西川祐信作品の挿絵をもとにした漆器デザインについて

第二部 研究ノート
西川祐信作品の挿絵をもとにした
漆器デザインについて
ビ ン チ ク ・ モ ニ カ Bincsik Monika
(加茂瑞穂 訳)
101 西川祐信作品の挿絵をもとにした漆器デザインについて
はじめに
日本の漆器、特に蒔絵がほどこされた作品は、さまざまな図像
が提示されている。平安時代から江戸時代にかけていくつかの様
式が見受けられ、特に蒔絵の様式において唐様と和様が区別でき
る。そして、漆器にほどこされる蒔絵の多くは、絵画や他の視覚
的な資料が典拠となっている。和様とされる漆器の構図は一般的
に、日本の古典が関連しているか、もしくは日常生活の事物や風
景 が 表 現 さ れ る 。 江 戸 時 代 に は、 版 本 や 浮 世 絵 を も と に デ ザ イ
ながっている 。下絵とは蒔絵を施す工程の前に準備される描画
そ の 図 像 は、 そ の も と に な っ た 視 覚 的 な 資 料 と、 下 絵 に よ っ て つ
に採用するという前代の伝統を引き継いだものである。蒔絵作品と
ン さ れ た 蒔 絵 も 少 な く な い 。 こ れ は、 屏 風 や 絵 巻 物 の 構 成 を 蒔 絵
1
て漆器の上に具現化されるのである。
元的なイメージは、金属粉を蒔くなどの様々な蒔絵の技術によっ
材料や技法に関しての情報が含まれる場合もある。こうして三次
ことである。しばしば蒔絵の下絵には、蒔絵の装飾に使用される
る。また、下絵の一つの特色は、モチーフを力強い輪郭線で描く
版画をベースにして蒔絵に適したデザインに応用したものがあ
下絵には、蒔絵師オリジナルのデザインのもの、もしくは絵画や
の こ と で、 漆 器 の 表 面 に デ ザ イ ン を 転 写 す る た め の も の で あ る。
2
の奥行感を含んだ絵画や版画のような表現を促進した。
絵の様々な技法の組み合わせが、色合いのグラデーションや構図
な金属や、特に色粉蒔絵に使用される色粉・乾漆粉に加えて、蒔
くは新たな創作を可能にした。また、金、銀、銅などのさまざま
花弁、水流などの精緻な部分を正確な線とともにデザイン、もし
蒔絵師は、はっきりとした輪郭線、人の顔、着物の文様、精巧な
蒔 絵 の 技 法 の な か で も「 付 描 」 と 呼 ば れ る 線 描 の 技 法 に よ り、
●図1:蒔絵硯箱「忍恋」 墨を吹き付ける場面、18 世紀後半、V&A 博物館蔵
(京都国立博物館編『蒔絵』展覧会図録、平成9年〈1997〉、218 頁転載)
第2部 研究ノート 102
江戸時代から明治時代にかけて制作され
た 漆 器 に は、 浮 世 絵 版 画 や 版 本 の 挿 絵 を 取
り上げた作品を数多く目にすることができ
祐信の挿絵をもとにした
硯箱について
&
博物館)のコレクショ
ロンドンにあるヴィクトリア&アルバート
博 物 館( 以 下、
*2 下
* 絵には、はっきりとした輪郭線を用意し、漆器の表面に文様をトレースしやすくした。そのため、輪郭線のはっきりした浮世絵を使用に
適した漆器の下絵にすることは容易であった。
http://www.dh-jac.net/
立つという迫力ある一場面を表現している 。
人の女性が漆器の台に墨の入った器を乗せて
な が ら 庭 先 の 壁 に 文 字 を 書 き、 傍 ら に は 付 き
図 1 の 硯 箱 は、 女 性 が 口 か ら 墨 を 吐 き 出 し
納める箱のことである。
と は、 硯、 墨、 筆、 水 滴、 小 刀 な ど の 文 具 を
が 施 さ れ た 硯 箱 が 二 点 収 蔵 さ れ て い る。 硯 箱
ン に は、 西 川 祐 信 の 版 本 の 挿 絵 を も と に 装 飾
A
る。 そ の ほ と ん ど が、 印 籠 や 盃、 提 重 箱 で
あ り、 硯 箱、 料 紙 箱 は 少 な い。 そ し て、 版
画や版本の挿絵のイメージを典拠とする漆
器 の 大 半 は、 飲 食 や 行 楽、 娯 楽 や 流 行 の 服
飾 に 関 連 し て い る。 中 に は、 西 川 祐 信 の デ
ザインを典拠とする蒔絵が数点ある 。そ
れ で は、 祐 信 の デ ザ イ ン が ど の よ う に 三 次
V
For reference see: Strange, Edward F:
103 西川祐信作品の挿絵をもとにした漆器デザインについて
元 の 作 品 へ 採 り 入 れ ら れ、 蒔 絵 と し て 表 現
されたのか考察してみたい。
●図2:西川祐信『絵本玉かづら』元文元年(1736)、大英博物館蔵
(© Trustees of the British Museum, 1915,0823,0.38)
*3 こ
* の他にも、西川祐信のデザインをもとにした漆器作品がさらに数点あると認定している。
、 高: 4.8cm
、 幅 : 21.3cm
、 奥 行: 24.8 cm
。
*4 蒔
* 絵 硯 箱 、 V & A 博 物 館 蔵 。 資 料 番 号 W-309-1916
Catalogue of Japanese Lacquer, Victoria and Albert Museum, London, 1924, vol. 1.
4
3
漆 器 参 考 文 献 デ ー タ ベ ー ス 」(
*1 漆
* 器 に お け る 文 学 に 関 係 す る 主 題 に つ い て は 多 く の 参 考 文 献 が あ る た め 「 ARC
)を閲覧していただきたい。参考文献として以下の二点を挙げておく。
db10/bunken/lacquer.htm
・京都国立博物館編『蒔絵』展覧会図録、平成九(一九九七)年。
・灰野昭郎『日本の意匠 蒔絵を愉しむ』岩波書店、平成七(一九九五)年。
*
*
* *
壁 に 書 か れ た「 忍 恋 」 の 文 字 は、 当 時 流 行 の 奇 抜 な 表 現 で あ る
と 同 時 に、 こ の 作 品 の 場 面 構 成 は、 有 名 な 歌 舞 伎 の シ ー ン「 葛
の 葉 子 別 れ 」 を 想 起 さ せ る 。「 葛 の 葉 子 別 れ 」 の 場 面 が 描 か れ る
『蘆屋道満大内鑑』は、享保一九年(一七三四)に大坂で人形浄
瑠 璃 と し て 初 演 さ れ た。 そ の 後、 元 文 二 年( 一 七 三 七 ) に 江 戸
中 村 座 で、 続 く 寛 延 元 年( 一 七 四 八 ) に は 大 坂 に お い て も 歌 舞
伎上演された 。
●図3:蒔 絵 硯 箱 「忍恋」 墨を吹き付ける場面、
19 世紀前半頃、チャールズ・A・ グリーンフィー
ルドコレクション
( Eskenazi Limited, The Charles A. Greenfield
き人のみがデザインとして残された。硯箱の装飾は、黒漆の背景
略化され、構図の中で重要な要素の壁、墨を吹き付ける女性と付
左手には、花が描かれている。一方、硯箱では、版本の構図が簡
る壁の前へ立っている。図2の背景には、柳の木が描かれ、画面
扇いでいる。一方、残り三人の女性は、文字が吹き付けられてい
れている。一人は、縁側に腰掛けて庭先の壁へ顔を向け、団扇で
インの典拠となった祐信の挿絵(図2)は、四人の女性で構成さ
物であるため、春正が硯箱を制作した可能性もある。硯箱のデザ
( 寛 文 一 一 年 〈 一 六 七 一 〉 ― 寛 延 三 年 〈 一 七 五 〇 〉) と 同 時 代 の 人
元 禄 一 六 年 〈 一 七 〇 三 〉 ― 明 和 七 年 〈 一 七 七 〇 〉) は 、 西 川 祐 信
着 物 の 形 状 を 表 現 す る た め に 、金 や 銀 、黒 や 赤 い 色 粉 を 使 用 し た 。
天 目 台 に 墨 の 入 っ た 容 器 を 乗 せ て 持 っ て い る 。 そ し て 、蒔 絵 師 は 、
女性の着物は格子模様で装飾されている。また、付き人の女性は
を吹き付ける女性の着物は、笠と梅の模様で装飾され、付き人の
祐信の版本をほぼ忠実に再現している。祐信の版本と同様に、墨
ン さ れ て い る 。 一 方 、墨 を 吹 き 付 け る 女 性 と 付 き 人 の 若 い 女 性 は 、
し、蓋の左縁で祐信の挿絵にあった柱を暗示させるようにデザイ
硯箱の中で壁は、微妙に金、茶色、黄色を使用して漆喰壁を表現
重 要 な 要 素 の み を 選 択 し て デ ザ イ ン し た と 考 え る こ と が で き る。
硯 箱 の 構 図 を 考 え る 際 に 見 開 き 画 面 の 内 、右 面 三 分 の 一 を 割 愛 し 、
の 挿 絵 は 、版 本 の 見 開 き に わ た っ て 表 現 さ れ て い る が 、蒔 絵 師 は 、
となった挿絵と硯箱の構成を比較してみると、典拠となった祐信
Collection of Japanese Lacquer, London, 1990;
cat.no.37)
に金、銀、色粉を使用した色粉研出蒔絵で表現されている。典拠
図 1 の 硯 箱 に は 、「 春 正 」 の 銘 が あ る 。 四 代 目 山 本 春 正 ( 京 都 、
である。
考 え ら れ る 『 絵 本 玉 か づ ら 』( 元 文 元 年 〈 一 七 三 六 〉 刊 ) の 挿 絵
図2は、図1の硯箱を制作する際、デザインの典拠となったと
5
第2部 研究ノート 104
祐信版本に見られる「忍恋」のデザインは、一九世紀に制作さ
でもあった。
な二次元の性質を彷彿とさせ、デザインの下地となった墨摺りの
れ た 硯 箱 に も 確 認 す る こ と が で き る 。図 3 の 硯 箱 は 、以 前 は チャー
研出蒔絵により表現された硯箱のなめらかな表面は、版本のよう
画面は、蒔絵師によってわずかに「色づけ」されたのである。平
ルズ・
・グリーンフィールドコレクションで あ っ た 。
面 で 四 角 形 を し た 硯 箱 の 蓋 は 、版 本 の 挿 絵 と う ま く 適 応 し て い る 。
また、硯箱に採用されたテーマは「書く」という行為を連想させ
絵師はデザインする際、床几に腰掛ける三人目の女性も含み、壁
図 3 の 硯 箱 に は 、「 欽 羊 斎 」 の 銘 が あ る 。 こ の 硯 箱 の 場 合 、 蒔
写 し た 。 ま た 、壁 は 当 初 白 色 の よ う に 見 え た 銀 で 表 現 さ れ て い る 。
るため、遠回しに硯箱に適したデザインであると考えられたのか
図 1 の 硯 箱 は 、ウィリアム・クレバリー・アレキサンダー( 一 八 四 〇
こ の 他 の 違 い と し て 背 景 が 挙 げ ら れ 、 グリーンフィールドコレク
シ ョ ン と 評 価 さ れ て い た 。 彼 は 、 熱 心 な 蒐 集 家 で 、 バーリントン・
贈された。彼の漆器コレクションは、かねてから質の高いコレク
硯 箱 は 、 グリーンフィールドコレクションの 硯 箱 よ り も 早 い 時 期 に
ンの 硯 箱 は 、 背 景 が ほ と ん ど 黒 で あ っ た 。
ションの 硯 箱 は 、 背 景 に 金 粉 が 蒔 か れ て い る が 、
&
ファイン・アーツ・クラブの メ ン バ ー 、 ナショナル・アート・コレ
制 作 さ れ た と 考 え ら れ る 。 グリーンフィールドコレクションの 硯 箱
―一九一六)のコレクションで、
クション・ファンドの 財 政 支 援 メ ン バ ー で も あ っ た 。 ま た 、 彼 は
は 、以 前 、一 九 五 五 年 ロ ン ド ン に お い て オ ー ク シ ョ ン に 出 さ れ た 、
&
北 斎 の「 富 嶽 三 十 六 景 」を 含 ん だ 浮 世 絵 も 蒐 集 し て い た 。 加 え て 、
V
& コレクショ
博物館へ一九一六年に遺
の面積も大きくして、もとにした祐信のデザインをもっと正確に
6
もしれない。
A
マツモトコレクションに 収 蔵 さ れ て い た 。 そ の 後 、 一 九 九 〇 年 ロ ン
A
彼 は ジェームズ・マクニール・ホイッスラーの 有 力 な 後 援 者 の 一 人
、幅:
6.3cm
、奥行:
20.9cm
。
25.1cm
V
A
コレクションの
105 西川祐信作品の挿絵をもとにした漆器デザインについて
V
A
*5 歌
* 舞伎で上演される「葛の葉子別れ」の場面と西川祐信の版本に描かれる挿絵の構図、そしてそれぞれに組み込まれた視覚的な表現は、一
見すると関係がないように見受けられる。歌舞伎では、葛の葉は筆を口にくわえ、赤ん坊を抱いて別れの歌を障子に書く。一方、祐信絵本
の挿絵では、筆を口にくわえておらず、女性は一見すると遊女のように見え、墨を口から直接壁へ吹き付けている。この女性は、壁へ墨を
吹き付けることを楽しんでいるようであり、他の女性達もその様子を楽しげに見ているように思われる。また、葛の葉が障子に書く別れの
歌 は 、「 忍 恋 」 と は 関 係 の な い こ と を 指 摘 し て お く 。
*6 蒔
* 絵硯箱、高:
*
*
7
●上/図4:蒔絵硯箱「蛍狩」、18 世紀後半期頃、V&A 博物館蔵
(京都国立博物館編『蒔絵』展覧会図録、平成9年〈1997〉、219 頁転載)
博物館に収蔵される祐信版本を典拠とする硯箱は、他に
ドンのグリーンフィールド競売で取引された 。
&
A
もある(図4) 。
V
顔の表情や着物の複雑な模様、船の先頭に座る男性の帯に提げら
明るく輝いている。この硯箱の描写は詳細なものであり、精緻な
追いかけている様子が表現されており、夜空と対照的に蛍の光が
図4の硯箱には、八人の男女が夏の夜に船の上で遊興し、蛍を
8
●下/図5:西川祐信『絵本真葛か原』寛保1年(1741)、国立国会図書館蔵
れ た 小 さ な 印 籠、 蛍 を 捕 ま え
ようと手を伸ばす男性の扇子
に風景が描かれている。
硯 箱 に 表 現 さ れ た 場 面 は 、祐
信 の 『 絵 本 真 葛 か 原 』( 寛 保 元
年〈 一 七 四 一 〉 刊 ) の 挿 絵 を
利 用 し て い る ( 図 5 )。『 絵 本
真 葛 か 原 』 は、 歌 合 の 歌 と そ
れに合わせた三〇の挿絵を含
む 内 容 と な っ て い る。 見 開 き
に 描 か れ た 図 5 は、 硯 箱 と 同
様に蛍狩の様子が描かれているが、硯箱よりも流水や葦の生えた
川岸など背景全体が描き込んである。
歌合の歌は、見開きの右上部に掲載されている。
蛍
夕くれはこかれゆく身の あちきなく
扇やそらに かゝるしからみ
この歌は、隠しきれない秘めた想いの悲しさをうたっている。し
かし、硯箱を制作した蒔絵師は、版本の右上部は硯箱制作の段階で
は割愛し、船遊びと蛍狩に焦点を当てた。流水の表現は、硯箱の縁
を越えて蓋の左側面まで続き、船と人物の一部は、蓋の右側面まで
第2部 研究ノート 106
博 物 館 に 収 蔵 さ れ た。 ま た、 こ の 硯 箱 は、 ト
●上/図6:蒔絵盃「田植」、19 世紀(河野通明「西川祐信『絵本
士農工商』農之部とその影響」、平成 12 年〈2000〉、246 頁転載)
●下/図7:西川祐信『絵本士農工商』(河野通明「西川祐信『絵
本士農工商』農之部とその影響」、平成 12 年〈2000〉、218 頁転載)
&
博 物 館 に 所 蔵 さ れ る 二 点 の 硯 箱 は、 お
これら二つの硯箱の関連についてさらに研究が必要である。
以 上 の よ う に、
優 品 は 祐 信 絵 本 の デ ザ イ ン を 利 用 し た も の で あ り、 洗 練 さ れ た
そ ら く 一 八 世 紀 後 半 に 京 都 の 春 正 工 房 で 制 作 さ れ た。 こ れ ら の
A
*7 ・
* Auction catalogue of the R. Matsumoto collection, Glendining and Co., London, 5-6 May 1955, no.28 (pl.IV)
・ H. Batterson Boger: The Traditional Arts of Japan: A Complete Illustrated Guide, London and New York, 1964, no.15
・ Harold P. Stern: The Magnificent Three: Lacquer, Netsuke and Tsuba, New York, 1972, no.57
・ Andrew J. Pekarik: Japanese lacquer, 1600-1900: Selections from the Charles A. Greenfield Collection, New York, 1980; cat.no. 37, fig.48
・ Antique Monthly, Atlanta, October 1980, p. 18a
・ 北 村 哲 郎 編 、 小 川 盛 弘 ほ か 『 在 外 日 本 の 至 宝 』 一 〇 巻 、 工 芸 、 毎 日 新 聞 社 、 昭 和 五 六 年 ( 一 九 八 一 )、 図 二 〇 ― 二 一 。
ア ー コ レ ク シ ョ ン に は 図 4 と 非 常 に よ く 似 た 硯 箱 が あ る。
V
続 い て 表 現 さ れ て い る。 蛍 狩 の 描 写 は、 金、 銀、 朱 色 の 粉
を 使 用 し た 研 出 蒔 絵 の 技 法 が 施 さ れ て い る。 背 景 は 黒 で、
詳細部分は、細い線を描いて粉を蒔く「付描」や「蒔暈かし」
の 技 法 で 表 現 さ れ、 金 の 輝 き や 赤 い 蛍 は、 螺 鈿 を 嵌 め 込 む
こ と に よ り 強 調 さ れ て い る。 硯 箱 の 内 部 は、 梨 子 地 が 施 さ
れている。この硯箱は、マイケル・トムキンソンコレクショ
&
ン の 一 部 で、 一 九 二 一 年 に マ イ ケ ル・ ト ム キ ン ソ ン の 寄 贈
により
さ れ る 。 チ デ ィ ン グ ス ト ー ン 城 の デ ニ ス・ ア イ ル・ バ ウ
録 に よ る と、 本 作 は 春 正 作 で あ り、 制 作 年 代 は 一 八 世 紀 と
ム キ ン ソ ン コ レ ク シ ョ ン の 図 録 に 掲 載 さ れ て お り、 こ の 図
A
* Specimens of Japanese Art from the Collection of Michael Tomkinson, London, 1899, no.527. The writing box is published in: Earle, Joe
(ed.): Japanese Art and Design, V&A, London, 1986, pp. 68-69.
・ Eskenazi Limited, The Charles A. Greenfield Collection of Japanese Lacquer, London, 1990; cat.no.37
・ Christie’s, Netsuke and Lacquer from the Japanese Department of the Eskenazi Ltd, London, 1999, Lot 14
。 高 : 4.4cm
、 幅 : 21.6cm
、 奥 行 : 24.1cm
。
*8 蒔
* 絵 硯 箱 、 V & A 博 物 館 蔵 。 資 料 番 号 : W-354-1921
*9
107 V
9
*
* *
装飾が施されている。ただし残念ながら、これらの作品の制作年
代を特定する文献資料は現在のところ確認できていない。
蒔絵における
さまざまな祐信のデザイン
では、次にそのほかに確認できる祐信のデザインが特徴の漆器
を取り上げてみたい。図6は、雄牛が鋤を引いて田を耕している
農耕の場面を蒔絵で表現した盃であ
る 。 雄 牛 が 鋤 を 引 く 題 材 は、 ほ ぼ
同様の構図が一八世紀中頃に出版さ
れた祐信の『絵本士農工商』に掲載
さ れ て い る ( 図 7 )。 蒔 絵 師 は 盃 の
背 景 を 版 本 か ら 変 更 さ せ て い る が、
その他の主要な人物や外観は版本か
らそのまま採り入れている。この盃
た 手 箱 で 、 蓋 裏 に 蛍 狩 の 場 面 が 装 飾 さ れ て い る。 手 箱 と は、
化 粧 道 具 を 納 め る 漆 器 の こ と で あ る。 蓋 裏 の 構 図 は、 延 享 二 年
( 一 七 四 五 )『 絵 本 若 草 山 』 に 掲 載 さ れ た 蛍 狩 の 場 面 に お お よ そ
基 づ い て い る( 図 8、9)。 手 箱 も 先 ほ ど の 硯 箱 と 同 様 に、 生 き
生 き と し た 夏 の 船 遊 び と 蛍 狩 に 着 目 し た 構 図 で、 手 箱 で は 版 本
の構図に加え、川岸に団扇を持った人々を描き加えている。
最 後 に、 一 九 世 紀 に 制 作 さ れ た、 男 性 が 船 の 先 頭 で 花 火 を
の 印 籠 に 類 似 し た 構 図 を 延 享 三 年( 一 七 四 六 )
打 ち 上 げ る 船 遊 び の 場 面 を 装 飾 し た 印 籠 を と り あ げ た い( 図
)。祐 信 は 、図
)。
の『 絵 本 都 草 紙 』 に 描 い て い る が、 印 籠 の デ ザ イ ン は 絵 本 の
10
はおそらく、一九世紀初頭に制作さ
れたと考えられる。
11
挿絵を正確に踏襲しているわけではない(図
11
図8は、京都の漆器工房である象
彦に所蔵される一九世紀に制作され
●左/図9:西川祐信『絵本若草山』延享2年(1745)、
国立国会図書館蔵
● 下 / 図 8: 蒔 絵 硯 箱 蓋 裏「 蛍 狩 」、19 世 紀、 象 彦 蔵
(松下隆章監修『京の伝統と文様 8―京漆器象彦』美乃
美、昭和 54 年〈1979〉、53 頁転載)
10
10
第2部 研究ノート 108
ら れ る。 そ れ と 同 時 に 日 本 の 絵 画、 特
た。 屏 風 の 中 で も 特 に 南 蛮 屏 風 や 洛 中
浮世絵に影響を受けた漆器
蒔 絵 が 誕 生 し た 初 期 に は、 同 時 代 の 人 々 が 登 場 し た 作 品
洛 外 図 屏 風 で は、 顔 や 衣 服、 そ し て 人
に屏風においても新たな流れが生まれ
は 少 な い。 し か し、 桃 山 時 代 か ら 江 戸 時 代 初 期 に か け て、
物の動きが詳細に描かれるようになっ
た。 同 時 代 の 人 々 が 大 画 面 の 主 題 と な
る こ と は、 日 本 美 術 史 上 初 め て の 出 来
事 で あ っ た。 同 時 に、 風 変 わ り な 外 国
人を詳細に表現した南蛮様式蒔絵の箱
や 印 籠 が 制 作 さ れ た。 こ の 動 き は、 南
蛮屏風の人気や大画面の絵画的な構図
が、 同 時 代 の 漆 器 の デ ザ イ ン と 重 要 な
結びつきを持っていたことを意味している。筆者は、南蛮屏風や
洛中洛外図など、大きな画面で同時代に生きている大衆の姿を描
くという、日常生活を表現する新しい流行がこの時代になって受
(『 歴
*10 河*野 通 明「 西 川 祐 信『 絵 本 士 農 工 商 』農 之 部 と そ の 影 響 」
史と民族』神奈川大学日本常民文化研究所論集一六、平凡社、
平 成 一 二 年 〈 二 〇 〇 〇 〉、 頁 二 〇 九 ― 二 四 九 。)
*
*11 研*出 蒔 絵 手 箱 、 象 彦 コ レ ク シ ョ ン 。 松 下 隆 章 監 修 『 京 の 伝 統
と 文 様 八 ― 京 漆 器 象 彦 』 美 乃 美 、 昭 和 五 四 年 ( 一 九 七 九 )、
頁五三。
109 西川祐信作品の挿絵をもとにした漆器デザインについて
蒔絵の技術的な発展と漆器のデザインに意義深い変化がみ
●右/図 11:西川祐信『絵本都草紙』延享3年(1746)、国立国会図書館蔵
●上/図 10:蒔絵印籠「船遊」、19 世紀(Published in: Kress, Heinz and Else: Inrō a
key to the world of samurai, Tampere Museum, 2010, p.222)
*
け入れられ、同時に漆器の絵画的主題として流行していったと確
信している。
そして、内装として用いられた制作当時の屏風は、漆器や飾り
物と共に設えられ、それらの装飾には類似、もしくは関係のある
&
祐信デザインの蒔絵
博物館に所蔵される一八世紀に制作された高い質の硯箱
遊戯や吉原遊郭の場面などが浮世絵師により多数描かれた。そし
江戸時代初期から花見遊興や物見遊山、都市生活における室内
日 常 の 一 場 面 で あ り 、年 中 行 事 の 一 部 で あ っ た と い う こ と で あ る 。
る。 同 時 に、 風 俗 画 な ど に 取 り 上 げ ら れ た 農 作 業 な ど の 様 子 は、
のような潮流は、社会全体の幸福に対して必要不可欠なものであ
な主題の表現は、農業や肉体労働に対する敬意を示しており、こ
農民や肉体労働に取り組む人々を描いたものである。上記のよう
蒔絵として表現され始めた。これらの構図は、農作業に従事する
江戸時代初頭以降、漆器には田植や石曳、曳舟などの風俗画が
けることで、明治時代に外国人日本美術コレクターの間で浮世絵
ている。同時に、本稿において取り上げた作品の蒐集史に目を向
存在は、彼のデザインに継続性のある人気があったことを実証し
一方、一九世紀に制作された祐信絵本の構図が採用された硯箱の
や 歴 史 、京 都 の 蒔 絵 師 に 関 す る 有 益 な 示 唆 も 与 え て く れ る だ ろ う 。
絵のデザインを採り入れた漆器は、江戸時代における漆器の文化
定するさらなる調査が必要となる。出版年が判明する版本や浮世
そして京都の蒔絵師である山本春正の工房で制作されたことを特
れ る 。 ま た 、こ れ ら の 硯 箱 が 同 じ 工 房 で 制 作 さ れ た と い う 可 能 性 、
華な硯箱は、おそらく裕福な町人から特別に注文されたと考えら
は、精緻な装飾と祐信絵本の挿絵が利用されており、祐信絵本の
て、一七世紀後半までには、女と男の「浮世」が絵画で描かれる
と関連した工芸品がもてはやされた様相を明らかにすることがで
絵画的題材が共有されていたことを念頭に置いておかなくてはな
ようになった。浮世絵の発展にともなって人気歌舞伎役者や遊女
(原文 一三九頁参照)
きるだろう。
構図の中に同時代の関心や流行をみることができる。これらの豪
A
らない。
V
だけにとどまらず、さまざまな主題の絵を商業的な商品である浮
世絵を通じて広く入手できるようになったのである。また、この
ような浮世絵の主題は、漆器のデザインにも適していた 。
12
第2部 研究ノート 110
*12 印*籠 の デ ザ イ ン に は 、 浮 世 絵 と 挿 絵 の 構 図 が 多 く 使 用 さ れ て い る 。 参 考 文 献 :
Tampere Museum, 2010
*
Kress, Heinz and Else: Inrō a key to the world of samurai,
111 西川祐信作品の挿絵をもとにした漆器デザインについて