雑 感 ― Focused on Safety Certain Technology

雑 感
― Focused on Safety Certain Technology ―
危険物保安技術協会理事
山
崎
一
樹
「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわ
拍車をかけているという現実であった。消防大
けではない。多くの人たちは、見たいと欲する
学校ではこのような事態に対応するため、ホッ
現実しか見ていない」
(カエサル)
トトレーニングができる「実火災体験型訓練施
設」を整備して幹部職員の現場感覚の維持向上
筆者は前職で
を図るようにしており、これはこれで学生には
年前に消防大学校において校
大変な好評なのであるが、反面、一朝有事の際、
長職を拝命した。消防行政への奉職はほぼ10年
ぶりのことであったが、30年を超える公務員人
生の中で
「攻める側」の消防サイドとしての対応を考え
度目の消防行政の経験をしてみて改
めて気が付くことが幾つかあった。そのうちの
ると隔靴掻痒の感も拭えない。
他方、毎年の消防庁統計でもご案内のとおり、
一つが「危険物施設の安全確保に関して、守る
危険物施設における事故件数は概ね右肩上がり
側(事業者)も攻める側(消防)も、いずれも
で増加傾向、石油コンビナート特定事業所にお
相当に体制が手薄になってきているのではない
ける事故件数も平成元年頃をボトムに概ね右肩
か?」という懸念である。
上がりの状況にある。昭和の時代には減少傾向
消防大学校は消防組織法に基づき設置され
にあった事故件数が、平成の時代に入って V
る、全国で唯一の消防幹部職員の育成機関であ
字型に増加傾向に転じたのは何故なのか。昨年
る。全国消防約16万人の中から毎年僅か1600
の
名、つまり
%程度しか消防大学校には入校す
で業界の方々や有識者の方々からお伺いしたと
ることができない。文字通り消防の最高幹部の
ころ案の定、
「失われた20年」の間の企業行動の
育成をその旨としている。ところが近時、入校
影響が強く出ているとのこと。「守る側」の事
する最高幹部候補生が一様に悩む共通の課題が
業者サイドでもベテラン保安要員の減少を、例
ある。それは「ベテラン職員の大量退職に伴う
えば「スマート化」によるソフト面での対応だ
技術水準の維持」と、それに対応するための「若
けでは十分に対処しきれていないのが現実であ
手職員への技術の伝承」である。とりわけ「ゆ
るとか。職人気質を有する、現場感覚に秀でた
とり世代」の若手職員に対して高度化・複雑化
技術職員の存在、
安全面での人材が質量ともに、
する消防技術を伝承していくことの困難性は消
そして攻守ともに手薄になってきているのでは
防本部の規模の大小を問わず、全国津々浦々の
ないかとの懸念はどうやら大きくは外れていな
共通の悩みとなっている。
いのが残念ながら実態のようである。
月に当協会の理事を拝命した際、挨拶回り
加えて筆者にとって「灯台下暗し」であった
のは、消防行政の進展に伴う火災件数の減少傾
ここで話しは大きく遡る。筆者が初めて消防
向は僥倖とすべきところ、火災現場の実経験を
行政に携わったのは今を去る30年近く前、青森
有する、現場感覚のある消防吏員が減少してい
県庁で消防防災課長の職に就いた時のことで
ることが輪をかけて消防技術の伝承の困難性に
あった。青森県には当時から特殊な施設が立地
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していた。例えば津軽半島の先には青函トンネ
のは昭和63年の
月。平成元年に私が青森県庁
ル、下北半島の先には原子力船むつ、
そして六ヶ
に着任した際に一番最初に直面した仕事が青函
所村には石油国家備蓄基地と原子燃料サイクル
トンネルの防災訓練の実施であった。実は青函
施設。いずれも防災計画とそれに基づく防災訓
トンネルの所管は昨年の事故で図らずも明らか
練が必要不可欠な施設だ。僅か
年ほどの在職
なとおり、青森県側も含めて JR 北海道の担当
期間中、防災計画づくりと防災訓練の実施に明
なのである。世界にも類を見ない全長53.85㎞
け暮れたのだが、その調整の過程で事業者の
の海底長大トンネルの防災について、
「ハード
方々と話をする度に異口同音に言われて閉口し
面の対応で十分」というのが当時の JR 北海道
たのが、「
(他はいざ知らず)ウチの施設は絶対
のスタンスだったが、それが本当に事故発生時
に安全です」。
に機能するのかどうかは実際に防災訓練を実施
卑しくも技術を預かる者、
「絶対安全」などと
して検証すべきものではないかと説得するのに
だけは絶対に口にしてはいけないのではない
苦労したのが思い出深い。その後、在来線や貨
か、
「絶対安全」と言うならそれこそ防災は「張
物列車の運行では長らく幸いにして大きな事故
子の虎」ではないかなどと若き管理職の気負い
は発生しなかったが、時を経て気が付けば昨年
から疑問を感じることもあったが、確かに六ヶ
の事故発生である。長大トンネル内で火災事故
所村の石油国家備蓄基地は昭和60年完成、青函
が発生した場合は、北海道側、青森側それぞれ
トンネルは昭和62年完成であるから、
当時は
「ピ
にある海底駅(注:現在は駅としての機能は廃
カピカの新品」に近いような状態であったし、
止され、防災拠点とされている)まで走らせ、
であればこそ防災計画も防災訓練も「絶対安全
そこからケーブルカーを使って乗客を地上に誘
でないと立地を許さない」という地元住民への
導するという救命戦術は、実は四半世紀前に実
「言い訳」としての意味合いに止まっていたこ
施した防災訓練の時に検証されたとおりのもの
であった。当時は「まさかこんな事故は起きな
とを甘受せざるをえなかった。
いよね」と高をくくっていたものであるが、そ
しかしこのような「ハード面での技術的安全
れから既に四半世紀の時を経てのこと・・・
性の確保」という発想だけで、いずれ確実に訪
れるハード面での経年劣化には十分に対処でき
るのだろうか、加えてソフト面での安全保安を
危険物施設における事故災害への対応は基本
維持することが人材的に手薄になった場合には
的には「事業者責任」であることは今も昔も変
将来どうなるのだろうかという懸念をぬぐい去
わりはない。消防や防災関係機関の関わりは、
ることはできなかった。あに図らんや、このよ
事業者による対応が困難な場合に初めて登場す
うなハード面・ソフト面両面での劣化を思い起
るというのが大原則。とはいえ最近は随分と様
さざるを得ないような事案は時を経て既に幾つ
相が変わってきたのもまた事実である。
青森県六ケ所村の石油国家備蓄基地を初めて
も現実のものとなっているので、以下幾つかの
見たのは平成元年のこと。広大な敷地に巨大
個人的経験をご紹介させていただこう。
な、そして真新しい浮き屋根式の石油タンクが
今年の
整然と並ぶ姿は将に壮観であった。配備されて
月に予定されている北海道新幹線の
開通で、改めて青函トンネルは新幹線のために
いる消防車両三点セットもピカピカの新品。
作られた施設であったことを再認識された向き
ハード面の防災体制が万全であれば、法に定め
も多かろう。また、昨年
月のトンネル内事故
る石油コンビナート等防災本部が設置されるこ
の報道をご記憶の方も少なからずおられるので
となどおよそ未来永劫ないだろうと思いながら
はなかろうか。青函トンネルが供用開始された
防災訓練を実施したことを記憶している。まさ
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Safety & Tomorrow No.166 (2016.3)
に防災訓練は「言い訳」、石油コンビナート等防
消防自身がより主体的に対応できるようになる
災本部は「張子の虎」であった。
など、運用面での充実強化が図られているのは
(ちなみに今にして思えば、新米管理職がこの
当時を知る者には隔世の感がする昨今である。
ような悠長なことを言っておられたのも、むつ
小川原石油備蓄基地計画の基本的検討に当協会
施設の内容が技術的に専門化・高度化すれば
が技術援助として参画していたおかげであるこ
するほど、事業者の安全に対する責任はより大
とを、最近になって当協会の10周年誌を読んで
きなものとなる。その最たるものが原子力施設
知った次第であり、誠に汗顔の至りである。
)
であろう。四半世紀前の青森県には原子力船
また、当時事業者の方からよく聞いたセリフ
「むつ」という施設が立地していた。今や原子
が「浮き屋根は絶対に沈まない」。だから全面
力の関係者でも原子力船のことを知る人は少な
火災が発生することはないという説明になるの
いだろうが、実は現在も日本国内には原子力船
だが、流石に素人ながらに「浮いているものが
は所在している。在日米軍の艦船である。この
絶対に沈まないなんてことはないだろう」と思
ような原子力艦の防災対策のノウハウは実は
いつつ、もし万が一そうなっても事業者責任で
「むつ」の経験がわが国にとって唯一の知見な
対応できるのだろうなどという不謹慎な言い訳
のだが、それはさておき当時、事業者である日
を考えたりもした。
本原子力研究所と青森県との間では、
「実験航
しかしこのようなロジックは平成15年の十勝
海をする前に必ず防災訓練を実施すること」と
沖地震に伴う浮き屋根式タンク全面火災の発生
いうお約束があった。平成
年に実験航海、そ
により破たんする。平成17年に消防行政
度目
の後廃船されることが既に決まっていたが、そ
のお勤めである特殊災害室長を拝命した際の最
の予定通りに事を進めるためには先ず防災訓練
重要課題は、当該事故災害を受けて既に法改正
を実施しなければならなかったのである。
が行われ、事業者に共同配備が義務付けられた
当時は旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の直
「大容量泡放水システム」の全国展開を実現す
後であったにもかかわらず、
「日本の原子力施
ることであった。当時、本誌第109号に「石油コ
設は絶対に安全」という発想が事業者の言い分
ンビナート防災対策の過去・現在・未来」とい
としてまかり通っていた。
「絶対に安全なんて
う拙文を掲載させてもらったが、改めて読み返
ことだけは、絶対にありえない」と思いつつも、
してみると、当時はまだ依然としてハード面の
県の防災担当課長として原子力推進派の事業者
防災体制の再強化を事業者に委ねるに止まって
等と原子力反対派の双方から責め立てられたこ
いるきらいが見受けられる。ハード面の充実強
と、そして雪国厳冬の
化はもとより、そのシステムが一朝有事に実際
力の下、我が国で最初の原子力船防災訓練を実
に運用できるかどうかがより重要なことである
施したことを記憶している。
が、10年前はそこまで思いが辿り着いていな
月29日に関係機関の協
実は防災訓練の実施以上に覚えていることが
省
ある。それは、防災訓練を巡る厳しいやり取り
による連絡会議が設置されるとともに、消防庁
の中で漸く胸襟を開いて話をするようになった
において防災体制検討会が開催され、石油コン
関係者から聞いた、以下のような率直な思いで
ビナート等防災本部の機能強化が図られたり、
ある。
「今は知識と経験を十分に備えた我々が
自主防災組織の技能コンテストが実施された
頑張っているから(絶対とまでは言えないが)
り、また、事業者責任の原則は不変なものの最
大丈夫だと断言できる。しかしこれから二十
近はドラゴンハイパー・コマンドユニット(エ
年、三十年後はどうなるか分からない。何故な
ネルギー・産業基盤災害即応部隊)の配備など
ら多重防護の設備自体が確実に老朽化していく
かった。その後、東日本大震災を経て関係
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19:23
中で、技術者は今まで以上に腕を磨き、より知
緊急災害対策本部(第
回)
:以降、
緊対本部と原対本部の同時開催
識と技術の現場力を向上させていかなければな
ければならないのに、その継承が出来るかどう
21:23
福島第一原発
キロ以内避難命令
か極めて心許ないからだ。日本の大学に最早
03:59
長野県北部地震(震度
「原子力工学」を看板に掲げる学部学科がなく
08:53
政府調査団(岩手県派遣)
、市ヶ谷防
強)
衛省離陸
なってしまったことがそれを象徴的に表してい
09:18
るではないか。」
政府調査団(福島県派遣)
、市ヶ谷防
衛省離陸
果たせるかな、後になってこの言葉を思わぬ
防災関係者には周知のことであろうが、緊急
ところで思い出すことになるのだが、ここでは
技術の伝承、とりわけ安全を守るための技術の
地震速報には一般向けと高度利用者向けの
種
伝承を、ハード・ソフト両面の劣化の中で継続
類が存在している。内閣府防災担当での勤務も
的に持続していくことについて、担当に以前か
丸
ら技術者自身の中に懸念が存在していたことを
速報の音にも慣れっこになっていたとはいえ、
指摘するに止めよう。
その時に速報画面で目にしたのは「M7.9」(実
年近くになり、頻繁に鳴る高度利用者向け
際には「M
」
)といういつもは目にしたこと
年間、筆者は内閣
のない数字に愕然。これを見た私の最初のミッ
府防災担当の応急対策担当参事官の職にあたる
ションは、とにかく上司を官邸地下の危機管理
こととなった。この職のミッションは主に三
センターにいち早く連れて行くことであった。
つ、政府の総合防災訓練の企画立案、大規模災
当時の内閣府防災は日比谷公園横の中央合同庁
害時における政府調査団の現地派遣と政府全体
舎
の初動対応であった。そして
年目の最終盤に
から階段を駆け下り、上司を公用車に乗せ、汐
東日本大震災の日(平成23年
月11日)を迎え
見坂を経由して国会議事堂横から官邸に到着
時は下って平成21年から
号館に入居していたが、揺れる建物の
階
ることとなったのだが、その当日の発災直後の
し、地下の危機管理センターに駆け込んだのは、
対応を時系列で以下に振り返ってみよう。
地震発生後ほぼ10分後のこと。初動対応のマ
14:46
地震発生(震度
)
ニュアルに従えばまず最初にすべきことは地震
14:50
緊急参集チーム召集
の規模の把握。内閣府の地震被害推計システム
14:55
内閣府(防災担当)、官邸危機管理セ
(DIS)を確認したところ「死者1000人超」とい
う、これまた見たこともない数字に驚いた。
ンター入室
14:57
今から見れば過小な数字と思われるかもしれ
DIS(地震被害推計システム)死者千
ないが、このシステムは地震による建物倒壊に
人以上推計確認
15:00
緊急参集チーム協議(第
よる死者数の推計システムであり、そもそも津
回)
:緊急
波被害は想定されていない。死者1000人超の場
災害対策本部設置決定
15:37
緊急災害対策本部(第
16:00
緊急災害対策本部(第
合は災害対策基本法に定める緊急災害対策本部
回)
:基本方
の設置というのがマニュアルの定めであり、そ
針の決定
18:42
19:03
のとおり間髪を入れず上司と相談して官房長官
回)
:現地調
査団の派遣決定
に緊急災害対策本部の設置を進言してもらっ
政府調査団(宮城県派遣)
、市ヶ谷防
た。チラリと脳裏をかすめた津波への対応は、
衛省離陸(21:05
大津波警報が出たのだから後は現場対応に委ね
宮城県庁到着)
原子力災害対策本部(第
るしかない。ちょうど 年前、チリ地震の際の大
回)
:原子
津波警報が教訓になるハズだと思い込んでいた。
力緊急事態宣言発令
17
Safety & Tomorrow No.166 (2016.3)
そしてその後は、史上初の緊急災害対策本部
の中で改めて痛感した。
「今、ここにある危機」
の会議開催、現地への政府調査団の派遣の段取
を目の前にして、
「見たくないものは見ない」と
りをマニュアルどおり進めようとしたのだが、
いう言い訳は何の意味も持たないのだ。
当時のオペレーションで想定する政府調査団は
最大のマニュアル想定外は、「複数事案への
セットのみ、つまり超広域的な災害に対応し
対応」であった。当日の夕刻あたりから危機管
て複数箇所に同時に派遣することは想定されて
理センター内の雰囲気がガラッと変わったの
いなかった。しかも発災直後で被害情報も殆ど
は、自然災害とはカルチャーの異なる原子力災
把握できていない中で、先ずどこに派遣するの
害のメンバーが緊急参集チームに顔を見せるよ
か。加えて当日は都内も大混乱で、自衛隊のヘ
うになったからである。同じ日本語を話してい
リに乗るべく市ヶ谷の防衛省に移動することす
るにもかかわらずジャーゴンのようにしか聞こ
ら困難な中、第一派遣先を震度が最も大きいと
えず、コミュニケーションが取れないもどかし
いう理由で宮城県と決め、各省庁の職員による
さの中で、カルチャーの異なるふたつのグルー
政府調査団を編成し、兎にも角にも当日中に現
プが同時並行的に有事のオペレーションを行う
地入りさせることができた。そしてマニュアル
状況。当時は同時並行的に
の想定にはないオペレーションであったが、第
ションをすることまではトレーニングはできて
二陣、第三陣を翌朝には岩手県、福島県の順に
いなかった。ウソのような話であるが、ちょう
現地に向かわせることができた。この後は被災
どこの日の午前中に内閣官房の担当と「そろそ
地から上がってくる被害状況を元に救助部隊と
ろ
支援物資を送り込めばほほマニュアルの想定通
必要なのではないか」と打ち合わせしていたこ
りのハズだった。
となど、もはや何の意味もなかった。加えて当
他方、発災直後のオペレーションをしながら
事案のオペレー
事案事象への対応のためのトレーニングが
日は深夜に長野県北部でも震度
強の地震が発
苦々しく思い出したのは、その半年前、平成22
生し、
「すわ
年
した。夜半になっても現地からの情報が殆どな
月の政府総合防災訓練のことであった。政
府の総合防災訓練は関東大震災のあった
月
事案対応か」という状況にも遭遇
い中で、帰宅困難者対策や原子力発電所の状況
日に実施するのがお約束であるが、近年は首都
変化への対応などが錯綜し、マニュアルに想定
直下、東海、東南海・南海の
つの巨大地震を
する救援部隊や支援物資の送り込みには混乱に
想定した訓練を順番に行うのが通例であったた
拍車がかかっていった。半年前の三連動地震想
め、この年には東海地震想定で行う予定で準備
定の政府総合防災訓練のこと、
を進めていたところ、とある事情で東海・東南
警報の時の見事なまでの空振りのこと、遥か以
海・南海の三連動地震(今で言うところの「南
前に聞いた原子力関係者の懸念のこと・・・不
海トラフ地震」)を想定する羽目になった。し
眠不休のオペレーションの中で色々な思いが脳
かし当時は未だ三連動地震を想定したオペレー
裏を横切っていった。
年前の大津波
ションの計画はなかったため、
「計画のない訓
実は後になって自然災害への対応に関して
練はできない」という関係諸機関の強い反対の
ファクトを振り返ってみると、発災当日の初動
中で何とか格好をつけて実施したものだった。
対応に限っていえば「ほぼマニュアルどおり」
「オペレーションの計画がなければ訓練はでき
なのである。一部マニュアルの想定を超える対
ない」との言い分は、長らく役人生活をしてき
応まで行っている。しかしマニュアルの想定に
た身にとってはよく分かるロジックであるが、
はない、目の前の現実への対応は十分にはでき
しかし現実に起きてしまったら対応せざるを得
なかった。そして何といっても多くの被害が現
ないことを発災直後の危機管理センターの混乱
実に出てしまった。
「だから言ったじゃないか」
Safety & Tomorrow No.166 (2016.3) 18
⑴個の独立と考えの共有
という言い訳には何の意味もない。当時の政府
・
の初動対応に対して多くの批判があることは承
マニュアルに頼りすぎると自分で考えな
知しているが、その渦中にあった者としては内
くなってしまう。自分(個)で考えて全体
心、今でも思うところはある。
を作り出すと思考回路ができる。座学で学
習して「知っている」状態からさらに進ん
で、
「自分ならどうするか?」と考えると頭
その後、消防大学校で勤務した際、大学校創
を使うようになる。
設50周年記念式典で、
「失敗学」で著名な畑村洋
・
太郎先生が記念講演をされていることを知っ
思考回路ができると、他の人の考えも理
た。平成21年 月のことだから東日本大震災の
解できるようになる。思考回路を線路に、
ほんの数年前のことであるが、
つくづくこの講演
考えを列車に例えると、それぞれの人の頭
を聞いていれば良かったと痛感したものである。
の中の線路(思考回路)に他の人が提供し
畑村先生の
「失敗学」
によれば、
人間の特性は、
た車両(考え)が同時に走っていることに
・
なる。これが本当の「考えの共有」である。
見たくないものは見ない、見たいものだ
⑵参加者全員が全体像を持つ
けが見える
・
・
聞きたくないことは聞こえない、聞きた
関係している一人一人が全体像を共有し
ていることで失敗や事故が防止できる。全
いことだけが聞こえる
・
体最適を考える際には自分の担当部分だけ
考えたくないことは考えない、考えたい
でなく全体像を共有しなければならない。
ことだけを考える
・
・
・
あって困ることは、ないことになる
ちりしていても、それぞれの職員が全体像
発生頻度が低いことは起こらないことに
を捉えて判断して活動する必要がある。
なっている
畑村先生は後に東日本大震災の原発事故に関
だそうである。そして、そのような特性を持つ
わる政府事故調査・検証委員会の委員長を務め
人間の想定の甘さがもたらす帰結は、
・
られたが、近著『技術大国幻想の終わり』でも
その事象が起こることを考えないから、
その事象が起こった後のことを考えること
「そもそも福島第一原発の事故にしても「自分
たちは技術が高い」という自己評価にあぐらを
もできない
・
・
消防の組織においても、役割分担はきっ
起こらないはずのことが突如起こった時
かいて、やるべきことをやっていなかった傲慢
に、うろたえて考えることができなくなる
さが背景にあると思います」と率直に述べてお
事故の進展に合わせて的確な判断ができ
られる。しかしより衝撃的なのは、「こうした
傲慢さは原子力分野に限ったものではなく、い
なくなる
ということになってしまいがちなので、
そうなら
まや日本の産業界全般に蔓延しているもののよ
ないために、何かを想定する時に意識しなけれ
うに思われます」とのご見解である。技術の泰
ばならないこととして以下を挙げておられる。
斗が「自分たちが「技術大国である」という「幻
・
ありうることは起こる
想」をいますぐ捨て去ることです。日本は自分
・
視点を変えれば危険が見えてくる
たちが思っているほど、技術が優れているわけ
・
起こった後のことを考える
ではないし、日本人にしかできないということ
はあまりありません」と明言されているのは、
いずれも誠に耳の痛いご指摘であるが、記念
講演ではこのような人間の特性に基づく「失敗
日本の優秀な技術職の皆さんにはどう聞こえる
や事故を防ぐために必要なこと」として二つの
のだろうか。翻って我が身には次の箴言が身に
教えを消防幹部職員に対して披瀝されている。
染みる。
19
Safety & Tomorrow No.166 (2016.3)
「技術にせよ、社会の仕組みにせよ、最初は何
会論に展開して畑村先生は次のように説く。
も整備されていないうちは試行錯誤しながら自
「そこから脱するには、マニュアルの見直し
分たちでつくっていきます。しかしそれがうま
というような微温的なやり方ではなかなか難し
くいってマニュアルが整備されるようになり成
いでしょう。根本的には自分の頭で考えられる
熟化が進むと、自分たちの頭では考えないけれ
人材を育成していくしかないのですが、マニュ
ど、うまくいく方法をなぞることで、効率的な
アルにしても一度、できかがっているものを壊
運用ができるようになります。それが進むと、
して、
「何のための、マニュアルなのか」を明確
誰かが決めたのだからその通りにやろうという
にして目的的に作り直するくらいの方法を取る
ことになります。そうなると何のためにやるの
必要があります。
」
か、という肝心な部分が抜け落ち、その結果、
「必要なのは高齢化と少子化に対応するよう
誰も考える人がいなくなる。やっている当人た
に社会のからくりを変えていくことです。・・・
ちは大真面目ですが、実際は主体性も責任感も
効率重視の社会とは違った継続重視の社会とい
ない思考停止状態でことは進んでいきます。
」
うまた違った解が出てくるはずです。経済成長
「ノウハウばかりにこだわっていると、社員
重視の考え方からは、こうした継続重視の考え
や作業者は次から考えることを放棄するように
方は支持されないかもしれません。どちらかと
なります。これではせっかくの技術が弱体化し
いえばマイナスの価値として考えないようにし
ていくだけです。技術をより強くするのはノウ
てきた部分でしょう。しかし、マイナスの価値
ハウを守ることではなく、ノウホワイ、つまり、
を減らすことはプラスの価値を増やすことにつ
その技術の理由や動機を知ることが重要になり
ながります。既に始まっている大きな問題を解
ます。さらにはノウワットという目的意識を
決していくためには、新しい視点を入れながら
しっかり持って技術を扱うことが大事なのに、
社会のからくりを変えていく作業が必要不可欠
日本の技術運営はそこが抜け落ちているので
だと思います。
」
す。
」
マニュアルとの距離感を緊張感を持って保ち
・11の当日、官邸の危機管理センターで悪
つつ、継続性重視の技術のあり方を追求してい
戦苦闘していた時にボンヤリと頭に浮かんだこ
くことがこれからの技術職に求められる最も重
とをクリアに表現するとこういうことになるの
要な要素ではないかとのご意見は、昨今の我が
だろう。マニュアルそのものに罪はない。マ
国の現状を顧みるにつけ真に正鵠を得ているよ
ニュアルを作成することで事足れりとしてしま
うに感じられるが、さらに畑村先生は技術に携
う人間の側にこそ問題がある。実はマニュアル
わる者に対して厳しい注文をされている。
を作成することで「言い訳」を準備してしまっ
「インフラの老朽化も既に始まっている大き
ているのではないか。自らの責務を顧みること
な問題ですが、これからは新しく作るよりも、
なく、むしろ責任回避のために、他人に責任を
どのように修理するか、どのようにメンテナン
押し付けるためにマニュアルを使ってしまって
スしていくかがインフラ整備の基本となってい
いるのではないか。安全確保を最優先するため
きます。当初、設計段階からメンテナンスしや
には、起こりうる事故事象について「他人事で
すいかどうかが重要視されることになります。
」
はなく自分事」として考えることを常に念頭に
確かに我が国の技術の世界では、ややもすれ
置いておかなければならないのに、
どうして
「自
ば新しいものを作ることにプライオリティが置
分事ではなく他人事」になってしまうのか。見
かれ、維持管理や安全管理、そのための技術を
たいと欲する現実しか見ようとしない我々はこ
劣後する傾向はなかったか。畑村先生のご指摘
れからどうすればよいのか・・・技術論から社
は技術に携わる者に対して「職人としての矜持
Safety & Tomorrow No.166 (2016.3) 20
と気概」を絶えず忘れないようにすることが必
つ我が国唯一のものでもある。
要なのではないかと改めて示唆しているように
(ちなみに大規模な災害や事故が発生した場
も思われる。
合、消防庁その他関係機関とともに現場に直接
出向き、調査分析を行い、広くその情報を提供
『
「経験知」を伝える技術』の著者、ドロシー・
することも当協会の大きな役割である。筆者が
レナード、ウォルター・スナップによれば、経
図らずも関わることとなった東日本大震災に関
験知(ディープ・スマート)とは「その人の直
しても、屋外タンク貯蔵所の被害状況について
接の経験を土台とし、暗黙の知識に基づく洞察
詳細な報告書を取りまとめており、足で稼いだ
の源となり、その人の個人的信念と社会的影響
貴重な資料として関係者の必読文献である。
)
によって形作られる強力な専門知識で、数ある
このような経緯と経験を踏まえ、当協会が危
知恵の中で最も深い知恵」のことであり、
「具体
険物施設掌中石油タンクの安全に係る「経験知」
的な情報よりもノウハウに基礎を置き、システ
の伝承をつかさどる機能を有する公的機関とし
ム全体に対する理解をもとに、複雑な相関関係
て、その存在意義をより高めていくことは、今こ
を把握して専門的な判断を迅速に下すと同時
そ将に時代の要請といえるのではなかろうか。
に、必要とあればシステムの細部にも踏み込ん
「デルフォイの神託」で有名なデルフォイの
でそれを理解できる能力」であるとされる。
神殿の入口には「汝自身を知れ」
、
「度を過ごす
そして、このような能力は正式な教育だけで
は身につかないが、計画的に育むことはできる
なかれ」
、
「無理な誓いはするなかれ」との
つ
し、献身的に努力すれば他人に移転したり再創
の格言が刻まれているという。古代ギリシアの
造したりもできる、即ち、経験知は意識的に構
各都市が政治的な意思決定をするにあたって参
築・移転することが可能であり、そうすること
考にするための「神託」を得るべく神殿を訪れ
により組織と個人の両方が恩恵を受けられると
た際に必ず目にした格言である。
いうのである。成長の時代から成熟の時代に向
これらの格言の謂いは、2000年以上の昔も今
かう日本社会の司々で、経験知の伝承を意識的
も、人間の営為には大きな違いがないことを暗
に行うための機能が要請される所以である。
示している。そして、とりわけ技術に携わる者
当協会は消防法第16条の10に基づき、「市町
にとって忘れてはならない「職人としての矜持
村長等の委託に基づく屋外タンク貯蔵所に係る
と気概」とは何かを示唆しているように感じら
審査を行い、あわせて危険物又は指定可燃物の
れてならない。顧みるに当協会の入口には「安
貯蔵、取扱い又は運搬の安全に関する試験、調
全をみつめる
査及び技術援助等を行い、もって危険物等の貯
誰もが目にするように掲示されている。願わく
蔵、取扱い又は運搬に関する保安の確保を図る
ば本年で創設40周年を迎える当協会が、危険物
ことを目的とする」と法定されている。発足以
等に関連する安全の確保のための公正・中立な
来40年の間、当協会は関係者や関係機関のご理
機関として、時代の要請に応えながら社会的使
解ご支援の下、歴代職員の地道な努力により当
命を果たしていくよう、デルフォイの神殿の入
該施設の安全管理の一翼を担ってきたところで
口に刻まれた格言を思い起こさせるような「経
あるし、また、40年間にわたり蓄積されてきた、
験知の伝承機関」とならんことを切に期待して
現場を踏まえた技術的な経験知は極めて膨大か
筆を置くこととしよう。
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たしかな技術」という標語が、
Safety & Tomorrow No.166 (2016.3)