第 198 号 「家 庭 訪 問 」 〜喜びと悲しみを分かち合う〜 下口 勲 直 し、 昼 間 に、 在 宅 時 間 が 多 い 後 期 高 齢 者 の 自 宅 を 訪 問 し、 玄 関 先 で な く、 客 間 で 本 人 の 半 生 を 聞 い て 交 流 を 深 め て い ま す。 訪 問 で は 配偶者を亡くした高齢者の家庭 や、 着 任 後 六 年 の 間 に、 足 腰 が 弱 り、 主 日 ミ サ 参 加 が 困 難 に な っ て いる高齢信徒の家庭を優先してい 浜脇教会と所帯数が多い福江教会 の家庭訪問も予定通り進んでいま す。 最 初 の 頃 は、 世 帯 主 の 帰 宅 時 間 帯を見計らって夕方に実施してい ま し た が 、挨 拶 程 度 の 訪 問 で し た 。 しかし現在はこの訪問の仕方を見 主任司祭 牧七年 目 の お 正 月 を 迎 え る こ と が で きました。「一年の計は元旦にある」 と 言 い ま す。 新 年 の 司 牧 計 画 は 旧 年七月から始めている家庭訪問を 継 続 す る こ と に し ま し た。 お 陰 さ まで週二回巡回の井持浦教会の家 庭 訪 問 は は か ど り、 月 二 回 巡 回 の 今年は戦後七〇周年。終戦の年に 生まれ た わ た し は 今 年 、 古 希 ( 七 〇 歳)と な り ま す 。 父 は 六 九 歳 で 、 長 男は四 七 歳 で 、 次 男 は 六 八 歳 で 逝 っ ていま す 。 父 や 兄 よ り 長 生 き で き た ことを 神 に 感 謝 し な が ら 、 羊 の よ う に温順 に 過 ご し 、 福 江 教 会 や 教 区 の ため貢 献 す る 年 に す る 夢 を 抱 い て 司 こ こ ろ (1)平成 27 年2月8日 ます。 動 も、 教 区 シ ノ ド ス の こ の 成 果 を 反 映 さ せ た い も の で す。 ま た、 長 完 全 に、 真 心 を も っ て 一 致 す る こ ものです。 ら、 イ エ ス が 歩 か れ た 信 仰 と 愛 の 道 を 歩 み、 親 か ら 受 け 継 い だ 信 仰 をしっかりと子供たちに伝えたい 家族を養うために懸命に働きなが 崎 の 教 会 は、 少 子 高 齢、 経 済 優 先、 世 俗 主 義、 無 縁 社 会 の 挑 戦 を 受 け て い ま す の で、 わ た し た ち 信 者 は、 と で す。 一 人 ひ と り の 信 仰 生 活 も 福江小教区の今年度の各委員会活 この訪問にはたくさん のメリットがあります。い つ訪問しても本人が自宅 に お ら れ る の で、 相 手 の 時 間 で は な く、 し ば し ば 自分の時間の都合に合わ せ て 訪 問 で き る こ と、 豊 か な 人 生 経 験 を 聞 く こ と で、 教 え ら れ る こ と が た く さ ん あ る こ と、 普 段、 ミ サ 依 頼 を し て 司 祭 の 生 活 を 支 え て く れ て い る 世 代 な の で、 お 互 い に 親 近 感 が あ る こ と、 聞 き 手 の わ た し に と っ て、 メ モ を とりながら本人の半生を聞く こ と は 興 味 深 い こ と、 四 季 お りおりの家庭菜園やガーデニ ングの説明を眺めながら聞く ことは世帯主の生活感と趣味 が 分 か っ て 楽 し く、 時 に は お 土産に有機野菜をお裾分けし ていただいていることなどで ある。 新年にあたり、キリストはわ たしたちに「沖に漕ぎ出し、漁 を し な さ い。」 と 言 わ れ ま す。 去年、開催した教区代表者会議 では、教会から遠ざかっている 信徒だけでなく、すべての信徒 の回心が主要な課題となりま した。ここで回心とは、信仰を 通してキリストとその福音に 下五島地区 合同堅信式 一月 十 八 日 ( 日 ) 十 一 時 よ り 穏 や かな日 和 の 中 、 下 五 島 合 同 堅 信 式 が 福江教 会 に て 髙 見 大 司 教 様 の 司 式 で 行われ た 。 今 回 は 合 わ せ て 十 九 名 の 受堅者 で 、 福 江 教 会 か ら は 八 名 ( 中 学生六 名 ・ 大 人 二 名 ) が 堅 信 の 恵 み を授か っ た 。 大司教様は式の中で 「堅信の秘跡 は洗礼のお恵みを強め、神の子として の使 命を強める秘 跡です。 洗 礼の恵 みによって神様に愛され神の国に加え られ、 小さい時から信 者の子 供とし て祈り、 恵によって神様の子供となる のです。 神 様の子として恵みを大 事 にして下さい。 信仰は愛によって活か し、 全ての人を平 等に愛 する神の子 として受入れ、 堅信によってさらに力 を入れて、 教会の一員として一人一 人がキリストの愛を証する教会のため に行動してください。」 と話された。 堅信式の後感謝式が行われ大司教 様へ奈 留 教 会の中 学 生より、 先 祖 達 が大 事に守り続けてきた信 仰を大 事 に引 き 継 ぎ、 祈って 行 き たいとのお 礼の言 葉がありました。 また、 浦 頭 教 会の保 護 者から 「 祖 先が繋いでき た 信 仰は、 神 様のもとで天 国への熱 い思いが あった と 思いま す。 少 しで も近 付く事が出 来るよう、また、 教 2 司祭団 0 15 マラソン大会 一月二七日(火)真冬の晴れ間の 中、 毎 年 恒 例の司 祭 団マラソン大 会 が堂崎教会から福江教会までのコース で行われた。 参加者は、司祭二九名と一般の参 加でその中には二名の女性もいた。 福江教会の前でスタート前に全員 の完走と安全を願いお祈りし、選手 宣誓もあった。 それから、 車でスター ト の 堂 崎 教 会 と 浦 頭 教 会 に 向 か い、 十時のスタートを待った。 準備運動し「スター スタート前は、 ト!」の声で一斉に走り出した。同 時に、浦頭教会からウォーキングの 部もスタートした。 沿 道 に は、 保 育 園 の 園 児 や シ ス ター、各教会から司祭団の応援に信 徒が駆けつけた。 手作りの横断幕や、 旗を振りながら特に地元の神父様が 通る時には、応援が盛り上がった。 コースは、上り坂の長い、ランナー には苦しいところもあり、その場所 での応援は、特に力になったようで ある。 ゴールの福江教会でも選手のゴー ルを待つ信徒がゴールテープを張っ て準備していた。 大会結果は 一位 川原昭如神父様 分 秒 二位 鶴崎伸也神父様 分 秒 三位 竹谷 誠神父様 分 秒 であった。 13 10 09 受堅者に声をかけられる髙見大司教様 会から離れないよう離さないように、 共に祈っていけたらと強 く 思っていま す。」 と感謝の言葉がありました。 44 43 40 第 198 号(2) こ こ ろ 平成 27 年2月8日 福江小教区百年のあゆみ 福 江 小 教 区 の 歴 代 主 任 司 祭 (3) 第十四代 に正式に登 録、 新 し い ユニフォー ムも作り本 格的な活動 人間味豊か な人柄で信 を 始 め た。 飾り気のな い、純朴で、 舵取りを任せられた師は、二十六聖 徒に惜しまれながら、わずか三年で 高松教区に転任。その後、平成二三 年六月大分教区の司教に叙階され 平野 勇 師 人殉教四五〇年祭、大聖年記念聖体 行列、牢屋の窄殉教一三〇周年など 大きなイベントを卓越した指導力で 第十 四 代 主 任 司 祭 の 平 野 勇 師 は 上 黒 崎 町 生 ま れ。 昭 和 三 八 年 司 祭 叙 階。平 成 八 年 に 着 任 し た 。 師 は ミ サ が終わ る と 聖 堂 の 前 に 立 ち 気 軽 に 話 た。 自分を平 成版浦島 太郎と表 りように 驚 か れ、 小島 栄 師 第十六代主任司祭の小島栄師は久 賀生まれ。昭和三九年司祭叙階。平 成十七年四月に着任。五〇年ぶりに 帰って来 られた師 は、 自 然 や社会環 境の変わ 第十六代 成功に導いた。 クレジア」と命名。ファーストピッ チとスローピッチの二チームを市 ボールクラブを開設された。スポー ツマンで特にソフトボールが好きな 師は、チーム名を集いの意味の「エ 第十五代主任司祭の濱口末男師 は、外海町出津生まれ。昭和五〇年 司 祭 叙 階。 平 成 十 四 年 四 月 に 着 任。 市の道路拡張の折、桐が丘墓地の一 部移転の大きな重責を背負い、たく さんの力を注がれた。小学生を対象 に剣道塾「雅風館」と中・高生を対 象 に 聖 歌 隊、 青 年 を 対 象 に ソ フ ト 濱口 末男 師 第十五代 しかけ ら れ 、 そ の 気 配 り と 気 さ く な 牢屋の窄殉教記念祭にて(右) 改修工事中の福江教会 人 柄 は、 多 く の信徒に慕わ れた。師は「ロ ザリオの祈り こそマリア様 が一番よろこ ば れ る 」 と、 毎日のミサの 前にロザリオ を唱える信心 を 始 め た。 さ らに聖堂の改 修に指導力を 発 揮 さ れ た。 ま た、 イ エ ス キリストの生 誕二千年前後 に福江教会の 現されていた。師は浅子教会主任司 祭時代に、教会とその周囲の信者の 家に豪華なクリスマスイルミネー ションを設置し、マスコミの話題に なったが、福江教会でもクレーン車 を 使 っ て 教 会 正 面、 ル ル ド の 洞 窟、 教会前広場に豪華なイルミネーショ ンを設置した。 師 は、 聖 体 を 受 け る 子 供 た ち の た め に、 小 学 校 の 上 級 生 に ホ ス チ ア の 手 作 り 体 験 を さ せ た。 畑 を 借 り て 小 麦 作 り か ら 刈 り 取 り、 脱 穀、 パン焼き、ご聖体の形にカットする までの工程を参加させ、そのご聖体 を初聖体で授けられた。おおらかで ユ ー モ ア が あ り、 話 し 上 手 な 司 祭 だった。 下口 勲 師 第十七代 第十七代 主任司祭の 下口勲 師 は、 新 上 五 島町桐生ま れ。 昭 和 四七年司祭 叙 階。 平 成 二一年福江 教 会 に 着 任。 平 成 二 四 年 は 教 会 献 信徒会館 牢屋の窄殉教祭にて 小麦作りの様子 第 198 号 こ こ ろ (3)平成 27 年2月8日 堂五〇周 年、 平 成 二六年の設 立百周年に 向け、着任 してすぐ準 備に取りか かった。ま お知らせ ◆福江小教区年の黙想会 指導司祭 奈留教会 辻原達也神父 日 時 2月 日(火) 日(水) 日(木) 【午前の部】9時~ 時 【午後の部】 時~ 時頃 ◆信徒発見150周年 記念ミサについて 日本の信徒発見の聖母の祝日 を記念し、連続ミサが大浦天主堂 にて行われます。 時 分からの ミサについて福江教会枠として 名予約しています。定員に達し 次第締め切りとなります。評議会 《香典返し》御 礼 〇鍋内 フイ子 様 故 アントニオ 鍋内 清一 様 〇岩下 雄一 様 故 ステファノ 岩下 光徳 様 役員へお問い合わせ下さい。 ま た、 個 人 で も 参 列 出 来 ま す (事前申し込み不要) 。詳しくはカ トリック教報 月号の一面に掲 復活前夜祭ミサ(4月4日) 時より 聖木曜日(4月2日) 聖金曜日(4月3日) ◆聖週間のミサ予定 載(ネットでも閲覧可)されてい ます。 11 クリスマス募金活動・ ぜんざいサービス 昨年末も恒 例のクリスマ ス 募 金 活 動、 クリスマス夜 半ミサ後のぜ んざいサービ スが行われま し た。 募 金 活動は福祉委 員 会、 ぜ ん ざ いサービスは 青少年委員会 が、 毎 年 師 走 の慌ただしい 中、 寒 い 中 を 奉仕していま す。また、子ども達、シスター方も 長時間街頭に立ち募金の呼びかけを 19 〇永尾 マチエ 様 故 ペトロ 永尾 八十吉 様 右 記 の 方 々 か ら 香 典 返 し に 代 え、 ご芳志を賜りました。 御礼をご報告申し上げますと共に 故人の永遠の安息を心からお祈り申 し上げます。 皆さんに“読んでもらえる新 聞”を目指して頑張っています。 行事だけではなく、身近な話題 や皆さんの意見もどんどん掲載 出 来 れ ば と 考 え て い ま す の で、 御協力をお願いします。 (K) 気持ちも新たに迎えた新年も 早一ヶ月が過ぎました。広報委 員会は早くも司祭団マラソンや 堅信式の取材を行い、さらに今 後は信徒発見150周年記念行 事、役員改選の取材などが予定 されており、今年も忙しい年に なりそうです。 編集後記 御復活ミサ(4月5日) 6時、9時の2回 19 21 12 30 26 25 24 13 ず、教会献 堂五〇周年 を 記 念 し 信 徒 会 館 落 成、 髙 見 大 司 教様の意向により聖堂床を土足履 き に 張 替 え、 音 響 設 備 も 一 新。 信 徒 の 協 力 で「 島 の 信 仰 の 輝 き 」 を 出版。 ま た、 百 周 年 の 心 の 準 備 と し て、講師を招いてキリシタン時代 についての講演会を四回実施し た。司祭館の改築は髙見大司教様 の 要 請 と 資 金 援 助 を 受 け、 当 初 の計画を変更し四人住まいとして 建 設 し た。 そ の 他、 教 会 窓 の 工 事、信徒有志の協力で「信仰のあ ゆみ」石碑を教会前に設置。さら に信徒の協力で、先祖の信仰の素 行ったり、ぜんざいサービスの手伝 いなどをしています。 活 動に携わった 全ての皆 さん、 大 変お疲れ様 で し た。 そ して、 募 金 に協 力 下 さった 方々、 本 当 にあ り がと うござ いました。 30 下五島地区クリスマス街頭募金 クリスマスミサ前の募金活動 司祭館 晴らしさを報せる書籍を計九冊出 版するな ど、 多 岐 に渡り精 力的に活 動してい る。 クリスマス夜半ミサ後の ぜんざいサービス 第 198 号(4) こ こ ろ 平成 27 年2月8日
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