︒新し
ずに居たと云ふ事實は︑一寸受け取り難い話である︒
﹁蒲
家庭に︑前後六年の間︑靑年時代の甘い戀の夢から覺め
へ︑ヒステリーの病妻を抱いて︑子なく金なき佗びしい
如何に大いなる犠牲を拂つてかち得たる戀であるとは云
は無理ならぬ事である︒然し新しき思潮に觸れた宗助が︑
き敎育を受けた代助が﹁それから﹂のやうな戀をするの
マンチックな生活を
之に依つて見れば︑宗助とお米とは當
覺つたのである﹂
14
團﹂の作者に云はしたなら︑頭から﹁拵へ物だ﹂と
す
るかも知れぬ︒イムポッシブルでない迄も宗助の境遇と
性格とは︑嘗て先生御自身が獨歩の﹁酒中日記﹂を批
せられた如く︑
﹁千 萬 人 中 の 一 人 に し て 有 り 得 べ き 事 實 ﹂
であらう︒
﹁門﹂を﹁それから﹂の續篇と見て︑特種の性格をもつ
た 代 助 の 戀 は ︑﹁ 門 ﹂ に 描 か れ た る が 如 く 發 展 す る の が
自然の成行であらうかどうか︑斯う云ふ點からも考へて
見る必要がある︒代助の道德から云へば︑斯く發展す可
きが正當であるかも知れぬ︒代助の道德は是非とも代助
15
に﹁永劫變らざる愛
あ る べ し ︒﹂ と 敎 へ な け れ ば な ら
は之に反する事が多くはあるまいか︒
的なヂレンマに陷る事がありはすまいか︒
に取つても甚好都合な次第であると云はねばならぬ︒
經路を取つたとしたならば︑其れは作者に取つても代助
る︒若し﹁それから﹂が﹁門﹂に描かれたやうな發展の
其の時々にこそ二人の姦通者は眞の報復を受く可きであ
りも更に絶
のさめたる女を抱いて︑再びもとのやうな︑或はそれよ
し て ︑ 眞 の 戀 に 生 き む と し て 峻 嚴な る 代 助 の 性 格 は ︑ 戀
さ う し て 自 己 を 僞 ら ざ ら む が 爲め に あ ら ゆ る 物 を 犠牲 に
ぬ︒然し實際の愛
16
以上は全篇の骨子に横つて居る大いなるうそである︒
先生の作物が︑如何に自然主義作家のそれと異つて居る
かは︑これだけで既に明瞭であらう︒
先 生 は ﹁ 戀 は 斯 く あ り ﹂ と 云 ふ 事 を 示 さな い で ﹁ 戀 は
斯くあるべし﹂と云ふ事を敎へて居られる︒先生に依つ
つ
て敎へられたる戀は︑僕の考へて居るものよりも遙かに
眞面 目で遙に貴いものである︒
僕は先に宗助とお米とは︑ロマンチックな生活を
て居ると云つた︒けれども二人の戀は決して芝居や淨瑠
璃に現れるやうな淺薄な派手なものではなく︑深く生命
17
の底に根ざした嚴肅な質實なものとして描かれて居る︒
の中に第一
である︒其の戀は單なる性慾滿足の戀でもなけれ
は我々から見ると遥に幸福な羨しい身の上と云はなけれ
居られない程︑必要な戀である︒之を得た宗助とお米と
る人が︑姦通の大罪を犯して迄も之を得なければ生きて
ば︑徒に美しきものに憧るゝ戀でもない︒相當の分別あ
ふる
義の生活を營むにある︒これが﹁門﹂の作者の我々に敎
との戀によつて永劫に結合した夫婦間の愛
中に住する今日の我々が幸福に生きる唯一の道は︑まこ
信 仰 の 對 象 な く ︑ 道 德 の 根 底な く ︑ 荒 れ す さ ん だ 現 實 の
18
ば な ら ぬ ︒ 人 生 の 落 ち 付 き 場 所 は 此 の 戀 で あ る ︒﹁ そ れ
か ら ﹂ の 戀 は 破 壊 的 で あ つ た が ︑﹁ 門 ﹂ の 戀 は 建 設 的 で
あると云ふ事が出來る︒
作者の暢達な筆力は︑此の戀を可なり讀者に會得させ
る迄に書いてある︒二人を貧乏な境遇に置き︑お米を病
身にさせ︑三人の子を死亡させたのも︑又彼等の間に小
六と云ふ第三者を配したのも畢竟は此の戀をエムファサ
イズせんが爲めの細工であつたのだ︒作者が其の狙つた
目標を︑充分に射中てて居る事だけは確である︒我々も
な ら う 事な ら 宗 助 の や う な 戀 に 依 つ て︑ 落 ち 付 き の あ る
19
一生を
りたいと思ふ︒けれども其れは今日の靑年に取
想にすぎないであらう︒
上 に 立 つ て 居 た が ︑﹁ 門 ﹂ は
想の上に築かれて居る︒
の 方 面 か ら 見 て ︑﹁ 門 ﹂ は ﹁ そ れ か ら ﹂ に 劣 つ
も﹁そ
れ か ら ﹂ に 依 つ て 提 供 さ れ た 大 き な 問 題 が ︑﹁ 門 ﹂ に 於
す事が出來たであらうと思はれる︒僕は返す
く
れから﹂よりも更に大きい問題と︑深い意味とをもたら
とお米との戀の破綻を種材に捉へたならば︑
﹁門﹂は﹁そ
て居ると云はねばなるまい︒若し事實に立脚して︑宗助
いろ
く
等 し く 拵 へ 物 と し て も ︑﹁ そ れ か ら ﹂ は 事 實 の 土 臺 の
つては到底
20
いて︑なまじひな解決を與へられた事を殘念に思ふ︒
﹁門﹂は眞實を語つて居ない︒然し﹁門﹂にあらはれた
る局部局部の描寫は極めて自然で︑眞實を捕捉して居る︒
日曜におもてを散歩する時の宗助の氣持︑殊に電車へ乘
の光景が自然主義の作家と雖容易に企
つて天井の廣告を見て居るあたり︒年越の夜の一家の有
樣︒其の他到る
て及び難いほど銳敏な觀察眼を以て仔細に描けて居る︒
篇中に出て來る人物の性格も可なりに躍動して居る︒家
主 の 坂 井 ︑︵ こ れ は ﹁ 野 分 ﹂ の 中 野 君 に 似 て 居 る ︒ 作 者
は か う 云 ふ 人 物 の 性 格 を 表 す の が 大 分 得 意 と 見 え る ︶佐
21
伯の叔母などは︑一寸顏を現すだけだが︑一と通り其の
をぐる
く
卷つけながら︑
寢 る 時︑ 着 物 を 脫い で ︑ 寢 卷 の 上 に ︑ 絞 り の 兵 兒 帶
左に引いてみようと思ふ︒
たくまずして眞に迫つて居る︒僕の最も感心した一節を
がかつて居たが︑宗助やお米の言葉は︑如何にも自然を
あ る ︒﹁ 虞 美 人 草 ﹂﹁ 草 枕 ﹂ 時 代 の 會 話 は ︑ 少 々 お 芝 居
に於いては︑先生は今の作家中に群を抜いて居るやうで
はつきりとしないやうである︒さうして會話をうつす事
人物の輪郭を髣髴せしめて居る︒慾を云へば小六だけが
22
﹁今夜は久し振に論語を讀んだ﹂と云つた︒
﹁論語に何かあつて﹂とお米が聞き返したら︑宗助は︑
するのは到底癒
﹁ い や 何 も な い ﹂ と 答 へ た ︒ そ れ か ら ︑﹁ お い ︑ 己 の
く
齒は矢張り年の所爲だとさ︒ぐら
らないさうだ﹂
と云ひつゝ︑黑い頭を枕の上に着けた︒
りを︑二人の會話で何となく結
かう讀んで行くと︑何となく二人の聲が聞えるやうな
氣がする︒殊に全篇の
お 米 は 障 子 の 硝 子 に 映 る麗 な 日 影 を す か し て 見 て ︑
んだのは趣が深い︒
23
ぢぎ
になるよ﹂と
しい眉を張つた︒宗助は椂に出て長く延びた
﹁本當に有難いわね︒漸くの事春になつて﹂と云つて︑
く
晴れ
爪 を 剪 り な が ら ︑﹁ う ん ︑ 然 し
答へて︑下を向いたまま︑鋏を動かして居た︒
こゝで全體がポツリと切れて居る︒長い︑長い二人の
り方であ
級の人に︑面白く讀まれるだけは事實であらうと思はれ
筆を執られるかと思ふ︒兎も角も先生の小說は多くの階
先生は常に一般讀者の興味と云ふ事に充分注意して︑
る︒餘韻がある︒
生涯の一部分を︑無雜作に切り放したやうな
24
る︒鰹
に石油エンヂンを取り付ける事や︑電氣で文字
を 印 刷 す る 發 明 や ︑ 先 生 の 小說 は 比 較 的 廣 い 範 圍 で 今 日
玉の事件
の實社會と何等かの交渉を有して居るやうである︒さう
し て ︑ 坂 井 の 盗 難 だ の ︑ 抱 一 の屏 風 だ の︑ 風
だの︑論語の話だの︑いろいろと讀者を面白がらせるや
うな出來事が現れて來る︒これは讀者を單に紺がすりの
ニキビ黨にのみ求めず︑普く一般の社會の大人を對手に
しようと云ふ抱負のある作者としては︑必要な心掛けで
ある︒僕は先生の此の大きな態度を賴もしく思ふ︒然し
なるべく卑俗に或は不自然に陷らない範圍に於て願ひた
25
いものである︒宗助が鎌倉へ參禪に行く
たい︒
は︑如何に見
と順 序もなく書立てたが︑大變長く
な つ て 了つ た ︒ ま だ 云 ひ たい 事 は 澤山 あ るのだ が︑ 冗 漫
思ふ事をくど
く
見 る だ け で も ﹃ 門 ﹄ は 他 の 小 説 よ り も 有 難 い ︒﹂ と 云 ひ
つ た 者 が あ る ︒ 僕 も そ れ と 同 じ や う に ︑﹁ 先 生 の 文 章 を
く だ け で も ︑ 歌 舞 伎 座 は 他 の 芝 居 よ り は 有 難い ︒﹂ と 云
は著しくさびが出て來た︒僕の友人に﹁八百藏の聲を聞
﹁ 三 四 郎 ﹂﹁ そ れ か ら ﹂﹁ 門 ﹂ と 順 を 追 う て 先 生 の 筆 に
ても突飛であらうと考へる︒
26
になるから此の位にして置く︒最後に僕はこれだけの事
を明言しておきたい︒
先生の小說は拵へ物である︒然し小なる眞實よりも
大 い な る 意 味 の う そ の 方 が 價 値 が あ る ︒﹁ そ れ か ら ﹂
を敢てした
は こ の 意 味 に 於 い て 成 功 し た 作 で あ る ︒﹁ 門 ﹂ は こ の
意味に於いて失敗である︒
僕等の先生である人に對して︑不遜な論
︵ 明 治 四 十 三 年 九 月﹁ 新 思 潮 ﹂
︶
事は重々お詫びをする︒
27